tell a graphic lie
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(2002.7.26)-1
 ただいま。ラウンドロックというところに行ってました。テキサス州オースチンから北に30kmくらいの何もない町です。日本から、飛行機を乗り継いだり、何やらかやら20数時間かかるところです。仕事です。
 あまり話すようなことはないですけど、ひとことだけ、メモしておこうと思います。
 少しだけ、先延ばしになりそうです。広すぎる空と、草原と、星のない夜空に浮ぶ満月がいけなかったのだと思います。それから、アメリカの人の真っ直ぐな眼差しも。やたらに連発した「Thank you」も。ぼくは何度か理由なく歯を見せて笑いました。本もホテルの部屋でゆっくりと2冊ほど読みました。そして、この間、ぼくは何も書きませんでした。
 つまるところ、よい休暇になったのです。

(2002.7.26)-2
あちらに居たときに、漠然と感じました。こちらに戻ってきて、成田エクスプレスの車窓から東京の街並を目にしたときに強く思いました。外は、くたびれてきた一日の、午後の陽の作る影がこの街の夏を描き出していました。不滅の倦怠と、脱出を、活路の模索、煙草の火くらいの喜びと、「あと何十年?」砂粒で描いてゆく大きな地図。鉛色した通り、急ぐ足。「君と話をしたい」本当かね。番号送信中に電源を切る。「汝、惑いを知るや」看板、看板、看板、一言も理解しない。それらが何十にも積み重なり、しかもきつく敷き詰められた、この街から立ち昇り、地べたに焼かれ、かすれてゆく、それは。それは?「いま自分がその場で暮している、この事実に嫌疑をかけてみたことは、一度でも、あるかね」空の色は、東京の方が濃い空色をしています。ぼくはあなたが、今日のそのうちの、5時間を無駄に費やしたことを知っています。ケラケラ笑うな。I'm alive on the earth. このスローガン。うまくないよ。棄てちまえ。トリプルセブンが「東京まで10000km」機内の画面に表示していた。ぼくは笑って首を振る。No, thank you. 見たまえ、ぼくの言葉の稚拙なこと!顔に自ら泥を塗ってゆくのがお好きなようだ。「新しい何か、そう、例えば新しい形式が、ぼくらには必要なんです」偉大な叔父が言う。「では、ワシが若い頃に考案した形式のうちの最も優れていると思われるものを君に与えよう。そうだ、ワシには、今もって使いこなせなんだ。これをやるから、君、やってみたまえ」ピエロさ。君、先人の血の滲むどころか、喀血の上の精進刻苦、きれいに見落としているのではあるまいな。わかっています。わかっています。ですからこうして、レースに乗るか、それとも降りるか、一分と忘れずに考えているのです。あなた、ぼくを白痴だとお思いですか。それは違う。3万人。恥ずかしながら、この列の末尾にぼくの名をつけ加えていただきたく思うのです。「ぼくを殺したのは、それは、お前ら全員だ」これは、是非笑顔で言おう。だから、ぼくはひとり、この街で暮らす必要があります。そうだ。これは、はっきりと言い切らねばなりますまい。それに続けて、短い宣言を、声高に。名付けて「独立宣言」I'm going to be independent of all of the world. この虚栄、この傲慢。ぼくは独立している。ぼくはここに、一切の要求、一切の必然、一切の権利、義務、その他を放棄する。ぼくにはもはや心臓が胸を叩く音すら必要でない。
(2002.7.26)-3
マンネリの海。
(2002.7.27)-1
トリゴーリン
ぼくが?(肩をすくめながら)フム・・・・・・あなたはその通り有名だとか、幸福だとか、何か明るい面白い生活だとかおっしゃる。だがぼくにとってはその結構な言葉はみんな、失礼ですが、ぼくの決して食わない果物の砂糖漬(マルメラード)とおんなじですよ。あなたはたいへん若くて、たいへんひとがいい。
ニーナ
あなたの生活はすばらしい!
トリゴーリン
特別にどんないいことがあります?(時計を見ている)ぼくは今すぐ行って書かなくちゃなりません。ごめんなさい、ひまがないもんで・・・・・(笑う)あなたは、いわゆるぼくの痛いところを衝かれたものですからね、それでほら、この通りぼくは昂奮したり、少し怒ったりしかけていますよ。がしかし、まあ話しましょう。ぼくのすばらしい、明るい生活について話しましょう・・・・・・さて、と、何から始めますかな?(少し考えて)人間が夜昼、たとえば月のことばかり考えていると、強迫観念というやつがあるものですよ。ぼくにもそういう月があるんです。纏(まと)いついてはなれないひとつの考えが夜昼ぼくを参らせる------書かなくちゃならない、書かなくちゃならない、書かなくちゃ・・・・・・やっとひとつ小説を仕上げたかと思うと、もうなぜだかまた別のを書かなくちゃならない、次には三つ目を、三つ目のあとには四つ目を・・・・・・ひっきりなしに、駅次馬車でとばすように、書いています。そしてこうするよりないのです。そこにどんなすばらしいものや明るいものがありますか?ぼくはあなたにお訊きする。おお、なんというガムシャラな生活でしょう!そらぼくはあなたといて、昂奮しています、がしかも、一瞬の間も忘れてはいないのです、書き上がっていない小説がぼくを待っていることを。ほらあのピアノに似た雲を見ますね。と、考えるのです、どこか短篇のなかで、ピアノに似た雲が浮いていたことをちょっと書いてやらなくちゃ、などと。ヘリオトロープが匂う。と、急いで、おぼえこむ。甘ったるい匂い、すみれ色、夏の晩を描写する際述べること、などと。自分とあなたのやりとりを一句ももらさず、一言ももらさず気をつけて、この文句や言葉をみんな自分の文庫の中へ急いで仕舞いこむ、きっと役に立つだろう!といったわけ。仕事をすますと劇場か、魚釣りに逃げてゆく。そこでならばほっと息もつけよう、自分を忘れもしよう、というのだが、どっこい------そうじゃない、頭のなかにはもう重い鋳鉄の砲弾が------新しい主題がころがっている。そしてはやくも心は机へと惹かれて、またもや書きに書くことを急がねばならない。いつだっていつだってこうなのです。そしてぼくはわれとわが身に煩わされて安まることがない。ぼくは自分自身の生命をガツガツ食っているような、またぼくがひろい世の中の誰かに与えている蜜のために、ぼくはなるたけすぐれた自分の花々から花粉をとってしまい、花そのものはひきちぎってその根を踏みつけているような、そんな気持がするんです。ぼくは狂人(きちがい)ではないのだろうか?身近な連中や知っているひとたちはぼくを健康者扱いにしていてくれるのだろうか?”何をお書きですか?何を書いて下さるんですか?”またしても同じことばかり。だからぼくには、知っているひとたちのこの関心、賞讃、有頂天なよろこび、------これはみんな偽りで、ぼくを病人扱いに欺しているのだ、とい風に思えたりする。そしてぼくはときどき、ほらいまにもうしろからそっと忍び寄ってぼくをとっつかまえ、ポプリーシチンのように癲狂院(てんきょういん)へつれて行きそうな気がして怖いんです。だがあのころ、ぼくが書きだしたばかりのあの若い、もっとよかったころは、ぼくの作家稼業はただもう苦しみの連続でした。小作家というものは、ことに運の向かないときには、われながら下手くそな、ぶきっちょうな、余計なもののような気がして、神経がはりきってピリピリしています。認めてもらえず、誰にも気づいてもらえない身は、まっすぐ思いきって相手の眼を見ることも恐れながら、まるで金を持たない賭博狂のように、文学や、芸術に携わっている人々のまわりをうろつかずにはいられないものなのです。ぼくは自分の読者に逢いませんが、しかしどうしてかぼくの想像のなかでは、読者というものは、親しげのない、疑りぶかいものに思えるのでした。ぼく大衆を恐れました、ぼくにはそれが恐ろしかったのです。そして自分の新作戯曲を上演するようなことになると、そのたびにいつでも、ブリューネットのひとたちは敵意をもっているし、ブロンドのひとたちは冷ややかに無関心であるような、そんな気がするのでした。おお、これはたまりません!実に苦痛でしたよ!
ニーナ
ちょっと、でもインスピレーションや創造の過程そのものはあなたに高い幸福な瞬間を与えませんの?
トリゴーリン
そうです。書いているときは愉快です。また校正を読むのも愉快です、しかし・・・・・・刷り上るか刷り上らぬに、もうぼくは我慢できません、あれはああではなかった、誤りだった、全然書くべきではなかったんだ、ということがもうわかるんです。それでいまいましくて、気持が腐る・・・・・・(笑う)ですが大衆は読みます、”うん、よく書けてる、才筆だ・・・・・・よく書けてる、しかし遥かにトルストイには及ばない”とか、”すばらしいものだ、しかしトゥルゲーネフの『父と子』の方がいい”とか言う。こうしてずっと、棺桶にはいるまでは、ただよく書けていて才筆だ、よく書けていて才筆だ------それ以上の何ものでもない、というわけでしょう。そして死ねば、知っている連中が墓のそばを通りながら、言うことでしょう、”ここにトリゴーリンが眠っているよ。いい作家だった。しかしトゥルゲーネフよりは下手だった”。
ニーナ
ごめんなさい、おっしゃることがよくわかりませんの。なんのことはない、あなたは成功なすってわがままにおなりになったんですわ。
トリゴーリン
どんな成功を?ぼくというものは一度も自分の気に入ったことはありませんよ。ぼくは作家としての自分を好きません。いちばんわるいことは、ぼくが一種茫然としていて、何を書いているんだかしばしばわからないでいることなんです・・・・・ぼくはそら、この水を、樹々を、空を、愛しています、ぼくは自然を感じている、自然はぼくのなかに情熱を、書きたいという抑えようのない欲望を起させます。しかしぼくは風景作家であるきりではないんですからね。ぼくはさらに市民であり、ぼくは故国を、人民を、愛しています。ぼくが作家ならば、ぼくは人民について、彼の苦しみについて、彼の未来について、言う義務があります。科学について、人間の権利その他等々について言う義務が。でぼくはすべてについて言っています、急いでいます、ぼくは四方八方から追い立てられ、怒られて、犬に狩りたてられた狐のようにあっちへ走りこっちへ走りしています。生活と科学はますます先へ先へと行ってしまうのに、ぼくは汽車におくれた百姓のように、ますますあとにあとにとおくれて行くのがわかります。そして結局、ぼくに書けるのは風景だけで、その他一切のものではぼくは贋(にせ)ものだ、骨の髄まで贋ものだ、と感じるのです。
ニーナ
あなたは仕事をなさりすぎた、それでご自分の意義を認識なさるひまもその気もおありにならないんですわ。あなたがご自分にご不満なら、どうぞご勝手に。でもほかの者にとっては、あなたは偉大で素晴らしいの!あたしがあなたのような作家でしたら、自分の全生命を群衆に与えてしまいますわ。しかし群衆の幸福はあたしまで高まることにだけあるのだ、そして群衆はあたしを肩輿(かたこし)にのせて運んでくれるだろう、と自覚しますわ。
トリゴーリン
ほう、肩輿で・・・・・・アガメムノンだとでもいうのですかぼくが!
(ふたりほほ笑む)
ニーナ
女流作家か女優になるような、そんな幸福のためなら、身近な者に嫌われたって、暮しに困ったって、幻滅したって、辛抱しますわ。屋根裏に住んで、黒パンばかりたべたって、自分に不満で、自分の至らなさが自覚されて苦しんだって、いいんですの。でもその代りには、それこそ名声を要求しますわ・・・・・・ほんものの、やかましい名声を・・・・・・(両手で顔を隠す)頭がくらくらするわ・・・・・・うッ!・・・・・・
チュホフ「かもめ」湯浅芳子訳 抜粋

(洗礼)-ギュメに-
 農家の戸口で、晴れ着の男たちが待っていた。五月の太陽は、林檎の樹に明るい光をそそいでいた。満開の、こんもりした林檎の樹は、白と桃色の、かぐわしい巨大な花束そっくり、それが庭じゅうを花の屋根でおおっている。林檎の樹のまわりに、ひっきりなくまき散らされている小さな花びらの雪片は、ひらひらと舞いながら、高く伸びた草のなかに落ちてくる。そこにはタンポポが炎のようにかがやき、ヒナゲシが血の滴のように咲いている。
 牝豚が一匹、乳房をふくらませた、腹の大きいのが、寝藁(ねわら)の縁でまどろんでいる。そのまわりを、子豚の群がぐるぐるまわっている。どれも縄のように巻いている尻尾をつけている。
 とつぜん、かなり遠く、農家の木立のうしろから教会の鐘が鳴った。その鉄の音色は、この明るい空に、弱々しい、はるかな呼び声をおくった。高いブナ、ケヤキの大木で区切られている青い空間を、燕は矢のように飛んでゆく。ときどき、家畜小屋の臭気が、林檎の樹の甘い、ほのかな息吹にまざって、通りすぎる。
 戸口に立っていた男たちの一人が、家の方に向いて、叫んだ。
「さあ、さあ、メリナ、急ぎな、鐘が鳴っているぞ」
 おそらくは三十そこそこの、背の高い百姓、長いあいだの野良仕事にも腰はまだ曲らず、体も不恰好にはなっていない。その父親というのは、樫の木のように節くれだった、手首のごつごつした、脛(すね)のねじ曲った老人だが、それがこう宣言した。
「おなごで先にしたくのできたためしはない」
 老人のもう二人の息子たちは笑いだした。そして、その一人は、はじめに声をかけた兄の方に向いて、言った。
「なあ、ポリト、はやく呼んできな、おなごら、昼までは来るまい」
 そこで、若い男は自分の住まいのなかにはいっていった。
 家鴨(アヒル)の一群は、百姓たちに道をふさがれ、羽ばたきしながら、鳴きだしたが、やがて、よたよた、のろくさと、溜池の方へ向っていった。
 そのとき、あけ放しのままだった戸口に、一人のふとった女が、生後二ヶ月の子供をかかえてあらわれた。高い布帽子の白い顎紐(あごひも)は、目のさめるばかり真っ赤な肩かけに重なりながら、背中にたれさがっている。そして、赤ん坊は真っ白なリンネルにつつまれて、その産婆の出っ腹の上で眠っている。
 つぎに、今度は母親が夫の腕をとりながら、出てきた。年のころはせいぜい十八歳というところ、背の高い、見るからに頑丈そうなみずみずしい、愛嬌のある女である。そのつぎには、二人のおばあさんが出てきた。これは林檎の古木といったように枯れきっている。辛抱のいる、苦しい仕事のために、彼女たちの腰はずっと前からむりやりにねじ曲げられ、見るからに使いつくしたといった感じである。一人のほうは寡婦(かふ)だったが、そのおばあさんが、戸口に立っていたおじいさんの手をとって、赤ん坊と産婆のあとから、行列の先頭をきった。ほかの者たちはそれにつづいた。若い連中は、ボンボンをつつんだ紙の袋を持っていた。
 遠く小さな鐘は、こやみなく鳴っていた。いたいけな、幼いものを待ちかねているとみえ、鐘は全力をあげて呼んでいるのである。村の悪童どもは溝の石垣の上にあがり、大人たちは垣根のとこまで出てきた。農家の女中たちも、洗礼の行列をながめようと、牛乳のいっぱいはいっている手桶を自分の両側において、立っていた。
 産婆はいかにも得意そうに、自分の生きている荷物を抱きかかえていた。そして、樹の植わっていた土手と土手とのあいだの道にできた水たまりをしきりに避けようとしていた。それにつづく老人連は、いかにもしかめつらしい顔をしているのはいいが、年齢と神経痛のせいか、いささか、よたよた歩きである。若い連中はいまにも踊りだしそう。自分たちを見物している娘の方をしきりに見ている。これにくらべれば、父親と母親のほうはもっと真面目だった。この子供は、ゆくゆくは、この世で、自分たちのかわりになり、ダンチュ家という、郡でも名前の知れた家名をこの土地で継ぐのだと思えば、真剣な面持でそのあとからついていった。
 一同は野原に出ると、長い迂路(うろ)を避けるために、畑のなかをつっきった。
 もう教会が、そのとがった鐘楼をあらわしてきた。鐘楼のスレート葺きの屋根の真下を、一つの穴が抜けていて、そのなかを何かが動いている。狭い窓の向うを、何かが、行ったり来たり、はげしい運動で前後に揺れている。それは先ほどから鳴りつづけている鐘なのだ。善なる神の家へはじめてくるみどり児に呼びかけている鐘なのだ。
 犬が一匹ついてきた。ボンボンを投げてもらうので、みんなのまわりをはねまわっている。
 教会の門はあいていた。司祭は、赤毛の、精悍そうな大柄の青年、やはりダンチュ家の一員で、父親の弟なので、赤ん坊の叔父さんにあたるわけだが、祭壇の前で待っていた。彼は型どおりに、甥のプロスペル・セザールに洗礼を施したが、赤ん坊は、儀式の塩をなめさせられて、泣きだした。
 式がすむと、家族の者たちは、司祭が白い式服を脱ぐあいだ、待っていた。それから、一行は歩きだした。みんな食事のことを考えていたので、今度は足がしぜんと早くなった。この界隈の子供たちはみんなついてきて、一つかみのボンボンがまかれるごとに、どっと押しかけては、髪を引っぱりあい、打つ、蹴る、なぐるの乱闘、さっきの犬も砂糖菓子をかき集めようと、群衆のなかに飛びこみ、尻尾を、耳を、脚を引っぱられようが、悪童よりもがんばっている。
 産婆はいささか疲れたとみえ、自分のそばを歩いている司祭に言った。
「もし、もし、司祭さん、わしはシビレをなおしたいが、そのあいだだけ、さしつかえないなら、すこし甥御さまをだっこしてくださらないか。なにせ、胃がどうにもさしこんできたで」
 司祭が赤ん坊を受取ると、その白い着物は、黒い僧衣の上に目のさめるほどの大きな斑点をつくった。そして、司祭には赤ん坊の抱き方も、寝かせ方もわからないので、この軽い荷物をもてあまして、頬に接吻した。どっと笑い声が起った。お婆さんの一人が遠くから声をかけた。
「もし、司祭さん。そんなもの一生もてないと思うと、あんた、悲しゅうないか?」
 それに司祭は答えないで、大股に歩いていたが、青い眼をした赤ん坊をつくづくながめていると、またその円い頬ぺたに接吻してやりたくなった。もうがまんできなくなり、自分の顔のところまで差しあげるなり、いつまでも接吻した。
 父親が大きな声を出した。
「のう、司祭さん、赤ん坊がほしいなら、遠慮なくおっしゃるがいい」
 そこで冗談がはじまった。田舎の人たちがよくやるあの悪ふざけだ。
 みんなが食卓につくと、嵐のようなにぎわいがとどろいた。あの百姓独特の鈍重なはしゃぎぶりなのだ。もう二人の息子たちも結婚しようとしている。許婚(いいなずけ)の娘たちも宴会には顔を出そうと来ていた。そして、食事に招かれた人々は、これらの許婚者たちも結婚すればすぐに子供ができるのだ、などというようなことをしきりにほのめかした。
 それは下卑た、はなはだしく露骨な言葉で、赤くなった娘たちをうすら笑いさせ、男たちを有頂天にさせた。彼らはテーブルを拳固でたたき、大声をあげた。父親とおじいさんの猥談はつきなかった。母親はにこにこしていた。おばあさんたちは猥談組で、いっしょになってはしゃいでいた。
 司祭は、こうした百姓のばか騒ぎにはなれていたので平気だった。産婆のわきにすわっていたが、甥の小さな口を指でこづいては、笑わせようとしていた。彼はこの子供を見て、これまでこんなものを意識したこともなかったように、驚いているようすだった。彼はこの子供をしげしげながめるにつけ、いまさら反省させられた。真剣に考えさせられた。心の底には愛情が目ざめてきた。兄の息子である、このいとけない、小さな生きものにたいする、未知の、ふしぎな、はげしい、すこし悲しくもある愛情なのだ。
 司祭には、何も聞えなければ、何も見えない。ただ子供をながめていた。彼はまた子供を自分の膝にのせたくてしかたがなかった。それというのも、いましがた教会の帰り、子供を抱いたという甘美な感覚が、胸の上に、心のなかにまだ残っていたからだった。彼は人間のこの幼虫に感動してた。それは彼にとって、かつて夢想だにしたこともなかった名状しがたい神秘に似ていた。新しい魂の具現とも言うべき、尊い、神聖な神秘、萌え出づる生命の、目ざめる愛の、継続する種族の、つねに歩みつづける人類の、偉大な神秘にも似ていた。
 産婆は、顔をほてらせ、眼をかがやかせながら、しきりに食べていたが、赤ん坊が邪魔になって思うようにいかない。
 司祭は彼女に声をかけた。
「こっちへおよこし、わたしはお腹がすいていないから」
 彼は子供を受取った。たちまち、周囲のすべてのものは見えなくなり、ことごとくきえてしまった。そして、この桃色の、ふくれた顔の上にじっと眼をそそいでいた。すると、小さな肉体のあたたかみが、産衣(うぶぎ)と、僧服の羅紗(らしゃ)を通じて、だんだんと彼の脚にとどき、彼の体じゅうにしみとおってきた。それはきわめて軽快な、きわめて善良な、きわめて清純な愛撫、涙をもよおさせるほど甘美な愛撫にも似ていた。
 会食者たちの騒音はものすごくなった。赤ん坊はこの騒ぎにおどろいて泣きだした。
 だれやらが叫んだ。
「のう、司祭さん、おっぱいをやったらどうだい」
 すると、爆笑が広間をゆすぶった。が、母親はもう立ちあがっていた。息子を取りあげるなり、隣室につれていった。彼女は数分後にもどってきたが、子供は揺籃(ゆりかご)のなかで静かに眠っていると告げた。
 こうして、食事はつづけられた。男も女も、ときどき中庭に出ていっては、またもどって、食卓につく。肉、野菜、林檎酒、葡萄酒は、口のなかに流れこみ、腹をふくらませ、眼をかがやかせ、精神を錯乱させた。
 コーヒーが出た時分は日が暮れていた。もうかなり前から司祭の姿は見えなかったが、それを不審に思う者もなかった。
 若い母親はやっと立ちあがって、赤ん坊がまだ眠っているかどうか見に行った。手さぐりで部屋のなかにはいると、家具に突きあたらないように、両手をのばして進んでいった。が、へんな音がしたので、ぴたりと足をとめたが、また外へ飛びだしてしまった。たしかにだれか動く気配がしたのでこわくなったのだ。真っ青になって、震えながら広間にもどるなり、そのことを話した。一杯機嫌で、喧嘩早くなっている男たちは、一人残らず、がやがやと立ちあがった。そして父親も、ランプ片手に飛び出した。
 行ってみると、司祭が揺籃のそばにひざまずいたまま、子供の頭がのっている枕に額を押しつけて、すすり泣いていた。
ギ・ド・モーパッサン(青柳瑞穂訳)

(2002.7.27)-2
 それにしても暑いですね。ひどいものだ。夏ってやつはこんなにひどいものでしたかね。ねえ、あなた。ぼくはこの暑さにやられてしまっているのかも知れません。いや、きっとそうだ。そうに違いない。そうで無ければ、あなたに、こんなわけのわからない話や頼みごとをするなんてことはないはずなんです。みんな、この暑さがいけないんですよ。ぼくはもうクタクタなんです。面倒になってしまったのです。それもこれも、みんないまいましいこの暑さのせいですよ。きっとそうだ。でなけりゃあ、こんな荒唐無稽なお願いなんてするわけがない。まったく、本当にいい笑い種でしょう。ぼくは知っていますよ。ぼくなんかはまだ楽なほうなんだ。そりゃあ、他人と較べたらそうだ。こんな下らない話・・・・・・
 ああ、待ってください。すいませんでした。話す前から、馬鹿馬鹿しいなんて。これはひとに頼みごとをするときの態度ではないですね。いや、ぼくは確かに困っているんですよ。自分ひとりでは、もう、どうしようもないところまで来てしまっているのです。本当にそう感じているんです。それは、この暑さばかりのためではないのです。ですから、聞いて下さい。けれども、ここは本当に暑いですね。気が変になるんじゃあないかしら。ねえ、そう思いませんか。ああ、そうでした。そんなことは今する話じゃあなかった。
 ・・・・・・頼みごとというのは、他でもない。ちょっと一緒に考えてみてくれないだろうか、ということなんです。この一度きりでいい。それから、五分ばかりで構わない。ぼくと一緒になって、これに答えるためにあなたのその智慧を使ってみてはくれないでしょうか。これだけです。ぼくがいる場所をあなたもほんのちょっとだけ経験してみてほしいのです。あなたと一緒ならば、二人ならば、きっとよい考えがおもい浮ぶと思うのです。今のぼくは、まるで振り子の玩具のようです。いつだって、対極に位置する考えが、ぼくの両手にはそれぞれぶらさがっていて、ぼくはいつでもその間で揺られ揺られしているのです。あるときには右の腕にぶらさがった考えがひどく重たく感じられて、ぼくはそれに引っ張られて、体が右のめりになってほとんど倒れそうに成ったかと思うと、つぎの瞬間には、その糸が切れてしまい、ぼくは反対側に大きく振られて、今度は体は左のめりになろうとする。それはあまりに急なことで、ぼくはよろけてひっくり返りそうになるのですが、ふらふらと足許が不安定になるとすぐに、両の腕の重りは急いで重さを増して、錨のようにぼくを固定しようとする。あとはその繰りかえしです。右へ傾いたり、左へよろけたり、一時でも止まっていないのです。ぼくは始終揺すられている。そしてそのためにぼくは青息吐息です。憾みごとのひとつ、言いたくもなります。そして、そうしてふらふら右左へ揺られているぼくの背中をときどきふいに押す、あのひどい言葉にまで、ぼくはやられているんですよ。「こんなことはまるっきり無駄なことだ」ねえ、あなた。五分でいい。ぼくと一緒になって考えてみてください。ぼくはこれを続けるべきでしょうか。それとも、どうにかして止めてしまうべきでしょうか。それから、これは右がいいのでしょうか、左がいいのでしょうか。それから、もうひとつ、ぼくは結論を急ぎすぎているでしょうか。答えを呉れ、なんてことは言いやしません。ただほんの少しだけ、ためしに答えようとしてみてはくれませんか。
 そうでした。肝心のその問いとやらをぼくはまだ言っていませんでした。はは、まったくどうかしている。まるでなってない。これは、これだけは間違いないく、この暑さのせいですよ。普段のぼくは、こんなでは決してないのです。もっと簡潔に、なめらかに澱みのない話をしますよ。今日は本当に暑い。まったく、脳みそがゆだってしまいそうだ。ああ、こんなに額に汗している。やれやれ、あなたの前でこんなに汗だくになって、みっともないこと甚だしい。やめましょうか。いや、そうだ、それはないですよね。こんなにべらべらと喋りたてて、今さら、やめた、なんて。それは許されない。やりましょう。言い切ってしまいましょう。下らないことなんだ。ちっぽけなことなんだ。なんでもない話さ。そうだ、きっとすぐに片付いてしまう。笑い飛ばしてしまえることだろう。はじめからこうすればよかったんだ、などということになるに違いない。人生には、これよりもずっと大きな問いかけが、これからいくらでも転がっていることだろう。みんな、それらの大きな問いに答えているのだ。そうして、生きていっているのだ。みんなそうだ。みんなそうしている。人生とは、生活とは、つまりそういうことなのだ。きっと、ぼくがどうかしているのだ。ぼくが極度にひ弱いだけだ。そうに違いない。こんな問いの答えなど、実にあっけないものだ。そんなものなんだ。
 ところで、その前に、あなた、ぼくが今から、それを言ったとして、ねえ、一緒になってやってくれますか。よい返事がもらえないのなら、言うわけにはいきませんよ。ねえ。いや、なに、簡単なことです。少しのあいだ、一緒になって答えようとしてくれたらいいんです。それだけです。では、いきますよ。それにしても、ああ、暑いな。ひどく蒸し暑い・・・・・・
(2002.7.27)-3
夜の蝉、シク、シク。鳴きどおし。浅くて、気だるい、な。
(2002.7.27)-4
帰りにドルが余ったので、免税店で酒を買った。バランタイン21年。昨日、早速開けて一口だけ飲んだけれど、そうしたら全然うまい酒を飲むような気分ではないことに気がついてしまって、ほら、こんなに暑いし、、、それで、すぐに栓をして、代わりの安いコーンウィスキーを開けて注いだ。それから、その安酒を立て続けに何杯か飲んで、そのままぶっ倒れるようにして眠りについたのだけれど、案の定、いやな夢を幾つか観た。今おぼろげに覚えているのは、ぼくが誰かを裏切る夢と、誰かがぼくを裏切る夢だ。いつでもぼくは涙を流そうと思ったけれど、実際にはそうしなかった。そうしなくても済んでしまったんだ。ぼくはただ寝苦しいとだけ、なぜだか、そう感じていて、裏切りをそのまま見つめていた。そして、「眠らなければならない」夢の切れ間に何度かそう思った。始まりも終わりも、みんな一緒くたにやって来る。みんな、空気よりもずっと、ずっと速いから、仕方ないね。蒲団の上で、何度も悶えながらぼくは眠りつづけたよ。今日があることは嫌なことだったし、目ざめるということは、幾つかの苦痛を伴うものだからね。ぼくは変に浮き上がってしまった。全部放棄して行ってしまうはずだったんだ。そう考えていた。けれども、けれども、なかなかに実際はうまくは運んでくれないものです。ぼくは嘘をついていますか。嘘つきですか。大丈夫、泣かないよ。皆うすら笑いして眺めることになる。笑いの面、というやつだ。他に何かご質問は?聞くだけ聞いてみたらどうですか?どうせうまくは答えられないだろうけれど。そう、ドルが余ったんだ。お金をつかえないのさ。寝巻代わりのTシャツも、高い一張羅のドレスも、同じに見えてしまう。働くひとはきれいだね。みんな、とてもきれいだ。そう、、、値段じゃあないよ。
(2002.7.27)-5
 とてもよいので、その内に写すことになると思うのだけれど、ぼくの読んだ、チュホフ「犬を連れた奥さん」の訳者、神西清が自身の生業についてこう語っている。
「・・・・・・ジイドの日記のなかに次のような一節があった。それは、『思いつくままに書き下す』というスタンダールの秘訣を讃え、それとはおよそ対蹠的な例として、飜訳という仕事を挙げたものであった。他人の思想を扱うのだから、その思想を緩めたり、包装したりすること、従って言葉の選択や表現が問題になって来ると言い、その結果、『何を言うにも言い方が幾とおりもあり、そのうち正しい言い方はただ一つであると信じるようになる。で内容と形式とか、感情や思想とその表現とか、元来一つであるはずのものを別々に考える悪習を生ずる』というのだった。これは飜訳という不自然な労働が、人間の思考におよぼす害毒を、ずばりと言い当てた言葉で、多少とも良心的に飜訳の道に志すほどの人にとって、有益な警戒信号たるを失わない」
 ほんとに、この人の訳はすごくいいんだ。でも、それもそのはず、実にもっともの話で、この人は三四語書いては、二頁前から原文と自身の訳を読み直して、そしてまた数語を続ける、そういう風にして約していたんだ、って。
 ----ねえ、君、きみはそんなふうに大事にされるような言葉を、自身一度でも紡いだことがあるかい?----
 書けば書くほど、自分は駄目なんだと、わかるよ。ぼくの言葉に何も入らないのは、それは、当たり前のこと。そういう風に書いていないからさ。単にそれだけ。さあ、酒を飲もうか。今日もまた、寝苦しい夜だ。ぼくの書いた文字は、何千行、何万行積み重なっても、それは、無いも同じことなんだ。乾杯!乾杯!愛で方を知らぬものよ。愚痴をこぼしているがいい。神は微笑まぬ。ああ、神さまがいてくれたら!馬鹿をお言いなさい。何も変らなくてよ。そうして、澱んだ空気の中でまどろむことを覚えなさい。痩せた驢馬がトコトコ歩いてきて、こう言うでしょう。「もうたくさんです」敗者にもなれない。名前がつかないんだよ、ぼくには。ずっと、ずっと。
(2002.7.29)-1
はじめて大江健三郎を読む。はじめて読む本の選択としてはあまりよい選択とは言えなかったかも知れない。ぼくは大江健三郎の書いたものだからではなく、その表題で選択したのである。「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」
(2002.7.29)-2
 大江健三郎を読んでしきりに思うことは、この半気違いが、たとえそれまでの経緯はどうであったにしろ、ノーベル賞を取るようにまでなってしまうまで、放っておかれたという事実である。それだけである。
「救いはそれを受取ろうとする者にのみ与えられ得る」
 詰まらなくて、実に正当な反論をしておこうか。「いや、彼は決して半気違いなどではない。実際の彼は、小説の中にあるような行動を起したことは、ただの一度も無いのだ。その彼をつかまえて半気違いだとは。君は私小説の主人公が常に作家自身を指し、またそこにある記述は総じて事実だという、実に滑稽で無邪気な誤認をしている」ぼくは答える、「そうだね、そのとおりだ。確かにぼくは誤解をしている。子供じみていて、極めて馬鹿げた誤解をね」

(2002.7.30)-1
 しかし、ぼくは随分と時間がたったあとで、ふと自身のうちにある答えを用意する。そして、その考えを再び詰問し、綻ばせようという試みを思念の盤上で常に転がし続けながら、この不毛で薄汚い(ぼくがその未発達で、極めて鈍感な一面と、それと同じだけ鋭敏な面を併せ持つ、特定の色形を持たないゲル状の生物のように奇怪に這い回り、ころころと常にその居場所を変え形を変え色を変え、それが精神上の実体を持つということを、やはりこれも時折気まぐれに降りてくる冷徹な思考を持ちえた際には、自分自身ですら疑わざるを得ない、自意識という実にあやふやなまとまりの、その判断によるとそのような表現で以て言いあらわされるらしい)形式をしたこの文章を読み進めてゆく。やがてぼくは、直接的な記述によって、この観念が肯定され、また明快に説明されている箇所を見出す。
「僕はこの夢についてノオトに書き記しながら、自分の心臓が嘔気を誘うほどにも激しく鼓動しているのを感じて、もし夢があのままに進行し、実際に暗殺者の懐剣が椅子に坐った者の肩を刺して、高らかに犠牲者の名が叫びたてられたとしたなら、当の僕自身が(父親同様に!)心臓発作をおこして死んでしまったのではないかという恐怖心にとらえられたものである。悪夢を見ながら、その恐ろしさの頂点で死んでしまうことほどにも恐ろしい死があるだろうか?すくなくともそれはその悪夢の内容が現実化したところの恐ろしい状況のうちに死ぬと同じ恐ろしさの死である。
 もとよりこの夢は僕が父親について伝記を書く上で具体的ななにものをもあきらかにしているわけではないが、この夢によって僕はただその伝記の仕事に有効であるにちがいないひとつのものの考え方のパターンを自分のものにすることができた。それは、もし土蔵に坐りこんだまま若い晩年をすごしてそのまま死んだ父親が、祖母のいったとおり報復されることを恐怖してそこに閉じこもっていたのだとすれば、その土蔵の自己幽閉から自分を解放することのないままかれが死亡してしまった以上、父親のその恐怖心がたとえ現実的な根拠のないものであったとしても、確実にかれは、きわめて厖大な恐怖心のうちに追いつめられて窮死したといわねばならない、という発想である。土蔵のなかの薄暗がりに、肥満して動きの鈍い躰を理髪士用の機械椅子にのせ、しだいにつのる恐怖のかたまりの頂点で死をむかえる父親。もしそれが被害妄想の亢じた狂気の行為であったとしても、狂気のうちなる死は、悪夢のうちなる死と同じく、もしそれが狂気のさめないうちにやってきた死であるならば、狂気の妄想そのものを現実にかえる」
 これを写し終わったあと、ぼくはキーボードから手を離し、開いていた本も栞を挿みこむことなしに脇へほうり投げて、自身も同じようにして体を床へ放り、寝そべって天井を睨む。
 いったいこれが現代文学というものなのだろうか。このわずかな行為の描写と、膨大な観念の描写、断定を徹底的に避けようとする姿勢、文章の美しさにではなく、精神のくぐもったあまり立派なものとは言えないような昂揚に、その感動の起点を求めようとする態度。これらからは、ある箴言が思い出される。「重要なのは、結果ではなくて、そこへ到るまでの過程である」と、これを実際に書き下してみたぼくは、その箴言とやらのあまりの粗末さに呆れて、削除キーをタイプしようかとも考えたが、寝起きして十五分でこの厭味な文章のつづきを書いているのだから、こうなったのはまあ仕方のないことだろう、などと思い、薄笑いと共にそれを残すことにしたのである。つまり、文学などという大層な名前を持たされてはいるが、結局のところ、それは見世物であり、見世物の価値とは余暇の円滑な消費にあるのだから、その機能の実現がこのような手法によってであろうと、なかろうと、それを用いて余暇の消費を行う我々にとってはどちらでもよいことなのだ、という考えが、睡眠を奪われてまだ時間の浅い脳に浮かび上がり、支配したのである。

(2002.7.30)-2
 夏の夕暮、遠ざかる蝉時雨れと向こうから歩いてくる子供の泣き声。汗で湿った肌は二十年近く経った今でも、あの頃とまったく同じように感覚される。
 と、ここまで書いてみたところで、この文章がはやくも、その形式において破綻したことをぼくは見出した。破綻させたのは、これは、ぼく自身である。「おい!これでいいのか?これでいいのか?この無益な、こんなものばかりでいいのか?」書いていて常に、この声がぼくのうちにはある。けれどもそれにはぼくは、それは違う、とヒネた薄笑いで以て答える。つまり、「久しぶりに読んだ現代文学とやらが、だらだらと非常に長ったるく、まるで、何も考えていないことを誇っているかのようにぼくには思われてならないので、それを少しからかってやろうと考えて、こんなことをしているのだ」屈辱は自己愛と結びつくと変質する。子供の泣き声は今日ぼくにそのことを思い出させた。ここで、突然ひねくれて太宰風に言うことを目論めば、「苦しさこそは、」失敗した。どうやら敗北である。
 最近、「晩年」がとても美しく感じられてならない。
(2002.8.3)-1
壁にべたべたと貼ったえを剥がした。剥がしたえはまだ焼くことはできないけれども、もうぼくはしばらくえはかかないことだろう。絵の教室へ通ったことは、そのための手続きだったのだと、弱く笑う。。。収めた金は手切れ金か。剥き出しなった白い壁が淋しそうにしている。大きなポスターでも探してこようか。だれか一枚、大きな絵をくれないかな、自分のためだけに描いた絵を、ぼくに分けてくれないかな。
(2002.8.3)-2
けれども、今日のぼくは気分がいい。いや、気分がいいからそんなことができたんだ。「葉」の部分のひとつがようやく形を持ったんだ。あと4つ5つどうにかしなければならないのだけれども、できたものは、今まで、唯一形らしきものだと言えたものをもっともよく継承することができるもので、もっとも簡単なものに過ぎないのだけれど、とにかくひとつ出来上がりそうなんだ。あとは今日書いた分の手直しを何日かあとにするだけだ。これで「葉」すら諦めなければならないというような事態からは一歩遠ざかったわけだ。
(2002.8.3)-3
それから、今日はメリメの「カルメン」を読んだよ。簡潔な文章のよき話だった。大江健三郎のあとに読んだせいか、しばしば話を見失いすらしたけれども、だからこそその後に読むものとしては実によい作品だった。あの毒がだいぶ和らげられたのさ。
(2002.8.3)-4
自分の意思を押し通す事の罪について。また、それの生む軋轢がもたらす非難の一切について。ぼくらはそれぞれがそれを果たして考慮すべきであるかどうか、と真面目に聞いてみなければならない。あなたの吐いた非難の言葉は、あなたの見せた嫌悪の表情は、あなたの直接に被った損害やそれによって発生した「余計な」仕事は、果して私の意思を遮るほどに重大なものであったのだろうか。そう私があなたに対して訊ねることは、思い上がった行為なのだろうか。いや、もっと直接に簡潔に回答できるような形式の問いにすることにしよう。すなわち、あなたはあなたの言動や行動に対して、人の意思を虐げたり、ねじ曲げたりまでする程の責任を持っているのか。また、負う気があるのか。確かにあなたの言うことにはひとつの理があるように思えるし、それだから、私はあなたの言葉を無視しないのだけれども、それは。私はいずれあなた方の言葉を克服することだろう。そして、いま私がここにいることに真の誇りと安心と仕合せを見出すことだろう。これでよかったのだ、とそう心から言って、私の生活の主だったものをあなたにお見せすることだろう。
(2002.8.4)
 買い物いろいろ。いちまんえんさつがすぐに消えてなくなってしまいます。シャンプーの買いおきがなくなったと思って、買ってきてみたら、ちゃんと、あった。置く場所がない。となりにむりやり押しこんで一件落着。「SALA」高い。けど、これでさらさらの髪だ。先に使ってやる。コンタクトのケア用品もおんなじ、まだ買いおきがあった。これも、高い。だから今日は無駄な出費いっぱい。これで棚が埋まってしまった。あと、本も、また数さつ。芥川、井伏、大江、ツルゲーネフ、ゴーゴリ。わけわからん。乱読と濫読はどう違うの?ぼくはたぶん乱読かな。量は読んでいないよ。一週間に300頁いかないもの。でも、種類は手あたり次第。いいのやら、わるいのやら。
 本屋さんでは、自転車の雑誌を立ち読み。泥よけがついてて、サドルが高くできて、速くて軽くて、かっこいいのがいい。イタリア製はいいけど、高い。でも、今の自転車はほんと、ちょっと乗り換えたいのだ。二回ほど車と接触してるから、前輪も後輪も微妙にゆがんでる。それから、遅い。フルスピードで走っていたら、小学生の乗るギアつきの自転車に悠々と追い抜かれたのは、あれは、ショック。駄目だ、無印良品。
 毎週ひる飯というか、あさ飯というか、食べに行く喫茶店のウェイターのねいちゃんは、相変わらずぶっきらぼうだ。お客にたいする敬意というものがちょっと足りない。確かにランチ食うだけで、コーヒーのおかわりもせずに一時間半も二時間も、毎週居座る客になんて、そんなんありえへんのかも知れないけど。今日のぼくは腹をすかしていたんだぞ。めし、はやく持ってこーい。ゴトって、コーヒーカップを置くなや。
 タバコ七本、吸った。一流シェフが七人くらいうちそろって、小学校を訪ね、小学生に「よい料理」とやらを作って食べさせた。という話をしている五十代の客。日経インタネット版にのったらしい。子供の好き嫌いの問題はいつでも大きな問題でしょうか、セニョール。にんげん、ひもじくなれば食べられそうなものから順番に、なんでも口に入れてゆきますよ。など、話を小耳に入れながら、モーパッサン「脂肪の塊」。素晴らしい。中篇の名作であろう。と解説も言っている。モーパッサンはどうやら独自のフォーマットを持った作家だったようである。さすが多作の作家はちがうね。しかし、唯一の窓際の席に一時間半以上陣取っていたぼくはどうやら営業妨害をしていたのかもしれません。姿勢が悪いのなんの。タバコぶかぶかやりながら、へらへら小説を読んでいる姿の気味悪いのなんの。お勘定のとき、いちまんえんさつを出して、ごめんなさい。厄介な客で、ごめんくさい。かすかに謝ろうとねいちゃんの顔を見たら、眼があってしまった。仕方なく眼で挨拶をした。無意味に口もとを緩めたりした。そのうち、挨拶でもして、サービス改善要求でも笑顔でしようかしら。ふむ。
 陽が落ちて、スコールがやってきた。電気グルーヴの「電気ビリビリ」聴いてたら窓の外には稲光。また電話止まったりしたのでしょうか。はーい、せんせいしつもーん。なんで、昨日いっこ仕上げたばっかなのに、今日また別のやってるんですかー。お休みがほしーでーす。と言って、八百ほど書いて放りだしたさ。これは「逆行」を思いながら書くお話。ハッピーエンドがいいですか。それともいやですか。ぼくはこの自分勝手な主人公さんの恋人にいいようになるといいな、と思います。よき夫を探してやるべか。
 梨を見かけたので、買いました。冷えてないけど、すぐにひとつ食べました。おいしかったです。以上、日記でした。
(2002.8.5)-1
カンニング、カンニング。そうである、このようにして、よき断片を二つ三つ置けばいいのである。
(2002.8.5)-2
実在しそうな、なんていうのは後回し。その辺の細かい設定は一行ざらっと書き下すだけでいいのである。短篇である。それで十分である。よしよし、修正、修正。
(2002.8.5)-3
あぶないところであった。あやうく「正義と微笑」をやり始めるところだった。あんなもん、今のぼくに書けるわきゃねえだろう。。。
(2002.8.5)-3
太宰に「花燭」というぬるけた話があるけれども、このあたりを参考にして、ひとつ話を落ち着けてやろう。文庫本の中に一緒にある「秋風記」も役に立つであろう。。。。。
(2002.8.5)-4
ん、あれ。あれれ。これはだめじゃないか。ハッピーエンドだ。いや、違う。もっと根本的なところで間違っている。そうだ、扱う期間が長すぎる。事象も多過ぎる。「正義と微笑」どころではなかった。いかん。ひとの人生なんて記述しようとしてるじゃないか。「火の鳥」を見よ。太宰ですら結局書ききれなかったじゃないか。これは、だめだ。断然だめだ。中止、中止。
(2002.8.5)-5
ということは、またサンプル作りから始めなければならないのか。やれやれ、仕方ない。まじめにやるか。。。
(2002.8.5)-6
そうだ。。。もっと観念的でなければならない。印象に頼らなければならない。印象、印象、印象ってなんだ?そんなもんこっちで操作できんのか?それに頼る。頼る?うん、やっぱり頼んないと駄目だ。「蜘蛛の糸」って短いねえ。確かに、こら凄いねえ。かなあねえや。ちきしょー。

(2002.8.5)-7
昨日書いたことをもう忘れている。「逆行」を手本にするのであった。ふむ。読もう。
 この作品は、四篇の欠片からなっている作品である。「蝶々」「盗賊」「決闘」「くろんぼ」である。並び方がちょっと意味わかんなくて、いや、なんでひとまとまりになってるのかもよくわかんないんだけど、この中では「決闘」がおそらくメインであろう。。。うん、よくわからない。
 書き出しが似ているようである。

「蝶々」老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。ふつうの人の一年一年をこの老人はたっぷり三倍三倍にして暮したのである。
「盗賊」ことし落第ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。
「決闘」それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動機は深遠ではなかった。
「くろんぼ」くろんぼは檻の中にはいっていた。檻の中は一坪ほどのひろさであって、まっくらい奥隅に、丸太でつくられた腰掛がひとつ置かれていた。くろんぼはそこに坐って、刺繍をしていた。

「くろんぼ」は少し趣が他とは違うのであるが、他のはだいたい一緒である。「くろんぼ」はよき話である。他の三つはチンカスである。。。
 どうやら、テーマは孤独または、孤高というようなものへの揶揄であろうと思われる。。。
 ああ、そうか、タイトルの「逆行」は「玩具」のテーマと同じ意味合いである。思い出を逆行(さかのぼ)っているのだ。なるほどね、これ、死ぬほどがんばって続けて行くと、いずれ「玩具」とひとつながりになる、というわけだ。
 ちなみに「玩具」。作品説明は、太宰が自ら中でやっているので、これを引用することにしよう。
『私はいまこんな小説を書こうと思っているのである。私というひとりの男がいて、それが或るなんでもない方法によって、おのれの三歳二歳一歳のときの記憶を蘇らす。私はその男の三歳二歳一歳の思い出を叙述するのであるが、これは必ずしも怪奇小説でない。赤児の難解に多少の興を覚え、こいつをひとつと思って原稿用紙をひろげただけのことである。それゆえこの小説の臓腑といえば、あるひとりの男の三歳二歳一歳の思い出なのである。その余のことは書かずともよい。思い出せば私が三つのとき、というような書き出しから、だらだらと思い出話を書き綴っていって、二歳一歳、しまいにはおのれの誕生のときの思い出を叙述し、それからおもむろに筆を擱(お)いたら、それでよいのである。云々。。。』
と、いうように、このあとにも長ったらしい前口上がついて、そちらのほうが言いたかったのではないのか、というような感じなのだが、まあ、それは不問にすることにして、しばらくすると実際に、
『私は生まれてはじめて地べたに立ったときのことを思い出す。云々』
と始まって、五六頁ほど書いてから、放棄される。
「逆行」のほうは、書き出しから、推測されたし。これだけで十分である。「くろんぼ」だけは少し補足しようか。「くろんぼ」とは、地方巡業のサーカス一座に飼われている黒人女性のことである。その昔、主人公こと太宰少年は、地元にやってきたこの一座で「くろんぼ」に出会い、村の他のものたちが、「くろんぼ」をトラやら象やらと同じように猛獣と見なしている中で、太宰少年一人が、この「くろんぼ」を人間の女性と認めて胸を焦がす、というような話である。「くろんぼ」は、裸で飼われていて、その芸はなにやらの踊りなのである。いや、ろくでもない話ではないのである。いい話なのである。これが。意外にも。前の三篇を読んで、うんざりするのだけれども、それを挽回してあまりある話のなのである。
 ぬあ。解説してる場合じゃねえよ。。。とりあえず、文の形だけはパクろう。ぶっきらぼうの言いっ放し型である。「蝶々」と「盗賊」が特に近いであろう。ふむふむ。

(2002.8.6)-1
一文で、漢字をつかう動詞は主たる動詞ひとつである。これは基本事項であり、また基本的に遵守すべき事柄である。名詞は基本的に漢字を使うのであるが、密度によっては平仮名を用いるべきである。形容詞、副詞、形容動詞等も、文中の主要なものは漢字を含めるが、補助的なものは平仮名で記述すべし。けれども、この主たる、副たるの区分は、書き手の判断によるのである。通常の視点では、使うべきところでないような部分にも、ときにはびしばし使用すべし。さらに、二文を連結し一文となした場合はこの限りに非ず。さらに、決して平仮名にすべきでないものも、名詞などには多々あり。また、平仮名の長き羅列は読みにくいことも記憶しておくべし。要は、漢字を用いて記述することにより、メリハリがつく、強調が可能になる、というだけのことである。あとは各々がたの腕次第。。。これって、基本なんですか。
(2002.8.6)-2
それから、句読点の置きかた、ってのもある。これもいまだに判然としないのだ。難しい。けど、二ヶ所候補があって、どちらへ入れてみても、また両方から抜いてみてもしっくりとこないときは、これは文がよくないときである。ただちに書きなおすべし。両方に入れるのは、これは下策。
(2002.8.6)-3
指示代名詞の置きかたも難しい。多用するのは、低能のあかし。基本的には調子をととのえるためにのみ使用すべし。また常に、それの指しているものをもう一度記述することも選択肢として持つべし。省略を多くすれば、乾燥した印象になる。
(2002.8.6)-4
接続詞についても、指示代名詞と同じようなことがいえる。
(2002.8.6)-5
語調というのだろうか。「です、ます」「だ」「である」これの選択も適切に行うべし。用法を無暗に変更すると、構築したトーンが一瞬で崩れる。注意。また、過去形、現在形は適度に織りまぜるべし。英語ではないのだから。それから、体言どめの多用は、これも低能のあかし。
(2002.8.6)-6
また、会話主体で構築するか、記述主体で構築するかによっても、印象は大きく異なる。話自体も全く別のものが出来あがる可能性がある。しかし、この話はもはやその人の文章の構築スタイルといったようなもので、どちらがどうの、というわけではない。ぼくは当然、記述主体。
(2002.8.6)-7
風景の描写といった、周辺環境の記述についても注意を要する。けれども、これもスタイルの領域の話であろう。慣れないことはあまりしないほうがよい。なぜなら、文ごとのよい悪いの判断が難しくなるからである。けれども、これは文章のトーンを決定する大きな要因であるので、自身の書くものによって、ある程度の矯正を行ってゆく必要があるかもしれない。
(2002.8.6)-8
簡潔には簡潔の良さがある。詳細な記述も、同様である。あとは、自分がどれをするのか、というのを真面目にきいてみて決定することである。全てはそれからである。好きな作家がひとりいると、比較的その作業は楽になることだろう。ふたり以上いると、かえって苦しいかもしれない。というのは、それは精確な意味で、ふたりがかりですべき事柄かもしれないのである。
(2002.8.6)-9
こんなもんでしょうか。今のところ、ぼくが知っていることといえば。
(2002.8.6)-10
大江健三郎が述べる。小説の文章とは外殻に過ぎない、と。それに対して、詩は、その言葉自体に質量を持つものである、と言っている。そして、記事というのは、文章としての価値を持たない。それは事象の伝達手段であり、思考の伝達手段である。と、これは乱暴に過ぎるかね。
(2002.8.8)-1
「私」が、自らの動作や思いを書きしるすようにするのと、「私」の動作や感情の動きを客観的に記述するのとは、似て非なるものである。前者は体温を持ち、後者は 後者は、ぼくにあっては、前者にならなかった失敗の文章を指す。ぼくの文から体温への希望を除いたら何が残るというのだ。
(2002.8.8)-2
自分は狂っているのではなかろうかと本気で心配したことがあるか。それが人に露見することと、傍に人のあるとき、突然に狂ってその人を害する事態が起こることとを恐れて、人を刺激すること、人に刺激されることの機会を極力減らそうと、人に会うことをやめ、人に会ったときも、喋ることをやめ、喋らせることをやめ、自身を誇ることからも、蔑むことからも無感覚になろうと努めたことはあるか。それは生きていながらにして、生きていることを放棄することと、どの程度の差があるか、ということを考慮してみたことはあるか。そうして得た生活がどんなものであるか感覚したことはあるか。その状態を維持するために掲げるうちなるスローガンは何であるか知っているか。「ひとりで狂えば、狂っていないも同じことだ」人から完全に無関係に生活することは難しいが、無関心のうちに生活することは容易い。しおれてゆく花に水をやる人間の気まぐれを呪いながら、それにすがって明日をむかえることを許容し、眠りにつく夜の、「諦めようか」という呟きを聴いたことはあるか。そうして眠りについた日の翌朝がどんなものであるか。その朝がまたその夜を生むことは認めるか。その廻転の先には何があるか知っているか。弱る感覚の中でそれでも微かに恐れることは何であるか。
(2002.8.8)-3
「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」恐れることは、何であるか。ぼくは狂わないか。ぼくが千切れるときぼくは激痛を感ずるだろうか。死とは闇であろうか。。。。すべて違う。ぼくは何を恐れるのか。「ほんとうに、その人は、生まれて来なかったほうが、よかった」
(2002.8.8)-4
「じゃあ、どうしてパパは生きているの?」「違う。ぼくは、君のパパじゃないよ。どうしてそんな風にぼくを呼ぶんだい」「ねえ、パパはどうして生きているの?」ああ、神さま。どうか、ぼくとぼくのこの小さなこに生き延びる道をお教えください。「ぼくは君だ。生まれたときから一緒だったじゃないか。ほら見てごらん。君の腕とぼくの腕とはもう深く融けあいはじめているだろう」「キャッ、キャッ。ほんとうだ。ほんとうだ。『君の腕とぼくの腕とは深く融けあいはじめている』キャッ、キャッ。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』じゃあ、どうして『ぼく』は生きているの?キャッ、キャッ」われらの狂気よ
(2002.8.8)-5
どうして生きるのか。どうして。
(2002.8.8)-6
どうして死んでしまわなかったのか。
(2002.8.8)-7
こわかったの
(2002.8.8)-8
すべての言葉がぼくに真っ直ぐたずねる。「お前には私を使う資格があるのか」
(2002.8.9)-1
おそらくは、決してこれだけでは無いので、いまここに書き落としてしまってもかまわない。書くという作業は棄てることである。時の回廊の煤ほけた冷たい壁にテープで止めたそれは、もうぼく自身では決してない。一般的な感覚もしくは行為としては、「懐かしく思い出す」であるそれは、もう決して自分ではないものに対してしか行われない。
(2002.8.9)-2
ぼくらの人生が、数段の補助ロケットを振り落としてようやく静止軌道にのり、そこで遠心力の手助けを借り、加速をくわえてじりじりと地球の引力圏内から離脱し、ある惑星を目指して、飛行、というよりは流される、というほうがより実態に近い航法で、絶望的に無意味なスカスカした空間を泳いで目的の惑星の静止軌道にたどり着き、そこで廻転し、廻転し、陽の当る側面も、その裏側も見つめ、そこにある限りは見つめ、やがて「御苦労さまでした」静かに言い渡され、そこも振り切り、太陽系を離脱してゆく一群の人工衛星のようなものでないとは、言えないだろう。
(2002.8.9)-3
産まれるときが一ばん満ちていた。母と一緒だった。
(2002.8.9)-4
 そろそろ小沢健二について書きたいなあと思うのだけれど、ぼくは小沢健二のことを全然知らないので、ほんとにあのアルバム"Ecletic"一枚しか知らないので、きっと全然意味のわからない文になるのだろうな。
 一曲の長さの必然性についてや、アルバムという集合について、そしてその対比としての交響曲やら組曲といった古臭くて大掛かりな提示の形式について。また、音楽制作上におけるそういった形式の影響等についてと、それからトーン、色調、雰囲気といったぼんやりとした概念について。作るということに附ける、もしくは持たせる意味について。時間をかけて作る、または、やめない、ということについて。それらを小沢健二の一枚のアルバムがぼくに教えてくれたということについて。h2oとの共通点について。その総合としてのぼくの嗜好について。
 これらの事柄について、ぼくはきっとほんの2,3行ずつなのだろうけれども、少し書きたいと思っているのだ。ほら、もう意味がわからない。

(2002.8.9)-5
明日から夏やすみ。テンションを一定に保つよい機会であります。何か、二つ三つ写してドーピングをしてからはじめることにいたしましょう。
(2002.8.10)-1
ここ数日風が強い日が続いている。ゆだった風でも無いよりはだいぶましだ。また、そのせいもきっとあるのだろう、空がとても青い。いや、色の青さでは冬の空の方がずっと青いのだが、近頃の空はそこに満ちている光線の量が違う。強い風が掠れた空気をかき混ぜ洗い流して、空が原色の空色をする。するとそこにずっと満ちていた夏の多量の光線がその原色の空色を強く映し出す。青だ、青だ、青だ、青だ。空とは青いことだ。そんな感じだ。それで、「ああ、暑いな。この暑さ、何とかならないかな」など、とろとろと思いながら眩しげに空を見あげたりすると、風に揺れる木だちの隙間の向うにある空の、その空色がやたらに眩しい、となるわけなのだ。木の葉や枝と空との、遠近が逆になっているように錯覚されるほどである。あまりの空色の強さに、木だちの色は葉も幹もみな同じに黒ずんで見えてしまう。だから、ぼくは風に揺られる木だちを眺めているのではなくて、木だちによって部分的に遮られて、模様のようなものを形づくっている夏の空を眺めることになる。そして、ああ、空が青い、と思う。どうやら夏は、光を多く抱えているもの勝ちの季節のようだ。
(2002.8.10)-2
書いたものを他人に見せる無謀な勇気がちょっと欲しい。いや、ここってさあ、誰か見てるらしい、ということだからさあ、都合によっては、誰も見てない、って思いこむことも十分可能なんだよねえ。ていうか、そうしてるし。実際に誰も見てなかったりもするし。
(2002.8.10)-3
部屋の戸口のところに、蜩が一匹あお向けになって落ちていた。止まる直前のぜんまい仕掛けのおもちゃと全く同じようにして、まえ足を前後に何度か振っていた。それでぼくは、蝉っておもちゃみたいな虫だ、と思ってドアを閉めた。それから、自転車の空気を入れ直して、空気入れを部屋に戻しに戸口の前にまた行ったら、蜩はもう動かなくなっていた。それでぼくはしゃがみこんで、それが蜩だと確認したのだった。明日の朝には、もうそれはそこにはないだろうと思う。だって、こんなに風が強いからさ。
(2002.8.10)-4
部屋の前の大家さん家の裏庭では昼は蝉がなく。夜はもう虫が二種類ほど鳴いている。鈴虫と何か、よくわからないけれど。そして、ぼくは思ったとおり、今日はまだ何にもしていないのだ。かき氷を食べるデートがしたい、なんて思ってデレデレしている。駄目駄目である。


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