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 結局百夜(びゃくや)は見つからなかった。確かに彼はこの世界へ来たはずだった、そう思いたかった、信じたかった。
 だけれど心のどこかで思う。
 もし彼一人だけは時間の濁流に飲まれ、他の時間軸に流れ着いていたら……。
 余程の幸運が巡って来ない限り彼とは一生会えないだろう。
 不安と焦りに体中が支配され、来羅(らいら)は既に空が白み始めているのにさえ、(いさご)が声を掛けるまで気づかなかった。

「一旦引き上げよう」

 砂の声にびくっと体が反応する。
 本当はもうそれしか選択の余地が無いことは自分でも分かっていた。だが、今引き上げてしまえばもう一生会えないのではないかという不安が、彼女に帰宅することを拒否させる。
 何も答えられず俯く来羅に砂が続けて言う。

「これだけ探したのに見つからないってことは、あいつはあたしらと一緒の場所には流れ着かなかったんだよ。これ以上の捜索は無駄だ。分かるだろう? あいつだって馬鹿じゃない、ちゃんと生きてあんたに会いに来る」

 違う時間軸に流れ着いたかも知れない事は考えなかった。いつまでも公園の中でうろうろしているわけにもいかない。それは来羅も分かっていた。
 でも理解するのと行動に移すのとには必ずしも連動しないものだ。
 彼女が何も言えないでいると、有無を言わせない口調で霧生(きりゅう)が言った。
「あいつが見つかる前にお前が倒れる。一回休んで、それから範囲を広げて探す、いいな?」
「そうだよ、お前は心配しすぎ。あいつはこれくらいでどうこうなる奴じゃないだろ?」
 そう言ってにっこり笑う紅月(こうづき)を来羅は見た。
「それに………」
 少し困ったような表情に一瞬なって、

「俺、お腹減っちゃったし……」

 照れ笑いを浮かべながら言う紅月のお腹が、見計らったように盛大に自らの空腹を訴えた。
 その瞬間、緊張の糸が一気に切れ、力が抜けると同時に一同に笑いがこみ上げて来る。

「……ようこそ、二千年後の世界へ。私の部屋は狭いよ」

 軽く礼をして、来羅は彼らを歓迎した。













「で?」

 自身の不機嫌さを隠そうともせずに(かえで)が言った。
「『で?』って何が?」
 不思議そうな目で火照(ほでり)が問い返す。
「何がって…、分かるだろ!?あいつだよ、俺のベッドに寝てた!!一体何なんだよ!!?」
 そう、楓がコンビニへ行って帰って来ると、見知らぬ男があろうことか自分のベッドに寝ていた。それを疑問に思わない方がおかしいだろう、自分は間違っていないと楓は再確認する。
「あぁー…、拾った」
「あ、そうか。………じゃねぇよ!!何だよ、拾ったって!」
 火照のマイペースさに、僅かの差で楓の理性が勝つ。
「はぁ?だから拾ったんだって。帰宅途中に、路地裏で」
 一つ一つの言葉を確認するように強い口調で火照が繰り返した。
「分かった。拾ったのは良いよ(全然良くないけど)。でも何で俺のベッドに寝かせるんだよ。自分のがあるだろ?自分のが」
「いや、だって。路地裏に落ちてたんだぜ?汚いじゃん」
「………お前なぁ〜っ!」
 あわや乱闘になるかという所を、(いばら)の思わず上げた声が制す。
「何だよ!?茨!」
 楓は殴りかかろうとした右手を宙に浮かせたまま、視線だけ茨のほうへ向ける……と、その視線が廊下で留まる。
「あ!起きたのかよ」
 その声に反応して火照も廊下の方を見た。そこには確かに彼が拾ってきた男が…青年が立っていた。
 呆然とした感じながらも、その目は真っ直ぐ火照の目を見ている。

「おはよう」

 妙な沈黙を火照の一言が破る。

「…おはよう」

 青年のほうも反射的にそれに答える。
 まるでここに居るのが当たり前なような応酬に付いて行けずに、楓と茨は依然として黙ったままだった。
「えと…ここどこ? 西暦何年?」
 ほとんど初対面の者に聞く質問ではないが、茨がそれに応じる。
「ここは東京の私たち三人が住んでる家、今は2807年。あなたの名前は?」
「俺は百夜(びゃくや)。……俺と一緒に誰か居なかった?」
「お前は一人でこの近くの路地裏に倒れてた。誰か一緒だったのか?」
 今度は火照が答えた。
「あぁ…、多分はぐれたんだ。ありがとう、助かった。じゃぁ、会わなきゃならない人がいるから」
 言外に「もう行く」と、そう言って百夜は踵を返し玄関に向かっていく。ガチャンとドアが開いて閉まる音を三人は見送った。
「あぁ〜あ、つまんないの。せっかく拾って来たのに…」
「何を期待してたんだ、何を」
 百夜に声を掛けるタイミングを逃した楓がやっと口を開く。
 彼も少し残念だった。
百夜と名乗った青年は一目見ただけで「特別」な何かを感じさせた。それが何故は分からないがもう少し話してみたかった気がする。
「さて、夕食にしましょ。お腹空いちゃったわ」
 茨が立ち上がり、その場に一応の収拾をつける。
 丁度その時、玄関のドアがガチャリと音を立てて遠慮がちに開いた。
「あの……」
 ひょこっと百夜が顔を出した。

「どうやって降りればいいんだ?」

 思いもかけない質問に、せっかく立ち直りかけた楓と茨の思考が再度停止する。

「エレベーターがあっただろ?」
 火照が百夜の質問の意味を理解しかね、聞き返す。
「は?えれべーたー? ……って何?」
 数秒の沈黙の後、堰を切ったように火照が笑い始めた。
「お前っ、何者だよ! 何でエレベーター知らないんだよっ」

 楓も茨も顔を見合わせる。
 一体何者だろう。今の時代エレベーターも知らない奴が日本にいるとは考えられなかった。
 だが現に目の前の青年はエレベーターを知らず、この高層マンションから降りられないでいる。
「百夜君、夕食を一緒にどうかしら?」
 楓よりも早く立ち直った茨が、顔だけ出した百夜に言った。それを聞いて楓も慌てて続ける。
「そうだよ。お前エレベーターも知らねぇんだろ? 帰る所なんか無いんじゃないのか?」
 そうだ、彼がこの日本で生活していた者だとは考えられない。
 よく事情は知らないが、例え一階まで降りられたとしても、彼がこの大都市の中でまともに行動できるとは思えなかった。
 静かな部屋に火照の押し殺したような笑いだけが響いている。

 茨と楓の誘いにしばらく戸惑っていた百夜はやがてドアを閉めた。
 もちろん彼の体はドアの内側にあった。










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