tell a graphic lie
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(2002.12.11)-1
今日まだ通りの片隅に残っている雪は、人の手でかき集められ、積み上げられたものだ。靴底の痕や泥に汚れ、死んだ白血球のように塊は硬く凍って地面にへばりついている。街はもういつものくぐもった色に戻って、行き交う人々はもう忘れたような顔をして歩いている。冬空だけはやたらに透きとおっている。今日の夜また冷え込めばそれはもっと小さく、奥まで氷になる。形を捨てて、塊になる。街は倍速、融雪は一夜。樹の幹の肌の色はぼくのそれに似ている。始終ポケットに手をつっ込んでいる。
(2002.12.11)-2
それがもし朽ちるようにして流れ出すのではなく、空へと消えゆくものならば。
(2002.12.11)-3
ぼくの吐く息はあまり白くならない。
(2002.12.12)-1
ここ三日ほど微妙に忙しくて12前後の帰宅が続いているので、なんというか、その、眼球が疲れているというか。
(蜃気楼)-或は「続 海のほとり」-
  一
 或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を身に出かけて行った。鵠沼(くげぬま)の海岸に蜃気楼が見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家の女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ」などと感心していた。
 僕等は東家の横を曲り、次手(ついで)にO君も誘うことにした。不相変(あいかわらず)赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は秦皮樹(とねりこ)のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。
「そっちから上がって下さい。----やあ、君も来ていたのか?」
 O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。
「僕等は蜃気楼を身に出て来たんだよ。君も一緒に行かないか?」 「蜃気楼か? ----」
 O君は急に笑い出した。
「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな」
 五分ばかりたった後(のち)、僕等はもうO君と一しょに砂の深い路を歩いて行った。道の左は砂原だった。そこに牛車の轍が二すじ、黒ぐろと斜めに通っていた。僕はこの深い轍に何か圧迫に近いものを感じた。逞しい天才の仕事の痕、----そんな気も迫って来ないではなかった。
「僕はまだ健康じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから」
 O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答えなかった。が、僕の心もちはO君にははっきり通じたらしかった。
 そのうちに僕等は松の間を、----疎(まば)らに低い松の間を通り、引地川(ひきじがわ)の岸を歩いて行った。海は広い砂浜の向うに深い藍色に晴れ渡っていた。が、絵の島は家々や樹木も何か憂鬱に曇っていた。
「新時代ですね?」
 K君の言葉は唐突だった。のみならず微笑を含んでいた。新時代? ----しかも僕は咄嗟の間にK君の「新時代」を発見した。それは砂止めの笹垣を後ろに海を眺めている男女だった。尤も薄いインパネに中折帽をかぶった男は新時代と呼ぶには当らなかった。しかし女の断髪は勿論、パラソルや踵の低い靴さえ確かに新時代に出来上がっていた。
「幸福らしいね」
「君なんぞは羨ましい仲間だろう?」
 O君はK君をからかったりした。
 蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔たっていた。僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある舟の影も何も見えなかった。
「あれを蜃気楼と云うんですかね?」
 K君は顎を砂だらけにしたなり、失望したようにこう言っていた。そこへどこからか鴉が1羽、二三町隔たった砂浜の上を、藍色にゆらめいたものの上をかすめ、更に又向うへ舞い下った。と同時に鴉の影はその陽炎の上へちらりと逆まに映って行った。
「これでもきょうは上等の部だな」
 僕等はO君の言葉と一しょに砂の上から立ち上がった。するといつか僕らの前には僕らの残して来た「新時代」が二人、こちらへ向いて歩いていた。
 僕はちょっとびっくりし、僕等の後ろを振り返った。しかし彼等は不相変一町ほど向うの笹垣を後ろに何か話しているらしかった。僕等は、----殊にO君は拍子抜けしたように笑い出した。
「この方が反って蜃気楼じゃないか?」
 僕等の前にいる「新時代」は勿論彼等とは別人だった。が、女の断髪や男の中折帽をかぶった姿は彼等と殆ど変らなかった。
「僕は何だか君が悪かった」
「僕もいつの間に来たのかと思いましたよ」
 僕等はこんなことを話しながら、今度は引地川の岸に沿わずに低い砂山を越えて行った。砂山は砂止めの笹垣の裾にやはり低い松を黄ばませていた。O君はそこを通る時に「どっこいしょ」と云うように腰をかがめ、砂の上の何かを拾い上げた。それは瀝青(ちゃん)らしい黒枠の中に横文字を並べた木札だった。
「何だい、それは? Sr. H. Tsuji・・・・・・Unua・・・・・・Aprilo・・・・・・Jaro・・・・・・1906・・・・・・」
「何かしら? dua・・・・・・Majesta・・・・・・ですか? 1926とありますね」
「これは、ほれ、水葬した死骸についていたんじゃないか?」
 O君はこう云う推測を下した。
「だって死骸を水葬する時には帆布(ほぬの)か何かに包むだけだろう?」
「だからそれへこの札をつけてさ。----ほれ、ここに釘がうってある。これはもともと十字架の形をしていたんだな」
 僕等はもうその時には別荘らしい篠垣(しのがき)や松林の間を歩いていた。木札はどうもO君の推測に近いものらしかった。僕は又何か日の光の中に感じる筈のない無気味さを感じた。
「縁起でもないものを拾ったな」
「何、僕はマスコットにするよ。・・・・・・しかし 1906 から 1926 とすると、二十位(はたちくらい)で死んだんだな。二十位と----」
「男ですかしら? 女ですかしら?」
「さあね。----しかし兎に角この人は混血児(あいのこ)だったかも知れないね」
 僕はK君に返事をしながら、船の中に死んで行った混血児の青年を想像した。彼は僕の想像によれば、日本人の母のある筈だった。
「蜃気楼か」
 O君はまっ直に前を見たまま、急にこう独り語(ひとりごと)を言った。それは或は何げなしに言った言葉かも知れなかった。が、僕の心もちには何か幽かに触れるものだった。
「ちょっと紅茶でも飲んで行くかな」
 僕等はいつか家の多い本通りの角に佇んでいた。家の多い? ----しかし砂の乾いた道には殆ど人通りは見えなかった。
「K君はどうするの?」
「僕はどうでも、・・・・・・」
 そこへ真白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて来た。

  二
 K君の東京へ帰った後、僕は又O君や妻と一しょに引地川の橋を渡って行った。今度は午後の七時頃、----夕飯を済ませたばかりだった。
 その晩は星も見えなかった。僕等は余り話もせずに人げのない砂浜を歩いて行った。砂浜には引地川の川口のあたりに火かげが一つ動いていた。それは沖へ漁に行った船の目じるしになるものらしかった。
 浪の音は勿論絶えなかった。が、浪打ち際へ近づくにつれ、だんだん磯臭さも強まりだした。それは海そのものよりも僕等の足もとに打ち上げられた海ぐさや汐木の匂いらしかった。僕はなぜかこの匂を鼻の外(ほか)にも皮膚の上に感じた。
 僕等は暫く浪打ち際に立ち、浪がしらの仄(ほのめ)くのを眺めていた。海はどこを見てもまっ暗だった。僕はかれこれ十年前(ぜん)、上総の或海岸に滞在していたことを思い出した。同時に又そこに一しょにいた或友だちのことを思い出した。彼は彼自身の勉強の外にも「芋粥」という僕の短篇の校正刷を読んでくれたりした。・・・・・・
 そのうちにいつかO君は浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともしていた。
「何をしているの?」
「何ってことはないけれど、・・・・・・ちょっとこう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでしょう」
 O君は肩越しに僕等を見上げ、半ば妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は海松(みる)ふさや天草の散らかった中にさまざまの貝殻を照らし出していた。O君はその火が消えてしまうと、又新たにマッチを摺り、そろそろ浪打ち際を歩いて行った。
「やあ、気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った」
 それは半ば砂に埋まった遊泳靴の片っぽだった。そこにはまた海ぐさの中に大きい海綿もころがっていた。しかしその火も消えてしまうと、あたりは前よりも暗くなってしまった。
「昼間ほどの獲物はなかった訣(わけ)だね」
「獲物? ああ、あの札か? あんなものはありはしない」
 僕等は絶え間ない浪の音を後(うしろ)に広い砂浜の引返すことにした。僕等の足は砂の外にも時々海くさを踏んだりした。
「ここいらにもいろんなものがあるんだろうなあ」
「もう一度マッチをつけて見ようか?」
「好いよ。・・・・・・おや、鈴の音がするね」
 僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。
「あたしの木履(ぽっくり)の鈴が鳴るでしょう。----」
 しかし妻は振り返らずとも、草履をはいているのに違いなかった。
「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです」
「奥さんの袂で鳴っているんだから、----ああ、Yちゃんのおもちゃだよ。鈴のついたセルロイドのおもちゃだよ」
 O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の常談を機会に前よりも元気に話し出した。
 僕はO君にゆうべの夢の話をした。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕は夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の醒めた後(のち)もわからなかった。
「それがふと思い出してみると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男だったよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな」
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、・・・・・・」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って気味が悪いんだ。何だか意識の閾(しきい)の外にもいろんなものがあるような気がして、・・・・・・」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな」
 僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顔だけははっきり見えるのを発見した。しかし星明りさえ見えないことは前と少しも変らなかった。僕は又何か無気味になり、何度も空を仰いで見たりした。すると妻も気づいたと見え、まだ何とも言わないうちに僕の疑問に返事をした。
「砂のせいですね。そうでしょう?」
 妻は両袖を合わせるようにし、広い砂浜をふり返っていた。
「そうらしいね」
「砂というやつは悪戯ものだな。蜃気楼もこいつが拵(こしら)えるんだから。・・・・・・奥さんはまだ蜃気楼を見ないの?」
「いいえ、この間一度、----何だか青いものがみえたばかりですけれども。・・・・・・」
「それだけですよ。きょう僕たちの見たのも」
 僕等は引地川の端を渡り、東家の土手の外を歩いて行った。松は皆いつか起り出した風にこうこうと梢を鳴らしていた。そこへ脊の低い男が一人、足早にこちらへ来るらしかった。僕はふとこの夏見た或錯覚を思い出した。それはやはりこう云う晩にポプラアの枝にかかった紙がヘルメット帽のように見えたのだった。が、その男は錯覚ではなかった。のみならず互に近づくのにつれ、ワイシャツの胸なども見えるようになった。
「何だろう、あのネクタイ・ピンは?」
 僕が小声にこう言った後、忽ちピンだと思ったのは巻煙草の火だたったのを発見した。すると妻は袂を銜(くわ)え、誰よりも先に忍び笑いをし出した。が、その男はわき目もふらずにさっさと僕等とすれ違って行った。
「じゃおやすみなさい」
「おやすみなさいまし」
 僕等は気軽にO君に別れ、松風の中を歩いて行った。その又松風の音の中には虫の声もかすかにまじっていた。
「おじいさんの金婚式はいつになるんでしょう?」
「おじいさん」と云うのは父のことだった。
「いつになるかな。・・・・・・東京からバタはとどいているね?」
「バタはまだ。とどいているのはソウセェジだけ」
 そのうちに僕等は門の前へ----半開きになった門の前へ来ていた。
芥川龍之介

(2002.12.13)
終電に乗り遅れたので、二子玉川から歩いた。
(2002.12.14)-1
目覚めると秒針の音が部屋に響いている
(2002.12.14)-2
久々に休日出勤。今週は疲れまちた、っと。明日はまじめに書きます。
(2002.12.15)-1
 今日は朝御飯を食いそびれた。今日は日曜なので午後になって起き出したぼくはいつものように文庫本をひとつポケットに入れてアンジェリーナへ遅い朝御飯を食べに行ったのだけれど、アンジェリーナのある通りでは今日はボロ市なるものが開催される日だったようで、大して広くもない通りには自動車の代わりに人がぎゅうぎゅう押し込められていてぞろそろ左側通行している。パトカーも出て警官さんが何人もパトロールしている。自転車ではそこをとても通れそうにもないので、路地に迂回してどうにかアンジェリーナの前まで行ってみると、店の周囲も人がいっぱい。店の前にはテーブルが持ち出されて、上にコンロと大鍋、それから「甘酒 一杯100円」と油性の黒マジックで書かれた紙が前に貼られて風を受けている。とても正規の営業をしているようには見えない。「これは梶井基次郎を読めるような状況では無いようで」、ぼくは通りから少し折れたところまで引き返して歩道の隅に自転車を止めた。
 そうして今度は歩いて人々の波に混じって店の前まで行ってみると、即席甘酒屋のテーブルの奥、ガラス越しにランプストーブのオレンジの火が見える。どうやら営業をしてはいるみたい。けれどもなお見れば幾つかあるテーブルはどれも人が一ぱいで、やはり長居して梶井基次郎を読むような雰囲気ではなさそうではある。じゃあいいや。ぼくはアンジェリーナは諦めて、そのまま人の流れに合わせてボロ市通りの中へ入って行った。
 通りをだらだらと流れる人の流れを構成する人たちはほんとにいろいろな人がいて、じいさんばあさん、父親母親にその洟垂れ子供、男子高校生女子中学生、きれいなねえちゃんにいい男、どこか寂しそうな影のある女の人や、ぼくに似て愚かそうな若者、飼い犬、あらゆる年代のあらゆる種類の生活を送っている人たちがごちゃごちゃに入り混じっている。通りの両脇に長く続く屋台の列にはたこ焼きお好み焼きおでんに始まって、豚汁やら焼き鳥やら奈良漬、すじ大根なんてものも売っているので、口に何か咥えながら歩いている人もたくさんいる。通りいっぱいに詰まったこの人の群れの中にいるのはなんだか不思議と心地よい。渋谷のあのひどい青筋立った眉間に皺の寄ったヒステリックないろ一色でなったそれとは全然違うものみたい。その中に混じったぼくが浮き上がらずにいることができる。流れが滞ったときぼくを真っ直ぐ見上げてきた男の子の頭をちょっと撫でみる。抱きかかえられた犬が人ごみに興奮して飼い主の肩の上、あたり構わずくんくん嗅ぎまわっていたので、それも撫でてあげる。いい男がいいニットキャップをかぶっている。きれいなねいちゃんはかっこいいポンチョを羽織っている。ひねた高校生が三人で群れて、みなきたない顔して、斜めに歩いている。いい歳したおばさんがでかいたこ焼きを一口で頬張って、頬張ってしまってから取り繕うようにして口を隠しきょろきょろ辺りを見回している。親父が知ったような口を隣にいる妻と子供に話して聞かせていて、そしてそれはきれいに間違っている。ぼくは店や人ばかりあちこち眺めて歩くのでよくぶつかって、ごめんなさいばかり言っている。ここはお祭り。なんでもアリだ。
 はじめはそうして人々を眺めながら、ぼくも何か買って食べようかな、など思っていたのだけれど、奥へと進んでちょろちょろ店を見て、ボロ市のボロの意味を了解してゆくに連れて、段々にぼくは店に置いてあるものだけを眺めだして、そのうちに何を買おうかと真剣に見てまわるようになってしまった。ボロ市のボロはどうやら古物、古道具のことを指しているようだ。普段はあまり見ないようないろいろな店がある。古着、壷や皿、碗、杯などガラクタまがいの骨董、蝶板や金物の引手のついた日本製アンティーク家具、インディアン系(?)の置物や編物、家具類、暖簾にカーペット、往年の玩具、電化製品類、ラジオ、レコードプレイヤ、電気スタンド、時計などなど。火消しの羽織や頭巾(柔道着を更に厚くしたような生地に、虎やら龍やら、なにやら気合の入った絵が描き込まれている。頭巾は前張りがあって顔まですっぽり隠すことができる。どちらも高い。)、それから刀のつばなんてものも売っている。サボテン鉢売りや苗木屋さんも来ている。ぼくはもうかなり真剣で、サボテン屋の前でしゃがみこんで、「うむ、我が部屋にもひとつ植物を」思ったり、丁度お手ごろサイズの本棚が欲しかったので、家具を並べてあるところでもぐるぐる物色して「こうして全部の縁に金属が施されているというのはどうにも物々しすぎる」断念し、割ってしまったウィスキーグラスの次もまだ買っていないので食器屋でも立ちどまり、「ガラスのよきグラスはないものか、ないものか。どうも焼き物の類は多いけれど、ガラスのものはあまりないみたいね」など呟き、目覚し時計も鳴らなくなってしまっているので、70年代のサイケデリックかつお手ごろ価格サイズの目覚し時計なども探し、同じものに目を付けたねえちゃんの隣でひそかに店のおっちゃんのセールストークに耳を傾け、けれども隣に並べられたアンティークラジオの方がどうにも気になって欲しく、それは高く、指をくわえ、妙な古道具屋では凝った造りの小箱(中国系の装飾で朱塗りに二匹の龍。開くと中には易経のマニュアルらしき図柄)やら、デモンの置物(二組の羊の角を持ち、顎が羊の口になっている西洋の鬼の面の置物)などを手にとって、「なんて無駄に力の入ったものなんだ!」感歎して、「5000円に9000円か」など値札をチェック、古い玩具を扱っているところ(それは丁度ぼくたちのために作られたものが主だった)では、小学生がぼくと同じように目を輝かせている様を眺めて懐かしく、そのとき天井につるした蜘蛛の玩具がビョインと垂れて、その子供が「わあ、なんだあ」とやったので、店主と一しょに「やあ、うまくいった」など笑いあい、籠にぎっしり詰められて一個300円で投げ売りされていたトランスフォーマーのステゴサウルスを5分(!)かけてロボットに変形させて、(知ってるかい?知らないだろうなあ!トランスフォーマーというだけあって、みな何かから人型のロボットに変形するんだよ。そういうオモチャ)店のおっちゃんに「ああ、それよー。聞かれるんだけどな、今までずっとやり方がわかんなくてよー」など下らぬ感謝をされて恥ずかしく、「なんて無駄な知識だ!」ぼそと呟いて、ぼくはすっかりまだ何も食べていなかったことを忘れていた。
 ボロ市は思ったよりも広大で、直交している二つの通り(はじめて知ったのだけれど、そこはボロ市通りという通称があるようだった)と、その路地にまで広がっていて、ボロ市マップが300円で売り出されているほどだった。ぼくはその主だったものをざっと眺めて、それから通りから外れて引き返し、目星をつけていた露店へ戻っていろいろと買い込んだ。

(2002.12.15)-2
 ガラクタ屋で、バッジを10個ほど買う。ソ連落下傘部隊の階級章3000円(階級不明。店の人間の曰く、銀製)、源平期の兜に「武」の一字があしらわれたデザインのメダル(裏に、昭和十二年/東京??剣道大会/帝京商業学校 という記載)3000円、この二つを買ったら、あとはおまけしてくれた。八ヶ岳のバッジ(円形メダル。つるはしの上に、何かの花、サクラソウか?、"BERGHEIL"、"YATUGATAKE"の字)、隷書体で読めないのだけれど商船海運系の団体の正会員のバッジ、1980年レークプラシッド冬季五輪のバッジ、日本連盟少年団のバッジ(「そなへよつねに」の記載あり。ピンが壊れている)、全磯連のバッジ、1954富士フォトコンテストのバッジ(恐らく四等賞、向日葵に"4"の字のデザイン)、中学時代(雑誌か何かか?)のバッジ(「中」の文字を羽をひろげた鳥のように見立て、中央の縦棒の上にペン先をあしらい、真ん中に「時」の一文字)、何個だ?8個、いや9個か。しめて6000円なり。これ買い物その一。
 その二、手巻き式懐中時計。手のひら大。裏が透けていて動いている様を見ることができる。ねじを巻いてみたら雑音がするので、修理して貰ってから郵送してもらうことにする。おまけしてもらって(この辺のおまけというのは、全く信用ならないけれども、とにかく表示価格よりは安くなった)33000円。同じ店で、汽船トマホーク号が彫られた真鋳製のガスライター、こちらもまけてもらって2000円。部屋に戻ってガスを入れてみたけれど、常時ガスが漏れる。火は点くのだけれど、極く小さくてすぐに消える。つまり、使い方がいまいちよくわからない。無念。
 その三。アメリカのホテルやバーのマッチ40個くらい。3000円。"THE NEW YORK DELICATESSEN", "UNION Plaza", "Kauai Lagoons", "Del Webb's NEVADA CLUB", "DORAL HOTELS", "Neiuport 17", "GOLDEN NUGGET GAMBLING HALL", "ELTORITO RESTRANT"などなど。みんな電話番号が書いてある。当り前か。店のおやじは「半分使って、半分残すのがかっこいい」などのたまっていた。この店では結構いろいろと買い込む。船舶用液体コンパス。20cm四方くらいの木箱に納まっている。おそらく操作盤の所定の箇所に収めるためであろう。船が傾いても常に水平になるように、容器は X方向、Y方向の水平をそれぞれ保つための二重の円の枠に収まっている。大阪の K.S KEIKI SEISAKUSHO 製、10000円。キーコーヒーのコーヒーカップ。ペアでまけてもらって2000円。シンプルな小型のウィスキーグラス2000円。以上。買ったなあ。
 懐中時計を買った店のおやじは話し好きで、いろいろと訓辞を垂れられる。曰く、「土地を買え。今は無理かも知れないが、そう思い定めてやっていけば、10年後はどうなるか。思い定めてやっていかなければ、10年後はどうなるか」娘さんは、ディズニーシーの箱もの系の部署に居るらしい。新規建設の企画、維持メンテナンスの委託の管理などを11人でやっているそうだ。少ない。もっとも、開園前はアメリカからスタッフが、その家族を合わせて6000人くらい来ていたそうだけれど。オリエンタルランド本体は相当小規模の会社なのかもしれない。その前はナイキのショップやらフジテレビのサルティンバンコの仕事などをしていたそうだ。かなり優秀なようで、おやじの自慢であるらしい。けれども、訓辞はぼくにはあまり役に立たないようだった。もうそれはなしだ。
(2002.12.15)-3
「私の訪問が被害者の苦しみを少しでも和らげることを願っている」
 これ以上の言葉が果して彼に用意しうるだろうか。ぼくにはこれが言葉というものの限界を明確に示しているように思える。そしてまた、だからこそ言葉の為しうることも明確に示していると思える。彼の一連の贖罪の行為のうちで、確かに言葉を用いるべき、言葉によってのみ為しうる一部分は、すなわちこれを云うことがそれだ。何ヶ月もかかって魂から削りだしたようなこの一言を放つことだ。
(2002.12.16)-1
積雪以来ぶいぶいエアコンスイッチオンするようになったので、却って部屋は暖かい。熱い紅茶もあんまりありがたくない。エアコンの霜取り機能がときどきカラカラという音を立てている。新しいグラスを買ったのだからぼくはウィスキーを飲むのだ。
(2002.12.16)-2
よちよち歩いて転んだ子供はどんぐり見つけた
冬の木蔭から走り出す子供が光を受けている
排水路には落ちた葉の積もり流れて
祭の人ごみ、手を引き連れまわすのは女の方で
ダウンジャケットに包まって「買ってかない?」声かける売り子はなかなかに容姿端麗の青年で蛇道なり
ベビイカアから身を乗り出す赤児には行く先が拓けているのか
ボロ市盛況、骨董屋の気に入ったものから順にはけて
ぶらつく青年の口と心と図体だけは大きくなりました
冬日寒風、ボロ市冬に開いてこそボロ市なりけり
サボテンの小鉢のそれぞれに個性のありて、撰ばねばならない
青空や古本屋の本の長く売りに出されて背表紙色褪せて
年の瀬や「出してしまえ」と云われて腹から出てきた子供の何年経っても生き方がわからない
「あした死にませう」言えない躰は水に溶ける
人に混じって人でなくなれ躰を三つに六つ九つに割ってしまえ
酒瓶の底の最後の一ぱいを流し込んで夜は深く深く

(2002.12.17)
空気の強い蠢動に掻き雑ぜられた飛行機のジェットノイズが八方に響く。うねりはあるときは近くあるときは遠く、空をひとつの大ホールにして響きわたる。機影は見当たらない。風は南から、水が溝に広がるように家々にぶつかりながら道路を舐めて溜まった塵芥を巻き上げる。地平線近くを這う太陽からの薄い陽射しは強い風に飛ばされて長い影をおかす。視界には無温の白い光が満ち、ほのあおい影は果てなく希釈される。前を行く女のマフラーの端がひらめき、その髪はよじれながら舞い上がる。それに合わせて薄い影も揺らぐ。立ち止まった女は片方の手で髪を束ね、片方の手でマフラーを巻き直した。信号が青に変らないのだ。透明すぎる空気が急すぎるその流れが、ぼくの視点は女を通り過ぎて流れに乗ってはるか向う、近づいて来る自動車の音にまで届く。その車輪の回転を薄い影をも見つめている。飛行機の爆音はも早や途絶え、風下の自動車の走行音も届かない。この風では小鳥も飛ぶことはかなうまい。鳶も上昇気流を発見できまい。今この空にあるのは満ちる白光と噴き上がる塵、窒素の隙間を突き抜けて滑るぼくの視線。信号が青に変らないのだ。信号が変らないのだ。やがてぼくの視点は地球の球体面の影に隠れる。密度を振り切り真空へと到る。
(2002.12.18)-1
昨日書いたものは、自分で言うのもあれだが、文字遊びとしては「それなり」のものだ。この一年のうちの方々で何度も手垢をつけた言葉を寄せ集めて作ることができた。あれはぼくがはじめて書いた「詩のごときもの」かもしれない。ぼくはいつもよりも幾らか多く識った上であすこに言葉を置き繋いでいったし、またそうして結合された言葉たちが指し示すものは、あすこにある言葉のどれかひとつを重ねて言う、というようなものではないと識っていた。出来はともかく、とにかくそういうものだ。だから少しは喜んでいいのではないかと思うのだけれど、いま別段なんの感慨もない。ただ書いて、書き終わったので、寝る。昨日もただそれだけだった。今日読み直して見ても、単語の撰定の幾つかが微妙に甘いような気がするくらいで、他は何もない。ぼくに見合った低いレベルで「よくまとまって」いると思う。もう一度読み直しても、それ自体に不満はやはりない。あるのは「ぼくはこんなものが書きたかったのか」という
(2002.12.18)-2
馬鹿ではないか。こんなものが書きたかったのか。
(2002.12.21)-1
なぜ書かない。書かねばまた顛落するぞ。無価値からまた、あの
(2002.12.21)-2
以下、ボツ。供養。
(TheDayWithATyphoon)-3
 篤志の自転車の細々としたところにまでいろいろとお金をかけていじる趣味は、私にはほとんど理解できないのだけれど、それでも私と篤志とは、こういった具合にいろいろと妙なところで互いの好みが合って変な気のすることが多い。まず篤志と親しくなったことからして、あるB級映画の中の登場人物である妙な風采の弁護士についての話題を通じて意気投合したからなのである。「立会人」というタイトルの映画で、特に最近の作品というわけでもない。けれども、私の以前の仕事に関係して開かれていた立食パーティーの会場の隅っこで、私たちはそのB級映画を通じて知合ったのである。
 そのパーティーは、始まってもうそろそろ一時間ほどが経ち、主催者側の関係者の一人であった私はその時分になっていろいろの付き合いからようやく解放された。その頃はもうその仕事をいつかは辞めるという決意を漠然とながらも固めていたので、私はパーティーを一向楽しんではいなかった。何か突き放したような気持で、お酒の入ったグラスを片手に会場の隅に並べられた椅子の端の一脚に腰かけ、談笑する人々の様を眺めてぼんやりしていた。「早く終らないかしら」天井にぶらさがっている大きなシャンデリアの光を眺めて半ばふてくされていた。ときどき思い出したようにグラスのシャンパンをグイと流し込んだ。このシャンパンだけはおいしかった。それだけがこの浮薄な集いの唯一の慰みだったが、「いやいや、もっと気安いパーティーだったのなら、もっとたくさん飲んで至極ご機嫌だったに違いないのに」と思えばやっぱり憂鬱、またグラスをグイとやるのだった。
 そうして暫く浮かない気持で会場の隅に一人坐って何度かグラスを空にしていたのだけれど、そのうちに酔いもまわって、ひとりで鬱々しているのにも倦んできたので、私はパーティー会場の様子を眺めるともなく眺めだした。ざっと見たところ、会場には五十人ほどが集っているようだった。私の知った人はその内の二十人程度で、残りは招待客のようだ。大半が四五十代の中年男性だった。そうして人々の顔をするすると目で撫でてゆくうちに、私は会場の内の禿げ頭の数を数えて残りの時間を潰すことをふと思いついた。発想のあまりの陳腐さ下品さに自身も一度はあきれ返って、ふっと苦笑いが洩らしたのだけれど、そのときの私の気分はおそらく随分と荒んでいたのである。それからシャンパンのアルコールが大分脳を侵していたのである。私は投げやりな気持でパーティー会場の左端から順に禿げ頭の数を数えはじめた。「ひとつ、ふたつ」など声はさすがに出さないけれども、一人数え上げるたびにコクリコクリと小さく顎を動かしながら数え上げてゆく。禿げ頭もこうして真面目に取り扱ってみれば、実に様々である。天井の豪華な照明を受けて照り輝いている見事なものもあれば、どのような思いでそれをするのか、私にはわかりかねるのだが、丁寧に周囲の髪を無くなった部分へ移してきている人、禿げというよりは髪が薄くなっているというくらいの人、いろいろである。禿げの似合う人も、またそうでない人もある。或る恰幅の良い五十代後半と思われる形の良い頭が見事に禿げて照り輝いている紳士などは、髪のある若い頃などは却ってどこか不自然な印象を受けたのではないかとすら思われるほどである。「禿げも良し悪しだな」など、酒の勢い、したり顔に微かな笑みを浮かべながら飽きもせずにもう十人ほども数え上げ、ほぼ真四角の会場の中ほどまでその失礼な人の頭の観察作業が進んだところで、私の坐っている反対の隅の辺りで談笑している中年紳士数人の中に「立会人」の内に登場する弁護士と非常によく似た紳士を私は見出したのである。見つけるやいなや、暇つぶしの下品なカウント作業を放り出してその紳士に見入ってしまった。
 数人の中年紳士たちの中でも、その紳士は目立って小柄で猫背、頭は大きく禿げ上がっている。天辺付近にだけは少量の髪がまだ残っており、紳士は残った髪を長く伸ばし、それを右側に倒していた。目は細く、線のようで、その目尻には数本の皺が深く走っていおり、大きな黒縁の眼鏡を、これまた少々大きすぎるくらいの鼻にのせている。会釈や物を取る仕草、歩きなどの動作のひとつひとつが滑稽なくらいに機敏で、小ぢんまりとして、それが離れてみる私の目からも非常に目について見える。どうやら遅れて会場に到着したもののようで、挨拶に近寄ってくる人々の応対をしてときおり握手などをしていたが、それなどは実に「立会人」の弁護士に似ている。「ああ、そっくり」など、私は思わず呟いて可笑しく、誰かにそのことを話したいと思ったのだけれど、パーティー会場には私とB級映画の、それも脇役の小男についての話をしてくれるような人はどこにも居ないのだった。私はもどかしく身悶えして、友人の一人に電話をしようかとすら一時考えた。けれどもあの紳士の姿や仕草などを、さも目の前でそれを見るかのよう、共感を抱かせるよう電話口で伝える自信が私にはどうにもなかったので、やむなく断念、シャンパンのおかわりを取りに立ち上がり、ついでに皿にローストビーフや輪切りのトマトなどを適当につまんで盛って、またもとの椅子に坐った。
 ローストビーフを口に運びながら、仕方なく他にも面白そうな人はないものかと更に会場を見廻して、きょろきょろ首を振ってみる。と、いつの間にか私の坐っている椅子と並んでならべられた椅子の列の、私と反対側の端にひとり、男が坐っている。それが、篤志だった。ひと目見て惹かれるものがあったのだか、ただ「いつの間に来ていたんだろう」と思ったのかは、それは今もよくわからないのだけれど、私は何となく篤志の姿に目をとられた。篤志は左右の膝に両肘をそれぞれ乗せた前かがみの姿勢で椅子に坐っていた。様子から察するに、同じように煩わしい付き合いから解放されてここで一息ついているもののようである。淡い親近感というのだろうか、柔らかい心持になって私は篤志を見つめた。篤志は手にした酒のグラスに口をつけるわけでもなく、熱心に何かを見つめているようである。篤志の熱心に見入る視線につられて、私もその先にあるものを何気なく追いかける。すると、あの「立会人」の弁護士の、相変わらず傍目には全く無意味なように見える動作をちょこまかあくせくとしながら傍らの者と話をしている姿があったのである。「この人も!」ぶわっと私は嬉しくなってあやうく立ち上がってしまいそうになったのだけど、「待って。まだそうと決まったわけじゃない」どうにかとどまり、篤志の視線の先にあるものが「立会人」の弁護士かどうか、もう一度確かめることにする。透明な篤志の視線を何度もなぞるように、篤志とちょろちょろと動くあの紳士との間を交互に私は目を走らせた。
 その視線の先にあるのはやはり「立会人」の弁護士であるみたい。そろそろ確信しかけていると、突然篤志の顔が私の方を向いた。私があんまりきょろきょろしながら見つめていたので、どうやら気になったようだ。
「あの、何か」
「あ、いや、あの」
にわかにまごついて、酔ってほのかに赤くなった顔を更に私は赤くしてしまった。普段の私ならば、そこで情けない汗をかきながら曖昧に誤魔化してしまうところだ。けれども今は、篤志が「立会人」の弁護士に似たあの男を観察していたのかどうか、確かめる絶好のチャンスである。先刻まで感じていた、あの弁護士についての、B級映画についての、他愛ない話を誰かとしたいという欲求が再び湧き上がっていた私は、思いきってたずねてみた。紳士の方を私は小さく指さしながら、
「あの人のこと、見ていたんですか」
篤志は私の指さす方をちらと眺めて、すぐに察したらしく、
「ああ、そう。あの小さい人」
「やっぱり。やっぱり、そう」
私はすっかり嬉しく、変にはしゃいでしまって、「おや」と思うほど自然に笑顔になって、それから余計なことを口走った。
「気になりますよね、あの人。おかしいですよね。はげちゃびん」
私のその言葉に篤志は少し呆れたようにして笑って、
「はげちゃびん、て。そんな、失礼な。まあ、そうだけど。いや、やっぱり違うな。そんなに可愛くはないよ、あの人は」
と、篤志の方がより多く余計なことを言った。いよいよ私ははしゃいでしまって、見ず知らず、初対面の人に向かって挨拶もなしに、普段の私のように喋りはじめてしまっていた。
「私もさっきから、ずっとあの人のこと気になってて。ねえ、「立会人」っていう映画を知っている?あの映画に出てくる弁護士がいるでしょう。あの人、その弁護士にそっくりで、もう気になって気になって」
早口にそれだけ言ってしまって、少し満足。知らない人に知らない映画の話をしてしまいました。我に返って、「すいません。そんなマイナーな映画のこと言われても、わかりませんよね」謝まろうとすると、篤志は手を叩いて、
「ああ、それ、それ。それだ。「立会人」だ。どっかで見たやつだなあって、今ずっと首ひねっていたところなんだよ。そうだ、そうだ。「立会人」だ。これで、すっきりした。やれやれ。どうやらこれで、今夜もきちんと眠ることができそうだよ。いやあ、ありがとう」
笑ってそう言って、手にしたグラスのシャンパンを一口飲んでから、ちょこっと頭を下げる。それはそれは。私の方も思いがけず人のお役に立てて望外の喜び。それからあの映画を知っている人が、その上、まったく同じことを考えている人がすぐ隣に見つかって、これも実に望外の喜び。私も感謝の気持も込めて心から、「いえいえ、どういたしまして」深々頭を下げた。
「しかし「立会人」なんて映画、よく見てますねえ。あの映画って、確か全然有名じゃあないですよね」
今度は篤志の方からちょっとあらたまって尋ねてきた。私も襟をただして篤志の正面へ向けてきちんと坐りなおして、その質問に応える。
「ええ、確かにそうですね。私は新宿の映画館でたまたま観たんです」
私は二年前に前に付き合っていた人と一緒に「立会人」を観たのである。でも、それは言わなかった。わざわざ言うことでもない。
「そうですか」と応じながら、篤志はまた「立会人」弁護士に似た紳士の方に視線を移した。そうしてまた、「くっくっ」と、声を殺して笑い出した。
「いや、ちょっと、映画のシーンを思い出してきてしまって。いや、ほんとうに似ている。もうあの人が日本人だとは思えないね。彼は何ていう名前だったかしら」
「確か名前は無かったんだと思うの。さっき私も少し考えてみたのだけれど」
「そうか。そうだったかも、知れないな。話の中ではそんなに重要な人物ではなかったから」
「ええ。でも、やっぱり重要よ。だってあの映画って、あの弁護士が全てじゃない」
「確かにそうだ。今も結局あの映画の粗筋も何も、思い出せない。彼の登場しているシーンの、それも彼の仕草しか実際には思い出せないね」
篤志はまた「くっくっ」と笑い出して、肩を小刻みに震わせている。笑う篤志の横顔を見つめながら、私はとても打ち解けた気分になってきているのを感じていた。
「映画は、よく観るの?」
私から聞いてみる。篤志はちらと視線だけをこちらへ向けて、
「いや、ぼくもそんなに観る方ではないと思うよ。「立会人」は、どうして観たんだったかなあ。たしか、何か他の映画を観ようと思って映画館に行ったんだけれど、それが混んでいて、それで、という感じだったような気がする。何を観ようと思っていたのだったかな。ちょっと今はもう思い出せないけれど。まあ、要するにぼくにとって映画というのはその程度のものだよ」
「そう。それじゃあ、私と同じようなものね」
「うん。おそらく同じようなものだ」
篤志は、こちらを向いてにっこり笑った。
 お互いもうすっかり仲良し、打ち解けた心もちで、私たちは「立会人」の内容についてしばらく話をした。そしてそれも飽いてくれば、会場中央のテーブルのところへ行って残り少なくなった料理を「もうあんまり残っていないね」など、顔を見合わせて、ぶつぶつやりながら大皿をあさり、シャンパンのおかわりをひとつずつ持ってもとの隅の方へ戻り、ふたりで分け合って食べた。私は篤志の年齢、誕生日、仕事のこと、私の部屋のすぐそば(最寄の駅が隣の駅)に住んでいること、お酒にあまり強くないこと、今日は少し飲みすぎなくらい、好みの女優、歌手、それから好きな映画などを知った。私もまた篤志に同じようなことを話したと思う。細かい内容は忘れてしまったが、先の尖った靴は好かない、という話で盛り上がったことだけはなぜか覚えている。私は硬い印象の靴は好かない。丸っこくて可愛い靴が好きだ。高いヒールの靴もやっぱり好かない。ここでもやはり私たちの見解は一致したので、酔った勢い、おたがいにやたらに大きく頷き合い、にわかに可「愛い靴同盟」なる何のひねりもない同盟を結成する運びとなり、ぐっと、なんだかよくわからない誓いの握手をしたのだった。
 そうしてパーティーが解散になるころになって、ようやく私たちの気分は盛り上がってきていた。ふたりとも上司やら同僚やらへの挨拶もそこそこに、「まだ飲み足りないね」「うんうん、足りない」「どこか探して入ろう」「そうしよう」など、軽快に合いの手をいれあって実にいい気分、会場を出て駅に向って並んで歩きながら、二軒目を探す。幸いにして店は、会場のホテルを出てすぐに見つかった。二つとなりのビルに、手ごろな居酒屋の灯りが見える。「あ、ここがいい」「あ、ここでいい」なんでもよかったのである。ふたりでのれんをくぐり、狭い戸口を抜けて、居酒屋の座敷に上がりこみ、そこでまたもホテルの続き、相変わらずの同じような至極たわいのない会話をだらだらとして、へらへら笑いあった。お酒もそれなりに飲んだ。風鍋などをまだ頼んで、ふたりでつついた。おかげですっかりお腹がいっぱいになった。
 結局私たちは終電近くまでその居酒屋に居座り、延々とだらだらへらへらやっていたのである。私にとってはまったく久しぶりの大酒だった。お客が一組、また一組と店から居なくなり、私もそろそろ時間が心配になって来て時計を見れば、既に零時近くである。「ねえ、もうこんな時間。出ましょうか」
「もうこんな時間なのか?」篤志も時計を見て驚き、そそくさと立ち上がった。勘定を済ませて店の外へ出ると、夜気はだいぶ冷たい。黒い空気がピンと張っている。
 駅に向ってふたり身を縮めて歩いていると、ふと、篤志が何かを思い出したように立ちどまった。 「何。忘れ物でもしたの」
篤志を追い越した私が気づいて立ちどまり、振り返って訊ねると、篤志は「いや」と答えて言葉を切り、
「いや、まだ名前を聞いていなかった」
「あ」そこでようやく、私もまだ篤志の名前を篤志だと知らなかったことに気づいた。
「いま話しかけようと名前を呼ぼうとして、あれ。君の名前はなんだったろう。思い出せない。うん、確かに記憶にない。さては、酔っていよいよ俺もボケるようになってしまったか。なんて一瞬思って、でもよく考えてみれば、確かにまだ名前を聞いていなかった」
「そうね。言ってなかった。それから私もあなたの名前、まだ聞いていない」
「そうか。言っていなかったかもしれないなあ。では」
篤志は私の前にやってきて姿勢を正し、胸の内ポケットから名刺入れを取り出して、
「ご挨拶が遅れておりました。わたくし、幸嶋篤志と申します。どうぞよろしくお願い致します」
型どおりの名刺交換の挨拶を私にする。けれども、篤志の両頬は夜の路地の暗闇の中でもわかるほどに赤く、また音声も「よろしく」が「よろひく」と聞えるほどの不完全なものだったので、くすぐったいくらいに可笑しくて、
「ちょっと、やめてよ」
私はしばらくお腹を抱えて、真面目に取り合おうとはしなかったのだけれど、篤志は相変わらず真顔で緊張してつっ立っている。仕方ない。私も笑い涙を拭って直立、鞄から名刺を一枚取り出して、
「こちらこそ申し遅れました。斎木美和と申します」
私たちは煙草の自動販売機の前で名刺交換をしたのである。篤志は自販機の明かりに私の名刺を照らして見ながら、ようやく噴き出した。
「あー、馬鹿馬鹿しい。しかし、よく今までお互い名前も知らないであれだけべらべらと話をし続けていられたもんだなあ。なんて呼んでいたのだろう。全く思い出せないな。ともかくよろしく、美和さん」
篤志ははじめから私を下の名前で呼んだ。
「ふたりで話しているばかりだったから、名前なんて呼ばなくても平気だったのじゃないかしら。きっと。名前なんてものは」
私はそこで一呼吸置いて、「とにかく、こちらこそよろしく、篤志さん」もう一度お辞儀をした。
「さて。少し急ぎましょう。電車がなくなってしまう」
 篤志と一緒に駅へ向かいながら、いま貰った名刺がなんだかとても珍しいもののように思えたので、私は折々うつむいてそれを見つめ、中の名前を何度も口の中で呟いて歩いた。コウジマアツシ。よい名前のように思えた。篤志はときどき空を見上げて黙って歩いていた。夜風は頬に冷たかったが、今は酔っている私を気持ちよく冷してくれていた。
「いい名前ね」
空を見上げている篤志の横顔に向かって私が言うと、篤志は照れて、
「よせよ」
「別にあなたを誉めているのじゃない。よい名をつけられたご両親を、誉めているの」
言った私も照れていた。「失敗した」と思った。篤志は短く黙って私の表情を観察しているようだ。それを知っていて、私もうつむいている。
「今日はなんだか久しぶりにどうでもいいことを沢山喋った気がするよ」
篤志が話を転じたので、素直にあわせて私は顔を上げ、
「そうね。下らないことばかり、あんなにいっぱい。飽きずに」
「うん。よくもまあ飽きもせずに、だらだらと」
そう言って、ふたり小さく深呼吸をする。また言葉が少し途切れた。私はふらふらと辺りへ眼を泳がせる。本当に、久しぶりでこんなに気持ちよく酔っぱらった。退屈なだけだったパーティーが、とてもありがたいものに思えた。篤志のカーキ色のコートに白い大きな糸くずが付いているのを見つけて、私はそっと摘んで取って、「こういう感じよね」篤志に見せる。
「そう、そういう感じだ」
摘んだ指を広げるとその白い糸くずは夜風に舞い上がり、街灯の強いオレンジ色の光の中へ吸い込まれて消えた。それから私たちは無言のまま、信号を待ちで立ちどまり夜空を見上げ、自分の靴をスカートを眺め、信号が変ればやっぱり黙って横断歩道を渡って、駅まで歩いた。夜風が私の中に溜り積もった砂粒を吹き流してゆくような気がした。篤志は時折眠そうに眼をこすっていた。終電の二本ほど前の電車に私たちは乗ることができた。週末の遅い時刻の車内はだいぶ混み合っている。それでも私たちはどうにか並んで吊革につかまることができた。車内では私も何度か小さい欠伸をした。篤志はときどき立ったまま寝入ってしまいそうになっていた。一度乗り換えてその沿線、私の方がひとつ手前の駅で下りることになる。私は篤志の背中をとんとんと軽く叩いて、
「じゃあ、私はここで。今日は本当に楽しかったよ」
篤志は素早く眼を醒まして、
「俺も楽しかった。そのうちにまた飲もう」
「うん。暇なときには遠慮なく電話して」
「うん、わかった。君もそうしてくれ」
「うん。じゃあ毎日だ」
私は電車を降りてから振り向いて、笑って言った。
「そうか。じゃあ、毎日でもいいよ」
篤志も戸口で笑った。すぐにドアは閉まり、電車は発車する。小さく手を振ってみたら、篤志はきちんと応えてくれた。電車の中では私もうつらうつらしていたので、ホームの外気の冷たさが少し肌に染みて、私は「おお、寒い。寒い」など、少しにやけて呟いて、階段に向けて歩き出した。
 そうして二三日して、退屈な晩に私が篤志に「えへへ。かけちゃった」で始まる電話をかけて、また次の週末に私たちは飲みに行き、そうして程なくつきあい始めた。そして、それからまた半年ほど経った去年の秋ごろ、私が仕事を辞めるのを機に少し広い部屋を新しく借りて、私たちは一緒に暮し始めたのである。

(2002.12.22)-1
ちなみに、中原中也は十五年で二本だ。ふたつ目の一代詩集、初版は六百部だ。我が意識よ、ご記憶召されい。よく研磨された宝石は、その製作者の血反吐を少しも映し込んで見せることはないのだ。
(2002.12.22)-2
なんだか意味のわからない日だった。いちにちは決して取り返せないのにね。
(2002.12.22)-3
陽も冷たし。いとさみし。
(2002.12.23)-1
何かひとつ書き始めようとするその前に、その終わりまでの長さとその間の手間について考えるようになっている。勿論それに対する評価は言わずもがな。大変に危険である。懶惰の海がその先には広がっている。
(2002.12.23)-2
 起き上がる理由があまりない。全くの孤独ということについて断片的に取り扱っている。

 牧はここ二三日、日中をほとんど床の内で過ごした。厚いカーテンを二重に重ね完全に陽の遮られた部屋の中で彼は一日中ほとんど眠って過ごしていた。そうして時折目覚めては横になったまま電灯を点して現在の時刻を確認し、見定めた時刻を声を立てずに呟きながら窓外の物音に耳を澄ませてみるのだった。
 それはそうした目覚めの何度目であったのか判然としないが、或る時全く夢の無いけれども極く浅い眠りから目覚めた牧はやはりまた蒲団の隅から手を伸ばして電灯のスイッチを引き、時計を探り当てた。時計の短針は夏であれば午後の陽射しが黄色く染まり始める時間帯を指していた。牧は声を出す必要がないので声を出さずに唇だけを僅かに燻らせて時計の指し示しているその時間を秒の値まで読み上げ、部屋の外の物音を聞こうと聞き耳を立てた。けれどもそのときに限って窓外からは物音ひとつ、表の冬枯れのした桜や楓にとまってよくちゅくちゅくと囀っている雀の声や部屋から五十米ほど隔たった道路を通行するトラックの走行音などが普段の牧の部屋によく聞えてくる物音であったが、そういった音が一切牧の耳には入ってこなかった。彼はただ自身の浅い呼吸音と、眺めている時計の秒針の規則正しく打つ音だけを聞いた。しばらくの間は彼はそうして耳を澄ましていたが部屋の外からの物音はやはり無く、彼は無意識のうちに秒針の打つ回数を数えるばかりだった。聞き耳を立てることを諦めた彼は電灯を消して顔を少し傾け正面の窓のカーテンの隙間などを睨んでも見たが隙間は丁寧に合わせて閉じられており、窓の外の様子を知ることはかなわなかった。彼には今部屋の外には本当に太陽が出ているのかわからなかった。部屋の外の様子を全く知ることの出来ない以上、それを間接的に示しているのはただこの時計の短針の角度だけだったが、それは殊によると牧の認識と半日ずれている事も考えられた。そして物音の全くしない事などをかんがみると、どうもそちらの方がむしろ正しいようにも思われた。実際問題としては牧の認識が半日ずれていようとなかろうと、呼吸していることと生きていることが殆どイコールであったその時期の牧にとっては些事ではあったが、今は本当に日中なのかそれとも違うのかという事がその時の牧にはぼんやりと気にかかった。自身が今までどのくらい眠っていたのか多少不安になったのである。牧は真っ暗闇の部屋の、実際には目を開けていたのか閉じていたのか牧自身にもわかってはいなかったがおそらく、天井をぼんやりと見上げて自身が先ほど目を醒ました際に確認した時間を思い出そうとした。それは確か正午の少し手前だった。従って極く単純にその時から今まで牧の眠りに落ちていた時間は数時間ということになるが、牧にはどうもそれが疑わしく思えるのだった。牧は明瞭な意思のない脳のまま、自身が前に目覚めたときから数時間眠っていたのではなく十数時間眠って、今はもう深夜なのではないか、もしくは前に目覚めた時、牧は今のように部屋の外に対しては何の関心も持たず、また時計の指し示す時刻に対しての疑念も抱く事は無かったので正午前だという認識が誤っており、前回の目覚の時刻は実際は零時前で、そうして今はそれから数時間後の深夜なのではないか、そのために窓外からは雀の囀りも自動車の往来の音も聞えず、物音が皆無であるのではないかというようなことを考えた。そしてそのどちらにしても牧は時計の指す時刻を見当違いするようになっており、既に自身の時間に対する定量的な感覚を失っているのではないかと考えた。
 牧のその疑念は床から抜け出て二重カーテンを引き開いて見れば直ぐに氷解するものであったが、実際にそれをしようとは思わなかった。そこでの問題は現実の時刻がどうであるかではなかった。牧は暗闇のなかで微苦笑をした。いや、精確には彼は微苦笑に相当する動作をしたような意識を持ったが、実際に口を歪めたかどうかは牧自身にも判然としなかった。ともかくそうして牧は自身が現在陥っている境遇についての一つの感傷をつけたのだった。彼はまた自身が何故目覚めるたびにその時の時刻を確認しようとするのかについて考えた。時刻を確認する事自体にはどうやら大した意味の無いように思えた。現在の彼は所謂完全な自由を得ていた。所謂完全な自由。牧はそう思い至った時にまた微苦笑の意識を持った。彼は今まで一度もそういった反語的に生まれた理想を思った経験は無かったが、それを夢想して止まない人間ではなく牧のような人間が実際には当にその状態を得ていることに牧もわずかに興を覚えるのだった。牧は寝床に横たわったまま目を閉じて或は目を開いて、その所謂完全な自由とやらについて更にいくつか思慮を走らせた。完全な自由を得た人間は果して現実に今の牧の状態以外のものになり得るのだろうか。現在陥っているこの状態がその所謂完全な自由とやらに起因するものなのではなかろうか。だとすれば、自身のこの状態は殊更抜け出そうとしても抜け出せるものではない。何らかの外的な要因によってその所謂完全な自由が破戒されなければならないだろう。けれどもそうではなく、所謂完全な自由は牧の置かれた身体と精神の状態による副産物でしかないとすれば、牧はどうかして得た今の境遇を唯眠る事と時折目覚めて時刻を確認し外の様子に耳を澄ませる事で浪費していると言える。そして更に目覚めるたびに時計を確認するという行為は所謂完全な自由に対しての一種の抵抗というようにも考えられる。何故なら時間を識るという行為は最終的には必ず何らかの規律を意図する行為であり、彼は所謂完全な自由の唯一の使途として規律を作ることを望んでいるということになるからだ。けれどもそれはもう時期に意図するような効果を得られなくなるようだった。現に彼はもう既に時計の指し示す時刻を半ば信じる事ができなくなっている。牧は次に目覚めたときにはもう時計を見る動作をしないかも知れないと思った。不相変牧の視界の闇は目を閉じた為のものか部屋自体の暗闇か判然としない。音も自身の呼吸音と時計の秒針の音が掠れて聞えてくるのみである。牧は時計をもう一度確認しようか否か迷っていた。

(2002.12.24)-1
十日ほど前のボロ市で買った懐中時計が今日届く。どうやらぼくは自分にクリスマスプレゼントを贈っていたらしい。なかなか気が利いている。アホだ。
(2002.12.24)-2
American Waltham Watch Co.製 15 Jewels 手巻き式懐中時計。製造年不肖。文字盤の覆いがプラスティック製なのでそんなには古くないはず。文字盤の反対側では真面目に歯車を見せて蔓草文様の装飾有り。今日いちにち持ってみての印象。カチカチカチカチカチうるさい。うるさい。よく聞く時計の効果音のとおり、半秒に一度カチ、一秒の往復でカチカチと二度鳴るのだ。なんだか追い立てられているみたいで、神経症にかかりそうだ。うむ、大事にしよう。
(2002.12.24)-3
小包に手紙が同封されていたので、こちらからは電子メエルで返事を書く。相変わらずぼくはメールを書くのが下手だ。
(2002.12.24)-4
できるだけ生き急ぎなさい。死に急ぎなさい。
(2002.12.24)-5
と言ってる傍からくるくる廻る滑車を眺めて、Cocco聴きながら十五分もぼーっとしているのだから全然信用ならない。まったくの口先らしい。
(2002.12.24)-6
Merry Christmas. Good night. Oyasumi...
(2002.12.25)
Do not wallow in tepid peace. You must carry out the "Do alive". It quite means to aim at the stop of your heartbeats straight. Just do alive.
(2002.12.26)
とぼとぼ歩いているのねあんまり先は見ないでね
公園通りにはポストがあってね一本足が赤くて
コリーの子供が綱を引いてそこに小便してて
途中でぼくを見上げていてね茶色い澄んだ瞳がつやつやで舌を出して
ぼくは話をした眼で話をして月並みの世間話
コリーの子供は眼でいつもおしゃべりとても無邪気で
くるん一回転をした綱をまた引っ張って身体に巻きつけて
ぼくのためにひと回りをした眼をずっと見つめていた
笑ってねえいっしょに笑って今日は寒いけれどとてもよく晴れているの
ここは夢じゃない忘れないではじめのはじめの持っているでしょう
渡したいものを隠さないで凪いだ太陽を背を受けて
まずしいこころは神さまにたずねごとをした
まばゆい
まずしいこころ

(2002.12.27)
Owen gives you some precious feels like a...
(2002.12.28)-1
24になった。23までがそうだったようにぼくは暮らすだろう。おそらく25にもなるだろう。
(2002.12.28)-2
この世界で本当に重大なのは他人の体温と自身の死だけだ。他の凡てはそれらを目指す足どりと道のりとに過ぎない。
(2002.12.29)
そしたら風邪をひいたんだ。丸まって泣いたけど何にも起きなかったよ。おやすみ。来年は
来年だって変らないよ。


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kiyoto@gate01.com