tell a graphic lie
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(2002.9.15)-1
ミロ展を観に行く。いや、正しくは世田谷美術館に行ってみたら、ミロ展だった、ということなのだけれど。まあ、とにかく、ぼくは今日ミロの絵を観てきた。ほら、やっぱり絵のほうがいいじゃないか。んもう。
(2002.9.15)-2
ん、待ってね。。。小難しいんだ、、、だけど、どうも、解答であるらしいんだ。

(2002.9.15)-3
 半月ほど前に、(2002.8.29)-1で、ぼくは脳内で行われている思考をそのまま文字として落すことは不可能だ、と言ってみたのだけれど、ミロという人は、まあ同じようなことを、「不可能」とは言わずに、絵画という手段を通じて、実際に押進めた人であったようで、こんなことを言っている。「私は従来の絵画を軽蔑している。私の興味は、絵画にではなく、精神そのものにあるのだ(正確でない)」つまり、彼は精神そのものを絵画という手段を用いて、、、(えっと、動詞はなんだ?『記述する』『表現する』『記録する』『写し取る』『あらわす(表・現・顕・著?)』『具現する』『込める』』』』ぶぶー、時間切れ。落第。たすき渡らず、繰上げスタート。以降、参考記録)まあ、そういうことをした人であったようだ。ミロ展は、1941年に、その意志が、ひとつの完成品として提示されるまでの、諸作品を時系列に沿って並べたもので、画家として成ったミロが、自らの境地をつかむまでの一連の試みが、その諸作品から非常によく読み取れた(そう、ぼくは『読み取った』のであって、ミロの作品を観て何かを『感じた』というわけではない)。
 ぼくは暗記の能力に乏しい(これは、人間として重大なる欠陥であると思うが、それはまた別の話)ので、また、そんなことに労力を割いているような場合ではなかったので、限りなくいい加減な記述になるのだけれど、ミロは1893の生まれで、1924くらいまでは、絵画の技術的な部分についての完成を目指して、様々なタイプの絵を描いていた時期のようである。ゴッホ、ピカソ等の影響が見られるそうだ(そう解説してあった)。このあたりまでの絵は、所謂普通の絵で、まあ普通に観れる。多少特色のある、けれども後年のものに比せば、大分素直な絵である。その時期を終えて、そのあと、30年代前半くらいまでで、彼は「絵画」を解体して、その構成する諸要素についての考察を徹底的に行ったようである。この期間の作品は、丹念に作り上げたバックグラウンドに図形のようなものが数個、というようなものや、人物の描写を解体して、記号化(というのは、絶対に間違っているのだが、他に短く記する言葉をぼくは持たないので、今はこうしておく)のようなことをしてみたり、動作そのものを描く(主に線を使っている)、感情そのものを何らかの方法で描き出す(たとえば、白い絵具を恐らく相当に精神的な制御を加えた上で、ぶち撒けてみる)など、非常に実験的である。。。そうか、『固定する』という動詞はいいかも知れない。(ちょっと、話が跳ぶ。。。)
 この世界のあらゆるものは、精神を通して、ぼくらに入ってくる(精神と、ぼくら自身を、分けてみると、こう言えなくもないと思う。じゃあ、その場合の「ぼくら」とは一体何を指しているのか、という話も、これも別の話)。この精神を通したあとのものを、また、ぼくらの外に置くことはできないだろうか。それは、主観とか、そういうのとも、少し違って、例えば、「この文のデータも、これはhtml形式で、更に言えば、txt形式だけれど、このデータをコンピュータは実際には、単なるビット列として扱って、ある規則にのっとって、『文字』として出力しているわけで、それは、コンピュータが扱えるものについては、全てそうなのであって、このファイルをサウンドデータとして扱ったり、サウンドデータをテキストとして見たりすることは、不可能なのだが、けれども、どんな形式のデータでも、必ず単なるビット列として見ることは可能である」この文の中の『コンピュータ』を『精神』に置きかえて、『ビット列』を『絵画』に置き換えるといったようなことでして。。。わかるかな。彼は、おそらくそういうことをやろうとしていた。そして、そのために、絵画の構成要素を抽出して、それと、絵画以外のあらゆるものとの対応関係を築く試みをしていたのである。動きは、音は、光、熱、、、時間幅を持ったものはどう収まってゆくのか、立体は、概念は、精神の中ではどのようになっているのか。それらのものは、ぼくらの中では、全て同じプロセッサ(脳内の処理部一般を指す)で処理されているのだから、そこへの入力と出力を捉え、全て絵画に落とし込むことは可能なはずだ。
 1930年代の前半はそのための、地道な実地的検証作業であった。それがだいたい済んで、1930年代後半になると、その手法をどんどん洗練させてゆく。これが、結構すごい。人が、だんだん人の形をとらなくなってゆく。何を意味するのか、よくわからなかったのだけれど、象徴的な記号のようなものも作り出している。写生としての、もしくは写真としての絵画、比喩としての絵画、というのでは無くなっていってしまうのである。いうなれば、精神を固めて落したものとしての絵画(20点)、にどんどんなってゆくのである。彼は、それに攻撃性というような言葉を使ったのだけれど、根が善人なのでしょう。実にいい感じなのである。愛嬌がある。そんな堅苦しい見方抜きにしても楽しめる。実際、今日は結構混んでいて、ぞろぞろと並んで観てゆく感じだったのだが、でも、ぼくは遅くて、それから漏れ勝ちだったのだけれど、その1930年代後半の絵を観ているときに、近くにいたカップルの会話、批評などを聴いていると、なかなかに楽しく、「うんうん、なるほどなるほど。多分そんなところだろう(そのカップルは、その絵がどういうときに、どういうことで、描かれたものなのか、ということについて、勝手なことを言い合っていた)」など思いながら観てゆくことができた。
 それが、1940-41にかけて、描かれた23枚の「絵画による抒情詩(作品名でない。それは失念した)」を以て、一定の完成をみるのである。これが、もう、すごいの。意味わかんないの。だって、ぐちゃぐちゃに、全部混ぜちゃってるんだもん。現在、過去、未来への想像、感情、感想、風景、観察対象の(これは正しくない。けれども、記述対象などと言ってみるのもおかしい)視点、観察対象の感情、観察対象の行為などを、全部一枚の絵の中に収めてしまっている。絵の表題からいってすごいんだ。例えば、、、、忘れた。待って、仕方がない。調べるよ。。。23点の作品群は「星座」という名前だそうだ。。。「星の光のもとで髪をすく金髪の腋毛の女」「美しい鳥が一組の恋人たちに未知なるものを開示する」このタイトルの情景の全てを一枚の絵に落とし込んでいるのである。なんだ、簡単じゃあないか、と言ってはいけない。難しいのである。「星の光のもとで髪をすく金髪の腋毛の女」であれば、その女をみたミロの(またはぼくらの、つまり、少なくとも、「金髪の腋毛の女」ではない誰かの)視点、感動、感情の変遷、対応しておきた動作、その時間、周辺の風景、温度、音、風、その場にいた事情、服装、体調、思想、思考、それから、髪をすく女の視点からの、ミロと同様のもの、その他、まだなんかあるか?わからん。そういう精神で取り扱われるもろもろのもの一切がその絵の中に入っているのである。彼は、精神を絵画として固定できるので、(「完全に」ではないというほどの意味での)ある程度それができているのである。
 まあ、そういうことが、最後に観たその「星座」によって、はじめて了解されまして、なるほど、これはもしかして、素晴らしいのではないだろうか。あれ、あれ、あれができている、ということではないだろうか。など、一人腕組みして妙に興奮してしまい、フロアに出てからベンチに腰かけて、15分ばかりかけて、彼の試みをもう一度なぞりなおして、今書いたような考えに至ったのでした。
 また話が跳ぶけれども、それを文によって、行うこともどうやら可能であるらしいのである。ミロは、シュールレアリズムなる一派に属するのだそうで、それは、絵画に留まらず、文学においても追求されていたようなのである。「不可能である」わけではないようなのである。これは、勉強する必要があるか。手法、作法の類を知ることができれば、大幅な時間短縮が可能であろう。でも、なんか、それは詩の類であるようなので、少し違うかも知れない。また、温度まで、そこに入れてしまうと、部品部分になってしまうので、少し違うのかなあ、などとも思われる。ミロを観た限りのぼくの感覚といえば、それはまさに「絵」であり、他の何ものでもなかったのだ。絵として面白いけれども、それ以外ではない。これは批判になるのだろうか。王道のような気がするが。どちらにしても、ぼくはやっぱり、他のものに未練があるので、そういうのばっかりやるわけにはいかないよ。という感じなのである。
 えと、だいたい話し終えたかな。じゃあ、読み始めた「燃えあがる緑の木」第二部から、言葉をひとつ。
(2002.9.15)-4
"une force qui va"
「それ自体で進み行く力」
(2002.9.15)-5
それって、在ると思うかい? 在るよな。現に
(2002.9.15)-6
あんなの見たあとは、順序だてて、筋通して書きたくなくなるの!
(2002.9.16)-1
雨読。第二部読了。文章としては、ひどいね。ぼくが細々と拘ろうとしている点を、一顧だにせずに、浪々と進行してゆくその物語は、幸福な人間たちが幸福な事業を為遂げるまでの記録だ。神は、救われうる人間を、その生まれの時点で選定し終えているか。「ヤー」独力で、その列に加わろうとする試みをするものは、つまるところ、その段階で選にもれた人間だと言うことができるか。「ヤー」悦び、それ自体について探求しうる人間たちは、つまるところ既に悦びを経験して来た人間たちのことで、経験することのない人間の悦びへの探求はありえないと思うか。もっと具体的な、切実なる欲求、即ち衝動として顕れるのではないか。
(2002.9.16)-2
靖国神社に車で突っ込む三十五歳。彼の内なる戦いは、例えば小説によって、救われえたものか。それとも、
(2002.9.16)-3
 読み終えて、日中降り続いていた雨も、水の粉が淡く、霧のように舞っているだけとなった。散歩がてら、コンビニへ向って歩き始める。道みち、目の前に濡れた落ち葉を見つけるたびに、歩みをあわせて踏みつけてみる。無音。着衣を通して、陽の照らないままに深けた、夜の冷気が伝わってくる。その中を煙草を吸いながら歩き、ときどき自分の腕の細さや、青白さを、漠然と思い出す。そういえば、眼にする信号はみな青で、それは無関心の象徴のように思えた。
 コンビニで買い物を済ませて、帰り道、ぼくは無くした感覚があることに気がついた。外殻と空洞。そして、その中心に位置する黒い、何か。今のぼくには内と外の間に、その殻のようなものがあるとは感じられない。ぼくというものがあって、そして、それ以外の全てがある。それは喜ぶべきことのようにも思われるが、実際には、その中心に位置する黒い何かが、外殻との間の空隙を何か、肉、のようなもので埋めて、ぼくの意識が実体をとらえないようにしているようにしているのだ、というほうが正しいように思える。けれども、そのいずれであるにせよ、ぼくは一個の「死ねなかった」塊で、その埋まった隙間のためなのか、その関係は不明瞭だが、いま感情として残ったものは、焦りと恐怖と狼狽とそのどれでもないの感情状態の、四つだ。濡れた路地が、等間隔で建ち並ぶ電柱に取り付けられた街灯の白く弱い光を受けて、鈍い光を反射させている。ぼくの靴は全く音をたてず、ぼくはその光の筋の一本をなぞって歩いた。
 夜の闇と冷気と静寂とが結託した時、作り出すものは決まっている。しかし、今のぼくはひとつの塊なので、それがぼくの中に入り込む余地はどこにもなかった。そのためか、ぼくの衣服を超えて、それは直接にぼくの外側から侵食をしようと試み、動いているようにみえる。けれども、ぼくの持つ、ぼく自身とそれ以外についての境界は思いのほか堅牢で、侵食のような状態を起さない。ぼくは相変わらず光の筋を脚でなぞり、街灯の光を反射する濡れたマンホールの蓋の上で一度立ちどまって、辺りを見回した。誰もいないことは知っているのに。それと共に侵食の感覚は止み、ぼくは既にそれに侵食され得ないのだ、と知る。
 感情をそのまま文字へと移すことを止めた者たちへ。ぼくから何か送ろうか。

(2002.9.16)-4
あったりまえなんだけど、影響が出るよなあ。「〜感覚を味わった」はダメ。せめて、「〜ような気がした」もっといえば、「〜ような気がして、嬉しく、何だかつま先立ちをして、背を高くしてみたくなった」フム、これか。
(2002.9.16)-5
第三部を読むかどうかは、微妙である。ぼくには、まだ早いのである。「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」へも到達していない人間が、「救い」と「癒し」と「信仰」と「悦び」について、扱えるはずがないのである。また、ぼくは既にこのような物語を見たことがある。それは、モチーフすらもほとんど一致していると言っていい。「風の谷のナウシカ」これを見ているので、どうも「燃えあがる緑の木」は安心して読めてしまうし、新しいところを感じない。更に言えば、ぼくは「イェーツ」にも、「ドストエフスキー」にも、「ワーグナー」にも、あの人の息子にも詳しくないので、読んでいて少々力不足を感ずるのである。そして、何よりぼくにはまだ「信仰」を取り扱う能力は、全くない。確かに、ぼくは神さまが欲しいけれど、それを手放しで受け入れたりする可能性は、もう皆無だ。結局破壊者となったナウシカが最後に言う。「滅びは、既に私たちの一部となっています」これでいいのだろう。それは、もう大分前から知っているんだ。けれども、問題はそんなところにあるんじゃあないんだ。太宰や、芥川が、結局、信仰も、救いも、癒しも、悦びもなく死ななければならなかったこと。そして、それが挫折では、決してなかったということ。「我らの許には正義の二文字見当たらず」大江健三郎にも、宮崎駿にも、強く善なるものには、決してわかるまい。「営み」という循環から外れたものが、どれだけ悲愴な決意を以て、自己完結する事を目指すかを。
(2002.9.17)
ぼくは「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」を「我らの狂気よ生き延びる道を与えよ」と記憶しているふしがある。
(2002.9.18)-1
中村一義はもう大丈夫だ。
(キャノンボール)

 そんなにさ、しゃべんなくたって、
 伝わることもあんだろ?
 僕は死ぬように生きていたくはない。
 そこで愛が待つゆえに。
 愛が待つゆえに、僕は行く。

 何ひとつ、言えなかったのは、
 ただひとつ、伝えたかったから。
 僕は死ぬように生きていたくはない。
 そこで愛が待つゆえに。
 愛が待つゆえに、立ち止まる。

 傷だらけの消えそうなメロディー・・・、
 目を刺す青空達・・・、
 あぁ、そこらにあるオレンジジュースの味・・・、
 穢れの先で。
 70's、80's、90'sだろうが、
 今が二千なん年だろうが、
 死ぬように生きてる場合じゃない。

 そこで愛が待つゆえに。
 愛が待つゆえに、僕は往く。

 僕は死ぬように生きていたくはない。
 本音さ。死ぬように生きていたくはない。


(2002.9.18)-2
見たまえ!ホラ!見たまえ!真っ直ぐに歩く彼の、その先に、光が見える!光が!ああ、それは光への道だ。栄光へ向かう全心の歩みだ。眼を持たぬものも感じるだろう。いや、はっきりと、やがて見えてくることだろう。光は、あるのだ。その巨弾、確かに受取った!

(2002.9.18)-3
ぼくも、もう大丈夫だ。迷わん。力を尽くせ。成すべきことが有る。

星船よ、来たれ。
コロナを、太陽風を、彗星の尾を、
全て帆に受け、たじろぐ事なく、振り返る事なく、虚空を、
無限の闇を目指せ。

光が強くまたたけば、闇もまた、深く濃く。
我が航路は闇。歳星の赤き眼を以ても、見ること適わず。
けれども、光の道が大きく示されるとき、闇の道もまた、浮かび上がるのだ。
その身に黒焔を纏い、絶対零度の彼の地を、ひたすらに目指せ。

(2002.9.18)-4
最果て一輪 氷りの花 いつか 死にきれ、死にきれ 光の前に、融けて無くなれ
(2002.9.18)-5
そして、見たまえ。ぼくの撃ち出す弾丸の小さなこと。まさに、タンクに挑むピストル使いだ。機銃で薙ぎ払われ
(2002.9.18)-6
声が潰れてしまえば、好きなだけ叫ぶことができる
(2002.9.18)-7
秋風黒アゲハ 無温花園 集雷針 血吸剣 動悸烈酷 身体は和紙軽 牧童ビイナス 追従如来 不慈不悲不哀 幾千の言葉よりもあなたの笑顔だ 当り前だ

(セブンスター)

 クソにクソを塗るような、
 笑い飛ばせないことばっかな。
 それが人の姿とはいえ、
 夢を見て、叶えたって、いい。

 見たい、見たい、見たい、見たい。
 無茶な言い分だって? もう、いい。
 本当の冒険を、見たい、見たい、見たい。
 いたい、いたい、いたい、いたい?
 そりゃ、そうだよ、当然、痛い。
 心に本当でいたい・・・、約束だもんな。

 この車道の両端の、
 無数に咲く灯りのように、
 闇ん中の光は、ホラ、強い。
 また朝に散らばっていくように・・・。

 見たい、見たい、見たい、見たい。
 とりあえずは泣いたって、いい。
 本当の自由を見たい、見たい、見たい。
 いたい、いたい、いたい、いたい。
 忘れてるフリはしない。
 心は本当でいたい・・・、約束だもんな。

 見たい、見たい、見たい、見たい。
 綺麗じゃなくたって、いい。
 ちゃんと目、開いて、見たい、見たい、見たい。
 未来、君と出会える時も、
 心は本当でいたい。
 心は本当でいて。

 (ななほし、、、ななほし、、、そこには星たち。。。。。)
中村一義

(2002.9.20)-1

 光のあるときは、何にもでてこないよ。
 だって、見えないんだから。どうしようもないよ。
 自分の手のひらを見つめてね、
 「ああ、赤みがある。血が通っている」て握ったり、開いたりしている。
 それから、コテ、横になって、
 「疲れたな、もうすぐ一年だな」つぶやいてみる。

 疲れたよ。なんで、ぼくにはこういうものがひとつも、どこにもないんだろう。
 「ねえねえ、ぼくのさ、ぼくのこころ。これ、わけてあげる・・・」
 ねえ、いらないよね。
 困ってしまうね。
  (ため息)
 だって、ぼくがいらないんだもの。
 ホラここ。
 こんなに汚れて・・・
 きたないね。しまおうね。

 ホラ見て。
 星がきれいだ。ひとつ、ふたつ、みっつ。きれいな、ななほし。
 じっと見てみて。またたいている。
 少し、滲んできた・・・

 疲れたな。結局みんな無くしただけみたい。
 こんな、何にも感じないからだになって。
 気がついたら、疲れたな。
 終わりはどこにあるのかな。
 光が強くて、見えないよ。

 そして、ああ、これが、ぼくの、からだだな。
 みじめな、からだだな。少し、撫でてあげよう。
 そして、ああ、これが、ぼくの、こころだな。
 なにか怖いことが、怖い夢をみたの。寒い朝、目覚めたら震えていた。
 涙の、あとがあった。

 暖かい朝は、どうして、ぼくのベッドには来ないんだろう。
 明けない夜は無いけれど、こごえ死んでしまう人も、きっといる。
 開かない瞼は、きっとある。
 透きとおる朝陽の光。冷気を和らげる小鳥の声。
 怖い夢をみたの。そのまま、目覚めませんでした。
 硬くなったからだを想像することがあるよ。

 ホラホラ。やさしいのが、いい。
 光を見て、微笑むだけの小さな、やさしいのが。
 朝を迎えて、髪を撫でてやるだけの、やさしいのが。
 滲んでいる・・・やさしいの。

 しまおうね。
 これはぼくのこころじゃない。
 汚いよ。騙したの。だって。
 疲れたから。

 本当は、ホラ。言わないの。


(2002.9.21)-1
呆れるくらいに書けない。ひとつの「。」を打つところにすら行かないんだ。カタカタタイプしているうちに眠くなって来るんだ。これはきっと拒否反応だね。苦笑いしてみてから、そのまま眠気にまかせて、寝る。三十分して目覚めてみても、面倒くさい類の頭痛が頭の奥の方で幽かにくすぶっていて、意識がどうも朦朧としている。スピーカからは「セブンスター」の百何度目かの前奏が流れている。中村一義の問いかけは、まだ、ぼくに対して意味を持っている。今のぼくの言葉は全部これに応えるようにしかならない。早く耐えられるようにならなければならない。聴くしかない。聴いて、飽きるしかない。起き上がって、鏡に赤く腫れた両眼を映して見てから、水道水でそれを拭う。引きずりまわされている、と思う。かろうじて出てくるのは、こんな自意識ばかりの、一ばんいやな文で、一体どうしろというのだ。頭がいたい。これは、試しに上げてみる。
(2002.9.21)-2
 判断能力が無い。世田谷公園の近く、渋谷寄り、防衛庁の向こう側に目黒区立東山中学校、小学校というのがあって、その周辺には非常に奇妙な場所がある。国家公務員会駒沢住宅跡地である。おそらく、かなり老朽化したために、建てなおそうと取り壊したものの、何らかの理由で、新築は行われずにそのまま放置されたのだろう、相当の広さの空き地になっている。建物は取り壊され、舗装は取除かれたものの、植えられていた樹木までは取り払われておらず、フェンスで囲われたその一画は、奇妙なオアシスのようだ。砂利混じりの地面に繁る五十センチ程の草の群のなかにひとつだけ残された、錆の明らかなジャングルジムや、針金を使って雑に封鎖された旧住宅正門の脇の透明の覆いの外れた掲示板が、かろうじてそこにはかつて、その住宅があったのだと教えてくれる。そして、その外周は、路上駐車の車がぐるりと取り囲んでいるのである。駐車した車の中にはたいてい人がおり、大半はシートを倒して眠り込んだり、電話をしたりしている。知る人ぞ知る、というような、よきブレイクのための、都内にいくつもある場所の一つになっているようだった。
 ぼくが通りかかったときには、夕暮れどき、ちょうど中学校の部活動の終わりに重なったようで、十人ばかりの中学生の集団と何度もすれ違った。跡地の周辺は、新しいマンションと、古い団地、住宅とが混在する、入り組んだ路地を持った、閉じた(ぼくは一瞥してそう感じた)コミュニティだ。マンションが密集しているので、おそらくその中学生の集団は、自宅のすぐ傍まで、そのままの形を保っているのだろう。その中学生たちの姿と、奇妙に青々とした空き地と、夏の残り香ともいうような暑くも寒くもない気温、無風の匂いなどによって、ぼくは奇妙な感覚、タイムスリップしたような感覚にとらえられた。うまく言いあらわすことができないので、大してうまくもない喩えを用いるならば、それは「思い出」そのものだった。つまり、よくセピア色をかけて表現されるところの、そのセビア色自体。勿論、ぼくがそこを訪れたのは、はじめてであるので、やはり下手な比喩なのだろうが、ぼくはそう感じたのだ。それは、とても奇妙な感覚だった。そしてぼくは、今のぼくが二十三歳という年齢を持っていることを実体として意識して、もう無いもの、もう起りえないことについて思った。そして、はっきりと、ぼくの人生は点の集合としての線としてあるのであって、注意深く見れば、その個々は断絶しており、決して繋がってはいないのだ、ということを意識した。極論すれば、昨日と今日のぼくとは、全くの別人で、ぼくは目覚めるたびに生まれ変わっている。けれども、その二人のぼくの間にある差異はとても小さいもので、遠くから見れば、特に意識していなければ、同じ人間だと言えてしまう。ぼくというものは、そのようにして続いてきたひとつの流れでしかなく、当然、ぼくの考える必然も、その程度のものでしかない。それゆえに、それに拠って足場を生そうとしているぼくの試みはやはり間違っているのだろうか。駐車した車のアイドリングの音と、中学生たちのありふれた会話の他は音らしい音もなく、通る車もない。空は鮮やかに紫に染まり、夜の長さを暗示する。点在する小規模な昔ながらの商店には客がなく、店主の姿も外からは見えない。マンションや、家々の窓にはもうちらほらと明かりが灯っている。そのときの、今日のぼくは、過去の記憶を持たなかった。ただ過去を感覚していた。ぼくは自分がどうしてここにいるんだろうという、実にありふれた疑問に再びとらえられた。けれども、それは、もっと他の、というそれによくついてまわる言い回しは伴っていなかった。それは、もう少し下層の疑問を伴っていた。ぼくはなんで人なんだろう。ぼくには名前がある。そういった疑問だった。「男子として生まれたからには」、これが言えなくなっていた。よく用いられるモチーフである、自分は実際には実体を持っておらず、円盤の中にだけ存在するものであった、というものや、触れようとすると透過して触れることができないホログラフィであった、というものでなくとも、肉があり、思考があり、未来についての記憶をあらかじめ持たないものであっても、存在ではない、ということが在ってもよいように、ありうるように思われた。「ぼくが知覚しなければ、世界は存在しない」というのとは、まるで反対のことが思い浮かんだ。ぼくが知覚していても、ぼくは世界に存在していない。このような下らないロジック遊びのように、ぼくは実はいなかった、ということがあるように思われた。
 そこを離れたぼくは世田谷公園に入り、暗闇の中に赤い焚火や、ぼくと同じように東京の街中を徘徊し、ここにたどり着いた若者の数人の姿を横目に見ながら、見慣れた三軒茶屋へと至る通りへと合流した。けれども、その見慣れた通りには、不思議に現実感が無かった。行き交う人々の動作が芝居がかっているように思えた。その中を、ぼくは恥じ入るようにして通り過ぎながら、煙草を吸いたいと思っていた。けれども、煙草は切れて、財布の中には五千円札しか入っていなかった。ぼくはライターの火を虚しく点けて、無暗に自分の動作が何か結果を生むことを確かめようとした。
 渋谷や原宿の周辺には、ここの他にも二十年以上前に建てられたと思われる公立団地が結構あって、その周辺はかなり独特の雰囲気がある。しかし、酔って書いたこれは何のレポートだ?

(2002.9.21)-3
今度の中村一義のアルバム"100s"には、新しいところはなにも無い。彼の音楽としては、少々ベタなくらいである。けれども、だからこそ、ぼくは安心したのだ。それは、彼がもう自分というものを確固として規定し、自らの為すべきことを識ったという、確かな証拠であるからだ。
(2002.9.21)-4
あ、これさ、"100s"の紹介文としてはいいんじゃあないのかな?どうだろう。
(2002.9.22)-1
書けない。今日などはファイルを開いてみる気にすらならない。このままでは、また蔵に入ってしまう。。。アンジェリーナで佐藤春夫の「美しき町」を読む。佐藤春夫は実に品がいい。詩人小説家とは、なるほど、こういうものであったか。読み終え、部屋に戻りたくないので、戻るとまた中村一義に引きずりまわされるだけなので、久しぶりに人と遊んだ。と言っても、買い物に付き合ってもらっただけだけど。CDプレーヤが40分の辺りで決まって一回だけ音飛びするようになってしまったので、この際だからオーディオをワンランク上のものに変えようと思い、ホラ、ようやくスピーカも直立した事であるし、そのあたりに詳しい同期に電話をして、彼も暇をしていたところであったらしく、早速連れ立って秋葉原のオーディオ中古屋へ行く。YAMAHAのアンプが38k、知らない(けれども、その筋ではそれなりに有名であるらしい)米国のメーカのCDプレーヤ48kが、よいであろうと同期は言う。ぼくは馬鹿なので、またそちら方面の知識を持ち合わせていないので、実に単純に、定価がいくらで、売値がいくらで、というその比しか見ない。YAMAHAのアンプは少々古い型のものであるようで、130kのところが、38k。CDプレーヤの方は最新のものであるようで、89kが48k。「CDの方は高いんでねえ」と難色を示してみると、「CDの方は、まだ少し進化しているところもあるから、新しいやつの方がよかったりする。アンプの方は、新技術というよりも、もはや流行というようなもので、俺は一むかし前の音の感じのほうが好きだね。これはお買い得だよ。俺が欲しいくらいだ」だいたいそんなようなことを同期は言った。でも、ぼくはオーディオを買うとは、実はまだ決めていなくて、そのお金でソファを買おうかとも思っていたので、「もう少し考えさせてください」などと言って、店を出た。店を出ると、丁度大相撲の貴乃花・武蔵丸戦が電気屋の大きなテレビに映し出されて、人だかりができていた。その人々を撮影しにテレビカメラがきていた。貴乃花はいい顔をしていた。ぼくはもうすっかり安心してしまって、それに比べて画面にあらわれた武蔵丸の眉毛が気持ち下がっていたように見えたので、貴乃花、優勝しないかなあ、なんて無邪気な期待を込めていた。裏返る貴乃花の身体を見て、やっぱりダメか。そりゃあ、そうだよなあ。横綱的に、ありえないよなあ。でも、ちょっと残念。武蔵丸、よく頑張りました。これで、また相撲が面白い。など思って、テレビを後にした。その後、自由が丘の同期の部屋に行って、彼の部屋のオーディオを聴かせてもらう。彼の部屋のものは、今日ぼくに勧めてくれたものと同等か、もう少しよいランクのものだ。む、いい。そのくそでかいCDプレーヤは伊達じゃないですな。それから、久しぶりにファミコン「1942」「せいんとせいや(漢字変換面倒くさい)」「グラディウス」「ファイアーエムブレム外伝」などをして、あのころのぼくらは何て暇だったんだろう。それから、そのよいオーディオで、千枚以上ある彼のCDの、最近のお気に入りとおぼしきものをビージーエムにして漫画「漫玉日記」を読みふける。12時になる。おしまい。部屋に戻って、また中村一義を聴く。う、確かに我が部屋のものはへぼい。でも、やっぱり、ソファが欲しいかな。明日晴れたらソファを物色に行きましょう。逃げるようにして。
(2002.9.23)-1
消去
(2002.9.23)-2
更に、消去
(2002.9.24)-1
苦労知らずは我儘でいけない。ブヒ。ぶひぶひぶひ
(2002.9.24)-2
さて、昨日で愚痴もひととおり終わりでございます。今日からは、心機一転、とまでは行きませんが、また、それをしてしまってもいけないですから、まあぼちぼちと、あまり無理をせず、飽きてきましたら、またこちらに愚痴やら毒やらをぶちまけつつ、のんびり書こうと思うのであります。ということで、気合一発、一句まいりましょう。
(2002.9.24)-3
ひとりで立てない、草の葉の先が枯葉
(2002.9.24)-4
6点!さあ、がんばるぞう。。。
(2002.9.24)-5
力ナシ。深酒はよくない。今日さ、クリーニング屋さんでさ、、、て、いいや。やめやめ
(2002.9.25)-1
月曜に衝動買いしたラジオで演歌を聴く。やる気が失せた。寝る。
(2002.9.25)-2
家庭の幸福
(2002.9.26)-1
押して歩く双子のベビイカア、夏が過ぎたね、お母さん。
(2002.9.26)-2
生まれて息するぼくの四分の一の身体の
(2002.9.26)-3
ぼくの目を眺めて、君は悪意を知らないのか
(2002.9.26)-4
冒険迷子。世界は高い壁で囲われた迷路。人の股の門をくぐって向うは南の空だ。
(2002.9.26)-5
泣け、母は近くにいる。
(2002.9.26)-6
道の真ん中に座り込んでいる。言葉の要らない目をしている。
(2002.9.26)-7
やさしい歌が好き、微笑むことで、踊ることで
(2002.9.26)-8
靴と靴下と脱ぎたがる子の口をとがらして
(2002.9.26)-9
ぼくもこれだったのか、喜び表す顔の
(2002.9.26)-10
知らないことがいっぱいの目で
(2002.9.26)-11
土に手をつく、悦んでいる。
(2002.9.26)-12
暑いも寒いもないのだ。今日一日がいちにちあるだけなのだ。
(2002.9.26)-13
帽子嫌いの子に新しい帽子
(2002.9.26)-14
無ければ生きれない母に子に、手に手を取りあって
(2002.9.26)-15
秋の葉、覚えたての言葉で母さんに教えてあげる
(2002.9.26)-16
婆にお菓子を買ってもらえる、ひとつに選べない
(2002.9.26)-17
この子に話せることが無いぼくの二十三年を、頭を撫でてやる
(2002.9.28)-1
十日で、"100s"卒業。ばんざい、小谷氏に戻る。話も、ちょっと進んだ。でも、また苦手な、会話に入る。そこで止め。
(2002.9.28)-2
 秋は「止まったように」して過ぎてゆく。春は慶び、夏ははしゃいで、冬は堪えるものだが、秋はなんでもない。ただ、終ってゆく。始まったときから、終りがはじまっている。一度だけ、「やれやれ、ようやく涼しくなった」と呟いてみて、次に気づいたときには、いつの間にか、辺りは冬の景色になっている。野生の動物や、木々、それに関わる仕事を持った人などは、収穫やら、冬支度にいそしんでいるうちに通り過ぎてしまうので、それも無理からぬこととは思われるのだが、そんなことは一向にしない人も、やはり、そうなのである。何もしないままで、ふっと、行き過ぎてしまうのである。ただ、ボーッとつっ立っている。つっ立って、ニコニコ笑っている。そうして頭の中には、なにも無い。白痴である。夏のあいだ、涼しくなったらしよう、など思い巡らしていたことの、その何分の一も為さぬ内に、秋は終っている。そして、冬である。堪える、季節である。
 したがって、秋の思い出は、みな、曖昧である。構成の悪い、写真で綴られた物語のようでとりとめが無い。匂いだけだったり、色だけだったり、音だったり、空気だったり、至極内容がない。意味が無いのである。どこかへ、行ったとして、さてそこでいったい何をしたのか、真剣にならないと思い出せない。遠出しました。紅葉、きれいでした。ただそれだけ。静かな夜に、本を読みました。内容は、立派なようでした。それだけ。懐かしい人に会いました。その人といた、十年前に戻ったような気持になりました。それだけ。秋は、そんなであるから、大事な記念日の、その日が秋の一日であることなどは、ことによると不幸なことかも知れぬ。例えば、結婚記念日が、十月の或る日であったりなどすると、妻がどんなにあの輝かしい一日の思い出を訴えてみたところで、夫は「ああ、そういえば、そんなだった」など、生返事をするばかりで、甚だ頼りなく、取ってつけたようにして「君は、綺麗だった」ぼんやりと呟いたりなどして、けれども、それは夫のせいでは決して無く、ただその日が秋の一日であったためであるのだが、そのために妻への愛とやらも疑わしくなってしまうかもしれない。秋は、曖昧である。確信が、持てない。
 また、「食欲の秋」やら、「スポーツの秋」やら、「読書の秋」やら、秋には、やたらと標語が沢山にあるのも、そのためだと思われる。毎年、秋をそのように何もせずに通過してしまう人が夏の内に、「今年こそは」と、鼻息荒く決意して、墨で半紙に大きく書いて、部屋の壁に貼っているのである。けれども、いざ、秋が来ると、確かにその標語を毎朝、大きな声で読み上げるのだが、それだけ。そのほかには、何もしない。そのまま、一日が、終る。多く食べるのは、夏が小食であったから、そう感ぜられるだけ。スポーツに励むのも、同じ理由、夏は運動量が落ちるためである。読書も然り。秋の充実感は、夏の暑さ、熱病の頃と比較しての話である。しかも、それは充実「感」だけであって、実際にはあまり変わらないものなのである。「した気になっている」だけである。ボケッと立って、そうして「感じて」いるだけなのである。秋の白痴。
 けれども、確かに、食べ物だけはおいしくなる。その意味では、「食欲の秋」だけには一理があるかもしれない。しかし、そのおいしくなった食べ物は、人をただボーッとさせるのである。馬鹿に、するのである。季節に与えられた、おいしいものを食べて嬉しく、お互いニヤニヤ。満足して、帰って、ぐっすり。そうして、秋が終ってゆく。何も、残らない。
 秋には、みな、そうして今を生きることを、心から楽しんでいる。過去の感傷も、将来への意志も要らぬ。「止まったように」とは、つまりは、そういうことであるのかも、しれない。
  白月や止まりゆくらし刈稲田

(2002.9.28)-3
久々の太宰節。中身は、一から十まで、嘘である。書いてて馬鹿馬鹿しく、ひとり笑っていた。諸君、秋である。謳歌せよ。
(2002.9.29)-1
 小林秀雄「私小説論」刮目し、熟読せよ。これほど射程の短い評論家をぼくは他に知らない。ぼくは「評論家」やら「批評家」といった類の人種が大嫌いで、それはつまり、「簡単に」言い放ってしまえば、「無産階級の権化」であるからなのだが、小林秀雄だけはものすごいと思う。尊敬している、と言ってもいいくらいだ。
 ぼくはどうも頭がよくないので、これ以上の表現は思いつかないのだが、彼はぼくの知る限りにおいて唯一の「必然的評論家」である。この場合の「必然的」はそれ自体に意味を持たせるというよりも、対比するための手段としてある。即ち、「職業的評論家」お茶を濁すだけの人種。探求者ではなく、ただの赤ペン先生としてあるだけのそれ。ディスオリジナル。答えを参考書から探してきて教えてあげるだけの存在。そうして、さもそれを自らが案出したかのようにして提出し、でかい顔をしているという、「無産」の権化。そんなのは、ただの事務員、秘書、よくてコンサルタントじゃねえか。(こういうと、ぼくが事務員や秘書を軽んじているように聞えるかも知れないが、そうではない。ただ、事務員や秘書には、それなりの取るべき態度なり、姿勢なりがあるということだ。そのあるじよりもでかい顔して、ソファにふんぞり返り、煙草をくゆらしている秘書がどこにある?)小林秀雄は、そういう意味で「必然的」なのである。「生来」や「自然」などを用いても良いかも知れないが、それらの言葉を使用するにはあまりに小林秀雄の為したことは一種の「冒険」であるので、それでぼくは「必然」というのである。「冒険」を「職業」とすることはできるが、「冒険」を「職業的」にすることはできない。だから、「職業的」は「労働」と言い換えても良いかも知れない。うん、こちらの方が、いくらかわかりやすいかもしれないな。「労働として評論をするものと、評論をすることが自然な行為であるものと」
 彼の広範な知識と、それぞれへの深い洞察に基づいた比較は、実に曖昧至極なぼくの視界を明瞭な線で区切って、カテゴライズしてくれる。漠然とした像が、たちまちある一点へと収束し、明瞭な像を描く。そして更には、その情景がどこから眺めてのものであるか、即ち自らの立ち位置すら指し示してくれるのである。それだけではない、それらのことを示すということは、同時に課題すら明瞭にするということなのである。
 ただ、惜しむらくは、小林秀雄は既に何十年か前の人であることだ。それがどんなであれ、今は、彼の論評以後であることには変わりはないわけで、彼によって為されたぼくの内の明確化は、完全ではありえないことは、明らかなのである。一年前から、新時代の戦争が言われているが、これも小林秀雄ならどう論評するだろうかと、思えてならない。個人主義というよりも、個人になってしまっておろおろしている、という感が強い現代社会の様相や、それからインターネットという媒体について。彼なら何と言うだろうと思うのである。それらへの答えを用意できている評論家を、ぼくは知らない。それは当り前なのだ。彼らは、既にある答えを捜してくるだけの人なのであるから、まだ用意されていない答えを提示することはできない。
 これは、至極馬鹿馬鹿しい宣言だが、あえてしたいのである。ぼくは、ポストインターネットの世代である。2chに代表されるような、飲み屋の雑談猥談不平不満の放出が、文字になるという現象や、実体の伴わない、けれども同時性を持った関係など、インターネットがもたらしたもののあとに、ぼくはある。ポストなのである。それらの現象を内包した以降の時代の形式を模索すべきなのである。なのに、ぼくはそれら自体についても、まだほとんど何もつかめていないといっていい。「携帯電話によるメールの交換が文字を、言葉を痩せ細らせたというのは本当か。実際は、全く逆なのではないか。つまり、ようやく万人が手段としての書き言葉を意識し始めたということなのではないだろうか」「インターネット上にプロはあるか。その延長として、プロの意義とその根拠とするところには、インターネット以降、何か変化があったか」こんな小さなことにすら、ぼくは満足な回答を用意できないのである。小林秀雄が欲しいのである。彼の手によって、明瞭に纏め上げられたこの時代の、その後を、できることなら模索したいのである。という割には、雑誌を読んだりは全然しないのだけれども。
 それから、小林秀雄は「思想家」であるか。という話もある。ぼくは思想家という人種が、どのような行為をする人間なのか、よく知らないのであれなのだけれど、その名称から、また、マルクス主義やら、ルソオやらが、そう呼ばれていること、それが批評家や作家、哲学者などから分けられているということ、などから(それがそれでよいのであれば)、思想家というのは、彼のように相対化する作業を以て探求を行う人種ではないように思えるので、ぼくの中では、小林秀雄は思想家ではない。
 相対化。ねえ。第一、そいつらは一体何をしようとしているのか。
(2002.9.29)-2
今、あるコピーを見つけた。今日はろくでもない宣言をしたので、ついでに書いてしまおう。「才能恐怖症」ぼくは自分に才能が無いことを証明しようとしている、という面が確かにある。才能という言葉は暴虐そのものであるので、ぼくもそれを意識しないわけにはいかない。太宰がちょっとだけ自嘲している。「これ一冊作るのに十年かかった。『こんなもの、一週間で作り上げた』と言えたら、それは天才なのだろうけれども、十年。馬鹿馬鹿しい」(正確でない)ぼくは、自分の悪い予感が外れたことは無い。これを確認しようとしている、ともいう。けれども、それも、死に方の一つであろうとは思うから。
(2002.9.29)-3
これらのことが、全て誤まりだったと自ら言わんばかりのことを、その内に書いている可能性も無きにしも非ず。
(2002.9.29)-4
遊離させてしまったとしたら、どうなる?高尚なお遊戯に
(2002.9.29)-5
ぼくがポストだというのは、今現在ぼくが何の力も持ち合わせておらず、例えば、村上龍と坂本龍一が、インターネットを駆使して、一週間だか、一ヶ月だかで一冊の本をまとま上げてしまったというのに代表されるように、今現在新しく生まれた力を最大に駆使し得るものは、すでに力を持った人間たちで、ぼくはチンカスなので、それができないのであって、十年後に、ぼくがまだ生きていて、しかも何らかの力と呼べるようなものを得ていたとして、その時点でぼくが何かをするとしたら、それはもう確実にポストインターネットとしてのものだろうというような意味である。まったくの夢物語だ。酒の肴である。


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