tell a graphic lie
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(サンデイパアク)

 日曜の公園
 午後のひざし
 夢の音色をきく
 ブルウベリイとシナモングリインにただよう
 妖精のくにの子守唄

 昨日の夜は
 いろんなものがあんまりありすぎて
 あんまりひどくて
 動けなかった
 でもまだいい
 今はみんな薄れて消える
 通りの人ごみに混じってゆく

 そばに来るあなたとか
 わらい掛けるあなたとか
 そういう
 終わりのない夢をみたい

 きょうの日がすべて
 わたしはそういう類の女の子
 でも、それでいいと思っている
 それでわたしは私になる
 あなたのいないときはとくに
 だきしめるだれかが必要になるって
 どうしたら平気になれるかって
 ちゃんとわたしは知っている

 となりにいるあなたとか
 細くささやくあなたとか
 そういう
 終わりのない夢をみたい

 心臓のひとりの鼓動をかんじるときに
 わたしはうたい わたしはさけぶ
 理由なんてあるわけもない
 「わたしはあなたのことを求めていました あれは、求めていたのです」
 生活はいつのまにか、迷宮にさそいこまれるけれど
 まいにち、まいばん、あなたはわたしのなかにいる
 まいにち、まいばん、よろこびもいたみもまだ
 記憶のメロディはなり止まない
 あなたはときの果てまでわたしとくらす
 そういう
 日曜の公園の夢
YEN TOWN BAND "Sunday Park" (Lyric by FUMIKO YOSHII)

(2003.6.19)-1
おとつい訳して、そのときはくそだと思ったからあげなかったのだが、いま見てみたら、さっぱりわからない。構成が分裂しているようにも思うのだけれど、もとの詞がそうなっているので、如何ともしがたい。曲の詞というのは、そういうものなのかもしれない。とにかく、ことばのとりかたの良し悪しから、なにから、ぜんぶ、わからない。ただ、"Sunday Park" 自体は佳作である。それにはちがいない。
(2003.6.20)-1
昨日は太宰の命日であったようである。日づけにはあんまり意味はないが、流れた月日には意味があるように思える。太宰には「風の便り」という文学論の作品があるが、これは保坂和志のそれのように、つついてやろうというような気は少しも起らない。太宰は作中、その存命中にあって既に、自身は十九世紀の作家であり、古い、というようなことを言っているのだが、それを死後半世紀たってから奉じようとしているぼくは、反動とすら呼ばれる資格のない、ただの無邪気な時代遅れでしかなく、却って大声で馬鹿のひとつおぼえを叫びつづける。「ぼくらは間違っている」
(2003.6.21)-1
「ウォーターボーイズ」を見る。単純な映画である。話は練れてないし、演技も大根ばかりの、大味なものである。登場人物のひとりとして、実在していそうな者はない。だれも皆、じつに適当な描かれかたをしている。けれども、それは重大なことではない。この映画は、画がいいのである。とどのつまり、この映画はそれだけのもので、それでいいある。そこには、高校という環境の有する独特の色味がじつによく表現されている。校舎の壁面も、わたり廊下も、グランドのボールネット越しの空の色も、ぼくの記憶を呼び覚ますのに十分なものだった。練れてない筋書きも、無個性なまでに典型化された人物も、不特定多数の観衆のひとりひとりに、自身の高校時代を思い起こさせ、あそこに在った色や空気や、時間の速度といったものを胸によみがえらせるには、かえって好都合にはたらいたようである。たった九十分弱という時間の裡にそれ以上のものを容れてしまわない。この映画の成功の所以は、ひとえにそのあたりのさじ加減にあるようである。ぼくらがあの時期を愛することがあるとすれば、それはこの映画のうちにあらわれているもののためであり、過敏な自意識の彷徨や、幼稚な恋愛の真似事のためでは決してないのである。CMによると、この続編がテレビドラマであるそうだが、ざんねんなことには、引き継ぐのはこの映画のそういった良さではなく、男のシンクロナイズドスイミングという多少めずらしげな気色の題材のようで、したがって、眼を覆わんばかりの駄作になることは、どうも今から保証されているようである。こんな、素人の部外者でもわかるようなことを敢えてしなければならぬ、ドラマ制作者のおかれた境涯に一種の憐憫をもよおさざるをえない。
(2003.6.22)-1
久しぶりに自転車に乗ってみると、タイヤの空気がずいぶんと少なくなっていて、そのために車輪が横すべりする。しばらく走ってからそのことに気づいたので、そこで引き返して空気入れを買って帰る。
(2003.6.22)-2
また、何のために、というのを忘れしまっていて、首をかしげている。組んでいた手が解かれてしまったような感じで、こうなると、話しかけられても、笑って応えることができない。そうした普通のやりとりが、ぼくにはもう自然なことではなくなっていて、それをするのにぼくは多少の意識を要するのだが、こういうときは、その意識に対して疑問符が附けられてしまう。無感情というのに少し近くて、意見や賛同を求められても、ぼくにはそれが何のためにあるのか、何のことだかわからないので、どうしていいのかわからない。なんで、話しをする必要があるのか、なんで、関わりを持つ必要があるのか、なんで、感情を持つ必要があるのか、そのあたりがさっぱりわからなくなっている。人形のような顔になって、ぼんやりしている。なんで、ぼくは今日も生きて、生活を続けなければならないのだろう。解しかねるが、これもどうでもいいような気がする。
(2003.6.23)-1
「故園」はかなしい。とてもとてもかなしい。

(ぼくはついている)

 バス停まで歩いて
 待たずに乗れたら
 ぼくはついている
 んー

 朝、街を歩いて
 冷たいネバダの街の朝
 ぼくはついている
 んー

 車のタイヤに
 テーブルのうえに
 7で止まってるレバーに
 床のうえに
 ぼくのかかとにまた
 ぼくはとてもついている
 ついている
 
 街角に立っていて
 お金をひろったら
 ぼくはついている
 んー

 昨日のよる立っていて
 自然な色の明かり
 ぼくはついている んー
 車のタイヤに
 テーブルのうえに
 レモンで止まったレバーに
 床のうえに
 ぼくのかかとにまた
 ぼくはとてもついている
 ついている
 んー
Freedy Johnston "The Lucky One"

(2003.6.24)-1
Mary Low Lord というおばちゃんがカバーしているのをぼくは聴いていて、いいね、実に。あたまがわるくて直訳できなくても、かまわず載せてしまうほどにいい。"On the wheels / On the tabletop / On handles where 7's stop / On the floor / On my heels again" ってどう訳すんですか?だれか教えてください。
(2003.6.25)-1
叫ぶことや。何度も、何度も、叫ぶことや。
(2003.6.26)-1
才能の無いのを証拠立てるにはどれだけやればいいのですか。

(月とあざらし)
 北方の海は、銀色に凍っていました。長い冬の間、太陽はめったにそこへは顔を見せなかったのです。なぜなら、太陽は、陰気なところは、好かなかったからでありました。そして、海は、ちょうど死んだ魚(うお)の目のように、どんよりと曇って、毎日、毎日、雪が降っていました。
 一ぴきの親のあざらしが、氷山のいただきにうずくまって、ぼんやりとあたりを見まわしていました。そのあざらしは、やさしい心をもったあざらしでありました。秋のはじめに、どこへか、姿の見えなくなった、自分のいとしい子供のことを忘れずに、こうして、毎日あたりを見まわしているのであります。
「どこへいったのだろう・・・・・・今日も、まだ姿は見えない」
 あざらしは、こう思っていたのでありました。
 寒い風は、頻りなしに吹いていました。子供を失った、あざらしは、なにを見ても悲しくてなりませんでした。その時分は、青かった海の色が、いま銀色になっているのを見ても、また、体にふりかかる白雪を見ても、悲しみが心をそそったのであります。
 風は、ヒュー、ヒューと音をたてて吹いていました。あざらしは、この風に向っても、訴えずにはいられなかったのです。
「どこかで、私のかわいい子供の姿をお見になりませんでしたか」と、哀れなあざらしは、声を曇らして、たずねました。
 いままで、傍若無人に吹いていた暴風(あらし)は、こうあざらしに問いかけられると、ちょっとその叫びをとめました。
「あざらしさん、あなたは、いなくなった子供のことを思って、毎日そこに、そうしてうずくまっていなさるのですか。私は、なんのために、いつまでも、あなたがじっとしていなさるのかわからなかったのです。私は、いま雪と戦っているのです。この海を雪が占領するか、私が占領するか、ここしばらくは、命がけの競争をしているのですよ。さあ、私は、たいていこのあたりの海の上は、一通りくまなく馳けてみたのですが、あざらしの子供を見ませんでした。氷の蔭にでも隠れて泣いているのかもしれませんが・・・・・・。こんど、よく注意して見てきてあげましょう」
「あなたは、ごしんせつな方です。いくら、あなたたちが、寒く、冷たくても、私は、ここに我慢をして待っていますから、どうか、この海を馳めぐりなさるときに、私の子供が、親を探して泣いていたら、どうか私に知らせてください。私は、どんなところであろうと、氷の山を飛び越して迎えにゆきますから・・・・・・」と、あざらしは、目に涙をためていいました。
 風は、行く先を急ぎながらも、顧みて、
「しかし、あざらしさん、秋ごろ、猟船が、このあたりまで見えましたから、そのとき、人間に捕られたなら、もはや帰りっこありませんよ。もし、こんど、私がよく探してきて見つからなかったら、あきらめなさい」と、風はいい残して、馳けてゆきました。
 その後で、あざらしは、悲しそうな声をたててないたのです。
 あざらしは、毎日、風の便りを待っていました。しかし、一度、約束をしていった風は、いくら待ってももどってはこなかったのでありました。
「あの風は、どうしたろう・・・・・・」
 あざらしは、こんどその風のことも気にかけずにはいられませんでした。後からも、後からも、頻りなしに、風は吹いていました。けれど同じ風が、ふたたび自分を吹くのをあざらしは見ませんでした。
「もし、もし、あなたは、これから、どちらへおゆきになるのですか・・・・・・」と、あざらしは、このとき、自分の前を通り過ぎる風に向って問いかけたのです。
「さあ、どこということはできません。仲間が先へゆく後を私たちは、ついてゆくばかりなのですから・・・・・・」と、その風は答えました。
「ずっと先へいった風に、私は頼んだことがあるのです。その返事を聞きたいと思っているのですが・・・・・・」と、あざらしは、悲しそうにいいました。
「そんなら、あなたとお約束をした風は、まだもどってこないのでしょう。私が、その風にあうかどうかわからないが、あったら、言伝をいたしましょう」といって、その風も、どこへとなく去ってしまいました。
 海は、灰色に、静かに眠っていました。そして、雪は、嵐と戦って、砕けたり、飛んだりしていました。
 こうして、じっとしているうちに、あざらしはいつであったか、月が、自分の体を照らして、
「さびしいか?」といってくれたことを思い出しました。そのとき、自分は、空を仰いで、
「さびしくて、しかたがない!」といって、月に訴えたのでありました。
 すると、月は、物思い顔に、じっと自分を見ていたが、そのまま、黒い雲のうしろに隠れてしまったことをあざらしは思い出したのであります。
 さびしいあざらしは、毎日、毎夜、氷山のいただきに、うずくまって我が子供のことを思い、嵐のたよりを待ち、また、月のことなどを思っていたのでありました。
 月は、けっして、あざらしのことを忘れはしませんでした。太陽が、にぎやかな街をながめたり、花の咲く野原を楽しそうに見下ろして、旅をするのとちがって、月は、いつでもさびしい町や、暗い海を見ながら旅をつづけたのです。そして、哀れな人間の生活の有り様や、餓えにないている、哀れな獣物などの姿をながめたのであります。
 子供をなくした、親のあざらしが、夜も眠らずに、氷山の上で、悲しみながらほえているのを月がながめたとき、この世の中のたくさんの悲しみに、慣れてしまって、さまで感じなかった月も、心からかわいそうだと思いました。あまりに、あたりの海は暗く、寒く、あざらしの心を楽しませるなにもなかったからです。
「さびしいか?」といって、わずかに月は、声をかけてやりましたが、あざらしは、悲しい胸のうちを、空を仰いで訴えたのでした。
 しかし、月は、自分の力で、それをどうすることもできませんでした。その夜から、月はどうかして、この憐れなあざらしをなぐさめてやりたいものと思いました。
 ある夜、月は、灰色の海の上を見下ろしながら、あのあざらしは、どうしたであろうと思い、空の路を急ぎつつあったのです。やはり、風が寒く、雲は低く氷山をかすめてとんでいました。
 はたして、哀れなあざらしは、その夜も、氷山のいただきにうずくまっていました。
「さびしいか?」と、月はやさしくたずねました。
 このまえよりも、あざらしは、幾分やせて見えました。そして、悲しそうに、空を仰いで、「さびしい!まだ、私の子供はわかりません」といって、月に訴えかけたのであります。
 月は、青白い顔で、あざらしを見ました。その光は、憐れなあざらしの体を青白くいろどったのでした。
「私は、世の中のどんなところも、見ないことはない。遠い国のおもしろい話をしてきかせようか?」と、月は、あざらしにいいました。
 すると、あざらしは、頭を振って、
「どうか、私の子供が、どこにいるか、教えてください。見つけたら知らしてくれるといって約束した風は、まだなんともいってきてはくれません。世界じゅうのことがわかるなら、ほかのことはききたくありませんが、私の子供は、いまどこにどうしているか教えてください」と、あざらしは、月に向って頼みました。
 月は、この言葉をきくと黙ってしまいました。なんといって答えていいのか、わからなかったからです。それほど、世の中には、あざらしばかりでなく、子供をなくしたり、さらわれたり、殺されたり、そのような悲しい事件が、そこここにあって、一つ一つ覚えてはいられなかったからでした。
「この北海の上ばかりでも、幾ひきの子供をなくしたあざらしがいるかしれない。しかし、おまえは、子供にやさしいから一倍悲しんでいるのだ。そして、私は、それだから、おまえをかわいそうに思っている。そのうちに、おまえを楽しませるものを持ってこよう・・・・・・」と、月はいって、また雲のうしろに隠れました。
 月は、あざらしにした、約束をけっして忘れませんでした。ある晩方、南の方の野原で、若い男や、女が、咲き乱れた花の中で笛を吹き、太鼓を鳴らして踊っていました。月は、この有り様を空の上から見たのであります。
 これらの男女は、いずれも牧人でした。もうこの地方は、暖かで、みんなは畑や、田に出て耕さなければなりませんでした。一日野に出て働いて、夕暮れになると、みんなは、月の下でこうして踊り、その日の疲れを忘れるのでありました。
 男どもは、牛や、羊を追って、月の下のかすんだ道を帰ってゆきました。女たちは、花の中で休んでいました。そして、そのうちに、花の香りに酔い、やわらかな風に吹かれて、うとうとと眠ってしまったものもありました。
 このとき、月は、小さな太鼓が、草原の上に投げ出してあるのを見て、これを、哀れなあざらしに持っていってやろうと思ったのです。
 月が、手を伸ばして太鼓を拾ったのを、だれも気づきませんでした。その夜、月は、太鼓をしょって、北の方へ旅をしました。
 北の方の海は、依然として銀色に凍って、寒い風が吹いていました。そして、あざらしは、氷山の上に、うずくまっていました。
「さあ、約束のものを持ってきた」といって、月は、太鼓をあざらしに渡してやりました。
 あざらしは、その太鼓を気にいったとみえます。月が、しばらく日をたって後に、このあたりの海上を照らしたときには、氷が解けはじめて、あざらしの鳴らしている太鼓の音が、波の間からきこえました。
小川未明

(2003.6.29)-1
アマゾンで、本を買い込む。
 とうとう聖書を買う。どれだけ読めるか、あまり自信はないけれど、少しずつ進めてみたい。
 それから、村上春樹が最近カフカについての本を出していることを知った。これらの本はあまり売れるものではないようで、抱き合わせ販売推進リストに自分の買ったものが出る。
 「サンクチュアリ」まだ読んでいません。短編集、あるようですので、多分、そちらからになるかと思います。フィツジェラルドはよかったので、米国の作家にも、幾分興味が出てきています。昨日今日で、ジッドの「田園交響曲」川端康成「千羽鶴」を読んでいます。それから、ジッドの作中に出てきたので、チェホフの「犬を連れた奥さん」を読み返しました。小川未明も、適当に頁を開いたところを読んでいます。みんなそれぞれ、なんども同じものを書いていると思います。ジッドの小説は、ジッドの小説です(彼の小説は「狭き門」という言葉にとてもとても相応しい)。川端康成も(「雪国」でなければ、ぼくは「故園」が最も好きです)。チェホフも(再読して、やっぱりロシヤの作家だと思いました。彼らの描く日光は、みなとても弱々しい色をしています)。小川未明も(新居昭乃氏が「金の輪」を奉じていることを最近知りました)。みんな、不器用に思えてなりません。
(2003.6.29)-2
 今日の明け方は、久しぶりに腐った夢を見て、起きた際にそれを憶えておこうとしたので、それについて書いてみよう。

(2003.6.29)-3
 夢の中でぼくはテレビゲームの中にいる。テレビゲームの中で、人型地上用戦闘機に乗り込んでいる。姿形は、ボトムズという4m程の大きさのものそっくりだけれど、動きや視点自体はアーマードコアというゲームそっくりだ。これは、実際にはぼくはあまりボトムズを見たことがないせいだと思う。グループは三機編成で、ぼくがどうやら中央にいる。武装はハンドバズーカと連射式の機関銃だ。機内からの視界はかなり広く、最新鋭のものらしい。
 ミッションはそろそろ佳境に差し掛かっているようで、ぼくらはここ数日間続いた戦闘でゴーストタウンになった深夜の摩天楼を縦横にぬってはしる小通りを、まだ無事な数本の街灯の青白い光に照らされ、走行補助装置をふかして疾走している。僚機との通信はなく、モーター音の濁った低音のなかに終末前のあの静寂が薄い空気の膜のようにまとわり附いている。この先の鏡面ガラスを張り巡らした現代的な外観の高層ビルにターゲットがいて、ぼくらはそこへ向っている。
 そこへたどりつくと、ビルの入り口付近で早速戦闘になる。ゲームなので、ぼくらの機体の方が随分と丈夫かつ機敏にできていて、シュコッという音を立てて、ぼくの機体の右手に握られたバズーカから放たれる砲弾は、ほぼ確実に敵機にヒットし胴体の装甲をひしゃげさせ、機体を炎上させる。
 そのようにして、数機を破壊したあたりで、ターゲットらしき機影がモニターの片隅にフォーカスされる。それはビル正面の、随分な大きさの自動ドアからビル内に逃げ込む様子を映し出していたので、ぼくらは走行装置で加速し、その後を追って、ビルの内に入る。ビルの内部、正面の大きなフロアに入ると辺りはしんとして暗く、味方の機体の残骸が点在している。それらの機体のひとつからは白煙が立ち昇っており、破壊されてからまだそれほど時間の経っていないことを示している。ぼくらは気を引き締め、辺りを窺う。
 けれども、それ以降の進展がない。ゲームの中なので、移動可能な範囲は限られており、ぼくらはそれをくまなく巡ってみたけれど、先へ進むスイッチのような事物は何ひとつ発見できない。5分程うろうろした後、どこか手順を間違えたのだろうと思い、ぼくはゲームをリセットして再び、そのミッションのはじめから、つまりビルへ向って走行する場面からやり直す。
 また、同じ手順を経てビルの内部に突入する。理由は不明だが、今度は場面の進展があり、ぼくらは機体の乗ることのできる大型のエスカレータに乗って、ビルの地下へ向う。ビル内部は全ての照明が消え真っ暗闇で、ぼくら三機とエスカレータの動くものの気配がない。地下をひととおり巡ってみるが、ターゲットは発見できず、ぼくらはやむなく引き返すと、おあつらえ向きに、丁度ターゲットが隣のビルへ逃げ込むところへ出くわす。ぼくらは後を追い、隣のビルへ突入する。
 そんなことを二つか三つのビルにわたってくり返す。ビルはみなどれも同じような構造をしている。戦闘機の乗り込むことのできる大型の異常に長いエスカレータがあり、深い地下構造を有しているが、エスカレータの切れ目毎にあるフロアはほとんどがらんどうで、しかも大した広さはなく、何の目的でこのような構造をしているのか不明瞭だ。ほとんど垂直に近い傾斜のエスカレータなどもある。けれども、ビルの内部にはその他のものは本当に何もなく、ぼくらの機体のエンジン音や歩行音、走行の摩擦音が狭いフロアに反響するだけだ。ぼくらもお互いに全く通信をしない。ターゲットを探し、見つからずに入り口へ戻ってくると、またターゲットが隣のビルへ逃げ込むところにでくわす。それをくり返す。
 幾つめかのビルでぼくらは機体を乗り捨てる。これから先は、戦闘機は乗り入れ禁止のようだ。そのビルには明かりが灯っており、入り口近くには、僚機や敵機の残骸が煙を噴いている。かなりの数の人影があり、それらはみな、そのビルの中へと吸い込まれてゆく。全く意味のない動くオブジェのように、ホバー式の無人タクシーがビルの周囲を行き来している。乗客もないようだ。
 ぼくらは、数人の人影と共に、正面からビルの内部に入る。ビルは、それ自体がひとつの町になっている構造をしていて、フロアあたりの天井が異常に高く、そこからいろいろなものが垂れ下がっている。例えば、3Fの何とかという店が今日から特売ということを知らせる広告だとか、天井の隅をはしっている何かのパイプの間にかけられたロープに吊るされた洗濯物とか。ビルの内部はかなりの騒がしさで、人の密度も高く、ターゲットを追って走り回ることもできないほどだ。この中で発砲すればどんなパニックになることか、とぼくらは話し合う。そして、やはりここにも異常な長さのエスカレータがあって、違うのは、このビルではそれが人用であることと、各階を行き来する人で埋まっているということだ。ぼくらはそれに乗り込む。長いので苛々するが、人が隙間なく乗っているので、身動きがとれない。仕方なく、ぼくはビル内部の町を観察する。
 ビルの内部は、デパートの地下食料品店街に似ている。照明は黄色くて薄暗く、汚れが目立つ。京漬けか何かが大量に詰まった袋を高く上げて、声をはりあげている白い割烹着姿の中年の売り子が目につく。冷凍食品を売る保冷庫のようなものが並んでいるが、中身は入っておらず、ものが不足している、という印象を受ける。多くの人びとはその中をうろうろしたり、立ちどまって話し込んだりしている。明るい顔はひとつも見られず、みな疲れた顔をするか、殺気だった顔をしている。ぼくはジャケットの内側の銃を調べ、果してここで撃てるのかと考える。他のふたりも、ぼくと同じようなことを考えているのだろうと、その顔を見て思う。
 そのうち、下りエスカレータの、ぼくらの数人後ろに乗り込んでいた者たちが話しはじめる。一人はズボンのポケットに手を突っ込んでおり、そのポケットはピストルの形に膨らんでいる。その男に向ってもうひとりが、
「おい、お前。その銃は偽物なんだろう。わかっているんだ。銃を持っていなければ、不安だが、本物はここでは危険すぎるからな」
 ポケットに手を突っ込んだ男は、曖昧な笑いを浮べて、
「何を言うんだ。俺は銃なんて持ってはいない」
と下品に誇る口調で答える。本当は持っているのだが、持っていないと言いたいらしい。
「嘘をつけ。それは偽物だろう。見せてみろ」
話し掛けた男は、それに取り合わず、ポケットに突っ込まれた腕を引っ張る。男のポケットからは案の定、銃の形に折りたたまれテープで止められたダンボールが姿を見せる。
「ほら見ろ。銃なんてないじゃないか」
難癖を付けた男は勝ち誇り、
「銃なんてここにはないのだ。あるはずが、ないのだ。あるのは、これだけだ」
と言って、自身のポケットからナイフを取り出し、照明にてらてらとかざす。周囲のエスカレータの乗客はそれを指して気にする様子もないが、銃を所持しているぼくは、ここにあってはならないものを持っている気がして、落ち着かなくなる。もし銃を発見されたら、よってたかって取り押さえられてしまうような気がする。銃は12連発なので、近くにいる人間の数にはとても足りない。
 ナイフの男は、不相変ナイフを握りしめたまま、ぼんやりとし始める。すると突然、その隣の、二人とはまた別の男が、鋭く削られた鉛筆を20本ほど、輪ゴムで束ねたものをとりだして、何やら叫びながら、周囲の人間を刺し始める。鉛筆を腹に刺された人間の傷口は黒鉛に汚れ、赤黒い血が流れ出る。ナイフ男もあっけなく何人目かに刺されて、その場に崩れ落ちる。周囲はパニックに陥り、まるで待っていたかのように、それは一瞬でビル全体に広がり、ビル内のあらゆる人間が争い、乱闘をはじめる。
 ぼくらは銃を持っていたので、この場から逃げ出す必要があると感じ、パニックで隙間のできたエスカレータを駆け上って外へ出ようとする。ぼくらの他にもビルから逃げ出そうとする人間がいくらかいて、みなすごい形相で一階の正面ゲートを目指している。ぼくら三人も一塊になって、ゲートへと急ぐ。天井に吊るされた照明が、この騒ぎで揺れて、ビルの内部は、陰影が奇妙に揺らめいて、それがまた不安を駆り立てる。
 ゲートを出ると、無人タクシーはすでに奪われてしまったのだろう、どこにも見えない。この分では近くに停めた機体も無事ではないだろうと思い、三人は、少し離れたところにある軍用車両のところまで走ろうということになり、走る。
 周囲のそういった移動手段のあてのない人間たちが、なぜかぼくらの車両のことを知っており、ぼくらよりも先にたどり着き、それを奪おうとしているのが、これもなぜかわかる(そもそも、その車両があることを、なぜぼくら自体も知っているのか、これも判然としない)。とにかく、ぼくら三人と、その他二十人以上が、ぼくらの車両を目指して走っている。道は迷路のように矢鱈と折れ曲がっており、ぼくの足はそんなに速くないらしく、数人に先を走られる。彼らは走りながら、
「これで晴れて、ここからもおさらばだ」
と、いうようなことを言って、勝ち誇ったような顔をしている。ぼくはそれを聞いて殺意を覚え、弾丸の数も足りる、ここならば撃っても構わないだろう、と思い、ピストルを取り出して前を走る数人に向ける。身体は走っているため、上下に大きく揺れて、息遣いが非常に荒くなっている。撃とうか、迷う。



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