tell a graphic lie
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(2003.11.2)-1
「はじめに言葉ありき」というのは、自覚でも布告でも摂理でも決意でもなく、ただの祈りだ。言葉を使うものにとって、もっとも強い祈りのひとつだ。"Stand by the Word" 心臓よりも、精神よりも、どうか、先にあれ!
(2003.11.2)-2
 窓からは、隣接する二件のアパートの窓と壁とが見える。ぼくの部屋の前のところで、ちょうど二件の切れ目になっている。ふたつのアパートも、ぼくのアパートとだいたい同じようなものだけれど、ぼくの部屋から見て左側のそれのほうは、比較的新しい。アパートの住人も、こちらと似たようなものだろうと思う。窓の外にただ目を向けただけでは、それしか目に入らない。横になると、アパートとアパートの隙間から、空が少し見える。ぼくはだいたい、こうして空を見ている。暗い地下室の、天上にごく近い位置につけられた明かり窓から眺める空というのは、きっとこんな風なんだろうと、よく思う。そういう空だ。そして、ぼくの部屋の窓というのは、そういう窓だ」
 それだけを、ゆっくりとではあるけれども、ほとんどひと息で話したぼくは、一度口を閉じた。ここまでは、感情の起伏はほとんど無く、したがって、あの哀しいどもりがちの口調にもならずに、ごく淡々と話していると、ぼく自身は感じていた。でも、部屋とその周辺についての記憶を、できるだけ丁寧に辿ろうとしていたので、自分の話し声にまでは、実際にはそんなに気を配っていたわけではなかったから、ところどころに、少し大きな間があったり、いくらかどもりがちになっていたかもしれない。
 口を閉じると、脣の上下がぴったりとついていることが、とても意識された。ぼくは左手の中指で、実際に脣をなぞり、それを確認した。そして、呼吸を落ち着けると、喉が渇いていることに気がついた。中指で脣をなぞりながら、これだけの長さをひと息で話したのは、いつ以来のことだろうと思った。記憶が無かった。
「いまとりあえず思いつくのは、このくらい」
 渇いた喉をもう一度ひらいて、ぼくは言った。
(2003.11.2)-3
「ほんの少しだけ、わかった」
 庸子はそれだけで言葉を切った。
「少しだけ?」
 ぼくは庸子の言葉に軽い不満に感じた。ぼくとしては、部屋について、できるだけ丁寧に話したつもりで、ぼくの部屋自体については、もう語るべきことは、ないように思われたから、話を打ち切ったのだし、それから、こんなにたくさんのことを一度に喋ったのは、自分の記憶にはちょっとないくらいだったのだから、庸子の「ほんの少しだけ、」という言葉は、自分の話し方が拙かったか、話すべき内容にそもそも間違いがあったかの、どちらかなのだろうけれども、自分では、少なくとも丁寧に話しはしたのだと思っていた。
「そう。少しだけ。ほんの少しだけ」
 庸子もまた、「少し」というのをくり返した。
「説明が足りない?それとも、まったく、お気に召さない?」
 「少しだけ」という庸子の言葉への不満が、口調を乱すことがないよう、できるだけ気をつかってぼくは言った。喉が渇いていると、また思った。口のなかも、渇いているようだった。
「説明じゃ、足りない、といえばいいかしら」
落ち着いた声で、庸子は言った。
「説明じゃ、、、」「足りないのよ。決定的に」
 庸子の言いたいことはわかった。ぼくは、「そうだね」という、乾いた声を出した。そして、こう続けた。
「でも、今のぼくには、これしかできない。いや、これしか、しないんだ」
「そうね。あなたは、とてもはっきりと、拒絶しているわね」
「だから、『ほんの少し』で、我慢してもらわないといけない。何度も、言うようだけれど」
「そうね。我慢しないと、いけないのでしょうね」
「すまないのだけれど」
 ぼくは、それをあまり感情をこめずに言った。庸子には、きっと薄情に聞えていると知っていたけれど、それでも、何も言えないよりは、ずっといい。庸子は、それには答えず、しばらく黙っていた。ぼくも、自分から言うべきことは、何もないので、同じように、黙って、そうして、喉が渇いていると思っていた。アパートの前の路地を、車が一台、細い道を慎重に通り抜ける、そろそろという音が聞こえた。あとは、一切の無音だった。ぼくは庸子が、何か言葉を持ってくるのを、ただ待った。
「今は、もう、これでいいわ」
 一分もあったろうかという沈黙のあと、庸子は明るく作った声で喋りはじめた。
「また、別の機会にしましょう。電話で話さなくても、会っているときに、話せばいいことだし。
 CDは、あした、持ってきなさい。それから、何かほかにも、私の部屋に置いておきたいものはある?」
 ぼくは、できれば、コンポも一緒に預かって欲しいと言った。庸子は、「悠は、もう、音楽を聴かなくなったんだ」とぽつりと呟いてから、「それも、置いていいわ」と言った。ぼくは、CDとコンポとは、同時に運ぶには、少しかさばり過ぎるからと言って、二度か、三度に分けて運ぶことを伝えた。庸子は、「私が、部屋に取りに行けば、一度で済むのに」と、声を落して呟いてから、好きにしていいと言った。
 電話を終えて、受話器を置くと、冷蔵庫の前へ行って、牛乳をコップいっぱい飲んだ。そのまま、すぐにコップを洗いながら、「そうだ、冷蔵庫があるってことは、たしか、言わなかった」など、ひとりごとをした。
(2003.11.2)-4
「赤と黒」は、昨日きょうで、読んでしまいました。たしか、長すぎる、と書いた記憶がございますが、大丈夫。あのあと少しして、あっぱれ、見事に展開いたしました。たいしたものです。最後まで、微妙に片手落ちな記述はあいかわらずでしたが、そんなことは、全く問題になりません。そのうちに、みなわかるように、できています。すばらしい。ブラボオ!であります。登場人物の一人ひとりについて書くことは、いたしませんが、全体としては、欲の皮つっぱった親父どもが、それぞれ、なんとも言えぬいい味を出しておりました。スタンダアルは、彼らをほとんど一度もよく言うことはありませんでしたが、彼らの描写には、どこか、愛嬌があるように思いました。そういう風に、生きてきて、あれだけの年齢に達した人間たちの、その価値観というものを、かなりそのままに写し出せていたように思いました。大したものです。ブラボオ!
(2003.11.7)
合理的。または功利的。この場合の理とは、利とは、最終的に何を目指すものなのか。普遍的かつ基礎的な欲求の衝動をより大きく満足させるような手段のことを言うのか。食慾、性慾、支配慾、被支配慾、物慾、名誉慾、愛情、怠惰、堕落、解放。あるいは、それら凡ての究極としての死。積み上げられたるエントロピー。熱力学第二法則は、人間の歩みに対して適用しても、妥当性を維持できるか。合理的な死ではなく、合理的な歩みの彼岸としての死。第四次元としての時間ではなく、人類史の正方向軸としての時間における、その到達点としての死。最も遠くまで到達した者が、最もよく死ぬことができる。これは経験則か。いや、ぼくは経験していない。けれども、僅かの間接的経験と、直覚のみで以て、それはつかみ、知覚することができる。それゆえにおそらく、それは標準的な公理というべきものにちがいない。ならば、その最遠とは、何を指すのか。
(2003.11.8)-1
そして、酔っぱらったぼくは、ここで力つきて寝入ってしまう。ループ設定にしていた「降るプラチナ」が延々とくり返されている。目覚めると、水の入れ替わりのない、澱んだ暗渠の前に立ったぼくが、油まみれの黒い中華鍋に、苔か海草をびっしりと植えつけたような姿をした、そこに住む一匹の魚を見つめている夢を見たことを覚えていた。魚はまったくといっていいほど動きを見せず、暗渠とほとんど完全に同化しており、水中に目を凝らしていたぼくはふいに、視線の先にそれが居ることに気づく。ぼくはしゃがみこんで、水中に両手をさし入れ、動かぬ魚を掴みあげようとする。ぼくの右手が魚の胴に触れると、魚はぶるぶると極めて大儀そうに体をゆらし、ぼくの手から逃れる。動きだし、暗渠から浮き出た魚は、それによって、はっきりとした姿をぼくに見せた。それは、極めて醜いものだった。眼は白く、限りなく濁っており、口はアンコウのように受け口で不恰好であり、醜い下歯がそこから覗いていた。苔か海草のような長い房をびっしりとつけた体の表面は、ぎらぎらとした鈍い光沢を持っており、その外見どおり、実際にぬめり気がある。ぼくは逃れる魚を強いて捕えようとはせず、両手を入れたままそれを見ている。目覚めた際には、魚に触れた感触は残っていなかった。
(2003.11.10)-1
鞘当て。いつくか、書いてみる。
(2003.11.10)-2
 ぼくは頑なになっているのだろうか。もし、そうだというのなら、何のために、そうしているのだろう。なにか、守ろうとしてのことだったか。或いは、その先にあるものを見ようととしてのことだったか。それとも、単に、これが心地よいだけのことだったか。
 思い出せない。どうして、思い出せないのだろう。ぼくはそれを、明確に意識していたのではなかったか。その上で、選択し、決定したのではなかったか。或いは、ひとことでは、言い尽くせないことだったのだろうか。それすら、思いおこせない。
 ----さみしさ。
 ぼくが守ろうとしているものは、これのことか。
 或いは、そうだったのかも、しれない。
 そうだとして、しかし、それを守ってみて、一体なにになるというのだろう。ほんとうに、この先に、何かあるとぼくは思っているのだろうか。こんなものの先に、何があるというのか。何も、ないのではないか。有もなければ、無すらも、変化など、一切あり得ないのではないか。永遠に、これはこのままで、ここにあり続けるのではないだろうか。
 何にもならないものを、ぼくは守っているのだろうか。庸子の意思を拒んでまで、そうしているのだろうか。
 庸子は、さみしさを、感じているのだろうか。

(2003.11.10)-3
 庸子だけは、部屋に入ってもいいのではないだろうか。そのほうが、むしろ自然のような気がする。ぼくの部屋に、庸子は何か期待をしているわけでもないだろうし、実際、庸子が部屋に来ることによって、がらんどうのこの部屋の、重要な部分が破壊されてしまうとも思えない。それは、一見、たしかそうに思えるのだけれども、ぼくの裡のなにかが、それに強く反撥する。
 いや、庸子こそ、最もこの部屋に入れてはならないひとだ。彼女が足を踏み入れた途端に、いや、室内を眺めただけでも、このことには意味が無くなってしまうのだ。重要な部分が、たしかに、破壊されてしまうのだ。それは、一度壊れてしまえば、二度と元に戻りはしないから、決して試してみてはならない。庸子を、決して部屋に迎えてはならない。
 けれども、そうしてまで守っている、このがらんどうの部屋の重要な部分とは、いったい、何を思って、ぼくはいっているのか。ぼくは、がらんどうということのなかに、何を見ているというのだろうか。がらんどうは、ぼくに何をするのだろう。ぼくに、何か与えてくれるのだろうか。結局、ぼくは、何もいうことができない。答えの持ち合わせの無いまま、ただ、その強い拒絶の声だけにぼくは従っている。庸子の意思を拒んでまで、そうし続けている。

(2003.11.10)-4
ああ、これは、だめ。また、あした。
(2003.11.10)-5
きょうは、とても寒い。冬着を引っ張りだして来ました。ですから、いまはかえって、暖かです。そのせいか、どうか、わかりませんが、さっきから、あなたが笑っているところを想像しています。そして、ぼくはその顔をただ眺めています。おもいは、熱を帯びた砲弾のように、あかく光り、ぎりぎりと回転して身を捩りながら、冬空を越え、あなたのもとにも届くような気がします。冬空の澄んだ空気は、それをよく通すのでしょう。空気を抉る音と、光の尾をひいて飛ぶその様が、目に見えるようです。なにか、かたちに乗せると、そこから、おもいは力を得るのです。こころだけでは、かたちがありませんから、夢に見るのも、ずいぶんむずかしいのです。
(2003.11.10)-6
ぼくがこの空間に存在する根拠。
(2003.11.11)-1
小島信夫の本が手に入らない。太宰は文庫が大量にある(文庫に入らなかった作品は、まあ、読まなくてもいいだろうと思えるほどに、揃っている)のでとてもよいのだが、小島信夫は、どうやら、そうはいかないらしい。
(2003.11.11)-2
ぼくも小島信夫みたいに、文が書ければいいのになあ。これをやるのに必要なのは、、、まず、勇気、それから、確信、そして、ほんの少しの無神経。そう、文を書くのに、勇気が、要るんだ。勇気を描写したり、勇気について言及したり、勇気を喚起したりする文というのではなくて、書くのに勇気が要る文、或いは、文そのものが勇気である文。あんまり、見たことないなあ。勇気の文といって思い浮かぶのは、フォークナーあたりだけれども、フォークナーの文は、あれは、勇気というよりも、むしろ黒光りする鋼鉄の意思だ。ほかには、たとえば、前期の太宰は、生れてスイマセンだし、後期なら孤高の義の旗だし、中原中也は傍若無人だし、小林秀雄は理解する興奮だし、芥川龍之介は銀のナイフだし、ドストエフスキイは病的昂揚だし、沙翁は饒舌によって立つ自己だし、大江健三郎は耽溺する善意だし、佐藤春夫は文章職人だし、森林太郎は厳粛なる教養だし、モオパッサンは自然主義の完璧だし、カフカは形而上的運命論だし、川上弘美はぺたぺたさんだし、高橋源一郎はパブリックインテリジェンシイだし、ゴッホは舌足らずのミストラルだし、オスカー・ワイルドはサロメだし、ジイドは力を尽して狭き門より入れだし、チェホフは桜の園を取り返すすべ無きやだし、保坂和志は思索する日常だし、川端康成は幽霊の偏向プリズムだし、三島由紀夫はプラチナ的肉体美学だし、小川未明は名文だし、h2oはtellagraphiclieだし、ぼくのものは日本語のなりそこないだし、だから、みんな、勇気とは違うもので、勇気の文は、小島信夫だ。
(2003.11.14)-1
 久しぶりに微酔して、信号無視しながら夜道を歩いて、二度ほど轢かれそうになる。ありがたいことに、どちらも、「そうになる」、だけで済んでしまう。二度目の車をやり過ごしたあとで、すっきりと冷たい夜気を見つめながら、「死ねばよかったのに」とぼくは言った。
 死ねばよかったのに。死ねばよかったのに。死ねばよかったのに、と思いながら、歩く。それには重さがない。重さがないから、沈澱もしないし、風に吹きとばされもしない。ごくあたり前の事実というのは、ごくあたり前のものでしかない。そして、実際にはそうなってはいない、ということもまた、やはり事実でしかない。
 自分で死亡届を出すことを考える。ジョークとして機能しない。しかし、自分は馬鹿だとも、思わない。決して、思わない。ぼくは死ねばよかったのに、現にこうして今、死んでいない。という事実は、どうしても事実でしかない。ぼくは事実を口にし、自身それを聞いた。
 ぼくの考えるというのは、そういうことだ。ぼくの考えないというのは、そういうことだ。ぼくの考えたことは、他人が聞く必要があるだろうか。事実は、他人に向かって言うべきことだろうか。問いの全てに答えがつくのは必然だろうか。
 まず、この問いに答えない。次にぼくは喋らない。その次に事実。そして、「スプーンで林檎を割る」ぼくもひとつ、言ってみる。曰く、「天秤の片方を右手で支える」
 意味がついていた。ぼくは轢かれて死ねばよかったのに、そうなっていない。
(2003.11.14)-2
写実的な嘘をつく。
(2003.11.14)-3
書くことがない。
(2003.11.14)-4
これも、嘘。
(2003.11.14)-5
痛ければ叫べ!
(2003.11.14)-6
これは大嘘。
(2003.11.14)-7
「イタイ!」
(2003.11.14)-8
足がさむいから、足を暖めている。
足を暖めていると、足のことが気にかかるから、足を暖めながら、ぼくは足をもぞもぞさせて、それを見つめている。
ぼくの足はもぞもぞしている。
ああ、もぞもぞしていると思う。
足がさむくなくなってきた。ぼくはほかのことを考える。
いま何時だろう、など思っている。
さっき起きた地震の揺れを思い出そうとしたりしている。
そうして、もう足のことを気にかけないから、足をもぞもぞさせていない。
ほかのことを考えている。
夜が明けたりもしている。
冬が近づいて、またぼくは歳をとろうとしている。
足を暖めながら、それを待っている。

(2003.11.21)-1
 ただ生きる。
 ただ生きる、ということがわからない。
 「生きる」というのが、そもそもぼくにはよくわからないし、だから、そこにかかる「ただ」というのも、何のことを言っているのか、甚だ曖昧糢糊としている。
 結局、庸子にはっきりとした考えらしきものを、何ひとつ言うことができないでいるぼくには、眠る前、眼を閉じず、夜の窓に斜めにさしこむ街灯の青白い光と、通りを横切る自動車のヘッドランプの光の断片が時折それに重なるのを眺めて、「この部屋は真っ暗闇にはならないのだな」など、とりとめなく思うことのうちに、そんなものが混じっていることがある。そのときは何もせず、そのまま寝つくのが常なのだけれども、「足りないのよ。決定的に」という庸子の言葉に、電話口で素直に頷いたぼくは、「生きる」という言葉を、クローゼットの片すみ、革靴の箱や、読み終えた小説、マンガ単行本がまとめられた紙袋なんかが積み上げた山から、国語辞典をひと仕事して引っぱり出し、開いてみなければならないほどに、気にかかるようになっていた。
 しばらく経ったある日、仕事を終えて庸子の部屋に行き、いつもどおり、なんでもなく過ごしてから戻って、ドアそばのスイッチで部屋の明かりをつけると、不相変のがらんどうがそこにはあって、それはいつもの、ごくあたり前のことのはずなのだけれど、その日は、その空間の大きさがいやに目障りに思えた。それでぼくは入り口から中へ進まず、その場に止まって、その大きさを見つめて、「ただ生きる、ということがわからない」と思った。蛍光灯が照らし出す部屋の壁も床も天上も、みな病的な白さで、それらに囲われた中にあるぼくのがらんどうの部屋は、ぼくを拒んでいる、あるいは、異物として捉えているように見えた。その空間に対して言おうとしたのか、「仕方がないじゃないか」と呟いてから、ぼくは部屋にあがり、何もないその真ん中に敷かれたままになっているマットレスの上に尻をついた。そうなる理由には、さして心あたりは無かったのだけれども、その日の部屋は、たしかに、非常にがらんとしていた。ぼくは居心地悪さを感じたまま、もう一度部屋中を見まわした。そうして、「ただ生きる、ということがわからない」と、部屋に入るとき思ったことを思い出した。それから立ち上がり、クロゼットを開いて、国語辞典を引っぱり出すことを始めた。辞典には、「ただ生きる」という言葉は、そのままでは載っていないので、ぼくは「生きる」という部分を先に調べた。

(2003.11.22)-1
 今日は、たくさん眠った。先週から、なんだか上手に眠ることができないでいたので、安心している。ぼくにはもう、よく眠れたことを喜ぶ感覚や、眠ること自体を楽しむ感覚は無くなってしまっているのだけども、こうしてきちんと眠ることができるというのは、悪くないことだと思う。よく眠れないで暮していると、なんだかうまく書けなくなるから。
 工場の機械のように、月に一度のメンテナンスだけで、眠ることが必要でなくなれば、それが一ばんいいのだけれど、ぼくはそういう機械ではなくて、それよりもだいぶ複雑なつくりをしているもので、おかげで毎日まいにち、食べたり飲んだり眠ったり洗浄したり排泄したりしなければならない。たくさん捨てたつもりだけれども、それでも、月に一度のメンテナンスで済むようには、どうしたってなれない。ものを見て、それを記す機能さへあれば、ほかは要らないのだから機械の体になればいいと思う。血が赤いのは別にそれで構わないけれど、暖かい必要はない。それだって、やることさえ済んでしまえば、いらないものだ。自律的な運動をする個体とそうでないもののあいだにある違いなんて、下らないものだ。
(2003.11.22)-2
と、これはぼくが思っていること。次は、つづき。
(2003.11.22)-3
 「生きる」という言葉について何か知ろうとするときに、国語辞典を開かなければならないというのは、とても貧しいことだというのを知らないわけではなくて、それはもっと他のもの、実経験や周囲の人びとの行為の一つひとつや話すことなんかから、エッセンスを吸収してゆくうちに、確たる形は持たなくとも、少なくとも或る質料を有する塊として育ってゆくものなのだろう、というのは知っている。また、たとえそういうものが得られない人生的貧困の環境にあったとしても、少なくとも、国語辞典に頼らなければならないことは、普通はない。テレビでは、ほとんど毎日そういったものを扱っている番組があるし、そのときに興行している大きな映画の少なくとも一本は、やはりそういったことを言っているものであるはずだし、ちまたで目にする活字の数パーセントは、何らかの関連がある。だから、わざわざ国語辞典をひいて、それを調べる人間というのは、よっぽど暇なのか、ひどい馬鹿だ。それも、知っている。そして、調べてみたところで、辞典の限られた各項目のスペースで、それについての何かまともな記述を見いだせることは、まず無いだろうというのも、わかっている。でも、ぼくは国語辞典でそれを調べた。

(2003.11.22)-4
みんなうまい。ぼくには書けないことばかり、書いている。
(2003.11.23)-1
光学式マウスが壊れてきた。ときおり、アル中みたいにぶるぶるいって、進まなくなる。
(2003.11.24)-1
先生、小説って何をするものなんですか?もしかして、それ自体は、二三言でいえてしまうものなんじゃあないですか?それだけでは、「同時に二人の人間であること」とか「人間が空を飛ぶ」のと同じくらい現実にはありえないことに聞えるのかも知れないですけど、それでも、それと同じ程度に具体的に指示して言うことだけはできるのではないですか?
(2003.11.24)-2
最近は、考えた事がそのまま文字に落ちなくなってきた。たぶん、いい兆候なのだと思う。
(2003.11.24)-3
小島信夫の小説は、写すことに意味があるだろうか。「殉教・微笑」や「抱擁家族」では、しくじって印をつけておくのを忘れて(というよりも、どうピックアップしてよいのかわからなくて)、すぐに抜き出すことができないのだけれども、「うるわしき日々」は印をつけながら読んでいるので、それをすることができる。しかし、実際にそれをすることに一体どれだけの意味があるのか、わからないのでためらってしまう。文章に関する技術的完成度が高いというわけでもなく(いわゆる小説的文章でないのである)、鋭い切り口の内容でも、隠れている真実をよいかたちで現出させたものでもない。
(2003.11.24)-4
あるいは、こういうことを言ってもいいかもしれない。小説は娯楽かと問われて、そうではないと応える。それは野球は娯楽かと問われて、そうではないと応えるのと、基本的に違いはない。つまり、実際にそれをやっている人間にとっては、決して娯楽などではなく、進むべき道であり、飯の種であり、主要な関心事であり、好奇心の源泉であるところの、あの生業というやつである、ということである。そして、野球を生業としないものにとっては、基本的な部分において、野球は娯楽である。(野球も小説も「興行」によって、収入を得る種類の事業である、ということを附言しておく)

(2003.11.24)-5
ある対象があった際に、それを生業とする人と、そうでない人との、対象を見る目というのは自ずから異なるものであるが、小島信夫の作品というのは、小説を生業としての視点で読まないものにとって、どう捉えられるのだろうか、面白いのだろうか、という疑問がわく。つまり、単に娯楽として見る場合には、小島作品よりも高価値のものがいくらでもあるように思えるのである。「うるわしき日々」には、夢とか幻想とかがないだけでなく、もっと根本的に、都合のいいところがどこにも無い。現実と変わりない。(第四章は、「夢」という章題がついていて、主人公の眠っているさいの夢が、その主要な話題であるし、幻想じみた記述もあったりはするが、それはただそういう夢を見たという現実を書いているのであって、小説自体が夢に立脚しているのではない)彼の小説は、何にも外に発散してゆかないし、何にも外から入り混じってこない。なぜなら、小説の内とか外とか、そういうもの自体がないからである。そういう、小説でありながら、現実と変わりないものというのは、娯楽として役に立つのだろうか。それを小説によってなせることのひとつの形として捉えること以外に、小島作品を読むことに意義が見出せるものなのだろうか。
(2003.11.24)-6
小説というのは、一般にいう娯楽の範疇より外のことを、確実に考えているもので、それは書き手だけではなく、読み手についてもある程度あてはまる(たとえば、ぼくのように)ことなので(前述の「娯楽」と「生業」というのは、そういう視点からいえば、随分と乱暴な切り分け方で、すべての「娯楽」としてあるものは、そんなに一元的ではないし、すべての「娯楽」でないものも、また、それぞれいくらかの「娯楽」性とでもいうべきものを内包している。だから、それは「娯楽」というよりも「好奇心の対象」あるいは「自身に何らかのかたちで関わっているもの」といったほうがしっくりくるかもしれない)、そういう観点から小島作品をみれば、娯楽性が皆無であっても、読者はそこに一定の面白みを感じるというのは、そんなに意外なことでもないのだが、それにしてもじつに面白くない。学者が自分の専門の分野における学術論文を読むかのようにして、ぼくは小島作品を読んでしまう。その学術論文の分野というのは、もちろん、小説によって取り扱うことのできる範囲というものである。小島信夫は、その小説によって、その新しい形をぼくに見せてくれているような気がするのだが、その具体的内容については、今のぼくにははっきりと言及することができないので、ここには書くことができない。ただ、小説というのは、確かに娯楽以外のことをもやるものであり、逆に、娯楽性が皆無であっても、小説としてあることはできるのだ、というようなことを見せてくれているように思う。
(2003.11.24)-7
結局、何が言いたいのか、自分にもよくわからない。小島信夫の小説は、変だ。
(2003.11.25)-1
 すこし、群れから離れて歩いてしまっていると、おない年くらいの女の子が、ぼくを追い越そうとしてゆくきわに、ぼくのことを見つめて憐れんでいた。
「憐れまれた!」
 ぼくはますます捻くれ不貞腐れた感じになり、「チッ」舌打ちまでして、口を歪め、夜空を見あげ、なんにも無いので、こんどは、歩道に添った植えこみの不恰好な刈りこみの様を見て歩いた。その子は、ちょうど小谷氏くらいの、女の人のなかでも小さい方の背丈で、夜目ではっきりとはしなかったが、グリーン系の毛糸かウールの毛羽立ったマフラーを巻いており、シンプルなシングルのジャケットを羽織り、裾が短めのパンツをはいて、中くらいの長さの髪を後ろでまとめ、右肩にトートバッグをかけ、左手にたたんだ小ぶりの雨傘(雨はもうあがっていた)を持って、眼がまっすぐに大きかった。好きな感じの眼だった。ぼくはその眼で憐れまれたのだ。
「憐れまれた!憐れまれた!」
 ぼくは、声にはせずにそう繰り返しながら、道の脇を見て歩く。声にするかわりに「チッ。チッ」舌打ちを小さくくり返している。女の子は、早足で(小さいので、早足でもあんまりはやくない)だんだんぼくから遠ざかり、駅へ向かう人の群にまぎれてわからなくなった。ぼくは両手ともつっこんだポケットの中で、拳をギュッと握りしめる。
 ぼくは、何が気にいらないかって。決まっている。それが外に顕れていたことだよ。
(2003.11.25)-2
書きものが先へ進まない理由のひとつは、間違いなく、あんまりそのことに時間を費やしていないからである。考えたり、作ったりして書く、というのではなく、どちらかといえば、書けるようになるのを待って書く、というのが、現在の書きかたなので、きっと進まないのである。
(2003.11.25)-3
 国語辞典には、予想したとおり、ぼくの望んだような事柄は書かれていなかった。そこにあったのは、主に「生きる」という言葉の慣用的な用法についての記述で、「筆一本でいきる」とか、「いきた金の使い方」とか、そういう言葉が例としてあげられているばかりで、それらの原義としてあるはずの、「生きる」という言葉自体の、意味なり、役割なりというのは、そこには見あたらなかった。ぼくはそれでも、一応「生きる」の項をおしまいまで一とおり目を通してから、次に、もうひとつの言葉「ただ」というのを調べにかかった。ただ、それはもう、特に何かを期待しているというわけではなくて、ただ辞典を開いてしまっているから、ついでにという程度のことでしかない。
 それでも、「ただ」の項には、「生きる」に掛かりそうな意味がいくつかあった。それぞれの意味には、置き換えることのできる言葉があげられていたりもする。ぼくは、これは少しは足しになりそうだと思い、細かい字でなった行をひとつひとつ人差し指でなぞりながら読んでゆく。
 副詞の「ただ」には、言い換えることのできる言葉が載せられている。
   「まっすぐ。まとも」まっすぐ生きる。まともに生きる。
   「隔てるもののないこと。直接」直接生きる。じかに生きる。
   「(変えたり加えたりしないで)そのまま」そのまま生きる。
   「それだけであって、ほかでない意をあらわす。単に」単に生きる。
   「その事が主となっている意を表す。ひらすら。もっぱら。全く」ひたすら生きる。もっぱら生きる。全く生きる。
   「数量・程度などのわずかなこと。わずか。たった」わずかに生きる。たった生きているだけ。
 名刺としての「ただ」の項には、それぞれの意味が書かれてある。
   「何ともないこと。取りたてて言うこともないさま」
   「なんの意味もないさま。むなしいさま」
   「特別な人・事・物でないこと。ふつう。なみ」

(2003.11.26)-1
すこし前に、小島信夫の文は、勇気の文だと書いたけれども、あれは間違いだった。小島信夫の文は、勇気の文ではなくて、ただ事実を小説として書いたものに過ぎなかった。彼の文が順序だてて語ることを拒むというよりは、それに全く頓着していないように見えるのは、小説あってそれが必須のものとなっている主要な根拠であるところの、「創作」というものではないからだったのである。事実というものには、どうしようもない説得力というものが備わっているもので、それはあらゆる「もっともらしい合理性」というものに勝ってしまうのである。小島信夫の文から受けた、あの不可解な説得力というのは、彼の技倆というよりは、この事実というものにどうやら依拠しているらしい。また、「小説として書く」ということは、素人のぼくには至極やっかいなものであって、残念ながら、何ひとつはっきりと言うことはできないのだが、それでも、「これをやるのに必要なのは、、、まず、勇気、それから、確信、そして、ほんの少しの無神経」というのは、まだ、そんなにもハズレではないとは思っている。つまり、「事実を小説として書く」ためには、まちがいなく或る種の勇気が必要であり、そして、それは無神経にごく近い種類のものに違いないし、また、それは確信に裏打ちされていなければならないということである。
(2003.11.26)-2
小説を書くために生きる。
生きているということは小説を書くことである。

(2003.11.26)-3
「小島信夫のような作家にとって、小説を書くという行為と、生きるということは、果してどちらが先にあるのだろうか」と聞かれれば、ためらわずに答える。「それはもちろん、小説を書くことが先だ。彼は書いたから生きているのだ」これは、「私から小説を取り去ったら、いったい何が残るというのだ」ということではない。そういう言葉遊びを言っているのではない。また、「小説家である小島信夫は、小説を書くことによって、現実にある小島信夫になったのだ」ということでもない。生と死とが、純粋に二値として立つことを前提とした場合に、「書いたから生きている」ということだ。即ち、それが偽である場合、小島信夫は生きていない、つまり、死んでいる(「死」に進行形、完了形継続用法は成り立たないので、この言い方は正しくないのだが)ということになる。そして、この仮定には実効性がない。現実に、小島信夫は小説を書いている。それは、あの面白くもなんともない、必然というもので、それ以外の状態が得られることというのは、現実には存在し得ないのである。運命と言っても、それは構わない。小島信夫をいなかったことにすることはできるが、小島信夫が存在する限りは、彼は小説家であり、「書いているから生きている」のである。
(2003.11.27)-1
水冷式パソコンは本当に静かなのだろうか。ささやき声程度というのは、十分にうるさいのではないか。それならば、音を遮断する外壁、もしくはボックスのようなものに入れて、筐体を覆ってしまった方が、音を遮断できるのではないだろうか。通気の問題があるにしても、そちらの方が有効なのではないか。少し前にあった、マックのG4は、水冷式どころか無冷式(ファンレス。たしか、温度差を利用した気流でどうのこうの、という代物だったような気がする)で、非常に魅力的に映ったのだが、あれにはやはり、どうやら欠陥があったようで、しばらくするとモデルチェンジをしてしまい、ファン附きになり、無価値になった。
(2003.11.27)-2
とにかく、部屋の窓をきちんと閉めるようになった秋口から、また、PCのファンの音が気になって仕方がない。電源を入れているときと、そうでないときとで、CDの聴こえ方がかなり違うというのにはまいるのである。最近は、音楽を聴くのも、耳を圧迫しない程の音量で聴きたいと思っているのである。
(2003.11.27)-3
当然のことながら、店頭ではその評価ができないので、現物を見て確かめるというのは、この場合できない。
(2003.11.27)-4
ちょっと調べたら、ビデオカードの水冷をやっていないから、大したことないといっている人がいる。
(2003.11.28)-1
すこし廻り路、みち草食ってみることにしよう。いくつか、覚書としてとっておいてもいいようなくらいのかたまりになってきているから。それに、いまのペエスでは、一日二日くらいそれをしないことを選択したからといって、それがあとにまで影響するとは思えない。もちろん、これは「ただぼくのためだけに」あるもので、わざわざここに書きつける必要は全くないのだけれど、ここに書きつけるということは(書きつけることに依って、考えることをしようとするのは)、今ではぼくにとって最も自然なことなので、ここに書くことでそれをしようと思うのだ。ぼくは紙のメモを使ったりはしないのである(したがって、ぼくの思考は常に一次元的なのである。拡がりも何も、あったものではない。幅自体が存在しない)。
(2003.11.28)-2
話題は、いくつかあるんだ。

一、明示的に太宰信奉であり、村上春樹に代表されるような現代小説を好まない(この二年あまりで読んだのは多分二冊に過ぎない。しかも、そのどちらも「批判的」な印象を持った)ぼくが、実際には太宰のような文を書かない(書こうとしない)のか。
一、終わりまで書けそうだと、はじめる直前に思って書きはじめて、書きはじめて二ヶ月経った今でもやっぱりそう思っていて、だから、そろそろ自分が何を書いているのか、少しくらいはわかっても構わないと思う。ぼくは何を書いているのか。また、書こうとしているのか。
一、今回は、表題が先にあったのだが、それの効果について。モチーフ、というよりもイメージを、外から持ってくることについて。
一、ぼくの文は詰まらないか。詰まらないのなら、どこが、どのようにして詰まらないのか。また、詰まらないことは問題になるのか。
一、これは小説ですか。そのなりそこないですか。それとも他のなにかですか。

うーん、だんだん抽象的になってくるな。全部にこたえられるとはまったく思わないけれども、それぞれに少しずつ何か言おうとしてみよう。
(2003.11.28)-3
問いというのは、それが立った時点で、回答(解決ではなく)があることは決定しているものであり、その意味ですでに道半ばまで来ていると言ってよいものである。ということで、今日はもう寝ることにしよう。眠い。
(2003.11.29)-1
どうやら、分不相応な試みであったようである。結論から言えば、そのようなことになる。今日いちにち、昨日愚かにも自ら、自らに課したところの、一つひとつを取ってみてもあまり答えやすいとは言えないような問いを、一度に四つ五つも並べ立てて、その壮観に満足顔、すっかりひと仕事終えたような気分で眠りに就き、明けて今日は、さて、それに答える日、起きてからずっと、頭の片すみにそれを置いて、置き続けているのだが、何ひとつまともな言葉は浮んでこない。

(2003.11.29)-2
曰く、
「小説というのは、時代に対してもべったりと貼り附いているものに相違なく、作家の生存していた時代の枠組みのなかにおいて、それは成立し、完成される。現代において、太宰の小説は成立し得るか」
「たとえば、現代における自殺の陳腐さというものひとつをとってみても、それは明白である。悲惨とか苦悶とか悲運とか、そういうものを誇らしく語るというのは、もうどこにも目新しいところはなくて、見たまえ。テレビカメラの前では、みな嬉々としてそういうことを喋っている。そして我々も、飽きもせず、よくそれを聞いている」
「また、現代に於いては、思想とか主義とかといった言葉は、実に安っぽく響くもので、それはなぜかといえば、思想とか主義とかいったものは、まさしく男性的なもので、現代のように、社会という領域のかなりの部分に女性が進出してくると、思想、主義といったものは媒体としての機能不全に陥る。女に向かって思想を説くことは、極めてナンセンスだ。一パアセントも理解されはしないのだ」
「思想、主義の限界というのは、アホらしくもそのあたりにあるもので、それらが全く通じない女というものが、それでも極めて健康に、かつ大なる勢力を有して生活しているところを見ると、思想とか主義といったものの必要性についての根本的な疑念がわいてくる。『もしかして、これは全然要らないんじゃないの』女王の靴を舐めることは、そんなに悪い気分ではない」
「そして、太宰は思想とか主義とかがまだ機能していた頃の作家であって、思想とか主義とかのいいところは、ある大きさを持ったものにラベルが附けられているという点にあり、それによって非常に短時間(『何々主義』と口にする約一秒間)で相当量の情報を伝えることができるという点である。そして、まさにそのことによって、彼の掲げていたような最も単純な究極が、正統なものとして見なされたのである。主義の名の下に集い、問いかけ、思想に依って死を選ぶ」
「根本的なところで、ひどくあやふやなのである。たぶん、昔はそうでなかった。でも、それはそうでなかったと皆が思い込んでいただけのことで、実際にはそこに確たるものなどありはしなかったのである。幻の橋を渡る。信じていれば、空も歩ける。そうでなかったと、今もそうでないと誰が言える。自分の立っている場所が実際に空(クウ)でないと、どうやって証明するのだ。分子間の結合力でも計ってみるというのか」
「『書かないことこそが小説なのだ』とは、高橋源一郎の言。あるいはぼくの誤解」
「そうだ、今日は葛西善蔵を読もう」
「小島信夫の小説が、正銘の、正統の現代小説であるというのならば、現代の小説というのは、おそろしく非形式なものだ。型というものが、まるでない。さっきの橋の喩えではないが、谷にではなく、純粋の崖から橋をかけるような感じだ。対岸がないのである。なのに、橋を伸ばしはじめる。そういう感じだ。あるいは、陸地を増やす、と言ってもいいかもしれない。作った分だけが確固としてあり、そして、それはただそれだけのことであって、何か派生的な役割なり意義なりが発生するわけではない」

(2003.11.29)-3
なにやら切れ切れに浮んでくるばかりで、一向にまとまったものにはなってくれない。ちょっと話が大きすぎたようである。けれども、はじめの一つくらいには、どうにかこたえを用意してみたいと思う。太宰「もの思う葦」の一片である。
(敗北の歌)
 曳かれものの小唄という言葉がある。痩馬に乗せられ刑場に曳かれて行く死刑囚が、それでも自分のおちぶれを見せまいと、いかにも気楽そうに馬上で低吟する小唄の謂いであって、ばかばかしい負け惜しみを嘲う言葉のようであるが、文学なんかも、そんなものじゃないのか。早いところ、身のまわりの倫理の問題から話をすすめてみる。私が言わなければ誰も言わないだろうから、私が次のようなあたりまえのことを言うても、何やら英雄の言葉のように響くかも知れないが、だいいちに私は私の老母がきらいである。生みの親であるが好きになれない。無智。これゆえにたまらない。つぎに私は、四谷怪談の伊右衛門に同情を持つ者であるということを言わなければならない。まったく、女房の髪が抜け、顔いちめん腫れあがって膿が流れ、おまけにちんば、それで朝から晩までめそめそ泣きつかれた日には、伊右衛門でなくても、蚊帳を質にいれて遊びに出かけたくなるだろうと思う。つぎに私は、友情と金銭の相互関係について、つぎに私は師弟の挨拶について、つぎに私は兵隊について、いくらでも言えるのであるが、いますぐ牢へいれられるのはやはりいやであるからこの辺で止す。つまり私には良心がないということが言いたいのである。はじめからそんなものはなかった。鞭影(べんえい)への恐怖、言いかえれば世の中から爪弾きされはせぬかという懸念、牢屋への憎悪、そんなものを人は良心の呵責と呼んで落ちついているようである。自己保存の本能なら、馬車馬にも番犬にもある。けれども、こんな日常倫理のうえの判り切った出鱈目を、知らぬ顔して踏襲して行くのが、また世の中のなつかしいところ、血気にはやってばかな真似をするなよ、と同宿のサラリイマンが私をいさめた。いや、と私は気を取り直して心のなかで呟く。ぼくは新しい倫理を樹立するのだ。美と叡智とを基準にした新しい倫理を創るのだ。美しいもの、怜悧なるものは、すべて正しい。醜と愚鈍とは死刑である。そうして立ちあがったところで、さて、私には何が出来た。殺人、放火、強姦、身をふるわせてそれらへあこがれても、何ひとつできなかった。立ちあがって、尻餅ついた。サラリイマンは、また現れて、諦念と怠惰のよさを説く。姉は、母の心配を思え、と愚劣きわまる手紙を寄こす。そろそろ私の狂乱がはじまる。なんでもよい、人のやるなと言うことを計算なく行う。きりきり舞って舞い狂って、はては自殺と入院である。そうして、私の「小唄」もこの直後からはじまるようである。曳かれるもの、身は痩馬にゆだねて、のんきに鼻歌を歌う。「私は神の継子。ものごとを未解決のままで神の裁断にまかせることを嫌う。なにもかも自分で割り切ってしまいたい。神は何ひとつ私に手伝わなかった。私は霊感を信じない。知性の職人。懐疑の名人。わざと下手くそに書いてみたりわざと面白くなく書いてみたり、神を恐れぬよるべなき子。判り切っているほど判っているのだ。ああ、ここから見おろすと、みんなおろかで薄汚い。」などと賑やかなことではあるが、おや、刑場はもうすぐそこに見えている。そうしてこの男も「創造しつつ痛ましく勇ましく没落して行くにちがいない。」とツァラツストラがのこのこ出て来ていらざる註釈を一こと附け加えた。
太宰

(2003.11.29)-4
この断片は、現代においては成立しない。それがひとつの回答だと思う。語りの調子とか、小噺の展開法など技術的な事柄については、今でも有効で、とても面白いものなのだが、今これと同じもを書くことはできない。それは、ぼくにはできないということではなくて、これを書く際の前提となっている社会環境なり情況なりが、現代には存在しないということである。具体的に言えば、「新しい倫理を創るのだ。」というのは、倫理自体が無いので「新しい倫理」というのは「英雄の言葉のように」は響くことは無いし、「ものごとを未解決のままで神の裁断にまかせることを嫌う。」などと偉そうに言っていられるのは、せいぜい高校生くらいまでだ。笑いごとではない。万事、現代はこの調子なのだ。そして、そのことがぼくに太宰のような文を書かせないのである。「いい気なもの」なのは、たしかに太宰の方なのであり、もう随分前から、文学はいい気なだけでは立ち行かなくなっているのである。たとえ、到達点としての「義」が、彼のそれと同じであろうとも、彼と同じ経路を辿ってそこへ達するというのは、今では不可能なことなのである。
(2003.11.30)-1
足利銀行の破綻(ということになっている)を見ていると、日本の金融界の変化に対するキャパシティのようなものが垣間見えるような気がする。いつ始まったのかは知らないが、日本金融界というひとつの業界の再構築をするプロジェクトみたいなものが、まあ、どうやらきちんと継続されていて、彼らの仕事が新しい段階に入ったり、新しい案件を取り扱い始めたり、中間報告が出たりと、何かプンクトが打たれるたびに、こうしていちいちニュースになる。竹中平蔵がスカンをくらうのは、たぶん彼らの持っているキャパシティ以上のことを一度に実行しようとするので、彼らのマイルストーンに適合しないためだろう。彼はつい最近まで学者だった男で、業界のキャパシティについての知識が欠如しているのだ(そういうものは、その中に十年二十年いないとわからない。外から眺めているだけでは絶対に理解できない類の情報だ。それはほとんど感覚的なものに違いないから)。竹中平蔵の言っていることはいちいち尤もで、彼らの多くも最終的には竹中平蔵の提示しているような形に落ち着けたいと思っているのだが、竹中平蔵は外の人間だから、その段取りを完全な形で組む力が無い。理屈だけで、段取りを組むことをせずに事業を開始してしまうと、本当にひどい、目もあてられない事態になるというのは、残念ながら、世の道理というやつで、そういうことをしてしまうと、周囲がどれだけ迷惑する結果になるかというのは、今はとても大きな失敗例があって、イラクの現状というのは、まさにそれだし、少し前には、アルゼンチンの金融界が破綻した。段取りを組むというのは、つまり、それに関わる人間たち一人ひとりが、明日の朝何時に起きればいいのかというところまでを、無理のない形で、前もって決めておくということで、扱う案件がどれだけ大きい場合にも、それが段取りの完成ということには変わりない。日本製のロケットがちゃんと挙がらないのも、そういうことを軽視していて、相応のコストをかけていないからだ。ああ、耳が痛い。その点、日本の金融界はまあ、どうにかひどいことにはならずに、仕事を片づけていっているようではある。資金繰りや期限の設定などは、反則すれすれだけれども、ひどいことになるよりは全然ましだ。ひどく難しい仕事だけれども、投げたりせずに、ぜひ頑張って欲しい。現実にいって、それを完遂できる可能性のあるのは、彼らだけなのだから。
(2003.11.30)-2
と、こういう言い方をすると、きっと官僚主義的ということになるのだろうな。


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