tell a graphic lie
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(2002.6.17)-1
あとひとつき、なかなかに難しそうである。何か理由を探さなければならない。
(2002.6.19)-1
こころ、とまっています。だから、あなたの話を少しだけ今までよりもきちんと聴くことが出来るかも知れません。
(2002.6.19)-2
追伸 東京は箱庭のようです。
(2002.6.19)-3
「それがとてもいいことだからって、ぼくがそれをするとは限らないよ。」だって、生きることとかっていうのは、いいことをすること、ってやつでは決してないからね。
(2002.6.19)-4
あめふりの日と、はれる日と。今日がいちにちの長さをしていたことを少し忘れかけたりなんかしたりしちゃっているので、少し困ってしまって、ちょっとだけ長い文を書いてみて、首をかしげてから消した。
(2002.6.19)-5
いくつかのものを支払って今の生活を維持している。
(2002.6.19)-6
電池が切れるのよ。だんだん力が弱くなるの。きっとそのうちに、笑わなくなって、喋らなくなって、作らなくなって、かかなくなって、外へ出なくなって、お腹がすかなくなって、見ることと聞くことをやめてしまって、朝、目覚めなくなって、そうしておしまいには、あたし、動かなくなるの。電池で動いているお人形は、電池が切れてしまうとただのお人形よりも扱いがむつかしくて、面白くないし、きれいでもないものよ。知っているでしょう?ねぇ。
(2002.6.19)-7
ひとはだ?
(2002.6.20)
ぼくが生活を投げ出すのか。それとも、生活がぼくを殺すのか。ぼくにはもうものを食べる資格がない。
(2002.6.22)-1
今日は無かったも同じことだ。
(2002.6.22)-2
どうして死なないのか。ぼくの部屋には包丁がある。外へ出ればすぐに車の往来の多い通りがある。30階建てのマンションもある。駅もある。薬局では睡眠薬を置いている。べつに誰も止めない。なぜ死なないのか。
(2002.6.22)-3
母からの電話。石膏で固めた言葉。なぜぼくは死なないのか。
(2002.6.22)-4
おさえられない眠気。湿った冷たい空気。散らかした本。隅にたまっている埃。なぜ死なないのか。
(2002.6.22)-5
ぼくは苦笑いをするだけで、何の言葉も浮んでこない。あなたは、またか、というような顔をみせて、少し淋しさのようなものを見せた。ぼくは相変わらず苦笑いをするだけだ。いや、それは違う。わざとではない。ぼくにはこれしかできないからそうしているんだ。ぼくは他は知らないんだ。「知らない」とあなたに言うという事も知らないんだ。ぼくがこういう人間だからといって、それがあなたにとって何であろうか。知らないんだ。少し淋しさを見せた。ぼくは何を。知らないんだ。ぼくが知っているのは、ぼくは死ぬべきで、「ぼくはなぜ死なないんだ」
(2002.6.22)-6
「この庭は周囲から少し窪んだところにあって、そこにあの壁だろ、それで空気が溜まるんだよ。ほら、少し黄色く澱んでいるのがわかるだろう。」ぼくは自分のことをそんな風に喩えて話した。「は?何を言っているの?」とUが聴き返す。それには答えずに、ぼくはグラスに半分くらい残っていたビールを飲み干してから、またわけのわからないことを呟いた。「なんで死なないんだろう。」そのとき、右側の奥のほうから大きな笑い声が起って、Uはそちらの方を向いて眺めていた。ぼくもそちらへ目をやると、そこでは5,6人の若いサラリーマン、OL達が立ち上がったり、肩をくんだりして大声で笑っている。ぼくの呟きはUには聞きとられなかったようだ。ぼくはビールをもう一杯頼もうかと思い、手を挙げて店員をつかまえかけたが、すぐ思い直して、ぼくはUに「もう出よう」と言った。Uはすぐに同意した。「ごちそうさま」ぼくが手を挙げているのに気付いて寄ってきた店員にぼくは言った。
(2002.6.22)-7
ひとつもいいことなんてなかった。生れてごめんなさい。これすらいうことができなかったから。
(2002.6.22)-8
「ひとつも?」「ひとつも」さ
(2002.6.22)-9
何をしてもだめ。全部ごめんなさいだ。「マシ」ということは無い。どっちだって馬鹿な話だ。死ぬことだってほんとはだめなんだろう。でも、そこはごめんなさいだ。うまれてごめんなさい。いきてごめんなさい。しんでごめんなさい。ごめんなさい。
(2002.6.22)-10
ごめんなさいを言えば何でも赦してもらえる。そんなことも思っている。多分。ごめんなさい。ならば聞こうか、一度もこころからその言葉を言ったことのないお前に。ぼくはなぜ死なないのか。
(2002.6.22)-11
とまったこころとセルロイドのお人形。ぼくはその腕を無意識に折り、さらに引っぱってちぎった。その前は、一週間ベランダに出して、野ざらしにしていた。一度も思い出さなかった。昨日それに気付いて、そのとき、その隣りではいつか貰った小さな鉢植えの、パリパリに干乾びた土の上に、何とかという花の苗が小さくしぼんで茶色く硬くなっていた。なぜぼくはこうして死なないのか。
(2002.6.22)-12
何をしたって、しないのと一緒だ。ぼくと噛みあう歯車はない。風車みたいにひとりでカラカラ廻っている。いたっていなくたって一緒だ。なぜぼくは死なないのか。答えたって答えなくなって、したってしなくたって一緒だ。それが言えたなら。それは嘘で、ぼくは死んだほうがいいの。それなら、なぜぼくは死のうとしないのか。答えたって、しなければ。
(2002.6.22)-13
「言い切らずには死ねぬ」「言い切らなければならない程のことかね」ぼくはなぜ死なないのか。
(2002.6.22)-14
「あ、いま、何を隠したの?」「何でもないよ」「見せてよ」「何でもないったら」「いいじゃない、見せてよ」「やだよ」「なんでよ」「何でもないったら」「何でもないなら見せてもいいじゃない」「いやだよ」「見せて」「見てもつまんないよ」「そんなの、見てみなければわからないじゃない」「いやだよ」「見せて、見せてよ。見せてくれるまでは引き下がらないわよ」「いやだよ」「見せなさい」このありきたりの馬鹿な応酬の末に、ぼくは「ぼくはなぜ死なないのか」このひとことが書かれている、たったそれだけの紙切れを恐る恐るUに見せた。Uは見たことを後悔している、というような顔をした。けれども、ぼくにはもうそれしか残っていないのだから、仕方の無いことなのだ。黙っているUに向って、ぼくは「だからいやだったんだ」と言った。Uは「そう」とひとこと小声で言った。ぼくはそれ以来、Uの顔をまともに見れなくなった。Uは、以前と変わらないように付き合おうとしばらく努力をしてくれたが、ぼくはUの顔を見るたびに、からだが強張るのをどうすることもできなかった。「お前はなぜ死なないのか」という風にUの口が動き始めるように思えて恐くてならなかったのだ。しばらくしてUはぼくをあきらめた。ぼくは淋しいよりもホッとした。「Uが悪いんだ」はっきりとそう意識していた。ぼくはなぜ死なないのか。
(2002.6.22)-15
あなたがどんなにきれいでも、どんな想いを抱いて日々を送っていても、ぼくは知らない。ただ、こう言うだけだ。「ぼくはなぜ死なないのか」梅雨の晴れ間、湿った空気が太陽の光を受けて鈍く輝き、ここにある全てのものが美しく見えても、そこを吹き抜ける風に子供の無邪気な笑い声と湿った土の匂いが混じっていても、それがなんだ。ぼくは知らない。そしてこう言うだけだ。「ぼくはなぜ死なないのか」あの子が今日好きなひとと仕合せな一夜を過ごしていたとしても、それがなんだ。いいことじゃないか。ぼくにはうずくまってこう言うのがお似合いだ。「ぼくはなぜ死なないのか」栄光をつかみ取る瞬間の、その高潔な精神を目の当たりにし、それに引きずられて一瞬の胸の高揚を味わうことができても、ぼくには無駄な話だ。「ぼくはなぜ死なないのか」お金がいっぱいあったからといって、何の意味も無い。人に誉められたからといって、何の意味も無い。こう言えば終わりだ。「ぼくはなぜ死なないのか」ぼくに何かできることがあっても、唾を吐きかけるのが正しい。ぼくは常にこう問われる、「なぜ死なないのか」脳みそが弱ければ良かった。賢さは無用である。ただこれにはっきりとした答えさえ出せれば十分なのである。「ぼくはなぜ死なないのか」腰抜けが笑う。実に腹の立つ顔だ。「ぼくはなぜ死なないのか」臆病さをうらむ。「ぼくはなぜ死なないのか」
(2002.6.22)-16
出口とは、そもそも一体何を指して言っているのか。ぼくはなぜ死なないのか。
(2002.6.22)-17
夜の路地。ぼくはひとりで立っていた。辺りの家々、マンションからは人の気配、人の和の気配。ぼくはその隙間にこうしてひとりで立っていた。行くことができる場所は、全て、ひとりでいるほか無い場所だ。「それで構わない。」嘘だ。その強がりは、何のために、誰のためにある。こう言われつづけているのだろう?「ぼくはなぜ死なないのか」
(2002.6.22)-18
繰り返す。「ぼくはなぜ死なないのか」
(2002.6.23)
酒もまずい。役立たずだ。みんな馬鹿げている。
(2002.6.24)
「みんなはいいこだよ。じぶんはねこだよ。ないたってミルクしか、くれない」

ひとりで寝ころんで、夢中で放りなげて、
誰かがおとしたわけじゃない。
自分で勝手にすすんで、していることだから、なんにも言わない。

だまって。だまって。抱いて
鏡の無い世界で

あなたは穏やかに過ごすことを、「孤独や寂しさと同じ」って言ってから
うんざりするような、あきれかえるような、やる気のなさでゴメンね。

姿をあらわしたこのぼくを、きらいにならないで。
このぼくを止めて。

だまって抱いて

こわれやすいものを
chara「ミルク」

(盲人独笑)
よる。まつのこのまより月さやかにみゆると。ひとの申さるるをききてよめる。
はなさきて。ちりにしあとの。このまより
  すすしくにほふ。つきのかけかな
まだ。ほかにも。あるなれど。ままにしておけ。
-葛原勾当日記-

  はしかき

 葛原勾当日記を、私に知らせてくれた人は、劇作家伊馬鵜平君である。堂々七百頁ちかくの大冊である。大正四年に、勾当の正孫、葛原しげる(フォントなし)というお人に依って編纂せられ、出版と共に世人を驚倒せしめたものの様であるが、不勉強の私は、最近、友人の伊馬鵜平君に教えられ、はじめて知った次第である。私一個人にとっては、ひどくもの珍しい日記ではあっても、世の読書人には、ああ、あれか、と軽く一首肯を以てあしらわれる普遍の書物であるのかも知れない。そこは、馬鹿の一つ覚えでおくめんも無く押し切って、世の中に我のみ知るという顔で、これから、仔細らしく物語ろうというわけである。
 大正四年、葛原しげる氏の手に依って、故勾当の日記が編纂、出版せられる迄は、葛原勾当その人に就いても、あまり知られていなかった様である。この、しげる氏編纂の勾当日記には、東京帝国大学史料編纂官、和田英松というお人の序文も附加せられて在るが、それには、「葛原勾当は予が郷里備後の人にして音楽の技を以て其名三備に高かりき。予、幼時より勾当の名を聞くこと久しかりしも、唯、音楽に堪能なりし盲人とのみ思い居たりき。然るに、近年勾当の令孫しげる君を識るに及び、勾当の性行逸事等を聞きて音楽の妙手たりしのみならず、其他種々の点に於いても称揚すべきもの多かりしを知りぬ。云々。」とあって、その職は史料編纂官、その生まれ在所は勾当と同じ備後の人でさえ、故勾当の人物に就いては、そんなに深く知っていたわけでは無かったという事がわかるのである。また、東京盲学校、町田則文というお人も、序文を寄せて居られるが、それには、「一日葛原しげる君、余が学校を訪(おとな)はれ君が祖父故葛原勾当自記の四十余年間に亙れる仮名文字活字日誌を示され、且、其生存中に於ける事業の大要及び勾当の趣味等につき、詳(つまびらか)に語らる。余之を聴き所感殊に深く、俄然として我が帝国盲教育上に一大辰を仰ぎ得たるの想を為せり。云々。」とあって、いたく驚いている様子が、わかるのである。このように、故勾当の名も、その日記も、大正四年、正孫の葛原しげる氏が、その祖父君の偉業を、写真数葉、勾当年譜、逸話集等と共にまとめて見事な一本と為し、「葛原勾当日記」と銘題打って、ひろく世に誇示なされる迄は、わずかに琴の上手として一地方にのみ知られていただけのものでは無かったかと思う。それが、今では、人名字典を開けば、すなわち「葛原勾当」の項が、ちゃんと出ているのであるから、故勾当も、よいお孫を得られて、地下で幽かに緩頬(かんきょう)なされているかも知れない。
 葛原勾当。徳川中期より末期の人。筝曲家也。文化九年、備後国深安郡八尋村に生まれた。名は、重美。前名、矢田柳三。孩児(がいじ)の頃より既に音律を好み、三歳、痘(とう)を病んで全く失明するに及び、いよいよ琴に対する盲執を深め、九歳に至りて隣村の瞽女(ごぜ)お菊にねだって正式の琴三味線の修練を開始し、十一歳、早くも近隣に師と為すべき者無きに至った。すぐに京都に上り、生田流、松野検校(けんぎょう)の門に入る。十五歳、業成り、勾当の位階を許され、久我(こが)菅長より葛原の姓を賜う。時、文政九年也。その年帰郷し、以後五十余年間、三備地方を巡遊、筝曲の教授をなす。傍ら作曲し、その研究と普及に一生涯を捧げた。座頭の位階を返却す。検校の位階を固辞す。金銭だに納付せば位階は容易に得べき当時の風習をきたなきものに思い、天保十一年、竹琴を発明し、のち京に上りて、その製造を琴屋に命じたところが、琴屋のあるじの曰く、奇しき事もあるものかな。まさしく昨日なり、出雲の人にして中山といわるる大人(たいじん)が、まさしく同じ琴を造る事を命じたまいぬ、と。勾当は、ただちにその中山という人の宿を訪れて草々語らい、その琴の構造、わが発明と少しも違うところ無きを知り、かって喜び、貴下は一日はやく註文したるものなれば、とて琴の発明の栄冠を、手軽く中山氏に譲ってやった。現在世に行われている「八雲琴」は、これである。発明者は、中山通郷氏という事になっている。なお彼は、文政十年、十六歳の春より人に代筆せしめ稽古日記を物し始めたが、天保八年、二十六歳になってからは、平仮名いろは四十八字、濁点、句読点など三十個ばかり、合わせても百字に足りぬものを木製活字にして作らせ、之を縦八寸五分、横四寸七分、深さ一寸三分の箱に順序正しく納めて常時携帯、ありしこと思うことそのままに、一字一字、手さぐりにて押し印し、死に至るまで四十余年間ついに中止せず克明にしるし続けた。ほとんど一世紀以前、日本の片隅に於て活版術を実用化せしもの既にありといっても過言で無い。そのほか、勾当の逸事は枚挙に遑(いとま)なし。盲人一流の芸者として当然の事なれども、触覚鋭敏精緻にして、琉球時計という特殊の和蘭(オランダ)製の時計の掃除、修繕を探りながら自らやって楽しんでいた。若き頃より歯が悪く、方々より旅の入歯師来れどもなかなかよき師にめぐり合う事なく、遂に自分で小刀細工して入歯を作った。折紙細工に長じ、炬燵の中にて、弟子たちの習う事の音を聴き正しつつ、鼠、雉、蟹、法師、海老など、むずかしき形をこっそり紙折って作り、それがまた不思議なほどに実体によく似ていた。また、弘化二年、三十四歳の晩春、毛筆の帽被(ぼうひ)を割りたる破片を机上に精密に配列し以て家屋の設計図を製し、之によりて自分の住宅を造らせた。けれども、この家屋設計にだけは、わずかに盲人らしき手落があった。ひどい暑がりにて、その住居も、風通しのよき事をのみ考えて設計せしが、光線の事までは考え及ばざりしものの如く、今に残れるその家には、暗き部屋幾つもありというのも哀れである。されど、之等は要するに皆かれの末枝にして、真に欽慕(きんぼ)すべきは、かれの天稟(てんびん)の楽才と、刻苦精進して夙(はや)く鬱然(うつぜん)一家をなし、世の名利をよそにその志す道に悠々自適せし生涯とに他ならぬ。かれの手さぐりにて自記した日記は、それらの事情を、あますところ無く我らに教える。勾当、病歿(びょうぼつ)せしは明治十五年、九月八日。年齢、七十一歳也。
 以上は、私が人名辞典やら、「葛原勾当日記」の諸家の序やら跋(ばつ)やら、または編者の筆になるところの年譜、逸話集、写真説明の文など、諸処方々から少しずつ無断盗用して、あやうく、纏めた故葛原勾当の極めて大ざっぱな略伝である。その人と為りに就いての、私一個人の偽らぬ感想は、わざと避けた。日記の序文に就いての批評も、ようせぬつもりだ。今は、読者にその日記のほんの一部を読んでいただけたら、それでよいのである。私一個人の感想も、批評も、自らその中に溶け込ませているつもりである。そのわけは、とにかく日記を読んでもらった後で申し上げることにしたい。ここには、勾当二十六歳、青春一年間の日記だけを、展開する。全日記の、謂わば四十分の一に過ぎない。けれども、読者に不足を感じさせるような事は無い。そのわけも、日記の「あとかき」として申し上げる。いまは、勾当二十六歳正月一日の、手さぐりで一字一字押し印した日記の本文から、読者と共に、ゆっくり読みすすめる。本文は、すべて平仮名のみにて、甚だ読みにくいゆえ、私は独断で、適度の漢字まじりにする。盲人の哀しい匂いを消さぬ程度に。

  葛原勾当日記。天保八酉年。

  • 正月一日。同よめる。
     たちかゑる。としのはしめは。なにとなく。しつがこころも。あらたまりぬる。
     山うば。琴にて。五へん。
  • 同二日。ゑちごじし。琴にて。十二へん。
     おふへ村、ちよ美。八つときに、きたる。あづまじし。さみせんと合わせたること、そのかずをしらず。
     おもうとち。しらべてあそぶ。いとたけの。かずにひかれて。けふもくらしつつ。
     ゑちごじし。同五へん。
  • 同三日。なにごともなく。
  • 同四日。けいこ、はじめ。
     おせん。琴。きぬた。
     あふらやのおせつ。琴。さよかぐら。
     とみよしや、おぬゐ。琴。うすごろも。
     おりやう。琴。ゆきのあした。
     すみ寿。琴。さくらつくし。
     おあそ。琴。きりつぼ。
     おけふ。琴。こむらさき。
     おのみちや、こわさ。さみせん。四きのながめ。
     おてう。さみせん。いうぞら。
     おせつ。琴。わかな。
     おふさ。琴。うきね。
     おりう。さみせん。やしま。
     しげの。琴。こころつくし。
     おとく。さみせん。きぎす。
     いばら、おさと。琴。むめがゑ。
     せいぎよく。さみせん。みづかがみ。
     おびや、こさだ。さみせん。六だんれんぼ。
     ゑびすや、おいし。琴。だうじやうじ。
     すみや、おいそ。琴。をきな。
     おさわ。さみせん。いそちどり。
     いづれも、かたちばかり。こまつやの、おかや、きたらず。
  • 同五日。おてう。ばかり。けいこいたす。さみせん。いうぞら。さるのこくに、かへりぬ。あとは、さびしくなりにけり。
  • 同六日。雨ふる。
     おかや。こらしめのため。四きのながめ。琴にて。三十二へん。

      中略。(太宰)

  • 同二十七日。京に、のぼる。
    やなぎやの、ふね。たつのこくに、のる。ひつじのこくに、つる一も、のる。つた一も、のる。
  • 同二十八日。たましまに、つき、いぬのこくに、たち
  • 同二十九日。うのこくに、日比に、つき、たつのこくに、たち、さるの、ちうこくに、さこしに、つき
  • 同三十日。ゆきしまに、ふねをつなぎ、そらのはるるを、まち
  • 二月一日。うのこくに、たち
  • 同二日。とらのこくに、あかしに、つく。
     たちいてて。いまわくるしき。たびごろも。たもとにかよう。かぜのさむけさ。
     ひとまるさまへ、まゐる。
  • 同三日。むまのこくに、たち、とりのこくに、ひようごに、つき
  • 同四日。ねのこくに、たち、みのこくに、おうさかに、つき
  • 同五日。みのこく。京。
  • 同六日。より。まつのさまへ、きしく(寄宿。)
  • 同七日。かわりなく候。
  • 同八日。あそんだ。あまり、あそぶも、たいくな、もの。
  • 同九日。かわりなく候。
  • 同十日。にもつ。うけとる。
  • 同十一日。かわりなく候。しのびにて、さらえを、する。
  • 同十二日。おやしきに、おいて、琴、ほをのを(奉納)あり。おうむ(鸚鵡)のこゑを、きく。

      同断中略。

  • 四月十九日。に(荷)を、くだす。
  • 同二十日。あすわ、ふねなり。
     こよひは、なぜこのやうに、ねられぬことかな。わけもない、ことばかり、おもひて、はや、うしのこくにも、なるらん。
     まことなき。ひとのこころと。とくしらば。なにをうらみの。たねとかわせん。
     ほんに、おもひまわせば、たのむわ、ふるさと。ちち、はは。まだ、ほかにも、あり。
     かへらんと。つつめばそでに。あまりけり。つみしわかなを。いかにとかせん。
  • 同二十一日。たつのこくに、みやこをたち、さるのこくに、おのみちぶねに、のり
  • 同二十二日。かぜ、つよし。さけを、のみ、
     ふなびとに。まかせてわたる。のりのうみ。なみたたばたて。かぜふけばふけ。
  • 同二十三日。むまのこくに、おのみちに、つき、とみよしやに、とまる。
  • 同二十四日。ふるさと、あやめ(菖蒲)
     なにことも。さたかならざる。よのなかに。かわらぬきみの。こころうれしき。
  • 同二十五日。すみ寿。琴にて。かがりび。三へん。けいこいたす。

      同断中略。

  • 五月一日。とぞなりにける。さても、このせつわ、は(歯)を、いたむ。
  • 同二日。あめふる。おりやう、さみせん、ななくさ。おふえ村、おすて。きたりぬ。琴にて、てんかたいへい。さても、さても、歯がいたい。
  • 同三日。つづいて。あめ。はもいたむ。なにほどの、つみや、むくいの、あらわれて、かくまでわれわ、はをいたむらん。
  • 同四日。あめも、ふらぬに、はをいたむ。なにのいんがか、このやうな、気づよいをとこが、まま、わしや、いとし。
  • 同五日。はをいたむゆゑ。げざいをのむ。されども、きかず。さて。
  • 同六日。くすりも、よくめぐりけるか、歯わ、なをり、はらをいたむ。さくじつまでわ、したきりすずめ、こん日わ、にんげんらしきものを、たべたり。つぎに、あぶらやのおせつ、琴にて、さよかぐらを、けいこ。
  • 同七日。ひるから、あめふる。また、歯がいたまねばよいが。
  • 同八日。うてん。それこそ、また歯をいたむにつき、のみけるものわ、くすり。
  • 同九日。あめふる。か(蚊)ひとつ。
     かならずと。ちぎりしひとわ。来もやらで。さみだれかかる。やどのさびしさ。
     同よる。はを、いたみ候。ああ、さてもさても。
  • 同十日。あめふる。歯が、いたい。おかや。琴。すゑのちぎりをけいこする。おかやに言はれて、こんにちより、たばこを、たち(断ち)申し候。
  • 同十一日。あめふる。同いたい、いたい。
     にくまれて、世にすむかひわ、なけれども、かわいがられて、死のよりましか。
     この、こか(古歌)のごとく、わしも、歯がいたくて、世にすむかいひわ、なかれども、ねずみとらずの、ねこよりましか。やれやれ、いたや。いのちの、あらんかぎりわ、この歯をいたむことかと、おもへば、かなしく候。
     さびしさわ。あきにもまさる。ここちして。日かずふりゆく。さみだれのころ。
  • 同十二日。同いたむ。ふるからわ、いたみも、すくなし。四つから、てん気よく、おけふ。さみせんにて、おいまつ。けいこいたす。
  • 同十三日。歯も、こころよく候。こん日より、また、たばこをのむ。

      同断中略。

  • 六月十六日。休そく。やれ、たいくつや。あつや。へいこう、へいこう。
  • 同十七日。あるうたに、
     あさねして、またひるねして、よひ(宵)ねして、たまたま起きて、ゐねむりをする。
     とやら。きのをから、ねるほどに、やいろ(八尋)へもどる。
     さるのこくにいでて、いぬのこくに、やいろ(八尋)へもどる。
  • 同十八日。なにをしたやら、わけがわからぬ。
  • 同十九日。なんにも、することがない。あつや、あつや。
  • 同二十日。また、休そく。このごろわ、きうそくだらけで、ござる。
  • 同二十一日。うのこくにいでて、たかや(高屋)かわもと(川本)に、きたる。おてる。さみせんにて。そでのつゆ。
  • 同二十二日。せみのこゑが、やかましい。
  • 同二十三日。ながさき、めつけ(目附)のおとをり。したにをれ。
  • 同二十四日。きのをよりも、あつい。おてる、けいこあいすみ、どんなゆめを見るのぢや、と子どもらしきこと、せがむゆゑ、もうじん(盲人)もゆめわ見るわい、ゆうべのゆめであった、にんぎやうが、琴さみせん、こきう(胡弓)ふゑ、つづみ、たいこにて、ゑてんらく(越天楽)を合はせけるに、おわるやいなや、なりものを、いつさい、なげてければ、のこらずくだけたり。また、もひとつ、つぎはぎのゆめを見た、ぬすびとの、わきだしを持ち、にかいへあがる、ころものそで、はしごにかかり、つぎに、ざいた(座板)ふみ落す、ここわなにかと問へば、たばこをだす、あな、と言ふ、したには、くわじ(火事)なかば、琴のいとをしめて、かへるといへば、たけだの仁吾(じんご)が、だいかぐらを、つれてくる、見ておかへりなされといふ、なにがなにやら、わからぬゆめであったと、いへば、おてるわ、ころげてわらった。また、十五六七八くらゐの、むすめを、ゆめに見たといへば、どんな着ものを、とすぐに問ふなり。もうじんには、いろわ、わからぬなれども、さむき着ものであったから、あを(青)であろうといへば、おてるわ、かんしんした。
  • 同二十五日。あめもふる。ひもてる。きつねの、よめいりか。

      同断中略。

  • 七月六日。たなばたの、うたにとて、よむ。
     ひととせに。こよいあうせの。あまのかわ。わたらばいまや。水まさるらん。
     あわぬが、よい。
  • 同七日。かねてたのみし、ひとの、かへらなければ、さてさて、つまらぬ。ひとつとして、わがおもふことの、かなわぬわ、こよひなり。なれども、一つここに、たのしみあり。
    かぜまかせに、くらして、けいこが一ばん。
  • 同八日。あさ。てぬぐひかけを、あさがほにとられた。おさく。さみせんにて、たなばた。おちか。琴にて、むしのね。
  • 同九日。みなみな、かへる。さても、あついこと、やれやれ、あつや。これでわ、どこへもゆけぬわい。ひとあめふらねば、すずしうわならぬか。よしよし、あそぶぞ。こしを据ゑて、をれば、いろいろのことを、おもひだすなり。さてまた、いよのくに、まつやまから、けいこを、たのむけれど、ゆけば三ねん、かかる。ゆかねばすまず。はて。なんとしたが、よかんべい。それについて、うたを、よんだ。きいてもくんない。
     みみなくば。などかこころの。まどわまし。きかぬむかしぞ。こひしかりける。
  • 同十日。そら。あしく。てりもせず、ふりもせず。そして、わしわ、すまぬことをしたわい。あやまり、あやまり。
  • 同十一日。うてん。さて。めづらしき、さたを、きく。
  • 同十二日。気が、さゑん。あんらくじにて、もりかねの、うたざらゑあり。ひるは、さらさら汗がでる。よるわ、ぞろぞろ雨がふる。はだしで、もどつた。やぶれがさ。

      同断中略。

  • 八月二十日。おかやが、びいどろ(硝子)の、とつくり(徳利)を、くれた。うてん。いとを、しめたばかり。とみよしやに、ねたりける。
  • 同二十一日。うてん。ひるからわ、あめもあがり、やれ、いそがしや、いそがしや。はいやに、とまる。
  • 同二十二日。こあさ。さみせんで、ななくさを、はじめる。しげのの、おりう。さみせんで、いうぞら。けふわ、さみせん、よく鳴りまし候。はいやに、とまる。
  • 同二十三日。たいさんじにて、ついぜん、あいすみ。
  • 同二十四日。とみよしやにて、むかいびきをする。同よる。あめがふる。
  • 同二十五日。たつのこくにいでて、かわみなみ村おのみちやへ。きく弥(や)が、琴で、ゆうがほを、ひいたが、ねずみが、あるくようであつたわい。けいこ、三十。
  • 同二十六日。てんき。そこやかしこにゆき。
  • 同二十七日。かみをいうたり、ふろへ、はいつたり。むしのこゑ、みづが、ながれるやうな。たへかねて、
     なにことも。ひとのこころに。まかす身は。いつをそれとも。さだめかねつる。
     おかや。ひとり寝。さみせんにて。
  • 同二十八日。けいこ、あいすみ。つらきめに、あいたることか。ふつふつ、つかれた。四そく(足)かなわず。いわれず。きこゑず。ただ、ただ、見ゆるばかりで。ふふ。

      同断中略。

  • 九月二十五日。このごろわ、あきのなかばなるに、うたもよめず、これでわ、こまつたものかな。かぜを、ひきて、ねたり。みぎのかほが、は(腫)れ、なにやらかやら、たのしまず。そこへ、だいかぐら(大神楽)が来たが、ぶさいくな、やつであつた。
  • 同二十六日。ただ、しんきに、くらしたり。かぜ、すこしわ、よろしく。
  • 同二十七日。お(起)きて、ははに、あふ。おかやのことわ、言わず。
  • 同二十八日。あまりのさびしさに。
     さけもあり。もち(餅)もあるなり。ゆふしぐれ。
     同よる。ばくちを、一つ。
  • 同二十九日。けいこ、一つ。
  • 同三十日。おかやわ、ふびんなり。あまりのことなれば、かくここに、しるす。みのこくより、けいこ。じゆの一、さみせん、きくのつゆ。おさわ、琴にて、馬追ひ。
  • 十月一日。あさ、すこし、あめふる。つぎに、かぜが、だいぶん、ふき候。同ばんかた、わが言ひしことを、そくざにおいて、打ちけされけることあり。にくき、やつばらめ。
  • 同二日。はし(橋)にて、であい、ひさしぶりにて、はなしをする。
     さむしとて。かさぬるそでの。かひなきに。かくこそむかへ。うづみびのもと。

      同断中略。

  • 十一月十六日。けいこ。よる、ゆきがふる。よくおもひみたれば、日かずが、はや、なにほどもない。
     よのわざに。けふもひかれて。くらしけり。あすも同。みとは知りにき。
     どこでも、ふそくを言わるるにわ、わしも、へいこを。そこでも、いわれ、ここでも、いわれ。それにつき、わが師のいわく、けいこにんをば、わが子とおもへ、といへり。
  • 同十七日。みのこくに、いでて、ひつじのこくに、おべ村くわだに、きたる。どこへいつても、けいこの子の、ほかのようじ(用事)にて、いそがしきときほど、まの、わるいものわない。なにをするにもふじゆう(不自由)なやら、おやごに気がねるやら。このような、わるいことなら、なぜ、ここへ来たかとおもわるる。けいこわ、かたてまの、あそびにあらず。さむさ、きびしく、あしを、いたむ。
  • 同十八日。あそんだ。
  • 同十九日。いではら九一ろうどのに、はじめて、たいめんいたす。ちや(茶)の、めいじんなり。そのとき、
     すむつきの。いとものすごく。なりてこそ。ふゆ来ぬそらと。見るべかりけれ。
     と見えぬながらも、よみてけるに、九一ろうどのわ、しんがん(心眼)なるべしと、ひざ打ちたたいて、かんしんした。おかしなことぢや。
  • 同二十日。おつい、琴にて、うすゆき。おいそ、琴、ゆきのあした。すみ、琴、だうじやうじ。知られけり。
     しらさじと。つつむおもひも。しばかきの。やぶれていまわ。あらわれにけり。
  • 同二十一日。八つどきに、しのびて、こまつやへゆき、さて、みな、てらまゐりせられて、ただ十三四なる、わらはの、るすをもりして、い申されければ、しかたなく、折をさいはひと、のたれこみ、ねたり、おきたり、くふたり、琴をひいたりして、さびしく御ざ候なり。れいのひとの糸を、しめてやりけり。みれん(未練)とわ、いまだねれず、とかく由。なにごとも、しゆげう(修行)だい一のこと。
     うへもなき。ほとけの御名を。となへつつ。じごくのたねを。まかぬ日ぞなき。

      同断中略。

  • 十二月二十五日。さむいと、おもひておれば、ばんかたより、また、ゆきがふりいだして、げに、さむいことになつたよ。ああ、さむや。やれ、さむや。
  • 同二十六日。いちにち、こたつの、もりをした。たいくつした。ひさしぶりに、また、同かの、それ、みぎの、れいの、あいかわらず、歯をいたむなりけり。たたたたたたたた。
     まい日。ばかのごとくなりて、日を、おくるにも、たいくつしてござり申(まうす)、よそへもゆけず。しかたがないぞ。
  • 同二十七日。となりわ、ごしゆぎ。よる、おほゆきとなる。ことしわ、めづらしきつみを、たんと、つくりたなあ。
  • 同二十八日。まことに、きせる(煙管)を、よく、をとし奉(たてまつり)候。はやく、三十になりたや。
  • 同二十九日。はるより、こん日までのこと、まことに、ゆめのごとく、おもわれて、あれ、ゆめのやうぢや。ほんに、ふしあわせなる、としもあつたもの。二月にわ、くるしく、四月にわ、な(泣)き、五月にわ、歯をいたみ、夏わ、なにやらかやら、それよりわ、なかぬ日とてなかりき。おろか、なりけるよ。すゑの見こみも、すくなし。
  • 同三十日。同よめる。
     じよや(除夜)のかね。百三つまでわ。かぞへけり。われ、らいねんわ、二十七さいなり。めでたくかしく。
     てんぽう八。とり。

      あとかき

     どうであったろうか。読者、果して興を覚えたであろうか。私は、諸君に、告白しなければならぬ。これは、必ずしも、故人の日記、そのままの姿では無い。ゆるして、いただきたい。かれが天稟の楽人ならば、われも不羈(ふき)の作家である。七百頁の「葛原勾当日記」のわずかに四十分の一、青春二十六歳、多感の一年間だけを、抜き書きした形であるが、内容に於いて、四十余年間の日記の全生命を伝え得たつもりである。無礼千万ながら、私がそのように細工してしまった。勾当の霊も、また、その子孫のおかたも、どうか、ゆるしていただきたい。作家としての、悪い宿業が、多少でも、美しいものを見せられた時、それをそのまま拱手観賞していることが出来ず、つい腕を伸ばして、べたべた野蛮の油手をしるしてしまうのである。作家としての、因果な愛情の表現として、ゆるしてもらいたいのである。美しければこそ、手も、つけたくなったのだ。ただならぬ共感を覚えたから、こそ、細工をほどこしてみたくなったのだ。そこに記されてある日々の思いは、他ならぬ私の姿だ。「こまつやの、おかや」との秘めたる交情も、不逞の私の、虚構である。それは、私に於ては、ゆるがぬ真実ではあっても、「葛原勾当日記」原本に於ては、必ずしも、事実で無い。はっきりした言いかたをするなら、それは、作家の、ひとりよがりの、早合点に過ぎぬだろう。けれども私は、意識して故勾当を、おとしめようとした覚えは無い。つねに故人の、一流芸者としての精神を、尊重して来たつもりである。あとで、いざこざの起らぬよう、それだけを附記する。
     かきならす。おとをだに聞かば。このさとに。わがすむことを。きみや知るらむ。(勾当)

    (2002.6.25)-1
    誤字、無いといいな。無理だけど。
    (2002.6.25)-2
    そんなのはダンナを使って調べなさい。とぼくは言いたい。
    (2002.6.26)-1
    なんでぼくはぼくに生きていいよと言ってあげないのかな。
    (2002.6.26)-2
    かえりみち、車に轢かれそうになる。
    (2002.6.26)-3
    ごめんなさい。ぼくには見えないよ。
    (2002.6.27)-1
    夜になって雨は止む。よるになってあめはやむ。
    (水のわたし)
     飲み残しの水は一輪挿しに注いだ。この一輪挿しに活けられた花は、ここしばらくない。花を、きれいだと思えなくなったので、私は買うことも摘むこともできずにいる。最近は、一輪挿しは、テーブルの片隅でひとりで目立たずに立っていた。いま、私が飲みきれなかったコップの水を持て余していると、久しぶりにその白と水色の立ち姿が目に入ってきたのだ。私は少しだけ懐かしい気持ちで眺めて、コップを置き、そばに寄って一輪挿しを手に取った。そして、コップに残った水を注いであげた。
     一輪挿しに水を注ぐ音は柔らかい音だった。一輪挿しは久しぶりの潤いを、花の茎を包むことの予感を喜んでいるのだと、私はその音を聴きながら考えた。注ぎ終えると、私は「ゴメンね」という形をした息を小さく吐いて、そっと椅子に座った。
     花が欲しいのかしら。花はいるのかしら。さむい部屋。ほんとうにさむい部屋。
     私は一輪挿しをつまんで、注いだ水をくるくると廻しながらぼんやりとしていた。なんだか、静かな夜のように思えた。今日は大丈夫。と思った、から大丈夫ではなかった。
     あの日以来、私はわずかでもこうしてこころに隙間ができると、だめなのだ。必ず、こうなってしまう。きっと私は、いつも心のどこかであのことを考えていて、他に考えることがなくなってしまえば、それは暗い灰色をした水底から白くぼんやりと浮かび上がってくるように、ふと姿を見せて、そのうちに私の頭全体を覆うようになっている。
     花をきれいだと思えなくなったのも、きっとそのせいなのだろう。そう、考えてみれば花ばかりでない。あんなに気に入っていた、若葉模様が薄くプリントされた生地をしたパンプスも今年はまだ靴箱の中。ピアスは一ばん小さくて地味な銀のものしかしていない。首には何もつけない。お化粧はごく簡素に。口紅も薄い色ばかり。飾ってみても、そんなにきれいだと思えない。つまらない、みんな。
     いや、きれいだと思えなくなっただけでもないのだ。他にも、楽しいだとか面白いだとか、そういう感情の一切が希薄になっている。そういえば、なんだかこのごろ笑っていない気がする。これは笑うものなのかしら。そう考えて笑った顔を作ることはあるけれど。
     つまんで廻していた一輪挿しの口から、中の水が少し溢れて、手の甲にかかった。私は手を止め、それをじっと見つめてから、キスをするように静かに口に含んだ。唇が濡れてから、「間違えた、相応しくない」などと思って、手の甲を袖でぬぐった。ひょっとしたら微かに呟いていたかもしれない。そのぬぐうという動作が涙を連想させた。そういえば、泣いてもいない。
     真っ白な紙を一枚テーブルに敷いて、私は残りの一輪挿しの水をその真中にこぼした。水は紙の上で丸く、厚みを少しもって広がった。

    (2002.6.27)-2
    ちょっとは静かな、止まった感じになっているでしょうか。
    (2002.6.27)-3
    まだ、つづくよ。。。ウソ。いや、ホント。ほんとだけど、もうここには載せないよ。
    (2002.6.27)-4
    結局、昔のものからとってくるのは諦めて、こんな感じで、ここに載せたものを少しずつリメイクをしているんだ。そして、それらを集めて「葉」にするんだよ。

    (I can speak)
     くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われてゆき、仕合せも、陋巷(ろうこう)の内に、見つけし、となむ。
     わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何か、歌でなく、謂わば「生活のつぶやき」とでもいったようなものを、ぼそぼそ書きはじめて、自分の文学のすすむべき路をすこしずつ、そのおのれの作品に依って知らされ、ま、こんなところかな?と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に取りかかった。
     昨年、九月、甲州の御坂(みさか)峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰るまい、と御坂の木枯(こがらし)つよい日に、勝手にひとりで約束した。
     ばかな約束をしたものである。九月、十月、十一月、御坂の寒気堪えがたくなった。あのころは、心細い夜がつづいた。どうしようかと、さんざ迷った。自分で勝手に、自分に約束して、いまさら、それを破れず、東京へ飛んで帰りたくても、何かそれは破戒のような気がして、峠のうえで、途方に暮れた。甲府へ降りようと思った。甲府なら、東京よりも温かいほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。
     甲府へ降りた。たすかった。変なせきが出なくなった。甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋かりて、机にむかって坐ってみて、よかったと思った。また、少しずつ仕事をすすめた。
     おひるごろから、ひとりでぼそぼそ仕事をしていると、わかい女の合唱が聞こえて来る。私はペンを休めて、耳傾ける。下宿と小路ひとつ距(へだ)て製糸工場が在るのだ。そこの女工さんたちが、作業しながら、唄うのだ。なかにひとつ、際立っていい声が在って、そいつがリイドして唄うのだ。鶏群の一鶴(いっかく)、そんな感じだ。いい声だな、と思う。お礼を言いたいとさえ思った。工場の塀をよじのぼって、その声の主を、ひとめ見たいとさえ思った。
     ここにひとり、わびしい男がいて、毎日毎日あなたの唄で、どんなに救われているかわからない、あなたは、それをご存じない、あなたは私を、私の仕事を、どんなに、けなげに、はげまして呉れたか、私は、しんからお礼を言いたい。そんなことを書き散らして、工場の窓から、投文(なげぶみ)しようかとも思った。
     けれども、そんなことをして、あの女工さん、おどろき、おそれてふっと声を失ったら、これは困る。無心の唄を、私のお礼が、かえって濁らせるようなことがあっては、罪悪である。私は、ひとりでやきもきしていた。
     恋、かも知れなかった。二月、寒いしずかな夜である。工場の小路で、酔漢の荒い言葉が、突然起った。私は、耳をすました。
     ----は、ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無え。I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。姉さん知ってるかい?知らねえだろう。おふくろにも内緒で、こっそり夜学へかよっているんだ。偉くならなければ、いけないからな。姉さん、何がおかしいんだ。何を、そんなに笑うんだ。こう、姉さん。おらあな、いまに出征するんだ。そのときは、おどろくなよ。のんだくれの弟だって、人なみの働きはできるさ。嘘だよ、まだ出征とは、きまってねえのだ。だけども、さ、I can speak English. Can you speak English? Yes, I can. いいなあ、英語って奴は。姉さん、はっきり言って呉れ、おらあ、いい子だな、な、いい子だろう?おふくろなんて、なんいも判りゃしないのだ。・・・・・・
     私は、障子を少しあけて、小路を見おろす。はじめ、白梅かと思った。ちがった。その弟の白いレンコオトだった。
     季節はずれのそのレンコオトを着て、弟は寒そうに、工場の塀にひたと脊中をくっつけて立っていて、その塀の上の、工場の窓から、ひとりの女工さんが、上半身乗り出し、酔った弟を、見つめている。
     月が出ていたけれど、その弟の顔も、女工さんの顔も、はっきりとは見えなかった。姉の顔は、まるく、ほの白く、笑っているようである。弟の顔は、黒く、まだ幼い感じであった。I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに依りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。
     あの夜の女工さんは、あのいい声のひとであるか、どうかは、それは、知らない。ちがうだろうね。
    太宰

    (2002.6.29)-1
    あーしたてんきになーぁれ
    (2002.6.29)-2
     意外と調子よく続いてくれる。4000字くらいにはなった。リメイクなので、うまく行けば、あと8000くらいは書けそうである。少なくとも、あと2000書くまでは放棄しないだろうと思う。ゆっくり書こう。
     それにしても、また思うことは、ぼくにあっては、書くものの、そのタイトルは非常に重要である、ということだ。書いたものを見直すとき、これでいいのかな、わからないことがある。いや、ぼくは間抜けで、自分が何をしているのかもわからないで書いているので、いつもそうなのである。いっつもわからない。そうなる度に、ぼくはタイトルを思い出すのである。この話にタイトルをつけてあげたときに思ったことを思い出すのである。そうすると、いい悪い、うまい下手はよくわからないけれども、書かれたものがタイトルにマッチしているのか、そうでないのかくらいはさすがに判るのである。これはいる。これはいらない。これはおしい、ちょっと変えよう。いい悪い、うまい下手は抜きにして、それでも書いたものを残すべきか、消すべきか、それがわかるのである。だから、タイトルは、ぼくにとって重要である。太宰は書き出しにこだわったけれども、ぼくはタイトルにこだわるのである。書きつづけられるも、られないも、それひとつにかかっているのである。
    (2002.6.29)-3
    昨日写した、太宰の「I can speak」、間抜けな話である。けれども、それがゆえに、ひどく素直な話でもある。これを書いた日は、よっぽど気分がよい日だったのだろう。でなければ、書いていて、あれだけの「I can speak」の連呼には堪えられなかったはずである。写していて、これも一部が虚構なのだと、気がついた。どこがそうだとか、そういうことではなくて、全体が、実際にあったことをもとにして、それに少しの虚構を被せたようになっているのである。そうして言いたいことをそこに託しているのである。写していて、それが何となくわかる気がした。やはり、よっぽど気分のよい日だったのだと思う。書いているとき、今日は相当に気分のよい日だとの自覚があったかどうかはよくわからないけれど、そうであったに違いないと思う。文中の言葉、もの書きの存在の維持の前提となるべき言葉、「はじめに言葉ありき」。ぼくは「スキダ」と、これを音にする。その先に、これは音から言葉になり、そのひとこと、たったそれだけでしかるべき相手に届くようにまでなる。「好きです」
    (2002.6.29)-4
    しばらく君に逢わないで暮していると、おもしろい。喉が渇く代わりに、君に逢いたくなる。ああ、逢いたいなぁ、そう思って、それからふらりと立ち上がり、何となしに水を飲みに行く。喉が潤うと、また君のことを、とりあえず想わないでいられるようになっている。声だけは毎日聴いているけれど、逢わないとだめだと思う。嫌悪するくらいに顔をつきあわせて、肌に触れていたいと思う。「逢いたいな。逢いたいな。」
    (2002.6.29)-5
    私のカラダは、私に都合のよいものだけでは喜ばない。「綺麗だ」「愛している」という言葉は要らないけれど、あなたが思いつめた長い沈黙のあとに、小さく搾り出すようにして呟く「必要だ」という、その言葉は限りなく私を充たす。まるで女王様にでもなったような気分で、私は私の全てをかけて愛情というかたちのはっきりとしないものを作り上げ、そしてそれをあますところ無くあなたに与えるような方法を考案して、それを実行に移す。あなたはもう私から離れないのだと確信する。肌と肌は離れても、あらゆる意味においてはあなたは私から決して離れることはなくなるのだ。私は、私のノウでもカラダでもそれを確認することができて、それからはじめて喜ぶのである。あなたがいて、私があるのである。「あたしが気持ちいくても、何にも面白くないわ」私は真顔であなたに言っていた。
    (2002.6.29)-6
    あたしの身体、あなたが持つ。吐息、こすれあう肉体。頬を撫でるあたしの手。あたしのて。
    (2002.6.29)-7
    少しだけ、出所のわからない涙、流してもいいですか。
    (2002.6.29)-8
    ぼくがいつまで生きているかはぼくの自由にできることだ。
    (2002.6.29)-9
    TVをぼーっと眺めていたら、奈美悦子というひとが泣いていた。「よしよし」そう髪を撫でられただけで、TVカメラの前で泣いていた。よっぽど苦しい生き方をしている女の人なのである。戦うことしかきっと識らないのである。抱かれることに慣れていないのである。頑なにそれを拒絶しているのである。誰かあのひとを「もういいんだよ」と言って、守ってあげて欲しい。もう50年以上だと、そう乾いて言ってしまう、あのひとの口を取り替えてあげて欲しい。
    (2002.6.29)-10
    苦しい人生を送るひとは、ずっと苦しい人生を送るのである。それがそのひとなのである。
    (2002.6.29)-11
    ワールドカップのために久しぶりにテレビを見るようになったら、涙なしでは見ることができなくなってしまった。みな、なんだか凄いところから言葉を発している。セリフでない言葉が、みな、ひどく痛くて重い。侘しくてならない。
    (2002.6.29)-12
    明日は、カーンがその生涯最高のプレイをする日である。どうか、彼に神のご加護があらんことを。ゴールネットが揺れても、そうでなくっても。
    (2002.6.30)-1
     ぼくが死を口にすることに安易さが皆無だとは決して言えない。ただ、それを全く口にすることなしに突然に死んでいった人間はひとりもいない。と、これは断言できる。なぜなら、そのような強い意思をもつ人間は自殺など決してしないからだ。これは真実ではない。単なる事実そのままである。ひとりひとりカウントしていったら、100%みんな、そうだった、これだけである。興ざめするばかりで、面白くも何ともないから、今まで書かなかったけれども、やはりメモしておこう。
     ちなみに、その意思が口先だけのことではないと証明するためだけに、それを試みる、ということはよいことである。死んでしまえるならば、その根拠なんてなんだって構わない。自殺をする人間はもともと意志薄弱なのであるから、使えそうなものはなんでも使うべきである。「死のう」そう思った瞬間にやってしまうべきである。

    (2002.6.30)-3
    雨を享けた蒼きあじさいの花 少し惹かれ眺めて歩き ゆくえ 知れず
    (2002.6.30)-4
    傘を叩く雨粒の音のパラパラ乾いており
    (2002.6.30)-5
    「寒い」とじっとり汗かく
    (2002.6.30)-6
    雨受けて繁る青葉の広さをも要らぬ世話をと幹を蹴倒す


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    kiyoto@gate01.com