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 いつも、忍びあうように笑った。
 二人で会って話をするときは、いつだって、内緒話をしているような密やかな声を使った。
 笑いは、あたりの木々のさざめきに溶け込んで、一緒くたになって、風になって流れていった。

 火照はほとんど毎日、日が暮れるころにやって来て、夕日とともにすべてが闇に沈んだころに帰っていった。
 来羅はほとんど毎日、火照に会うことだけを楽しみに生きていた。
 夜は火照との会話を何度も何度も思い出し、なぞって、彼が言っていたことの意味を考えた。答えられなかった質問の答えを探しながら眠りについた。
 朝は今度火照となにを話そうかと考えながら過ごし、昼ごろからは太陽が高い木の向こうに隠れるのだけを心待ちにしていた。
 火照が来ない日はひどく落ち込み、その日一日がまったく無駄なものであるような気さえした。だが、来なかった火照を、次に会ったときに責めるようなことは言わなかった。
 火照を責めるという発想がもともとなかったし、なにより、来なかった次の日、彼は必ず体中に大小さまざまな傷をつくっていたからだった。
 来羅は一度だけ、その傷について尋ねたことがあった。
 火照はたった一言、「なんでもない」と返したきり、しばらく口をきかなかった。
 そのときの沈黙は、思い出すだけで彼女をぞっとさせた。
 もう二度と、火照が話してくれないような気がしたからだ。なにか彼の、非常に微妙な問題に、無神経に触れてしまった気がして、体中を冷たくさせたまま来羅は火照の言葉を待った。
 彼はしばらくしてから口を開いてくれたが、その何事もなかったかのような口調の裏に、「もう二度と訊くな」という無言の声が隠れている気がして、来羅はその後は彼の傷を見つめることさえしなくなった。

 来羅と火照はいろいろな話をした。
 火照は火徳家の生まれで、まだ力を受け継いではいないけれども、ほかに年頃の者がいないのも手伝って、将来確実に彼が継ぐと思われているということ。だから名前の一文字に「火」をもらったのだということ。
 里の者はみなつまらない者たちばかりで、あまり言葉を交わさないということ。
 母親は彼を疎んでいるということ。
 父親は彼を恐れているということ。
 いつか、力を手に入れたら、この里から逃げてやるのだということ。

「そのときは……」

 火照は一度言葉を切って、来羅を振り返った。
「そのときは、おまえもちゃんと連れて行ってやるから」
「……うん」
「約束」
「うん」
 そうやって、忘れていないよというように、火照は約束を時折口にし、来羅は「うん」頷いた。
 どことなく儀式めいたやり取りを、確認しあうように。
 静寂の中、火照が落とした言葉を、来羅はそっと受け取った。

 だが、そんな二人の時間は長くはつづかなかった。

 来羅の巫女としての教育が本格的に始まったのである。
 今までは世俗と隔絶するだけにとどまっていた来羅の扱いが、先代の巫女の体調に影がさし始めたのを機に一変したのだ。
 彼女の一日が里の大人たちの手によって様変わりすると、当然のように火照に会う機会は失われた。ただ、同じ里のどこかに火照がいるのだという事実だけが、来羅の日々の救いになった。
 次代の巫女として来羅に求められたのは「神下ろし」の際、「神の依代」となることだった。
 穢れのない身を保ち、精神を研ぎ澄まし、万象に宿る神をその身に下ろし、神の言葉を里の人間に伝えるのだ。

「巫女様、おやすみなさいませ」
「……………」

 一日が終わり、側仕えの者たちが下がり、広い部屋に一人きりになると、来羅はやっと大きく息を吐き出した。
 眩暈がひどい。
 昼間にかがされた香の匂いがまだ鼻の奥に残っている気がした。
 どうもあの香の匂いは好きになれない。好きにはなれないが、嫌いだと訴えても毎日嗅ぐことになるのが来羅には分かっていた。
 あの香が、神と人という本来触れ合うことのできない両者を繋ぐ役割をしているのだ。
 最初に嗅いだときはひどい頭痛と吐き気に見舞われたが、何度も嗅いでいるうちに慣れてきて、今では眩暈がする程度におさまった。それに、不快でしかなかったあの匂いが、近頃ではどことなく心地よくさえ思えてきた。
 最後には香の匂いに気づかないほどになるという。すっかり体の一部になるころには、人の世界から神の世界へ容易に行き来できるようになるのだと。
 現に眩暈がしている最中、来羅は廊下や障子の向こうになにか生き物が蠢いているのを見ることができた。それは決して狐や狸といった類の生き物ではなく、見たことのない、不気味なものたちなのだ。
 側仕えにその正体を尋ねると、彼女たちは口をそろえてそれこそが神の世界の生き物なのだと答えた。
 俗界に生きる人間には決して見ること叶わぬ、神の領域の世界で生きる生き物たち。側にいても見ることができない生き物たち。穢れを知らない巫女と限られた側仕えだけが見ることができるのだ、と。
 来羅は寝転がったまま暗い室内に目を凝らした。
 闇がたまった部屋の四隅に、なにかがぞろぞろ蠢いている。天井を這う乾いた音も聞こえる。
 神の世界の生き物だというには、いささか不気味な印象が強いように思えた。

 山の中から里へ移り住んで最も来羅を驚かせたのは、その人の多さであった。山から神殿までは駕籠(かご)に乗せられてきたのでよくは見えなかったが、駕籠の隙間から覗いた里には人間がうようよしていた。来羅と同じ年頃の子どもが走り回っているのも見えた。
 しかし、捜していた火照の姿はどこにも見つけられなかった。
 もう、幾日会っていないだろう。
 里に下りるのは突然決められたから、別れの挨拶さえしていない。
 いつものように火照が山を登ってきて、誰もいない縁側で立ちすくんでいる姿を想像してみる。彼は、来羅がどこへ行ったか誰かに聞くだろうか。
 いや、そんなことをすれば今まで内緒で会っていたことが知れてしまう。誰にも言わずに彼は来羅の行方を捜すのだろう。
 捜して、くれるだろうか。
 会いたいと思っているのは、来羅だけではないのか。
 そう思うと不安で不安でたまらなくなってしまう。
 来羅には、火照しかいないというのに。
 だから火照にも来羅しかいなければいいと思った。
 本当は、火照が里の人間とうまくいっていないと聞いたとき、来羅は嬉しかったのだ。
 火照はずっと独りでいい。
 たった一人の友だちが、来羅であればそれでいい。
 お互いに、お互いだけに心を許していればそれでいい。
「会いたいな……」
 得体の知れない生物が天井裏を這う音が、異様に寂しく聞こえてくる。おまえはたった一人きりだぞと、まるで思い知らせるような寂しい音だ。
「………………?」
 天井の板が、動いたように見えた。
 じっと目を凝らしていると、不意に黒い塊が頭上から落ちてきて、かすかな音とともに床に着地した。喉の奥から引きつった声が漏れるより先に、その黒い塊は来羅の口を押さえつける。
「静かに。俺だよ」
「…………火照?」
 わずかに開いた隙間から声を出す。
 黒い塊はこくりと頷きながらも、視線は障子の外をじっと睨んでいる。
「……大丈夫だよ。廊下には、誰もいないの。隣の部屋に、控えてるの」
 早く火照の視線をこちらへ向けたくて、来羅は言いながら少年の腕を引っ張った。火照はなおも耳をそばだてていたが、しばらくすると肩の力を抜いて来羅に振り返った。
「探した」
「……うん」
「もう、会えないかと思った」
「うん」
「会えてよかった」
「わたしも、会いたかった」
 言葉にしたとたん、予期しなかった涙が溢れてきて、来羅は慌てて両目をこすった。その手を、火照がそっと引き寄せる。
「……泣くな。泣いたら、ばれるぞ。ばれて、なぜ泣いたのか追及される。だから、泣くな」
「うん……、うん、火照」
 来羅の目元に浮かんだ涙を、火照が丁寧なしぐさでぬぐった。そうして、彼は瞬間顔をしかめると、来羅の寝着に鼻を近づける。
「これ、この匂い……香の匂いか」
 険しい顔で尋ねられ、来羅は少し驚いた。頷いて見せると、火照の眉間にますますしわが寄る。
「おまえ、じゃあ変な生き物とか見えるようになっただろ」
「……見える。神の世界の生き物だって……」
「嘘っぱちだ、そんなの」
 火照は吐き捨てるように否定する。怒ったような顔をしていた火照だったが、びくりと肩を揺らした来羅に気がつくと、わずかに表情を緩める。
「いいか。おまえ、あんまりあの香は嗅がないほうがいい。あれは良くないものだ」
「でも……ほかの人たちが」
「俺と、ほかの奴ら、おまえはどっちを信じるんだ」
「火照」
 いささかの迷いもなかった。
 来羅の答えに少年は一瞬目を見開き、次いで優しく微笑んだ。
「じゃあ、嗅ぐな」
「うん」
 具体的に、どうすれば部屋中に立ち込める匂いを嗅がずに済ませられるかなど分からなかったが、それでも目の前の少年が言うからにはそれが一番正しいことなのだ。来羅にとっては、火照の言うことが一番正しい。
 彼は満足げに一度頷いた。それから急に真面目な表情に戻って少女の両肩に手を乗せた。
「俺は当分、おまえには会いに来ない」
「……っ、なんで!」
「静かに。少し黙って話を聞けよ。いいな? ……今までは、うまく隠せたけれど、さすがに神殿にいるおまえに、誰にも気づかれずに会いに来るのは難しい。絶対、いつかばれる。ばれたら、もう二度と会えない。分かるか?」
「……分かる。けど――」
「聞けって。……だけど俺は、おまえに会いたい。それでも会いたい。だから、強くなることにした」
 溢れそうになる涙をなんとか我慢する。
 決意に満ちた火照の瞳から、来羅は目がそらせなかった。いつだって、すがるように火照を見ていたのは自分だけだと思っていた。会いたいと、痛切に願っていたのは自分だけかと思っていた。
 火照も、そう思ってくれていた。
 会いたいと、言ってくれた。
「俺は強くなる。誰も、俺に文句なんか言えないくらいに。誰も俺に手出しできないくらいに。だから、おまえも強くなれ。今の巫女は、もうすぐ死ぬ。そしたらおまえが次の巫女だ。……おまえが強くなれば、もう誰もお前に文句言えなくなる。俺たち二人とも強くなれば、また前みたいに会うことができる」
 火照がそっと、来羅の小さい肩を抱いた。
 痩せている彼の骨の感触が布越しに伝わってくる。
「誰の目も気にしないで、いつか堂々と会えるようになる。油断させるんだ。おとなしく、連中の言うこときいてるふりして、奴らを油断させる。力さえ手に入れれば、あとはこっちの思い通りだ」
「そんなにうまく……いくのかな」
「うまくいかせるんだ」
「でも、いつかって、いつ?」
 あんまり遠い未来のことなど、来羅は待つ自信がなかった。いつになったら、またこうして火照と会うことができるだろう。
「たまには……なんとかして、会いに来るから。俺もがんばるから、おまえもがんばれ」
 危険を冒して火照が会いに来てくれると言うのに、これ以上我がままなことは言えなかった。
 だから来羅は涙をこらえて笑って見せる。
「がんばる」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 それ以上はのどにつかえて声にならない。こみ上げる嗚咽を必死に抑えていると、火照がぎゅっと抱きしめてくれた。彼の温かい胸に顔を押しつけて、来羅は声も出さず、涙も流さず、泣いた。
「大丈夫だ。すぐさ。あっという間だ。必ず迎えに来る。強くなって、いつか、この里から逃げるんだ。二人で」
 うん、と頷いたが、声にはならなかった。
 泣き疲れて眠りについて、次に目を開けた時には火照は目の前からいなくなっていた。彼が外した天井板は元通り戻されていて、本当にさっきまで彼がそこにいたのかさえ分からなくなる。
 香の影響で幻覚を見たのではないか。そう思って不安になった来羅は、目元の涙をぬぐってくれた火照の手の感触を思い出した。優しい、少し乱暴なそのしぐさを覚えている。たしかに、覚えている。
 幻ではない。夢ではない。
 強くなれ、と言ってくれた。会いたいと、言ってくれた。
「がんばる……」
 一人ではないから、がんばることができる。
 どこかで火照もがんばってくれていると信じられるから。

 これが、来羅と火照の果たされるべき最初の約束だった。






「巫女様っ、お待ちください!」
 慌てきった女の声が神殿の回廊を駆ける。
 追いかける声が大きくなるにつれて、少女の歩みも早まっていく。白い袖が風に翻る。
「待たないって言っているのが分からないの?」
 背後につづく足音に向けて彼女は呟いた。いくら「待て」と言われても、待たない。分かっているだろうに、それでも声は追いすがってくる。
 薄暗い回廊を抜け、縁側に出た。夕陽の赤い光を浴びながら、彼女は急ぐ。
「巫女様、巫女様! お控えなされませ。巫女様ともあろう方が、そう無闇に出歩かれたら困ります!」
 少女はしかたなく立ち止まる。
 「待った」わけではない。あくまでも、立ち止まっただけだった。
「控えろと、誰に向かって口をきいているの?」
 ふり返り、冷たく言い放つと、背後の女は青ざめた顔で立ちすくんだ。
「わたしはいつも必ずちゃんと帰ってきているじゃないの。言われたとおりの雑務もこなしている。巫女として、やるべきことはちゃんとやっているわ。それ以上のことを、あなたたちにとやかく言われる筋合いはない」
 すでに女の顔に血の気はない。
 紫色に染まった唇が小さく震えているのを見て、少女はかすかに微笑んだ。
「ついて来ないで。分かったわね?」
「巫女様!」
 叫んだのは別の女だった。
 何人かの足音が回廊の向こうから近づいてくる。もたもたしているうちに追いつかれてしまったのだ。
 ほっとした表情を浮かべた手前の女に気づいて、少女の胸に怒りがこみ上げる。この女は、最初から時間稼ぎをしていただけなのだ。
「巫女様!」
「来るな!」
 少女の怒声が響いた瞬間、回廊を走ってきた女たちが足を止めた。
 一様に苦悶の表情を浮かべて突然悶えだし、そのうち幾人かが床に倒れ伏す。幾人かは縁側から落ちてその白い服を土に汚した。
 苦しそうに自らの首を押さえる彼女たちを少女は一瞥し、一度、大きく深呼吸をした。彼女自身のみに聞こえる、なにか紐が切れるような音が脳内にこだました次の瞬間、女たちの見えない縛めは解かれる。
「来ないで」
 もう一度、静かな声でそう言うと、少女は怯える女たちを置いて回廊の先へと急いだ。



「火照!」
「来羅っ」
 久しぶり、と言って抱きしめた少年の体は、この四年で大きく変わっている。頼りない印象はすっかり消えて、自分を抱きしめ返す腕には筋肉が目立つ。
「この前会ってから、ずいぶん経ったな」
「そう? 一か月くらいだよ」
「それを、ずいぶんって言うんだよ」
 そう言って笑う火照に、来羅もにっこり微笑み返した。もちろん、一か月を「ずいぶん」と思う気持ちは彼と同じだ。だけど四年間というもの、まともに会えなかったことを思えば、一か月や二か月会えないことなどなんでもないように思うのも本当だ。
 巫女としての地位を確立した今では、無理やり会おうと思えばいつだって火照に会うことができる。
 そのためには、「力」を行使することなど厭わない。
「……なにか、外で変わったことはあった?」
 人気のない縁側に来羅は腰かける。火照もすぐ横に座り、来羅の手にそっと自分の手を重ねた。少し硬い彼の手の平が嬉しくてくすぐったくて、少女はくすりと笑みをこぼす。
 火照は横目で来羅を一瞥すると、また視線を前方の林に移してから口を開く。
「弟が、生まれたよ」
「……よかったね火照」
 少し迷ってから来羅はそう答えた。
 弟が生まれるということが、どういうことか彼女には想像もできなかった。だけど前に会った時、もうすぐ生まれる弟か妹かの話をする火照の瞳は、優しかった気がしたから。
 今だって、いつもは鋭い火照の気配が柔らかくほどけている気がするから。
 よかったね、と来羅はもう一度くり返す。
 火照が、こくりと小さく頷いた。
「かわいいんだ」
 少年は呟いた瞬間ふわりと笑む。
「あんまり会えないんだけどさ。一度だけ、隠れて見に行った。すげえ小っちゃいんだ。手なんか、こんなでさ」
 言いながら親指と人差し指で輪っかを作って見せる。「これでちゃんと動くんだからすごいよな」と、妙に感心した様子で言う火照は、来羅の知らない顔をしている。
「火照の弟なのに、会わせてもらえないの?」
「正確には異母兄弟だけどな。……俺が、なにかしやしないか恐れてるんだ。なにかなんか、するもんか! 俺の弟だぜ? 半分しか血はつながってないけど、それでも、俺の弟だ。俺の手、握り返してくるんだぜ? こんな小っちゃい手のくせに、けっこう力はあるんだ」
「いいなあ。わたしも、会ってみたい」
「いつかな。会わせてやるよ。きっとおまえも気に入るよ」
「……わたしが気に入っても、向こうがわたしを気に入ってくれるか……」
 分からない、と続けようとした来羅の手がぎゅっと握られる。驚いて火照を見ると、思いのほか真剣な瞳にかち合った。漆黒の瞳に、赤い炎がちらついている不思議な瞳。
「絶対、気に入る」
 少し怒ったように紡がれた言葉。
 その言葉を信じたい。そう思うのに、口が勝手に「でも」と言う。
「でも、わたし、気味悪いし」
 側仕えの女たちが、陰で自分のことをそう言っているのを来羅は知っている。敬い畏れる以上のものを、自分に感じているのを来羅は知っている。
「……力、また大きくなったのか?」
「…………うん」
 来羅は火照の手をきつく握り返す。
「最近、前よりいろんなものが見えるようになった。それに、言葉にしたことが、簡単に現実になる」
「香は、もう焚いてないんだろ?」
「もうずいぶん前から、焚いてない。だけど、力が……」
 火照と自由に会うため、来羅は巫女としての力を求めていた。誰も逆らうことのできないような絶対的な力が欲しかった。
 だけど、一方で、それを恐れてもいた。
 来羅が思うこと、念じること、言葉にすることが、現実に明らかな作用をするようになっていた。最初は便利な力だと単純に思っていた。が、あまりに簡単に作用するその力が来羅は怖い。
「……歴代巫女の中でも、おまえは最も神に近い存在だって。里の奴らが噂してる」
 今までは、神の依代としてその言葉だけを伝えてきた巫女が、これからはそれ以外の大いなる力を行使することになるのだ。そう言って里の者たちは、来羅を崇め始めている。
 だけど過去の巫女たちを知っている神殿の者たちは、来羅が明らかに今までと異なる巫女だと知っている。だから、恐れている。彼らが必要としている巫女は、神の依代として言うことを聞く人形だ。ただ、神の意志を伝えることを望んでいて、それ以上の力など彼らは望んではいなかった。
「どんな感じなんだ? 力を使ってるときは」
「どんな感じって……占術とか、先見とかしてるときと同じ感じ。なんていうか、一瞬、あちら側に意識が飛んで、こちら側に戻ってくると全部終わってる」
「使ってるときは、意識はないのか」
「少しはある……かな。けど、使ってる最中は自分の意志は働かないの」
「怖く、ないのか?」
「怖い。だけど信じてるの」
「なにを」
「神様を」
 来羅は答える。迷いはなかった。
「だってね、わたしが使ってる力は神様の力でしょう? 一瞬だけ、神様がわたしの体に下りてきて、力を使ってくださるわけでしょう? だったら、大丈夫でしょう?」
「なんでさ」
「だって神様はいつだって正しいもの」
 そう、神様は正しい。
 神様が力を使うなら、それは使ってもいいのだ。
 さっきだって、来羅は追いすがる側仕えたちに力を使ったが、あれも行使することを結局神様が許可したのだ。だから彼女たちは苦しんでも仕方がない。もし彼女たちに力を使うことがいけないことならば、神は来羅に力を使わせはしなかったはずだ。
 使えたということは、使ってもいいのだと神が許したということに他ならない。
「使っちゃだめなときは、きっと力は使えないよ」
 使えるうちは、使っていい。
 だって来羅は火照に会いたい。たった一つの我がままなのだから。
 神様も、火照に会っていいと言ってくれているに違いない。そう考えると勇気が湧いてくる。なんだか、神様に応援されているようだった。他の誰に応援されるよりも強力な後押しだ。
「会えて、嬉しい」
 込みあがってきた想いのままに口を開けば、火照は一瞬目を見開いて、次いで照れたように顔をそむけた。
「俺も……会えて嬉しいよ」
 なんて幸せに包まれているんだろう。
 火照は一族の中で着々と力をつけているし、来羅も巫女として確固たる地位を手に入れたと言っていい。
 あとはこの隣の少年が火の力を継げば、もう二人に怖いものなど何一つない。今みたいに一か月に一度会えるか会えないかというような関係ではなく、毎日一緒に、ともすれば同じ屋敷に住むことだってできるようになるかも知れない。
 本当は一日だって離れていたくはないのに。
 今では、火照も同じ気持ちでいてくれると信じられる。
 沈んでいく夕陽に来羅は念じる。もっとゆっくり。時間をかけて沈んでほしい。

 あと少し、二人でこうしていたいいたいから。






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