tell a graphic lie
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(2002.5.16)-1
そもそもしあわせってなんなのかがよくわからない。思い出そうとしても、思い出せない。「今しあわせ?」ときかれたら答えられない。だからきっと、そのどっちかにぼくはずっといるんだろう。
(2002.5.16)-2
いちかぜろかにしようとしているのはぼくで
(2002.5.16)-3
太宰によると、疲れているときや、身体の具合が悪いときには、書くものが荒っぽくて突き放した感じになるそうだが、さて。ぼくは今頭が痛い。
(2002.5.16)-4
こころはからだのうえにのっている。
(2002.5.16)-5
「たのしく描いたものでないと、見る人を疲れさせてしまう。」そうだ。他にもべらべらべらべらとうれしそうにいっぱい語ってくれる。例えば「絵を描くのは、まずはじめに、じぶんのためだ。」「量やら、距離やらを持たせるためのタッチというのは、古い。」おもしろいおばさんだと思う。おせっかい。余計なお世話。本人に面と向って、「おぼさん」と言ったらきっと、すごい勢いで怒るのだろうけれども、あなた、それをも含めて、それは「おばさん」そのものですよ。
(2002.5.16)-6
それから、「うまく見せようとする必要はない。うまくなればいいのだ。」うるさい。うるさい。しってるよー、だ。
(2002.5.16)-7
 三回やって見た限りでは、三人ほど、あたま一つ二つ抜けている人がいる。
 ひとりは職人さん型。目的に適うモチーフの選択、構図、色の決定等をひとつひとつ詰めてやり、適切なサンプルを収集してきっちり仕上げる感じの方。つまり正統派。既にほとんど玄人さん。しかし、この人の面白さはそこではなくて、この人は、その容貌が非常に面白いのである。熊みたいな体型なんだけど、目が異常にやさしくて、つぶらな瞳、というやつで、さらには、声も異常に可愛らしい。女の子みたいな声。でも、熊みたいだから結構毛深いの。面白すぎる。そしてどうやら、かなりやさしい、いい人のようなので、ぼくはまだ喋っていない。喋ったらべた褒めしてしまいそうである。いや、違うな。きっと、何を喋っても汚らしい感じがして、すぐに止してしまう。
 つぎのひとりは、あんまりうまくは言えないのだけれど、いい感じの絵を描く子、MAYA-MAXXとかそっち方面、と言えばいいのだろうか。これが、うまいのである。いるところにはいるのである。この子はの外づら、性格等は所謂天然。屈託なくいい笑いをする子なのだけれど、いかんせんまともな会話が成立しない。今ぼくがしゃべった事に対して、どうしたらそういう反応が返って来るのか。いやそれは、理解はできるんだ。でも、それには5分かかる。それから、なんだかあちらも、ぼくの言う事に同じ様な感じを受けるらしい。ぼくがこの子のロジックになじみがないように、あちらもぼくのロジックになじみがないらしい。よって、会話は全然成立しない。あとからひとりになって、なんだかくやしいので、5分かけて考えてみると、うむ、これは実に素晴らしいロジックである。いや、確かめてみてはいないのだけれども、というか、そんなの無理だろうけど。とにかく、うなる。素晴らしい発想なのである。この子の回路があればなぁ、と思う。そうすれば、もう少しいい文が書けるだろうに、なんて思う。ぼくがうんうん唸ってここにもぞもぞと書き付けているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。なんて、そういったコメントがあるのは、今日はこの子と帰りが一緒になってしまったからなのである。で、そんな状態なのに、こちらに合わせようと一生懸命頑張ってくれてしまって、実に恐縮。君のリアクションはぼくには理解できないし、ぼくのリアクションも君には理解できない、何を言ってもそう。どうしようもない。でも、なんだかつんつんつつかれる。もしかすると、それも面白い、と思っているのかもしれない。という気もするけれど、その辺のところは全くわからない。山梨から頑張って通っているそうだ。電車が30分に一本の四両編成、というようなところから、わざわざ通って来ているのである。帰りは、中央線の満員電車に揺られて帰って行くのである。えらい。クレヨンがお気に入り、だそうだ。クレヨンとか、パステルとか、使いこなしてぇなぁ。
 もうひとりは、純粋アーティスティックないかした線を引っ張るやつ。実にセンスのある絵を描く。彼の絵を見ていると、センスというのは、やっぱり存在するのだ、という事を今さらながらに思う。講師陣より、多分、ある。今日課題の絵をちらと見た限りでは涙も出ないくらいの差がある。あとは手間をかけてあげるだけ、といった感じである。顔もアートな感じで、端正でシャープな顔つき、目がクールないい男である。ちょっと近寄り難いのかな。はじめての講義の時に、ぼくは例のもぞもぞやったやつを持っていって、彼はその場でしゃきしゃき黒のマジック一本を使って描いたのを見せたので、モノクロつながりのおかげで、その日の講師のおじさんに、ぼくとひとくくりにされてしまうという不当な扱いを受けてしまった。で、ぼくは講師にひとまとめにしてもらったのをいい事に、終った時「範囲決めてますか?」という質問をした。返事は「いや」とクールな一こと。ぼくはそれで、この講師のひとが間違ったくくり方をしていて、それは彼に対して失礼にあたる、という事を確認し、ぼくがはったりのごみだという事を彼にわかってもらったのでした。こいつはそのうち売れ出すのではないかな、と思う。いいなぁ。頑張ってケチをつけるとすれば、カテゴライズが可能な絵だ、というくらいだろうか。ああ、いいなぁ。あれができねぇから、ぼくは今の感じでかいてるんだ。
 それから、他の人たちもみんなそうなんだけれど、みんな描く絵と顔がよく一致している。服装のスタイルとかではなくて、顔、と一致しているのである。これはすごく面白いと思う。遺伝子。固有財産。
 あとね、みんな、どっかしら、変。普通、という印象の人はひとりもいない。
(2002.5.18)-1
生兵法は怪我の素。
(2002.5.18)-2
もうすぐW杯が始まってしまうので、さすがにぼくも、もうテレビなし、というわけにはいかない。ワールドカップはやっぱり見なければならない。日本人も、ここ一年テレビをまともに見ないうちに随分とうまくなっているようだし、楽しみ楽しみ。ということで、今日は掃除をするついでに、テレビの使えるようにしようと、押入れの隅に収まっていた、越してきたときに買ったテレビデオを引っ張り出した。それから、配置をちょこちょこいじっていたら、久々に物欲がわいてきたので、よしよし、CDの収納やら、本も増えてきたので仕切り板やら、小物入れやらを買いに行く。だいぶかたづいた。無駄使いもしっかり。ブリキのロードローラー、3800yen.
(2002.5.18)-3

まいるーむ。すぴーかがつくえがわり、だいがわり。たなはごちゃごちゃ。さかびんいっぱい。かべはものくろべたべた。ぱそこんがまんなかなのさ。おっきなさぎょうづくえがほしいよう。

(2002.5.18)-4

ついでの自写。
(2002.5.18)-5
テレビを置くために右のスピーカを前に出して倒したら、音がキーボードの下あたりに溜まるようになった。あぐらをかいていると、おへその高さくらいまでが音に浸かるかんじになる。やっぱり、もうちょっと高い位置のほうがいいなぁ。
(2002.5.18)-6
ぼくが、曖昧で気弱な笑み以外のものができるようなになったら。もう一度。
(2002.5.19)-1
今日はアクリル絵の具を買ってきました。でも、まだ試していません。なぜかというと、まだ汚れ対策ができていないからです。一度部屋に帰ってきてから、また、ビニールシートかなんかを買いに行こうと思ったのですが、雨がそこそこ強く降り出してしまったので、今日は中止。明日あらためて、周辺装備を整えてベタベタ使ってみようと思います。
(2002.5.19)-2
なんかね、いろいろいっぱいね、できるみたいなのよね、みょうちきりんな薬品もね、いっぱいあってね、つやを出すだの、消すだの、混ぜるだの、混ざらないだの、透けるだの、塗り潰すだの、色褪せしないだの、溶かすだの、固めるだの、なんだか、とっても難しくて。もう、一体ぼくは、何がしたいんですか。
(2002.5.19)-3
自分が何をかいているのかもわからないままかいているのに、塗る色がわかるとはちょっと思えないのだけれど。
(2002.5.20)-1
 今日はビニルシート(例の青くてごわごわの、実用一点張り、何の面白みもないやつね)やら、雑巾代わりにする安いタオルやらを買ってきました。それを一畳の縦の長さ、その三分の二くらいの正方形のサイズで床に敷いて、余った部分を立てて壁から吊り下げたり、戸に挟んだりして固定しました。これで横への飛び散り対策も、壁向きの二方向についてはばっちりです。それにしても、急に部屋が狭くなりました。風情も何もあったもんではありません。いや、もともとないんですけれども。にしてもなぁ、ますます作業部屋っぽくなってきてしまったよ。コンセントも隠れてしまったし、テーブルタップを買って来て、電源を確保しなければ。でも、これなら、ずりずり引っ張りまわして全体を一度に移動できるので掃除も楽ちん。アーハー、素晴らしいわ。やれやれ、色気も何もねぇや。
 それから、下敷き用に買ってきたB2サイズのイラストボードをシートの真中に置いて、そのまわりにパレットやら、アクリル絵の具のチューブやら、絵筆やら、水入れやらを散りばめれば、あら、なんだかそれっぽく見えるじゃない。悪くない悪くない。少し離れて椅子に座ってしげしげと見つめて、にんまり。ということで、今日はもう満足。
 あとは、照明が足りないのです。今使っているのを持って来て使うのはめんどうなので、新しいのをまたひとつ買う事にしました in ヤフーオークション。1000yen のアーム式ワークライト。安い。買えるかどうかわからないけれど。不良品でも 1000yen + 送料 だし。とにかく、今日はもう満足。ということで、これを書きはじめた。
(2002.5.20)-2
さて、今週の木曜までの課題。「10個の正方形と1個の円と1個の任意の図形を使って、30cm*30cmの正方形の画面を自由に構成しなさい。各図形サイズ、色等も自由。」だとさ。面倒くせい。わしゃあセンスがねぇですけぇ、そういうのはよぅできんのです。ああ、イラストレータ使うと簡単だなぁ。ラフスケッチに使うか。ちょうど、印刷用の紙も買ってきた事だし。プリンタも使ってあげないと、インクが腐っちゃう。
(2002.5.21)-1
 気持よく晴れてみると、陽射しはもう夏ですね。陽光が衣服を焦がします。道端の草々ひとつひとつが、ピンと力強く伸びて深緑色の葉を伸ばしています。灰色のアスファルトが日光を反射して白く光っています。きっと海もそうなのでしょう。みなさんはお元気ですか。ぼくは相変わらずです。相変わらず、何だかよくわからないままでいます。道ですれ違う幼子と眼を合わせても、どんな顔をしていいのだか、わからなくてとても困っています。そのときどんな顔をしているのか、よくわからないでいます。その子供の眼が、ぼくの眼の内側を観察しているように思えるのです。眼が合って、視線が一本に繋がった途端、子供の意思の眼が、ぼくの眼からぼくの中に入り込んで、ぼくの中身をじろじろと眺めはじめる。汚いものを汚いものとして見れてしまうその眼が、ぼくの中身を全部眺めまわしているような気が、そんな気がたまらなくするのです。それでぼくはへどもどまごつくのです。まごついて、どんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまうのです。それからぼくはその子の傍にいると、ぼくの身体が何だかとても臭いような気がするのです。煙草のにおい、そして、それに象徴されるようなぼく自身の持つ、身体から発する消えない悪臭がその小さな鼻には敏感に感じ取られてしまうのではないだろうかと思って、その子供から出来るだけ離れたく、避けたく思うのです。世界中に散らばっている苦悩は、きっと清らかで美しい色形をしているのだと思います。苦悩は純真のひとつの形であります。その点、ぼくは、汚い。たまらなく汚い。たまらなく汚い、執着と羨望というやつが、ぼくの中にはその外殻の内側には、真っ黒な油汚れのように一面に隙間無くこびり付いていて、その子の見上げる瞳によって、ぼくの内側からそれを覗かれている気がするのです。それが発する、汚濁の腐乱臭を嗅ぎ取られている気がするのです。そして、それにその子が驚いて、純粋な驚いた顔をするのではないかと、怯えているのです。逃げ出されてしまうのではないかと、泣き出されてしまうのではないかと、ママに告げ口されてしまうのではないかと、びくびくして怯えきっているのです。歪んだ顔をきっとしているのです。あいかわらずです。どうしていいのか、さっぱりわからないのです。眼を背けて、鼻をつまんで、その場から離れようと離れようと、足早に歩いている。けれども、それを持っているのは、その源は、その場とは、
 ありえない話ではありますけれども、その子の頭を撫でたりすれば、きっとぼくの手は溶けて、ぼろりと崩れ落ちるのだと思います。その子は恐くてきっと泣き出すでしょう。

(2002.5.21)-2
ぼくの胸に丸い穴を開けて、そこに右手を突っ込んで、心臓を握り出して、ハイ、コレ、君に見せたら、君は受取ってくれるかな。「君、黒いよ。真っ黒だよ、それ。君、それは無いんじゃあないか。失礼だよ。はやくどっかへやってしまってくれよ。君、君はどうかしている。黒いよ。汚い。」ああ、そうだね。きっと真っ黒だね。強く握るとしわがれた悲鳴を挙げるのだろうね。
(2002.5.21)-3
あ゛!そういえば、空の名前、買ってないよ。ああ、空か。最近あんまり見あげていないね。それでも、今日、おっきな星を見ていたよ。宵の空に大きく真白だった。指ではじきはしなかったけどね。はぁ、空ね。。。多摩川沿いを自転車でプラプラしていると三筋くらいの飛行機雲があっちこっちへ向って伸びているんだ。それから、そこにいると、夕日は曖昧なところで突然に消え始めるのさ。霞んで、赤く大きくなって、赤っぽい薄灰色の空の途中で消え始めるんだ。途中退場。きっとそこに山があるのだろうけれど、遠く霞んでいてわからないんだ。だから、ぼくは夕日には期待しない。。。空ね、、、青いね。使えないよね。青いのはね。いろいろとね。そのくらいだね。はぁ、もう買わないんだろうなぁ。
(2002.5.21)-4
復旧確認。システム、通常モードへ移行します。早速赤面苦笑い反省赦せよかったでももうしないよ。
(2002.5.23)-1
クチゴタエは無し。それは太宰くらいになってからだ。
(2002.5.23)-2
要するに、グウの音も出なかった、というやつなのである。
(2002.5.23)-3
ぼくはあの人が嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。どんなであろうと、嫌いだ。
(2002.5.23)-4
と言っても、大丈夫そうな人なのである。とても大きな「強さ」を持った人なのである。だから、ぼくは全く躊躇する事なしに、安心して言える。嫌いだ。
(2002.5.23)-5
その強さ、それは、駄目である。絶対に駄目である。『「世間、世間」とおまえは声高に、くり返しくり返し振り回すけれども、その「世間」とはつまりはおまえ自身のことではないか。』『「世間」など、どこにもありはしないのだ。あるのは個人対個人、この争いだけだ。』この類の強さ。絶対に勝ちたくない。
(2002.5.23)-6
 ----はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん。
 ----君の言うとおりにすると、私は、もういちど牢屋へ、はいって来なければならない。もういちど入水をやり直さなければならない。もういちど狂人にならなければならない。君は、その時になっても、逃げないか。私は、嘘ばかりついている。けれども、一度だって君を欺いたことが無い。私の嘘は、いつでも君に易々と見破られたではないか。ほんものの兇悪の嘘つきは、かえって君の尊敬している人の中に在るのかも知れぬ。あの人は、いやだ。あんな人にはなりたくないと反撥のあまり、私はとうとう、本当の事をさえ、嘘みたいに語るようになってしまった。ささ濁り。けれども、君を欺かない。底まで澄んでいなくても、私はきょうも、嘘みたいな、まことの話を語ろう。
太宰「善蔵を思う」冒頭

(2002.5.23)-7
そして、如是我聞から、この一文を。
『(まったくそうだよ。太宰、大いにやれ。あの教授たちは、どだい生意気だよ。まだ手ぬるいくらいだ。おれもかねがね、癪にさわっていたのだ。)
「なにを言っていやがる。おまえよりは、それは、何としたって、あの先生たちは、すぐれているよ。おまえたちは、どだい『できない』じゃないか。『できない』やつは、これは論外。でも、のぞみとあらば、来月あたり、君たちに向って何か言ってあげてもかまわないが。君たちは、キタナクテね。なにせ、まったくの無学なんだから。『文学』でない部分に於いてひとつ撃つ。例えば、剣道の試合のとき、撃つところは、お面、お胴、お小手、ときまっている筈なのに、おまえたちは、試合(プレイ)も生活も一緒くたにして、道具はずれの二の腕や向う脛を、力一杯にひっぱたく。それで勝ったと思っているのだから、キタナクテね。』

(2002.5.23)-8
何も喋るな。せめて、何も喋るなよ。
(2002.5.23)-9
もどかしい思いをしているのではなくて、腹を立てている。自分の非力に対して。火柱から立ち昇る直線の煙。リングに上がる資格を持たないものの、殴るべきは自分の頬。芯に入れた中まで真赤の鉄棒で、思いっきりぶん殴れ!
(2002.5.23)-10
 帰りの電車が下りる駅のホームへ差し掛かったので、ぼくは下りる準備、荷物を持ち上げて、開くドアの方向へ向き直った。すると、また、目の前の女の人がふわ、と崩れ落ちるようにして倒れたのである。おそらく、脚の力が抜けて、立って居られなくなったのだと思う。ぼくは、やれやれまたか、と思い、このあいだのような失敗はもう御免なので、すぐにしゃがんで、「立てますか?」とぼそりと聞いて、今度の女の人は、このあいだ程ひどくはなかったようで、自力で立とうとはするのだが、バランスを崩していて立ち上がれない。「立てませんね。よし」とまた独りごとくらいの声で言ってから、女の人の両脇を抱えて立つのを手助けした。電車はもう駅に到着してドアが開いていて、ぼくはいやなので、もうそれ以上女の人を見ないようにして、荷物を持って腰をかがめたままで電車を下りた。
 下りてエスカレータに乗っているとき、余計なことをしたと気がついた。きっと、ぼくがそんなことをしなくても、すぐに電車は完全に停車したのだし、あの女の人は自力で立つことができたのだろう。ぼくはあのひとのメンツを潰したのである。女の人はひとりで立てたのに、ぼくはひとりで立たせてあげなかったのである。だいたい動機が不純なのである。このあいだのような失敗はもういやだから、適当なことをして、何かをした、という事実をさっさと稼ごうとしただけなのである。親切心でも、なんでもないのである。あさましい自己防衛から起した行動なのである。そんなことだから、またこういう結果になるのだ。畜生。ぼくの目の前で倒れるんじゃねぇよ。だからそんな目に逢うんだ。間にひとりくらい挿め。それが駄目なら、せめて横で、隣りで倒れるくらいにはしろよ。とにかく目の前は止してくれ。後生だから、ね、頼むよ。

(2002.5.23)-11
ねぇ、ママ。ぼく、吐き気がするよ。

(2002.5.24)-1
「お母さまの手が腫れて」
 と直治に話しかけ、うつむいた。言葉をつづける事が出来ず、私は、うつむいたまま、肩で泣いた。
 直治は黙っていた。
 私は顔を挙げて、
「もう、だめなの。あなた、気が附かなかった?あんなに腫れたら、もう、駄目なの」
 と、テーブルの端を掴んで言った。
 直治も暗い顔になって、
「近いぞ、そりゃ。ちぇっ、つまらねえ事になりやがった」
「私、もう一度、なおしたいの。どうかして、なおしたいの」
 と右手で左手をしぼりながら言ったら、突然、直治が、めそめそと泣き出して、
「なんにも、いい事が無(ね)えじゃねえか。僕たちには、なんにもいい事が無えじゃねえか」
「斜陽」抜粋

(2002.5.24)-2
あと50頁。1回あたり、10頁が適量のようである。
(2002.5.24)-3
一日の仕事を終えて帰りの電車で、座って10分程度眠ることが、今のぼくには一ばんの休息なのです。座ってすぐに、ぼくは沈むようにして眠ります。この時間だけは何もしないでも許される時間なのです。何にもしないでいいのです。一ばんらくな事を、一ばんしたい事をすればいいのです。それでもいいのです。ですから、ぼくは目を閉じます。そして、眠ります。夜眠るのは、次の日のために眠るのです。次の日まともに動けるように眠るのです。休みの日に長く眠るのは、不足分を取り返す必要があるからです。最低限の頭の回転は確保しなければならないのです。一週間は一週間で区切れるようにしたいのです。休める時に休まないと、もたないのです。平日の昼間は仕事をしています。お金を貰うのです。来月ひと月、食べ物が買えるようにするのです。いくつか無駄なものも買うのです。ここの維持費も稼ぐのです。そうして仕事を終えて、部屋に戻ってからは第二ラウンド、眠らなければならない時間までに、できるだけの事をしなければならないと思っているのです。休日は、平日にはどうしてもできないところを少しでも片づけてしまわないとならないのです。その中には、無駄な時間も、たくさんあるのですけれども、それは謂わば、必要な無駄な時間、とでもいうようなもので、次の色を塗り重ねるには、今塗った色が乾くのを待たなければならない、というようなもので。ぼくは体力が無くて、頭もわるいので、仕方が無いのです。それも織り込んで、一日のスケジュールを割り振ってゆくと、どういうわけだか、ほぼ24時間になってしまうのです。足りないくらいなのです。一週間はそのような一日が五日と二日、計七つ続いているのです。途切れる隙間がぼくにはあまり見当たらないのです。そのような時の流れにあって、帰りの電車の中の10分弱は、それらから解き放たれる、珍しく純粋に暇な時間なのです。ですから、一ばん気が休まるのです。ほっとするのです。ただ眠るためだけに、眠る事ができるのです。少し広くなるのです。あの時間は、そのような時間なのですけれども、めったに寝過ごしはしません。駅に着くときちんと目が覚めます。電車から下りるとポケットに手を突っ込んでうつむいて歩きます。部屋に戻れば第二ラウンドです。今日の残り時間は、あと7時間。
(2002.5.24)-4
「そういう日々を、過ごして、、」
(2002.5.24)-5
ぼくの精一杯の言い訳なのです。気持だけでも、こうあらなければと思ってはいるのです。こうあろうと想うことすら止めてしまったら、もうとても生きてかれません。ぼくはまだどうやら、どうしてでも生きていたいのです。どうしても死ななければならなくなるまでは、どうしてでも生きていたいのです。
(2002.5.24)-6
 夕立の匂いと、うねる雨雲が作る薄ら明るさ、青白い蛍光灯。斜めに地面を叩く雨粒が描く模様。帰ることができず、出入り口で立ちどまったぼくは、それらをひどくなつかしいと感じていた。
 下駄箱で靴に履き替え、傘立てから傘を抜いて、湿って薄暗い雨の日の校舎から出る。なんとなく家のある方向を見ると、見慣れたその景色が音を立てて降る大粒の雨で白く掠れている。その上の空は灰色の下地の上に薄い雲がぐるぐると形を変えながら、すごいスピードで飛び去ってゆく。校舎の中は薄暗いので点けられている蛍光灯は、自身を白く見せることしかしていない。とても明るい。今と同じようにぼくは立ちどまって、そうして少しだけわくわくした。傘をひらかずに、このまま走って帰ってやろうかしら。水浸しの校庭をひとりで駆け回ってやろうかしら。そうして母さんを困らせて怒られてやろうかしら。
 ぼくは入り口の扉のステンレスの枠の部分にそっと触れた。ひんやりとして冷たかった。忘れていることがどうやらたくさんあるみたいだ。ものの持つ温度。これも。ぼくはその日々からどんどん離れるから、何も見なくなってゆくから、また夏が来る。

(2002.5.24)-7
なんにもいい事がねぇじゃねぇか
(2002.5.25)-1
modus vivendi

(2002.5.25)-2
以下、「HUMAN LOST」、h2o形式(フォーマット)に置きかえて、やる。見ませ、余の強き人びとよ。かの片端の劣敗者、その体よりも随分と小さきサイズの桐の棺に、何がなんでも収棺せんと、四五人取り囲んで手足ぎゅうぎゅう押さえつけて、六分かかって無理矢理収めた。奮闘のその様、鶏を絞めるに似たり。このとき、かの劣敗者にわずかに残された自由なる器官、これ即ち脳と口なり。そのふたつ遣ってすることはただひとつ、決まって居る、断末魔、これなん。されど、触れるな、か弱き者どもよ。身に附きし屍臭は、皮膚の裏へと浸透するのだ。墓参、献花、かたくお断り。これはひとえに御身のためである。写真いちまい、飾ってはならぬ。ふところに偲ばせてもならぬ。ただ、心の臓の片隅に一センチ大のプレート貼り附ける、それのみをゆるす。それ以て共に生きよ。共に死ね。孤独に朽ちたる墓標の址には陽よりも黄色きたんぽぽの花。
(2002.5.25)-3
既に晩春初夏なれば。そなたのやさしき抱擁振りほどきて、我、いざ行かん。
(HUMAN LOST)
思いは、ひとつ、窓前花。
(1936.10.13)
なし。
(1936.10.14)
なし。
(1936.10.15)
かくまで深き、
(1936.10.16)
なし。
(1936.10.17)
なし。
(1936.10.18)-1
ものかいて扇ひき裂くなごり哉

(1936.10.18)-2
ふたみにわかれ
(1936.10.19)-1
 十月十三日より、板橋区のとある病院にいる。来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。銅貨のふくしゅうだ。ここは、気ちがい病院なのだ。となりの部屋の若旦那は、ふすまをあけたら、浴衣がかかっていて、どうも工合いがわるかった、など言って、みんな私よりからだが丈夫で、大河内昇とか、星武太郎などの重すぎる名を有し、帝大、立大を卒業して、しかし帝王の如く尊厳の風貌をしている。惜しいことには、諸氏ひとしく自らの身の丈よりも五寸ほどずつ恐縮していた。母を殴った人たちである。
 四日目、私は遊説に出た。鉄格子と、金網と、それから、重い扉、開閉のたびごとに、がちん、がちん、と鍵の音。寝ずの番の看守、うろ、うろ。ここ人間倉庫の中の、二十余名の患者すべてに、私のからだを投げ捨てて、話かけた。まるまると白く太った美男の、肩を力一杯ゆすってやって、なまけもの!と罵った。眼のさめて在る限り、枕頭の商法の教科書を百人一首を読むような、あんなふしをつけて大声で読みわめきつづけている一受験狂に、勉強やめよ、試験全廃だ、と教えてやったら、一瞬ぱっと愁眉をひらいた。うしろ姿のおせん様というあだ名の、セル着たる二十五歳の一青年、日がな一日、部屋の隅、壁にむかってしょんぼり横坐りに居崩れて坐って、だしぬけに私に頭を殴られても、僕はたった二十五歳だ、捨てろ、捨てろ、と低く呟きつづけるばかりで私の顔を見ようとさえせぬ故、こんどは私、めそめそするな、と叱って、力いっぱいうしろから抱きついてやって激しくせきにむせかえったら、青年いささか得意げに、放せ、放せ、肺病がうつると軽蔑して、私は有難くて泣いてしまった。元気を出せ。みんな、青草原をほしがっていた。私は、部屋へかえって、「花をかえせ。」という帝王の呟きに似た調子の張った詩を書いて、廻診しに来た若い一医師にお見せして、しんみに話合った。午睡という題の、「人間は人間のとおりに生きて行くものだ。」という詩を書いてみせて、ふたりとも、顔を赤くして笑った。五六百万人のひとたちが、五六百万回、六七十年つづけて囁き合っている言葉、「気の持ち様。」というこのなぐさめを信じよう。僕は、きょうから涙、一滴、見せないつもりだ。ここに七夜あそんだならば、少しは人が変ります。豚箱などは、のどかであった。越中富山の万金丹でも、熊の胃でも、三光丸でも、ぐっと奥歯に噛みしめて苦いが男、微笑、うたを唄えよ。私の私のスイートピイちゃん。
あら、
あたし、
いけない
女?
ほらふきだとさ、
わかっているわよ。
虹よりも、
それから、
しんきろうよりも、きれいなんだけれど。

いけない?

(1936.10.19)-2
 一週間、私は誰とも逢っていません。面会、禁じられて、私は投げられた様に寝ているが、けれども、これは熱のせいで、いじめられたからではない。みんな私を好いている。Iさん、一生にいちどのたのみだ、はいって呉れ、と手をつかぬばかりにたのんで下さって、ありがとう。私は、どうしてこんなに、情が深くなったのだろう。Kでも、Yでも、Hさんでも、Dはうろうろ、Yのばか、善四郎ののろま、Y子さん。逢いたくて、逢いたくて、のたうちまわっているんだよ。先生夫婦と、Kさん夫婦と、Fさん夫婦、無理矢理つれて、浅虫行こうか、われは軍師さ、途中の山々の景色眺めて、おれは、なんにも要らない。
 乃公いでずんば、蒼生をいかんせん、さ。三十八度の熱を、きみ、たのむ、あざむけ。プウシュキンは三十六で死んでも、オネエギンをのこした。不能の文字なし、とナポレオンの歯ぎしり。
 けれども仕事は、神聖の机で行え。そうして、花を、立ちはだかって、きっぱりと要求しよう。
 立て。権威の表現に努めよ。おれは、いま、目の見えなくなるまで、おまえを愛している。

(日没の唄)
 蝉は、やがて死ぬる午後に気づいた。ああ、私たち、もっと仕合せになってよかったのだ。もっと遊んで、かまわなかったのだ。いと、せめて、われを許せよ、花の中のねむりだけでも。
 ああ、花をかえせ!(私は、目が見えなくなるまでおまえを愛した。)ミルクを、草原を、雲、------(とっぷり暮れても嘆くまい。私は、----なくした。)

(一行あけて)
あとは、なぐるだけだ。

(花一輪)
サインを消せ
みんなみんなの合作だ
おまえのもの
私のもの
みんなが
心配して心配して
やっと咲かせた花一輪
ひとりじめは
ひどい
どれどれ
わしに貸してごらん
やっぱり
じいさん
ひとりじめの机の上
いいんだよ
さきを歩く人は
白いひげの
羊飼いのじいさんに
きまっているのだ
みんなのもの
サインを消そう
みなさん
みなさん
おつかれさん
犬馬の労
骨を折って
やっと咲かせた花一輪
やや
お礼わすれた
声をそろえて

ありがとう、よ、ありがとう!

(聞えたかな?)

(1936.10.20)
この五、六年、きみたち千人、私は、ひとり。
(1936.10.21)
罰。
(1936.10.22)
死ねと教えし君の眼わすれず。
(妻をののしる文)
 私が君を、どのように、いたわったか、君は識っているか。どのように、いたわったか。どのように、賢明にかばってやったか。お金を欲しがったのは、誰であったか、私は、筋子に味の素の雪きらきら降らせ、納豆に、青のり、と、からし、添えて在れば、他には何も不足なかった。人を悪しざまにののしったのは、誰であったか。閨の審判を、どんなにきびしく排撃しても、しすぎることはない、と、とうとう私に確信させてしまったほどの功労者は、誰であったか。無智の洗濯女よ。妻は、職業でない。妻は、事務でない。ただ、すがれよ、頼れよ、わが腕の枕の細きが故か、猫の子一匹、いのち委ねて眠っては呉れぬ。まことの愛の有様は、たとえば、みゆき、朝顔日記、めくらめっぽう雨の中、ふしつ、まろびつ、あと追うてゆく狂乱の姿である。君ひとりの、ごていしゅだ。自信を以って、愛して下さい。
 一豊の妻など、いやなこった。だまって、百円のへそくり出されたとて、こちらは、いやな気がするだけだ。なんにも要らない。はい、と素直な返事だけでも、してお呉れ。すみません、と軽い口調で一言そっと、おわびをなさい。君は、無智だ。歴史を知らぬ。芸術の花うかびたる小川の流れの起伏を知らない。陋屋の半坪の台所で、ちくわの夕食に馴れたる盲目の鼠だ。君には、ひとりの良人を愛することさえできなかった。かつて君には、一葉の恋文さえ書けなかった。恥じるがいい。女体の不言実行の愛とは、何を意味するか。ああ、君のぼろを見とどけてしまった私の眼を、私自身でくじり取ろうとした痛苦の夜々を、知っているか。
 人には、それぞれ天職というものが与えられています。君は、私を嘘つきだと言った。もっと、はっきり言ってごらん。君こそ私をあざむいている。私は、いったい、どんな嘘をついたというのだ。そうして、もっと重大なことには、その具体的の結果が、どうなったか。記録的にお知らせ願いたいのだ。
 人を、いのちも心も君に一任したひとりの人間を、あざむき、脳病院にぶちこみ、しかも完全に十日間、一葉の消息だに無く、一輪の花、一個の梨の投入をさえ試みない。君は、いったい、誰の嫁さんなんだい。武士の妻。よしやがれ!ただ、T家よりの銅銭の仕送りに小心よくよく、或いは左、或いは右。真実、なんの権威もない。信じないのか、妻の特権を。
 含羞は、誰でも心得ています。けれども、一切に眼をつぶって、ひと思いに飛び込むところに真実の行為があるのです。できぬとならば、「薄情。」受けよ、これこそは君の冠。
 人、おのおの天職あり。十坪の庭にトマトを植え、ちくわを食いて、洗濯に専念するも、これ天職、われとわれのはらわたを破り、わが袖、炎々の焔あげつつあるも、われは嵐にさからって、王者、肩そびやかしてすすまねばならぬ、さだめを負うて生れた。大礼服着たる衣紋竹、すでに枯木、刺さば、あ、と一声の叫びも無く、そのままに、かさと倒れ、失せん。空なる花。ゆるせよ、私はすすまなければいけないのだ。母の胸ひからびて、われを抱き入れることなし。上へ、上へ、と逃れゆくこそ、われのさだめ。断絶、この苦、君にはわからぬ。
 投げ捨てよ、私を。とわに遠のけ!「テニスコートがあって、看護婦さんとあそんで、ゆっくり御静養できますわよ。」と悪婆の囁き。われは、君のそのいたわりの胸を、ありがたく思っていました。身よ、あくる日、運動場に出ずれば、蒼き鬼、黒い熊、さながら地獄、ここは、かの、どんぞこの、脳病院に非ずや。我もまた、一囚人、「ひとり!」と鍵の束持てるポマアドの悪臭たかき一看守に背押されて、昨夜あこがれ見しテニスコートに降り立ちぬ。

(1936.10.23)-1
銅貨のふくしゅう。・・・の暗躍。ただ、ただ、レッド・テエプにすぎざる責任、規約の槍玉にあげられた鼻のまるいキリスト。「温度表を見て下さい。二十日以降、注射一本、求めていません。私にも、責任の一半を持たせて下さい。注射しなけれぁいいんでしょう?」「いいえ、保証人から全快までは、と厳格にたのまれてあります。」ただ、飼い放ち在るだけでは、金魚も月余の命、保たず。いつわりでよし、プライドを、自由を、青草原を!
(1936.10.23)-2
尚、ここに名を録すにも価せぬ・・・のその閨に於ける鼻たかだかの手柄話に就いては、私、一笑し去りて、余は、われより年若き、骨たくましきものに、世界歴史はじまりて、このかた、一筋に高く潔く直ぐ燃えつぎたるこの光栄の炬火を手渡す。心すべきは、きみ、ロヴェスピエルが瞳のみ。
(1936.10.24)
なし。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その一)-1
われよりも若きものへ自信つけさせたく、走り書。断片の語なれども、私は、狂っていません。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その一)-2
社会制裁の滅茶苦茶は医師のはんらんと、小市民の医師の良心に対する盲目的信仰より起った。たしかに重大の一因である。ヴェルレエヌ氏の施療病院に於ける最後の詩句、「医者をののしる歌。」を読み、思わず哄笑した五年まえのおのれを恥じる。厳粛の意味で、医師の瞳の奥をさぐれ!

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その一)-3
 私営病院のトリック。
一、この病棟、患者十五名ほどの中、三分の二は、ふつうの人格者だ。他人の財をかすめる者、又、かすめんとする者、ひとりもなかった。人を信じすぎて、ぶちこまれた。
一、医師は、決して退院の日を教えぬ。確言せぬのだ。底知れず、言を左右にする。
一、新入院の者のある時には、必ず、二階の見はらしよき一室に寝かせ、電球もあかるきものとつけかえ、そうして、附き添って来た家族の者を、やや、安心させて、あくる日、院長、二階は未だ許可とってないから、と下の陰気な十五名ほどの患者と同じ病棟へ投じる。
一、ちくおんき慰安。私は、はじめの日、腹から感謝して泣いてしまった。新入の患者あるごとに、ちくおんき、高田浩吉、はじめる如し。
一、事務所のほうからは、決して保証人に来いと電話せぬ。むこうのきびしく、さいそくせぬうちは、永遠に黙している。たいてい、二年、三年放し飼い。みんな、出ること許り考えている。
一、外部との通信、全部没収。
一、見舞い絶対に謝絶、若しくは時間定めて看守立ち合い。
一、その他、たくさんある。思い出し次第、書きつづける。忘れねばこそ、思い出さずそろ、か。(この日、退院の約束、断腸のことどもあり。自動車の音、三十も、四十も、はては、飛行機の爆音、牛車、自転車のきしりにさえ胸やぶれる思い。)

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その一)-4
「出してくれ!」「やかまし!」どしんのもの音ありて、秋の日のあえなく暮れなんとす。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-1
昨日、約束の迎え来らず。ありがとう。けさ、おもむろに鉛筆執った。愛している、という。けれども、小市民四十歳の者は、われらを愛する術を知っていない。愛し得ぬのだ。金魚へ「ふ」だ。愛していないと、言い切り得る。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-2
夫を失いし或る妻の呟き、「夜のつらさは、ごまかせるけれども、夜あけが------。」あかつきばかり憂きものはなし、とは眠いうらみを述べているのではない。くらきうち眼さえて、かならず断腸のこと、正確に在り。大西郷は、眼さむるとともに、ふとん蹴ってはね起きてしまったという。菊池寛は、午前三時でも、四時でも、やはり、はね起き、而して必ず早すぎる朝食を喫するという。すべて、みな、この憂さに沈むことの害毒を人一倍知れる心弱くやさしき者の自衛手段と解して大過なかるべし。われ、事に於いて後悔せず、との菊池氏の金看板の楯の弱さにも、ひと気づいて、地上の王者へ、無言で一杯のミルクささげてやって呉れる決意ついたら、それが、また、君のからだの一歩前進なること疑う勿れ。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-3
営利目的の病院ゆえ、あらゆる手段にて患者の退院はばむが、これ、院主、院長、医師、看護婦、看守のはてまで、おのおの天職なりと、きびしく固く信じている様子である。悪の数々、目おおえども、耳ふさげども、壁のすきま、鉄格子の窓、四方八方よりひそひそ忍びいる様、春風の如く、むしろ快し。院主(出資者)の訓辞、かの説教強盗のそれより、少し声やさしく、温顔なるのみ。内容、もとより、底知れぬトリックの沼。しかも直接に、人のいのちを奪うトリック。病院では、死骸など、飼い犬死にたるよりも、さわがず、思わず、噂せず。壁塗り左官のかけ梯子より落ちしものの左腕の肉、煮て食いし話、一看守の語るところ、信ずべきふし在り。再び、かの、ひらひらの金魚を思う。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-4
「人権」なる言葉を思い出す。ここの患者すべて、人の資格はがれ落とされている。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-5
われら生き延びてゆくには、二つの途のみ。脱走、足袋はだしのまま、雨中、追われつつ、一汁一菜、半畳の居室与えられ、犬馬の労、誓言して、巷の塵の底に沈むか、若しくは、とても金魚として短きいのち終わらんと、ごろり寝ころび、いとせめて、油多き「ふ」を食い、鱗の輝き増したるを紙より薄き人の口の端にのぼせられて、ぺちゃぺちゃほめられ、数分後は、けろりと忘れられ、笑われ、冷き血のまま往生とげんか。あとは、自らくびれて、甲斐なき命絶ち、四、五日、人の心の片端、ひやとさせるもよからん。すべて皆、人のための手本。われの享楽のための一夜もなかった。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-6
私は、享楽のために売春婦かったこと一夜もなし。母を求めに行ったのだ。乳房を求めに行ったのだ。葡萄の一かご、書籍、絵画、その他のお土産もっていっても、たいてい私は軽んぜられた。わが一夜の行為、うたがわしくば、君、みずから行きて問え。私は、住所も名前も、いつわりしことなし。恥ずべきこととも思わねば。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-7
私は享楽のために、一本の注射打ちたることなし。心身ともにへたばって、なお、家の鞭の音を背後に聞き、ふるいたちて、強精ざい、すなわち用いて、愚妻よ、われ、どのような苦労の仕事し了せたか、おまえにはわからなかった。食わぬ、しし、食ったふりして、しし食ったむくいを受ける。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-8
その人と、面とむかって言えないことは、かげでも言うな。私は、この律法を守って、脳病院にぶちこまれた。求めもせぬに、私に、とめどなき告白したる十数人の男女、三つき経ちて、必ず私を悪しざまに、それも陰口、言いちらした。いままでお世辞たらたら、厠に立ちし後姿見えずなるやいな、ちぇっ!と悪魔の嘲笑。私は、この鬼を、殴り殺した。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-9
私の辞書に軽視の文字なかった。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-10
作品のかげの、私の作品の中の人物に、なり切ったほうがむしろ、よかった。ぐうたらの魚色家。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-11
私は、「おめん!」のかけごえのみ盛大の、里見、島崎などの姓名によりて代表せられる老作家たちの剣術先生的硬直を避けた。キリストの卑屈を得たく修業した。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-12
聖書一巻によりて、日本の文学史は、かつてなき程の鮮明さをもて、はっきりと二分されている。マタイ伝二十八章、読み終えるのに、三年かかった。マルコ、ルカ、ヨハネ、ああ、ヨハネ伝の翼を得るのは、いつの日か。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-13
「苦しくとも、少し我慢なさい。悪いようには、しないから。」四十歳の人の言葉。母よ、兄よ。私たちこそ、私たちのあがきこそ、まこと、いつわらざる「我慢下さい。悪いようにはしないから。」の切々、無言の愛情より発していること、知らなければいけない。一時の恥を、しのんで下さい。十度の恥を、しのんで下さい。もう、三年のいのち、保っていて下さい。われらこそ、光の子に、なり得る、しかも、すべて、あなたへの愛のため。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-14
その時には、知るであろう。まことの愛の素晴らしさを、私たちの胸ひろくして、母を、兄を、抱き容れて、眠り溶けさせることができるのだという事実を。その時には、われらにそっと囁け、「私たちは、愛さなかった。」
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-15
「まあいいよ。人の心配なぞせずと、ご自分の袖のほころびでも縫いなさい。」それでは、立ちあがって言おうじゃないか。「人たれが、われ先に行くと、たとい、一分なりとも、その自矜うちくだかれて、なんの、維持ぞや、なんの、設計ぞや、なんの建設ぞや。」さらに、笑ったならば、その馬づらを、殴れ!
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-16
あなた知っている?教授とは、どれほど勉強、研究しているものか。学者のガウンをはげ。大本教主の頭髪剃り落した姿よりも、さらに一層、みうみる矮小化せんこと必せり。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-17
学問の過尊をやめよ。試験を全廃せよ。あそべ。寝ころべ。われら巨万の富貴をのぞまず。立て札なき、たった十坪の青草原を!
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-18
性愛を恥じるな!公園の噴水の傍のベンチに於ける、人の眼恥じざる清潔の抱擁と、老教授R氏の閉め切りし閨の中と、その汚濁、果していずれぞや。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-19
「男の人が欲しい!」「女の友が欲しい!」君、恥じるがいい、ただちに、かの聯想のみ思い浮かべる油肥りの生活を!眼を、むいて、よく見よ、性のつぎなる愛の一字を!
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その二)-20
求めよ、求めよ、切に求めよ、口に叫んで、求めよ。沈黙は金という言葉あり、桃季言わざれども、の言葉もあった、けれども、これらはわれらの時代を一層、貧困に落した。(As you see.)告げざれば、うれい、全く無きに似たり、とか、きみ、こぶしを血にして、たたけ、五百度たたきて門の内こたえなければ、千度たたかん、千度たたきて門、ひらかざれば、すなわち、門をよじのぼらん、足すべらせて落ちて、死なば、われら、きみの名を千人の者に、まことに不変の敬愛もちて千語ずつ語らん。きみの花顔、世界の巷ちまた、君ひとり死なせたる世の悪への痛憤、子々孫々ひまあるごとに語り聞かせ、君の肖像、かならず、子らの机上に飾らせ、その子、その孫、約して語りつがせん。ああ、この世くらくして、君に約するに、世界を覆う厳粛華麗の百年祭の固き自明の贈物のその他を以てする能わざることを、数十万の若き世代の花うばわれたる男女と共に、深く恥いる。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-1
人、口々に言う。「リアル」と。問わん、「何を以てか、リアルとなす。蓮の開花に際しぽんと音するが、せぬか、大問題、これ、リアルなりや。」「否。」「ナポレオンもまた、風をひき、乃木将軍もまた、閨を好み、クレオパトラもまた、脱糞せりとの事実、これこそは君等のいうリアルならん。」笑って答えず。「更に問わん、太宰もまた泣いて原稿を買って下さい、とたのみ、チュホフも扉の敷居すりへって了うまで、売り込みの足をはこんだ、ゴリキイはレニンに全く牛耳られて易々諾々のふうがあった、プルウストのかの出版屋への三拝九拝の手紙、これをこそ、きみ、リアルというか。」用心のニヤニヤ笑いつづけながらも、少し首肯く。「愚かなる者よ。きみ、人その全部の努力用いて、わが妻子わすれんと、あがき苦しみつつ、一度持たせられし旗の捨てがたくして、沐雨櫛風、ただ、ただ上へ、上へとすすまなければならぬ、肉体すでに半死の旗手の耳へ、妻を思い出せよ、きみ、私め、かわってもよろしゅうございますが、その馬の腹帯は破れていますよと、かの宇治川、佐々木のでんをねらっていることに、気づくがよい。名への恋着に非ず、さだめへの忠実、確定の義務だ。川の底から這いあがり、目さえおぼろ、必死に門へかじりつき、また、よじ登り、すこし花咲きかけたる人のいのちを、よせ、よせ、芝居は、と鼻で笑って、足ひっかんで、むざん、どぶどろの底、ひきずり落とすのが、これが、リアルか。」かれ少し坐り直して、「リアルとは、君の様に、針ほどのものを、棒、いや、門柱くらいに叫び騒がずして、針は、針、と正確に指さし示す事なり。」「愚かや、君は、かの認識の法を、研究したにちがいない。また、かの、弁証法をも、学びたるなし。われ、かのレクチュアをなす所存なけれど、いまの若き世代は、いまだにリアル、リアル、と穴てんてんの青き表現の羅紗かぶせたる机にしがみつき、すがりつき、にわかづけされてある状態の、「不正。」に気づくべき筈なのに、帰りて、まず、唯物論的弁証法入門、アンダラインのみを拾いながらでもよし、まず、十頁、読み直せ。お話は、それから、再びし直そう。」かく言いて、その日は、わかれた。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-2
リアルの最後のたのみの綱は、記録と、統計と、しかも、科学的なる臨床的、解剖学的、それ等である。けれども、いま、記録も統計も、すでに官僚的なる一技術に成り失せ、科学、医学は、すでに婦人雑誌ふうの常識に堕し、小市民(リアリスト)は、何々開業医のえらさを知っても、野口英世の苦労を知らぬ。いわんや、解剖学の不確実など、寝耳に水であろう。天然なる厳粛の現実(リアリティ)の認識は、二・二六事件の前夜にて終局、いまは、認識のいわば再認識、表現の時期である。叫びの朝である。開花の、その一瞬まえである。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-3
真理と表現。この両頭食い合いの相互関係、君は、たしかに学んだ筈だ。相剋やめよ。いまこそ、アウフエベンの朝である。信ぜよ、花ひらく時には、たしかに明朗の音を発する。これを仮りに名づけて、われら、「ロマン派の勝利。」という。誇れよ!わがリアリスト、これこそは、君が忍苦三十年の生んだ子、玉の子、光の子である。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-4
この子の瞳の青さを笑うな。羞恥深き、いまだ膚やわらかき赤子なれば。獅子を真似びて三日目の朝、崖の下に蹴落とすもよし。崖の下の、蒲団わするな。勘当と言って投げ出す銀煙管。「は、は。この子は、なかなか、おしゃまだね。」
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-5
知識人のプライドをいたわれ!生き、死に、すべて、プライドの故、と断じ去りて、よし。職工を見よ、農家の夕食の様を覗け!着々、陽気を取り戻した。ひとり、くらきは、一万円費って大学を出た、きみら、痩せたる知識人のみ!
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-6
くたびれたら寝ころべ!
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-7
悲しかったら、うどんかけ一杯と試合はじめよ。
(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-8
 私は君を一度あざむきしに、君は、私を千度あざむいていた。私は、「嘘吐き。」と呼ばれ、君は、「苦労人。」と呼ばれた。「うんとひどい嘘、たくさん吐くほど、嘘つきでなくなるらしいのね?」
 十二、三歳の少女の話を、まじめに聞ける人、ひとりまえの男というべし。

(金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず - その三)-9
その余は、おのれの欲するがままに行え。
(現代の英雄について)
ヴェルレエヌ的なるものと、ランボオ的なるもの。
 スイートピイは、蘇鉄の真似をしたがる。鉄のサラリイマンを思う。片方は糸で修繕した鉄ぶちの眼がねをかけ、スナップ三つあまくなった革のカバンを膝に乗せ、電車で、多少の猫背つかって、二日そらない顎の下のひげを手さぐり雨の巷を、ぼんやり見ている。なぐられて、やかれて、いまはくろがねの冷酷を内にひそめて、(断)
(1936.10.29)-1
十字架のキリスト、天を仰いでいなかった。たしかに。地に満つ人の子のむれを、うらめしそうに、見おろしていた。
(1936.10.29)-2
手の札、からりと投げ捨てて、笑えよ。
(1936.10.30)
雨の降る日は、天気が悪い。
(1936.10.31)-1
(壁に。)ナポレオンの欲していたものは、全世界ではなかった。タンポポ一輪の信頼を欲していただけであった。
(1936.10.31)-2
(壁に。)金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。
(1936.10.31)-3
(壁に。)われより後に来るもの、わが死を、最大限に利用して下さい。
(1936.11.1)
実朝を忘れず。

伊豆の海の白く立つ浪がしら
塩の花ちる。
うごくすすき。

蜜柑畑。

(1936.11.2)-1
誰も来ない。たより寄こせよ。
(1936.11.2)-2
疑心暗鬼。身も骨も、けずられ、むしられる思いでございます。
(1936.11.2)-3
チサの葉いちまいの手土産で、いいのに。
(1936.11.3)-1
不言実行とは、暴力のことだ。手綱のことだ。鞭のことだ。
(1936.11.3)-2
いい薬になりました。
(梨花一枝)
 改造十一月号所載、佐藤春夫作「芥川賞」を読み、だらしない作品と存じました。それ故に、また、類なく立派であると思った。真の愛情は、めくらの姿である。狂乱であり、憤怒である。更に、(断)
(1936.11.4)-1
 寝間の窓から、羅馬(ローマ)の炎上を凝視して、ネロは、黙した。一切の表情の放棄である。美妓の巧笑に接して、だまっていた。緑酒を捧持されて、ぼんやりしていた。かのアルプス山頂、旗焼くけむりの陰なる大敗将の沈黙を思うよ。
 一噛の歯には、一噛の歯を。一杯のミルクには、一杯のミルク。(誰のせいでもない。)
(1936.11.4)-2
「なんじを訴うる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐くは、訴うる者なんじを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんじは獄に入れられん。
 誠に、なんじに告ぐ、一厘も残りなく償わずば、其処をいずること能わじ。」(マタイ五の二十五、六。)
(1936.11.4)-3
晩秋騒夜、われ完璧の敗北を自覚した。
(1936.11.4)-4
一銭を笑い、一銭に殴られたにすぎぬ。
(1936.11.4)-5
私の瞳は、汚れていなかった。
(1936.11.4)-6
享楽のための注射、一本、求めなかった。おめん!の声のみ盛大の二、三の剣術先生を避けたにすぎぬ。「水の火よりも勁きを知れ。キリストの嫋々の威厳をこそ学べ。」
(1936.11.4)-7
他は、なし。
(1936.11.4)-8
天機は、もらすべからず。
(1936.11.4)-9
(四日、亡父命日。)

(1936.11.5)
逢うことの、いま、いつとせ、早かりせば、など。
(人の世のくらし)
 女学校かな?テニスコート。ポプラ。夕陽。サンタ・マリヤ。(ハアモニカ。)
「つかれた?」
「ああ。」
 これが人の世のくらし。まちがいなし。

(1936.11.7)
言わんか、「死屍に鞭打つ。」言わんか、「窮鳥を圧殺す。」
(1936.11.8)
かりそめの、人のなさけの身にしみて、まなこ、うるむも、老いのはじめや。
(1936.11.9)
窓外、庭の黒土をばさばさ這いずりまわっている醜き秋の蝶を見る。並はずれて、たくましきが故に、死なず在りぬる。はかなき態には非ず。
(1936.11.10)-1
 私が悪いのです。私こそ、すみません、を言えぬ男。私のアクが、そのまま素直に私に又はねかえって来ただけのことです。
 よき師よ。
 よき兄よ。
 よき友よ。
 姉よ。
 妻よ。
 医師よ。

(1936.11.10)-2
 亡父も照覧。
(1936.11.10)-3
「うちへかえりたいのです。」
(1936.11.10)-4
柿一本の、生れ在所や、さだ九郎。
(1936.11.10)-5
笑われて、笑われて、つよくなる。
(1936.11.11)
無才、醜貌の確然たる自覚こそ、むっと図太い男を創る。たまもの也。(家兄ひとり、面会、対談一時間。)
(1936.11.12)-1
 試案下書。
一、昭和十一年十月十三日より、ひとつき間、東京都板橋区M脳病院に在院。パヴィナアル中毒全治。以後は、
一、十一年十一月より、十二年(二十九歳)六月末までサナトリアム生活。(病院撰定は、S先生、K様、一任。)
一、十二年七月より十三年(三十歳)十月末まで、東京より四、五時間以上かかって行き得る(来客すくなかるべき)保養地に、二十円内外の家借りて静養。(K氏、ちくらの別荘貸して下さる由、借りて住みたく思いましたが、けれども、この場所選定も、皆様一任。)
 右の如く満一箇年、きびしき摂生、左肺全快、大丈夫と、しんから自信のつきしのち、東京近郊に定住。(やはり創作。厳酷の精進。)
 なお、静養中の仕事は、読書と、原稿一日せいぜい二枚、限度。
一、「朝の歌留多。」
(昭和いろは歌留多。「日本イソップ集」の様な小説。)
一、「猶太(ユダヤ)の王。」
(キリスト伝。)
 右の二作、プランまとまっていますから、ゆっくり書いてゆくつもりです。他の雑文はたてい断るつもりです。
 その他、来春、長編小説三部曲、「虚構の彷徨。」S氏の序文、I氏の装丁にて、出版。(試案は、所詮、笹の葉の霜。)
(1936.11.12)-2
この日、午後一時半、退院。


汝らの仇を愛し、汝らを責める者のために祈れ。天にいます汝らの父の子とならん為なり。天の父はその陽を悪しき者のうえにも、善き者のうえにも、昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。なんじら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然するにあらずや。兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。然らば、汝らの天の父の全きが如く、汝らもまた、全かれ。


(2002.5.25)-4
さて、選手交替。頭から尻へ、ごぼう抜き開始。我に相応しき名誉なり。
(2002.5.25)-5
読み仮名、ふるのやめました。すいません。それから、日付よりもタイトルを優先しています。なので、日付が曖昧になってしまっていますが、これは、うーん、どうなんでしょうか。わかりません。とりあえず、このまま。
(2002.5.25)-6
それから、これは文庫本と同じく、初版のものを用いていますが、その四年後に出た改訂版の際の変更点は面白いですよ。奥さんに関する記述がやさしくなっているの。「妻をののしる文」は「弱者をののしる文」にかわって、あの罵倒の対象も、それによって奥さんから自分に代わっているし、(1936.11.10)-1の「妻よ。」も「妻よ。ゆるせ。」になっているし、その他も、「妻」という語は結構削除されています。その他も改訂版では、そういった幾つかの小さな言葉の入れ換えや、削除によって、その攻撃の対象が他から自に移されているようです。あとはその時の時節柄、乃木将軍の記述が削除されていたりします。まぁ、そんなことはいいとして、あとは、「創世記」と「二十世紀旗手」をそのうちに。この時期の太宰の書くものは異様に密度が高くて疲れます。やっぱりこれを経てこそ、あのような間延びした、それでも素晴らしい、というような文が書けるようになるのでしょうなぁ。「二十世紀旗手」と「斜陽」とを比べると、かなり笑えます。おんなじ人間の書いた文とは思えず。いや、別人なのやも知れぬ。ふ。
(2002.5.25)-7
今日のひとつめ「modus vivendi」、「モデゥス ヴィヴェンディ」と読むラテン語。「生きる方便」の意。出所はチュホフ「三人姉妹」。感謝。認めるよ、やっぱりチュホフはいいのだ。でも、全部話が一緒じゃん。そんなもんか。しかし、ここのタイトル、これに変えてやろうかしら。そろそろ独立、リンクも切って、引用しまくり。なんちて。
(2002.5.25)-8
それにしても「HUMAN LOST」醜いですねぇ。けれども、ぼくの書くものほどではないですねぇ。太宰はうまいけれどもぼくは下手くそだから。ポリポリ。。。厳しいですね。「われより後に来るもの、わが死を、最大限に利用して下さい。」はい、心がけます。
(2002.5.25)-9
母を殴らずにおかばや?
(2002.5.25)-10
現実(リアル)の志向には、もはや、何の興味も無いのである。書くことは、創ることは、ごく単純な意味に於いて、現実では無いのである。それは、単に「書くこと」であり、「創ること」なのである。現実ではあり得ないのである。この世で最もリアルなのは、現実自身なのである。それにはどうあっても、どうあがいても届かないのである。リアルは現実にやらせればいいのである。そして同様にして、現実は、非現実よりも、非現実であることはできないのである。最も「書くこと」であることは、書くことによってしか、なしえないのである。書くことが目指すべきは、ただ、その一点である。ごく当り前の話であるが、君、その意味過つこと無かれ。
(2002.5.27)
昨日は大変にお見苦しいものをお目にかけまして、まことに申し訳御座いません。全文削除致しました。今後このようなことは無きよう、できるだけ心がけて書く所存では御座いますが、毎度の事ながら確証はできかねます。申し訳御座いません。
(2002.5.29)-1
風邪をひいたらしい。理由はわかっている。寝ている間、ふとんを跳ね除けているのである。何にもかけないで寝ているのである。毎晩、夜中じゅううなされて蒲団の上を輾転としているので、こうなってしまっているのである。うそ。季節の変わり目、上にかけるお蒲団が軽くなりましたね。はい、そういうことです。夏になれば、それでも冷えることはないのだけれど。みなさん、風邪にきおつけましょう。きおすく。あ、頭がボーっとしてる。
(2002.5.29)-2
いっぱいの白湯、身体中に満つ。


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