tell a graphic lie
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(2003.9.1)-1
また闇が目につくようになった。
(2003.9.1)-2
外的な要因よりも内的な、或る種の周期性が存するものなのかもしれない。胸の中心に圧迫感がある。足がすくんで、通りをまっすぐ歩くことに多少の困難を覚える。けれども、もとより内的なものである。その場にへたり込んでしまわなければならないほどではない。まっすぐ歩いているかどうかを調べながら、普通の速さでまっすぐ歩いた。
(2003.9.1)-3
闇というのはどこにでもある。あらゆるものの隅にある。机の端と本棚との隙間には闇がある。窓枠と床の境には闇がある。自転車置き場に並んだ自転車の間やその奥には闇がある。ホームと線路の段差にも大きな闇がある。川と堤防の境や橋の下にもある。暗がりばかりではない。正面から光の当っている、たとえば昼間の通りにも、やはり闇はある。道路の隅や道路と建物の境などにはいつでも闇がある。そして、それらがぼくを見る。何もないがぼくを見る。ぼくは驚いてあたりを見まわすけれども、どこにも闇がある。そしてぼくを見ている。ぼくは足がすくみ、助けを求めたくなるけれども、どうやって説明したらいいのかわからない。ぼくにはそこに何かがあるように思えているわけではなく、何もないがぼくを見ていると思っているので、言い表すことができない。また、どうして助けを求めたいと感じているかも説明できない。
(2003.9.1)-4
何かがぼくのなかに入ってきそうだとか、何かとぼくとが溶けあってゆきそうだとか、そういった感じのような気がする、と思ってみるけれども、それはあとから無理矢理につけた感覚のような気がしてならない。闇があるから、もしくは闇が見えるから、足がすくむのだ、と直接に結びつけたほうがまだしもましに思える。
(2003.9.1)-5
胸の中心の圧迫感は、ぼくの内にありながら、しだいにぼくから分離してゆくような感じがする。胸の中心の圧迫感を縁取るようにして、何か隙間、溝のようなものがその外側に広がってゆき、ぼくの中心とぼく自身は分離する。気道の先端、両肺への入り口は向う側にあるので、ぼくは息苦しさを常に感じるようになる。今も感じている。呼吸のひとつひとつを感覚しなければならなくなる。
(2003.9.3)-1
フォークナーベストの残り、「アブロサム・アブロサム」「響きと怒り」「死の床に横たわりて」を買う。それから、川端康成と大江健三郎のノーベル賞基調講演も。坂口安吾「桜の森の満開の下」は三分の二読むまで傑作だと気づかなかった。不覚。これはそのうち写す。読み終えて、芥川も長生きすればよかったのにとふと思う。「地獄変」や「蜘蛛の糸」では、やはりどうあっても足りない。
(2003.9.3)-2
 滅多なことでは笑わない。いくつか理由がいるのだ。機知に富んでいること、軽薄な心からでないと知れること、何より、新しいこと。
 この世のなかに二十何年も存していると大抵のものが新しくない。世界一も、世界一であることは新しくない。世界ではじめても、世界ではじめてであることは新しくない。五感、触覚視覚嗅覚聴覚味覚、もう既に感覚する器官としてはどれも使い古されてしまって、だいいち数が少なすぎる。まだ見ぬ感覚も、まずいくつかあるパターンの組み合わせに分解できてしまう。分解されたひとつひとつは、当然もう見たことがあるもので、だから、新しいはずのものも新しくない。
 物体は重力の中心へ向って落下する。アホらしいまでの当然の法則で、人間ひとりというのは、これの外には永遠に出れない。人間ひとりに必ずできないことは、人間ふたりにも必ずできないし、それは百人でも変わらない。千人でもいいし、六十億人でも構わない。やっぱりできない。みんな地球の中心へ向けて落下する。戦争が起きるのは結局そのためだし、お金というものがあるのもたぶんそのためだ。酔いつぶれたり、ギターを弾いたり、抱しめたり、セックスしたりするのもだいたいそのためだ。でも、ひとにやさしくするのは、そのためだからじゃない。やさしさがあらわれることはつねに新しい。やさしさを見るとぼくはたいてい笑う。
 やさしさは不思議なものだ。ぼくにはほとんど信じがたい事実、奇跡のようなものだ。でも世のひとたちはみな、なんだかそれを当然のことのように思っているように見える。このあいだも、ふと何か衝動のようなものに駈られ、地図も確認せずに都内の美術館へ出かけてしまって、案の定みちに迷って、暑い日で、右往左往したぼくは同じ角を何度も何度も通りかかって、そうしたら、その角にある花屋の女の店員さんが声をかけてくれた。「あの、道に迷ったんですか?」
「え、あ、そうです。すいません」
「どちらへ、行かれるんですか」
「あの、美術館へ行きたいのですけれど。わからなくて。すいません」
「ああ、美術館はもう過ぎていますよ。ここから二百メートルくらい、駅の方へ戻ったかど、ええと、確かガソリンスタンドが、エネオスのスタンドだったかな、があるかどをスタンドの反対側へ折れていくんですよ。ちょっと狭いから、迷うのも無理ないです」
 そしてぼくは笑ったわけだ。条件に合致している。機知に富んでいること。よし。軽薄な心からでないこと。よし。新しいこと。やさしさは、あたらしい。よし。笑おう。
「すいません。親切にしていただいて」
「困った顔をしていらしたから。このあたりはちょっと道が入り組んでいるので、みなさんよく迷われるみたいなんですよ」
「そうですか。あの、ほんとうにありがとうございました(ぼくは自分からひとにたずねることをしないから)」
「いえいえ、どういたしまして」
「それでは」
 エネオスのスタンドは見つかったし、その向かいから入ってゆく道の傍らには、美術館の小さな看板があって、きちんと目指して探していれば、すぐにわかった。

(2003.9.4)-1
 ぼくに道を教えるその三十歳くらいの女の店員はぼくと話しているあいだ微笑んでいた。こだわりのない笑顔のように見えた。緑色に花柄かなにかが薄く入った、水に強い生地でできたエプロンをして、ずっとかがんで仕事をしていて、ふと気持ちのきれめに顔をあげてみたところに、困ったへんてこな顔したぼくの姿がまた目に映ったので声をかけたという感じの姿勢や物腰だった。肩に触れないほどの髪は少し脱色していて、肉体労働の人らしいほとんど意識されないほど薄い化粧や淡い口紅で、きっと子どもがいるのだろう、満ちたりた顔つきをしていた。
 女の人がよく見せる、やさしさの乱費ともいうべきものが、たまたまぼくに向けられただけなのだろう、当人にとってはごくあたり前のことをしただけなのだろう、とぼくは腕ぐみをして、ある日の夜道ひとり考える。彼女がぼくに話しかける理由や意味や価値は、ぼくには全くない何ものかで、だからぼくにはそれが見えないのだろう。彼女のような人が持っているものの見方というのは、ぼくのそれとは完全に相容れないものに違いない。その職業からして、ぼくには全然わからない。美しい花は、その単体としての数えうる単位が持ちうるある完全さの度合いによって、ぼくに見られることがあるけれども、ぼくは花を一本売っても、全く喜びを感じない。
(2003.9.5)-1
 よろこびをかんじない。そう、感じない。あるいはぼくは立ちどまっていたかも知れない。首を三度、水平より上向かせるとそこには色の薄い、距離感覚を喪失した空が目に入る。その空は、ぼくとは完全に関係の切れた、その意味で見るにあたいしない何ものでもない空隙とでも言うべきもので、それを自身の目に映りこませながら、よろこびをかんじない、ことを思う。ぼくは何に喜びを感じるのだろう。美しい花を人に売って暮すことに喜びを見出さないのであれば、一体何に喜びを見るのだろう。
(2003.9.6)-1
 彼女が花を売って暮らすことと、彼女の店の前で道に迷っていたぼくに行き先をたずねるのとは、おんなじことだろうか。もうぼくは完全に立ちどまっている。あたりは寝静まってとてもしずかだ。二三の虫の声がある。舗装された地面と履いている靴と靴したとによって、ぼくはそれらから有機的な繋がりを絶っている。ぼくは地面にくっついているのに、地面と繋がってはいない。彼女の笑顔は、あのやさしさの乱費は、そのようにぼくには隔たったものとしてある。たとえば、動物園にぼくらが足を運ぶのは、檻の柵や厚いガラスで彼らとぼくらとは完全に隔てられていることが保証されているからだろうか。そうすることによって、彼らがぼくらと同じように一直線に続く時間の流れのなかの同じある長さを共有し、同じように心臓によって機関する生命の一単位であることを忘れ、彼らが飼われていること、彼らにも感情があること、彼らの生活の形態が限定的な領域に極めて明示的に押し込められていること、したがって彼らの生活の全部がそこにはあり、今まさにその全部を一目のもとに見やっていることなどに意識をやらずに、ただ彼らのあまり見ない姿かたちやらだけを見て、笑っていられる。
 隔たっているというのは、たぶんそういうようなことで、ぼくは地面から隔たっている。おんなじような仕組みで、たぶんぼくは彼女とも隔たっている。やさしさの乱費は、ガラスケース越しでも構わない。そして、隔てられていると感じているぼくがどちら側に属しているのか、その反対側の花売りの女性がどちら側なのかは自明のことであって、道に迷い困った顔をしてあたりをうろついている男というのは、多少の興味を引くものなのかもしれない。
 こういった見方をするぼくは確かに隔たってガラスの向こうにいる。そのぼくに与えられる喜びとはなんなのだろう。立ちどまっていることに気づいて、また片脚をゆっくりと前へ出す。アスファルトの舗装には、工事のための切れ目が入っており、そのまわりに白と黄色のチョークで線や印のようなものが描かれている。

(2003.9.6)-2
 滅多に笑わないは、滅多に喜ばないとは、おそらくとても近いものだ。でも、ぼくはやさしさを見せられて笑うけれども、喜びはしない。感謝するけれども、喜んではいない。ぼくはなにで喜ぶのか自分でわからない。あるいは、喜んでいるというのを知らないのかもしれない。物理的利益、たとえば無事に美術館へ辿りつけるとかいうことは、おそらく喜ぶべきことなのだろう。そして、それよりももっと、親切な花屋さんに道を教えてもらったことはありがたいことなのだから、とにかくまずそれを喜ばなければならない。
 ぼくはこうして理屈を附けてまわる。遠近法に則った景色を描こうとするときのように。遠くのものは近くのものに遮られなければならない。また、小さく描かれなければならない。滅多に笑わない、笑うときにも審査を必要とするぼくは、自分がいま喜んでいるのか信じられない。彼女に正しい美術館への道を教えてもらい、もと来た道を引き返して、ガソリンスタンドの向かいに実際に美術館の道標を見つけたとき、ぼくはなにか思ったはずだと思い、そのときのことを思い出そうとしてみる。なにか感じたような気がする。同時になにか感じたような気がしたいと意図していると感じる。
 みちの途中には坂道もあったりする。顎を上げて坂の上を見るけれども、坂のてっぺんはここからはまだよく見えない。いつも通る、よく知った道なのだが、この坂のてっぺんをぼくはよく覚えていない。そのあたりに一件の凝った家があることを知っているだけだ。家のつくり自体も、北欧風の住宅というやつで、少しめずらしいものかもしれないが、それよりも、庭に植えられた様々な樹木や、ガーデニングというのだろうか、たくさんの花の鉢、家を覆うようにしてはう蔓草など家主の家にかける手間の方がよりぼくの目をひく家だ。この坂のてっぺんを覚えていないのは、あるいはそのためなのかもしれない。
 坂の脇の歩道を歩く。多少うつむき加減になっている。地面と隔たっているぼくもやはり坂を登っていることはわからなければならない。坂を歩けばみな、その傾斜を感じるものだ。

(2003.9.6)-3
ブレイク。いちにちがあって、一度にたくさんは書けない。今日は「白線流し」というドラマを見た。七人の主要なメンバがいるのだが、それぞれの登場するシーンの種類が少ないので、好感が持てた。人というのはかなり場所と関連付けられている。高校教師は高校の教室、職員室、朝の登校時、自宅、通学路に現れ、スリランカ帰りのプーは、バイト先の飲み屋におり、スリランカで知合った女と近くのおでん屋で飲むのであり、若手弁護士は新宿のオフィスビルの一室や裁判所の法廷、都会の公園(新宿にある公園だから、あれは新宿御苑だろう)、松本駅前交番勤務の警官は駅の周辺、近くの病院に勤務するその妻は自宅と病院にいる。脚本家を目指して昼間は工事現場で交通整理をする女は、道路と工事現場の脇に置かれたプレハブの箱で昼間すごし、休日や夜間はその類の訓練所のようなところで原稿用紙に向う。TV撮影のメイク担当だかADだかの女は車に乗って移動していることが多い。二十五歳の彼らには、語れることはとても少ない。塵のようだ。そして、それはとてもよいことだ。主に彼らが互いに話し合うことでドラマは進行する。話し合うというのは、その生活において一体どれだけの重さがあるというのだろう。表明することをぼくはほとんどしないので、ドラマ自体がぼくには不思議なものだ。これにはいったい意味があるのか。じゃあ、ぼくがためしに、自分のしたいことをしゃべってみたとして、ということを思う。ぼくの場合は、同意も共感も期待できない。ぼくが文を書いているということと、文を書きつづけたいということと、その先に何を期待しているかということを喋ったところで、なにも期待できない。彼らもやはり、自身の現在と、想う未来とを語ることから何かを期待しているわけではない。教師は一日学校におり、スリランカ帰りのプーは伴侶をみつけ、弁護士は法廷と事務所、警官は交番、腹の大きな妻は自宅、脚本家の卵は工事現場、メイクさんは撮影チームと一緒にいる。みな離れて生活している。それはそういうものだ。そして、それはなんということだ。
(2003.9.8)
きたないよあけ。きたないなあとおもう。このあさでもいちにちはいちにち。じゆうになることがあんまりすくない。かったとかまけたとかいいたくない。できるとかできないとかいいたくない。すかれたとかきらわれたとかいいたくない。なにも、いいたくない。なにもいいたくない。そうでなくて。そうでなくてことばでないことや。ふれることや。わらったり。うれしなみだ。いちにちのつかれ。とだえ。いたわり。ねむる。
(2003.9.10)
二年。そして、ぼくは未だ何のステロタイプを体現してもない、なにものでもないなにものかなわけだ。ちりあくたの類ですらない。何も書けない。何もできない。何もしてない。ぼくの死を定義できない。死ねない。
(2003.9.13)-1
いま手もとに十分な量の睡眠薬があったなら、きっと飲んでいるだろう。ぼんやりそう思う。あんまり不思議なことじゃあないから、頬づえついて天井と壁の境目を見ている。死にたいとつよく願うことを一万回くり返せばきっと死ねると思うけれども、死にたいなあという気持ちに慣れると、そういう道をとれなくなる。かわりに、いま死んでもいいかなと何となく感じる数時間があって、その数時間になにかきっかけがあれば、ほんとうに死ぬだろうと思う。それは睡眠薬を持っているというのでもいいし、泥酔して首をくくるというのでもいいし、飛びこみたいほどのきれいな空ときれいな谷のそばにいるというのでもいい、ホームに滑りこんでくる電車の音がうるさいというのでもいい、信号を見わすれたというのでも、ガス栓が目につくというのでも、きれいに磨かれたナイフをながめるというのでもいい。たまの早く起きた朝に、いつもとちがう道を通って仕事場へ行こうとしてみるのとだいたい一緒だ。そういう気分になったから、そうするだけの、わりと何でもないことになってくる。誘惑的になってくる。惰性の誘惑。いっしょうめざめないというのはいいな。頬づえついている。
(2003.9.13)-2
いっしょうめざめないというのはいいな
(2003.9.13)-3
一生目醒めないというのはいい。
(2003.9.14)-1
なんだかすごしずらい日だった。母が仕事をはじめてからもうふた月ほどになるけれども、多少ぼくの気分を理解しはじめているように思う。二十年離れていた感覚である。雑踏に舞う大きな塵の一粒としてあることを意識することは、ここで暮らすものにとって害にしかならないだろうか。夕飯はあさりの汁が出て、ぼくがそれを飲むだけで済ませると、実を食べろと慣れた手つきでぼくの口へ運んだ。母は保母である。あさりの実には亜鉛が含まれており、亜鉛は味覚障害を防ぐのだと言う。ぼくは「味覚障害のほうが都合がいいんじゃあないか」と答えると、あんまり冗談でもないような口調で、「ものの味がわからなくなったら、生きるはりあいがなくなってしまう」と諭した。ぼくはどちらかというと、腹がすくことを憤っているたぐいの人間であるから、その言葉はあまり説得力を持たないのだが、だまって口に運ばれるままにして、母がひとにものを食べさせることがひどくうまいことに感心していた。あさりの実のひとつには砂が残っていて、口のなかでじゃりじゃりいった。しばらくそのままじゃりじゃりいわせていた。ぼくは無感覚だった。都会で暮らすことをおもった。
(2003.9.14)-2
なんだかすごしずらい日だったので、一度手にとったフォークナー「死の床に横たわりて」はやめて、ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む。「罪と罰」とおんなじことが書かれていたので、少なくともあれは二度目だったのだ、と思った。ぼくはドストエフスキイを妙に買いかぶっているところがあって、まだ「罪と罰」「地下室の手記」の二つしか読んでいないのだ(フォークナーはもう四冊も読んだというのに)。「地下室の手記」の主人公は四十歳で、それが二十四歳のときのことを思いだして手記を綴るという形式になっている。二十四歳というのは今のぼくの歳で、この主人公の方が幾つかの点、たとえば、自身の服装を気にかけている点や、自身の名誉やら受けた屈辱やら、自身の貧苦や孤独やらに拘泥している点などで、ぼくよりもいくらか生気がある。彼は敗北の根拠がまさに自身のみにあることを知ってはいるが、認めようとしない。それは生きているという感じがする。対して、ぼくはどうかといえば、彼に比してこれはずいぶんと死人じみたことを言っている。いちいち書きだすのは面倒なので、年頭の九箇条を思いだす。ぼくはただひとつ、最終的な理解というものだけを望んでいるつもりだけれども、あるいは実際はそれすら望んではいないのかもしれない。ぼくはひとに勝ちたくない。ただそれだけなのかもしれない。
(2003.9.14)-3
あたりまえのことを書けばいいのだ。あたりまえのことをもう一度書きなおすということが小説を書くということだ。いや、何度でも書きなおせばいいのだ。ぼくはぼくの全記憶を動員して、ぼくの敗北とぼくの意思とを書けばいい。ぼくは敗れるべきだし、そして排斥されるべきだ。ただそれだけを、できるだけ感情的にならずに、しかも理屈にではなく感覚によって納得されるように書こうとつとめればいい。以前、機会があればひとに問いただしたいと夢想していた、「ぼくは人か?」という問いはもはや無意味だ。それを問いただす必要があると感じている時点で、すでに自身明確な自覚があったのではないか。「ぼくは何者か?」と問う人間はいても、「ぼくは人か?」と問う人間はいないというのは、比較的わかりいい実態のように思える。ぼくが人間とは呼べないことなど大した問題ではない。ぼくは常に負けるべきであって、ただそれだけがぼくには必要な意識だ。
(2003.9.14)-4
やすみがもらえたら、幾人かのひとにメールを書こうと思う。できるだけ丁寧に書きたい。それが望まれるようなものであれ、そうでない、迷惑なものであれ。
(2003.9.17)
くるしくなると眠りのうたを聴くようになる。
(2003.9.18)-1
ようするに、たぶん人なみには働いているということだ。
(2003.9.18)-2
はたらくこと。お金について書こうか。どうしようか。まだ、はやい気がするけれども。
(2003.9.18)-3
太宰が四度目の自殺未遂を終え、一年半の充電も終えたあたりで、「今日より小説いちまい五円、そのほかくさぐさの文章いちまい三円と決めた」と書いたけれども、この出来高払いというのは、とてもいいと思う。ぼくは他人の書いたものに値段をつける能力はないけれども、自分の書いたものがいくらするのかは知っている。ぼくは健康である自身が一日いきるびるのに現金がいくら要るのか知っているからだ。一日十時間、書こうとつとめて五まい、二千字ていねいに埋められた場合に一万円もらえればいい。だから、いちまい二千円で、くさぐさの文章はいちまい千二百円だ。この比率は正しいからこれでいい。そうしてこれを一年、三百六十五日休みなく続ければ、年収三百六十五万円になるわけだ。その二割から三割が税金や社会保険料で消えるので、だいたい手取りの年収は三百万円弱がぼくの年収の考えられる最高額になる。けれどもこれは理想値で、実際にいちにち五枚書けたことなど一年のうちに二十日もない。現実にはこの半分いけば上出来だと思う。それで一年やってゆくのだ。百五十万。とてもふつうには暮せない額だけれども、とても理想的な額だ。枚数という正確な結果に報酬がきちんと同期し、ほんとうに書いたときのみ、その満額を受け取ることになるからだ。書くことができた分だけ食べる。書くことが即ち生きることになる。その理想に最も近い。
(2003.9.20)-1
久しぶりに松坂の投球を見る。よかった。ずいぶんうまくなっていた。
細かいことをいろいろと書こうと思っていたのだけれど、なんか、止すことにした。投球を見ていて、実はちょっと涙ぐんでしまっていたのだけれども、でも、止すことにした。なんという差だろう。なんという差だろう。ほんとうに、なんという
(2003.9.20)-2
今日はここには他人の話ばかり、日々のひと口コラムのような感じで書くことにしよう。むかし書いたものをなおすというのは、あまり心地よい作業ではないから。
(2003.9.20)-3
今日からゴッホの絵が新宿で見れるらしい。休みがとれたら行こうと思う。できるだけひと目を気にせず見たいから、平日の午前中に行こう。日記中にある、二まいのひまわりとその間にルーラン夫人像をならべるという構成をしているらしい。それから、日記中によく登場するモンチセリの絵も見れるらしい。いまは特にほかのことは言わない。ひとつのテストだと思って見に行ってみる。彼の絵に彼の命が乗っかっていることが確認できるかを調べるのだ。もし、わからなかったら、ぼくには確かにある能力がないことになる。ぼくはただの太宰好きの一自殺夢想者に過ぎないということが知れるわけだ。そして、ぼくのからっぽは何かを容れるためにあるのではない、絶望すら入らない、単なるからっぽであることがわかるのわけだ。
(2003.9.20)-4
ジャックジョンソンが八月の終わりに日本に来ていた。彼の音楽はあんまり密室には向かないと思うけれども、クラブクアトロかどっかでライブを二三日して帰っていったらしい。トウキョウを見てまわる時間はあっただろうか。この街について、何か思っただろうか。憐れんだだろうか。
(2003.9.20)-5
ジョアンジルベルトが日本に先週来て、こちらも二三日、どこぞでライブをしたらしい。これはかなり見に行きたかった(尤も、来てからそのことを知っているような半可ものにはチケットは取れなかったろうけれども)。スペイン人かと思っていたが、ブラジル人らしい。今72歳だそうである。ぼくは宮沢和史が書いた記事を読んだのだけれど、まだうまくなっている、と書いていたから、また彼のできるだけ最近のものを一まい買うかもしれない。ここには尤もらしいことをつなげる気も起らない。いま、ぼくがよく聴いているのは、一九九六年にイタリアのペルージャで開かれたジャズフェスティバルのものだ。ぼくは彼以外のボサノヴァにはあまり興味を示さない。
(2003.9.20)-6
ドラゴンアッシュの新しいアルバムを買った。ハーベストというタイトルがついている。その言葉、収穫にふさわしく、もぎ取ったばかりの様々な果実が雑然と積み上げられているという感じだ。一度聴いたきりだが、去年のワールドカップのあたりに流れたファンタジスタという曲が最もよいようであった。今回の降谷建志は、初期(高校生時代)のだみ声を使っていたけれども、それは随分と円熟した感じになっていて、以前のものとは別物になっている。ぼくはもう次のものを買うことはないだろう。彼らはもう与える側にまわってしまっているので、彼の言葉にはある重要な要素が抜け落ちてしまっている。Fever のリメイクでも出すのであるならば、興味本位で買うかもしれないけれども。Fever は今でもたまに聴いている。あれは、下手くそだけれども誠実である。
(2003.9.20)-7
セイントエティエーヌという寺の名前を持ったテクノポップユニットがあるのだけれども、ぼくはこれが好きである。何が好きかといえば、ボーカルの声が好きなのである。どうやら、ぼくはこの種の声が好みであるらしい。新居昭乃氏に似ているのである。声だけならば、氏よりもやわらかくて好みである。詞や曲自体は至極平凡なもので、とりたてるほどのものでもないのだが、とにかく、声がいいのである。かなりのものである。だから、ぼくがこのユニットについて何か言う場合には、このアルバムの、この曲の、この部分の、この声の使い方がたまらなく好きだ、というような事態になる。それから、Sound of Water というアルバムがあるのだが、これは秀逸である。音楽をかけていることをまったく忘れるのである。
(2003.9.20)-8
そういえば、新居昭乃氏のアルバムは全然できあがらない。だめだめである。完全に煮詰まった感がある。誰かけつをぶっ叩くなり、冷水を浴びせるなりして作らせて欲しい。恋でもしたらいいのだが。三十代後半のひとり身にはなかなか難しいものがあるかもしれない。旅行に行ったからといってどうなるものでもない。動揺が、内的危機が必要なのである。三十代後半には難しいかもしれない。
(2003.9.20)-9
なんという下らなさだ。酒を飲んで寝てしまおう。
(2003.9.21)-1
偶然つけたテレビでホロコーストの映像を見た。ぼくは運がいい。その余の言葉ひとつも浮ばず。
(2003.9.21)-2
それから、弟が仕事を辞したいと言ってきた。今日はいそがしい日だ。
(2003.9.21)-3
不幸なめに遭うために結局ぼくらは生れてきたんだ。だってもう、なにをしたら楽しい気持ちになったり、仕合せを感じたりするのかわからなくなってるじゃないか。いまできることは何にもおもしろくないし、このさき、何かできるようになるわけじゃない。ただ、生きているというだけじゃないか。ただ生きてるだけ。
(2003.9.21)-4
ただ生きてるだけでいいわけないだろ!生きているからには、ときどきは、その、楽しいことや顔を見あわせて笑ったりすることがあって。そういうもんだろう。でも、そんなものもうどこにも、どこにもないじゃないか。
(2003.9.21)-5
どっかにちゃんと転がってるもんなら、教えてくれよ。「ほら、これはどう?」そう言って、教えてくれよ。ちゃんと見るから。それを見てみるから。見たうえで、きっと首をふるよ。「これは、だめなんだ。ぼくらと、変わらない」みんなかなしい。みんなちっちゃくてかなしい。
(2003.9.21)-6
「かあさんの羊水のなかがいちばんよかった」冗談でなく、真顔でそう言うよ。何しに出てきたんだ。「何しに出てきたんだ?」なんにも見えなくなるためか?なんにも感じなくなるためか?五分の気晴らしのために五時間くるしむためか。疲れきった体を横たえた次の瞬間に翌日の朝を見るためか。
(2003.9.22)-1
 生活の苦しみ。人間がいま生活と呼ばれているものに「生活」という名を与えた、そのはじめのときから「生活」という言葉は苦しみと深く結びついたものであり、生きて活動することは即ち苦しむことだったのであります。けれども、私たちの賢い祖先は言葉が或る重大なる力を持っていることを知っていました。生活とは確かに苦しむことだけれども、それを決してそのまま言ってはならないのだということを知っていたのです。そこで、私たちの祖先は、生活することをただ生きて活動することと、事象を直接的に記述するに止め、その必然的な帰結、即ち苦しみについては言葉の裡に顕すことをしなかったのであります。おかげでこんにちの私たちは、賢い祖先が直接言いあらわすことを避けたことを、各々がその実際において見いださなければなりません。そして、各々のそのときの言葉であらわす必要に常に迫られています。生きることはただ苦しむことだ。なんの感慨もなく、それが全くの自然なことだと受けいれるときまで、私たちはくり返し言わなければなりません。「なぜ生活は苦しいのだ」「こんな生活は本当じゃない」「どうして私たちだけ」

(2003.9.23)-1
 街は夜明けよりもほんの少しだけ早く動きはじめる。夜明けの近いことを敏感に感じ取った小鳥たちが、今日もまた、あいかわらずやってくる朝を迎える準備に、お互いにかけあう声が窓の傍に聞こえ出してほんの五分もすると、空が色を取りもどす一瞬前に街は目覚める。目覚めた街は、地表全体から沸き出すように立ち起る、朝の息吹とでもいうべき鈍く低い音を立てる。ぼくはその息吹でいつも一度目を覚ます。目覚めたぼくは、「またか」と薄い意識の奥でつぶやきながらゆっくりと窓の方へ体を向けると、窓のすぐ隣りに立ち並んでいる二件のアパートとアパートのちょっとの隙間からいつも夜明け直前の空が見える。
 夜明け直前の空は複雑怪奇な色をしている。それはたぶん、これからはじまる今日いちにちにあらわれる総ての色をそこに含んでいるからだ。陽の下で行われるべきあらゆる行為や存在の色は、夜のうちは空の奥深くに沈みこんでいて、こうして毎朝あたらしく空から与えられる。太陽の到来とともに、空は自身の懐中に包み込んだこの地上のあらゆる色をとき放って、自身は限りない透明の深さをあらわす色、あの空の色だけを身にまとうのだ。深い藍色を基調として、その裡にあらゆる階調の色を含んだような空を見ていると、睡眠で鈍った頭の中にもそんな考えがぼんやり浮ぶことがある。夜明け直前の空はそれほどなにかあるような表情を見せる。
 真っ暗な部屋からはその空だけが何か動きのある、生命の在るものとして目に入る。ぼくの部屋自体はまだ完全に真っ暗で自分の手のひらすら、その空の前にかざしてみなければ見分けられないほどだけれども、部屋の外にはいつも街の朝の息吹がある。眠りについたときには確かになかった、遠くで響く風の音のような、けれどもほんとうに人工的な音が必ずある。それはきっと街を縦横にはしる幹線道路を往来する大型トラックの騒音や、始発の市電の走る音、すでに今日いちにちの生活をはじめだした周囲の家々が立てる戸締りを開け放つ音や炊事の音が混ざりあって成っているのだろう。ぼくはぼくの沈黙のかわりにその音を、ほとんど眠った状態でしばらく聴いている。そして頭の奥でぼんやりと「またか」と思っている。そしてそのまま再び浅い眠りに落ちる。そのあとの眠りでは、よく夢を見る。夢のなかでは、よく誰かが叫んでいる。そして、ぼくはそれに恐怖したり、嘲りを感じたりする。
 それから何時間かして、電子音の目覚ましでぼくは本当に目覚める。夜明けからの夢はそのときまで続いていることが多い。ぼくは夢を見ていたと思い、その目覚める直前のワンシーンを写真のネガのようにして取っておく。遠くから眺めると茶黒くてまっ平らな何もないフィルムは、近づいてよく目を凝らすとそのシーンが階調を反転させてそこに移りこんでいる。ぼくはそれを記憶のすみにつまみながら、体をゆっくりと起こし、いつも必ずよじれている髪をかき寄せてから、部屋を見廻す。毎日おなじ色をした、はじめはきっと真っ白だったのだろう、いまは薄汚れて灰色がかってくすんだ色の部屋の壁がある。部屋には壁と窓と床と、ぼくの蒲団しか見あたらない。ぼくがここで寝起きをするようになった日から変わらずおなじ眺めだ。窓の外にもアパートの風雨に汚れた白壁だけがあって、それもここに来た日から変わっていない。
 着替えをしてすぐに出かける。今日はよく晴れたいい日らしい。駅まで歩いているあいだは特に何も考えない。毎朝、途中歩きながら庸子に「おはよう」とだけ書いたメールを携帯から送る。少しすると、まだ駅へたどり着かないうちに、庸子から返事のメールが来る。やはり「おはよう」とだけある。庸子はそれを目覚ましがわりにしている。機械に起されるよりもこのやり方だと、二度寝をせずにきちんと起きる気になるからと、庸子はそれを思いついたある日笑いながら言った。
 乗っているあいだ、電車は高架を走るので、ぼくはほとんどドアの傍にはりついて窓から街の景色を眺めている。夜が明けてしまうと街は却ってその動きが見えなくなるように思える。すでに高く昇った朝の太陽は、眼前に延々と広がっているこの街のすべての構造物をひとつひとつ照らしている。ぼくは電車から見わたせる限りの遠くの場所を見ようと、完全に人工でできあがった地平線の先を目を細めて見つめてみる。不純物の多い街の空気はそのくらいの距離を見つめようとしただけでもう視界を遮り始め、稜線の上の空も雑踏もは白っぽく濁っている。ぼくは電車が刻む単調な走行音をときに意識しながら、ずっとそのあたりを見つめている。
(2003.9.23)-2
 ぼくの一日はとても単純だ。ただ立っているだけなのだ。出社してすぐに車に乗り込んで街の郊外の住宅地へ出かけ、車を降ろされるとあとはもう、ただつっ立っている。脇には看板を抱えている。ぼくはそうして一日看板とともにつっ立っている。ぼく自身はいてもいなくてもよい存在だけれども、看板はそこになくてはならないから、それとともに一日立っているのである。その看板に奉仕しているわけだ。夕方になって、人通りが全く途絶えると、どこからともなくぼくをここに置き去りにした同じ車がやって来て、またぼくを乗せ会社にまで送り届ける。それで、ぼくの一日が終る。ときどき、パイプ椅子が支給されることもあるから、そういう日は看板を抱えて今度はいちにち坐っている。看板に目をやって、それを目あてにここまでやって来たらしい人たちに出会っても、ぼく自身には何もすることがない。仕事はぜんぶ、看板がやってしまう。看板にはだいたいこんなことが書かれている。「○○タウン好評分譲中」そしてその下に、背景に合わせて赤や黄色といった目立つ色で大きな矢印が描かれ、だいたいの距離が記載されている。看板を目あてにしている連中は大抵二人連れで、何やら談笑しながらとろとろとぼくの正面から近づいてきて、看板の文字を目にして道を折れてゆく。たまに指さして「もう少し先みたいね」とか「案外、遠いな」とか話しあう声が耳に入ったりもする。ぼくは何もせず、彼らを見つめもせずただ立っている。彼らがぼくを見つけたときには、もうぼくの仕事は終っているから。
 ある頃からぼくは時計をみることをしなくなった。太陽を見れば、だいたいの時間が知れるようになったからで、ぼくはその大体の時間というので足りた。この街の正午の空や太陽がどういう表情をしているかというのも知ったから、そのくらいの時間になると、持ってきた弁当を、立っているときはそのときだけそっとその場に坐りこんで、坐っているときはそのままで、ひとり食べる。おなじころから、そうやってつっ立っているときに、暇つぶしに庸子へ電話をしたり、メールをしたりすることも止していた。庸子は部屋の近くの、ぼくらくらいの年齢層相手の小さな洋服屋の店員をしていて、小人数なのでその仕事はひどく忙しいらしかったというのが一ばんの理由だけれど、だんだんと何を話していいのかわからなくなって、言葉に詰まることが多くなってきたし、庸子と話したいという欲求自体が萎んできたからというのもあった。別に庸子に飽きたとか、そういうことではなくて、たぶん、ぼくがこの仕事を受け入れはじめたからなのだろうと思う。少なくともぼくはそういうことにした。
(2003.9.24)
今日は三時半帰宅だったので、さすがにちょっと今日は時間がない。あと一回分くらい書いて、それでもいいようだったら、「覚醒都市」という名前をつける。新居昭乃氏の同名の曲がモチーフである。ずっとファンタジーとして捉えてきたのだけれども、ふと、ふつうのフィクションでも構わないと思ったので、はじめてみた。曲の終わりに「ただ駆け抜けるだけの僕たちの愛おしい今を抱しめる」というフレーズがあるけれども、できたらこの具体的な一例を示したいと思う。ぼくらが抱しめるということと、愛おしい今というものとが、実際にどういうものなのかを書くのだ。そうすることによって、ひとつの不具の例が示されるはずである。太宰がちらりと書いた「あらゆる快楽のイムポテンツになった私は〜」というやつである。この看板持ちの青年はきっとよく喋ってくれるだろう。そんな気がする。


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