連載コラム
第19回 広告批評

 最近気になったテレビコマーシャルがふたつ。
ひとつはなんだかとても気に入っている「ライフカード」というクレジットカードのCM。「どうする、どうするよ!」っていわれると「おおお!どうしようか!?」って気になります。自分のことはともかく、「速攻しかないだろ、オダギリジョー!」ってね。専務の娘編と客室乗務員編というのがあって、専務の娘へのカードは「打算」「男気」「調整」「本音」。客室乗務員へのカードは「紳士的」「速攻」「無理」。カードの切り方が人生だ。ってことでライフカードというところがうまいなあと。BGMに使われている渋谷毅の楽曲「struggle for my pride」もフィットしていて、ついつい繰り返し見入ってしまいます。

 便利なカードで生活の自由度を引き上げろ。あとは自分の意思によって社会的地位も理想の異性も選択してゆけるのだという設定ですが、これがどっちにいってもなかなか思い通りにはいかないよという実感がこもっていて、冗談のようでじつはリアルな想定がいいと思います。

 かつてのテレビCMというのは、たとえば、美女と景色を三つ巴にしてイメージさせるというのが常套でした。いまでも高級車の宣伝に多いのですが、つまり、この車にのれば、人生の勝ち組として優雅な生活と美女が手に入るという、はっきりいって合法的な虚偽のイメージです。現実に、高級車というのはそんな気分に乗せられて買う人も多いわけです。

 そこでもうひとつ気になったのが「写真DV」というキャノンのデジカメ・ビデオ複合機のCM。テニスプレーヤーのマリア・シャラポアが首を回しながら「ダブル・オーケー」といって、テニスのスタイルとファッションモデルの衣装をはや替わりするやつです。テニスも一流、モデルも一流、おそらくCMのギャランティも一流な彼女自身はいろいろすばらしいのですが、カメラにもビデオにもなってお買い得というイメージをダブらせようというのは、先述の車と発想の根が同じであると同時に、なんともミスマッチな感があります。つまり、シャラポアがテニスの試合にドレスで登場しちゃうみたいな二流感。一台二役というのは必ずしも悪くはないけれど、どっちつかずのいやげもの(コラム第7回)的CMになってはむしろ商品の価値を下げることになると思います。一流の精密機器をつくるキャノンのCMなら、まずはむしろ彼女の一流の技術に的を絞るのが筋でしょう。

 ふたつのCMのクオリティには極端に差があると思います。しかも、制作費はライフカードのほうが安そうですね。カードでもビデオでも、生活を便利に楽しくする備品には違いないのですが、それだけで生活が豊かになるなんてことはないわけです。いろいろ取り揃えれば、単一の目的に向けたものより、充実するという虚構。逆にこれさえ持てば、生活もレベルアップするという虚構。便利さや珍しさだけが他への優位という虚構。時代としては、そういった虚構を暴露して笑ってしまうこと、その上で何が必要なのか考えさせてくれることが、気分のいいCM作品なのだろうと思います。

 建築だって便利そうな設備や高級な仕上げを取り揃えることだけで生活を満足させようというのでは、すぐに使用者に見透かされてしまうのは明らかです。湯水のように金を使ってたくさんの保険に入るように、建物をたくさんのデザイングッズや便利家電でしつらえなくたって、ぜんぜん建物のクオリティとは無関係と思います。むしろ、冒険心に付随した多少の不便はありながらも、思い切ってたった一枚のカードを切ること(一枚しか切れないこと)が、強い個性となって豊かなスタイルを生み出している名作は多いですね。

 

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