tell a graphic lie
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(2002.4.15)
神様が欲しい。
(2002.4.21)-1
 15日のものについて。
 へんてこな温度をした月曜日に窓を開けて、風の音に似た、けれども地べたから立ち昇るような、環七や246に連なる自動車たちの立てる東京の音を遠くに聴きながら、また太宰を、日曜から読んでいる「右大臣実朝」の先を読んで、ねぇ、なんだか落ち着かない。地面を撫でて滑り、ひとところに留まれない、あの音たちと同じかな。外気は風として流れ込むのではなく、開け放った窓の形をした四角の型から搾り出されるようにして、ゆっくりと夜と一緒に部屋に入ってくる。ぼくは壁の側にイスを置いて、壁に背を付けて座って、読んでいる。へんな温度、へんな空気の流れ。
 しばらくして読み疲れてしまって、文の途中で本を閉じて、顔を上げて部屋を眺める。と、眼の前を、緩んだゼンマイのようにぎこちなく滞りながらも、やはりそこには落ち着けずに、何かが動いて、流れてゆく、ように、見えた。ぼくはしばらくそのまま、部屋に隙間なく満ちて、そしてその形のまま、無音のままずれて、どこかへいってしまう、その何かのことを、何なのだろうと、ぼんやりと眺めていた。
 思い浮かぶよりも、ぼつりと先に声として。声は、掠れた空気ばかりの声だった。ぼくは誰が言ったのかと驚いて、思わず自分の口を見ようとした。それは無理だと、うつむいてみてから気がついて、それで指先でもう閉じてしまった唇に触れた。
 そのままでしばらくしてからようやくその意味に気がついて、苦笑を少し。あたりをゆっくり見回した。誰も見ていませんように、なのかな。わからない。
 その後、風呂に入って、その事を少し考えて、試しにもう一度言ってみると涙が出ました。いやなところへ来たなぁ、と、止めて欲しいなぁ、と、思いました。それで、また、鼻で苦笑い。お湯で顔を拭って、そのまま湯船の中でしばらく眠りました。

(2002.4.21)-2
 これのせいで、信仰について少し考えている。今更何を、と自分でも思う。全く時代錯誤的な発想であるし、個人的な話としても既に手遅れの話である。
 こんなことを言い出すのはきっと、もともとよじれているところが、更によじれてよじれた結果、擬似的にさらりと真っ直ぐしたような状態になったためだと思う。おかげで今週書いた他のものは全文削除せざるを得なくなった。馬鹿な話だ。
 何を今更、それは要らないと言いつづけて来たのは自分でしょう。もう、ひとりでやる他ないんです、と笑って言うようになってしまおうと、決めたのは自分でしょう。それを今更。
 信仰というのはね、小さい頃からゆっくりと時間をかけて作るものです。理窟ではないのだから、そうして作るしかないんです。こんな歳になってから、それが欲しいとか言い出しても、それは無理な話です。ろくな結果にならない。とってつけたような一体化をして、とってつけたようにはしたなく狂うだけです。そのあたりのことは、いくつかの事例を見れば明らかな話だ。無理して狂乱の宴に参加することはない。そんなもの、このままでいても、いつかはやってくる。
 ねぇ、そうだよね、太宰君。ぼくらはキリストに共感はできても、崇める事はできない。手本にする事はあっても、尊いものだとは思わない。教会に行くだけで神聖な気持ちになるなんてことは、この先も永遠に、ない。常にそこに入っている人間を見る。美術の個々の質と、その調和の様を眺めて、それに点数をつける。念仏は、都合の悪いときにだけ都合のいいように使い、禅問答は虚無のトークショーだとしか捉えない。結局、別になんでもない、同じなんだ。そう言ってしまう。ぼくらはもう、基本的に、且つ不変的に不敬なんだ。不敬罪終身禁固刑。迷って暮せ。そのまま終われ。神様の救いは頂けません。見世物としてしか見れません。外からやってくる真実は、嘘臭い、黴臭い、小便臭い、ぺっと撥ね付け、内なる真実は、なんだこんなものかと、左手で自身の鼻をつまんで、右手の親指、人差し指でそれをつまみあげて、眼の高さに持ち上げて、二度三度プラプラさせて、一言、みみっちい、と。ごみ箱ポトン。
 そういう人間が、今更、ぼそりと、そんなことを、自分の知らないところから言い出してしまって。全くもう。どうするんですか。それは、キリストが必要ですよ。どうするんですか。ぼくらはユダみたいに恵まれてはいない。
(2002.4.21)-3
労苦を厭う。
(2002.4.21)-4
極めて古臭い。現代的なものに置換せねばならん。ぼくらは、金持ちだ。あんまりにも働かなくてもよすぎるので、暇つぶしに編み出したチープなロジック遊戯で自己陶酔。TVゲームは心地よいですか。ボタンを押すと銃から弾丸が出ます。オートマチックってぇ、機械式ってぇやつです。押してるだけで、ほら弾丸が、いっぱい。真っ直ぐ闇の中へ飛んで、壁は少しも傷付きません。人はそれで死にますけれども。ほら、音も、最近は、どるびーさらうんどで、臨場感抜群。断末魔も、ほら、このとおり。ぐぁぁぁあぁぁぁあああぁ。ざまぁねぇや。あ、これは俺の声だ。全く、誰が言ったんだかわかりゃしねぇ。それから、映画は考えさせてくれますか。退屈で寝るのも一興。入れ込んで泣くのも一興。使命感を移し込むのも一興。巡航ミサイルを撃つ人は、窓ひとつない薄暗い部屋のなかで、煌々と光るディスプレイを見ながら、座標を入力するそうですよ。1234の5678。多分、次は910とくらぁ。ほいほいな。9の10の、よし、入力完了。発射、発射、あれ、ボタンはどれだっけ。ああ、これだ。これこれ。いくぞ、ポチっとなー。たーまやー。って、窓ねぇから見えねぇよ。なんだよ、クソ面白くねぇ。そうだよ、この部屋にもよ、でっかいスクリーン、真中に置いてよ、管から飛び出すところと、着弾するところを、臨場感たっぷりの鮮明な映像で御覧になることができましても、よろしいんじゃあございませんか。ねぇ、映画みたいに。これじゃあ、ただの入力オペじゃないですか。時給950円。こんなところまでやって来て、作業はこれですか。マイク付きヘッドホンしてるけど、使ってねぇよ。なんだよ。メモ紙手渡しかよ。遠隔地勤務手当て出せ、コノヤロー。投げやり。投擲。インタネットは刹那的ですね。オナペッツですね。ぼくたん一番偉いの。エライノ。エライノダー。お前却下。俺最高。うっはー。素晴らしい。なんて、なんていいところなんだ。天国だってこうはいくめぇ。ある意味地獄ね。入ったら脱け出せないね。アハハのハ。くだらねぇ。みんな珍しいものが大好きです。あ、はい、自分は珍しくも何ともありません。買うことだけが生き甲斐です。見ることだけが真実です。自分は何でもありません。労苦を厭う。一秒のおだてが欲しい。ぼくらは金持ちだ。倫理は要らない。規則は隠れて破る為にあるんです。楽しいなぁ。アンダーグラウンドな感じって、これはこれは、もう、蜜の味、ともちょっと違いますが、あはは、何言ってんだろ。くだらねぇ。飽いてきたぞ。次を出せ、次を。慣れればお前の顔も面白くも何ともねぇや。おら、次を出せ、次を。あ、俺の言ってることも、相も変わらずそれだけか。アハハ、馬鹿やろー、おれぁ客だ。金払ってんだ。いいから、次だ、次ぃー。やがて欲望にも食傷気味でおはしまして、ほら、胃が爛れています。胃薬、胃薬。最近は飲み易いのやら、一日一度でいいのやら、いろいろと便利になったもんで。ほら、これこれ、便座エース。ああ、変換が、どうでもいいや。あれれ、これって胃薬でしたっけ。知らんよ。知らん知らん。何でもいいよ、飲めば効く。みんな同じおんなじ。地球の仲間だ。友達なんだ。などと、眼を合わせず言い放ち、結局面倒になったから、毎日同じものばかり見ている、だけのことで。毎日同じものばかり見ている。毎日同じものばかり見ている。毎日同じものばかり見ている。毎日同じものばかり見ている。毎日同じものばかり見ている。時間が潰れればいい。ちょっと意見が通ればいい。その狭間、魔物が肥えふとる。やがて孵化。ああ、久しぶりの面白げな見世物です。感覚が伴っている。素晴らしい。リアルだ。よくできている。素晴らしい技術革新。次世代の表現。腹が破れている。

(2002.4.21)-5
以下、太宰。「もの思う葦」より抜粋。
(最後のスタンドプレイ)
 ダヴィンチの評伝を走り読みしていたら、はたと一枚の挿画に行き当たった。最後の晩餐の図である。私は目を見はった。これはさながら地獄の絵掛地。ごったがえしの、天地振動の大騒ぎ。否。人の世の最も切なき阿修羅の姿だ。
 十九世紀のヨオロッパの文豪たちも、幼くしてこの絵を見せられ、こわき説明を聞かされたにちがいない。
「われを売るもの、この中にひとりあり。」キリストはそう呟いて、かれの一切の希望をさらっと捨て去った、刹那の姿を巧みにとらえた。ダヴィンチは、キリストの底しれぬ深い憂愁と、われとわが身を静粛に投げ出したるのちの無限のいつくしみの念とを知っていた。そうしてまた、十二の使徒のそれぞれの利己的なる崇敬の念をも悉知(しつち)していた。よし。これを一つ、日本浪漫派の同人諸兄にたのんで、芝居をしてもらおう。精悍無比の表情を装い、斬人斬馬の身ぶりを示して居るペテロは誰。おのれの潔白を証明することにのみ急なる態のフィリッポスは誰。ただひたすらに、あわてふためいて居るヤコブは誰。そうして、最後に、かなしみ極りかえって、ほのかに明るき貌の、キリストは誰。
 山岸、あるいは、自らすすんでキリストの役を買って出そうであるが、果して、どういうものであるか。中谷孝雄なる佳き青年の存在をもゆめ忘れてはならないし、そのうえ、「日本浪漫派」という目なき耳なき混沌の怪物までひかえて居る。ユダ。左手もて何やらんおそろしきものを防ぎ、右手もて、しっかと金嚢を掴んで居る。君、その役をどうか私にゆずってもらいたい。私、「日本浪漫派」を愛すること最も深く、また之を憎悪するの念もっとも高きものがあります故。

(審判)
 人を審判する場合。それは自分に、しかばねを、神を、感じているときだ。

(無間奈落)
 押せども、ひけども、うごかぬ扉が、この世の中にはある。地獄の門をさえ冷然とくぐったダンテもこの扉については、語るを避けた。

(小志)
 イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録(しる)されてあったけれども、
 妻よ、
 イエスならぬ市井のただの弱虫が、毎日こうして苦しんで、そうして、もしも死ななければならぬ時が来たならば、縫い目なしの下着は望まぬ、せめてキャラコの純白のパンツ一つを作ってはかせてくれまいか。

(ポオズ)
 はじめから、空虚なくせに、にやにや笑う。「空虚のふり。」
(返事)一部抜粋
-----「ああ、やっぱりヒットラーに限る!あの颯爽(さっそう)たる勇姿、動作の俊敏、天才的の予言!」などという馬鹿な事になるようですが、私はそのヒットラーの写真を拝見しても、全くの無教養、ほとんどまるで床屋の看板の如く、仁丹(じんたん)の広告の如く、われとわが足音を高くする目的のために長靴(ちょうか)の踵(かかと)にこっそり鉛をつめて歩くたぐいの伍長あがりの山師としか思われず、私は、この事は、対戦中にも友人たちに言いふらして------
 正解。流石に同類、瞬時に見分ける。

(或る実験報告)
 人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。
(ふと思う)
なんだ、みんな同じことを言っていやがる。
(健康)
 なんにもしたくないという無意志の状態は、そのひとが健康だからである。少くとも、ペエンレッスの状態である。それでは、上は、ナポレオン、ミケランジェロ、下は、伊藤博文、尾崎紅葉にいたるまで、そのすべての仕事は、みんな物狂いの状態から発したものなのか。然り。間違いなし。健康とは、満足せる豚。眠たげなポチ。

(一歩前進二歩退却)
 日本だけではないようである。また、文学だけではないようである。作品の面白さよりも、その作家の態度が、まず気にかかる。その作家の人間を、弱さを、嗅ぎつけなければ承知できない。作品を、作家から離れた署名なしの一個の生き物として独立させては呉れない。(以下略)

(放心について)
 森羅万象の美に切りまくられ踏みつけられ、舌を焼いたり、胸を焦がしたり、男ひとり、よろめきつつも、或る夜ふと、かすかにひかる一条の路を見つけた!と思い込んで、はね起きる。走る。ひた走りに走る。一瞬間のできごとである。私はこの瞬間を、放心の美と呼称しよう。断じて、ダス・デモニッシュのせいではない。人のちからの極致である。私は神も鬼も信じていない。人間だけを信じている。華厳の滝が涸れたところで、私は格別、痛嘆しない。けれども、俳優、羽左衛門の壮健は祈らずには居られないのだ。柿右衛門の作ひとつにでも傷をつけないように。きょう以後「人工の美」という言葉をこそ使うがよい。いかに天衣なりといえども、無縫ならば汚くて見られぬ。
 附言する。かかる全き放心の後に来る、もの凄まじきアンニュイを君知るや否や。

(一日の労苦)
 一月二十二日。
 日々の告白という題にしようつもりであったが、ふと、一日の労苦は一日にて足れり、という言葉を思い出し、そのまま、一日の労苦、と書きしたためた。
 あたりまえの生活をしているのである。かくべつ報告したいこともないのである。
 舞台のない役者は存在しない。それは、滑稽である。
 (中略)
 もっともっとひどい孤独が来るだろう。仕方がない。かねて腹案の、長い小説に、そろそろ取りかかる。
 いやらしい男さ。(以下略)

(或るひとりの男の精進ついて)
「私は真実のみを、血まなこで、追いかけました。私は、いま真実に追いつきました。私は追い越しました。そうして、私はまだ走っています。真実は、いま、私の背後を走っているようです。笑い話にもなりません。」

(かすかな声)
 信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに拠って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。

 信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分のていたらくに就いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。

 信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。それゆえに人に笑われても恥辱とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜!

 だまされる人よりも、だます人のほうが、数十倍くるしいさ。地獄に落ちるのだからね。

 不平を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。「共栄」を支持せよ。信ずべき道、他に無し。

 甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。

「生活とは何ですか。」
「わびしさを堪える事です。」

 自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。

「敗北とは何ですか。」
「悪に媚笑(びしょう)する事です。」
「悪とは何ですか。」
「無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません。」

 議論とは、往々にして妥協したい情熱である。

「自信とは何ですか。」
「将来の燭光(しょっこう)を見た時の心の姿です。」
「現在の?」
「それは使いものになりません。ばかです。」

「あなたには自信がありますか。」
「あります。」

「芸術とは何ですか。」
「すみれの花です。」
「つまらない。」
「つまらないものです。」

「芸術家とは何ですか。」
「豚の鼻です。」
「それは、ひどい。」
「鼻は、すみれの匂いを知っています。」

「きょうは、少し調子づいているようですね。」
「そうです。芸術は、その時の調子で出来ます。」

(徒党について)
 徒党は、政治である。そうして、政治は、力だそうである。そんなら、徒党も、力という目標を以て発明せられた機関かも知れない。しかもその力の、頼みの綱とするところは、やはり「多数」というところにあるらしく思われる。

 ところが、政治の場合に於いては、二百票よりも、三百票が絶対の、ほとんど神の審判の前に於けるがごとき勝利にもなるだろうが、文学の場合に於いては少しちがうようにも思われる。

 孤高。それは、昔から下手なお世辞の言葉として使い古され、そのお世辞を奉られている人にお目にかかってみると、ただいやな人間で、誰でもその人につき合うのご免、そのような質(たち)の人が多いようである。そうして、所謂「孤高」の人は、やたらと口をゆがめて「群」をののしる。なぜ、どうしてののしるのかわけがわからぬ。ただ「群」をののしり、己れの所謂「孤高」を誇るのが、外国にも、日本にも昔はみな偉い人たちが「孤高」であったという伝説に便乗して、以て吾が身の侘しさをごまかしている様子のようにも思われる。

「孤高」と自らを号しているものには注意しなければならぬ。第一、それは、キザである。ほとんど例外なく、「見破られかけたタルチュフ」である。どだい、この世の中に、「孤高」ということは、無いのである。孤独ということは、あり得るかもしれない。いや、むしろ、「孤独」の人こそ多いように思われる。

 私の現在の立場から言うならば、私は、いい友達が欲しくてならぬけれども、誰も私と遊んでくれないから、勢い「孤低」にならざるを得ないのだ。と言っても、それも嘘で、私は私なりに「徒党」の苦しさが予感せられ、むしろ「孤低」を選んだほうが、それだって決して結構なものではないが、むしろそのほうに住んでいたほうが、気楽だと思われるから、敢えて親友交歓を行わないだけのことなのである。

 それでまた「徒党」について少し言ってみたいが、私にとって(ほかの人は、どうだか知らない)最も苦痛なのは、「徒党」の一味の馬鹿らしいものを馬鹿らしいとも言えず、かえって賞讃を送らなければならぬ義務の負担である。「徒党」というものは、はたから見ると、所謂「友情」によってつながり、十把一からげ、と言っては悪いが、応援団の拍手のごとく、まことに小気味よく歩調だか口調だかそろっているようだが、じつは、最も憎悪しているものは、その同じ「徒党」の中に居る人間なのである。かえって、内心、頼りにしている人間は、自分の「徒党」の敵手の中に居るものである。

 自分の「徒党」の中に居る好かない奴ほど始末に困るものはない。それは一生、自分を憂鬱にする種だということを私は知っているのである。
 新しい徒党の形式、それは仲間同士、公然と裏切るところからはじまるかもしれない。

 友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い。

(悶々日記)一部抜粋
 月 日
 語らざれば、うれい無きに似たり、とか。ぜひとも、聞いてもらいたいことがあります。いや、もういいのです。ただ、----ゆうべ、一円五十銭のことで、三時間も家人と言い争いいたしました。残念でなりません。

(Confiteor)
 昨年の暮、いたたまらぬ事が、三つも重なって起り、私は、字義どおり尻に火がついた思いで家を飛び出し、湯河原、箱根をあるきまわり、箱根の山を下るときには、旅費に窮して、小田原までてくてく歩こうと決心したのである。路の両側は蜜柑畑、数十台の自動車に追い抜かれた。私には四方の山々を見あげることさえできなかった。私はけだもののように面を伏せて歩いた。「自然。」の峻厳に息が詰まるほどいじめられた。私は、鼻紙のようにくしゃくしゃにもまれ、まるめられ、ぽんと投げ出された工合いであった。
 この旅行は、私にとって、いい薬になった。私は、人のちからの佳い成果を見たくて、旅行以来一月間、私の持っている本を、片っぱしから読み直した。法螺(ほら)でない。どれもこれも、私に十頁とは読ませなかった。私は、生れてはじめて、祈る気持を体験した。「いい読みものが在るように。」いい読みものがなかった。二三の小説は、私を激怒させた。内村鑑三の随筆集だけは、一週間くらい私の枕もとから消えずにいた。私は、その随筆集から二三の言葉を引用しようと思ったが、だめであった。全部を引用しなければいけないような気がするのだ。これは、「自然。」と同じくらいに、おそろしき本である。
 私はこの本にひきずり廻されたことを告白する。ひとつには、「トルストイの聖書。」への反感も手伝って、いよいよ、この内村鑑三の信仰の書にまいってしまった。いまの私には、虫のような沈黙があるだけだ。私は信仰の世界に一歩、足を踏みいれているようだ。これだけの男なんだ。これ以上うつくしくもなければ、これ以下に卑劣でもない。ああ、言葉のむなしさ。饒舌への困惑。いちいち、君のいうとおりだ。だまっていておくれ。そうとも、天の配慮を信じているのだ。御国(みくに)の来たらんことを。(嘘から出たまこと。やけくそから出た信仰。)
 日本浪漫派の一周年記念号に、私は、以上のいつわらざる、ぎりぎりの告白を書きしるす。これで、だめなら、死ぬだけだ。

(頽廃の児、自然の児)
 太宰治は簡単である。ほめればいい。「太宰治は、そのままで『自然』だ。」とほめてやれ。以上三項目、入院の前夜したためた。このたびの入院は私の生涯を決定した。

(かくめい)
 じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他のおこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。

(2002.4.21)-6
こんなところです。見てのとおり、本当は、ぼくはもう何も書かなくていい。
(2002.4.21)-7
こんなものではなくて、きちんとしたh2oが書きたい。
(2002.4.23)-1
スイマセン、のぼせ上がっておりました。わたくし、今まで一度たりとも、きちんとしたh2oなどというものは書けた事がございませんでした。申し訳ない。以後、言葉を慎みます。
(2002.4.23)-2
 それから、実はわたくし、10日ほど前から、実に甘ったるき失恋話を書き始めておりまして、それは、以前少し申しておりました、小谷氏「うたき」の10曲つなげてひとつにする、というのは、手に余る事がようやくわかってまいりまして、それは遠い先にできるといいなー、くらいにすることにして、とりあえず、それは置いておいて、ここはできることをしようと、思い切って企画規模を大幅縮小致しまして、一曲、新しいアルバムにベタな曲がありますので、それは、どちらが悪いのかよくはわからないのだけれども、徐々にお互い疎遠になって、女が為すすべなく手をこまねいているうちに、相手の男は別の女を部屋に連れこむようにまでなってしまい、それとも知らず、久方ぶりに女の方が男の部屋にたずねて行くと、ちょうど男が別の女と一緒に部屋に入ってゆくところで、その身知らぬ女と談笑する男の顔から、腰にまわされた腕やら、何やらかんやら、一部始終を目撃し、自身はどうしてよいのやら、わからないまま、そのまま男の部屋のドアの前にまでふらふらやって来てしまい、部屋から漏れてくる会話の断片や、新しい女のやたらと甲高い笑い声から、以前は自分が笑って寝ころがっていたソファに、どうのこうのしたソファに(ああ、こういう書き方、楽しいですね)、今は別の女が寝ているのをわなわな想像して、そのうち胸の内に、如何ともしがたき、黒煙朦々(太宰パクリ)たる嫉妬の焔が立ち昇り、女の全身を覆い尽くす。そのあまりの火勢にあわや狂いそうになるところを、女はマリア様におすがりして、必死に理性を保とうとする、とまぁ、だいたいそんなような、実に哀れなおなごの話なのですが、というか、それは小谷氏なのですが、まあ、それはどうでもいいとして、ぼくと致しましては、この曲をもとにして、話をひとつ作ってやれ、などと傲慢にも考えまして、それをはじめていたのでありますが、これもなかなか思うようにいかず、はじめは1,2週間くらいの間の話にしようと思っていたのですが、なんだか結局、2,3ヶ月間くらいの話になってしまうようで、ネタ続かず、心理拾いきれず、だめだこりゃ、と放り出そうかとも思ったのですが、もうちょっと我慢、などと思い、駄文眺めて、ゴミを切り捨てるだけで2時間潰す、などという実に詰まらない作業までをも経まして、ようやく、女主人公の顔かたち、相手の男の思いの変遷などが、もとの小谷氏の曲の主旨にマッチして思い浮かぶようになってきまして、だいたいの筋道が立って来た気がして、いけるかなぁ、などと思い始めていたのでございますが、いかんせん、ネタが続かない。うまいことその時その時に適当な出来事をでっち上げることが出来ずに、また、立ち往生、うんうん唸るけれども、やっぱり思いつかないものは思いつかない。困った揚句に、といいますか、自分の駄文ばかりを眺めているのにも飽き飽きしたといいますか、まぁ、それはどうでもいいじゃあありませんか、とにかく、えへへ、カンニング、というような気分で、h2oの2000年前後のものを読み始めたところ、これあいかん、実にいかん、ねぇ、やっぱりh2oがいいですよ。ふたつ並べて見れば、一目瞭然、そんな殺生な。なんだよ、くだらん、もう、やめるか。あぁ、しかし、h2oはよいでございます。ちきしょう、やっぱり、太宰は嫌だ。嫌なんだ。野垂れ死にの美学。踏み付けられて泥まみれのクローバーの健気さ。溝鼠の誇り。いじらしい、などと言えば、これは聞えがいいですが、もやし男がそんなことを声を大にして言ってみましても、ただ意地汚く、卑屈の厭味があるばかりで、実に閉口。いるかそんなもん。クソくらえだ。そんなもん、少しも楽しくねぇ。やっぱりこっちのほうがいいじゃんかぁ。などと、撫でまわしても、話は一向に進展しない。駄文は駄文のままでそこにある。やめるか、くそ。せっかく、マリア様にお祈りするところはとっておいているのになぁ。勿体ない。って、何が、勿体ないんだ。時間の方が勿体ないんじゃないのか。うぬ、正論。そうかも知れん。ああ、くそ、腹が立つ。ぷんすかぷん、でございまする。と、それで、こんなに長々と愚痴を書き綴ってしまいまして。申し訳ございませんです、はい。
(2002.4.23)-3
と、実はこのあと、更にh2o評を長々と書き連ね、そこにわたくしの思うところなども、からませて、だらだらと書こうかとも思ったのですが、というか、頭ん中で一度やって、実際に書きかけたのですが、やはり本人が見ておられますので、止めにすることにいたしまして、代りに、最近気になって仕方がないお方、小沢健二氏の論評などをいつもの(いつもの、と書いて、わかる方はいるのだろうか、と気付いて恥じ入り、赤面しつつも、)調子で言いっ放そうかと。小沢健二、いいですよ。h2oに似ています。ああ、そうか、両方からませて書きたいんだ。そうか。止めましょう。これは書き損じてはならん。もうちょっと、いじってから一日がかりで。
(2002.4.23)-4
 なんだかすこぶる歯切れが悪いので、全然別の話、ユニクロ及びファーストリテイリングと、その同業他社にあたる、ジーンズメイト(運営会社名は知りません)との比較検討、考察を、ミクロ経済学もしくは、経営学の観点から試みると、それなりに面白いのではないだろうか。また、先輩格の成功例であるマクドナルドジャパンや、同じような状態にあるが、多少堅実味の感じられるスターバックスコーヒー、失敗例の比較的身近な存在である光通信、整理縮小がそろそろひと段落した感のあるマツモトキヨシ、などとユニクロとの比較から、需要と供給の均衡点の算出法の有効性および、適当な企業規模拡大速度、経営者のスタンスが小規模企業の先行きに与える影響の大きさ、などについての考察をすると、なかなか面白いのではないだろうか。という話は如何。あ、いかん。俺が書いててつまんねぇや。
(2002.4.23)-5
 ほんとにこんなのやり始めたら、一年がかりだな。
(2002.4.23)-6
命は尊くない。
(2002.4.23)-6
 なら、何が尊いのか、と訊かれると、困るのだけれど。命、それ自体は、決して尊くない。尊いのは、普通は命と、常に重なって、一緒になってある、何か、それなのだ。それが尊いのだ。それが、何か、と訊かれると、ぼくはまた、困ってしまうのだけれど。それが、命からはがれてしまっている人間が、たまに、いる。確かに、いる。そういう人間は、醜く哀れである。正視するに堪えない。もはや人間でない、と言ってよい。動脈の血が黒いのだ。その血は、優秀な毒薬の原料となる。残さず焼き尽くすべきである。そして、尊さは、ぼくにあっては重荷だ。
(2002.4.24)-1
いい文が書きたい。なんでもいいんだ。いい文が書きたいなあ。。。ぼくはいい文が書けないので、この先をつなげてゆくことができない。5回消して、それから、この言い訳を置くことにした。かんぱい!
(2002.4.24)-2
今週は、週刊になってませんね。今日は仕事でみなとみらいへ行きました。久しぶりに潮の香り。その前で吸う煙草の不味いこと不味いこと。帰り、渋谷へ寄って、福田恒存訳「ハムレット」、神西清訳「桜の園・三人姉妹」、柳美里「仮面の国」、雑誌「広告批評」。「ハムレット」はハムレットです。沙翁(太宰がそう呼んでいるので、あちきも)にも首を突っ込むと。後悔するに違いない。「桜の園・三人姉妹」は「三人姉妹」のほうを目あてに。あとは「桜の園」訳者が違うとどうなるもんか、という下種な気持で。柳美里「仮面の国」は、とりあえずコメント保留。と言いつつ、ちょっと書くと、目次をパラと見たところ、「攻撃すべきは、あのものたちの神だ。」という言葉があった。これは太宰、「如是我聞」の中の言葉で、そのはじめの一段落だけ読んだら、どうやら自分の置かれた状態と、あのときの太宰とをからめて書いた文章のようで、それで、買った。太宰と柳美里に接点があるとは思わなかった。ぼくはふたりとも大嫌いだったのだ。今思えば、それは同じ理由なのだ。村上龍よりも、ずっとずっと嫌いだったのだ。そのふたりに、こういった、、、と、この話は長くなるので、また今度いつか。「広告批評」最近、賞を取ってチラッと話題になった18歳の小説書きねーちゃん。「インストール」、どうやらよいものを書いているようである。18であることの価値を、どうやら知っており。ぼくはもう逃した。うるさい。
(2002.4.24)-3
 個人が他を評価するという作業は、実際には自身を量る作業である。精確であることは、確実に、あり得ない。
 では、評価とはどのように行うべきものなのであろうか。それは、精度に誤差があることを認めつつ、その誤差をより少なく、また、誤差のばらつきを出来るだけ少なくし、きちんとしたスペックとして提示できるような、そのような手法が、実用上最も有効である。つまり、統計、なのである。ああ、この統計ほど憎いものは、ぼくには少ない。しかし、それと同時に、現代において確実に必要であり、有益であるものもまた、少ない。
 その種の命題の大きなものに対する回答は、以前はイデオロギーという、謂わば一種の勘によって決定せられていた。しかし今や、広範な分野にまたがる、大きな命題を包括的に解決し、将来に予測される問題を未然に防ぐための基本方針の決定は、統計的手法に取って代わられ、勘は、個人のみ、もしくはその周囲の極く少数を含めた範囲の人間のあり方を決定せらるときにのみ使用されるようになった。つまらぬ世の中である。異論は多々あるとは思うのだけれど、あるシステム(国でも企業でもよい)が何かを決定することというのは、その統計的な手法によっても、現在は最終的な選定が不可能であるために、いくつか用意されることになってしまった選択肢を、勘でひとつ選んでいるだけなのである。その際の勘は、もはやイデオロギというような多数を巻き込み全く不確定で、ひとつ間違えば破滅というような、方向へ行くようなうねりではなく、商才やらなんやらというような、個人の資質に関係すること、かつ、それぞれの選択肢が招く結果は、せいぜい十倍の利益だの、なんだの、というような範囲に過ぎない。イデオロギは何万という人間が死ぬ。国が潰れる。償いに半世紀かかる。
 それを可能にせしめているものの大部分は、これは間違いなく、大規模高速演算を用いた統計演算であり、またその高速さを生かした、多くの個別の事象を極めて短期間に集積しうることが可能な社会システムにある。こむぴうたは素晴らしい。優れすぎている。
 先日、仏大統領選、ジョスパン首相を抑えて決選投票に残った極右政党の何とかという党首が、「イデオロギの時代はもはや去り、現代はアイデンティティの時代だ。」という、まあ、いかにも仏らしい言葉を吐いたそうで、それだけにしておけばよいものを、「そして、我々(自身が党首を務める極右政党のこと)は、その体現者だ。」という、見事に直前の言葉の価値を失わせる、余計な尾ひれがついているのが、うるさく、困ったところですが、そこはカットして、きれいに忘れることにいたしまして、最近ちょうどぼくは、太宰に倣うことで、何やら古くてカビの臭いのぷんぷんする思考が頭の中を占拠しており、これは使えない、と思うも、では、現代に於いても適用可能な部分はどこなのであろう、違うものに置き換えるべき部分はどこなのであろう、わからねい、などということを、ぼちぼち考え始めていたところであったので、この言葉はそのもつれを解く、ひとつの手がかりとなったような気がしていて、まだ、よくまとまっていないのだけれど、それなら、そのアイデンティフィケイションは、何を拠りどころとしてあるものなんだろう。これが私の生き方よ、みたいな話は確かにあるのだけれど、それをやってしまうと、殺人だの、暴力だの、レイプだの、詐欺だの、専横だの、人権侵害だの、搾取だの、横柄だの、無感動だの、無反省だのしか残らず、そのようなところに立ってしまってはならない、明らかに間違っているような人種は、何か他のものによって、自己を無理にでもアイデンティフィケイションする必要があるわけでして、それができないのなら、退場を選択するのがせめてもの、そのありようでして、それは
 ねぇ、こういう話、読んでいて面白いですか。ただでさえ、面白くないものを長々書いてしまって申し訳ないなぁ、と思っているのに、ここ2,3日は、遂にこちらのほうにまで手を伸ばし始める有様で、頭ん中だけでやっておけばよいものを、そういう状態になってしまって、こんなものよりは、愚痴のほうが、悪いにせよ、まだ、その、感情が篭っているような、そんな気がするので、せっかく高校時代に、こういうことを書くのを止めにしようと心がけて、ようやく作り上げた癖を、壊してしまうのは、如何なものか、と思うのです。
(2002.4.24)-4
と書いておいて、ねぇ、やってみていいですか。確かに、評論、格言の類は嫌だったんですけれど、もうそういうことも言ってられない。どっちにしたって、もう底は知れちまっている。
(2002.4.25)-1
おえかき教室、講義初日、ただうれしかった。講師の先生が、20人以上いる生徒のかいたもの、しかも、ひとり複数で総数40点あまり、そのひとつひとつを、みなの前で一時間半かけて評価してくださった。病み上がりで一時間を過ぎた頃から、何度も水を口に含んで喉を整えながらも、ひとつも手を抜くことなく、聞いていて呆れるくらいに真摯に、えをひとつひとつみて、その意図を読み取ろうとし、妥協点をいちいち指摘し、それではだめだ、と言ってくださった。言葉の節々に、うまくなれ、うまくなれ、という気持が込められていた。ぼくは涙が出そうだった。大丈夫、実際は笑っていた。やられたなぁ、と思った。まじめにやらなければと思った。何を喋ったらいいのか、見当のつかない、手抜きで曖昧なものはかけないと思った。やろうとしたことは、現時点でのその限界をきちんと示して、次の一手をご伝達願わなければと思った。妥協は試行錯誤と完成度との間にあるものだけが、ゆるされ得る。言い訳、手抜き、論外。ああ、今日はスイマセンでした。わたくし、とりあえずできるものを、などともっともらしくいい、それをもって手抜きをしておりました。毎度の事ではありますが、今日はさすがに恥ずかしかった。次は、きちんと現在の限界を提示いたして見せます。ああ、いやだ。やはり、狂わねばならん。ぼくにあっては狂乱しか力と呼べるものがない。なら、それを使わねばなるまい。誰がなんと言おうと、どう見られようと、それしか、あるまい。
(2002.4.25)-2
みな上手い。既に、プロ並みのやつも数人、いる。基礎科なのに。。。笑いがとまらない。うまくなろう。ぼくも次はえのぐを使うよ。下手だと言ってもらいたい。それが期待できる。素晴らしい。素晴らしすぎる。
(2002.4.25)-3
ぼくのいつものやつを、一瞬で、「これは、これで終わりでしょ。」と見抜いてくれた。そうだ、持っていった甲斐はやはり、あった。
(2002.4.25)-4
講師陣のかく絵を、まだ見たことがないというのは、よろしくない。彼らひとりひとりが、どこからコメントを出してきているのかがわかれば、その取捨選択も容易になるであろう。何やら、やたらと線にこだわっている方がいるようなので、特にそれは是非見てみたい。かなりよいようであれば、パクリまくり。楽しまくり。わーい。
(2002.4.26)-1
つい昨日まで、GWというやつの存在をぼんやり忘れていて、休みは確かに嬉しいのだけれど、いざ休みを貰うと、何をしようかと少し考え込んでしまったりもするので、それは少し情けない。別に予定があるわけでは無い。入れたいとも、どうやら特に思わないようだ。また、お金も無い。こうしてちょっとあらたまって考えてみると、どうやらぼくは貧しい暮らしをしているようである。それでいいのだけれど。ただとにかく、せっかくたまにしかないまとまった量の休みなので、ここはひとつ、ちゃきちゃきと溜まったものを整理しようとは思うのだが、どれも面倒な感じがして、いまいちのらない。ということで、とりあえず「斜陽」を写してしまうことに決めた。本当は、もうちょっと他のものを写してからしたい気も、特に「火の鳥」はうつしたいのだけれど、落ちついてやれる期間はそうあるわけではないので、仕方あるまい。あとのことはその日の気分でやることにしよう。それから、画材屋さんへも二回ほど通って、いろいろ仕入れなければならないし、お絵かきマニュアルもいくつか買ってこなければならない。ふむ、これは、それだけで10日は過ぎてしまいそうである。どうやら、何にもない社会人になって二度目のGWになりそうだ。
(2002.4.26)-2
今日はなんだか、とても寒かった。でも、何も考えない。
(2002.4.26)-3
いい文を書くのは、気持がいい。とても眠たくなってくる。「斜陽」はやっぱり、すごく、いい。
(2002.4.26)-4
写していると時折わけもなく涙が出る。眠りたい。

(2002.4.27)
 今日はまたちょっとCoccoの話。
 Coccoの3rdアルバムは「Rapunzel」というタイトルで、そのジャケットの絵は、森の中にひっそりと建っている石造りの高い塔の、天辺に一つあるきりの窓から、地に届くほどの長い長い、二つ編みの髪の毛が垂れて、それが森の夜風になびいて、その先端が舞い上がっている、と、一ことで言えばそういう絵で、とてもよい絵なので、ぼくはとても腹を立てているのですが、まあ、それはいいとしまして、その絵は、表は黒いコーティングがされている、アクリル板だかなんだかに、裏から色を塗って、それから表の塗料を先の尖った何かで削り取って描くという手法で作られたもので、それをもぞもぞ作ったのはどうやらCocco自身でして、それを知ったぼくは、きっとCoccoのことであるから、その塔の中に囚われているのは恐らく自分なのだろうな、などと思いつつ、また、くやしいので腹も立てつつ、その絵をしげしげ眺めていることも何度かあったような、そんな絵なのですが、本日、どうやらその出展が明らかになりましたので、せっかくですから書いておこうかと、思ったわけなのです。
 今日は朝(でも無いのですが、それはいつものことですので、気にしないことにして)起きて、長い休みの始まりですので、とりあえずだらだらする事にいたしまして、寝床に入ったまま太宰の「ろまん燈籠」を読み始めたのですが、この話は、「八年まえに亡くなった、あの有名な洋画の大家、入江新之助氏の遺家族は皆すこし変っているようである。」「----兄弟、五人あって、みんなロマンスが好きだった。」「〜いまは、それよりも、この家族全部で連作した一つの可成り長い『小説』を、お知らせしたいのである。入江の家の兄弟たちは、みんな、多少ずつ文芸の趣味を持っている事は前にも言って置いた。かれらは時々、物語の連作をはじめることがある。云々」というような事で、入江五兄弟が正月の一日から、ひとり一日ずつの持ち時間の持ち回りでひとつの「小説」を作ってゆく様子をえがいた話なのですが、と、ここまで書けばだいたい話が見えてくると思うのですが、その入江五兄弟が作る話の女主人公が、美しい、魔女の子「ラプンツェル」なのでした。
 ラプンツェルは14の時に、母親の魔女が、魔の森に迷い込んだ王子を捕まえて食ってしまおうとするところを助けて、ペットの鹿に乗せて逃がしてあげた為に、母の怒りを買い、森の中の天辺に窓がひとつあるきりの高い塔に幽閉され、「一年経ち二年経ち、薄暗い部屋の中で誰にも知られず、むなしく美しさを増していました。もうすっかり大人になって考え深い娘になっていました。いつも王子の事を忘れません。淋しさのあまり、月や星にむかって歌をうたう事もありました。」というようにして、4年もそこで過ごしていたところ、懲りずに再び魔の森に迷い込んだ王子が、その悲しい歌を聴いて、それを頼りに森の奥にひっそりそびえている塔の下までやって来て、
「『顔を見せておくれ!』と王子は精一ぱいの大声で叫びました。『悲しい歌は、やめて下さい。』
 塔の上の小さい窓から、ラプンツェルは顔を出して答えました。『そうおっしゃるあなたは誰です。悲しいものには悲しい歌が救いなのです。ひとの悲しさもおわかりにならない癖に。』
『ああ、ラプンツェル!』王子は、狂喜しました。『私を思い出しておくれ!』
 ラプンツェルの頬は一瞬さっと蒼白くなり、それからほのぼの赤くなりました。けれども、幼い頃の強い気象がまだ少し残っていたので、
『ラプンツェル?その子は、四年前に死んじゃった!』と出来るだけ冷たい口調で答えました。けれども、それから大声で笑おうとして、すっと息を吸い込んだら急に泣きたくなって、笑い声のかわりに烈しい嗚咽が出てしまいました。
 あの子の髪は、金の橋。
 あの子の髪は、虹の橋。
 森の小鳥たちは、一斉に奇妙な歌を歌いはじめました。ラプンツェルは泣きながらも、その歌を小耳にはさみ、ふっと素晴らしい霊感に打たれました。ラプンツェルは、自分の美しい髪の毛を、二まき三まき左の手に捲きつけて、右の手に鋏(はさみ)を握りました。もう今では、ラプンツェルの見事な黄金の髪の毛は床にとどくほど長く伸びていたのです。じょきり、じょきり、惜しげも無く切って、それから髪の毛を結び合わせ、長い一本の綱を作りました。それは太陽(ひ)のもとで最も美しい綱でした。窓の縁にその端を固く結えて、自分はその美しい金の綱を伝って、するする下へ下りてゆきました。」
 ぼくはそのあたりまでずっと、「ラプンツェル、ラプンツェル、はて、どこかで聞いた名だ。どこだったかしら。思い出せない。」などと思いながら、その話を読んでいたのですが、
「あの子の髪は、金の橋。
 あの子の髪は、虹の橋。」
で、あっと気づいて、大急ぎで「Rapunzel」を取り出して、久々にその絵に見入ったのでした。
 絵に見入っているうちに、あ、あ、と気がつくのです。この話の主人公、ラプンツェル、Coccoにそっくりなのであります。Coccoはきっと、この話を読んで、わなわな来るものがあり、ちょうどアルバムのタイトルやらジャケットやらを決めなくてはならない時期でもあったので、これは、と思い、この絵を描き始めたに違いない。などと、ぼくは勝手に考えまして、以後、この話のラプンツェルはCoccoであるとして(Coccoは美人ではありませんが、まあ、いいじゃありませんか)、このよい絵のイメージを常に思い浮かべながら、残りを読みすすめたのであります。
 しかし、Coccoは本当に太宰の「ろまん燈籠」を読んで、この絵を描き、そしてアルバムのタイトルを「Rapunzel」にしたのだろうか、という疑問も当然出てまいりまして、それはなぜかというと、この話を書き始めた入江五兄弟の末弟こと作者太宰は、
「末弟は、れいに依って先陣を志願し、ゆるされて発端を説き起す事になったが、さて、何の腹案も無い。スランプなのかも知れない。ひき受けなければよかったと思った。一月一日、他の兄姉たちは、それぞれ、よそへ遊びに出てしまった。祖父は勿論、早朝から燕尾服を着て姿を消したのである。家に残っているものは、祖母と母だけである。末弟は、自分の勉強室で、鉛筆をけずり直してばかりいた。泣きたくなって来た。万事窮して、とうとう悪事をたくらんだ。剽窃(ひょうせつ)である。これより他は、無いと思った。胸をどきどきさせて、アンデルセン童話集、グリム物語、ホオムズの冒険などを読み漁った。あちこちから盗んで、どうやら、まとめた。」
なる一節があり、どうやら、この「ラプンツェル」は、太宰のいうところの剽窃でして、その原案は、「アンデルセン童話」、「グリム物語」、「ホオムズの冒険」のどれかのどこかにあるということで、Coccoはそちらを見てあの絵を描いたのかも知れないのです。
 その疑問に対して答えるために、今ちょっと「ラプンツェル」をGoogle検索してみたところ、グリム童話に「ラプンツェル」(
あらすじ。勝手に拝借御免)という話があるようで、これがどうやら大元の出典になるようだという事がわかりました。
 さて、ではCoccoはどちらを見たのでしょう。それは、Coccoも以下のような詩を書いていまして、このグリム童話のほうを見たというほうがどうやらもっともらしそうなのですが、

 甘い声で
 添い寝をして
 古い絵本
 よみあげてよ
 笑わないで
 あのお話しの
 お姫さまは 私なの

 明けた空は
 優しすぎて
 強い風よ どうか動いて

 抱いて 壊すように抱いて
 息を奪うほど
 たとえ守りぬいても ああ
 いつか虹は消えてしまうから
「寓話」抜粋

それでは、面白くありませんので、それに、この詩だって、完全に信用したものではありません。クズの太宰の書いたものを読んだというよりも、グリム童話のほうが、詩としてはまっとうな形になるのであります。先ほど書いたように、原案は童話であるということは、「ろまん燈籠」の中でも述べられていますので、それを拝借すれば、このような詩は書けるのであります。それに、この詩が「ラプンツェル」を指しているとも限らないわけですし。また、グリム童話のほうの「ラプンツェル」の性格は、上記参考資料からは窺えませんのではっきりとはいえませんが、これを読む限りでは、グリム童話のラプンツェルは、どうやらCoccoのような苛烈な性格というようでは無いようで、ぼくといたしましては、これはやはり、Coccoは太宰の「ラプンツェル」を読んで、その生き様に大いに共感するところがあり、またその話の結末に大いに感動して、急いであの絵を描き、アルバムのジャケットにしたに違いないという断案を下し(太宰がよく使うので、嬉しそうにあちきも)まして、以下に、その根拠となるような断片を「ろまん燈籠」から抜き出して、その証明を試みようと思うわけであります。
 しかし、それが言えたからなんなんだと言われると、非常に困るのですけれど、あまりそんな大層な目的なんてなくて、ただ、Coccoがこの話を読んでいて、しかも絵を描いてしまうほど好きだった、と言えればそれで満足でして、それに少し付け加えるのなら、太宰とCoccoが結びつくことによって、ぼくの嗜好がひとつにまとまるのではないか、そうすると、そこから何やらヒントらしきものが得られるのではないか、と思っているわけであります。ちなみに、「それは何のヒントか」と聞かれますと、「それは秘密です。ぼくにも、まだ教えてもらえていないのです。」と、ぼくはそっけなく答えるだけであります。
 さて、ということで、これから太宰の「ラプンツェル」とCoccoを比較するするわけですが、まずは太宰の「ラプンツェル」から、その性格をよくあらわしており、且つCoccoと共通すると思われる部分をざっと抜き出して、列挙してみようと思います。ですので、少し読みにくいかもしれませんが、我慢してください。と、断れるほど、普段の文が読みやすいと嬉しいのですけれど。。。では、とにかく、はじめます。

「 ----むかし北の国の森の中に、おそろしい魔法使いの婆さんが住んでいました。実に、悪い醜い婆さんでありましたが、一人娘のラプンツェルにだけは優しく、毎日、金の櫛(くし)で髪をすいてやって可愛がっていました。ラプンツェルは、美しい子でした。そうして、たいへん活發な子でした。十四になったら、もう、婆さんの言う事をきかなくなりました。婆さんを逆に時々、叱る事さえありました。」

「『この子は、あたしと遊ぶんだよ。この綺麗な子を、あたしにおくれ。』と、だだをこねました。可愛がられ、わがままに育てられていますから、とても強情で、一度言い出したら、もう後へは引きません。」

「〜一疋(いっぴき)の鹿を、角をつかんで部屋の隅から引きずり出して来ました。鹿の頸には胴の頸輪がはまっていて、それに鉄の太い鎖がつながれていました。『こいつも、しっかり鎖でつないで置かないと、あたし達のところから逃げ出してしまうのだよ。どうしてみんな、あたし達のところに、いつかないのだろう。どうでもいいや。あたしは毎晩、ナイフでもって、このベエの頸をくすぐってやるんだ。するとこいつは、とてもこわがって、じたばたするんだよ。』そう言いながらラプンツェルは壁の裂け目からぴかぴか光る長いナイフを取り出して、それでもって鹿の頸をなで廻しました。可哀そうに、鹿は、せつながって身をくねらせ、油汗を流しました。ラプンツェルは、その様を見て大声で笑いました。
『君は寝る時も、そのナイフを傍に置いとくのかね?』と王子は少しこわくなって、そっと聞いてみました。
『そうさ。いつだってナイフを抱いて寝るんだよ。』とラプンツェルは平気な顔で答えました。」

「王子は鹿の脊に乗り、
『ありがとう、ラプンツェル、君を忘れやしないよ。』
『そんな事、どうだっていいや。ベエや、さあ、走れ!脊中のお客さまを振り落としたら承知しないよ。』
『さようなら。』
『ああ、さようなら。』泣き出したのは、ラプンツェルのほうでした。」

「『ごめんなさい。あなたが、へんに真面目なので、つい笑っちゃったの。あたしが今さら、どこへ行けるの?あたしが、あなたを塔の中で四年も待っていたのです。』」

「 それから数日後、お城では豪華な婚礼の式が挙げられました。その夜の花嫁は、翼を失った天使のように可憐に震えて居りました。王子には、この育ちの違った野性の薔薇が、ただもう珍しく、ひとつき、ふたつき暮してみると、いよいよラプンツェルの突飛な思考や、残忍なほどの活發な動作、何ものをも恐れぬ勇気、幼児のような無智な質問などに、たまらない魅力を感じ、溺れるほどに愛しました。」

「『あたしも、やはり、子供を産んで、それからお婆さんになるのでしょうか。』
『美しいお婆さんになるだろう。』
『あたし、いやよ。』ラプンツェルは、幽かに笑いました。とても淋しい笑いでした。『あたしは、子供を産みません。』
『そりゃ、また、どういうわけかね。』王子は余裕のある口調で尋ねます。
『ゆうべも眠らずに考えました。子供が生れると、あたしは急にお婆さんになるし、あなたは子供ばかりを可愛がって、きっと、あたしを邪魔になさるでしょう。誰も、あたしを可愛がってくれません。あたしには、よくわかります。あたしは、育ちの卑しい馬鹿な女ですから、お婆さんになって汚くなってしまったら、何の取りどころも無くなるのです。また森へ帰って、魔法使いにでもなるより他にありませぬ。』」

「『死なせて下さい。』ラプンツェルは、病床で幽かに身悶えして、言いました。『あたしさえ死ねば、もう、みなさん無事にお暮らし出来るのです。王子さま、ラプンツェルは、いままでお世話になって、もう何の不足もございません。生きて、つらい目に遭うのは、いやです。』」

「ラプンツェルは、たしかに、あきらめを知らぬ女性であります。死なせて下さい、等という言葉は、たいへんいじらしい謙虚な響きを持って居りますが、なおよく、考えてみると、之は非常に自分勝手な、自惚れの強い言葉であります。ひとに可愛がられる事ばかり考えているのです。」

 以上が、太宰の「ラプンツェル」の中でのラプンツェルの性質に関する大体の記述です。本当はもっと書き取りたいのですが、それをすると丸々、といような話になりかねませんので、このくらいにしておくことにいたしまして、次はこのような性質を持った太宰の「ラプンツェル」に触れたCoccoが、それに共感するのは至極もっともであるというために、今度はCoccoの詩のほうからいくつか選んで並べることにしようかと思います。ちょっとこちらの方が選定が難しくて、上手く行かないのかもしれないので、申し訳ないのですが、とりあえずやってみることにいたしましょう。

 抱きよせて 絡まって
 引き裂いて 壊したい。
 悩ましく 誘って
 蹴落として 潰したい。
 あなたと見た海に
 その首を 沈めたい。

 ろうそくを灯してみれば
 枯れてゆく薔薇に気付く
 この部屋も買い換え時ね。
 花びらは葬られた。

 飢えている ベッドの中で
 夜毎ほら 干からびてゆく。
 カラカラに風に吹かれて
 からっぽの身体
 深い闇へと葬られた

 抱きよせて 絡まって
 引き裂いて 壊したい。
 悩ましく 誘って
 蹴落として 潰したい。
 あなたと見た海に
 その首を 沈めたい。

 これからも これから先も
 私ほど純粋(きれい)な女に
 会えるわけ ないことぐらい
 わかっているでしょう?
 目を覚ましてよ
 からっぽの身体
 深い闇へと葬られた。

 キスをして 囁いて
 舌を出し 感じたい。
 ずっと舐め合って
 濡れながら悶えたい。
 後姿が遠く、
 愛しくて、
 それだけ。

 抱きよせて 絡まって
 引き裂いて 壊したい。
 悩ましく 誘って
 蹴落として 潰したい。
 抱きよせて 絡まって
 引き裂いて、引き裂いて、
 引き裂いて、
 壊したい。

 あなたと見た海に
 その首を 沈めたい。
「首。」


 あなたに瓜二つの
 生き物が
 わたしの子宮から
 出てきたら
 バンドを呼び集めて
 舞い踊り
 その子の誕生を
 喜ぶわ

 あなたのように
 私を捨てないように

 鉄の柵で作った
 檻に入れて眺め
 乳を与えあやして
 いつもいつも見てるわ
 壊れるくらい
 愛してあげるの

 首輪と足枷でも
 こしらえて
 私の名前だけを
 くり返す

 他人の蜜を
 覚えて汚れないよう

 霧の朝がきたなら
 海の見える部屋で
 きしむ肌を教えて
 強く抱いて眠るわ
 溶け出すぐらい
 愛されたいから

 届かない影を追い求めて
 一人で泣き叫ぶ毎日を
 くり返さないように

 鉄の柵で作った
 檻に入れて眺め
 乳を与えあやして
 いつもいつも見てるわ
 壊れるぐらい
 愛してあげる

 霧の朝がきたなら
 海の見える部屋で
 きしむ肌を教えて
 強く抱いて眠るわ
 溶け出すくらい
 愛されたい

 あなたのように
 私を捨てないように
「ベビーベッド」


 わたしの肋骨(はしご)から
 空へと登りなさい

 髪の毛を伝って
 頭に足をかけて

 今すぐ飛んで行けばいい
 遠くへ旅立てばいいの

 ああ
 あなたが
 星に着くころ
 ああ
 あたしは
 独り泣くから

 壊した幸せと
 犯した罪を合わせ

 ロープを編み上げて
 命を繋げばいい

 乾いた罰を置き去りに
 想い出 背負うこともない

 ああ
 きのうを
 許せるように
 ああ
 明日を
 愛せるように

 縛った手を
 放してあげましょう
 西の空へ
 放してあげましょう

 ああ
 あなたが
 星に着くころ
 ああ
 わたしは
 独り泣くから

 ああ
 きのうを
 許せるように
 ああ
 明日を
 愛せるように

 わたしを
 忘れてしまえばいい。
「星の生れる日。」


 悩める胸に
 あなたが触れて
 雨は 終ると思った

 だけど誓いは
 あまりに強く
 いつか 張り詰めるばかり

 糸が絡まりながら
 ただれゆくように

 永遠を願うなら
 一度だけ 抱きしめて
 その手から 離せばいい
 わたしさえ いなければ
 その夢を 守れるわ
 溢れ出る憎しみを 織りあげ
 わたしを奏でればいい

 信じていれば
 恐れを知らず
 独り歩けると知った

 長い手足が
 手探りのまま
 森へ迷い込んだ時

 深い樹海は暗く
 祈り のみ込んで

 この声を聴いたなら
 泣き叫び 目を閉じて
 何ひとつ 許さないで
 あなたさえ いなければ
 この夢を 守れるわ
 溢れ出る憎しみを 織りあげ
 あなたを愛し 歌うの

 永遠を願うなら
 一度だけ 抱きしめて
 その手から 離せばいい
 わたしさえ いなければ
 その夢を 守れるわ
 溢れ出る憎しみを 織りあげ
 わたしを奏でればいい

 やさしく殺めるように
「樹海の糸」


 きっと あの小道で
 2人は生きている
 幸わせの小道で
 ダンスをしているわ
 ああ だって 耳を澄ませてみてよ
 ああ だって 天国だって見える

 彼女は 深い森の奥
 軽やかに 風に揺れながら
 茶色い やわらかい髪を
 太陽に 遊ばせていた
 運命的に若者は恋におちた
 街へ連れ去り 一緒に居られたらと
 愛を語った

 木もれ陽に じゃれる天使に
 近づいて 口づけをした
 愛らしい 小さな乳房は
 ハチミツのように甘かった
 他の女は要らないとさえ思った
 それは童話のお話のようだった
 眩しいくらい

 きつく抱しめ合い
 2人は生きていた
 幸わせの小道で
 ダンスをしていたわ
 ああ まるで 美しい絵のような
 ああ まるで アダムとイヴのように

 街へ出て暮し始めると
 ネオンやらレコードやらが
 どこにでも 散らかっていて
 お互いの意味さえ ぼやけた
 人の噂は電話から聞えるけど
 森の息吹はどこからも聴こえないと
 娘は泣いた

 ある日馬車に乗って
 森へと帰るため
 雨にキスしながら
 手を繋ぎ急いだ
 ああ はねる泥と濃い霧が
 ああ 2人天国へと導いた

 だけど あの小道で
 2人は 生きている
 幸わせの小道で
 ダンスをしているわ
 ああ だって 耳を澄ませてみてよ
 ああ だって 天国だって見える
「幸わせの小道」

 などと、太宰の「ラプンツェル」とCoccoの詩をグジャグジャに並べ立ててみましたが、この二人の間に共通する性質が何となく感じていただけたでしょうか。これをもって、Coccoの3rdアルバムのタイトル及びそのジャケットの絵の元となったのが、太宰の「ラプンツェル」だと言ってしまうのは、しかしながら、甚だ飛躍の多い話だとは思いますが、ぼくとしましては、ぼくの感じたところが、何となくわかっていただければそれで結構なのでございます。さらに細かい部分をひとつひとつ対応させ、それで以って証明しようという気にはあまりなれません。そういうものではない気がするのです。Coccoがそれを読んで自分とダブるように感じた時、今までの自分の作ってきたものをいちいち確認したわけではないでしょうし、ぼくがそれを読んでそうではないのか、と感じたときにも、このような作業をして、いちいち確認してから感じたわけではありません。ですから、この駄文を読んでくださっている非常にお暇な方にも、そういった印象を何となく感じていただければぼくは満足なのです。こういう事柄は、そんなものでいいのではないかなと、ぼくは思っているのです。よくある引用のひとつひとつに、いちいち註釈を附けてゆくという、あれはぼくはあまり好きになれないのです。やっているうちに、そちらの揚げ足取りばかりに目が向いてしまって、肝心なことがどこかへ行ってしまう、そんな気がするのです。
 などと、恰好良く言ってはみても、そのような事がうまく出来ているかどうかには全く自信がありません。こうして断片的に並べてしまうことで、かえって、双方のよさを殺してしまっている感が強い気がしてきて、実にうんざりなのですが、それはひとえにこれを組立て、書いているぼくがヘタクソなせいでありまして、「ろまん燈籠」も、Coccoの歌もそれぞれに素晴らしいものでありますので、できたらそれぞれ個別に楽しんで頂けると、こんな駄文を長々書きしたためてしまったぼくといたしましては、幸いで、嬉しく思うのでございます。
 「ろまん燈籠」、よい話です。入江五兄弟もよい味を出していますので、楽しみは2倍であります。60ページほどのものです。ですので、読むのにそんなに時間はかからないと思います。少なくとも、ぼくの書いたこんな駄文を読んでいるような、物好きな方には、苦にならない長さだと思います。太宰の文は、読んで疲れないように気を遣って、いつも丁寧に書かれてありますし。
 それから、Coccoの歌も、今更に言うのも馬鹿馬鹿しいですが、非常によろしい。いなくなって一年経ちましたが、巷のCD屋さんにはまだまだ置いてあるはずですので、買って聴いて下さい。「遺書」「SING A SONG -NO MUSIC, NO LIFE-」「Sweet Berry Kiss」「もくまおう」あたりがぼくのお気に入りです。他も、当り前ですが、いいです。
 それから、太宰の「ラプンツェル」の話の筋は、抜粋したところから大体判別がついてしまうと思いますが、簡単に補足しておきますと、塔から連れ出されたラプンツェルは、王子とともにお城へ戻り、4年前の王子の命の恩人であると、その美貌も手伝って大歓迎。王様、お妃様にも可愛がられて、晴れて王子と結婚と相成りまして、お城で暮し始め、そのうちに子を身ごもり、それがめでたく生れますけれども、その歓びもつかの間、ラプンツェルはそのせいで死の床に伏せてしまい、王子は必死に、「なんでもいいから生きてくれ」とお祈りをします。と、どこからともなくラプンツェルの母親、つまり魔女が現れまして、王子に「その言葉、本当だね?」と問いかけます。そして、魔女の家系の忌まわしい宿命を語り、「死ぬか、顔が私のように醜くなるけれども生き残るか」の選択を王子に迫ります。ラプンツェルは死を望みますが、王子は、「私はラプンツェルを愛しているのだ。たとえ顔が二目と見れぬ醜いものになろうとも、私は生きていて欲しい。」と魔女に告げます。それをうけて、魔女は「よろしい。」と、ラプンツェルを生かす為の儀式の準備に取り掛かるのでありました。
 つづきは、本編を読んでのお楽しみ。それでは。
参考 Cocco official

(2002.4.28)-1
 いまはもうじゅういちじはんです。きょうなにおしていたのかよくおもいだせません。あんじぇりいなではむれとはんぶんくらいよみました。しゃようななじゅうぺえじくらいうつしおわりました。かみきりました。まちじかんいちじかんくらいあたのでうらさわなおきにじゅうせいきしょうねんさんかんまでよみふけりました。こうこくひひょうしがつごううらさわなおきのいんたびうがのていてうらさわなおきはすぴいどかんをじゅうししているとかいてあたのでそのあたりをちゅういしてよみました。なるほどとおもいました。いかんはしゅほうにちゅういしてよんでいたのでおもしろかたけどにかんいこうはだれました。これはもんすたあとおなじであります。とだんあんをくだしていたらおねいさんがおまたせといてかみをきてくれました。いらすとれえしょんねんかんをかいました。さんぜんろくひゃくなんぼたかい。こうしじんのえをみました。かもなしふかもなし。よにんのかんじがばらけているのがよいとおもいました。
 何だ、思い出せるじゃん。けど、なんで、もう一日が終りそうなのかがわかんねぇ。
 あ、昼過ぎに起きてんからだ。。。

(2002.4.28)-2
さて、昨日長々と書きましたCoccoと太宰の話ですが、早速どうやら失敗であったろうなあ、などと思っています。太宰の「ラプンツェル」とだぶるのは、Cocco自身ではなくて、Coccoの中のCoccoといいますか、理想像といいますか、イメージといいますか、まあそのようなもので、そして太宰の「ラプンツェル」のほうも、登場人物としてのラプンツェルがCoccoに対応しているのではなくて、あの話自体が、そのCoccoのイメージするもの、世界、人物、ハート等と重なるのでありまして、あのようにラプンツェルとCocco自身とを対比させるというのは、間違っているのであります。あれではわからないのであります。ということで、きのう十時くらいから書きはじめて、一時間ほどで、これはやべぇぞ、むちゃくちゃ時間かかるじゃねぇか、と気づいたものの、すでに大筋が決まっていたので、惜しくてやめれず、結局六時間ももかかって作ったのですが、せっかく語り口なども太宰をパクッて書いたのに、どうやら根本的に間違っていたようで、今日は脱力、やっぱりぼくはちょっとでもまともなものを作ることが出来ないようであります、などとぼやいておりますです。はい。読んでいただいた方、わからなかったと思います。でも、本当にあれはCoccoなんですよ。ねぇ、それは、間違いないんです。それだけは。
(2002.4.28)-3
ただいまディスプレイの上を小さな蜘蛛が横切っております。足が八本ありますが、どうやら前後左右の二本づつがセットになっていて、歩く時はそのセットの片方を固定して、もう片方を進める、というふうにして歩くようであります。トテトテ、トテトテ歩きます。あ、行っちゃった。口のところに、アゴ、というのが名称になるのでしょうか、足のちっこいのが二つついていて、常にもごもごやっております。脚の長いの、それから、毛の長いの、でかいの、そういうのはお腹がぶよぶよ柔らかそうで、その内容物などを想像してしまい、実にナマモノな感じで、全然かわいくないですが、こういう小さい蜘蛛は、なかなか、かわいらしい。あれ、なんか別のこと書こうと思っていたのだけれど、忘れてしまったわ。
(2002.4.28)-4
あのね、今たぶん、外向きなの。あんまりあることじゃないから、ゆるしてね。
(2002.4.28)-5
センスがない。ということがどういうことか、その言葉がほんとうの実態として、少しずつ迫って来ている気がして。ここを続けていいのかしら。
(2002.4.29)-1
 さて、今日も少し長々、ということになってしまうようですが、お暇な方はおつきあい願います。
 今日の話は、一ことで言いますと、これが非常に大げさな感じになってしまいまして、恐縮なのですが、「愛情と贖罪の形式について」です。他にも、いろいろと書きたいことはあるのですけれど、とてもまとめきれませんから、とりあえず、その一つだけは最低限の筋道が通った話になるようにできたらなぁ、と祈念しつつ書くことにいたします。大丈夫、そんな括弧つきで書いているほどの中身なんてありゃあしません。いつもの駄文でございます。いや、それだからかえって、大いに問題なのですけれども。
 では、とにかく、以下、太宰の十頁ほどの文章を二点、読んでいただきまして、細かい話は、あとにしましょう。すべてはそれからでございます。出典は新潮文庫「ろまん燈籠」です。ええ、はい、まだ読んでます。太宰の短いものは、寝起き、寝る前、飯の間、トイレでふんばっている時等、気が向いたときにパラパラ読み散らしているものですから、一昨日からまだ五十頁しか進んでおりません。しかし、そんなものが、なぜだかこのように、いちいち突っかかってくるのです。まことに腹立たしい限りでございます。おかげで、また一日潰れてしまう。が、仕方がありません。はじめることにいたしましょう。
(誰)
 イエス其の弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々に出でゆき、途(みち)にて弟子たちに問いて言いたまう「人々は我を誰と言うか」答えて言う「バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は預言者の一人」また問い給う「なんじらは我を誰と言うか」ペテロ答えて言う「なんじはキリスト、神の子なり」(マルコ八章二七)
 たいへん危いところである。イエスは其の苦悩の果に、自己を見失い、不安のあまり無智文盲の弟子たちに向い「私は誰です」という異状な質問を発しているのである。無智文盲の弟子たちの答一つに頼ろうとしているのである。けれども、ペテロは信じていた。愚直に信じていた。イエスが神の子であることを信じていた。だから平気で答えた。イエスは、弟子に教えられ、いよいよ深く御自身の宿命を知った。
 二十世紀のばかな作家の身の上に於いても、これに似た思い出があるのだ。けれども、結果はまるで違っている。
 かれ、秋の一夜、学生たちと井の頭公園に出てゆき、途にて学生たちに問いて言いたまう「人々は我を誰と言うか」答えて言う「にせもの。或人は、嘘つき。また或人は、おっちょこちょい。或人は、酒乱者の一人」また問い給う「なんじらは我を誰と言うか」ひとりの落第生答えて言う「なんじはサタン、悪の子なり」かれ驚きたまい「さらば、これにて別れん」
 私は学生たちと別れて家に帰り、ひどい事を言いやがる、と心中はなはだ穏かでなかった。けれども私は、かの落第生の恐るべき言葉を全く否定し去る事も出来なかった。その時期に於いて私は、自分を完全に見失っていたのだ。自分が誰だかわからなかった。何が何やら、まるでわからなくなってしまっていたのである。仕事をして、お金がはいると、遊ぶ。お金がなくなると、また仕事をして、すこしお金がはいると、遊ぶ。そんな事を繰り返して一夜ふと考えて、慄然(りつぜん)とするのだ。いったい私は、自分をなんだと思っているのか。之は、てんで人間の生活じゃない。私には、家庭さえ無い。三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事が出来あがると私は、そそくさと三鷹を引き上げる。逃げ出すのである。旅に出る。けれども、旅に出たって、私の家はどこにも無い。あちこちうろついて、そうしていつも三鷹の事ばかり考えている。三鷹に帰ると、またすぐ旅の空をあこがれる。仕事場は、窮屈である。けれども、旅も心細い。私はうろついてばかりいる。いったいどうなる事だろう。私は人間ではないようだ。
「ひでえ事を言いやがる。」私は寝ころんで新聞をひろげて見ていたが、どうにも、いまいましいので、隣室で縫物をしている家の者に聞こえるようにわざと大きい声で言ってみた。
「ひでえ野郎だ。」
 「なんですか。」家の者はつられた。「今夜は、お帰りが早いようですね。」
「早いさ。もう、あんな奴らとは附き合う事が出来ねえ。ひでえ事を言いやがる。伊村の奴がね、僕の事をサタンだなんて言いやがるんだ。なんだい、あいつは、もう二年もつづけて落第しているくせに、僕の事なんか言えた義理じゃないんだ。失敬だよ。」よそで殴られて、家へ帰って告げ口している弱虫の子供に似ているところがある。
「あなたが甘やかしてばかりいるからよ。」家の者は、たのしそうな口調で言った。「あなたはいつでも皆さんを甘やかして、いけなくしてしまうのです。」
「そうか。」意外な忠告である。「つまらん事を言ってはいけない。甘やかしているように見えるだろうが、僕には、ちゃんとした考えがあって、やっている事なんだ。そんな意見をお前から聞こうとは思わなかった。お前も、やっぱり僕をサタンだと思っているんじゃないのかね。」
「さあ、」ひっそりとなった。まじめに考えているようである。しばらく経って、「あなたばね、」
「ああ言ってくれ。なんでも言ってくれ。考えたとおりを言ってくれ。」私は畳の上に、ほとんど大の字にちかい形で寝ころがっていた。
「不精者よ。それだけは、たしかよ。」
「そうか。」あまり、よくなかった。けれどもサタンよりは、少しましなようである。「サタンでは無いわけだね。」
「でも、不精も程度が過ぎると悪魔みたいに見えて来ますよ」
 或る神学者の説に依ると、サタンの正体は天使であって、天使が堕落するとサタンというものになるのだという事であるが、なんだか話が、うますぎる。サタンと天使が同族であるというような事は、危険思想である。私には、サタンがそんな可愛らしい河童みたいなものだとは、どうしても考えられない。
 サタンは、神と戦っても、なかなか負けぬくらいの剛猛な大魔王である。私がサタンだなんて、伊村君も馬鹿な事を言ったものである。けれども伊村君からそう言われて、それから一箇月くらいは、やっぱり何だか気になって、私はサタンに就いての諸家の説を、いろいろ調べてみた。私が決してサタンでないという反証をはっきり掴んで置きたかったのである。
 サタンは普通、悪魔と訳されているが、ヘブライ語のサーターン、また、アラミ語のサーターン、サーターナーから起っているのだそうである。私は、ヘブライ語、アラミ語はおろか、英語さえ満足に読めない程の不勉強家であるから、こんな学術的な事を言うのは甚だてれくさいのであるが、ギリシャ語では、デイヤボロスというのだそうだ。サーターンの原意は、はっきりしないが、たぶん「密告者」「反抗者」らしいという事だ。デイヤボロスは、そのギリシャ訳だというわけである。どうも、辞書を引いてたったいま知ったような事を、自分の知識みたいにして得々として語るのは、心苦しい事である。いやになる。けれども私は、自分がサタンでないという事を実証する為には、いやでも、もう少し言わなければならぬ。要するにサタンという言葉の最初の意味は、神と人との間に水を差し興覚めさせて両者を離間させる者、というところにあったらしい。もっとも旧約の時代に於いては、サタンは神と対立する強い力としては現れていない。旧約に於いては、サタンは神の一部分でさえあったのである。或る外国の神学者は、旧約以降のサタン思想の進展に就いて、次のように報告している。すなわち、「ユダヤ人は、長くペルシャに住んでいた間に、新しい宗教組織を知るようになった。ペルシャの人たちは、其名をザラツストラ、或いはゾロアスターという偉大な教祖の説を信じていた。ザラツストラは、一切の人生を善と悪との間に起る不断の闘争であると考えた。これはユダヤ人にとって全く新しい思想であった。それまで彼等は、エホバと呼ばれた万物の唯一の主だけを認めていた。物事が悪く行ったり戦いに敗れたり病気にかかったりすると、彼等はきまって、こういう不幸は何もかも自分たちの民族の信仰の不足のせいであると思い込んでいたのだ。ただ、エホバのみを恐れた。罪が悪霊の単独の誘惑の結果であるという考えは、嘗(かつ)て彼等に起った事が無かったのである。エデンの園の蛇でさえ彼等の眼には、勝手に神の命令にそむいたアダムやエバより悪くはなかったのだ。けれども、ザラツストラの教義の影響を受けて、ユダヤ人も今はエホバに依って完成せられた一切の善を、くつがえそうとしているもう一つの霊の存在を信じ始めた。
 彼等はそれをエホバの敵、すなわち、サタンと名づけた。」というのであるが、簡明の説である。そろそろサタンは、剛猛の霊として登場の身仕度をはじめた。そうして新約の時代に到って、サタンは堂々、神と対立し、縦横無尽に荒れ狂うのである。サタンは新約聖書の各頁に於いて、次のような、種々さまざまの名前で呼ばれている。二つ名のある、というのが日本の歌舞伎では悪党を形容する言葉になっているようだが、サタンは、二つや三つどころではない。デイアボロス、ベリアル、ベルゼブル、悪鬼の首(かしら)、この世の君、この世の神、訴うるもの、試むる者、悪しき者、人殺、虚偽の父、亡す者、敵、大なる竜、古き蛇、等である。以下は日本における唯一の信ずべき神学者、塚本虎二氏の説であるが、「名称に依っても、ほぼ推察できるように、新約のサタンは或る意味に於いて神と対立している。即ち一つの王国をもって之を支配し、神と同じく召使たちをもっている。悪鬼どもが彼の手下である。その国が何処にあるかは明瞭でない。天と地の中間(エペソ二・二)のようでもあり、天の処(同六・一二)という場所か、または、地の底(黙示九・十一、二〇・一以下)らしくもある。とにかく彼は此の地上を支配し、出来る限りの悪を人に加えようとしている。彼は人を支配し、人は生まれながらにして彼の権力の下にある。この故に『この世の君』であり、『この世の神』であって、彼は国々の凡ての権威と栄華とをもっている。」
 ここに於いて、かの落第生伊村君の説は、完膚無き迄に論破せられたわけである。伊村説は、徹頭徹尾誤謬であったという事が証明せられた。ウソであったのである。私は、サタンではなかったのである。へんな言いかたであるが、私は、サタンほど偉くはない。この世の君であり、この世の神であって、彼は国々の凡ての権威と栄華とをもっているのだそうであるが、とんでも無い事だ。私は、三鷹の薄汚いおでんやに於いても軽蔑せられ、権威どころか、おでんやの女中さんに叱られてまごまごしている。私は、サタンほどの大物でなかった。
 ほっと安堵の吐息をもらした途端に、またもや別の不安が湧いて出た。なぜ伊村君は、私をサタンだなんて言ったのだろう。まさか私がたいへん善人であるという事を言おうとして、「あなたはサタンだ」なんて言い出したわけではなかろう。悪い人だという事を言おうとしたのに違いない。けれども私は、絶対にサタンでない。この世の権威も栄華も持っていない。伊村君は言い違いしたのだ。かれは落第生で、不勉強家であるから、サタンと言う言葉の真意を知らず、ただ、わるい人という意味でその言葉を使ったのに違いない。私は、わるい人であろうか、それを、きっぱり否定できるほど私には自信が無かった。サタンでは無くとも、その手下に悪鬼というものもあった筈だ。伊村君は、私を、その召使の悪魔だと言おうとして、ものを知らぬ悲しさ、サタンだと言ってしまったのかも知れない。聖書辞典に拠ると、「悪魔とは、サタンに追従して共に堕落(おち)し霊物(もの)にして、人を怨み之を汚さんとする心つよく、其数多し」とある。甚だ、いやらしいものである。わが名はレギオン、我ら多きが故なりなど嘯(うそぶ)いて、キリストに叱られ、あわてて二千匹の豚の群に乗りうつり転げる如く遁走し、崖から落ちて海に溺れたのも、こいつらである。だらしの無い奴である。どうも似ている。似ているようだ。サタンにお追従を言うところなぞ、そっくりじゃないか。私の不安は極点にまで達した。私は自分の三十三年の生涯を、こまかに調べた。残念ながら、あるのだ。サタンにへつらっていた一時期が、あるのだ。それに思い当った時、私はいたたまらず、或る先輩のお宅へ駈けつけた。
「へんな事を言うようですけど、僕が五、六年前に、あなたへ借金申込みの手紙を差し上げた事があった筈ですが、あの手紙いまでもお持ちでしょうか。」
 先輩は即座に答えた。
「持っている。」私の顔を、まっすぐに見て、笑った。「そろそろ、あんな手紙が気になって来たらしいね。僕は、君がお金持になったら、あの手紙を君のところへ持って行って恐喝しようと思っていたんだ。ひどい手紙だぜ。ウソばっかり書いていた。」
「知っていますよ。そのウソが、どの程度に巧妙なウソか、それを調べてみたくなったのです。ちょっと見せて下さい。ちょっとでいいんです。大丈夫。鬼の腕みたいに持ち逃げしません。ちょっと見たら、すぐ返しますから。」
 先輩は笑いながら手文庫を持ち出し、しばらく捜して一通、私に手渡した。
「恐喝は冗談だが。これからは気を附け給え。」
「わかっています。」
 以下は、その手紙の全文である。
 ----○○兄。生涯にいちどのおねがいがございます。八方手をつくしたのですが、よい方法がなく、五六回、巻紙を出したり、ひっこめたりして、やっと書きます。この辺の気持ちお察し下さい。今月末まで必ず必ずお返しできるゆえ、××家あたりから二十円、やむを得ずば十円、借りて下さるまいか?兄には、決してごめいわくをおかけしません。「太宰がちょっとした失敗をして、困っているから、」と申して借りて下さい。三月末には必ずお返しできます。お金、送るなり、又、兄御自身お遊びがてら御持参くだされたら、よろこび、これに過ぎたるは、ございません。図々しい、わがままだ、勝手だ、なまいきだ、だらしない、いかなる叱正(しっせい)をも甘受いたす覚悟です。只今、仕事をして居ります。この仕事ができれば、お金が入ります。一日早ければ一日早いだけ助かります。二十日に要るのですけれど。おそくだと私のほうでも都合がつくのですが、万事御了察のうえ、御願い申しあげます。何事も申し上げる力がございません。委細は拝眉(はいび)の日に。三月十九日。治拝。」
 意外な事には、此の手紙のところどころに、先輩の朱筆の評が書き込まれていた。括弧の中が、その先輩の評である。
 ----○○兄。生涯にいちどの(人間のいかなる行為も、生涯にいちどきりのもの也)おねがいがございます。八方手をつくしたのですが(まず、三四人にもだしたか)よい方法がなく、五六回、巻紙を出したり、ひっこめたりして(この辺は真実ならん)やっと書きます。この辺の気持ちお察し下さい(察しはつくが、すこし変である)今月末まで必ず必ずお返しできるゆえ、××家あたり(あたりとは、おかしき言葉なり)から二十円、やむを得ずば十円、借りて下さるまいか?兄には、決してごめいわくをおかけしません(この辺は真実ならんも、また、あてにすべからず)「太宰がちょっとした失敗をして、困っているから、」と申して(申してとは、あやしき言葉なり、無礼なり)借りて下さい。三月末には必ずお返しできます。お金、送るなり、又、兄御自身お遊びがてら御持参くだされたら(かれ自身は更に動く気なきものの如し、かさねて無礼なり)よろこび(よろこびとは、真(まこと)らしきも、かれも落ちたるものなり)これに過ぎたるは、ございません。図々しい、わがままだ、勝手だ、なまいきだ、だらしない、いかなる叱正(しっせい)をも甘受いたす覚悟です(覚悟だけはいい。ちゃんと自分のことは知っている。けれども、知っているだけなり)只今、仕事をして居ります。この仕事ができれば(この辺同情す)お金が入ります。一日早ければ一日早いだけ助かります。二十日に要るのですけれど(日数に於いて掛値あるが如し、注意を要す)おそくだと私のほうでも都合がつくのですが(虚飾のみ。人を愚弄すること甚だしきものあり)万事御了察のうえ、御願い申しあげます。何事も申し上げる力がございません(新派悲劇のせりふの如し、人を喰っている)委細は拝眉(はいび)の日に。三月十九日。治拝。(借金の手紙として全く拙劣を極むるものと認む。要するに、微塵も誠意と認むるものなし。みなウソ文章なり)
「これはひどいですねえ。」私は思わず嘆声を発した。
「ひどいだろう?呆れただろう。」
「いいえ、あなたの朱筆のほうがひどいですよ。僕の文章は、思っていた程でも無かった。狡智(こうち)の極を縦横に駆使した手紙のような気がしていたのですが、いま読んでみて案外まともなので拍子抜けがしたくらいです。だいいち、あなたにこんなに看破されて、こんな、こんな、」まぬけた悪鬼なんてあるもんじゃない、と言おうとしたのだが言えなかった。どこかで、まだ私がこの先輩をだましているかも知れないと思ったからである。私が言い澱(よど)んでいると、先輩は、どれどれと言って私の手から巻紙を取り上げて、
「むかしの事だから、どんな文句か忘れてしまった。」と呟いて読んでいるうちに、噴き出してしまった。「君も馬鹿だねえ。」と言った。
 馬鹿。この言葉に依って私は救われた。私は、サタンではなかった。悪鬼でもなかった。馬鹿であった。バカというものであった。考えてみると、私の悪事は、たいてい片っ端から皆に見破られ、呆れられ笑われて来たようである。どうしても完璧の瞞着(まんちゃく)が出来なかった。しっぽが出ていた。
「僕はね、或る学生からサタンと言われたんです。」私は少しくつろいで事情を打ち明けた。
「いまいましくて仕様がないから、いろいろ研究しているのですが、いったい、悪魔だの、悪鬼だのというものが此の世の中に居るんでしょうか。僕には、人がみんな善い弱いものに見えるだけです。人のあやまちを非難する事が出来ないのです。無理もないというような気がするのです。しんから悪い人なんて僕は見た事がない。みんな、似たようなものじゃないんですか?」
「君には悪魔の素質があるから、普通の悪には驚かないのさ。」先輩は平気な顔をして言った。「大悪漢から見れば、この世の人たちは、みんな甘くて弱虫だろうよ。」
 私は再び暗澹(あんたん)たる気持ちになった。これは、いけない。「馬鹿」で救われて、いい気になっていたら、ひどい事になった。
「そうですか。」私は、うらめしかった。「それでは、あなたも、やっぱり私を信用していないのですね。そういうもんかなあ。」
 先輩は笑い出した。
「怒るなよ。君は、すぐ怒るからいけない。君がいま人のあやまちを非難する事が出来ないとか何とか、キリストみたいに立派な事を言うもんだから、ちょっと、厭味を言ってみたんだ。しんから悪い人なんて見た事が無いと君は言うけれども、僕は見た事がある。二、三年前に新聞で読んだ事がある。ポストにマッチの火を投げ入れて、ポストの中の郵便物を燃やして喜んでいた男があった。狂人ではない。目的の無い遊戯なんだ。毎日、毎日、あちこちのポストの中の郵便物を焼いて歩いた。」
「それあ、ひどい。」そいつは、悪魔だ。みじんも同情の余地が無い。しんから悪いやつだ。そんな奴を見つけたら、私だって滅茶苦茶にぶん殴ってやる事が出来る。死刑以上の刑罰を与えよ。そいつは、悪魔だ。それに較べたら、私はやっぱり、ただの「馬鹿」であった。もう之で、解決がついた。私は此の世の悪魔を見た。そいつは、私と全然違うものであった。私は悪魔でも悪鬼でもない。ああ、先輩はいい事を知らせてくれた。感謝である、とその日から、四、五日間は、胸の内もからりとしていたのであるが、また、いけなかった。つい先日、私は、またもや、悪魔!と呼ばれた。一生、私につきまとう思想であろうか。
 私の小説には、女の読者が絶無であったのだが、ことしの九月以来、或るひとりの女のひとから、毎日のように手紙をもらうようになった。そのひとは病人である。永く入院している様子である。退屈しのぎに日記でも書くような気持ちで、私へ毎日、手紙を書いているのである。だんだん書く事が無くなったと見えて、こんどは私に逢いたいと言いはじめた。病院へ来て下さいと言うのであるが、私は考えた。私は自分の容貌も身なりも、あまり女のひとに見せたくないのである。軽蔑されるにきまっている。ことに、会話の下手くそは、自分ながら呆れている。逢わないほうがよい。私は返事を保留して置いた。すると今度は、私の家の者へ手紙を寄こした。相手が病人のせいか、家の者も寛大であった。行っておあげなさい、と言うのである。私は、二日も三日も考えた。その女の人は、きっと綺麗な夢を見ているのに違いない。私の赤黒い変な顔を見ると、あまりの事に悶絶するかも知れない。悶絶しないまでも、病勢が亢進(こうしん)するのは、わかり切った事だ。できれば私は、マスクでも掛けて逢いたかった。
 女のひとからは次々と手紙が来る。正直に言えば、私はいつのまにか、その人に愛情を感じていた。とうとう先日、私は一ばんいい着物を着て、病院をおとずれた。死ぬる程の緊張であった。病室の戸口に立って、お大事になさい、と一こと言って、あかるく笑って、そうして直ぐに別れよう。それが一ばん綺麗な印象を与えるだろう。私は、そのとおりに実行した。病室には菊の花が三つ。女のひとは、おやと思うほど美しかった。青いタオルの寝巻に、銘仙の羽織をひっかけて、ベッドに腰かけて笑っていた。病人の感じは少しも無かった。
「お大事に。」と言って、精一ぱい私も美しく笑ったつもりだ。これでよし、永くまごついていると、相手を無慙(むざん)に傷つける。私は素早く別れたのである。帰る途々、つまらない思いであった。相手の夢をいたわるという事は、淋しい事だと思った。
 あくる日、手紙が来たのである。
「生れて、二十三年になりますけれども、今日ほどの恥辱を受けた事はございません。私がどんな思いであなたをお待ちしていたか、ご存じでしょうか。あなたは私の顔を見るなり、くるりと背を向けてお帰りになりました。私のまずしい病室と、よごれて醜い病人の姿に幻滅して、閉口してお帰りになりました。あなたは私を雑巾みたいに軽蔑なさった。(中略)あなたは、悪魔です。」
 後日談は無い。
(「知性」昭和十六年十二月号)

(恥)
 菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未(ま)だ足りない。サムエル後書にありました。「タマル、灰を其の首(こうべ)に蒙(かむ)り、着たる振袖を裂き、手を首(こうべ)にのせて、呼(よば)わりつつ去(さり)ゆけり」可愛そうな妹タマル。わかい女は、恥ずかしくてどうにもならなくなった時には、本当に頭から灰でもかぶって泣いてみたい気持になるわねえ。タマルの気持がわかります。
 菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、人の屑よ。いいえ、鬼です。ひどいんです。私は、大恥かいちゃった。菊子さん。私は今まであなたに秘密にしていたけれど、小説家の戸田さんに、こっそり手紙を出していたのよ。そうしてとうとう一度お目にかかって大恥かいてしまいました。つまらない。
 はじめから、ぜんぶお話申しましょう。九月のはじめ、私は戸田さんへ、こんな手紙を差し上げました。たいへん気取って書いたのです。
「ごめん下さい。非常識と知りつつ、お手紙をしたためめす。おそらく貴下の小説には、女の読者がひとりも無かった事と存じます。女は、広告のさかんな本ばかりを読むのです。女には、自分の好みがありません。人が読むから、私も読もうという虚栄みたいなもので読んでいるのです。物知り振っている人を、矢鱈(やたら)に尊敬いたします。つまらぬ理窟を買いかぶります。貴下は、失礼ながら、理窟をちっとも知らない。学問も無いようです。貴下の小説を私は、去年の夏から読みはじめてほとんど全部を読んでしまったつもりでございます。それで、貴下にお逢いする迄もなく、貴下の身辺の事情、容貌、風采、ことごとくを存じて居ります。貴下に女の読者がひとりも無いのは、確定的の事だと思いました。貴下はご自分の貧寒の事や、吝嗇の事や、さもしい夫婦喧嘩、下品な御病気、それから容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸(たこ)の脚なんかを齧(かじ)って焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん不名誉な、きたならしい事ばかり、少しも飾らずに告白なさいます。あれでは、いけません。女は、本能として、清潔を尊びます。貴下の小説を読んで、ちょっと貴下をお気の毒とは思っても、頭のてっぺんが禿げて来たとか、歯がぼろぼろに欠けて来たとか書いてあるのを読みますと、やっぱり、余りひどくて、苦笑してしまいます。ごめんなさい。軽蔑したくなるのです。それに、貴下は、とても口で言えない不潔な場所の女のところへも出掛けて行くようではありませんか。あれでもう、決定的です。私でさえ、花をつまんで読んだ事があります。女のひとは、ひとりのこらず、貴下を軽蔑し、顰蹙(ひんしゅく)するのも当然です。私は、貴下の小説をお友だちに隠れて読んでいました。私が貴下のものを読んでいるという事が、もしお友だちにわかったら、私は嘲笑せられ、人格を疑われ、絶交される事でしょう。どうか、貴下に於いても、ちょっと反省をして下さい。私は、貴下の無学あるいは文章の拙劣、あるいは人格の卑しさ、思慮の不足、頭の悪さ等、無数の欠点をみとめながらも、底に一すじの哀愁感のあるのを見つけたのです。私は、あの哀愁感を惜しみます。他の女の人には、わかりません。女のひとは、前にも申しましたように虚栄ばかりで読むのですから、やたらに上品ぶった避暑地の恋や、あるいは思想的な小説などを好みますが、私は、そればかりでなく、貴下の小説の底にある一種の哀愁感というものを尊いのだと信じました。どうか、貴下は、御自身の容貌の醜さや、過去の汚行や、または文章の悪さ等に絶望なさらず、貴下独特の哀愁感を大事になさって、同時に健康に留意し、哲学や語学をいま少し勉強なさって、もっと思想を深めて下さい。貴下の哀愁感が、もし将来に於いて哲学的に整理できたならば、貴下の小説も今日の如く嘲笑せられず、貴下の人格も完成される事と存じます。その完成の日には、私も覆面をとって私の住所姓名を明らかにして、貴下とお逢いしたいと思いますが、ただ今は、はるかに声援をお送りするだけで止そうと思います。お断りして置きますが、これはファン・レタアではございませぬ。奥様なぞにお見せして、おれにも女のファンが出来たなんて下品にふざけ合うのは、やめていただきます。私はプライドを持っています。」
 菊子さん。だいたい、こんな手紙を書いたのよ。貴下、貴下とお呼びするのは、何だか具合が悪かったけど、「あなた」なんて呼ぶには、戸田さんと私ととでは、としが違いすぎて、それに、なんだか親し過ぎて、いやだわ。戸田さんが年甲斐も無く自惚れて、へんな気を起したら困ると思ったの。「先生」とお呼びするほど尊敬もしていないし、それに戸田さんには何も学問がないんだから「先生」と呼ぶのは、とても不自然だと思ったの。だから貴下とお呼びする事にしたんだけど、「貴下」も、やっぱり少しへんね。でも私は、この手紙を投函しても、良心の呵責は無かった。よい事をしたと思った。お気の毒な人に、わずかでも力をかしてあげるのは、気持のよいものです。けれども私は此の手紙には、住所も名前も書かなかった。だって、こわいもの。汚い身なりで酔って私の家へ訪ねて来たら、ママは、どんなに驚くでしょう。お金を貸せ、なんて脅迫するかも知れないし、とにかく癖の悪いおかただから、どんなこわい事をなさるかわからない。私は永遠に覆面の女性でいたかった。けれども、菊子さん、だめだった。とっても、ひどい事になりました。それから、ひとつき経たぬうちに、私はもう一度戸田さんへ、どうしても手紙を書かなければならぬ事情が起りました。しかも今度は、住所も名前も、はっきり知らせて。
 菊子さん、私は可哀想な子だわ。その時の私の手紙の内容をお知らせすると、事情もだいたいおわかりの筈ですから、次に御紹介いたしますが、笑わないで下さい。
「戸田様。私は、おどろきました。どうして私の正体を捜し出す事が出来たのでしょう。そうです、本当に、私の名前は和子です。そうして教授の娘で、二十三歳です。あざやかに素破抜かれてしまいました。今月の『文学世界』の新作を拝見して、私は呆然としてしまいました。本当に、本当に、小説家というものは油断のならぬものだと思いました。どうして、お知りになったのでしょう。しかも、私の気持まで、すっかり見抜いて、『みだらな空想をするようにさえなりました。』などと辛辣な一矢を放っているあたり、たしかに貴下の驚異的な進歩だと思いました。私のあの覆面の手紙が、ただちに貴下の制作慾をかき起したという事は、私にとってもよろこばしい事でした。女性の一支持が、作家をかく迄も、いちじるしく奮起させるとは、思いも及ばなかった事でした。人の話に依りますと、ユーゴー、バルザックほどの大家でも、すべて女性の保護と慰藉(いしゃ)のおかげで、数多い傑作をものにしたそうです。私も貴下を、及ばずながらお助けする事に覚悟をきめました。どうか、しっかりやって下さい。時々お手紙を差し上げます。貴下の此の度の小説に於いて、わずかながら女性心理の解剖を行っているのはたしかに一進歩にて、ところどころ、あざやかであって感心も致しましたが、まだまだ到らないところもあるのです。私は若い女性ですから、これからいろいろ女性の心を教えてあげます。貴下は、将来有望の士だと思います。だんだん作品も、よくなって行くように思います。どうか、もっと御本を読んで哲学的教養も身につけるようにして下さい。教養が不足だと、どうしても大小説家にはなれません。お苦しい事が起ったら、遠慮なくお手紙を下さい。もう見破られましたから、覆面はやめましょう。私の住所と名前は表記のとおりです。偽名ではございませんから、御安心下さいませ。貴下が、他日、貴下の人格を完成なさった暁には、かならずお逢いしたいと思いますが、それまでは、文通のみにて、かんにんして下さいませ。本当に、このたびは、おどろきました。ちゃんと私の名前まで、お知りになっているのですもの。きっと、貴下は、あの私の手紙に興奮して大騒ぎしてお友達みんなに見せて、そうして手紙の消印などを手がかりに、新聞社のお友達あたりにたのんで、とうとう、私の名前を突きとめたというようなところだろうと思っていますが、違いますか?男のかたは、女からの手紙だと直ぐ大騒ぎをするんだから、いやだわ。どうして私の名前や、それから二十三歳だという事まで知ったか、手紙でお知らせ下さい。末永く文通いたしましょう。この次からは、もっと優しい手紙を差し上げましょうね。ご自重下さい。」
 菊子さん、私はいま此の手紙を書き写しながら何度も泣きべそをかきました。全身に油汗がにじみ出る感じ。お察し下さい。私、間違っていたのよ。私の事なんか書いたんじゃ無かったのよ。てんで問題にされていなかったのよ。ああ恥ずかしい、恥ずかしい。菊子さん、同情してね。おしまいまでお話するわ。
 戸田さんが今月の『文学世界』に発表した『七草』という短篇小説、お読みになりましたか。二十三歳の娘が、あんまり恋を恐れ、恍惚を憎んで、とうとうお金持ちの六十の爺さんと結婚してしまって、それでもやっぱり、いやになり、自殺するという筋の小説。すこし露骨で暗いけれど、戸田さんの持味は出ていました。私はその小説を読んで、てっきり私をモデルにして書いたのだと思い込んでしまったの。なぜだか、二、三行読んだとたんにそう思い込んで、さっと蒼ざめました。だって、その女の子の名前は私と同じ、和子じゃないの。としも同じ、二十三じゃないの。父が大学の先生をしているところまで、そっくりじゃないの。あとは私の身の上と、てんで違うけれど、でも、之は私の手紙からヒントを得て創作したのにちがいないと、なぜだかそう思い込んでしまったのよ。それが大恥のもとでした。
 四、五日して戸田さんから葉書をいただきましたが、それにはこう書かれて居りました。
「拝復。お手紙をいただきました。御支持をありがたく存じます。また、この前のお手紙も、たしかに拝誦(はいしょう)いたしました。私は今日まで人のお手紙を家の者に見せて笑うなどという失礼な事は一度も致しませんでした。また友達に見せて騒いだ事もございません。その点は、御放念下さい。なおまた、私の人格が完成してから逢って下さるのだそうですが、いったい人間は、自分で自分を完成できるものでしょうか。不一。」
 やっぱり小説家というものは、うまい事を言うものだと思いました。一本やられたと、くやしく思いました。私は一日ぼんやりして、翌(あく)る朝、急に戸田さんに逢いたくなったのです。逢ってあげなければいけない。あの人は、いまきっとお苦しいのだ。私がいま逢ってあげなければ、あの人は堕落してしまうかも知れない。あの人は私の行くのを待っているのだ。お逢い致しましょう。私は早速、身仕度をはじめました。菊子さん、長屋の貧乏作家を訪問するのに、ぜいたくな身なりで行けると思って?とても出来ない。或る婦人団体の幹事さんたちが狐の襟巻(えりまき)をして、貧乏窟の視察に行って問題を起した事があったでしょう?気を附けなければいけません。小説に依ると戸田さんは、着る着物さえ無くて綿のはみ出たドテラ一枚きりなのです。そうして家の畳は破れて、新聞紙を部屋一ぱいに敷き詰めてその上に坐って居られるのです。そんなにお困りの家へ、私がこないだ新調したピンクのドレスなど着て行ったら、いたずらに戸田さんの御家族を淋しがらせ、恐縮させるばかりで失礼な事だと思ったのです。私は女学校時代のつぎはぎだらけのスカートに、それからやはりむかしスキーの時に着た黄色いジャケツ。此のジャケツは、もうすっかり小さくなって、両腕が肘ちかく迄にょっきり出るのです。袖口はほころび、毛糸が垂れさがって、まず申し分のない代物なのです。戸田さんは毎年、秋になると脚気が起って苦しむという事も小説で知っていましたので、私のベッドの毛布を一枚、風呂敷に包んで持って行く事に致しました。毛布で脚をくるんで仕事をなさるように忠告したかったのです。私は、ママにかくれて裏口から、こっそり出ました。菊子さんもご存じでしょうが、私の前歯が一枚だけ義歯で取りはずし出来るので、私は電車の中でそれをそっと取りはずして、わざと醜い顔に作りました。戸田さんは、たしか歯がぼろぼろに欠けている筈ですから、戸田さんに恥をかかせないように、安心させるように、私も歯の悪いところを見せてあげるつもりだったのです。髪もくしゃくしゃに乱して、ずいぶん醜いまずしい女になりました。弱い無智な貧乏人を慰めるのには、たいへんこまかい心使いがなければいけないものです。
 戸田さんの家は郊外です。省線電車から降りて、交番で聞いて、わりに簡単に戸田さんの家を見つけました。菊子さん、戸田さんのお家は、長屋ではありませんでした。小さいけれども、清潔な感じの、ちゃんとした一戸構えの家でした。お庭も綺麗に手入れされて、秋の薔薇が咲きそろっていました。すべて意外の事ばかりでした。玄関をあけると、下駄箱の上に菊の花を活けた水盤が置かれていました。落ちついて、とても上品な奥様が出て来られて、私にお辞儀を致しました。私は家を間違えたのではないかと思いました。
「あの、小説を書いて居られる戸田さんは、こちらさまでございますか。」と、恐る恐るたずねてみました。
「はあ。」と優しく答える奥様の笑顔は、私にはまぶしかった。
「先生は、」思わず先生という言葉が出ました。「先生は、おいででしょうか。」
 私は先生の書斎にとおされました。まじめな顔の男が、きちんと机の前に坐っていました。ドテラでは、ありませんでした。なんという布地か、私にはわかりませんけれど、濃い青色の厚い布地の袷(あわせ)に、黒地に白い縞が一本入っている角帯をしめていました。書斎は、お茶室の感じがしました。床の間には、漢詩の軸。私には、一字も読めませんでした。竹の籠には、蔦(つた)が美しく活けられていました。机の傍には、とてもたくさんの本がうず高く積まれていました。
 まるで違うのです。歯も欠けていません。頭も禿げていません。きりっとした顔をしていました。不潔な感じは、どこにもありません。この人が焼酎を飲んで地べたに寝るのかと不思議でなりませんでした。
「小説の感じと、お逢いした感じとまるでちがいます。」私は気を取り直して言いました。
「そうですか。」軽く答えました。あまり私に関心を持っていない様子です。
「どうして私の事をご存じなったのでしょう。それを伺いにまいりましたの。」私は、そんな事を言って、体裁を取りつくろってみました。
「なんですか?」ちっとも反応がありません。
「私が名前も住所もかくしていたのに、先生は、見破ったじゃありませんか。先日お手紙を差し上げて、その事を第一におたずねした筈ですけど。」
「僕はあなたの事なんか知っていませんよ。へんですね。」澄んだ眼で私の顔を、まっすぐに見て薄く笑いました。
「まあ!」私は狼狽しはじめました。「だって、そんなら、私のあの手紙の意味が、まるでわからなかったでしょうに、それを、黙っているなんて、ひどいわ。私を馬鹿だと思ったでしょうね。」
 私は泣きたくなりました。私は何というひどい独り合点をしていたのでしょう。滅っ茶、滅茶。菊子さん。顔から火が出る、なんて形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。
「それでは、あの手紙を返して下さい。恥ずかしくていけません。返して下さい。」
 戸田さんは、まじめな顔をしてうなずきました。怒ったのかも知れません。ひどい奴だ、と呆れたのでしょう。
「捜してみましょう。毎日の手紙をいちいち保存して置くわけにもいきませんから、もう、なくなっているかも知れませんが、あとで、家の者に捜させてみます。もし、見つかったら、お送りしましょう。二通でしたか?」
「二通です。」みじめな気持。
「何だか、僕の小説が、あなたの身の上に似ていたそうですが、僕は小説にはモデルを使いません。全部フィクションです。だいいち、あなたの最初のお手紙なんか。」ふっと口を噤(つぐ)んで、うつむきました。
「失礼いたしました。」私は歯の欠けた、見すぼらしい乞食娘だ。小さすぎるジャケツの袖口は、ほころびている。紺のスカートは、つぎはぎだらけだ。私は頭のてっぺんから足の爪先(つまさき)まで、軽蔑されている。小説家は悪魔だ!嘘つきだ!貧乏でもないのに極貧の振りをしている。立派な顔をしている癖に、醜貌(しゅうぼう)だなんて言って同情を集めている。うんと勉強している癖に、無学だなんて言ってとぼけている。奥様を愛している癖に、毎日、夫婦喧嘩だと吹聴している。くるしくもないのに、つらいような身振りをしてみせる。私は、だまされた。だまってお辞儀をして、立ち上り、
「御病気は、いかがですか?脚気だとか。」
「僕は健康です。」
 私は此の人のために毛布を持って来たのだ。また、持って帰ろう。菊子さん、あまりの恥ずかしさに、私は毛布の包みを抱いて帰る途々(みちみち)、泣いたわよ。毛布の包みに顔を押しつけて泣いたわよ。自動車の運転手に、馬鹿野郎!気をつけて歩けって怒鳴られた。
 二、三日経ってから、私のあの二通の手紙が大きい封筒にいれられて書留郵便でとどけられました。私には、まだ、かすかに一縷(いちる)の望みがあったのでした。もしかしたら、私の恥を救ってくれるような佳い言葉を、先生から書き送られて来るのではあるまいか。此の大きい封筒には、私の二通の手紙の他に、先生の優しい慰めの手紙でもはいっているのではあるまいか。私は封筒を抱きしめて、それから祈って、それから開封したのですが、からっぽ。私の二通の手紙の他には、何もはいっていませんでした。もしや、私の手紙のレターペーパーの裏にでも、いたずら書きのようにして、何か感想でもお書きになっていないかしらと、いちまい、いちまい、私は私の手紙のレターペーパーの裏も表も、ていねいに調べてみましたが、何も書いていなかった。この恥ずかしさ。おわかりでしょうか。頭から灰でもかぶりたい。私は十年も、としをとりました。小説家なんて、つまらない。人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。ちっともロマンチックではないんだもの。普通の家庭に落ち附いて、そうして薄汚い身なりの、歯の欠けた娘を、冷く軽蔑して見送りもせず、永遠に他人の顔をして澄ましていようというんだから、すさまじいや。あんなの、インチキというんじゃないかしら。
(「婦人画報」昭和十七年一月号)

(2002.4.29)-2
 どうでしょう。面白かったでしょうか。これは太宰が書いたものなので、ぼくにそんな事を聞く資格は無いのですけれど、ぼくだって、これから、一応これを踏まえて、これからの無駄話を書くつもりでいますので、面白く読めたかどうかが、やはり気になるのです。読んでおわかりになりますように、このふたつの作品は同じ出来事をきっかけにして書かれています。それはすなわち、

「〜ことしの九月以来、或るひとりの女のひとから、毎日のように手紙をもらうようになった。」
「女のひとからは次々と手紙が来る。正直に言えば、私はいつのまにか、その人に愛情を感じていた。とうとう先日、私は一ばんいい着物を着て、病院をおとずれた。」
「 あくる日、手紙が来たのである。」
「誰」から抜粋

という、毎日のようにファンレターを送って来てくれていた、病床のある若い女性に、作者太宰が会いに行き、太宰は例の含羞でもって、のこのこ訪ねて行ったくせに、一礼して直ぐに帰ってきてしまうという、相変わらずのバカっぷり。しかも、それが相手に、こちらの意図したところと全く正反対の誤解を与えてしまい、その翌日に届いた手紙で「あなたは悪魔です。」と非難されてしまう、という話です。片方「誰」のほうはエッセイ風に書かれており、もう片方「恥」の方はそれをもとにした短い小説になっています。「誰」はかなり面白い、笑える話になっていると思いますが、「恥」の方は読み終えて、だいぶ不愉快な気持になったのではないかなと思います。ですから、面白かったでしょうか、などと聞くのは、ひねくれていて、あまりよいことではなかったかも知れません。すいません。
 それから、ぼくの解説だけでは、はなはだ不安があるでしょうから、新潮文庫「ろまん燈籠」の巻末の解説を載せて、以上に述べました、このふたつの作品の関連性と、それから受ける印象が、だいたいのところ、まっとうなものであろうということを裏付けておこうかな、と思います。以下、その抜粋。

「『誰』は昭和十六年十二月の「知性」に発表された。無神経な学生が言ったあなたはサタンだという言葉から、いったいサタンとは何かと聖書を中心に学術的に調べ、自分の本質は何か、人々に対してはたしている役割は何かを、ユーモラスなタッチながら、真剣に追求し、前期の作品を読むようである。
『恥』は、昭和十七年一月「婦人画報」に発表された。『誰』を裏返えしにしたような作品で作家が作品に書いたことを全部真実だと思いこんだ女が、こんな惨めな作家には誰も女のファンはないだろうと、手紙を出し、わざと汚い恰好をして訪れると意外にもその作家は小ぎれいな家で端正に暮している。その現実にぶつかり女は頭から灰をかぶって逃げたいような恥しさを感じる。女性の惨めな男性に対する母性本能的優越をやゆした巧みな作品だが、何か読み終えて、あと味が悪い。『誰』と『恥』は作家のコンプレックスの表裏を描いたのであろうか。」

 ありがとうございます。どうやら、よい解説であるようです。よし、これでぼくがろくでもない間違いだらけのことを言っても、これをお読みの皆さんはこの解説を頼りに、ぼくの話の勘違いをきちんと補正して受け取っていただけるに違いないので、ぼく自身は安心してこれから、べらべらとろくでもないことを喋ってゆくことにいたしましょう。
 冒頭で述べましたように、この話のテーマは「愛情と贖罪の形式について」でありますが、この愛情というのは、「〜正直に言えば、私はいつのまにか、その人に愛情を感じていた。〜」というやつで、そんなに大きなものを指して言っているのではありません。せいぜい、親近感、愛着、といった程度のものでして、ぼくは正直言いまして、「愛情」とは言いたくなかったのですが、太宰がそのように書いていますので、それに従っている、というようなかっこうになっています。
 少し大きな話になりますが、太宰治の愛情というやつは、常に、自身の持つ妙なコンプレックスによって歪められて現れ、この話のように、「私は自分の容貌も身なりも、あまり女のひとに見せたくないのである。軽蔑されるにきまっている。ことに、会話の下手くそは、自分ながら呆れている。逢わないほうがよい。」「私は、二日も三日も考えた。その女の人は、きっと綺麗な夢を見ているのに違いない。私の赤黒い変な顔を見ると、あまりの事に悶絶するかも知れない。悶絶しないまでも、病勢が亢進(こうしん)するのは、わかり切った事だ。できれば私は、マスクでも掛けて逢いたかった。」「病室の戸口に立って、お大事になさい、と一こと言って、あかるく笑って、そうして直ぐに別れよう。それが一ばん綺麗な印象を与えるだろう。私は、そのとおりに実行した。」などという、はたから見ますと、ただもう一人合点の、わけのわからない理由でもって、わけのわからないことをしている、というだけのことでして、それを太宰は「はにかみ」「含羞」などと呼んでいますが、ちょっと極端に言いますと、太宰は、それを何とかしてわかってもらおうとあの手この手を尽くして、延々と言いつづけまして、ただ、もうそれだけに自分の一生を使ってしまったのであります。そんなことで4度の自殺未遂、パビナール中毒、借金、5度目で、とうとうハイさようなら、をやったのであります。あまり賢いとは思えません。しかも結局わかってもらえなかった。何をやっていたんだろう、この人は。「如是我聞」なんか、馬鹿みたいに書いて。結局3人も他人を殺している。
 なんか、あまり喋りたくなくなってきました。。。まあ、頑張って続けましょう。はっきり言いまして、ぼくは太宰のこの「愛情」というやつをあまり信用していません。いや、信用、というのともちょっと違いますが、少なくとも、この男の「愛情」は迷惑なものであります。この例でも明らかなように、行動を伴う場合、それは害にしかならない。その上、その「愛情」が実際に向けられているのは、相手ではなくて、主に自分自身なのであります。そうでない時も、どうやらたまにはあったようではありますが、大部分はそのような類の「愛情」で、はなはだ信用ならない、役立たずのものであります。ないほうが世のためであります。それは太宰本人もどうやら自覚していたようで、それでまあ、「滅亡の民」だのなんだの言って、自殺をやらかすわけですが、このふたつの話についても、これは、その太宰の「愛情」が生んだ罪に対する、謂わば「贖罪」にあたると、ぼくは考えているのです。はい、上手につながりました。パチパチパチパチ。。。
 「贖罪」という言葉を調べてみますと、
しょく-ざい [贖罪] @体刑に服する代りに、財物を差し出して罪過を許されること。 →贖銅。 A [宗] (atonement) 犠牲や代償を捧げることによって罪過をあがなうこと。特に、キリスト教の教義の一。自らではあがなうことのできない人間の罪を、神の子であり、人となったキリストが十字架の死によってあがない、神と人との和解を果したとする。和解。赦し。
広辞苑
となっておりまして、どうやらそこそこ適当な言葉であったようで、今ほっとしていますが、このうちの@の意味のほうを主に使うことにいたしまして、以降このふたつの話が、太宰の贖罪であった、ということを言っていこうかなと思います。ここでいう、財物、は当然、このふたつの話であります。それなら、体刑はといいますと、これは「後日談は無い。」など気取って書いていないで、もう一度会いに行って、ごめんなさい、と誠心誠意お詫びする事に決まっています。
 その意味で言えば、前者「誰」の方は比較的その体刑に近いものだという事が出来ると思います。紙面という間接的な形ではありますが、自身の間抜けな、言い訳にもならないような、精神的な事情を吐露する事によって(こいつの事情はいつもそればかりですが)、これを読んだ相手の娘さんは、太宰のファンでもある事ですし、なるほどなるほど、などと納得し赦してくれるかも知れません。太宰がそれを考えてこの話を書いたかどうかは、その、作家の心理というやつで、そのように自分の作品を私的な目的で使う、ということをするものなのかどうか、ぼくにはよくわかりませんが、たとえそうであったとしてもしても、やはり卑怯であります。感心できた事ではありません。しかし、ともかく、「誰」は比較的素直な作品でありまして、これ以上とやかく言う事は、「愛情と贖罪の形式について」の方では特にありませんが(サタンのほうの話についてはちょっとあるのですが)、「恥」のほうはもうちょっと複雑でして、ぼくは奇妙な不快感をもたらすこの作品に非常に興味があります。
 こちらもまずは、これが太宰の贖罪であるという事を説明しなければなりません。そのために、まずはこの作品を読んで、ぼくが当初抱いた感想を書いておこうと思います。やはりぼくも、非常に不快だった。読んでいって、筋がはっきりとした時点で、読むのを止めようかとすら思った。前の「誰」とセットであるというのは明らかでありますから、自身が自身の勝手な理由で失礼を働いてしまった、あの病床の娘さんに対して、さらにその気持を弄ぶような、このような仕打ち、気が狂ったかと思いました。いえ、この男、もとより少々おかしなところがございますが、それでも決してこのような直接に意図して非人道的な事柄をいたす男だとは思っておりませんでした。その愚かな行いは凡てあの「含羞」やら「はにかみ」やらの所産であり、他人を害そうとする精神から発したものではない、とばかり思っておりました。それをこんな。というのが、ぼくのまず抱いた「恥」に対しての感想でありました。
 それでも、我慢して一応最後まで読み終えましたが、実に腹が立つので、何とか整理しようと、すぐに先ほど載せました巻末の解説を読みました。どうやら、やはりセットのもので、「やゆ」というやつをしている作品のようであります。あと味が悪いのも、これもどうやら正常の感想のようであります。では、なぜ、太宰はこのようなものを書いたのだろう。まさか、本当に自分の数少ない女性ファンの娘さんに悪魔と言われたからといって、腹いせに十頁以上もある話を作ったというわけではない筈であります。いくら小説家が「嘘つき」でも「人の屑」でも、それはにわかには信じがたい。ですが、このような話を一度目にしますと、平凡な一読者でありますぼくといたしましては、太宰の書いたもの全てが、なんだか疑わしくなっても来てしまいます。こいつが常日頃書いていたのは、全てでっち上げの、存在しない人間のことなのかも知れない。実際、本文中で「戸田」なる作家が書いています人物の描写、すなわち、
「貴下はご自分の貧寒の事や、吝嗇の事や、さもしい夫婦喧嘩、下品な御病気、それから容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸(たこ)の脚なんかを齧(かじ)って焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん不名誉な、きたならしい事ばかり、少しも飾らずに告白なさいます。」
というのは、太宰が常日頃書いていた自身の姿をそのまま用いていますので、この「戸田」という作家こそが、太宰なのではないか、などと不安になってしまうのです。
 しかし、ぼくが抱いたその疑念こそが、実は太宰の「贖罪」なのです。このあたりから、ちょっとぼくの話もややっこしくなります。では、なぜ、それが、このような作品を書くのが、「贖罪」になるのか。とりあえず、以下を読んでくださいな。
(2001.10.16)-6
緋。卑怯にも最大の賛辞でもってぼくは君を切り離し、ゆるりとヘドロの中へ沈み込んだ。そして、胃をそれで満たしてこの身体を二度と君とは交われないものにした。 ぼくは勝ち誇って、そういう笑みを浮かべる。君が泣けばいいんだ。君は泣けばいい。ぼくは、笑う。緋。
(2001.10.16)-10
碧。ぼくの思いは2乗で溢れた。最も愛しく思っている部分までも、欠点として転化させる驚くべき怜悧な頭脳を珍しく得た。 ぼくはぼくをも同時におとしめ、侮蔑しているにも関わらず、それを誰にも気付かせない、完成された一連の隙のない言葉を吐いた。 それは君の防御を打ち砕き、巧みに絡みつき縛り上げた上で、引き裂くか打ち砕くかをした。泣くことすら許可しなかった。悲しむことも許可しなかった。 ただ、憎しみだけを与えた。君が得た後悔といえば、ぼくと過ごした時間、だけであった。さようなら、愛しているよ。碧。
(2002.4.29)-3
 駄文で大変に申し訳ないのですが、以前ぼくが書いたものです。「贖罪」の形というものは、ただ犯した罪を後悔し、その旨を他人に伝えればいいというものではありません。特に、その罪が直接に他人を害している場合、そのような形式の、つまり一般的に言うところの、罪をあがなう、という行為は、害を受けた人間には何の価値もない事である場合が往々にしてあります。裁判の後などでよく聞かれる「死刑でも軽すぎる。せめてこの手で殺したい。」などというコメントや、「こんなことでは我々が受けた苦痛は消えはしない。」というコメントが、それをよく示していると思います。では、既に罪を犯してしまった場合、罪を犯した人間はどのようにしてその犯した罪をあがなうべきか。そのもうひとつの回答が、この「恥」という作品なのです。
 自身を同程度にまで害う。自身から相手を離す。一切の信を不信に。愛は全て極度の憎悪に。執念を伴った憎悪は、解放をもたらす諦めに。
 あ、すごいやめたくなってきた。もういいや、自分ののっけたし。満足。もう限界。ああいやだ。

(2002.4.29)-4
自身の足元を見ろってんだ。
(2002.4.29)-5
そろそろ太宰にぶん殴られそうなので、彼の天才を喰ったような文章、悪口はこれくらいに致しまして、明日からは真面目に、天才の傑作を書き写しつつ、自身のつたない作り話をもぞもぞいじくりたいと思います。ところで、太宰は、天才ですか?あれが天才だとすると、天才というのは、あまりいいものではないなぁ、という気が致します。と、これ、最後の悪口。
(2002.4.29)-6
今日のぼくは標本陳列棚に並べる価値があるでしょうか。そろそろ、一度死なねばなりません。さっぱりしたもんです。飯を食うのと、そんなに変わりゃあしない。こないだ酔っぱらって書きなぐった文章に(さっぱり憶えていない)、夏にどうのこうの、と書かれていましたので、どうやら夏、ということになりそうです。おかしな話です。ホントウに、どうでもいい、んです。切腹は、背筋を伸ばして、真っ直ぐ前を見て、狸のようにお腹をポンと叩くようにしてやるのが、正しいと思います。上でもいいや。とにかく、あまり刃を見ないほうがうまくいくように思われます。あとはできるだけ、勢いをつけることです。でも、あれは充分に助けを呼ぶ時間を与えられるようですから、やはりダイブ、する事に致します。ああ、書いてしまえば、すっきりでございます。もしかしたら、やらないかも知れません。そう、どっちでもいいんです。
(2002.4.30)-1
あー、ついに半月で100k越えてしまった。パクリばっかだけど。。。まずいなぁ、なんとかしないとなぁ。もう、量はいいよなぁ。3歩進んだら、やっぱり2歩戻らないと駄目だよなぁ。ねぇ、いまあなたが踏んづけて行った一匹の蟻、背の低いタンポポ、蹴とばした子犬、押しのけた幼い女の子、みんな、どんな顔をしていた?覚えてる?ねぇ、あたしの顔、からだの線、うしろ姿で、あなた、私だって、わかる?どんな表情をしているか、わかる?走ることは、それだけでは何でもないのよ。ねぇ、知ってる?それに気づいてる?あなたのために路をあけてくれる人のこと、見てる?あなたが跳ね上げた泥をかぶっている人の名前、言える?ねぇ、あなた、そのまま走っても、ゴールなんて、きっと、無いわよ。もしあっても、それは、あなたを迎え入れるためにあるのではなくて、お祭りをするために、ただ騒ぐために、あなたを騙して、立ちどまらせて、そうして堕とすためにあるものなのよ。
(2002.4.30)-2
ロジック遊びをするつもりは無いんだ。あれの危険なところは、何かをした気になる、というところだ。それは実に危ない。
(2002.4.30)-3
コクハクのホントウについて、あのあとちょっと考えてみました。「信じて、何も言わずについていくのが、一等正しい。」というのは、太宰の発想ですが、これはなかなかいいと思います。たとえ、それが何パーセントかしか信じられないとしても、それがイイモノであるなら、ニカッと笑って容れてやるのが、よろしい。コクハクは、中身よりも、それ自体に意味やら価値やらがあるものであります。ね、そうでしょ。コクハク、にならなければ出てこられなかった言葉や、意思や、想いをいたわるのに、何パーセント、というのは少し淋しな話でございます。お、カッコイイ。やめよう。実際はなかなかそうはいかないのでありますし、またそういう風にしてしまってもいけないのでありますから。
(2002.4.30)-4
こちらがコクハクするときだって、きっとそれは同じだと思います。「信じてくれると、何も言わずに受け取ってくれると、それを信じてやるのが、一等正しい。」言うべきホントウの何パーセントを言いきれたか、何パーセントがウソだったか、それは問題ではありません。と、信じて、コクハクするのが、相手にそのコクハクを受け入れてもらおうとする際の、最低限の礼儀ではないでせうか。そこに込められた誠意というのは、何パーセントか、というふうなウソで目減りするようなものではございません。そんなもので駄目になってしまうようなものは、告白とは呼びません。あ、今、どこからともなく、「汝、汝の足元をしかと目を見開いて見よ!あの無様な失態の姿、よもや忘れたわけではあるまいな!」なる声が。ああああ、スイマセン、スイマセン、スイマセン。
(2002.4.30)-5
口先男
(2002.4.30)-6
口先男
(2002.4.30)-7
ジブンラシク生きると、口先男
(2002.4.30)-8
笑い事でない。


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