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「身が持たねぇ……」
 がっくりと肩を落として紅月は学校からの帰り道、何度目になるか分からない溜息を盛大につく。
 今日で紅月が学校に通い始めてから五日が過ぎた。それは同時に火照と出会ってからの日数でもある。そして、紅月の疲労が溜まるのに充分な日数だった。
「ごっ、ごめんってば……」
「愛されちゃってるわよねー! 来羅ってば」
「本当になー……」
 申し訳なさそうに謝る来羅の横で、美沙が軽口を叩き、杉田が呆れたように相槌を打つ。
 この帰宅の光景は見慣れたものになってしまっていた。
 来羅と美沙はいつも二人で下校する。部活がない日は杉田が時々それに加わり、新たに紅月が一緒になった。
「って言うか、あんたたち本当に付き合ってないの?」
 この五日間、紅月は来羅に付っきりだ。それは休み時間や放課後に火照が来羅に近付くのを防ぐためで、そこまでしておきながらこの二人は付き合ってないのだと言う。
「つっ、付き合ってるわけないってあれ程言ったじゃねぇか!!」
「そうだよ美沙!紅月は遠い遠いただの親戚なの!!」
 声を合わせて反論する二人の真剣な表情を見ると、二人の言っていることは真実だと思わざるを得ない。
 黙ってこの様子を見ていた杉田がおもむろに口を開いた。
「……じゃぁ、付き合ってみちゃえば良いんじゃん?」
「杉田君っ!?」
「おい杉田! いい加減なこと言うな!」
 紅月は順応性が高いらしい。出会ってすぐにクラスメイトと打ち解けてしまった。
 声を合わせて反論する二人に構わず、杉田は続ける。
「だってさ、お前ら付き合ってるわけじゃないんだろ? んで、あの光陰ってやつは立花が好きだと。……問題ないじゃん」
 一つ一つ確認するように、ついには当然といった風の口調になって杉田は言う。
「そうよねー。今時あんなに強引に気持ち伝える人なんていないわよ? 大切にしてくれそうじゃない」
 さらりと美沙が杉田の後を引き継いだ。
「みっ、美沙……」
 突然敵となった親友の顔を恐る恐る来羅は覗く。
 案の定その顔には意地悪な笑みが浮かんでいて、来羅は顔を引きつらせた。
「杉田、有本……他人事だからってなあ」
「何でそこで紅月が困るんだよ? お前ら付き合ってないんだろ? だったら立花さえ良けりゃ問題ないんじゃないのか?」
「問題大ありだよ! 来羅が嫌がって………んだろ?」
「嫌がっているから」とはっきり言おうと思って、紅月ははたと考え直した。
 そう言えば来羅の口からはっきり「嫌だ」とは聞いてない。彼女はどう思っているのだろうか。問いただす視線を紅月は隣の少女に向けた。
「え……と、強引なのは嫌。だけど、友達になる分には嫌じゃない。……何だか、懐かしい感じがする。火照君は」
 紅月の視線を感じて、しどろもどろに来羅が火照に対する見解を述べる。
「……なんだそりゃ」
 てっきり「ものすごく嫌だ」的な答えが得られると思っていただけに、紅月は拍子抜けしてしまう。
「じゃあまずは友達からね!」
「美沙!」
「有本!」
 事を蒸し返す美沙に、またもや二人の慌てた声が合わさって、むなしく空に消えていった。




「ただいまー!」
「……ただいま」
 しんと静まり返った陰湿な屋敷に、来羅の明るい声と、紅月の疲れきった声が響く。
「おかえり」
 砂がすぐに奥から声をかけた。
 玄関より一段高いところから紅月の顔を見下ろし、怪訝そうに一瞬顔をしかめるが、すぐにいつも通りにニヤッと不敵な笑みを浮かべる。紅月は次に続く言葉を予想して肩を落とした。
「おかえり。紅月、あんた日に日にやつれてくわね」
「ほっといてくれ……。ああっ、くそ! 全部あの色ぼけ男のせいだよ」
 靴を脱ぎ散らかしながら、吐き捨てるように紅月が言う。
「……何もそこまで言わなくても。もうちょっと仲良く――」
 そこで、もし自分がいなければ仲良くなったかなと、来羅は紅月と火照の仲良しな姿を頭に思い描いてみた。
 ……多分、今とそんなに変わらないだろう。というより、
「あんまり想像したくないなぁ」
 今が今なだけに、普通に仲良くしている姿さえ異様な光景に思える。
「おい、一体何を想像した?」
 小さな呟きを聞き逃さなかった紅月は眉を寄せて、来羅の両頬を引っ張った。
「いひゃい、いひゃいっ!」
「誰のせいでこんなに苦労してると思ってるんだ、馬鹿」
「ほひぇんひゃひゃ〜い」
「ごめんなさい」の形に口は動こうとしているが、あいにく紅月のせいでそれは出来ない。
「ほらほら。いつまでもそんなとこにいないで、早く上がって来なさいよ。じゃないとあんた達の分のおやつも食べちゃうからね」
 言うなり、砂はくるっと背中を向けて歩き出した。
 砂は有言実行だ。彼女に限っては、例え相手が年下であっても本当に人の分のおやつも食べてしまうに違いない。それは過去の経験から容易に想像できる。
「っと、安心しろよ! お前の分は俺が責任もって食べてやる!」
 砂の言葉が終わるか終わらないうちに、思いっきり引っ張っていた来羅の頬から紅月は手を離した。
「痛ッ……ちょっと!紅ちゃん、駄目だからね!!」
 砂の横をすり抜け、紅月は廊下を走っていく。
 来羅はなかなか脱げない靴をもどかしそうに玄関にきちんと並べ、ついでにひっくり返って転がっている紅月の靴もちゃんと揃えると、急いでその後を追った。
 自分の前を走っていく少女と少年を見て、砂が小さく笑う。遠ざかっていく足音を聞きながら、目を細めた。
 初日の火徳の当主の様子には正直、不信感を感じずにはいられなかった。
 火徳家の一番の関心事であるはずの百夜の存在に全く触れなかったのも気になったが、一番砂を不安にさせたのは彼の雰囲気だ。
 そんな不確かなもので……とは思うかも知れない。だが、砂の勘は当たる。
 火徳の当主は絶対に何か隠していた。信用できない何かがある。そう砂は思い、多分それは当たっているだろう。
 もしかして他の当主もそうかも知れないと思った。そしたら、ここは、砂たちにとって毒蛇の巣でしかない。
 他の三当主の様子を見て危険だと感じたら、すぐにでもここから離れようと思った。
 それは霧生も同感で、二日目が終わる頃には風間、土方、水寺の現当主に会い、話をした。

 ………正直拍子抜けだった。
 初日に来羅が紅月の入学手続きをお願いし、あっさり承諾してくれたことからも推測できるように、風間の当主は気の良いおじさんといった感じである。
 砂の一族の土方は珍しくも女性が当主を務めていた。砂の帰還を心から喜んでくれ、二日目の夜に宴会を開いてくれた。砂に負けず劣らず豪快な性格であった。
 水寺の当主は物静かな男だった。霧生の一族ということもあって彼に会見させたのだが、寡黙な二人の会話はなかなか進まず、痺れを切らした砂が勢いに任せて言いたいことをぶちまけた。やり過ぎたと思ってちょっと後悔したのだが、笑って水寺の当主は許してくれた。
「……毒蛇は一匹か」
 砂の独り言は、この屋敷のどこかにいるはずの火徳信司に届くことなく、辺りの静けさに吸い込まれた。






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