tell a graphic lie
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(2004.3.1)-1
ほとんど間違えて買ってしまったと言っていい(でも、実際はかなりいい)、小島信夫編の「家」についての随筆撰集のなかに、秋山駿という批評家の「団地居住者の意見」という、数頁の小品の多いなかにあっては、比較的長い十数頁のものがある。昨日それを読んで、大変に勇気を得た。ぼくの書こうとしていること、そのものが書かれてあったのである。裏づけを得たのである。読んでいて、また、読み終えても、これを小説を使って焼き直すことには意味あると思った。秋山駿は批評家だから、そのことを「へー、そういうものか」とか、「あー、わかる」とか、「納得」させてしまうけれども、(ぼく自身は、そのどちらでもなくて、震えるほど昂奮したのだが)必要なのはそういうことじゃあない。したいのは、見世物になることでも、一片の教養になることでも、考えさせることでも、憐れみを誘引することでもない。そこに「そのもの」が記述されてあること、ただそれだけだ。それは、批評にはできない。言葉そのものにではなく、それが表す内容にかけているものだからだ。文章によって、存在を立ち上げるには、その内容にではなく、文章そのものにかける必要がある。
(2004.3.3)-1
CDプレイヤ新しくなる。変えた当初は、違和感があったけれども、もう慣れてしまった。漫然と聴いていると、あんまり変わらないような気がするけれども、意識して聴くことをすると、音がまろやかになっているような気がする。ただ、それが、CDの演奏音としてより良いということにはならないような気もする。まあ、とにかく音が変わった、ということで満足すべきなのかもしれない。もの自体は、二百台の限定生産のためか、そっと使ってやらないとすぐエラーになるという、なかなかに手間のかかる代物である。CD挿入時の二回に一回はエラーになる。途中で突然電源を切ったりすると、次の起動時にエラーになる。">>|"(次のトラック)ボタン押下時にもたまにエラーになる。とにかく、そういった些細な部分の完成度が極めて低い。仕組みを知ったうえで使用されることを前提としているのである。まるで、ぼくらが仕事で作っているものようである。マニュアルの雑っぷりも、酷似している。きっと、まともに読まれるものだと思っていない。一を聞いて十を知ってくれることを期待している。苦笑のかぎりである。まあ、定価二十五万で二百台だから、どうあっても、最大で五千万の売り上げしかなく、そのうちのメーカ(マランツ)の純収入(卸値−原材料費)は、一千万から二千万と思われるから、当然といえば、当然ではある。やはり、ぼくらの状況に非常に似通っている(ぼくらは、年間、五千万かける二、一億くらいのところでやっている。ようするにオーダーメイドの手工業なのである)。
(2004.3.4)-1
なんだかひどくしみったれた感じで夜の雪が降っている。
(2004.3.4)-2
空洞があり、風がよく通る。その内側の、薄ピンク色の内面的表面は、通過する風の流れに撫でられ(もしくは擦られ)細かく震える。その(一方から見た場合の)入り口からは出口の向こう側に広がっている(と思われる)気色が見える。狭められた空間を吹き抜けようとする空気の流れは密度を上げ、螺旋形を描きねじるように運動しており、その音がする。その結果、何ものかが歪められ、色彩(或いは、それは意味)がそこに付着する。景色は霞んで端点が曖昧になる。ぼくはその空洞を押さえる。隙間からやはり風が通り抜ける。
(2004.3.5)-1
 数時間が過ぎ、陽光が黄色く色づきはじめ、それを左斜め後方から受けるぼくの影は歩道に長く伸び、その分だけ薄まっている。少し前に、それまで看板と立っていた位置は、垣根の影に入ってしまったので、3m程誘導するマンションへの路地側に移動した。日陰になると、やはり少し寒く感じた。そのおかげで、看板はいくらか通りから隠れるようなかたちになってしまっている気がする。でも、今日はこれまで、ぼくの抱えているものを利用していたような通行人は、まだひとりも見ていない。通りかかる人の数自体が、どうしたことか、いつもより目だって少ない。午を過ぎてから、ぼくの前を通り過ぎていった人たちを全部あげることができる。このあたりに住んでいると思わしき主婦が、午後のはやい時間に買い物へ出かける、その行きと帰りを十数回見送った(彼女たちは、自転車にのっていたのが半分、もう半分は徒歩だった。そして、もうみなが行って、帰って来ている)のと、数人の中学生だか、高校生だかの帰宅、あとは、学生らしき年頃の黒髪の女の子がひとり(彼女は、携帯電話の液晶画面をのぞいていた)と、それから、暇のありそうな、そして憂鬱そうな三十前後の、無精ひげを生やした男がひとり駅の方へ歩いていったのと、それきりだ(もっとも、車の通行は、やっぱりそれなりだったように思うけれども)。だから、この時間になってしまえば、これからお客が来る可能性はほとんどゼロと言っていい。それに、もともとぼくには、この看板に描かれてあることを利用する人たちのために立っているという意識は薄くて、ただ単にそれがぼくに設定された日常だからそうしているというだけだから、自分が一日中抱えているものが、その僅少な意義の発揮すらできていない状態であっても特にかまうわけではない。監督者も居ない。ぼくは暖かい日向に移ることにした。陽が傾いて、風の温度が下がってきても、光線にあたることで伝わってくる熱をじんわり感じていれば、まだ十分にぼんやりとしていられる。上着に溜まった熱を微かにいとしく思う。今日はよっぽど気分がいいのだろう、ときどき、「庸子は今どうしているだろう。きっと忙しく立ち働いていることだろう」というようなことを考える。
(2004.3.5)-2
書けるときは、読まなくなる。一日の長さは一定であり、読むことにも書くことにも時間が必要である。読みながら、書きながら、同時にできることというのは、音楽をかけておくことくらいで、読むのにも、書くのにも、金銭がほとんどかからない。それだから、ぼくはCDを購入し、機材を少しずつよいものに取り替える。金銭はできるだけ消費しなければならない。惜しむべきは、ただ時間のみであり、その他は省みる必要はない。金銭は、ただそれを得るためだけにあるのであり、それに余る分については、放棄するのが適当である。次のひと月生きながらえるためには、今月にその分が手に入ればよいのである。ひと月を生活のひとつの単位として取り扱う場合には、それが最も理想的である。断言するが、それが最も速く走るための、最も有効な方法論である。目の前の人参は、満腹であれば無価値である。対して、尻の火は常に終末そのものと直接に結びついているがゆえに無価値だと捨て去ることを頑なに拒む。走れるだけ走って、力尽きるのがよい。それが最もよい。短距離であれ、マラソンであれ、走っているときには、走ることそのものと、その勝敗とにのみ関心するのである。生きるということにあって、最もシンプルであり、無垢であり、罪の少ない形式は、「ただ走る」ということである。そこには他己への侮りも蔑みも教唆も信頼も依存も慈しみも無く、ただ、他人を必要としない、自己と、自己に付された使命の完遂、もしくは未完のみがある。勝敗は、関係に依存しなくなり、それによってまた、与えるものと、与えられるものという概念が消滅する。ぼくはあなたの言うことを無視するようになり、同時にあなたに言いたいことというのも消滅する。それによって同時に、ぼくはあなたの、ぼくからの独立を保証し、あなたがぼくを見限る、という可能性に対しての予防線を張り、自由という名前のついている、ひとつの限定環境へ移行する。ぼくはあらゆることへのコメントを発表する権利を得る。それは同時に無でもある。そして、ぼくは「死んだほうがいい」と言い、それはぼく自身にのみ適用される。
(2004.3.7)-1
今日はなんだか細かな収穫がいくつかあった。
(2004.3.7)-2
ひとつめ。新聞にて、養老孟司の文章をはじめて目にする。すばらしく平易な文章で、なんというか、ねじくれのひとつもない、つるつるしこしこのストレート麺のうどんのようであった。百点である。「ロードオブザリング」にも比すべき百点である。これは、入試問題なんかには、かえって向かないであろう。あんまりわかりよ過ぎる。と、褒めてばかりではいけない。ぼくはこれ以上、彼の書いたものを読みたいとは思っていないのであるから、真面目にけなすことをしなければならない。そうなのである。これを読んだだけで、ぼくはすっかり満足し、そして、飽きてしまったのである。クセが無さ過ぎる。わかり切ったことが、わかりきったように書かれてあるというのは、全く面白くないものである。まあ、とにかく一度読んでみたいと思っていたので、これで満足したのである。全く興味が湧かないことがはっきりした。というのが収穫そのいち。
(2004.3.7)-2
ふたつめ。「ひきこもり」についての番組の再放送を見た。テレビをつけてみたら、やっていたのである。ぼくはひきこもりに大いに関心があるので、ソファにふかぶか座りなおし、ひさびさにじっくりとテレビをみたのである。番組は、司会進行のアナウンサが真ん中ひとりと、向って右側に、ひきこもりとか、そういうことについて喋るのが得意そうな、コメンテータが三人、左側には、元ひきこもりの若者が二人という構成で、番組のHPを通じて見つけ出した、ひきこもりの具体的な事例のVTRを見ながら、これらの人びとが何ごとかを喋くるという構成で、この手の番組というのは、この出席者の良し悪しにかかっているのであるが、これがなかなかにぼく好みで非常に好感度大であった。アナウンサは、もう長いことこの手の番組の司会を手がけている何とかというおっさん(ぼくはあんまり名前を覚えることをしない人間である)で、右側のコメンテータは、やはりNHKのこの手の番組には必ず顔を出す、江川紹子(この人はさすがに覚えた)という面白いおばさんに、こないだ直木賞をもらった石田衣良、それから、何とかという、精神科医だか心理学者だか忘れたけども、いちおう学問サイドから、ひきこもりを取り扱っている四十前後の男の三人で、この三人はなかなか興味深かったのだけれども、まず、江川紹子について話そう。
(2004.3.7)-3
江川紹子という人は、ぼくらがせっかく大事に大事にしている内側の問題を、あのぱっと見は何やら得体の知れない感じの笑顔でもって近づいてきて、そっととなりに座り、ひとりで抱えていないで話してごらん、などというはた迷惑な雰囲気を作り出し、こちらがついそれに乗ってふらふらと喋りだすと、えらい真剣に話を聞き、思わず口走ってしまった実に馬鹿馬鹿しいこだわりなどにもいちいち肯き、わかるというような顔つきをし、また、困ったことには、ほんとうにわかっており、こちらがひととおり喋り終え、さあ、救ってみせろなど、少しく喋り過ぎてしまったという恥ずかしさから、自棄気味になっていると、ほんとうに救ってみせてしまいそうなほど、なかなかグッドなコメントを吐きやがり、結果、なんだかすっきりして、世界が違った風に見えるようになってしまうという、非常におせっかいなおばさんである。そういうのは、困るんである。迷惑なんである。暇つぶしやら、飯のたねやらが、無くなってしまうんである。
(2004.3.7)-4
次は、石田衣良である。この人については、はじめに言わなければならないのは、ぼくはこの人の書いたものを全く読んだことがないということである(或いは、広告のコピーに使用された一行くらいは読んだことがあるかもしれないが)。つまり、これからちょっと書くことはすべてぼくの勝手な先入観であるということである。先入観で話をするのは、いい加減なことを言う際には、是が非でも必要なことである。これが、一作でも読んでいたりすると、もう駄目である。至極めんどうなことにも、ぼくは彼のスタンスの細部について、それなりにきちんと確認することをしなければならなくなるだろうし、また、それについてのコメントもつけなくてはならなくなるに違いないのである。
(2004.3.7)-5
石田衣良という人は、けっこうな年寄りで、たしかもう四十を過ぎているはずであるが、涼しげな目つきのなかなかにいい男で、こういう顔には多少あこがれるものがあり、いい男というのは、作家として不届きであると固く信ずる太宰信奉のわたくしとしては、おいそれと認めるわけにはいかないのである。いや、ねたみである。まあ、それはいいとして、今日のこの番組ではじめて見た石田衣良は、なかなかおもしろかった。番組中、他の出席者の話を聞いたり、VTRを見たりしながら、やたらにメモを採っているのである。何を書いていたのかは知らないが、明らかにそこにおけるコメントを用意するためのものではなく、私用のものである。江川紹子氏などは、相も変わらず真剣に、相手の話すこといちいちに笑ったり肯いたりしているというのに、そのとなりで石田衣良は自分のためにメモを採っている。なんという浅ましき行為であろうか。そのうえ、出てきたコメントというのは、「もう少し、言葉を使う力を磨いたほうがいいと思いますね」などという、ただの小説家としての発言に過ぎず、挙句、番組の最後には、「もう少し真面目に小説を書こうかなあ」である。お前が啓発されてどうする。まったく何しに来てるんだかわかりゃあしない。でも、ぼくは彼のそういった様を眺めながら、ヒヒヒと下品に笑っていたのである。そういうわけで、ぼくは石田衣良に興味を持ち、彼がもう少しいい男でなければ、すぐに読むことをしたと思うのだけれども、彼はいい男なので、とりあえず、まだ読まない。
(2004.3.7)-6
石田衣良の二十三から二十五くらいまでの、ちょうど今のぼくくらいの時分に書いたノートの量は、高さ1mくらいになるそうである。ぼくはそれだけ書いているだろうか。写した分もあわせれば、「斜陽」全文とかがあったりするから、そのくらいになるかもしれないが、自力の分だけでは足りないような気がする。いまフォルダのサイズを見てみたところ、全部あわせて、3MBほどのようである。3MBというのは、いったいどのくらいなのだろう。よくわからない。足りない気がする。
(2004.3.7)-7
三人目は、何とかという医者だか学者だかである。名前を覚えなかったが、この人もなかなかに興味深い男で、それから、なかなかいい男である。話し始める際に、必ず「自分の経験した限りでは」という接頭辞をつける癖があり、それがけっこうほほえましい。言うことは至極わかりやすく、また、必要十分で、非常に信頼できる感じだった。やっていることは、理論よりも、実地に親しいようで、そのあたりも好感が持てた。社会学に近そうである。世の中には、おもしろいことをやっているやつがいるなあと思った。なんか、一ばん短くなってしまったようだが、この番組のなかでは、この人が一ばん興味深かったのである。彼はとてもよいことを言っていた。「インターネットには、正直あんまり期待していないのですが、」そのとおりである。ネットだけでは更生はできない。
(2004.3.7)-8
次は、向って左手の、元ひきこもりの若者ふたりについてであるが、もうそろそろいい加減の長さになってきて、飽きてきたので、簡単に。出ていたのは、二十歳の青年と、二十九の女性だったのだが、この女性のほうは、現在では、ひきこもりの馬鹿どもの更生を支援する側にまわっている、喋り慣れた感じのきれいな人で、特にそれ以上言うことはない。もうひとりの二十歳の青年は、おもしろかった。二十歳とは思えない、実によい話しぶりで、感心した。二十歳といえば、ぼくよりも五歳も下で、なんというか、これは恐ろしいことであると思った。小説家は、なんのために、あんなに時間をかけてあんなことを書いているのだろうというようなことまで考えた。というのは、三島由紀夫のインタビュウの映像を思い出したのである。なんという差だろうか。かたや二十歳でこの安心感であり、このヒューモアであり、かたやいい歳こいて、場数もかなり踏んでいるにも関わらず、相変わらずの挙動不審である。彼はきっと、小説を書いたりはしないのだろう。それどころか、小説を読んだりも、今は時間があるのでしているかもしれないが、やがてしなくなるだろう。そして、それはなんというすばらしいことだろう。立って歩く、自立とは、きっとこういうことを言うのだ。それに較べて、小説家の地べたを這いずる様のなんと暗く惨めなことか。
(2004.3.7)-9
ずいぶん長くなってきてしまった。なんだ、くだらない。こんなことなら、随筆撰集にあった漱石の小品を写したほうが、いくらかましだったような気がする。くだらないついでに、ひきこもりというのに対するぼくの立場をメモしておくことにしよう。番組の前提として、ひきこもりというのは、どうも解消すべき状態であるという認識で一致しているようであるが、地べたを這いずりまわるべきぼくとしては、その前提に対して疑問を抱いているのである。ひきこもりであるところの彼らがあんなにまで切実に求めている人の世というのは、別にそんなにいいものではなく、それは、「如是我聞」の主文「人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。」を引用すれば、こと足りる。ひきこもりは、別に解消すべきものではなく、庇護者が居なくなれば生き続けられないというのであれば、それその通りに、死んでしまえばいいのである。ぼくは、彼らと同じように、どうしたらここから抜け出せるだろうと考え、彼らとは反対向きの結論を得たのである。そのとき思った「死ねばいい」というのは、苦しく追い詰められた際の思いこみではなくて、「ほんとう」のことであり、それを承認したぼくがあと何をすべきかといえば、それに向って進むことなのである。ただそれだけのことである。この場合の、ぼくにとっての「おいしいもの」というのは、たとえば、「駈込み訴え」であり、「金の輪」であり、Charaの歌であり、h2oであり、ぼくの下手くそな、それでも「自分によって書かれた」文なのである。その余のものは、一切が無価値であり、興味が湧かない。
(2004.3.8)-1
どうして、今までこれを写していなかったのか、よくわからない。これからもきっと、何度もなんどもくり返すことになるだろうから、いつでもすぐにコピペして使えるようにデータにしておくのだ。ぼくの言っていることなんて、みんな、太宰の受け売りで、太宰の言っていることも、その先人たちの受け売りで、つまり、これは作家にとって普遍的、というよりも、作家が作家としての良心を持った瞬間に生れる、ごく自然の、不可避のことなのだ。作家は小説を書くのだから、これはその裡にはじめから入っていることなのである。世の作家たちが、ぼくのように声高に、馬鹿みたいにくり返しくり返し叫ぶことをしないのは、単純に、そのためなのである。
(一つの約束)
 難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中である。ああ、いけねえ、と思った。おれの凄惨な一声で、この団欒が滅茶々々になるのだ、と思ったら喉まで出かかった「助けて!」の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬である。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く拉(らつ)し去った。
 もはや、たすかる道理は無い。
 この遭難者の美しい行為を、一体、誰が見ていたのだろう。誰も見てやしない。燈台守は何も知らずに一家団欒の食事を続けていたに違いないし、遭難者は怒濤にもまれて(或いは吹雪の夜であったかも知れぬ)ひとり死んでいったのだ。月も星も、それを見ていなかった。しかも、その美しい行為は儼然(げんぜん)たる事実として、語られている。
 言いかえれば、これは作者の一夜の幻想に端を発しているのである。
 けれども、その美談は決して嘘ではない。たしかに、そのような事実が、この世に在ったのである。
 ここに作者の幻想の不思議が存在する。事実は、小説よりも奇なり、と言う。しかし、誰も見ていない事実だって、世の中には、あるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。戦って居られる諸君。意を安んじ給え。誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作家たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるであろう。日本の文学の歴史は、三千年来それを行い、今後もまた変わる事なく、その伝統を継承する。
太宰

(2004.3.8)-2
ということで、今日はもう、酒飲んで、太宰読んで、寝ることにする。おやすみ。
(2004.3.10)-1
お仕事、またお尻に火が点きはじめる。月末のリリースの可否は、この十日で決まる。ような気がする。など、まだ、ような気がする、と言っているのが、大変に危険な香りである。基本的に、ぼくの責任である。まったく、ろくなもんじゃねえ。
(2004.3.10)-2
それから、マランツのCDプレイヤ、読み取りエラアの頻度が、いや、もはや、読み取り成功の頻度でいうべきであろう、それが十回に一回程度まで低下している。原因は、まだはっきりとは調べておらぬが、中から聞こえてくる音をきくかぎりでは、スキャンに失敗しているというよりは、むしろ、きちんとCDをつかむことに失敗しているように思われる。今度の休日に、カバアを外して見てみなければならぬ。その上で、必要があればマランツに連絡を取り、善後策を協議せねばならぬ。さして高級品というわけでもなく、更に中古品とはいえ、そんなに安いものでもないのであるから、まじめに手間をかけてやろうと思う。など、殊勝なことを言ってはみているが、三十回ほどトレイの出し入れを繰り返したときには、さすがにもはや我慢ならず、一度は以前のプレイヤに戻そうとしたのである。けれども、そうして再び聴いた以前のプレイヤの音はえらい薄っぺらに聴こえ、これもまた我慢ならず、一度知ってしまった何とやら、もはや、あともどりもできなかったというのが、実際のところである。ちなみに、新しいプレイヤと以前のプレイヤとで、もっとも変わったのは、Club 8 の Karolina Komstedt (カロリイナ、、、うむ、読めぬ)の声である。この人の声は、ぼく好みの女性ボオカルの方々の声のうちで、もっともやさしいものである。小谷氏や新居昭乃氏などは、この人に較べれば、だいぶキンキンしたところがある。Charaの声はあんまり変わらぬようである。Charaの声は、iPodで聴いていてもあんまり気にならない。それがCharaの声でありさえすれば、あとはなんでもいいようである。
(2004.3.11)-1
昨日書いたもの読み返して何やら情けない心持ち、五時間の睡眠にてもの書きつけるべからず。今宵は観念致しハアパアを含みつつ島尾敏雄「月下の渦潮」を追う。また、ここ数日、太宰の雑文再読いたして、シャルル・ルイ・フィリップなる者の名を見出し、金の有る裡に買い込むが吉と思われる故、早速に作品集の購入手続きを致した。「ビュビュ・ド・モンパルナス」など、表題にて既に佳作の貫禄。
(2004.3.13)-1
マランツのCDプレイヤ、開いてちょっと弄くりまわしたら、とうとうまともに動かなくなってしまう。でも、おかげで原因はわかった。CDの回転開始時に、どこかが擦れているか、モータのトルクが足りないために、定時間内に定格回転速度を出せないので、エラーになっているらしい。指でちょっと手助けしてやると、機嫌よく動き出す。でも、調子に乗って、くるくるやったり、押さえて回転を止めたりしていたら(押さえると音が間延びするので、面白いのだ。CDはデジタルだけれども、読み取り部は、こうしてアナログで、それから、アンプへの出力もアナログ信号なのだ。だから、オーディオ機器は、相変わらず良し悪しがうるさく言われる)、あからさまな擦れる音がするようになってしまった。あきらめて、前の所有者の方に、どんなもんでしょうのメールを出し、叮嚀な返事がすぐに来たので、続いてマランツのサポートにメールを出す。結局、そんなに安い買い物というわけにはいかなくなりそうだ。あきらめて、今は、以前のプレイヤで聴いている。しばらく、Club 8は聴けないな。
(2004.3.13)-2
普段はそれを受けるばかりだから、サポートに苦情を言うのは、けっこう楽しい。ぼくらは、本当に一ばん下のところで、使っているのは、みんなフリーのものばかり(Free BSD やら GNU Linux なのだ。がんばれ、バークレイ!IBM!もっと働け、ライナスさん。蟻のように働け。一年休んで、MBAなんか取ってる場合じゃないぞ。あんたにそんなキャリアは不要だ。ただの趣味じゃないかあ)で、何かのお客であるということがない。考えてみれば当たり前のことなのだけれど、十分な情報がなければ、技術者だってわからないものはわからないということを、いちおう身をもって知っているので、できるだけ正確に状態を伝えるよう心がける。専門の技術者とそうでないものとの違いは、それにかけている時間と、それで金を取っているという責任と、その二つからくる誇りのようなものがあるだけのことなのだ。ほんとにそれだけしかなくて、だから、こちらもできるだけのことはした方がいいのである。結局どうにもならなくて、お茶を濁す感じで閉めてしまうときの情けなさというのは、これは哀しいものである。自分が全然無価値のような気がする。しかも、それで実費を請求するというのは、実に苦痛なのである。飯がまずくなる、どころか、飯を食ってはいけないのではという気になる。
(2004.3.13)-3
今週はだいぶ疲れました。仕事は、ほんとに微妙なラインで、ふらふらしています。出すまでにやっておきたいこと(きっとケチがつくので)が幾つかあるのだけれども、それを全部やっていると間に合わない、という感じです。具体的には、出力データサイズの圧縮法の改善と、メモリ使用量の改善、処理の高速化です。この仕事がうまくいけば、インテルに売れるかもしれません。そうしたら、あなたのPCも、ぼくらの作っているソフトが一枚かんでいるということになるかもしれません。Macには、あんまり関係なさそうです。今度、サムソンに売るために、韓国に行かなければならないかもしれません。それは、実に憂鬱であります。
(2004.3.13)-4
それから、やはり少しメモしておこうと思う。こないだ、酒鬼薔薇聖人が出所した。それに伴った一連の記事によると、彼は犯行前、ダンテの神曲からの抜粋をノオトに書き付けていたらしい。つまり、彼の犯行というのは、中学生にして、自身が小説的存在であることを自覚し、またその通りに振舞ったものだ、ということになる。彼は現代における早熟かつ未熟のラスコーリニコフであり、彼の不幸は、十代前半において、それを自覚し、その通りに振舞わなければならなかったという事実であり、周囲の不幸は、せめて二十歳を超えるまで、彼のなかのそれを誤魔化しておく手助けができなかったところだ。世の中には、幾らでも理不尽なことが起こり、そして、それは当然のことなのだ。ぼくらは、彼に対して謝罪を要求しながら、同時に、それの根本的な無意味という虚無感も持っている。起こった事は永遠に起こった事であり、それを背負うべき人間は、それを背負い続けるより他は無いのである。世界は、考えうる限りのあらゆる状態に置かれている人間を許容し、かつ必要としている。ぼくらが、多様性という、耳障りのよい言葉で取り扱っている事柄の実体というのはそういうものであり、ぼくらに必要なのは、それでもそれが絶対に必要であり、そして、決してそれを諦めないということである。この世は決してよいものではないけれども、それでもその程度のものではある、ということを積極的に肯定することである。
(2004.3.13)-5
彼の犯行は、ふたつの事柄に対する徹底的な挑戦であったといえる。ひとつめは、なぜ人を殺してはいけないのかという点であり、ふたつめは、ある衝動が存在した場合に、それに忠実であってはならないのかという点である。ひとつめは、自分もやはり他人に殺され得るという事実を許容するのであれば、或いは尤もな主張であると思われ、ふたつめは、自身が生きているという事実は何によって、証明され、裏付けられ、決定づけられるのかということのように思われる。普通の人間は、このふたつの問題について、至極適当な応えかたで以て対しているように見える。それは要するには惰性ということであり、その観点からいえば、彼のほうがぼくらよりもよっぽど、ということになる。これに対する十分な回答というのは、なかなか厄介なもののようである。ぼくらは彼の行為を裁けるほどの考えを持ち合わせていないのであり、それでも、彼を裁くことをしなければならないのである。それを投げることは、不誠実なことで、たとえ手に余ることではあっても、やはりそれをしようとしなければならない。そうすることによってのみ、ぼくらは自分の所属している世界を肯定し得る。
(2004.3.14)-1
 結局、ひとりの客もないまま十六時を過ぎると、ぼくより先の地点に立っていたふたり、駅前のひとりと、この通りに折れるコンビニのある角のひとりが、それぞれの看板を担ぎ、連れ立って引き揚げてくる。彼らは、シロカネさんとサトウさんといい、この物件は、あとひとり、受付にいるヨシハラさんの四人でやっている。シロカネさんは、180cm長の長身に少しアンバランスな丸顔、濃い眉と大きくて丸い鼻をしていて、話しぶりには関西の訛りが残っている。腿が太くて、スーツの上からでもそれがわかる。ほどよくしわの付いた趣味のいい茶色の革靴をいつも履いている。笑うと、ピンク色の歯齦があらわになるのが印象的な人だ。サトウさんは、ぼくと同じか、それよりも少し低いくらいの背丈で、天然と思わしき巻毛に鷲鼻、痩せているせいか、骨ばった印象で、多少神経質そうに見える。笑う声が少し下品な感じなのもそれに拍車をかけているかもしれない。ヨシハラさんは、この三人のなかでは、一ばんキャリアが長い方であるようで、作り笑顔が堂に入っており、ぼくにはこの人のプライベートというのが、どうにもうまく想像できない。このぼくを除いた三人は、たしかなところは、ぼくにはよくわからないのだけれど、みな、ぼくより二つ三つ年上の、だいたい同じくらいの歳のようで、それだからか、けっこう三人仲がいいように見える。今も、看板の持ち手を肩にかけて向こうからやってくる、シロカネさんとサトウさんは、何ごとか談笑している。それをぼんやりと見ていたぼくは、いつの間にかシロカネさんがぼくの方を見ていることにようやく気がついて、急いで目で会釈する。
「このクソマンションは、あいかわらず得点力ゼロやな」
 声の届くそばまでやってくるとシロカネさんは、担いだ看板をもう片方の腕で叩きながら笑って言った。となりでサトウさんも皮肉っぽく口をゆがめ、ヒヒという感じで肩を揺らす。
「そうですね」
 ぼくも自分の看板の「この先約100m」という黄色い字を見上げ薄く笑って頷き、ふたりのあとについて歩き出す。シロカネさんはサトウさんに向って、昨日のサッカーの国際親善試合について、そのディフェンスのラインがどうとか、フォワードの質がどうとかいうようなことを、ずいぶんノッた感じで喋っていた。「得点力ゼロ」とぼくに言ったのは、そのついでだったみたいだ。サトウさんは聞き役にまわりながら、ときどき適度な反駁を入れてシロカネさんを煽る。シロカネさんは、ますます日本のサッカーについての思い切った断案を下すようになり、「ナントカ(たぶんフォワードの名前だったと思う)とナントカ(日本代表の監督)が代表にいる限り、日本は勝てん」とまで言うようになっている。ぼくは「この先100m」の距離を、それをぼんやり聞きながらついてゆく。マンションに着くと、入り口の脇に据えられた机で、ヨシハラさんが不機嫌な顔をして今日の勤務記録を書き込んでいた。
 それから五分ほどして、簡単な片付けを済ませてから、業務用のライトバンをシロカネさんが運転して社に戻る。対向車線は、帰宅時間の渋滞がそろそろ始まっている。ぼくは連なった車の列や、それがときどき途切れるときに見える、道路の向こう側のガソリンスタンドや、ラーメン屋、マンションやオフィスビルの入り口、それから、さらにその切れ切れにのぞく、街並みと空との境なんかを眺める。シロカネさんは、今度は隣に座ったヨシハラさんを相手にまたサッカーの話をはじめている。後部座席にぼくと座ったサトウさんは煙草に火を点けて、それからハンドルを回して窓をあける。ぼくもハンドルを回して窓を開け、自分の髪を押さえながら、だんだんと色が落ちて夜が混じりはじめる様を眺める。風が入り込んだ車内は、スピードをあげるとバサバサという大きな音がする。

(2004.3.14)-2
おなかの調子がよくない。昨日今日と、島尾敏雄のよく書き込まれた青年についての作品みっつを読む。テレビには泣きながら四十キロを走りとおした女の人が映っていたのを憶えている。無関心というより放心。退屈と憂鬱とを食して過去は肥る。新しい"Break These Chain"だけを聴いている。ぼくは何を書いているのか。


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