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 一夜明け、朝日の差し込む部屋を見回しながら砂は小さく溜息をついた。
 すぐ側で同じ布団を共有している来羅が静かに寝息を立てていた。その向こうに霧生の背中が見え、彼の腰には紅月の片足が乗っている。
 二人に掛かっていた布団は既に足元の方に丸まって寄せられ、その役割を果たしていない。
 霧生は夜、紅月が乗せてくる足を何度もどけようと試みたがきりがなく、とうとう諦めて就寝したのだ。

 連れられて来た来羅の部屋は少し古いアパートの一室で、お世辞にも広いとは言えない。
 来羅が一人で生活していただけあって整理は行き届いているが、二十歳過ぎの大人が二人、十六歳の少年少女が二人入らなければならないのだ。まだ六月過ぎでそこまで暑くはないが、これから来る夏を思うとうんざりするしかない。

 それよりも砂が気になっていたことがあった。
 部屋の閑散さである。
 整理が行き届いていると言うよりも、物が少なくて人の生活している雰囲気があまり感じられなかった。
 扉を開けた時の感覚が未だに砂の胸にわだかまりとして残っている。
 毎日毎日、来る日も来る日も、扉を開けても「おかえり」を言ってくれる人はいなかったに違いない。
 言いようもない寂しさや愛しさが込み上がってきて、砂の手が無意識に来羅の頭を撫でた。

「これからはずっと一緒だから。独りにはさせないから」

 誰に言うでもなく、確かめるように呟く。
これからは側にいてこの子を守ってあげられるのだと言うことが、砂にとって一番嬉しかった。



 いつものように日の光で自然と目が覚める。
 はっきりとしない意識の中で来羅は寝返りをうつと、視界に誰かの背中と足が映る。
 一瞬まだ夢の中にいるのかと自問自答し、現実なのだと理解すると勝手に口元が緩んだ。
「起きた?」
 キッチンがある隣の部屋からひょっこり砂が顔を出す。
「うん」
 何でもないやり取りが、来羅にとって一番嬉しい朝の記憶として刻まれる。
ここに百夜もいてくれたらもう何も言うことがないのに……。
「朝ご飯にするから二人起こして頂戴」
「……え!?砂が!? 朝ご飯作ったの!?」
 寝ぼけ眼で素直に頷きそうになったが、驚愕の事実のおかげで意識がはっきりと蘇った。
「何よ? あたしだって料理の一つや二つねぇ」
「じゃなくて……確かに料理が出来たなんて意外だけど、そうじゃなくてキッチン使えたの? 物が分かったの?」
 二千年のブランクが一晩で埋まるとは到底思えない。料理をしたということはキッチンを使ったのだろうし、でなくとも冷蔵庫や食品も初めて見たに違いないのに……。

「はぁ?要は食べれりゃ良いんでしょ?食べれりゃ」
「………何だか怖い」
「何か言った?」
「何も!」
「まぁ…たまにはこんな日があっても良いよね……」

 台所で何やら動き回っている人物には聞こえない程度に小さく呟いて、来羅はにっこりと笑った。

「霧生、紅ちゃん。起きて、朝だよ」
 霧生とその向こうで酷い寝相で寝ている紅月を揺さぶる。霧生はすぐに目を開け体を起こし、とうとう朝まで乗っかっていた紅月の足を無造作にどけた。
「おはよう」
 相変わらずの無表情だが、それがまた嬉しくて、来羅は満面の笑みで「おはよう。」と返す。
 彼女の笑顔に安心したように少し笑うと、昨晩自分を苦しめた寝相の悪い少年を見やった。
「おい、紅月。起きろ」
 言いつつ紅月の鼻と口を押さえる。しばらくして紅月が苦しそうに眉間にしわを寄せ、次の瞬間ぱっちり目を見開く。
「っだぁ!!お前っ!なんって事すんだ!死ぬだろ!?」
「死ぬまで起きなかったらただの馬鹿だ」
 霧生はもう立ち上がって隣の部屋へ向かっている。
「おーまーえーはー……」
 起きたばかりでぼさぼさの、赤みがかった黒髪をかき上げながら去り行く背中を睨む。
 と、隣で来羅がお腹を抱えうずくまっているに気付き、慌てて「大丈夫か?」と声を掛けるがそれは杞憂に変わる。
「来羅……お前笑い過ぎだぞ」
 その顔を少し赤くさせ不満まじりに訴えたが、彼女は「ごめん」と繰り返しながら笑い続けた。



 隣の部屋のテーブルの上には、得体の知れないものが四つの皿にちゃんと盛られて並んでいた。
 椅子は四つで丁度良かったのだが、その丁度良いという事実が一緒にいるはずの人物の不在を強調させる。
 それでもいつもは使わない他の三つの椅子に腰掛ける者がいることが、沈みかけた来羅の表情を明るくさせた。


 四人が食卓について三分くらい経った頃だろう、

「……なぁ、砂。これが何か聞いても良いか?」

 お腹は確実に減っているはずなのに、一向に手を付けようとしない紅月が遠慮がちに尋ねた。
 確かに食べられるかどうか、食べても死なないかどうか、紙一重な外見である。
 全体的に黒っぽいのだが焦げただけではなさそうだし、形もこんな形の食物があったら新種だとしか思えない。つまり何か数種類が混ざっているのだろうが、それが何か分からない。
 眼前に置かれている物体の「味」よりも、それが「何か」分からないことが恐怖だった。
 来羅もさすがに手を出しかねていた。
 冷蔵庫に入っていた物を思い出し、懸命に「これ」に至った過程を推測しようとするが無駄だった。

「食べられるものを混ぜて作ったんだから食べられるでしょ」

 納得出来るような出来ないような理屈だが、そう返答しながらも砂自身手を付けようとしない。
 先ほどから無言で目の前の物体を眺めていた霧生がぼそっと口を挟む。
「綺麗な色の絵の具も、考えなしに混ぜ合わせると黒になる」
「……何が言いたいのよ」
 いつもはこんなことを言われれば黙ってはいない砂も、今回ばかりはあまり強く出られない。
 剣呑な雰囲気が辺りに漂い始めた。
 その直後、
「いっ、いただきますっ!」
「あ。」
 ほとんど叫ぶように早口で言うと、来羅がフォークで「それ」を刺して口一杯に頬張った。
三人の視線が彼女の顔に集中する。噛む時に「ガリッ」っと音がした。
「……んいいーひょ、いあお」
 音程から言って「おいしいよ」と言ったのだろうが、表情から察するにそれは有り得ない。
「気ぃ使わなくていいって、出しなさいな。ほら」
 砂が手を出すのを、頭を振って来羅が拒否した。
「馬鹿。気ぃ使ってどうすんのよ。出しなさいって」
 涙目になりつつ、口に入っていた分は全て食べてしまうと、しばらくして来羅は口を開く。
「違うの。気を使うとか…そんなんじゃなくて……。ただ、美味しかったの……美味しかったのよ」
「………。」
 困ったように泣きながら笑う来羅を見て初めて、彼女が過ごした二千年の片鱗(へんりん)に三人は触れた。

 初めて、彼女の変化を実感した。
 時空を駆けたあの一瞬を隔てて、彼女の違いなんて一見服装だけのように錯覚し、「寂しかった」と泣く彼女を前にしても、それでもまだ二千年という桁違いな時間を理解できなかった。
 本当に理解することはきっと無理だ。
 けれど、理解したいと思う。
 目の前で涙を流す、二千年前と全く姿の変わらない少女にありったけの幸せを願う。

「ごめんね、ごめんね。嬉しいのに…すっごく嬉しいのに……おかしいな、涙が止まらないの」

 「ごめんね」と小さく繰り返しながら、両目から止めどなく溢れる涙を拭う少女に……。

 霧生の手が横から伸びて、来羅の頭を優しく撫でた。言葉がなくてもその手から優しさが伝わる。
「お前、我慢することなんてないんだぜ?」
 紅月がはにかみながら言う。
「……これからはずっと一緒だから。独りにはさせないから」
 強く、強く想う。
ありったけの幸せをこの少女に……。






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