tell a graphic lie
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(2003.10.1)
なんどでも忘れるから、なんどでも思い出そうとする。
「なにか楽しいことはないの」
ある日思い出した。
「なにも楽しいことがないの」
思い出せずに、そう答えた。
大事なことも、大事なひとも、ぼくはなんどでも忘れるから、
なんどでも、ヒマをみつけて思い出そうとする。
「このなかには、いるものがなんにもない」
「ぼくはひとりだし、たしかずっとそうだった」
立ちどまって考えこんでいるふりをする。
あなたは少し悲しげな顔をしている。
あるいは気の毒そうな眼差しをぼくに向けている。
「忘れてしまって、思い出せない」
ぼくには他に言うことがない。
記憶喪失なのか、それともはじめから無かったのか、それすら思い出せない。
ぼくは立ちどまって、苦笑いを浮かべる。
「忘れてしまったから、なにも言うことがない」
「忘れてしまったから、なにで笑ったらいいかわからない」
「忘れてしまったから、なにをしてあげればいいのかわからない。自分がなにをされたらうれしいのか、わからないんだ」
あなたの顔にはもう飽きたという表情が一瞬浮ぶ。
ぼくは思い出したいとおもう。たぶん忘れているのだ、とおもう。
「なんどでも思い出そう」
でも、まだ少しも思い出せない。
ぼくはぼくをやめたいとおもう。思い出さなくてもいいとおもう。
きっと、また忘れる。
そのたびにひとを無くす。ぼくがひとで無くなるから。
「なにも楽しいことがないの」
「なにも
(2003.10.2)
また二時半過ぎ。ノオコメント。
(2003.10.3)
一週間の休みを貰った。h2oに長いメールを書いた。夜が明けた。朝の秋雲を登ったばかりの太陽がエンジに縁取っている。うまいコーヒーが飲みたい。
(2003.10.5)-1
この二日は、まあ牛か豚のごとしというやつだ。目覚めたそばから眠たくて、十五分くらいだろうか、時計を見ていないからわからないけれども、とろとろとろとろやって、また眠りに落ちる。二時間ばかりして、また目覚めて、やっぱりまた寝込む。それにもいい加減飽きて来るとむくむくと起き上がり、居間へ行って朝食をとり、テレビをつけてチャンネルを一巡し、結局はじめのチャンネルで止まり、そこで番組の意図に沿ったリアクション、笑ってほしい、感心してほしい、真剣になってほしい、深刻になってほしい、同情してほしい、頭を使ってほしい、そういうことを映し出されているもののとおりにやってみる。もちろん、所詮はTV娯楽の真摯を以て。三十分ほどそうしてみて、それにも飽きるとまた部屋へ戻ってとろとろしながら、オスカーワイルドの「サロメ」を開いてぱらぱらめくっていると、いつしか眠りに落ちる。
(2003.10.5)-2
堆積して固まっていた疲労を少しずつ掘り起こしている。ぼくの体に黒くこびり付いていたそれを撫でて、取ってゆく。いくらでも出てくる。ずっと疲れている。睡眠のありがたみというのもあんまり感じない。何もしていないのにただ疲れていて、そうしてひどく眠い。何の意思もないし、意識の動きもみられない。臭い厩舎の、粗末な板塀の隙間から差し込む陽の薄明りの中で、何の希望も願望も持たず(そんなものがこの世に存在していることを知らないから)、決められた時間に与えられる飯をいつも同じ速度で平らげ、陽が落ちると眠り(厩舎に差し込む光がなくなることでそれは知れる)、夜明けと共に目覚め、有する感覚といえば空腹と排泄欲求だけの惨めですらないあいつら、食用豚たちに似ているとうつろな意識で辛うじて思い、そうしてその後の眠りではその夢を見た。唾棄すべき無意思の豚どもの群れのなかで目覚めると、ぼくもまたその裡のひとつだった。哀しいという感覚も、憤るという感情の動きも持ちあわせていないぼくはそのままそこで周囲の豚どもとまったく同じようにして、餌を食っていた。さしこんでくる光線が真っ白で、それがぼくの右眼を潰したところで夢は途切れた。
(2003.10.5)-3
 庸子はこの部屋に来たことがない。引越しのときにも、手伝うというのを断った。ぼくはそのとき、「ぼくのわがまま」という言葉を使った。そして、少しどもりがちにぼくの思いえがいているぼくの部屋というものを話した。ぼくは、ぼくの内側に少しでも触れるような事柄を話すときには、いつでも、庸子の前であっても、どもりがちになる。おかげで、それとすぐにわかる。庸子もそれをもう知っているので、ぼくの喋ることがどもりがちになると、庸子もそれを聞く顔つきになった。意識的に自身の感情を制御しようとするとき、庸子は口を平たく引きしめ、その眼はある種の輝きを帯びる。ぼくは何度か庸子とそのような姿勢を要求するような話題、たとえば、ぼくのこの先のことについてや、庸子のそれや、二度ほどあった冗談でもない喧嘩の末の別れ話などがそうだったが、そういうなかで気がついた。話を終えたあとでひとりになると、いつもきまってそのときの庸子の眼がしきりに思い出された。
 部屋に来ることを拒むぼくを、庸子は納得はしてはいないようだけれど、引越しのときと、それからもう一度、ぼくの何度目かの誕生日のときにはっきりと「あなたの部屋で祝いたい。そうしたい」と言ったほかは、それを言い出すことはしない。ただ、ときどき冗談めかした調子で「他の女と暮しているからじゃないの」と言うことはある。ぼくは笑って、「そうだといいのだけれど」と答える。実際のぼくの部屋は、ほかの女どころか、テーブルひとつありはしない。がらんどう。
 伽藍堂の部屋に暮すというのと、ぼくより他の人間がその空間を占めることがないというのが、「ぼくのわがまま」だ。引越しを手伝うという庸子をの申し出を断ったのは、そこを庸子に触れさせたくなかったというほかに、手伝ってもらうほどのなにものもないというのも確かにあった。
(2003.10.5)-4
酒を飲み始めている。酒を飲むことは書くためにたぶん必要なことだ。今のぼくには間違いなく、書くべきことを書きつくす力はないので、酒を飲んで誤魔化すことを必ずしなければならない。酒を飲まないということは、誤魔化すことをしなくてよいほど呆けている、という事実をあらわしているに過ぎない。健康などあり得ない。
(2003.10.5)-5
物理的存在。一日は二十四時間であり、そのうちの何割かを睡眠にあてねばならず、さらに直接的な存在維持の活動、食物の摂取や、代謝行為などにも割かねばならない。世界最速も百米五秒では走れず、空中を飛び回って実生活を遂行する形態も持たず、あいかわらず地べたを這いずりまわり、一日に二千キロ米移動すれば疲労にてぶっ倒れ、他のことは何もできなくなり、同時にふたつのことは喋れず、同時に二箇所におれず、何らかの枠組みの手を借りなければ、他人十人を統率することすら危い。それが物理的存在としてのぼくらだ。人の力のよいところ、というのは、あくまでこの狭小な領域のうちにて言われるものであり、  下らないとようやく気づいた。
(2003.10.6)-1
あー、書けんなー。うー、書けんなー。むかっ腹たつなー。どーしてくれよーかなー。
(2003.10.6)-2
なんかこう、百頁以上の小説を淡々と積んでいって、その最後の十頁くらいで、はじめに書きたかった言葉を思いだして書く、というのは単純に、とてもあこがれるものがあるよな。まあ、こんなものを書いているうちは、夢物語に過ぎないのだけれど。
(2003.10.6)-3
でも、こんなものを書かないと先へ行けない。こういう仕組みは、思ったよりもよくできている。二段飛ばしは無理だ。
(2003.10.6)-4
 伽藍堂の部屋に暮すというのと、ぼくより他の人間がその空間を占めることがないというのが、「ぼくのわがまま」だ。引越しを手伝うという庸子をの申し出を断ったのは、そこを庸子に触れさせたくなかったというほかに、手伝ってもらうほどのなにものもないというのも確かにあった。
 部屋にはクロゼットがひとつあって、洋服や、細かな雑貨、日々の消費財などはみなそこに納まってしまっている。4つのスーツやシャツ、ネクタイ、その半分くらいの容積の普段着、ビジネスバッグや旅行鞄、それから、靴が何足か、革靴、スニーカー、幾冊かの大切にしたいと願った文庫本、学生の頃のテキストやノート、ティッシュや洗剤の買いおき、なんでもいい、そういったものが、できるだけきちんと積まれて入れてある。そうしなければ収まらないから、なにかとこまめに整理している。はじめから、そこに入れることを思って買いものをするので、滅多にないことだけれど、新しく加わったものがクロゼットに収まりきらないような場合には、既に入っている何かを捨てて、足りない分のスペースを作る。たいてい、使っていないもの、古いものをできるだけ機械的に選定して捨ててゆく。このあいだは、ここへ越してきてから一度も聴いていない、小さなオーディオコンポと百何十枚かのCDが、新しく加わった、各自、自習のうえレポート提出のこと、というワープロ一枚の通達と一緒に、会社から配布されたビジネステキスト数冊の代わりに捨てられることになった。あまり気はすすまなかったのだけれど、それがこのクロゼットの内で、最も必要でないものだった。コンポは安いもので惜しくはなかったのだけれど、CDは少し惜しかった。何枚かは庸子がくれたものだったり、一緒に買ったものだったりしたからだ。ぼくはクロゼットの前の床にぺたりと座りこんで、しばらく時間をおいたあと、庸子の部屋に置いてもらえないか、と電話をかけた。電話したときは、夜中、一時近かったのだけれど、庸子はまだ起きていて、まず「どうしたの」と言った。
 ぼくは、二秒ほど黙ったあとで、「CDを預かってくれないか」と思いのほか潰れた声で言った。庸子はすぐには答えず、彼女の吐く息の音が受話器越しに聞こえてきた。答えがないので、ぼくは自身の潰れた声を取り繕うようにもう一度、
「CDを預かってくれないか。いや、貰ってくれないか、と言った方がいいかもしれないな。部屋に置いておけないんだ」
と、今度は普段の声で言った。
「そう、それは別に構わないけれど。ほんとうに、置く場所がないの?」
「クロゼットから溢れてしまったんだ。会社からレポート課題付きのテキストの配布があって、全部積み上げると六十センチくらいあるんだけれど、それが入らないから、なにか捨てなければならないんだ」
 間をおいて、庸子が言った。
「クロゼットの外に置いておけばいいんじゃないの?」
「それはだめなんだ」
「なぜだめなの。置き場がないっていうこと?置き場がないほど、あなたってものを持っていたかしら。それとも、あなたの部屋ってそれほど狭いの?」
 そのときはまだ庸子に、ぼくの部屋と、それについてぼくの考えていることをうまく伝えることができずにいた。
(2003.10.6)-5
明日、晴れたら買い物に行く。売っていたら、去年買いそこねたマッキントッシュのコートを買おうと思う。スーツ一式と革靴も、できたら(それまでに力尽きなければ)買おうと思う。ゴッホは明後日以降。新宿までは行ってみるかもしれないけれど。どうしたって、今のぼくにはそれなりのお金がある。お金があるのなら、使わなければならない。これはほとんど義務だ。お金というのは数値の言い替えに過ぎないから、それを稼ぐということ自体にはそれほど意味はなくて、稼いだお金を使うときになってはじめて、お金には意味がある。お金の前後にある価値というものは、お金を生む行為と、お金を減らす行為とにある。両方とも結構手間がかかる。ぼくは寄付や募金やチャリティーやボランティアというのをあまり好かない。その間に労働や金銭が媒介しているのができればよいと思う。健全だと思う。(もちろん、金銭による評価システムには根本的に至らないところがあるうえに、制度疲労もかなり起しているけれども、やっぱり一ばんまともな構造をしている。しかし、ぼくがそう思うのは、人間の善意というものを信じないせいかもしれない。だから、あるいは、あのときのあの人を見て、私の進むべき道が決まったのだ、という実に素晴らしい形式の報償を期待しているのであれば、それは構わない)
(2003.10.8)-1
しっかし、書けないねー。なんなんすかねー。書きはじめると、なんかずっと机の表面を見ている気がするなあ。とりあえず、タイプしている時間の三倍は机の表面見つめてるね。
(2003.10.8)-2
書くつもりだったメールもほとんど書いていない。さいきん言葉が細ってゆくばかりの気がする。二行書いて一時間休むというのは、明らかに馬鹿だ。部屋をうろうろしたり、CDをとりかえてみたり、それでちょっと唄ってみたり、居間へ行ってTVをつけてみたりする。それから、机の表面を見つめている。アホに見える。いや、アホに見えることと思う、だな、ぼく自身はぼくのそういった姿を直接見はしない。
(2003.10.8)-3
とにかくいつも、ぼくは書いてる最中から、書けないと思っている。あんまり気分のよいものではない。でも、それはなにも書くことに限ったことじゃあない。なんというか、ぼくの一般的な精神のありかたとでもいうもので、ようするには、何をしてもはじめから駄目だと思っている、というやつだ。
(2003.10.8)-4
その意識はけっこうありふれたものかもしれない。ときどきそういった話をみかけることがある。そして、それに対する回答もまたありふれていて、だいたい似たり寄ったりの、そんなことない、あなたは駄目なんかじゃない、という無根拠な励ましやら、ほとんど何もしないうちから、そういうようなことを言うのは怠惰以外のなにものでもない、とにかく、まずある程度やってみることだ、といった叱咤やらがそうなのだけれども、そのどちらも実際には不十分だ。正しい回答は、少なくとも、そのふたつよりも正しい回答というのは、ただ、そのままでいろ、というもので、つまり、何を言ってもしかたのないこと、というものだ。これは、後者の叱咤に似ているようにも思われるけれども、それが、頑張って続けてゆけば、最終的には自分は何をやっても駄目だという認識から解放、ないし、認識を忘れるものだという意味を暗に含んでいるのに対して、そのままでいる、というのは、それが一時的な状態ではなく、対象にたいする基本的なスタンスのあり方のひとつとしてきわめて自然かつ正常なものであって、必要なのは、それでもそれをやるのだという決意ないし覚悟なのだ、ということを言っている点である。
(2003.10.8)-5
でも、スポーツとかビジネスとか、尺度が外的に決まっている分野においては、どうやらこの意識は他のスタンスと比して根本的に不利な形態であるらしい。たぶん、そういうことは実際にある。だから、勝負には負けるかもしれない。少なくとも、他のスタンスでいる者と比して、勝率で劣るということになるかもしれない。だから、やっぱり、それでも、という決意がいる。ぼくらがなにか行為をするとき、それは別に勝負でなくとも構わなくて、とにかく、その行為をなす姿勢がぼく本来のものである必要がある、というのは、それが自身にとって重大なことであればあるほど、重要なものになると思う。勝負をするとき、それの結果が勝ちであるか負けであるか以前に、自身はその選手として適当だと言い得るのか、という問題が、それがどんな行為であっても確かにあるのであり、ぼくらは何をおいても(少なくとも、勝敗よりも前の段階で)、まずそれを確立しなければならない。それが、自身の全存在にとって主要な位置を占めているものであればあるほど、そうなのだと思う。それは仕方がないんだ。
(2003.10.8)-6
 そのときはまだ庸子に、ぼくの部屋と、それについてぼくの考えていることをうまく伝えることができずにいた。ぼくは、「うん」と言って口ごもり、ふり返ってぼくの部屋の直方体に近い空間を見つめた。がらんどうの部屋を意識的に見ることをすると、いつも空間の持つある要素、それは例えば、固体の粒子の密度だとか、気体の流量だとか、計測可能な尺度でいえばそういったものになるのかもしれない、そういう何か基礎的かつ部分的なものが、部屋の重心の周辺に偏在して溜まっている、そして溜まっているのだけれども、それはいつか何かのきっかけで爆発的に発散することがあるというような、不安定で落ち着かない印象を受ける。それはこんなにだらだらと描写しなくてもいい、もっとわかりやすいもので、ただ単に、人の使っていないからっぽの空間の持つあの見慣れない感じ、不自然に広い感じといえばいいだけのことかもしれないのだけれど、がらんどうの部屋にわざわざ暮しているぼくは、この感じに少しこだわっているところがある。ぼくは毎日この部屋に戻ってきて、この部屋をこういうものとして眺めているはずなのだから、もうこの部屋をがらんどうだと感じる必要はないはずなのだけれども、今もそうなってはいない。やっぱりあいかわらずこのほとんど直方体の空間をがらんどうだと感じて、そこに不自然な感じを受ける。受話器を耳にあてながら、ぼくはそのときも部屋の重心のあたりを見て、そして黙っていた。
「ねえ、どうなの」と、庸子のじれた感じのこもった声が受話器から響いてきた。ぼくは気を取りもどして(いつの間にか、少しぼんやりしていたらしい)、
「うん、たしかに部屋には置く場所がないわけじゃあない。でも、駄目なんだ。それは、その、しないんだ。しないことになっている、ということではなくて、しないことにしているんだ」

(2003.10.8)-7
昨日はコートを買ったのである。でも、マッキントッシュじゃあない。ジャーナルスタンダードには、去年と同じくマッキントッシュのコートが入っていたのだけれど、なんだか去年よりもラインナップが少なくて、型はごくスタンダードなやつが一種類、その数色(三色くらい)があるきりで、去年見て買いそこねた、裏地がチェック柄になっていて、ポケットやら襟やらの形がちょっと今風の感じのやつが置いてなくて、ああ、やっぱり気にいったものはそのときに買ってしまわないと駄目だなあ、など感慨ぶかく、今日は買えないのか、というか、今年もまたコートを買うことができないのか、など少しく憂鬱になっていると、傍にいい感じのコートがひとつあったのでありました。形はスタンダードなダブルなのだけれど、ボタンがちょっと変わっていて、ダブルのコートに使う大きめのボタンと同じ大きさの、パチっととめるタイプのやつで、Marine Uniformというタグがうってあって、つまり、水夫さん仕様のコートで、生地はマッキントッシュと同じく、撥水加工がかかった感じのすべすべのやつで、しかも値段がマッキントッシュの半分くらい(五万円)だったので、一発で気にいってしまって、平日で他の客が少ないことをいいことに、店員さんがよくするように、コートが並んでいるクロゼットから取りだして、フックを九十度まわして、脇に(こちらからみれば正面に)、並んだ他のコートたちをしくようにしてかけなおし、仔細らしくそこらじゅうを撫でまわし、型を確認し、ポケットの数や形状を細かく確認し、マッキントッシュよりも安い理由を探し、こちらはただ、ちょっとすべすべ気味の、ただの綿であることを見いだし納得し、それから、値段について検討し(マッキントッシュの半額とはいえ、五万円は安くない)、そんなもんであろうと首肯し、それでもなお、腕組みをしてしばし時間稼ぎをし、寄ってきて声をかけてきた店員さんを「もう少し」といって追い返し、それでもやはり決心がつかず、とりあえず他のものを物色することにしようと、一度外へ出て、他の店をまわり、まあ、落ち着いて来たので、購入することに決め、ジャーナルスタンダードに戻って、店員さんに「これ着てみていいですか」試着をして、ジャーナルスタンダードの店員というのは、ぼくにだけかもしれないが、一般に無愛想で大変にぼくの好みなのだが、そのときもやはり、ぼそぼそと「腰で縛れるコートはいいですよね。きちんと縛ってみてもいいですし、ぼくなんかは、大抵こうして後ろで三角にしてしまっていますけれども」など言いつつ、試着につきあってくれ、着てみたぼくが毎度のこと、うむ、似合わん、と思っていると、「Lもありますけど、着てみますか」と言ってくれたので、Lも試着、その後、ジャケットの上から羽織る状態を再現するため、適当なジャケットを貸してくれたりなどして、平日であるので、実に手間をかけて見立ててくれ、さんざ迷ったあげく、結局Mを買うことにした。そのあと、平日であるので、普段は混んでいて入れない、ビームスの前の紅茶屋に入って、アッサムを頼んだ。ぼくが入れるよりもうまかった。やはり専門店は大したものだ思ってうれしく、少し長居をして、これから買うべきほかのものを頭の裡でピックアップして整理していった。他に買ったものは、カットソー一着、自転車に乗るときにかけるゴーグルというかサングラスというかをひとつ、同じく自転車につけるマグライト、歯車にズボンの裾が引っかかるのを防ぐバンド、スイッチ一つでひらく折り畳み傘、中古のウィスキーグラスと少し大きめのグラス、ガラスのコースターなどを買って帰ってきた。でも、スーツも買えなかったし、ライターも買えなかったし、オペラグラスも、目覚し時計も、CDラックも、スニーカーも、革靴も、無駄な置き物なにかひとつも、枕も買えなかった。買い物はとかく骨が折れる。
(2003.10.10)
「やつらはおらたちを殺しただが、まだたたきのめしちゃいねえですだ、そうでしょうが」
これは、フォークナー「アブロサム、アブロサム!」のなかの、その中心人物トマス・サトペンの黒人奴隷であるウォッシュ・ジョーンズが、主人サトペンに対して述べる一句であるが、文学の仕事というのは、つまるところ、この一見不可解な「殺したが、たたきのめしてはいない」という論理、または観念を、正当化、ないし正規化、少なくとも、顕在化させることに、その実際が存するのであり、そうすることによって、人間存在の非常に基礎的、根源的なある部分に対しての土台や足場を、人間という存在自体に提供するのである。ぼくらが普段使っている非常に陳腐で(もう、ぼくはそれを陳腐だと言いえるほどに、それから離れている)、一元的な人間の精神についてのステロタイプ、それはこの例を借りれば、「たたきのめすあとに、殺すことがあるのだ」という認識ないし観念を指すのだが、そういったステロタイプには決して完全にはあてはまることのない、ぼくらの、人間一個の精神を肯定するのとも否定するのとも全く違う、ただそれを認知するという方法によって、この世界の多様性、多層性というよりも、その裡の一個としてしか存しえない自己を照らし出すのである。そして、それはたしかに照らし出すだけであって、それ自体では、決して認識させもしなければ、知覚させもしないのであるが、少なくとも、物象を視覚するためには、まずそれが光の下にあることが必要であるという事実を思いおこすならば、それがたしかに我々にとって「必要な」事業であることが納得されるのである。それはつまり、純文学というのは、このように、人を勇気づけるものでも、慰めるものでも、楽しませるものでも、暇つぶしをさせるものでもなく、そんな風邪薬のように、それが起きてしまってから用いられるような代物ではなく、それ以前の、それ(人間)が発生し、存立するために必要なメカニスムの一翼を担うものとしてあるのだ、ということを示すのであって、即ち、血液循環によるエネルギー供給や代謝の機能や、有機化合物の摂取と酸素吸入によって動力を得る機構や、肉体と精神の分離による管理システムの簡素化と同じように基礎的なものだということを言っているのである。それは、電子計算機の基礎が、電位による二進法の表現と、コンデンサとそれに類する仕組みによる値の保持機構と、その動的変化を保証する一連の論理回路とによって成り立っているのと同じレベルの、人間の一個の単位としての個人の、本当に根源的なものだということを言っているのである。
(2003.10.11)-1
「うん、たしかに部屋には置く場所がないわけじゃあない。でも、駄目なんだ。それは、その、しないんだ。しないことになっている、ということではなくて、しないことにしているんだ」
「それは、なんとなくは知っているわ」「そうか」「私が聞いているのは、聞きたいと思っているのは、あなたが何を思ったり、考えたりしているのかってことで、」「うん」「それは、クロゼットに入りきらないものを、私の部屋に置こうとしたり、私が部屋に行くのを拒んだりするのは、どうしてなのかってこと」「うん」「もしかしたら、こういう言い方は気に障るかもしれないけれども、もしそうだったのなら、先に謝っておくけれど」「いや、たぶん、大丈夫だ」「そう、なら、いいわ。ねえ、私は、あなたがそういうことをするような、そういうことをはじめてもそんなに不思議ではない人だって知っているつもりだし、知っているから、あなたが実際にそうなっても、私はそれをある程度は許容できると、そう思っていて、たしかにはじめはびっくりしたり、もしかしたらいやがったりもするかもしれないけれど、少なくとも、それを頭から否定してかかるようなことはないつもりでいるの」「知っている(ぼくは実際、言われなくてもそれを知っていた)」「でもね、それはあなたが何をしているのか、何を思ってなんのためにそれをしているのか、それから、そのことで私にどうあって欲しいのか、そういうことを知った上でなければいやなの」「うん」「それってたぶん、わがままなことじゃあないでしょう」「うん。たぶん、自然なことだ」「そうね、たぶん。それで、あなたが引越の手伝いを断った日からずっとね、」「うん、そうだね」「ずっと、あなたがそのことをいつ私に話してくれるのか、待っていたのよ。でも、」「ぼくはなかなか話そうとしない」「そう、だから」「今それを聞かせて欲しい、というわけだ」「そう」
 ぼくは庸子が続けて話すのに、そうやっていちいち相槌をとりながら、片すみでぼんやりと、この電話でははじめから、庸子がぼくのことを「あなた」と呼んでいることの意味を思っていた。そのときはじめて、ぼくは庸子がそのような呼称を、ぼくに対して使用するのだということをはっきり認知した。だから、ぼくには、それが庸子のどういった心裡から起ってきているのかを判断することができなかった。電話ごしの声の調子からは、他人行儀で冷厳な通達をしている、というようでもあったし、また単に、あらたまって、冗談ではない、真剣で誠実な話をしているために、そうなっているようにも思えた。
 庸子は、そこで言葉を切って黙っていた。ぼくは、電話越しの庸子に、ぼくがただ黙っているわけではないことを伝えるために、何度か「うん」という実に弱い声でつぶやき、そのためか、庸子はそれ以上ぼくをせかそうとはせずに、ぼくが話しはじめるのを黙って待っているようだった。
 ぼくはそうして時間を引き延ばしているあいだ、実際には何も考えていなかった。庸子の言っていることはごく尤もなことで、ぼく自身もいつか、機会があれば庸子にそれを話したいと希望していたし、また義務であるとも考えていた。そして、そのいつかが今だということは、誰の眼にも(ぼくの眼にすら)はっきりしていたし、今のぼくにはそれを拒否する根拠も意思もなかった。あったのは、ただ、ぼくがそのことを庸子に(庸子以外の人にも)、共感や賛同はできなくとも、せめて話している内容だけでも、どうにか理解してもらえるように話をする自信がなく、しかし、いつになったらそれをうまくできるようになるのか、ぼく自身にもさっぱり目星がつかなくて、もしかしたら、この先ずっと、そんなことはできるようにはならないかもしれないと思ってすらいたので、今からぼくがそれをはじめるとすれば、きっとぐずぐずどもりながら極めてまずく話さなければならないだろうという考えだった。だから、時間を引き延ばしていたのは、その考えが憂鬱なものだったために、すぐに話を始める勇気が湧いてこず、積極的な意思も見あたらないためで、それを回避するためのうまい方便を必死になって探していたわけでも、いくつかあると思われる話の順序や組立て方を思案していたわけでもなく、ただ話しはじめるために十分な時間が経過するのを待っていただけだったのだ。ぼくはクロゼットのある部屋の隅から、部屋の方を向き、その重心のあたりをぼんやりと見つめて、この空間自体を見つめながら、ただ受話器を耳にあてていた。そして、ときおり、ほとんど規則的な周期で「うん」と受話器に向かって、そこに吸い込まれる前に消えてしまうような声でつぶやき、ただ時間が経つことを、そうして何かが満ちのを待っていた。あるいは、願っていた。
「ねえ」と、とうとう庸子はじれて待ちきれずに、ふたたび催促の言葉を受話器の向こうから投げかけてきた。その声には、はっきりとした苛立ちがこもっていたので、ぼくは仕方なく、「うん、うん」と弱く呟きながら待っていたものを無理矢理に満ちさせることにし、今までとは違ったはっきりとした調子で、もう一度「うん」と言い、それから、
「何から、話そうか」
と庸子に尋ねた。
(2003.10.11)-2
横尾忠則が最近「Y字路」というテーマで一連の作品を描いているけれども、これはいい。ほんとにいい。Y字路というのは、そこらへんにある、なんでもない、ごくありふれた路地の入り口の形状のひとつのことで、横尾忠則は、画面の真ん中に、Y字路に挿まれてある建物か何かと、その両側ににゅーっと伸びてゆく二本の路地を、横尾忠則の絵にしては比較的淡々と描くのだけれど、これがまたいいのだ。それは、そこを撮ったどんな写真よりも、少なくともよくできていて、見た人間の多くはたぶん、自分が実際にその場所に実際に立ったことがあるような錯覚、記憶の手違いを起す。何度もいうけれども、Y字路というのはごくありふれていて、日本で暮している人間ならば普通は、それを見慣れているもので、画面にあるY字路自体は実際には見たことがないのだけれども、でも、そのY字路が持つ、Y字路というか、路地の入り口の持つ普遍的なあの印象、ほんとうになんでもない日常のごくごくありふれた一風景というものを、横尾忠則の絵はY字路と、それに挿まれてある建物か何かという構図をシンボリックに使うこと(それは非常に整った形式で、富士山のような形か、金銀銅メダルを勝者に授与するひな壇のような形をしている)によって、実に効果的に強調し、ぼくらにそのような錯覚をひき起こさせるのである。写真というのは、それが普通に写されている限りにおいては、画面内に視覚されうる事物すべてを均等に、なんの選別もなく、そこに並べてしまうのであるが、ぼくらの視覚というのは、決してそのように画面を捉えてはおらず、画面内の何ものかを独特な形式でフォーカスしているのであり、そして、それは写真によるフォーカスとは違い、横尾忠則の描くような感じ(それが実際にはどんなものだか、ちょっと今は酔っぱらっているので、並べたてることができないのだけれども)で、フォーカスしているのである(それは、正確にはフォーカスと呼べるものではないのかもしれない。うまく言えない)。それは、ぼくらがよく使う言葉のあやでとりあえず片付けてしまうのならば、彼はたしかに見たままを描いているためであり、見たままというのはつまりこういうことを言うのだ、ということを「Y字路」は示しているということなのである。
(2003.10.11)-3
ぼくの貧弱な言葉では、いくら重ねてみてもわかるまい。
TADANORI YOKOO RECENT WORKS

(2003.10.13)-1
今はもう月曜日の朝で、十二時過ぎてからが何か書きものをする時間として、すっかり定着してしまいましたが、この休みのうちにメールをもう一度お出しすると自分ひとりで決めて、このあいだのメールにもそう書いていましたので、休みが終ってしまわないうちに書きはじめることにします。こう書くと、なんだかそれが義務的なもので、本当はできればそんなことはしたくないのだけれども、義務なので仕方なく書きはじめているという印象を持たれるかもしれませんが、そういうことではありません。前にも書いたかも知れませんが、最近はメール一通書くのもどんどん難しくなり、何を書いてよいのやらさっぱりわからず、それでも、メールを書くというのは、今のぼくにとっては貴重な、読み手を期待して書く文なので、たぶん、それはできるだけしたほうがよいのだ、という意識があり、ひとは何を読むと面白いと感じるのだっけ、など普段はあまり意識の中心とはならないような考えを以て、できるだけ外向けの意識で書こうとしているので、普段書くときとはなんだか勝手が違うようで、とても手間のかかる(ビジネスではなくてタスクとしての)仕事になってしまったので、書くのにそれなりの気合がいるのです。やれやれ、やっぱりなんだか義務的な感じがどうしてもぬぐえないようです。でも、それだからといって、決していやいやというわけではないのです。

(2003.10.13)-2
なんだか、また長ったらしい言いわけから始まってしまい、ほんとうに読み手を意識して書いているのか、非常にあやしげなところでありますが、まあ、読んでくれているであろうあなたを意識しているからこそ、言いわけしてしまうというようなところもあるので、是非そこいらへんを汲んでいただき、なにとぞご容赦願います。(この間三秒)けれども、ぼく自身の方で止めたくなってきてしまったようです。はじめる前から、言いわけをしているのは、これはたしかに低能の仕業であり、また読み手を退屈させてしまうという点で有害ですらあるような気がします。それでも、現在のぼくとしては、こういうことを書かずにはどうしてもいられないものがあるのです。自分のいま書いているものが何ものなのか、よくわからないのです。わからないというのはとても不安なもので、ほとんど役立たずの、それどころか却って邪魔になると知っていながら、転ばぬ先の杖、使わずにおれぬ気持ちなのです。ほんとうに、自分の書いたものをひとがどう受けとるのか、ぼくにはわからない。そして、わからないということと、わからないまま書かなければならないということが、実に不安なのです。(また三秒)

(2003.10.13)-3
けれども、こうしてぐずぐずしていても、ひたすらに詰まらぬ文が積み重なってゆくだけでありますので、ここはひとつ、今日読み終わりました、フォークナー「アブロサム、アブロサム!」の感想でも書き連ねてみたいと思います。なんだか、このように記述がいちいち回りくどく長ったらしいのは、ここ数日フォークナーを読んでいたためであるようです。そのとき読んでいる本に、ぼくはまだもろに影響を受けるようです。それでも、ぼく自身がどこからも影響を得られずに書く文よりはきっと幾らかましになっていると思われるので、そんなに悪いことでもないようですけれども。

(2003.10.13)-4
まあ、そういうことで、どうしようもなく前置きの長いメールになってしまいましたが、ここでひとつ、気をとり直すことにしまして、今回のメールはこれ以降、できるだけ、そんなに重苦しい内容にならぬように書きたいと思います。あまり自信はありませんが、ともかくそういうつもりで書くのであります。

(2003.10.13)-5
フォークナーの作品を読むというのは、なんといいますか、それだけで結構な「作業」なのでありまして、正直いいまして、読んでいるうちは、少なくともその前半部くらいのうちは、それが面白いのかどうか、読んでいる自分にもよくわからないくらいで、ただ彼の文章というのは、一文一文が非常に完成されており、過剰なまでの修飾の積み重ねや、非常に適切な譬喩による形容、「客観的な」という印象を与えないほどにマットな描写なんかがそうだと思うのですが、小説のうちの一文としてでなく、そこから切り出して独立したひとつの文章としてとらえても、そこいらへんに転がっているどうでもよい文、たとえば、ぼくが書くものなどは、その最たるものと言えそうですが、そういったものを読んでいるよりはよいだろうと思えるので、それによって読み進めるというような部分がかなりあるのが、ぼくのフォークナーの小説を読み進めるときの実際なわけです。

(2003.10.13)-6
今回の「アブロサム、アブロサム!」についても、やっぱりそんな感じでして、しかも、解説によると彼の小説の特徴であるところの、重厚な修飾や、同じ対象を何度も言い換えたり、先に置くべき情報を後回しにしたり、そもそも説明的な文節というものがどこかにあるように見えて、実際には全然なかったり、あの過度な多層的な修飾の中に完全に埋もれてしまっていたりと、フォークナー的(即ち小説としてぎりぎりの)技巧の限りをつくした作品で、今まで読んだものの中でも最も面倒なものであったようです。ぼくは、彼の作品はこれでもう五冊目のはずなので、登場人物や彼の小説の背景となる、一世紀以上前のアメリカ南部の社会構造や人間の精神構造(それは奴隷制だったり、大規模農場だったり、馬車と自動車と汽車と電気と写真と映画とが入り混じった、つまり近代とそれ以前とが入り混じった、かなりつかみずらい、ぼくらの暮すこの現代とは全然違った感覚)を、それなりに知って、しかも登場人物たちの、彼の作った世界、ヨクナパトーファ郡における位置づけも知っていて読み進めたわけですが、それでも実に難しかった。

(2003.10.13)-7
読み終えた感じとしては、あるいは形式が過去を語るものであったという、至極単純な理由のせいかも知れませんが、大作と呼ばれているものを読んだとき(特にそのクライマックスにさしかかったあたり)に感じる、一種の昂揚感はほとんどありませんでした。フォークナーの小説からは、そういったものを感じることは、他の作家のものに較べて非常に薄いのですが、それでも、「八月の光」や「サンクチュアリ」には、たしかにそういった部分があったのですけれども、「アブロサム、アブロサム!」には、それがなかった。ぼくは普段、実に安易なんですけれども、それの有る無しで以て、それが大作であるかを計っているような部分があり、その意味では「アブロサム、アブロサム!」は大作には非ずということになってしまうのですが、それでも、これが大作であることは、実際に大作なのですからあたり前ですが、ぼくにもわかるので、その意味でも、この作品は、ぼくには大変に難しかった。

(2003.10.13)-8
まあ、そんな感じで、「アブロサム、アブロサム!」の読後感としては、十のうち一から九くらいまでが、「とても難しかった」で占められているわけですが、残ったあと一には、まあ何かあるような気もしますので、これからそれをちょっと書いてみようかと思います。

(2003.10.13)-9
小説表現の限界ぎりぎりのところで完成されているフォークナーの小説を読んでいると、どうしても、小説表現というか、小説によって何をするのか、小説によって何をあらわすのか、ということを考えざるを得ませんし、また、その最も完成された一具体例としてその作品を見ずにはいられませんが、ぼくにはまだその中から細かな技術ひとつひとつを抜き出して見せることができなくて、現在のところは、専らその意義について教えられた(と思っている)ところを書くよりほかありません。「アブロサム、アブロサム!」を読んでいて思った、そういったことのひとつは、すでに(2003.10.10)としてメモしてあるので、ここではもう書きませんが、もうひとつくらいはある気がするので、ここにはそれを書いてみようかと思います。といっても、やはり全然別のことにはなり得なくて、その続きに近いわけですが、たぶん、娯楽でない小説というものは、たしかにあって、芸術という、それ自体が常に曖昧であるべきであるものに用いられる言葉を不十分とするならば、それはたぶん、文学としての小説という言い方が最も適当だとここ数日思っているのですが、これから、ちょっとそういう話を書いてみようかと思います。

(2003.10.13)-10
文学という呼称は、かなり広義にわたって使用されているようで、今ではその広げられた意味の方がほとんどもとの意味を食い尽くしており、文学といえば、小説といえば、それはすなわち娯楽としての文章のことをいうようですが(ぼくもまた、ごく最近までそうでない小説というものを言い表す言葉として、「芸術として」というものを持ち出さざるを得ないでいたのですが)、文学という言葉は、文楽ではなく文学と書くわけで、学という文字がつくくらいですから、それは学問という、くつろぐために用いられるというのはあまり適当でないと思われるものといえるのが、その本来のところなのではないかと思います。そういった類の文学を、とりあえずここでは狭義の文学と呼ぶことにしまして、その狭義の文学が、実際にどういったものを指しているのかといいますと(ところで、ぼくはあまり頭のよくない人間で、ニュートン力学の公式 F = ma と書かれても、何のことやらさっぱりわからない人間で、これをまず、 a = F / m と置きかえた上で、物体の加速度は、イコール、対象の物体にはたらく力を質料で割ったものとして記述されるというように置きかえ、さらに具体的な例証をひとつ目の前に置いてみてはじめて得心がゆく、というような血のめぐりの悪い人間でありまして、こういった話をはじめますと必ず、「実際のところ、どういった」という言葉が出てこざるをえないのでありますが)、狭義の文学というのはたぶん、哲学にとても近い役割を持ったもので、なんというか、非常にまわりくどい、間接的な意義しか持たない学問なのではないかと、ぼくは思うのです。ですから、数学や物理学法則のすばらしい成果であります公式のように、あるいは世の中に出回っております多くの製品や、人びとの善意やサービスなどが有しております、ほとんどのばあい直接的に理解することができる、少なくとも利用することができる、あのシンプルで合理的な意味づけを持つことができないので、それをひとことで言いあらわすのはたぶん無理であり、ほとんど非合理とも思えるような論理のか細い糸をたぐって、その根本から実際へと結びつけねばならないように見えます。

(2003.10.13)-11
先ほど、ぼくは「実際のところ、どういった」というものを必ず持ち出さなければならないと書きましたが、それは確かに思考の形態としては非能率的ではありますけれども、手段としては正当なものだと思っており、つまり、ぼくは学問とは何か用をたすためにあるもので、学問のための学問というのは基本的に信用していないという立場をとれたらと思っていまして、哲学なども、あれだけ隆盛しているのですから、かならず何かの用をたしているはずだと思っているのですが、では実際にそれがなんなのかというと、うまく説明できず、多少はがゆく思っており、知的好奇心を満足させるだの何だの、とってつけたような説明でとりあえず気持ちをなだめていたのですが、この「アブロサム、アブロサム!」を読んでいるうちに、狭義の文学というものが、頭の中に何やら鮮やかに浮かび上がってきまして、それが「文学とは、哲学と同じような意味があるのだ」というものだったのです。そう言ってみたら、いつの間にか、ぼくのなかでの哲学の意味づけが非常にはっきりとしているのにも気がついた。「そうだ、哲学のようなものだ。そして、哲学というのは、たしかにぼくらにとって不可欠なもので、この社会が今の形であるのは確かに哲学があるせいだ」と言うことができる気になっていたのです。哲学というのは、決しておおがかりな暇つぶしではないのです。したがって、哲学者もごくつぶしの典型ではなくて、ほんとうに有意義な人たちだということを、ぼくははじめて納得したのです。

(2003.10.13)-12
それでも、それを今ここでわかるように説明するのは、ちょっと容易ではないのです。それはたぶん、哲学を行うこと自体が、その問いかけに答えるものに違いないからです。こう書くとなんだか騙しているようにも聞えるかもしれないのですが、たぶんそういうことはあるのだと思います。自己の運動が、自己の存在理由を与えることになる。そういうことは、自然にあることだと思う、ということです。

(2003.10.13)-13
でも、それではこんなにだらだらと書き連ねている意味の方が危くなってきますので、ためしに、狭くて下手くそな言い方をやってみるならば、哲学というのは、その質問にある言葉、意義とか、用をたす、とか、そういった観念を形成するためにあるのです。それは、この社会における体系としてあるというのもありますし、ぼくらひとりひとり、個人に対してもあるのだと思います。世の中は、哲学なしで生きている人が、そのほとんどなのですけれども、でも、その人たちが用いている価値観、現代の価値観なり、感覚なりというものは、実は哲学を土台のひとつとしてしっかり持っているのです。たしかに、哲学が哲学として積み上げてきたものが派生して、それによってぼくらの価値観がこの形に固定されているのです。そして、それは哲学がそこに関与しないでできあがったものよりも、おそらく(ぼくはそれを、こういう話を書くほどに、ほとんど確信しているのですが)随分とよいものであるはずです。哲学というものは、なんというか、そういうためにある。ぼくらはそういう形で哲学の恩恵をこうむっている。ぼくらと哲学というのは、そういう関係にあるものなのです。

(2003.10.13)-14
それが具体的には、どういったところに関与しているのかといいますと、たぶん、「アブロサム、アブロサム!」のような話の舞台における社会的基礎である奴隷制であったり、日本でいえば、切腹という行為であったり、姥捨てという風習であったり、封建制であったり、女性の位置づけであったり、もう少し抽象的な観念でいえば、美徳や悪徳といった、価値判断の優劣に関するものだったり、倫理と呼ばれたりするものであったりするのですが、これらはあくまで目につきやすい、比較的わかりやすい例であって、ほんとうはもっと広範囲の、その時代の人間の精神の基盤としてあるすべてのものに対して関与しているのだと思います。哲学というのは、極端な話、身体的作用や外的現象に直接に影響を受けないあらゆる精神作用を形成するソースのひとつなのです。それは、宗教と似たようなところが多分にあると思われますが、それと比して、積み上げて構築してゆくものだという姿勢を鮮明にしている点が、最も異なるのではないかと思われます。
(2003.10.13)-15
こんなことは、もしかしたら、哲学入門書の「0.はじめに」のあたりに記述してあることなのかもしれないのですが、ぼくは不勉強で哲学書をぜんぜん読みませんので、それすら知らないのですが、それでも構わないのです。重要なのは、ぼくがそれに納得しているというところなのです。そして、今回は哲学が問題なのではありません。文学について書いているのです。文学というものも、いま哲学について書いたところと同じような位置づけを有しており、文学が、文学という形式によって、文学であるところの仕事を為すということは、たぶんそういったことなのです。

(2003.10.13)-16
今日はこれで限界なり。本来ならば、これから話を文学へと戻し、小説表現とフォークナーというテーマについて、もう少し詳しく書いてみることをぼそぼそと試みなければならないところなのであるが、今日で休暇はもうおしまいである。おそらく、続きは書くことができまい。それは時間がない、というよりも、こういったいじいじと少しずつ話を積んでゆくような文を書くための力を、仕事にてすべて消費してしまうからである。最近、まともな文を書く力はどんどん細ってきているようだが、その半面、こういった駄文をだらだらと続けることは少しうまくなってきているように思われる。悲しきことなれども、ひとつの機会には違いないので、我慢してだらだらと書いてきたが、今回もやはり中途で投げ出してしまうらしい。
(2003.10.15)-1
「そうね、何でもいいのだけれど。何がいいかしら。そうね。とりあえず、あなたの部屋のあるところから話してもらおうかしら。私、結局あなたの部屋がどこにあるのか、いまだに正確には知らないのよ。私が知っているのは、三軒茶屋の駅から少し離れているってことと、駅の南の方にあるってことくらい。他は何にも知らない」
「そうだったかもしれない。たしかに、何も話していなかった気がする」
「そう、私は何にも知らない。たとえば、その部屋は広いのか。アパートなのか、マンションなのか、どんな建物なのか、その何階なのか、窓はどの方角に面していて、そこからは何が見えるのか、静かなところなのか、騒がしいところなのか、その周辺には何があって、どんな様子なのか、私は何にも知らない。あなたが普段どんな街並みの中で、どんなものを見ているのか、私は知らないから、想像しているより他にない」
「そうかもしれない」
「だから、まず、それから話してみて」
「いいよ。わかった」
 ぼくは二三秒また言葉を切って、これから話しをすることになるぼくの部屋を見つめ、それに関連する記憶を引き出そうとする。
「ぼくの部屋は、三軒茶屋の駅から、歩いて十分ちょっとのところにある。部屋から、百メータくらいのところに、バスのとおる少し大きな通りがあって、部屋から一ばん近いバス停は駅から、三つめか四つめのものだと思うのだけれど、ぼくはバスをまだ一度も使ったことがないから、正確なところはよくわからないし、そのバス停の名前も、よく覚えていない。そのバス停は何の変哲もない小さなお寺の前にあるから、あるいはそのお寺の名前がついているかもしれない。でも、そのお寺の名前も、ぼくは知らない。低い白壁に囲まれ、正面に小ぶりの門があって、向かって左脇には小さな墓地がついている、ほんとうにどこにでもあるようなかたちのお寺で、だからきっと、どこにでもあるような名前の寺なんだと思う。毎朝、部屋から駅へ向かうとき、その前を通っている。それから、夜に部屋へ戻るときもやっぱり通る。その寺のひとつ先の角を曲ってすぐのところに、ぼくの住むアパートがある。車は一台しか通れない細い路地で、一方通行なのだけれど、朝と晩でその向きが変わる。アパートは木造で、築何年だったか、ええと、忘れてしまった。でも、間違いなく十年以上は経っている。だから、いい部屋、という感じはあんまりしない。そのぶん、家賃もそんなに高くはない」
 ぼくは庸子に話しかけるようにでなく、不特定多数の聞き手に向かって話すような、もしくは誰も聞き手のない虚空に向かって話すような、目の前に置かれた作文を読んでいるような感じで、ゆっくりと、けれども、詰まることなく話しはじめた。庸子も、特にうなずいたり、相槌のようなもの入れたりはせず、黙ってぼくの話すのを聞いていた。



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