tell a graphic lie
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(2003.2.22)-1
ネット通販で頼んだCDが一枚も届かない。土曜日毎にいくつかの遅延のお詫びのメールが届く。3月に入ればCharaの新しいのが出てしまうではないか。
(2003.2.22)-2
空の青さ、眠りの歌、光の穴にまた涙する。ぼくにはどうしてこういうものが無いのだろうと、また単純に思う。本当の強さとは隠されるものだ。こころと繋がった声の強さ、などぼんやりと夢想する。抑制ということについても、また。内村鑑三「代表的日本人」を読む。よきナショナリズムとよきピューリタニズムを観る。
(2003.2.22)-3
冷たい、とはある種の誇りすら感じさせるようないい言葉だが、それよりもぼくにはこの言葉が適当である。薄い
(2003.2.22)-4
薄情に弁明の余地はない。それは欠陥そのものである。
(2003.2.22)-5
 デモを終えて一杯のファーストフードのコーヒーを分け合う若い参加者たちを車窓に観ながら、彼は顔に僅かに冷笑を湛えて、
「反戦デモはバグダッドへ行ってやってもらいたいね。本当にやる気があるのは我々ではなく、奴等なのだよ。彼等は彼自身とその愛する者たちが奴等の生物兵器によって、皮膚と脳を犯され、世にも惨めな死様を晒すことを多少なりとも想像した事があるのかね。世界平和などという馬鹿げた夢想ばかりしている者は、どうも想像力を現実にあてはめるという意識が稀薄なように思えるね。身体中に黒いシミを浮べて朽果てる人間を想像する事の方が、世界平和より余程はっきりと想い描く事のできそうなものだがね。不思議なものだ」
 私は黙っていた。暫くすると通行止めは解除され、ようやく車は動き出した。デモを終えた人々の列が地下鉄の駅へ向って流れてゆく。
「世界平和は、家族がいたわりあって生きてゆくこととそんなに大きな違いがあるのでしょうか」
 私は、共に参加した家族のものや、恋人に寄りそってゆっくりと歩く彼らのうしろ姿を眺めながら呟いていた。彼は前を見て運転を続けながら即座に答えた。
「違うだろうね。世界中の人間が自分たちと同じように幸福だと考えるのは、飛んだ傲慢だよ。その傲慢こそが戦争を起す最も大きな、そして根本的な原因と私は思うね。シュプレヒコールとプラカードでは、貧困と憎悪に何の影響も与える事はできない。せいぜい参加者の晩飯をうまくするくらいのもので、あとは騒がしいばかりで、実に迷惑きわまりないものだ」
「あなたは願いというものを 」
「願いでは、生物兵器で家族が無様に死んでゆくのを防ぐ事はできないね。暴力の連鎖を止めるものは、最終的に更なる強大な暴力だけだ。いや、双方がその果てにおいて疲弊し自然に止む、という事は在るかも知れないが、それを待つのは不誠実だろうね。もう少し、私たちの生活が暴力によって護られ、成り立っている事を自覚した方がいい」
「じゃあ、いま私とあなたがこうしているのも、」
「そうだ。ある部分では暴力に拠っている事だと言える」
「それじゃあ、あなたはいつもそういう意識で私と会っているのかしら」
「もちろん、いつもそうというわけではない。けれどもおそらくそれは、その事実を思わずにいられる程に、私たちが暴力的であるためだろうとは思っている」
私は言葉を失った。彼は私が黙ってしまったのをみて、
「直接に人を殺めなければ罪にはならないというのは、都合が良すぎるとは思わないかね」
「じゃあ私たちはどうしたら」
「護りたいものをどんな手を使ってでも護りきる事だ。例えば、私は君が奴等の手にかかって死ぬ事を防げるというのであれば、」
「やめて。そういう言い方をしないで。私をその天秤の上に載せたりしないで」
「いやなら、止めよう。しかし、既にそのために二十万以上の兵士があすこに集結しつつある事は事実だ。私たちは既にそれに乗って生活しているんだよ。その費用の一部は確かに私も君も支払っている」
 車は交差点を右折して、南へ向って走る。陽はもうだいぶ傾いて、鏡面ガラスの上には穏やかな夕焼けの赤が映り込んでいる。対の尖塔の在った場所にも今はそのグラデーションがあるばかりだ。
「私はおそらく、非常に臆病なのだ」
彼は呟いた。私はもう何も言わなかった。
(2003.2.22)-6
ところで、小谷氏のアルバムのタイトル「Then」は明らかに「眠りの歌」以後を指しているものだが、近いうちに「Then」のthenもリリースされるはずである。愚かなぼくに違うものを示して欲しいと思う。最近のぼくは間違っているものをどうにかできないものかと思い出している。心を開くとはどういうことか。想像しようとして失敗し続けている。
(2003.2.22)-7
だって、ぼくには知りたいことなんて、ひとつしかないんだ。誰か答えてくれよ。「ぼくは生きていていいのか」ぼくは生きていていいのか。なぜぼくは路傍のハルジオンのように夏が終れば枯れてしまわないのか。君がやさしかろうが、そうでなかろうが、知ったことではない。君が苦しんでいることも、どうだっていいんだ。ぼくは答えて欲しいだけだ。「ぼくは死んだ方がいいのではないかしら」
(2003.2.22)-8
誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 誰か 間違っていると思わないか
(2003.2.22)-9
彼はそう叫んで、暫くの間、両手で顔を覆い肩を震わせたあと、さっと顔を挙げ、こちらに向き直って言い放った。感情の吐露とは、こう云ったものを指していうのかね。彼の眼は涙に腫れていた。けれども、その中心にある彼の眼球の中には、確かにある種の無感情が見てとれた。鉄面皮。私は彼の中にそれを見出した。弄ばれた女を思った。そして、それすらも愛おしく感じてしまう因果な母性を自身の裡に見ていた。
(2003.2.23)-1
飲んで書くのはよくないね。うん、よくないね。きおつけようね。うん、気をつけよう。
(2003.2.23)-2
きょうはきゅうじつ。みなさんおめかしして、なにやらたのしそうにおしゃべりしながら、でんしゃにゆられております。おおらかなかたたちは、てをにぎりあったり、うでをくんだりしております。すこしかたそうなかたたちは、すましておしゃべりしております。がくせいどもは、でんしゃのなかでもおちつきがないので、すぐにわかります。ゆうひが、みなのかおにあたってきれいであります。みな、おだやかなひょうじょうで、まことにけっこうなことであります。いねむりしているかたはいらっしゃりません。わたくしは、すこしあたまがおもたいのですが、それもまたけっこうなことであります。わたくしは、これから、しごとにでるのであります。あまりあたまがさえていると、かえってよけいなことをかんがえてしまうのであります。げんきなひとたちも、いるのです。それだけでけっこうなことではありませんか。
(2003.2.24)-1
修正バージョンをアップし忘れて帰る。風呂に入っている最中にそれを思い出して、いま電話する。時刻、午前三時三十六分。無事アップしてもらう。明日はまたリリースなのだ。いま徹夜しているふたりのうちの、そのひとりは、夜が明ければそのままインストール作業に客先へ出向いて、なんやかやいって明日の夜中(十数時間後)までかかるだろう。既にうつろな電話口の声である。ナンマイダ、ナンマイダ。ソフトウェアというものは、最後の最後でいちにち寝ずにかまってあげるとずいぶんと機嫌がよくなったりするものだから、始末が悪い。かくて眠らぬ人間が今日もまた生み出されるのである。ああ、わしも眠い。寝る。ぼくはまだ最後の最後までいっていないからね。。。
(2003.2.25)-1
たとえば、食事も忘れて、とか。眠るのも忘れて、とか。そういうのが常態化するというのは。
(2003.2.25)-2
けれども、ぼく自身は決してそこに賭けているつもりではない、という不誠実。 不誠実だ。
(2003.2.25)-3
誰かは言う。「思うに、善人なんてものは、この世から一掃すべきものでね。必要なのは誠実な人間だけ。ダーツを放れない人間は要らないのだよ」また、他の誰かは言う。「君の感情は、一体何の為にあるのかい。与える事をよろこびとして享受する為にあるのではないのかい」口のきけぬ者が、左手を自身の胸にあて、右手で手を握った。ぼくは応えた。「ぼくは、ぼくの動作が燃料と潤滑油、冷却水によって成り立っているのであればばいいと思っています。その方が現在よりも、よりあなた方の求めに応じる事になるのではないかと思い至り、愕然とした一夜を持った記憶があります」
(2003.2.25)-4
かくめい
(2003.2.26)
あからさまな春の陽射しで、ぼくはゆっくり歩くの。「あーー春だなあ」 ぽて。 ぽて。 「あー、春だなあ。本格的に、春だなあ」 まいったなあ。 まったく、まいりますよ。 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。なりなり、なり。 夏が終って、秋を通り過ぎ、冬も越えてしまいました。 まいったなあ。 つきひははくたいのくわかくにして、ゆきかふとしもまたたびびとなり。 句ではないので、名文、といわねばなるまい。 ひどいものである。 にっぽんごも、使いようによっては、これだけのものになるのである。困ったものである。 沈。 ところで、チューリップはいつ咲くのかしら。梅はもう咲いたのかしら。鳶も飛びまわるかしら。池の鯉も泳ぐかしら。 空も、もうこんなに汚くなって。 首をかしげて、右の頭を、ぽんぽん叩いてみる。 からころ、音は、いちおう、しない。 春だな。 春だな。 泣きそうだな。 いや、そんなことないな。 そうだ。 泣きたいんだな。 でも、忘れてしまったんだ。 困ったな。 もう、春なんだな。 ぽて。 ぽて。 歩く。
(2003.2.27)
もう春なのに、重装備。厚いデニムジャケットに、いちょう色のマフラーぐるぐる。ひっつめて髪で歩くあの子はだあれ?
いかついブーツをカツカツならして、道ばたの排水路に真っ直ぐ真っ直ぐ沿って、ずんずん歩いてゆくあの子はだあれ?
はなをすすりあげて、寒いのかしら。それとも、泣いているのかしら。なにか、つらいことでもあったのかしら。
振り切りたくて、そんなに肩をいからせて歩くのかしら。護りたくて、頑なに歩いているのかしら。空気を切って歩けば、その気持ちも一緒にはがれて、飛んでゆくのかしら。そう、したいのかしら。
これから、戦いに行くのかしら。それとも、負けて、逃げてきたところかしら。
からだをとり巻く、春の訪れは目に入っているのかしら。気づいて、いるのかしら。それはたすけに、なれないのかしら。
そう、春じゃない。ほら、春でしょう。そんなに、そんなに頑張って歩かなくても、いいじゃない。くるしそうに突き進まなくても、いいじゃない。
せっかくの、きれいな顔が台無しですよ。小さな身体で、張りつめてみても、くるしいことはきっと、真ん中に残ってしまいますよ。
笑って、なんて、言いません。ただ、一度だけ、深呼吸してみてよ。立ち止まって、なんて、言いません。その速すぎる靴音を、少しだけ緩めてみてよ。
そうしたら、春が、きっと。

あ、行っちゃった。

ふぅ


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