tell a graphic lie
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(2002.7.19)-1
ここまで書いて眠ってしまっていた。
(2002.7.19)-2
雑、というよりも、かたちを持ってすらいない。酔っぱらって二十分「あー」ってやってから、おもむろに書き出して一時間、ならこんなものか知らん。って、そんなの載せるなよ。あい。ということで書き直しぃますです。
(2002.7.18)
 あー、歌がつくりたいねぇ。地声で呟くように、ぼそぼそとうたう歌がつくりたいなぁ。
 あのね、こういうの。こういうのがいいんだ。

 一息ついているぼくらの生活のような雰囲気した夏のはじめの夕暮間近、生ぬるい色した空の中に、薄く広く延べられた淡い雲が幾重にも重なって浮いている。昼過ぎからぼくらは暇で、なんだかずっと手持ち無沙汰、陽のあたらない家の中で、ときおり窓から迷い込んでくるそよ風を味わう以外は、ただぐだぐだと寝そべっていた。それでも、陽が傾くころにぼくらは少し元気を取り戻して、顔を見合わせ「これはよくない」など肯きあって、とりあえず涼しくもなってきたことだし、二人してぶらりと散歩に出てみることにした。出掛けに着換えをして、気分をしゃきっとさせて外へ出てみれば、少し風が出ている。着換えたばかりのヒマワリプリントのTシャツがさらさらしていてなんだか気持ちがいい。ぼくらは、見慣れた家の周囲の景色から少し外へ出てみようと、普段使っているバス停やら、スーパーやらがある大通りの方面とは逆の方へ向って歩きだした。
 芽衣とぼくは、普段はじっくりと眺めることの無い家々の庭木の葉や、そこに咲いている何種類かの花や、鉢植えなどを眺めながらゆっくりと歩く。ときおり犬を連れたひとなどとすれ違うこともあるけれども、通りからだいぶ離れているこの辺りの人影はまばらだ。ぼくらはときどき目に入ってくるめずらしいものや、少しだけ面白いものなどについて、特にはしゃぐわけでもなく、「ああ、そうね」「ん」などお互い至極曖昧な返答をして、お互いそれを別段不満に思うというようなわけでもなく、ぼつぼつと話をしながら歩く。
 二十分も歩くと、ぼくらは今まで一度も来たことが無いようなところにいた。言葉もお互いに途切れがちになってきた。もう、ぼくらはふらふらと家々の合間をぬってただ歩いているだけなのである。そして辺りは夏である。いくら陽がかげり始めているとは言え、やはり暑い。疲れてきた。出掛けに着換えたTシャツももうさらさらではなくなってしまった。そろそろ引き返そうか。言いだそうかとぼくは考え始めていた。芽衣の顔を眺めると、芽衣は空を見上げてぼんやりとした表情で、歩きつづけている。いま何を思っているのかは、ぼくにはよくわからない。「さて、そろそろ引き返しませんか」そう言おうかとぼくがまた、芽衣の顔を見たとき、出しぬけに芽衣は空を見上げたまま「夏って悪くないわよね」と呟いた。
 なるほど。では、もう少し先まで歩いていましょうか。ぼくはそう思いなおして、ぼくも空を見上げ、ゆっくり笑って、何か気のきいた答えはないか、と言葉を探してみる。それで、ほんのちょっと間をあけてからぼくは答えた。「何か、夏の歌をうたってくれよ」
 芽衣はうたうことが好きなのである。ひとりのときには軽く鼻歌をうたうっていることがよくある。うたうことは、それ自体はとびきり上手というわけではないけれども、声も、きれい、というような風の声では決してないけれども、それでも、うたうことが好きなだけあって、実にのびのびとうたう。そしてぼくは、うたう芽衣が好きなのである。

 今日のような日でなくても、休日の午後など、何もすることがなく暇なときには、よくぼくは芽衣に手間をかけて夕ごはん作ってくれるように頼むのである。そういう午後がやって来て、退屈の溜息をひとつつくとぼくはおもむろに立ち上がり、「ねえねえ」と本を読んだり、絵をかいたり、ぼんやりしたりしている、芽衣の後ろからにやにや声をかける。そして、こないだ作ってくれたミートパイがうまかっただの、魚のボイルしたやつが、子牛の肉を煮込んだのが、うまかっただのと、なんだのかんだの、憶えている限りのことを言って、芽衣をおだてて、また作ってください、と頼むのである。けれども、ぼくはもう何度もこの手を使って、手間ひまかけた夕ごはんを賞味しているので、芽衣はもうぼくの魂胆をはじめからすっかり知ってしまっていて、
「また、そんな調子のいいこと言って、わたしだけ働かせようとして」
と笑って、そのおだてにはもうのらないというような風のことをのたまうのだが、しかし結局は立ち上がって、料理の本を取りに向うのである。本棚には、日本料理、中華、西洋料理、家庭料理など、いろいろのレシピがあわせて二十冊あまりの収められている。芽衣はそこから一冊を気分で抜き出して持って来て、ソファにだらりと沈んで待っているぼくのとなりに浅く腰かけて、パラパラとレシピ集をめくり、そこから三つ四つの夕ごはんのメインディッシュ候補を選び出して、それをぼくに見せる。ぼくは示された料理の中から、できるだけ名前が大仰で手間のかかりそうなものを選んで、にやにや指差す。すると、芽衣は大げさな溜息をつくのである。
「やっぱりそれか。君はいっつも一ばん面倒なのを選ぶ」
可愛らしく憎まれ口を叩いて、芽衣は笑う。けれども、それは違うのである。ぼくは知っている。芽衣はいつもぼくが指した、その「一ばん面倒な料理」を作りたいのである。芽衣はぼくが、そのようにして示された中から選び出すのを知っていて、自分の作りたい料理をぼくがきちんと選び出すように、料理本から三つ四つ抜き出すのである。だから、芽衣がぼくのとなりに座ったときには、今日これから何を作るのかは芽衣の中ではもう決まってしまっているのである。けれども、芽衣はぼくの好きなものを作ってあげる、ということにするために、そうして三つ四つ抜き出してぼくに選ばせるのである。それを知っているぼくのほうはといえば、これは口にするとすねるので言わないのだけれど、ぼくは特に自身がその日食うものに対して、そんなにこだわりを持っているわけではなし、また、芽衣が手間をかけて作る料理は何でもおいしいのは良く知っているし、また、また頼んだのはこちらなのだから、すまして素直に芽衣が作りたい料理を選んであげるのである。それから、「お願いします」と、ぼくは甘えてペコリと頭を下げる。それで芽衣は嬉しそうに笑って、大きく肯き、
「しょうがないなあ。じゃあ、買い物に行ってきますか」
などと言って、材料の簡単なメモをとってから立って、財布と車のキーをとりにゆく。ぼくは、それを「行ってらっしゃい」と嬉しそうに手を振って見送るのである。こんなときは、芽衣はきまってひとりで買い物に行く。
 芽衣が出ていってしまうと退屈な気分はすっかりぼくから取り払われて、晴れた日であれば、むやみに庭に出て水を撒いてみたり、部屋の戸棚の整頓をしたりする。そして、それらもひと段落してしまえば、ぼくは読みかけの本を部屋から持って居間へおりて来て、お湯を沸かしてコーヒーを入れる。それから、ぼくはまたソファに沈んで、入れたばかりのコーヒーをすすりながら、本を開く。たっぷりと一ページに時間をかけて、ときどき窓の外をただ眺るなどして、ゆっくりと読む。ゆったりと芽衣の帰りを待つのである。
 一時間余りすると、芽衣が両手にビニル袋を下げて戻ってくる。ぼくは玄関まで出て荷物を受け取り、台所へ運んで、それから、もう一度改めて「おいしい夕ごはんをお願いします」丁寧に芽衣にお願いする。
「任せなさい」
芽衣もあらたまって答えるのである。そして早速、芽衣は台所へ入って買って来た材料の調理に取り掛かるのである。
 ぼくは、テーブルに逆さまにして置いた本を、また読み始めてしばらくすると、台所から芽衣の鼻歌が聴こえてくるようになる。ぼくはそこで本を閉じ、ソファにもう一度深く沈みなおして、台所の芽衣のうしろ姿を眺め、そして芽衣のうたう歌を聴くのである。そのうちに、鼻歌に混じって、台所からはとてもよい匂いが漂ってくるようになる。芽衣はいろいろな歌をこまぎれに、自分の好きなところだけを抜き出してうたう。ときどき、芽衣はぼくに味見をさせたり、つまみ食いのおすそ分けを持ってきてくれる。ぼくはそういう午後を過ごすことがとても好きなのである。そういう日の夕ごはんの卓に何か、とてもよいものを感じるのである。芽衣のうたう鼻歌は、ぼくにはそうして過ごす休日の午後のイメージが必ずくっついている。

 ぼくの歌のお願いに、芽衣はわれに返ったようにして、こちらを見て、
「え。突然なによ、それ。」
「いいじゃない。たまには目の前でうたってくれよ」ぼくがいつも芽衣の鼻歌を聴いていることをほのめかすと、途端に芽衣は顔を赤くして、
「えー、やだなぁ。ひとの前だとすごく照れるんだよね」
「知ってるよ。だからお願いしてる。いい空の色じゃないか。この空に免じて、な」
「意味がわからないわよ、それ」
芽衣は笑った。
 ぼくらは黙って少しのあいだ歩いた。芽衣の機嫌は確かにそのときかなりよかったのだと思う。
「えと、じゃあ、何がいい?」
よい返事が来た。ぼくは、迷わずにそれに答えて、「いつも、うたっているやつ。あれがいい。あれはぼくも好きだ」
「ふふ、そうか」
 その曲の名をぼくは知らない。歌っているひとの名も知らない。ぼくは芽衣が歌うのしか知らないのである。芽衣はいつも気に入った、ある部分ばかりを歌っている。だからはじめから終わりまで通して聴いたことも、おそらくぼくはないのだろうと思う。けれども、ぼくにとってその歌ははじめから芽衣の声でうたわれている芽衣の歌であって、ぼくは芽衣のうたうその歌がとても好きなのだ。
 それはこんな歌である。

 ということで、はじめの話に帰ってくるわけなのである。けれども、歌は用意されておりません。用意してるんならこんな話、書いてないでさっさと歌を書いてるわ。

(2002.7.19)-3
たるい話は比較的簡単に書けるようである。それでも、この長さが限界であろうけれども。
(2002.7.19)-4
さて、休憩は終わり。再び、こちらからの言葉を綴ろう。
(2002.7.19)-5
芸術とは羨望と言い換えて構わない。女の姿形したデモン。片端のもののみがそれになりうる。別にそんなにいいものではない。「東京八景」の中で、太宰がぼそぼそ呟く。「併しこの場合、芸術になるのは、東京の風景ではなかった。風景の中の私であった。芸術が私を欺いたのか。私が芸術を欺いたのか。結論。芸術は、私である。」パラリンピックという祭がある。あれに似ていると、最近ぼくは思っている。
(2002.7.19)-6
どこからこれがのぞいていると思う?随分とながいことはいているズボンの縫い目のほつれてできた穴からだよ。ぼくは「これか?これか?ほんとに?これなのか」その尻尾の先っちょをつかんだ気がしている。そして、早速に幻滅しているのである。引っ張りだして出てくるのは、これはきたない鼠である。それに決まっている。
(2002.7.19)-7
Coccoに会いたいなぁ。いま、どこで何をしてるのかなぁ。別に聞きたいことなんてあるわけではないけれども、あの力が今どこに向いているのか、知りたいなぁ。子供、だったりして。ししし。


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