tell a graphic lie
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(2003.12.3)-1
思ったよりも、いいかげんな文を書いている。
(2003.12.4)-1
失語症に近く
(2003.12.4)-2
不感症でもあり
(2003.12.4)-3
よろこびとは如何なるものかを忘却したのであって、報われるということの意味は知っておれども、それに反応する感覚を持ちあわせておらぬ。報われると、何故に、笑みが漏れたり、充足した気持ちになったりなどするものなのか。その間の有機的連鎖が断絶している。報われたということは、ただ報われたというだけのことであって、それは所詮事実に過ぎず、それは如何なる感情も発生せしめる妥当な根拠たり得ない。
(2003.12.4)-4
外的な刺激に対する反応として尤もである感覚は、不安、焦燥、恐怖、苦痛の四つのみである。他のすべての感覚は、都合のいい思い込みに過ぎない。
(2003.12.4)-5
本来ならば、動物的欲求を満足させる目的の外にある、一切の会話は無意味であり、そこにはその欲求を充たす以外のあらゆる価値は存在しない。
(2003.12.4)-6
ぼくはマネキンのような貌をしている。どんな端正な顔つきよりも、それらしく見える自信がある。
(2003.12.4)-7
ぼくは自律的な物体に過ぎない。
(2003.12.4)-8
冬の陽射しはあくまで白く、そのなかにある空はあくまで透明である。人びとは白い光の満ちあふれたなかを、肌に微風の心地よい冷たさを感じながら往き来する。友人たちは談笑し、恋人たちは手を握り合い、夫婦はそれぞれ固有のあるべき距離で歩み、ひとりのものは想う人をおもいながらゆく。コンクリートや白タイルはますます白く、アスファルトはぱりぱりに乾燥し、その上を滑ってゆく自動車のタイヤは軽く乾いた音を立てる。そして、ただ、それだけだ。それらの全ては、ただそれだけの単なる現象であり、事実に過ぎず、それには何の感情も附加されるものではない。ぼくはそこにどんな良さも見出さず、また同様に、どんな悪さも見出さない。単に視覚し、映像として捉える。すべては根源的にいって、自身と無関係であり、その文脈において、ぼくは決定的にそれらに無関心である。
(2003.12.4)-9
無感覚というのは、おそらく極く自然なことなので、それに対して、非意識的であるぼくは、したがって無感情である。
(2003.12.4)-10
生きながらにして、死んでいるのに相違なく
(2003.12.4)-11
理想的
(2003.12.5)-1
呼吸したまえ、呼吸を。
(2003.12.7)-1
書けぬので。
(2003.12.7)-2
書けぬので、買い物に出てみる。師走の日曜、渋谷は人であふれかえっている。買い物に出た目的としては、財布と煙草と文庫本とiPodとが入って、それでもコートの下に隠れてしまうようなバッグを探すというのが一ばんだったなのだけれど、文庫本が収まるというのがどうやら条件として稀であるらしく、吉田のものにも都合のいいのが無い。それにしても、文庫本というのは専用の入れ物にあんまり恵まれていない。CDなどは、ラックもたくさんの種類が出回っているけれど、文庫本専用の棚というのは全然無い。文庫本は、CDよりも高さがあるので、CDを収めるものでは用を足さないのである。みな、どうしているのだろうと思うが、電車などで本を読んでいる人というのは大抵、ビジネスバッグやら、教科書を入れているそれなりの大きさの鞄やらを抱えているので、文庫本を入れるというのが問題になったことが無いのだろう。ぼくは会社勤めの人間だけれども、ビジネスバッグに入れて持ち運ぶようなものなど何ひとつなく、持ち歩きたいもののうちで最大のものが文庫本なのだから、ごく小さなバッグで足りるし、その方が何かと都合がいいのである。けれども、そういうのは、どうやら大分珍しい型ということになってしまうらしい、というのが、こうして都合のよいバッグを探してみるとわかる。土方やトビ、左官、美容師の人たちなどが腰につけているようなので、何かいいのはないだろうか。それは商売道具だから、きっとひどく機能的にできている筈なので、とてもいいと思うのだが、やっぱり文庫本は入らないものなのかしら。それで、できれば、トレンチコートと一緒で変にならないようなのがいいのだけれど。難しいかしら。今日はちょっと足をのばして、原宿の方まで行ってみたけれども、ぜんたいに二十歳前後がターゲットの店が多く、もうぼくには若すぎるようなものばかりで、あまり意味がなかった。デザイナーズ家具の店は、実用に程遠いものばかり並べてある。微苦笑を禁じえないのは、契約書を書かせる窓口の椅子や机が、そこに並べてある家具のうちでもっともまともなものであることだ。あのあたりは、何というか、全体的に、コンセプトが先に立っているばかりで、まともに使えるものがなくて、一ばん出来のいいものが、そこで働いている人たちが使っている、自転車やらバイクやら車やら、そこで作られているわけでは決してないものだったりするのが、実に悲しい。と、そんな感想はいいとしても、とかく、こういうときには、買いものもうまくいかぬものらしい。思っているようなものが、見つからない。それでも、どうにか、ナイキのスニーカとウールセータを買って戻る。スニーカ屋さんのボーズ頭の兄ちゃんは控えめな感じがよかった。片脚立ちしてみたりなどして、仔細に検討できた。けれども、全体としては、なんだかうんざりした。
(2003.12.7)-3
書けぬので、酒を飲んでみている。酒を飲んだ方が書けるという時期が過ぎてから、あんまり酒を飲まなくなったのだが、書けなくなれば、いろいろとやってみなければならぬ。そうして、なぜに書けぬのかについて、おもいを巡らしてみなければならぬ。酔っぱらえば、このように脈絡のない駄文を許容することができるのである。こんなものであっても、何も書けぬよりはずっといいというのは、実際のところあたっている。
(2003.12.7)-4
書けぬので、以前のものを読み返してみる。ことし、ぼくは何を書いていたのだろう。あんまり、記憶がない。それもそのはずで、実際に何にも書いていないのである。読み返してみて、まったく成長がないのに驚く。ニュートンが万有引力の式を書いたのは二十三のときで、彼はその立証にその一生を費やしたのだけれど、
(2003.12.7)-5
だいたい、もう一度は書いてしまったことばかしなので、困る、というだけのことなのかもしれない。
(2003.12.9)-1
そうだね、やっぱり、波が、どうしてもあるね。それは、どんな分野の話であれ、まあ、好ましくない現象で、そうはいっても、沈むもんは沈むんだから(ぼくの場合は、どちらかといえば、浮いちゃった、という方がしっくりくるのだけれどもね)、そうなったときには、なんとか補正するよう持っていかなければならないんだ。今までだったら、好きなものをひとつふたつ写してみたりすれば、だいたいよかったのだけど、今度のは、どうも気色が違う。小島信夫がねえ、あれは、非常に、まずいねえ。太宰の内攻というのは、外を視野に入れている、最終的にその出力は外に対して向けられている、言い換えれば、読み手の共感なり、同調なり、反撥なり、軽蔑なりを欲しがっている、という感覚があるのだけれど、その意味では、彼の孤独なんてものは、確かに似非に違いないのだけれども、小島信夫は、そういうのがなくて、困ってしまう。小島信夫の小説は、他人に読ませるものとして書いている感じがしない。彼が小説を書くのは、小説を書くことが生きることであるのだから、書くのであって、それ以上でも、それ以下でもなく、だから、ほんとうに、彼は「ただ」小説を書いている。小説、それ自体が目的である小説。そういう小説というのが、今はもう、確かに存在してしまっている。
(2003.12.9)-2
波は、三角関数よりはいくぶん複雑な、周期の大きな波のうちに小さな波が収まっているようなやつで、ほら、経済学の基礎で、景気の波の分類があるじゃない、三つくらい、人名がついているやつ。長期的な技術革新に依存するやつと、中期的な設備投資のサイクルを表現しているやつと、短期的な在庫調整による波と、ああ、名前は全部忘れちゃった。ああいう感じね。で、今は、中期的なスパンにおける底のあたりのような気がする。経済学っていうのは、世人がそれぞれの感覚でやっているところを、理屈で、もっといえば、数式で表現しようとする努力のことを言っていて、だから、経済学者というのは、数学者とか、物理学者とかにかなり似ている。二三年、まじめに修行を積んで、逆に数式を感覚するようになれれば(この辺りのパラドックスが、「職業」というやつの不思議であり、かつ最も面白いところなのだが)、かなーり面白い学問だと思う。ぼくが少し関わっているプログラムという分野にも、多少似た側面があるので、その感覚は少しばかりは知っている(プログラム言語の合理性というのは、プログラムがわかってくるほどに、素晴らしいものとして目に映るようになってくる。それが極めて合理的で、したがって美しいものである理由というのは、ごく単純に「そうでなければ、うまく動かないから」なのだけれども、あるプログラミング言語のコンセプトが、最終的にコンピュータの根本であるところの0と1の取り扱いにまで至っているのを見出したりするのは、実際とても興奮する。コンピュータの歴史というのは、比較的浅いのだけれども、その全てを辿っている気がするのである。天才達が積んでいった、その功績の全てを一どきに目の当たりにするのだから、当然なのだが)。
(2003.12.9)-3
「合理的」というのは、「不可能ではないこと」ではなく、「それの扱う全ての事柄に、無理の生じないこと」なのであり、したがって、リラックスしたものの筈である。それが堅苦しく響くということは、その「合理性」には、どこかに無理があるのだということを示していることになる。こういう発想が、コンピュータ的思考形式の基本である。(新しい言語の仕様を策定できるほどの)非常に優秀なプログラマは、みな極めてシンプルで明快な思考回路の持主である。彼らの特徴は、ものごとを複雑に難しく捉えるのではなく、極めて単純に、それはもう呆れるくらいに単純に扱うということである。最終的に01の世界に落とし込むのだから、複雑で曖昧なのはご法度である。「yesか、noか、半分か」という三択すら、コンピュータにはないのである。
(2003.12.11)-1
書けないという状態にあることによって進むものっていうのは、たぶんあるのだけれど、それはどこまで行っても、たしかに、自分からやり出すことではないよな。
(2003.12.11)-2
理解したうえでの混迷。
(2003.12.12)-1
これを書いても、何にもならないんじゃ、ないかしら。
(2003.12.12)-2
とか、思う。そして、じっさい、書かない。
(2003.12.12)-3
ふりだしに、もどる。はじめから考えることを、もう一度しなさい。今すぐに、首の動脈を裂いて血飛沫を天上にかけるわけではないのだから、
(2003.12.13)-1
これを書いても、何にもならないんじゃ、ないかしら。
(2003.12.13)-2
どんな物語であれ、茫大なる世界から、その物語を切り出すということを、まずしなければならない。ぜんぶ書くというのは、これは絶対に無理なのだから、まず切り出してしまった方がいい。いや、しまった方がいいというのは、これは甘い考えで、ともかく、何はともあれ、それをしてしまわないことには、話というのは歩き出すことをしないものだというのがほんとうのところである。あるひとつの話があって(それはべつに、一本の小説とか一冊の本とかいうことではなくて、それとは別の、もっと小さな(或いはもっと大きな)開き、拡がり、やがて収斂するという生涯を持つ単位としてあるもの)、それがひとり立ちするためには、何よりもまずはじめに、その物語の主人公と、舞台と、主人公以外の登場人物と、それらと主人公との関係を規定することを、どうしてもしなければならない。これらは実際、必要なことなのだ。これ無しの物語というのは、成功しない、どころではなく、できあがることすらないのである。そして、このことは、とりもなおさず、世界から物語を切り出す、切って取り出し、真の世界とは別箇のところに隔離するということだ。くり返す、全部書くことは決してできないのである。
(2003.12.13)-3
けれども、これは特にかなしむべき事実というわけではないし、物語を限界をいうものではましてない。なぜならば、その事実は、物語が描き出そうとしている対象(それは、多くの場合、人間である)の存在のあり方と変わりないからである。つまり、ぼくらの生活というのも、所詮そういう風にしかできていないということだ。ぼくら一人ひとりが生活する場というのは、ほぼ間違いなく、自宅や職場など、ほんの二三箇所に限られているし、もっと多い人、たとえば、舞台の巡業で全国を渡り歩いているような人や、何かの営業で日に十箇所以上を廻るというような人についても、それは単に、物理的な移動をしているというだけであって、その場と自身との関係という観点からいえば、それはどれも職場というひとつに過ぎず、その意味では、その人間の関わっている場というのは、世界全体からすれば、極めて微細な部分に過ぎない。人間関係についても同様のことが言える。ある期間において、挨拶や事務的な手続きよりも密な関係を持っている人間の数というのは、どんなに多い人でも百人にも満たないだろうし、一定量以上、人間としての関係を有している相手というのは、おそらく十人にも満たないだろう。たとえば、ぼくでも、電車を使えば、日に何百人という人間を目にし、数分間であっても彼らと同じ場にいることがあるのだけれども、そのことには何の意味も価値も無い。彼らとぼくとのあいだには、何ひとつ有機的なつながりはなく、したがってぼくと、他とぼくとの関係によって成り立ち、それゆえに切り出され隔離される世界には、彼らは存在しないことになるのである。そして、物語というのもまた、最終的に、そういう個人の世界においてのみ、存立しうるものなのである。
(2003.12.13)-4
あるいは、これは主人公を中心とした物語についてのみあてはまることであり、ある事件なり、事物なりを中心に据えた物語についてはこの限りではないということができるかもしれないが、その場合についても、その中心となる事象によって、真の世界からある世界を切り出し、隔離するというのは同様のことである。しかし、ぼくはそういう形式の物語が実際にそのような構造をしているとは決して信じていない。物語というのは、やはり、実質的な主人公たる人物とその人物と他者との関連によってのみ規定されるのだと思っている。
(2003.12.13)-5
この場合の、挨拶や事務的な手続きよりも密な関係、というのは、その外見や形式でなく、実質的なことをいうのである。たとえば、教師などはあるいは、百人以上の教え子を一度のに持っていることがあるかもしれない。けれども、彼とその生徒との関係の多くは間違いなく、事務的な、関係なのであって、やはりそれは、ぼくと電車の乗客とが同じ場で数分間を過ごす、というのと、物語の立場から言えば、何ら違うところはないのである。
(2003.12.13)-6
問題は、そのようにして、ぼくが世界を切り出したとき、そこに居るのはぼくただ一りで、ほかには誰ひとり人間がいないということである。そういう意味での人間関係というものが、ぼくには皆無なのである。それは、異常なことかも知れないが、在りえないなことではない。そういった、ひとりしかいない物語では、自分の内側のことと、それから、物語の外にある世界のこと、その二つしか書かれない。それしか、そこには存在しないのだから仕方が無い。けれども、物語の世界の外側を書こうとすると、物語は進まなくなる。それが何を喋っているのか、物語のなかでの位置づけを持てなくなる。それはあらゆる可能性を持ち、それゆえに全く意味が無い。無限は零と等価である。したがって、一りしかいない物語を書くというのは、おそらく、ひどく難しい。或いは、不可能なことなのかもしれない、とも思われる。
(2003.12.13)-7
しかし、そのようにして書かれる物語にしか、純粋の孤独というものはない。孤独な人間を描くのではなく、その物語自体が孤独であるものを書く。純粋の孤独の記述というのは、そういうもののみをいうのであって、他の形では実現しえない。
(2003.12.13)-8
そして、これは、書くという行為自体からも矛盾している。書くということには、その本質の部分において、他者との関係というものが含まれているのであり、それをする際に当人が意識している、していないということでコントロールできることではないのである。即ち、純粋の孤独の記述というのは、言葉のあやに過ぎない。そういった、書くことの対話性というものを、極限にまで抑し殺すというのが、実際のところである。そして、その最後に、一度だけほんとうの話をする。太宰がそうしたように。その最後の一度には、たしかに意味がある。それは確信している。けれども、それまでのもの全ては、まったくの無価値かも知れない。それも別に不思議なことではない。世の中には、無価値なものの方がはるかに多い。そして、膨大な時間と労力と神経と人生とがかけられたものがみな、何らかの価値を有しているということもない。結果と過程とは、本質的に無関係なものである。その二つに有機的な関連があるというのは、経験則に過ぎず、それが常に真であると証明することはできない。
(2003.12.13)-9
それでもぼくは、孤独を書くということをしたいのであり、それ以外に、書くことに対しての意義を見い出すことができない。ぼくには、書くこと、それ自体が目的であるということは無いし、だから当然、書くことが生きることということもありえない。ぼくにとっては書くことというのは、手段であり、その目指すところは、意思に基づいた必然的な自殺、それのみである。
(2003.12.13)-10
「そんなことをして一体なんになるのか」と聞く方には、こう答える。「ならば、あなたが生きていて、それが一体なんになるのか」これにぼくの満足するような回答を示してくれる人というのは、なかなかにいなそうである。事実では足りない。理想を語れ。
(2003.12.13)-11
しかし、「理屈はわかったから、はやく先を書きたまえ」とは言ってはならない。それができないから、理屈をごねているのである。
(2003.12.15)-1
微細な感覚について。未熟と初々しさとの絶妙なるブレンド。とか、そういうようなこと
(檸檬)
 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか----酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な魂だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音機を聴かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と云ったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり----勢いのいいのは植物だけで、時とすると吃驚(びっくり)させるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか----そのような市へ今自分が来ているのだ----という錯覚を起そうと努める。私は出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月程何も思わず横になりたい。希(ねが)わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。----錯覚がようやく成功しはじめると私はそこからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火という奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆(そそ)った。
 それからまた、びいどろと云う色硝子で鯛や花を打出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めて見るのが私にとっても何ともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味程幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落魄れた私に甦ってくる故だろうか、全くあの味には幽かな爽やかな何となく詩美と云ったような味覚が漂って来る。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは云え、そんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰める為には贅沢ということが必要であった。二銭や三銭のもの----と云っても贅沢なもの。美しいもの----と云って無気力な私の触角にむしろ媚びて来るもの。----そう云ったものが自然私を慰めるのだ。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、例えば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードニキン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取の亡霊のように私には見えるのだった。
 ある朝----その頃私は甲の友達から乙の友達へという風に友達の下宿を転々として暮していたのだが----友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に云ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立溜(たちどま)ったり、乾物屋の乾海老や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調(アレグロ)の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面---的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったという風に果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆく程堆(うず)高く積まれている。----実際あそこの人参葉(にんじんば)の美しさなどは素晴らしかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑(くわい)だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通は一体に賑やかな通りで----と云って感じは東京や大阪よりはずっと澄んではいるが----飾窓の光がおびただしく街路に流れ出ている。それがどうした訳かその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然(はっきり)しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深に冠(かぶ)った帽子の廂のように----これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせる程なので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨(しゅうう)のように浴びかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立って、また近所にある鍵屋の二階の硝子窓をすかして眺められたこの果物店の眺め程、その時どきの私を興(おもしろ)がらせたものは寺町の中でも稀だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などは極くありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことがなかった。一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった方錐形の格好も。----結局私はそれを一つだけ買うことにした。それから私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧さえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たと見えて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなもの一顆(いっか)で紛らされる----或いは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心という奴は何という不可思議な奴だろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかす為に手の握り合いなどをして見るのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に侵み透っていくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持って行っては嗅いで見た。それの産地だとかいうカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断(き)れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来て何だか身内に元気が目覚めて来たのだった。・・・・・・
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなった程私にしっくりしたなんて私には不思議に思える----それがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りさかな気持ちさえ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人のことなどを思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せて見たりマントの上へあてがって見たりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり。
 ----つまりはこの重さなんだな。----
 その重さこそ常づね私が尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さは総ての善いもの総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔(かいぎゃく)心からそんな馬鹿げたことを考えて見たり----何がさて私は幸福だったのだ。
 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私には易々と入れるように思えた。
「今日は一つ入って見てやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう。私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げて行った。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行って見た。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな!と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出しては見る、そして開けては見るのだが、克明にはぐってゆく気持ちは更に湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやって見なくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことすら出来ない。私は幾度もそれを繰返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなお一層の堪え難さのために置いてしまった。----何という呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わって後、されあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。・・・・・・
「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャニ積みあげて、一度この檸檬で試して見たら。「そうだ」
 私にまた先程の軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌ただしく潰し、また慌ただしく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取去ったりした。奇怪な幻想的な城が、その度に赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと方錐形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかかっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起った。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ----それをそのままにしておいて私は、何喰わぬ顔をして外へ出る。----
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善があの美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。
 私はこの想像を熱心に追及した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木葉(こっぱ)みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。
梶井基次郎

(2003.12.17)-1
 多少気のすんだのだろう、ぼくは辞書を閉じて、クロゼットの中の小山の一ばん上に載せた。それから、両手をつき、腰を床からわずかに浮かせて、部屋の四方のうちで、一ばんまっ平らな、窓の向かい側の壁に背をつけて座りなおした。部屋は、やはりがらんどうで、非常にひろく、明るすぎるように感じられた。ぼくはこの部屋に越してきた、はじめての夜のように、部屋の隅から隅までを、もう一度見わたした。
 ----これは、ぼくが「小さく」なったからなのだろうか。また、ぼくが全く別の何ものかになったということなのだろうか。それとも、ほんとうに部屋が大きく、がらんどうになってしまったのだろうか。あるいは、そういうことでは全くなくて、単に今日はたまたま、その事実に気づいたというだけのことなのだろうか。
 それから、なぜ、「ただ生きる、ということがわからない」というのを思い出したのだろう。ぼくが小さくなったり、別の何ものかになったり、そういうことのためだろうか。小さくなったり、別の何ものかになることは、「ただ生きる」ことなのだろうか。そうではないから、わからないと思うのだろうか。
 「ただ生きる」の、「ただ」に置き換えられた「まっすぐ」「じかに」「そのまま」といった言葉たちは、「ただ」という言葉よりは、幾分はっきりとした形を有してはいるような気がするけれども、やはり先の方がどこからかかすれていて、単に置き換えただけという感じがぬぐえない。おそらくそれは、たしかに「取りたてて言うこともない」ことで、言うまでもなくわかっていなければならない、あるいは普通はわかっているものなのだろう。でも、ぼくにはそれがよくわからない。
 ----ぼくは、それを一体どうしたいのだろう。わかりたいのだろうか。
 壁にぴったりとつけた背中から、ひんやりとした冷たさが体に伝わっくるのを感じ、ぼくはしばらく動かずにいた。そのうちに、意識がぼんやりとしてきて、眠くなった。
(2003.12.17)-2
正確を期すること。フィクションにおける正確とは如何なるものか。
(2003.12.17)-3
ぼくの笑いは卑屈から出る。
(2003.12.21)-1
最近は小説を読んでいても、すこしも頭のなかに入ってこない、というのが、ひとつの現実としてある。原因は、よくわからない。厭きた、というのが最もありそうなものではあるが、まだそれを認める気にはならない。まだぼくは今書いているものの先を書きつづけたいと思っているし、そのために休日は一にち部屋にこもって過ごしたりもする。でも、「それは形だけのことに過ぎない」、と言われれば、ぼくはいつだって、それを反証するだけの証拠を持たない。
(2003.12.22)-1
ぼくの心というのは、白いつるつるした卵形をしていて、傷ひとつない。そして、まさに、そのことこそが問題なのだ。
(2003.12.22)-2
ネット通販で取り扱っている、ニッカのシングルカスクは、手ごろな値段で、なかなかにおいしいお酒だと思う。それは樽ごとに、けっこう派手に味が違うので、同じものを二本注文しても同じ味のものが届くわけではない。だから、ごく簡素で、事務的なラベルには、蒸留日と樽詰日のほかに、貯蔵倉庫と樽番号とが記載されている。いま飲んでいる、カフェグレーンというやつは、ほんのりと甘くて、とても飲みやすい。アルコール度数は60度と高いから、半分くらいに割って飲むのだけれども、飲みやすいので、減りが早い。このままでは十日くらいで一本飲んでしまう。酔いは、翌日にはまったくといっていいほど残らないので安心なのだが(六時半就寝、九時半起床でもすっきりとしたお目覚めである。ただ流石にいくらかお腹の調子は悪くなるけれど)、いくらお手ごろ価格とはいえ、十日で飲んでしまったのでは少々高いような気がする。
(2003.12.22)-3
駄文。
(2003.12.22)-4
書き出す前に、うじうじ考える。一旦、書き出してしまえば、それはもう、そのとおりに書き連ねてゆくよりほかないのだから、書き出す前に、できるだけ、うじうじする。何を書いたら、いいのかしら。何を書いてはいけないのかしら。何から書いたら、いいのかしら。どの順に書いたら、うまくゆくのかしら。深くも広くも、あんまりない思念を、もう一度あたまのなかにひろげて、吟味する。けれども、ほとんど思念における味音痴に近い自分には、そのひとつひとつについても、ただただ、疑問符が、?が浮びあがるばかりで、いっこう、自身の判断に自身が持てぬ。明瞭な評価を下すことが、どうしてもできぬ。それで、やむなく、こうしてうじうじする。自分には、何ひとつ選び出す力が無いので、自分の外の力によって、ひとつに決めてもらおうと、待っているのである。うじうじすることにも、どうやら疲れて、「えい、もうどうにでもなるがよい。構うものか。書き出してしまえ」といって書き出したものを、採用することにするというのである。別に、それこそが最良の選択であるというのではない。ほんとうに、ただ単純に、そうやって決めるよりほかに、仕方がないから、諦めて、そうしているだけのことなのである。実に、たよりない。そうして、決めてしまったあとにも、決定に対して自信や確信を持つことができぬ。したがって、自分が何を書いたのか、ということについても、随分あとになってからさえ、何ひとつ言うべきことを持てぬ。あらゆることは曖昧で、曖昧なまま堆積し、不安定な、緩い緩い地層として、積み重なってゆく。そういう地盤の上に立つぼくは、この先も永久に、何もわからない。ただ、そのことだけが、変らぬこととしてある。そうして、何ひとつわからぬまま、ただはじめに覚えた記憶、「死ななければならない」を実行する。自身のこともわからぬ自分に、他人のことがわかるはずはない。ただ、ぼくははじめにそれを覚えたのだから、それを実行する。曖昧な義務感によって、ぼくは自殺する。それでも、それが一ばん、ぼくには本当らしいから、そうするのである。
(2003.12.22)-5
武田泰淳「ひかりごけ」は、まさに金字塔だ。これが出たその瞬間に目のあたりにした者はさぞかし昂奮したことだろう。「そうだ。そうだ。実に、きわめて簡単なことだ。たった六十数頁で、このように完全な形で、しかも平易に書くことができるのだ。ぼくは迷っていたのではない。疑いを抱いていたのでもない。それは、まさにそのとおりだった。ただ、ぼくは、それをはっきりと言う術が存在するという実証を持たなかっただけだったのだ」
(2003.12.22)-6
明示的に倫理の境界を踏み越える。国境線を乗り越えるように。赤道をまたぐように。日づけのかわる瞬間を捉えるように。
(2003.12.22)-7
文学の絶対的な価値の第一には、この「倫理を踏み越える」というのが挙げられる。これは、文学によってしか為すことができない。映画や演劇など、実像を伴うものにも、あるいは可能のように思えるかもしれない。けれども、(ぼくは、映画を全くといっていいほど観ないし、演劇などは知りもしないので、確言はできかねるが)、それは不可能なことだ。理由は、かなり微妙なものいいになってしまうけれども、ようするに、倫理というものは具体的な形を持たないからである。形を持たないものを踏み越えるということは、ああ、、、そうだ、忘れていた。ナウシカ! この話、ウソだ。文学でなくとも、それは可能だ。ナウシカが粘菌に喰われる王蟲と運命をともにしたとき。あれだ。あれが、倫理を踏み越えるということだ。その昏睡から目覚めたあとのナウシカは、巨神兵に名前を与え裁定者としての機能を起動し、自身は蟲使いたちを従えて、世界の(精確には、人類の)希望を破壊するために、墓所へと向かうのである。つまり、あれ以後のナウシカというのは、キリストと同じもの、神ではないかもしれないが、人間でもまたない、武田泰淳の「異形の者」でいえば仏像であるところの、なにものかであって、それは、「ひかりごけ」の船長と同じものだ。
(2003.12.22)-8
ちなみに、そういうナウシカを最もよく認知していたのは、異なる意味においてではあるが、やはり人でないものであった、皇兄や庭の番人だ。皇兄は、墓守の家系であったので、そのような選択肢を持つことができなかったし、庭の番人は、破壊されるべきものの化身であったために無力だった。「ひかりごけ」の船長は、第一幕では皇兄であり、第二幕では庭の番人だといえる。ナウシカは、現実にはあらわれ得ない。墓所という質料を有する(即ち、破壊可能である)対象は、現実には存在しない。倫理の境界を踏み越えた者に、実際に為しうるのは、外側から内側を眺めるということである。外側は、ただの茫漠たる暗闇の大地があるだけであって、そこには冒険も探検も開拓もあり得ない。無と等価なのである。王蟲もいない。セルムもいない。虚無もいない。森も無い。彼岸も無い。
(2003.12.22)-9
ナウシカは、こうして少しずつわかってくる。それにしても、驚くのは、ぼくがあれのひとつひとつをよく憶えていることだ。
(2003.12.23)-1
部屋の窓から、交差点がひとつ見える。その通りは、大通りではないので、この時間(午前三時半ごろ)になると、今は冬だし、そこを通る自動車や通行者がまったくない時間というのがとても長い。まったく通るものがないけれども、交差点の信号機は、昼間と変らない一定の周期で、直交するふたつの通りを交互に、片方を開いて片方を閉じている。交差点は、ぼくの部屋から正面の、その四つの信号機と、交差する通りのやはり四つの信号機とが常に照らしているので、とても明るく、部屋から眺めることのできる夜の街並みのなかから、ちょっと浮き出した感じになっている。部屋からみて正面にあたる方の通りが今は青で、しばらく見ていると、通りの両端にある歩行者用の青信号が点滅しはじめ、十度ほど消えては点いたあと赤にかわる。少しするとそれより内がわの車道の上にかかる自動車用の信号機が青から黄に移り、すぐに赤になる。また、しばらく見ていると信号は赤から青に、歩行者用の二つと自動車用の二つの、計四つが一度にパッと変る。誰もそれを利用してはいないのだけれども、四つの信号機は、点滅して赤になり、また赤から青に移ったりをくりかえし繰返していて、それをやめない。そしてそれは、べつに普通のことだ。うん、普通のことだ。
(2003.12.23)-2
今日は書けそうな気がしたのだけれど、まだ、駄目みたいだ。
(2003.12.23)-3
「死のうと思っている」ということを言うことの方便的な効用について。あるいはそれが、孤独とは全然反対のところを担っているもので、つまり、孤独に対するコンセンサスというものは、これはほぼ期待できないが、自殺というのは、それを自らの意思による生というものの完成形、あるいは完了形としての行為としてとらえたときに、コンセンサスを得られるものだという認識で、それを言っているという部分があるような、ないような。その場合に、自殺について声高に物言いするということは、一般的な自殺というものに対する認識とは異なったものを指していながら、それの有する刺激性のみを利用しているということが考えられる。十年くらい経ったあとで、少なくとも、太宰が死んだ歳になっても、まだぼくが生きているようだったら、ぼくの言っていた「自殺」というのは、そういう程度のものだったということになる。今のぼくにはそれを方便として扱っているのか、そうでないのかということについて、残念ながら、保証を与えることができない。できない理由はごく単純で、まだぼくが死んでいないというのが、それだ。死というのは、良かれ悪しかれ、非可逆な絶対的事象で、それを目指しているという(例えば、山に登るまえには、自分がこれから登りはじめる対象の山頂を一度は仰ぎ見るけれども、いざ登りだしてしまうと、急な斜面やら、出張った岩壁やら、周囲を取り囲む木立やらで、そのようにして、対象の頂上や全景をまともに見つめることができなくなることに似ている)というのを中心に据えることで、それ以外の全ての事象を、それに付随するものとして扱うことを可能にし、それによってある種のとっかかりのようなものを得ている、という面は、たしかにあるのだ。つまり、何か複雑で繊細で曖昧な事柄を扱うにあたって(ぼくらの扱う事柄のうちで、学問として明確にカテゴライズされていないようなものは、すべてそういうものだけれども)、「ぼくが自殺するために、それは何らかの寄与をしてくれるのだろうか」という視点から入ることは、実に有益だ。それによって、対象は、かなり単純化され、ある程度までとり扱えるほどの外形を示してくれることが多いのである。それは、物理学において、理想空間や定常状態というのを前提にして問題を取り扱うことをはじめるのと、まったく同じ手法で(たぶん、それは抽象化という名前がついている)、ごく一般的で、実際的なものだ。ぼくが、自殺という言葉を口にするときには、そういう面が確かにあって、あるいは、ただその意味においてのみ、自殺というものを口にしているかもしれないのである。と、そういうことは、じつに「ありそうな」ことだ。将来、ある種の「満足」を得たぼくが、ぼくにおける「自殺」というものを、その程度のものにしてしまう可能性というのは否定できない。そして、今のぼくには、それを完全に否定しさることは決してできないけれども、それに対してひとつ宣言をしておくというのはできる。即ち、ぼくがほんとうに自殺をしなかったとしたら、それは、ぼくのこの数年間というものに対する明確な敗北であり、この数年間に対する否定を意味している、ということだ。
(2003.12.23)-4
繰り返す。ぼくは死ぬべきであり、それだけが、ぼくの為し得るうちでの唯一の意味のあることである。なぜなら、ぼくは生れないほうがよかったのであり、それゆえに、今この瞬間においても、できることならば、死ぬことをすべきだからである。
(2003.12.27)-1
PCを買い換えた。N社の静音のやつだ。昨日、五六時間かけて、必要なデータの引越しをした。古いPCからディスクをはずし、新しいPCに接続して、ここのデータ、更に以前のデータ、いくつか集めている画像、メール、ライセンス、IMEの辞書等をコピーして、動くようにした。
(2003.12.27)-2
たまには、世のなかのまともなプログラマさんたちのように、テクニックメモを残してみよう。
(2003.12.27)-3
アプリケーション用のデータで、移行したのは以下のとおり
項目移行前移行後
OSWindows 98Windows XP
MS Outlook アカウント--
MS Outlook メールボックス--
ffftp アカウント--
IME辞書IME 2000IME XP
WindowsMediaPlayer ライセンス--
gvim5.76.2
cookie--
iTunes-(新規)
ぼくは、あんまりいろいろなツールを使ったりする人間じゃないので、それはよいことではないのだけれど、こういう場合の引越しは有利だ。
(2003.12.27)-4
OSが、98からXPになった。おかげで、iTunesが動く。これが結構うれしい。これからは、部屋でiPodの管理ができるのである。それから、これは引越し作業をしての観想だけれども、XPはファイルの所在が、まだ、一部混乱があるけれども、よく整理されていて、わかりやすかった。
(2003.12.27)-5
メールのインポートは、あいかわらず、やり方がいまいちわからず。しかたがないので、Outlookが見にいくメールボックスファイルのあるディレクトリを検索して、コピーする。
XPのOutlookは、
"~\C:\Documents and Settings\(ユーザ名)\Local Settings\Application Data\Identities\(製品ID?)\Microsoft\Outlook Express"
以下に、メールフォルダを置いている。
(2003.12.27)-6
メールアカウントのインポートの方は簡単で、アカウント管理ダイアログにある「インポート」をクリックして、ターゲットの.aifファイルを指定すればいい。古いPCのアカウントファイルは、"*.aif"で検索してゲット。
(2003.12.27)-7
 ffftp のアカウントは、Outlookのように、正規の手続きが用意されていないので、インストールしなおしたあとで、初期化ファイルを直接コピーする。初期化ファイルは、exeファイルと同じディレクトリにある"ffftp.ini"。
 たぶん、ふつうは、
"C:\Program Files\ffftp\ffftp.ini"
上書きしてしまってかまわない。
(2003.12.27)-8
 IME辞書は、IME 2000 と IME XP とで、形式が違うらしく、変換してあげないといけない。変換は、辞書ツールの"Microsoft IME辞書からの登録"で、変換と、現在のユーザ辞書への登録をしてくれる。やり方は、辞書ツールのHelpに書いてある。以前のPCの辞書ファイルは、"*.dic"で検索すれば、「まあ、これだろう」という感じくらいには絞れる。辞書ツールは結構いろいろと揃っていて、便利そうだ。
 ついでに、これを機に長らく不便を強いられてきた変換の前候補へ戻るショートカットを勉強、ATOKキー設定だと"Ctrl+E"。"E"ってなんのことだろう。"Erase"? それから、Windowsのヘルプページは、htmlなので、キー配置とか、よく見るようなものは、ショートカットを作っておくと、いちいち検索しなくていい。まめに見るようにもなる。

(2003.12.27)-9
 WindowsMediaPlayerのライセンスファイルは、"ツール" "ライセンスの管理" から、バックアップとバックアップからの復帰の両方ができる。手動で直接コピーしてもたぶん動く。
"C:\Documents and Settings\(ユーザ名)\Application Data\Microsoft\Media Player"
以下に、"xxxlic"と"xxxkey"をコピーする("xxx"は、ライセンスターゲット。"*lic"で検索すれば、まあ、見つかるだろう)。
(2003.12.27)-10
 gvimは、この機会に5.7から6.2にしてみる。設定法は、5.7と特にかわらない。ディレクトリの構成がちょっと変わったくらいだ。縦方向画面分割":vs"があったりして、うれしい。部屋ではあんまり使う必要はないのだけれども。
(2003.12.27)-11
 クッキーは、うまく引き継げなかった。クッキー自体はテキストらしいのだけれど(多分)、IEの管理用のデータベースファイルがバイナリだったうえに、常駐のIE御大が常に開いているらしく、上書きすることができなかった。
(2003.12.27)-12
 iTunesはイカしている。iTunesのすばらしいところは、核となる機能がプレイヤでないところだ。iTunesは、音楽プレイヤではなく、あくまで音楽ファイルマネージャなのであって、再生機能は付加機能のひとつなのである。どっちだって一緒じゃないか、といってはいけない。現にできあがってきているものが違うのだから。
 いまは、とりあえず部屋のCDを全部突っ込んでいる。明日には、ぼくの所有する全CDの入ったiPodができあがることだろう。
(2003.12.27)-13
忘れていた。水冷式PCは、それなりに、静かだ。でも、前のPCのハードディスクがうるさすぎただけ、という気がしないでもない。それよりも、IEEEの端子がついていたので、感動した。
(2003.12.28)-1
半分が過ぎた。
(2003.12.28)-2
急がなければならない。もっと焦っていい。ぼくは遅すぎる。
(2003.12.28)-3
「いっぱい捨てたから、身がる。はやく歩ける。ぼくは、はやく、歩けるよ。」
歩いて、行こうというのか。
ほんとうに、歩いて、そこまで行けると思っているのか。
(2003.12.28)-4
二つほど導入した。文頭と文末の"----"と、やはり、通常文末において使用する"…"。どちらも、文字で表すことのできない、沈黙や間のようなものを示す記号で、これまでは、どうも使い方がよくわからなかったので、避けるような格好になっていたけれども、必要を感じるようだったので使ってみた。うまくいっているかは、まだちょっとよくわからないけれども、まあ、無いよりは、いくらかましだと思う。
(2003.12.28)-5
あと導入すべき記号は、強調のための、傍点や括弧だ。傍点の方が、日本語の文章にはしっくりくるものらしいのだけれど、横書きのhtmlには不得意な要素だ。小説を書き写す場合には、今のところアンダーラインで置き換えることにしているけれども、雰囲気はずいぶん違う。斜体の方がいいのだろうか。どっちもどっちだ。それだったら、まだ、「括弧」の方がしっくりとくるような気がするので、「括弧」を使うことにしているのだが、これの使用基準もなかなかに曖昧であって、実際の運用はほぼ気分、というのが実態であって、あとから読みなおしてみると、なんだかおかしかったりする。
(2003.12.28)-6
ちなみに「括弧」のなかで、「括弧」を使う入れ子の場合には、『二重括弧』を使うのが、一般的であるようで、会話文のなかにあらわれた強調される語句などに使用するのがそれにあたるが、三重の入れ子については、特に標準的な形式があるわけではないらしい。「例えば、いま君が言った『括弧』というものひとつにしても、これだけのきまりがあるのだから、そういうことについて世の小説家は、まだ小説家でない者に対して、きちんとした技術的指導をする義務があると思うね」といようにして使う。
(2003.12.28)-7
 あとは、ごく狭い領域における話としては、この形式(h2o)の段落と、項の更新との使い分けというのもある。これなどは、さらに適当な運用なのであって、規則などほとんどあってないようなものだ。基本的に集中して長文を読むのに適さない、ブラウザ内の文章をどのようにして読ませるかという観点からみて、この形式は至極合理的なのだけれども、それの特長を生かしきるには、二つの段落があるような文ではだめで、どうしても段落が二つに分かれるような場合には、項を更新するというのがほんとうはいいのである。そして、あってもなくてもいいような文を、だらだらと長く書くことだけはできるようになってきたぼくは当然、これを守ることができない。まったく不肖の弟子である。
 で、段落の出現とあいなるわけであるが、段落というのは、その開始に一文字の空白があるもので、けれども、普段の文は、面倒でそういうことをしていないので、段落を使っている項だけ、一字下がりが行われることになる。たとえば、この項(2003.12.28)-7は、一字下がりだけれども、これは、二段落目ができてしまったときにはじめて一つめの段落も字下げをするのであって、それまでは他と同じだったのである。

(2003.12.28)-8
 また、このようにして、一度段落の字下げをすると、その日の他の項も引きずられて、字下げをしたりすることがある。
(2003.12.28)-9
と、こんなどうでもいい話をしているのは、一文書き足して、それで止まってしまったからである。
(2003.12.28)-10
ふと気が変わって、鬼束ちひろの二枚目以降のアルバムを買うことにする。彼女の一枚目は、「大人になる(イコール社会に出る)」にあたっての不安というものを、これ以上ないくらいに先鋭的に表現したもので、それはほとんど決闘に近い迫力であって、ぼくにとって、彼女の歌はその限りにおいて価値のあるものだったので、いったん彼女が世間に認められてしまえば、その部分がごっそり失われてしまい、ぼくの関心は急速に薄れてしまったのだけれども、「それは、すこし違うかな」と今日、彼女の一枚目をPCに取り込んでいて思い、二枚目以降も買うことにした(彼女はげんざい計三枚のアルバムをリリースしている)。そういう仕儀に立ち至ったのは、日本人の音楽家の作品をほとんど買うことができていないというためで、たとえば、DragonAshや中村一義などは、もう買うことはないだろうし、Coccoも、たとえ復帰したとしても、鬼束ちひろとおなじように、二十代後半よりあとになって戦う必要がなくなってしまえば、ぼくにとって価値を有し続けるか疑問だし、そうすると、Charaと小谷美紗子と新居昭乃だけになってしまう。Charaと小谷氏は一年に一枚リリースすればいいところだし、新居昭乃氏に至っては、三年に一枚というところである(現在の作業もおそらく、ほぼ頓挫の形になっていると思われる)。ということは、このままでは、この先ぼくは年に二枚しか、日本人の新しいアルバムを買うことができないわけで、それはちょっと困るのである。日本語の詞でなければ、Saint EtienneやOwenやClub 8、catia、ジョアンジルベルト、Jack Johnson、Mary Lou Lordなどのように曲の雰囲気や、声だけで買うこともできるのだが、日本語では、きちんとぼくは詞をとってしまうので、そうはいかない。詞をとったときのぼくの価値判断は実に狭量で、仕事としてという感じや、みんなで楽しもうというようなものや、サービスやシェアするものとしてあるものだったり、単純な生きがいといった程度のものでは不十分で、ただ、歌うことが、曲を作ることがどうしても必要だ、それがつまり生きることで、それで全部だ、ということを言っているようなものでなければ、採用しないのであり、実際には、さらにそれにぼく自身の好みが入ってくるので、当然定員制でもないから無理にみつくろうこともなく、したがってたいへんに狭い間口ということになってしまう。音楽をそういった、ごく個人的な、ほとんど私物化している人というのは、男性にはほとんど皆無のようで、早川義雄なんかは、たぶんそうなのだけれど、あれは少し歳をとりすぎていて、大時代だ。中村一義も、一枚また一枚と、外に対して開くような方向に進んでいったし、降谷建志にしても、"Fever"で、つまり二十歳前にして、そういうものは終わってしまっている。それに比して、女性には、比較的そういった傾向の人が多いようで、それはつまり女性であるところのそのもののためのせいだと思われるが、今ぼくがあげた人のほかにも、矢井田瞳という人や、椎名林檎という人などは、明確にそういうことを言っているが、この人たちはどうもぼくの好みにあわない。大御所としては、中島みゆきは、まさにそれなのだけれども、あの人の覚悟というものは、実に立派でそれを感ずるとき、ぼくはほとんど涙しそうになるのだが、これもまた少々大時代で、少し先へ行かれ過ぎているという感じが否めない。なかなかに難しいのである。で、鬼束ちひろを思い出したのである。彼女は、どうやら相変わらずガラスのナイフのような危うい生活を続けているらしく、ツアー途中でぶっ倒れたり、今でも声を潰したりしていて、それはぼくの予想に反して、ぎりぎりの感じがする。
(2003.12.29)-1
年の瀬になると、「
盲人独笑」を思い出す。

  • 同二十九日。はるより、こん日までのこと、まことに、ゆめのごとく、おもわれて、あれ、ゆめのやうぢや。ほんに、ふしあわせなる、としもあつたもの。二月にわ、くるしく、四月にわ、な(泣)き、五月にわ、歯をいたみ、夏わ、なにやらかやら、それよりわ、なかぬ日とてなかりき。おろか、なりけるよ。すゑの見こみも、すくなし。

    (2003.12.29)-2
    理屈は要らじ。書きものとは、理屈によって為すものには非ず。心に依って為すべきものなり。思いつくままを記す。この真実を信ぜよ。あなたは必ず正しい。
    (2003.12.29)-3
    「世界は、自分が生まれるよりも前に存在し、自分が死んでしまったあともまだ継続するものだ」という見方にこだわるのは、少々馬鹿馬鹿しい。これは、「自己によって認識されることによってはじめて、世界は存在するのだ」という、今ではさして珍しくもなくなってしまった考えに対するカウンタとして出てきたものだけれども、そもそもが、こういう議論をしなければならないこと自体が、お粗末な状況なのではないか、という気がする。私見になるが、スペクタクルでも、エンタテイメントでも、ミステリイでもない小説は、精確な意味において個人的なものであり、その影響する仕組みは、それに晒される人間の数がどんなに多くなろうとも、あくまで個人による個人に対しての影響であるべきだ。ふたりの人間の(あるいはそれより多くの)会話なり、それと同等の機能を有する行為が行われるその瞬間にける、ある一秒にあって、互いにひとつの事象に対する意味を同一にする、共感しあえる、通じあえる、と感ずるような状態に至るような事柄に、そんなに重大な意義があるものだろうか。それはつまり、世の中に十種類くらいずつ存在する、それぞれの事柄に対するステロタイプが互いに合致した、というだけのことではないか、ということで、つまり、ほんとうに個人的な事柄というのは、瞬間において共鳴することは、ほとんど奇跡にも近い確率で、それこそ、現在にあって存在している人間の組み合わせの数ほどの確率であり(つまり、六十数億分の一ということだが)、それを期待するというのは、まったく現実的なことではなく、したがって、そういったようなことを感じたような気がしたのは、それはただ、自身が「そう思いこみたかった」からであり、結局のところ、錯覚に過ぎないのではないか、ということだ。現実にいって、ある人間とある人間が、そういった錯覚でない理解にいたるには、膨大な情報と、時間と、意思が必要なのではないか。何かひとつの仕草、ひとつの物言いについて、長い時間をかけて検証し、浮かび上がる可能性を吟味し、更に観察し、見解を補い、その末に理解するというのは、ごく当然のことなのではないか。そうして、なんというか、小説とは、つまり、そのためにあるのだ。そして、その意味において小説が存在するかぎり、小説とは個人的なものなのであり、たぶんそれ以上にはなりえない。したがって、「世界は、自分が生まれるよりも前に存在し、自分が死んでしまったあともまだ継続するものだ」という考えや、「自己によって認識されることによってはじめて、世界は存在するのだ」という考えは、決して小説自体の問題とはならない。小説として問題になるのは、常に、個人として如何に処すか、ということだけである。単位としての個人に、常に決定的な価値を持たせるということである。「ぼくはこう思った。君はどう思う」それだけが、小説の唯一のあり方であり、そのあり方こそが世界の真実のひとつであり、小説が世界に対して関わっているのは、そのあり方だけである。
    (2003.12.29)-4
    と、こういう理屈がよくない。思いつくままに記されたものでなければ、どうして、それが受け入れられるということが、自身が受け入れられたことと同義になるというのだ。
    (2003.12.29)-5
    そう、だから、君。もの書きを疑うのはよくない。もの書きというのは、そんなに自由な生きものではないんだ。たぶん、そうでないものよりも、ずっとずっと、書けるものというは少ない。彼らは、自分が何を書くのか、ということについて、ほとんどまったくと言っていいほど、選択肢を持たないものなんだ。つまり、思ったことを書くしかなくて、小説とは、そういう風にして書かれたものを指すんだよ。
    (2003.12.30)-1
     そして、また今日も立っている。ここ二週間は、毎日この、用賀駅から徒歩二十分くらいの、住宅地区の一画に来て看板を抱いている。よく晴れている。少し風があり、それは気持ちいい。雲は淡白な色の空に薄く白く拡がり、大きな河の流れと同じ程度の速さで西から東へと流れてゆく。ぼくはそれをときどき見上げる。
     ぼくの抱えている看板は、それが誘導するところの場所への最後のもので、「この先約100m」という表示になっている。駅前の通りを道なりに十五分ちかく歩いたあと、コンビニエンスストアのある角を左に折れ、中央線のある通りを少し行って、もう一度、右に曲がらなければならない角を、それを目指して来る人たちに知らせるために存在している。周辺は、戸建て中心の落ち着いた住宅街で、看板の指し示している物件である、七階建のマンションは、ここからでも、その七階と屋上部分が見える。
     コンビニエンスストアのある角で駅前の通りと交差している、ぼくの立っているこの通りは、歩道と車道とのあいだに植え込み部分が両側にあって、かなりスリムに刈り込まれた、それほど大きくもない若いイチョウの並木になっている。通りに沿って並んでいる住宅の多くは、その駐車場部分を除いて、1m程盛り上げられた土地の上に建てられており、門の前に数段の階段があるか、あるいは門の奥に設けられている。庭木は大抵よく剪定されてはいるが、それはそれぞれの家主の好みによって選ばれ、植えられたというような感じではなく、画一的で、この通りが整備された際に、園芸業者が一度に整えた、そのままという印象を受ける。そして、そういった住宅以外の、マンションやアパート、工場、事務所、商店といった建物は、ざっと見渡したところ見あたらず、イチョウの並木と同じように、規則正しく住宅が敷き詰められている。ぼくの立っている場所から見わたせる範囲においては、全体として「よく整えられた」という感じがこの通りにはあって、それは都内の住宅街では珍しいことのように思う。
     今日は晴れているから、比較的気分がいい。通りは、車の通行はあるけれども、人の往来はほとんどなく、ここを離れてはならないということを除けば、ぼくはほとんど解放されている。人が見ていないことをいいことに、ときおり、看板を軸にして、円を描いて歩いてみたり、看板を斜めに倒してみたりしている。看板持ちに、忙しいも暇もないのだが、今日は特に暇な気分だ。ほんとうに、何もすることが無い。雨降りだったり、風が強かったり、暑かったり、寒かったりすれば、それらに耐えることをしなければならないから、暇だという感覚は無くなるのだが、今日はそのどれにもあたらない。申し分のない、ほんもののいい日というやつで、ここに立っていることに苦痛も感じなければ、義務感も意識されない。今日のような日は、文字どおり、とても有り難い日だと思う。


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