連載コラム
第37回 ブログの功罪
アメーバブログとココログというもっともメジャーなIT会社の無料ブログを利用して4年半。昨年末で一旦終了し、ホームページのコラムを再開することにしました。
フェイスブックやツイッターほどフラットではないけれど、ブログという伝達形式はテーマを定めて思考をまとめるコラム以前の日々のメモのようで簡単だし、読む人の敷居を取り払う意味でも有効だと感じていました。
キッチンや家事のことを書けば、キッチン用品の宣伝がリンクする。たとえば、便利でよくデザインされた便利なスポンジや、鍋敷き。これは生活の具体的なイメージにリンクして、ブログと商品がしあわせな関係で読者に伝わることになる。
都心のステューディオ住居のことを書けば、美しく機能的なソファベッドやタペストリーの広告がリンクされる。そういう無限でボーダレスなリンクが、見る側に自由な選択や生き方まで提供してくれるような、そんな幻想に近いものを感じました。
ところが最近インターネットのステマ(ステルスマーケティング)が社会問題になっているように、自分のブログにも頻繁にこれはどうかと思うような広告が過剰に張られるようになってきたのです。自分が許容できる商品であれば構わないし、ある程度は読者の裁量に任せるのがよいと思っていたのですが、度を越しているものが少なくありませんし、いまのところ、選別する権限がありません。
どうして一生懸命に働いた賃金でこんな住宅やマンションを買わされるの?という大きな疑問があるからこそ、僕らは建築の設計をしていくモチベーションを持ち続けることができますが、どうやらいつのまにか情報を提供すればするほどに、まさにそういうものを販売する業者の広告にリンクされて取り込まれてしまったりしているわけです。
フェイスブックでは、知らないうちに、自分や友人の建築家が、ビールや不動産にいいね!と言っていたりしています。システムが甘いのか、それこそ都合がいいと思っているのか。まだまだ、社会がIT時代に慣れていない状況でもあるし、もう少し用心深くインターネット環境を利用したいと思うのです。
ちなみに僕は原則的に人と会って話している最中に携帯を鳴らすのは失礼だと考えるタイプです。生活にそういう溜めというか余裕がなくなると嫌だなと思っているのだけれど、ひょっとしてブログも日々思いつきを垂れ流しているようなところがあるかもしれません。
何事もバランスとは思うけれど、この機にもう少し、入ってきた情報は一旦溜めて思考して取捨選択して発信するというプロセスを大事にするやり方に重心を移そうと思います。
(二宮)