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 無機質に立ち並ぶ統一感の無い高層ビルの群れ。その壁に反射した太陽の光がギラギラと輝く。
 汚れた空気を風が運んでいく。静寂と言う言葉が微塵も感じられないこの日本の中心都市、東京。
 否が応でも耳に入って来る都会の喧騒に、来羅(らいら)は苦笑を浮かべる。
 その漆黒の肩に掛かる長い髪が、下から吹き上げて来る強風に煽られ青い空を背景にはためく。両手を前に伸ばし、足元から吹き上げてくる風を受けていた。
 その白い肌には完全に癒えることのなかった無数の傷跡が残っている。服装はありきたりの制服姿で、ひだの入ったスカートはバタバタと音を立てて波打っていた。

「たった二千年でこの有様か……。きっとびっくりするだろうなぁ」

 眼下に蟻のように小さくうごめく人や車を見下ろしながら呟く。彼女は今、高層ビルの屋上に立っていた、フェンスを越えて。
 今一度、自分の暮らす土地の姿を視界におさめてみたかったのだ。大切な仲間を迎えるこの地を。
 心臓が破裂しそうに脈打っているのは、一歩踏み出せば落ちる所にいるそのせいではない。待ちに待った日が……二千年もの間待っていた日が、「今日」だから。

「やっと……会える。やっと………」

 勝手に笑みを形作る顔を両手で覆い隠す。たがを外せば興奮して自分でも何をしでかすか分からない。そんな気持ちを無理矢理抑えると、彼女は約束の地へと踵を返した。







「やっとか………」

 まだ昼だと言うのに照明を落とした暗い部屋で、椅子に深々と腰を下ろしたまだ若い少年の声が響く。
 少年にしては少し長めの漆黒の髪は、暗い部屋に溶け込むかのよう。冷静な口調とは裏腹にその顔にはあどけない笑みが広がっていた。
「ドキドキする? 火照(ほでり)
 おどけたように傍らにいる女性が問いかけた。艶やかな赤い唇が弧を描く。
 少年と同様の黒髪が彼女の動作に合わせてさらりと揺れる。前髪も、腰まである長い髪の先も綺麗に切り揃えられている。全身黒づくめの長いドレスに、白い肌が淡く光るようだった。
「あぁ、年甲斐もなくドキドキしてるよ」
 火照と呼ばれた少年は微笑んで答えた。すぐ横で小さく溜め息が漏れる。
「年甲斐も無くって……まぁ姿は十七歳だけど中身はじいさんか」
 呆れたように口を挟んだのは茶髪の背の高い青年だった。暗い部屋の中、この青年の白い衣装が映える。壁際に寄りかかりながら、よく鍛えられた手足を軽く組む。
 いつもならここで言い合いになるだろうが今日ばかりは違った。今日だけは全てを許せるような気分だった。
 少年は座っていた椅子から急に立ち上がり、数歩進んで振り返る。その瞳に、彼が信頼を寄せるたった二人の姿を映しながら言い放った。

(いばら)(かえで)。俺に力を貸せ。この腐りきった世界を変える為に」

「もとよりそのつもり……」
「来るなって言われてもついてくからな」

 二人の確かな忠誠をその瞳に焼き付け、火照は満足げに笑った。ふと思い出したように締め切ったカーテンを両手で払いのける。
 高層マンションの窓の外は一面ビルの群れが広がっていた。眼下には小さく人や車がうごめいている。蟻塚をひっくり返したようだと火照は思った。

「お前ら…、笑っていられるのも今の内だ」

 唇をかみ締め、苦々しそうに呟く。
 そう、笑っていられるのも今の内。今日この日をもって、人類は滅亡の一途を辿るのだ。
 目を閉じ、自分が再建するであろう新しい世界を思い浮かべる。そこには争いも無く、差別や偏見も無く、みんなが平穏に過ごせる幸せがある。
 楽園は一人では築けない。だが自分の隣に立つべきものの存在を、彼はすでに知っていた。その姿を思い浮かべて束の間の安息を得る。


 しばらくして火照はゆっくりと目を開けた。その燃えるような深い赤い瞳に目の前の光景を焼き付ける。近いうちに廃墟と化すであろうその光景を、少年は嘲りとほんの少しの憐れみをもって眺めた。







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