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「ごめん! 私が悪かったっ!!」
 教室に入ってきた二人を見るなり、美沙が両手を合わせて言った。

 彼女が進路指導室から出てきた時には、そこにいるはずの少女は影も形もなかった。
 廊下ではなく、より安全な職員室で待っているのではないかという希望的観測をして、冷房の効く室内へ足を踏み入れる。だが得られたのは少女の姿ではなく、一番避けねばならない事実だった。
 慌てて廊下に出た美沙は、窓の向こうの校庭でサッカーを楽しむ少年を見つけて叫んだ。主の身の危険を感じた少年は、美沙には教室で待つように叫び返して風のように資料室へ向かう。
 自分も資料室へ向かうつもりであった少女は、しかし少年の有無を言わせない剣幕に半ば無意識に従い、教室へ帰った。
 そして今、「やはり自分も」と戸口を出かけたところで、心配で仕方がなかった来羅と紅月に出くわしたのである。
 来羅に謝るべき渦中の人物、火照は、資料室からすぐに帰って来てはいないのだろう。もしかすると帰宅したかも知れない。荷物は置きっぱなしだが、彼に関しては有り得ることだった。
「本当にごめん! もうちょっと考えるべきだった!」
「美沙、美沙のせいじゃないの。私の方こそごめん。これから気をつける」
「来羅……」
 これ以上自分が謝れば、目の前の少女がかえって困るのは目に見えていた。しかし、どうしても気が済まない。何事もなければまだ良かった。そう思って二人の顔を見たのだが、どうやら「何事」かがあったのは確実だ。
 美沙は今回の事件を引き起こした火照を真の危険人物として認識し直す。

 ◆

 来羅は自己嫌悪に苛まれていた。
 こんなに自分の事を心配してくれている人達がいる。それは本当に嬉しいことだが、同時に自分の軽率さを省みずにはいられない。
 何かあっても自分だけが被害を被るならまだ気が楽だが、実際はそうではない。

 自分自身が怪我をしたり、苦痛を強いられたり、悲しい思いをしたりするのは彼女にとって大したことではなかった。この二千年でさらにそういったことに慣れてしまった自分がいた。
 来羅にとって「自分を守る」ことは、優先事項から除外されていた。
 でも、誰かのために自分を守ることが傲慢にならないのであれば、そうしたいと考える自分がいる。
 だから、もう、流されない。
 火照に感じたあの感情は危険だ。彼に一瞬でも心惹かれたことを全力で否定する。自分を大切に思ってくれる人たちのために、その思いに封をする。

 ◆

 帰って来るなり部屋中に不機嫌なオーラを撒き散らす火照を遠目で見ながら、楓と茨は黙々と自分の作業に集中する。作業といっても、茨はソファに腰掛け雑誌を読み、楓はゲームをしているに過ぎない。百夜は社会科見学に言ってくると言い残し、朝から近所を散歩中だ。
 まだ正午を回ったばかり。火照が学校から帰ってくるには早すぎる。おまけにその両手には鞄も何も持っていない。
 ――要するに、「何か」あったのだ、学校で。
 反応がない二人の様子を怒りも露わに一瞥し、火照はずんずんと楓の方へ向かった。
「……あっ! 何しやがるんだ! この馬鹿っ!!」
 今まさにラスボスを倒し、噂のエンドロールを迎えようとしていたところで、楓の目の前のテレビ画面は沈黙した。彼の怒気交じりの視線の先には、コンセントから抜いたプラグを持った火照がいる。
「いい歳して毎日毎日良く飽きもせずこんなことしてられるな、ボケ」
「よりにもよってお前に言われたくない、このじじぃ」
「じゃあお前はただのガキだな。目上の者は敬え、遠慮知らず」
「年寄りの冷や水って言葉知ってるか?」
「言葉の使い方微妙に間違ってるぞ、青二才」
「……何があったの?」
 永遠に続くかと思われた、殺気の割りには程度の低い言い争いは、茨の問いかけにあっけなく幕を閉じた。
 読んでいた雑誌を溜息と共に閉じて、茨は視線を真っ直ぐ火照に向ける。その問いかけに答えようとせず、火照は持っていたプラグを床に叩きつけた。
「……っそ! むかつく!」
 ギリッと歯軋りする音が茨の耳に届いた。
「何があったの?」
 茨の声はあくまでも静かに部屋に響く。
「……分かってたんだ。俺のこと何一つ覚えていないのも、それが仕方のないことだってのも。でも――」
 そこまで言うと火照は俯き、普段は絶対に見せない辛そうな顔をした。
「二千年待ってたんだ」
 自嘲気味な笑いを浮かべた火照に、楓と茨が押し黙った。
 そうだ、二千年も待っていた。たった一人、彼女にまた会えることを信じて。
「来羅……」
 掠れるような声で、自分と一緒に世界を再生する役目を与えられた少女の名を呟いた。

 ◆

「じゅぎょうさんかん?」
 そう印刷されている一枚の紙切れと、らんらんと目を輝かせた少女を交互に見比べながら、霧生は怪訝そうに眉をしかめた。
「そう、授業参観! その日は生徒の家族が学校に来るの!」
 来羅はひそめられた眉を気にせずに、始終笑っている。
「……で?」
「霧生と砂はその日学校に来なくちゃいけないの」
 少し自分なりの解釈を交えつつ、来羅は説明を続けた。
「………絶対か?」
「うんっ! じゃあそれ明後日だから!よろしくね」
 言いたいことを言い終え、満足した様子の少女は足早に去っていく。多分これから砂のところに行くのだろう。彼女ならば二つ返事で了承するに違いない。
「霧生、ちょっといいか?」
 来羅が出て行ったのを見計らったように、彼にしては珍しい真剣な表情で紅月が戸を開ける。
「……どうした?」
 事の重大さを感じ取ったのだろう。問い返す霧生の声も真面目なものだった。
「学校に妙な奴がいる」
 事実だけ端的に述べたその言葉の意味を理解しかね、霧生は続く言葉を待った。
「そいつ、やたら来羅に執着してるんだ。今日、俺、とっさに力を使った。風のね。……そしたら、止められた」
「…………」
 霧生は何も言わない。が、その顔は何か思案しているのがはっきりと見て取れた。
「あいつ、何か知ってる」
「お前は俺に敵わない」、そう言った火照の顔がありありと浮かぶ。
 ただ、悔しかった。
 自分の力が敵わないと言うことよりも、自分の力で来羅を守れないかも知れないということが。もし腕ずくで火照が来羅に何かしようとしたら、自分は止められるだろうか。弱気な自問をして、すぐに打ち消す。守ってみせる。
 そう、何があったって彼女をひたすら守る。敵うかどうか考えるよりもそちらが先。もちろん能力を研ぎ澄ますための努力は惜しまない。
「行くしかなさそうだな」
 霧生は渡された「授業参観」のプリントを見ながら言った。






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