tell a graphic lie
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(2003.8.16)-1
久しぶりにダレている。直接の原因は、八月のあたまから百二十時間程度かけて、ようやく仕事の極く初期の段階である、パスがはじめから終わりまで一応通るようにする作業が終ったためで、間接的には、この極めて単調な生活(二週間で百二十時間作業をするということは、ふつうはそうならざるを得ないものがあると思う。日中(というよりも午後の十二時間全部というのがわかりいい)はデバッガと延々と問答し、残りの半分は食事と睡眠と通勤と読書とここをわずかばかり書くことにあてられる)がもたらす無感覚のためだと思われる。
(2003.8.16)-2
ここ数ヶ月、街の様子や季節の状態、ひとの暮らしなどを描写できるほどに観察する意識の余力がほとんどない。ほとんど完全にぼくはぼくのうちに於いて完結している。意識がぼくのうちで閉じている。以前のように、街のひとの表情や服装、生活のレベル、満足感、焦燥感、維持されるべき水準、それから街並の様子、路面の溝、植え込みの葉いちまい一枚の状態、繁盛している店舗の店がまえ、またそうでない店舗のそれ、駐車場を構成する自動車の種別の分布、路傍にかろうじて生息する強くて健気な草花、電柱の個性、そういった事物や全体のトーン、それらの数学用語としての独立を想うこと、それらに関連した人のありよう等、そういったものをひとつひとつ見てまわろうとすることができないでいる。もっとも、おかげで電車とホームとの隙間にぼくの肉片がはさまっている様子を夢想せずにすんでいるし、いわゆる仕合せな人間たちの表情にある或る重大な欠陥を見出すこともないし、街中でとつぜん自分の心臓の音が聞えてくることもないし、自身が無闇に恵まれているという具体的な例証を得ることもない。ようするに、それはそんなにわるくない。その代わりに、街の人びとそれぞれを生命のあるものとしても扱っていない。だからたとえば、ぼくはあなたと喋っているとき、あなたがほんとうにいま生きているといえる状態であっても、またそうでないのだとしても、別にどちらでもかまわないときっと思っている。ぼくはそしてそれを隠そうとはしない。
(2003.8.16)-3
表面にあらわれるものと、表面にあらわれないもの。ぼくはそんなに広い感覚を持つことは今のところできないし、無理に広いようなふりをするのは浅ましいと思うし、もうなんとしても面倒だ。素直ないい子というのは、ぼくの本性ではないので、ぼくが素直であれば、ひとは何となく居心地がわるいはずである。いちばん腹のたつのは、自分がしている領域においても何ひとつ言うべきことがないことだ。
(2003.8.16)-4
うん、むっつり顔して、こんなことをだらだらと書くのがいまのぼくだ。実につまらん。ひとのために、という気持ちが微塵もないからだ。感情がないことをあらわにする。
(2003.8.16)-5
想像力。そうぞうりょく。誰も必要としない人間と誰からも愛されることのない人間の順序。完成とか、未完成とか。表面張力って知ってるかい?ぼくが実際に君に渡せるもの総量なんて、逆さにしてもああしてくっついていられる程度のものなんじゃあないかって思うことがあるよ。けれどもそれをたしかに君に渡すために、肌を合わせようか。
(2003.8.18)-1
でも、それはたぶん最良の読み手のかたちだと思います。それはつまりこどもの読みかたで、フォークナーを読むにはそのようなあり方がもっともよいのだと思います。フォークナーは作品中に私情をはさまないので、彼の作品には「こちら側」がないからです。彼の作ったヨクナパトーファという場所は、とてもきちんとしています。そこは、彼のでっち上げた架空の空間であるにも関わらず、一切の都合のよい虚構と欺瞞がありません。そこではやはり水は低きに流れるのです。持てる者は永遠に持ちつづけるし、敗れるものはやはりそのように導かれます。ほんとうの悪はほんとうに悪です。ほんとうの苦しみはほんとうの苦しみです。ですから、ほんとうの喜びもほんとうなのです。別に冗談ではありません。これはたぶん、重要なことです。ほんとうによいものをあらわすには、ほんとうにひどいものも同時にあらわすことができなければならないのです。実際にそう書かれることはなくとも、少なくとも、それが可能である必要があるのです。フォークナーはその晩年まで自作について語りませんでした。それは、それで全部だという強い確信があったからだと思います。ですから、ぼくのように読むのはくさっているのです。
(2003.8.18)-2
ぼくは思うように書けないから読んでいるんです。せめて、というやつです。
(2003.8.21)-1
どうしたらいいのかな。頭が腐っている。二十分前に「大事なものが見あたらなくなってしまった、とためしに君に言ってみよう。そう思いたって、受話器に触れた。」という文を書いてみたけれども、そのあとが澱粉のりに似たばさばさしたゲル状の緩衝材のような思考停止に阻まれて、ひとことも浮ばなかった。「自分自身の満たしかたを自分自身より外に知っているひとなんているのかしら」という疑惑は、人を凍りつかせるね。それか、無着色のコンクリートのような感じ。「ぼくには君は要らないだろう」というのが妥当な見解として容れられる。たとえば、ほんの気紛れかなにかが舞い下りて、仮にあなたがぼくにやさしさの欠片をのようなものを呉れたりしたときに、ぼくはそれに全く気づかないか、存在を認知しても、それを全く無視して捨ててしまうにちがいない。そして、また仮にそのことで、あなたがぼくに憤りを感じてそれを顕したところで、ぼくは取り合おうとしないだろう。「だって、あなたは要らないじゃないか」そう答えたところで、ぼくは特に打撃を受けないのかもしれないのだ。「あなたは何もしてくれなかった」とか「 いや、こんなものはくだらない。もうよそう。
(2003.8.23)-1
しばらくのリハビリテイションが必要でしょう。いちにち一つ程度、ひとつきで三十ばかりになるまで続けてみよう。。。
(百合)
百合子は小学校の時、
「梅子さんは何て可哀想なんだろう。親指より小さい鉛筆を使って、兄さんの古カバンを提げて。」と思った。
そして、一番好きなお友だちと同じものを持つために、小刀に附いた小さな鋸
(のこぎり)
で長い鉛筆を幾つにも切り、兄のない彼女は男の子のカバンを泣いて買って貰った。
女学校の時、
「松子さんは何て美しいんだろう。耳朶や手の指が霜焼でちょっぴり紅くなっている可愛さったら。」と思った。
そして、一番好きなお友だちと同じようになるために、洗面器の冷たい水に長いこと手を漬けていたり、耳を水に濡らしたまま朝風に吹かれて学校へ行ったりした。
女学校を出て結婚すると、言うまでもなく百合子は溺れるように夫を愛した。そして、一番好きな人に倣い、彼の通りにするために、髪を切り、強度の近視眼鏡を掛け、髭を生やし、マドロスパイプを銜
(くわ)
え、夫を「おい。」と呼び、活發に歩いて陸軍に志願しようとした。ところが驚いたことには、そのどれ一つとして夫は許してくれなかった。夫と同じ肌襦袢
(はだじゅばん)
を着ることさえ文句を言った。夫と同じように紅白粉
(べにおしろい)
を附けないことにさえ厭な顔をした。だから彼女の愛は手足を縛られた不自由さで、芽を切り取られたようにだんだん衰えて行った。
「何て厭な人なんだろう。どうして私を同じようにさせてくれないのだろう。愛する人と私が違っているなんて、あんまり寂しいもの。」
そして、百合子は神様を愛するようになった。彼女は祈った。
「神様、どうぞお姿をお見せ下さいまし。何
(どう)
かして、見せて下さいまし。私は愛する神様と同じ姿になり、同じことをしたいのでございます。」
神様の御声が空から爽やかに響き渡って来た。
「汝百合の花となるべし。百合の花の如く何ものをも愛するなかれ。百合の花の如く総てのものを愛すべし。」
「はい。」と素直に答えて、百合子は一輪の百合の花になった。
川端康成
(化粧)
私の家の厠の窓は谷中
(やなか)
の斎場の厠と向かい合っている。
二つの厠の間の空地は斎場の芥捨場である。葬式の供花や花環が捨てられる。
墓地や斎場に秋の虫の声がしげくなったとはいえ、まだ九月の半ばであった。面白いことがあるという風に、私は妻とその妹との肩に手をかけて、少し冷たい廊下を連れて行った。夜であった。廊下の突きあたり、厠の扉を開くと同時に、強い菊の薫りが花を衝いた。まあと驚いて、彼女等は手洗場
(ちょうずば)
の窓に顔を寄せた。窓一ぱいに白菊の花が咲いている。二十ばかりの白菊の花環が、そこに立ち並んでいるのであった。今日の葬式の名残であった。妻は手を伸ばして菊の花を折り取りそうにしながら、こんなにたくさんの菊の花をいちどきに見るのは、何年振りであろうと言った。私は電燈をつけた。花環に巻いた銀紙がさんらんと照らし出された。仕事をする時は度々厠へ立つ私は、その夜幾度となく菊の匂いを嗅いで、徹夜の疲れがその薫りのなかに消えてゆくように感じた。やがて朝の光に、白菊はいよいよ白く、銀紙は輝きはじめた。そして用を足しながら私は、白菊の花に一羽のカナリヤがじっととまっているのを見つけたのであった。昨日の放鳥が疲れて鳥屋
(とや)
への帰りを忘れたのであろう。
これなぞはまあ美しいとも言えようが、しかしまた私は、それらの弔いの花々が腐ってゆく日々も、厠の窓から見なければならない。ちょうどこの文章を書いている三月初めは、一つの花環に咲いた紅薔薇と桔梗とが、萎れるにつれてどんな風に色変りしてゆくかを五六日の間つぶさに見たのであった。
それも植物の花ならばいい。斎場の厠の窓に、私はまた人間も見なければならないのである。若い女が多い。なぜなら、男は入ることが少く、老婆は斎場の厠のなかでまで長いこと突立って鏡を見るほどに、もう女ではないのだろう。しかし、若い女のたいていは、そこに立ち止まってから、化粧をする。葬式場の厠で化粧をする喪服の女----濃い口紅を引くところを見たりすると、屍を舐める血の脣を見たように、私はぎょっと身を縮める。彼女等は皆落ちつきはらっている。誰にも見られていないと信じながら、しかも隠れて悪いことをしているという罪の思いを体に現している。
私はそういう奇怪な化粧をみたいとは思わない。しかし二つの窓は年中向い合っているのだから、このいまわしい偶然の一致も決して少なくはない。私はあわてて眼をそらす。こうして私が、街頭や客間の女達の化粧からも、葬式場の厠のなかの女を思い浮かべるようになれば、それは確かなしあわせにちがいない。谷中の斎場へ葬いに来ることがあっても、厠へはいらないようにと、私は好きな女達へ手紙を出しておこうかと思ったりした。彼女等には魔女の仲間入りをさせないようにである。
ところが昨日である。
斎場の厠の窓に、白いハンケチでしきりと涙を拭いている十七八の少女を、私は見た。拭いても拭いても涙があふれて来るらしい。肩をふるわせてしゃくりあげている。とうとう悲しみに押し倒されたのか、彼女は立ったまま厠の壁にどんと身を倒した。もう頬
(ほお)
を拭く力もなく涙を流れるにまかせていた。
彼女だけは、隠れて化粧に来たのではあるまい。隠れて泣きに来たのにちがいない。
その窓が私に植えつけた女への悪意が、彼女によってきれいに拭い取られてゆくのを感じていると、その時、全く思いがけなく、彼女は小さい鏡を持ち出し、鏡ににいっと一つ笑うと、ひらりと厠を出て行ってしまった。私は水を浴びたような驚きで、危く叫び出すところだった。
私には謎の笑いである。
川端康成
(隣人)
「あなたがたなら、年よりたちもよろこぶでしょう。」新婚の吉郎とゆき子を見て、村野は言った。「父も母も耳がほとんど聞えないものですから、おかしいところがありますが、なにごとも気になさらないで下さい。」
村野は仕事の都合で、東京へ移って、鎌倉の家に老父母が残っていた。老父母は離れに住んでいる。そのために、母屋を貸す人をえらんだ。家はしめておくよりも、人に住んでもらっている方がいいし、老人たちも、さびしくないというので、家賃はほんのしるしだった。吉郎たちの結婚の仲人が、村野の知合いで、橋渡しをしてくれて、吉郎はゆき子をつれて、村野に会いに行くと、まあよかろうと、二人は見られたらしかった。
「つんぼの老いぼれのそばに、ぱっと花がさきますね。新婚のかたに限ると、考えていたわけでじゃないんですが、目に見えるようですよ。」とも村野は言った。
鎌倉のその家は、鎌倉に多い谷
(やと)
の奥にあった。母屋は六間で新婚の二人きりには広過ぎ、また、越して来た夜は、家にも静かさにもなじまなく、六つの間にみな電燈をつけ、台所や玄関にも電燈をつけたまま、十二畳の座敷にいた。いちばん広い部屋だが、ゆき子のたんす、鏡台、夜具、そのほか嫁入道具が、とりあえず、ここに運びこまれていて、坐るところもないほどなのが、二人を安心させた。
ゆき子は首飾のとんぼ玉を、いろいろなならべ方に組み合わせてみて、首飾を新しくつくり直そうとしていた。ゆき子の父が台湾にいた四五年に、土民の古い「とんぼ玉」を二三百も集めておいたうちから、ゆき子は結婚前に、好きなのを十六七個もらって、首飾につなぎ合わせ、新婚旅行に持って行った。父の愛玩品だったので、ゆき子は親に別れる感傷も、それらの玉に宿した。初夜があけた朝、ゆき子はその首飾をつけた。吉郎はそれにひかれて、ゆき子を抱き、首に顔を強く寄せた。ゆき子はくすぐったがって、声をあげながら首を避けまどううちに、玉が床に落ち散らばった。首飾の糸が切れたのだ。
「あっ。」と吉郎はゆき子をはなした。二人はしゃがんで、床に散らばった玉を拾った。膝をついて這うようにして玉をさがす吉郎に、笑いがおさえきれないゆき子は、急に打ちとけた体つきになっていた。
その時拾い集めたとんぼ玉を、鎌倉に来た夜、新しく組み直そうとしているのだった。とんぼ玉は、それぞれ色も模様も形もちがっている。円いのや、四角いのや、細い管形のなどがある。色は赤、青、黄など、原色だけれども古びて渋くなり、玉にかいた模様も土民の素朴なおもしろさがある。少しずつちがう玉のならべ方をちがえると、首飾の感じも少しちがって来る。もともと土民の首飾の玉だから、糸を通す穴があいている。
ゆき子があれこれとならべ変えてみているのに、
「もとの組み合わせはおぼえていないの?」と吉郎は言った。
「父といっしょにならべたから、みんなはおぼえていないの。吉郎さんの好きなように新しく組み直します。見てちょうだい。」
二人は肩を寄せながら、とんぼ玉をならべる意匠に、時間を忘れ、夜がふけた。
「そとを、なにか歩いていません?」とゆき子は聞き耳を立てた。落葉の音だった。この家の屋根ではなく、裏の離れの屋根に、枯葉が降る音らしかった。風が出ていた。
あくる朝、吉郎はゆき子に呼ばれた。
「いらしてみて、早くいらしてみて・・・・・・。裏の御老人は鳶
(とび)
を飼ってらっしゃるのね。鳶がいっしょに御飯をいただいているわ。」
吉郎が立って行くと、よく晴れた小春日、離れは障子をあけひろげて、茶の間にさしこむ日の光のなかで、老人夫婦の食事しているのがながめられた。離れは母屋の裏庭から少しのぼりで、境にさざん花の低い生垣があった。さざん花は花いっぱいで、離れはその花の岸に浮いているかに見えた。三方の小山の色づいた雑木に、埋もれそうにかこまれていた。さざん花にも雑木の紅葉にも、秋深い朝の日があたって、その光は奥まであたためているようだった。
二羽の鳶が食卓に寄って、首をあげていた。老人夫婦が皿の卵焼きやハムを、口のなかで小さくして、はしにはさんでやるたびに、鳶はちょっとつばさをひろげて動かした。
「よくなれたもんだね。」と吉郎はいった。「あいさつに行こう。食事中だけれど、いいだろう。可愛い鳶を見たいし。」
ゆき子は奥へはいって、服を着かえ、昨夜の労作の首飾をつけて来た。
二人がさざん花の生垣に近づくけはいで、二羽の鳶がにわかに飛び立った。その羽ばたきの音が二人の耳をおどろかせた。ゆき子はあっと言って、鳶のあがる空を見あげた。山の鳶が老人のところにおりて来ていたのらしい。
吉郎は母屋に住まわせてもらう礼を、ていねいにのべて、
「鳶をおどろかしてすみませんでした。よくなついておりますね。」と言った。しかし、老人夫婦はなにも聞えぬようだ。聞こうとつとめる風もなく、しんの抜けたような顔で若い二人をながめた。ゆき子は吉郎に顔を向けて、どうすればいいのと、目でたずねていた。
「よう来てくれましたな。ばあさん、こんなきれいな若い人がお隣りになった。」と老人は不意のひとりごとのように言ったが、これも老妻には聞えぬらしかった。
「お隣りのつんぼは、いてもいないと思ってよろしいよ。それでも若い人は見たいから、いやがらないで、わざとかくれたりせんでな。」
吉郎とゆき子はうなずいた。
離れの上を鳶が舞うらしい、愛らしい鳴き声が聞えた。
「鳶の食事がすんでいなかったようで、山からまた来ました。おじゃますると悪いですから。」と吉郎はゆき子をうながして立った。
川端康成
(2003.8.23)-2
火星が出ている。今日は、夏休みも終わりに近づいて、名残り惜しさやら、この夏もまた結局は大したこともせずに終ってしまったという後悔やら、まだ残りの数日があればどうにかなろうはずなのであるが、さてさしあたって自身の求めるような大したことができるようなめぼしも持たない焦燥やらで、ひぐらしを捕えに近くの神社へ虫取り網と籃とを携えて出かけてみても一向に楽しまず、楽しまねば意気に欠けるのでひぐらしも捕まらぬ、気だるさがつのるばかり、諦めてとぼとぼ家に戻れば、母が西瓜を切って出してくれるが、これもすでに食傷気味で、また時期も終りかけているので、味のほうもおおあじで、多すぎる種を内心面倒に思いながら、ずるずるとすするようにして食べ終え、黄色っぽい陽を恨めしそうにねめつけて寝ころがりうとうとし、うとうとしけれども夜中十分に眠っているので眠りきれず、汗をかきながらただ寝ころがったまま、頭のなかで残り少なくなった日数を数え、まだ今年のも終っても居ぬのに、来年の夏休みの計画をにわかに想い描き始めたり、再び毎朝決められた時刻に起き上がって学校に行かねばならぬ日々が始まることに今から憂鬱になり、更には自身のあと何度夏休みがやってくるものかを数え上げてその残酷にほとんど気が狂いそうに感じ、そうかと思えば、溜まった絵日記をどう書こうか、このような一日では何ひとつ書くことができぬ、ぼくは見栄坊であるなど、差し迫る期日や陳腐な虚栄心にもきゅうきゅうとせねばならず、むさ苦しく鬱々とした一日を送ったあげく、夜寝る前になって貴重な夏休みの一日を無駄にしたという猛烈な後悔に責め苛まれ床のなかで輾転せねばならない、そういう日の持っている晩夏のあの息苦しい気だるさと匂いを持った日で、たぶん一年で一ばん空の汚い日だ。そういう日の夜空はなんだか白っぽく粉っぽい、妙な質料を感じさせる空で、他には全くひとつも星が見えないし月も方角が合わないのか見あたらないのだけれど、その空に火星がただひとつ紅く大きく出ている。まるで黒いゴムの敷物をひろげたところに針を刺して空けた穴から漏れる光のようだ。
(2003.8.23)-3
こう書いたのなら、思い浮かべるのはぼくにはひとつである。別にそのつもりでなかったのだが、このさい脱線してしまおう。リハビリテイション中であるし、書き進めるあてのない駄文を睨んで耐えきれず、飲酒に及んだ上に早寝してしまうよりはいくらかましであろう。
(2003.8.23)-4
思い浮かべるのは、小谷氏である。氏の「光の穴」である。それ以外にはぼくにはない。話をはじめるまえに再度写してみよう。文字にすると、あんまりよくないのだが、仕方がない。まさか歌ってみせるわけにもいくまい。ぼくは文字でやるよりほかはないのである。
(光の穴)
I LOVE YOU それは自由だね
いいのよ誰であろうと
生涯友達のままの
届かぬ鳥に恋しても
「向こうに行けないのかな」
夜にあいた 光の穴
夜の空に嫁いだ月が
夜の空に光を導いた
愛するわ 密やかに
愛するわ 見上げるわ
背中を見れば見惚れてしまう
体の奥で噛みしめるわ
I LOVE YOU 恐れることはない
この世にいてもいなくても
生涯触れることのない
届かぬ夜に恋しても
あなたは夜の空になった
あなたにあいた 光の穴
時に星は見てるだけがいい
誰も捕りにいっちゃだめよ
愛するわ 密やかに
愛するわ 見上げるわ
眠った髪を優しく撫でたい
体の奥で噛みしめるわ
小谷美紗子
(2003.8.23)-5
これだけの詩である。想い人をおもって夜道をひとり歩いていた氏が夜空を見上げ、そこに浮ぶ月(や星)を「光の穴」として見、そこに自身の片恋をのせて歌うのである。その着想自体はかなりのものであると思うのだが、如何せん詩が少々陳腐(特に前置きのくだり)である。けれどもそれは、二十二三歳の娘(しかも詩のみが本職ではない)の書いたものであることを鑑みればゆるせるほどのものだし、実際の歌はその詩の陳腐さを一蹴して、確実にこちらに迫ってくる(その人が片恋というものとその情熱とを軽蔑していないのであれば)。小谷氏は自分に必要でない歌は作らないし、うたわないのである。それをみとめるものは、「向こうに行けないのかな」と呟く氏の小さな身体が眼前にありありと浮ぶ、ことにはならぬやも知れぬが、しかし「体の奥で噛みしめる」ことにはなるのである。
(2003.8.23)-6
もちろん、書きたいのはそんなことではない。こんかいは、小谷氏個人について少しく書きたいのである。小谷美紗子という過剰な情熱を裡に有し、そのために平凡な幸福を掴み損ねているという、或る意味において、典型的な一芸術家について書きたいのである。
(2003.8.24)-1
はい、れいのごとく、一夜明けてしまいました。こういう半年ほど漠然と書きたいと思っていて書けずにいたものを、一夜ちょっと気分がのったからといって、さらさらと書ききってしまえるほど、ぼくは優秀ではありません。また、一夜あけた今も、ぜんぜん自信はありません。未だに何が書きたいのか、わかっていないのです。たしかに、小谷氏個人について書きたいのですが、書くぼくの立場が定まっていないのです。ぼくはこの「光の穴」や「眠りのうた」に随分頼っていますから、あんまり冷静に、なれないのです。
(2003.8.24)-2
「光の穴」は、隠れた恋とその状態の肯定を言っていて、「愛するわ 密やかに」と、恋の成就を目指さないばかりか、それを相手に知られることすら諦めるという詞で、他の歌からを見てもわかるように、小谷氏は基本的にそういうものを好む人のようだが、その実践にあってはおそらく頗る拙い人であるようである。具体的事例は、ぼくは一切知らないので、これから書くことは全て普通の意味において推測の域を出ることはないのだが、間接的例証には事欠かない。即ち、小谷氏の歌はその半分程度が失恋もしくは片恋の歌で占められており、近作「Night」などは実に十一曲中七曲がそうであって、あいかわらず片恋、失恋の日々を送っていることが知れるのである。また、どこで見たか忘れたのだが、イベントの際にちらり「私は結婚できないかも知れない」など実に興ざめの実態を洩らしたことなどもあるようで、まあ十中八九まれに見る恋愛下手であると思ってまず間違いあるまい。今日はとりあえず、そのことについて書こうかと思う。「光の穴」の詩を見ただけではわからないと思うのだが、氏の歌う「光の穴」は、氏のとりおこなう恋愛の拙さを端的に説明しているのである。
(2003.8.24)-3
など、前置きが随分長いが、何のことはない、氏の歌う「光の穴」はその詞と全然あっていない、というだけの話なのである。つまり、ぜんぜん「愛するわ 密やかに」といった感じではないというのである。それを歌う声に、妙な力がこもりすぎているのである。
(2003.8.24)-4
少年誌の三文漫画などによく、電柱の影に隠れて好いた男を後ろから眺めて、一日中そのあとをつけまわしている夢見がちな娘というのが出てくるが、「光の穴」はまさにあの感じなのである。しかもたちの悪いことに、その視線には無視できかねるほどの熱量が載せられており、じりじりと男の背中を焦がして黒い煙があがるので、男はいやでも一日中つけまわされていることに気づかねばならず、迷惑やら気味悪いやら落ち着かないやらで、あの困った汗というやつを顔の隅のあたりに一筋つねに描かれなければならぬ状態で、従って娘への好印象など望むべくもないのであるが、熱視線を発している当人は自身が慎ましく控えめに男を見守っており、「愛するわ ひそやかに」などこころの中で歌いながら、ひとり悦に入っているのである。こういう恋は、その当然の結果として、うまくいかない。
(2003.8.24)-5
小谷氏の恋というのは、だいたいにおいてこのようなものなのであろうと思われる。大変に残念なことではあるが、氏の性情からいって無理からぬことであり、運よくそのような片恋の状態から進んで、めでたくおつき合いが開始されたところで、この黒煙濛々たる火炎が氏から取除かれるはずもなく、かえって近づくことで火はその勢いを増し、短いうちに男を焼いてしまうのである。それは「火の川」などを例にあげるだけで十分であろう。おそらく氏は激烈な勢いで恋というやつをとりおこなうので、相手はその勢いを持て余すか、怖気づくかし、どちらにしても長続きしないのである。
(2003.8.24)-6
また、歌詞カードには載っていないが、後半に、「愛するわ 見上げるわ」の代わりに「愛するわ 閉じこめるわ」と歌うところがあり、この「閉じこめる」というのは、おそらく自身の気持を「閉じこめる」の意なのであろうが、あの勢いでは、どうにもそのようには取れず、相手を「閉じこめる」意思があると言っているように思えてくるのである。そうなってくると俄然「眠った髪を優しく撫でたい」というくだりも妖しげに思えてくる。ぼくなどは、それを想う女というのはとても美しいと思うのだが、たしかに危険はきけんであり、それを想われる男としてはたまったものではないというのも頷けるのである。とにかく、氏の歌というのはおしなべて、そのような何やら重たげな「気持ち」というのが載せられており、そして、ぼくはそのエネルギーがたまらなく好きなのである。
(2003.8.24)-7
ほとんどけなしているばかりのようだが、全然そのつもりはないのである。といっても、なんといったらよいものか、よくわからないのだが、なんというか、まあ、しょうがないじゃないか、というようなことがいいたいのである。ぼくが好きな氏の歌と声と作品というのは、氏の恋愛の拙さと一体のもので、氏が音楽を続けるかぎりは、それはしかたのないことだろうというようなことがいいたいのである。ああ、ひどい。まだ書く時期ではなかったようである。失敗。
(乗馬服)
ロンドンのホテルに着くと、栄子は窓のカアテンをしめきって、ベッドへ倒れるように横たわった。目をつぶった。靴を脱ぐのも忘れていたので、足首をベッドのはしに出して振ると、靴は床に落ちてくれた。
日本から北まわり、アラスカ、デンマアクを通ってきた飛行機の、一人旅のつかればかりではなかった。そのつかれのために、女の人生のつかれ、井口との夫婦暮しのつかれが、どっと出たようであった。
小鳥のさえずりが、しきりと聞えた。ホテルはオランダ公園のそばの静かな屋敷町にあって、公園の木立に小鳥がこんなにも多いのだろう。東京より季節は遅れているが、五月で、木々は芽立ち、花は咲き、小鳥は鳴く、ロンドンの春であった。しかし、窓をとざして、そとが見えないで、小鳥を聞いていると、遠い国に来たとは思えなかった。
「イギリスのロンドンなのよ。」と栄子は自分に言い聞かせてみても、日本の高原にいるようだった。小鳥のさえずりなら、山でもいいわけだが、栄子には高原が頭に浮んだ。高原に幸福な思い出があるからだ。
----十二三歳の栄子は、伯父といとこ二人と、高原のみどりの道を、馬に乗って走っていた。その小さい自分の姿が見えて来た。栄子は伯父の明るい家にひきとられてから、父と二人で暮していた、その暗さが、なおよくわかったものだった。馬に乗って走っていると、父の死をまったく忘れてしまった。しかし、その幸福は長くなかった。
「栄子ちゃん、いとこは、だめよ。」といとこの茂子に言われて、その幸福は傷ついた。十四になっていた栄子は、茂子の短い言葉の意味がわかった。いことの洋助との恋愛や結婚は「だめ」だと、茂子にたしなめられたのだ。
栄子は洋助の爪を切ったり、耳そうじをしたりするのが好きで、洋助から上手だと言われるのがうれしかった。それをする時の、栄子のわれを忘れたような格好が、茂子のかんにさわったのだ。それから栄子は洋助に、へだてをおくようになった。洋助とは年が離れているし、栄子はほんの少女だし、結婚など夢にも考えていなかったのだが、茂子の言葉によって、娘の心が目ざめさせられた。後々までも、あれが初恋だったと思うようになった。
洋助は結婚して別に家を持ち、茂子も結婚して家を出、栄子が家に残った。それも茂子の目ざわりであろうと、栄子は女子大学の寮にはいった。伯父の話で結婚をした。夫が職を失ったので、栄子は高等学校の入学試験の予備校へ、英語を教えに通った。それが四五年つづいて、栄子は伯父に離婚の相談をした。
「井口が父とそっくりになってゆくように思えるんです。」と栄子は夫のことを訴えた。「父があんな風でなかったら、わたし、井口に辛抱できるかもしれません。でも父を思い出しますと、わたしには、無能力な人と暮す運命のようなものが、つきまとっているという気がして、いても立ってもいられないんです。」
井口との結婚に責任のある伯父は、いらいらしている栄子を見て、とにかく、日本を離れてみて、二十日か一月、イギリスにでも行って、よく考えてくるようにと、旅費を出してくれたのだった。
ロンドンのホテルで、小鳥のさえずりを聞きながら、自分の小さな乗馬姿を思い浮かべているうちに、栄子は耳鳴りがしてきた。耳鳴りが滝の音になった。その滝の音がごうごうと高まって、栄枯は「わあっ。」とさけび出しそうで、目をあいた。
----栄子はビルディングの七階の重役室に、父の手紙を持って、おずおずはいった。高等学校で父と同級だったというその人は、栄子を見て、「あんた、いくつ。」
「十一です。」
「ふん。お父さんに言いなさい。子役を使うなってね・・・・・・。子どもがかわいそうだってね・・・・・・。」その人はいやな顔で、金を渡してくれた。
ビルディングの下で待っていた父に、栄子はその通りに伝えた。父は杖を振りあげてよろめきながら、
「畜生っ。滝が落ちているんだぞ。おれはその滝にうたれているんだぞ。」と言って、ビルディングを見あげた。七階の窓から父の上に、ほんとうに滝が落ちているように、栄子は感じたものだった。
栄子が父の手紙を持ってゆく会社は、三つ四つあった。父の同級生がいる会社だった。それを順々にまわって歩いた。母や父にあいそをつかして別れ去っていた。父は軽い脳出血のあとで、びっこをひき、杖をついていた。滝の落ちる会社へ行った次の月、別の会社へ行くと、
「ひとりで来たんじゃないね。お父さんはどこにかくれてるんだ。」と相手は言った。栄子はつい窓の方に目が向いた。相手は窓をあけて、下を見たが、「おやっ、なんだ。」
その声に誘われて、栄子も窓からのぞくと、下の通りに父が倒れて、人だかりがしていた。二度目の脳出血で、父は死んだ。会社の高い窓から滝が落ちて、父を打ち殺したように、栄子は感じたものだった。
着いたばかりのロンドンのホテルで、栄子にその滝の音が聞えたのだった。
日曜日、栄子はハイド・パアクへ行って、池の岸のベンチに腰をおろすと、水鳥をながめていた。馬のひづめの音に降りかえった。ふた親に子ども二人の四人が、馬をならべて来た。十歳ぐらいの女の子と、二つ三つ上らしい男の子と、そんな子供までが、きちんと型通りの乗馬服を着ているのに、栄子はおどろいた。まったく、小紳士、小淑女の姿であった。馬を走らせてゆく一家族を見送りながら、あのように形のいい乗馬服を売る店を、このロンドンでさがして、せめて手にふれてみたいと思った。
川端康成
(2003.8.25)-1
敗北がありふれているように、勝利もありふれている。不幸という言葉にあてはまりすらしない、微かでけれども完全なかたちした敗北を、川端康成は非常に丁寧に写しとる。気味わるいくらいに公平に写しとる。彼自身の価値観というものは、存在しないかのように思える。たとえば、この「乗馬服」という四頁の小品の、どの部分が美しいのかと問われたとき、ぼくらはどこを選び、抜き出すのか。また、それがなぜ美しいのかと問われたさいに、ぼくらはどう答えるのか。どうしようもない人ひとりの人生そのものが美しいのだと答えるのではないのか。そして、美しい人生とは、必ずしも幸福なものをいうのではないという事実に突き当たらざるを得ないのだ。幸福な人間は、幸福であるといい。それとまったく同じ理由で、敗れるべき人間は、敗れるべきだ。神さまとか、そういうことを言い出すのは、ぜんぶそのあとだ。
(月下美人)
月下美人の花咲く夜、小宮が妻の学校の友だちを、ひと夏に一度招くのも、三年つづいた。
一番に来た村山夫人は、応接間にはいるなり、
「まあ、きれい。まあ、みごとに、こんなにたくさん、咲きましたの?去年よりも・・・・・・。」
と、立ちどまったまま、月下美人を見た。「去年は七輪でしたわね?今夜は、いくつ咲いてるんでしょう。」
木造の古風な洋館の広い応接間で、テエブルを片寄せて、まんなかに円い台を出し、月下美人の鉢植えがのせてあった。植木鉢は夫人の膝より低かったが、月下美人は、やや見上げるほどに伸びていた。
「夢の国の花・・・・・・、白い幻の花のようですわ。」と、夫人は去年の夏と同じことを言った。はじめたこの花を見た、おと年は、同じことを、もっと感動の声で・・・・・・、
夫人は月下美人に近づいて、なおしばらくながめてから、小宮の前に来て、招かれたあいさつをした。小宮の横の女の子にも、
「とし子ちゃん。今晩は、ありがとう。大きく、可愛くなったこと・・・・・・。月下美人が去年の倍ほど咲いたように、とし子ちゃんもね。」
女の子は夫人の顔を見たが、だまっていた。はじかむでも、ほほえむでもなかった。
「ずいぶん御丹精なさったんでしょうね。」と夫人は小宮に向って、「こんなにたくさん咲かせるのに・・・・・・。」
「今夜が、今年で一番花が多いことになりそうです。」それで急に今夜招いたのだと、小宮は言うのだろうが、声にそのようなはずみはない。
村山夫人が一番に来たのは、鵠沼
(くげぬま)
海岸の住まいから、ここ葉山までが近いというだけではなかった。小宮が先ず村山夫人に、「今夜。」と電話をかけ、すぐに夫人が東京の友だちを、電話で誘うのだった。その電話の答えを、夫人は小宮に知らせた。五人の夫人のうち、二人はさしつかえ、一人は夫の帰りを待っていて、きめられない。今里夫人と大森夫人が来る。
「三人?今年は減ったのね、と大森さんが言って、島木さんを誘っていいわね・・・・・・?島木さんははじめてなんですけれど、私たちのクラスで、まだ結婚していないのは、島木さんくらいのものかしら・・・・・・。」と、村山夫人は言った。
とし子は椅子を立つと、月下美人の向うを通って、出て行くらしかった。
「とし子ちゃん。」と、夫人は呼びとめて、「いっしょにお花を見ましょう。」
「咲くのを見たわ。」
「咲くところを見ていたの?お父さまと二人で・・・・・・。とし子ちゃん、月下美人の花は、どんな風に咲くの?」
女の子は夫人を振り返りもしないで行った。
そよ風にゆれるように咲く、蓮の開くように咲く、と、小宮はおと年聞いたのを、夫人は思い出した。
「とし子ちゃんは、お母さんの友だちに会うのはいやなのかしら。お母さんの話は聞きたくないでしょうか。」と、夫人は言った。「私はやはり、さち子さんがここにいて、いっしょにこの花を見たいですわ。さち子さんがいたら、小宮さんは月下美人なんて、おつくりにならないかもしれないけれど・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
おと年の夏の夜、村山夫人は小宮のところへ、別れた妻をもどしてほしいと話に来て、月下美人の花を見た。そして、さち子の友だちを誘い合わせて花を見に出直す、ゆるしを小宮にもとめたのだった。
車の音がして、今里夫人がついた。九時半過ぎだった。月下美人は夜にはいって開きはじめ、二時か三時にはもうしぼむ。一夜の花である。二十分ほどおくれて、大森夫人が島木すみ子を連れて来た。村山夫人はすみ子を小宮に紹介して、
「憎らしいほどお若いでしょう。美し過ぎて、結婚なさらないの。」
「からだが弱かったからですわ。」と、すみ子は言いながらも、月下美人に目をかがやかせていた。すみ子だけはこの花がはじめてである。すみ子は月下美人の前にたたずみ、ゆっくり廻って見入り、また花に顔を寄せた。
長めの葉のさきから太い花ぐきを出して咲いた、まっ白な大輪の花は、あけひろげた窓からのそよ風に、かすかにゆれていた。花びらの細長い白菊や白いダリヤとも似つかぬ、ふしぎな花だった。夢幻に浮ぶ花のようだ。三本の幹が竹にささえられて上の方に濃い青の葉をしげらせ、そこに花も多かった。サボテン種なので、葉から葉が出ている。めしべは長い。
花を見入るすみ子に誘われて、小宮が立って行ったのも、すみ子は気がつかないようだった。
「月下美人は日本でも、今は方々で育てだしましたが、一晩に十三輪咲かせたのは、まだめずらしいでしょうね。」と小宮は言った。「うちでは、一年に六七回咲いてくれますが、今夜が一番多いんです。」
そして、小宮はゆりに似た大きいつぼみを、これは明日の夜開く、また、葉についた、小さいあずきのようないくつかを指して、これは葉になる、これはつぼみと教えた。こんなつぼみは咲くのに一月かかる。
あまい花の匂いがすみ子をつつんだ。ゆりの匂いよりあまく、ゆりのような悪い強さではない。
すみ子は椅子へ行っても、月下美人から目をはなさなかったが、
「あら、バイオリン・・・・・・。どなたがお弾きになってますの?」
「子どもです。」と、小宮は答えた。
「きれいな曲、なんという?」
「さあ。」
月下美人にいい伴奏と、大森夫人が言った。すみ子は天井を見上げていてから、庭の芝生へ出て行った。下はすぐ海だった。
すみ子は応接間へもどると言った。
「小さいお嬢さまですのね。二階のバルコニイで・・・・・・。海に向ってじゃなくて、海に背を向けて弾いてらっしゃいましたわ。その方がいいのかしら・・・・・・。」
川端康成
(2003.8.26)-1
数日来夢を見る。どうやらあまりよいとは言えぬ夢のようで、目ざめるとき、直前まで見ていたそれに対して「やれやれ」と思う。瞬間、夢の記憶が全て、その「やれやれ」というひと言に置き換わる。夢を見ていたことは覚えているので、その内容を辿ってみようと試みることもあるのだが、出てくるのは「やれやれ」という言葉だけで何ひとつ思い出すことができない。少しくやしいので、何とか糸口を見つけようと、無作為な連想から引き出そうとしてみたり、記憶の箇所に力を込めてみたりするのだが、やはり「やれやれ」という言葉がでてくるばかりだ。夢を取り扱おうとすると、まず「やれやれ」が出てきて、その他へ意識が広がってゆかない。あきらめて、「やれやれ」と思おうとするのだが、すでに「やれやれ」に突き当たっているので、先に言われたような気がして、なんだか諦める前からあきらめていたようで、へんな感じがする。
(2003.8.26)-2
夏空に雲の動くのを見る。半年から一年ぶりくらいのような気がする。「雲は動くんだ」と言う。君は意外に思ったかもしれない。あるいは白けたかもしれない。あるいは苦笑いしたかもしれない。うなずいたのかもしれない。「そうか」と思ったかもしれない。いずれにしろ、ぼくはそれを気にしなかった。野球場よりも大きな面積であろう白雲がゆっくりと、形を変えずにただスライドするのをまばたきせずに見ていた。すこしして、その下を歩くひとに気がついた。ひとは空のしたを歩いているものだ。それを知らないでいても、うえにはいつも空があるのだから、ぼくはその下を歩くひとと空とのあいだにある景色をつなぎあわせようと、アパアトの薄汚れた白壁やベランダの錆びた細い手摺、曇りガラスとその奥の灰色がかった緑のカアテン、雨どい、屋根瓦の黒青、衛星放送のパラボラアンテナとテレビアンテナ、その向うのもっさりとした緑の木立、人家の裏側、夏のスカイライン、薄い雲、沸き立つような雲、耳に入る音とは繋がりをもたないそれらと、それからつながりをもたないぼく自身と、
(白馬)
ならの葉のなかに、銀の太陽があった。
ふと顔をあげた野口は、光のまぶしさで、まばたいてから、それを見なおした。光がじかに目にあたるのではなかった。光は葉のしげりのなかに宿っていた。
ならとしては、こんなに幹の太いのはまああるまい、こんなに高くのびるのはまああるまい、とも思えるほどの大木を中心として、何本かのならが群れ立っている。西日よけである。下枝もおろしてない。夏の西日ははらの木立の向うに傾いて、沈んでゆく。
葉のしげりあいが厚いので、こちらからは太陽の形は見えなくて、葉のしげりのなかに光のひろがったのが太陽である。野口はそう見なれている。千メエトルの高原なので、木の葉のみどりは西洋の木の葉のように明るい。西日を受けると、ならの葉は薄みどりの透明になる。そよ風にゆれて、光のさざ波をきらめかせることもある。
今日の夕方は、ならの葉がしずまっていて、しげる葉のなかの光も静かであった。
「ううん?」と、野口は声にも出た。薄暗い空の色に気づいたからである。太陽がまだならの高い木立の中ほどにある空の色ではなかった。日が今沈んだような色であった。ならの葉のなかの銀の光は、木立の向うに浮ぶ小さい白雲が、入日を受けてかがやいていたのだった。木立の左に遠い山波は淡い紺一色に暮れていた。
ならの木立に宿っていた、銀の光がふうっと消えた。しげりあう葉のみどりが黒ずんだ。その木立の木ずえから、白い馬が飛び出すと、灰色の空をかけった。
「ああ。」と言ったが、そうおどろきはしなかった。野口にはめずらしい幻ではなかった。
「やっぱり乗っている。やっぱり黒衣だな。」
白馬に乗った女の黒衣が、うしろに長くひるがえっていた。いや、馬のはねあがった尾の上までも長くひるがえる、黒い布の重なりは、黒衣につづいているが、黒衣とは別のもののようで、
「なんだろう。」と、野口が思ったとたんに、空の幻は消えた。馬の白い脚の運びが心に残った。競馬のようにかける姿なのだが、脚の運びはゆるやかだった。そして、幻のうちで動いていたのは脚だけだった。その蹄が鋭くとがっていた。
「うしろに長い黒布はなんだったろう。布じゃなかったのか。」野口はそれが不安になった。
----野口が小学校の上級のころ、生垣の夾竹桃が花ざかりの庭で、妙子といろんな絵をかいて遊んでいたことがあった。馬の絵になった。妙子が天かけるらしい馬をかいたので、野口もかいた。
「山を蹴って、神さまの泉を噴き出させた馬よ。」と、妙子は言った。
「つばさがないじゃないか。」と、野口は言った。野口の馬には、つばさがついていた。
「つばさはいらないわ。」と、妙子は答えた。
「足の爪がとがってるもの。」
「乗っているのは、だれなの。」
「妙子よ。乗ってるのは妙子よ。白い馬に桃色の服を着て乗ってるのよ。」
「ふうん。山を蹴って、神さまの泉を噴き出させた馬に、妙子ちゃんが乗っているのかい。」
「そうよ。野口さんの馬はつばさがあるけど、だれも乗ってないじゃなないの。」
「よし。」野口は馬の上に男の子をいそいでかいた。妙子が横からじっとながめていた。
それはそれだけで、野口は妙子とは別な女と結婚し、子どもができ、年を取って、そんなことは忘れてしまっていた。
それを思い出したのは、眠れぬ真夜なかに、とつぜんであった。息子が大学の入学試験に落ちて、毎晩二時三時まで勉強しているのが、野口は気にかかって寝つけなかった。眠れぬ夜がつづくうちに、野口は人生のさびしさに出合った。息子には来年があり、希望を持って、夜も寝ない。しかし、父親は床のなかでただ起きている。息子のためにではなく、自分のさびしさをおぼえたのであった。さびしさにつかまると、それははなれてくれないで、野口の奥へどこまでも根を入れて来る。
野口は寝つくためにいろんな工夫をした。静かな空想や追憶を思いえがいてもみた。そして、ある夜不意に、妙子の白い馬の絵を思い出したのであった。その絵はよくおぼえていない。子どもの絵ではなくて、天かける白馬の幻が、暗やみで目をつぶった野口に浮んだ。
「あっ、妙子ちゃんが乗ってるかな、桃色の服で。」
天かける馬の白い姿は明らかだが、馬上の人は形も色も明らかではなかった。女子どもでないようだ。
しかし、白馬の幻も虚空をかけめぐる速さが、だんだんゆるやかになって、遠くへ消えてゆくにつれて、野口も眠りに吸いこまれた。
その夜からのち、野口は白馬の幻を眠りの招きにつかうようになった。寝つきの悪いのも、野口のおりおりの癖になった。苦しみや悩みのあるたびに、それが習わしとなった。
野口は眠りにくい夜を白馬の幻に救われて、もう何年になるだろう。その幻の白馬の姿は生き生きとあざやかだが、乗っているのはどうも黒衣の女のようであった。桃色の服の女の子ではない。しかも、その黒衣の女の姿は、歳月とともに、野口の幻でも、年取り衰えて、怪しげを増すようであった。
----寝床で目をつぶってからではなくて、椅子にかけながら起きていて、野口に白馬の幻が見えたのは、今日がはじめてであった。幻の黒衣の女のうしろに、長い黒布のようなものが、ひるがえっていたのも、はじめてであった。ひるがえると言うには、厚ぼったく重いような黒いものは、
「なになんだろう。」
まだ暮れ切らぬ灰色の空、白馬の幻の消えた空を、野口は見つづけていた。
妙子とはもう四十年も会っていない。消息もわからない。
川端康成
(2003.8.28)-1
出回っているCDのほとんどは、エンジニアを抜きにした純粋な作り手だけでも、一曲につき二三人ないし四五人は関わっているもので、正銘のひとりで作られた曲というのは、けっこうめずらしい。そんななかで、Owenはアルバム一枚ほんとうにマイクキンセラで作った音楽で、おそらくそれはOwenの音楽にとってけっこう重要なことだろうと思う。ひとりで作っていれば、できあがるまで一度も外気に触れさせる必要がない。ひとりの音楽というのは、実際とても貴重なものだ。別に何が言いたいわけでもないのだけれど、今Owenを聴いていて、アルバム一枚のうちに途切れない不思議な意識の連続があるように思えたので、書いている。
(2003.8.28)-2
ひとりと孤独とさみしさというものは、それぞれぜんぜん別のもので、それらはできるだけ分けて取り扱われるとよいと思う。ひとりふたりと人にわかれて、ひとりになればさみしいというのは、少し安易で短絡に過ぎるし、そういう状態を孤独と呼ぶのも少々低能の気味がある。さみしいという感覚は、意識が自身の内に向かったときにやってくるもので、それがひとりとよく結びつくというのは、ただひとりになったときにそうなりやすいというだけだし、また、孤独というのはさみしいというものがやってくる場所にたいする強烈な意識のことだ。さみしくないというのは、それを紛らせているというだけのことで、それで全部なのだから、紛らすということに対して嫌悪を抱く必要はない。そして、紛らすことによって、それに対する意識が変わるわけではないので、さみしくなくても人はじゅうぶん孤独なままだ。
(2003.8.29)-1
昨日のひとつめは、まったくひどいですね。けっこうめずらしい、ではじまって、けっこう重要なと、けっこうけっこうを連呼したうえに、そのすぐあとで、けっこうが破棄されて、とても貴重になってしまう。たしかに、何が言いたいわけでもないのだろう。何も言っていない。腐った脳みそを、何にも加工しないで書くとこうなってしまうんですね。飲み屋のくだ巻き巻きと一緒ですな。
(2003.8.30)-1
八月の後半に読んでいるいくつかの本について何か書きたいと思うのだけれど、どれもうまくいきそうにないので、とりあえずメモだけ残しておくことにしよう。九月の半ばに休みをとれることになったから、そのときにはフォークナーの「寓話」を読もうと思う。
(2003.8.30)-2
「ゴッホの手紙」上中下。もう一度読み直してから、ゴッホについては書きたい。いまはただ、いくつか幾分構造的なことについて記憶しておくに止める。
(2003.8.30)-3
ヴィンセントとテオドールは、たしかにふたりでひとつの仕事をした。ヴィンセントがつねに指摘したように、彼らはふたりがかりで絵を作った。描いたのはたしかにヴィンセントだけれど、彼の絵は彼の生活や人生と切り離すことができないので、パリに住んで彼に生活費と画材を提供し、彼の絵や他の印象派の絵の普及に努めた弟テオドールなしでは、大量の作品のその一枚すらあのかたちで成立することはなかった。
(2003.8.30)-4
彼の絵は、総体としてひとつの事業というべきものであり、それはヴィンセントとテオドールのふたりで行われた。このふたりによって行われたということが、「ゴッホの手紙」を生んだ。ふたりは絵画という多分に精神的な事象を取り扱っており、また、兄弟でありかつ共同事業者であるという非常に密接な繋がりを持っていた。そのふたりの具体的な意思疎通の手段として交わされた手紙が、非常に精神性ゆたかなものであり、手紙として書かれた文章のうちで最もよいもののひとつであることはまず疑いがない。
(2003.8.30)-5
けれども非常に残念なことがある。それは彼らの絵の普及が、おそらくこの手紙を通して行われたということである。その事実は、彼らの絵の価値を全く損うものではないのだが、ぼくらはそれを直接的に彼らの絵から見いだすことができなかった。ぼくらはその絵の価値を知るのに、この強烈な自我と使命感とをもって、一向に見通しの立たない事業と格闘し続けた人間の、生の文章を必要としたのだ。彼らの死後、この手紙がベルナールやテオドールの妻によって世に出ることがなければ、ぼくらはその絵をまともに見ようとしなかったのだ。彼の手紙は彼の絵の見方を教えてくれる。そして、ぼくらは教わらなければその価値を発見することができない。けれども、彼らはたしかに、その絵自体から見いだして欲しいと願っていたし、またそれを目指して努力を続けていた。残念である。
(2003.8.30)-6
手紙からわかるように、彼はあまりによくものをみすぎたので、遂に狂わなければならなかった。見ることを視覚を通して情報を取り出すことと規定すれば、ぼくらがふだんしている見ることというのは、なんという陳腐なものだろうかと言わざるを得ない。見ることによって自分のそとの世界と関わるというのはたしかに可能なことだ。そして世界と関わるということは非常に危険を伴うのである。なぜなら、世界はぼくらよりもだいぶ力強い。それは高速で走行するレーシングカーのようなものだ。F1も排気量制限をつけなければ大量の死者が出る。車が速すぎるからである。
(2003.8.30)-7
しかしぼくは教訓じみたことを言いたいのではない。ただ、ヴィンセントはそういう性質の事柄を実行したという点を確認したいのであり、彼の死後、半年で弟もある種の衰弱死をしたということを記憶の片隅にとめておきたいのである。
(2003.8.30)-8
坂口安吾。おもてむきは太宰とよく似ているが、先へ進めば進んだだけふたりは異なって見えるだろうと思う。太宰には否定と敗北がその根幹にあり、一方安吾は、たった二冊しか読んでいないぼくの印象が間違っていなければの話であるが、肯定と勝負そのものへの拒絶がその根幹である。けれども、作品のスタイルについてはふたり似たものがあり、「戦争と一人の女」や「青鬼の褌を洗う女」と、「斜陽」や「ヴィヨンの妻」などは、好対称をなすであろう。太宰の死にあたって、「太宰治情死考」という短いエッセイを安吾は書いた。これ自体にはあまりみるべきところはないが、その実態が知れて興味深かった。太宰の自殺についての情報は、どうも妙に歪んだところがあって面白くなかったのだが、まあすっきりしたような気になった。あのような身も蓋もないような感じで言い切ってしまうのも興ざめに過ぎるが、妙に丁重に、腫物に触るかのような印象のほかのものよりはましだ。
(2003.8.30)-9
フォークナー「熊」とそれに関連した三篇。フォークナーにしては比較的わかりいいつくりの話で、「熊」はばっちり傑作である。彼の傑作にはあるひとつの強烈な意思のみから成っている人間というものが登場するが、例えば「八月の光」クリスマスや「サンクチュアリ」のポパイなどがそうだが、「熊」ではライオンという名を与えられた犬がそうである。そして、フォークナーは動物を軽く扱わないので、ライオンはクリスマスやポパイにとてもよく似ている。徹底的な無感情と無関心がその根幹であるはずのライオンは、けれども極めて当然に大熊オールド・ベンを執拗に追跡し遂に追いつめ、躊躇することなくその首もとへ喰いつき刺し違えるのである。そこに矛盾はないのである。
(2003.8.30)-10
いくつか抜き出してみようと思うのだが、どうも所謂いい言葉だけになってしまいそうである。ほとんど単調なまでに作品は完璧なつくりをしており、そこから抜き出そうとすれば、そのような部分を選ぶよりほかないのである。機会があれば全編写しとるのはとても良いことだと思うけれど、百三十頁もあるのでそう気楽には始められない。
(2003.8.30)-11
〜「サムはね、あいつがほんとにおとなしくなってサムに触らせるまで、餌をやらないでおくんだよ。触らせたら、また喰べさせるけど、サムの言うことをきかないと、また食べ物を止めるんだ。」
「でもどうして?」とマキャリスンが言った。「そんなことをして、何になるんだ?いくらサムだって、あのすごい獣を手なずけられっこないだろ。」
「手なずけておとなしい犬になんかしないんだよ。あの犬は元のままでいていいんだよ。ぼくらはただあの犬にひとつのことを教えたいだけなんだ----あの犬が囲い小屋を出るためには、サムやほかの人の言うとおりにするほかないってこと。それだけを教えたいんだ。あいつこそ、大熊を追いつめてつかまえられる犬なんだよ。もうぼくらはあいつに名をつけたんだ。その名はね、「ライオン」っていうんだ。」
フォークナー「熊」より抜粋
(2003.8.30)-12
〜少年が出会った時、サムは六十歳だったが、背は高くなく、ややずんぐりして、重くてぶよついた感じだったが、実際にはぶよついていなかった。髪は馬のたてがみのようだったが、いま七十になってからも白髪ひとつなかった。それに顔は、ふと微笑んだ時のほか、なんの老いも感じさせなかったし、彼の持つ黒人種の血はただ髪と爪のにぶい桃色と、眼にただよう何かだけだった。といってもその眼がいつもその何かを見せているのではなく、出るのはごくたまに気をゆるしてくつろいだ時だけだ----すなわちそれは眼の形でも色素でもなくて、眼の中にある表情なのであり、少年のいとこのマキャリスンは彼にこう説明したことがあった---それは古いアフリカ黒人からの遺伝でもなければ卑屈に仕える者の色でもなく、囚われ人だったことの名残りだ。すなわち彼の血の一部分は奴隷の血であったという知識から来るのだ。「彼も檻の中で生まれてその中で一生を過ごしたほかの何も知らないんだ。それから彼は何かを嗅ぎつけた。何でもいいさ、たとえばそよ風が吹いてきて彼の自尊心をかすめたわけだ。その風は彼の見たこともない熱い砂地や籘やぶの匂いを含んでいた----いや、彼が見たにしろ、そうと見知らなかったものだし、たぶん、そこへ戻ったとしてもそれを自分のものにはできないと知っていたかもしれん。だがそのとき彼が嗅ぎつけたのはそれじゃあないんだ。彼の嗅いだのは檻のほうさ。その瞬間まで彼は檻の臭気なんか知らなかったんだ。ところが熱い砂地か茂みの匂いが彼の鼻先を過ぎたとたん、彼は檻を嗅ぐようになった。それで彼の眼にはああいう表情
(いろ)
が現れているのさ。」
「じゃあ彼を外に出せばいい!」と少年は叫んだ。「出してやってよ!」
少年のいとこは短く笑った。それから笑いを止めた----いや、笑い声を止めたのであり、彼は元から笑う気ではなかった。「彼の檻はマキャリスン家じゃあないんだ」と彼は言った。「彼は野性の人間だった。彼が生れた時、彼の中にはほんのわずかの白人の血は別として、黒人とインディアンの両方の血があったが、それは白人種によって長いこと馴らされてきて、そのことも忘れられ、白人と黒人は一緒になって互いを保護する生活をしてきた。彼は戦士と酋長の双方の血をじかにうけた息子として生れた。それから彼は成長し、いろいろ学びはじめた。するとある日とつぜん、彼は自分が裏切られた者だと気づいたんだ----すなわち戦士と酋長の血の両方とも裏切られたということだ。ただし彼の父が裏切ったんじゃないよ」とマキャリスンは急いでつけ加えた。「彼はたぶん、父のドゥームが彼と母親を奴隷として売ったことに、恨みを持たなかったんだ。なぜってそれ以前から事は始まったと信じてたからだ----すなわち彼ばかりか父のドゥームの中の戦死と酋長の血も、黒い血で汚されていたからだ、サムの母の血を通してな。いや黒い血によって汚されたのではなく、それに彼の母親によってわざと汚されたものでもないが、それでもやはり彼女によって汚されたのだ。というのも母は彼に奴隷の血を残したばかりか、すこしばかりだがそれを奴隷にした白い血も伝えたからだ----いわば彼自身が血の戦場であり、しかもその敗北と大いなる墓地の象徴なんだ。彼の檻とはおれたちのことじゃあないよ」とマキャリスンは言った。
フォークナー「むかしの人々」より抜粋
(2003.8.30)-13
「信じるかもしれんさ」とマキャリスンは言った。「ここじゃあ、この地上じゃあ、じつにいろんなことが起きるんだからな。この地面にゃあ、生きることや喜びを求める強くて熱い血が、たっぷり滲
(し)
みこんでるんだ。もちろん、悲しさや苦しさのこもった血だってあるがね。それでもまだ人は、そこから何かを取りだすんだ、うんとたくさんのものをな。なぜって、人ってものは、苦しいと思うことを我慢しなくてもいいからなんだ。苦しみは止
(や)
められる----打ち止めにしようとすれば、止められるんだ。それに苦しみや嘆きだって、何もないよりはいいんだ。人間は生気のない状態こそ最低だがね、それより悪いものがひとつだけある----それは恥というものだ。とはいっても人は永久に生き生きとしてはいられなくて、たいていはこれからも生きるのが可能であるのに、そのずっと前に命を使いつくしちまう。だがこうした命の躍動はどこかにあるにちがいないんだ。すべてが創られたあとでじきに投げすてられるはずはないんだ。それに大地は浅いんだからね、ちょっと深くに行けば岩にぶちあたる。それに大地はものを保存したがらない。お蔵にしまうみたいにはな----大地はそれを使い直したいんだ。種を見てみなよ。穀物の実でもいい。いや動物の死体でさえ埋められたあとはどうなるか考えてごらん。死体だってただ埋められてなんかいないんだよ。それは自分を分解し、あれこれもがいて、しまいにまた光と空気に混ざろうとする----なおも太陽を追い求めてな。こうした物は----」その瞬間、少年はマキャリスンの手の動くのを見た----それは窓の前なので影絵になっていて、その窓の向こうに冷たく輝く星々が見てとれた。「----こうした物は大地に埋まりたがらんし、その必要もないのさ。あそこですき勝手にとび廻っている鹿はそれ以上ほしがらないんだ、なにしろ地上を走り廻るだけでも時間が足りないし、一方、大地はたっぷりと広くて、前からずっと変わらないでいる場所もたくさんあって、そこでは新鮮な血が新鮮な血のままあれらの中で働いていたし、いまも----」
「でもぼくらは彼らを獲りたいんだ」と少年は言った。「彼らを欲しいんだ。だってあそこには、ぼくらと彼らの両方の動けるだけの場所があるもの、とてもたっぷりと。」
「その通りさ」とマキャリスンは言った。
フォークナー「むかしの人々」より抜粋
(2003.8.30)-14
「たぶんな」とミスター・アーネストは言った。
「たぶんじゃなくて、きっと、だよ」とおれは言った。
「たぶん、だよ」とミスター・アーネストは言った。「わしらの言葉の中ではこれが最上のものだ、これが最上だよ。この
たぶん
こそ人間をここまで生きつづけさせたものなんだ。人の一生のうちで最上の日々というのは、
きっと
とか
必ず
とか言って過ごす日々ではないのさ。人にとって最上の日々というのは、
たぶん
としか言えぬような日々なんだ。
きっとする
なんて言葉はあとになって言えることだ。なぜって人はそうできるかどうかそれまでは分らんのだし、それまでは本当に
そうしたい
かどうか分らんのだから・・・・・・食事小屋へ行って、ウィスキーを持っておいで。それから夕食の支度にかかろう。」
フォークナー「朝の追跡」より抜粋
(2003.8.30)-15
こんなところだ。ぼくはもう書かなくていいだろう。
(2003.8.31)
ひとつひとつ見てゆくとひとつひとつウソに見える。
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kiyoto@ze.netyou.jp