tell a graphic lie
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(2003.3.1)-1
 掃除を終えると、約束の三時に五分ほど余裕があった。ぼくは聴き流していたCDを止め、ひと呼吸のあいだにOwenを撰んで、かけ替えた。Owenのアルバムはその冒頭の数秒に沈黙がある。実際は、アコオスティックギタアのストラップを肩にかける際の布の擦れあう音や、指が絃を触れる音などが、ボリュウムを廻せば聞えてくるのだが、普段の音量で聴いている限りは、ヘッドホンでもなければ、それを聞きとることはできない。だから、このアルバムをはじめから聴くときにはいつも、待たされる、というような感覚がある。冒頭の曲に与えられたタイトルは、"Nobody's Nothing"
 それを聴き終わらないうちに表のベルが鳴った。今日は引越しの見積もりの日である。ドアを開けると、三十近の男が愛想よく、
「鈴木さんのお宅でしょうか」
「はあ、ご苦労さまです」
応えてから、玄関にひとり分の靴を入れる余地の無いことに気づく。
「すいません。今、よけますから」
かがみこんで、散らかった靴を揃えてならべ、スペエスを創る。
「あ、どうも。お構いなく。ああ、部屋、きれいですねえ」
表の間口から覗くと、反対側の大家の裏庭に面した窓が見えるばかりで、ぼくの部屋にはほとんど何もないように見える。
「そうですか。いま、掃除したところなんですよ。どうぞ」
立ち上がって、脇へよけ、中へと促す。
「失礼致します」
引越し屋は靴を脱ぎながら、愛想のよいままに、部屋の中をぐるりと見廻す。早速、玄関の脇に、大柄の鞄をどんと置いて、中から書類一式とペンを取り出して、早速見積もり始める。そして、少し奥へ進んで、電化製品類を確認すると、すぐに言った。
「ああ、これなら、一ばん小さいやつで大丈夫そうだ」
 ぼくは思わず、へんなさみしい笑を浮べて、
「そうですか」
 かけっ放しになっていたCDを止めた。
「どうぞ」
 奥の和室へと促す。
「部屋、きれいですねえ」
「掃除したんですよ。あとは、押入れが、あるから、隠れるんです」
「あ、でも、その押入れの中もいちおう、見せてもらえますか」
「ああ、そうですね」
特に躊躇せずに、ぼくは無造作に襖を引く。実際は、押入れも見せて困るほど汚くない。ぼくの部屋がきれいなのは、要するにものが無いからだ。
「蒲団と、あと下のほうは、衣類と、パソコンの箱やら何やらですね」
引越し屋はひと目見て、
「の、ようですね。結構です。ありがとうございました」
「それじゃあ、早速」
「そうですね」
 ぼくは文机からキイボオドとマウスをどかして、畳に胡坐をかき、引越し屋と向かい合う。引越し屋は、正座する。ぼくの部屋には座布団が無く、クッションがあるきりで、それはこういう場合には使えないので、少し情けなくなる。畳は、この時期では、まだ冷たい。
「お時間は、午後で、いいですよね」
書類を書き始めながら、ちょっとこちらを目で確認する。小さく首を前に出して、ぼくは応える。
「そうすると、五万三千円ですね」
「はあ、そうですか。そんな、もんですね」
母から、「引越し屋は値切れるものなのだから、きちんと、値切りなさい」電話で言われていたが、にわかに面倒くさくなって、やめた。尻が冷たい。
 引越し屋は、所定の位置に金額を記入しながら、
「午後の、すぐで、いいですか」
「いや、遅い方が、いい。きっと、寝ている。夜の方が、いいかも、知れない。あまり早いと、準備が、間に合わないと思います」
「あはは、そうですか。でも、夜だと、マンションの方がうるさいかも知れないですよ」
「ああ、なるほど」
「じゃあ、とりあえず、午後の一時ごろに電話をして、確認するという事で、どうでしょう。ですが、基本的には、頑張って起きてください」
「その方が、よさそうですね」
「準備も、ダンボオルを持って来ていますので、置いていきますから、今日のうちに、やってしまってみてくださいよ。きっと、すぐに終りますよ」
 引越し屋は、改めて部屋を見回して、
「そこにかかっているものは、当日までそのままで結構ですし、クロオゼットのものも、そのままでいいです。この棚のものも、このままで結構です」
「当日に、ばらせばいいと」
「ばらさなくても、よいですし」
「そういうものですか」
「ガスと電気はどうしますか」
「止めて、もらえるんですか」
「はい」
「水道は」
「水道と電話が、駄目なんですよね」
「なるほど。そういうものですか」
「ガスと電気は、口座振替ですか」
「そうです」
「電気は、やっておきます。ガスの方は、あちらへ行って、ご自身でやってもらわないといけないんですよ」
「ああ、なんか、立ち会わないと、いけないのでしたっけ」
「ガスは、そうなんですよ。あ、そうか。電気の方も止めるだけでいいんですね」
何のことか、一瞬わからない。
「親と同居なさる」
「そうです」
「なら、止めるだけですね。親の光熱費をあなたが払う事になってしまう」
「それは、困る」
止めるだけでなく、引越し先への付け替えまでしてくれるものらしい。
「電気も、止めるだけと。じゃあ、引越し先の玄関のドアのところに葉書が備え付けてあるはずですから」
「ああ、書いて出します」
「あとは、梱包のほうですけど、洗濯機や冷蔵庫も、そのままでいいです。それから、あの棚も、これは備え付けのものではないですよね」
「ないですね」
「これも、そのままでいいです」
「それは、捨てるかもしれませんけど」
口のなかで小さく呟く。
「そんなところですので、今日中に前もっての準備はできてしまうのではないかと思います」
「はあ、そうみたいですね」
「では今から、ちょっと行ってダンボオルを持ってきますので、五分ほど、待っていてもらえますか。ああ、そうだ。エアコンは」
「これは備え付けです」
「そうですか」
手早く、書類に残りの記載を書き加えながら、
「二十二階ですか」
「そのようです」
「いいですねえ。この間、テレビで、番組名は忘れたんですが、「宝くじが当ったら」というのがありましてね、その中に、当ったら、高層マンションに部屋を買って、住む、というのがあって。天気が、違うそうじゃないですか。雲が、下にあって、家に居るときには晴れていたのに、外へ出てみると、雨が降っているという」
「まさか、そこまでは高くないですよ。多摩川は、見えますけれど」
「いいですねえ」
「でも、親と一緒ですし」
「それも、またいいではないですか」
 ぼくが応えないでいると、引越し屋は、書き込みを終えた三重の書類の真ん中を切り取って、手渡す。
「これ、控えです」
「はい」
 手早く残りの書類を束ねた引越し屋は立ち上がり、手馴れた風に玄関の脇に置いたいかつい鞄の中へそれをしまう。
「じゃあ、ちょっと、待っていてください」
「どうも、御苦労さまでした」
 引越し屋を送り出したぼくは、一時停止していたOwenを再生して、柱に寄りかかって坐る。煙草が、吸いたくなる。外は、雨が、降っているのだと、気づく。二曲目のタイトルは、"Everyone Feels Like You"
 ドアをノックする音は、乾いていた。
「これ、蒲団袋です。それから、ガムテエプ。ダンボオルは余るやも知れませんが、当日、回収しますので」
「こんなに。すいません」
「それじゃあ、ありがとうございました」
「こちらこそ、ご苦労さまでした」
 ぼくは受け取ったダンボオルの束を部屋の奥へ運んで、一息つく。引越し屋のいうとおりに、部屋を片付けて、荷物の梱包をできる限りしてしまうことにしようと思い決める。

(2003.3.1)-2
 その後、五時間ほどかけて、ゆっくりと荷物の梱包をした。炊事道具類は、あらかた捨てる事にする。読み終えて、もう二度と開かないであろう本や、僅かながら溜まった雑誌類も。一箱に余るほどの粗大塵が出る。ぼくの部屋にも、まだこれだけ捨てるものが在るのだと、妙な感慨を催す。その間に、好きなアルバムを六枚ほど、ゆっくりと聴きなおした。何曲かは、自然にあわせて口ずさんだ。
 それを終えてから、食事のために部屋を出ると、外は土砂降りで、空間を隙間なく埋めた大粒の雨が電灯の光を受けて、視界を白っぽく、煙るようにしている。軒からは絶え間なく雨水が流れ落ち、滝のようになっているところもある。アスファルトの上には、ところどころ流れができ、水面にはびっしりと波紋が敷き詰められて、蛍光灯の光を受けて乱雑に光り、ぼくが歩いて位置を変えると、妖しく生物のようにうねる。間断ない雨音は、単音の静けさ生んでいる。
(2003.3.1)-3
深夜まで、降り続いた雨は、止む、その少し前に、何度か雷鳴がした。
(2003.3.1)-4
と、いうことで、来週、引越します。ここは、部屋に引いたファイバのプロバイダが提供するスペエスですので、移転することになると思います。そのためにまだ、何かをしているというわけではありませんので、一週間ほど、間隔が空くものと思われます。或はそれ以上かも知れません。落ち着きましたら、NikkiSite/ReadMe! の方の登録を変更しますので、そちらを参照していただけると幸いです。また、多少かかわりのある方にはメエルをお送りさせていただきます。よろしくお願いします。
(2003.3.1)-5
以降、飲んで書いている。読み飛ばしたまえ。
(2003.3.1)-6
人生はどの程度うまくゆくのがよいものなのか。また、うまくゆかぬものがよいものなのか。外的に誠実である事は、内的に誠実である事と容易に一致するものなのか。ぼくらは神になるどころか、異なる立場に同時にある事すらできない。フィクションを作る者ですら、ルポを書く者ですら、しばしばこう言うのである。「経験してみなければわからない」「身体で覚えるんだ」愛情が、自身の裡にはもともと存在しない人間が果たして不幸なのかどうか。「経験してみなければわからない」真の愛情を身体中に浴びて過ごすよろこびははたして。また、その喪失の恐怖について。「身体で覚えるんだ」ならば、フィクションとは、脳と脳のつながりあいでしかないのか。文はあくまで、文か。絵は、あくまで絵か。写真は、あくまで。映画は、あくまで。音楽は。喜びは、悲しみは、快楽は、苦痛は、煩悩は、祈りは。感情の、感覚の、一切は。それらを媒介にした、繋がりの、一切は。無か。ぼくはあなたを知っている、そう思う一瞬の、あの奇妙な自信の一切は、誤りか。「死んだ方がよさそうだな」これは常に誤解か。そうとも言い切れまい。目覚めて出かければ、虚栄の市。世の中に、偽善は無くなるだろう。総て、それだからだ。義務とは、膨らんだ風船を外から眺めるようなものか。「嘘ではありません。毎朝、生まれて来たことを呪う事は欠かしません。また、夜、眠つくときには目覚めの来ない事を想います。夢想というものに、かけてみたくなります」
(2003.3.1)-7
対話。
「私は、常に答えを出すことを求められていますから、私自身についてくらいは、答えを求めずに居たいのです」また、「私は日々混迷の中でもまれていますので、せめて自分についてだけは、明瞭な意識を持っていたいのです」「生まれたからには、人は、立派にその生をまっとうしたいというのは、これは、全くの道理ではないかね」「ぼくは本能というものがどうにも嫌いでして、どうしても逆らってみたくなるのです。それこそが、人が万物の霊長たる」
(2003.3.1)-8
要するに、人を好きになるというのは、実にいいものだ、という事だ。
(2003.3.2)
 そうだね。ぼくには扱う資格のない言葉ばかりだ。誠実、愛情、人生。。。腰抜けには誠実はあり得ないだろうし、ずっとひとりでいる者に愛情があろう筈がない。はっきりとしたものを何ひとつ持たないぼくの生活が、人生と呼べるわけがない。。。死。ぼくにはこれのみが近しいんだ。死によって、かろうじてぼくは誠実というものを示し得るし、自殺は即ち、ぼくに於ける愛情の唯一の表出だろう。生まれて死ぬ事だけ、この二つだけがぼくの人生だ。ぼくには出会いというものが存在しないんだ。出会いが無ければ、別れも有り得ないだろう。そして、それの無いものを、人生とは呼ばないだろう。
 でも、もう、いいんだよ。もう、ぼくはそれらの言葉を使うんだ。資格の無いままにね。だって、ぼく自身が、生きた人間でなくても、一向に構わないじゃないか。
(2003.3.3)
「急いではいけない」と誰かが言いました。
(2003.3.4)-1
朝から晩まで脳みそが茹って白く濁っているような気がして、ひと文字もまともなものにならない。自身可愛さに、もしくは自己保身のゆえに、他己を慈しむというのは、実際的である。自身、あたう限りにして、ひとを慈しむには、そのようにすべきである。なぜなら、その方が、増える。
(2003.3.4)-2
できるだけたくさん、あいしたいね。たすけになるものは、ぜんぶうけたいね。
(2003.3.7)-1
 明日、引越します。ここのプロバイダの ftp は内部にしか開かれていないため、部屋を引き払うと更新不能になります。まだ、解約を済ませてはいませんので、すぐに 404 Not Found になることはないかと思われますが、もう、更新されることはありません。新居に移りましたら、サーバを替えて同様のサイトを行うつもりでおりますが、新居のネットワーク環境の詳細を知りませんので、移転先等をこの場に掲載する事ができません。この対応として、移転先が決定した折には、現在参加しております、ReadMe!/NikkiSite の登録内容を変更しますので、何かの折には思い出してみてください。また、ここは訪問者が極端に少ないため、多少日が経たないといけないかも知れませんが、Google の検索のキーワード "tell a graphic lie" でヒットするかと思います。或は、"小川未明" 辺りの方がより確実かも知れません。「金の輪」お勧めです。傑作だと、思います。ぼくも一生のうちにあのような、よき物語を一本書くことができましたら、もはや、悔いは、無いのです。必然として存する文のみによってのみ、組み上げられた文章のよさは、美しさは、書き表しようがないのです。「金の輪」は、「金の輪」でしか、ありません。まだ、読んでいらっしゃらない方は、ここが消えてしまう前に、是非一度、読んでみてください。街の本屋さんへ出向いて、新潮文庫の列から探し出す多少の手間と、400円を惜しまなければ、この偉大なる作家の一代創作集を容易く手にする事もできます。ぼくは、童話に詳しいわけでも、なんでもありませんが、魔道小学生の第二章を観に行く暇と金がおありでしたら、その手間と資金とをこちらへ向けたらよかろうと思います。
 話が逸れはじめてしまいましたが、その、くらいでしょうか。こうしてみますと、実に儚いものでありますが、別にいなくなるわけではありません。それどころか、新居へ移ってみたら、環境は万全、何事も無かったかのように、「引越し、疲れる。部屋に荷物を広げて眺めながら、パソコンを起動して、いろいろと登録類を変更する。しがらみ。とても薄いものだけれど、これだってやっぱり、そうだ。このような事務処理にかかずらうと、現代人たる事を痛切に感じる。恐ろしいくらいに、ばら撒いて、暮している。せめて、金、だけにできないものか」など、書き始めるかも知れません。仕事は、相変わらず忙しいです。腹の立つ事も、二三、有ります。新しい住まいに移っても、生活心情的には、おそらく、何も変わらないかと、思います。仕事を、どうにかしなければ、なりません。このまま、なんら書けずに過ごすのは、とても、堪えられないのです。
(2003.3.7)-2
株は、まだ下がりますよ。これから十数年で、日本の経済規模は何割か目減りします。構造的デフレという馬鹿な言葉が最近はあるようですが、これとも違います。日本が、普通の国になる、ということです。それは、GDP というよりも、GNP 的に見てのことです。失業率も7%前後で落ち着くようになるでしょう。或は、もっと高いかも、知れません。別に、不思議なことではありません。一歩成熟する、ということです。EU のようなことを、つまり大東亜共栄圏というやつですが、これの音頭を取れるような風土の国になれるかも知れない、ということです。もちろん、武力によるものではなく、知性の温厚さによって。
(2003.3.7)-3
あれだけのプレスをかけておきながら、いまだに踏み止まっている星条旗を見ると、世界は確かによくなっていっているのだと、無邪気に思う。少なくとも、世界征服、というものは、ナンセンスになった。言い切れるのではないかと思ってしまう。素晴らしい前進だと。そのナンセンスを作り出したのは、自然ではなく、確かに、これまでの文明の堆積なのである。


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