tell a graphic lie
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(2003.1.23)
目覚ましを遠くに置いて、朝、無理矢理に蒲団から這い出てしばらく動かない。目蓋が上がらないのである。合成繊維の寝巻を通して朝の冷気がすぐにすっと肌に沁みてくるが、構わずぼくは動かない。頭もよく動かない。沁みる冷たさは感覚されるよりもむしろ知覚されて、動かない頭でぼくは今日も寒いと思う。確かに寒い。けれども、動く気がしない。目蓋が重い、重い。昨日は6時過ぎにようやく眠ったのである。いや、昨日というのは流石に抵抗がある。12時過ぎに帰ったぼくはいつもどおりに暫時放心、いつものテキストコンテンツを眺め(h2oとも言う)、なんだそれは、俺にも投票をしろというのか、その亜米利加人のノオベル賞作家の全集が欲しいと名乗りを挙げろというのか。読んだことの無い作家の支持はわしにはできぬ。唯でさへ今は川端康成の登場(ぼくの内の)で手一杯、また何作か写し取らねばならないのであろうか、ああ、面倒だ、面倒だが仕方あるまい、幸いにして、どこを切り出してもいいのが川端康成の素晴らしいところであるのだから、一本まるまると写す事はあるまい。しかし何はともあれ、文庫の全てに眼を通してからの話だ。しかし、今日も眠いなあ。など、取りとめもなく愚痴のようなものが流れ出し、流れ出し、けれどもそれを止める意欲はなく、ああ、こういうときは太宰を見るのがよかろうと気楽な短篇の文庫「新樹の言葉」の適当なところ、真ん中あたりをぱらぱらとめくり、作品名も思い出さぬままにだらだらと読み流し、ひと文字も頭に入らず、時折内容に全く関係のないところでへらと笑みをこぼし、こぼし、こぼし、、、時は過ぎ去り、ようやく頭も仕事から離れて(プログラマは仕事を終えても完全には仕事から解放され得ない)そろそろ書き始めることにしようと、またファイルを開いて後半の一節を読み直し、数字書き変え、数句置き換え、いいような悪いような、全くわからず、まただらだらと時は流れ、頭をかき、なぜいつもぼくのは三択なのだ。1.書き換えたのがいい 2.前のがいい 3.どちらもだめ。もっといいのがある。すぐに答えることができる。正解は3番でした。ご愁傷様。あちょう。流していたCDがいつの間にか終っている。暫く次を迷って入れ換えて、更に暫くするとブツとノイズが聴こえたが、聴こえたような気がしただけだ。話の方はようやくにして今日のところにたどり着いたはいいが、春は既に去れり。何も思い浮かばぬ。思えば、短い春だった。合掌。ああん、寒い。一字も書けず、なんという体たらく。ああ、もう削除してしまいたい。川端康成を取り入れたい。凡人にあれは取り入れることのかなうものなのであろうか。ああ、やけを起したい。やけを起して酒を呷って寝てしまいたい。そういえば、最近お酒の量がめっきり減りました。全くどうでもいい事ばかり思い浮かび、進まぬ。進まぬ。ああ、進まぬ。進まなあい。 ふと、意識が戻るとスピーカの片方から音が出ていないのである。 ! スピーカが壊れた。そういえば、ブツ。と言っておったような気がしないでもない。あれか。あれなのか。ちきしょう、このスピーカも流石に寿命か。ああ、また買いに行かねばならん。次はもっとコンパクトで高性能の一物にしたいものだのう。しかし、休みまではまだ日があるではないか。それまではこの片面の音でいなければならぬのか。なんという、、、ようやくにして原因を究明する意思を起し、もそもそとケーブルの繋がりをチェックする。左のスピーカ、左のスピーカ。見えん。指が入らん。誰だ、こんなきちきちに詰め込んだのは。俺に決まっているではないか、俺よ。うむ、なんという。仕方ない。少し動かすことにしよう。急がば回れとはおそらくこのようなことを言っているのだ。古人の智慧は尊重せねばならぬ、俺よ。んしょ、よいしょ。どうやら接続はきちんとなされているようである。緩んで抜け落ちたという事は無さそうだ。ヘッドフォンであれば、きちんと両側聴くことができる。スピーカの問題であろう。ふむ、試しに左のものの端子を右の端子に接続してみるとしよう。あ、鳴る。鳴るではないか。ならば、問題はスピーカにはなく、アンプにあるのである。はずした右のものの端子をアンプの左の出力端子へ差し込んでみる。あ、鳴らない。どうやらアンプのスピーカ端子左が死んだらしい。な、なんという。なんという、すばらしい事だ。アンプはお蔵入りになっていた巨大なものが、今この部屋にはあるではないか。つなぎ換えれば万事解決である。音質は維持され、BASS/TREBLE つまみが効かなくなって、代わりに使いもしない入出力端子が10ばかり増えて、体積が6倍になるのである。素晴らしい。丁度、小川のせせらぎの瀬音が耳について寝付けないがごとく、PC のファンの音が気になって気になって何とかならないものか、そうだ、こいつを隔離してしまえばいいではないか。遠くへ行かせてしまえばよいではないか。近くにはキイボオドとマウスとディスプレイがあれば足りる。シイデイは全く使わないウインドウズアップデイト、便利な世の中、こうしてぼくは遠くから管理されているのでありました。こんな箱は要らないのである。実にナイスアイデア。グッドマイお部屋デザイン賞。など、夢想していたところであったので、どうせこのビッグな筐体の中央に鎮座されたる重変圧器の作り出す磁場のおかげで現在位置のアンプが置かれているディスプレイの隣には置くことはかなわぬこの際であるからして、アンプの上に詰まれたるPCも隔離する作業も執り行うべきであろう。つまり部屋のレイアウトを変えるのが良かろう。ケーブルの長さが足りないから、今日は一時的に定位置に置かず、そこいらに出して、明日また5mくらいの長いケーブルをいくつか買って来きてつなげることとしよう。今何時だ。二時過ぎている。構うものか。思いたったが吉日というではないか。古人の智慧は尊重せねばならぬ。温故知新、おんこちしん。平仮名で書くと子供じみたお下劣が思い浮かぶが気にしてはならぬ。んこ、ちしん。んこ、ちん。もうだめだ。よよよよ。も、もひゃやこれまで。こうなれば部屋の模様替えに生きるより他に生きる手立てはない。さあ、やるぞ。など、勇んで作業を始めたのだけれど、やってみたら、これが実に大掛かりなものになってしまって、パソコン一式(含 プリンタ/スキャナ/タブレット/光ファイバルータ)を取りはずして隣のキッチンの方へ持ってゆき、6倍の体積のコンポを上の棚から下ろし、アンプの死んだミニコンポセットもついでに全て首にするため接続を全てはずしたら、6口テーブルタップ*2 を一ぱいにしているコンセント類をあらかたはずすはめになってしまい、気づけば部屋はグジャグジャ、溜まっていた埃も出てくるし、えらい事になってきた。そうして、はひはひ言いながらパソコン一式を移動して全て繋ぎ終わって電源を入れてみれば、全然うるさいじゃあないか。薄い戸いちまいでは効果が無いのか。おのれ、これではただ不便にしただけじゃあないか。くうう、頭ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ。戻すか。戻すのか。戻すよなあ。これは。など、思いきり道草を食わされ、先ほどの急がば回れ、古人の智慧もここに至ってまったく墓穴の憂目、思いたったが吉日も、お前は翌日のことを考えた上で言ったのか、など詰問したいような心もちになり、実に凄惨陰鬱の様相を呈してきたが、といってこのままに諦めて後日、ああ不便だ、不便だ、あの日あの時あの場所であんな気を起さなけれあよかったんだ、などあとあとまで愚痴愚痴の気分で部屋にいるのはもっと堪え難く、仕方ない、もう一度移動しなおし。いま何時だ。。。4時近い。 そうしてまた30分ばかりかけてようやく全てが片づき、やっと風呂へ入ってみれば、既に冷たくなっている。浴室でじんわりと冷たさというものをしみじみ感じながら、再度暫く風呂を沸かしてやっとつかれば睡魔睡魔すいまあ。あやうく溺れそうになる。どうにか風呂から上がれば、これはまた奇妙に眼が冴えてしまって結局6時を回ったところまでは意識があったのである。ううむ、寒い。眠い。ぼくは動かないで、昨日、いやほんの三時間前までを思っていた。まぶしい窓の外をどうにか見上げてみれば、白く雪が降っていた。二三日の無沙汰、あいすまぬ。書いてはいたのだ。ほんの少しずつでも。きみ、あと2週間待ちたまえ。ようやく終わりの目途がついた。あとは後半部にがつがつ修正を入れつつ、フィニッシュを書くだけである。書き出して既に5ヶ月が過ぎた。そしてようやくできあがるのが、この60数kbの小さなファイルというわけだ。たった60数k。きみ、笑ってはいけない。これでも、ぼくは自身の内の尤もよい部分を使い続けたのだ。そうしてできたのが、わずかに60数kbの分量しか持たなかったのだ。なんという。。。きみ、笑ってはいけない。いや、笑いたくば笑うがいい。なにせ、あとぼくに残るのは恐ろしく陳腐な呪詛と怨嗟だけだ。ぼくはやはり人には随分と足りなかった。笑いたくば笑うといい。ぼくは書き上げる。
(2003.1.24)-1
昨日の h2o と記述したつもりであった部分が h20 となっておりました。お詫びして訂正させていただきます。ほら、キーボード上では0とoのキーは隣りあわせじゃない。日本語ならひらがなにならないし、変換もうまくいかないから、大抵気づくんだけれど、ほら、ねえ。。。頼むから名前だけは間違えてくれるなよ。
(2003.1.26)-1
そうね、いずれ読む羽目(羽目ですね)になるだろうね。あーあ、なんでみんなこんなにうまいんだろうなあ。ってさ、ときどき斜め上見上げて思うことあるでしょ。でも、もう今では直ぐに答えが返ってくるんだ。「うまくなるまでやったからだ」がっくり。当り前すぎるほど当り前の答え、二の句も継げん。いや、継いでみよう。そ、それってどのくらい?「二十年、絶やさず。そう問うお前は如何程」え。あ、い、いち年とちょっと。「。。。そうか」。。。なんかリアクション返せよ。憐れむなよ、ちくしょう。
(2003.1.26)-2
天才や大家は大変にありがたいものである。例外なく皆、自身よりも上にその生み出すものを置いている者たちである。そのような必然の中に自らを置く意思の必然を持っている者ばかりである。どうやら彼らの中で自身の為した事柄に対する正当な対価を受け取った者は居ないようである。ほとんど奉仕に近き所為のようである。どだい割に合わない。つくづく世の中というものは腐っている、と言えるならば、それはそれである収まりのひとつも得られようものだが、実際にはそれは彼らの意思なのであり、世の中の責任ではない。嫉妬など夢しないほうがよい。大変にがっかりする事になる。いや、それだけで済めばまだよい。背中にとり憑いたデモンに大いに苦しめられ、生き地獄に叩き落されるやも知れぬ。ろくでもねえ。それは何も、いつもぼくが見ようとしているような、発狂した連中や、自殺した連中の事ばかりを言っているのではない。例えばぼくはイチローになるのは御免こうむるのである。なぜなら、ぼくはイチローほど野球を楽しまないからだ。日経連の奥田会長にもなりたくはないのである。なぜなら、トヨタやら日の丸やらの組織の運営を実行する事に興味を覚えないからだ。ビルゲイツにもなりたくない。計算機や電子機器を通して未来像を提示し、それらを具現化してゆくプロセスについて一日中心をわずらさせているのは退屈極まるからだ。ラスコーリニコフが言ったように、ぼくにはそれらは「身を屈めて」いるようにしか見えない。自ら「身を屈めて」くれる人間には感謝しなければならない。おかげでぼくは昼間から酒と煙草をやって一日中ぶっ倒れ、みな誤魔化していられるのだ。
(2003.1.26)-3
野球にも財界人にも文明の進歩にもぼくには興味がないけれど、いい文を書くことには少しく興味がある。それから、何かに殺されるのでない自殺に興味がある。
(2003.1.26)-4
眠れぬ夜も雨音のしたたり落ちる
脊中を掻いてひとり
宵のみや明日の天気は明日知ればよい

(2003.1.26)-5
駄目だこりゃ。酒飲んで寝る。
(2003.1.27)-1
こんなのは、どうかしら。まあ、置くくらいだから、書き直さねばならん、と思っているのだけれども。
(2003.1.27)-2
 電車はタタン、タタン、と単調な足どりで、もの言わずに走る。何だかいつもより遅い走りのような気がします。退屈な私は線路沿いのビルの窓を眺めて時間を潰してみる。窓の中には蛍光灯の白い明かりが煌々と灯っているばかり、どれも人影がない。廊下、人の居ない机、応接室。ひどくゆっくりと流れてゆく。ひとつ、ふたつ、みっつ、私は空っぽの窓の数を数え出す。じゅう、じゅいち、じゅに。ぼんやりしていて、危く口に出そうにもなる。けれども、それも三十までで疲れてしまった。周囲の乗客もみな黙ってじっとしている。息遣いも何もない。冷房の送風がこもった空気を辛うじて掻き混ぜてくれる。
 ようやく駅もあと二つというところで、とうとう雨がぱらつき出した。車窓に雨粒の細い斜め線が、すっすっとわずかずつ描かれてゆく。台風の夜が始まってしまった。もう十五分、待ってくれたらよかったのに。そうしたら無事に部屋まで帰りつけて、朝の宣言が果たされたのに。雨粒の線の引かれた窓ガラスに薄く載った、自分の顔を見つめて口惜しくなる。さびしい顔をしている。
 駅の出口で立ちどまって、私は空を見上げた。傘を持った人たちはみな躊躇わずに傘を広げて黙々と通りへと歩き出して行く。雨は白い街灯に照らされて闇の中から湧き出すように降りそそいでいる。何人かの人は同じように空を見上げている。よかった。まだそれほど強くはなっていないみたい。この程度なら売店で安いビニル傘も買わずに済みそうです。そのときの私はもう一刻も早く部屋にたどり着きたかった。躊躇わずに私は雨の中へと歩き出す。風はもう幾らか吹き出している。

(2003.1.27)-3
あー、こうやって切り出して見ると、少しわかるようになるなあ。リピート、列挙が多すぎるよなあ。タタン、タタン、「と」は要るのか、どうなんだ。わからん、まったく、わからん。そもそも、タタン、はいいのか。トタン、トテン、トゥトゥン、テテン、ダダン、デデン、デデデン、パプーン、、、寝る。。。
(2003.1.28)-1
誤字発見。「街灯に」が繰り返されていましたね。自分の書いた文を何度も読み直していると、そのうちに段々と読んでいるのか、先刻読んだ記憶から取り出してきているのか、わからなくなる。そうなってくると、こういうのが出てくるわけですね。書き足して、消し忘れる。そのあと、間違いなくその部分をもう一度読んでいるはずなのだけれど、そのときには気づかない。自分のなかでは、もうその語は消えているので。読み飛ばしているのか、どうしているのか、よくわからないけれど。そういう状態で書いてゆくのがいいことなのかどうかも、よくわからないけれども、少なくとも、この話はそういう状態になってから書かれた文からなっているので、この話はそういう風にして書くことにしている。こういう根本的な、姿勢に関するような反省は書き終えてから、またしたい。とにかく、今のぼくは読み直してやってゆくより外に能がないのだ。
(2003.1.29)-1
つまりこういうことか。会ったこともない人間を悼むことはできない。
(2003.1.29)-2
つまり、という語を使うな。
(2003.1.29)-3
つまりはこういうことだろう。楽に助けられない人間にはさわらない。///そうして、世界は哀しみの海。ぼくらはそれを越えてゆく渡り鳥だ。自身もまた、力尽きるまでに休息の地を見つけなければ、無限の空と一面の海の狭間に落ち込み息途絶え、波間に飲まれる。君を抱えて飛び続けることはできないんだ。貴い犠牲は、ふたりっきりのこの空と海の狭間にあっては無意味だ。ぼくはせめて、自身だけは守り通さなければならない。ぼくにはその可能性がまだ残っており、そして君にはもう無いんだ。わかってくれ。ぼくが君を抱えることは、つまりは共に生きのびることを目指すということだ。君も知っているだろう。目指すということはどういうことか。それは全くふたつの結果しか持ち得ないものだ。たどり着いたか、力尽きたか。ぼくも君も、それぞれにたどり着くことを目指している。そして、互いに共にたどり着けることを願っている。なあ、わかってくれ。ぼくは、///ぼくは死んだ方がいいと思わないか。
(2003.1.29)-4
なんだこれは。何様のつもりだ。
(2003.1.30)
寒ければそれだけぼくのからだが暖かいことになるからいい。冷気がしんと骨にまで届けば、中心が明らかになる。ぼくの腕はまだ太い。まだ削れると思う。外殻を壊死させたぼくは全力で中心であろうとする。丁度、凍る直前の水が最も澄んでいるのと同じように。あなたの突き放した言葉が最も真摯を含んでいるように。
(2003.1.31)-1
終電で帰って5時だか6時に寝て、気づけばまた終電で帰ってきている。今日、会社で一時間ばかり素で居眠る。ひどい英語で説明を書いていたのだ。眼が覚めると少し元気が出ていた。。。酒が切れた。明日買って来よう。川端康成も目につく限りを買って来よう。ジョアンジルベルトという、ギターを弾いて歌うポルトガル人がとてもよいので、それも買って来よう。こういうののジャンルは何になるのだろうか。ジャズなのだろうか。よくわからない。午後のテラスのよく似合うお午寝音楽だ。まあ、なんと呼ばれているのでもいいや。いい音楽にはちがいない。そんな状態なので、話の方は一向に進まない。いい文を書くには健康と十分な休息が必要だと太宰もときどきこぼしているけれど、疲れているとどうしても投げてしまう。というよりも、投げざるを得ない。だだでさえ微弱な思考が完全に停止するに至る。ぼくは感覚では何ひとつ書けないので、頭が途切れれば文も途切れる。敗北を感じながらアップして寝る。眠いはずだけれどすぐには寝付けない。そのあとも、二度は読まない。


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