tell a graphic lie
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(2002.6.2)-1
外気温がぼくの体温よりも幾分高いような気がする。
(2002.6.2)-2
基本へ帰ろう。
(2002.6.2)-3
木、金曜、滋賀へ出張。京都泊。その間目についたもの、幾つか。田植えの済んだばかりの田圃、整然と並んだ苗、張られた水に映える。遠くに低く延べられた山々。あぜ道、納屋、屋根瓦。一時間に2本の電車、無人駅。外車が少ない、ソアラ。田舎の中学生、登下校時の自転車、ヘルメットを被る。新幹線の形、パンタグラフ。京都駅ビル、要塞、巨艦の如し。人々はその中を穏やかに行き交う。修学旅行生の群、我は戻らじ。田舎の再開発の哀しさは平日のテーマパークのそれ。東京の気の張り様、やはりこめかみに青筋の一本二本、浮いている。ただ真っ直ぐに伸びる線路。夜の京都、空しく時を潰す10代、しゃがみ込む事が青春か。ショーウィンドーの映り込みを相手に、ダンスの練習をする姿もあり。追うべし、追うべし、きっと飯がうまい。また、唄うべき歌を聴くべき人へ、これは浪費に非ずや。非ず。ぼくの過ごしている時間の速さと、あなたの過ごしているそれとは違う。夜、寝る前にホテルの部屋で見たテレビ、ブライアン・セッツァー。京都の女の子、エヘヘ。京都弁はゆっくりしゃべるようにできている。このたびの間中ずっとお腹を壊していた。縄は太い方が、いい。
(2002.6.4)-1
 有未子は、棄てられたコンクリートブロックの上に立って、右脚の後ろに隠れたその奇怪な生きものの頭部をやさしく撫でていた。そして、ゆっくりと近づいた私たちに向って、顔を上げて話しかけた。有未子の上半身は、ちょうど木立の影にかくれて暗くなっており、その表情を窺い知ることはできないが、その眼だけが、なぜか大きく白く光を放っているように思えた。
「ねぇ、この子、どうしても殺さなくてはならないの?」
 私はおもわず振り返った。有未子は、私たちにではなく、私たちの背後にいる何か大きなものに対して話しかけたように思えたのだ。その声は裏山全体に響き渡り、木霊が返ってきそうなほど、とてもはっきりと、そしてよく通っていた。その声、音のひとつひとつに周囲の木立が反応し、ざわざわと騒ぎ始める。私は共に有未子とあの生物を追いかけてきた人たちを見た。みな顔を見合わせている。私も斜め向かいのお宅のご主人と眼が合った。ご主人の表情は緊張しているようだったが、どこか、これから起ることに対する好奇心のようなものが混じっているように思えた。いやそれは、もしかすると私自身がそう感じていたからかも知れないが、わからない。そのご主人は、私にちょっと目配せをして、周囲に立ち並んで、私たちを取り囲んでいる木々を見あげた。私もそれにつられて上を見上げる。手入れのされていない、思うままに伸び育った木々が、その腕を争うように互いに絡ませ、この林に蓋をしている。ここは木々に遮られていてよくわからないが、恐らく強い風が吹いているのだろう、その枝は皆一様に大きく揺れ、ザワザワと葉のこすれる音を立てる。私はその光景がなぜだか、とても懐かしく感じられてしばらく見とれていた。すると、先頭の藤野会長が、有未子の問いに、こちらも大声で答えた。木々の葉や枝の擦れあう音はとても大きく、普通の声では聞えそうに無いのだ。
「違う、そうではない。そんなことはしない。そいつはそうやって放しておいてはならないんだ。とても危険なのだ。有未子ちゃんだって、君はいま、とても危ないんだよ。そいつは、いつ有未子ちゃんに襲いかかるかわかったものじゃない。だから、そうやって勝手なことをさせてはならないんだ。おじさんたちがきちんと面倒を見るんだよ。」
「嘘!」
 その言葉と同時に林の中を強い風が、オオオと音を立てながら吹き抜け、林の木々は一斉にその幹からグワグワしなり、ザワザワザワザワとより一層大きく騒いだ。一行の面々の誰からとも無く「ひっ」と小さな悲鳴が上がった。藤野会長は一歩あしを引いた。私はどうしてだろう、なぜだかとてもわくわくして来ていた。その気持は、私は有未子の母親なのであり、従って、この騒ぎの責任は、私にその多くがあるのだから、この場にあってはそのようなことを感じるのは不謹慎だという事はわかってはいるのだが、そのとき間違いなく、私はうきうきし始めていた。もっと言えば、私はそのとき、こちら側に立っていることに多少の不満を感じていた。この林に来て、いま林のうっそうとした木々を見あげているうちになぜだかそういう気持になったのだ。少なくともこの林の中では、正しい行い、正しいことを言っているのは私たちではなく、有未子のほうなのではないか。林の木々も、風も、みなそのことを知っていて、「そうだ、有未子が正しい」と味方になって、声援を送っているのではないだろうか。私は、そのようなことを漠然と感じていた。
「何も、嘘など言ってはいない。」
 藤野会長は、そう言い返すのがやっとだった。そうして、やっかいなお子さんだ、とでも言いたいようにして私を見た。私はいま有未子をなだめる自信がなかった。また、その気もあまりなかったので、私はとりあえず、私もどうしていいのかわからず困っています、というような顔つきをしてうつむき、一歩しりぞいた。
 こちら側の反応が、それ以上続かないので、有未子はまた続けて、
「嘘よ。殺すんだわ。私、聞いたもの。『処分する』って、昨日の夜話し合っていたでしょう。私、聞いたもの。」
 藤野会長も私も、他のみなも返す言葉が無かった。へたな言いつくろいはできるような雰囲気ではなかった。私たちは、この林の中では完全に「敵」と見なされてしまっているようだった。この林に生えている木々、草々、土、石、他の小さな生きものたち、ここにあるものがみな、有未子とあの奇怪な生きものの味方だった。そう感じていたのは、私だけでは恐らくなかったのだと思う。みな、辺りを見回し、萎縮して、いつの間にか私たちは肩を寄せ合うように一かたまりに小さく集っていた。藤野会長と私と斜め向かいのご主人が、そのかたまりの先頭になっていた。一行の面々の顔は、ザワザワと揺れる木立が作る影にまだらに隠れたり陽にあたったりしている。そうして合間から差し込む陽ざしはかなり強く、そのあたる部分はじりじりと露出した頬や腕を焼く。
「そんなことはない。」
 私が、「そんなことは、できればしたくないよ」と思った、それと同時に藤野会長が搾り出すような声でそう言った。それを聞いた有未子が、溜息をひとつついたように、この距離ではそんなことはわからないはずなのだけれど、私にはそうしたように見えた。そして、会長の言ったことには答えずに、
「この子はこんな子だけれど。確かに、おじさんたちの言うように、とても醜くて、汚らしくて、呪われた子なのかも知れないけれど、それでも私は言うわ。この子は生きたいのよ。今だってそう、ほら、震えているわ。とても臆病なのよ。自分のことだって、知っているわ。自分が、あなた達にどう思われているのかも、ちゃんと知っているわ。ときどき泣いているのよ。私にはわかるわ。この子、泣いていることがあるのよ。だから私は言うわ。この子は生きたいのよ。お願い、生かしてあげて。そして、ねぇ、聞いて。まだ、あるわ。この私が、この子を生かしているのよ。私がいなければ死んでしまうのよ。私でなければだめなのよ。わかる?おじさんたちにはそれが、わかる?他の何でも、他の誰でもなくて、この子は私でなければならないのよ。私はこの子をきれいにすることが出来るわ。手足の一本一本を丹念に柔らかい布で拭いてあげるの。私はこの子のために、いつでも私の足許を空けておくわ。誰かにいじめられても、私の後ろへ逃げ込んで、右足をしっかりとつかめるようにね。それから、私はこの子と一緒に眠ることができるわ。淋しがって泣いたりしたらあなた、迷惑でしょう?私と一緒なら穏やかな寝息を立てるの。私を包んでくれさえするわ。ねぇ、これでわかった?この子は私といるべきなのよ。私と一緒なら大丈夫なのよ。私が世話をしなければならないのよ。大丈夫、私、きちんと世話するわ。それでいいでしょう。」
 有未子はそこまでを一気に話した。私は何だか、とても誇らしくなった。有未子がこんなことを言うように、いつの間にかなっていたのだ。また、風がサーッと林の中を吹き抜け、木々がザワザワと揺らぐ。藤野会長が私の方を見て、それから一行のひとりひとりの顔を見た。私はそれには何の反応もしなかった。ただ、手を強く握りしめていた。
 ひと呼吸おいてから、有未子はまたこんなひとことを付け加える。
「ねぇ、おじさんたちのそのクソ固い頭に渦まいている不安だとか、疑心だとか、偏見のかわりに、おおらかな心と、いたわりと、ほんの少しの愛をちょうだい。この子を生かしてあげてちょうだい。それから、私からこの子を取り上げたりしないで。お願いよ。そうして、今日はもう帰って。」
 この言葉で私たちはようやく息を吹き返したのだった。たかが子供ひとりと、わけのわからない怪物いっぴきのために、だいの大人がこんな大人数あつまって、ぞろぞろとこんなところまでやってきて、子供に一喝された、それだけの事で、このまますごすごと帰るわけにはいかない。私たちはその事を思い出して、お互いに顔を見合わせ、自らの立場と、有未子の放った失礼な言葉が確かに失礼であって、あの小さな子供に我々は侮辱されたのだという事を確認した。そして、私たちを代表して藤野会長がまた口を開いた。
「私たちは、君の言うような、偏見だとか、疑心だとか、不安だとかを持っているわけでは、いや、確かにそれはそうかもしれないな。しかし、私たちは君の言う固い頭を使って、それなりに、真面目に考えたのだ。考えて、その上で、いま君の足許にまとわり附いているその奇妙な生物をこのまま野放しにして置くことはできない、という結論に達したのだ。そう、私たちはその生物がそうやって勝手に出歩いたりする事ができるのは、たまらないのだ。何かよくないことが起きないかと不安なのだ。何か私たちを傷つけるようなことを仕出かすのではないかという疑念を持っているのだ。そして、私たちとしてはそれは当然の発想だと考えている。決して偏見ではない。いや、たとえ偏見であったとしても、それはよい偏見であると思う。」
 有未子は笑い出した。そしてひとこと、
「だから殺すのね。」
 木々も一斉に笑う。また強い風が吹き、目の前で砂埃が渦を巻いて舞い上がった。私たちは、それぞれまた一歩退いた。やはりこの林は何かが少しおかしいように思えた。
「気味が悪いわ。」
 名前を知らないどこかの奥さんが、思わず呟いた。それを聞いて私もおかしくて、笑い出しそうになったが、やはりそれはこらえた。有未子も相変わらず笑っている。奇妙な生きものは不思議そうに有未子を見あげていた。私はたまらなく有未子と話がしたくなった。このように対立している状態にあるのは至極残念であったが、今はもう話がしたい、という気持のほうが勝っていた。藤野会長が言いよどんでいるのを確認してから、深い深呼吸を一度して、一歩前へ出て、私は有未子に話しかけた。先ほどから有未子の話を聴いていると、どうも理由を誤魔化しているような気がしてならなかった。私は有未子がこのような状態になって、しかもあれだけまとまった事を話すようになっている事は嬉しかったが、その話している事が、有未子の本心ではない事は少々気に入らなかった。私は、そこを問いただしたいと思った。有未子がより潔癖である事を求めたのだ。もはや私は間接的に有未子の味方であった。その言葉を助けてやりたかった。
「有未子、それだけじゃないでしょう。その子と有未子が一緒にいるのはそれだけではないでしょう。誤魔化すのは良くないわ。ちゃんと言いなさい。」
 有未子は笑うのをやめて答えた。
「そうね、母さんの言うとおりだわ。私いま、一ばん大事なことを言わなかった。」
「そうでしょう。」
 私は素直にやさしく笑って言った。私の中には、もはやこの林に入って来るまで持っていた有未子に対する不可解さや憤りや、周囲の人々へ申し訳ないと思うような気持はきれいになくなっていた。今はそのかわりに有未子を誇りたい気持でいっぱいだった。私の可愛い娘は真っ直ぐに育っている。今までの私の育て方は間違ってはいなかったのだ。そう高らかに宣言したい気がしていた。私は今すぐ有未子のもとへ駆け寄って抱きしめてやりたかったが、それは有未子のためにはならないだろうと思っていた。むしろこのまま私は大人の群の一員として、有未子の大きな敵としてあったほうが良いように思われた。
 有未子が、私のそのような意識や姿勢をはっきりと意識していたかどうかはわからないが、とにかく、有未子ははきはきと言葉を繋いだ。
「わかった、母さん、きちんと言うわ。
 そうよ、私も、この子を必要なのよ。私、この子がいないと駄目なの。生きていけないの。私もこの子と、どこも変らないのよ。私、この子のことを何でもわかるの。いま何が欲しいのか、いま何がしたいのか、いま何を思っているのか。みんなわかるの。それはね、私とこの子がどこも変わりないからよ。何も変わりないからなのよ。私もこの子と同じ。とても醜くて、汚らしくて。呪われてすらいるかも知れないわ。この子がそれをわかるのと同じように、私だってそれは知っているのよ。だから、私たちは一緒にいなければならないの。私はこの子みたいに不仕合せな身の上に生れはしなかったわ。そうでしょう?私は、いくら醜くて、汚らしくて、と並べて立ててみても、人間の子なの。私、それも知っているわ。醜くても、汚らしくても、殺されはしないわ。それどころか、毎日おいしいものを食べて、アイスとか、それから暖かい家の中でテレビを見たり、友達の連ちゃんや、徒子ちゃんと遊んだりして、楽しかったりするわ。でもね、この子は、違うのよ。人間じゃあないの。はじめから違うのよ。醜くて、汚らしいから、殺されてしまうのよ。人間じゃあない、という、それだけの違いのために、私は楽しく遊んだりするのに、この子はひとりで殺されるの。痛いと言っても、苦しいと言っても、誰にもそれを哀れだと思われずに、ただ『痙攣を起している。へぇ、そんなこともあるんだなぁ。どういう身体のつくりをしているのだろう。』なんて言われて、そうしてこんな苔の生えた、冷たいコンクリートの上で死んでゆくのだわ。
 私は、それをどうだこうだとは言うつもりはないの。でもね、私は、この子が死ぬときに、もうそうやって何にも思わないでいることはできないのよ。もう、この子のことを知ってしまったから、そういうわけにはいかないのよ。
 私ね、夜、眠る前とかにね、よく、私がこの子のようにして生まれてきてしまった時のことを考えることがあったのよ。そうしてひとり震えていたりしたの。それだから私ね、この子を見つけたときに一目でわかったのよ。『ああ、この子は、本当にそういう風にして生れてきてしまったんだ』ってね。全然恐くなかったわ。だって恐がる必要なんてないもの。私の方がずっと恵まれていて、一人ではないし、ずっと強いのだもの。そして私、『この子と一緒にいよう。いなければ駄目だ。この子を護るのだ。』そう思ったの。
 ねぇ、わかる?だから、私にはこの子が必要なの。いないと駄目なの。殺されてはならないの。私、この子を殺させはしないわ。」
 有未子は真っ直ぐに私を見ていた。有未子がそれを言い終えたとき、私は「そうだ、私だって、もしかしたらその生きものが必要なのかも知れない」と思っていた。
 風は止んでいた。そして、そのときはじめて有未子の上半身に陽が射し、それによって私たちは有未子の表情を知ることが出来た。その足許の生きものは、安心したのか、所謂まるくなってそしてうずくまっているというような状態になっている。

(2002.6.4)-2
べーたべたのベータベタ。頑張れ、神がかり有未子チャン。何てったって、おいらが味方さ。やりたい放題、なのさ。しかし下らん。まさにガキの遊びだ。
(2002.6.4)-3
今月はワールドカップなので、テンションが下がりそうもありませんので、まぁ、このような適当な話をだらだらと書いていようかなぁ、とか思います。どれだけ続くかよくわからないけれど。
(2002.6.4)-4
日本、隙だらけ。パスミス、クリアミス、連携ミス。フランスvsセネガル戦、アルゼンチンvsナイジェリア戦は良かったなぁ。お互いほぼノンミスでピリピリやっておった。特にアルゼンチン、1点取って、ナイジェリアが反撃かけてきたときも、きわどく凌ぐとナイジェリア以上の勢いで攻め返して結局ナイジェリアのMF陣を押し込めてしまった。ナイジェリアがうまいのはあの試合を見ていれば一目瞭然なので、それをああして押し込めてしまうアルゼンチンの攻めっぷりには驚歎するものがある。確かにあれでは守備シフトでやらざるを得ない。両サイドのタイプの違うFW、オルテガとクラウディオ・ロペス、そしてCF、バティストゥータ、みなボールを持つと勢いが凄い。ベロンも生意気なくらいによかった。マークをかいくぐってビシビシボールを出していた。ナイジェリアのディフェンスはほぼ完璧で、信じられないくらいによく守っていたけれど、1点入ってしまいました。ちょっと相手の鼻息が荒すぎました。しかし、あんだけキープできる人が日本にひとりでも居ればなぁ。
(2002.6.5)-1
昨日の有未子チャン、前後左右に肉付けしていけばいいのだろうけれど、いかんせん、実力不足、であります。ぼくがまともなものが書けるのであれば、以下のような話になるはずであります。まず、有未子チャンの性質についての大まかな記述。その次、その有未子チャンが奇怪な生きものに出会うところ。それとしばらく隠れて楽しくあそぶところ。何かに夢中になっている、と気づくけれども、特に詮索はしない両親。そのうちに、それを親友に見せてしまう有未子チャン。恐がる親友は親に告げ口。そのころになると実はちょくちょくと目撃されたりもしている。そんなこんなで町内で問題になる。大人がそれの隠れ住んでいるらしい裏山の林の中へ押しかけようと、その段取りの打ち合わせの会合を開く。それを嗅ぎ付け、その一部を隠れて見てしまう、話を聞いてしまう有未子チャン、決行の日の朝、風邪と嘘をついて学校を休み、ひそかに家を抜け出し裏山に立て篭もる。それを知らずにぞろぞろと押しかける大人たち。行ってみると有未子チャンは仁王立ち、神がかり。大人の群の中にいた母親、ひそかに満足。さて、このあと、どうすべきか。わからぬ。できれば、有未子チャン、死んで頂きたい。そのための怪物なのだから。そうか、そこまで頑張って書けば少しベタな話ではなくなるのかも知れないな。フム。
(2002.6.5)-2
まぁ、とにかく、他人の話を書いている場合ではないのである。別にまだ、有未子ちゃんの口は必要でないのである。ぼくはぼくの口を使わせればいいのである。そのあと、である。
(2002.6.5)-3
メイルフォーム置いてみました。いい加減 Nikki Site 投票ボタンを削除しようかしら。自分しか入れてないわ。しかし、この CGI、メールを転送するだけじゃん、アホくさい。
(2002.6.7)-1
同期に頼んだCGI、プロトタイプが出来てきてしまったので、区切りの意味もあり、ここまででのもので「葉」をやることにした。今週、来週くらいかけるか。それに伴い、「蓑虫」、「肘枕」、クビ。以下、「肘枕」供養。しかし、本当に詰まらない話だなぁ。まぁとにかく、南無阿弥陀仏、成仏いたせ。
(肘枕)
 そんなに不思議なことだとは当時のぼくには思えなかったのだけれど、いや今もそう思っているのだけれど、もしかしたらそれは不思議なことだったのかも知れない。だから、寝付けないのなら、今日は少しその話をしてみようか。
 不思議なことというのは、嘴をふたつ持っている鳥、というやつで、確かにこう書くと、少し変な気がするのだけど、まあそれは置いておいて、とにかくそれが、小さいころすぐ近くにいて、学校から家へ帰る道の脇に5mくらいの小さな崖のようになっているところがあって、そこから突き出て、あまり葉の付かない木がひとつ立っていたのだけれど、その枝の一本に嘴をふたつ持っている鳥がよくとまってる時期があって、ぼくにはそれにまつわる話がひとつあるの。それを今から話すから。どうかその間に眠ってくださいな。そう、君が穏やかに寝付けるよう、上手に話せるといい。
 ぼくにはそのころ仲の良い友人がいて、家の方向が同じだったものだから、ふたりで何か喋ったり、棒きれを拾って、フェンスをカンカン叩いたり、ふたりだけで鞄持ちをしてみたりと、まあ普通に仲良くじゃれあって、いつも一緒に帰っていて、そうしてその崖のところにさしかかると、その嘴をふたつ持っている鳥がその突き出した木にとまっているのを見るのだった。はじめは嘴がふたつついていることには気付かなくて、へんな木にへんな鳥がとまっているとしか思っていなくて、嘴をふたつ持っている鳥がふたりの話題になったりすることはなかった。
 嘴をふたつ持っている鳥は、そう、嘴がふたつあるだけではなくて、他もちょっとそこいらにいる鳥とはたしかに変わっているんだ。鴉くらいの大きさで、小鳥という感じではなく、身体はうぐいす色、あれのもっと暗くてきたなくした感じの色をしている。そして、そのところどころに何か赤っぽい色が混じっている。少ししてから知ったのだけれど、その赤は羽毛の裏側の色で、翼を広げたときにだけ、その鮮やかな色をはっきりと見ることができるようだった。
 暫くの間は、だからぼくらは嘴をふたつ持っている鳥のことを、特に注意していたわけではなかった。でも、毎日毎日ぼくらが同じ時間に同じ様にふたりして歩いて、その崖にさしかかると、嘴をふたつもっている鳥も毎日毎日、同じ木の同じ枝に、同じ様にしてとまっているものだから、ああ、いつもあそこにへんてこな鳥がとまっているな、とその突き出した木を見上げながら思ってはいた。
 ある日もやっぱり同じ様に、その友人と並んでぼてぼて歩いて帰って、またその鳥がとまっているのを見上げたのだけれど、その日はちょっといつもと違う感じがして、歩きながら少しじっくりといつもの枝にとまっている様を観察する感じで眺めると、嘴がふたつついている。ぼくは、あ、と声を上げた。
 友人が、「どうしたの?」と尋ねたので、ぼくは鳥を指さして、「あの鳥、ほら、あれ。嘴がふたつ。」友人もその鳥を見上げて、「あ、本当だ。」と。ふたりして立ち止まって、鳥を観察する。ふたりとも、見間違いではないか、と思ったのだ。しかし、どうやら本当に嘴がふたつついているようだ。へんな鳥だ。あとになって、なぜその日まで、その鳥が嘴をふたつ持っている鳥だと気付かなかったのかを考えてみたのだけれど、それは、その鳥がめったに動かない鳥で、いつもぼくらの方を向いていたので、嘴がふたつついていると気付かなかったのだと思い至った。
 嘴がふたつついているとひとことで言っても、どうついているか、わからないか。本当にふたつついているんだ。縦に並んで、重なるようにして。多分きっと君が想像しているよりも、不自然な感じではないと思う。嘴を上下に開けた様にして、ふたつついている。大きさは同じくらいなのだけれど。だから、口を開くと4つに分かれることになる。ああ、そういえば、嘴をふたつ持っている鳥が、嘴を開いたのを見た記憶がない。そうだ、あれの鳴声、ぼくは知らない。
「変な鳥。いつもいるね。」友人は言った。「うん。いつもいる。」嘴をふたつ持っている鳥はぼくらの帰り道とは反対側にある集合住宅の方を見ているようだった。
「変な鳥。なんて鳥か知ってる?」「知らない。嘴ふたつ鳥。」ぼくは見たままの名前を言った。「嘴ふたつ鳥。」友人はそれで十分なようだった。それで、そのままぼくらは暫く、ぽかんと口を開けて黙って鳥を見上げていた。鳥はずっととまったまま遠くを見ている。そのまた上に広がっていた空の色はよく覚えている。本当によく晴れた日だった。嘴をふたつ持っている鳥はうんともすんとも言わずに遠くを見ている。そのうちぼくらは根競べに負けて、「行こうか。」と歩き出した。
 不思議とそのときはそれで終わってしまったのだった。確かに嘴をふたつ持っている鳥はへんてこな鳥なのだけれども、ぼくには、そして多分友人もそうだったのだろうと思っているのだけれど、鳥の中には嘴をふたつ持っている仲間がいるんだろう、くらいにしか考えなかったのだ。まだぼくらは小さくて、見たことのない動物なんて、その嘴をふたつ持っている鳥のほかにもまだちょいちょい知ったりすることもあったし、鳥やら動物一般やらがどういう体の構造をしているものなのか、などという知識は全然完全ではなくて、それどころか、そういう一般論があることさえよく分かってはいなかった。だから、嘴をふたつ持った鳥が目の前の木にとまっていても、それは大事件ではなかったのだ。
 でも、とにかくぼくらは、崖から突き出している木にいつもとまっている鳥が、嘴をふたつ持っている鳥だということを知って、さすがにそれがめずらしい鳥だということくらいは判ったものだから、それからは毎日その崖の袂へ差し掛かるたびに上を見上げて、やっぱり毎日そこから突き出した木の枝のひとつにとまっている嘴をふたつ持っているその鳥のことを眺めたのだった。嘴をふたつ持っている鳥は、どうやらいつも遠くを見ているようで、ぼくらの存在に気付いていないのか、それともどうでもいいと思っているのかは判らないのだった。
「今日もいる。」「うん。」「何を見てるんだろう。」嘴をふたつ持っている鳥はぼくらの方角を眺めているか、そちらには雑木林というのか、低い裏山というのか、そんなようなものがあるのだけれど、それか集合住宅の方を眺めているかのどちらかで、その眺める方角をぼくらも立ち止まって一緒に眺めたりしていた。
 そうやって何日も何度もしていたものだから、その景色はよく覚えている。今でも、そこへ帰る事があると、その崖のところへ行って景色を眺めに行くことがある。今はその崖の上は住宅が建ち並んでいて道路になっているから、嘴をふたつ持っている鳥と同じ高さでそれを眺めることもできる。やっぱりだいぶ変わっている。ぱっと見ただけでは懐かしいものは何も見当たらないように見える。でも、丁寧に見ていくと昔と変わっていない部分がやっぱりある。例えば、そうだな、裏山も今は半分くらい切り開かれてしまって、家が積み重なってしまっているのだけれど、その真中には真直ぐの坂道が一本通っていて、坂の入り口の脇に小さな社があるのだけれど、その鳥居の赤は今でも木々の緑の中にぽつんとある。それから、その裏山の手前にはどぶ川があって、そこではよく魚やら、ざりがにやらを採ったりしたのだけれど、その川自体は、あの頃よりももっとコンクリートでがちがちに固められてしまっているのだけれど、その脇の畑は今でもある。その畑で採れたものを食べたこともある。集合住宅は、その手前になんだか大きなマンションが建ってしまって、半分隠れてしまっているけれど、それ自体は古ぼけてもそのままの姿でいる。給水塔も立っている。ぼくだって、そのくらいには変わってしまっているんだ。けれど、変わらないところだって、そうやって探してあげるとやっぱりある。要はそれを見ようとするか、知ろうとするかどうかだよ。そう思わないかい。
 ああ、話が逸れた。偉そうだ。
 はじめはそうやって眺めているだけで、それ以上のことは特にしていなかったのだけれど、ある日、その日はなんだかひどくつまらない気分の日だった。友人は浮かない顔をしてぼくの隣を歩いていた。ぼくも別にこれといって話すことがなくて、黙って歩いていた。長い一日に少し飽きていたのかも知れない。あの頃の一日は長すぎた。歳を速く増やしたかった。自分の年を数えた時、一本でもたくさん指折れることが楽しかった。単純にそのことが誇らしかった。空は毎日、いつまでも夕焼けしていて、まだまだ、と言って遊んでいたのも、また確かなのだけれど。その日はどちらかというと、一日が長いな、と感じている日だった。たるんでいたんだろう。退屈しながら歩いて、崖の辺りにさしかかる、。ぼくは、今日もやっぱりどこいらを見ているのかしら、と思って、嘴をふたつ持っている鳥のとまっているはずの枝を見上げた。嘴をふたつ持っている鳥はやっぱり、ちょっとも動かないで集合住宅のほうを眺めている。ただ、いつも違ってその脇には何か動くものがいる。猫のようだ。嘴をふたつ持っている鳥のとまっている枝のはえている大枝の股のところをするするとよじ登っている。ぼくは友人のほうを見た。友人は浮かない顔のままで、猫に気づいている風ではない。
「ねぇ、あれ、猫がいる。」ぼくは指さしていった。友人は一度ぼくのほうを向いて、それから指の指す先を追った。「あ、ほんとだ。ああ、あれは、何とかサン家の猫だ。」見上げて、眩しそうに言った。
 その何とかサンは今もって思い出せないでいる。つぼにはまったらしい。友人宅の5軒だか6軒だか離れた家だ、ということはしっかりおぼえているのだけれど。何とかサンの奥さんとは、ぼくも何度か挨拶をしたことがあるのだけれど、パーマをきつくかけていて、「こんにちは。勉強がんばってるのね。」挨拶にそんな言葉をつけてくるような人だったのだけれど、家の庭になんだか知らないけれど、たくさんの植物を植えて、植木蜂もびっしり並んで、小さな藤棚なんかもあったと、それは覚えているのだけれど、紫色の買い物袋を使っていたことも覚えているのだけれど、どうしても名前が思い出せない。ああ、その頃、ぼくは勉強ができていたんだよ。気にするな、それは後悔しているくらいだ。
 何とかサン家の猫は、どうやら嘴をふたつ持っている鳥を狙っているようだった。嘴をふたつ持っっている鳥は、それに気づいているんだか、いないんだか、判らないのだけれど、微動だにせず、集合団地のほうを見ている。猫は鳥がとまっている枝の根元までするする登ってきて、そこからは、注意深くそろそろと腰を落として、少しずつ嘴をふたつ持っている鳥に近付いていった。でも、枝の先のあたりまで揺らさずに猫が進むには、その枝はちょっと細すぎて、飛び掛れる距離に近付かないうちに枝はグンとしなった。
 それで、流石の嘴をふたつ持っている鳥も驚いたらしく、飛び立とうと、その翼を大きく、ゆったりと広げたのだ。翼の裏側は鮮やかに赤くて、身体に不釣合いなほど大きくて広かった。ぼくらは、驚いて「あ、」と声を上げたと思う。そのまま、ゆったりと翼を振り下ろして、嘴をふたつ持った鳥はいつもの枝から飛び立って、そのまま向こうへ飛び去っていった。ぼくらはそれをじっと、というか、ぽかんと、というか、二人とも黙ったまま見送っていた。その姿が、建物の陰に隠れてから、「ねぇ、すごいね。真赤だ。」友人がいった。「うん。うん。」ぼくは二回、頷いた。
 それで、ぼくらは嘴をふたつ持った鳥にすっかり夢中になってしまった。というわけで、ぼくらは嘴をふたつ持っている鳥が、嘴をふたつ持っているからではなくて、その羽の裏地の鮮やかな赤によってようやく、嘴をふたつ持っている鳥はなんだかとてもすごい鳥なのではないだろうか、と思い始めたのだった。でも、確かに今ぼくは、嘴をふたつ持っている鳥を、羽の裏地が赤い鳥とは呼ばずに、嘴をふたつ持っている鳥と呼んでいる。それにはやっぱりちょっと訳があるんだ。別に大したわけではないのだけれども、やっぱりぼくにとって、あの鳥は、嘴をふたつ持っている鳥、なんだ。そうだ、今日はそれを話しようと思っていたのだった。
(放棄)
(2002.6.8)-1
〜「ところで、いまのは嘘だよ。ソーニャ」と彼はつけ加えた。「ぼくはもういつからか嘘ばかりついているんだよ・・・・・・いま言ったのは全部嘘だよ、きみの言うとおりだ。ぜんぜん、ぜんぜん、ぜんぜん別な理由があるんだよ!・・・・・・もう長いこと、誰とも話をしなかったので、ソーニャ・・・・・・ぼくはいま頭が割れそうに痛いんだ」
 彼の目は熱にうかされたようにぎらぎら燃えていた。頭はもう熱で犯されかけていた。落ち着かないうす笑いが唇の上をさまよっていた。たかぶった気持のかげからもうおそろしい無気力が顔を出しかけていた。ソーニャには彼が苦しんでいるのがわかった。彼女も頭がくらくらしかけていた。彼があんなことを言ったのが、不思議な気がした。何かわかったような気がしたが、でも・・・・・・《どうしてそんなことが!とても考えられない!ああ、神さま!》彼女は絶望のあまり両手をもみしだいた。
「いや、ソーニャ、あれはそうじゃないんだよ!」と彼は、自分でも思いがけぬ考えの変化におどろいて、また心がたかぶってきたように、急に顔を上げて、またしゃべりだした。
「そうじゃないんだよ!それよりも・・・・・・こう考えてごらん。(そうだ!たしかにそのほうがいい!)つまり、ぼくという男は自惚れが強く、ねたみ深く、根性がねじけて、卑怯で、執念深く、そのうえ・・・・・・さらに、発狂のおそれがある、まあそう考えるんだね。(もうこうなったらかまうものか、ひと思いにすっかりぶちまけてやれ!発狂のことはまえにも噂になっていた、おれは気付いていたんだ!)さっき、学資がつづかなかったって、きみに言ったね。ところが、やってゆけたかもしれないんだよ。大学に納める金は、母が送ってくれたろうし、はくものや、着るものや、パン代くらいは、ぼくが自分で稼げたろうからね。ほんとだよ!家庭教師に行けば、一回で五十コペイカになったんだ。ラズミーヒンだってやっている!それをぼくは、意地になって、やろうとしなかったんだ。たしかに意地になっていた。(これはうまい表現だ!)そしてぼくは、まるで蜘蛛みたいに、自分の巣にかくれてしまった。きみはぼくの穴ぐらへ来たから、見ただろう・・・・・・ねえ、ソーニャ、きみもわかるだろうけど、低い天井とせまい部屋は魂と頭脳を圧迫するものだよ!ああ、ぼくはどんなにあの穴ぐらを憎んだことか!でもやっぱり、出る気にはなれなかった。わざと出ようとしなかったんだ!何日も何日も外へ出なかった、働きたくなかった、食う気さえ起きなかった、ただ寝てばかりいた。ナスターシャが持って来てくれれば----食うし、持って来てくれなければ----そのまま一日中ねている。わざと意地をはって頼みもしなかった!夜はあかりがないから、暗闇の中に寝ている、ろうそくを買う金を稼ごうともしない。勉強をしなければならないのに、本は売りとばしてしまった。机の上は原稿にもノートにも、いまじゃ埃が一センチほどもつもっている。ぼくはむしろねころがって、考えているほうが好きだった。だから考えてばかりいた・・・・・・そしてのべつ夢ばかり見ていた、さまざまな、おかしな夢だ。どんなって、言ってもしようがないよ!ところが、その頃からようやくぼくの頭にちらつきだしたんだ、その・・・・・・いや、そうじゃない!ぼくはまたでたらめを言いだした!実はね、その頃ぼくはたえず自分に尋ねていたんだ、どうしてぼくはこんなにばかなんだろう、もし他の人々がばかで、そのばかなことがはっきりわかっていたら、どうして自分だけでももっと利口になろうとしないのだ?そのうちにぼくはね、ソーニャ、みんなが利口になるのを待っていたら、いつのことになるかわからない、ということがわかったんだ・・・・・・それから更にぼくはさとった、ぜったいにそんなことにはなりっこない、人間は変るものじゃないし、誰も人間を作り変えることはできない、そんなことに労力を費やすのは無駄なことだ、とね。そう、それはそうだよ!これが彼らの法則なんだ・・・・・・法則なんだよ、ソーニャ!そうなんだよ!・・・・・・それでぼくはわかったんだ、頭脳と精神の強固な者が、彼らの上に立つ支配者となる!多くのことを実行する勇気のある者が、彼らの間では正しい人間なのだ。より多くのものを蔑視することのできる者が、彼らの立法者であり、誰よりも実行力のある者が、誰よりも正しいのだ!これまでもそうだったし、これからもそうなのだ!それが見えないのは盲者だけだ!」
 ラスコーリニコフはそう言いながら、ソーニャの顔を見てはいたが、彼女にわかるかどうかということは、もう気にしなかった。はげしい興奮がすっかり彼をとらえてしまった。彼は暗いよろこびというようなものにひたっていた。(実際に、あまりにも長いあいだ彼は誰とも話をしなかった!)ソーニャは、この暗い信条が彼の信念になり、法則になっていることをさとった。
「そこでぼくはさとったんだよ、ソーニャ」と彼は有頂天になってつづけた。「権力というものは、身を屈めてそれをとる勇気のある者にのみあたえられる、とね。そのために必要なことはただ一つ、勇敢に実行するということだけだ!そのときぼくの頭に一つの考えが浮かんだ、生れてはじめてだ、しかもそれはぼくのまえには誰一人一度も考えなかったものだ!誰一人!不意にぼくは、太陽のようにはっきりと思い浮かべた、どうしていままでただの一人も、こうしたあらゆる不合理の横を通りすぎながら、ちょいとしっぽをつまんでどこかへ投げすてるという簡単なことを、実行する勇気がなかったのだろう!いまだってそうだ、一人もいやしない!ぼくは・・・・・・ぼくは敢然とそれを実行しようと思った、そして殺した・・・・・・ぼくは敢行しようと思っただけだよ、ソーニャ、これが理由のすべてだよ!」
「ああ、やめて、やめて!」と両手を打ちあわせて、ソーニャは叫んだ。「あなたは神さまのそばをはなれたのです、神さまがあなたを突きはなして、悪魔に渡したのです!・・・・・・」
「これはね、ソーニャ、ぼくが暗闇の中にねそべっていたとき、たえず頭に浮かんだことなんだよ、してみるとこれは、悪魔がぼくを迷わせていたのかな?え?」
「やめて!ふざけるのはよして。あなたは神を冒涜する人です、あなたは何も、何もわかっちゃいないのです!おお、神さま!この人は何も、何もわからないのです!」
「お黙り、ソーニャ、ぼくはぜんぜんふざけてなんかいないよ、ぼくだって、悪魔にまどわされたくらいは知っているよ。お黙り、ソーニャ、お黙り!」と彼は憂鬱そうにしつこくくりかえした。「ぼくはすっかり知っているんだよ。そんなことはもう暗闇の中に寝ていたとき、何度となく考えて、自分に囁きかけたことなんだ・・・・・・それはみな、ごく些細なことまで、ぼくの中の二つの声がもうさんざん議論したことなんだよ、だからすっかり知っているんだよ、すっかり!そのときにもうこんなおしゃべりはあきあきしてしまったんだ、もううんざりしてしまったんだよ!ぼくはすっかり忘れようと思った、そして新しくスタートしたかった。おしゃべりをやめたかった!ソーニャ、きみはぼくがばかみたいに、向う見ずにやったと思うのかい?とんでもない、ぼくはちゃんと考えてやったんだよ。そしてそれがぼくを破滅させてしまったのだ!また、ぼくが、権力をもつ資格が自分にあるだろうか、と何度となく自問したということは、つまりぼくには権力をもつ資格がないことだ、ということくらいぼくが知らなかった、とでも思うのかい?また、人間がしらみか?なんて疑問をもつのは----つまり、ぼくにとっては人間はしらみではないということで、そんなことは頭に浮ばず、つべこべ言わずに一直線に進む者にとってのみ、人間がしらみなのだということくらい、ぼくが知らなかったと思うのかい?ナポレオンならやっただろうか?なんてあんなに何日も頭を痛めたということは、つまり、ぼくがナポレオンじゃないということを、はっきりと感じていたからなんだよ・・・・・・こうしたおしゃべりのすべての苦しみ、いっさいの苦しみに、ぼくは堪えてきたんだよ、ソーニャ、もうそうした苦しみはすっかり肩からはらいのけたくなったんだよ!ぼくはね、ソーニャ、詭弁を弄さないで殺そうと思った、自分のために、自分一人のために殺そうと思ったんだ!このことでは自分にさえ嘘をつきたくなかった!母を助けるために、ぼくは殺したのじゃない----ばかな!手段と権力をにぎって、人類の恩人になるために、ぼくは殺したのではない。ばかばかしい!ぼくはただ殺したんだ。自分のために殺したんだ、自分一人だけのために。この先誰かの恩人になろうと、あるいは蜘蛛になって、巣にかかった獲物をとらえ、その生血を吸うようになろうと、あのときは、ぼくにはどうでもよかったはずだ!・・・・・・それに、ソーニャ、ぼくが殺したとき、ぼくにいちばん必要だったのは、金ではなかった。金よりも、他のものだった・・・・・・それがいまのぼくにははっきりわかるんだ・・・・・・ソーニャ、わかってくれ、ぼくは同じ道を歩んだとしても、おそらくもう二度と殺人はくりかえさないだろう。ぼくは他のことを知らなければならなかったのだ。他のことがぼくの手をつついたのだ。ぼくはあのとき知るべきだった、もっと早く知るべきだった、ぼくがみんなのようにしらみか、それとも人間か?ぼくは踏みこえることができるか、できないか!身を屈めて、権力をにぎる勇気があるか、ないか?ぼくはふるえおののく虫けらか、それとも権利があるか・・・・・・」
「殺す?殺す権利があるというの?」
「罪と罰」抜粋

(2002.6.8)-2
それでも負ける者は負けるのである。
(2002.6.8)-3
苦悩のはてに一筋の燭光を享けるものも一個。虚無と自殺に選ばれるものも一個。目先の喜びを追いまわし蝶々のように舞いつづけるものも一個。一息に喋る、その間にもあからさまに含まれる矛盾にすら気付かずに老いさらばえてゆくものも一個。飲んだくれになるのも一個。その浅薄に気付かずに終えるのも一個。自身の浅薄を懼れるあまり、全ての事柄から逃げ、隠れて暮らすのも一個。万物への侮蔑を以って魔王になるのも一個。内なる正義は、その表出された色形を見る限りにおいては、醜怪奇形極まるものでると言えた。それも一個。
(2002.6.8)-4
汝、其を自ら選び取れると思うてか!
(2002.6.8)-5
握りしめた手を、おそるおそる解いて見れば、そこには指の形のくぼみの付いた、ひとかたまりの粘土が、こげ茶色に湿ってあった。よく見るとかたまりの、その真中のあたりに、窒息寸前の芋虫いっぴき。痙攣を起したのか、小刻みに震える胴を、更に自ら弱々しくねじりくねらせて、埋め込まれた粘土から脱出をこころみているようである。もぞもぞとぼくは起き上がり、その奮闘の様をしばらくぼんやりと眺めていたが、その芋虫がようやくその粘土のかたまりから、何とか脱出しようとしているのを認めて、慌てて再び手を握りしめた。そして握りしめた指を上下に動かして粘土をぐにぐにとこねまわす。ぼくは十分にそれをした後で、握ったその粘土のかたまりを、川の流れの真中に放り込んだ。それでいくらか満足をして、川の水で粘土で汚れた手をすすぎ、ズボンの裾でそれを拭いてポケットから煙草を取り出した。煙草の箱はもう中の煙草の本数が少なくなっているので、潰れて歪んでいる。開けると中には、それをぼくは正確には数えようとしなかったが、5本前後残っているようだった。ぼくはそこから一本取り出して口にくわえ、潰れた箱の蓋を乱暴に閉めて、そのまま握り潰し、それも川へと放ったが、煙草の箱は軽く、風に流されて川には落ちずに川岸の砂利の上に落ちた。やつにとって窒息と圧死と溺死とは、そのどれがいいだろうか。など考えながら煙草に火を点け、一度だけ吸い込んだ後、人差し指と中指との間にはさんで折った。煙草はパサと乾いた紙の音を立てて真中で折れた。ふん、芋虫の身体はこのようには真ふたつにはならないのだろう。
(2002.6.8)-6
何かよっぽどの熱にうかされているか、それともよほどの寂しさをどうにかして紛らわせようとしているのでなければ、その手の話を熱っぽく語り合ったりすることは、彼には無意味だった。それに時間をどれだけ費やしても、そこで語られているものを実行する事にそれは何の寄与もしなかった。要するにただの暇つぶしなのである。そしてこの手の暇つぶしの非常に良くないところは、それが語っていることの何割かを、あたかももう為してしまったような、そんな気分にさせてしまうところだった。実際はまだ何にも、何ひとつ為してはいないのに。その意味で、この手の議論は、ロケットエンジンのバーニアから放出される高温の排気を感知して追尾してくる、敵の放ったミサイルから逃れるために戦闘機の射出するフレアーに、その性質が似ていた。
(2002.6.8)-7
そして、このようにしてそれらを黙々と記述、描写していゆくという作業もまた、それと同じ性質を有しているという事から、決して逃れえてはいないのだった。
(2002.6.8)-8
このようにして無力感に、虚脱感に、これらは徒労に過ぎないのだという思いに、次第につきまとわれ、そのうちに体の中へと侵入をゆるし、遂には脳を侵され歪み引きつった笑いを、他に向って投げようにも、そのいわれがあるものは自分以外にはあり得ないので、結局は自分に向って唾を吐く、かわりにその唾をごくりと飲み込み、味の悪さに一種驚きながらも、同時にそれが可笑しくてならず、それらがごちゃごちゃと入り混じって、あの苦りきった笑い、というやつを形作るのだった。
(2002.6.8)-9
ばかだろ
(2002.6.9)-1
日本、いう事なし。みな良かった。勝って良かった。ほんと良かった。
(2002.6.9)-2
喜びを表すには阿呆になるのが一ばんである。
(2002.6.9)-3
わーい、ぴょんぴょん。
(2002.6.9)-4
(注)書いている本人と結び付けてはいけません。毒です。
(2002.6.9)-5
溜めた息を丸く吐いたら、川を見たくなった。今、気温は何度あるのか知らない。おもむろに自転車を折り返して、あまり考えないで、何となく世田谷通りをただ走る。すこし速度を出してみると爽やかで心地よい。世田谷通りは、ぼくは結構好きなのである。何でなのかよくわからないのだけれど、何かこう、少し余裕がある気がするのである。何言ってるのか、ほんとによくわからないだろうけど、ぼくにはそんな気がする。多摩川に行き当たるところで、通りは小田急線と合流する。駅名は和泉多摩川駅とある。その少し先で通りは多摩川と交差する。ぼくは橋の手前で折れて、河川敷を走る。最近は随分暑くて、散歩ももうちょっと気だるいのだろう、ひと月前と比べると人の数は少ない。ぼくといえば、やはり同じ様にぼてぼてと走っていた。走っていると、なんだかやたらに目が乾く。何ででしょうか?知りません。そんな感じでニ子玉川まで下って行って、そこの高島屋に入っている紀伊国屋で本を買い込んだ。
(2002.6.9)-6
一昨日、今日で買った本

一昨日
  • 遠野物語 柳田国男 新潮文庫
  • 卍 谷崎潤一郎 新潮文庫
  • 痴人の愛 谷崎潤一郎 新潮文庫
    今日
  • かもめ チュホフ 岩波文庫
  • 可愛い女・犬を連れた奥さん・他 チュホフ 岩波文庫
  • 真景累ヶ原 三遊亭円朝 岩波文庫
  • 山椒魚 井伏鱒二 新潮文庫
  • 駅前旅館 井伏鱒二 新潮文庫
  • グリム童話T・U・V グリム兄弟 角川文庫

    乱読に近し。あまり感心しない。あとは、内村鑑三、ヴァレリイ、ヴェルレエヌあたりを読みたし。各人、文庫がどうやら存在するも、本屋ではとんと見かけず。取り寄せるか。あとは、聖書。どうするかな。

    「卍」は今日読んだ。面白い。それから、昨日で「罪と罰」読み終え。昨日抜粋した箇所は、あれは完璧であった。唸る。あそこまで完璧に持って行くとは。でも、ドストエフスキーは朝顔観察日記なんだよ。つまり、そうなんだよ。それでは、

    (2002.6.10)-1
    予言よきたれ、すべての予兆よきたれ、霊と幻よきたれ、詩人よきたれ
    わたしの言葉に耳をふさぎ、わたしの口を君の耳で味わえ。
    THA BLUE HERB "SELL OUR SOUL" Copy

    (2002.6.10)-2
    自己中心の言葉と音準備集合罪 煙と雪のすすきの 緑一色 ヤバイ目つきの慣れた手つきの 人斬り O-RESIDENTとILL-BOSSTINO 真理が蓄積された現実で 今日もフロアーを沈め ダーティーにいくぜ 理不尽なまでのキラー ビター イリーガル WE'RE TBHR SP GHETTO上がりの MOST WANTED 超然と面と向かって下すジャッジメント 前頭葉の健忘症を挑む まるで禅問答突き詰めた瞑想法 MITでもVIP級のMIC 目をつぶって得意の一筆書き 香ばしいTHCが小走り うしろから迫ってきてるシロシピン 逆流を始めてる毛細血管に つぎつぎに潜在能力に連鎖し 1本の大河にまでなったそのデルタにでる前に固めて見せるテンパリ 倒されるかあるいは認めさせるか お前はさっきのやつよりは持ちこたえてくれるな FRESHなイケイケのストレンジャー カウンターアタックはベッカムのように別格だ POT DIGGER ポケットにBUDDHA STICK ZIG ZAG ノーミスなスキルは遂に6500/g 荒れ果てた国境を切り開いていくんだ 独走中のトップランナーの気分さ 真っ青なMASSIVEが大脳へまっしぐら 一体感ってやつはそこで感じるんだ その場しのぎのSAY HO! なライブな あれはパラパラを合わせて喜べるタイプだ

    ギミックをハンティングするWORKING SEASON トラビスはおふざけのHIPHOPはDISする 自らかってでたヒール 北の一インディーズ

    俺と比較されたMCは不運だな ぶるったな 相当プランは狂ったさ 結果的にお前は二番手だった 一瞬とはいえいい夢を見れて幸運だったな 真っ赤な三目のラッパーだ 北部戦線ハンパない まったなし GOOD MUSICの末端組織 次は東洋代表が西洋を攻める番なんだ チャンバラやスポーツじゃない真剣の勝負 ビートは張りつめた一本のタイトロープ 表裏一体の思考回路の衝突 陰と陽 ハイとロウ ねじらせるハイドロ ペンの催促のある生活は最高だ お前が使ってない言葉を買い取ろうか? ここでの評価は使えるかどうか 俺を守る親衛隊は最高峰さ ことあるごとにただの負け惜しみのような ああ言えば 皮肉屋はこう言えばああだ 説教みたく耳が痛いってことは 俺の言葉がリアリティを持つ証拠さ 唯我独尊の毒を持った皿を直送 コンコルド突き刺しお前の記憶に残るぞ 舌の上に百科事典を隠し持つ男 妥協なき真の維新回天をもくろむ 昨日の友は同時に愛すべき敵だ シーンのムードメーカーのしゃれを受けてみな FUCK YOU 1ST KILL YOU LATER ストリップだけはするなよ Mrエンターテイナー

    カモフラージュは黒幕 無心雑青葉流 鼓膜から入り込んで五感を奪う
    THA BLUE HERB 「人斬り」

    (2002.6.10)-3
    拳を握りしめた右腕を眺めるとレントゲンのように骨が透けている。ぼくの身体の肉は透明になった。光を受けるのではなく、光を発することを撰んだのだ。もう融けるのはお前らのほうだ。そう気付いたとき、ぼくは人を殴ることをやめた。
    (2002.6.10)-4
    戦わないことが戦うことと同義である、彼の地を目指して
    (2002.6.10)-5
    いろいろとあがいてみている。いや、正確にはあがこうとして、いろいろあがいている。いや、もっと正確には、あがこうとして、そのためにあがこうとして、そしてまたそのためにいろいろとあがこうかと、あがけるのかと、その辺りでうろうろして、云々。
    (2002.6.10)-6
    書く、ということはおそらく最も速い部類のアウトプットだと思う。これに対して、読む、というのは相当に面倒な、遅い部類に属するインプットだと。それを、まあ、確認して、それから。。。それから?
    (2002.6.10)-7
    ターンテーブルを噛ませれば、喋ることを前提とした言葉を紡ぐ前提を得ることが出来る。それは芝居とも違うものだ。それよりも、より「言葉」であるものだ。ぼくは「文字」から「言葉」を紡ぐ。紙面に載せられたときにその一部分でも負けるようでは。
    (2002.6.10)-8
    もう一曲くらいあげよう。

    (2002.6.10)-9
    98年の1stはまだ新鮮だ 俺より先に死ぬってことはまずあり得ない 右腕は経験 腕利きのナゴシエーター 偽善や虚栄の怖さをよく知っていた 1日中陰に隠れこっちを見てた どろどろした俺は明るさからは見えない そうし向けたのは俺の方かもしれない 確かに優越感だけの人生じゃ味気ない 屈辱は 心地よい重力 スコールの中でずっと置き去りのブロンズ メッキが落ちた後現れた呪文 再び12曲中12曲が究極 俺って奴は 世の中の全てのこうでなくてはならないという勢力にとっては 必要悪に他ならない 同時に彼らがいないと俺のDISも大義も輝かない 皮膚に重なる最後の透明な膜 すなわち精神が全ての人格を現す 自分の外見に不満がある その結論も他人じゃなく彼が判断する その手の話をするMCは他に知らない 昨日も自分と二人 闇は眠らない 我が1個小隊に栄光あり 解脱はあながち不可能でもない I'M PRIVATE ARMY

    俺の治療法は深く考えるってだけだ ここはよく来る心のあの世の果てさ 入り口はささいなはてな 答えは結果 しかし重要なのはその間の過程だ 哲学にグラスと鏡を混ぜたら なんと俺の詩は実践新心理学に化けた 気を遣われるのを恐れて気を遣い 何故かやわらかい親切に無意識に後ずさり 愛想笑ってすぐうんざりと愛想尽かし ありもしない裏書きと裏切りを疑い それらの恐るべき行為の後で独りで いつも後悔して 急ぎ取り繕ったりして ばれたやしないかとビクビクして俺は生きてるっていう特有の苦しみと生きてる こんな俺ですがひとつだけ使い道はあって それを書こうとしない全ての作詞家に代わって それが見えないMCを鼻で笑って 孤独が一見後ろ向きで前向きな歌を書かせる 祝いの席で歌う歌は一曲も知らない 今日も月と二人 山猫は眠らない 報酬はわずかなプライドとペンと紙 心の闇の正体 I'M PRIVATE ARMY

    麓に雲がなびくINSIZDE HILL 太古の丘 風の谷 焦りが落ち着く 接近するオリオン 試作神髄 今 俺はあらゆるにぎやかさの裏側にいる この泥沼よ 俺はいつまでもここだ 鮮やかに真空ににじむ寒さの言葉 密室で 直筆で描く自分自身 ハシシと二人きりでCHILLIN' 真理を1つ書き足そう 寂しさが住むのは自分の中じゃなく人と人の間 街やわびや暮らしやさびや どうにもわかりあえない価値観 感じ方 すれ違う誤解 切なさ やさしさ もうポケットが足りないとありがとうが泣いた 毎日は後ろから落ちていく橋だ いやでも忘れていくそれぞれの旅だ BORN ALONE DIE ALONE ラビアンローズ 感情をまとって俺は俺に仮装する 俺は俺に俺がどう見られてるかを想像する 動揺する 密かにほっとする 未だとりあえずな歌の造り方は知らない 明日は名誉心と二人 手ぶらでは眠らない 生まれ持ち合わせた悪に世話を焼き きっとあさっても苦悩する I'M PRIVATE ARMY
    THA BLUE HERB 「I'M PRIVATE ARMY」

    (2002.6.10)-10
    別にそんなに新しいものでは無いのである。ただ、ツールは新しい。だから、もしかしたらうまくいくかもしれない。そう少し思うだけだ。負けてらんないのである。BETはもうしているのである。
    (2002.6.10)-11
     よく、「あいうえお」とか、それに準ずる所謂全く無意味な言葉で構成されたメールを送りつけることは、許されうる事なのだろうか、などと考えるのだけれど、君、以下のようなメールを受取ったならば、それを不快に感ずるだろうか、それを送信したものの品性を疑うことがあるだろうか。
    ども、スズキキヨトです。

    何にも書くことが無いのですけれども、あなたに何でもいいからメールを送りたくて仕様が無くて、一時間ほどウンウン唸ったのですけれども、どの言葉も何だか寸足らずで、それにどれも厭味ったらしく感じられて、どうしようもありませんので、すっかり困ってしまって、それでも、ぼくがあなたにメールを送りたくて仕様がない気持は、それでは消えてくれはしませんので、ほんとうに困ってしまって、その旨だけを書き綴れば、それでもきっと十分なのでしょうけれども、どうしてもある程度の長さを確保、保持したくて、今からぼくは何の意味もない、ただ文字数を確保するためだけの文字を、しかもそれをメールの上に書いて、あなたにお送りするのです。

    いきます。

    あいうえお

    すいません。この言葉、本当に意味が無いんです。ただ、あなたにそれなりの長さをしたメールをお送りしたくて、このように書いてみているのです。ちょっとだけ馬鹿馬鹿しい、というのは今のぼくには到底できない事なのです。これ以上ないくらい馬鹿馬鹿しい、というのでなければ、できなくなってしまっているのです。と、いうことでこうなってしまっているのです。

    あいうえお

    あなたに特に特殊なる感情を抱いているわけでも何でもないのに、どういうわけだかメールお送りしたいのです。そんな事を急に言われても困惑するだけだというのも、知っているのです。でも、仕方が無いのです。あなたにメールを送りたいのです。わかりますか。ぼくはあなたにメールをお送りしたいのです。ただそれだけなのです。

    きっと気の利いた詩の一編でも付けられるといいのでしょうね。それも一応承知しているつもりです。でも、今ぼくはそんな気分ではないのです。あなたの事を考えているのだけれども、あなたのために何かしよう、何かサービスをしようという気にはなれないのです。ぼくはただメールを送りたいだけなのです。だから、繰り返します。話が途切れそうになると、これを繰り返します。

    あいうえお

    プランクトンを食べて生活しているクジラはそんな細かいことをあまり考えずに、海水を飲んで、生きているそうですよ。

    なので、ぼくもあまり多くを考えずにだらだらだらだらと書き綴って、それをそのままお送りしてしまう事にします。なんてったって、ぼくらはクジラの仲間ですから。アハハハハ。

    あいうえお

    それでもそろそろ限界みたい。。。それでは。
     さあ、こんな馬鹿げたメールをあなたが受取ったとしたら、あなたははたして返事を出すでしょうか。返事を出すとしたら、どんな事を書いて送るのでしょうか。このメールの事は完全に無視をしてしまって、全然別の話題を振るのでしょうか。それとも、このような意味不明、奇奇怪怪のメールを送りつけた事を多少でも叱責することがあるのでしょうか。
     ぼくはと言えば、そのどちらでもかまわないのです。ぼくの目的はあなたにメールを送りつけるという事だけであって、その結果がどうであろうと、どうなろうと全然かまわないのです。ぼくはこのクソメールを書き上げて、送信ボタンを押した、その時点ですっかり満足しきってしまっているのです。ですから、あなたから叱責があったとしても、「ゴメンゴメン」などと、尻軽男ばりの適当な愛想笑いを浮かべて曖昧に誤魔化してしまうのに決まっているのです。勿論、それを受けてあなたが、「もうこんなやつと付き合っていられない。ごめんこうむるわ」と考えるのは勝手であります。でも、ぼくはそんなことを恐れてはいないのです。そんなことを恐れているのなら、確かにこんなクソメールなど出しはしないのです。

     ところで、この文章自体をぼくは酔っぱらって書いているのですが、酒がまわってそろそろ眠くなって来てしまいました。もう何の話題だったのかも正確には思い出せません。なんだか、どうでもいいような話を延々となしてきたような気がしているのですが、あれ、本当に思い出せない。あれあれあれれ。これは何の話だっけか。

    ああ、そうだ。そうだ。これだこれだ、あいうえおの話だ。

    あいうえお。

    おれはそんなもの要らんよ。
    (2002.6.11)-1
    ワールドカップは面白い。一試合一試合、選手はひとりひとりが、サッカーの神さまに、今日持って来たスピリッツの量をはかられる。ゆとり、というものはワールドカップでは許されないのである。楽しくない試合をするのである。苦しい試合をするのである。勝利の前に、まずそこを試されるのである。ワールドカップに値するチームであるか。値するサッカーをしているか。誇りはあるか。格上の相手に対しても、畏れることなく。格下の相手にも、奢れることなく。誰かひとりが、もうだめだ、と思ったときに敗北の芽が生れるのである。誰かひとりが、これはいける、と思ったときに足許をすくわれる可能性ができるのである。90分を必死に戦う。国を背負って、国に背中を押されて、戦いきる。点を取ったり、勝ったり、そういう話ができるようになるのは、その後の話である。だから、ぼくはワールドカップを見るのである。この一ヶ月、世界で最も輝いているのは、あそこにいるサッカー選手達なのである。自身の持てる能力の全て、自身が置かれた環境の全て、最高の技術、最高の味方、最高の敵、最高の舞台、最高の栄誉、最高の屈辱。「真の最高」になる、そのお膳立ては整っているのである。ぼくがいくら誇りだとか、魂だとか、生命よりも貴きものだとか、ぼそぼそ言ってみても永遠に虚しいばかりなのだけれど、なのであんまり言ってないはずだと思っているのだけれど、まあそれはいいとして、あそこにいる人たちは、それを、「真の最高」を体現することができる可能性があるのである。核融合が起きるかも知れないのである。人工の極致。だから、ぼくはワールドカップを見るのである。
    (2002.6.11)-2
    その人のなしたことは、その人自身よりも尊い事柄だった。その人の作ったものが、その人の総てよりも価値があった。それをしたいと願うとき、ぼくは他人に較べて有利である。はきだめような人格。お金を出しても引き取ってもらえない身体。金の卵、聖水、0.1カラットのダイア。舌を焼き、四肢を溶かし、そこから、一粒の、一滴の。
    (2002.6.11)-3
    闇を誇りとするな。理由とするな。意義と見まちがうな。闇は価値ではなく、状態に過ぎない。排除と反抗は目的ではなく、行為でしかない。その身体を捧げるべきものは、決してそれでない。 > THA BLUE HERB
    (2002.6.11)-4
    「それはひとことでは言ってはいけないのです。多分そういうようなものなのです。あ、はい。ぼくはまだその片鱗すら見せていただいてはおりません。それだけは確かです。いや、ですから、だからこそ言えるのです。それは違う。」
    (2002.6.11)-5
    あなたが離れるぶんだけぼくは沈みこむ
    (2002.6.11)-6
    同じ色かたち濃さでも水と油。水と油はみずとあぶら。水は空へと昇り、融ける。油は不揮発、黒ずんであとに残る。
    (2002.6.11)-7
    ディスプレイは照射された電子線の集合に過ぎない。
    (2002.6.11)-8
    何のことはない、精神障害者なのである。健常者と同等の生活など望むべくもない。それは、身体障害者と同様である。あり得ないのである。
    (2002.6.11)-9
    「世の中に『普通』の人なんているのかしら」なんて言っている人は安心してよい。無事な証拠である。
    (2002.6.13)-1
    書いたそばから、「これは駄目であろう」同じ声でぼくが言う。
    (2002.6.13)-2
    「身を屈めてつかみ取る勇気があるか?」「そんなことは頭に浮ばず、つべこべ言わずに一直線に進む者にとってのみ、人間がしらみなのだということくらい、ぼくが知らなかったと思うのかい?」
    (2002.6.13)-3
    あの尻見てたらお風呂に一緒に入ってくれるアレを思い出しました。グワ!
    (2002.6.13)-4
    劣勢である。太宰弱い。至極弱い。全く頼りにならない。映画、強い。音楽、強い。芝居、強い。絵、強い。漫画、アニメ、お笑い、ゲーム、ファッション、サーカス、ダンス、教養講座、冒険、強い。スポーツ、強い。空間の共有は強い。作品が直接五感に触れる。強い。それに比して、文章、弱い。非力である。あらゆる娯楽の中で最も非力である。観念で空腹は誤魔化せはせんよ、まったく。ああ、その姿、マッチ売りの少女に似ている。指先ほどの大きさした希望。一縷の望み。しかし、それも10秒で途切れる、儚き切れはし。ああ、この身捧げ奉るはやはり唯ひとつ、「あはれ」。ただ、これのみ。か。
    (2002.6.13)-5
    そうは言っても、君にも経験があるはずだ。ひとつくらいは持っているはずだ。食事も忘れて、寝る間も惜しんで、読みふけったあの物語。言い訳を、そういう風にするのは感心しない。つまりは君にその力がないだけなのだろう。それを、そのように転嫁してはならない。
    (2002.6.13)-6
    違う!ちがうんだ。。。ぼくが言いたいのは、ぼくが言いたいのは、
    (2002.6.13)-7
    もういい。君はおそらく駄目であろう。
    (2002.6.13)-8
    少しは口を慎みたまえ。おおいに迷惑だ。
    (2002.6.14)-1
    命は蝋燭のようだ。生きることはそこでゆらめくあの小さな焔だ。皆がそう言う。ぼくはそのまま少し笑っている。
    (2002.6.14)-2
    雨を聴きながら映画のビデオをみる。「バグダット・カフェ」少々雑な作りの映画であった。きっと習作なのであろう。テーマと物語の舞台の大きさとがミスマッチを起していた。また、演出にもとってつけたような感じをもつ部分があった。設定、ストーリーを見る限りでは、描写する、それだけを意図したのではなく、ある程度意識されたテーマとしての感覚があるように思うが、ぼくの観る限りでは、その数、量、ともにオーバーフロー気味である。108分で扱える量では、ちょっとない。その結果、芯のぼやけた映画になってしまっているように見受けられた。残念である。しかし、何はともあれ、久しぶりに映画を見た。やはり、強い。
    (2002.6.14)-3
    映画の、映像のつらいところは、連続したかたまりとして提示しなければならないという事だ。インターバルも作り手のほうで用意しなければならないのである。4000時間以上かけて作ったそれを、受け手はたかだか2時間ちょっとで、バーッとなめて、それで受け取ったことにしてしまうのである。従って、それをきちんとやろうとすれば、狙った効果に対して秒単位での制御が必要になるのであるが、受け手側にも秒単位の大きさで個体差があるので、その制御が十分に効果を発揮することはまず望めないのである。その点、文書は恵まれている。ひとつの作品に関わっている時間量のギャップは映画に較べて遥かに少ないし、また、そのようなペース配分の細かな微調整は、受け手が個人個人でそれぞれ、好きなように、いいようにやってもらえてしまうのである。書き手の意図した効果に対して(それが正しく、また十分な効果であれば)、受け手はその意図を理解した上で、それにあわせた自身の受取り方でもってそれを受取ってくれるのである。
    (2002.6.14)-4
    映画が二時間前後であらわせることは、文庫本でいうと七八十頁から百二十頁程度のものだろうか。長さの感覚でいうと短篇と中篇の間くらいのものであろうと思う。難しい長さであろう。陸上でいうと4000mといったところか。切り取るだけをするには長く、込めきろうとするには短い。
    (2002.6.14)-5
    あらわす感覚と、こめる感覚と。前者は、受け手はそれを見てとるのであり、後者はそれを、抜き出して自ら組立てるのである。

    (2002.6.15)-1
    「これから東京で生活して行くにはだね、コンチワァ、という軽薄きわまる挨拶が平気で出来るようでなければ、とても駄目だね。いまのわれらに、重厚だの、誠実だの、そんな美徳を要求するのは、首くくりの足を引っぱるようなものだ。重厚?誠実?ペッ、プッだ。生きて行けやしねえじゃないか。もしもだね、コンチワァを軽く言えなかったら、あとは、道が三つしか無いんだ、一つは帰農だ、一つは自殺、もう一つは女のヒモさ」
    (2002.6.15)-2
    「斜陽」あと10頁弱。時間がかかった。意図的に稚拙な文を用いる、というような事をやっているようだ、というのは確認できた。いくつかの箇所においては、呆れるくらいに淡白な描写をしているところもある。
    (2002.6.15)-3
     ベッカムの髪形は鶏冠のようだ。それは、栄光への道程を粛々として歩みつつある、神の加護を享けた聖なる軍隊の先頭を、白馬に跨り進む若き王が纏った、光り輝く白金の鎧だ。ベッカムは王である。彼の振る舞いはまさに、王そのものである。したがって、彼と彼の率いる軍隊の進む道は王道である。あの鶏冠はその軍隊の象徴である。今日のイングランドの戦いぶりを見ていたら、なにやらそのような想像がもやもやと湧いて上がってきて、今回のワールドカップがひとつのそちら系の物語のように思えてきた。イングランドの栄光の物語である。
     予選リーグでは、宿敵アルゼンチンを相手に、まさに魂のシュートといったようなシュートをベッカム自ら叩き込み、それをもって見事に過去の因縁を絶ち切り、アルゼンチンをそのまま葬り去ってしまった。次のナイジェリア戦では、「王は戦いの準備、未だ完全には非ず、それが整うまでは、我らがここを預かれり」と股肱の臣下たちが結託し決して負けぬ鉄壁の戦いをして、じっと時を待った。そして今日のデンマーク戦である。王が遂に彼等の先頭に立ち、その指揮を執り始めたのである。
     今日は、勝利の美酒に酔い、玉座に深く沈みこんで、慢心に飲まれ、王たる資格どころか、戦士たる資格すらいつの間にか失っていた前回の王者フランスに引導を渡した屈強なる赤き傭兵団といった態のデンマークを、まさに王者の戦いぶりで一蹴したのである。鉄壁の守りと、敵を一撃で葬り去る白馬陣。デンマークは決して弱くは無かったが、先頭に初めて王みずからが立ち、本来の布陣を取り戻したイングランドの敵ではなかった。
     次、ブラジル、準決勝、セネガルかスウェーデン、決勝はドイツで決まり、スペインではない、ましてイタリアなんて、あり得ない。ともかく、みな申し分の無いそれぞれに個性的な好敵手である。それぞれとの戦いが、それぞれに面白く、ばっちり描けそうである(ぼくには無理だけれど)。誰が演出したのだか知らないが、憎らしいくらいに飽きないつくりである。
     と言っても、ぼくはあまりイングランドを推していない。ぼくはそもそもマイナー志向なので、今大会の一ばんのお気に入りはアイルランドなのである。初戦を見て惚れたのである。別に面白い、華のあるサッカーをするわけではないけれど、ひとつひとつのプレーがピリッとしていて好きなのである。フォワードのダフという選手が特に好きなのである。ロビー・キーンという人が有名らしいのだけれど、ぼくはダフのほうが、なんか好きである。この人は脚が速くて、トラップとか、ドリブルとか、そういった足もとでの球の扱いが上手な人である。あと、ディフェンス陣も一対一にもけっこう負けないできっちりやるので、とても好きである。でも、きっとスペインには負けてしまうのである。そういうものである。そして、スペインもドイツに負けるのである。ドイツもカーンがとても好きで、あの人は球をキャッチするとしばらくじっとそれを抱きしめているのである。それが自身の胸元に、いま神聖なるワールドカップボールが収まっている、その事をサッカーの神さまに感謝し、祈りを捧げているように見えるのである。ドイツも試合をいっぱい見たので、そろそろ選手も覚えてきた事だし、ひいきしたいのであるが、今日の試合を見ていても、イングランドが勝つ物語は浮んできたけれども、ドイツが勝つ物語は残念ながら浮んでこなかったのである。イングランドがやはり真中を歩いているように見えるのである。なので、せめて、決勝で名勝負、それを期待するのである。
     ということで、ぼくのワールドカップ予想は、イングランドの優勝。ベッカムが名実共に最高になる。新たな王になるのである。
    (2002.6.15)-4
    どうでもいいけど、ベッカムは中田に似ている。いや、中田がベッカムに似ているのか。体型、プレイスタイル、球の質等がひどく似ている。守備での動きやポジション取りなどは、どちらも省エネタイプのプレイスタイルである。ドリブルもどちらもスピード感というよりも安定感のあるドリブルをする。相手の動きをよく見てかわす、という感じなのである。そして、あの球の扱いよう。頭おかしいだろ。受けるほうのトラップがうまかろうが、下手だろうが、全然関係ないのである。下手するとトラップすらする必要の無い球を蹴り込んでくるのである。
    (2002.6.15)-5
    もうさ、これのせいでマジで何にもできないよ。まあ、いいんだけどさ。どうせ、感動とか、昂揚感とかとは無縁の、何がいいのか、自分でもさっぱりわからないでやっていることなんだからさ。
    (2002.6.16)-1
    スペインvsアイルランド。ベストマッチ。これを見るためにワールドカップを見ているのである。。。。。。。。。。。あ、駄目だ。あの試合の事について何かいうには、ぼくの言葉は寸足らずだ。
    (2002.6.16)-2
    寝ころがって、だらだらとグリム童話を読む。作りかけの物語の集まり。きっとこのくらいがいいのだろうな。足りないところは、読み聴かせる母親や父親が、子供達と話をしながら、一緒に作り、補ってゆく。百の暖かい家庭があれば、百の話がある。千の寝室での団欒があれば、千のセリフがある。そういうことなのだろうな。
    (2002.6.16)-3
    とてもよい書き出しをひとつあげる。みなシンプルでとてもいいのだけれど、これは特にいい。
    (2002.6.16)-4
     大昔のこと、人の願いごとがまだ叶ったころ、一人の王さまが住んでいた。王さまの娘達はみんな器量よしだったけれど、その中でも一番末の娘は飛び抜けて器量がよく、いろいろな物を見て廻ったお天道さまでさえ、その顔をお照しなさる度ごとに、おどろいていた。
    (2002.6.16)-5
    今でも人の願いごとは、ときどき叶ったりすることがある。だから、願うことは止めないほうがいい。それから、願いごとが叶うとき、それを素直な笑顔で受けとれるように、いつでもそのように生活してゆくといい。
    (2002.6.16)-6
    ぶぶー!君、君、君。きみ、失格。出て行きたまえ。さあ。退場口はあちらだ。はやく。さあ。


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