tell a graphic lie
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(2002.9.1)-1
 はじめて始めから読み直しました。文がひどいのは知っていたので、ざっと添削しながら読んでいったのですが、読み進めるうちに、文がひどいだけではなく話自体がつまらないのだとわかってきて、いやそれも、何となくは知っていたのですが、読み進めるにしたがって、何となく、がどんどん薄くなってゆくものですから、読む速度がとても遅くなってしまいました。
 けれども、もう十日もかけて書いてきたものであるので、いちおう、始末はつけてしまいたいと思っていますので、できあがりましたらアナウンス、させて頂きたいと思います。
(2002.9.1)-2
まだなまえもつけてあげていないのだからほうりだすわけにはいかない。
(2002.9.1)-3
 しかし、全然書き始めることができない。久々に、気分がいいのである。キーボードの前に胡坐をかいて、ときどき寝ころがったり、肘に顎をのせたりしながら、何時間も自分の書いた情けない文章を前にしているような気分ではないのである。なんだかよくわからないけれども気づいたら出てきてしまっていた、年齢不詳の、性別不詳の、性格不詳、容貌不詳の、女の子(?)が、もうちょっと生きものらしく、人間らしくなってはくれないものかと、わいてくるはずのないよいアイデアや、書けるはずのないよい文章を探して、一日中部屋のなか外をうろうろし、煙草を吸い、煙草を吸い、煙草を吸い、ああ、酒が飲みたいなあ、など、酒瓶を見つめて溜息を洩らしながらひっくり返って、そのまま昼寝、結局一行も書けないまま、気がつけば日付が変わっている、そんな一日を送るような気分ではないのである。
 と、いうことで、渋谷に出て、お買い物。結構買い込む。白と青のスニーカー7.2k。秋用ジャージ14k。変則ボーダーの長袖Tシャツ5.4k。文庫本、モーパッサン「短編集(二)(三)」「女の一生」、ボオドレエル「詩集」(名前の書き方は、太宰に倣う)、佐藤春夫「美しき町/西班牙犬の家/他六篇」、芥川「奉教人の死」、ジッド「狭き門」、無門慧開(西村恵信訳注)「無門関」、しめて4.2k(高い!)。それから、年代物の文机38k。ところどころ傷があったり、湯飲みの底のまるい形した痕があったりとするのだけれど、ぼくも、どうせすぐに汚すことだろうし、畳の上で何やら書きものをするための、30cmくらいの高さの机というのは、なんだか今は、ないものらしいので、ずっと探していたこともあって、勢いをつけて買ってしまう。これを使っていた人はきっと、この前に正座して、手紙をしたためたり、帳面に記載をしたりしたのであろうが、ぼくは、クッションを尻にしいて胡坐をかき、キーボードをぶっ叩いたり、マウスをグワングワンいわせたりするのである。時代は変わる。そんなもんである。

(2002.9.2)-1
背骨がねえ、無いんだよねえ。一本、しゃんとしたやつがねえ。
(2002.9.2)-2
あー、もう、今日もダメ。
(2002.9.2)-3
 少し乱暴な言い方をすると、文がひどいのは、そんなに問題じゃあないんだ。前後一段落くらいを見わたして、いじいじいじれば、とりあえず、何となくは読めるような文にはなってくれるんだ。それは、数学だの物理だのの式をいじりまわして、それらしいものを導き出す、といったような作業と同じ類のもので、ある程度の法則性みたいなものが、日本語なのだから当り前なのだけれど、あるから、自分で気がつく範囲までやって、「先生、ハイ、できました。どうでしょか」って提出するだけの話で、それはさ、ただ単に「そうしようとする作業を、ある程度の時間をかけてすればいい」だけなんだ。
 けれども、それでは、ただ単に文を整えるだけで終ってしまう。それじゃあ、今まで恥ずかしげもなく、あんなひどい文のままで上げていた意味がない。ひどい文のままで上げていたのは、「必ず一度は書きなおす」ように仕向けるためで、それから、一度整形しきった文が惜しいからといって、削除をためらうようにはしたくなかった、からなわけで。「書きなおす」ということは、単純に文を整えるだけではなくて、「話を構成する文としては、それはどうなんだ」という目で見ながら書き換えてゆく、ということでして。それを判断するには、当然、何らかの基準やら指針やらが要るわけなのです。
 手法についてのそれと、形式についてのそれは、これは確かにある。すなわち、一人称で、自身のある行為に対しての、自身の感想やら評価やら自身が行った心理の記述やらをやる、ということ。早い話が、「女生徒」や「皮膚と心」の形態をやる、ということだ。通常の記述と、口語体の記述を適度に織り交ぜて、それらしく仕上げる。けれども、それだけ。他はさっぱりだ。何にもない。行き当たりばったりにもなれていない。
 まず、なにより、主人公の輪郭が全然はっきりしていない。いくら一人称だからといって、書く人間がそれでは、全然話にならない。決まっていることといえば、女の子で、都内のある会社に勤めていて、同棲をしていて、生活は、まあ、だいたいうまくいっている、というような実にあやふやなことだけだ。おかげで、女の子、かどうかすら疑わしい。いや、もしかしたら、それはいつまで経っても疑わしいかも知れないけれど。他の登場人物のほうがよっぽどハッキリしているのである。顔までだいたい思い浮かぶわ。
 それから、環境の設定、即ち「台風がやってくる日」というのが、ほとんど活かされていない。付属物程度にしか、扱われていない。そんなら、メインディッシュはどこにあるのかといえば、どこにもないのである。下っ腹がたるんでいるのである。それじゃあ、まるでぼくそのものじゃあないか。そ、そうか。ある意味、ぼくらしいのか。う、うぬぬ。とにかく、「台風」はメインディッシュであるはずなのだから、それ相応の扱いをしてあげるべきである。
 この二点を、最低でもどうにかしてからでないと、とてもではないが、書きなおす作業はできないのである。前半の文のテンションと、後半のテンションのギャップをある程度埋めるための作業も、どこを目指していいのかわからないのである。口語体の崩し方の程度も、それが決まらなければ手をつけられないのである。そして、何より、段落を削ったり、追加したりといった、多少大掛かりな修正を行うことができないのである。
(2002.9.2)-4
 それから、地名、駅名、人名等、実在のものを使用するか、それとも、今のまま東京近郊某所というふうにしておくか、というのも、ある。
 実在する場所を使う場合は、近くの小田急梅ヶ丘駅周辺ということにしたいなあ、なんて思っている。駅の周辺の雰囲気が好きなことと、その近くでかわいい子をたくさん見かけた。。。というのは、冗談。でも、そうすると、不都合が結構起きてきてしまって、まず、篤志の勤め先を確定しなければいけない。ということで、ちょっと近くの美術館を調べてみたら、部屋のすぐ近くに、向井潤吉美術館というのがあって、ほんと、部屋から自転車で5分くらいだったりして、うーん、一度観に行くべきか、など思ったりなどする。他にも、砧公園にも美術館がある。それから、世田谷区は、ドブ川をコンクリートで蓋をして遊歩道にしてしまったり結構しているので、小さいドブ川がなかったりもする。また、主人公の勤め先が、新宿に確定してしまうので、そうなると、小田急線にも一度乗って、記述を追加しなければならなかったりする、等々。結構めんどくさい。

(2002.9.2)-5
 あからさまに、お手本があるので厳しいのである。いや、「女生徒」も、「皮膚と心」も短篇集の表題作になるほどの、「女生徒」などは賞を取るほどの作品なのだから、むこうはろう、というのが既に間違いなのはわかっているのだけれど、そんなこといっても、自分の中では、ままで比較できるので、悲しいのだ。「女生徒」などは、綿矢氏が「共感できる」などという、コメントを発していることでもあるし、気に、なるのだ。
 それはね、「女生徒」や「皮膚と心」というのは、つまり、こういう感じのものでしょう?という、太宰の一読者としてのぼくの、彼に対する解答でもあるのだ。下手だろうが、なんだろうが、ぶぶー、はずれ、「不可」。それはいやなのだ。落第は、したくないのだ。単位が欲しい。「可」が欲しい。

(2002.9.2)-6
これで何とか、いけるでしょう。というのを、たとえ独り善がりでもなんでも、そういう気分になってからでないと、触ってはいけないのだ。ぜったい、そうなのだ。それで、「こんなんできました」って言って、コトリと置いてみるほかに、無いのだ。
(2002.9.2)-7
そりゃあ、全人格を込めて撃ち出せる文章のほうがいいに決まってるさ。けどね、とにかく、ぼくにはそれをする能力が無いのさ。
(2002.9.3)-1
小川未明の童話は、すごくいいのである。素晴らしいのである。童話のうちの、みんながみんな寓話でなければならないことなんて、ない。ただ、ひたすらに、良い文で書かれた良い話であればいいのである。それだけで、いいのである。
(しいの実)
 田舎からきている、おたけのところへ、ある日小包と、それといっしょに、小さな妹からの手紙がとどきました。小包をあけると、お母さんのこしらえてくださった羽織と、袋にいれたしいの実が出てきました。
 おたけは、つぎに、妹のよこした、手紙を開いてみると、
「今年も、神社の森のしいの実がたくさん落ちたから、ひろいにいきました。弟をおぶってひろうのだから、ほかの子のように、よけいにひろえなかったので、ざんねんです。去年は、姉さんとたくさんひろったのを思い出して、いまごろ、姉さんは、どうしていなさるだろうと思っています・・・・・・」
 おたけは、読むうちに、だんだん、お母さんや、妹のことなどが思い出されて、涙が目に浮んできました。
「坊ちゃん、こんなもの、田舎からおくってきましたから」
 おたけは、義雄さんや、澄子さんのいる前へ、しいの実を出しました。
「どんぐりを送ってきた?」と、義雄さんは、珍しがりました。
「しいの木の実でございます」
「まあ、これがしいの木の実なの」と、澄子さんも、目をみはりました。
 都会では、めったと、どんぐりも、しいの実も、見ることがなかったのです。
「どうして、たべるの」と、二人は、ききました。
「生でも、たべられますが、いってたべるとおいしゅうございます」
 こうおたけが、いったので、お母さんにお見せして、さっそく、おたけに、いってもらいました。
 あくる日、義雄さんは、しいの実を、すこしばかり、紙につつんで、学校へ持っていきました。遊ぶ時間のことです。
「竹中くん、いいものあげようか」と、義雄さんがいいますと、
「義雄くん、僕にも、おくれよ」と、二、三人、まわりに寄ってきました。
「これは、うまいよ」と、義雄さんは、かくしから、しいの実をだして、自分が、まず一つからを破ってたべてみせてから、みんなに、すこしずつ分けてやりました。
「これはなんの気の実だい」
「義雄くん、どんぐりみたいだね」
「まあ、たべてごらんよ」
「たべられるんだね」
「君、どんぐりの実をたべると、つんぼになるというぜ」
「つんぼでない、おしになるというんだろう」
「おしになったら、たまらんな」
 みんなは、口々に、こんなことをいって、笑っていましたが、義雄さんが、平気でたべているのを見て、安心したものか、めいめいが、からを破ってたべました。
「うまいものだね、これ、なにの実なの」と、竹中がききました。
「義雄くん、なんの木の実」と、小田が、ききました。みんなが、都会で生まれて、この木の実の名を知らなかったのです。
「どんぐりの実さ」と、義雄さんが、笑って答えると、みんなは、目をまるくしました。その中でもいちばん、神経質な小田は、顔の色をかえてしまいました。
「おい、じょうだんじゃないぜ。僕たちはみんなおしになったり、つんぼになったら、どうするんだい」と、ひょうきんな、高井がいいました。またみんなは、思わず笑い出しました。
「安心せいよ、しいの木の実だから」と、義雄さんが、教えると、
「これが、しいの実かい。なかなかうまいものだね」
「義雄くん、もっと、おくれよ」
「もう、ここにないから、あしたまた持ってきてあげるよ」
「まだ、うちにあるんだね。たくさん、持ってきておくれよ」
 みんなが、はればれした顔をして、こんなことをいっているとき、鐘が鳴りました。
 その晩、義雄さんは、お母さんにつられて暮れの街へ出かけました。澄子さんは、バザーの日が近づいたので、お家で、セーターを編んでいました。
「私も、いっしょにいきたいのだけれど、いかれなくてつまらないわ」といいながら、しいの実を食べたり、また、編み棒をうごかしたりしていました。
「このしいの木のあるところは、さびしいとこ?」と、澄子さんは、おたけに、たずねました。
 おたけは、ふるさとの林の景色を目に描いて、雪の降る時分になると、山から、うさぎが落ちているしいの実や、いろいろの木の実を拾いにくることなどを話しました。
「このしいの実は、妹さんが、拾ったの」と、澄子さんが、ききましたから、二つになる、弟を負って守りをしながら、拾ったということを話しました。
 澄子さんは、下を向いて、毛糸を編みながら、風のさらさらとこずえに鳴る、さびしい田舎の景色を考えていたのでした。
 バザーに出すという、セーターは、やっとでき上がりました。澄子さんは、それをお母さんにお見せすると、
「まあ、器用でないのね、いかを焼いたように、かっこうがわるくちぢんでしまったのね」と、おっしゃったのですが、しかし平常しつけない技術であり、これよりうまくは、できぬと思ったから、澄子さんは、それを宣教師の先生のところへ持ってまいりました。
 先生は、おばあさんでしたが、たいそうやさしい人でした。生まれは英国とかいいます。世界大戦の時分に、ベルギーにいて、困る人たちのために、いろいろお骨おりをなされたのでした。その時分の話を、なにかにつけてなされたことがあります。そして、こちらにきてからも、貧しい人たちのために、つくされたのでした。せめて、お正月のおもちなりと、そうした人たちにくばりたいとの心から、こんどのバザーを催されたのでした。
 先生の前へ、澄子さんは、きまり悪そうに自分の編んだ、子供のセーターを出しました。
「おお、かわいらしいこと、これは、きっと小さな男の子に向きますよ。どうもありがとう」と、先生は、喜んでお礼をいわれました。澄子さんはうれしいなかにも、はずかしかったのです。そして、心のうちで、やさしい先生だと思いました。
 家に帰って、そのことを、お母さんにお話すると、
「いい先生ですね。もし澄子のセーターを、だれも、買い手がなかったら、お母さんが買ってあげますよ」と、おっしゃいました。
 いよいよ、明日から、バザーがはじまるとなると、澄子さんは、
「私のつくった、セーターは売れるかしらん」と、なんとなく、気がかりになりました。
 第一日には、いろいろの品が、売れましたけれど、澄子さんの、セーターは、まだ残ったのです。そして、その翌日、お母さんが、バザーをごらんなさりになって、買ってくださいました。
「澄子、やはり、いいと思う品から売れていきますよ。このつぎにはもっと、上手におこさえなさいね」と、お母さんは、おっしゃいました。
「お母さん、このセーターを、おたけのうちの子供にプレゼントなさいよ」と、義雄さんがいったので、みんなは、ああそれがいいといって、おたけから、小さな弟に送らせたのです。しいの実をのせてきた、汽車は、こんどは、青い色の、かわいらしいセーターをのせてゆきました。その田舎には、雪が降っています。

(野ばら)
 大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。
 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。
 二人は、石碑の建っている右と左とに番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。
 初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝いているからでありました。
 ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集っていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。
 二人は、岩間からわき出る清水で口をすすぎ、顔を洗いにまいりますと、顔を合わせました。
「やあ、おはよう。いい天気でございますな」
「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持ちがせいせいします」
 二人は、そこでこんな立ち話をしました。たがいに、頭を上げて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感じを見る度に心に与えるものです。
 青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向かい合って将棋を差していました。
 初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落して差していましたが、しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。
 この青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつでありました。二人はいっしょうけんめいで、将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。
「やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん」と、老人はいって、大きな口を開けて笑いました。
 青年は、また勝ちみがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝かしながら、相手の王さまを追っていました。
 小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送ってきました。
 冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方を恋しがりました。
 その方には、せがれや、孫が住んでいました。
「早く、暇をもらって帰りたいものだ」と、老人はいいました。
「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます」と、青年はいいました。
 やがて冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、なにかの利益問題から、戦争をはじめました。そうしますと、これまで毎日、仲むつまじく、暮していた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。
「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても少佐だから、私の首を持ってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください」と、老人はいいました。
 これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、
「なにをいわれますか。どうして私とあなたが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北の方で開かれています。私は、そこへいって戦います」と、青年はいい残して、去ってしまいました。
 国境には、ただ一人老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、老人は、茫然として日を送りました。野ばらの花が咲いて、みずばちは、日が上がると、暮れるころまで群がっています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞えなければ、黒い煙の影すら見られなかったのであります。老人は、その日から、青年の身の上を案じていました。日はこうしてたちました。
 ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終ったということを告げました。
 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
 老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったくの夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野ばらが枯れてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。

(2002.9.4)-1
今日は少しだけ涼しい。夏休みが終ってしまったので、会社の前の公園は、またひっそりとして、それが、浮んでいた何かがまた元の場所へ沈んでいった、というような感じをぼくに与える。あ、これ現代文学風。いやだ、やめやめ。
(2002.9.4)-2
風も吹かない。何にもないような日であって、空の色はやんわりと暖かいし、蝉のうるさい声も、いつの間にかどこへやら行ってしまって、そこをぼんやりと歩くぼくは、ぼくの溜息に気がついた。けれどもその溜息は、普段ぼくがここでわめき散らしているような、あの薄汚い塊からかすかに染み出した冷気からなる暗鬱の風ではなく、日曜買い物へ行った際に"Journal Standard"で見かけた、コートのせいなのである。物欲なのである。仏国製の、左右のポケットがちょっと大きめだというだけの、何の変哲もない茶色いコートである。襟などは丸っこかったりするのだが、ちょっと生地が硬めであろうか、全体としてはパリッとした印象である。裏地は控えめなチェック柄になっている。欲しいのである。もぞもぞ袖に腕を通したいのである。78k。あの控えめな光沢と、この値段から、察するには、おそらく、カシミヤなのであろう。カシミヤ、うむ、非常に大人な語の響きである。あのコートを着て、それから、渋い柄のハンチングを被れば、完璧である。きっとまるで似合わないだろう。うむ、是非欲しい。誰か、買ってください。ぼくには、お金が無いので、買えません。店員さんに、「無理すんなよ」っていう顔されそうです。サイズはMでいいです。うう、欲しい。真冬になれば、4割引か半額ぐらいになっていないものだろうか。それまで売れ残っていてくれないだろうか。など、溜息をついている。眉間にしわのよるのも、このように様々である。
(2002.9.4)-3
東京は、自動車の流行り廃りが実にハッキリしています。今は、VWのパサートとAudiのA4がスマートに走り回っています。あとボルボのV70,90あたりがパラパラ。まあ、メルセデスは別格ですけど。A4は最近ちょっと、ずっと残れる車ではないなあ、などと思い始めましたが、パサートの方は、3年後もそれなりに見かけたりするのではないかなあ、と思っています。セダンもワゴンも「国民車」といった感じの洗練され尽くしたデザインで、とてもよろしい。VWは素晴らしいです。対抗馬は、やはり日産スカイラインであろうと思います。こちらも、ずっと残る車だろうと思います。丸型テールを切ったのは伊達じゃありませんでした。あとは、RX-7をよく見かけます。みなさん、思い思いに丁寧に、お金をかけて細部までいじってある感じが、どの車からもします。でかいリアウィングっていうんですか、うしろのやつ、あれをつけてる人が結構いて、「それはちょっと、やる気出しすぎでない?」など思う車もありますが、RX-7はいいデザインです。10年以上たっても、全然古くない。新しい、とすら思います。日本車ナンバーワンかもしれません。RX-8はゴミデザインですが。それから、日本製スポーツカーでは180SXをよく見ます。これも、みな大事に乗ってる感じがするものばかりです。シルビアとくっつけたヤツもこの前どっかで見ました。あんまり格好よくなかったけど。外車ではポルシェが多いです。販売店が近いせいもあると思うんですが、小さいのが都会向きなんだろうと思います。新しいフェアレディはなんていうか、ポルシェに喧嘩売ってる気がするので、売行きが楽しみです。フェラーリとかランボルギーニもたまに走ってます。うるさいです。あと、GTRをあまり見ないのは少しさみしいです。でも、黒NSXでボボボボやりながら、毎日通勤する人もどうかと思うので、やっぱりスポーツカーは古いのかもしれません。ということで、最近のいちおし車はパサートワゴンであります。ゴルフの方がかっこいいんですが、やはり新しいので、こっち。
(2002.9.4)-4
こんな無駄話を書いている場合ではないのですが。た、台風こねえかなぁ。
(2002.9.4)-5
 ぼくはそれに対して答える。「それは違う」けれども、ぼくはそれを証明する力を持たないので、それを口にする権利はないのである。それは、ただ個人的な確信でしかないのだから、ここにメモとして記すに留める。
「大人になるということは、正確な意味で、自身の汚れを認知し、それを内包しながらも、生きることは止めないのだと、自身に対して確固たる宣言をすることである」この際の、「生きること」の表すものについては、面倒なので今は避ける。それの厳密に定めるところを記述するには、大変に澄み渡った頭脳が最低一ヶ月以上持続することが必要であろうと思う。
 それから、「寛容」というのは、状態や行為を観察した結果を記述するための言葉であって、精神についての記述ではない。したがって、それを用いて精神を記述するということは、そこに何らかの、ぼくの言うところの、「逸らし」が存在することを暗に容認したことになる。「大人になること」を、そのようにして述べるのであるならば、確かに「決して汚れることというわけではない」だろうと思う。
 この話はおそらくは、所謂「弱さを認める強さ」というものを、どう扱い、どう捉えるかの問題であろうと思うが、この強さを持たない状態を「若さ」とすることには、ぼくも同意する。ところで、その宣言を明文化しなければ、それを得ることができない人間がこの世で最も愚かな人間であるという見方には賛成するかね。
(2002.9.5)-1
殻だけの卵。
(2002.9.5)-2
水素よりも軽かったので、消しました。
(2002.9.5)-3
えかくのを止して、もう数ヶ月にもなってしまうので、こういうどうでもよい気分の日には、ぐじゃぐじゃかきたくなってくるんですけど、もったいないのでやめときます。せっかく止したんだから、止めつづけたいよな。
(2002.9.5)-4
だって、もともとそのケがあったから、そういう発想になるんでしょう?その二つを平気で並べる人なんて、そうはいないよ。
(2002.9.5)-5
そうか、「台風」自体がメインなのではなくて、「それに追い立てられる」ということがメインなんだ。台風が近づいてきているということと、自分がした朝の宣言に忠実であろうとするところと、それを信じて待っている人があるということと(しかも、まことに都合のよいことに、その日はその人に対して、普段持つことのあまりない、後ろめたさを多少感じている)。フミフミ("ふむふむ"は飽きたので。。。)歌劇「魔王」をみならえばよいのか。「おとうさん。おとうさん。魔王が追いかけてくるよ!」フメフメ(活用を、してみるのだ!)
(2002.9.5)-6
わかってしまえば、単純だわ。素直で気弱なよい子の方へ修正すればよいのだわ。そうして、そういう子が微妙に感じる、あの妙な焦燥をいろいろダラダラと書きつづってあげればよいのだわ。よし、明日からやりましょう。今日はもう眠い。「皮膚と心」一回読んで寝る。
(2002.9.7)-1
小川未明を読んでいるときに、いつものように、何か理窟を探そうとして、うっかりと、それを見つけてしまうと、実に損をした気持になる。できたら、良い話だ、悪い話だ、という評価も、なしで読みたい。子供のころ、ただ意味もよくわからないまま、なぜか毎日同じ本を手にとって母親のところに持ってゆく、ああいう心もちで読みたい。構成がどうなっている、これが序、ここから本編、キャストの数、場面の数、主題はこれだ、構造としてはこういったもので、ほら、ここが展開する場所で、ここが戻ってくる場所で、ここでこの文がかなり踏ん張っている。。。短いし、質がものすごく高いので、そういうのがよくわかるので、どうしても、やってしまうのだけれど、それも損している気がする。君、小川未明の童話は、いいのだよ。
(2002.9.7)-2
 先週買った文机が今届いたので、これはテストになるのですが、いや、なんのテストをしているのかといいますと、思っていたよりも高さがあって、今までよりも10cm近く、キーボードの位置が高くなってしまうのであります。正座をするとベストの高さなのですが、ぼくは胡坐、ですので、この10cmが結構いたいのであります。(ここから、正座)うむ、よい高さ、合理的であります。正座をして、背筋をしゃんとさせると、エクセレントな高さであります。けれどもそれは、ワタクシにとって、もっとも不自然なる高さであります。長時間の作業に耐え得ないのであります。これは、何とかしなければならない。(もう正座に耐えられなくなって胡坐に戻る)あ、でも、これは肘をつく高さとしては非常によいようです。ふむ。。。(机に肘をついて、手に顎をのせている)そうだ。(キーボードを遠くへやって、タイプ中でも、両腕の肘までが、机についているようにして打ってみる)はじめの一歩。(テストタイピングのようだ。感じとしては、いまいちであったようで、またキーボードを近くに戻して、また肘をつく)これは、やはり、座椅子が必要であろう。それをもって尻の高さを更に10cm上げてやる必要があろう。
 とにかく、ディスプレイを置いた棚の下に収まらないので、棚の高さをまた調節しなければならない。それから、文庫本が、なんだか知らないが大量になってきてしまったので、これを収める法も検討しなければならない。二段で収めようとすると、また、棚の高さが足りないので、こちらもついでに、二段になるのを見越した高さに修正しなければならない。ああ、面倒だ。こないだやったばかりじゃあないか。もう変更ですか。この棚は2cm間隔くらいで高さを選べるものなのですが、こういうのって、ダメね。もう、いじいじこだわってしまって、高さを変えて、載せていたものを全部戻して、いつもの位置に坐ってから、「うん、しっくりこない。やり直し」みたいな話になって、いつまで経っても終りませんものね。そろそろ、このキーボードの高さにも慣れてきましたし、まあ、いいでしょう。座椅子は、おいおい探すとして、とりあえず、ざっと拭いてしまいましょう。(拭く)どうでもいいんですが、引出しの中にフェルトペンか何かで落書きがあります。カタカナの「ヤ」と「マ」を練習したものと見られます。あと、手塚治虫のキャラクターが描かれたシールが貼ってあります。どうやら子供の勉強机だったようです。引出しを開けるとお香の匂いがプーンとしますので、仏間がちゃんとあるような家にあったものと推測されます。筆跡から察するには、これは男の子ですね。うーん、残念(なのだろうか)。  これから、棚の高さを変えたり、机代わりにするために、横に倒されていたスピーカを縦に戻してあげたりと、部屋の模様替えに近い作業を開始したいと思いますので、皆さん、しばしの間、ごきげんよう。
(2002.9.7)-3
 はい、こんにちわ。お元気でしたか。部屋の模様替え終了いたしました。実にいろいろとすっきり収納されましたので、ただいま大変に満足な気分であります。あとは、どこぞで二段組みの小さな文庫本収納棚などを探してまいれば、今後も増えるであろう文庫本の増加にも対応ができると思われます。スピーカ二つもようやく立ちましたので、現在は音の中心が丁度ディスプレイの中心、表面から20cmくらい中に入ったあたりにあるような感じになりまして、ここに越してきて既に一年半になりますが、これで、ようやくまともな音の環境になったわけでありまして、感無量であります。また、文机の高さにも、下にクッションをしいてやれば、そんなにひどい違和感もありませんので、これはじきに慣れてしまうものと思われます。
 しかし、机があるのが、こんなに単純に嬉しいとは思わなかったなあ。表面には、もう、ヒビが入っていたり、棒の先のようなもので叩かれたのか、凹凸があったりして、下敷きをしかないと実際の書きものはできないのですが、学校に自分の机があった時代、小中高にあたらしい自分の机をあてがわれたときに、それまでの使っていた人の痕跡を丁寧に調べて、何やら微笑ましい想像を膨らませる、というような悦びでありまして、頬をつけてみたりなどしております。
 やっぱり、木の机がいいです。

(2002.9.7)-4
 母上が、最近どこぞの講習に出席して、本格的にインタネットを覚えたようでして、けれども、始めたものの、周囲にあまり仲間もいないようでして、仕方なくワタクシにメールを送りつけてくるようになったのであります。
 我が母上は、保母でございまして、平日は自宅に子供を預かり、子守りか乳母か婆やか、といった態の生活をしているのですが、ワタクシも実家にいたころは、そのガキどもとべたべた戯れたりなどした記憶がございますが、その子供らは、二人をずっと預かっているのですが、はや三歳でございまして、もう随分と賢く、慧く、ばりばり日本語を喋り、何か隠しごとをしたり、ひとを騙したり、いろいろと誤魔化したり、強者に媚び諂ったりするようでございまして、可愛いさかりなのだそうでございます。この夏なども、平日には庭にビニルプールを持ち出して毎日水浴、元気に遊び、午後からは3時間も4時間も一緒になって昼寝をするといったような有様だそうで、ワタクシ少々失笑しておる次第なのでございますが、更に、こともあろうに、そのようなだらけた生活にも少々倦んでいるのだそうで、ワタクシに、「以前書いてよこしたのと同じようなのはまだ書いているのか。書いているなら、見せてたも。わらわは日々退屈なのでおじゃる」などというような内容のメールを送りつけてきたのであります。以前というのは、たしか3月くらいだったと思いますが、何かの都合で実家にメールを送った際に、ぼくは最近はこんなことをしています、というようなことを伝える意図で、ここに置いたものの一つをつけて、送っていたのですが、どうやらそれを覚えていたようなのです。
 けれども、母上に見せられるようなものは、ワタクシ書いておりません。そのことが、そのメールを読んで、久々に実感されまして、大変に情けなく、バチあたりな息子で申し訳ないと思いますが、とにかく、そのようなものは書けませんので、母上に返事のメールを書くのも自然とおっくうになってしまいまして、それでこうして、ここにいいわけを書きつけている次第なのであります。

(2002.9.7)-5
ぼくはもう、あそこには戻らない。
(2002.9.8)-1
自身の職業に関係して自殺をする人間のことを、以前は理解し難かったけれども、最近それに多少の変化がある。
(2002.9.8)-2
文章の、他の媒体と決定的に異なるところは、書き手と読み手が一対一になることだ。個人対個人になる。一対複数というのは、あり得ない。必ず、一対一だ。その理由はね、多分、それが向き合う場所は、他のどんなものよりも、直接的に精神的(変な言いまわしだけれども)だからだよ。同じものを見て、同じものを聴いて、同じ行為を通じて、同じ物へ向って、というのではなくてね。それは、複数であることが可能なのだけれども、直接に思考なり、感情なりに、アクセスするようなものは、そうならざるを得ないんだ。三角関係というものは、あるかもしれないけれども、あれは、一対一が三つある、というだけのことで、三人で、完全に同じものを共有しているというわけではないだろう。これはね、文章の長所でもあるけれど、同時に致命的な欠点でもある。だけど、ぼくはこれを強調したい。『文章にしかできないことというのは絶対に、ある』よい映画や、スポーツ、プロダクツ、サービスを観ていると思うだろう。百人がかりには、どうやっても敵わないなあ、って。はじめから、勝負にすらならない。もともと違うものなんだ。文章ってやつは、みんなを一斉にどうにかするものじゃあないんだ。ひとりひとり説得して、微笑んで頷いていってもらうものなんだ。本来、実に心細いものなんだよ。ホントかな。なんだか合っていそうな気が、すごくするんだ。だから、使う弾丸は、散弾でも、砲弾でも、爆弾でもない。38口径さ。ぼくは文章を、手作りの小さな弾丸だと思っている。狙いをつけてぶっ放すけれど、当るかどうかなんて、全然わからない。相手が、物陰に隠れて出てこなければ、それで終わりだ。当ったって、小さな弾丸だ。よっぽどのことがなければ、倒せない。連発も、あまり得意ではない。一発一発の火薬の量を間違えれば、きちんと飛ばないだけならいいけれど、悪ければ暴発する。ぼくは不器用なので、未だにその辺のうまいやり方がいまいちわからない。他人の書いたものはみなよく見える。いや、実際によいのだと思う。ぼくのは、だめだ。宙を歩くようだ。不可解で、無意味だ。盲目であることに頼っている。足場が、ないんだ。きっと、できないことをやろうとしているんだ。いや、卑屈に過ぎる。そうだ、これだからいけないんだ。花園にいて、我が足に踏みつけられたる、数本の花ばかりを想う。空と太陽は、よし。我が手に触れること、決してあらじ。お前には、身を焼く苦悩が、確かに、無い。
(2002.9.9)-1
つまりそれは、「対座する」ということかな。
(2002.9.9)-2
百篇に余る、か。あながち。。。そろそろ、載せかえるようにしてゆかなければならないだろう。少しずつ。他人の口もて、全てを語らせよ。「たましい」なのだ。あはは、くだらねえ。
(2002.9.9)-3
あそこで、もっと踏ん張らないといけないんだ。ほんとは、あそこからが本番なんだ。
(2002.9.9)-4
貴乃花が今がんばっています。ひとの力のよきところを見せようとしています。ぼくの吐いているような、こんな言葉ではありません。彼が居るべき場所で、すべきことをして示そうとしているのです。ぼくなどは、黙ってただ見ているより他ありません。そうして、全てがいいようになってくれるよう、小さくお祈りするだけです。これが済んだあと、あのひとに、何らかの栄光がありますよう。それだけを祈念するのです。
(2002.9.9)-5
テーマを与えられて、それについて何か書く、というのは、ほとんどやったことがないので、苦手である。お題「都会の朝の曖昧さについての雑感」
(2002.9.9)-6
今日すれ違った人びとの人数を知っていた日は、ありますか。ビルの壁面のタイルの数枚に、陽光の円い形があらわれていたことを、覚えていますか。コンクリのひびの間から生えた雑草の葉の一枚の上にある朝露の一粒に触れてみたことはありますか。都会の朝が終って、都会の昼になる時間を知っていますか。いつもと同じ道をゆくときに、何を考えますか。言葉でないことですか。愚痴の類ですか。水を打ったり、戸を開けて、朝日のまぶしさに手をかざしてみたり。挨拶は、何度口にしますか。目覚めなければよかったのにと、思いますか。「いいえ、今朝、蕾のひとつ開いているのを見つけました。それで、十分です」
(2002.9.10)
 ぼくの日本語文法に誤りがあった。ひとつは間違いがはっきりしている。もうひとつは知識が足りず、確定できていない。ぼくは日本語文法をまともに知ろうとしたことが、一度もないので、こういうことになる。国語の授業なんて全く聞いていなかった。らくがきをしているか、遊んでいるか、ずっと教科書の中の小説を読んでいた。必要ないと思っていたのである。そんなことはもう既に知っていることじゃあないか、と思っていたのである。間違いであった。くそ、少し泣きそうだ。
 わかっている方の間違いは、助動詞の用法である。助動詞には、「回想」を示す機能を持つ「き」「けり」「けむ」(文語)「た」(口語)がある。回想・追憶について記述する際は、当然これらを(普通は「た」だけだ)を多用する事になるのだが、その場合、文の末尾の多くが「た」で終る事になり、複数の文の集合として見た場合に単調な印象を与えるので、各文の構造に多少工夫を凝らすなどして、単調な印象を極力薄めることが必要になる(これは、実際には回想・追憶を扱う際ばかりの話でもないのだが、回想・追憶を扱う場合は、記述に客観のものが多くなることもあり、特にその傾向が強くなる)。ぼくが間違っていたのは、この単調さを減ずるための方法の一つとして、「回想」の助動詞の終止形を使わずに、通常の、助動詞を用いない動詞の終止形を適度に取り混ぜる、という意識を持って記述を行っていたことである。以下、広辞苑からの引用になるが、『助動詞とされる語のうち、「る」「らる」「す」「さす」「しむ」は、動詞の作用自体の自動(通常、受動・自発・可能・尊敬に区分する)・能動(通常、使役とする)を示し、事態を述べる語である(以下略)』とあるように、「する」「いる」等を回想・追憶の記述で使用する際には、『事態を述べる』場合に使用するべきであり、状態を記述する際に現在形を用いるのは、基本的に誤りなのである。そのような基本則を識らずに、分布を見て、などという視点でそれを使い分けると、あのようにひどい文章ができ上がるのである。はっきりとした違和感が出るのである。
「水の流れるように、思いつくままに書き下す」とはよく言うけれども、貧弱な精神しか持ち合わせていないぼくは、それでは記述に対しての最低限の集中力を維持できないのである。それで仕方なく、後から更に文を追加して重ねてゆく事になるのだけれど、そうすると、「水の流れるような」は感じは、やはりどこかへいってしまうのである。いびつになるのである。そのために、また仕方なく、当初の「水の流れるような」感じに近づけるために、今述べたような修正作業をせざるを得ないのである。本当は、このような作業をすること自体が間違いなのかもしれないのだが、それはそうとして、とにかくその作業法に誤りがあった。
 もうひとつの、よくわからない方は、文語と口語の分類と、その用法についての一般的な規則である。ぼくの言う文語と口語というのは、先ほど出てきた「き」「けり」「けむ」などを使う文章を文語といっているのではなくて、現代文における文章用にある程度正規化された文体と、そうでないもの、というような意味である(文体、という言葉を当てはめるのはよくないかもしれない。実は「文体」とは、文章形式のどこまでの領域を表す語なのか、正確には知らないのである)こちらは、前のものほど、具体的に記述できないのが、それは例えば、『今書いているこの文の集まりの中で、「それで」とか「そうすると」、「しか」「のだけれど」「とにかく」などの言葉の使用は、低能に見える』ということである。更には一人称として「ぼく」を使用することなども、それに含まれるかも知れない。これは、文語と口語という問題ではなくて、論述文法の話になるのかも知れない(そんなものが本当にあれば、の話だが)。
 基礎がなっていないのである。他にも、まだ様々な間違いがあるように思うが、基礎を識らないので、気づくことすらできないのである。良し悪し以前の問題で、話にならない。
(血の海)
 あすこにいた人間たちの肉は、崩れゆく塔の、その瓦礫と共に高々と積み上げられ、その血は硬く凝固して、天界の門まで届く階段を造った。
 勇者に牽きたてられた人間たちは生贄。その絶望とその悲鳴は、我らの神への手土産、極上の供物。
 崩壊の轟音は、勝利の凱歌。すすり泣く声と復讐の誓いは、至福の子守唄。百年の時を超えて、永く我らの心臓に響く。
 ああ、我らが勇者の為したことは、なんと偉大なことであったか。
 ああ、そして、それが我らの心にどれだけ誇りを取り戻させ、勇気を湧き起こらせたか。
 真の正義は、我らの許にあり。
 怖れることは無い。この戦いの先には、真の勝利と、神の祝福がある。

 聖戦だ!
 聖地を奪い返せ!
 我らの神の至高を守れ!
 我らと我らの祖先の誇りを、尊厳を取り戻せ!
 我らの信仰を確固たるものにせよ!
 我らの全てに、千年の安全を獲得せよ!

 我らを懼れぬ異教徒の豚どもに、思い知らせてやらねばならない。
 我らの深い意志を見せつけなければならない。
 我らの、この命の価値を知らしめねばならない。
 あの者たちは、血の色を、臭いを、熱を忘れた者たちだ。
 自身の為すことが、略奪と搾取と侮辱に満ちていることを識らぬ。
 自身の為すことが、驕慢と怠惰と軽視とから起ることを識らぬ。
 緩慢なる虐殺であると、心臓深く教えこまねばならない。
 罪深い者たちには、赦されざる罪の確然たる自覚の許に、断頭台の階段を自ら進んで歩ませねばならない。
 そして、その断頭台の先すらも、決して赦しであってはならないのだ。
 永遠の懼れを、罪の自覚を骨の髄にまで浸透させねばならない。
 血と崩壊からでなければ、完全なる悟りを決して得られぬ、あのバーバリアンどもに、身体深く、遺伝子にまで及ぶ懼れを与えるのだ。
 累代の侮辱はそれを通じることのみによって、はじめて救われ得る。
 我らの未来の平穏は、それのみによって打ち立てられ得る。

 信ずるがよい。
 我らは必ずや、そのような決定的な勝利を収めることができる。
 我らの未来には栄光がある。
 信ずるがよい。
 我らは血を惜しまぬ、誇り高き聖教徒だ。我らの未来のために殉じよ。
 流された血は、全て我らが神の慰藉を享けるであろう。
 その霊魂は、必ずや清浄なる地へ運ばれるであろう。

 まず、あの者たちの魂に届くほどの深い侮辱を与え、あの者たちの精神を憎悪と怨念に狂わせるのだ。それを以て、あの者どもの精神の視界を奪う。
 誤った正義の旗を掲げさせ、熱狂し、固執させろ。
 究極の時まで、自身に疑いを持たせてはならない。
 その歩みこそは、奈落への行進であると、決して気づかせてはならない。
 鉄の意思と、高い昂奮を以て、その路を真直ぐに突き進ませるのだ。
 ひた走りに、走らせるのだ。
 我らの流す血を渇望させるのだ。途絶えぬ血の渇きを、擦り込むのだ。
 それなしでは一秒の安息も得られぬようにするのだ。
 そして、我らは誇り高く、正面からあの者たちとあい見え、決して背を見せることなく、凄烈なる闘争を、各々力尽きるその瞬間まで継続する。
 倒れた我らの同胞から流れ出たる清き血よ、真紅の海を生せ。
 その海は深く広く、あの者たちの足元へ及び、その靴を濡らし、紅く染め上げる。
 尚も海はいよいよ濃く深く、膝にも達し、腰に達し、首まで到達する。
 そうして水没してゆく、自身の身体にも気づき得ぬほどの狂気を、あの者たちの中に、まず呼び起こすのだ。
 憎悪と怨念の狂気に、殺戮の快楽の恍惚を加え包んで、人類たる感覚を失わせるのだ。
 血の海を、あの者たち自身に育てさせるのだ。
 そして遂に、我らの血によって創られた赤い海が、あの者たちを飲み込み、その呼吸を完全に奪うとき、溺れるあの者たちの内には自らへの根源的な否定が起る。
 それがあの者たちの精神を破戒する。歴史を破戒する。土台を滅する。
 代わって未来永劫消えること無き罪の記憶が、あの者たちの血統へと刻み込まれる。
 我らへの不変不断の懼れが根本へと植え付けられる。
 人で無くす。

 それこそ、我らの勝利だ。
 我らの、聖戦だ。

(2002.9.12)-1
今時、このような大時代な代物がある程度見れるとすれば、それは檄文の類の中だけではないだろうか。この調子で、自然の美しさや、恋愛の興奮を扱ってみたところで、失笑を買うだけだ。
(2002.9.12)-2
あの一連の崩壊で死んだ人間の数は2801なのだそうだが、一連の復讐によって死んだ人間の数をぼくは知れない。英国のシンクタンクがある数値を今年のはじめあたりに出したことを思い出している。即ちアフガニスタンへの米国の攻撃によって犠牲になった人間の推計値。宗教的儀式の生贄として死ぬのと、座標誤入力のための爆死や、早とちりの勘違いのために蜂の巣になって死ぬのとでは、果して違いがあるだろうか。残念ながら、これらの死はセットだ。切り離して扱うことはできない。建前の美しさや効用は、ぼくも知っているつもりだが、あまり意思にまで結びつかない。やりたいなら、やればいいのだ、と匙を投げる。そして、あることを実行する能力を持つものは、少なくともそれを行う権利を有している、と言ってしまってもよいか。また、その存在を意味付けする最大の目的を達するための行為を、定期的におこなわない組織は腐ると思うか。それは、そのためだ、と言ってしまっても、よいか。即ち、米国国軍の組織引き締めのために、また新たな的を探しているのだ、と。敵を外に持った集団は、強い。そのためだと言っても、よいか。

(2002.9.13)-1

濁れる水の流れつつ澄む

しんじつ一人として雨を観るひとり

晴れて風が身ぬち吹きぬけて澄む

風ふけばどこからともなく生きていててふてふ

朝月のあるぎんなん拾ふ

月かげのまんなかをもどる

いつ死ぬる木の実は播いておく

生える草の枯れゆく草のとき移る

待つといふほどでもないゆふべとなりつくつくぼうし

たへがたくなり踏みあるく草の咲いてゐる

草の実の露の、おちつかうとする

ぬいてもぬいても草の執着をぬく

夕焼うつくしく今日一日はつつましく

水音しんじつおちつきました

おちついて死ねそうな草枯るる
山頭火

(2002.9.13)-2
今日は楽をさせて下さい。なんもしないで、飲んで寝ます。夜は雨。秋は、風と共に流れて長く。長い袖のシャツと呟くみんなの歌。端坐、十戒斉唱。
(2002.9.14)-1
書き始めてすぐに、書き始めたものの完成の姿、ではなくて、書き上げたものへの批評めいた言葉の群がわらわら思い浮かぶのである。低能くさいので、止めた方がいいのだが、
(2002.9.14)-2
ブリキの太陽を買ってきた。
(2002.9.14)-3
中に蝋燭を入れるのである。円いお皿を合わせたようなかっこうの胴の中へ、今はやり(?既に流行りでなくなっているのかも知れないが)の、アロマキャンドルを入れる吊り燭台なのである。背の真中には小さなトビラがついていて、中には、蝋燭を刺しこむ鉄の芯が立っている。「あれはなんに使うのか」とぼくが店員のお姉さんに尋ねると、そう教えてくれたのである。「ほう」と思って、「じゃあ、二つ三つ蝋燭をもらえますか」と頼むと、六種類ほどの蝋燭を置いた低い棚へ案内してくれ、しゃがんで「これはバニラ。これはユーカリ、ラベンダー、ローズ、イランイラン。これは、フランジパーニといって、東南アジアの花です」ひとつひとつ説明してくれた。ぼくもしゃがんで、小さな蝋燭たちを眺め、「とりあえずその何とか(フランジパーニ)という花のものと、」色の綺麗な、ユーカリとラベンダーを撰んだ。ラベンダーに火を点けてみて、ぼくは蝋燭の火を握れそうな気がした。

(2002.9.14)-4

 パパはいっかいだけキスをしてくれたから、ありがとう。
 私はあなたをすごくあいしていました。それは知っていて?
 私はパパとお陽さまの下、青い空の中を歩いていました。
 私はパパと歩いていました。振り返ったりしないで。
 けれども、私は夢から醒めて、「パパ」と何度も呼びました。

 クロイチゴはパパに笑顔を。
 キイチゴはママに笑顔を。
 イチゴはみんな、私には涙を。

 「ママ、キスをくれてありがとう」この言葉を送ります。
 私はあなたをすごく必要としていました。それは知っていて?
 私はひとりで歩いていました。
 ずっと、ひとりで歩いて行こうとしました。
 けれども、私は夢から醒めて、「ママ」と何度も叫びました。

 クロイチゴはパパに笑顔を。
 キイチゴはママに笑顔を。
 イチゴはみんな、私には涙を。

 私は歩いていました。青い青い空の下。
 私は歩いていました。振り返ったりしないで。
 けれども、私は夢から醒めて、「パパ」「ママ」何度も呼びました。

 クロイチゴはパパに笑顔を。
 キイチゴはママに笑顔を。
 イチゴはみんな、私には涙を。

 私は名前を亡くしてしまいました。「私は誰?」
 私はお家を無くしてしまいました。「私はどこに?」
 けれども、私は高く飛びます。遠くへ飛びます。
 遠く、遠く。
Cocco「Sweet Berry Kiss」 スズキキヨト訳

(2002.9.14)-5
ようやく五点をあげられる。一年、かかった。
(2002.9.14)-6
Coccoは日本人である。英語つかいだけれども、れっきとした日本人である。汝、日本人が英詩を書くことの意味を知れ。と言われても、ぼくは日本人である。英語のつかえない日本人である。日本語しかつかえないのである。いや、未だ日本語すら、おぼつかないでいるのである。けれども君、笑うこと無かれ。ぼくはこの詩をどうしても、日本語にしたかったのだ。まだ、五点だけれど、点はあげていいようには思う。だから、Coccoに見せに行きたい。「これでも、いいか。合っているか」と。
(2002.9.14)-7
Coccoが絵本を描いた。素晴らしい。そんなことをしてたのか。
(2002.9.14)-8
グラス割っちゃった。短い寿命だった。何の罰だろう。やっぱり、名前を並べた罰かしらん。今度はそんなに高くないのにしましょう。ぼくは物持ちが悪い。
(2002.9.14)-9
ということで、予定変更。明日晴れたら、世田谷美術館に行くか、二科展を観に行くかしようと思っていたのだけれど、手ごろなウィスキーグラスを求めて、渋谷などを徘徊することにしようかと、思います。誰か、都内のよい食器屋さんを教えてくれ。あ、でも、明日から「燃えあがる緑の木」第二部を読み始める予定なので、取りやめになるかもしれません。だいたい、こういう大作を読むと、いろいろとそれどころではなくなるので。
(2002.9.14)-10
あまり関係がないけれど、室伏広治がハンマー投げ年間王者だよ。どうするよ。あの男、完璧なので、「真の武士」なので、ぼくはあまり好かないのだけれど、いや、それは単純な嫉みなので、きっと直接会ったりとかしたら、掌を返したように、手放しで称賛することでしょうけれども。しかし、彼はまさに伝家の宝刀といった趣なのである。あんなのが自分の部下だったら、もう、感涙にむせび泣くね。領地の半分も与えてしまうね。だって、絶対裏切らないし、一緒に死んだりもしない。自身が力尽きても、お家再興、托し得る。島左近だね。山中鹿之介だね。絵になること請け合い。それから、100m世界新おめでとう。水牛グリーンによくぞ勝りました。ワタクシ、あんなラリッてる男が世界最速かと思うと、我慢できませんでしたの。ワタクシ、あなたの走りを存じ上げませんけれども、きっとあれ以上のラリッぷりなのでございましょうね。嫌悪いたしますわ。100m走はなんだか、蛮族の酋長を選ぶ聖なる戦いみたい。アレをお薬なしでやるのだから、恐れ入りますわ。鳥肌、たちますわ。よくもわるくも、ね。


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