tell a graphic lie
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(2003.4.5)
発想が月並みで貧弱になった。なぜ、書きたくないのだろう。ばれるのが恐いのだろうか。小人労苦を厭う。刺すべき対象は常に我が身中におり、ぼくはそのひび割れを探している。
(2003.4.6)-1
欠伸しているうちに春は過ぎてゆく。引越してからひとつき、ようやく多摩川まで脚をのばす。河川敷まで、自転車で五分くらい。自転車をこぐ風にももう冷たさはなく、通りには、冬の陽にはなかった明るさが、古びた街並も、新しい住宅地も同じように包んで、みな同じように生き生きとしている。春のまち。陽を受けるものには、みな、きちんと影がついて、それによって自身の在ることをきちんと示している。水辺に散在する桜並木は満開、その木漏れ陽の下はどこも春の宴である。川の水も、だだっ広くひろがる空も、どちらも健康的に青く、その青が川辺の土手と住宅を挿んでいる。川べりに建設中のマンションが、中途のパズルのように、青の中に欠けて窪んでいる。土手の草地には、あおあおとした緑、そこに桃色や白がちらちら混じっている。川に沿った道路はほどよく渋滞しており、連なった自動車はみな窓を開けて、春の陽射しと、軟らかな風を取り込んでいる。
(2003.4.6)-2
ぼくには実体がない。
(2003.4.7)-1
ここの更新が滞るようになった理由の一つに、TVを観はじめた、というのがあるが、今日もひとつ番組を観ていた。「要塞町」と呼ばれる、柵とゲートで囲われた高級住宅街を取材したドキュメントである。そこは、映画に出てくる中東の石油成金の住まいそうな、プール附き、白壁の邸宅、内装、調度類も矢鱈にごてごてしていて、却って似せ物のような、所謂「高級な」住宅が立ち並ぶ、ビジネスマン人生ゲームの「あがり」の一マスだ。けれども、そこに暮す彼らの生活は、いや人生は、決して「あが」ってはいない。彼らは、みずから竿に人参をぶら下げて目の前に吊るし、それ目掛けて一心に走るサラブレッドだ。そのひとりは言う。いや、それは夫婦としての統一見解だった。「その繰りかえしですよ。何か目標を設定して、そこに向って走る。たどり着けば、また、新たに更に高い目標を掲げて、それ目指して走る。繰りかえしですよ。ずっと、ずっとです。例えば、宝くじの一等が当り、一億ドルが私たちのものになったとしても、私たちのこの生活は、何ら変化しないでしょうね」頷く妻。その夫婦の年収は合わせて五千万から六千万である。彼らの価値観は驚くほど単純だ。ドストエフスキイを思い出すといい。「法則なんだよ、ソーニャ!」
(2003.4.7)-2
ふたつほどメモしておく。
・米国人の平均就労時間は日本を抜いて、先進国中、最長になった。
・米国総人口の約20%が、その資産の92%を保有している。
(2003.4.7)-3
人間らしく生きる、という言葉を口にする者が、その際にその言葉にどれだけ意識を行届かせているものか、ぼくには想像すべくもないが、まずはひとつ、問いを立ててみるとしよう。彼らの人生は、果して「人間らしい」と言えるものかね。このドキュメンタリが、提示しているものの中に、その問いは含まれていると思うかね。
(2003.4.7)-4
ショウというものについて。また、ドキュメンタリとそれとの関係や分類について。それから、エンタテイメントについても。Is that the Show? ドキュメンタリの恐ろしいところは、それに出た者はそれを見ない、という点にある。カメラを捨て、空いた手を差し伸べるべきではないか。君の持ち帰ったテエプを放送用電波とブラウン管を介して見るものたちは、みな、暖房のきいた部屋でソファに沈んで、それを見ている。そうして、「少しだけれど、私にもできることから」など、となり近所にふれまわって、得意の顔である。傍観者について。また、それが現実的な力をどうしても有していることについて。
(2003.4.7)-5
彼らの姿はちょうど、高度経済成長の終末期に見られた日本の家庭の姿とそっくりである。週三千円の食費の生活から逃れてたどり着いた場所は、というのは、田舎から夜行列車で東京へ出てきて、ようやくに一戸建て、自身の城を持てるようになったけれども、というのと非常によく重なる。貴族は三代目でようやく出来上がる。封建制度には果して合理性はなかったか。少なくとも、そこには、現在の金銭のみによる序列よりも、多様な形態があったのではないか。制度疲労はあったものの。
(2003.4.7)-6
多様な価値観。より人間らしい、自分らしい生活。これらのものを得るために、支払わなければならない、手数や代償というものについての言及はあまり見当たらない。例えば、それが失業率8%という数字だと言ったら、どんな顔をするだろう。なに、それは、そんなに難しい経路をへて得られたものではないのだ。「それには、より長い時間をかけて迷い、選択する必要がある」根底の部分に於いてナショナリストでない経済人は、本物とはいえまい。
(2003.4.7)-7
日本の経済的価値というものは、まだまだ下がる。今はまだ、未練たらたらのようであるが、そのうちに、いやでも諦めねばならぬときが、きっと来る。それからである。違うものを作り上げるのである。ぼくはそれが、経済的価値よりも良いものだと、はっきりと信ずる。それはきわめてゆるやかな、しかし断乎とした、かくめいである。
(2003.4.9)-1
戦争終る。圧倒的な勝利である。完勝、と呼んで差支えなかろう。名実ともに、完全なる米国の時代の到来である。双方の死亡者の比率は、ぼくの曖昧なる意識の裡では、500:1程度だろうと思っている。その他のコメントは、なし。
(2003.4.10)-1
 戦争を拒絶する意思の根拠は、殺人の否定のそれとイコオルのものであろうか。それは人間にとって本来的なものだという認識でいるのだろか。それとも、人間社会のある枠組みの骨子としてあるものなのだろうか。本来的なものであるということであれば、その対極に位置する、抗し難い憎悪や破戒の衝動というものが本来的なものであるとは、言い得ない。それもまた本来的なものである、というのであるならば、そこからすぐに相反するふたつの事象、即ち、殺人の否定と、殺人を是認するような感情、衝動を同時に内包する存在としての人間こそが、実際の本来的なものという考えに行き着かざるを得ない。そうして、必然的に戦争の拒絶は、二義的なもの、実社会存立の骨子であるということにならなければならない。
 きみ、この話が、実体を伴わぬ空虚で浅薄なロジック遊戯だと笑うかね。けれども、ぼくはこう言いたいのだ。一体に、戦争という巨大な事象は、とかく取り扱いが難しいもので、個人としてそれを取り扱ううちは、そういった意味での観念性、或いは空想と言ってもいいかもしれないが、そういったものを抜け出る事は適わぬことではないのか。集団対集団の場、政治的な問題として取り扱われる段階に至って、ようやくに戦争というものの実体が顕れるのではないか。それでも、ぼくらは常に社会集団を構成する最小単位である個人である事を、少なくとも内的には抜ける事ができないのである。従って、ぼくらが戦争というものを取り扱う際には、それをどこから、どう取り扱うにしても、観念的な部分から入らざるを得ない。そこから入って生み出された、自身の考えなり、意思なり、具体的な行動なりが、集団と結びつく事で、はじめて実態に至るのである。これは、例えば、統合作戦本部議長にも言えることだし、前線の一兵士にも言えることである。
 拒絶が本来的なものである、という見方は、そう願うものたちには好都合な考えだが、現実に即しているとは言い難い。この場合には、「本来的」という言葉についての認識、、即ち、社会というものが「本来的」ものであるか否かが問題になる。けれども、これもまた、実に観念的な問題であって、観察によって合意に到ることのできるようなものではない。その上で、個人的には、分散というものは、その集団の「本来的」な性質の鏡像である、と言えると思っている、という考えを持ち出し、これを採用すれば、拒絶が本来的なものであるとは、実際に戦争という状態が存在することが、その直接的な否定になる。何のことはない、ぼくは、戦争を拒絶する、ということは、つまり枠組みの問題であると言いたいのである。
 枠組みの最も直接的な現出の形態は、契約である。この場合は即ち、「戦争を拒絶する意思を共有する」事についての契約である。この契約の締結の合意は、各個人の精神的、もっと言うならば、精神のうちの感情の部分によって為されるので、まことに曖昧模糊としたものにならざるを得ない。例えば、「戦争を無くす為に戦争をする」といったものも、この「戦争を拒絶する」意思である、という事態が現れるのである。これは、ピースウォーキングと、砂漠の行軍が、同じ意図の持った行為である、という実に間抜けな事態である。
 また、この契約は感情にその基礎を有しているので、その差異が十分に大きければ、合意には決して至れないものでもある。差異がそれだけの大きさを有する事は、実にしばしば見受けられる事である。だいたいにおいて、生存権の意識に基づいた戦争の否定というものは、それを自明の事として契約の基礎とするには、実に若すぎる観念である。また、隣人に対する親愛の情、というのも、全体としての合意を得るには、限定的に過ぎる上、ひとたび、その隣人の範疇から洩れれば、全く逆の観念が肯定されてしまう、危険なものである。
(2003.4.11)-1
結局、ぼくはどういう態度を採ったらよいのか、よくわからないのである。戦争を拒絶する事はおろか、肯定する事も躊躇われるのである。思う事といえば、その形態は実に非合理、非効率なものであるように思えるが、それ故に不可避なものに違いない、という事である。世に存する、一見して非合理、非効率なものほど、ぼくらにとって必然的なものはない。それを否定すれば、他の多くの事柄も一時に否定する事になる。それには、意味がない。
(2003.4.11)-2
「生きるとは、ただ人と争う事であって、
(2003.4.15)-1
わからぬのなら、書き進めぬが、よい。けれども、心に留めておくがいい。今のお前は、以前よりも、悪い。適当な修飾詞が見つからないほどである。生活への積極性からではなく、むしろその正反対の後退的で曖昧な姿勢から、「明日も多分同じだろう」と言うお前は。
(2003.4.15)-2
寂朝のビロウド春雨にこころ隠れて
(2003.4.16)-1
戦争を否定するのなら、まず映画とスポーツを否定しなければならない。そのようにして、あらゆる勝負事、絵空事を生活から排除しなければならない。昂奮という基本的な状態は拒絶されなければならない。というのは、随分前からのぼくの勝手な思い込みだが、今回の戦争の映像のように、150mm 砲やロケットランチャを発射する隣にカメラがおり、その様や、FA18 やアパッチがミサイルを撒く様を撮影するようになると、それらを観覧、観戦する事との差異を発見する事が、実際、非常に困難になって来る。少なくとも、ここにこうして坐ってのみ、それらを見ている状態では、何を言ってみても、何ら力を持ち得ないだろう、と思う。昨日の試合について、昨日のドラマについて、ああでもない、こうでもないと、知ったかぶりを披露する事と、どこにどのような差異があるというのか。反対とは、そのような程度のもので、いいと思っているのか。そのようなものでは、君が唾を飛ばして難癖をつけた一本のパスや、誰彼の演技についての薀蓄が、サッカー選手の上達に何ら寄与しないように、俳優の質の向上に何ら影響しないように、戦争もまた繰り返される事だろう。反戦運動も、試合観戦や、ライブに出向く事、映画館へ脚を運ぶ事と本質的に何の変りもない。君はそれについて、どう思うのかね。こう答えるかね。「声を上げることが重要なのだ」ぼくは答えよう。「声は、おおよそ人類の営みのうちに戦争の二文字が顕れた直後から、常に存在するよ。それは余りにもありふれていて、歴史に於いてはほとんど言及される事すらないものだ。辛うじて、歴史物語のうちに、君の吐く言葉よりも随分と痛切な言葉で以て覆われた空があったことが、その周辺にて語られるに過ぎないものだ」もしくは、「いや、それらとは本質的に異なるのだ」というように言うかね。そう言ってくれるかね。ぼくはそのあとに続く言葉にとても興味がある。その言葉がぼくを説得してくれる事を希望して止まない。適度な不誠実さは、傍観者の具体的な力と呼んでいいのかね。それとも、
(2003.4.16)-2
人は本来、自身の生死を選択し、決定する権利を有している。というところから、ぼくは始めたい。或いは、権利ではなく、欲求、としてもよいかもしれない。それは、個人の戦争参加拒否、それから自衛権の基礎にはならないだろうか。
(2003.4.20)-1
道端にたんぽぽの黄色いのを見つける。川沿いの未舗装の砂利道の両脇は、草ぐさの健康的な緑に埋められて、そのなかに明るい黄の円が、ひとつ、ふたつと散りばめられている。ぼくは立ちどまって、眉間の皺を無理に強く寄せて、その黄色を見下ろす。たんぽぽは毎年まいとし、こうしてこの辺りに咲く。この辺りに住むたんぽぽたちの世界は、とても狭いと思う。歩かないたんぽぽの世界は、とても狭いと思う。花が枯れて、代わりに綿帽子を茎の先に乗せるようになれば、その一分子は風に乗って遠くへと運ばれてゆくものだけれども、それでも、その大部分は、来年もこの辺りに、こうして。土着ということや、故郷というものとか、そんなことをしきりに思う。部屋に戻ってから、その事を、こうしてそのままに書く。「道端にたんぽぽの〜」ぼくの真上の空は、ぐるぐると回転しはじめ、違ったものを映し出す。隣のテレビには、炎天のもと、額に汗して上を向き、「侵略者よ、去れ!」と叫ぶ鬚面の男達の映像が映し出されている。目を虚ろにしてそれを見ながら、ぼくは書き始める「道端にたんぽぽ〜」ぼくに扱えるものは、ぼくに起きた事柄だけなのだろうか。ブラウン管に投じられた、その向うの世界の事は、ぼくはどうして扱ったらいいのだろう。炎天の真っ青な空を映し出したブラウン管の表面の、室温の冷たさや、触れた掌に静電気が小さくパチと音を立ててはじけた事だけが、ぼくに書くことの許される、ぼくが書いて、微かにでも実のある何か、に成り得るものなのだろうか。どうも、そういう事はあるらしい。たんぽぽの花はぼくの近くにあるし、ぼくと似たような心持で生活しているように思える。けれども、ブラウン管によって接したあの世界の出来事や、そこに住まう人間たちの、感情や思想や生活は、ぼくの触れた事もないような事象ばかりで、そこから何かを引っ張ってきて、ぼくが別の何か、ぼくが取り扱ったという時点で、本質的に全然別のものに変化してしまっているという意味での「別の」何か、同じような面構えだけは保っているとも言えなくもない、それは、いくら手を尽して書かれてみても、もう既に宙に浮いてしまって、地上に戻り、彼らへのか弱い返答として機能する事は適わないのでしょうか。9月11日に引っ張り出されて、いまだに鎖の途切れる事のない、一連の事態に関して、ぼくは何か言うことがきっとあるだろうという気持ちで居るはずだけれど、いま、ぼくの隣に映し出されている映像に対して、言うことは何もないという気がするのは、それが実際だからでしょうか、それとも錯覚なのでしょうか。ぼくは国家という個体の話もしたくないし、信じる神とその違いについての話もしたくないし、金持ちと、そうでないものたちとの間の摩擦の話もしたくないし、出来上がりつつある、世界の環境のある構造についてや、その維持というものがなぜ、どのようにして為されるのかという話もしたくないし、新しい技術というものが巻き上げる粉塵と、その向う方向の常に変わらぬことについても話したくない。ぼくはただ、あのような生贄を伴った自殺の形式と、それを受けとるものがあるという話がしたいだけのはずだ。合意ある死というものが、どれだけ貴重なものであるかをより具体的な形でもって、自身に対して示したいというだけだ。何のために書くのか。そのために、何を、どのようにして、書いてゆくのか。信じる道は、盲目のゆえに、もしくは、その半身がこちらから隠されているために、採っているのではないか。毎春きまって花開くたんぽぽの花弁の色を書き写す事は、誰のために為すのだ。答える能力のないまま、書いてゆかなければならないのか。これもまた、怠惰で、贅沢なはなしか。
(2003.4.20)-2
ぼくは見下して暮らしているんだ。たとえ噺じゃあない。実際にそうなんだよ。これは、きみ、実に恐ろしいことかもしれないよ。
(2003.4.20)-3
だいじなものはありません
ぜんぶもっていようとするのです
みな、みちばたのいしっころみたいなものばかり
でも、ぜんぶもっていつづける
だって、なにかをもっていようとしなけれあ、ぼくらはさみしすぎるじゃあありませんか
いぬでもねこでも、じぶんだけのたからものをどこいらにあなをほってかくしておくものです
それとすこしもちがわない、きれいにおんなじことなのです

だいじなものは、ありもしません
みんな、みちばたのいしっころで
みがいてみても、だいやもんどには、なりません
ごしょうだいじにかかえてもっているのは、そんなわけでは、ないのです
もっと、りゆうのさだかでない、けれどもおそらくは、ずいぶんとなさけないわけから、ぼくはこれらをもっているのです

だいじなものは、ありません
だから、そのことをだいじにするのです
それだけだいじに、するのです
きれいごとでは、ありません
しゅうちゃくはみな、おおかれすくなかれ、たぶんそんなところがあるのです
ぼくのそうしてもっているものと、それからぼくじしんと、それらをあわせて、はじめてぼくがいっこ
そのようにして、ここにある
ですから、すてるものなど、ありはしまません
かかえてまいにち、いききするのです

(2003.4.20)-4
これはだめ。
(2003.4.20)-5
「ひとに心配をかけない方法って、知っている?」
「ひとに近づかないことだよ」
(2003.4.20)-6
「ぼくなんか」という言葉を懐かしく思い出す。あれを言っているときのぼくは、一体いつ、「なんか」をつけても様になるほどに貴重な存在になったのだとしていたのだろうか。
(2003.4.20)-7
つまりね、ふふ。寝不足だったんだ。そう、ここ何ヶ月かの事だよ。昨日いちにち、ただ眠っているだけで万事おーけー、口にはしなかったけれど、ひとりでそう言って、二日酔いの頭のまま、ぐらぐらと本を読んだりしながら、眠っていたんだ。そうだね、それはだいたい一日のうちの二十時間くらいのことだ。そうして目覚めた今日はいちにち、机の前に座っている事ができたんだ。それは、ここに越してきて、ほとんどはじめて、といってもいいことだった。まだ、朝めしと休日の日課の読書をするよい店は見つからないけれど、ようやくここでの生活の循環の形式が整いつつあるように思う。
(2003.4.20)-8
あとすべき事は、液晶ディスプレイを購入して、ディスプレイを机の正面に据えることと、幅1000mm-1100mm、奥行き450mm-550mm、高さ1500mm-1700mm の棚を買うこと、手ごろな額でいい柄のカーテンを見つけだすこと、背面の壁にかける絵を二枚ほど手に入れることだ。そのひとの絵を買いたい、というひとは、もう既にいるのだけれど、どういう風に依頼していいのか、わからないんだ。ぼくが絵を買うというのは、無論はじめての事だし、そのひとも、絵を売るという事に慣れているわけではないだろう。ぼくはそのひとの絵を好きだけれど、そのひとの記憶に残りたいとは思わないんだ。それに、ぼくの手持ちのお金で足りるかどうかも、全然わからないし。
(母国語の祈祷)
 彼は言語学の本を読んでいた。
 アメリカのドクトル・ラッシュが報告した事実である。
 ----スカンジラ博士というイタリイ人があった。イタリイ、フランス、イギリス、この三ヶ国語の教師をしていた。黄熱病で死んだ。
 ところが彼は発病の日にはイギリス語ばかりで話をし、病気の中頃ではフランス語ばかりで話をし、いよいよ臨終の日には母国のイタリイ語ばかりで話をした。勿論熱に浮かされている彼にはそんなことをわざとやって見せる意識はなかったのである。
 ----また、一時気が狂っていた女にこんなことがあった。
 彼女は頭が狂い出した初めには非常に下手なイタリイ語を話し、最もひどい時にはフランス語を語り、病勢の衰えている時にはドイツ語を使い、いよいよよくなろうとする時には母国語のイタリイ語に返った。
 ----或る年老いた林務官があった。彼は少年の頃ポオランドの国境にいたことがあるだけで、その後は主にドイツに住み、三四十年の間ポオランド語を口にしたこともなければ、耳にしたこともなかった。だからその国語はすっかり忘れてしまっていると言ってもよかった。
 ところが、或る日麻酔に落ちた二時間ばかりの間彼はポオランド語ばかりでしゃべったり、祈ったり、歌をうたったりした。
 ----ドクトル・ラッシュの知人に、長らくフィラデルフィア市でルウテル派の教会の宣教師を勤めていたドイツ人があった。彼がラッシュにこんな話を聞かせた。
 市の南部には老スウェデン人達がいる。彼らはアメリカに移住して来てから、もう五六十年も経つし、その間滅多にスウェデン語を話したことがなかった。彼等がまだ母国語を覚えているとは、誰にも思えないくらいだった。
 ところが、この老人達の多くは死の床に横たわっていよいよ息を引き取る時になると、埋もれていた記憶が遠くから帰ってくるのか、きまって母国のスウェデン語で祈祷をする。
 これらは言葉の話である。----しかし、この奇怪な事実は何を語るか。
「そんなことは記憶の変態の一種に過ぎない。」心理学者はそう答えるだろう。
 けれども感情家の彼は、『母国語で祈祷』せずにはいられない老人達を、甘い感情の腕で抱いてやりたくなる。
 それなら言葉とは何か。符牒に過ぎない。母国語とは何か。
「言葉の相違というものは、実は野蛮人の間で他の種族に対して自分達の種族の秘密を隠すために発達したものだ。」
 そんなことが書いてある本さえあるそうだ。してみると、『母国語で祈祷』するのは、人間が古い因習に身動きならぬ程縛られながら、その縄を解こうとするどころか、その縄を杖柱として生きている心持の一種ではないか。長い歴史を持っている人類は、今はもう因習の縄で木に縛りつけられた死骸になってしまっている。縄を切り放せば、どさりと土に倒れるばかりだ。『母国語の祈祷』もその哀れな姿の現われだ。
 とは思っても----いや彼がこんなことを思うのも、言語学の本を読んでいて、加代子を思い出したからだ。
「自分にとって、加代子が、この母国語のようなものなのだろうか。」
「胴は鳩程太くはないが、拡げた翼は鳩の広さだ。」
 これはきりぎりすの形容である。彼が目を覚ました時、こんな文句がぼんやり頭に浮んだのだった。大きいきりぎりすの夢を見たのだ。
 それより前は覚えていない。----とにかく、耳のところに、と言うよりも頬にすれすれに、大きいきりぎりすが羽ばたきして飛んでいた。彼にははっきり分っていた。加代子と別れるにはどういう方法をとればいいか。それをこのきりぎりすが教えてくれる。
 間もなく彼は田舎の街道を足早に歩いていた。夜だったにちがいない。疎らな並木が薄ぼんやり浮んでいた。鳩のようなきりぎりすはやはり彼の頬に羽ばたきで附き纏って来た。音はない。しかし奇怪なことに、彼はその羽ばたきから高い道徳を感じた。密教の秘められた教えに触れる気持でその羽ばたきに触れた。つまり、鳩のようなきりぎりすは真理の使徒であった。加代子を棄てることが道徳的に正しい。その正しさはこのきりぎりすがいつでも教えてくれるのであった。
 そう感じながら乳色の街道を彼はなぜだか追われるように急いでいた。そうしてきりぎりすの形容が浮ぶと同時に彼は目を覚ましたのだった。
「胴は鳩程太くはないが、拡げた翼は鳩の広さだ。」
 枕もとには八重咲きのチュペロオスが白く匂っていた。七月の花である。だから、きりぎりすはまだ鳴いていない。それにどうしてきりぎりすの夢を見たのか。加代子ときりぎりすとが結びつくようなことが過去に何かあったか。
 郊外に住んでいた時加代子と一緒にきりぎりすの鳴くのを聞いたことがあるにちがいない。彼女と秋の野を歩いてきりぎりすの飛ぶのを見たこともあるだろう。しかし、
「きりぎりすの羽ばたきがなぜ道徳の象徴なのか。」
 さすがにそれは夢だった。その夢を分析出来るようなきりぎりすの記憶はどこに埋もれているのか思い出せなかった。彼は微笑して再び眠りに落ちた。
 百姓家の広い土間の上の天窓、そこに燕の巣のような部屋があった。櫓炬燵のように組み立てた部屋だった。彼はこの奇怪な巣の中に身を忍ばせていた。
 しかし何となく不安で屋根裏の隠れ場所にも長くじっとしていられなかった。
 つつつと長い竹竿を軽業師のように伝わって、彼は内庭に下りた。果して男が追っかけて来た。彼は裏口から飛び出した。----田舎の叔父の家だった。
 裏には一寸法師のような小僧がいた。小僧は小さい箒を振り廻しながら、米倉へ駈け込もうとする彼の前に立ちはだかった。
「だめだ。だめだ。こんなところに逃げたってだめだ。」
「どこか教えてくれ。」
「風呂の中へ逃げなさい。」
「風呂?」
「湯殿しかありません。早く、早く。」
 小僧はやいそがしく彼に着物を脱がせた。小僧が持っている着物を男が見つけたら困ると思いながら、彼は湯殿の窓へ這い登った。湯槽の湯気の中に身を縮めると、意外や湯のように彼に触れて来たのは加代子の肌だった。彼女が先に入っていたのだ。彼女は油のように滑らかだった。湯槽は二人の胴が入り切らない程狭かった。
「もうだめだ。二人がこんなにしているところをあの男に見つかったらどんな風に疑われたってしかたがない。」
 彼は肌一ぱい感じた加代子と恐れで目が覚めた。
 妻の舟底枕の金泥がほのかに光っていた。電燈が消えて朝の光が洩れて来ているのだった。彼は妻の体を探ってみた。下の方まできちんと寝間着に包まれていた。
 だから妻の肌からこんな夢を見たのではない。
 それはとにかく、夢の中で彼を殺そうとしていた男は誰だろう。加代子の夫か恋人にちがいない。しかし彼女は彼以前に男を持っていなかった。してみれば、彼より後の男にちがいない。そして彼に別れた時も加代子は外の男を持っていなかったから、彼はそんな男を見たことも聞いたこともない。それにその男に追われる夢をなぜ見たのだろう。
 加代子のことで嫉妬されるに程いまだに自惚れているのだろうか。そうかもしれない。八年も前の離別が道徳的だと、今になってもきりぎりすから教えて貰わねばならないのだから。そうでないならこうだろう。
「加代子にとっても、彼は母国語のようなものなのだろうか。」
「加代子の叔父ですが。」
 だから当然と言わぬばかりに、その男は彼の家へ上がり込んで来た。
「実は加代子が妙な手紙を寄越しましたので、一度会ってお話したいと思って出て参りました。」
 その男はお茶を汲んで来た彼の妻を不審そうに眺めていた。
「今おうちでしたらちょっと呼んで下さいませんか。」
「加代子さんをですか?」
「はい。」
「あの人がどこにいるか、僕は知りませんよ。」
「何か事情があることは薄々察して居りますが、お隠し下さいませんように。お宅方として手紙を参って居りますから。」と、叔父は懐から手紙を出して見せた。表に香川県と書いてある。この男は加代子の故郷の四国からわざわざ東京近くまで来たのか。そして差出人は、いかにも現住所の彼の家方の加代子と書いてある。彼は驚いて消印を見た。彼のいる熱海町の郵便局だ。
「はてな。----でどんなことが書いてあったんです。」
「ごらん下さい。」

 ----私の身の上のことはすべて木谷に委せてございます。私の運命も私の葬式も----ですから私はもう髪の毛一筋故郷に帰らなくてもお許し下さいましね。もし折がございましたら木谷に会ってお聞き下さいませ。私のことを何と申しますやら。
   叔 父 様
木谷方   加 代 子

 これは何の謎だ。加代子は彼の居どころをどうして知ったのだろう。また、なぜこの海岸に来たのだろう。
「わざわざこの手紙を出しにか。」
 それから二日目、魚見岬で魚見の漁師が心中を見つけたという噂があった。三百尺もある断崖の上から海の底の死体が水族館の魚のようにはっきり見えたのだそうだ。初夏が来ようとして、海の水が不思議に澄んだのだろうか。
「加代子だ。」
 彼の直覚はあたるのが当然だった。
 加代子は心中の場所に彼の町を選んで来たのだ。男の死骸は魚のように無表情だった。けれどもこの男が彼に嫉妬していたのだ。死の瞬間にも。
 死の瞬間が近づくにつれて、人間の記憶力は衰えて行くものだ。それには先ず新しい記憶から破壊されて行く。そうして、その破戒がいよいよ最後の一点に達した時、ちょうど燈火の消える時のように、束の間生き生きと燃え上る。『母国語の祈祷』がそれだ。
 してみれば、水の中の加代子も心中の相手ではなく、一番古い恋人の彼の顔をはっきり心に焼きつけて死んだのだろう。それが彼女の哀れな『母国語の祈祷』であったろう。
「馬鹿な女だ。」
 彼は焦立たしい怒りで彼女の死骸を足蹴にしそうにして叔父に言った。自分に言ったのかもしれない。
「死ぬ時まで古い幽霊に憑かれていたのだ。僅か二年ばかり一緒にいた僕から逃れる力もなかったんだ。自分で自分の一生を奴隷にしたのだ。母国語の祈祷奴!」
川端康成

(2003.4.24)-2
たとえば、ぼくは Owen をとても気に入っていて、なんだかんだといっては、よくかけているのだが、日本語に少しく興味を有する者にとって、欧米の音楽家達の作品を気に入るというのは、これは実に残念なことなのである。Owen は、音楽の非停滞性にその意義を見出しているバンドではないのであるから、彼らの曲に於いて、その詩というものが、若しくは詩の意味というものが、全体においてそれなりの重さを有しているはずである。声を出すための足がかり、といった程度の意味あいではないはずなのである。けれども、ぼくには英語がわからぬ。ぼくにとって彼らの曲の詩とは、つまりはその程度の意味あいしか持ちえていないのである。これは実に残念なことである。現在の日本に於いては、詩は音楽の一部であり、優れた詩人はまた優れた音楽家であらねばならぬようであるが、と、ここまで書いて気が附いた、おそらくそうであった時間の方が、何倍も長かった事だろう、と。つまり、おそらくこう書くべきなのだろう。現在の日本においては、詩は既に自身の独立を声高に主張する事はなくなったが、詩はやはり言葉であって、唯の音ではないのである。声を導く川というでだけのものではないのである。(続き略。Chara の話がしたかったのだけれど、とても長そうである)
(2003.4.26)-1
暖かくて風の強い日。午後から電車で秋葉原に行って、お買い物。その行きと帰りとで、同じ水色の、襟の大きな薄手のスプリングジャケットを来た女の子を見る。たぶん、同じものだったと思う。その色は、男の着ることの出来ない色だったけれど、ぼくも一枚、春らしい装いのジャケットが欲しいと思った。
(2003.4.26)-2
17 インチ液晶ディスプレイ。比較的大型の電気スタンド。投影型の時計。ラジオペンチ、ニッパー、小さなプラスドライバー等々。古い造りの店構えしたとんかつ屋で夕食。同行した横浜ファンと一緒に、三本のホームランと打たせた真田のへちょった顔を見る。
(2003.4.26)-4
まず自分で、そう決めてかかる事だ。
(2003.4.27)-1
無関心に依る無関心と浅薄な関心とは一体どちらが健康な行いであろうか。できる事からという、絶対的に安全な善意というものが、真実なるそれを阻害する事はあり得るだろうか。また、その場面に気づき得るだろうか。おもいは行為になって初めて意味を持つ。ぼくは空白を埋める能力を持たないが、それを得る日まで、その無関心というやつを進んで採り続けるべきではないのか。お前の感情は全て要らないのではないか。お前が昨日喋ったことは全てそうでなくても構わないものではなかったか。お前の意識など。人がどれだけ小さいものか計りかねている。ぼくは同じ事を何度でも繰りかえす。ぼくの少ない行為よ、どうか間違いであって呉れるな。
(2003.4.27)-2
どう尋ねたら、その答えを引き出せるのか。
(2003.4.27)-3
 ああ、そうだった。こんなことばかり書いているのは、確かにイイコトではないね。でもね、もう恋の話なんて、よう書かんのよ。わかってね。それは、わかってね。
 んで、「渋谷は人がいっぱいいたよー。わらわら、わらわら、わらわらわらわら、ってさ。やっぱ、ああいうの見ると萎えるよねえ。なんか、他より気温高いしねえ。うん、そう、萎えちゃったんだ。頑張ってはるふく、なつふくを買おうと思って行ったんだけどね。もう駄目って、適当に、カーテンとか、掛布団カバーとか、枕(ピローと呼ばれている。英語か?)とか、ピローケースとか、さらってなめて、形状記憶枕というのは、いいのであろうか、水洗いできないようだが、、、うん、これは今日は何にも買えん。さらば、渋谷。さらば、休日。ああ、うるさいな。そうだね、たしかに、ぼくは成長しないね。明日からは篭って、溜まっている本をいくつか読んで、それから、もう少し量を書くよ。
(2003.4.29)-1
ひとところに留まって そらというのは。

----たまのやすみに 何週間ぶりかでようやく会えた きみがふいに口を開いてしゃべりだす事といえば
「そらというのは ほんとうは 何もないものなんだ
そんな事は 誰だって 知っている
けれども いつも みなそれを忘れたがる
そらというのは 何もない 無だ
極く単純なる 無だ
ぼくらが そこに込めているものほど おそらくは ぼくらにとって ほんらい 必要でないものなんだ
しかるに 青という このそらの色
これは すなわち 虚無の深淵の色だ
けれども ひとは ここに自由や爽快を見出す なぜか
それは ひとの心とは もともとそのようなものだからだ
ひとの心は このそらのように 青く だから どこまでも無だ
みな そのことを 忘れている
忘れようとして そして 忘れたふりをしている
でも ぼくはそうはしない
そのことを懼れない
ぼくの心は青い
「ほら、この間の桜の木。もうこんなに葉が繁って。
合間から見えるそらはほんとうに青いわね。
「それは なんでも無いものなんだ
都会の夜空が底の見えない谷底に思えたことはないかい
---きみはしゃがみこんでいる。私はうしろを振り返ってみる。歩いてきた上り坂、住宅の隙間を縫って通る小路が見える。センターライン。両脇には同じくらいの高さの、ごくありふれた形の家屋が並んでいる。庭木の高いのに少し遮られていたりもするけれど、その向こう、その上にも、空がある。淡いしろ色の、綿のような雲がのぞいている。二百メートル程戻ったところの幹線道路を往来する車の音が微かに聴こえる。陽の色がそれら全体をやわらかな暖色で微かに染めている。
「なんでもなくても構わない。でも、今ここにある空が無だなんて、私には思えない。今日みたいな、いいお天気の日の空は特に。
「みんな 忘れたがる
「何も無いことなんてないんだよ。そんなの、在り得ない。雲もあるし、太陽もあるじゃない。鳥だって、飛行機だって飛んでいる事もあるし、ヘリコプター、気球だって。虫も、蜻蛉、蝶、それから。それから、いつだって風が吹いているし、そうだよ、空気が必ずあるじゃない。私たちの吐く息だって、この空の一部になるの。きみは夜の闇を谷底だと言うけれど、月が出るじゃない。星が、あるじゃない。雨の日は、雨粒が降り注いでくるのだし、曇りの日だって。
----そこまで言ってしまって、ふっと悲しくなった。きみはどうして、今日のような空を、そのように見てしまうのだろう。空ばかりではない。きみはいつも、何に対してもそうだ。私がそばに居ても、居なくても、それは変わらない。
「忘れているのは、きみのほうだよ。絶対に、きみのほうだ。何を忘れているのか、教えてあげましょうか。
----私は言葉を切って、少し思いを巡らせてから続けた。
「社会への敬意を、きれいな思い出、愛された記憶、きみを弱らせるあらゆる弱い感傷への恐れを、何でもないことを大事にする気持ち、笑いあうこと、そういった日々の生活への感謝を。それから、私も。私の想っていること、私が言ったこと、私がしてあげたこと、一緒にしたこと、私と一緒に過ごした時間。みんな、みんな忘れている。
----私は桜の葉たちが風にそよぐのを見あげまま、きみの方を見ずにそれを言った。悲しくて、口惜しい。きみはふんと鼻で息をした。私もはなをすすり上げていた。弱いけれども冷たい風が吹いている。
「蟻の生活
----きみは細い枝きれを片手に、足もとの土をいじっていた。
「私は綺麗だと思う。
----帰りは、やっぱり私の方から手を繋いだ。きみはほんの少しだけ握り返した。
(2003.4.29)-2
おお甘ったれのひとつも書けないようでは
(2003.4.29)-3
繰りかえすということ自体が、人間そのものだ。いや、動物そのものだ。反復の愚劣と、結局はそれのみに依って人は何かを掴むことの適うのだという、ありふれた事実。歩くということは、ぼくらから、一匹の動物、一匹の虫、一個の細菌に至るまで、総て己が脚を繰りかえし前へ送り出すという行為のみから成っている。歩くということは、脚を前へ出す行為を繰り返すことだし、人には脚がついている。つまり、そういう事だ。一歩とか、半歩とか、その歩幅や歩いた距離は、究極にあっては問題ではない。最終的には、脚をもった動物、存在であるところの人間は、唯それゆえに歩かなければならないという、その一点に行き着くのだ。その歩数、ある大きさを有した自身の脚が踏みしめたその面積こそが重大なのだ。例えば、ぼくはもう、いちど君を好きだと言ったのだから、それを二度とは言わない。そういう事だ。
(2003.4.29)-4
ふふ、面白いね。繰り返すということが、そうでないことに繋がってゆくんだ。ギ・ド・モオパッサンの覚悟を想ってみたことはあるかい。結局のところ、それによって狂わなければならなかった、つまり、彼の発狂の覚悟についてだよ。真の小説家という生きものが、どれだけ歪んだ存在であるか。ぼくは川端康成に依って、それを決定的に識ったのだけれど。作家とか、小説家とか、芸術家とか、そういった言葉の定義をそろそろはっきりさせてもいいように思う。それらの言葉は、ぼくにあっては決して曖昧な範疇を指すものではなく、明確な行為、意図の分類に拠って定義される、或るタイプの人間に冠ぜられる呼称だと信ずる。
(2003.4.30)-1
「人間はどんな環境にも精神的な適応をする事が出来る」
あ、駄目だ。なんも書けない。まだ、早いんだね。

(悲恋)--某夫人に--
 そのとき、わたしたち同勢七人が乗合馬車に乗っていた。女四人に、男三人、男の一人は馭者台(ぎょしゃだい)に、馭者と並んで腰かけていた。わたしたちは、馬車に揺られながら、うねうねと、道路のつづく広い丘陵を登っていた。
 夜あけに、エトルタを出発したわたしたちは、これから、タンカンヴィルの遺跡を見物に行こうとしていたのだが、みな、朝の冷たい空気にかじかみながら、まだうとうとと眠っていた。とりわけ、こんな、猟師のような早起きになれない婦人たちは、日の出の壮観も知らぬげに、眼をこすったり、お辞儀をしたり、あくびをしたりしている。
 ころは秋である。道路の両側には、取入れがすんで、裸になった畑がひろがっている。それが黄色く見えるのは、刈り取られた麦や、燕麦(えんばく)の短い切り株が、へたに剃ったひげのように、地面をおおうているせいである。大地は靄(もや)につつまれ、さながら、けむっているようだ。空には雲雀(ひばり)がうたい、藪かげには小鳥がさえずっている。
 ようやく、面前の地平線に真っ赤な太陽があった。そして、刻一刻、いよいよかがやかに陽ののぼるにつれ、あたりの田野一帯も、ようやく目をさまし、ほほえんで、眠気をふり落そうとしているかに見えた。そして、ベッドをはなれる少女さながら、白い靄のシュミーズを脱ぎ捨てようとしているかに見えた。
 馭者台に腰かけていたデトライユ伯爵が、いきなり、とんきょうな声をあげて、「や、兎だ」と叫びながら、手を左の方にのばして、クローバの畑を指さした。兎は、体をほとんどかくし、長い耳だけ示しながら、その畑のなかをつっ走り、ついで、耕地をまっすぐに、逃走し、ふと、立ちどまった。と思うと、また、がむしゃらに走りだした。今度は、方向をかえた。また、立ちどまった。心配げに、危険をさぐりながら、とるべき、方向に迷っている。ついで、あと足で、ぴょんとはねながら、また走りだし、広い甜菜畑のなかに姿を没した。兎の行方を、いっしんに見まもっているうち、しぜんと、みんなの目がさめてきた。
 ルネ・ルマーワールが宣告した。「みなさん、お早うございます。だいぶ、お疲れのようで」そして、自分の隣にすわっている、かわいいセレーヌ伯爵夫人が、しきりに眠気とたたかっているのをかえり見て、低い声でいった。「奥さん、ご主人のことがお気にかかるとみえますな。ご安心なさい。お帰りは土曜日、まだ四日あります」
 彼女は、いかにも眠そうな微笑を浮かべながら、答えた。
「なに、おっしゃい、おばかさんね!」それから、眠気をふり落すような格好をしながら、つけ加えた。「あのね、シュナルさん。なにかおもしろい、笑わせるようなお話でも聞かせてちょうだいな。あなたは、リシュリュー伯爵さまより艶福者(えんぷくしゃ)だっていうじゃありませんか。あなたの経験なさった恋物語を聞かせてちょうだいな。なんなり、おさしつかえのないところを」
 老画家のレオン・シュナルは、若いころは、非常な美男子で、恰幅はりっぱだし、容貌には自信があるし、女からは、ひどくもてた男だったが、指名されて、にっこりと笑い、その真っ白な長髯(ちょうぜん)をしごいた。ついで、幾分間の思案のあとで、急に真顔になって、言った。
「奥さんがた、前もって、断っておきますが、あまり陽気な話ではありませんよ。わたしの一生のうちで、いちばんに悲しい恋物語なんですから。ついでに、わが友人諸君にお願いしておきますが、この話のような恋愛は、女たちにゆめゆめさせないようにしてもらいたいものです」

 それは、わたしの二十五歳のころで、ノルマンディの海岸ぞいに、画工修業をしていた時分でした。
 わたしが「画工修業」と申すのは、自然をモデルにして、習作をしたり、風景を描いたりするのを口実に、リュックを背負って、宿屋から宿屋へとわたり歩く、あの放浪の旅のことなんです。行きあたりばったりの、あの放浪生活ほど楽しいものはありませんからね。なにしろ自由です。なんの束縛もない。心配もなければ、屈託もない。明日という日を考える必要さえない。足の向くまま、気の向くままに行けばいい。気まぐれが唯一の道案内人、眼を楽しませるものが、唯一の助言者といったぐあいです。小川の流れが気にいったと言っては立ちどまり、宿屋の戸口から、ポテト・フライのいいにおいがするからと言ってはそこに滞在する。そうかと思うと、仙人草のにおいに惹かされて宿を決めたり、宿屋の娘の無邪気な流し眼に誘われて、ついその家に泊まったりする。こういう田舎娘の情だって、ばかにしたものじゃありませんよ。田舎娘といえども、真心もあれば、色香もありますからね。ほっぺたは、しまっているし、唇なども、新鮮ですからね。だいいち、あの猛烈な接吻ときては、まるで野生の果物(くだもの)のようんな、きつい、ゆたかな味がしますからね。恋されるということは、やっぱり、いいものですからな。たとえ相手がどんな田舎娘でもね。男に会うときの、あの心のときめき、また、別れるときの、眼にためた涙、まことに珍重すべき、尊いものじゃありませんか。ゆめゆめ、ばかになんぞしちゃいけません。
 あいびきの経験も、わたしはずいぶんありますよ。桜草の咲きみだれている狭間でしたこともあります。牝牛の眠っている家畜小屋のかげでしたこともあります。昼間の暑気が残って、まだなまあたたかい物置の藁の上でしたこともあります。あの灰色のごわごわした木綿の上からさわった、弾力的なたくましい肉体など、いまもって忘れられませんね。それからまた、あのうぶで、へたくそな抱き方も、いまではなつかしい思い出です。田舎娘の、真剣で、野性味のある愛し方のほうが、艶麗(えんれい)な貴婦人などの、凝った技巧などより、どんなに雅味があっていいかしれませんよ。
 それにしても、さすらいの旅路で、とりわけ好もしいのは、野や森の景色です。日の出、夕暮のながめです。月夜の景色も格別です。これは、絵かきにとって、大地を新婦としての新婚旅行ですからね。彼女のそばにいるのは自分一人だけ。二人して、この長い、無言のあいびきをつづけているような気がします。マーガレットや、虞美人草の咲きほこる草原に寝ます。そして、目がさめれば、陽のさんさんと降りそそぐ下、はるかかなたに小さな村が見え、空高くそびえる鐘楼からは、正午をつげる鐘の音が聞えてきます。
 あるいはまた、一株の樫の根本からわき出る泉のほとりにすわります。あたりには、すんなりと高く伸びた草が、生命にかがやきながら、ぼうぼうと生えています。膝をつき、かがんで、この透明な冷たい水を、鼻やひげまでぬらしながら飲みます。まるで、唇と唇を合わせて、泉と接吻でもしているような、一種肉体的な快楽さえおぼえます。こんな細い流れにそって行くうち、ときどき、水たまりなどに出っくわすと、さっそく、素裸になって、そのなかに浸ります。すると、頭から足の先まで、皮膚全体に、爽快な愛撫を感じます。ぞくっとするような、ひゃっこい流れの戦慄が伝わってきます。
 丘の上にいれば、心が浮きたちます。池のほとりにたたずめば、身は暗慾につつまれます。太陽が、血のように真っ赤な雲海に没して、河面を、朱の反映でいろどれば、なぜか心ときめくのをおぼえます。また夕べ、天心をゆく月の光をあびれば、白昼の明るい陽の下では、思いもおよばぬようなもろもろの怪しげな妄想に悩まされます。
 さて、わたしはこんな調子で、わたしたちのいまいるこの地方をぶらついていたのでしたが、ある夕方、ベヌヴィルという村に到着しました。イボールとエトルタの中間の、断崖に立っている小さな村です。わたしは、フェカンの方から海岸ぞいに来たわけですが、その海岸というのが、白堊質(はくあしつ)の岩が海に突き出し、垂直に海中に没しているといった、高い絶壁からなっているのです。柔らかな芝草が生えていますが、わたしはその絨毯を踏みながら、朝から歩いていたのです。そして、声をかぎりにうたいながら、大股で歩いてゆきます。あるときは、鴎がゆっくりと、まるく飛びながら、青い空に、翼で白い曲線を描いているのをながめたり、またあるときは、紺青の海に浮ぶ漁船の褐色の帆をながめたりしながら、自由な、屈託のない、楽しい一日をすごしたのでした。
 旅人を泊める農家が一軒あることを、かねがね、わたしは教えられていました。百姓のおかみさんが経営している一種の宿屋で、その中庭が、二列のブナにめぐらされているなども、いかにもノルマンディ風です。
 わたしは断崖と別れて、大樹に埋もれているこの部落にはいると、まっすぐに、ルカシュールのおかみさんのところに行きました。
 それは、皺だらけの、むずかしい顔をした田舎ばあさんで、お客を警戒でもしているのか、いつも、不承不承泊めるといったふうに見うけられました。
 ころは五月、林檎は花ざかりでしたよ。中庭には、いいにおいのする花の屋根ができています。そして、桃色の花弁(はなびら)は、雨となって降りしきり、ひらひらと、人の肩に、草の上に、ひっきりなしに落ちてきます。
 わたしはたずねました。「それはそうと、ルカシュールのおかみさん、部屋はあいているかね?」
 わたしが名前を知っているのに、おばあさんはびっくりしたらしく、答えて言うには、「あいにくと、ふさがっていることは、ふさがっているがね。とにかく、見るぶんには、かまわんからね」
 それから五分して、わたしたちの相談は一決、さっそくわたしは、リュックを部屋のゆかにおろす。見れば、ベッドが一つ、椅子が二つ、それに、テーブルと、洗面器という、いかにも田舎くさい部屋。この部屋は、勝手部屋につづいている。だだっ広い、もうもうと煙のたちこめている勝手部屋。泊り客たちは、後家さんの女将をはじめ、土地の百姓といっしょに、この勝手部屋で食事をすることになっています。
 わたしは手を洗うと、いったん外へ出ました。ばあさんは大きな囲炉裏(いろり)で、夕食のしたくに、雛のシチューをつくっていました。囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)は、煤で真っ黒けになっていましたっけ。
「じゃ、いまんとこ、ほかにもお客さんがあるんだね?」わたしはたずねてみました。  ばあさんは、例のうさんくさそうな調子で答えました。「女のお客さんが一人いるよ。年増のイギリス人でね。その人は、別の部屋にいらっしゃる」
 わたしは、日に五スーの割増しをして、天気のいいときには、中庭に出て、ひとりで食事する権利を得ました。
 そこで、わたしの食卓は、戸口の前に持ち出されたわけです。わたしは、あのノルマンディ産の牝鶏の、すじばった肢(あし)を歯で割りはじめたものですよ。すきとおった林檎酒を飲んだり、四日も前の古パンだが、まずくはない、白い大きいやつをかじったりしながらね。
 そのとき、とつぜん、道路に面した木戸があいたと思うと、一風かわった女がこちらにやってきました。非常にやせている、非常に背の高い女で、それが、赤い格子縞の、スコットランド風の肩かけにかたくつつまっている格好は、もし、旅行用の白い日傘を持っている長い手が、ぴょこんと腰のところにあらわれているのを見なかったとしたら、両腕のない女だと思われてもしかたなかったでしょう。その女のミイラのような顔のぐるりを、半白の巻毛がとりまいているのが、歩くたびに、ぴょんこんぴょこん踊るようすは、わたしをしてなぜとも知らず、にしんの燻製(くんせい)が、蝶々髷(ちょうちょうまげ)を結った格好を想像させるのでした。その女は、眼をふせたまま、わたしの前をさっさと行き過ぎると、それなり、草屋(くさや)のなかに消えてしまいました。この風変わりな女の出現は、わたしをいたく愉快にさせました。これこそ、まぎれもなくわたしの隣の客、つまり、宿のばあさんの言う、年増のイギリス人に相違ありません。
 その日は、それっきり、彼女は姿を見せませんでした。その翌日は、あなたがたもご存じでしょう、そら、エトルタの方にだらだらくだっている、あの美しい渓谷の底に陣取って、わたしは絵を描いていましたが、ふと眼をあげたら、妙なものが、丘陵の頂上につっ立っているじゃありませんか。彼女だったのです。わたしを見るなり、姿を消しましたが。
 わたしは昼食に宿へ帰りました。そして、わたしが勝手部屋における共通の食卓についたのも、じつはこの風変わりのおばあさんと近づきになるためでした。ところが、彼女は、わたしの会釈に答えるどころか、わたしのなにくれない心づくしにたいしてさえ無感覚でした。わたしは根気よく水をついでやりました。愛想よく料理皿を手渡ししてやりました。それだのに、ほんのわずか、ほとんどわからないくらい、頭を動かしただけ、そして、ほとんど聞えないくらい、低い声で英語を一言つぶやいただけ、これが彼女の感謝の唯一のしるしだったのです。
 わたしは、彼女にかかずらうことをやめました。そうかといって、彼女のことが気にならないわけではありませんでした。
 それかあらぬか、三日目には、わたしは彼女について相当の知識を得ました。おそらく、ルカシュールのおかみさんくらいはくわしかろうと思います。
 彼女は名をミス・ハリエットといいます。夏をすごすため、辺鄙(へんぴ)な村をたずね歩いているうち、六週間前に、ここペヌヴィルの村に足をとめたら、もうこの先には行かない気をおこしたらしいのです。食卓では絶対に口をきかず、せっせと食事をしながらも、新教宣伝のパンフレットを読んでいます。彼女は人さえ見ればこのパンフレットを分けてやるのです。旧教の司祭さんまでが四冊ももらったとかで、なんでも、村の腕白小僧に駄賃を二スーやって届けさせたのだそうです。ときどき、彼女は、わたしどもの宿のおかみさんを相手に、なんの前ぶれもなく、いきなり、こんな開陳をするのです。「わたくし、いかなるものよりもいちばん神さまを愛します。神さまのおつくりになったすべてのもののなかに、神さまを讃美します。神さまのおつくりになったすべてのもののなかに、神さまを崇めます。わたくし、いつも、わたくしの心のなかに神さまを持っています」こう言うがはやいか、そのあっけにとられている百姓ばあさんに、世界を改宗させるための、例のパンフレットを渡すのです。
 村では、あまり彼女は好かれていませんでした。小学校の先生が、「あの女は無神論者だ」と言ったものだから、村人たちは、なんということもなく非難の眼で見るようになったんですね。司祭さんにしても、ルカシュールのおかみさんから意見を求められて、こう答えたのです。「あのかたは異端者です。しかし、神さまは罪ある者もお殺しになりません。それに、わたしは、あのかたを品行のたいそう正しい人だと信じます」
 この「無神論者」とか「異端者」とか、村人にはその正確な意味のわかりかねる言葉が、彼らの心に、いろいろの臆測を投げつけたのですね。そのほかにも、とり沙汰する者がありました。あのイギリスの女は金満家だとか。家を追われたために、ああして世界の国々を旅行して、一生すごしてきたのだとか。では、なぜ家を追われたのかということになると、もちろん、不信心のためだということになるのです。
 事実、彼女は、あの主義に凝りかたまった女の一人だったのです。イギリスの女によくある、あの頑迷な聖教徒の一人だったのです。ああいう老嬢とときては、根は善良なんでしょうが、ともかくやりきれませんよ。ヨーロッパじゅうのあらゆる定食食堂にあらわれ、イタリアをよごし、スイスを毒し、地中海沿岸の美しい町々を、住むに耐えがたいところにしてしまうんですからね。それに、どこに行くにも、あの奇妙な癖、あの化石した貞女の風習を持ちまわるんですからね。おまけに、いつも着用におよんでいる、例のたとえようのない衣装ときたらどうです。ゴムの臭気まで漂わせているのだからたまりませんよ。どうもあの臭気から察するに、夜分は、衣装をゴムの合切袋(がっさいぶくろ)にでもしのばせておくとみえますな。
 そんな女を、ホテルなどで見かけようものなら、わたしなんぞは、小鳥が田圃のかかしを見つけでもしたように、さっさと逃げだしたものですよ。それだのに、今度の老嬢は、いっこう不愉快にさせなかったほど、そんなに変り方がはなはだしかったのです。
 ルカシュールのおかみさんというのは、何事にかぎらず、田舎風のものでなければ、本能的に毛ぎらいする人だったものですから、この老嬢の法悦に浸っているようすが、ばあさんの偏狭な頭脳のなかでは、しゃくにさわってならなかったんですね。このばあさん、この老嬢を形容する一つの言葉を発見したんです。もとより、軽蔑の言葉なんですがね。それが、どうして、ばあさんの唇にうかんできたのか、どんな渾沌とした、神秘的な精神作用で出てきたものか知るよしもありませんが、ともかく、ばあさんは、「あれはデモニアク」(訳注 悪魔につかれた女)と言ってのけたんですね。それにしてもですね、峻厳そうで、センチメンタルなこの人物が、こんなレッテルを貼りつけられたことが、わたしにはたまらなく滑稽に思われたものです。それからは、わたし自身も「デモニアク」としか、彼女を呼ばなくなりました。彼女の姿を見ると、このシラブルを声高に発音することが妙に楽しかったものですからね。
 わたしは、ルカシュールのおかみさんに、こんなふうにたずねるのです。「それはそうと、うちのデモニアクはね、きょうはどうしたろうかね?」
 すると、この百姓女は、慨嘆にたえぬといった面持で答えるのです。
「旦那、あきれるじゃありませんか。足のくじけたがまを拾ってきてさ、自分の部屋にもちこんでさ、たらいに入れてさ、まるで、人にするように看病してさ、あれで神さまの罰があたらんもんかね!」
 またある日のこと、断崖の下を散歩していた老嬢は、漁夫が大きな魚を釣りあげるのを見て、さっそくそれを買い取ったそうです。買い取ったのは、それをまた海に逃がしてやるためだったんです。漁夫はたんまり金をもらったものの、自分のポケットの金を盗まれたよりも憤慨して、口ぎたなくののしったものです。それから、一月たった後までも、この話の出るごとに、むやみに怒ったり、侮辱云々を口ばしったりしていたそうです。いや、はや、このミス・ハリエットという女人は、まさしくデモニアクでした。ルカシュールの女将さんも大出来でさあ。こんな名前を思いつくとはね。
 厩(うまや)の番人というのは、若いころ、アフリカで軍隊勤めをしていたので、サプールという渾名(あだな)のついている男でしたが、これはまたちがった意見をいだいていました。この男が、いかにも意地わるげに言うのを聞けば、「あれは用のなくなった古物ですわい」
 かわいそうに、あのお嬢さん、それを知ったらなんと思うことでしょう!
 子婢(こおんな)のセレストも、どうしたわけか、彼女には気持ちよく給仕をしませんでした。思うに、彼女が外国人で、種族も、言葉も、宗教もちがうという、ただそれだけの理由なんでしょう。やっぱり、デモニアクだということになりますね!
 彼女が、田野の散策に時をすごすのも、自然のなかに神を求め、神を崇めようとするためなんです。ある夕方、草むらのなかにひざまずいている彼女を見かけたことがあります。木の葉ごしに、なんだか赤いものが見えたので、木の枝を分けて見ると、ミス・ハリエットがつっ立っているじゃありませんか。こんなところを見つかって、よほどあわてたとみえ、きょとんとした眼をこちらに向けている格好は、真昼間、人に見つかった木莵(みみずく)そっくりでした。
 わたしが岩の狭間で絵を描いているときなど、ふと眼をあげると、向うの断崖のはしに、信号標みたいに、彼女のつっ立っている姿がよく見うけられたものです。そんなときの彼女は、黄金色に光りかがやく大海原と、赫々(かっかく)と火に燃ゆる大空を情熱的にながめているのです。またあるときは、谷底に彼女の姿を見かけました。イギリス女独特の、あの弾力的な足どりで、わき目もふらず、せっせと歩いているのです。そんなとき、わたしは、なぜとも知らずに惹きつけられて、彼女の方へ行くのでした。思うに、ただ彼女の見神者じみた顔が見たかったからでしょう。ひからびた、しかたのない顔だけれど、内心のふかい喜悦に満足しているといった、その顔が見たかったからでしょう。
 農園のすみっこで、彼女にあうことなどもよくありました。林檎樹の木かげの草にすわり、膝の上には、例の信仰のパンフレットをひらいたまま、眼ははるかかなたをさまよっています。
 わたしがふたたび放浪の旅にのぼらなかったのは、このへん一帯の、雄大で、温和な風光にたいする愛着の絆によって、この静かな土地に縛りつけられていたためなんです。万物からは遠くはなれ、「大地」には近い、この名もなき村里がわたしには楽しかったのです。善良で、健康で、美しくて、緑色の大地、いつの日か、われわれがみずからの肉体で肥やすであろうこの大地に親しむことが、わたしにはうれしかったのです。それに、白状すれば、ある好奇心、ほんのちょっとしたものなんですが、この好奇心もまたわたしをルカシュールのおかみさんの家へ引きとめておいたと言えるかもしれませんね。できることなら、わたしは、この風変わりのミス・ハリエットをすこしでも知りたいと思ったのです。そしてまた、あのさまよい歩く老イギリス婦人の孤独な魂のなかは、そもそもいかなるものか、それも知りたいと思ったのです。

 わたしたちが知合いになった動機というのが、これがまた少々変っているのです。ちょうど、わたしは一枚の習作を描きあげましたが、自分ながら、相当な出来だと思いました。事実そうでもあったのです。なにしろ、それから十五年後に、一万フランで売れたんですからね。といっても、二二が四よりも単純な絵でして、アカデミックな型からはおおよそ遠いものでした。画面の右手は岩。茶、黄、赤の海草でおおわれた、でこぼこの大きな岩です。その岩の上に、日光が油のように流れています。太陽は、わたしの背後にかくれていて、画面には見えませんが、光線だけが、その石の上に落ちて、炎の鍍金をかぶせています。まったく、このとおりの景色だったのです。前景は、強烈な輝光で眼もくらむばかりです。
 左手は海。といっても、青い海でも、スレート色の海でもありません。それは硬玉の海です。紺碧の空の下なる、緑色の、乳色の、しかも、硬い海なんです。
 こおどりしながら、わたしはこの絵を宿に持ち帰ったほど、そんなにまで、その出来ばえに満足していたのです。すぐにも世界じゅうの人に見せてやりたいくらいでした。そうそう、そういえば、道ばたの牝牛に見せてやりましたっけ。こう大声で叫んでね。
「どうだい、おばあちゃん、まあ見てくれよ。こういう作は、そうめったに見られんからな」
 宿の前に来れば、さっそくに、声をかぎりにどなります。
「おーい!おーい!おかみさん、さあ、さあ、早く来て、これを見てくれよ」
 百姓女はやってきました。そして、わたしの作を神妙そうに見ました。見たことは見ましたが、鑑識などみじんもない、牛が描いてあるか、家が描いてあるかもわからないようなばかな眼で見たのです。
 ミス・ハリエットがもどってきました。彼女がわたしのうしろを通りかけたちょうどそのとき、わたしはカンバスを差出すようにして、おかみさんに見せていたときでした。デモニアクは、その絵を見ないわけにはゆきませんでした。わたしは、わざとそれを突き出して、いやでも彼女の眼にはいるようにしてやったのですから。彼女は、そのまま、ぴたりと立ちどまりました。何ものかに、心をうたれたように、ぽかんとしています。どうやら、それは彼女の岩だったらしいのです。彼女がよじ登っては、心ゆくまま夢想する、あの岩だったらしいのです。
 彼女は、イギリス人十八番の「ああ!」をつぶやきましたが、その調子に、強い抑揚があり、厚意もあったので、わたしはほほえみながら、彼女の方にふり向いて、言いました。
「マドモワゼル、これはぼくの最近の習作です」
 彼女はつぶやきました。
「おお!あなたは胸をどきどきさせるように自然を理解しています」それが、いかにも恍惚としているような、それでいて滑稽で、いじらしげな調子なんです。
 いや、はや、わたしは顔を赤くしてしまいましたね。女王さまにほめられたよりも感動しましてね。このお世辞には、わたしもつられましたよ。征服されましたよ。負けましたよ。できるものなら、彼女に接吻したかったくらい。これ、冗談じゃありませんよ!
 食事のときは、いつものとおり、わたしは彼女の隣にすわりました。このとき、はじめて彼女は口をきいたのです。自分の考えていることを、そのとおり、大声で告げるのです。
「おお!わたくし、たいへん自然を愛します!」
 わたしは、せっせと、彼女にパンを取ってやりました。水も、葡萄酒もついでやりました。今度は、ミイラのようなうすら笑いをうかべながら受けてくれました。ころあいをみて、わたしは風景の話をしました。
 食事が終り、いっしょに席を立ったわたしたちは、中庭を歩きはじめましたが、たぶん、落日のため、海上が火と燃えている壮大な光景に惹かれたからでしょう。わたしは、弾劾に通ずる木戸を押し開きました。すると、そのまま、わたしたちは、肩をならべて出ていったのです。たったいま意気投合した二人の人間のように、たがいに満足しあいましてね。
 おだやかな、あたたかい夕暮でした。身も心も楽しくくつろぐような、あのなごやかな夕暮でした。ものはみな快楽であり、魅惑でした。なまあたたかい、かぐわしい空気、草と昆布のにおいの充満している空気が、その野性的な香気で、嗅覚をくすぐります。その空気は又、海の味で味覚をそそります。その空気はまた、身にしみるほどの柔情で精神を愛撫します。いつのまにか、わたしたちは断崖のはしを歩いていました。見おろす百メートルの脚下には、洋々たる海原が小波をたてています。そして、わたしたちは、口をあけ、胸を張りながら、大海を渡ってきた、この新鮮な風をのみこもうとします。波との長い接吻で塩気を含んでいるその風は、わたしたちの皮膚にもすべりこんできます。
 格子縞の肩かけにぴったりくるまったまま、そのイギリス女は、吹く風に歯をむき出し、さながら霊気にでもうたれたかのように、巨大な太陽が海に沈んでゆくのを呆然とながめています。わたしたちの正面、はるかかなたの水平線に、帆を張りめぐらした三本マストの船が、真っ赤に燃えている空にシルエットを描いています。さらに、その手前を、一隻の蒸気船が煙を吐きながら過ぎていました。煙は、船のあとに長く雲のようにたなびいて、たえず水平線をかくしてゆきます。
 真っ赤な球はいぜんとして静かに沈みつづけ、ほどなく、帆船の背後で水に接しました。だから、この動かぬ船は、煌々たる太陽のただなかにおいて、火の額縁にでもはめられたように見えました。太陽はすこしずつ大海にのまれてゆきます。それは徐々に沈没し、縮小し、見えなくなってゆきます。もう見えなくなりました。ただ、小さな船だけが、そのくっきりとした横顔を、遠い金色の空を背景に浮びあがらせています。
 ミス・ハリエットは、感激の眼をみはって、この燃える落日を黙然とながめていました。思うに彼女は、空も、海も、水平線も、眼に見えるあらゆるものを抱しめたいというとてつもない野望をいだいていたにちがいありません。
 彼女はつぶやきました。「おお!わたくし、愛します・・・・・・わたくし、愛します・・・・・・わたくし、愛します・・・・・・」その眼には涙さえ浮かべているじゃあありませんか。彼女はなおもつづけて言いました。「わたくし、小鳥となって、あの大空へ飛んでゆきたく思います」
 いぜんとして、彼女は断崖の上に棒立ちになっています。これまでも幾度か見たように、例により、緋の肩かけにくるまり、真っ赤になって。わたしは、彼女をスケッチブックに写生したい欲望にかられました。題して、恍惚の戯画というところでしょうか。
 わたしは笑うまいとして、顔をそむけてしまいました。
 それから、彼女に絵の話をしてやりましたが、まるで、絵かき仲間にでもするように、色調だの、色価だの、力強さだのという専門語を使いましてね。彼女は、どうかして理解しようと、わたしの言うことを一生懸命聞いているのです。それらの言葉の判然としない意味を察し、わたしの思念のなかにはいりこもうと努力するのです。思い出したように、彼女はぽつりぽつりと言います。
「おお!わたくし、わかります。よくわかります。それ、たいそう、胸をどきどきさせます」
 わたしたちは宿へもどりました。
 その翌日、彼女は、わたしを見ると、急いでやってきて、手を差出すのです。こうして、わたしたちはすぐ仲よしになってしまいました。
 彼女は、正直な、まっとうの女でした。感激的なことにはいちずに走りやすい、いわば、バネ仕掛けの魂をもったような女でした。なるほど、均斉には欠けていましたが、これは五十過ぎた独身婦人の通弊で、しかたのないことでしょう。それに、彼女の清浄潔白にしても、つかりすぎた漬物とおなじで、いささかすっぱい気味はありましたが、そのくせ、彼女の心には、なにかしら、ういういしい、熱情的なものが残っていました。彼女は、自然と動物がなにより好きでしたが、その愛しようといったら、古くなりすぎた酒のように醗酵する、熱情的な愛情でした。かつて人間には与えたことのなかった、肉惑的な愛情でした。牝犬が乳をやっているのを見ても、牝馬が子馬をつれて、牧場を走っているのを見ても、巣のなかの雛が、頭ばかり大きく、丸はだがの恰好で、ピイピイ鳴いているのを見ても、おそらく、彼女は感激のあまり、それこそ、胸をどきどきさせたことでしょう。
 あわれな孤独の女らよ、定食食堂の悲しい放浪者たちよ、いたましくも、滑稽な、みすぼらしい女らよ、わたしは、ミス・ハリエットを知って以来、御身たちを愛します。
 ほどなく気づいたのですが、彼女は、何かわたしに言いたいことがあるらしく、しかし、それをきりだして言うだけの勇気はないのですね、わたしは、彼女がおずおずしているのがおもしろく、素知らぬ顔をしていたのです。朝など、わたしが絵具箱を背負って出かけると、よく村のはずれまで送ってきたものです。おしのように黙っていますが、ありありと焦慮の色が見え、何かきっかけの言葉をさがしているようでした。けれど、ふいと、わたしのそばをはなれると、例のはねるような足どりで、さっさと引返してしまうのです。
 とうとう、ある日、彼女は勇気を出したのです。「わたくし、見たく思います。あなた、どんなふうにして絵を描くのか?かまいませんか、わたくし、たいへん興味あります」言いおわると、真っ赤になってしまいました。まるで口にすべからざることを言ったあとのようなんです。
 そこで、わたしは「小渓谷(プチ・ヴァル)」につれてゆきました。この狭間で、わたしは大作にかかっていたのです。
 彼女は、わたしのうしろにつっ立ったまま、注意力を集中して、わたしの一挙一動を見まもっていました。
 ついで、わたしの邪魔になるのをおそれたのか、藪から棒に、「ありがと」と言うや、さっさと行ってしまいました。
 しかし、しばらくすると、彼女はいっそううちとけてきて、毎日、わたしのお供をするのでしたが、それが見るからにうれしそうでした。ちゃんと自分の畳み椅子を小わきにかかえて出かけるんですね。わたしがいくら持ってやるといっても聞こうともせず、わたしと並んで腰かけるんです。こうして、何時間もぶっとおしに、口もきかず、身動きもせず、わたしの運筆をあかずに見まもっているのでした。厚い絵具を、パレットナイフでさっと塗って、思いがけない、適確な効果でも見ようものなら、彼女は思わず、小さな「おお!」をもらすのでした。驚きと、歓びと、賞讃の「おお!」でした。彼女は、わたしの画布にたいして、心からの敬意をいだいていたのです。それは、神のした仕事の一部分を、人間が再現しようとする、この絵画という仕事にたいするほとんど宗教的な敬意なんですね。たかがわたしの習作も、彼女には、宗教画かなんぞのように見えたのでしょう。そして、ときおり、わたしを改宗させるつもりか、神さまのことまで持ち出すんです。
 ああ!ところが、彼女の、そのありがたい神さまとは、ただのお人好しだったんですよ。村の哲人といった、手腕もなければ、力量もない人物だったんですよ。なぜかというに、彼女の想像している神さまというのは、自分の見ている前で不正が行われても、それをとめることもできなくて、ただはらはらしている、そんな神さまなんですから。
 そればかりでなく、彼女は神さまとたいへんの仲よしで、むしろ、神さまの秘事や不満の聴き手の観さえありました。彼女は言うのでした。「神さまはそうお望みになる」。あるいは、「神さまはそうお望みにならない」。それは、軍曹が新兵に向って、「連隊長殿の命令だ」と告げるのとおなじなんです。
 彼女は、わたしが、神の思召しというものをまるっきり知らないのを悲しんで、どうかして教えようと努力するのでした。そして、毎日のように、わたしは見いだすのでした。わたしのポケットのなかに、地べたに脱ぎ捨てておいた帽子のなかに、絵具箱のなかに、朝は、ドアの前の、磨きたての靴のなかに、例の信仰のパンフレットを、おそらく彼女が天国から直接受取ったと思われるパンフレットを見いだすのでした。
 わたしは彼女にたいして、旧友のような、遠慮のない、親身な態度をとっていました。それだのに、やがて、彼女の態度のすこし変ってきたことがわかりました。はじめのころは、わたしもさほど気にもとめませんでした。
 わたしが、例の狭間や、またときには、穴ぼこのような道で、仕事をしていると、調子をとった、急速な足音がして、そこに、ひょっこり彼女のあらわれることがよくありました。息をはずませながら、あたふたと腰かけます。走りつづけてきたのか、それとも、何かふかい感動に動揺してでもいるようです。あのイギリス人特有の、他の国民の持っていない赤ら顔が、いっそう赤くなっています。ついで、何の理由もなく、その顔が蒼白になったかと思うと、土色になり、いまにも気絶しそうになります。そのうち、じょじょに、ふだんの顔色をとりもどして、口をききはじめるのです。
 と思うと、不意に話を中途でよして、立ちあがると、そのまま逃げだしてしまうのです。それがあまりに唐突で奇抜だものですから、何か彼女の気にいらないことか、傷つけるようなことでもしたのかと心配なくらいでした。
 けっきょく、わたしは、これが彼女の普通の態度だと考えざるをえなくなりました。もちろん、わたしたちは知合いになってまもないこととて、わたしにたいする遠慮から、すこしは気をつけていたでしょうけれど。
 風に吹かれながら海岸を何時間も歩いてから、彼女が、宿に帰ってくるようなとき、螺旋形に巻いた長い髪の毛がほどけて、バネがこわれでもしたように、ぶらさがっていることがよくありました。以前はそんなことにも気にもとめず、こうして、妹分の風に吹きみだされた髪もそのまま、平気で食事にやってきたものでした。
 ところが、きょうこのごろでは、かつてわたしがランプの火屋と呼んでいたそのみだれ髪をなおすために、わざわざ自分の部屋へあがってゆくのでした。わたしはよく彼女に向って、「ミス・ハリエット、きょうのあなたは星のようにお美しい」などと、冗談まじりのお世辞を言っては、いつもいやがらせたものですが、そんなときの彼女は、すぐに顔をぱっと赤らめて、まるで小娘のようなんです。それこそ、十五の小娘のようなんです。
 そのうち、何を思ったか、まったく以前の無愛想に逆もどりし、絵を描くのを見にくることも、ぱったりやめてしまいました。「なあに、ちょっと虫のいどころがわるいだけだ。そのうち、すぐになおるさ」ぐらいに、わたしはたかをくくっていました。ところが、なおるどころじゃありません。このごろでは、言葉をかければ、答えることは答えますが、それがわざと無関心をよそおい、どことなく、いらいらしています。それに、何かにつけ、つっけんどんで、気短かで、神経質でした。食事のときよりほかは姿を見せなかったし、しぜん、わたしたちが話をまじえるということもなくなりました。わたしは何かのことで彼女の感情を害したのだと、じっさいそう思うようになりました。そこで、ある晩、たずねたことがあります。「ミス・ハリエット、あなたはどうして以前のようにしてくださらないのですか?何かぼくがお気にさわることでもしたのですか?心配でなりません!」
 彼女は怒ったような口調で答えました。それがまたじつに滑稽なんです。「わたくし、あなたと、いつも昔とすこしも変りありません。あなたの言うこと、それ、ちがっています」そう言って、彼女は自分の部屋へ駆けこむのでした。
 ときどき、彼女はわたしを奇妙な眼つきで見ていました。そんなあとで、わたしはよく思ったことですが、死刑の宣告を受けた者が、執行の日を知らされたとき、やはりこんな眼つきをするのではないでしょうか。彼女の眼には、一種の狂気が宿っていました。神秘な、はげしい狂気なんです。しかし、そればかりでなく、まだ何かありました。一種の熱情なんです。実現しない、実現しえないものにたいする、絶望的な願望、性急で、無力な願望なんです!さらに、彼女のなかでは、一つの闘争が行われているように思われました。おそらく、ほかにも何かまだあったんでしょうが・・・・・・。
 さあ、そうなってくると、わたしにはわかりません。
 これはまったくふしぎな発見だったんです。数日来、毎朝、明け方から、わたしがある創作にかかっていましたが、その画題というのはこうなんです。
 深い狭間があります。両側をかこむ切り立った斜面には、樹木や、茨がしげっています。その狭間は長くのび、その先は、あの牛乳のような蒸気のなかに消えています。日の出るころ、よく谷間に漂う、あの綿のよう蒸気なのです。そして、その厚い、そのくせ、透明な靄のなかから、二人づれが、青年と少女なんですが、こちらに来るのが見えます。見えるというよりは、見えるような気がすると言ったほうがいいくらいなんです。二人はかたく抱きあっています。少女は青年の方に頭をもたげ、青年は少女をのぞきこむようにして、口と口をつけています。
 太陽の最初の光線は、木の間をもれて、この夜明けの霧をつらぬいてさしています。バラ色にかがやいている霧を背景に、これら田舎の恋人たちは、そのおぼろな影を銀色の光のなかに移そうとします。これはよろしい、すばらしい画題だと、われながら思ったことです。
 わたしは、エトルタの小さな谷に通ずる坂道で仕事をしていました。その朝は、ぐあいよくおあつらえむきの霧が漂っていました。
 と、何者か、わたしの前に、ぬっと、まるでお化けのようにあらわれました。ミス・ハリエットでした。わたしを見るや、いきなり逃げだそうとしましたが、わたしは大声で呼びとめました。
「ちょっと、ちょっと、いらっしゃいよ。お見せしたい絵があるんです」
 彼女はしぶしぶそばへやってきました。わたしはスケッチを差出しました。彼女は一言も口をきかず、しかし、じっといつまでも見ていましたが、いきなり、泣きだしたんです。それは、泣くまいと一生懸命にがまんしても、もうがまんしきれなくなり、それでもまだ抑えつつ泣きくずれる、そういうしゃくり泣きでした。この不可解な愁嘆に、わたし自身も興奮してしまい、あわてて立ちあがったのです。そして、ついかわいそうになってしまって、おもわず、彼女の手を取ったのです。考える前に行動するという、いかにも、フランス人らしいやり方なんですね。
 彼女は、しばし、その手をわたしに握らせておきましたが、その震えていることといったら、まるで、彼女の全神経がねじ曲りでもしたようでした。ついで、いきなり、彼女はその手を引っこめました。引きはなしたといったほうが適切かもしれませんね。
 わたしには意味がわかりましたよ。その手の震えた意味がね。これまでにも幾度か経験がありますもの。そして、わたしの眼は狂いっこありませんもの。ああ!女のあの恋の戦慄というやつ、よし、彼女が十五歳の小娘であろうと、五十歳の老女であろうと、ぴりっと、わたしの心臓に伝わってくるんで、たちどころにわかりますもの。
 あわれにも彼女の全身は、震え、わななき、絶えいらんばかりでした。それが、わたしにはちゃんとわかりました。彼女は、さっさと立ち去ったので、わたしはものを言うひまもなく、ただひとり、あとに残されていました。眼前に奇蹟でも見たときのように呆然とし、罪悪でも犯したときのように悲嘆にくれて。
 わたしは、昼食にもどる気にもなれず、断崖のまわりを一まわりしに出かけました。泣きたくもあり、笑いたくもある気持でした。思えば、いまさっきのできごとは、おかしいとも言えれば、あわれだとも言えます。自分のことを考えると滑稽なんですが、彼女の身になってみれば、気の狂うほど悲しいことだったでしょう。
 わたしは自分のとるべき処置を考えました。
 いまとなっては、一刻も早くこの地を去るよりほかはないと考え、すぐその肚を決めました。
 わたしは、いくぶんセンチメンタルになり、いくぶん夢見心地になりながら、夕食どきまでぶらついて、スープの出る時刻には宿に帰りました。
 ふだんと変らずに食事につきました。ミス・ハリエットもいました。厳粛そうに食事をしていましたが、だれと話すでもなく、眼さえあげませんでした。もっとも、顔もふだんとちがいませんでした。
 わたしは、食事の終るのを待って、おかみさんの方に向いて、言いました。「それはそうと、ルカシュールのおかみさん、あんたがたとも、お別れしなければならなくなったよ」
 おかみさんは、びっくりもし、残念でもあったのでしょう。例の引きずるような声を出して、叫んだのです。「あれさ、お客さん、なにを言うだね?わしらとお別れだなんて!せっかく、おなじみになっただに!」
 わたしは、横眼でミス・ハリエットを見ていましたが、彼女の顔はびくともしませんでした。ところが、ちょうどそのとき、子婢のセレストが、わたしの方に眼をあげたのにぶつかりました。これは十八歳のふとった娘でした。赤ら顔で、はちきれそうな、馬のように頑強で、そのうえ、田舎ではまれにみる小ぎれいな女でした。わたしは、物かげなどでよくキスをしたものですが、それも、宿から宿へ渡り歩く者の習慣だけのことで、それ以上の何事でもなかったのです。
 夕食がすみました。
 わたしは戸外に出ました。中庭をおおっている林檎の木々の下を、パイプをくゆらしながら、縦横に歩きつづけました。私が昼のあいだにふけったもろもろの思索、朝のあの奇妙な発見、自分にたいする、あのグロテスクで熱烈な恋愛、この秘めた恋をはじめて知ったためによみがえってきた、種々の思い出、楽しい思い出や、悩ましい思い出。それにまた、おそらくは、自分が発つことを告げたときにこちらを見た女中のまなざし、これらすべてが、まじりあい、結びついて、いつしか、体には好色の気が横溢し、口には接吻の味がし、血管には、わたしをして、何か、たわけたまねをさせかねまじきものが流れはじめたのです。
 夜は、木かげに影をしのびこませながら、近づいてきます。ふと、セレストの姿が見えました。彼女は、屋敷のはずれにある鶏小屋をしめにゆくところでした。わたしは、そっと、気づかれないように走り寄りました。そして、彼女が牝鶏の出入りする小さな揚げ戸をおろして、起きなおったとき、彼女を両手で抱きすくめて、その、まるまると脂ぎった顔にキスの霰をふらせたのです。彼女はしきりのもがきましたが、なれているので、やっぱり笑っています。
 それにしても、なぜ、わたしは急いで彼女を放したのでしょう?なぜ、ふいにふり向いたのでしょう?だれかが背後にいることを、どうして感じたのでしょう?
 それはミス・ハリエットでした。彼女は、宿に帰ろうとして、わたしたちを見たのです。まるで、化物にでもあったときのように、立ちすくんでいましたが、すぐに暗闇のなかに消えてしまいました。
 わたしは部屋にもどりましたが、ただもう恥ずかしくてなりませんでした。彼女にこんな場面を見られ、何か犯罪行為でも行っているところを発見されたように、にっちもさっちもゆかなくなってしまいました。
 その夜は神経が興奮し、あれやこれや、せつない思いに悩まされて、眠ることができませんでした。人の泣いているのが聞えたような気がしました。おそらく、それはわたしの勘ちがいだったのでしょう。それにしても、だれか家のなかを歩いているような、そして、おもての木戸をあけるような音を、何度も聞いたような気がしました。
 明け方になって、ぐたぐたに疲れたあげくに、やっと、眠気がおそってきました。目がさめたときにはもうだいぶおそく、昼食にはじめて顔を出したようなわけでしたが、まだ頭がみだれていたので、どんな顔をしていたらいいのかわからないくらいでした。
 ミス・ハリエットの姿が見えませんでした。みんな待っていたのですが、いっこうにあらわれそうもありません。ルカシュールのおかみさんが、彼女の部屋をのぞきにいったら、このイギリス女は出かけたとみえ、留守でした。おそらく、夜の明けるそうそう出かけたのでしょう。日の出を見るために、これはいつも彼女のすることですから。
 だれも不審に思う者などなく、そのまま黙ったなり、食事をはじめました。
 じつに暑い日でしてね、木の葉ひとつそよがぬような、うっとうしい、むしむしするような日でした。だから、テーブルは林檎の木の下に持ち出してあったのです。みんなよく飲むので、サブールはせっせと酒倉へ通っては、林檎酒の瓶をいっぱいにしてきます。セレストは台所から料理の皿をはこびます。羊のシチューに馬鈴薯をそえたもの、兎のソテーにサラダをつけあわせたものなどです。それから、初物の桜桃を盛った皿も出ましたっけ。
 桜桃を洗って、冷そうと思い、わたしは、子婢にたのんで、冷たい水を一桶くんできてもらうことにしました。
 五分ばかりすると、彼女はもどってきて、井戸の水がかれていると告げたのです。綱をありたけ使うと、釣瓶は底につかえ、あげても、水ははいっていないというのです。ルカシュールのおかみさんは、自分で確かめようと思って、井戸をのぞきに出かけました。彼女がもどってきて告げるには、井戸のなかに何か見えるのだそうです。それも、普通井戸のなかなんぞにはないものだそうです。きっと、だれか近所の者が腹いせに、藁靴でも投げ込んだのでしょう。
 わたしも見る気になりました。自分なら、もっとよくわかるだろうと思ったからです。そして、井戸框につかまって、なかをのぞきこみました。おぼろげながら、何か白いものが見えます。しかし、なんだかわかりません。そこで、綱の先にカンテラを結びつけて、おろすことに考えつきました。カンテラの黄色い光は、井戸の石組みにそって、おどりながら、だんだん、深くさしてゆきます。カンテラは、得体の知れない、かたまったものの上でごつんととまりました。白くもあり、黒くもある、奇妙な、わけのわからぬものでした。サブールが叫びました。
「これは馬ですぜ。蹄が見えまさあ。されは、ゆんべ、牧場を逃げだして、落っこちやがったな」
 ところが、わたしは、とつぜん、震えあがってしまいました。人間の足が見えるじゃあありませんか。それから、脛をつっ立てているのも。胴体全部と、もう一本の脛は、水中に没していました。
 わたしの持っているカンテラが、靴の上のあたりで、めちゃくちゃに踊っているくらい、そんなにわたしは身ぶるいしながら、ごく低い声で、つぶやくように言いました。
「あれは女だ・・・・・・あの・・・・・・あの・・・・・・あそこにいるのは・・・・・・あれは、ミス・ハリエットだ」
 サブールだけは、眉ひとつ動かしませんでした。アフリカで見あきてきたからでしょう!
 ルカシュールのおかみさんと、セレストは、悲鳴をあげながら、いちもくさんに逃げ去りました。
 ともかく、死体を引きあげねばなりません。わたしは、下男の腰へ綱をしっかり巻きつけ、滑車を利用して、しずしずとおろし、闇の中へ沈んでゆくのを見守っていました。下男は、左手でカンテラを持ち、右手で綱の一端を握っています。ほどなく、その声が、血の底からでも聞えてくるように、「よし、とめた」と叫びました。すると、水のなかから、何か引きあげてくるのが見えました。もう一方の脚だったのです。それから、二本の足をいっしょにくくると、また声がして、「引っぱってくれ」
 わたしは、下男をあげにかかりましたが、腕はもぎ取られそうだし、いっこうに力は出ないし、いまにも綱を放して、落してしまいそうでした。やっと、下男の頭が縁石のところにあらわれると、さっそくわたしは、「どうだったかね?」と、たずねたのです。井戸の底にいた女の近況を知らしてもらうことができるとでも思ったように。
 わたしと、下男は、二人とも、縁石の上にあがり、向いあって、井戸に身をかがめながら、死体を引きあげにかかりました。
 ルカシュールのおかみさんと、セレストは、家の壁のうしろにかくれたなりで、遠くから、わたしたちのすることをうかがっていました。ところが、溺死者の黒い鞋と、白い靴下が、井戸から出るのを見ると、二人とも、姿を消してしまいました。
 サブールが足首をつかんだので、わたしたちは、足から引きずりだしたのですから、かわいそうに、この貞女も、およそ、だらしのない格好を見せねばなりませんでした。頭などは、真っ黒く引裂かれて、見るも無惨でした。例の半白の長い髪の毛は、完全にくずれ、永久にほどけたまま、水にぬれ、泥にまみれて、ぶらさがっています。サブールは軽蔑しきった調子で、言ったものです。
「これは驚いたね、なんてやせっぽちな女だろう!」
 わたしたちは、死体を彼女の部屋に運びました。女たちは、二人ともかくれたきりなので、わたしが、厩番にも手伝わせて、お化粧をしてやりました。
 わたしは、いたましくも変わりはてた彼女の顔を洗ってやりました。わたしの指がさわったため、片方の眼がすこしひらいて、こちらを見ているのです。それは、死体特有の、あの青白いまなざし、あの冷たいまなざし、あの恐ろしいまなざし、生命の彼岸から来ると思われる、あのまなざしです。わたしは、みだれた髪の毛を、できるだけ具合よく整理し、なれぬ手つきで、新規の、奇妙な髷を額の上にこさえてやりました。それから、びしょぬれの着物を脱がせましたが、肩や、胸や、木の枝のように細長い腕などが、すこしずつ、あらわになるのを見るのは、恥ずかしく、なにかしら、聖女を涜しているような気がしてなりませんでした。
 これがすむと、花をさがしにゆきました。虞美人草、マーガレット、そのほか、においのする新鮮な草をつんできて、死の床を飾ってやりました。
 それから、親しい者といえば、わたし一人なのですから、葬儀のことも心配してやらねばなりませんでした。ポケットから出てきた遺書には、彼女が最後の日々をすごした、この村に葬られることが依頼してありました。ふと、ある恐ろしい考えが、わたしの心臓をしめつけたのです。彼女がこの地に残りたいと念じたのは、わたしゆえではなかったでしょうか?
 日が暮れると、近所のおかみさん連が変死人を見にやってきました。しかし、わたしはだれも室内に入れさせませんでした。わたしは、ひとりきりでいたかったのです。そして、一晩じゅうお通夜をしました。
 わたしは蝋燭の光に照らされている彼女をまじまじとながめました。だれにも知られなかったあわれな女、こんな遠い異境で、こんなみじめな死に方をした女です。どこかに友達あるのかしら?親類があるのかしら?幼いころは、どんなだったのだろうか?そして、一生をどうすごしてきたのだろうか?家を追われた犬みたいに、あてどもなく、たった一人で、うろつきながら、いったいどこから来たのだろうか?煩悶や絶望のどんな秘密が、この不体裁な肉体のなかにかくされているのだろう?みっともない風袋みたいに、一生涯、持って歩かねばならなかったこの肉体のなかに?人の情けも恋も寄りつかなかった、滑稽な包装みたいなこの肉体なかに?
 世の中にはなんと気の毒な人たちがいることでしょう!ミス・ハリエットという、このあわれな被造物の上には、無慈悲な自然の永劫の不正がのしかかっていたとしか思えません!それもこれも、すべて終ったのです。どんな薄幸な女たちをも勇気づける、あの一度は愛されるという希望を、おそらく、彼女だけはいだいたことさえなくて!さもなければ、なぜ、あんなに逃げかくれたのでしょう?人間以外のあらゆる生物や、あらゆる事物を、なぜ、あんなに情熱的な愛情をそそいで愛したのでしょう?
 それから、わたしは知ったのです。彼女が神を信じていたことを知ったのです。そして、おのれの不幸の償いを他界に求めていたことを。いまや、彼女は解体して、今度は植物になろうとしています。彼女は、日光をあびて、花をひらくことでしょう。牝牛に食べられ、種子となり、鳥に運ばれることでしょう。そして、今度は動物の肉となり、ふたたび人間にもどることでしょう。それにしても、魂と呼ばれるものは、その真っ暗い井戸の底で、消滅してしまったのです。もはや、彼女は苦しんでいません。彼女は自分の生命と引換えに、他のもろもろの生命に生まれかわることでしょう。
 この無意味な無言の対座のうちに、時間は過ぎてゆきました。青白い微光が夜明けを告げています。やがて、真紅の光線が、ベッドのところまでさしこんできて、毛布の上に、手の上に、火色の線を描いています。あんなにまで彼女の好きだった時刻なんです。小鳥は目をさまして、木かげで鳴いています。
 大空も神々もご照覧あれと、わたしは窓をあけ放ち、カーテンを引きました。それから、冷たい死骸にこごんで、彼女の見る影もない顔を両手でかきいだくと、いささかの恐怖も、不快も感ずることなく、ゆっくりと、接吻を、長い接吻を、その一度も受けたことのなかった唇の上にしました。

 レオン・シュナルは口をつぐんだ。おんな連たちは泣いている。馭者台からは、デトライユ伯爵がしきりに洟をかんでいるのが聞えてきた。馭者だけが居眠りしている。おかげで、馬どもは、鞭をあてられないものだから、歩調をゆるめて、いかにもだるそうに引っぱっている。乗合馬車はほとんど進まない。悲哀を積みこんで、急に重くなりでもしたようだった。
モオパッサン



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