tell a graphic lie
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(2003.6.1)
 「台風の日」約70KBあります。文庫本でいきますと、四十頁程度の話になるかと思います。つかえずに、通して読めるほど面白いかどうか、ぼくは知りません。というのも、普通に小説を読むように、一文一文を気にすることなく読めたことがないからです。たった四十頁ほどの小品の、そのおしまいまで一とおり読みとおすのに、ぼくはいつも三時間も四時間も使うのです。ですから、無心に読んで、面白いだの面白くないだの、皆さんと共有できるような感想をぼくは一度たりとも持ったことがないのです。ぼくはついに、そのようにして、これを読むことができなかった。そのようなわけで、これが面白いか、そうでないかということに関してのぼくの判断というのは、実際全くあてになりません。世の多少なりとも話らしきものを作っている人間が自作をどのように扱っているかぼくは全く知りません。とにかく、ぼくは他人が書いたものを読むようにして、自分の書いたものを読むことができない。ぼくはたった今書いたものが面白いのかどうかということに関して、ほとんど「技術的な」といっていいような見方で判断してきただけだ。つまり、ぼくが面白いと思っているいくつかの作品との類似性や相似性を、ぼくが書いたものから探し出すことによって判断してきたということだ。これがどれだけ下らないことか、ぼくはそれなりに認識しているつもりだけれど、残念なことには、実際のところ、その下らない手法に自分の書いた文をあてはめるのにすら苦労しているといった有様で、、、
 まあ、そんなことはどうだっていいや。おひまなら、読んでみてください。少なくとも、毎日ここに書き飛ばしているものよりはまともなものです。それは、保証します。面白かったら、できたらひとこと、「面白かったよ」と知らせてください。じんわり、うれしくなるはずです。
--> 「台風の日

(2003.6.2)
pushing the stack. 日めくり日めくり。
(2003.6.4)-1
きちんと残業をつけろと言われる。いらないのなら、現金でぼくにくれてもいいよ、とも。言うことは何もないので、にやにややって曖昧にする。とてもいやな気分だ。それからいちにち、お金のことが頭から離れない。
(2003.6.4)-2
「アウトブリード」一週間にふたつずつ、くらいのペエスで、隙間隙間の気分の変わり目あたりで読んでいる。四五ペエジくらいの小コラムばかりなので、例えば、ここのように、話が唐突に始まって、固まったことはまだ何も言い出さないうちに終ってしまうものばかりで、ものによっては再読を要求されるが、「文章」「言葉」についての考察に、「現代」という言葉が散見されるので、ぼくにはうれしい。彼のいう方向性が現在およびこれからの文章のそれについての見解の一般的な型だとは思わないけれども、その解釈の様式は、ぼく自身が、確かにこれは現代のものだ、と感じるようなものなので、とてもうれしい。
 彼自身は「まず言葉ありき」という、現代においては悲壮感ばかりが目だって見えるスロオガンを諦めて、それでもそこから「文章」というのはどこへいくのかということについて、ぽつりぽつり、歩みとしては非常にゆったりとしたペエスで、進んでゆくのだけれど、彼の知識は当然のことながら、ぼくよりも広くまた深いので、その点においてぼくの現状の立場と全く相反するものでありながらも、ああ、いや、それだからこそ、かも知れないのだが、彼の言うことのいくつかについては、ぼくは賛成もするし、また当然、反対もする。全く新しい見方であれば、態度の保留もする。
 ああ、ひとつ写してみればいいんだ。いくよ。
(言語化の領域)
「二十一世紀」でも「これからの百年」でも何でもかまわないが、僕には一つ、とてもはっきりしたイメージあるいは問題の枠がある。「『言語化可能な領域と不可能な領域』について人間がどのように関わっているか」ということだ。
 文学は本来、言語化が可能なものと不可能なものに意識的で、言語化の領域を広げるために存在してきたジャンルのはずで、このかぎりにおいて哲学や科学と関係を持つことができた。
 言語化不可能な領域を触らずにそこを神聖化すれば一つ小説が生れるし、その不可能な領域に人智を超えた象徴的な存在を据えればもう一つの小説が生まれる。前者は人間が運命や不可知なものに翻弄される話になり、後者は構えの大きい「神話的」などと呼ばれる話になるが、どちらも人間が愚かなまま放置される点で変わりはない。だから言語化の領域を広げようという意識のない "物語" という話法は滅びるべくして滅んでゆく。
 もう一つ、広い意味での科学的言説に寄りかかって、たとえば「人間は所詮、一つ一つの臓器が機械的に機能しているものの総体でしかない」と言ってみたり、神秘体験のような、いまの科学の言語の外にあるがために説明する必要がないとされるものを、個々の人間の内部で起こったささいな錯覚の産物として片づけてしまうことも、同じように言語化可能な領域を広げない、どころかむしろ狭める。『そして同時に、それら科学の言語の外にある事象にたやすく名前をつけていく神秘体験重視の人たちにとって、科学的言語信仰者による批判は何のインパクトもない。両者は乖離する一方だ。』
 言語化の領域を広げてゆく作業は遅々たる進展しかしてこなかった。これからもそうだ。
 ここから先は限定した一例になるが、遅々たる言語化領域の拡張に比べて、テクノロジーによって人間の感覚の未知の領域を広げるような方法は次々に作り出される。「見る」「聞く」「触れる」・・・・・・etc. は世界観を簡単に揺るがすことができる。神秘体験と同質の体験を演出することもどんどん可能になるだろう。それらは思えばありきたりのSF映画の光景で、事態はいまさら恥ずかしくてSFにも描けないくらいあたり前になりつつあるということなのだろうが、人はそういう身体的刺激にとても弱い。感覚が開かれていくことは実際、快感だ。
 そのとき、『至福』とか『おぞましい』というような、感覚に基づいて経験の程度を形容する言葉は空疎になる(本当は昔からずっと空疎だった)。形容するだけの言葉は絶対に経験のリアリティを再現できない。言語はそこで起きたことを正確に記述しようとしなければならない。「読む」「書く」(と、それによる思考であるところの文学)が生きのびる可能性の一つは、言語がいまよりもずっと解析的に使われることのはずだが、人はそれを望んでいるだろうか。
保坂和志

(2003.6.4)-3
『だから言語化の領域を広げようという意識のない "物語" という話法は滅びるべくして滅んでゆく。』というくだりについては、ぼくなどは最も低レベルな文の解釈のところで躓くのだが、つまり、「言語化の領域を広げようという意識のない」という性質を一般的に有する「"物語"」という存在はこれから「滅びるべくして滅んでゆく」と言っているのか、それとも、その意識を含んでいない物語は今後、まともな存在として認知されなくなる、ということを言っているのか、ということだが、どちらにしろ、そこに関しては疑問符がつく。彼のいう、「滅ぶ」というものがどのような状態を指すのかにもよるが、いずれにせよ、恐らく、"物語"は滅ばないだろう。このくだりがいうよりも話というものは、不自由な存在でも、完全な存在でもないからだ。
 まあ、そんなことは置いておいて、こんな感じで、個々の話はそんなにも難しくないので、隙間隙間の気分の変わり目あたりで読むにはとてもいいのである。まだ、彼の手に依る小説のほうは読んでいないのだけれど、おそらくまあ、いい意味でも悪い意味でも、あの、外的な衝撃を感覚させないタイプの、現代文学的な昂揚感を伴った作品だろうと思う。芥川賞をとっているので、恐らくそういうことだろうと思う。これはまた偏見なのだが。
 ところで、「まず言葉ありき」というのは、本当にもはや先へ通ずる希望の一寸の光すら失ってしまった旗印なのだろうか。現代の小説家は、ほんとうに誰もこれを奉じてはいないのだろうか。だとすれば、ヤクザな時代になったものである。せんねん、護りとおし、拠りどころにしてきた大黒柱を焼き捨ててしまったようなものだ。文学は、既に芸術であることを放棄したのだろうか。現代文学に悲壮感や焦燥感がなく、不安ばかりが大きいのは、そのせいなのではないだろうか。現代が不安の時代なのではなくて、不安なのは、書くことそのものだけなのではないだろうか。
(2003.6.4)-4
この頃は、夜明けがいように早くて、四時前から、とりがちゅんちゅんいって、夜明けの準備を始めるので、実にやり切れない。

(2003.6.5)-1
 昨日書いたのを機会にして、今日は保坂和志「この人の閾」を読んでみる。最後のところに「まず言葉ありき」についての彼の見解が実際に出てくる。

『「でも三沢君、ヨガの行者とか禅の高僧とか、ホントにすごいと思ってる?」
 真紀さんの言い方は本気らしくて、ぼくも本気で少し考えて、
「思ってない」
 と答えた。
「ほら。
 ヨガの行者がすごいんだったら、海の底にいるタコだってきっとすごいのよ。禅の高僧なんかは徳が高そうなポーズを身につけてるだけなんじゃないの?
 人っていうのは、自分たちのいる世界と全然違う世界観みたいなのを持ってる人のことは驚くようにできてるのよ」
 真紀さんの口調は少し攻撃的になっているみたいだった。
「----イルカが頭がいいかどうかっていうのも、何とも言えないんじゃないの。もしね、イルカが本当に自分たちの知能を人間の知能とまるっきり別の方向に伸ばしたんだとしたら、人間がつかうものさしを使って比べたり類推したりしててもわからないわよね」
 真紀さんの攻撃的な感じは消えていた。ぼくの思いすごしだったのかもしれない。
「ほら、ヨハネの福音書のはじめに『初めに言葉があった』っていうのがあるじゃない」
「うん」
「----『初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった』っていうの。
 それから何だっけ?
 細かいことは忘れちゃったけど----、すべてのものは言葉によって造られて、言葉に命があって、その命は人の光で、光は闇の中で輝いた。闇は光に打ち勝たなかった----っていう意味のことを言ってるでしょ?」
「うん」ぼくも真紀さんもキリスト教の信者ではないが、聖書の有名な箇所くらい知っていてもおかしくはない。
「----だから言葉が届かないところっていうのは"闇"なのよね。そういう"闇"っていうのは、そこに何があるんだとしても、もういい悪いじゃないのよね。何もないのと限りなく同じなのよね」
 ぼくは黙ってビールの残りを飲んで、真紀さんの言ったことがわかりにくかったからもう一度たどり直した。
 イルカの知能は人間のものさしでは計れないと、まず真紀さんは言った。言葉は光であるというヨハネの福音書の言い方を借りるなら、言葉の届かないところは"闇"だということになる。"闇"には言葉がない。言葉がない、つまり言語化されなければ人間にはそこに何があるかわからない。何があっても人間には理解できない。言葉が届かないということは、何もない状態と限りなく同じである----と、堂々めぐりのような論法だけれど意味としてはこういうことだろう。
 ぼくは、このとき真紀さんの言ったことは、真紀さんがその場で考えたことではないはずだと思った。こんなこと即席に考えられるはずがない。これはイルカについてのことではなくて、真紀さん自身のことなのだろうと思ったけれどぼくは黙っていた。』
保坂和志「この人の閾」抜粋

 昨日抜き出したコラムと別に違うことを言っているわけではないのだけれど、直接的に話があったので、抜き出してみた。
 「この人の閾」という話は、こんなような感じで、自分(三沢君)と、大学時代のサークル仲間の真紀さんが、三十代後半にさしかかった或る一日に真紀さんの自宅でビールを飲みながら、何やら淡々と問答をする、というだけの話で、そこで彼が何をしたかったのかというと、作者保坂和志を二分割して、三沢と真紀さんとして配し、「生活と思索」といったテーマについての回答の、具体的一例を挙げてみるといったような事がしたかったのだと思う。
 それから、会話による思索の交流の困難について、かな。「アウトブリード」の方の一節に、「ぼくらの日常会話は、驚異的なまでに、画一的だ」というようなことを言っている部分があるので、これも確かにあると思う。
 小説としては、技術的に目ぼしいものは、何も無い。慎重にそういったものを排するのが、彼の小説家としての態度のようである。これも「アウトブリード」に書いてある。
 毒にも薬にもならぬ作品、という形容は、恐らく作者を喜ばすのではないかと思われる。趣味としてのそれであれば、或いは薬として機能するかも知れないが、日常生活の部分としての思索というのは、毒にも薬にもならないものだ。何の価値もない。そして、それでいい。生活において、ものを食べることや、眠ることに理窟はほとんどいらないから、それ自体には価値はない。価値を見出してみるのは勝手だけれど。
 さて、さしあたってのぼくの興味は、「まず言葉ありき」についての、彼とぼくの立場の違いについてなのだが、とりあえず、この違いの由来ははっきりしている。彼には自殺の意思がなく、ぼくにはあるということが、それである。もとまで辿れば、そういうことだ。それがなければ、ぼくは書くことに対する自身の必要を認めない。そこに意味が無いのであれば、そんなことをしていないで、さっさと死ねばいいのである。意味がないことをし続けることの能うのは、人は(広義の意味での)自然に死ぬるものである、ということを前提としている人間である。多少の皮肉をこめて言い換えれば、死ぬまで何か暇つぶしをしなければならない人間だけだ。自殺願望というのは、現代にあっては別段珍しいものではないようだが、それでもやはり少数派である事には変りないだろうから、おそらくは彼の立場の方がより現代的、ということになるだろうか。ぼくは、この現代的、という言葉に随分拘る。それは、太宰がそれに拘っていたからだと思ってもらって構わない。
 それから、保坂和志の主要な戦い(そういうものが彼にあればの話だが、ぼくはあると思う)は、この「意味がない」に対するものだと言って、おそらく間違いないだろうと思う。といっても、これには別に具体的な根拠があるわけではない。
(2003.6.7)-1
いらいらする。えが、かきたいな。ぼくは、なんでもへたくそだ。
(2003.6.7)-2
「葉」に容れられるような一片がどこにも見つからないのだ。
(2003.6.7)-3
「盲人独笑」の最後で、葛原勾当が、はやく三十になりたい、とぽつりと言うけれども。ぼくはまともな文を二行続けて書いたことがない。一行ならば、あると、思いたい。生活よ、消えろ。生活よ、消えろ。消えても、まだいのちだけはまだ残っているような、そういう身体に、なってくれ。はやく、なってくれ。頼むから、なってくれ。
(2003.6.8)-1
太宰「葉」について
総断片数:36
  • 一行程度:22
  • 五から十行:12
  • 数頁:2
    総頁数:18
    テーマ:自殺 ポオズ 芸術 美... 自意識

    (2003.6.8)-2
     多摩川をのぼって、まえの部屋あたりまで行ってみる。まだ三ヶ月しか経っていないけれど、もうぼくのあとはなにも残っていなかった。ぼくがあそこで過ごした二年という時間の必然は、どこにも見いだされなかった。ぼくは、ぼくでなくてもいいものとして、あそこに住まい、ぼくでなくてもいいものとして、あの辺りをうろつき、何ひとつ影も残さずに、そこを離れた。つまり、も何もつかずに、ただ、それだけのことだった。それを、確認してきた。
     葉や花のところどころに枯れの茶色の目につく、白と赤紫のれんげ草が多摩川の河川敷には咲いていた。草はらを作る、名をかえりみられることのない雑草たちの背はおしなべて高く、そこをわけ入って歩く人びとのお腹のあたりにまでかかっている。今日は、陽射しは黒い綿シャツの生地を焼いてくるほどだけれど、風にはどこかひんやりとしたものがあって、真夏の厳しさといったものはまだない。多摩川に遊びに来ている人びとはみな、理由を持ちあわせていないような顔つきで、各々の目的の遊戯に耽っている。草野球、キャッチボール、サッカー、ソフトテニス、ゴルフ、ジョギング、ツーリング、フィッシング、ラジコン、バードウオッチング、散策、水遊び、午睡。上半身裸で水辺に寝ころがって、本を広げている姿もみる。それから、会話、会話、会話。そこで理由が必要なのは、ぼくだけのように思える。つまり、他の人びとがそれぞれのことをしているように、ぼくもまたその「それぞれのこと」をして、休日の多摩川河川敷のなかにいる。水門の建物の屋根のあたりに十数羽の土鳩の一群がいて、ポルッポルーと鳴いている。モンシロチョウがれんげ草のまわりを上下左右に蛇行して飛んで、三歳児の虫取り網を逃れる。雀の群れは随分とひと慣れしていて、一米まで近づかなければ、逃げだそうとはしない。「酒のむと暑いな」という話し声と酒のにおいとすれ違う。よく通る泣き声もある。投手のノーコンをやじる声や、乗りつける自動車の音。開け放たれたドアから漂ってくる車内の匂い。額に汗して歩いている、都会用の服装をした二人連れ。そんなところだ。いつもの河川敷の午後とはじめに書いたら、きっとひとことだった。今度から、そう書こう。「多摩川河川敷に集ってくる人びとの顔ぶれは、春先よりも気温が高いためか、総じて動きが緩慢なことを除けば、変わりなかった」
     その中を、自転車にまたがったぼくは、きちんとした服装をして高速で堤の上を走る自転車に追い抜かれながら、だらだらと走る。それっぽい自転車に乗って、歩く速度で走っているのは、ぼくくらいだ。尤も、もし他にいても、同じような速度で走っているれば、見つかりっこないのだけれど。
     一時間かすると、世田谷通りと交差する地点までやってきてしまったぼくは、せっかくだからと、三軒茶屋を廻って帰ることにした。通りに入ってみると、この時期の世田谷通りの記憶をぼくは持ちあわせていないことに気づいて、一昨年は、まだここを通るようなことをしていなかったし、去年の今頃は地べたをずるずる這っていたことを思いだした。おかげで、別になつかしくない。通りはまっ黄色の西日が照り付けていて、車の騒音ばかりが気になる。

    (2003.6.8)-3
    飽きた。馬鹿馬鹿しい。三ヶ月前までぼくの暮らしていた場所は、ぼくの痕跡は何ひとつないにも関わらず、相変わらずの息苦しさだったよ。路地に面した、見慣れた戸建てのブロック塀を見たときは、ここを歩いたあとに書いたものの、いくつかを思い出した。いつもの自販機で煙草を買って、さっそくその場で一本くわえた。東京の息苦しさ、この場所の息苦しさは、もうぼくから消えることはないのかも知れない。ぼくはあそこへ行くたびに思うわけだ。全く腐った二年間だった。あちらには何ひとつ残っていないにも関わらず、ぼくは思うわけだ。
    (2003.6.10)-1
    保坂和志「アウトブリード」面白い。難しくない。もの自体は、十年前のものだから、ぼくにとっては、極めて新しい部類の内容で、『芸術はこの章で、古典主義、ロマン主義、近代主義、の三つの段階あるいは三つの相に分けられる。』という記述があるあたり、明らかに太宰以後の文学のある種の形体の存在について言及がされている。
    『本質的な関係はもはや[古典主義のように]質料-形相(あるいは実体-属性)の関係ではない。かといって、[ロマン主義のように]形相の連続展開と質料の連続変化が関係づけられているわけでもない。ここ[近代]では、本質的な関係は素材-諸力の直接関係としてあらわれてくるのだ」([]は筆者の補足)』というような引用から、『「絵画で重要なのな、農民がかついでいるもの、たとえば聖具やじゃがいもの袋なのではなく、かついでいるものの正確な重量なのだ」』と続き、『近代以前までは科学と哲学と文学がほぼ同じ場にいた。科学と哲学がいまもなお記述可能な領域を広げる志向を持ちつづけているのに、文学だけがそこから撤退しているように見えるのは奇妙なことだ。絵画は空間の中に自分が存在していることを忘れないし、音楽は時間の中に自分が存在していることを忘れない。それでは文学は何を忘れるべきでなかったのだろうか。』となる。
     ちょっとはしょりすぎも甚だしい。この一節『「リトルネロ」について接ぎ木する』は十頁ほどのものなのだが、それでもまだあちこち思考の向きが飛び出した感じだというのにこれでは、ちょっと何のことだかわからないだろう。けれども、今日はちょっと眠いのである。細かい話は、とても今日中にすることは適わないので、まあよしとする。以下は、ただ、ぼくがこの『「リトルネロ」について接ぎ木する』を読んで、直後に思ったことの一部を書き留めておければいい。
    (2003.6.10)-2
     なにより、まず文学の可能性について。
     別に、「文学」まで行かなくても、ぼくとしては一向に構わないのだが、はじめにこれを確認しなければならない。いや、もしかしたら、これがぼくにとっての全てかも知れないが。文学が記述可能な領域を広げるということは、具体的にはどういうことを指すのだろうか。科学ならば定量化と数式化と可観測化の領域を拡大するということだろう。でも、哲学は、、、知らないな。それから、絵画は、音楽は。そういうことについての直接的な記述はすぐにみつからないのだが、具体例ならあって、
    『メシアンはある場所で鳴いている鳥の歌を何日もかけてすべて採譜するらしい。つまり、一種類の声を採譜しているときに他に鳴いていた種をすべて書きとどめ、翌日もそこに行って採譜するという作業を繰り返す。そうしてできたのが「クロノクロミー」という曲の「エポード」という部分で、これは十八の声部から成り、一曲に千から二千の既成の和音でない和音を必要としたのだという。(改行)これは生態系を一つまるまると記述しようとする作業に近いのではないだろうか。云々』
    というのがあげられているので、絵画については、先ほどの『「絵画で重要なのは...』というミレーの言葉がそれにあたるだろうし、哲学については、このタイトルにもなっている『リトルネロ』というのが、そのままそれにあたるだろうし、ハイデガーのコメントも載っている。では、文学は。文学。これか。
    『「[書物]は民衆を必要とすると断言するのはマラルメであり、文学は民衆にかかわることだというのはカフカである。そして民衆こそ最重要事項だ、しかし民衆は欠けていると述べるのはクレーなのである」』それから、『「物語作者」というエッセイの中でベンヤミンは、物語とは語り手を取り巻く輪に一人また一人と聞き手が入ってくるものであり、小説とは孤独のなかにある個人によって書かれ孤独のなかで読まれる、小説は本質的に書物に依存している』ということだろうか。
     民衆。
     「民衆」と言うときに注意しなければならないのは、何をおいても先ず、自身がその中にあるのかないのかという点だ。これを外すか外さないかで、民衆の意味は大きく違ってくる。これについての立場の表明なしには、民衆という言葉の定義なり範囲の設定なり、といった基礎的なものすら覚束ない。カフカはそれをどうしていたのか。マラルメは、クレーは、また、ベンヤミンは。とにかく、これは細心の注意を要する言葉だ。こんな機会でもなければ、触りたくない。
     けれども、この場合の文学の定義が『文学は民衆にかかわること』となっているのだから仕方がない。『民衆は欠けているものだ』というのは、民衆の定義自体が微妙なところなので、ほとんど何もいえないが、ひとつ具体的な例をあげることはできる。すなわち、ここに登場する人物たちの思想も記した書物も、また、このエッセイ自体も、それを必要とする人間はほとんどいない、ということだ。もしくは『文学は民衆にかかわること』という文学に対する認識を有しているものはほとんどいない、というのでもいいかもしれない。後者は当事者における方法論であり、認識論であることを出ないので、たいした問題ではないのかもしれないが、前者についてはほとんど致命的であるようにすら思える。
     この世界は、粒子性がどうのこうのというところの大分前のあたりで、もっと別のかたちの細分化がなされていて、ここに登場する人たちは、そういうことにはほとんど言及しない。おそらく、第一義的でないからなのだろうが、この世界、という前に、ぼくらには、この社会、というのが立ちはだかっているし、更には、この組織、この家庭、この二人、この行為、というのに至るまで何十にも第一義的でない何ものかが実際には存在していて、ぼくらが直接的に、第一義的なる世界に触れることというのは、まあ絶無と言っていい。ここに出てくる彼らは、(少なくとも、ここで取り扱えるような話をしている範囲においては)総論を述べる人であるが、世界(ここでは『宇宙』と言っているか)の原理は、計測器で測らないと見ることができない。何かものを掴む、という些細な行為ですら、こういったものの上に乗っかっていて、例えば、科学ならば、ものを掴んだ際の触覚に焦点を集めることによって、そういったものを意識的に排除することが可能かも知れないが、文学においては、そういうわけには決していかない。
     世界を記述すること、民衆のこと、民衆が本質的に欠けるものであること、それらと、文学の可能性、役割、それから、文学の「実際にしていること」というのは、きちんとリンクしなければならないはずだ。少なくとも、保坂和志や、ここに登場する人物たちにとっては、そうでなければ、彼は何ひとつ書いたことにはならないだろう。『問いがすべて答えを必要とするとは限らないと言ったのはゴダールだ。』という文で『「リトルネロ」について接ぎ木する』は終えられているが、残念なことに、事はそんな妥協を許容してはくれないことは、筆者がいちばんよく知っているはずだ。何かを書くということは、この問題に対しての立場を表明する事と常にイコールである。はぐらかすことは、いずれ不可能になる。もし、書くことに対して真摯であるならば。それから、そのはぐらかすということ、それ自体が回答であるならば、筆者の小説は一生、意味の無い、を出ることはないだろう。おそらく、意味の無いことを記述する意味、すら得ることはかなわない。ちなみにこれは、解析でも分析でも批評でもない。決意である。
     でも、ぼくが知りたいのは、そういう総論の話ではなくて、次の半歩なり、四分の一歩なりを進めるために、すぐに実行可能な、ぼく自身の現状に接している、手段なり道具なり方法論なりが知りたいのである。だから、さしあたっては、これについての答えが得られるといい。少し前に、確かぼくは「恐怖を直接に表現する」ということについて、何やらわけのわからないことを書いたとおもうけれども、あれはつまり、文学の記述可能な領域を広げること、にあたるのかどうか。例えば、不快を直接に表現したものとしての川端康成の作品だとか、そういう見方はあたるのかどうか。自身の知っている不快に感ずるいかなるものも結びつかない、想起されないけれども、やはり不快だという、そういうものが、つまり、言語化可能な領域を広げたことになるのだろうか。そうであるならば、ぼくには、こういった大仰な総論はいらない。各論の文学についての章と、具体例のリポートリストがあれば足る。どうせ、一字いちじ、書かなければ先へは進まないのである。その点では、小林秀雄の境地というのは、全く正しいのだとぼくは思っている。批評を文学とするには、それから芸術とするのに、あの形態は、あれは大道のど真ん中であると思う。
     民衆に関わる、というのは、感情の昂ぶりという状態とどのように関係するものなのだろうか。まさか、パッションこそが、ということではないはずだから、それをもっとも直接的なものとしてあげながらも、実際の取り扱い、実践にあたっては、慎重にこれを避けなければならない、というようなことなのだろうか。それとも、全く別の。よくわからない。民衆、というのは、とても難しい。たとえば、米大統領が9.11の直後にクルセイドという言葉を使ったことのように、いや、なんでもない。ぼくには、よく、わからない。
    (2003.6.11)
     昨日の中ほど、「〜前者についてはほとんど致命的であるようにすら思える」とぼくが書いた部分に対する回答というのが、「アウトブリード」のうしろの方にあった。
    「生と死についての問題へのアプローチについて」というのがそれで、ここでは、それは決して致命的ではないのだ、ということが言われる。「身のまわりのことを素人の道具で実験的に確かめられる範囲のことは、ほとんど縄文時代までに実証されて実用化されている。電子レンジという機械を日用品を組み合わせて作ることはできないし、水の分子密度を測る機械だって日用品から作ることはできない。日用品を組み合わせてできる範囲の工夫なら、人類のかなり早い時期に現代と同じレベルに達していたというのが僕の推測で、」といい、その日用品でないものというのが即ち科学であり、「科学という思考は、日常の感覚・知覚から一度バッサリ切れている。料理の手際のよさや揚げ物の腕前に科学的な説明を持ち込むことは可能だが、本人は科学的思考を使っているわけではない。その人たちが使っているのは、科学ではなくて「生活の知恵」だ。料理の腕前から科学的思考は生れない。(改行)身のまわりのことに科学をあてはめていく発想はナマぬるい民主々義のようなもので発想で、科学はそういうものではない。あれはやはり冷血な王や掟のようなものだ。カフカの『城』の住人たちのように、あれは知らなければ知らないでやっていくことができる。知るためには、「身のまわり」「等身大」「生の感覚」等から思考をいったん切断しなければならない。測量士のKは城の領地に入っても最後まで城の外にいた頃の考え方を捨てられなかった。だからKは掟がわからなかった。」ということになる。つまり、ぼくの危惧する、致命的であるものこそが、重要なのだということらしい。
     見るということは、行うということと対立する行為だろうか。見ることを良くすることは、行為を良く行うことになるのだろうか。保坂和志ははっきりと「ぼくは各論には興味がない」と言い切ってしまうけれども、それによって落ちるものは、確かに彼の言うように、ぼくの言うところの致命的、ではないのだろうか。人間の一般的な習性として、体得、体解というものがあるが、これをある文脈に於いていらないとすることは、致命的ではないのだろうか。考えてみなければわからない、というのは、やってみなければわからない、というものの一つとして許容されうるのだろうか。
     ぼくには、音楽や絵が、そういうような離陸したものだとは、どうしても思えないのである。離陸してしまった音楽や絵画が、役に立つものだとはどうしても思えないのである。たとえば、ぼくが前にかいていたえというのは、その当時のぼくの理由づけをそのまま信用すれば、「美しい曲線というもの、ただそれだけをかきたい」と思ってやっていたことだった(ぼくにとってえをかくということは、すなわちシャーペンで線を一本一本ひっぱってゆくということだった)けれど、結局それはぼく自身にすら理解されず、集合になってあるモチーフをトレースするというようなことをやりはじめ、ついに投げ捨てられてしまった。離陸してしまったものを理解する能力が、ぼくにはないのだ。ぼくと保坂和志との違いのひとつがここにあるように思う。つまり、ぼくには才能なり、適性というものがないということになるのかもしれない。
     でも、ぼくは彼の作品のような、ただ見ているだけのものは、断じて書きたくないのだ。集団や社会の構成員として、あるいは時間も含めた宇宙の一部としての自己という視点からみれば、そういうものは「あってもいい」と言えるものかもしれないが、有限である自己のBETする対象としてそれを選択するときに落ちてしまうもの、それは例えば、世間並みの喜怒哀楽とか、幸福とか、願望とか、使命とか、達成とか、そういった、(工業的見地を指す用語としてあるレベルにおいて)低レベルな人間の性質に根ざしたものなんかがそうだが、ぼくはそれを捨てることがどうしてもできない。ぼくはまだそういったものを一度たりとも得たことがないのだ(という意識が、ぼくにはある)。だから、その先である、それを捨て去って、という領域へぼくは行くことができない。ぼくはまだ人間ですらない。
     なんだ、結局、そういうことか。そういうことか。
    (2003.6.13)-1
    二十代と四十代とでは、「感覚」が違っているのも不思議なことではないだろう。現在のぼくにあっては、やはり、「廻転する日常」は牢獄的なものだ。
    (2003.6.13)-1
    保坂和志はHPを持っている。「アウトブリード」所載の随想のうちの、何割かはそこで読むことができそうである。
    k-hosaka.com

    (2003.6.14)-1
     やっと休みになった。今週は、保坂和志を読んでいろいろと細かいことが嬉しく、ぐだぐだと書き連ねたかったのだけれど、勤めの方が何だかよくわからない類の忙しさで、まいにち変に疲れて、帰りついておそい夕食を済ませると、風呂にも入らず眠ってしまい、翌朝シャワーを浴びてから仕事に行くというようなことが二度ほどあったような、なかったような、まあ、よくは憶えておらん。どうでもよすぎるから、記憶がない。今もまだ、少し眠り足りないような気分で、眼がしぱしぱするのだけれど、意識ははっきりとしていて、思うのだけれど、今日は、暑いねえ。
     部屋の窓の正面すぐ近く、ゴルフの練習場の向うには小学校があって、その隣は中学校で、昼間は騒がしい。最近は、土曜日は学校があるのかないのか、知らないけれど、もし今日あるのなら、三時間、プールに漬かって、それで帰宅、というのはいいような気がする。
     さて、雑談はこのくらいにして、ぼつぼつ始めましょう。保坂和志「アウトブリード」についてと、そのあとに読み始めた、山本夏彦「完本 文語文」、こちらはまだ六十頁ほどしか読んでいないのだけれど、その対比、あるいは対立がじつに見事で、おもしろいので、そのあたりについて、またなんの脈絡もなく書き連ねてゆこうと思う。文学というのはどういうことかということと、芸術というのはどういうことかということと、それから、美しさというものとそれらとの関わりについて。もちろん、何ひとつまとまる筈もないのだけれど、まあいいや。おもしろいと思うのだから、やろう。
     以下、順不同。脈絡不在。非明根拠。嗚呼喜書所為。(もちろん、正しい言葉でない)
    (2003.6.14)-2
     さて、とりあえず、意識の方向づけをしてしまおう。
     保坂和志と山本夏彦とは、ともに文筆家である。文筆家という呼称は、保坂和志の方はあるいは拒否反応を示すやもしれぬが、まあ、外からみれば、そいういうことになるのは本人にも異論はなかろう。山本夏彦の方はまだ読み終えていないので、ぼくにはまだ実際にすり合わせることはできないのだけれど、文学というものに対する二人の立場や指向の開きは、ほとんど彼岸、百八十度にかなり近い角度であると言える。究極的なところでは、即ち一個の人間の有する最善の力の結晶としての文学作品が放つ光に似た何かを見せられたような場合では、ふたりの見解はほとんど一致するようにも思えるが、その結晶を見いだす箇所というのが、ふたりのあいだで大きく異なる。保坂和志は、記述する可能性を広げていく指向を文学は失ってしまったというが、山本夏彦は、文章の内にはなに、何もないのだ、それはただの文章でしかない、何かがあるような気がするだけだ、という。ぼくはどちらを読んでも、同じような気持になり、にやにや笑う。そして、山本夏彦が明治時代の主義者にして文章家であった中江兆民の言葉を借りて『漢文の簡潔にして気力ある、その妙世界に冠絶す、泰西の文は丁寧反覆毫髪を遺さざらんとす。故に漢文に熟する者よりこれを見る。往々冗漫に失して厭気を生じやすし。ルソーの「エミール」の妙を以てするも、なお予をしてこれを訳せしめば、その紙数三分の二に減ずるを得ん』というところを、保坂和志は完全に否定、ないし捨て去るところから、出発している。保坂和志の書くものは冗漫どころではない。それを切ってしまったら、無になってしまう。
     ふたりにとっての文学とは、そのようにしてお互いに他方をを容れることのできないようなものなのだが、その違いはどこから生れてくるのかというと、山本夏彦の方に移って気づいたのだが、美しさというものに対する文学の姿勢に関わりがあるのではないかと思った。それから、美しい、そのものについての立場の違いもあるように思える。つまり、文章は美しくなければならないか、美しさが全てであるか、それから、美しいとはどういうことか、そういうものに対する、両者の立場や見解の相違がまずあるように思えた。そして、それは保坂和志の繰り返していうように、「人間の感覚」というものに満足するかしないかの差であるのかもしれない、とも思う。
     今日はこれから、そういうようなことを思いながら、保坂和志「アウトブリード」の方からより多く引っぱってきて(「完本 文語文」の方はまだ六十頁だ)、それに山本夏彦の立場を対立させて、面白がろうとおもう。現在のぼく自身は、そのどちらへも行くことができない。それはぼくがまだそのような領域に達していないからでもあるし、太宰を指向しているからでもある。太宰は、そういった学問的な匂いのあるものを好まなかったし、保坂和志が既成の文学を批判するときには、おそらく太宰のことなどは眼にも入っていないだろうと思う。現在のぼくとしては、ただ、保坂和志には人間の最もよい部分を書くことはできないだろうと思うだけである。なぜなら、保坂和志は人間そのものに賭けていない。山本夏彦は、知らない。まだ、作品を読んでいない。
    (2003.6.14)-3
     キーワードがいくつか在って、ぼくはそれを少しずつ整理してゆかなければならない。ぼくは理由が必要な人間で、それがなければ一歩も動くことができない。それが在っても動き出せないことも往々にしてある。とにかく、理由がなければ、ぼくは動かない。いまはそう決めてしまっている。原理のようなものだ。
     キーワードはいくつか在る。言葉、文学、小説、文章、書くこと。みなお互いに比較的近くにあるものばかりだ。けれどもげんに、別々の語がふられていて、それぞれ、少しずつ意味あいが違う。まずはそれを整理して、ぼくにあっての、それぞれの意味と価値を決定しなければならない。範囲と、中心点と、価値の上下と、ぼくとの関係だ。細部にまで完全な定義をする必要はないけれど、具体的な問いが立てられた場合には、常に答えられるようにならなければならない。これがぼくの起点になるようにしなければならない。それが、ぼくの全ての行動の理由の源泉となることを期したい。

    (2003.6.15)-1
     結局、二日がかりになってしまった。昨日は「アウトブリード」から、気になった断片を抜き出して、それぞれにある程度の関連があるようには見えたので、適当な配列を見つけだそうとするというようなことをやってみたのだが、足りないところがあったり、枝がふたつに分れてしまっていたりなどして、一本にすることができなかった。
     だから今日は、とりあえず、抜き出した断片のうちで、いちばん多くの枝を持っているものを置いてみて、それに他のものをつなげてみることにしよう。
     以下が、それ。

    (2003.6.15)-2
    「ところで、『ドビュッシー音楽論集』という飜訳が岩波文庫から最近出ました。原題は、Monsieur Croche, Antidilettante という薄い本です。
    「音楽は、散り散りにある諸力をあつめた一全体です」とか、
    「作品を通して、それらを生みださせたさまざまな衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとする」とか、
    「音楽は、フォルムの無尽蔵な宝庫であり、想像力の支配がおよぶぎりぎりまで楽想を練り上げることを許す記憶----あり得る限りの記憶の、汲みつくせない泉である」
     というような、画家や音楽家が芸術について語る言葉が、僕は特別に好きですが、最近ではそれにも増して、
    「夜の神秘な詩情や、月の光の愛撫をうけた木の葉がいずれからともなく立てるあの千々のささやきのなかに、生きている証しをそっとうかがわせる現とも見えぬ風景、疑えはしないが、幻影のような世界は、音楽だけが意のままに喚起する力をもっている」とか、
    「海のざわめき、天と地とをへだてる曲線。草むらをゆく風。鳥の鳴き声。こういったすべてが我々のうちにさまざまな印象をしずみこませる。そして、突然、こちらの意向とはおおよそなんの関わりもなしに、それらの記憶のひとつが我々の外にひろがり、音楽言語で自分を表現する」
     というような文章が好きです。この二つの文は、どちらも音楽にいきつくんだけど、僕はこういう調子でもっともっと自然そのものについて書いてほしいと思うのです。文章としては、かなり美文調のような気もしないでもないけれど、それでも僕はじゅうぶんに、僕の持っている自然に関する記憶やイメージを部分的にであれ、再現していると思うのです。
     あるいはこういうことなのかもしれない。音楽や絵画のような芸術と自然は、等しく言葉によって再現することはできない。それらはそれぞれの仕方(原理)で、ある細部が別の細部とつながり、同時に細部からだけでは説明できない全体としての運動を持つ。もちろんそれらは受け手にとって、比喩的な機能を持つからいいと感じられるのではなくて、自律している。----そういう事態が、受け手の側に引きつけるのではなく表現されたと感じられるときに僕はものすごく喜ぶ、ということなのかもしれません。
     しかしどうも、「言葉によって表現されなければならない」という条件があるようです。また、そうであるからにはそれは、荒々しいものではなく、ある種繊細なものでもなければいけないようです。」
    保坂和志「十九九六年二月付」より抜粋

    (2003.6.15)-3
     このなかで、昨日今日と考えていることに関連するのは、ふたつみっつあって、ひとつめは、彼が、「美文調」と評するふたつの文であり、そして、そのふたつから彼の受けるものだ。
     もうひとつは、もう少し範囲が広くなって、この小さな断片から類推される、保坂和志にとっての小説ということで、これについてはひとつめから派生するようにしなければ、多分うまくいかないだろう。
     だから、まず、ひとつめを取り扱ってみることにする。
     あと、追加として、「言葉によって表現されなければならない」というところに関して、山本夏彦が言っている「漢詩は朗吟されるものだ」というものと、それから、現在のスタンダードな音楽、ロック&ポップスとの関係について、というのがある
     これはどういう話かというと、山本夏彦は漢詩は死んだと言ったけれど、ならば、死後、その役割を引き継いだのは何だったのか、ということへの回答としての、歌謡曲、ロック&ポップスの存在と、今そういうことをやっている、ぼくの好きな数人の人、Chara とか、小谷氏とか、新居昭乃氏とか、Cocco とか、ジョアンジルベルトとか、Owen とか、そういう人たちの持つ言葉、詩というものについて、というものだ。
     それと関連して、「音楽や絵画のような芸術と自然は、等しく言葉によって再現することはできない」という、相互非可換性の存在があるために、音楽のための詩とそうでない詩とはどのように違っているのか、というのもある。でも、たぶん、今日はここまではいかない。

    (2003.6.15)-4
     ひとつめの話題をもう少し詳しく言いなおしてみる。ここでぼくが扱いたいのは、保坂和志が「美文調」と評するふたつの文が、彼に働きかける何か、ぼくはそれをいつも「力」と言ってしまっているので、「力」にしよう、彼に働きかける力を有している根拠である。引用を増やして更に言い換えるならば、彼に「僕の持っている自然に関する記憶やイメージを部分的にであれ、再現していると思」わせるものは何なのかということだ。それが、自然を「正確」に写しているからなのか、それとも、二つの文が美しいためなのか、それを知りたいと思う。そして、あわよくば、それが彼の否定を込めていうところの「個人の感覚」とどのような関係があるのかを知りたい。
     ひとつ、例をあげてみる。山本夏彦が尊敬して止まない萩原朔太郎の詩を「完本 文語文」から抜き出して載せる。この詩は文句なく、美しい文のみからなっている。そしてまた、これはあくまで個人の感覚の描写であることのも確定しており、その点において、ドビュッシーのものとは本質的に異なる。

    (桜)

     桜のしたに人あまたつどひ居ぬ
     なにをして遊ぶならむ。
     われも桜の木の下に立ちてみたれども
     わが心はつめたくして
     花びらの散りて落つるにも涙こぼるるのみ。
     いとほしや
     いま春の日のまひるどき
     あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。
    萩原朔太郎

    (2003.6.15)-5
     ここで、萩原朔太郎とドビュッシーの差異が、日本的発想と西洋的発想のためであると言ってしまうのは、意味がない。現在の日本には、そのどちらも存在していて、そのふたつが残念なことに互いに排他的である以上(この前提への異論は今は扱わない)、ぼくはそのどちらを支持するのかを、最終的には選択しなければならないのだ。けれども、その選択をするにはまだ早い。もう少し、それぞれの中身を知らなければならない。
     萩原朔太郎の詩は、保坂和志に何かを喚起することがあるだろうか。ドビュッシーの随想から享けたものや、他の何かを(あるとすれば、それは主に、萩原朔太郎への一種の情だと思うが)。こう言ってしまっては身も蓋もないのだが、最終的にはそれに尽きる。喚起することがあるのならば、ぼくは保坂和志の理屈を採用する必要はほとんどなくなる。保坂和志は、これでは不十分だ、と言うところからはじめているからだ。ぼくは今までどおり、太宰を奉じて、個人の感覚と、その延長としてのぼく自身の義を言いあらわすことだけを祈念すればいい。少なくとも、この話題についてはクリアされる。
     そうでないのなら、少しややこしい。きのう意識の方向づけした問いが顕れてくる。文と美しさとの関係である。そして、キーとなる分岐は、「受け手の側に引きつけるのではなく表現されたと感じられるとき」のためには、「美しさ」は必要なのか、ということだ。
     萩原朔太郎の詩は、引きつけるのだろうか、表現しているのだろうか。それから、正確に伝える、ということは、どういうことなのだろうか。そして、「人間失格」を読んで、あの何かとてもいやなものを感じるとき、「人間失格」という小説はそのどちらをしているのだろう。「駈込み訴え」のそれは。共感というのは、どういうことなのだろう。同情というのは。
    (2003.6.15)-6
     ひとつめについては、このくらいで十分なようにも思われる。これ以上は、文字の操作で得るものではないと思う。それは、ある程度の時間がかかるもので、今日の数時間のうちに決するものではない。必要なものは、ぼくのための感覚と、それを奉じる覚悟だ。ぼくにはそれが必要なんだ。
     以下は、「アウトブリード」にあった最もよい言葉で、それはゴッホが弟テオに宛てた手紙の中にある言葉のなのだけれど、

    (2003.6.14)-7
    「きみは何がこの牢獄を消滅させるか知っているか。それはすべての、深い、真面目な愛情なのだ。友人があること、兄弟があること、愛していること、これらのものこそその至上の力と、非常に強力な魔力で牢獄を開くのだ。だが、それらがない者は死のなかに取り残されるのだ。しかし、共感が再生するところ、必ず生命もよみがえる」
    ヴァン・ゴッホ

    (2003.6.15)-8
     保坂和志は、うしろの方の「共感が再生するところ、必ず生命もよみがえる」という方に注目しながら、これを取り上げたのだけれど、ぼくはそうではない。ぼくにとって重要なのは、この言葉は保坂和志には言えない、ということだ。それは、彼自身がきちんとそうだと言っている。

    (2003.6.15)-9
    「たまに「文学は身を削って書くものだ」というような言い方をする人がいるけれど、ぼくの場合、長い小説を書くことは健康にいい。百枚くらいだとある期間を事前に想定して、そのあいだを息を詰めると仕上がる感じだけれど、長くなると息を詰めてはいられない。むしろ逆に呼吸を整えて、一日三枚から五枚、それ以上書けるときでも翌日にまわし、心と体が同じテンポを持続させることを心掛ける。
     去年の四月から八月にかけて『残響』という百五十枚の小説を書いたが、あのときは息を詰めすぎてまわりの空間が少し歪んでしまったような気がしたし、体の調子も具体的にけっこう悪くなった。冬にうちの一番若い猫がウィルス性の白血病を発病して死んだのだが、『残響』を書いたときの空間の歪みが影響したと、ぼくはどこかで本気で考えている。
     こんなことを考えるのもまた、小説を書くことを「たいそうなこと」と考えていることのバリエーションの一つだとは思うけれど、とにかく、ぼくは小説を書くのに、息を詰めるようなことはもうしない。ぼくは小説を書くのに、何か他のことを犠牲にしてもいいとか、犠牲にせざるをえない、などということは考えない。
     こういうぼくの小説観や文学観を「なまぬるい」と思う人もたくさんいるだろうけれど、他のことを犠牲にしてもいいとか犠牲にせざるをえないとか、そんな理屈は都合がよすぎる。というか、頭を使っていない。『残響』は小説としての達成にはとても満足しているが、書いた態度としてはものすごく後悔している。オリンピックや世界陸上の短距離選手のピーク年齢が、ここ数年で飛躍的に伸びているが、あれはスポーツ生理学とメンタルトレーニングの成果で、「息を詰める」とか「身を削る」とか「何かを犠牲にする」とかしないから、ピークの年齢が伸びた。ぼくは、書くときの自分の「生理」と「心裡」をもっとよく知りたい。」
    保坂和志「『季節の記憶』の記憶とそれ以降」より抜粋

    (2003.6.15)-10
     ぼくは、彼の予想しているとおりの思いを持っていて、「文学は身を削って書くものだ」と思っているし、「なまぬるい」とも思う。そして、それは理屈ではないとも思っている。それは理屈ではなくて、実際なのだ。それ以外にやりようはない。だから、空間を歪ませてやるのは、ぼくにあってはまったく正しい、と思っている。
     ゴッホの絵は彼の早世と無関係なものではない。ゴッホはゴッホであったが故にゴッホの絵を描いたのだ。それは理屈でもなんでもない。実際に耳を削がなければ、「耳のない自画像」は描けない。狂気がなければ、あのようなタッチの絵にはならない。そうでなければ、彼の描いたようにものが「見える」ことはないのだ。絵を描くことや小説を書くことは、スポーツよりもだいぶその人自身にへばりついている。そのように生活していなければ、そのようにはできあがらない。
     つけ加えなければならないことがある。それは、ゴッホもまた、保坂和志の書くようなものは書けないのである。保坂和志もまた、彼の書くものを彼が書くがために、このようなことを言うのである。「そんな理屈は都合がよすぎる」というのは、「なまぬるい」というのと、ほとんど変りない。彼の書くものは、確かに「身を削って」は書けない。これも実際の話だ。
     何度も、こういうことを言うぼくはまるで馬鹿だが、仕方がない。言い続けなれば、忘れてしまう。止めてしまう。文学に何ができるか、文学で何をするのか、そういう問いに、ぼくはどうにか応えようとする。また実際にやってみせようとする。それには、まずそこに「賭け」なければならない。すべてのよい仕事は、そこに「賭けた」ときにはじまる。「賭ける」ということの形態は、仕事によって異なる。保坂和志もゴッホも共に自身の仕事に「賭けて」いるが、その形はふたりのあいだでは非常に異なる。全く正反対のことを言っていても、それぞれ自身の為すべき仕事に賭けているという一点に於いては共通する。ぼくはそこに理屈をつけようとは思わない。人間はそういうふうにできている。それ以上は、役に立たない。聖域だと思う。
    (2003.6.15)-11
     さて、ふたつめの問いに移ろう。ひとつめの問いがきちんと片づかなかったので、覚束ないが、彼にとっての小説というものについて、ぼくなりの解釈を、きれはしを並べながら少しずつ書いてみることにする。
     保坂和志は、文学なり、小説なりを、自然科学的学問の一系統とみなすことから出発しており、彼の文学についてのコメントはあくまでその範疇に文学が留まることを目的とし、その内で方向性を模索しているものだということ、端的にいえば、文学は座興に非ず、ということをまず確認して、ぼくもそれにできるだけついていってみようと思う。つまり、とりあえず、山本夏彦のいう「なに、何でもないのだ」というのは、却下して、ただ保坂和志のことをみてみるということだ。それは、
    (2003.6.4)あたりからしている話の延長なので、そんなに難しくない。あれを更に補うという感じである。
     まず、いくつか言葉を追加して並べてみる。
    (2003.6.15)-12
    「小説というのは一般論として摘出できない<小説性>によってしか小説にならない」「この世間の構造を指して日本という国の政治構造を語るのはあまり小説の役目ではない。小説はこういう世界(世間)のあることをリアルに語るディスクールを持っていれば、それでいい。----というか、それは小説でなければできないことだ。」
    (2003.6.15)-13
    「ぼくはマジメな顔をしてマジメな口調でマジメな話をする人が嫌いだ。それをマジメな顔で聞く人も嫌いだ。マジメなものは人を一方向に強制するだけだからだ。ぼくはマジメなものを信じない。マジメであることは思想と無縁のことで、マジメであることに思想がいらないのは働くことに思想がいらないのと同じことだ。(中略)ただマジメな顔で「死」の知らせを聞く人は「死」というものの持つ権威だけを聞いているんじゃないだろうか。----『草の上の朝食』という小説はいつもこんなことばっかり口走っている人間が書いた。(中略)猫と半日遊ぶことができるのは、人間としての成熟だと思う。ぼくはそういう人を読者として考えながら書いた。」

    (2003.6.15)-14
    「人間はという動物は生物学的に定義することに意味がない動物だ。人間は生物学的要素の統合でできているのではなくて、言語でできている。人間は言語を持っているのではなくて、言語に掴み取られている。人間は徹頭徹尾、言語によって人間となっている(きっとラカンもそう言っている。)」「あたり前のことだけれど、言語は世界にある何とも似ていない。世界のどこに生えている木も「木(ki)」とは似ても似つかない。が、それが人間の持ってしまった思考の道具であり、つまりは思考の特性で」云々
    (2003.6.15)-15
    「思考の操作の副産物としてリアルに、過去が現在にあり、死んでいなくなるということがなく、離れた者同士が理解する」

    (2003.6.15)-17
    「軽率にしゃべると大きな誤解を生むので、ここでは、その小説を読むと、「生が有限だという了解が、まったくの浅知恵だった」と実感できる、とだけ言っておくことにする。これだけでじゅうぶんに軽率だが。
     ただし断っておくが、ここでぼくは、「有限」の反対が「無限」だとは言っていない。「生」の定義がいまこれを読んでいる人が思い浮かべたものと同じだという保証もない。しかしもちろんぼくは禅問答のような小説を書くつもりはない。「生」も「有限」も「世界」も「死」も「存在すること」も、その小説の中ですべてきちんと定義する、つもりだ。」

    (2003.6.15)-18
    雑談。「プロヴァンス物語 マルセルのお城」という少し間抜けな邦題の附いた映画をみる。フランス映画だ。
     映画は、小学校の教師をしている父と、病弱な美しい母親と、弟ひとり、妹ひとりという革命後のフランス中流家庭に生れたマルセルという十一歳くらいの少年が主人公の話だ。マルセルの一家は、休日をマルセイユ郊外の、何とかという丘の別荘で過ごす。別荘には、マルセルと同い年の羊飼いの息子の友人があり、また、タイムを摘みに出かけたおりに、アル中の貴族詩人のひとり娘とも知合う。けれども、彼らはそのために、毎週九キロの道のりを片道二時間四十五分かけて、歩いて往復しなければならなかった(それほど別荘で過ごす休日はよいのだ)。しかしあるとき、父の教え子で現在は運河の管理事務所に勤めている男に連れられて、運河沿いの貴族の館の敷地を通り抜けると、別荘近くの通りには何と二十四分でついてしまう。それから、一家はその教え子から運河の鍵の予備を借り受け、貴族の館を通り抜けて往復するようになる。法律的には立派な不法侵入にあたるので、はじめは隠れて通っていたのだが、そのうち一件の館の主人に見つかる。主人は顔にドイツ槍騎兵に受けた疵をもつ立派な老紳士で、彼らをとがめず、「今後は、運河沿いではなく、庭を通り抜けるといい。そのほうが近い」と言って、母親の手の甲に接吻し、以後は、そこでティータイムの歓待を受けてから、別荘へ向うようになる。また、他の館の小作人にも見つかるが、こちらも、監視の都合上怒鳴るのだが、怒鳴る前にその旨を小声で一家に告げ、事実上黙認してくれる。そうして、マルセルの一家は、幸福な休日を過ごし、マルセルは奨学生の試験をパスする。
     まあ、そんな話だ。特に何が起きるという話でもない。ラスト近くで、マルセルは奨学生の試験も終えて、夏休みを過ごすため、館を通り抜けていると、一行は遂に一件の館の性格の捻くれた番人に発見されるところとなり、不法侵入罪で告訴される運び、そうなれば小学校教師である父は失職の憂目、楽しい夏休みのはじまりが一転、前途に暗澹たるものが立ちこめ波乱の気配、その深夜、別荘の食卓、蝋燭の明かりのなか、夫は妻に内緒で鉄道の債権を七百八十フラン購入していたことを妻に告げ、妻はへそくりが二百十フランあることを告げ、なにやらおもむろにひしと抱きあい、それを二階の廊下から眺めたマルセルは自身の貯金が七フラン、弟の貯金が四フランあり、合計千一フランあると安心して眠りにつく、というような場面があるが、けれども結局、水道局の教え子の機転で嫌われ者の番人をやりこめ、無事、告訴には至らず、一家は楽しい夏休みを過ごす。何も起きない。
     別荘や運河、屋敷なんかの画も、光線のぐあいがとてもよかった。母親は美しく、ほとんど完璧な女性で、父親も一見堅苦しい男だが、不法侵入をするくらいに適当で子供に理解があり、ふたりは愛しあっている。つまり、理想映画なんだ。こういう映画はお好きですか。ぼくは、とても好きだ。スペクタクルでない理想を描くのは、実際にはとても難しいことだと思う。
    (2003.6.16)-1
    けっきょく、また半端になってしまった。あんなきれはしの寄せ集めのようなものを書くだけでも、土日の二日では足りないものらしい。。。まあ、もう、いいだろう。保坂和志の小説論だけでは、ぼくには不十分だし、文語文を書くための基本的素養もぼくにはない。それは英語で書くことができないのとまったく同じことだ。太宰が、作家は作品を書くべきである、とくり返したことをそろそろ思い出さねばならん。論というものは、空虚なものだ。書いた本人のためにあるだけの、学生のノートとどこも違いのないものだ。
    (2003.6.16)-2
    ということで、まず、このだらだらと長ったらしいばかりの口調をどうにかしなければ。小川未明でも読むとしようか。


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