連載コラム
第20回 クロールのたのしみ

 週に1~2回ですが1時間ずつ泳ぐようにしています。目下の課題はクロール。いろいろなフォームを試行錯誤しているけれど、なんだかスムースではないようです。自分の姿が見えないままやっていると上達が遅い反面、見ない故、見せない故に続けられるのかもしれません(笑)。

 上達するために教室にはいるというよりは、どこか我流でやりたい気分があります。他のスイマーが速いかどうかということに気をとられないように、自分のペースで泳ぐこと。ゆっくりではあるけれど、ひとつずつコツを憶えるのです。左右にからだをローリングさせながらバランスを取れるようになると、腕が疲れなくなって、息継ぎが楽になって、前に進むかんじがはっきり感じられます。水を掻く位置がからだの中央に行きがちなことを修正しながら、バタ足の推進力はけのびの延長でフォームをキープ。

 そうこうしているうちに、理屈との格闘から切り離されて、少しずつ連続的な無意識の中を泳いでいる感覚になります。泳ぎ続けることに無意識になると水中で腕を繰り返し回しながら前方に計画中の建物の内部をイメージするようになりました。そのイメージの中ではモノの位置や視点が比較的スムースに移動できるので、決めかねている床と壁の取り合い方とか床の段差のつけ方を決定できることが多いのです。パソコンの画面に向かっていると、イメージや図面を変更するには、ひとつずつコマンドを動かしていく必要があるのに、水中ではまったくその必要がありません。

 小学生時代に得意だった平泳ぎでは、どーんと蹴って、がっちり掻くという強弱があるためなかなか連続的なイメージがつくれません。一方で、クロールというのは緩急がなく連続的で重力から開放された運動ですから、これはかなり、三次元の立体、特にその内部を考えるのに向いているんじゃないかなという気がしています。

 私にとっての四十の手習いというのはうまくなりたいとか教養を深めたいというのではありません。世界中の名建築での体験やジャンルの枠を超えて現代の科学が解明した新しい構造というのは建築を考えるのに誰もが意識していることなんですが、最近はできる限り単純で身近にありながらいままで全く意識したことのなかった状況(つまりへたくそなクロール)に自分のからだを置いてみることで、新しい自分なりのものの見方ができたりするんだよな、と勝手な設計手法を編み出した気になっています。(二宮)

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