tell a graphic lie
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(2003.5.1)-1
歩けば咲いた花もいつか散るかよ
見る必要のない月がぽっかり
私の顔色を読める人にあのことこのこと
私の顔色を読める人にあれこれ言っている
信号を待っているのだから信号を眺めている
咲くはな咲くはなみんないちどに咲いた
芽をふいたのを知られなくても春
川べりからの電話はそぞろに切られて
川べりのバラックにも暖かい風が吹いて凍え死ぬ心配が消えて
春風に汚い体を晒す
捨てない執着にも春雨のこころよい
雨曇りの会える人がない
午さがりを知らずに老いる
草の上を歩く音を聴いてひとり
(2003.5.1)-2
ときどき、こうして句のようなものができる。前ぶれなどは特にない。ふと書こうと思うときがあって、そういうときにはふと書ける。それ以外のときには、あまりうまく行かない。中には好きなものもあるが、それぞれの良し悪しは知らない。もとより遊戯である。ままに書いて、書きすてておけばよい。
(2003.5.1)-3
ところで、現在のぼくの生活は極めて安定して、またそれ故に単調であります。死のうなどとはつゆにも思いません。これは単純な理由からです。一年前から、状況は何ら変化していないのです。そして、一年前ぼくは死ぬことをしなかった。相変わらず、ぼくは何にも書けません。相変わらず、芸術家という半世紀も前の概念に取りすがろうとしています。現代にあっては自殺はナンセンスです。そこには何の切羽詰った響きもありません。「人間は自殺をする動物だ」というような言葉が、陳腐化されて消費されてゆきます。徐々にアメリカ式の「声あってはじめて行動たり得る」というような、極めてケチ臭い段取りが必須のものとなり、「美徳」という言葉がどのようなものを指しているのかを識る人もほとんど居なくなってしまったように思われます。
(2003.5.1)-4
金と時間とにゆとりのある者だけが、人性について思い巡らすというのは、実に腐った歴史的実態だ。これの続く限りは、我々は永遠にこの煩悶から解放され得ないであろう。即ち、「こんなものは、生存に全く必要のない所為なのではないか!つまりは、これはあの道楽というやつに過ぎないのではないか!」夫は妻を、妻は夫を、それぞれ愛すれば足りるのである。それが、全てである。
(2003.5.1)-6
酔っていては、以上も以下もなし。戯言。正銘の馬鹿である。
(2003.5.3)-1
このぼくの今日という間抜けな一日が、ぼくの知らない誰かの犠牲の上に立っている事を、そしてまた、その犠牲の具体的内容をぼく自身が知れないことに、深く感謝します。
(2003.5.3)-2
 以下、モオパッサン、短篇二品。よろしければ、どうぞ。
 モオパッサンの書くものは、そのほとんどが実にありふれた、ひねりのない物語ばかりで、こういうものは、例えばぼくが書いたとしても極めて陳腐な、読むに堪えないものにしかならないけれども、彼の整然たる文章立て、流麗かつ力強い文体にかかると、これらの何の変哲もない、社会における日常の些事たちが、言い様のない生命力を持って我々にあらわれてくる。この文章自体の完成度という点からみれば、当然のことながら、今日においても全くその価値が低まるということはないので、モオパッサンの作品はいまだ一定の価値を保持し続けていると言っていい。つまりは、いい古典だということだ。
 いくつかその作品を読んでいけばわかる事だけれども、作者たるモオパッサンは、その作中人物のいかなる者に対しても、彼自身の主観的評価を交えた描写をすることはない。読者である我々が、そのひとりひとりに対して好意または厭悪を抱くことは、様々な作品を読んでゆくにあたって当然あり得ると思われるが、それは記述者の恣意的な作用の結果であることは、モオパッサンの作品においては全く心配がいらないのである。我々が作中人物にある種の感情を伴った印象を受けたということは、そのまま、その作中人物自身に対する印象である事が保証されている。彼はひとりの人間を、良くも悪くも書かない。起こったことを、またそこに関わった人間たちを、そのあったままに記述する。だから、喜ばしい出来事は、喜ばしく見える。残酷な物語は、残酷に見える。薄情なものは、薄情に。痛ましいものは、痛ましく、慎ましいものは、些細な出来事は。読者たる我々にも、それらは全て、そのように映る。
 けれども、君はこう言うかもしれない。「彼の書くものは、実際の出来事に材を採っているものもあるかも知れないが、最終的にはフィクションであり、そこに登場する人物たちの行為、言動は、作者たるモオパッサンの主観によって精製、配置されているのだから、彼の主観というものがないということはありえないだろう。むしろ、作中人物ひとりひとりの行為や言動、その運命といったものが彼の主観を代弁している、と捉えるほうが正常なのではないか」
 おそらく、「それは、そうだ」と言っても構わないのだろうと思う。実際、彼自身はシニストであったようだが、それは自然主義の小説家である人間としてはあまりにも当り前の、大前提のことであって、そんなことは彼の主義でもなんでもない。それはただ、彼が優秀な小説家だった、ということを言っているだけで、それを彼の小説の筋立てや、セリフひとつから再発見してみても虚しいだけである。それよりは、純粋なシニストたる小説家から生み出された物語中の人物それぞれについて思いを馳せてみるほうが我々には楽しいことだし、また有意義でもあろうと思われる。良質の客観というものを手に入れる事というのは、そのくらいに珍しいことだし、困難なことなのである。
 何か意図するところがあって、ひとつの小説を仕上げる、というのは、これは確かにひとつのあり方で、この意図というものが、或いはひとつの文章にあって、その読者を感動せしめる主要な要因であるかもしれないが、これは常にひとつの大きな問題をはらんでおり、それはそのものの精確な鏡像なので、永遠に解放されることがない。すなわち、一個の「存在の象徴化」という問題である。これは、問題だろうか。ぼく自身には大きな問題である。これを行うことは、神を涜すことだと、ぼくはそう思っている。ぼくにいわせれば、フィクションを書く者は常に何らかの形で神を涜しているのである。
 (話がひどく脱線してゆきそうだが、このさい構うまい。こういう話は、そう滅多に書き出せるものではない)
 いったい、小説家というものは、何をしている者なのだろうか。作り話を作るということは、究極的に、また差し当ってどういったことなのだろうか。辞書を見ると実に下らないことが書いてある。
 問題はいくつかある。ひとつは、この「存在の象徴化」というものだ。これはこう言い換えることができる。「お前の描き出した人間というものは、本物の『人間』か、それとも何か別のもの、多くは形を取らない何か、を表現する為にたまたま人の形を取っている人間以外の何ものかなのか」作り話における「本物の人間」というのは、おかしな話のようにも思われるかもしれないが、それではこう聞いてみようか。「君があるフィクションを読んでいるとき、その中に登場する人間ひとりひとりを、実際に存在はしていないが、それでもやはり一個の人間として認識しているだろう。郵便ポストや家猫、暖かいシチューだとは思わないだろう。これは一体どういうことなのか。また、読みすすめてゆくと、或るとき、『こんな人間いないよ』と思う、あのときのせせら笑いはどこから出てくるのか。そいつが人間ではないとしたら、一体なんなのか。人間でなければ、人形か。それとも」この「本物の人間」ではない何ものかを、小説家は常に生みだしている可能性から逃れることができない。
「そもそも、その人間を生みだしている、という観念こそがおかしいのではないか」それはそのとおりだし、自明のことである。けれども、ぼくはこう問いかえさなければならない。「作り話を書くという、既に異常な行為をする際に、それをする者は一体何を頼りにして、その足もとの定かでない作業を進めてゆけばいいのか。ひとりの人間を記述する際に、それが人間だと言い張るのに、何を拠りどころにすればよいのか。何の故に、そいつは人間たりうるのか」それとも、そいつは実際には人間ではなく、何か別のものを書き表すために人間のような振る舞いをしている、だけなのだろうか。では、そいつは何者なのだろう。また、なぜ人間のようなもの、になっているのだろう。自分はそれで何を書いているのか。確かに、人間を記述しているわけではないのか。では、何を記述しているのか。いま書いているその全体は、では、何を書いていることになるのか。お前の今書いているものが、「本物の人間」でななかったとき、書くという行為はその前提たる意図を喪失せずにいられるのか。はじめに人ありき、ではないのか。
(シモンのとうちゃん)
 正午の鐘が鳴りおわろうとしていた。校門がひらくと、どっとばかり、学童たちはひしめきながら、われさきに出ようとしていた。だが、いつものように、彼らは大急ぎで散らばって、昼飯に帰ろうとせず、すこし行くと立ちどまり、いくつかの群にかたまって、ひそひそ話をはじめた。
 それというのも、ブランショットの息子シモンが、その朝、はじめて学校へ来たからだった。
 このブランショットのことなら、みんな家で聞いて知っていた。母親たちは、表向きには彼女をちゃんと認めていたものの、内輪同士になると、いくぶん軽蔑のまざった一種の同情を示すというふうだったので、これが、理由はわからぬながら、子供たちの心をとらえていたのだった。
 シモン自身のこととなると、子供たちはまるっきり知らなかった。だいいち、彼は家の外へ出るようなことはなかったので、みんなといっしょになって、村の往来だの、川べりなどを飛んだり、はねたりしなかった。だから、彼らはシモンが好きではなかった。それで、十四、五歳にもなろうか一人の腕白小僧が、いかにもしたり顔に、ずるそうなまばたきをしながらもらした言葉、「きみら、知ってるかい・・・・・・シモンのことだた・・・・・・あいつ、とうちゃんがいないんだぜ」を、彼らは大いに歓迎し、おたがいにくり返し、くり返し言ったものだが、そこには多分の驚愕とともに、ある種の歓喜の情さえあったのである。
 ちょうどそのとき、ブランショットの息子が校門にあらわれた。
 それは、七、八歳の、顔のすこし青白い、身なりのさっぱりした子で、見るからに臆病そうだった。いってみれば、いかにも不器用そうに見えた。
 母親のもとへ帰ろうとしている彼を、級友の群れは、悪事をたくらんでいる子供らに特有の、あの意地悪い残酷な目つきで相手を見つめては、あいかわらず、ひそひそ声を出しながら、すこしずつ取りまいてゆき、さては、完全に閉じこめてしまった。そのまま、彼はみんなのまんなかに立ちすくんでいるよりほかなかった。どうされるのかわからないままに、ただびっくりして、おどおどするばかりだった。ところが、シモンのことを言いふらしたさきほどの腕白小僧は、はやくも事が成功したのに得々となって、彼にたずねた。
「きみの名前はなんていうんだい?」
「シモン」と彼は答えた。
「シモン、なにさ?」と相手はききかえした。
「シモン」と、子供はただ困って、くり返した。
 腕白小僧は大声をあげた。
「だって、シモンなんとかと言うんだろう・・・・・・シモン・・・・・・だけじゃ、名前にならんよ」
 すると、子供はいまにも泣きだしそうになりながら、今度もおなじことをくり返した。
「ぼく、シモンというんだよ」
 子供たちはどっと笑いだした。例の腕白小僧は勝ち誇って、いちだんと声を高めた。
「どうだい、みんなわかったろう、こいつ、とうちゃんがないんだぜ」
 あたりはしんとした。子供たちはこの異常な、ありうるべからざる、奇怪な事実、つまり、とうちゃんがない子供があるという事実に呆然としたのだ。何かふしぎなもの、自然外のものでも見るような気持で彼をながめた。そして、これまでわけがわからなかった、あの母親たちのブランショットに対する軽蔑が、心のなかで大きくひろがっているのを感じた。
 シモンのほうは、木にとりすがって、倒れまいとしていた。そして、何かとりかえしのつかない災難におそわれでもしたようにじっとしていた。彼はなんとか説明しようとした。しかし、自分にはとうちゃんがないというこの恐ろしい事実を否定できるような答えはなんとしても見つからなかった。とうとう彼は、顔を真っ青にしながら、出まかせに叫んだ。----「あるとも、ぼくにだってあるよ」
「じゃ、どこにいる?」腕白小僧はたずねた。
 シモンは黙ってしまった。わからなかったのだ。子供たちはやんやと言って、はやしたてた。それに、こうした田舎の子供たちは、動物そっくりで、たとえば、牝鶏の一羽が傷でも負おうものなら、ほかのやつらが小屋からぞろぞろ出てきて、よってたかって始末しようとするあの残酷な欲望を、彼らもまた感じずにいられなかったのだ。ふとシモンは、そばに寡婦の息子がいることに気づいた。彼も自分とおなじようにいつも母親と二人きりでいるのを見て知っていた。
「きみだって、とうちゃんはないやね」彼は言った。
「ばか言え、いるとも」相手は答えた。
「じゃ、どこにいる?」シモンは問いかえした。
「死んだんだよ」子供は意気揚揚と宣言した。「うちのとうちゃん、ちゃんとお墓にいらあ」
 そうだ、そうだというつぶやきが、いたずら小僧たちのあいだを走った。お墓に死んだ父親をもっているというこの事実は、彼らの仲間を偉大なものに仕上げたので、父親をどこにももっていないもう一人の仲間をへこますのに十分ででもあるように思ったのだろう。それに、こうした悪童どもの父親ときたら、酔っぱらい、かっぱらい、女房を打つ、蹴るという、悪者ぞろいなのだが、その息子たちもおなじこと、こうして押しあいながら、だんだんと囲みをせばめてゆくのだった。法にかなっている自分らは、法にはずれている者を押しつぶして、窒息させてもさしつかえないとでも思っているらしかった。
 シモンの真向いにいたのが、とつぜん、さも意地悪そうにベカンコをしてみせてから、大声で言った。
「やい、父(てて)なし子!やい、父なし子!」
 シモンはその子の髪を両手でつかむと、めったやたらに蹴りはじめ、相手のほっぺたをいやというほど噛みつづけた。組みあっている二人がやっと引きはなされると、シモンは、なぐられ、ひっかかれ、傷をつけられ、地面にころがされたが、まわりの悪童どもはやんやの喝采である。彼がやっと立ちあがり、埃だらけになった小さなシャツを機械的に手ではたいていると、だれやらが大声で言った。
「さあ、とうちゃんとこへ言いつけに行きな」
 それを聞くと、彼は心のなかがどっとくずれ落ちるような気がした。みんな自分よりも強くて、自分をなぐったのだ。そして、自分はみんなに答えることができなかったのだ。それというのも、自分にはとうちゃんがないのはほんとうだということを自分でもよく知っていたからだ。自尊心のてまえ、彼は喉を絞めつけてくる涙とたたかうため、数秒のあいだ、じっとがまんした。だが、息が詰まって、ついに、はげしく身を震わせながら、声をしのばせて、すすり泣きだした。
 すると、敵のあいだにどっと歓声があがった。そして、狂喜する野蛮人さながらに、彼らは手に手を取って、彼のまわりをぐるぐる踊りだしたが、ルフランのように、くちぐちにくり返しながら言った。----「やーい、父なし子!やーい、父なし子!」
 しかし、とつぜん、シモンは泣きやんだ。怒りに逆上したのだ。足もとに石があった。彼はそれを拾うと、自分の迫害者めがけて力まかせに投げつけた。二、三人当ったとみえ、泣きながら逃げだした。そして、彼がいかにもものすごい形相を呈していたので、ほかの者たちもあわてだした。群衆が激怒した一人の人間に接するといつもそうなるように、彼らも急に怖気だち、ばらばらに散りながら、逃げ去った。
 ひとりになると、父のない子は、畑の方に向って駆けだした。それというのも、彼はある一つのことを思い出したので、重大な決心をする気になったのである。彼は河で溺死しようと思ったのだ。
 じっさい、彼は思い出したのだった、物乞いをしていたあわれな男が、一週間前のこと、お金がなくなったので、河へ身を投げたということを。シモンは、その死骸があげられるときそこにいた。そして、このかわいそうな男は、ふだんは不潔で、醜くて、みじめなものとばかり思っていたのに、そのとき、いかにもおだやかな顔をしているのに、シモンの心はうたれたのだった。頬は青ざめ、長い顎ひげはぬれ、両眼はひらいたまま、とてもしずかだった。そばでだれかが言った。----
「おだぶつか」----それにまただれかが続けて----「これでしあわせになれたよ」----それで、シモンも身投げがしたくなったのだ。この乞食にお金がなかったように、彼にはとうちゃんがなかったから。
 彼は水のすぐそばまで来ると、水の流れをつくづくながめた。魚が二、三匹、澄んだ流れのなかで、忙しそうにたわむれている。そして、ときどき、ぴょんぴょんはねあがっては、水面を飛んでいる子虫をとらえる。それをよく見るために、彼は泣きやんだ。彼らのやり方がいかにもおもしろかったからだ。ただ、嵐の子やみに、突風が思い出したように吹きすさびながら、樹木を揺り動かして、地平に消えてゆくように、ときどき、あの考え----「ぼくにはとうちゃんがないから、身投げするんだ」という考えがよみがえってきては、彼を痛いほど刺すのだった。
 うつらうつらとあたたかい、日和だった。おだやかな陽光が野の草をあたためていた。水は鏡のようにかがやいていた。シモンはうっとりといい気持になった。泣いたあとのあのけだるさだった。このまま彼は陽光をあびながら草の上で眠ってしまいたくなった。
 一匹の小さい青蛙が足もとではねた。彼はそれをつかまえようとしたが、蛙は逃げた。あとを追いかけていったが、三度とも失敗した。やっと、後脚をつかまえると、蛙のやつ、どうかして逃げようと、懸命になっているのを見ると、彼は笑いだしてしまった。蛙は、後脚の上に身をちぢめたと思うと、まるで二本の棒のように硬直しているその脚を急に伸ばして、ぴょんと前にはね出ようとする。しかも、金色の輪に囲まれた眼をまるくむき出しながら、まるで手のように動く前脚で空気を打っている。これを見ていると、あのおもちゃのことが思い出された。細い板を一枚一枚ジグザグに重ねあわせて釘づけにしたおもちゃだが、それをこんなふうに動かすと、その上に立っている小さな兵隊さんが運動しはじめる仕掛けになっているのである。すると、家のこと、母親のことが思い出され、とても悲しくなって、また泣きはじめた。手足が震えてしかたがない。彼はひざまずいて、寝る前のときのように、お祈りを唱えた。でも、おしまいまでつづけることができなかった。すすり泣きがどっと押しよせてきて、全身を占領したからだ。もうなんにも考えなかった。あたりにはもうなんにも見えなかった。ただ、泣くことだけでいっぱいだった。
 とつぜん、重い手が肩にのっかったかと思うと、ふとい声がたずねた。----「なにがそんなに悲しいんだい、坊や?」
 シモンはふり返った。一人の背の高い職人が親切そうに彼をながめているのだ。頬ひげも頭の毛も真っ黒にちぢれいている人だ。彼は眼に涙をいっぱいため、喉を詰まらせながら、答えた。
「みんながぶったんだよ・・・・・・だって、ぼく・・・・・・ぼく・・・・・・とうちゃんが・・・・・・ないんだもの」
「どうしてさ」その人はほほえみながら言った。「だれにだって一人はあるものだよ」
 子供は悲しみにしゃくりあげながら、やっと答えた。----「それが、ぼくには・・・・・・ぼくには・・・・・・全然ないんだよ」
 すると、職人は真顔になった。これがブランショットの息子だとわかったのである。彼はこの土地に来てまだ日は浅かったが、シモンの身の上なら漠然とながら知っていた。
「ああ、そのことなら、安心するがいい、なあ坊や、さあ、おじさんといっしょにかあさんとこへ帰ろう。いまに坊やにだってやるよ・・・・・・とうちゃんを一人な」
 二人は歩きだした。大人は子供の手を引いている。そして、その大人はまたしてもほほえんでいる。なぜって、ブランショットを見るのがまんざらいやではなかったからだ。人の話では、彼女は村でいちばんの器量よしだとか。それに、若い女が一度あやまちを犯したからには、二度犯すこともありうるだろうと、おそらく男は心の底で自身に言って聞かせていたかもしれない。
 二人は小さな家の前に来た。いかにも小ぎれいな、白壁の家である。
「ここだよ」と子供は言ってから、また、大声を出した。「かあちゃん」
 一人の女があらわれた。すると、職人はほほえむのを急にやめてしまった。この大柄の、顔を蒼白にした女に冗談を言ってはならないと、彼は即座に感じとったからだった。じっさい、戸口に厳として立っている彼女は、かつて一人の男に裏切られたことのあるこの家の閾を、世の男たちにたいして防禦してでもいるように見えた。
 鳥打帽を手にして、おずおずしながら、男は口ごもった。
「じつは奥さん、お子さんが河のそばで迷子になっていたものですから、おつれしてきました」
 ところがシモンは母親の首に飛びつくと、またもや泣きだしながら、言った。
「ちがうよ、かあちゃん、ぼく、身投げしようと思ったんだよ。だって、みんながぼくをぶつんだもの・・・・・・ぶつんだもの・・・・・・とうちゃんがいないって」
 若い女の頬は真っ赤に染まった。そして、全身傷つけられた面持で彼女はかたくわが子をかきいだいたが、涙はとめどなく頬を流れていた。男は心を動かされ、立ち去るすべもなく、もじもじしていた。ところが、いきなり、シモンが走りよってきて、言った。
「おじさん、ぼくのとうちゃんになっておくれよ」
 しんとした。ブランショットは穴にでもはいりたいほどの恥ずかしさに、無言のまま、両手を胸に当てて、壁によりかかっていた。子供は、返事してくれないので、ふたたび言った。
「おじさんがいやだというなら、ぼく、また河へ飛びこみに行っちゃうから」
 職人は冗談にまぎらせて、笑いながら、答えた。
「ああ、いいとも、なってやるよ」
「じゃ、おじさん、名前なんていうの?」すかさず子供はたずねた。「あいつらが名前きいたら、答えてやるんだ」
「フィリップっていうんだよ」男は答えた。
 シモンは、この名前をおぼえこむために、ちょっと黙りこくった。それから、さも安心したように両腕を差しのべながら、言った。
「ああ、よかった!フィリップ、ぼくのとうちゃんだね」
 職人は子供を抱きあげると、いきなり、両頬にキスした。それから、一目散に逃げ去った。
 翌日、シモンが学校に行くと、意地悪な笑いが彼を迎えた。そして、帰りがけ、例の腕白小僧がまたはじめようとしたとき、シモンは、石でもぶつけるように、相手の顔にこういう言葉をたたきつけた。----「わかったか、ぼくのとうちゃん、フィリップっていうんだ」
 四方八方から、どっと笑い声がわきおこった。
「フィリップだれだい?・・・・・・フィリップなんだい?・・・・・・それはどういうものだい、フィリップって?・・・・・・おめえのフィリップ、どこで拾ってきたんだい?」
 シモンは一言も答えなかった。そして、かたく自分を信じていたので、眼で彼らに挑戦した。ここで逃げだすくらいなら、甘んじて虐待を受ける覚悟だった。先生が彼を助けてくれたので、母親のもとへ帰った。
 三ヶ月というもの、大男のフィリップ職人は、よくブランショットの家のそばを通った。そして、彼女が窓のそばで縫いものでもしているのを見ると、思いきって声をかけるようなこともときどきあった。それに彼女はいつも丁重に、いつも厳然とした態度で答えた。いっしょになって笑うようなこともなく、家のなかへ入れることもしなかった。それにしても、男のつねとして、多少うぬぼれのせいだったが、自分と話すときの彼女は、ふだんよりいつも赤くなるような気がしてならなかった。
 しかし、風評というものは一度たつとなかなか消えにくくて、いつまでもくすぶっているものだから、ブランショットの臆病なほどのつつしみにもかかわらず、もう村の人々はなにかと噂していた。
 シモンときたら、この新しいとうちゃんが大好きだったので、とうちゃんの仕事が終ると、夕方、いっしょに散歩することをほとんど欠かさなかった。彼は勤勉に学校へかよい、友達のあいだを昂然として歩き、彼らがなんといっても答えなかった。
 ところが、ある日のこと、最初に彼に攻撃してきた例の腕白小僧が、言った。
「嘘つき、おまえにはフィリップなんていうとうちゃん、ないじゃないか」
「それ、なぜだい?」シモンはひどくいきまきながら、たずねた。
 腕白小僧はもみ手をしいしい、言った。
「おまえにとうちゃんがあるなら、それはおまえのかあちゃんの亭主だろうが」
 なるほど、この理窟はあたっているので、シモンは狼狽した。それでも彼は答えた。----「でも、やっぱりぼくのとうちゃんだ」
「そうかもしれん」腕白小僧はせせら笑いながら、言った。「でも、まだほんとうにはおまえのとうちゃんにはなっていまい」
 ブランショットの息子はうなだれてしまった。そして、フィリップが働いているロワゾンじいさんの鍛冶場の方へ物思いにしずみながら歩いていった。
 この鍛冶場はまるで樹木に埋まっているようだったので、ひどく暗かった。ただ、ものすごい炉の赤い光だけが、パッと五人の鍛冶屋を照らし出していた。腕をむき出しにした彼らは、恐ろしい火花を散らしながら、めいめいの鉄床をたたいていた。彼らは悪魔のように炎につつまれながら、仁王立ちになったまま、自分が拷問にかけている熱鉄を見まもった。そして、その重苦しそうな腕は、鉄槌といっしょに上下していた。
 シモンはだれにも見つからないようになかへはいり、そっとお友達の袖を引いた。その人がふり返った。そのとき、この異例な沈黙のなかから、シモンのかぼそい声が聞えた。
「だって、ねえ、フィリップ、ミショードんとこの子がいま言ったよ、おじさんはまだほんとうにはぼくのとうちゃんじゃないって」
「どうしてさ?」職人はたずねた。
 子供は正直に答えた。
「だっておじさんはかあちゃんの旦那さんじゃないもの」
 笑うものは一人もなかった。フィリップはつっ立ったままだった。鉄床に立てた鉄槌の柄で巨きな両手をささえながら、彼はその甲の上に額をのせている。彼は考えこんでいるのだ。それを四人の仲間は見まもっている。とつぜん、鍛冶屋の一人が、みんなの考えを代表して、フィリップに言った。
「あのブランショットという女、あれでなかなか感心なものだよ、あんな不幸な目にあっても、ちゃんと、しっかりしているからな。堅気な男がもらったって、りっぱな女房になるだろうぜ」
「そのとおり」と、三人は相槌をうった。
 その男はなおもつづけた。
「身をあやまったからといって、あの女ばかりの罪だろうか?夫婦になる約束だったんだからな。それに、おなじようなあやまちをしたって、いまじゃ人さまから尊敬されている女だって、世間にはたくさんあるからな」
「そのとおり」と、三人は異口同音に答えた。
 彼はなおもつづける。----「女手ひとつで息子を育てるにはずいぶん苦労したろうが。なにせ、教会に行くよりほかにはろくろく外にも出ないくらいだから、きっと泣いてばかりいたことだろうが。これは神さましかご存じないことだった」
「そうだ、そのとおりだ」と、三人が言った。
 そのあとは、炉の火をあおりたてるフイゴの音が聞えるばかり。いきなり、フィリップはシモンの方に身をかがめた。
「かあちゃんに言ってくれ、今夜、話があるから行くってな」
 それから、肩を押しながら、子供を外に出した。
 彼は仕事にかかった。と、たちまち、五本の槌はいっせいに鉄床の上に落ちた。こうして彼は夜まで鉄を打った。たくましく、頑強な彼らは、満足している槌のように楽しげだった。それにしても、祭の日、大伽藍の鐘の音は、ほかの寺の鐘を圧して鳴り響くように、フィリップの鉄槌は、他の鉄槌の音をおさえつけて、大音響をたてながら、一心不乱に鉄を鍛えた。
 彼がブランショットの戸口をたたいたときには、空には星がいっぱい出ていた。よそ行きの上着に、新しいシャツ、ひげもきれいにしてあった。若い女は戸口にあらわれると、心配そうに言った。----「いけませんですよ、フィリップさん、こんなにおそくおいでになっては」
 彼は答えようとしたが、口ごもるばかり。しかたなく、女の前につっ立っていた。
 女はつづける。----「よくおわかりでしょうに。わたし、とやかく言われるのはもういやでございますので」
 そのとき、彼は出しぬけに、
「それがどうしました、あなたさえわしの女房になってくくれれば!」
 なんの返事もなかった。ただ、部屋の暗がりで、人体がくずれるような音がしたと思われた。すばやく彼はなかにはいった。と、シモンは、もう寝床にいたのだったが、接吻の音と、かあちゃんが何やら低い声でささやいている言葉を聞き分けた。すると、いきなり、自分の体がお友達の手に抱きあげられるのを感じた。そして、その人は、巨人のような両腕で彼をささえながら、叫んだ。
「さあ、学校の友達に言ってやるんだ、ぼくのとうちゃんは、鍛冶屋のフィリップ・レミーだって。そして、ぼくをいじめるやつは、みんな耳を引っぱってやると、とうちゃんが言っていたとな」
 翌日、教室がいっぱいになって、授業がはじまろうとしたとき、小さなシモンはすっと立ちあがった。顔は青ざめ、唇は震えている。「ぼくのとうちゃんはな」明るい声で彼は言った。「鍛冶屋のフィリップ・レミーだぞ。そして、ぼくをいじめるやつは、みんな耳を引っぱってやると言ってたぞ」
 今度はだれも笑わなかった。鍛冶屋のフィリップ・レミーなら、みんなよく知っていたからだった。そして、それなら、だれでも自慢できるようなとうちゃんだったからだった。
モオパッサン

(メヌエット)-ポール・ブルージュに-
 不幸も、あまりひどくなると、かえって悲しくないものだね。と、こう言ったのは、ジャン・プラデル、懐疑家で通っているひとりものの老人である。わたしは戦争もすぐそばで見た。かわいそうにとも思わずに、死骸を飛びこえもした。こういった、自然や人間の残虐行為は、なるほど、恐怖や憤激の叫び声を出させるかもしれない。しかし、なんでもない、小さい、あわれなできごとに接しても、背すじがぞっとする戦慄、心臓を刺される痛さを感ずることがあるものだが、大きな不幸には、そういうことはないようだね。
 なんといっても人間の感じうる最大の苦痛は、母親にとっては子供の死であり、人の子にとっては母親の死であろう。もとより、これははげしい、恐ろしい苦痛であり、人の心をかきみだし、かきむしる底のものかもしれぬ。ところが、偶然、ぶつかった事件、ふと垣間見ただけのできごと、人に言われぬ悲しみ、運命のいたずら、こういった程度でありながら、われわれの心中のありとあらゆる苦痛をかきたてたり、複雑な癒しがたい、精神的苦悩の神秘な扉を、いきなり、われわれの眼前にあけたりするものがあるね。それは、一見さもないように思われるだけに、いっそう深刻なんだね。とらえどころのないように見えるだけに、いっそう痛烈なんだね。こしらえごとのように見えるだけに、いっそう執拗なんだね。こういうのに見舞われたが最後、われわれの魂には、悲哀の条痕、苦い後味、幻滅感が残って、容易に抜けるものではないよ。
 わたしには、そんなのが、二つや三つ、いつだってあるね。きっと、他の人なら気づきもしないだろうが、私の心中には、長い、細い、傷跡となって、いつまでもなおらずに、うずいているんだろうね。
 こういう束の間の印象が、わたしの心にどんな感動を残しているか、おそらく、あなたはわかりますまい。わたしは、そのなかの一つだけをお話ししよう。ずいぶん昔のことでありながら、まだついきのうのことのようにまざまざと残っている。まあ、わたしがそんなにふうに感動したのも、自分勝手の空想のせいだったかもしれないがね。
 当年五十歳のわたしも、あのころは若かったもので、法律の勉強をしていた。いくぶん陰鬱で、いくぶん夢想家といったタイプで、厭世哲学はだいぶしみこんでいたね。騒々しいカフェもきらい、口角泡を飛ばす友人たちもきらい、いわんや、阿呆の女の子なんてまっぴらだった。朝は早くから起きたものだった。そして、何よりの楽しみは、朝の八時ごろ、リュクサンブール公園の苗圃(びょうほ)を一人で散歩することだった。
 といっても、あなたがたのような若い人たちは、あの苗圃のことはご存じありますまい。前世紀の忘れられた苑とでもいおうか、老婦人のやさしい微笑にも似た、美しい苑だった。木の葉の茂った生垣が、整然と、まっすぐに通った小道をふちどっていた。つまり、きれいに刈りこまれた、茂みからなる二つの壁のあいだに、その静かな小道がはさまっているわけなんだね。園丁の大きな鋏が、この枝の仕切りをたえず刈りこんでいたっけ。ところどころに花壇がある。小さな木の群れが、遠足の学生のように並んでいたりする。みごとなバラの社会にがあると思うと、果樹の連隊がある。
 おまけに、このすばらしい茂みのいたるところは、蜜蜂の住みかになっていた。適当な間隔をおいて、花壇のなかにつくられた彼らの藁屋が、めいめいの戸を陽に向けて、大きくひらいている格好は、指貫のさし口みたいだった。そして、どの道を歩いても、ぶんぶんうなっている、金色の蜜蜂に出会ったものだ。彼らこそ、この平和な一角の真の主といおうか。
 わたしは、毎朝のように、ここへやってきたものだ。ベンチに腰かけては、読書に時をすごす。ときには、本が膝の上に落ちるのにも気づかず、夢想に耽ることもある。自分の周囲に営まれている、パリの生活の騒音に耳を傾けることもある。そしてまた、この時代めいた並木道の無限な静謐を楽しんだりもする。
 ところが、まもなく気づいたのだが、開門と同時にこの場所へかよってくるのは、わたし一人でなかったのである。木立のすみなどで、小柄の、風変わりな老人とぱったり出会うことがよくあった。
 その人というのは、銀の留め金のついた短靴をはいていた。前が上げ下げのできる半ズボンに、煙草色のフロックを着、ネクタイのかわりにレースを結んでいた。その灰色の帽子ときては、見たこともないような珍物で、つばは広く、毛は長く、まさに大時代物だったね。
 やせていて、それもごつごつと、ひどいやせ方なんだ。しかめ面をしているようでもあり、ほほえんでいるようでもある。その鋭い眼は、ひっきりなしにまたたく瞼の下で、たえずきょろきょろ動いている。いつも、金の握りのついたみごとなステッキを持っていたが、いずれ、相当に由緒ある代物なのだろう。
 はじめ、わたしをびっくりさせたこの老人は、そのうちわたしの興味を法外もなく惹くようになった。そこで、わたしは、老人を生垣のなかで待ち伏せしていて、遠くからあとをつけていったものだ。見られないように、ときどき、生垣の曲り角で立ちどまったりしてね。
 さてある朝のこと、老人は自分一人きりだと思ったらしく、奇妙な運動をやりはじめたんだね。まず、二、三度、ぴょんぴょんと跳ねてから、敬礼した。それから、かぼそいその片腕で、もっと敏速な跳踊りをを一つしたかと思うと、今度はぐるぐると優雅に旋回しはじめた。旋回しながら、はねたり、おかしなふうに体をふり動かしたりする。見物人の前にでもいるように、愛想よく笑ってみせたり、両腕をひろげたり、操り人形のように、貧弱な体をひねったりする。虚空に向って、感動的な、そのくせ、滑稽な会釈を送ったりする。
 老人はダンスをしていたのさ!
 わたしはびっくりして、化石のようになってしまった。われわれ二人のうち、おかしいのは彼かわれかと、みずからにたずねたほどだったよ。
 ところが、老人はふいに立ちどまり、舞台の俳優のように、前へ進み出た。それから、にこやかな微笑をうかべながら、刈りこんだ二列の生垣に向って、その震える手で女優のような投げキスをすると、お辞儀をし、引きさがった。
 それから、急に真面目くさって、また散歩をはじめたんだよ。

 この日から、わたしはもうこの老人から眼をはなさなかった。毎朝、老人は例の珍妙な練習をやりはじめるのだった。
 わたしは何でもかでもこの老人と話がしたくなった。そこで、思いきって、会釈をしてから、言葉をかけてみた。
「きょうはいいお天気ではありませんか」
 老人も挨拶をしてくれた。
「いかにも。まるで昔のような天気です」
 一週間ののち、われわれは友達になってしまった。そして、わたしはこの老人の身の上を知ることができた。老人はオペラ座のダンスの教師だったのである。ルイ十五世時代のオペラ座のね。例のみごとなステッキは、クレルモン伯爵の贈物だったとか。話がダンスのことになると、もう老人のおしゃべりを阻止することはとうていできなかった。
 さて、ある日のこと、老人はわたしにこんなことをうちあけた。
「わしは、そら、あのラ・カストリと結婚しているんですがな。なんなら、ご紹介してもよろしいが、なにぶんあれは午後でないとここに見えませんでな。それはもうこの庭ときたら、わたしらには何よりの楽しみであり、わたしらの命のようなものですからな。昔のもので、わたしらの残されているものといったら、この庭くらいのものでしょう。この庭がなかったら、もうわたしらは生きるかいもないようなものです。ねえ、見るからにものさびた、いい庭ではありませんか?わしはここへ来ると、自分の若い時分とちっともちがってない空気を吸うような気がしますよ。家内とわしは、いつも午後はずっとこの庭ですごすことにしています。もっとも、わしだけは朝早くからやってきますがね。なにしろ、こっちは早起きなものですから」

 昼飯をすますと、わたしはさっそくリュクサンブール公園に引返した。ほどなく、わたしの友達の姿が見えてきた。友達は、黒衣の小柄な老婦人にものものしく腕をかしていた。このご婦人にわたしは紹介された。これがラ・カストリだったのである。ルイ十五世をはじめ、王侯貴族はもとより、この世に恋の色香を残したというべき、あのはなやかな正世紀のあらゆる人々から愛された名舞踏家、ラ・カストリだったのである。
 わたしたちはベンチに腰かけた。わたしたちの上へ、光線の大粒の点滴となって降ってくる。ラ・カストリの黒衣など、光でぬれているようにさえ見えた。
 庭は人気もなく、がらんとしていた。遠く、乗合馬車の通る音が聞えてくる。
「あの、ちょっと説明していただきたいんですがね」わたしはこの老舞踏家に向って言った。「メヌエットというのはどんな踊りだったんでしょうか?」
 老人は身ぶるいした。
「メヌエットというのは、あんた、ダンスの女王ですぜ。そして、女王のダンスなんですぜ。おわかりですかい?だから、王のいない今日は、メヌエットはまたなしですわい」
 それから、この舞踏家は、美辞麗句のかぎりをつくして、熱烈なメヌエット讃をやりはじめたが、わたしにはまるっきり理解できなかった。それよりは、足どりや、動作や、ポーズをやってみせてもらったほうがよかった。それには老人も困惑の体だったね。自分の体力の衰えにわれながら腹をたてたか、いらいらしげに、しょげかえっているのだ。
 と、ふいに、老人は自分の昔の踊り相手の方へふり向いた。いつも沈みがちに黙々としているその年配偶者の方へね。
「ねえ、エリーズ、承知しておくれないか?このかたにお見せしてあげようではないか?」
 老女は、あたりを不安げにうかがっていたが、ものをも言わずに立ちあがると、老人と向い合いになった。
 このとき、わたしは終生忘れることのできないものを見たわけなんだ。
 二人は、子供っぽいしぐさをしながら、行ったり来たりするんだね。おたがいに微笑を交わしたり、左右に揺れたり、お辞儀をしたり、飛びはねたり、まるで、古くなった二つの人形そっくりなんだ。それも、昔の人形作りの名人が、その時代の様式でつくった、しかし、いまはすこしこわれている、旧式な機械仕掛けで動くやつなんだね。
 わたしは、二人の踊るのを見ていたが、心は異常な感動でみだされ、魂はいい知れぬ哀愁にうたれずにはいられなかった。いたましくも滑稽な幽霊、一世紀も時代おくれの亡霊でも見ているような気持がした。笑いたくもあり、泣きたくもある気持だった。
 急に二人は立ちどまった。これで舞踏のふりは終ったわけだ。それだのに、二人はまだしばらく向いあっていたが、へんてこに顔をゆがめたと思ったら、抱きあいながら、おいおい泣いてしまったんだ。

 それから三日ののち、わたしは田舎に発った。それっきり二人には会わずじまいになった。二年たって、パリにもどってきたときには、あの苗圃は取りこわされて、あとかたもなくなっていた。あの昔なつかしい庭がないとすれば、二人の老人はどうなったことだろう。あの迷宮のような花壇も、過去のにおいも、優美に曲がりくねった生垣もないとすれば。
 彼らは死んだのだろうか?それとも、希望を失った亡命者のように、近代的な街々をさまよっているのであろうか?それとも、墓場の糸杉のかげ、墓石の並んだ小道のほとりで、月の光をあびながら、あの滑稽な亡霊たちは、奇怪なメヌエットを踊っているのであろうか?
 彼らの思い出は、たえずわたしの心に去来し、しつこくまつわり、苦しめて、傷跡のようにながく残ってはなれない。なぜだろうか?わたしにはわからない。
 きっと、あなたなんかは滑稽にお思いだろうが?
モオパッサン

(2003.5.3)-3
ぼくらは誰であれ、与えられたようにしか生きることのできない、融通の少しもきかない、極めて不自由な存在であるということを、本当に納得して受け入れることはできるのだろうか。
(2003.5.3)-4
ぼくはどうでも、大量に、書く必要がある。
(2003.5.3)-5
父親の部屋へ入ってみると、手のこんだ形状の、大きめのダンボール箱が天井まで隙間なく、何列も積まれている。「これ、どうしたの?」と聞くと、父親は「Sが引越してくるから」というような事を、さも当然のような、私がそんなことを尋ねるのは不可解だ、というような顔をして言う。私はもう一度、その山と積まれたダンボールへと目をやり、「これみんなSのためのものなの?」と聞く。父親はやはり当然という顔をして、それを肯定する。母親がむやみに慌てて、廊下を行ったり来たりしている。私はこのような大量の荷物を所有し、両親に保存させている、またはそれらを用意させている(というのも、その荷物が一体なんなのか、誰のものなのかは、私には心あたりがないし、ダンボールの山からは想像できない)Sを嫉妬した。父親はそのために自身の部屋で眠ることすらできなくなっている。私は私の部屋に父親を寝かすことには強硬に反対した。父親はさも残念そうな、そして理不尽な目に遭ったような顔つきをする。母親も、口やかましく私を批難する。私は、ふとこの家を焼きたいような衝動にかられる。
(2003.5.3)-6
けれども、それでも、ひとりの人間をその人間そのものであるように書くことは難しい。ぼくが取りこぼした、いくつかの細かな仕草や思念こそが、その人のその人たる所以であったりするのではないか。であれば、ぼくの記述したその人というのは、一体何者なのか。その人ではない、全然別の誰かなのか、それとも。それは、例えば、フランケンシュタインを作り出すことと、そう大きな差異はないのだと、そう思う。その奇形児は、生まれながらに、その必然として、不幸な運命を背負い込んでいる。そして、それはぼくにいま少しまともな能力があれば、未然に防ぎえたかも知れないのである。
(2003.5.3)-7
そして、その子が正銘の奇形児、フランケンシュタインであったかどうかは、自身調べるより他はないようである。というのも、世の人間は、他人の生み落とした異形の存在には、思いのほか無関心だからである。
(2003.5.3)-8
眠る。
(2003.5.3)-9
眠れ。
(2003.5.5)-1
GW中に読んだ本。列挙。しないと、忘れてしまう。時間の量的感受性が、今年に入ってから極端に稀薄になった気がする。一日というものが、極く微細な単位のように感ぜられる。

(2003.5.5)-2
 ところで、ぼくがこのような言い回しをするようになった事を、君はどう思うかね。ぼくはこういうものの言い方(言い方、というのも妙だが)をするようになるという、予感、或いは予言というものは持っていたのだけれども、つまり、これは必然だと思っているのだけれども、このものの言い方の欠陥は、なんといってもそれ自体が抽象的であるという事だ。思念と行為の乖離を端的に意味するという事だ。そして、それを促進するという事だ。
 なぜ、日記のように書けないのか。自分がした事を、もしくは誰かのした事をその端緒に据えて、具体的かつ実際的な記述のみを選んでするという事ができないのか。一般には、この事はほとんど問題にすらならない程の些事であるようだが、これを些事とする覚悟は一体どのようにして手に入れたのだろう。ぼくが何らかの行動をしえた筈である一日のうちのある量の時間を、他の事、例えば、こういうものを書いたりする事に費やしているという事の正統性、或いは必然性はどこから得るものなのだろう。つまり、書く、もしくは、言う、という事が二次的、二義的なものではなく、その第一に置かれるという事はひどく不自然な、不快な、不潔な事なのではないだろうか。そして、このような言い回しを使用するという事は、それの象徴的な意味あいを持っているのだと、ぼくは思っている。
 行動の為の思念ではなく、思念の為の思念。そこに、その先に極めて簡単に見いだす事のできる虚無は果してぼくに払拭のできるものなのだろうか。「もの思う、故に我あり」などという言葉は、幸福な金持ちの道楽を出ないのではないだろうか、という疑念。今ここにある物体が存在し、それが人間であるという事を保証するのは、それのなす行為が人間のものであった、という実績のみなのではないだろうか。少なくともぼくなどは、それを是認するところから始めざるを得ないのではないだろうか。書くことというのは、果して行為と言え得るのか。読むということは、それから、考えるということは。それから、ぼくが何かを考えているのだ、という保証はどこにもない。実際は、ぼくは生まれてから一度も、「考える」ということをした事がないかもしれない。たとえそれが肯定されたとしても、本来明日にでも死ぬべき人間がそれをするという事は、許容されえないかも知れない。「お前はここで何をしているのだ?」問われて、何かを答えるぼくに、果して一分の理でもあるだろうか。
 「今日は誰々のために働きました。と、額に汗して、少々誇らしげに、また満足げに喋るお前のした事は、二匹の豚の屍肉を食し、十キロの緑黄色野菜を食し、云々」または、ギヴアンドテイクという言葉は、主に自身と単一の人間または集団という関係においてのみ言われるもののようであるが、一体いつぼくはそんなに単純な存在になっていたのだろう。
 はやい話が、久々の長の休みにびびっている、というだけの事なのかもしれないのだけれど。

(2003.5.5)-3

 さて、気を取り直して、読んだ本。 こうして書いてみると随分少ないね。スタンダアルの「赤と黒」を読めなかったのは、少しきびしかったかもしれない。でも、一日に二冊読んだりというような事はしないから、こんなもんなのかしらん。
(2003.5.5)-4
むらさきの霧の衣に街の目覚めることも
あるいは、
霧のたちこめる朝の白むまで寝ずに居る
(2003.5.6)-1
 自転車通勤をしてみる。自転車を新しく買ったのだ。新川崎-新横浜間、直線で七・五キロ。実行程十キロ弱である。さすがに、三十分ではきかない。四十分強くらいかかる。
 新しい自転車は速いのか、遅いのか、よくわからない。速そうに見えるのだけれど、乗っていると、嘘かも知れないような気がする。
 そもそも、スプリント系のギアが何段もついている一見速そうな自転車は、そうでないごくありふれた自転車と、その乗り方の発想が根本的に異なるものであるらしい。
 普通の自転車は、疲れたり、坂に差しかかったりすれば、ペダルをこぐ速さを遅くしたり、止すものだけれども、スプリントな自転車はそこで、ギアを軽くする。そうして、ペダル自体は相変わらず、あくまでこぎ続けるのである。下り坂にあっても、上り坂であっても、そのギアの重さが異なるだけで、そして、自転車の速度が異なるだけであって、その乗り手にはどちらも同じ負荷なのである。休む事はない。跨っているかぎりは、車輪の回転するかぎりは、こぐ。黙して呼吸を整え、淡々と、ただ、こぐ。マラソンに通ずるものがあるように思える。フィットネスクラブの、あの馬鹿馬鹿しい機械をも想起させる。あるいは、ハムスター。坂道を登りきっても、相変わらず登っている間と同じ速さで、ペダルをこいでいる。坂道を下っていても、やはり、同じ体勢で、一心不乱に、こいでいる。
 要するに、平坦な道も坂道も、どうでも、いいのである。スプリントな自転車にとって、自転車に乗るとは、すなわち、ペダルをこぐことなのである。走ることでは、移動することでは、ないのである。
 しかし、これでは、全然、一向に、楽しくない。「人生は、山あり谷あり」というではないか。また、それこそが、その醍醐味であるとは、多くの人も頷くところであると、私は認識している。辛い坂道を登りきれば、そのあとには、楽しく爽快な下り坂を満喫できるものなのである。そういうものである。それが、ものの、道理である。けれども、スプリントな自転車にあっては、そのような意見は、どうやら唾棄すべき愚論のようである。これは一体、どういうことであろうか。
 などと、ぼくはただ黙々と自転車をこぎながら考えていた。だから、新しい自転車は、速いのか、遅いのか、よくわからない。きっと、そんなことは、どうだっていいことなのだろう。
(2003.5.7)-1
夜の旅する雲らも照らす灯台の明の点いたり消えたり

(2003.5.7)-2
衛星テレビにて、ブロードウェイミュージカルを見る。素晴らしい。非常に完成されている。様式美、と言いたくなるほどに。これでも最大の賛辞のつもりなのだ。ぼくは飯を食うのも忘れて、ぽかんと口を開けて見ていた。あまりに口惜しいので、ときどき頭を掻いてみたりした。何か喋ろうとしたのだけれど、何も喋れるようなことはなかった。かわりに、ゴクリゴクリと何度か、間抜けに開いた口からこぼれそうになる唾液を飲み込んだ。目を離そうともしてみたのだけれど、勿体なくてできなかった。一緒に眺めていた母親も、それは同じだったらしい。らしい、というのは、その間じゅう、ぼくは一度も母親の方を見なかったし、おしゃべりな母親も、共にみているテレビ番組について、何かぼくに話し掛けようとはしなかったからだ。やっぱり、一度は能や狂言や、歌舞伎や寄席に行かなければなあ、と今しみじみ思っている。きっと同じ目に遭うだろう。
(2003.5.7)-3
ぼくをあらわに慰めて、それが何になるだろう
(2003.5.10)-1
そう、、、もう、十日なのか。書くようなことは、、まあ、あるんだけれど、弟が帰ってきたとか、コンタクトを落したこととか、利根川沿いの工場に夜から行って、零時過ぎに作業を終えて、タクシーで午前三時少し前に帰宅、料金は四万円強なり、とか、まあ、どうでも、いいか。一日いちにち、あったようななかったような、そう、どちらでもいいだろう。それは知ったような生活だし、ぼくはその間、手を合わせてお祈りしたりはしなかった。あるようにあって、だから、それはその意味においてないも同じことだ。まあ、神さまっていうのと、似たようなものだ。神さまはいた方がいいかしら。そうね、いいことがあったら、お礼を言いたいものね。はあ、そうだ。いいこと、ないかなあ。。。
(2003.5.10)-2
寝ているまに日がのぼってしずんで
日暮れてまた同じことを言っている
ひとつのソファにかわるがわる午睡する家族の、今は母、先ほどは弟、その前は父の、それぞれの寝姿を眺めるともなく

(2003.5.11)-1
 初夏も近い雨上がりの朝というものはいいものだ。湿って黒く固まった土の上に、夜のうちに存分に水を吸い上げ、今日のこれからの陽射しを使って存分に伸びようと、根本から張り切っている草々の青々とした姿や、雨を避けて眠らなければならなかった窮屈な夜を越えた小鳥たちの、木立の合間を元気に飛び回り、ふと地面に下りたっては餌をついばむ姿が、今日いちにちの嬉しい予感を私にも分けて与え、無闇に深呼吸をさせる。
 鼻唄など口ずさみながら、いつもよりもほんの少しだけ贅沢な朝食を作り(それは、このあいだ知人から宅急便で送られてきた贈答用のハム多少厚く切り、チーズと共にベーグルに挿んで焼いたものや、卵を二つ使った目玉焼き、という程度のものだけれども)、眠っている夫をベッドルームのカーテンを引いて朝陽に起し、豆を挽いたコーヒーを慎重に入れ、この朝の天気や、屋外のみずみずしい景色の話題と共に食事を済ませて、夫が仕事を進めるために書斎へ入ってしまうと、今日の私は土をいじることにした。私の勤めのほうは休日なのである。
 洗濯をすっかり済ませてから、家の前の庭の、その道路沿いに設けられた細長い花壇の前に私は立って、それを眺めた。花壇といっても、このような土地なので、冬の間はすっかり雪に埋もれてしまうし、春になり雪融けしてからは、まだ一度も手入れをしていないので、どこからか風に乗って運ばれて来たのか、はたまた去年の頃からそこにあったのかはわからないが、一面すでに何種もの雑草が生き生きと背すじを伸ばして、その高さを競っている。私は、腕組みしてそれらをざっと一瞥し、「去年、私がここいらに植えたはずのものはみな駄目になってしまったのに、まったく」と、その雑草たちに向って呟いた。「ここはきみらの場所ではないのだよ」
 私は、まずはそれらの逞しくも図々しい雑草たちをこの花壇から駆逐すべく、小型の鎌を片手に草取りに取りかかった。昨日の雨で土が締まっているとはいっても、花壇の土は流石にやわらかく、少し引くだけで雑草は抜けてゆく。私は夢中になって、道路沿いの細長い花壇の片端から、大小とりどりの雑草を引き抜いて、その脇にどんどん積み上げていった。
 さて、何を播こう。一時間ほどして、すっかり草を抜き取られて、茶色い帯のようになった花壇を眺めながら、私は思案にくれる。先々週辺りに買出しに行った際、目についた花の種を手当たり次第に買ってきているので、すこぶる迷うのである。「先にそれを考えてから草取りを始めろよ。いつもそうやって、あなたは考える前になんでも始めてしまう」など自分に向けて言い、自分で苦笑しながらも、草取り自体が楽しかったのだし、こうしてすっかり綺麗になった花壇を眺めるのも、悪い気分ではないとも考える。私は暫く、その平らな花壇を眺めるでもなく眺めて、そこに播いた種が芽吹いて育ち、花の種が花を結び、実の種が実を付けた様を夢想した。
 草花の種を取りに裏の物置へ戻り、ストックされた種のリストを作って、一度家の中へ戻る。夫に相談しようと思いたったのだ。手を洗って、湯を沸かし、二人分の紅茶を入れ、それを手土産に夫の部屋のドアをノックする。
 中へ入ると夫はいつものように難しい顔をして書きものをしている。私は紅茶茶碗ふたつとお茶菓子ののったお盆を、夫の書斎机の空いたところへ載せ、少し甘えた声で話しかける。
「ねえ、表の花壇に花を植えようかと思うのだけれど」
「ん、そうか。いいんじゃないか。雑草畑もいいけれど、表くらいは、きちんと整っていてもいい」
「そう。それでね、いま何を播いたらいいか、迷っているのだけれど」
「それは君の好きなものを播けばいい」
夫は、私と喋っている間も、書きものをしていて、どうにも、つれない。
「その好きなものが、たくさんあって困っているのよ。それで、ちょっとあなたに相談にきたというわけなの」
と、先ほど作った草花の種のリストを夫の前に差し出した。
 夫は、それを一瞥して、「随分、多いな」と無関心そうに答える。
「このうちのどれを、どう播いたらいいものかしら」私が夫の顔を覗きこみながらたずねと、夫はようやく顔を上げて、もう一度リストを上から順にペンでなぞりだす。
 リストの中ほどで、夫はペンを止め、「とりあえず、これは表の花壇に植えるようなものではないね」と、×××を指した。
「あら、それは実をつける前の夏には、綺麗な紫の花をつけるのよ」
「しかし、いかにも世帯じみているじゃないか」
「あら、ここは立派な私たちの世帯じゃなくて?」
「まあ、確かにそうだけど」口をゆがめる。むっとしたときの夫の癖だ。
「わかった。じゃあ、とりあえず、これは、植えない、と」リストにバツをつける。

(2003.5.11)-2
うぇぇん、花の名前を知らないから、続けられないよう。
(2003.5.13)-1
なんだ、野菜ばっかじゃねえか。花も植えようぜえ。でねえと、はながねえよ、はなが。
(2003.5.13)-2
Jack Johnson おためしあれ。自分のいる環境を「丁寧に」撫でて、そうしてゴキゲンで暮している人だと思う。温度や匂い、色調が極めて現代的で、今どきのサーフライフを体現した音楽だと思われる。ほんとかな?こう言ったほうがいいかもしれない。聴いていると、浜から 100m 程の、ほどよく弱められた海風の吹き込む家の、少々うるさいくらいに茂った南国植物に囲まれた庭に、藤のソファを持ち出してきて、折りたたんだ足の乗るほどに深々と腰かけて、胸と膝のあいだにギターをはさんで、まったりと歌いたくなるねえ。そんな夏のはじまりのある午後は、これは、いいよねえ、という感じ。いや、それにしても、久しぶりにメジャーどころから引き当てたらしい。ぼくは語尾の余韻の素敵な方の唄が好きなようである。
(2003.5.13)-3
飽きた顔で「どこかへ行きたい」というあなたの
ここでない場所へ行けば、そのあきは消えるというのは、本当ですか
など、知った面して喋ってみる
わけにもいくまい
いちにちを愛でるには、応分の覚悟が要ります
など、上を見あげて言ってみる
わけにもいくまい
あきらめてみて、それで終わりですか
蒼い鳥やら、シャングリラやら
知らん顔できるようになれば、落着ですか
そんなわけにも、また、いくまい
たぶん、答えは、すぐには出ないのです
いや、答えはないといって、差支えないようにも、思えます
そのうち、「どこへも行かなくてもいい」といいはじめるあなたが
顔を出すようになって
気持をわすれたあなたが
かわって、「いまの」あなたになって
それでおわり
おわり
あしたははれ
そのつぎはあめ
そのまたつぎははれ
はれるや
(2003.5.13)-4
うん。きれいなひとは、いいですね。


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