tell a graphic lie
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(2002.3.31)-1
 昨夜はちょっと飲みすぎた。だるい。1時半起床。
 ぼくの部屋の窓の外は大家さんの裏庭で、前は大家さんの家、左右を一戸建てとアパートに囲まれて塞がれて、小さな箱庭のようになっているのだけれど、その一面、その端に植わった一本の桜の木が降らす花びらで埋め尽くされている。黙って眺めていると、風が無くても、絶え間なく、一枚二枚、三枚四枚、花びらが、ちらちら、はらはら、舞い落ちている。さぁっと風が吹けば、それに合わせて、さぁっと何十枚だかが、くるくる一度に舞い落ちる。箱庭のようになっているから、その花びらはどこかへ飛んでいかずに、みんな裏庭の湿った土の上に落ちて、敷き詰められてゆく。桜の木は、三階建てくらいの高さがある、結構な大きさの木で、裏庭に被さる方向以外の枝は大胆にほとんど根元から、バチバチ大枝を剪定されてしまっていて、ちょっとかわいそうな気もする木なのだけれど、窓から顔を出さないで、裏庭を眺めると、丁度いい具合に視界が区切られて、切り落とされたほうの枝は目に入らないので、普段はぼくはそのことを忘れてしまっている。それに、裏庭の方へ伸びた枝は裏庭の半分を覆い隠すくらいに伸びて、弱っているという感じは特になくて、他には花をつけられないので、かえってそこに、これでもかというくらいのたくさんの花をつける。そんな風なので、部屋の窓を開けておくと花びらが何枚も降りこんで来る。
 暖かくなってきたので、また、とてもよく晴れた日には、ぼくはよく窓を開け放って外出するようになってきた。無用心な話だけれど、窓はそうして箱庭のような裏庭に面していて、外の通りからは全然わからないし、裏庭に入りこむのも塀を越えなければならず、大変で、第一、泥棒に入るのなら、盗るものなんて何にも無いぼくの部屋に入るよりも、前の大家さんの家をはじめ、周囲のマンションやら、戸建てに入るのが道理なので、気にするのは、むしろ雨が降って、部屋がずぶ濡れにならないか、という方で、だから、とてもよく晴れた日には、ということになる。今日は、とてもよく、とまではいかなかったのだけれど、雨は降らなそうだし、花びらが舞い込むのは少し嬉しいので、部屋の窓を開け放って、朝食、昼食、どちらでもよいけれど、を食べに出た。
 日曜は、もう毎週アンジェリーナへ行くことに決まってしまったみたいだ。サーモンソテーを食べて、コーヒーを飲みながら、小一時間、読書。太宰「女の決闘」。写そう、と思う。店内は久し振りに騒がしかった。左、女友達、ふたり、四方山話、多少深刻なテーマ、恋人について、その人の職について、ふたりのこの先について、多少の不安があるよう。それから、近隣のおいしいお店、イタリア料理店。右にも一組、5,6人、芸能関係の仕事仲間、ある人の、仕事に対する姿勢について、それに関わるある出来事、自分のスタンスについて。多少のもめ事が起きたらしい。座り聞き、失礼。1m半の距離では嫌でも聞えてしまうんだ。煙草、HOPE、4本。
 そのあと、昨日、頼んでおいた、山頭火、句集2,3,4が入荷したとの電話があったので、渋谷まで取りに出かける。だらだらと探し回るのは、もう止めにした。そんな時間は、もう余り取れないし、そろそろ、山頭火にも一礼して、おさらばしたい。のだ。だって、わかんねぃんだもん。5,6年間読んできての結論、俳句はぼくにはわからない。
 渋谷はいつもの休みよりも更に人が多くて、久し振りにのけぞる。回れ右して、そのまま、また電車に乗ろうかとちょっと思った。Book1stで本を受け取って、松本人志が表紙のA3サイズの雑誌、名前忘れた、で、異端について、松本人志、田村淳の話、ざっと読んで、早々に退却。ほんとは少しスニーカーやら、Tシャツやらの物色をするつもりだったのだけれど、断念。人が多すぎる。閉口。四辺形。失礼。。。
 戻って、部屋には、花びらが10枚くらい、舞い込んでいた。
 桜を見上げながら、洗濯物を取り込んでいると、家賃来月分を払うのを忘れていたことに気づいたので、買い物ついでに銀行へ行って、お金を下ろして、払った。この部屋は安くないけれど、そして、ちょっとぼくには広すぎるけれど、好きだ。もう、一年、経ちました。舞い込んだ花びらを集めながら、何かちょっと考えて、すぐに忘れた。
 それから少しして、雷鳴、夕立。その音を聴きながら、うとうと。。。
(2002.3.31)-2
太宰のを写すのは、なんだか、ドーピングのようなものだと、最近思う。
(2002.4.3)-1
 日記を書くのに、2時間もかかったりしそうで、していて、間抜けだなぁと思いつつも、2時間か、0秒か、という勢いなので、今は、ぼくはブタ小屋掃除を優先しているので、0秒をとってしまっている。
 しかしながら、昨日、今日のブタ小屋掃除、下の一個で終ってしまった。最悪である。だってぇ、一枚目からこんなのでぇ、何言ってんだかぁ、わけわかんねぇんだもん。なんかさぁ、いやらしくさぁ、嘆いてんだけどさぁ、よーするにさぁ、受験勉強したくないだけなんだよね。馬鹿だね。と呆れ返って、やる気を無くし、止めそうになってしまった。が、そこを一歩踏みとどまって、もう一度そのわけのわからないものを読みなおしてみる。しかし、やっぱり訳がわからない。だらだらといいわけばかり書いている。脈絡も、間違いなく、無い。こりゃだめだ。救いようがねぇ。うぬぅ、一枚目からこんなのであるのは、実に腹立たしいことだ。えい、ここは皮肉のひとつでも言ってやれ、と、そこに書き付けられている、「シャーペンの先」、「主体」、「客体」、あたりの単語をかっぱらってきて、それを書いた日の我が思考の愚かさを嘲ってあげようと思い、書き始めた次第です。
 ああ、前口上が長くなってまいりました。そろそろ危険な長さであります。と、そんなことばかり書いているから、長くなるんだと、軽くつっこみを入れつつ、表題については、もう一ひねり、是非したいと、考えております。

(落第前夜祭)
 くだらないことがしたいのだ。役に立たないことをしたい。何か今の自分ではとても許容できないほどの、到底許せないようなこと。それくらいのことをして、それで、自分を貶め、辱め、破壊してみたい。などと、彼は見慣れた、毎日握っているシャーペンの先端をしげしげと見つめながら考えていた。勉強をする気分にはなれない。
 そのまま暫く、ぼんやり眺めて、おもむろに眼をシャーペンから、机を照らす電灯へ移す。電球を正視すると、視界の真中に大きな焼付きができる。瞬きせずに、そのまま暫く電球を眺め、焼付きを十分に大きく、濃く作ったあと、電球から視線を移し、焦点をあちこちに持ってゆく。眼球の動きと連動して移ろう焦点の先にあるものは、鈍い赤茶色の焼付きによって順繰りに隠されてゆく。彼は目の前の見慣れた光景を、そうして次々と潰していった。自分の眼をレーザーか何かに見立てて、焼き付いた焦点の先にあるものを撃ち抜いているつもりになっているものらしい。彼は、それをしながら、自身が眼というものを、視覚というものを介して、自身の外のものを認識している、ということを今更ながらにまた見出して、うむ、所詮人間などというものは、このようにして自身の持つ、いくつかの与えられた器官のみによって、外界とコンタクトすることが出来るのであり、所謂それは五感と言われているもので、それによって受取る事が出来ないものは、我々にとっては何の価値も持ち得ないのだ。時折言われている、第六感などという非合理的なものなどは、我々には何の意味も、価値もないのだ。と、「我々」などという言葉まで持ち出してきて、無理矢理万人を味方につけ、論理も全くきちんとしていない上に、それこそ何の意味も無い事を論じるているのである。ただ、その口調だけは、大人びて、学者ように立派であるので、彼は自身がなんだか少し偉くなったような気分に浸り、うむ、とひとりで小さく頷く。そして、握ったシャーペンの先端を再び眺めると、さっきまでの勿体ぶった論調は、はたと消え去り、勉強したくねぇなぁ、とぼやきがぼつりと浮かんで、またぼんやりする。
 どうやら、それが彼の今のぜんぶであるらしい。そして、それを何とかして正当化したい心が、彼のうちには働いているようである。それでさっきからどうも、なんだかんだと思考をあちこちなげやって時間を浪費し、その義務感から逃れようとしているものらしい。どうやら、だたそれだけのもののようである。と言っているうちに、また、彼の思考はどこへやら飛んでゆく。
 「彼」?なぜ、「彼」なのだ。これをやっているのは「ぼく」だ。「彼」とは他人、第三者に対して用いる言葉だ。「彼」、しかし、これは「ぼく」だ。「ハテ?」あら、「ハテ」はぼくが言ったはずである。なぜ「」が付くのだ。ハテ?そうだ、これが正しい。などと、彼は考える。続けて、「思考の末尾に、このような言葉を常に付加していると、段々と訳がわからなくなってくるものだ。それを認識する前に、もう次の感情や思考が開始されていて、自己を客体化しようとする主体がその言葉を附加しているので、客体化された自己はその間に次の思念へを移って行ってしまうのである。」と、彼は考えて、シャーペンを握り直し、ノートの端に、「主体」、「客体」と書きつけ、それを両矢印で結びつけた。
 なんだか、変な話だな。よくわからない。これはどうやら難しい問題だ。しかしながら、これは是非とも解かねばならない。うむ、そうである。これはまさに重大問題である。一晩費やしてでも解き明かさねばならぬ。勉強など、英語など、のそくさやっている場合ではないのだ。うむ、そうだ。うむ。彼は、しきりに一人で頷いて、「主体」「客体」の隣に、下手くそな人型、公衆便所の男性用のマークの崩れた形したものを、ふたつ書きつけて、やはり、それを両矢印で結びつけた。どうやら図にすればわかるとでも、思っているようだ。そんなことをしたってわからないものはわからないはずなのであるが。それに、これはわかるも何も無いような気がするのは、ぼくだけだろうか。すでに間違っているのである。間違った問いなのである。いや、問いですらないのである。いや、そうであった。内容なんてどうだっていいのである。要するに、彼は勉強がしたくないのである。
 しかし、「勉強」という言葉の響きは、なぜこうも厭な気分を呼び起こすのだろう。彼は「自分は考えること自体は嫌いではないのだ」、と考える。しかし、この「勉強」、というやつは駄目である。ぼくの考える、考えることの本筋から外れた行為であるように思える。第一、今この英単語を10辺復唱して覚えたところで、明日にはもうきれいさっぱり忘れているのである。それが何の役に立つのか。時間の無駄ではないか。それならば、こうして思索をして、建設的な理論の一つでも打ち立てようと努力しているほうが、遥かにましである、というのは間違いなのであろうか。むしろ、それこそが我が成長、進歩というものではなかろうか。うむ、そうである。明日の試験などはこのぼくの将来の何の糧にもならない、進歩をもたらしはしない。どう考えてもそんなことはありえそうにない。
 そうは言っても、しかし今このようにして考えたことを、彼は、一日どころか、一時間、いや、十分も覚えていたことはないのである。おそらく彼は、昨日もほとんど変らない、ともすると全く同じの思考を、同じようにしていたかも知れない。今日は試験週間の真っ只中の水曜日で、その可能性は実に高いのである。実際、彼は昨日の同じ時間にも、同じような眼つきをして、目の前に立ち並んだ教科書たちをぼんやりと眺めて、この机の前に座っていた。違いといえば、昨日その机に広げられていたのは世界史のノートで、それは彼とは違って勉強の出来る、笑顔爽やかな同級生のもののコピーであったことくらいである。
 このようにして、実際には彼に進歩というものはない。しかし、この「進歩」という言葉は、彼のお気に入りの言葉であるようで、いつも、何かにつけては「進歩」「進歩」と口走りうるさいので、同級生などは、彼が目の前にいないときには、あの「チンポ」「インポ」などと陰口を叩き、嘲っているほどなのである。彼は「進歩」という言葉ばかりを撫でまわして、いつも、深刻そうな面持ちで、うむ、うむ、言っているだけなのである。
 ああ、くだらないことがしたい、という彼の願望は、実はどうやら、毎晩毎晩叶えられているようである。ただ、あわれにも、彼自身が心底くだらないので、自身を許せない、などという殊勝の認識は持ち得ていないようであるが。
 勿論、「彼」とは「ぼく」のことである。ぼくは彼である。いや、彼がぼくなのである。どちらでもいい。いや、よくはないのか。それも重大問題なのか。どうなのだろう。ふと、時計が目に入る。彼がこの机の前に座ってから、既に2時間近く経っている。
 もう寝る時間が近い。睡眠不足は、試験の、最大の、敵である。早く寝て明日の英気を養わねばならん。彼は、特に他人より睡眠時間の長さに大きな影響を受ける性質なのである。あれ、本当か?そんなもの較べてみたことなんてないや。まあ、でも、きっとそうだ。今日の試験だって、そうだ、あれも睡眠不足のせいに違いがない。そういえば、昨日もなんだか知らないが、なかなか寝つけなかった。そうだ、そのせいだ。同じ過ちを二日続けてするのは、愚か者だ。今日は昨日の不足した分も取り返さなければならない。だいぶ疲れたことであるし、もう寝よう。実際は、まだ、疲れる程のことは何もしてはいない。教科書の試験範囲にあたる頁を、一度流して読んだだけである。いやしかし、気疲れという言葉もあるくらいである。確かに、彼の苦悩による疲労は、彼にしかわからないもので、他人に測れるものではない。もう、ぼくはクタクタだ。
 が、しかし、少々現実的に考えてみれば、これでは明日の英語は赤点確定である。となれば、追試を受けなければならないだろう。うーむ、一度で及第するように頑張ったほうが、もしや利巧ではないだろうか。そんな気がする。すごくする。すごくするのだが、しかし、何にしてももう時間が遅い。今からでは徹夜不眠でやっても恐らく間に合うまい。いや、そんなことは全然ない。今から眠らずにやれば、十分すぎるほどに勉強ができる。まだ、日を越してすらいないではないか。十分である。ということはない。間に合わないものは、どうしたって間に合わないのだ。それに、睡眠不足は、試験の、最大の、敵である。どうしたって、寝なければならない。眠らなければならない。それが最優先である。というわけで、とりあえず、疲れたことだし、横になろう。
 彼は椅子をたって、ベッドに寝転ぶ。その脇には漫画がずらりと並んでいる。彼はそのうちの一冊を引っ張り出して、暫く表紙を眺めて、眉を少ししかめてから、開かずにもとに戻した。流石にそこまでは開き直れないようである。それで、彼はそのまま仰向けになり、部屋の蛍光灯をぼんやり眺めながら、まだ、眠る決心が固まらないものらしく、まただらだらと考え事を続ける。蛍光灯はブーンという低い音を立てており、その光は少々黄ばんでいる。蛙の声もかすかに耳に入ってくる。
 それにしても、さっきの陰口の話は、本当かしら。ありえない話ではないと思う。ああ、心配だ。心配だ。明日問いただしてみようかしら。いや、こちらから、突然そんなことを言い出すのはおかしな話だな。実際に聞いたわけではないのだ。しかし、おそらく、ああ、心配だ。憂鬱だ。誰だ、そんなことを言い出すやつは、あいつか、ガチャピンか、それとも、トドか、泥人形か。うぬ、許せぬ。言い出すやつにも、腹が立つが、それに喜んで同調し、追従するやつらにも腹が立つ。奴等、コバンザメだ。金魚の糞だ。お前らには全く品位というものがないのだ。お前らの言うことになんて、ぼくは決して影響されたりなどはしない。ぼくはそんなに弱い人間ではないのである。弱くはないが、ああ、しかし、ぼくはそのような下品な言葉でもって形容されるほどに下らない人間なのだろうか。まさか。いや、しかし、あるいは。うぬ、おのれ、何たる恥辱。苦しい。壊れるほどに苦しい。ああ、これではとてもではないが、眠れない。眠れないぞ。畜生、あいつらのせいだ。これでは、寝不足で、明日の試験が実力の半分も出せずに落第するに違いない。口惜しい話だ。許せぬ。
 そうだ、それは違うぞ。ぼくは確かに進歩しているのだ。進歩してはいるのだが、実力の半分も出せない状態では、進歩の半分もやはり発揮できないのである。それでは流石に進歩が進歩として見える程には、表れないかも知れない。しかし、それだけのことだ。確かに進歩はしているのだ。今日だって、確かに試験勉強はしなかったけれども、いろいろな事を考えた。そうだ、「主体」「客体」の概念についても扱った。これは単語100個、暗記するにも勝るに違いない、重大の認知である。これはノートに書き付けただけあって、どうやら彼の中身の薄い脳みそにも、十分以上、留まりそうである。しかし、それを扱ったことの記憶しか残っておらず、実際にどのような話であったかは、既に忘れているのである。いや、覚えていたとしても、何の役にも立たない、論理も何も在ったものではない思考だったのだが。しかし、覚えていれば、今になって、そのことに気づいたかもしれない。だがそこは、きれいに忘れているので、できない話なのである。
 うるさい!この註釈、つっこみ、なんとかならないのか。全く、ひとが真面目に考えているのに。横からいちいち、いちいち、いやらしく。そんなんだから「チンポ」などと呼ばれるようになってしまうのだぞ。少しは黙っていたらどうだ。
 ああ、しまった。自分で認めてしまった。今のは取り消し。そんなことはない。ぼくは「チンポ」ではない。取り消し、取り消し。彼は墓穴を掘るのは大得意。得意中の得意である。確かにそちらの分野に関して言えば、所謂「進歩」らしきものが日々確認される、と言えない事もない。どうやら、まだ続けて欲しいようだね。
 うるさい!うるさい!これだから、厭だ。誰もぼくにはやさしくしてくれないのだ。畜生、やってられるか。もうなんだっていいや。試験がなんだって言うんだ。何が「進歩」だ、「チンポ」「インポ」だ。もう知ったことか。寝るぞ、ほんとに寝るぞ。
 と、そのあと、一瞬の間があって、それから、彼は寝転がったまま、おやすみなさい、と声に出して、天井に向ってお辞儀をすると、ガバと蒲団をかぶった。
 五分ほどしてから、どうやら電気を消さないと寝つけないことを認めたらしく、また、尿意を催したらしく、起き出して、便所へ行ったあと、きちんと寝巻に着換えをして、目覚ましをセットし、机の明かり、部屋の明かりを、きちんと消して、彼は再び蒲団にもぐりこんだ。

(2002.4.3)-2
「マイン・カンプ」は当代の学者、何十人かかけて、何百という論文でもってようやく言い切るものを、一冊で、感覚として、経験として、言ってしまっているのだろうと思う。理窟は所詮理窟であって、実行のための必須ではない。それなしでやれるおかしなやつも、いてしまったのだ。いたもんはしょうがない。学者どもがぐちぐちと積み木を積み重ね、積み重ねして、月まで行こうとしているのを、それを嘲って、ロケット使って行ってしまったのだ、と思う。
 彼が、敵としたユダヤ人を憎み、そして、率いたドイツ人をもまた、軽蔑していたのは、間違いがないのだけれど、それはぼくにもどうやら間違いないと思えるので、それはいいのだけれど、今気になって仕方がないのは、あいつ、戦争に勝つ気があったのだろうか、ということで、もしかしたら、それだけではなかったのではないか、ということで。それでその先を少しずつ想ってみると、寒気がする。あいつは誰に何に対しての、サタンだったのだろう。彼はどこまでを弄んでいて、どこまで意図したとおりに為せなかったのだろう。いやな気がする。600万ですら、あんなもの、全部でなく、部分でしかない、と。ああ、いやだ。彼がこの本を作ったあと、完全にサタンとなったとき、そして名すらそうなったとき、いや、止めよう。実に不快な逆説だ。

(2002.4.4)-1
今年の春は、ほんとにせっかちで、せっかちで、やたらめったらその威を誇って、こっちはおかげで大迷惑。今日の風も、ひとりで馬鹿なはしゃぎよう。びゅーびゅー、ぶーぶー吹きまくって、得意顔。吹かれてみんな、くるくる廻っている、ばさばさ揺すられている。ぼくはと言えば、どうでもいい話なんだけれど、丁度いい長さの前髪で、その先が、丁度めんたまにさくっと刺さる位の、とてもいい按配の前髪で。ごみが入って片目が潰れているところへ、突然風向きが変わって、髪が顔に掛かって、それで。立ち止まったさ。両目ふさがったら、そりゃ歩けねぇべ。涙が出たさ。眼にさ、かたっぽ、ごみ、もうかたっぽ、髪の毛の先、入ったら、そりゃ、涙が出るべ。ああ、会いでぇなぁ。思ってたわけじゃない。そんな下らんことを今だに思って、たまに思っているなんて事は。ぶひ。
(2002.4.4)-2
あーホラ吹くのはたのしーなー。
(2002.4.4)-3
 太宰が、薬中になった、その前後あたりのときに、「ひそかに如上の文章を読みかえしてみて、おのが思念の風貌、十春秋、ほとんど変わっていないことを知るに及んで呆然たり、いや、いや、十春秋一日の如く変らぬわが眉間の沈痛の色に、今更ながらうんざり、云々」「言いたくなき内容、困難の形式、十春秋、それのみ繰りかえし繰りかえし、いまでは、云々」などと、「十春秋」という言葉をえらく気に入っていたようで、これをたびたび使っている(ふたつの例はどちらも「
喝采」から、他、「二十世紀旗手」等でも数回使用)。丁度、ぼくもブタ小屋掃除などとのたまって、昔書いたものをひっくり返しているところで、それで、ああ、これはこれは、わたくしも、「十春秋」、と呟きかけて、はたとそれは違うと、気がついた。「十」ではないのだ。ぼくの場合、まだせいぜい六だか、七だかでしかない。うぬぬ。いいんだか、悪いんだか。とにかく、まだ使えないのである。
 それに比べて、小谷氏、現在齢二十五、デビュー作「嘆きの雪」は、実際には十五の時の作であるので、このねぇちゃん、どうやら既に名実共に「十春秋」である。少なくとも十五のときから、えんえんとふられる歌を書きつづけているのである。どうやら、「おのが思念の風貌、十春秋、ほとんど変わっていないことを知るに及んで、、、」がやれるようである。最新作でも、残念ながらそれは少しも変わっておらん。失恋の歌は、間違いなく氏の持ちネタである。全く、いいんだか、悪いんだか。

(2002.4.4)-4
ねぇちゃんの詩は、内容で分けると、失恋を含めて、だいたい3つのパターンがあります。最近は、その複合みたいなものを作るようになってきているようですが。と、いう話は、下らないですか。
(2002.4.6)-1
 部屋に戻って、「女の決闘」第五を写して、それももうあと、一段落ほどで終わるという頃になって、電話で呼び出された。四月の第一週の金曜にあるイベントといえば、これは決まっている。それの2次会も、もう終りかけた頃にぼくは電話で呼び出された。
 ぼくは欠席していた。理由は簡単で、今のぼくはこんなで、人前でアルコールを入れると、自分が喋ることに全く責任を持てない。きっと、自分のことを棚に上げて偉そうなことを、偉そうに断定口調で喋るに決まっている。いや、普段から責任なんて全然持ってないんだけれど、それでも、結果があらかじめ想像できてしまうのに、わざわざそういうことをしに行くだけの自棄はぼくにはないし、自棄するだけの価値がそこにあるとも思っていない。それから、出席すれば、あの子に会えるのである。で、今のぼくはこんなだから。
 それで、ぼくは欠席をして、おとなしく部屋に戻って、もぞもぞ「女の決闘」を写していたのだった。そこへ電話で呼び出されたのだ。電話をかけてきた子は、相当に酔っているようで、来い、来い、としきりに誘う。はじめは、もう部屋に落ち着いてしまったし、することも、ないことはなかったので、嫌がったのだが、あの子に会える、となるとやっぱり、ぼくはあの子に会いたかった。会って、声を聴いて、笑うのを眺めたかった。情けないけれども、それはまだ、ぼくには一大事であるようだった。ぼくは、ぼくが行く頃には二次会も、きっともうほとんど終わりかけの頃で、だからあの子の顔をちょっと見る、くらいで終って、ぼくはそれで、きっと大丈夫だろう、と思った。
 じゃあ、行くよ。と答えて電話を切り、第五の残りを写し終えてから、部屋を出た。渋谷まで15分くらい。自転車。その間、何を考えていたかは、書かない。金曜の晩なので、そんな時間でも、人通りが結構多かった。それくらい。正確には、書けない、で、つまり、そのときのことを何にも覚えてないんだ。
 着いたのは11時半くらいだった。ちょうど2次会が終ったあたりだったので、ぼくは結局参加せずに、飲み屋の入っている、109の側のビルの前で、一行が出てくるのを待った。電話をかけて来た子がぼくを見つけて、やたらと絡んでくる。今日のその子は、かなりタチの悪い飲みっぷりだったようだった。いろいろ溜まっている、ということは少し、知っている。でも、ぼくに言える言葉は、ほとんど無い。ぼくは笑ってその子の相手をしながら、あの子を探した。あの子は、店からまだ出て来ないようだった。もしかすると、来ていないのかも知れない。2次会まで残らなかったのかも知れない。それも知らずに、実はぼくは来ていた。でも、あの子の性格からして、その可能性は低い。多分、一番最後に出てくるんだろう。
 絡んでくるその子やら、同期やら、先輩やら、新人やらと適当に話をしながら、ぼくはあの子が出てくるのを待った。なかなか出て来ない。ああ、居ないんだ。そうか。それもいい。少し諦め加減の心持で、ぼくは煙草を取り出して、火を点けた。それも、いい。いや、多分、それが、いい。
 その煙草を吸い終わる頃にぼくはようやくあの子を見つけた。その少し前に出てきていたようだった。他の同期と何やら喋っている。どう書こう。こんな記述形式にしたのは失敗だった。おかげで、ぼくのつたない脳みそでは、こう書くしかなくなってしまった。
 ぼくは息を飲んだ。悪酔いしている子が、何やらぼくの左腕で遊んでいた。よく芝居や、漫画等の演出で、雑踏の中で急に周囲が暗くなり、スポットライトが二つ、というのがあるけれど、あれに近い。見つけた瞬間から、あの子は周囲から浮かび上がった。でも、そういう演出と今は、いくつか違っていて、それは、あの子はまだぼくには気が付いていなくて、それから、ぼくはあの子を正視できなかったということだ。そう、ぼくはあの子を正視できなかった。太陽を直接長時間眺めることはできない、というのとは、いや、それとはまた少し違う。そういう物理的な要因からではなくて、なぜだか、ぼくはあの子を見てはならない気がして仕方が無かった。それで、眼を逸らした。あの子は綺麗になっていたのだ。
 ぼくはチラッとあの子を見ては、綺麗だ、と思って、すぐに視線を逸して、雑談に戻ったり、駅へ流れてゆく人々を眺めたり、うつむいて、ガムや煙草の吸殻の散らかった路面を見つめたりした。そのうちに、あの子もぼくが来ていることに気がついたようで、あの子もどうやらぼくを正視できていないようだった。あの子がそういう態度を示してしまうようになったのは、少し理由があって、それは書きたくないので、書かないけれど、まあ、そんなに大した話じゃない。ぼくがこないだ、一時期、ちょっと暴れた時に、少し溢れてしまっただけだ。
 ぼくもチラチラあの子を見て、あの子もチラチラこちらを見ていたのだけど、視線が合うことは無かった。どちらも意識的にそれを避けていた。眼があったら、どうしていいのかわからないのだ。恐らくうまく笑えないだろう。挨拶をするのも、それすら難しいように思えた。そして、一度眼があってしまって、その先はあまり考えたくないな。いや、実際にはいっぱい考えたのだけれど。書くのは、止しましょう。
 あの子は、どうやらそれに耐え切れなくなったようで、ぼくに背を向けて、誰やらと話し始めた。もう、あの子しか見ていなかったので、誰やらというのが、誰だったか、本当に覚えていない。ぼくの方は、やっぱりチラチラとあの子を見ていた。綺麗だった。
 ぼくは結局、あの子に会えなかった。あの子を見た、だけだった。笑うところも見れなかった。声も聴けなかった。ぼくは見つめる以外の何をしても、危ない気がして、何もできなかった。できることと、したいことと、してしまうであろうことと。できることは、したいことを、全く満たさなかった。全てそれらは、してしまうであろうこと、でしかなかった。それをしないためには、ぼくはあの子に近づいてはならなかった。ぼくはそうして、動けずに、あの子をただ見つめていた。そのうちに、あの子はそのまま帰ってしまった。ぼくはそのうしろ姿が人ごみに混じって消えてしまうまで目で追いかけた。見えなくなったとき、多分、少し安心していたと、そう思う。
 それから、ぼくは、なんだかよくわからないまま、あの子が居なくなったあとも、そこに残っていた。最後までその場にいた、ぼくの周囲の人たちが歩き始めたので、ぼくも歩いた。どうやらカラオケに行って、どうのこうのということらしかった。ぼくはよくわからずに、それについて歩いた。乗ってきた自転車は、例の子が乗りたいと言い出したので、譲っていた。
 なんだか、よくわからないけれど、そのあと、結局カラオケに行った。帰りたいとずっと思っていた。よく部屋の外へ脱け出して煙草を吸った。それで、こんなことを考えていた。
 なんで、あの子が綺麗にならなくちゃならないんだろう。確か、ふられたのはぼくのほうでしたよね。ええと、それは、間違いないですよね。で、なんで、あの子が綺麗になるんですか。なんで、ぼくはこんなになってしまっているんですか。間違ってませんか、それ。ええと、確か、こういうとき、綺麗になるのはふられた方ということになっていませんでしたっけ。ええと、違いましたっけ。おかしいなぁ。それって笑えないだけと違いますか。おかしいなぁ。
 しかし、ほんとに綺麗だった。馬鹿みたい。言うのではありませんでした。ええと、ええと、、、ぼくはあの子を殺したいなぁ。。。あれ、それは駄目か。ああ、駄目だ。あの子を殺して、あの子がぼくの中にしかいなくなったら、それは駄目だ。全然嬉しくない。あの子はぼくの中にいるくせに、永遠にぼくを拒絶しつづけ、それで、ぼくは毎日悶絶しなければならない。
 なんだこりゃ。なんだこりゃあ。なんだこりゃあって、言ってんだよ。アホか。アホか。お前アホだろ。そうだ、アホだ。帰りたいなぁ。帰りたいなぁ。帰ったからといってどうなるわけでもないんだけど。帰りたいなぁ。あの子を知らない頃へ、帰りたい。ってやつだろうか。面白くも何ともない。
 ああ、綺麗だ。綺麗だ。まだ、眼に焼き付いている。どきどきする。困ったなぁ。なんだこれ。なんだこれは。わからねぇ。なんか、納得いかねぇ。なんで。何が、なんで?わからん、わからん。全部なんで、なんで。なんで、ぼくはあの子、
 もういい。。。あの子は綺麗でした。ぼくは遠くからそれを見てるだけでした。それだけ。終わり。終わり。終わり。終ってしまえ。
 カラオケは、最近の煙草の吸いすぎのせいかわからないけれど、声が出なくなっていた。それでも、地声で、「イオン」を歌った。その選曲は、どうなんだ、と言われた。こうなんだ。とは、答えず。
 残念なことに、カラオケで聴かされるいくつもの恋の歌は、どれも不十分だった。ミュージシャンなんて、みんなヘタクソな空想家だと、思った。
 結局、そこで夜を明かした。
 でも、この歌、あげる。カラオケで聴いた曲からではなくて。小谷氏。

 光の穴

I LOVE YOU それは自由だね
いいのよ誰であろうと
生涯友達のままの
届かぬ鳥に恋しても

「向うに行けないのかな」
夜にあいた 光の穴
夜の空に嫁いだ月が
夜の空に光を導いた

愛するわ 密やかに  愛するわ 見上げるわ
背中を見れない見惚れてしまう  体の奥で噛みしめるわ

I LOVE YOU 畏れることはない
この世にいてもいなくても
生涯触れることのない
届かぬ夜に恋しても

あなたは夜の空になった
あなたにあいた 光の穴
時に星は見てるだけがいい
誰も捕りに行っちゃだめよ

愛するわ 密やかに  愛するわ 見上げるわ
眠った髪を優しく撫でたい  体の奥で噛みしめるわ

愛するわ 密やかに  愛するわ 閉じ込めるわ
愛するわ 密やかに  愛するわ 見上げるわ
眠った髪を優しく撫でたい  体の奥で噛みしめるわ
Music & Lyrics: Misako(一部変形)

 6時に部屋に戻って、すぐに眠った。昼過ぎに起きたら、胸のあたりが熱かった。また後ろ半分がなくなっていた。それで、ああ、そうか。と思った。そして、ぼくは、後ろ半分がない、から逃れようと、横になって蒲団にもぐり、体を丸め込んだ。でも、後ろ半分がない、はやっぱりそのままついて来ていて、ぼくのうしろがない、はなくならないので、また、逃げようと、くるりと90度、もう一度、もう一度、そうしてぼくは蒲団の中で一回転して。諦めて書くことにした。
(2002.4.8)-1
問題をすりかえているように映る。けれども、ある種の問いに応えるためには、ひといっこに関わる凡ての事柄をひとまとめにして扱わなければならないのかも知れない。
(2002.4.8)-2
風の中に葉と葉が触れあう音が聴こえます。ですから、若葉色でやりましょう。
(2002.4.8)-3
 自分に正直である事がよいことか。逃げない事は、果してよいことか。本当にしたいことをするのは、間違いなくよいことか。自身の内なる正義に誠実であるのは、最も素晴らしいことなのか。
 これらのことをしたり顔で肯定する人間は、ぼくがそいつを殺したいと、心の底から願い、断乎たる決意して、その結果、自身、殺害されんとする憂目に遭った時に、やはり、今のいままで吐いていたその言葉に誠実であり続け、ぼくの正面に立ち、ぼくの不遜なる挑戦を全力で排撃してくれるだろうか。ぼくが卑劣なる手段で以って、その意図知らせる事なく、それを遂行し、それによって自身が倒れ、地に伏せ、土を噛み、自身の流す血の生臭さに鼻を支配されても、薄れてゆく意識の中で、まだ己が信念の正統、護っていてくれるだろうか。そうであるなら、ぼくは、その人を殺してあげる。その覚悟、ぼくの中に作ってあげる。それはその人にとって、最も誇り高き最後であろう、とぼくは信ずる。それとぼくは心中してあげる。
 しかし、もし、そうでないなら、ぼくに向ってその言葉、二度と吐くな。その程度の事、あなたに教えられずともよい。その得意顔、満面の白痴の様、まことに目障りである。居ね。

(2002.4.8)-4
 しかし、彼は無力であった。意志にも欠けるものがあった。それで、彼は、届かぬ叫び、無色透明の反乱の狼煙、正統への罵詈雑言、それらをひとしきり宙に向けて、まくし立てた後、子羊一匹拾ってきて、その細い首に可愛い赤い輪を付けて、共に静かに、冬の川の水へ沈んでいった。
(2002.4.8)-5
暑い。外気と乖離する体はやがて摩擦熱によって気化する。
(2002.4.8)-6
やってることがいちいち、古くさいんだよね。遺物、かえって、汚物。ブタも食わん。犬は後ろ足で土を被せる。しかめっ面に、艶はねぇよ。全く、大安売りだ。
言ってることが、いちいち、媚びてるんだよね。イイエ、コレハ、サーピスデス。。。バーカ。不細工にはサービスの資格もねぇんだよ。

(2002.4.8)-7
同軸上で旋回する無為の。体をよじって逃れましょう。新しい場所は、どのようにしてあなたを迎えましたか。

(待つ)
 省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。
 市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷たいベンチに腰をおろし、買い物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているのです。上り下りの電車がホームに到着する毎に、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、そうして思い思いの方向に散って行く。私は、ぼんやり坐っています。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。胸が、どきどきする。考えただけでも、背中に冷水をかけられたように、ぞっとして、息がつまる。けれども私は、やっぱり誰かを待っているのです。いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。どんな人を?いいえ、私の待っているものは、人間でないかも知れない。私は、人間をきらいです。いいえ、こわいのです。人と顔を合わせて、お変わりありませんか、寒くなりました、などと言いたくもない挨拶を、いい加減に言っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持になって、死にたくなります。そうしてまた、相手の人も、むやみに私を警戒して、当らずさわらずのお世辞やら、もったいぶった嘘の感想などを述べて、私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、いよいよ世の中がいやでいやでたまらなくなります。世の中の人というものは、お互い、こわばった挨拶をして、用心して、そうしてお互いに疲れて、一生を送るものなのでしょうか。私は、人に逢うのが、いやなのです。だから私は、よほどの事でもない限り、私のほうからお友達の所へ遊びに行く事などは致しませんでした。家にいて、母と二人きりで黙って縫物をしていると、一ばん楽な気持でした。けれども、いよいよ大戦争がはじまって、周囲がひどく緊張してまいりましてからは、私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変わるい事のような気がして来て、何だか不安で、ちっとも落ちつかなくなりました。身を粉にして働いて、直接に、お役に立ちたい気持なのです。私は、私の今までの生活に、自身を失ってしまったのです。
 家に黙って坐って居られない思いで、けれども、外に出てみたところで、私には行くところが、どこにもありません。買い物をして、その帰りには、駅に立ち寄って、ぼんやり駅の冷たいベンチに腰かけているのです。どなたか、ひょいと現れたら!という期待と、ああ、現れたら困る、どうしようという恐怖と、でも現れたときには仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、私の運がその時きまったしまうのだというようなあきらめに似た覚悟と、その他さまざまのけしからぬ空想などが、異様にからみ合って、胸が一ぱいになり窒息する程くるしくなります。生きているのか、死んでいるのか、わからぬような、白昼の夢を見ているような、なんだか頼りない気持になって、眼前の、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思われて、世界がシンとなってしまうのです。ああ、私は一体、何を待っているのでしょう。ひょっとしたら、私は大変みだらな女なのかも知れない。大戦争がはじまって、何だか不安で、身を粉にして働いて、お役に立ちたいというのは嘘で、本当は、そんな立派そうな口実を設けて、自身の軽はずみな空想を実現しようと、何かしら、よい機会をねらっているのかも知れない。ここに、こうして坐って、ぼんやりした顔をしているけれども、胸の中では、不埒な計画がちろちろ燃えているような気もする。
 一体、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何も無い。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷たいベンチに腰をかけて、待っている。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。私の待っているのは、あなたでない。それでは一体、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。
 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉、五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍らせて待っているのだ。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行く。あれでもない、これでもない。私は買い物篭をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。

(2002.4.8)-8
太宰です。
(2002.4.8)-9
呼びかけても、笑っているだけ。こちらには来ない。なくしようが、ない。ところで、話は変るけれど、こうしてあの子の名前を打つとね、ぼくは大変なことになるんだ。****。ほら。
(2002.4.8)-10
何事も、君、生きるための方便だよ。
(2002.4.9)
ぼくの言葉が人を壊さない保障はありますか。ぼくが狂ったとき、誰かを巻き込まないという保障は、どこかにありますか。あなた、ぼくに触れてはいけません。ぼくはそれを拒まないでしょう。けれども、だまされてはいけません。触れたところにはしるしがつきます。消えないしるしが残ります。ぼくはそのしるしを持った人を決して忘れません。光を失ったものが、はじめに何を頼るか。思い出してください。その力が、どのような形を採るか。少しだけ、考えてください。
(2002.4.10)
一昨日暑かったから、昨日今日と少しずつ薄着にしてみたら、今日は寒かった。力ナシ。上着を着たら暖かい。袖の先で、軽く頬を撫でた。まだ、ある。
(2002.4.11)-1
 昼御飯を早く食べ終わってしまったので、ぼくは煙草を取り出して、食べ終わるのを待っていた。この駅前の中華料理店はとても狭くて、そこにピッチリと隙間無く、小さな二人用のテーブルを並べて、3人以上の客に対してはテーブルを2つ合わせて使っている。奥の椅子に座っていると、通路に出る時は身体を横にしなくてはならない。
 隣のテーブルは、3歳くらいの男の子と、その母親と、祖母と、ベビーカーに収まっている赤ちゃん、多分女の子、の2+0.5+0.1人のお客さまで、二人用のテーブルをふたつ合わせて使っていた。ぼくのすぐ横には、その3歳くらいの男の子が座っていた。白いシャツを着て、なかなか利発そうな子だ。どうやら、妹ができて、お兄ちゃんとしての自覚に目覚めたようで、あまり駄々もこねずに、きちんと母親の言うこと聞くようにしているようだった。懸命にぴんとしていて、その様子がとてもかわいらしい。
 ぼくはその子の隣でボケっと煙草を吸っていた。また、くるくるまわしていたのだ。すると、その子が、ぼくのことを真っ直ぐに、しばらくジーっと見つめて、そのあと、出し抜けに、
「外でやればいいのに。」
と言った。
 ぼくはそれで、ああ、そうか、とようやく気がついて、
「言われてしまった。」
などと、ぼそぼそ呟きながら、苦笑いして、灰皿に火のついた煙草を押し付けた。
 母親は、何も言わなかった。祖母は、小声で「これ。」と囁いた。ぼくは、できた母親だと、この子の母だと、少し思って、嘘んこの反省をして、意味なく姿勢を正してみたりした。何も変わらないのに。
 ぼくはね、大人になったら自然に正しくなるんだと、そういうものなんだろうと、思っていたんです。自分でも見違える、ようになるんだと、そう思っていた。
 でも、それは、間違いでした。みんなみんな、間違っていました。

(2002.4.11)-2
日に何度か、背中を触っています。思うよりも、やっぱり背中、厚いようです。まだ、空気のはずのところで、ぼくの手は、パサっとぼくの背中に触れます。帰りは小雨が音を立てずに降っていました。ぼくは部屋に着くまで気がつきませんでした。
(2002.4.11)-3
そろそろ、終りそうです。
(2002.4.11)-4
けれども、その前に、ぼくが大事にしなかったもの達へ、少しずつお詫びを、ただ気持ばかりのお詫びを、ほんとに気持だけでして、それからにしたいと、思います。
(2002.4.11)-5
お話することができて、嬉しかった。ありがとう。
(2002.4.11)-6
 ぼくは何も大事にしなかった。自意識ばかり肥らせてきた。それが、大事にする、ことだと考えていた。それも、間違いでした。自分を大事にする、というのは、間接的にしか成り立たないもののようです。自分のいる場所を、自分のしている事を、自分と接している人を、自分のためにあるものを、自分の愛する人を、自分が今生きている、この一日を、自分のやりいいようにではなく、相手のいいように、大事にしたいものにいいように、そういうふうにやるのが、大事にするということで、それの集まりが、自分を大事にする、という事だったのでした。ぼくが思っていた、滅私、こそが実は自分を、丁寧に扱うという事なのでした。それ以外には、それは為しえないのでした。
 今更、そんな当り前の事に気がついて、却ってぼくは笑っています。呆れてもの言えません。もう、それをどうこうするのは面倒です。捨てていいと、思います。惜しいとは、どうしても思われません。

(2002.4.11)-7
つつじの花が、通りかかったぼくの目の前で、ひとつ、はらと散ったのです。違いがあると思いますか。
(2002.4.11)-8
それでも、ひとつよかったと思うのが、日常の文章の中で何気なく使われている、ありふれた言葉に、それを書く人がどれだけの思いを込めているかということを、少しわかりかけてきたことです。みんな、ぼくのように適当なところから、それを出しているのではなかった。ぼくのように、へらへら笑っているのではなかった。煙草ふかして、宙を眺めて、はぐらかしているわけではなかった。ひとというのは、もっと言葉を大切に思っているのだと、それがようやく少しわかってきて、それはぼくも単純に嬉しいと思いました。ぼくはやっぱりひとでありませんでした。できそこないの粘土細工でした。中に蓄音機が入っている。外殻だけの、硬い置物でした。部屋の隅でずっと、へんてこなポーズだけしていればいいものを。なぜか、心臓がついていました。気に入りません。間違っていると思います。人肌、求めます。真心、ふたつを、ひとつに、したいと思っています。愚かであります。間違っています。名前を書くと、また、自動的に。信じられない。間違っていると思います。
(2002.4.11)-9
少しだけ、無念に思います。
(2002.4.12)-1
やっぱり飲むものではありません。ひとこと、ふたこと。みこと、よこと。べらべら、べらべら。大事なひとを、大事にすること。ぼくにだって、できやしません。顔に似合わず、自分省みず、正論、吐きすぎました。でも3日間、何も食べていないと言っていたから、それは、少しよくないと思ったから。。。いいえ、そうです。やはり、ですぎておりました。
(2002.4.12)-2
どこが好きだったの。と聞かれて、わからない、と答えた。馬鹿か。そんなに好きだったのなら、
(2002.4.13)
いなければよかったの。


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