tell a graphic lie
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(2004.5.1)-1
「響きと怒り」終わり。運命ってのは重くも軽くもなくて、それだから生命も重くも軽くもないのさ。外から眺めていい気になるのはよせよ。みっともないぜ。すべてがニアリーイコールなら、お前がいい気になるそれだっておんなじことなんだぜ。問題は、それでもお前がいい気な顔をするってことで、そのいい気はどこからやってくるんだろうってことだ。
(2004.5.1)-2
しかし、こんなんじゃあ仕様がない。
(2004.5.1)-3
トレース。ああ、トレース。近ごろは、トレースして昇ってくるようなイメージには興味がない。トレースってのは、芋づるを手繰るようなもので、芋づるってのは地面をごく浅く掘って這い伸びているもので、そういうものをいくら手繰ってみても地表近くのものしか出てこない。芋を掘るにはそれがいいだろうけれども、石油を掘るにはボーリングマシーンが必要だ。そう、それでそのボーリングマシーンがどんなものなのか、よくわからないでいるんだ。細く深く、真下に掘れればそれで十分の成果なのだけれど、そいつがよくわからない。
(2004.5.1)-4
科学の原理的条件の一。対象の現象に再現性があること。どんな真理の発見も、それが顕れている対象をくりかえし観察することからはじめなければならない。いっぺん見ただけでわかるようなものは、科学がそれとして立つずっと前に網羅されつくしていた。不確定性の原理も、それが不確定であることは確定しているものだ。何度も何度も見れるものでなければ科学にはならない。だから、科学者の仕事のはじめは、いつも見るための仕組み、すなわち測定装置を考案することからはじまる。そして、出来のよい(正確で使い勝手のよい)測定装置はその先もずっと求められ続け、改良を加えられ続ける。本当は、尺度を考案することから始められたら仕事はずっとすっきりとするには違いないのだけれど、はじめから適切な尺度がわかるわけがない。今では純水の沸点は百度ではないし凝固点も零度ではない。
(2004.5.1)-5
つまり。クソ!こんなんじゃどうしようもねえ!
(2004.5.1)-6
プンプイ!
(2004.5.2)-1
或る人へ、というよりはいつもの人へ宛てて書き出したメールはボツになり(正確には書いている途中で眠ってしまい意識の流れが途切れたので、そんなのはメールにする意味がないので)ここにのる。
(2004.5.2)-2
…まあ、それはいいとして。日記のほうにも書きましたが、「響きと怒り」終わりました。
 でも、あんまり感想みたいなものが湧いてきません。フォークナーが「自分の小説家としての臓腑をすっかり書き込んだ」と述懐したように、たしかにこれは頭に"The"がつくフォークナー作品のなかで最もフォークナーらしいものであるように思われますが、けれどもむしろそのために、もう数冊を読んでしまっているぼくは「感ずる」ところのない作品として受け取ってしまっているようです。ですから、これは新しい感想というわけではないように思えるのですが(或いは以前にも書いたことがあるかもしれません)、フォークナーという人は、全部諦めてしまったところから書き始めている人だなということは、読んでいるあいだずっと感じました。
 「響きと怒り」は、直接的に三人の主人公を持ち、その三人の姉(または妹)のキャディとその娘クェンティンとをヒロインに配し、そこに父母と叔父、使用人たちが登場人物として連なるわけですが、フォークナーはそのどれにもいっさい肩入れをしていないように見えます。前の三章は三人の主人公の主観からそれぞれ語られるわけですが、それはただそこから語るというだけで、フォークナーは主人公に対してある種の甘い姿勢を以て語ることがありません。それは主人公に都合よく物語が展開するということではなくて、主人公を批判的に描くとか、その反対だとかそういう話しでもなく、んん、このあたりがフォークナーの小説から受ける感じについてのちょっと微妙な話しになるのですが(もしくは、単にぼくの言いあらわすちからが不足しているせいなのですが)、つまり、主観からの小説を書く際に見られる主人公と作者との一種の馴れ合いとでも言ったらいいのかしら、作者の代弁者としての主人公というあの一般的な関係が見られないということです。何というか、その主人公がなぜ主人公なのかという点が、感覚的に諒解されないということです。そのような姿勢で主観の記述を用いた小説を書く作家というのは、ちょっと他に思いつかない。一人称の小説というのは、フォークナーの作品と照らし合わせてみれば、程度の差こそあれ、例外なく主人公は作家の代弁者なのです。でも、フォークナーの場合はそのようには見えない。一本の小説に三人もの主人公を立てても全く破綻せず、それどころか決してオムニバスという形式にはならずに全体としての統一感を保っているというのは、つまり、そのどれもが一般的な意味での主人公ではないということなのではないかと思えます。これは実に不思議なことです。概論的には、そのような小説が存在していても決しておかしくはないのですが、実際においてそれは実に難しいことなのだとぼくは思っています。
 小説家というのは、というより物語というものは、そのうちにこめられたいずれかの存在、人物、価値観、概念、感情、なんでもいいのですが、いずれかに肩入れして書かれる必要が、実作上の問題としてあるものなのです。というのは、作家もまた一個の人間に過ぎないのですから、作者-語り口-被写体という三次元ベクトルがどのような位相であるにしろ、完全なニュートラルというのはありえず、そのトライアングルが構成された時点で作家は何らかの立場を表明せざるをえないはずで、その関係はそのまま「馴れ合い」として顕れてくるはずなのです。それは話の筋という大枠そのものに対してはたらくこともありますが(ほとんどの場合、それは下手くその証拠ですが)、そうでなくとも、ちょっとした言い回しや言葉づかい、「〜してしまった」とか「〜された」とかそいういうごく些細な部分、それどころかやんわりとしたほのめかしでしかなくとも、とにかくいずれにせよ、どうしても出てしまうもので、でも、それはそんなに悪いことでもないようにも思えます。普通はそれによって主観からの小説は、主人公や主人公と関わる登場人物たちに血と肉を与えるものなのだと思います。けれどもそのかぎりにおいては、勧善懲悪というあの単純な(善と悪とが常に物語固有の個性を持ち、ときには全然それが反転していることがあるとしても)価値観の片鱗が顕れてこざるをえない。それが謂わば物語における道理なのです。でも、フォークナーの作品にはそれがない。少なくとも、それが感じられないほどには、粉飾されている。そうは思われないでしょうか。ぼくにはしきりにそういうようなことが思われるのです。作家というのは、それぞれに呆れるくらいに個性的で、その文章に固有の色彩を有しているものですが、フォークナーにおけるそれというのは、そのあたりにあるのではないかと今ぼくは考えているのです。
 フォークナーの小説は、他の作家のそれと較べてかなり趣きが異なります。彼の小説の解説にはいつも「生命感あふれる文体」などの文句が見つかるのですが、ぼくにはどうもしっくりときません。例えば、次のような文章、これは第二章クェンティンの、彼が金物屋で火熨斗(ひのし)を買い、市電に乗るところ(いちおう、そういうところ)の抜粋で、とてもすきな部分なのですが、

(2004.5.2)-3
 ぼくは通りの向こう側に金物屋を見つけた。ぼくは火熨斗というものがポンド単位で売られているのを知らなかった。
 店員が「ここにあるのは十ポンドです」といった。だがそれは自分の考えていたものより大きかった。そこで、六ポンドの小さなやつを二つ買った。というのは、それなら包めば一対の靴のように見えるだろうと思ったからだ。それでも二つ合わせると十分重かったが、ぼくがふたたび人間体験の帰謬法について語った父の言葉を、それからぼくに持てそうなハーヴァード志願の唯一の機会についていった言葉を考えていた。それから、たぶん来年まではかかるだろうと、その適当なやり方をおぼえるまでには、たぶん大学で二年はかかる、と考えた。
 しかし、火熨斗は空気中では十分重く感じられた。市外電車がやってきたので、ぼくは乗った。ぼくは前に掛かっている行き先の名を見なかった。それは満員で、たいていは裕福そうに見える人たちであり、新聞をよんでいた。一つだけ、黒んぼの隣の席が空いていた。黒んぼは山高帽をかぶり、ピカピカの靴をはき、そして火の消えた葉巻きの吸いさしを持っていた。ぼくは以前、南部人はたえず黒んぼを意識せずにはいられないものだと考えていた。そして北部人は南部人をそう考えるだろうと思っていた。そこで初めて東部へやってきた時、あの連中を必ず黒人として考えるようにし、黒んぼとして考えてはならないと、たえず自分にいいきかせていた。だから、もしたくさんの黒人とまじわらずにいられるという偶然がなかったら、黒人だろうが白人だろうがすべての人間に対する最良の方法は、その人々をその人々が自分でこうだと考えているままに受け取ることで、あとはその人々の勝手にさせておくことだとわかるまでに、多くの時間と気苦労を無駄にしていたことだろう。そしてぼくが、黒んぼというものは一個の人格というよりもむしろ一種の行為の型で、つまり彼がその中で生活している白人の行為を裏返しに映し出したものだと悟ったのは、その時だった。だが最初ぼくは、自分のまわりに多くの黒人がいないのを淋しく思うべきだと思った。なぜなら北部人たちは、ぼくがそう思うものと考えていると思ったからだ。しかし実のところ、自分が本当にロスカスやディルシーやその他の黒人たちのいないのを淋しく思っているのを、ぼくはヴァージニアでのあの日の朝まで気づかなかったのだ。その朝、眼をさますと汽車がとまり、ぼくは日除けをあげて窓外を見た。ぼくの車輛は踏み切りをふさいでおり、そこには二列の白い柵が丘の上からおりてきて、ちょうど角(つの)の骨組みの一部みたいに一方は外側に向かい他方は下に向って分かれてきていた。そしてかたくなった轍(わだち)のまん中で、騾馬(ラバ)に乗っている一人の黒んぼが汽車の動き出すのを待っていたのである。いつごろから彼がそこにいるのかぼくは知らなかったが、とにかく彼は騾馬にまたがって坐り、頭は毛布の切れっぱしでくるまれ、それはあたかも柵や道と一緒に、あるいはまた丘と一緒に、丘を刻んでそこにつくられてでもいるようで、まるで、ようこそ故郷に、と書いた看板がそこに立っているようだった。彼は鞍をつけていず、ぶらさがったその足はほとんど地面にとどきそうだった。そして騾馬は兎みたいに見えた。ぼくは窓をあけた。
フォークナー 「響きと怒り」 第二章 クェンティン 一九一〇年六月二日 抜粋

(2004.5.2)-3
 これなどは、解説のいう「生命感のあふれ」た部分の最たるものであるはずのところですが、ぼくはその言い方に違和感を持つのです。

(2004.5.2)-4
そして更にまた、中途で放擲する。理由は「寓話」を読み始めたからで、それはさしものぼくにあっても自身が喋ることの惨めさを自覚させるには十分なものだった。フォークナーは賞賛者たちがいうところの「生命感にあふれる」自身の文体には何の価値も見出していなかったことが読み出して暫くしてからぼくにもわかったのであり、彼が問題にすらしていなかった点をぼくがこのぼくが大理石の上を這い回る蛞蝓みたいに光と眼との位置関係によっては時折てらてらと光って見えることもある軌跡みたいに汚してみたところで何になるだろう。彼の作品を読む者たちがそれに見出したもののうちのいったいどれほどがほんとうのそれの価値だったのだろう。彼の見たものをぼくらは見ることができていたのだろうか。それどころか彼の見せたかったものをすらぼくらは見ていなかったのではないだろうか。ぼくらの眼というのはほんとうにほんとうに見たいものしかみないし、たとえ見たいと願っても見ることのできるものしか見えないのだということを思い出して少し泣きそうになった。ぼくだって自分がひどい間抜けをやらかしているということにときどきは気づくこともあるのだし、それに気づいてまでそれを続ける意思なんてほとんどの場合持っていない。だから止める。「寓話」はとにかく難しい。放り出したいほど、いやもうすでに何度かぼくはそれを試みて、そうして今ではもう鉄の塊か放射性物質かなにかに見える小さなその冊子を顔をしかめて何も考えずにしばらく睨んでからまた手に取ることをして上巻の半分まで来ているけれど、いまだに何が書いてあるのかほとんどわからない。文章はコミュニケーションであるなどという生ぬるい定義はここにおいては完全に捨て去られ、ただぼくには全く想像すらできずその片鱗すら見出せずその気配も感じられない彼の目的とする何か、その何かに迫るためにのみ用いられ、そのほかの機能はみな切り捨てられている文章がそこには展開されており、だから、文章は何かを伝えるものではないし、文章は思考の補助としてあるものではないし、文章は記録としてあるものではないし、文章は美しさや他の何かを表現するものではないし、ただ文章はそれと戦うためにあるのだと、ぼくにわかるのはそれだけで、ここに何が書いてあるのかぼくにはわからないし、だからこれによって何が為されるのかも当然わからない。そしてそれはほとんど絶望的なことだ。これを読み終えたときのぼくの感想はおそらく惨めなものになる。わからなくて、悲しかった。
(2004.5.2)-5
よろこびの全く無い音楽が聴きたい。最も乾燥した音楽。
(2004.5.2)-6
ぼくにはイノチに対する感覚が足りない。絶対的に足りない。ぼくは味の無くなったガムペーストを唾液に包んで吐き出して捨てるみたいにして、愛情とか善意とかを無視する。それは確かに、ほとんどの場合それがぼくの"aim high"に寄与することが無いためだが、その実際においてのぼく自身の無感情、非人間的な反応は十分に非難に値する。いくらぼくがヴァルハラの招かれざる客であるとしても、そのためにあらゆる憐憫や同情の感情を一蹴する理由には当たるまいと思う。ぼくは弱音を吐きながらも、その応答を端から信用して用いる気がない。そこで得られる助言や励ましや叱咤や新たな公式はどれもぼくを満足させることは無いだろうと前々から判っていると思い、また実際にその通りに振舞うので、
(2004.5.3)-1
傑作は精神衛生上よろしくない、という話。そして、カヒミ・カリィの"Trapeziste"というアルバムは生理的な音楽だという話。それから、ぼくの書きものは呆れるくらい何も書けないという話。そろそろ書けてもいいはずだ。
(2004.5.3)-2
 けれども、話すことがかたちあるものとしてすでにあったわけではなかった。猫は、轢かれてもしばらく放置される、というのは、明確な言葉ではなかった。ぼくはまた言いよどんだ。鴉の鳴き声が聴こえた。
「用事というほどのことは何にも無いのだけれど。なんとなく自分の部屋に入りたくないような感じだったから。それで、会いに行こうと思って」
「自分の部屋に入りたくない」庸子は苦笑した。
「そう。いやだったんだ、あの部屋に入るのが。たぶん、ぼくの部屋があんな風だからだと思うんだけど」
「あんな風」また、苦笑している。
 ぼくはいまだに、ぼくの部屋の中がどんな状態なのかを話していなかった。一ことで言えることなのだけれども、その一ことを言っていないのだった。それは話される価値のあることだと認識していなかったためでもあるようだし、あるいは、そう言ってしまうことを恥じたり、恐れたりしていたせいかもしれない。とにかく今まで、ぼくはそれを言っていなかったようだった。でも、そういったことには気づかないまま、まったく無頓着にぼくはその一ことを口にした。
「そう、あんな風。ガランドウ」
「がらんどう」庸子は再度ぼくの言った言葉を庸子自身の声でなぞった。
「がらんどうね。私は『まだ』実際には見たことがないから、そのあたりはよくわからないけれどね」
 庸子は多少皮肉を込めた調子で言った。ぼくは庸子をなかば見上げるようにして追従笑いをうかべた。
「なんにも、無いだけだよ。ただ、なんにも無いんだ。空き部屋とおんなじなんだ、ぼくの部屋は。だから、ぼくが帰っても、帰らなくても一緒なんだよ、あの部屋は。ぼくがそこに居ても、居なくても、ぼくがその部屋の所有者で(正確には所有しているのではなくて、借り上げているだけなのだけれど)あっても無くても一緒なんだ」
 ぼくは少し口調が速まっていたので、そこで言葉を切った。
「それで今日は、そういう部屋には戻りたくなかったから、私のところに来た」
 ぼくは多少頼りない感じで頷いた。庸子は「ふーん」と言った。
「普段はそんなことはないんだけど、ときどきそういうような気分になることがあるんだ。気に入らないことがあったときとか、そういうことではなくて、原因がはっきりしないことがほとんどなのだけれど、あるとき、部屋のことを思い出すんだ。自分の部屋があって、そこがガランドウだということを意識する。そうすると、『ぼくはそこに入りたくない』というような感覚をおぼえるんだ。それは強迫観念とか焦燥感とかいうほどのものでもないんだけど、でも曖昧な願望や気分というわけでもなくて、それでもたしかに『入りたくない』という風になるんだ。投げやり、というのに近いかもしれないな。朝、走って駅に着いてみると、乗らなければならない電車がちょうど今ホームに停まっていて、ものすごく急いで、しばらく肩で息しなければならないほどに走って、それからほんのちょっとだけ、理由は何でもいい、その日だけ特別に混雑していたためでもいいし、誰かが駆け込み乗車をしたせいで、閉まりかけのドアがもう一度開けられるというのでもいい、二十秒、いつもよりも電車の発車が遅ければ、あるいは乗れないこともないというようなときに、『ああ、もういいや』ってそこで諦めてしまうかどうか迷うだろう、あの感じに近い。あの感じで、諦めようとするのではなくて、『ぼくはそこに入りたくない』って願う、そう、『願う』んだ」

(2004.5.3)-3
ものすごくどうでもいい議論だが、現在の日本にあって、戦争の悲惨さだとか、貧困の苦しみだとかを、それらを現に体験しているところの人々の感覚と同じ程度にまで理解する必要があるかという問題について。これらについて取り扱う議論はは常に、その問題についての前提の部分においてのみ発効する。すなわち、人間を戦争から解放するのは、まさにその体験をさせないためであり、貧困から救い出すのは、その苦しみを舐めさせないがためであるということである。したがって、極めて非戦的であり厭戦的な国家の人民に戦争の悲惨さを伝達するというのは、世界の所得分布において貴族的な地位を占める国民に対して貧困の苦しみを理解させようとするのは、ほとんど何の意義も有さない、いわゆる、余計なお世話でしかないということが言えるかと思う。必要なのは、その経験を、それを経験していない者たちへ伝達することではなく、どう転んでも、永久にその経験を経験させないための、不動の、確固たる体系であり、ほとんど短絡的にすら見えるほどの明快なロジックの具現化なのである。それは「リンゴは地面に向って落下する」という、あの原理に近ければ近いほどよい。そして、その試みは既に部分的には達成されている。すなわち、あの最終兵器、現在保有している分だけでも、地表を三十度ほども黒焦げにできるほどである、しかもそれに見舞われた土地を数十年にわたって無為の虚妄の土地と化すことが可能なあの最終兵器の取り扱いをめぐる一連の仕組みや、それを直接に管理する立場にある、それを保有する国々の担当責任者(つまり、国家元首)の理性と覚悟と臆病を俯瞰すれば、そういった体系というのは、実現不能な夢物語というわけではなく、それが実現されないのは、それを実現する必要のほうに欠けているからであり、つまり、世界中のあらゆる戦争、紛争、武力闘争が常に核戦争と同程度にクリティカルな事象でありさえすれば、この世から戦争というものは消滅するのであり、そうなれば、もはや戦争の悲惨さを戦争を知らぬ者たちに伝える必要というのは消え去り、最も愚かで迷惑な行いになるのであり、同じようにして、世界から現状のいうところの貧困というものが消え去れば(そして、おそらくそれはいずれ達成される)、それの実態を伝えることは自傷行為に等しい虚妄に過ぎなくなるのである。そして、このことと、そういったものが現に消滅してはいないという事実は、次のことを教える。すなわち、人間というのは、ある程度たがいに殺しあうものであり、ある程度は極度の貧困にあえぐものなのである。それは、固体同士の無慈悲によるのではなく、むしろ、固体同士の隔離によって起きるものではあるが、いずれにせよ、総体としてそういった状態を、たとえ消極的であるにせよ容認し得るということである。こないだ、何かのニュースで、一日一ドル未満での生活を余儀なくされている人間の数は、この数十年で、世界で数十億人から、数億人に減ったという報道があった(たしかWHOの仕事であるはずだ)が、まあ、そういうことだ。ぼくらは、ほとんど思いがけないほどにまで(たとえ、その数十年で一ドルの価値が大きく変わってしまったものだということを考慮に入れても)、仕事をうまくやっているのではないだろうか。最終的に、個人の幸福は、基本的に個人の決断や個人のタイミングによるという状態に至るのは、そう遠い未来のことではないのではないか。そういったことを思い、ぼくはぼくの先人たちがほとんど勲章について誇るようにして語るところの一切を無視することをする。そんなことはありえなかった、そんなことはできはしなかった、そんなことは思いつきさえしなかった、というのをもっと捨て去って、つばをはきかけてもいいのではないかと思う。
(2004.5.4)-4
 で、あれらの疑問を、ぼくは満足したり喜んだりすること以外のやり方で解きたいんです。なんで、満足したり喜んだりすること以外なのかといえば、それらは実際には解いているのではなくて、回避しているだけのように見えるからです。ぼくはその疑問を解きたいのであって、ただそれが自分にとって問題でなくなればいいというわけではないのです。
 世の中に出回っている人生HowToは、まず、この回避のための方法のことを言っていて、そして、つまるところは「気の持ちよう」と言っているだけのもので、そんなんでよければ、実に情けないことではあるのですが、ぼくなぞは今すぐにでもそれを回避することができる。それにはけっこう自信があって、今はどちらかといえばそういうのを抑えるようにしてやっている、というのが感覚としてあるくらいなのです。でも、ああいった疑問を取り扱うことをやめて、所謂「楽しい生活」を送るというのは、ぼくにはどうも大して魅力的に感じられない。それよりは、それらの疑問について考えたり、それを解くために何か書いたりするほうが、謂わば「面白そう」だ、というわけです。で、こういう言い方をすれば、科学者が自分の専門分野にのめりこむことや、絵描きが絵に熱中することと同じようなものだと言ってもそんなに変には聞こえないのではないかな。ただ、扱っている事柄が、なんだか傍目には大して面白そうでも魅力的でもない虚無とかそういうような名前がつけられているような事柄だというだけのことで、そして、それを取り扱うためには、野球選手が野球場で仕事をするのと同じようにして、虚無とか孤独とか敗北とかそういうところに近いところでやらなければならないというだけのことなのだと言っても、そんなに無理なこじつけには見えないのではないかな、と思っているのです。
 このあたりの感覚については、ドストエフスキーを例に持ち出せば、まあ、なんとなくわかってもらえるかなあと思います。彼自身は、何度かロシア国外で生活をしますが、実作上の必要から結局ペテルブルクに戻ってくるわけですし、「罪と罰」のラスコーリニコフは天井の非常に低い蒸し暑くジメジメとした屋根裏部屋で、空腹に耐えながらあの思想を培うのです。で、この先には、最終的にある種の到達点としての自殺があるはずで、つまり仮説ですね、その自殺というのは、これは「あり」なのではないかとぼくは思っているのです。
 とまあ、なんだか豪そうなことを言っていますが、こういうあり方は基本的に、やっぱり太宰の受け売りで、それは彼の人生に対するだいぶうがった見方なのかもしれませんが、でもそういう見方からみた場合の彼のあげた成果というのはなかなかのものであったように、今でもやはり思えますので、ぼくもできればそれをなぞりたいと思っているわけです。「人間失格」はだいぶいいところまで行きましたよ。あれは核心に届いている。そうは思いませんか。
 やっぱり、ながながと自分の話ばかりのメールになってしまったわけなのですが、まあ、そういう感じで、ぼくの後退的発想については、半ば職業的(まだ職業にできていないのですが)なものなので、あんまり気にすることもない、というようなことがたぶん言いたいのだと思います。よく、一度きりの人生、好きにやればいいじゃない、といったことが言われているようですが、まあ、そうさせてもらっている、というところなのです。「ぼくは自分で死ぬよ」うん、好きにしているという感じですね。
(2004.5.4)-5
フォークナー「寓話」難渋しています。フォークナーの小説は、これは「響きと怒り」の背表紙コピーですが、「アメリカ南部の名門コンプソン家が、古い伝統と因襲のなかで没落してゆく姿を、生命感あふれる文体と斬新な手法で描いた云々」と、基本的に「描き出す」ことを目的とする小説として捉えられることが多いように思われますが、「寓話」はそうではありません。たしかに、第一次大戦という「戦争」を被写体に選び、それを描き出すことをしているのですが、この「寓話」には、明らかにその先があります。明らかに、それをすることで、ある回答を導き出そうとしていて、記述のすべてはその観点から、シェイプアップされています。実際、その文章というのはすさまじいもので、一切の余計な記述は切り落とされ、必然としてあるべき文だけがそこにおかれている、というように見えます。それはおそらく回答の巨大さのためなのだと思いますが、おろかな読み手のぼくには、もう、とにかくわからないわけです。全文が何かを目指している、ということだけは感じられるのですが、その何かが一向にわからない。「これ以外の書き方というのはないのだ」という、一切の解説を厳然として拒絶する不動の確信がぼくには見えるだけなのです。ぼくの読んでいるのは、岩波文庫の阿部知二という小説家・翻訳家が訳したものですが、訳者あとがきによれば、彼は三校までやったそうですが、それでも全然わからなかったそうで、あとがきはその悔しさともどかしさで満たされています。こういう小説ってのは、本当にあるんだなあと思います。批評家なんて、いい気な役立たずだと思います。そんなわかりきった、どうでもいいような話ばかりしていないで、ここに何が書いてあるのか教えてくれ。
(2004.5.4)-6
と、半分ぐちになってしまいましたが、もうひとつ、島尾敏雄作品集、ようやく一冊終わりました。今年いっぱいかかるような気配です。それで、いまは二冊目の先頭、「出孤島記」をもう一度読んでいるところです。いや、いいですねえ、これ。純文学というのはこういうのをいうんだよ、というお手本です。人に、「純文学って何?」って聞かれたら、「はい、これ」と言って、島尾敏雄を見せればいいわけです。あんまりよくできているので、(「出孤島記」が二度目だというのを差し引いても)どこかで読んだような気がしてきますし、さらには自分にもすぐに書けるような気がしてしまうくらいです。ぜんぜん書けないけど。ちょっと思ったのですが、いま、この人のあとを継いでいる人っているのかしら。居て欲しいな。というより、居ないと問題ありですね。
(2004.5.4)-1
ものを食べて
(2004.5.4)-2
カヒミ・カリィの"Trapeziste"はとても良い。それから、「生理的な音楽」という形容も、久々のヒットだ。ぼくにしては、上出来だ。生理食塩水ってあるだろう。擬似羊水みたいなやつ。あれな感じ。いや、それに浸かってるとか、そういうことじゃなくて、なんか生理食塩水そのものみたいな感じの音楽なんだっていうこと。
(2004.5.4)-3
ああ、カンニングがしたい。誰か、資料つくってくれ。。。
(2004.5.4)-4
ものすごく長くて、だらだらしているメール書いたんですけど、出してもいいですか?
(2004.5.4)-5
Charaとか、小谷氏とか、新居昭乃氏とかを勧めるというのは、なんというか、ちょっとこっぱずかしい(失礼)感じがあって、握りこぶし固めて、肩に力入れて、「いい!」というのは気後れするのだが、カヒミ・カリィの"Trapeziste"は、ほんとにいい!だって、これ、ぜんぜん俺の好みの感じの音楽じゃねえもん。そんだもんでも、どうでもいいもんだから、いいもんはいい!ちゅうんだ。百人いたら、そのうちの八十人くらいに、「いい!」って思わせる自信があるだ(おらが自信、ちゅうのもあれなんだが)。パブリックポップスと演歌と歌謡曲しか聴いたことがねえやつらにも、あー、なるほど、って言わせる自信があるだよ。音楽の深けえところっていうのを思い出させてやる自信があるだよ。さんまもきっと、うなずくだ。んだ。うなずくだ!音楽ちゅうもんは、適当な、いい加減なもんじゃあ、決してねえだよ。
(2004.5.4)-6
放出する音楽、じゃないもの。つまりその反対。吸収する音楽というもの。
(2004.5.5)-1
"Trapeziste" が聴けるということは、もしかして、ぼくの許容範囲が広がったことを示すのかもしれない。いよいよ、ジャズとかクラシックとかが聴けるようになったのだろうか。だとすれば、めでたいことだ。連休があけたら、同期にいくつか見繕わせてみよう。その際の手がかりとして、ぼくは「"Trapeziste"みたいな、こう、生理的なやつがいいんだ」と言えるだろう。
(2004.5.5)-2
前に進む者がどうしてもやらなければならないことは、後ろや右や左に進まないことだ。
(2004.5.5)-3
結局、喋らせることでしか、それをあらわしえなかったというところが、ぼくの敗北だ。それを越えなければ、その先はない。どっちにしても、今日のは、書き直さなければならないのかもしれない。まだ、おいてみなければ、わからない。
(2004.5.5)-4
「がらんどう。なんにも無い。からっぽ。そうね、たしかに帰りたくなくなるかもしれない…
 そして、帰りたくない部屋があなたの部屋なのね、そう『願う』ほどに」
「そう、ぼくの部屋っていうのは、そういうものだ。ぼくにとって、部屋っていうのは、そういうことなんだよ」
「さみしかったり、するからかしら」
「さみしかったり…ぼくは、人間の部屋、というよりは棲む場所、『巣』っていうのはそういうことなんだと思って、それだからぼくは、ぼくの部屋をその通りにしたんだ。それはどうしても必要なことだと思ったんだよ。だって、そうじゃないか。ぼくはそれを忘れるべきじゃないんだ。いつでもそれを感じていなくちゃあならないはずなんだ。何よりもまず、ぼくはぼく自身であることを感じて、感じ続けて、そうして、確かめられていなければならないはずなんだ。でなければ、どうして自分のしたことが、ほんとうに自分のしたことになるっていうんだ。どうして自分の考えたことが、自分の考えたようにして間違ってはいないんだということが確かめられるっていうんだ。だから、ぼくの部屋は伽藍堂なんだ。どうしても、そうなるはずなんだよ」
「…それは、つまりあなたががらんどうだということ?」
「わからないよ…そう、わからない…でも、それだけで充分じゃないのかな。ぼくには、そんなことすらわからないんだ。それだけでもぼくの部屋が伽藍堂になるには充分なんじゃないかな。ぼくはこのこと自体についてすら、こうして君に尋ねてしまうんだよ」
「自分にはがらんどうが相応しい」
「相応しい!」
「…あなたは、そう思いたいのね」
「思いたい!君はいいことを言う。そうありたいものだ」
 おそらく、ぼくはひどく醜い顔をしていた。庸子は表情を消し、黙った。おかげで、ぼくは話し続けることができた。ぼくはすでにひどくどもっていた。世界がぼくから離れつつあるように感じられた。
「ぼくは、ぼくを確認できないんだ。日本時間午前何時何分何秒に桂矢信次という姓名で昭和五十三年十二月二十八日誕生と登録されている一個の人間が何処其処にい何をしているか、ぼくにはわからないんだ。ぼくはそれを指し示すことが、決定的にできないんだ。『ぼくがいる』って言うとき、それがただ言われただけではなくて、実際にぼくがいるっていうことを確かめて、それを保証するのは、ぼく自身以外にはいないはずだろう。でも、ぼくにはそれをすることができない。それはたぶんぼくには何かが無いせいに違いなくて、そして、ぼくにはそれがなんだかわからない。でも、そんなことはどうだっていいんだ。もんだいはただ、ぼくがぼく自身を確かめられていないっていうことを、ぼく自身が忘れてしまうかもしれないってことだ。ぼくが実際にはいなかったかもしれないということをぼく自身が確かめようとすることをすらぼく自身が忘れてしまう。ぼくにはそれが、ひどく致命的な、あり得るべからざることのように思えるんだ。無の無は、決して有じゃない。まして、無でもない。それはきっと、とても堪えられない、終末的な何かなんだよ」
「…でも、私にはわからない」

(2004.5.7)-1
 わからないのは、やはりぼくのほうだった。庸子は落ち着いていた。それを見てとったぼくは羞恥を感じ、二の腕、胸骨から上の体は電熱抵抗のように赤黒く、音を立てずに温度を増していった。「君はどうしてぼくといっしょに居るんだろう」ということを、ぼくはまた尋ねたい衝動に駆られた。しかし、実際に何かを口にすることは無かった。ぼくは顔を上気させ、過熱しすぎた機関がそうするように動きを止めた。そして、ぼくは侮蔑されるべきだと考え、みずから内心でそのとおりにした。庸子は相変わらず冷静だった。つまり、救いとはそういうことなのかもしれない。
 その後、庸子は以前話してくれたのと同じような意味あいのことを、まるで教え諭すようにして、ゆっくりと、しずかに、辛抱強く話した。庸子の話すことはまったくただしいことのようにぼくにも思われた。しだいにぼくの体は沈静化し、それに伴って、自身を侮蔑することを止め、代わりに庸子の話を辛抱強く聴くようにした。けれども、けっしてぼくは納得しようとしなかった。そして、庸子に対してそれを隠す必要は無いように感じられたので、そのことを表情に表し、また、同じことを何度もくり返し、蒸し返して言うことによって、それをあらわした。しかし、それでも「庸子はどうしてぼくといっしょに居るんだろう」というのは最後まで言わなかった。でもそれは、あるいはそれだけはわかったためだったのかもしれない。
 日付の変わるころになってようやくぼくらは我にかえり、そのくり返しを停止した。食卓を片付け、入浴をした。浴槽に沈んでいるとあたりは不思議に静かで、もの音ひとつ無かった。でも、ぼくはそれには気づかず、体を浸したお湯の熱にも気づかず、ひょっとするといま風呂に入っているということにすら気づかず、ぼく自身のことだけを感じていた。
 長風呂をしたので、庸子は怒った。
(2004.5.7)-2
はい、おしまい。いや、正確には、あとは、ラストを「覚醒都市」として書くことと、先頭のふにゃふにゃした部分を全部書き直したら、おしまい。
(2004.5.7)-3
なんだ、まだまだじゃん。
(2004.5.8)-1
昨日は、この latest.html を up し忘れていたようなので。
(2004.5.8)-2
ゴールデンウィークも終わってしまうので、仕方なく髪を切りに行った。何度も書くが、美容室へ行くのは嫌いである。あそこに居るあいだ、一時間前後だが、そのあいだじゅう、全身のうつる鏡と自身とを正対させられ、大きく不恰好な頭部を美容師にいじりまわされ、しかも、彼もしくは彼女をそれと毛の質とによってかなり難渋させ、持て余しながらも健気にも----そして迷惑なことにも----ぼくの機嫌を損ねないよう間を取り持とうとする、残念なことには成功しない試みをも強いることになるのである。それでも、髪は伸びるので、しかも悪いことにはぼくの髪の伸びは速いようなので、三ヶ月に一度程度は切らなければ、日々の髪のやりくりが面倒なものになってくるのである。疲れきって迎える週末の休みの一にちを、そのような不愉快を感ずるためにわざわざ出かけてゆくのはほとんど耐え難いが、まとまったゴールデンウィークの休日の一日ならばまだしもと思えるので、ゴールデンウィークのはじめからそうしなければと意識してはいたのだが、それでもこうして終わりちかく、ぎりぎりにならなければやはり行こうとはしないのであった。そのような次第で、ぼくは年に三度か四度ほどしか美容室へ行かないが、此処に越して来てからお世話になっている、部屋から最も近傍の美容室は、それでもこれで四度目か五度目にもなるため、鈍いぼくの頭であっても、そろそろその美容室における客さばきの仕組みがぼんやりと諒解されてきたので、今回は予約の段階で、前回取り扱ってもらったその美容室においては年長の部類に入ると思われる三十少し前だと思われる男性の美容師を----彼はその技術においても、また(これも美容師としての技術の一と思われるが)、ぼくが扱いがたい客であることを見てとり、距離をはかることにおいても、今まで会ったうちで最もうまかった----きちんと担当者として指名し、どうにも興味を持てなくなってしまったそこで渡される数種の雑誌の代りに読む文庫本、スタインベック「ハツカネズミと人間」を用意して、一にちを台無しにするその場所へ行った。担当の美容師はぼくのことを----おそらく最も扱いにくい客のひとりとしてだが----覚えており、ぼくのような所謂もっとも地味の生活をおくっている者向けのものと思わしきことを話した。すなわち、彼もまたそのような・・・・・生活をおくっているのであり、その日々のことを話したのだった。美容師という職の休日は、週に一度しかないもので、彼はその日を自費で参加している技術品評会----それはだいたい三ヶ月に一度程度あるものらしく、大きなものになると参加は千二百組にもなるそうである----に参加することや、その際のカットモデルを得るために街頭での勧誘活動などに充てており、いまは今月末に開催されるコンテストのモデルを探すので休日のまるごとを潰しており、このあいだの休みも横浜駅前に八時間立ち探したが得られなかったというようなことを話した。彼は持続的な技術の向上のためというようなことを口にした。ぼくはかなしいかな、髪を切るのが嫌いな人間であるので、細かな技術の話しを聞くまでには至らなかったが、千組以上も参加するコンテストでよい結果を得るには、そうとうに目立たなければならず、そのためには日常においては極めて奇抜な形にカットしなければならないが----前髪無しなどはあたり前のことで、付け毛をしなければ日常生活に支障がでるほどのものもあるそうである----モデルの娘がどうにもかわいそうでそう大胆にはやれないと言った。そしてまた、いかにして切るかということを二十四時間考えているということも言った。ぼくはぽつりぽつりと質問をし、彼の話しが空振りに終わることをどうにか防ごうとした。けれども、自分のことについては話せることが無かった(彼は現にこうしてぼくの髪を切っているのであり、ぼくにはそれに該当する行為が無い)ので、そううまくはいかなかった。今日は、彼はゴールデンウィークのために客足が分散したためかしらんと言ったが、比較的手すきだったようで、彼が髪を流し、マッサージをした。ぼくの両肩を押さえながら「肩こってますねぇ。疲れてますねぇ」と言った。けれども今日は、今年になってからおそらく最も疲れていないはずの日であったので、思わず「え。そうですか」と言い、首をかしげた。
(2004.5.8)-3
それから、スーパーで買出しもした。現金が切れてしまったので、そして、ぼくの活動時間はおしなべてATMが封鎖されてからなので、父から一万円借りた。スーパーへ行くと、そのような時間帯でも----ぼくの住むところは、首都圏近郊にあっても、忘れられたようにして旧来型の商店街しか持たない駅だったのが、三井不動産の手によって、双頭の高層オフィスビルと、ぼくの入居している極めてバブリーな四十数階建てのマンションを中心とした再開発が最終段階を迎え、テーマパークじみたつくりをした(所謂郊外型に近い)スーパー、ドラッグストア、飲食店街を中核とする現代的深夜営業体制を持った複合商業施設が近頃完成したのである----かなりの買い物客(その多くは、三十歳未満だが)でにぎわっていた。ぼくはそこの広い通路、ゆとりのある商品陳列、効果的な照明、ゆきとどいたマニュアル教育による均質な接客を持った、真新しいスーパーで、自身の商品撰定能力および意欲の欠如を再認識し、同時に、そのスーパーにおけるひとびとの莫大なエネルギー消費を感じた。つまり、消費とは実に多大なエネルギーを要するものであり、片手間でできるようなことではないということを認識したのだった。夜もふけて、多くは行楽がえりと思わしき満ち足りた顔つきをした、おそらくその多くは子供を持たないと思われる男女二人連れは、何やら談笑をしながら、陳列された商品のその包装にある記述をひとつひとつを確認し、それについて至極和やかに意見交換をし、それをトレイに容れるかどうかについての合意を得、ときには難色を示しつつ店内を一巡、二巡しているのだった。ぼくはその様を眺めやりつつ、自身はその膨大な商品群からほとんど何ひとつ選び出すことができないために、彼らと同じようにかなりの時間を店内で過ごすことになった。そして、自身がそういった消費者というカテゴリから大きく逸脱し、生産者(少なくとも、消費者では無いという意味において)であることを認識した。そして、世間というものは、そういったほぼ不毛な議論に充分に時間を裂けるだけの余暇を持った彼ら、消費者の論理で成り立っていることを感じた。彼らは、その究極において、責任というものを完全に放棄しており、そして、まさにそれがゆえに大きな発言権を有している。そして、発言量というのは、そのまま正当な・・・論理となるものだと言えるのだと理解したのだ。ぼくはそのことを意識し、そのようにして周囲を眺めることをした。ぼくは店内をうろつき、ようやく保存食のたぐいや、ウィスキーを割るミネラルウォーターなどを購入した。それから、彼らの真似をして、ハーゲンダッツのバニラをひとつ購入し、部屋にもどってそれをすぐに食べた。バニラは甘く、それは自身もかつてはそこの住人であったところの無責任であつかましい消費、つまり貨幣を渡す側の感覚を励起した。食べ終えたぼくはひと眠りしようとベッドにもぐりこみ、島尾敏雄のエセーを読み返し、やがて眠った。つまり、それがぼくの生活なのだった。
(2004.5.9)-1
もうちょっとしつっこく書かないといけない。でも、こいつの骨格じゃあそれを支えきれない。そのあたりが、ようやくわかってきた。大きなものや重いものをつくるときには、当たり前だけど、やっぱりそれなりの準備がいる。

(現実を生きる苦悩)
 苦悩という言葉を私はあまり使ったことがないようだ。むしろ使うことをいやがっている性向がある。苦悩は過去の偉大なる人間にのみふさわしく現にそれを口にすることはおかしい、という若干の偏見を追い出すわけにはいかない。これは言葉に対するまっとうな態度ではないと私でさえ思うが、しかし苦悩とはなんだろう。私にはつかまえようがない。つまり私は苦しい(こう言い変えた方がいくらか落着けるからそう言うが)と、そう言うからその反対の楽しみがあるわけだが、その楽しみを断乎として使い分けて他人に押しつけることに迷っている。
 苦しみを追っかけていると、いつのまにか楽しみに迷い込んでいるふうなへんな感じをどう始末したらいいものか。苦しみとは一体何だろう。私が考えるとひどく個人的なことに還元されてしまいそうだ。私の皮膚はうすく弱く、わずかの刺戟にいろいろな作用を起して気持を落着かせない。というようなことが私の苦しみを醗酵させふくれ上らせてゆく。その私の苦しみがいくらふくれても、その限りではそれは「苦悩」としてひとり立ちしない。今、譬を皮膚にひいたことは暗示的だが、せいぜい私は、じめついた皮膚をかかえて、うっとうしくなっているだけのことだ。ちょっと思いきって言うと、もし私が皮膚病にかかったら、それを他人にうつさなければ、「皮膚病」にはならないというわけだ。私の苦しみを他人に押しつけなければならない。何でもかでも、他人を私の苦しみに引きずり込んでしまわなければならない。つまりそうしてはじめて一般的な苦しみ即ち苦悩が誕生する。
 ところで、苦しみが苦悩としてひとり立ちする道筋は二つの顔付を持っている。
 片方を向くと甚だ論理的に割切れて移行し発展することが分る。そこでは「生きる苦悩」も平気で歩き廻れる。「歴史の苦悩」もあるだろうし、「日本の苦悩」「宇宙の苦悩」何でもござれだ。もう少し繰返すと、その片面だけを見ていれば、私の皮膚の弱さも人類の苦悩に通ずる。つまり自分の皮膚病をできるだけ沢山の人にうつしてしまえばいい。いやうつさなければならぬ。これは厳然とした宇宙の法則なのだ。我々人類はこの法則を信じて来たからこそ、おみかけのように発展して来たしこれからでもどこまで発展して行くか分らない。私たちがお互いに言葉が通じて話し合えるということもこの法則あればこそだ。
 しかし厄介なことに、もう一つの顔付の側に、暗くてよく見通しのつかぬ絶壁亀裂があって、私は怯えないわけにはいかぬ。私の皮膚がじくじくしていることはそれだけのことで、ひとにはうつせず、苦悩に発展しないのだ。それだけのことだ。そこには言葉がなく含羞があるだけだ。私がもし苦悩という言葉を使うとすれば、そのようなはにかみを含めないわけにはいかない。
 一方「現実」はもっと気易く使って来た。日本の現実、過酷な現実、現実の直視、私の現実というふうに。
 私の頭の中から、少年時に描いた架空の世界像が崩れて行くに従って、私がどんどん落ちて行った(と一先ず文学的表現を許して貰うが)世界のことを、私は現実という名前をつけて呼んだ。だから現実はいやなものであった。現実に落ちこんで行くなら死んだ方がましだとさえ考えた。しかし未だに死に得ないとすると、いやなものの名前は現実であるという考え方を変えないわけにはいかない。そうでなければ生きることはごまかしになってしまうではないか。いやなものは現実だが、現実はいやなもの以上のものだと考えることを訓練した。それは割に効果があった。私にはもともと、苦しみを追いかけているうちに楽しみに迷い込んでいる、というような感覚がそなわっているせいか、いやなものを追っかけて行くとむしろ歓迎すべきものに変わってしまうことを発見した。するともう現実はいやなものではなくなってしまって、歓迎すべきものではないか。歓迎すべきものに変わった現実はひしひしと私を取り巻いている。日本の現実や私の現実が、旗幟のようにはためく。そして私は現実という言葉を乱用する。これは便利な言葉だ。手掴みにしてみせるというわけにもいかないのだから、すっかり尻尾をおさえられるということもない。そして人々は物わかりがいいから、現実は大手をふってまかり通る。私は分らないことは全部現実におっかぶせて、現実のせいにした。すると私の現実はどんどんふくれ上って、手に負えなくなった。今度は現実をおさえつけなければいけないと考えた。もう少し扱い易いものにしたいわけだ。私は現実が分らなくなった。割り切っていた現実が、手答えなく遠のいてしまう。私は現実を掴みどりしたように感じ知ることができない。書物のなかに書かれていない一切のむくつけきものの動き、何といって名前のつけようのない分らぬもの、それがぼんとうは現実というものだとひそかに考えていたとも言える。だが私が現実の皮袋の中にもりこんだものは、いつのまにか書物臭くなっていることに気附いた。
 現実は生きなければなるまい。だからそこに現実を生きる苦悩というようなものも生ずるのだろう。それなのに私は現実と苦悩という文字を見たとたんに、雪艇の左と右とが平行しないで末別れに走り出してしまう困惑を感じた。
 私は現実を生きていないのではないか。生きようとしていないのではないか。現実を、生きるという時に既にはにかみ、そして更にそれを生きる、苦悩という時に一層はにかむ(まるではにかむのが商売ででもあるかのように)。あの暗い断絶の顔付が眼先にちらつくからだ。その顔付を見ぬ振りをして(見ぬ振りをすることは容易だし見ぬ振りをしても誰も何とも言わないが)「現実」、「生きる」、「苦悩」、を組み合わせることは簡単だが、その断絶が埋められたわけではない。ああ私も困った病にとりつかれたものだ。明らかに苦悩に満ちた現実が周囲を取り巻いているときに、それを声高に表現できないとは。水素爆弾や放射能雨や、台風や、狂犬病に噪音に、家ダニに、肺病に胃病に淋病に梅毒に癩病、戦争になるといやだ、塀が倒れた、雨が漏る、指を切った、お金がほしい、同時代を圧倒する小説が書きたい、もっとわがままがしたい、圧迫がこわい、裏切、中傷、人のうわさ、暑過ぎる、いや寒い、好きになっても好いてくれない、嫌いなのに好かれる、偏見の横行……現実というものは、皿の中に毒虫を盛りこんで互いに噛み合わせているようなものではないか。どうほぐしたらよいことなのか。ほぐそうとするとあの断絶の顔付が見えてくる。いやほぐそうとする手つきが悪いのか。ぼぐそうとしないでほぐしてしまう術だってないわけではないだろう。現実を生きる苦悩を遂に私は語れない。それぞれの言葉がてんでんばらばらの方向に走り出して、うまく綱がさばけない。既に現実を歓迎すべきものとして見てしまった以上、苦悩について語ることは裏切りでさえある。だから私は生きることの楽しさの綱さばきを、むしろ語って見せるべきではなかったか。
島尾敏雄

(2004.5.9)-2
最後はちょっと投げたようなところがあるけれど、だいぶいい。今のぼくにはここまでは書けない。
(2004.5.9)-3
ゴールデンウィーク終わり。総評としては、前半は結局シフトチェンジのみに費やされ、後半になってようやくちょっと調子が出てきたという感じで、その後半のみをとってみても、残念なことには、フルタイムを書くことに費やしたところで、大して能率が上るわけではないということがわかった(駄文の山は積まれたが)。二日に一度、千字から千五百字程度が現在のぼくのスペックだ。もちろん、ひどく悪い。せめて、この倍速にしなければならない。しかも、それを安定供給する必要があるから、最大としては三倍程度にまで引き上げなければならない。けれども、このままひと月続けてみたところで、サイクルのフィックスによって期待できる向上率はまあ五割程度で、やはりまだなんとかして、倍速を達成しなければならない。そこで、ひとつの案としては、一にちを二十四時間とするのではなく、十二時間とすることである。どうせ、実際に文字をタイプする時間というのは、長くても三時間程度なのだから、理屈の上においては可能なはずである。即ち、以下のようなサイクルである(括弧内は、目覚めからの経過時間)。起床、最初の食事そのほか(一時間)、放心・読書・散歩等(四時間)、実作業(六時間)、入浴・二度目の食事そのほか(八時間)、四時間の睡眠(十二時間)。このサイクルを一にちに二度行うのである。ミソは、もちろん、傍目には全くの無意味に見える(自分でもかなりそう思う)、書き始める前にある空白の三時間で、この時間の圧縮が効率化の鍵を握るのである(つまり、現在はこの分がまるまる長くなっているのである)。この方式の問題は、社会一般のサイクルと全くかみ合わなくなることだが、それはぼくにあってはそんなに大きな問題にはならないはずだ。ある程度の計画を以て、割り込みの入らないこのかたちのシフトに入れば、おそらく平均して、一にちに千五百字程度が実現されるのではあるまいか。うむ、我ながら、一考に価する、実に現実的な提案である。理想的な話しになるが、このペースで三年(!長い!)続ければ、太宰や島尾敏雄のケツが見えてくるのではあるまいか。分量においては、太宰のように第一創作集を出すまでには至らないであろうけれども、単品の水準では、それと並べても遜色無いように見えるのではないか。実際には、まだいくつか構造的な課題を解決しなければならないように思われるが(特にリソースの問題)、小説を書くということにおける基本的な課題(つまり、書いたものが小説になっているという)については、あるいは目処がついたと見てもよいのではないだろうか。とまだ完成してもいないのに、そういうことを言うのには転倒している部分があるのだが、したがって、なお今しばらくは、何を以て小説となすかという点について意識することを続ける必要があるのだが、今のところそのように思っている。割かし大胆な言明を試みるならば、ぼくは(完成品では無いにしろ)小説を書くことができる。この場合の小説とは、どうやら、太宰や島尾敏雄によって為されたところ(残念なことには、現在それを誰が継いでいるのか、ぼくは知らないのである)の、小説の極左(川端康成をそれに含めるのは実に難しい。彼はそれよりもだいぶ広い。川端康成を決してなめてはいけない。彼については過大評価のしすぎということは無い)にあたるものである。それは、奥野建男がサポートしているあたりをイメージしてもらえばきっといいに違いない、小説における伝統的左翼(それは既に一種の矛盾だが)ということであり、その究極において目指すところは、小説の完全なる私物化(つまり、「私小説」という日本小説の伝統的形態の極北)なのである。
(2004.5.9)-4
と言ってみて、そこに自分が割り込んでいることをのぞけば、そんなに無理のある話には見えない。問題は、島尾敏雄以降の日本の私小説がどうなっているのかということで、ぼくには、そのあたりの知識が随分不足している。島尾の直系として、村上春樹なんかがあるということになるとかなり危うい。村上春樹の前として、ぼくの乏しい知識のうちに浮かび上がるのは大江健三郎で、実際にそうであるのなら問題はないのだが、それでも、島尾敏雄を誰が継いでいるのかという点は不明確なままである。今でもまだそれが命脈を保っているとすれば、あいだに二人くらいは入るはずなのだけれど、ぼくはそれを知らないのである。そのあたりからは、随分と女の人も入ってきているはずだし、作家の絶対数自体も数倍になっているように思う。だから、ほぼ間違いなく、その系列の直系というのは続いているとは思うのだけれど。読む時間のほとんどは、結局傑作を追うことに費やされてしまっているわけだけれども、でも、その直系を探すことをしなければならないと思う。それが見つかれば、かなり少ない誤差で自分のラインを引っ張ることができるはずだから。
(2004.5.9)-5
以上の議論は、すべて酔っ払いの放談であって、その根底から疑問符のつくものであることをお断りします。です。
(2004.5.10)-1
みんながそうしたようにして、ぼくも自分のいる場所について書くことをするべきだ。
(2004.5.10)-2
金銭について。理屈と建前と実際と、少しずつわかってはきたけれども、そこにぶら下がる枝葉の末端の一としての自分について、何か言うこと、それから、それに基づいて何らかの態度をとることを考えたとき、なにか非常に宙ぶらりんな、心もとない気分になって、なにも言葉が浮かばなくなる。太宰が採用していたのは、もっとも原理主義的な態度、収支はゼロマイナスアルファ(プラスではなく)というやつで、これはとてもいいのだけども(なぜなら、これは周囲への甚大なる負の影響にも関わらず、個人として考えうる限りの「清廉」なのである。少なくとも太宰はそう解しており、それは「駈込み訴え」に端的に顕れている)、でもぼくにはこの「饗応婦人」のやけくそは無いので、なにか別のものを探さなければいけない。すると、宙ぶらりんになる。家計の安穏と守銭奴の境について。所謂正当な報酬というものについて。それから、金銭に拠る一元の価値評価について。ぼくは何かを言い、そして、何らかの態度をとらなければならないはずなのである。なぜなら、現に今もぼくは小説本と昼食とそれから住処とを同じ貨幣というもので以て得ているのだから。そして、太宰の新潮文庫は一度の昼食よりも安いのだから。
(2004.5.10)-3
たとえば、ボルヘスの語り口をパクって、このことについての暗喩を書いてみようとするのはいいかもしれない。とにかく、何か書かなければならない。金銭からは決して逃げることはできない。
(2004.5.10)-4
何がタダで、何がそうでないのか。ぼくの書いた文はなぜタダで、ぼくの書いたプログラムはなぜ金になるのか。損益分岐点という傍若無人な分離壁について。プラスとマイナスの絶対的差異について。ふたりが居、ひとりは勝者で、ひとりは敗者であることについて。その単純化の功罪について。
(2004.5.11)-1
GW で取り戻したせいで、「眠い」となったあとからの持続力が違う。眼が腫れぼったくなるだけで、脳みそはへんに澄んでいる。なんかはっきりしない。眠いのなら、眠れてほしい。眠らなくていいのなら、そう感じないでほしい。
(2004.5.11)-2
またたくさん本を注文しているのである。まだ読んでいない本というのは、みんなおんなじに見えるものだけれども、一度それを読んでしまうとそれぞれが個性を持ってあらわれてくる。かえって、ひどくどうでもいいゴミのようなものに見えるものもあれば、「寓話」のような爆弾もある。まあ、それはCDだって映画だっておんなじなのだけれども。ぼくの机の上側の棚には、未読の本が五十冊くらいずらと並べてあって、ひと月のちには、それがまた倍くらいになる。
(2004.5.11)-3
購入リスト。もう、どこの紹介だかおぼえていなかったりするけれども。
 眼玉は、なんといっても「戦後短篇小説再発見」である。十八冊もかけて、短篇小説の佳作を紹介しているのである。これはすばらしい手引きになるであろう。講談社文芸文庫はほとんど一冊千円以上と高額だけれども、必要な作家の作品を多く文庫化してくれているありがたい存在であり、これにも期待している。
 ガルシア・マルケス、阿部公房、阿部和重は、フォークナーからの展開であろうか。ヘミングウェイもそうかな。
 井伏「黒い雨」は、「富士日記」で武田百合子氏が読んでいたので、そろそろ読まねばなるまいと思い。「松本清張は日本人の心なんだ」とも映画「砂の器」を観るところで言っていたので、これもそのうち読まねばなるまい。
 渋いところでは近松と新渡戸稲造。近松はまた読みきれないかもしれないけれど。西鶴も読んでみなければならない。
(2004.5.11)-4
戦争を国際問題解決の一手段として取り扱う限りにおいては、ジュネーブ条約に法って行われなければならない。曰く、「一、非戦闘員は殺傷してはならない。一、捕虜の人権は保障されなければならない」戦争を規格化するということは、スポーツのルールを策定することと同じものであろう。フォーカスは、戦争の是非や存在自体を問うているのではない。それは「サッカーというスポーツはおかしい」と言ってみたり、「手で触ることを許可すべきだ」と言ったり、「ボールを二つにしてみてはどうか」と言ってみたりすることに相当する事柄である。「何を馬鹿な。戦争とスポーツを同列にみなすことなどできない」と言うのは簡単である。けれども、君、ジュネーブ条約を策定せざるを得なかった、国際法学者や政治家たちの苦悩と決断とを少し想ってみたまえ。人間社会が理想化するには今しばらく時間を要するのである。
(2004.5.12)-1
溶けこむような淡い空色のドレスに赤と黄と紫の薔薇で飾りつけたつばの大きな帽子を被り左手に桃色の巻いた日傘を提げた婦人の陶器人形はちょっと硬いもので叩くとすぐに割れる。割れる。割れる。
(2004.5.12)-3
意識しないほど気持のいい(らしい)陽気。
(2004.5.12)-3
意識されないほど気持ちのよい陽気のなかを、人びとはみな同じほうへ向って歩いてゆく。その人びとに交じってぼくも歩いている。前を見ている。他の人びともやはり前を見て歩いているのだろうが、ぼくはそんなことは気にかけていない。かといって、なにか他のことを気にかけているというわけでもない。強いて言えば、直前を歩く連れの男女との距離を保とうと歩速を調節しているが、それは気にかけているというほどのことではなく、つまり特になにも思っていない。ただ、体の正面が向いている方へと歩いている。ぼくはこの人の流れの一部でしかなく、そして、この流れは同じように流れの一部でしかない人ひとりひとりがいることで人の流れとしてなっており、すなわち、ぼくのとても近く前後左右それぞれには、ぼくと全くおなじようなあり様をした人が幾人もいくにんもいて、その人たちもぼくと同じようになにか思ったり感じたり考えたり、あるいはそうしなかったりすることがある。ぼくはそのことも気にかけていない。ただ同じほうへと歩いている。看板のなかに入った蛍光灯のひとつが切れかかっていて、瞬いては消えを繰り返している。ぼくは看板ではなくその瞬きそのものを見、それを気にかけた。そして、それから眼を離した瞬間にそれを忘れた。つぎに斜め前方右手を歩く若い女性が自身の好みの容姿であることに気づいた。彼女は標準的な背丈と体格をしており、多少凝ったつくりをした長くも短くもない綿のスプリングコートを羽織り、やはり長くも短くもないコートに調和した感じのスカートをはき、控えめな高さのヒールのパンプスを履いて、右腕に薄い藍色のバッグをかけていた。髪は真直ぐでつやがあり少し長く色は黒だった。斜めうしろから見えた顔は、かわいらしい丸顔に成熟した大人の輪郭が重なっていた。ぼくは彼女をしばらく眺めつつ歩いていた。すると、すぐ前を歩くふたり連れとの距離が詰まったように思われたので、彼女から眼を離し速度を緩めた。その瞬間にぼくは彼女のことを忘れたので、彼女は歩く人びとのひとりに溶けこんで消え、ぼくはまたなにも気にかけず歩いた。それから、みなの歩いてゆくわきのところにひとりの浮浪者がいて、その男は老年のように見えたが、自身の前を一方へ向けてスライドしてゆく人びとの列を、彼らと同じような、少なくともぼくと同じ、あり方で眺めていた。ぼくは歩いているが、その男は坐っていて動かなかった。男はぼくのことを気にかけたのかかけなかったのかわからないが、ぼくは男の前を通り過ぎるなり、男のことを忘れなにも気にかけなくなり、ただ歩いた。
(2004.5.13)-1
眠い。たった一週間ですっかりめちゃめちゃだ。おとといは、三時間しか眠れなかった(時間が足りないためではなく、眠ることのに失敗したのだ)し、昨日はがんばり過ぎた。ぜんたいで四時間以上を費やしたのであり、それ以上圧縮することは現時点では考えられない。たとえば、はじめの一行のものはウォーミングアップにもかかわらず、一時間以上かかっているが、それより早くはできない。それ以降も、決して十分のものとはいえない。まだしつっこく書かなければいけない。けれども、少なくとも平日にはこれ以上の手間をかけてやることは物理的にできない。今の労働時間を確保しながらであれば、一にちというサイクルの周期がおそらくあと六時間ほど拡大される必要があるし、労働時間を減らすのであれば、ほぼ定時の勤務が必要だろう。そして、そのどちらも不可能だから(ぼくはカフカみたいな役人ではなく、あまり出来のよくないプログラマなのだ)、つまり、平日に書いてはならないということになる。書けるのは土日だけであり、したがって、一週に八百字から千六百時程度が、現在のぼくのキャパシティであり(しかも、それでも質は、自覚できるほどに十分でない)、なんだ、それはほとんど絶望的なほどの遅さではないか。こんな速さでは壁につきあたることすら望めない。なんとかしなければならない。なんとかして、一にちのすべてを書くことに費やすことのできるようにしなければ。
(2004.5.13)-2
でも、そうすればきっとそれをする・・・・・ことができるだろう。そして、その逆もきっと成り立つのだろう。
(2004.5.15)-1
カミュ「異邦人」すばらしい。カフカ「変身」武田泰淳「ひかりごけ」を読んだときに似たあの感じをかんじている。今しばらくひきずる必要を感じる。
(2004.5.15)-2
そうだ。「恐怖を感じた」り、「怖くなった」ことも、そのとおり・・・・・に書かれなければならない。一切が等価であるのならば、恐怖や愉悦も、そのほかと同じように書かれうる。書かれない事柄というのは、書き手が書きたくないと感じる・・・・・・・・・ものだけであり、それは恐怖とも、また愉悦とも分かちがたく結びついたものではなく、ただそう感じられたものだけがそうされるのだ。ぼくに足りないのはこの点だ。それはぼくによってあとから判断されるべきものではなく、ぼくはただそれをあらゆる他のものと同じように取り扱い、したがって、ぼくがそれを書きたくないと感じない・・・・・・・・・・・かぎりは、それは書かれなければならないのだ。
(2004.5.15)-3
この「書きたくないと感じる」というのは、「書かれるに値しない」というのとほぼ同義だが、なお若干の差異があるように思われるので、「書きたくないと感じる」というように言わなければならない。理由というものは多くの場合あとつけのもので、実際のところはそう感じたからそうするまでのことだということなのだ。そして、それは個人に対して「直接的に」関わる事柄になればなるほど、そうなるのであり、最終的にぼくが関心するのはそこにあるものだけのはずである。
(2004.5.15)-4
でも、フォークナーは、このあとから小説を書き出した。彼はあらゆる昂揚と虚無とを完全に等価に取り扱い、すべてを彼の荘重な修飾のうちにおさめてしまった。彼は人間のうちのいかなるものも区別せずに見つめたのであり、しかも、それでも人間のことだけを書いたのである。そして、彼がついにある意志と価値とを以て書くことをはじめたとき、余人はほとんど全く附いてゆくことができなかった。なぜなら、彼らはフォークナーが三十前にして辿り着いていたその場所のずっと手前で彼の作品を読んでいたからで、彼が自分たちにも読めるように書こうとする努力をやめてしまえば、一行すらも読むことはできない者ばかりだったからである。
(2004.5.15)-5
 眠ることは、帰ることに似ていると思う。あるいは、その逆が正しくて、帰ることが眠ることに似ているのかもしれない。どちらも、何かを停止したり押し戻したりする。眠ることは、意識と体の動きとを自身の手につかんでいるのを止めることだし、帰ることは、自身の続けている活動をいったん中止して休みに戻ることをいう。夜というのは、やはり眠るためにあるのだと、部屋の真ん中で横たわりながらぼくは思い、夢を見ることを思い出す。明りを消した部屋は真っ暗になるというわけではなく、カーテンの無い窓から隣のアパートから漏れる明りが射しこんでいる。その光によって青白く弱々しく照らされた部屋の天井や壁を眼をあけて見ながら、そこから抜け落ちてしまった色彩というのを思う。
 窓から射しこむ光は、たまにその光源の数や射しこむ角度、強さなどに変化を見せる。ぼくはそれにあわせて、思う内容を切り替える----眼に見える色彩と温度とが、実際に切り離しがたい要素だったとしたらどうだろう。ちょうどサーモグラフィーが見せてくれるように。おそらく世界の、というよりは人間のかたちは、ぜんぜん異なったあり様になったことだろう。夏には夜が訪れず、冬は朝がやって来ないだろう。そしてたとえば、気分というものは、着る服のように、一年の周期で完全に統制されてしまうだろう。ひょっとすると、冬には熊のように冬眠してしまうようになるかもしれない----すると、どこかの近くの部屋の明りが消され、射しこんでいた光の筋の一本が失われて、部屋はかなり暗くなる。ぼくは誰かが眠ろうとしていることを知る。
(2004.5.15)-6
ぼくは少しずつ踏み込んだ話をするようになり、それにつれて、ぼく以外のひとはぼくのことをとやかく言うことができるようになる。ぼくのことを浅薄だとか、現実味に乏しいとか、概念的で生気を感じないとか、無価値の失敗作だとか言うことができるようになる。そして、それらのもの言いを実際にぼくが眼にしたとき、ぼくはきっとこう思うだろう。お前はその失敗することすらできていないではないか。ぼくが失敗作だというのならば、いったいお前たち自身はなんなのだ。けれども、それを実際に口にすることはまずないだろうとも思う。なぜならば、そう言ってわかるくらいならば、ぼくに向ってそれを言うはずがないのであり、たとえそう言うにしても、ある種の切実さがそこにはあるはずだからであり、それを認めれば、ぼくはそうは思わないはずだからだ。そうでない者には何を言っても無駄なのである。それを言っても、それは思いもよらぬことなので、自身についてのことだと理解することができないのである。子供に、大人というものが実際にどんなだかを言って聞かせることができないのと、ぼくがフォークナーの「寓話」を読むことができないのと同じことなのである。それを敢て言うことがあるとすれば、太宰「如是我聞」がそうだったように、おしまいの前に、一度だけ言うことになるのだろう。
「なにを言っていやがる。おまえよりは、それは、何としたって、あの先生たちは、すぐれているよ。おまえたちは、どだい『できない』じゃないか。『できない』やつは、これは論外。でも、のぞみとあらば、来月あたり、君たちに向って何か言ってあげてもかまわないが。君たちは、キタナクテね。なにせ、まったくの無学なんだから。『文学』でない部分に於いてひとつ撃つ。例えば、剣道の試合のとき、撃つところは、お面、お胴、お小手、ときまっている筈なのに、おまえたちは、試合(プレイ)も生活も一緒くたにして、道具はずれの二の腕や向う脛を、力一杯にひっぱたく。それで勝ったと思っているのだから、キタナクテね。」
見るということは、自覚するということであり、人は見れるものしか見えず、また自身の見たいものしか見ないという、あの厳粛な原理(定理ですらない)を、やはり、見ようとしないものは見ないのである。
(2004.5.15)-7
そして、太宰もやはりここから書き始めたのだということを、ようやくにしてぼくは認知し始め、フォークナーと違って、彼はそれを諦めることを潔しとしなかっただけなのだということを識る。諦めることは一つの選択でしかない。そして、そのことはそのまま、諦めないことはひとつの選択でしかないことも意味している。そこにあるのは、ほとんど如何ともし難い、あの原初的な本性の差異に過ぎないということも諒解せられるので、ぼくは双方を受け入れる。そして、ぼく自身もまた、その原初的な本性というのを採用しようとする。


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