連載コラム

第36回 未来都市にモノ申す

 会期ぎりぎりで訪れることができた「メタボリズムの未来都市展」。メタボリズムというのは、動植物のように都市も新陳代謝を繰り返しながら成長するとして、大阪万博の時代、黒川紀章と菊竹清訓が主体となって編集者の川添登がプロデュースした建築・都市論のムーブメント。

 絶妙のトークやプレゼンテーションで壮大な都市構想を語る若かりし黒川さんや、何かに憑かれたように緻密な造形によって未来の都市を感じさてくれた菊竹さんらのプロジェクトが一同に紹介されていて、とても楽しく、また懐かしい。

 ただ、メタボリズムは都市計画の本流だったわけじゃないから、後藤新平の震災復興や丹下健三の広島から現代へとつなぐ系譜に位置づけたのは、正直盛り過ぎた。企画そのものが都市政策とメディアの功罪を暗喩していると捉えることもできるけれど、ややアイロニーが効きすぎてしまう。

 同時代のビッグネームがみな新陳代謝で取替え可能のカプセルとして建築を構想していたわけではなくて、磯崎さんや篠原さんにとっては、新陳代謝で都市や建築が更新するなんて発想はまったくなかった。伊勢の式年遷宮を国家が存続する限りにおいて永続性をもつ日本固有のシステムだとする磯崎さんにとって、都市のメタボリズムはあまりに近視眼的な作為に思えただろう。エレベータなどパブリック部分を残して住居のユニットだけ交換できるとした中銀カプセルタワーも全て使い捨てたほうがハイパフォーマンスなのはペットボトルの再生と同じだ。

 ところで、僕自身建築を始めた頃、大先輩菊竹さんのフリークでした。都市論は別にして、菊竹さんの東光園のペントハウスや出雲庁の舎の裏側出し家のHPシェルの造形、エキスポタワーの矩形図などは、あらためて見ごたえがありました。考えるより先に信じて突き進むことで生まれる凄味というのがある。会期中に逝去された菊竹先生の造形に向かう崇高な精神を垣間見た気がします。

(二宮)

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