連載コラム
第22回 建築案内覚書

 先週、10年ぶりにロンドンでのかつての同僚が来日し、建築案内をしながら旧交を深めました。今は異なる国で立場も違うけれど、お互いの活動の原点になっている当時の協議事項が徐々に現実の建物として立ち現れてきたこともあり、それらの検証に大忙しで、彼等のこども達には退屈な見学になってしまったかもしれません。まあ親の職業ですからあきらめてもらうしかないですね。

 11:00「横浜国際客船ターミナル」
(Wilson)1994年のコンペ案は、多くの旅客をスムースに流動させるために、ひとつとして行き止まりや階段のない複雑な空間構成が見事だったよね。規模と階数が少なくなったけれど床や壁の境界を消すことによる空間の連続性はかろうじて残ったかな。ただ、流動させようと考えた空間に我々5人しかいないのが辛いところだ。
(Ninomiya)残念ながら、最初に構想されていた空間とは無関係に着地したとは思うよ。でも商業的シンボルを海に張り出してまでつくるよりはなにもなさげに見える大地を残すことに金が使われたことにむしろ喜びを感じるな。あまりつかわれてないみたいだけれど、閑散としている波止場のほうが個人的には好きだし横浜らしいんだよ。
(W)自国のデンマークでもこういう3次元の床や屋根で空間を分節していく構成が試行されているよ。もっと小さな施設でね。もちろん分節や連続面という建築のテーマは必ずしも3次曲面を意味しないけれど。
(N)もっと小さなスペースのほうが有効な方法だとは思うな。勾配のつけ方やスペースの繋げ方はより難しくなるけれど、うまく機能がマッチすれば楽しい場所になるよね。幼稚園とか集会施設とかね。

 12:00「東京へ向かう首都高速」
(W)ビルの隙間をすり抜ける道路も街も混沌とした光景だね。貧しい国ならともかく日本に都市計画がないのは本当に不思議だ。
(N)僕はかつて大学で都市計画を志したよ。でも今、都市計画といっても大手の不動産屋さんがやっているようなかんじだね。ある意味、ビルの谷間をくねくねと縫うように連結されたような首都高からみる景観がそんな状況を象徴していると思う。奇異な状況への興味としてしかみられないのはまずいけれど。
(W)「建築家なしの建築」っていうわけだ(笑)。

 13:00「青山のプラダビル」
(W)日本は概して地震で柱が太い印象があるけれど、菱網状の繊細な構造体やチューブ状の個室が筋交いとして挿入されている入れ子的な構成がとても美しいね。
(N)免震を採用して構造的な制約を免れているんだ。機能は単なる店舗だけれど、美しい形態だけのための免震というのは特筆に価するね。災害時の避難施設になるような一部の公共建築に採用されているわけだけれど、日本人にとって今最も大切なリュックやお財布を地震からまもってくれるというわけ(笑)。特に夕景は傑出した美しさだよ。
(W) プラダの本家イタリヤにだってこんなすごいもの建ててないよ。ある意味で、日本的な回答かもしれないね。

 16:00「FLATS A+B(拙作)」
(W)街じゅう信じられないくらいたくさんの電信柱だね!それと周囲の屋根がみんな妙なかたちに削られているのは高度規制の失策としても、電柱や電線はかまわないわけ?
(N)たくさんの電気や電子メールの流れが見えるようなまちづくりかな^_^;
(W)無茶な論理だな(笑)。
(N)日本の街並みというと、電柱に対する施策ひとつですべていいつくせてしまうところがあるね。借景という作庭の文化があるけれど、皮肉なことに都市部の宅地では、周辺の雑物が見えないような目線を探して窓を穿つことに継承されているんだな。大概、その場所にいることを忘れさせてくれるような見立てをしなきゃいけない。そこにぎりぎり逆転の可能性を感じるからやれるわけだけれど。
(W)ふたつのフラットを分節する複雑な断面構成はよく考えついたものだね。実際に見てようやくわかった。電柱の林のなかにいきなり建築作品があるというかんじ(笑)。最小の空間で世界中に影響を与えたウィーンのレッティとか。退屈な街からたった一枚の扉を隔ててまったく異次元の場が生み出されるおもしろさがあるね。
(N)街の見え方や通りの構造が意識の中で逆転するような既視感のない空間構成を考えてみるようにしているよ。単純な生活機能の組合せだけでも、個々の与条件の差異をよくみれば、必ずそこでしかありえない答えがみつかるはずだよ。
(W)赤い車の家-BARREL-もただの車庫なのに、住まいと周辺環境との斬新な接続空間になっているものね。コストや法規も含めて固有の条件から普遍的な合理を立ち上げていこうという姿勢には共感するよ。

 

 

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