tell a graphic lie
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(2002.1.16)-1
昨日のはちょっとひどい。いくらあれだからって、ネタなしだからって。惰性で作るようでは。
(2002.1.16)-2
書けない日はえをかけばいい。だいたいそれでいい。シーソーのようなもので。つり合う日は少し持て余すのだけれど。そういうわけで、書くほうは好きな歌でも写してお茶を濁すことに。
(2002.1.16)-3
ボクを傷つけた いや
痛みを置いていった そう思いたい
Lovers Chronicles

黒い車 迎えに来て
自由に たやすく君は
風に 乗って行っちゃったよね
君の小さなブラの中

激しく新しい恋が ギュッと詰まってる
非日常を 日常で
支えて くれたのに ボクを
最低の人間は最低の場所を キッチンにするものだ
だからボクはこの先の川の 入り口に皿洗い機を置く
台風が来て川があふれてどこがどこだかわからない
ボクに2番目に高い保険料を 払ってくれれば生きてける

第三次世界大戦
起きたら ずっと一緒にさ
抱きあっていよう て言った
ボクはじきに影になる

肺と肺の間に なにかが詰まってる
そこは涙の谷
猫の毛 丸めたような
20's 30's 40's and 50's 去ってく時は
優しい人ねって 言われ
25 30 32 35 or 40 と 君は 結婚 探して

でも一つだけ 言いたい事がある あとでね
君のかわいい鼻 小さめのブラ
女性用のシェイバー ボクの歯ブラシ
強い風が運んで来たような いつもと違う新品の灰皿
高速道路の入り口 いろんな所へ行ったから
どの景色も君と 見たモノ だから目をつぶるんだ

ただ見てただけじゃ ないよ
軍隊に 雇われたい
そんな気持ち 遠い国で
二度と会えない覚悟で

でもどこかでまた会ったら 優しくしてあげるんだ
これで最後の恋じゃない
人間は動物だから

でも今はそれ思うと きみらが
見てる景色が浮かぶ
小さめのブラとか ボクの かつての 景色

人間は動物だから戦場に行きたくなる もっと強い痛みを シャワーのように
ボクは 今日から 影になる この下り坂を往けば 君を想って
"Lovers Chronicles" Word&Music Keiichi Suzuki

(2002.1.16)-4
ぼくは50過ぎてこれ書けるだろうか。て言うか、今書けないし。
(2002.1.16)-5
紅茶をこぼした。キーボードに広がった琥珀色を人差し指でなぞって、顔を思い出そうとする。違う違う。ティッシュティッシュ。拭き取らないと。そう手を伸ばしたときに、部屋の隅にある闇の濃度を見た。部屋が急に狭く冷たく感じられて。ぽつりと言葉が洩れた。
(2002.1.16)-6
タイル張りの広場が風にふわふわ舞う霧雨で濡れて、そこに街灯の丸い光が3つ4つ写り込んでいました。ぼくは目地を傘の先でなぞって誤魔化して、言うべき言葉を考えるのを止めていました。ぼくは昔から傷を治すのがヘタクソで、かさぶたを剥がしては、にじむ血を人差し指で掬って舐めているような男なのですが、それは人のこころでも同じようだったらしく、君はぼくと同じ方向に向かって歩いていくのを嫌がっているように見えます。君はそれでも、2度それを直してくれた。そうしてくれていた。でも、ぼくはだだっこで、2度それをまた剥いだ。君は口を歪めて、歯を食いしばって、眉間に皺を寄せて、眼に涙を溜めて、「なんで。」と細く震える声で言って、そんな風な君はぼくははじめてで、それでうろたえて、ぼくは剥き出しの傷を引っかいてしまいました。君は眼を閉じて、そうしたら涙がこぼれて、それを急いで拭っていた。それでぼく自身は泣けなくなって。「バカみたい。」ぼくはそのとおりだと思って、「うん。」と返して、君も「うん。」と応え、霧雨は白く舞っていて、写り込んだ街灯の明かりが揺れるようで、何かが猛スピードで遠ざかっていた。それで、ぼくは一度に256個の懺悔をしたんです。そう、君に対してぼくはもうそんなに持っていたみたいです。でもそれは言葉にできなくて、意味がなくて。だから、君を取り戻せなくて、引き返せなくて。もう何も言えないのだと、あみだくじのようにして、タイルの目地をなぞっていました。「ここでいいや。じゃあね。」ぼくは黙っていました。改札の向こうを歩く君を見ながら、ぼくは泣くことだけを想って、ああ、あとそれから、「振り向いてください」と願っていました。強い風が吹いて、雨が目の前で、深い黒の空に白く舞い上がって。おしまい。
(2002.1.17)-1
今日もネタ無し!10時まで会社にいた!いぇぃ。んなもんだから、昨日と同じく、他人のをかっぱらう!昨日はじじいのだったから、今日は若いやつ。

(2002.1.17)-2
それらがすべて僕の病気かもしれない

僕の不健康は僕の銀座を二次元世界のうちに伏せてしまい、僕の五月は水族館の藻のように手のとどかない焦らだたしさにみずみずしかった。毎日の曇天のせめてもの救い。しかしそれら灰色の湿度たちはみごとに僕の思考を支配した。誰かが帚に乗って天井の木理を走り、僕は雲に乗って宇宙の最深部をのぞき、或は間氷河期、或は幼稚園、或は映画、或は渦状星雲、そしてとてつもなくおもしろいような、とてつもなくかなしいような夜の熱。
ガーシュイン ひとつの天才に現れた本物の短調。
オーウェル「一九四八年」 ----予期しない離脱。残ったサイレン。今頃はもう何もかも解っているだろうか。それとも余計に苦しんでいるだろうか。

あと百年の責任感。たしかに僕自身の。

僕は童話を書いた。三本の美しい色の透明プラスティック製歯ブラシを童話に書いた。
「二十億光年の孤独」谷川俊太郎

(2002.1.17)-3
まじめに読んでみるとはじめに思ったよりもよくない。これが良い方かと思う。最後の1フレーズは好きだ。18から20にかけての作品だそうだ。若いね。なんつーか。俺より若いんだから当たり前だね。悔しいから、俺もひとつくらい引っ張り出してきて載せてみるか。大学の前半だろー?自分で言うのもあれだけど、あの頃ろくなもん書いてねぇぞ。ああ、こう書くとなんだか今はろくなもん書いてるみたいだな。

(2002.1.17)-4
大志

レコードを三枚飛ばし
僕は時を支配する

フィナーレからラールゴへ
僕は時に逆行する

今度は第三面の記事の途中から
僕はB・B・Cも支配する


少年よ 大志を抱け
「二十億光年の孤独」谷川俊太郎

(2002.1.17)-4
追加。こんなもんだな。
(2002.1.17)-5
でも、考えたらこちらのほうが若い感じがよく出てると思うし、うまい。何よりタイトルが最高だ。

(2002.1.17)-6
ある朝並木道を歩いている傷はもう癒えたんですか
すぐそばまで行きたくて花を摘みに走りました
青空が嫌いだからこの木の下に隠れていよう
痛めつけられるよりはまだ弱いままでいます

僕も並木道を歩いてみる誰もいない雨の日に
しばらくただ動かずに濡れた道を見ていました
まっすぐに伸びている急な坂道の下にある
海が見える教会へ行こうか迷っています

僕を見て笑い出す傷の無い少女
何となく寂しくて爪を噛む天使
悪いのは僕だけとずっと思ってた
次の日の朝がきて僕は空をにらみつける
"The Day dragged on" KENJI FURUYA

(2002.1.17)-7
初恋読み直す。ひどいね。ようやく自分でわかるようになったみたい。必死に調整して書いたつもりだったけれど、全然だめだね。そのとき読んでいた小説のせいもあるけれど、とても普通には書けなくて、「である」とか、古臭くて、論評みたいな言い方で書いていたり、過去形でしか書けなかったり、ひと息で書くもんだから、一文の中に押し込められすぎていたり、必要以上に断定した形にしたり。やっぱりいっぱいいっぱいだったみたいだね。そりゃそうだよなぁ、頭ちょっとオーバーヒート気味で、それ全部乗せるようにして書いたもんなぁ。ラストもなんとか誤魔化したくてしょうがなくて、威力だけの言葉を選んでみたりしてるし。少しずつ直していこう。最後もちゃんと書こう。ちゃんと醜くなるように。それから、もっと暖かくなるように。ほんとはもう少し暖かいものだったと思うから。そういうつもりでいるんだから。少しずつね。
(2002.1.18)-1
ああ、なくなっちゃったんだなぁ。仕方ないから、仕方ない、って言うんだなぁ。仕方ないなぁ。馬鹿みたいだけど、そのままだけど。名前をゆっくりタイプしてみて。shiftを押しながら戻って、それを選択して、deleteする。消える。当たり前だけど。当然なんだけど。
(2002.1.18)-2
例えば、脱水症状を起こすくらいに。
(2002.1.18)-3
藍色のそらに背を丸めた細い月が抱かれて眠るようにふんわりと静止していた。ぼくはトイレの窓からそれを見た。女にはできまい。
(2002.1.18)-4
なんて言ってみたりして。やさしいって、どういうことですか?
(2002.1.19)-1
4時間かいているとクタクタになる。仕事でもないのに、なんでこんなに疲れなけれなきゃなんないんだろうと思うけれど。まぁ、仕方がない。あー、疲れた。風呂入って、酒飲んで寝よ。あーあ、今日は早く寝るつもりだったのになぁ。
(2002.1.19)-2
一日にこなせる量が限られているのなら、毎日やることで少しでも取り返すしかあるまい。
(2002.1.19)-3
こういうの嫌いなんだよなぁ。すごく嫌い。でも、みんなそうしているのだから、ぼくもそうなりたいのであるなら、こうするしかなかろう。
(2002.1.19)-4
手塚治虫は医者にはならなかった。彼はマンガ界のビートルズで、マンガというものの全てを一人でやり尽くしてしまっているのである。アニメ界においてはライト兄弟で、その基礎を全て揃えてしまった。全く狂っている。
(2002.1.19)-5
ノイマンやら、ニュートンやらも、とても正気とは思えないが。ゴッホは実際正気でなく。ガウディは同じくらいキチガイの金持ちが友人だった。いや、ノイマンについてはちょっとよく知らないで言っているんだけれど。
(2002.1.19)-6
日記というのは、インターネットという媒体におけるひとつの回答である。そしてこの書式はその形式の中で、少なくとも現在は最上のものである。それは多分ブラウザに何らかの革新が起こらない限り、そうであり続けると思う。ぼくはそう信じている。だから貰ったのだ。
(2002.1.19)-7
あなたの昔のものを読み返すたびに、ぼくはもう書かなくてもいいのではないかと思う。それでも書くのは、やはり書かないとやっていけないからだと、そう言うしかない。
(2002.1.19)-8
ここがなんだか、少し読めるような気がするのは、この書式によるところが大きいんです。そうか?と思うなら、ためしにこの書式で書いてみるといいと思います。恐ろしく書きやすい。ぼくはもう慣れてきてしまったけれど、自分が書いたものじゃないように思えるはずです。
(2002.1.20)
ファンの音が聞こえる。そんなことは考えなくても生きてける。でも、眠れないから。
(2002.1.21)-1
雨は上がり少し暖かく。つきあたる夜の曇る空の、狭さ。記述するこの街の。このぼくの。行き止まり、その接点を繋ぎ合わせたぼくの外殻の。内と外からその凹凸を撫で、厚さを測り、これのみかと、嘲いたくな 。これを作っていたのか。それとも、ぼくの中身は、中身は、靄か、ゲルか。色は知れず、微風に漂う湿気の、白い流れに。底は。街灯の灯が路面に粉々に散ってちらちら光り、飛沫を巻き込むゴムタイヤの音が、追い越し、過ぎ去り。響きが残り。揺らし。持っていないような。消えゆく言葉の。消えゆく言葉の。消えゆく言葉の。書き留めてあげて。零したら、溶けて、透明に、消えて。指の。指の間を抜けてゆく、流れの。外は、ぼくの内は、それは。「感情が全てを選定する」か。白線。決められて、行儀よく収まる車と、役割の。延長にある、そして対比。温度差が無く、見失う境界と。曇りガラスの向こうに食卓の影が映り、ぼくは感情を止め 。
(2002.1.21)-2
動かすのがいやで。身体を動かすのがいやで。ランプに灯を点けて、手をかざし、「止まれ」、声に出して。掠れていた。涙は合わせたてのひらからも、溢れますか。身体を動かすのがいやで。こぼれるから。いやで。いやで。止まれ、声でなかった。真直ぐに抜けて空気さえ震わない、叫び、と書き。セーターはほどいてしまいましょう。綿の肌着も引き裂きましょう。黒い血は静脈を二箇所切って。白い肌に浮く肋骨をひとつ外して、隙間から右手で取り出して、見せて。撫でてください。黒い黒い黒。
(2002.1.21)-3
隙間から入り込んでくる顔をぼくは塗りつぶす必要がある。慈愛の女神の顔をしたラミアには罰を。罰を!隷属の鎖を!水牢に3年。美しさを奪え。
(2002.1.21)-4
民衆には邪悪の意志を。呪いの束縛を。指導者には業苦を。破滅の旗を。
(2002.1.21)-5
小さな針であけた穴。黒い血。
(2002.1.21)-6

君は誰を傷付けたい?


(2002.1.21)-7
列を作る改札で、集められて、また散らばってゆく。その先にひとりひとりの帰り着くべき場所を。そこに何らかの、ぼくが理由と呼ぶところの、固有にして、分かち合い、共鳴する、あらゆる価値観の先、譲れないものを。君が微笑むのなら、ぼくは他のいくつかのことを犠牲にしても良い。線の先に広がる数え切れない、ルーツを、未来を、苦難の末に手に入れた、勲章と呼ぶべきものを。誇りではなく、愛の名の下に。
(2002.1.21)-8
あのばあさんは実に凛々しく、尻拭いを日本がやるというのは実に素晴らしく。金は適当な額を過たず使うことが重要であり、金集めや、名刺配りに駆けずり回る剥げ頭の顔は希望に満ちている。この先、あの抜ける空は徐々にくすみ、茶色い滑らかな山は住宅で埋め尽くされなければならぬが、ライフルを抱えた兵士を満載した装甲車のキャタピラの跡が縦横に走る道や、猛りと憎悪と生活を込めて放たれる銃弾の響きよりは遥かにましであり。もう十分だと言い、取り戻すということが始まるのだ。詩人が在るならば曙の美しさとその未来を詠え。音楽が有るならば、手を繋ぎ、共に踊ることを知らしめろ。政治家は量を過つな、線を引き、それを越えるな。市民よ、腹を括れ。働け、全てを築け。己が使命を過不足なく果たせ。虚無に隙を与えるな。祝うことを怠るな。成果を誇れ。理想を語れ。哲学者の言葉に耳を貸すな。己が感情に忠実であれ。休むことを忘れるな。子を作れ。希望を植えろ。いいか、未来というものは、有るところにはきちんとあるのだ。
(2002.1.22)-1
安っぽい言葉を積み重ねて階段を作って、橋も架けて、登って、下って、てくてく歩く。待っていて下さい。
(2002.1.22)-2
シャギーがかった広い雲が音を立てずに南へ向かっていた。上空1000mでは何色の風が吹いていますか?歌は聴こえますか?
(2002.1.23)-1
index renew. 結局失敗して、こんなんなってもうて。機能がどうのとかいうと、これで十分なところが泣かせる。相変わらず色のつけ方がわからず。やっぱり勉強しに行くべきなのか。。。
(2002.1.23)-2
光ファイバー調子悪し。
(2002.1.23)-3
今日朝電車から降りるとき、ドアのとこで頭ぶつけましたです。ぶつけたと言っても、ぼくの身長が丁度収まる高さなので、擦った、と言ったほうが適当なのですが。今日は昨日気持ちよく眠れたもんだから、朝から少しお元気めで、しゃきしゃき立って下りようとしたら、これですもん。もう、ヨロヨロで、ちっこくなって階段下りて、改札抜けましたさ。あれ、恥ずいんだぜ。マジで。朝っぱらからひとりボケかましてんじゃね―。ねみぃつーの。そんなんいちいち突っ込んでられんよ。なぁ。て言うか、カミサマは絶対オレに下向いて生きろって言ってるね。ああ、絶対そうだね。オレの出鼻いちいちくじいて喜んでるね。ふぁっきんごっど。地獄へ落ちろー。アンタが地獄へいきゃあ、そこは天国なっちまうさ。ああ、そのほうがいいね。そのほうがみんなのためだね。いや、オレのためだね。理由なんてそれで十分だね。オレのために地獄へ行ってくれ。そしたらわし、君の分までハッピーになるよ。必ずなるよ。とりあえず、気持ちのいい朝を満喫できるようにはなるよ。そうしてくれ。是非そうしてくれ。
(2002.1.24)-1
 遠近法を用いて描かれた図面のように放射状に広がる路面の直線とそれに直交しそびえるビルや電柱、街灯の輪郭線とからなる格子で構成された空間をよろめきながら蛇行し、ひとつ混沌とした軌跡を描いて飛ぶ。羽はからからに乾き、徐々に崩れてゆく。深紫の鱗紛はさらさらとこぼれ出して、ざらざらしたアスファルトの灰色の表面に落ち、すぐに砂埃と混ざり、見分けがつかなくなる。時折はらと大きな欠片が抜け落ちると、それはビルの壁面を直角に家駆け上る気流に吸い上げられ、回転しながら高く舞い上がる。自身はそれと比例して徐々に揚力を失い、下降してゆく。ちらちらと舞うその紫はそれでもだんだんと遠ざかり、いつかアスファルトの灰色に取り込まれて見えなくなった。
 私はその様を立ち止まって眺め、見失ったあともしばらくそのままで疲れのこもった気だるい身体を弄んでいたが、背後からこの大通りに真直ぐ黄色い朝の陽が差し込んで、私の長い影が陽の色に染まった歩道の中で真っ黒に伸びていた。私にはその輪郭がどうにも奇妙な形に思えてならなかった。私はそれを見て、ぼつりと歩き出した。私はアスファルトに貼り付いたその屍骸を探すことにした。それはそうなってしまっても尚、あのような異物としてこの幾何学のみの場に存在しているのか、それともかつて異物であった、ほんの少し前まで一個の有機体であった一切れの塵として既にテクスチャライズされ、標本のように落ちているのか。私はそれを知る事にした。
 しかし、実際はそんなことはどうでもよかったのである。それよりも私はこの通りに真直ぐに射し込む陽によってできる私の影というものが、直線から成っていて、この通りの全てのもの作る影と並行であるか、垂直であるかしていることのほうが遥かに気になっていた。違和感の原因はそこにあるらしかった。少し歩いて一本電柱の影と私の影が重なりそうになったとき、私はとっさにそれを避けた。私もまた取り込まれそうなのだった。しかも私はあの蝶よりもずっと自然な形で、あのような微かな軋轢すら生むことなく、ここに取り込まれてしまうように感じられた。私はどうにかして私のその影を消したいと思っていたが、そうするために何かの物陰に隠れることは、私には取り込まれるということを意味しているように思えた。それよりはこの奇妙な形の私の影を容認していたほうがいくらかましであった。とぼとぼと歩く私にくっついてくるその影は実に無機質だった。
 しかし、私はそうして一体何を保とうとしているのだろう。なぜそれを恐れるのか。取り込まれることによって一体何を失うのだろうか。失われると思っているものは実は既に私の中には無いのではないか。この先にはただ、それを認識するということがあるだけなのではないか。生物としての色。生物としての輪郭。生物としての感受性。生物としての個体の独立。生物としての。一体そんなものは、はたして。時間軸上で重なりリピート、ループする軌跡。模倣だとすら気付かない、白痴の狭い自我。個。馬鹿馬鹿しい。しかし、現に私は私の後ろで空へ真直ぐ伸びている電柱の、その影と自分のを重ねることを拒んだ。
 蝶は。と、私は。
 私はひとつひとつ影をよけながら、努めて無軌道な軌跡を描いて歩き回り、陽がもう10階建てのビルの高さに並ぶ頃になってようやく、歩道の縁に砂埃や煙草の吸殻といっしょになって落ちている蝶の屍骸を見つけた。二枚の羽は閉じられて、茶色いその裏側を上にしていた。隣にあったホープの吸殻のフィルターの茶色の方が鮮やかに見えた。私がそれにある意味を見出そうとしていなければ、それは確実にただの塵だと言ったと思う。私はその回答を得ることを拒んだ。拒んだが、反対の回答を取ろうとすることもしなかった。私の作る影はもう大分短くなり、長方形としか見えなくなっていた。数台の車が途切れ途切れに通り、その乾いた音が両側に建つビルの壁面に反射してから空へ抜けて行った。空は既に青く澄んでいた。無機的な色だった。
 私はそれを見て無意識にポケットから煙草を取り出して咥えた。火を点けようとライターを口元へ持ってきたとき、火を点ける先は別にあることに気付いた。私は煙草に火を点けずに咥えたまま、眼を再び蝶の屍骸に移し、それがもたらすであろう意味について考えた。形を奪うことには何らかの意味なり価値なりがあるはずだ。私が今拘っている、生物非生物、有機無機の境として、形や輪郭はおそらく意味を持つ。それならこの蝶の屍骸を焼くことは、今の私に何かの意味があってもそんなに不思議ではない。(いや、別にこういうことを書きたいのではなかった。まだ早い。やめよう。)多少衝動的な欲求だと思えたので、私は少し苦笑いを浮かべながら、しゃがみこんでその朽ちてボロボロになった羽の先をつまんだ。重さは無かった。形は固く保たれていた。確かに蝶の形はしていた。
 立ち上がり、それを空にかざしてみる。所々に開いた穴は透きとおる青で埋められた。風が微かにあったが、それに揺れることは無かった。黒い胴体から生える線のような足を小さく折りたたみ、口器はきつく巻かれて、触覚は片方が欠けている。複眼は艶やかに光っていた。私にはそれはなんだか意外だった。これは死んでいるからだろうか、それとも。やはり焼こう。私は目の高さでそれに火を点けた。ライターの火はいつもより大きいように見えた。まず、小さくまとまった6本の足に火が点いた。足はくるくると縮んですぐに燃え尽き、その火は胴にまでまわらずに消えた。そのとき私は何かを思った気がするがよく思い出せない。例え思い出せても、言葉にできるか自信が無い。とにかく、私は何かを思った。その感覚だけ今も残っている。
 私は思い出したように咥えた煙草に火を点けた。煙を足の欠けたその屍骸に吐きかけると、小さく揺れた。私はそうしてしばらくぼんやりと煙の向こうにそれを置いた。そのときもやはり何か考えていたような気がするが、やはりよく思い出せない。同情。憐憫。拒絶。逃避。侮蔑。いくつか言葉を当てはめてみようとするが、どれも適当だとは思えない。たまった灰がこぼれる頃になって、私は思い出したようにまたつまんだ蝶の下にライターを持っていった。そこに意思はあっただろうか。
 思ったよりも火は胴体には点き難かった。私はその腹の先端をしばらく炙っていなければならなかった。火は何度か揺れて消えそうになった。灰色の煙が一筋上がって、胴はようやく燃え始めた。羽に燃え移ると、火は瞬く間に燃え広がり焼き尽くした。静かな深紫のそれは一瞬で失われた。その先をつまんでいる私の指までその熱が届いてきたので、私は反射的に手を離し、身体を引いた。地面に落ちるまでに火は消えた。羽も胴体もそれまでに燃え尽きたのだった。それは微かな煙を上げながらひらひらと舞い、靴のすぐ脇に落ちた。その黒く小さな燃え殻を私は見下ろして、これはやはり踏みつけ粉々にすべきなのだろうと思った。私の影はやはり直線からなっており、路面に平行に伸びていた。もう思考を止めたい。
 (さて、踏みつけるべきか、否か。たかが一匹の蝶の屍骸だ。おそらく何も残るまい。センチなることは誰にだって、何度だってあることだ。しかしそれしかないのであるなら、それは。何かを崩すこと、潰すこと、壊すこと、傷付けること、それによっていやがおうにも存在を意識せざるを得なくするということ。それでしかそれをなしえないという事。消えそうなものはぼく自身で、その後をどうやって持っていいのかわからない。いくつかの試みは失敗に終わった。もし、こちら側とあちら側という言い方が許されるのであるならば、ぼくはそうして分けられているのである。ぼくが何かを書くのであるなら、それしかないだろう。関係することの功罪。起きる波。飲み込まれる。避けることも。薄い衝動と欲求。実に馬鹿げており、始めの部分で失格しており。早く終わりたい。)
「順応」

(2002.1.25)-1
自分自身をも消費する。
(2002.1.25)-2
ネット、マジで調子悪し。明日修理が来る。10時て、アンタ。はぁ、午前中ですか。今日は早く寝ないとだめなのね。4時まで起きてたり、一回キーボードの前で寝て、起きてそれから飲みなおしたりはだめなのね。ああ、バランタインももうなくなっちゃう。次にお目にかかるのはいつなのでしょうか。やれやれ、良いお酒。
(2002.1.25)-3
SatanとDeathは異なるもので、生きるにはSatanを目指さねばならぬが、そんなものはDeathに渡してしまっても別に構わないものでしかないはずなのである。しかし、実際にはすぐにそのどちらかを取ろうとはしない。それはなんなのだろう。虚無と言ってあげると、少し落ちる気はする。そして、それをもたらすのは臆病さのみだ。恐くないのなら、やればいいのだ。
(2002.1.25)-4
だれも決めてくれないのなら、自分で決めるしかないだろう。ここにはいられないのだから。
(2002.1.25)-5
世に言う純文学をやる人間の約半数がおそらくぼくと同じ穴のムジナである。こんな人種を先生、先生と呼ぶそれ以外の人間達は相当に陰険であるらしい。そうやって祭り上げて拒絶しているのだ。違うものだと線引きして、こちらに入ってこようともしない。エンターテイメントとして捉えて、茶化して、それをネタに暇を潰しているのだ。弄んでいるのだ。少量の金を払ってね。間抜けで矛盾だらけのぼくらはそれにすがって生き長らえるのだ。乞食と同じだ。愛想笑いを浮かべて、偉そうなことを言って欲しそうだから、偉そうに喋る。哀しいかな、そのうちそれしかできなくなる。その嘘に気がつけないようになれれば、馬鹿馬鹿しくも生き続けられるが、そんなにうまくは行かない。時がくればハイさようなら。自殺は他者においては娯楽である。ぼくはその人種の末席に座らざるを得ない。ぼくにおける真実は死のみである。生のあるこの身体を持つ間における、その真実の表出形式は破壊衝動である。実際に破壊できる力があるなら、とっくに死んでいるが。実に馬鹿馬鹿しい。親不孝もクソもあるか。配合を研究してから作るんだったな。それを怠った罪だ。享けよ。ぼくは死ぬよ。間違いなくそうするよ。
(2002.1.25)-6
古谷実という漫画家がいるけれど、あれも同類だよ。いいとこまで来てるから、あと2,3年のうちに死ぬかもしれない。ギャグを止めたでしょ。茶化すのを止めるという事はそういうことだよ。ただ、彼は漫画というチームワークの世界で生きていて、そういう責任を持ってしまっていて、その辺がどう影響するかよくわからない。だから実際はどうだかはっきりとは言えないけれど。物書きだったら、まぁ、きっとそうだね。
(2002.1.25)-7
彼はやはり稲中を懸命に描いていたよ。その後もすぐに完全に諦めたわけではなかった。でも今のは、もうだめだ。ぼくはその軌跡を知っているから、プロットする点が十分にあるから、その先がわかる。彼を知らないで過ごせばぼくは少し違っていたかな。いや、寄り道が増えただけだろうな。しかし、おおよそ文学者というのは自己満足、怠慢の極みだと思う。生きている人間より、死んでいる人間のことを知ろうとする。愚かなことだ。それは生者に対しても、死者に対しても侮辱以外の何ものでもない。
(2002.1.25)-8
自殺した漫画家って過去にいるのかしら。勝手に死ぬのはなかなか難しいやね。零細企業の社長だからね。
(2002.1.25)-9
とにかく、みんなそんなに自由じゃあないんだ。
(2002.1.25)-10
そうだな、一度親にも言っておくべきだな。
(2002.1.26)-1
ト、トレース台を買ってしまった。ああーん、なんて卑怯な道具なの。裏から光をあてる板なんて。なんでもかんでも写しまくりじゃないの。素晴らしい。素晴らしすぎるわ。これを使えば高い授業料払って、その上ストレスを溜めまくりながら、へいこらデッサンのお勉強に通わなくてもいいのね。誰?「そういうことじゃねぇだろ」なんて言うやつは。いいのよ。安いもんよ。しばらくこれ使って頑張るわ。多層的なものがかけるようにがんばるわ。輪郭線をうまくあらわせるようになって見せるわ。それでも詰まってからよ。あんな苦行。進んでやるもんじゃあないわ。かいてる間中、お前はケチでヘタクソなぼんくらだって言われ続けるのはいやなのよ。歯が浮くようなお世辞や、踏みつけるばかりの大嘘な慰めを受け続けるなんてまっぴらだわ。ええ、あたくし甘ちゃんですの。温室で育ちましたの。あたくしに修行なんて似合わなくてよ。ええ知ってるわ。本当は進歩なんてものも似合わないのよ。そんなのわかってるわ。でも、もう仕方ないの。仕方ないのよ。
(2002.1.26)-2
紙袋を下げてハンズを出ると、雪が降っていた。水っぽくてなれなれしくてだらしない雪だ。肩に腕に胸に付いたそれはぼくの体温で融けた。そうだ、お前は正しい。常に正しい。しかし、しかし、俺を説得することはできないのだ。俺をその言葉のとおりに動かすことはできないのだ。正しいことは何の力にもならぬ。陳腐な事実で、真実だな。正しくなるのは俺だ。俺がなろうとしなければ始まらないのだ。常に正しいお前には。
(2002.1.26)-3
それから1920〜1930年代のドイツのポスターを集めたA3版の本を買って来て、分解して部屋の壁にベタベタ貼っている。時期的には一次大戦と二次との間くらいになるのかな。その辺りって。今そんなのが出回っているくらい今のグラフィックの感じと通じるものがあって。色使いとか、すごくジャーマンで。黄色と橙と焦げ茶な感じ。まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。ようやくこれで殺風景な部屋が色を持った。ぼくのかいたものは黒と白の2色だからね。
(2002.1.26)-4
あと、かく紙も少しよいものにした。相変わらずOA機器用だが。300枚で500円とかのじゃなくて、100枚で700円のと、50枚で650円のとを買って来てみた。画用紙みたいな高いやつはちょっと尻込みしてしまうので買えない。で、そのふたつ、何が違うって、厚さが違う。厚口と特厚口となってる。やっぱりかきやすい。でも、別に特厚口である必要はなさそうだ。あー、しかし、どーぐとかそざいとかはやっぱりまじめに選んだほうがいいねぇ。0.3ミリシャーペンは各社のを揃えてみたが今はペンテルのもんを使っとります。持ちやすい。芯が折れにくい。芯はBが良いようです。とか言ってみても、やっぱり安上がりだよなぁ。
(2002.1.26)-5
でも、今日はやる気がないからかかないのだ。あはは。盛りあがらねぇなぁ。。
(2002.1.26)-6
禁酒解禁後の高級酒嗜好は収まらず、NIKKAの「余市10年」なるウィスキーがウィスキーオブザイヤーに輝いたという新聞広告を昨日仕事中発見して、おかげで仕事が手につかなくなり、「詳しくは」などと書かれていたサイトにすっ飛んで、品評会の報告を読みふけり、えへへと頬を緩ませ舌なめずりをして、「ネットのみでの販売」の売り文句に、なんだかわけもわからず興奮し、即買いしようと心に決めるも、ネットが故障していたことを思い出し、ち、止めとくか、とそのときは考えもしたのですが、ネット復旧してやっぱりすぐに買いに走りました。これによるとサントリーの響21年が2位で日本勢が独占しており、そっちも是非と思うのですが、響は前ちょっと飲んだときに山崎の方が好きだなぁ、などと思ったので、止めておきました。バランタインさんはすでに残らず肝臓に処理されてしまいましたが、次はひさびさにジャパニーズでございます。日本のウィスキーはスコッチの流れを汲むもので、バーボン派というよりも、七面鳥派のワタクシは、まともに飲めるのは山崎クラスからだなぁなどと感じていて、山崎はうまいけどばっちり高いので、なんてったって七面鳥さん3匹のお値段なので、積極的には買っていないのですが、スコッチだろうがなんだろうが、うまいウィスキーはうまいという事がザ・スコッチさんによって知らされましたので、再びいろいろと飲んでみようなどという気分が盛り上がってきているのであります。ボーナスの無駄使いであります。いえー。しかし給料など所詮、いつだかヘタクソな句にも書いたように飲むためにあるのですから、全然かまやしません。ぐあははは。ああ、それから2万円で自分のウィスキーが作ってもらえるなどという恐ろしく素晴らしいツアーがあるようで。ああ、もうどうしましょう。いやとにかく、ワタクシ、何日か後にはウィスキーオブザイヤーをしたたか飲んで、だらしない眼つきで、なにやら書きなぐっているはずなのであります。ああ、素晴らしい。呪われてあれ!
(2002.1.26)-7
風のない時のない部屋でこの生削りゆくも日々飲む酒の金だけは掴まされ
(2002.1.26)-8
ですな。うむ、まさしくそのとおり。
(2002.1.26)-9
君の見ている前で流すぼくの涙は酸になる。矛盾は相容れなくなるのだ。涙がほんとうに純粋であるなら、残った身体はうそなのである。それに汚濁を浄化する力があるのなら、ぼくは溶けるしかないのだ。その事態には憧れる。そうやって死ねたらどんなに素晴らしいことか。天に召されるに違いない。罪は溶け消えるのだから。
(2002.1.26)-10
今日は素晴らしいばかり書いている。
(2002.1.26)-11
暖かい詩は暖かいひとが書けばいい。死を想うものは死を願い賛美する詩を書けばいい。
(2002.1.26)-12
だらしない雪はヒステリックな雨に変わった。ぼたぼたと厚かましく心を叩いてくる。声が感情を表現する。ほどの声。もっと言って。言って。歌って。君は嘘を言えないんだ。ざまあみろ。裏切るなんてできないんだ。騙すなんてできないんだ。ざまあみろ。ぼくは君を所有したい。
(2002.1.27)-1
だんだん、だんだん長くなる。基本的には歓迎すべきことなのだが、読みにくくないですか?それだけがちょっと心配。
(2002.1.27)-2
この形は多分せいぜい3行くらいまでのものを重ねてゆくためにあるのです。上のラインの下の1行目、下のラインの上の3行目、その間の2行目。そのくらいの量のためにあるのです。4行以上は多分折り返すところでつらくなる。いや、ぼくの勝手な解釈なのですが。ネットに置く言葉は本当はそのくらいの量で区切ってやるもんだと思うんですけど、ぼくはだめですね。とにかく今は量を稼げるようになりたくて。
(2002.1.27)-3
ね、せいぜいこのくらいの量。これで3行くらいのウィンドウサイズでさ。書いてるぼく自身は全然辛くないんだけどね。だって自分で書いたもんだから。ばりばり読めちゃうけどさ。
(2002.1.27)-4
海が懐かしい。潮風の薫りを、べたつく頬をちょっとだけ思い出す。できてしまった空洞には海水を。それで満たしましょう。全部溶けているあの色の水で。
(2002.1.27)-5
fix my present mind on html.
(2002.1.27)-6
それは最後のかけらなのかもしれない。見つけてしまったから、もう終わりだね。あとは、ほんと、ゆくだけだ。さあ、ゆけ。ゆけよ。ゆけ。それは道に違いない。そう。そう信じるしかないだろう。
(2002.1.27)-7
「ヒットラーと悪魔 −考えるヒントー」小林秀雄(文芸春秋昭和35年5月号掲載)
「十三会談への道」(ニューンベルク裁判)という実写映画が評判を呼んでいるので、機会があったので見た。近頃は刺戟物に慣れて、鈍磨した観客の神経を掻き立てている必要がある為か、残酷な映画がしきりに工夫されて作られる。
 残虐性は今や現在人の快楽の重要な要素になった、と論ずる映画批評家の文章も何処かで読んだ事がある。しかし、「ニューンベルク裁判」には、大抵のことには驚かぬ映画ファンも驚いた様子だ。理由は明瞭なようである。それはマイクから流れ出す一つの声にあった、「この映画のすべては事実に基づくものである。事実以外の何ものも語られていない」という声にあった。
 観客は画面に感情を移し入れる事ができない。破壊と死とは命ある共感を拒絶していた。殺人工場で焼き殺された幾百万の人間の骨の山を、誰に正視する事が出来たであろうか。カメラが代わってその役目を果たしたようである。御蔭で、カメラと化した私達の眼は、悪夢のような光景から離れる事が出来ない。私達は事実を見ていたわけではない。が、これは夢ではない、事実である、と語る強烈な精神の裡には、たしかにいたようである。
 家に帰って、家族のものから、映画の印象を問われた。私は見ない方がいいと答えただけであった。もし映画の印象を問われたら、見てごらんと言うか、見ない方がいいよと言うかどちらかだ、他に言葉はない、それがあの映画の特色だ、実はそんなことを考えながら家に帰って来たのである。私は一種名状出来ぬ気持ちで映画館を出た。早く這入ったから知らなかったが、出て来ると、次の映写時間を待つ人々の蜿蜒と続く列を見た。小春日和の土曜だった。あの世にも不快な光景に見入る為に、この人達は、貴重な土曜日の楽しみを犠牲にしようとしている。それほど私達の平和は贅沢なのか。だが、そんな事は空疎で無用な質問に思えた。実際、名状し難い私の気持ちに、人々の長蛇の列は、何か異様な姿で映じ、私はただその意識で一杯であった。
 私の心にはまだマイクの声が鳴っていた。「事実以外の何ものも語られていない」−−その中に、久し振りで見たヒットラーの写真があった。あのぬらりとした仮面のような顔が合った。チョビ髭も付け髭に似ている。頭も頭蓋骨ぺったりと貼り付けた鬘のようだ。ドストエフスキイは、スタフローギンという悪魔を構想した時、その仮面のような顔つきを想像し、これを精細に描いて見せるのを忘れなかった。彼の仮面に似た素顔は、彼の仮面に似た心をそのまま語っている。彼は骨の髄まで仮面である。悪魔は仮面を脱いで、正体を現したという普通な言葉は、小悪魔にしか当てはまらない。ドストエフスキイはそう見抜いていた。これは深い思想である。−−しかし、一体事実とは何だろう、あの一切が後の祭りの事実とは。私は幻の中にいるような気がした。幻の中で、チョビ髭の悪魔が、マイクを通じて言っていた。「事実以外の何ものにも、私は興味を寄せなかった男だ」と。
 ヒットラー「マイン・カンプ」が紹介されたのはもう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。「この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは一種の邪悪な天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上がる欲望だ。その中核はヒットラーという人物の憎悪にある」。私は、嗅いだだけであった。以来、この人物に関して無智でいた。先年、アラン・バロックの「アドルフ・ヒトラー」(大西尹明氏訳)が出版された。私は往年の嗅覚を確かめる為に、沢山の事を学ばねばならなかった。もう一年以上にもなるが、未だ下巻が出版されないのはどうしたわけか。残念な事だ。これは名著であるから、やはり売行が面白くなかったのであろうか。
 ヒットラーのような男に関しては、一見彼に親しい革命とか暴力とかいう言葉は、注意して使わないと間違う。バリケードを築いて行うような陳腐な革命は、彼が一番侮蔑していたものだ。革命の真意は、非合法を一挙に合法となすにある。それなら、革命などは国家権力を合法的に掌握してから行えば沢山だ。これが、早くから一貫して揺るがなかった彼の政治闘争の綱領である。彼は暴力の価値をはっきりと認めていた。平和愛好や暴力否定の思想ほど、彼が信用しなかったものはない。ナチの運動が、「突撃隊」という暴力団に掩護されて成功した事は誰でも知っている。
 暴力沙汰ほど一般人に印象の強いものはない。暴力団と警察の悶着ほど、政治運動の宣伝として効果的なものはない。ヒットラーの狙いは其処にあった。「突撃隊」に、暴力団以上の正確を持たせては事を誤る。だが、彼はその本心を誰にも明かさなかった。「突撃隊」が次第に成長し、軍部との関係に危険を感ずるや、細心な計画により、陰謀者の処刑を口実とし、長年の同志等を一挙に合法的に謀殺し去った。残る仕事、ドイツ国家の永遠の守りと自惚れて、往時の特権を夢みていた軍人達の懐柔、それは容易な事であった。
 ヒットラーは、首相として政権を握るまで、世界一の暴力団を従えた煽動政治家に過ぎなかった。大臣はおろか、議員にさえなった事はなかった。一切の公職は、彼に無縁であった。政治家以前の彼も全く無職であった。彼の思想は、彼自身の回想を信ずるなら、ウィーンの浮浪者収容所の三年の生活のうちに成ったものである。彼の人生観を要約する事は要らない。要約不可能なほど簡単なのが、その特色だからだ。人生の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。これは議論ではない。事実である。それだけだ。簡単だからと言って軽視出来ない。現代の教養人たちも亦事実だけを重んじているのだ。独裁制について神経過敏になっている彼らに、ヒットラーに対抗出来るような人生観があるかどうか、獣性とは全く何の関係もない精神性が厳として実在するという哲学があるかどうかは甚だ疑わしいからである。ヒットラーが、その高等戦術で、利用し成功したのも、まさに政治的教養人達の、この種の疑わしい性質であった。バロックの分析によれば、国家の復興を願う国民的運動により、ヒットラーが政権を握ったというのは、伝説に過ぎない。無論、大衆の煽動に、彼に抜かりがあったわけがなかったが、一番大事な鍵は、彼の政敵達、精神的な看板を掲げてはいるが、ぶつかってみれば、忽ち獣性を現わした彼の政敵達との闇取引にあったのである。
 人生は獣的であり、人生は争いである。そう、彼は確信した。従って、政治の構造は、勝ったものとと負けたものとの関係にしかあり得ない。そして彼の言によれば「およそ人間が到達したいかなる決勝点も、その人間の獣性プラス独自性の御蔭だ」と。
 この彼の一見妙な言い方も、彼の原理に照らせば明瞭であろう。人間にとって、獣の争いだけが普遍的なものなら、人間の独自性とは、仮説上、勝つ手段以外のものではあり得ない。ヒットラーは、この誤りのない算術を、狂的に押し通した。一見妙に思われるかも知れないが、狂的なものと合理的なものとが道連れになるのは、極く普通な事なのである。精神病学者、その事をよく知っている。ヒットラーの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた。と言うより寧ろ、その確信を決して隠そうとはしなかったところに現れたと言った方がよかろう。
 間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼に問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅薄な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキイが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった。
 大衆は議論を好まぬ。ドイツのマルクシズムの弱点は、これを見損なっている処にある。無邪気な客観主義は、新しい理論を生み出すに過ぎず、人心の扉を開けて、そこに眠っている権力への渇望に火をつける事を知らぬ。マルクシズムの改革の成功者は、科学的教義によって成功したのではない。大衆のうちにある永遠の欲望や野心、怨恨、不平、羨望に火を附ける事によってである。これらは一階級の弱点ではない。人間の弱点だ。問題は弱点の濃厚になっている場所を捜す事だ。ドイツ共産党は、この利用すべき原動力を忘れている。
 だが、マルクシズムにも学ぶべき点がないわけではない。それは、ある世界観を掲げているという事だ。ビスマルクの社会主義弾圧法以来の政治家どもの失敗は、世界観というものを粗末にしていたからだ。
 では、世界観とは何か。獣物の闘争という唯一の人生原理を信じたヒットラーには、勿論、科学的であろうとなかろうとあらゆる世界観は美辞に過ぎない。だが、美辞の力というものはある。この力は、インテリゲンチャの好物になっている間は、空疎で無力だが、一般大衆のうちに実現すれば、現実的な力となる。従って、ヒットラーにとっては、世界観は大衆支配の有力な一手段であり、もっとはっきり言えば、高級化された一種の暴力なのである。暴力を世界観という形に高級化する事を怠ると、暴力は防禦力ばかりで、攻撃力を失う、と彼は明言している。もっとはっきり、彼は世界観を美辞と言わずに、大きな嘘と呼ぶ。大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないのから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼らには恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。大政治家の狙いは其処にある。そして、彼はこう附言している。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。嘘だったという事よりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。
 大衆が、信じられぬほどの健忘症である事も忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の眼を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。
 これには忍耐が要るが、大衆は、政治家が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに、敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読み取ってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論に果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。
 ヒットラーの心理学に、何もあきれる事はないのだ。現代の無意識心理学も似たような事をやっていないと誰に言えるのだろう。大事な点は、ヒットラーが、無意識界の合理的解釈などを自慢している思い上がった心理学者ではなかったところにある。「マイン・カンプ」に散在するこれらの言葉のうちで、著者によって強行され、大衆のうちに実証されなかった言葉は一つもない。「マイン・カンプ」が出版された時、教養ある人々は、そこに怪しげな逆説を読んだに過ぎなかった。暴力団の団長に、常軌を逸した風来坊の姿を見て、これを侮蔑した。が、相手の、比較を絶した、大きな侮蔑の力を計る事は出来なかった。ヒットラーは、一切の教養に信を置かなかった。一切の教養は見せかけであり、それは様々な真理を語るような振りをしているが、実は様々な自負と欲念を語っているに過ぎないと確信していた。
 現代の歴史は、まさしくそういう堕落の一歩を踏み出している事を、彼は看破していた。政権掌握後、次々に行われたヒットラーの外交上の大芝居は、バロックによって、夥しい資料に基づき、詳細に分析されている。ヒットラーは、戦争を覚悟して首相になったのである。戦争も場合によっては止むを得ない、そんな不徹底な考え方は、採るに足らないと考えていた。先ずフランスとイギリスとを、どうあっても征服しなければならないと覚悟していた。彼が、その侵略戦争の構想を、これは自分が死んだ場合、政治上に遺言になると言って、小数の部下に打明けたのは、一九三七年の十一月である。
 外交は文字通り芝居であった。党結成以来、ヒットラーの辞書には外交という言葉はなかった。彼には戦術があれば足りた。戦術から言えば、戦争はしたくないという敵国の最大弱点を掴んでいれば足りたのである。再軍備は進んでいる。重点は、戦術を外交と思い込ませて置くところにある。開戦まで、正義に基づく外交の成功という印象を、国民に与えて置く事にある。この期に際し、彼が、機を捉えては行った演説や声明の類いを、自分の望むものは正義と平和だという絶叫を、バロックは、ヒットラーの宣伝の傑作として、いくつも紹介している。傑作? そんな言葉が使いたくなるほど、私達の心は弱い。
 専門的政治家達は、準備時代のヒットラーを、無智なプロパガンディストと見なして、高を括っていた。言ってみれば、彼らに無智と映ったものこそ、実はヒットラーの確信そのものであった。少なくとも彼等は、プロパガンダのヒットラー的な意味を間違えていた。彼はプロパガンダを、単に政治の一手段として解したのではなかった。彼には、言葉の意味などというものが、全く興味がなかったのである。プロパガンダの力としてしか、凡そ言葉というものを信用しなかった。これは殆ど信じ難い事だが、私はそう信じている。あの数々の残虐が信じ難い光景なら、これを積極的に是認した人間の心性の構造が、信じ難いのは当り前の事だと考えている。彼は、死んでも嘘ばかりついてやると固く決意し、これを実行した男だ。つまり、通常の政治家には、思いも及ばぬ完全な意味で、プロパガンダを遂行した男だ。だが、これは、人間は獣物だぐらいの意見なら、誰でも持っているが、彼は実行を離れた単なる意見などを抱いていたのではない。
 三年間のルンペン収容所の生活で、周囲の獣物達から、不機嫌な変り者として、うとんぜられながら、彼が体得したのは、獣物とは何を措いても先ず自分自身だという事だ。これは根底的な事実だ。それより先に行きようはない。よし、それならば、一番下劣なものの頭目に成ってみせる。昂奮性と内攻性とは、彼の持って生まれた性質であった。彼の所謂収容所という道場で鍛え上げられたものは、言わば絶望の力であった。無方針な濫読癖で、空想の種には困らなかった。彼が最も嫌ったものは、勤労と定職とである。当時の一証人の語るところによれば、彼は、やがて又戦争が起こるのに、職なぞ馬鹿げていると言っていた。出征して、毒ガスで眼をやられた時、恐らく彼の憎悪は完成した。勿論、一生の方針が定まってからは、彼は本当の事は喋らなかった。私も諸君と同じように、一労働者として生活して来たし、一兵卒として戦ってきた、これが彼の演説のお題目であった。
 ヒットラーは、十三階段を登らずに、自殺した。もし彼が縊死したとすれば、スタフローギンのように、慎重に縄に石鹸を塗ったに違いない。そのときの彼の顔は、やはりスタフローギンのように、凡そ何物も現わしてはいない仮面に似た顔であったと私は信ずる。彼は、彼の部下たちのような、無罪を主張して絞殺された、目の覚めない小悪魔どもではなかった筈である。スタフローギンは、あり余る知力と精力とを持ちながら、これを人間侮蔑の為にしか使わなかった。彼は、人を信ぜず、人から信じられる事も拒絶した。何物も信じないという事だけを信じる事を、断乎として決意した人物であった。この信じ難い邪悪な決意が、どれほど人々を魅するものか、又どのような紆余曲折した道を辿り、徐々に彼自身を腐食させ、自殺とも呼べないような、無意味な、空虚な死をもたらすか、その悪夢のような物語を、ドストエフスキイは、綿密詳細に語ったが、結局、物語の傑作を出ないと高を括られた。作者のように、悪魔の実在を信ずるものはなかったからである。自分は、夢想を語ったのではない、また諸君の言うように、病的心理の分析を楽しんだわけでもない、正真正銘の或るタイプの人間を描いてお目にかけたのだ、と彼はくり返し抗弁したが無駄だった。
 ヒットラーをスタフローギンに比するのは、私の文学的趣味ではない。私はそんな趣味を持っていないが、二人の心の構造の酷似は疑う余地がないように思われる。スタフローギンが、タイラントでもプロパガンディストでもなかったのは、彼の生活圏が、ヒットラーほど広くなかったからだ。それ以上の意味はあるまい。ザールの占領、インフレーション、六百万人の失業者、そういう外的事情がなかったなら、ヒットラーは為すところを知らなかっただろう。当り前な事だ。だが、それにもかかわらず、彼の奇怪なエネルギーの誕生や発展は、その自立性を持っていた事を認めないのは馬鹿気ているだろう。ヒットラーは権力だけを信じたが、この言葉を深く感ずるか、浅薄に聞き流すかは、人々の任意に属する。
 彼は政治家だったから、権力という言葉が似合うのだが、彼の本質は、実はドストエフスキイが言った、何者も信じないと言う事だけを信じ通す決心の動きにあったと思う。ドストエフスキイは現代人には行き渡っている、ニヒリズムという邪悪な一種の教養を語ったのではなかった。しっかりした肉体を持ったニヒリズムの存在を語ったのである。この作家の決心は、一種名状し難いものであって、他人には勿論、決心した当人にも信じ難いものであったようだ。このことを作者が洞察して書いている点が、「悪霊」という小説の一番立派なところである。恐らくヒットラーは、彼の動かすことの出来ぬ人性原理からの必然的な帰結、徹底した人間侮蔑による人間支配、これに向かって集中するエネルギーの、信じ難い無気味さを、一番よく感じていたであろう。だからこそ、汎ドイツ主義だとか反ユダヤ主義だとかいう狂信によって、これを糊塗する必要もあったのであろうか。
 六人の仲間で、運動を始めた頃は、彼も世間並みの悪党を脱し切れなかったかも知れない。宣伝文句など、それ自体何の意味もないのだから、どうでもよろしい。プロパガンダという仮面は、勝手に被ったり脱いだりする事が出来る道具である。そう考えていたかも知れない。だが、彼が成功にするにつれて、仮面は鬼面の如く、彼の肉から離れぬものと化した。そこに、プロパガンダの真の意味が生じたとも言えようか。
 ヒットラーが事を成し得た当時のドイツ社会では、暴力行為とプロパガンダが、極く普通のものと見なされていた。今日の日本の社会でもこんな普通なものはない。批判という言葉は大流行だが、この言葉は、われわれは既に批判の段階を越えて、今や実力行使の段階に達した、と続くのが常である。批判に段階があるとは、おかしな事である。私の常識では、批判精神の力は、その終わるところを知らぬ執拗な忍耐強い力にある。私は屡々考える事がある。現代の批判精神は、人性という不思議な存在について、思いまどう、自己の日常経験に即した、直接な内省力を全く失って了ったのではあるまいか。その為に、批判精神は、その生きた微妙さを失い、想像力も忍耐力も失い、抽象化して了ったのではあるまいか、と。
 もしドストエフスキイが、今日、ヒットラーをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考えに揺ぎがあろう筈はあるまい。やはり、レギオンを離れてブタの中に這入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであろう。そして、彼はこう言うであろうと想像する。悪魔を、矛盾した経済機構の産物だとか、一種の精神障礙だとかと考えて済ませたい人は、済ませているがよかろう。しかし、正銘の悪魔を信じている私を侮る事はよくない事だ。悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか映らぬのも無理のないことである、と。
(2002.1.27)-8
風呂上り。これについて何か書こうと考えてみたけれど、よく考えたらこれの要約はぼくには不可能だし、してはこの文章の持つ猛りを消してしまうことになるだけなので、しない。暇なら読め。誤字脱字、脱文、脱段落等あったら、もしくはありそうだったらご指摘願いたし。この文は完璧である。原文にはそのような思いを抱かせる隙はない。今日の頭に書いたように読みにくいかも知れないけれど。そういう場合は、文芸春秋2002年2月号の一番最後に「世紀を超えた論考」として載っているので、読んでください。そんなに長くないから、立ち読みでも読めると思う。予備知識として必要なのは、ヒトラーの所業についての情報。出来れば映像での。やつの顔。喋り。骨の山、ガス室、プロパガンダ等々。ぼくの立場については、これを2時間かけて写したと言うだけで十分だろう。ドストエフスキーを読まねばなるまい。「マイン・カンプ」もまた。退屈でケチ臭いばかりの漱石など読んでいる場合ではない。
(2002.1.27)-9
何日か前に訳のわからないSatanとDeathについての走り書きのようなものを書いたが、あれはこれを読んでの。
(2002.1.27)-10
小谷美紗子というかわいい人だった。人と自分の力以外のぼくの探しものは待っていれば必ず与えられる。この証明のために、ほったらかしにしておりましたが、めでたく証明されました。ほんと、これで探し物はなくなってしまった。やれやれこんな証明。人と自分の力はてめぇで取りに行けってな。おうよ。それしたけど、間抜けにも取りそこなったぜぇ。次のトライにはまだちょっと勇気が出ないぜぇ。力のほうは無理無理みたいだぜぇ。どうしてくれようか。持て余してんじゃねぇかよぅ。
(2002.1.27)-11
善人の善人の善人の善人の善人の善人の。憧れがある限りは悪魔には成れぬ。小人、匹夫、片端、尻込みの我が体内にもその憧れは有り、これだけは誰が何と言おうとも放さじ。決して放さじ。
(2002.1.27)-12
代わりにこの首を持って行け。大鎌で刈って行け。
(2002.1.27)-13
不覚なり。涙。しかし溶けず。君の前でない。捨てず。捨てず。許せ。飲む。耐え切れず。力足りず。引き裂くこともできず。君の前でない。焼けず。心臓を。心臓を。会いたし。唯顔を見たし。声を聴きたし。それより多きは望まず。空っぽのところには海水を以て焦がせ。涙の味もまた。会いたし。会いたし。一目、。飲む。
(2002.1.27)-14
会いたい。
(2002.1.27)-15
会いたい。
(2002.1.27)-16
会いたい。
(2002.1.27)-17
会いたい。
(2002.1.27)-18
会いたい。
(2002.1.27)-19
会いたい。
(2002.1.27)-20
会いたい。
(2002.1.28)-1
会いたい。
(2002.1.28)-2
どうしようもない。
(2002.1.28)-3
未練とは、実に見苦しきものなりて。
(2002.1.28)-4
射程の短い人だ。詩ヘタクソ。きついなぁ、そんなにいい声で抉るなよ。乗っかりすぎる。
(2002.1.28)-5
すいませんでした。後悔しています。
(2002.1.28)-6
誰かぼくを持ってくれ。もういやだ。こんなやつ。くそ、ポイって。ポイって。エイ!エイ!エイエイ!クソッ、どうやったら捨てられるんだ。もういやだ。はやく終わってくれ。終わってくれ。
(2002.1.28)-7
アルコールアルコールアルコールアルコール。ぼくを持って。ぼくをゆるし 。
(2002.1.28)-8
標本ピンを鳩尾にぶっ刺して、今のぼくを生きたまま壁に留める。ぼくはわさわさしゃかしゃか暴れて、なんとか今のぼくだけをそこに残して逃れる。血も出てない。傷も見当たらない。うまく逃れられたと思うだろ。何も変わってないように思うだろ。違う。見ろ。さっきの今のぼくだけは間違いなくそこへ留まっている。どんな顔してるかは知らんが、とにかくその今のぼくはぼくから抜け落ちたのだ。それを何度も何度も繰り返すと、少しずつ少しずつ確実にぼくはぼくから抜け落ちて、いずれぼくは無くなるんだ。ぼくは無くなれるんだ。ぼくは無くなることができるんだ。
(2002.1.28)-9
脱皮なんていう希望に満ちたものでは決して無いぞ。欠落を意図的に作り出すんだ。

(2002.1.28)-10
「向こうへ行けないのかな」
夜にあいた 光の穴
夜の空に嫁いだ月が
夜の空に光を導いた

愛するわ 密やかに  愛するわ 見上げるわ
背中を見れば見惚れてしまう  体の奥で噛みしめるわ
「光の穴」抜粋 Music & Lyrics: Misako

(2002.1.28)-11
なんつーありきたりで凡庸な詩だ。そんなまっとうな詩をその声で歌うな。歌うな。泣くしかないじゃないか。
(2002.1.28)-12
ヘッドホンのボリュームを上げられるだけ上げてるから、ちょっと君の低音がぶれます。大丈夫、高いのはきれいに出てます。透明で抜ける声はちゃんと。そう、愛するわ、って。ちゃんと。
(2002.1.28)-13
だめだ。悪魔が生まれるところしか思い浮かばない。どれにも蝙蝠の如く黒き翼が生え、ぬらりと光る先端の尖った尾が生える。人も獣も家畜も昆虫も、木々にですら生える。純化された精神はぼくにあっては悪魔を作り出すものであるらしい。愛は悪魔的である。と言い、高笑い。涙を流して高笑い。翼が生える。君が好きだ。と言い、高笑い。大嘘です。尾が生える。君を責め苛む法を、20冊の呪いの書の中から探し出そうと、夜な夜な。高笑い。副作用で手が朽ちて黄色い斑点ができて、崩れて、それを見て。高笑い。段々それから黒ずんでくる。じっと眺めて、今度は隠れて小さく小さく笑う。そして終に満月を背にして舞い上る。月光には思念が乗る。
(2002.1.28)-14
太宰の真似をするとうまく行く。教養なんてクソ喰らえ!乗れ、猛れ。それだけだ!それだけだ!
(2002.1.28)-15
なんで、ぼくは蟻を潰す力を持っているんだと思いますか?何の権利があってその力を持っているんですか?おかしくないですか?逆じゃないですか?違いますか?ぼくが蟻を潰して遊ぶのではなくて、蟻がぼくをそうするべきだろう?
(2002.1.28)-16
幼稚園のときから持っていたこの問いに誰か答えてください。そうしたら、もしかしたら少し違うかもしれません。
(2002.1.28)-17
誰もぼくを裁かないのなら、ぼくがぼくを裁く。
(2002.1.28)-18
オラ、全部ゲロッちまえ。何も変わりゃあしない。ぼくの残骸が壁にこびり付くくらいだ。明日はどうしたってやってくる。ゲロッちまえ。
(2002.1.28)-19
お前等とはどうしたって違うんだ。下等なクセに間違って生まれちまったんだ。誰の差し金か知らねぇが、生まれちまったんだ。略奪、搾取、無恥、傲慢、200万の命の上に自分が立っていることを考えたことがあるか。骨の山、血の海、お前の命だって間違いなくそうなんだぞ。喰って、弄んで、時には気づくことすらない。また同じような事をしでかす、子などという腐ったものまで作り、嬉しそうに愛でる。その笑顔の歪みに気付かないのか。金を払えばそれも正当な行為ですか。人間としては当然のことですか。ああ、そうですか。そう言ってなさい。お前が今日食ったブタの、キャベツの、芋の、飯の、その命の怨み。それを知れ!お前が毎日積み重ねている罪を知れ。懺悔?懺悔?誰に対してしている?神か?バカな。お前が今日殺したものに対してそれをしろ。お前が金を払って誰かに殺させたものひとつひとつに対してそれをしろ。それの目の前で、その親族の、位牌の目の前に跪いてそれをしろ。祈る相手は神でも己自身でもない。お前が今日生きるために踏みにじった全ての命に対してしろ。感謝などというものでは誤魔化されないぞ。お前は怨まれているのだ。お前が費やした命、その全てに怨まれているのだ。それに感謝で以って応えるのか。ありえるか。ありえるか!人肉を喰らえ!人肉を!それに感謝しろ。共食いは多少の報いとはなろう。全ての罪を背負え!その記憶を持て。俺はそんな事はしない。俺は死ぬ。死ぬことでそれに報いる。同じ場所に自ら行く。そうだ、だから、今日も俺は喰う。笑う。消費する。全ての他の命を消費する。使い切って生きる。いずれ死ぬ。いずれ自ら死ぬ。それだけが我が贖罪なり。食物連鎖などという広大な欺瞞はその構成要素である個々に対しては全くの無力で、全く無慈悲だ。従って、そこに、そのひとつひとつには必ず怨みがあるのだ。ぼくは蟻を潰すよ。いつだって。そこにいれば、そうする。目障りだ。死ね。
(2002.1.28)-20
20年余にわたってぼくがぼくの言葉を封印していたのは当にこのためであり。ぼくは虐待を受けないためにはそうするのが最も賢いと知っていたのだ。それは下等なりの生きる知恵だ。しかし、もうそんなものは。
(2002.1.28)-21
小谷美紗子氏感謝。君の誠意はぼくの誠意に結びついた。ぼくの誠意は呪われているが、誠意は誠意であり、ぼくは感謝をしたい。
(2002.1.28)-22
ぼくは下ばかり見て生きてきたんだ。これが人間として奇特な部類だと気付いたのは極く最近だよ。
(2002.1.28)-23
さあ、救ってみせろ。ぼくにはもう無理だ。もう諦めた。疲れた。
(2002.1.28)-24
ヒューマニズムを拒絶する全ての思想に祝福あれ!
(2002.1.28)-25
作品に純化など必要ではない。全部混ぜて見せてしまえばいいのだ。体裁など害悪でしかない。美しさなど微塵もあってはならぬ。実際にぼくは美しくは無いのだから。今日のはぼくの作品だよ。矛盾の塊、混沌の渦こそが、ぼくだ。それは一滴も損ってはならない。生への、善への憧れと、死への悪魔への同情と、共感と、全て込めよ。整列などもっての他だ。それがぼくだ。だから10年かかるのだ。そうでなかったらとっくに死んでいる。
(2002.1.28)-26
神に護られて死ぬなど、もっての他だ。
(2002.1.28)-27
偽善者は、失せろ。
(2002.1.28)-28

(2002.1.28)-29
どうか間違っていると言ってください。
(2002.1.28)-30
スズキキヨトは全く信用ならぬ。
(2002.1.29)-1
いくつか削除したいけど、まぁ、仕方ない。こんなもんですな。
(2002.1.29)-2
人と酒の力を借りて5時間かけて出しても、明けて読み返せば5分もかからず。は。これだけか。こんなものに。は。
(2002.1.29)-3
ああ、こりゃああれだ。長々と書くわ。いじいじと人やら環境やらをこまごまと決めて、もったいぶって、だらだらとわかりにくく、わかりにくく、隠し隠し、小出しにして、やるわ。売るわ。全くやってらんねぇよ。こんだけかよ。
(2002.1.29)-4
実際にはゴキブリ一匹自分の手で殺せないのである。口を歪めて、いなくなってくれと思っている。金ならいくらでも払うから、二度と視界に入らないでくれと思っている。
(2002.1.29)-5
いや、3ヶ月ほど前に殺虫剤を使ってやったことがある。肉の感触がどうしてもいやで。命だとは認めたくなくて。完全に動かないものになったことを確認して、ティッシュに包んで、わからないようにして、ゴミバコに捨てた。
(2002.1.29)-6
ハイエナみたいだ。一枚一枚探し出して、買ってきている。3枚。あと1枚。
(2002.1.29)-7
あ、なんか知らんがこのねぇちゃん、俺と同じような話を結構してる。なんだ、同類か。うまくやれよ。やりようによってはちゃんとやれるんだ。って、言われなくてもわかってるな。わかってないのは俺のほうだ。
(2002.1.29)-8
うーん、やっぱり消したいなぁ。媚があるんだよなぁ。媚びるんだよなぁ、ぼくは。見苦しいなぁ。、、、ああ、だからこそ、このままでなくちゃならないのか。
(2002.1.29)-9
見事にメールの書き方がわからなくなった。ぼくの文は人を殴るようになってきた。ような気がする。自惚れだといいのだが。恐くて書けない。全く判別がつかん。
(2002.1.29)-10
矮小な人間はせっかく与えられた小さな力の使い方をもやっぱり誤るのね。勘違い。ああ、勘違い。それは人を傷付けるためにあるんじゃないんです。マシンガンとして使うためにあるんじゃあないんです。あなたが辛いときに、ちょっとだけ背中を押してあげるためにあるんです。君が迷っているときに、君は間違っていないと言うためにあるんです。一番大事な人に、足りないながらも不釣合いながらも精一杯の愛をあげるためにあるんです。今日眠れるように、明日起きれるように。笑って暮らすために。空が青いことを、季節の移り変わりを、緑の息吹を、コンクリートの、その向こうの人ことを。みんな頑張ってんだ。頑張れ。頑張れ。笑え。遊べ。想え。そういうことのためにあるんです。そのはずなんです。
(2002.1.29)-11
あー、射程を短くしたい。短く短く、山頭火や奥田民生。灯台下暗しのその位置を。あー、そういうのが、そういうのが、太宰みたいなのは嫌だ。俺は天才だ。天才だ。天才だ。そればっか言って、全身使って言って。そういうのは嫌だ。そういうのに近くて嫌だ。いや、そのものだから嫌だ。
(2002.1.29)-12
俺は天才だ。芸術とは俺の作るもののことだ。真の天才だ。天才は理解されないものだ。お前等が馬鹿なのだ、お前等が下等なのだ。
(2002.1.29)-13
馬鹿ですな。
(2002.1.29)-14
おお、これが言える。凄い。凄いぞ。
(2002.1.29)-15
ぼくは見栄っ張りだ。プライドが高い。やたらと高い。自分を不自由にするほど。いつもそれだけを必死に護っている。ぼくは見栄っ張りだ。自分の美学に自分が合わないのなら、逆に最も醜くなってやろうとする。それほどのプライドを持っている。そしてぼくは運動音痴で音感がなくてリズム感がなくて喋るのが下手で。少しでも傷付けられると黙って逃げる。逃げる。逃げてないと思い込んで、逃げる。あらゆる麻痺の手立てを躊躇なく用いる。逃げてない。逃げてない。ぼくは偉いんだ。美しいんだ。一番なんだ。一番なんだ。なんてったって、ぼくなんだから。ぼくはほんとに見栄っ張りで臆病でプライドがプライドが、ああ、この単語、使えるなんて思ってもみなかった。プライドが高いんだ!ぼくにはプライドがあるぞ!
(2002.1.29)-16
すげー。信じらんねぇ。すげー。
(2002.1.29)-17
明日死んでしまうのではないかしら。ばいばいぼく。
(2002.1.29)-18
現実とのギャップは。少しずつ受け入れよう。少しずつ埋めていこう。いつかこのプライドが正当なものになったらいいなぁ、って、思っています。と、言う!言う!言う!今はまだヘタクソだ。今はまだ。あなたにはかないません。ぼくよりすごい人はいっぱいいます。今日ぼくがしたことはぼくを護るためでした。明日も明後日もそれをすると思いますが、一年後はもしかしたらしてないかもしれません。言い訳もいっぱいします。いっぱいいっぱいします。でも、十年後はしてないかもしれません。全部一人で一番うまくやってのけたいのですが、それはできないです。それどころか、そのひとつすらまともにできないです。それがぼくです。ねぇ、ぼくは臆病です。なんとか、なんとかそれから逃げようとします。今日も誤魔化しました。明日も明後日も明明後日も、自分から何かすることなんてしません。しません。その割にはあの子に半分持たせようとしました。幸せにできるとか思ってました。ねぇ。それはほんとうです。ああ、これは懺悔ですね。楽になりますね。卑怯ですね。卑怯です、ぼくは。赦して下さい。ぼくはぼくを持て余します。自分ひとりで持ちきれません。誰かに持って欲しいのです。もしかしたら、君でなくてもいいのかもしれない。誰でもいいのかもしれない。でも、赦して欲しい。君を傷付けました。君が不幸になればいいと思いました。付け入る隙ができると思いました。ぼくは弱い。弱い。でも、でも、それでも、ぼくにもプライドが、希望が、欲望が。君に触れたいのに、ぼくは自分が可愛くて我慢しました。それは間違っていました。君の思いを知ろうとしませんでした。それは間違っていました。君のために何かしようとしませんでした。それは間違っていました。今も、もう遅いから、と知っているからこんなことを言います。ぼくは間違っています。すいません。赦して下さい。ぼくは、ぼくは、全部できたいと思うけれど、何にもできないです。ひとつくらいできるようになりたいです。ひとつくらい人のためになることができるようになりたいです。ひとつくらい自分を誉めてあげられるようなことがしたいです。できないです。逃げています。すいません。赦して下さい。誤魔化しています。赦して下さい。ぼくに何ができますか。今のぼくにでもできることはありますか。結果を恐れて何も始めないでいて、それを見ないように、見ないように、必死で誤魔化しているのですが。そこまではわかっているのですが。そればかりし続けているのですが。ぼくに人を愛せるでしょうか。ぼくには愛がありますか。自尊心だけではないですか。どうしたらいいんですか。ぼくは人を信じない。どうしても、それをしない。それは自尊心ですか。やっぱりそうですか。ぼくは卑怯です。臆病です。赦して下さい。少しずつ、急にはできませんが、少しずつ。きちんと前を見れる人に。なりたいです。すいません。すいません。すいません。生きていていいですか。生きていたい。生きていたい。生きていたい。死にたくない。お酒を止めたいです。すいません。すいません。どうしたらいいんですか。自分で考えようともしない。すいません。すいません。すいません。まだ、何か忘れている気がします。それに気付けません。すいません。すいません。
(2002.1.29)-19
ばいばい。
(2002.1.30)-1
両端を潰したら、その内が見えた。意外とでかい。形もわからない。名前なんてあるわけも無い。何も終わらず。ちょっと、これじゃ高校の頃みたいじゃないか。マジですか。勘弁してくださいよ。あれですか。たまねぎの、レタスの、一番外の皮一枚はいだだけってやつですか。マジですか。ちょっと生皮って感じになっただけですか。勘弁してくださいよ。終わんないじゃないですか。勘弁してくださいよ。
(2002.1.30)-2
自分が天才だって一度ほんとに言ってみたかったんだけれど、言ってみたら、いや、言ってる最中も、あんまり面白くなかった。有違和感。それはぼくの内的な事実ですらなかったようだ。事実でないことは面白くない。ぼくは虚弱だって言った方がよっぽど高揚する。それは少なくとも半分の事実ではあるから。
(2002.1.30)-3
全部じゃ決してないところが、実に気に入らない。
(2002.1.30)-4
つーか、パス。マジ、パス。一回これ持ってみてよ。軽いのかな。重いのかな。ぼくが非力なだけなのかな。それともほんとに重いのかな。あーもう、悟りてぇ。何でもいいよ。これ嫌だ。俺これ嫌だ。もっと明るく楽しく暮らしてぇ。外向きにしてぇ。この半月の分で60k以上あるぜぇ。なにやってんだよ。ほんと、なにやってんだよ。
(2002.1.30)-5
愚痴ばかりですな。

(2002.1.30)-6
「晩年」について
 私はこの短篇集一冊のために、十箇年、市民と同じさわやかな朝めしを食わなかった。私は、この本一冊のために、身の置きどころを失い、たえず自尊心を傷けられて世のなかの寒風に吹きまくられ、そうして、うろうろ歩きまわっていた。数万円の金銭を浪費した。長兄の苦労のほどに頭さがる。舌を焼き、胸を焦がし、わが身を、とうてい恢復できぬまでにわざと損じた。百篇にあまる小説を、破り捨てた。原稿用紙五万枚。そうして残ったのは、辛うじて、これだけである。これだけ。原稿用紙、六百枚にちかいのであるが、稿料、全部で六十数円である。
 けれども、私は、信じて居る。この短編集、「晩年」は、年々歳々、いよいよ色濃く、きみの眼に、きみの胸に滲透して行くにちがいないということを。私にはこの本一冊を創るためのみ生まれた。きょうよりのちの私は全くの死骸である。私は余生を送って行く。そうして、私がこののち永く生きながらえ、再度、短篇集を出さなければならぬことがあるとしても、私はそれに、「歌留多」と名づけてやろうと思って居る。歌留多、もとより遊戯である。しかも、金銭を賭ける遊戯である。滑稽にもそれからのち、さらにさらに生きながらえ、三度目の短篇集を出すことがあるならば、私はそれに、「審判」と名づけなければいけないようだ。すべての遊戯にインポテンスになった私には、全く生気を欠いた自叙伝をぼそぼそ書いて行くよりほかに、路がないであろう。旅人よ、この路を避けて通れ。これは、確実にむなしい、路なのだから、と審判という燈台は、この世ならず厳粛に語るだろう。けれども、今宵の私は、そんなに永く生きていたくない。おのれのスパルタを汚すよりは、錨をからだに巻きつけて入水したいものだとさえ思っている。
 さもあらばあれ、「晩年」一冊、君の両手の垢で黒く光って来るまで、繰り返し繰り返し愛読されることを思うと、ああ、私は幸福だ。−−一瞬間。ひとは、その生涯に於いて、まことの幸福を味わい得る時間は、これは、百米十秒一どころか、もっと短いようである。声あり。「嘘だ!不幸なる出版なら、やめるがよい。」答えて曰く、「われは、いまの世に二となき美しきもの。メジチのヴィナス像の色に出ずるほどの羞恥のさま。これ、わが不幸のはじめ。また、春夏秋冬つねに裸体にして、とわに無言、やや寒き貌こそ、(美人薄命、)天の冷酷極まりなき嫉妬の鞭を、かの高雅なる眼もてきみにそと教えて居る。」
太宰治「もの思う葦」より抜粋

(2002.1.30)-7
ああ、イヤだ。どんな人間の話よりもこいつのする話に近い。まぁ、俺はもてないから、大丈夫なはずだ。うん。浪費の癖もない。薬中でもない。精神病院にも入らない。うん。こんなにはきっとならん。こんなにはきっとなれん。うん、大丈夫、静かに死ねる。こいつみたいに2度もしくじらない。生贄も要求しない。
(2002.1.30)-8
力はどこから生まれるのか。力はどこから生まれるのか。力はどこから生まれるのか。力はどこから生まれるのか。全て込める。全て。残さない。絶対に残さない。端から端まで、全部黒く塗り潰す。そのために捨てなければならないものは全て捨てる。そのために必ず要るものを無理にでも手に入れる。待つことが必要なら、喚き散らしながらも待ち続ける。耐えることが必要なら、死力を尽くしても逃げ切れないものであるのなら、背負おうではないか。じわりじわりと侵して行く。ぼくよ、知れ。ぼくは敵だ。ぼくを憎め。ぼくを蔑め。あらゆるマイナス符号を転用せよ。ぼくは止めない。宣言だけなら、幼稚園生でもできる。さあ。さあ!
(2002.1.30)-9
すいません、今は気の利いた比喩を考えるのもできません。
(2002.1.30)-10
こんなことをさらりと言うような人間には死を!くそー、いいなぁ。そういうのっていいなぁ。
(2002.1.30)-11
休日ってやつが、心臓を止めていい日だったらいいのにね。そういう風に休みたいよ。
(2002.1.30)-12
もっとゆっくりと書け。
(2002.1.30)-13
ちなみに、小谷美紗子は昔のは大したことありません。声がちょっといいだけです。でも、4枚目のは殺人的にうまくなっています。おかげで、ゲロれました。感謝であります。3枚目を手に入れていないので、ちょっとプロットしきれていないんですが。2月8日に5枚目が出るのはとても楽しみです。仕事休んじゃおうかしら。
(2002.1.30)-14
裏声の使いどころ。語のなめし方。うねり。ノイズの混ぜ方。色の抜き方。強弱。素晴らしい。いいなぁ、自分の声でそんだけ遊べたら楽しいだろうなぁ。
(2002.1.30)-15
すいませーん。やりかたわかりませーん。でも、きっとぼくも「ふ」ですね。
(2002.1.30)-16
log - 初恋 ちょっといじる。2.0が上がったら、全面改訂だな。純化して、完全に嘘っぱちにしてしまおう。
(2002.1.30)-17
「皇帝の翼」という言葉が、なぜだかときどき浮かび上がる。こんなんでほんとに飛べるのかというくらい重厚な翼で、片側の幅が身長の2倍程にもなる。そういう翼。そいつを広げるときの大きな、バサ、という音が、それを考えるとき聴こえるような気がするのだ。2秒で音速へ達するその翼の力を。で、この前実家に帰ったときにKinKi Kidsが。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。苦笑いする他無し。
(2002.1.30)-18
「「晩年」について」の注釈として、ひとつ。死ななくてはならない人間が、死にたくないときにする言い訳だよ。これは。なんだ、俺が生きているのもそんなに悪いことではないのではないか。そう思ってるときに、卑屈な笑みを浮かべて、もったいぶって書く言い訳だよ。なんと、今しがた、10年かけてやっとこさ1本書き上げたばかりなのに、あと2本も書く気でいるんだ。馬鹿な男だ。こうやって生き長らえるんだよ。ぼくが長生きするとしたらこういう形式になるね。間違いなく。
(2002.1.30)-19
それでもなんとかこの男、四十前には終わりました。最後まで相変わらず女々しい男で、恐いもんだから、寂しいもんだから、その闇の艶を売り物にして、女をふたり引きずり込みました。一回目は、てめえは生き残りました。二回目はひとりでやろうと思いましたが、寂しさに負けて成せませんでした。縊死がどうのとか、吠えていますが、そんなものは態のいい言い訳に過ぎません。三度目でようやく、どうにかやり遂げました。結局この男は、ひとりでは何事も成しえないのでありました。ひとりのときは常にこの男は臆面もなく、自分が言う程の臆面もなく、自分の闇を売り物にして、人を自分の問題へと引きずり込みました。売女という言葉がありますが、この男はさしずめ売男であります。そうやってこの男はいっつも一部を人に持たせてきたのであります。その恥に、罪に苛まされながらも、遂にそれを止める事はありませんでした。手放す事はありませんでした。それでも、この、この人間のクズは、いくつかのよい言葉を残しました。いくつかの本質的な物語を残しました。人間、何がいいかわかったものではありません。結局この男、恥のために死にました。運命のために死んだのではなく、一連の行為の恥のために死にました。最後までクズでした。線香一本、この男の霊前に捧げるのは惜しいです。この男は生前に自分で自分のために30本の線香の束を毎日焚いても何の感慨も示さなかったのですから。それでも、その歪んだ傲慢の中で、いくつかの真実を書き上げました。人間、何がいいかわかったものではありません。
(2002.1.31)-1
少し落ち着き。君は去ったか。去ったか。紐を押えていた石をどけられて、風のない空の中へ浮き上がる黄色い風船の。それを包み込んでゆく空の青と。見上げていますか。雲は、まばらに在る雲は真っ白です。キラキラしています。空気の音が小さく低く心地よく、耳元で流れています。足場を失って少し心細いです。どこかへ行ってしまうんだなぁ、って思います。目的地だけは定まっていますが、どこを通るのかは知りません。凍える闇夜を、見下ろす朝焼けの、真っ青な正午の、緩んだ午後の、入れ替わる夕闇の、またやってくる深く長い夜を、そこに射す静かな月光を。冷たさを。水の色した風が通り抜けている林の。必死に何かを護り続けるコンクリートの街並みを。黄金色の絨毯を。手を休めて見上げる顔を。撫でてゆく。
(2002.1.31)-2
ほんと、もっとゆっくり書け。ぜんぜん落ち着いてない。前書いたやつのがいいぞ。
(2002.1.31)-3
はーい、ぼく、特に今までと違ったことを言ったわけじゃないみたいなんですけど。むしろ出来としては今まで以下のようなんですけど。何が違ったんでしょうか。わかんないです。ただ、以前に自分の書いたものが素直にいいものだと思えるようになっています。なんだ、いいじゃん、って。なんですか?これ。
(2002.1.31)-4
とにかくこれで自選が出来るぞ。バンザイ。
(2002.1.31)-5
名前を付けてやらねばなるまい。添削をせねばなるまい。
(2002.1.31)-6
この小さいねぇちゃんに、どうか幸あれ!その微笑の隅に在る小さな穴、消える時、必ずいつかあれ!宇宙始まって以来初めての完全なる純粋な個体となれ!君がなれ!、、、、、と、言いたし。我が声は真上に抜けるばかりで、伝わることはあらず。おかげで、言える。ありがたい。ありがたい。むなしき。むなしき。我が言葉、どうか、人救うことあれ。我が言葉、我が存在を超えよ。我が全てを捧げよう。我を超えよ。高く高く昇れ。太陽にまでなれ。君にまで射しこむこと、いつか、あれ。


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