tell a graphic lie
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(2004.5.17)-1
日記サイトがブログをサポートするとか言っている。トラックバック(変な用語。もろにソフトウェアデザインの技術コンセプトである。こんなのが今や標準語であるらしい。良かれ悪しかれITはやはり時代の最先端だ)は魅力的である。そろそろ超原始的ブログともいうべきこのh2oも限界が近いのだろうか。ああ、普及すると思ったのになあ。
(2004.5.17)-2
とかいいつつ、実際には全然移行する気がない。ブログは CGI での実装が通常の、いわゆる「サービス」だろうから、ソースをこちらで管理できないし、何より vim で書けないのが致命的だ。と、今ちょっと調べてみたら、最近は個人のスペースで、CGI 動かしても大丈夫らしい。なるほど。だいぶ進歩したのだ。でも、二三年で完全に陳腐化して、ちょっとほっとくと移行が困難になったりもするだろうし(なんか、ソフトウェアエンジニアチックな発想でいやだが)、リンクも、張る必要なんて基本的には全然ないし(スクラップという行為をぼくはほとんどしない。必要にせまられて最近小説の頁に折り目をつけているくらい)、検索なんて vim と grep のテキスト検索でも構わない(複数ファイルからの検索が今できないので、対応する必要はありそうだけど)し、何より、vim で書けないのだ。カットアンドペーストは、Cntl+c Cntl+x Cntl+v でも我慢できようが、←=h ↑=j ↓=k →=l や、.=入力リピートがないのは、堪えられない。
(2004.5.17)-3
←=h ↑=j ↓=k →=l って、なんだ?と思ったら、キーボードの右手のあたりを見てみるがよい。右手のホームポジションの行は、hjkl とキーがならんでいるであろう。これこそ vi の基本思想そのものなのである。ふつう、キーボードの一ばんの中心部であるアルファベット部は、アルファベットを付け足す(書き加える)場合にのみ使われ、カーソルの移動や、文字の削除、カットアンドペースト、アンドゥー・リドゥーなどの操作は、キーボードのはずれにある BackSpace や、delete、矢印キー、それから Cntl ボタンを押しながらだったりするものだが、文字を追加する操作は、テキストの編集という作業のうちの割りあいとしては、そんなに多いものではなく、多くの人が、キーボードのホームポジションに指を置いている時間よりも、矢印キーに指を置いている時間のほうが長かったり、片手にマウスを握っていたりすることが多かったりするのではないだろうか。vi は、ホームポジションの周囲のほとんどを占有する文字の追加を、テキスト編集作業のうちの一動作に過ぎないというように考えるのである。すなわち、文字を追加する場合は、その前に i (insert) を押して、挿入モードに移行してから文字を追加するようにする。挿入モード時は、他のエディタと同じく、キーボードの各アルファベットは、そのまま各アルファベットをタイプすることに割り当てられる。文字の追加が終われば、Cntl+] か Esc で挿入モードから抜ける。この方式を採用することによって、i 以外の文字キーの全てを他の編集操作に割り当てることができるようになるのである。すなわち、カーソルの移動は hjkl、選択は v、検索は /、検索次候補は n、一文字削除は x、一行なら d、置換は r、アンドゥーは u、行の先頭へのジャンプは 0、行末へは $、ファイルの先頭へは g、コピーは y、ペーストは p、次の単語へ飛ぶのは w、前の単語へは b、新しい行を挿入するなら o、オートインデントは =、直前の操作を繰り返すのは .、等々キーボードの端っこのあたりを押したり、マウスを使ったりしている操作のほとんどが、キーボードのホームポジションから行えるのである(実際には更に、これに Shift や Cntl キーとの組み合わせ付け加えて、あらゆる操作ができるようになっている)。敷居が高いのは、なんといってもこの hjkl に慣れないことだが、一度これに慣れてしまうと、もはやあらゆるソフトで、この hjkl を押してしまい、気づくと hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh (自分としては、カーソルをずっと左に寄せたかったらしい) など、無意識的に打たれているようになるほどの便利さなのである(なので、すべての入力デバイスで、vi スタイルをサポートしてほしい、など思いはじめるのである)。
(2004.5.17)-4
そんなにキーボードにこだわらなくてもいいじゃないか、と思われるかもしれないが、キーボードは、プログラマの商売道具で、野球選手にとってのバットやグローブ、サッカー選手のスパイク、ピアニストのグランドピアノ、コックの包丁、運転手の愛車、営業マンの名刺と革靴に相当するものなのである。これをいかに使いこなすかによって、プログラムの質の良し悪しが定まる面も確かにあるのである。プログラマは、文字を打つときやその他の操作時に、キーボードやマウスの操作をできるだけ意識してはならないのである。思考とキータイプとのあいだに、タイムラグがあってはならないのである。そこに意識をとられることは、すなわち、今書きつつあるコードに割くべき意識の一部をそちらに割り当ててしまっているということであり、それはそのまま、品質の低下に直結する。タイプミスということもあるし、書きつつあるコードの健全性に対する注意が低下して、考慮しないケースを作ってしまったりすることも往々にしてある。キー操作は、脳ではなく、手が覚えているべきで、それには、物理的にコンパクトな動作であることがかなり重要な要素になる。それから、コードを書くということよりも、むしろ該当するコードを探し出すことのほうが意味があったりするので、そのすばやさと正確さとは、重大なる要素である。まあ、二三年もやれば、自分のスタイルが固まってくるので、こういったことは、さしたる問題ではなくなってしまうのだけれども、それは単にみなそのようになるというだけのことだ。包丁をうまく使えない料理人は居ないだろうし、ハンドルの微妙なさじ加減を知らないバスの運転手も居ない、感情を音色に乗せられないピアニストも居ない。まあ、そういうことだ。
(2004.5.17)-5
で、小説家だけれども、これはあんまりそういうのがなかったりする。普通の小説家は、一にち二三枚、千字か二千字しか書かないのであり、そういったことよりもむしろ、書き始める前の儀式が重要である。あるものは、プロットや人物設定を綿密に行うだろうし、あるものは、一時間ていどの散歩やジョギングなどをするだろうし、あるものはどこぞの旅館に罐詰になったりするだろうし、あるものは相撲とりのように、何度か行ったり来たりして塩をまいたりするだろうし、あるものは酒を飲んだり、やたらに煙草をふかしたりするだろうし、またあるものはラスコーリニコフのようにほとんど夢遊病者のようになって、邪悪で巨大な想念を育てたりするだろう。そういった様式の選択もふくめてが小説家の商売道具の使いこなしなのであり、スタイルなのである。ちなみにぼくの場合は、今のところ、左右に十冊から二十冊程度の本を積んでおいて、それを適当に流し読んだり、webを見たりしつつ、ただひたすら待つ、というものである。これが行き詰った感じになってくると、外へ出かけたり、新しいCDの封を開けたりして、刺激を与えてみようとする。読み返すのはいいが、新しく、しかも良い小説を読むのは、逆効果のようである。意識がそちらに行ってしまって、書くどころではなくなる。
(2004.5.17)-6
さいきんは、なんだか豪そうだけれども、ちょっと意識してそうしているところがある。ぼくはいま自分が何を持っているのかについて、ここらでいちど確認する必要がある。ほとんどの処世術を捨て去ったかわりに得たものをもっと明確にして、自分には何ができ、何ができず、これから何ができるようになると思われ、何ができないままなのかを知っておくべきだ。たとえば、もうぼくは愛想よく振る舞ったり、なにかをソツなくこなしたり、人にやさしさを示そうとしたりすることはできないし、今後もするつもりがないのだということを明確にしておく必要がある。すなわち、ぼくは偏屈者の疎外された存在として生きてゆくのであり、それによって目的を達しようとするのである。自殺には、孤独と虐げと諦めと憤怒とからなる独特の思い込みが必要であり、それらはやはりある程度は構造的な面があることは否めず、したがって、しむけることをしなければならない。ぼくのなかには相変わらず「死んでみせろ」がもっとも大きな声としてあるのであり、それはおそらく今後もそうであり続け、そうあり続けるかぎりは、そのほかの一切はそのための手段でしかないのである。結局のところ、ぼくは死ねるのならば、小説なんてどうだっていいのであり、それがただ最もぼくに有効な手段であると見えたに過ぎないのである。
(2004.5.17)-7
現代の日本人がどうして自殺するんだと思う?ひとつは己惚れからで、もうひとつは存在価値の全部だと認識していたあるものがゼロかそれ以下に転じたときだよ。前者は詰まらない。練炭で仲良く窒息したいやつにはさせておけばいい。興味があるのは後者だ。その存在価値を外部(自身でないもの)に依存していた者(たとえば社長とか)は、それが消えたときに死ぬだろうし、内部に持っていた者(たとえば太宰とか、そのほかのまっとうな自殺志望者)は、その追求がなんらかの形で消滅したとき、つまり、それが自身の望んだかたちであれ、その反対であれ、解決されたときに死ぬのだろう。生きている意味がわからない、と思っていたやつは、生きていることに意味など無いと完全に認めたときか、生きていることに意味が生れたときに死ぬだろうし、生きることが苦痛だと感じていたやつは、苦痛が取り除かれたときや、苦痛が実際には苦痛でなかったと認識したときに死ぬだろうし、死ななければならぬ、という声を聞いていたものは、何かの拍子にその声が聞こえなくなったり、その声を聞く必要がなくなってしまったりしたときに死ぬだろう。それから、最も美しい形式、愛人に殉ずるというのがあるが、これは外部依存の一形態であろうと思われる。自殺とは、(それ以降の変化があり得ないという意味において)最終的に自己を確定づけることであるとも言える。ぼくが何者であったかは、ぼく自身が決定し、ぼく自身が承認する。後者の自殺というのは、その意味ではたしかに自身についての問題なのである。
(2004.5.17)-8
自爆テロや神風のたぐいは、このような自殺にあてはまらない。彼らは基本的に、自身のために自殺するのではなく、自身以外のために自殺するのである。そのために、彼らの多くは、死後の世界の栄光と安らぎというアイデアを外部から与えられており、そこへ到達する手段のひとつとして自殺を捉えており、すなわち、自殺は過程でしかなく、結果ではありえないのである。自身によって自殺するものは、死後の安楽など望みはしない。なぜなら、それによって、完全に自己は確定するのであり、それ以降があるとしても、そのときは神と渡りあい、譲る必要はないからである。
(2004.5.17)-9
自殺者に祝福と栄光とあれ。祝福と栄光とは見られぬ、祝福と栄光とがあれ。君らはときに愚か者呼ばわりされるが、それは無知あるいは羨望のためにである。そういう者の多くは、自身が今日いちにちに為したことの無意味さについて想いをはせることをしたことすらない者たちである。死ぬ間際にあって、仕合せな一生だったなぞ、間抜けな感慨を以て満足し、けれどもその仕合わせとはなんぞやということについて、何ひとつ考えを持たぬものたちである。顧みるに値せぬ。スラムの片隅にて餓死したる四歳児ですら、もう少しましな考えを持っているものである。恐るな、死の意味と価値とは、生ける者には計れぬ。ただ、死にゆくものだけが、その断片を掴みうるにすぎぬ。恐るな。我々は、死を想い、それゆえに、死を識る。恐るな。死はただ死でしかなく、生はただ生でしかない。一切は等価であり、停止している。生に意味は無く、死にも意味は無い。恐るな。ただそれを目指せ。
(2004.5.18)-1
自己完結可能なものだけで満足する。
(2004.5.19)-1
----光が消えるときに音をたてるとしたら、どんな音がするだろう。よく見かける擬音ように、「ふっ」と消えたり、「ぱっ」とや、「すっ」とといった音なのだろうか。もっと、ぜんぜん異なった、まったく反対の、ひどく騒々しいノイズのような音だったり、爆破音のような烈しい音だったりはしないのだろうか。光が消えて、周囲が闇になるというのは、そういった音を生むような致命的な混乱を含んだ現象であってもよいような気がする----またひとつ明りが消える。アパートの薄壁越しにとなりの部屋にひとの暮らす物音がする。
(2004.5.19)-2
アンプが駄目になっていたらしい。いつのまにか、ばりばり割れるようになっていた。もうひとつの方へつなぎ変えたら、カヒミ・カリィ"Trapeziste"がつるつる清潔になってしまった。よいような、わるいような。しかも、そのつもりで聴いてみれば、それでもどうも割れた風な音がある。このアルバムは、ぼくの持っている環境のスペック以上の低音を使っているらしい。くやちい。CDプレイヤも壊れているし、、、これは、こんどの休みにまじめに手を打とう。アンプのほうは、きっと寿命だろう。
(2004.5.20)-1
アンダソン「ワインズバーグ・オハイオ」比較的簡明な記述形式と、アンダソンの温かい眼差しとが印象に残る、微温の小説である。一つあたり十数頁ていどの短篇、二十二からなるオハイオ州ワインズバーグに暮らす人びとについての物語で、その多くは、町の週刊新聞「ワインズバーグ・イーグル新聞」の記者、ジョージ・ウィラードを中心にして、互いに結び付けられている。この小説の基礎となる仕組み、ひとつの町を切り出して、それを組み上げるという手法は、その後のフォークナーなどによって、大きく花開くことになるのだけれども、これはその萌芽となった小説と言われるだけに、その有効性を簡潔に表している。このやり方が、仕組みとして非常に優れているということが、これ一冊を読んだだけで感得できる。そういう小説である。ひとつひとつは、十数頁と手ごろな長さなので、ぜひ写したくて、何がいいかなぁ、と思っていたのだけれど、ぼくのことが書いてある話があったので、それにしようと思う。じゃあ、いくよ。
(孤独)
 その男はアル・ロビンソン夫人の息子だった。ロビンソン夫人というのは、ワインズバーグの東、市の境界から二マイルはずれた、トラニアン有料道路からわかれた枝道ぞいに農場をもっていた人だ。農場の家は茶色のペンキ塗りで、道に面した窓は全部いつも鎧戸をしめっぱなしだった。家の前の道には、ホロホロ鳥も二羽まじった鶏の群れが、深い土埃りのなかにうずくまっていた。そのころイーノックはその家で母親といっしょに暮らしていた。そして少年のころは、ワインズバーグ高校へ通っていた。町の年寄りたちの憶えている彼は、ともすれば黙り込みがちな、物静かでにこにこした少年だった。町へやってくるときはいつも道の真中を歩き、ときには本を読みながら歩くので、馬車の馭者たちは大声をあげたり、どなりつけたりしなければならなかった。すると彼はやっと、自分がどこを歩いているかに気づいて、道の踏みならされた部分からわきへどいて、馬車を通すのだった。
 二十一の年にイーノックはニューヨークに出て、その後十五年間都会暮らしをした。フランス語の勉強をし、もともと持っていた絵の才能を伸ばしたいと思って、美術学校へ通った。ゆくゆくはパリへ行って、そこの大家たちに立ちまじって自分の芸術修行を完成したいという計画をひめていたわけだが、これはついに実現せずじまいだった。
 実現せずじまいといえば、イーノック・ロビンソンの場合、すべてがそうだった。絵の腕前はかなりのものだったし、うまく行けば画筆を通して表現されたかもしれない、さまざまの風変りで微妙な想念も、その頭のなかには秘められていたのだが、なにせいつまでも子供で、そのことが世間で自分を伸ばすのに障害になっていた。大人になりきれない彼に人のことが理解できようはずがなく、また人に自分のことを理解させることもできなかった。彼のなかにあった子供っぽさが、しょっちゅういろんな事とぶつかった。金銭とかセックスとかいろいろな意見などという現実アクチュアリティとぶつかったのだ。あるとき彼は市電にはねられて鉄柱にたたきつけられ、そのために足の不自由な身になった。イーノック・ロビンソンにとって事が実を結ばなかった原因がいろいろあるなかで、それも一つの原因になった。
 ニューヨーク市では、そこへ出て暮しはじめたばかりで、まだ人生のいろいろな事実によって混乱したり困惑したりしないうちは、イーノックはよく若い連中とつきあっていた。男女の若い芸術家のグループに入り、時折、夜になるとそういう連中が彼の下宿の部屋にやってきた。あるときは酔っぱらって警察につれて行かれ、署長にこっぴどく油をしぼられたことがあるかと思えば、またあるときは、下宿屋の前の歩道で出会った町の女に手を出してみようとしたこともあった。その女とならんで歩くうちに、イーノックはおじけづいて逃げだした。女は酔っていたこともあって、それがおかしくてたまらない。ビルの壁によりかかってげらげら笑いだした。立ちどまったべつの男が、いっしょになって笑いはじめた。結局、二人は、なおも笑いながら肩をならべて行ってしまった。イーノックのほうは、面白くない気持で、ふるえながら部屋へこっそり戻ってきた。
 ニューヨークでロビンソン青年が住んでいた部屋というのは、ワシントン・スクェアに面した、廊下のように長細い部屋だった。このことは、ぜひとも読者の頭に入れておいてもらいたい。イーノックの話は、一人の男の話というよりも、実際は一つの部屋の話なのだから。
 そういうわけで、その部屋には、夜になるとイーノックの青年の友人たちがやってきた。連中にはべつに目新しいところはなかったが、ただみんな例のしゃべるだけの芸術家だった。皆さん先刻ご承知のしゃべるだけの芸術家だ。こういう連中は有史以来いつも部屋に集ってはしゃべってきた。芸術の話をし、そのことにかけては、情熱的、いや病的なくらい熱心だ。しゃべることの意義を、実際以上に考えているのだ。
 ともかくこういう連中が寄り集まっては煙草をふかしておしゃべりをした。ワインズバーグ近在の田舎青年であるイーノック・ロビンソンもその場にいた。彼はいつも隅っこにいて、ほとんどしゃべらなかった。その大きな青い子供のような眼があたりを見まわしていた様子といったら!壁には彼の描いた絵がかかっていた。どれも未完成の荒っぽい絵だった。友人たちはそれらの絵も話題にした。椅子にふんぞり返って、頭を左右にふりふり、みんなしゃべりにしゃべった。線だの明暗だの構図だのと、今でもしょっちゅういわれているおなじみの用語が、やたらにとび出した。
 イーノックもしゃべりたかったが、どうしていいやらわからなかった。興奮しすぎて、筋の通ったことがいえなかったのだ。しゃべりかけると、唾がとんだり、どもったり、自分の耳に聞こえてくるのはおかしなキーキー声だけ。そうなると、もうしゃべれなくなるのだ。自分の言いたいことはわかっていたが、それをうまくいうことは、まかり間違ってもできまいということもわかっていた。自分の絵が論議の対象になると、彼は、たとえば次のような言葉を、口からほとばしり出させたくなるのだった。「きみたちには、肝腎のところがわかってないよ」またこうも説明してやりたかった。「きみたちが今見ている絵の中身は、きみたちの見ているものや、きみたちがああだ、こうだ言ってるものじゃないんだ。それとは別のもの、きみたちがぜんぜん見ていないもの、見ようとしてもいないものが、あそこにはあるんだ。ほら、ここにある絵を見たまえ。このドアのそばの、窓から射す光のあたっている絵だ。きみたち、まったく気がついていないかもしれんが、道路わきのこの黒い部分。ここからすべては始まるのだ。そこはニワトコの藪になっているんだ。昔、オハイオ州ワインズバーグのぼくの家の前の道路わきにはえていたようなやつさ。そしてこのニワトコの藪のなかに、ひそんでいるものがある。それは何をかくそう、一人の女なんだ。その女は馬からふり落され、馬は逃げていなくなってしまったんだ。二輪馬車のの老人の馭者が心配そうに見まわしているのがわからないかね?あれはサッド・グレイバックで、あの道の先のほうに農場を持っているひとだ。彼は玉蜀黍とうもろこしをワインズバーグへ持っていって、コムストックの粉挽場こなひきばでひき割りにしてもらうんだ。彼はニワトコの藪のなかに何かがいることを、何かがかくれていることを知っているんだが、まだ完全にはわかっていない。
「それは女なんだよ、そう、女なんだ!それは女で、しかも美しい!彼女は傷ついて苦しんでいるが、声はまったくたてない。それが、どういうことか、わからないかね?彼女は身じろぎもせずに横たわっている。青ざめて、身じろぎもせずにだ。それでいて、彼女の体からは美が発散していて、あらゆるものをおおいつくしている。それはあの背景の空にあるし、そこらじゅうにあるんだ。もちろんぼくはその女を描く気はなかったよ。美しすぎて、とても描けないんだ。構図だの何だのって、そんな話は退屈千万さ!きみたち、あの空を見て、よく逃げ出さないでいられるねえ?ぼくが昔、あのオハイオ州ワインズバーグで少年だったころは、いつも逃げ出していたもんだぞ」
 イーノック・ロビンソン青年がニューヨーク在住の若者だったころ、自分の部屋にやってくる客たちに向って、いってやりたくてたまらなかったのは、こういったことだった。だが彼はいつも何もいわずじまいだった。やがて彼は自分の頭を疑いだした。自分の感じることが、自分の描く絵に一向に表現されていないのではないかと不安になった。腹だたしさも手伝って、彼は部屋に人を招くことをやめてしまい、そのうちドアに鍵をかけるようになった。もうお客なんかたくさんだ、今後は人とつきあう必要はない、と思いはじめたのだ。旺盛な空想力を発揮して、彼は自分だけの相手を心のなかにつくりだした。その連中相手ならば、心ゆくまで語り、また生身なまみの人間には説明できなかったことも説明してやることができた。彼の部屋は男や女や霊のすみかになり、その連中と彼はつきあい、自分からもいろいろ意見をのべることができた。それはまるで、イーノック・ロビンソンがそれまで知り合った連中みんなが、各人のいちばんよいものを、彼が自分の好みにあわせて形づくったり変えたりできるものを、絵のなかのニワトコの藪かげの傷ついた女のことなどもすべて理解してくれるようなものを、あとに残していってくれたような感じだった。
 その温厚な、青い眼をしたオハイオ出身の青年は、あらゆる子供が自己中心的であるのと同じ意味で、まったくの自己中心主義者だった。友だちをほしがる子供なんがいやしないが、それと同じまったく単純な理由から、彼も友だちをもちたいとは思わなかった。彼が何よりもほしがっていたのは、自分と同じ心情をもった連中であり、自分が思いきり話しかけることができ、時間で傭っておいて言いたいことをいったり、叱りつけたりできる人間、つまりは自分の好みにあった召使、だったのだ。そういう連中といっしょにいれば、彼は常に自信にみち、大胆にもなれた。たしかに、相手もしゃべりたければしゃべってもよし、自分自身の意見を開陳することがあっても差支えないのだが、いつの場合でも、いちばん最後にいちばん立派なことをいうのは彼でなければならなかった。いわば自分の頭脳から生れたさまざまな人物とのつきあいに専念する作家のような人間であり、ニューヨーク市のワシントン・スクェアに面した週六ドルの部屋におさまる、青い眼をしたちゃちな王様だったのだ。
 やがてイーノック・ロビンソンは結婚した。心細くなり、生身なまみの、肉もあれば骨もある人間に自分の手でさわりたくなったのだ。部屋が空虚に思える日が何日もつづき、肉欲が体に入り込み、頭のなかで欲望がふくらんだ。体のなかから燃えてくるような奇妙な熱のために、夜も眠れなくなった。彼は美術学校で隣の席にいた娘と結婚し、ブルックリンのアパートに移った。その結婚した女とのあいだに子供が二人生れ、イーノックはある会社に就職して、そこで広告用の挿画を描くようになった。
 そのことでは、イーノックの生活に新しい局面がひらけた。彼は新たなゲームをはじめたわけである。しばらくは、世の生産的市民としての自分の役割を、彼は非常に誇らしいものに思った。物事の真髄などというものはどうでもよくなり、現実が相手だった。秋には選挙の投票にも行き、毎朝玄関に新聞も入れてもらった。夕方仕事を終えて家に帰るときには、市電をおり、どこかの実業家のうしろについて悠々と歩き、いかにもどっしりと大した人間であるかのように見せかけようとした。納税者の一人として、世の中の仕組みについても知っていなければならないと思った。「おれもそろそろちょっとした人物だな。なにしろ世の中を、つまり州や市などを本当の意味で担っているんだから」と彼は、見ていておかしくなるくらい精一杯もったいぶって見せながら、ひとりごとをいった。あるとき、フィラデルフィアからの帰り道に、汽車に乗りあわせた男と議論したことがあった。イーノックが、鉄道は国鉄にしたほうがいい、というと、その男は葉巻を一本くれた。政府が率先してその手を打ったほうがよろしい、というのがイーノックの考えであり、彼は話ししているうちに非常に興奮した。あとになって、自分のいったことを思いだして、つい嬉しくなった。「あの男、おれの話を聞いて多少は考えただろう」ブルックリンにあるアパートへの階段を上りながら、彼はそうつぶやいた。
 もちろんイーノックの結婚はうまく行かなかった。駄目にしたのは彼自身だった。アパートの生活が息がつまり、とじこめられたように感じられ、女房や、はては子供にたいしても、前に自分を訪ねてきていた友人連中のようにたいしてもったと同じような気持をもった。彼は仕事上の約束があるなどとケチな嘘をついて、夜、一人でのんびりと町中を歩きまわり、機を見て、ワシントン・スクェアに面したあの部屋をひそかにもう一度借りた。そうこうするうちに、アル・ロビンソン夫人がワインズバーグ近郊の農場で亡くなり、夫人の資産の後見人であった銀行から八千ドルを受け取った。彼はその金をそっくり妻にやって、もうこれ以上アパートには住めないと申し渡した。細君は泣いたり怒ったり、おどしたりしたが、彼はただじっとその顔を見つめるだけで頑としてゆずらなかった。じっさいには、細君は大して悩んではいなかった。彼女は、イーノックのことをすこし頭がおかしいと思い、多少薄気味のわるい思いがしていたのだった。彼が二度と帰ってくる意志のないことがはっきりすると、彼女は二人の子供を連れて、子供のころ住んでいたコネティカットの村へ引越していった。けっきょく彼女はある不動産業者と結婚して、けっこう満足して暮すことになった。
 こうしてイーロック・ロビンソンはニューヨークで間借生活をつづけ、自分の空想が生み出した人物たちと遊んだり話をしたりして暮した。それは子供が幸福なのと同じ意味で幸福な暮しだった。イーノックの仲間というのは、奇妙な連中だった。彼らは、彼が逢ったことのある実在の人間、そしてどういうわけか、何となく彼にとって魅力的に見えた人間をもとにして、彼がつくり出したもののようだった。それは、手に剣をもった女だとか、白い長い顎鬚をはやし犬をつれて歩く老人だとか、いつも靴下がずり落ちて靴の上でひっかかっている少女などだった。イーノックの子供じみた頭脳から生み出されて、その部屋で彼と同居していた幻影たちの数は、二十人くらいにものぼっていたに違いない。
 そして、イーノックは幸福だった。部屋に入ると、彼はドアに鍵をかける。滑稽なほどもったいぶって彼は大声をあげてしゃべり、あれこれ命令したり、人生論をぶったりするのだ。彼は、何かが起るまでは、上機嫌で、広告会社で働いて食べて行く生活に満足していた。もちろんその何かは起った。事件というのは、女のことだった。これは当然の成行きといってもよい。彼は幸福すぎたのだ。彼の生活に何かが起るのも当然だった。何かが彼をあのニューヨークの下宿から追いたて、陽がウェズレイ・モイヤーの貸馬車屋の屋根の向うに沈む夕暮に、オハイオの町の通りを、まるでひきつったように上下に体を浮き沈みさせながら歩いて行く、ぱっとしない小男として一生を終えさずにはおかなかったのだ。
 その事件というのはこうだった。これはイーノックがある晩、ジョージ・ウィラードに話したことである。彼のほうでは誰かに話したい気分になっていたし、若い新聞記者がえらばれたのは、若者が人の気持を理解できる気分になっていたときに、たまたま二人が顔をあわせたからだった。
 青春の悲しみ、若者の悲哀、町で大きくなる若者が一年の終わりに味わうあの悲しい気持、それが老人の口をひらかせたのだった。その悲哀はジョージ・ウィラードの胸にやどっていたもので、べつだんこれといった意味はなかったのだが、それにはイーロック・ロビンソンの気持を動かすものがあった。
 二人が出会って話をした晩は雨が降っていた。しょぼ振る十月の雨だった。すでにその年の作物には実が入っていたし、本来ならば、夜には月が冴えて、大気には霜のぴりっとした前ぶれが感じられるはずだったが、その晩はそんなふうではなかった。雨が降り、メイン・ストリートの街灯の下には、あちこち小さな水たまりが光っていた。共進会場の先にある暗い木立のなかでは、黒々とした木から雨水がしたたり落ちていた。木の下では、土から張り出した根に、ぬれた木の葉がべったりとはりついていた。ワインズバーグの家々の裏にある庭では、ひからびてちぢれた甘薯サツマイモの蔓が地べたにのたうっていた。夕食を終え、町の住宅街へ出かけて、どこかの店の奥で誰かと話をしながら夜を過ごそうとしていた人たちも、気が変わった。ジョージ・ウィラードは雨のなかを、雨をたのしみながらぶらついていた。じっさい彼は雨がたのしかったのだ。彼は、夕方、自分の部屋から出てきて、一人で通りをさまよい歩くイーノック・ロビンソン老人に似ていた。ただ、似ているとはいっても、彼のほうはすでに背の高い若者になっており、めそめそしたり愚痴をこぼすのは男らしくないと考えている点では違っていた。一月前から彼の母親は重病にかかっており、そのことは彼の悲しい気分に多少は関係があったが、しかし大して関係があるとはいえなかった。彼の物思いは自分自身のことであり、そういうとき、青年というものはどうしても悲しくなるものだった。
 イーノック・ロビンソンとジョージ・ウィラードが出会ったのは、ワインズバーグの大通りをモウミー・ストリートへ曲ったばかりのところにあるヴォイト荷馬車工場の前の歩道に張り出した、木の日覆いの下だった。そこから二人は雨に洗われた通りをぬけて、ヘフナー・ブロックの三階にある老人の部屋へ行った。若い新聞記者はいそいそとついていった。イーノック・ロビンソンは、二人が十分間ほど話したところで、いっしょにこないかと誘ったのだった。若者はすこし不安だったが、生れてはじめてといってよいほど強い好奇心にかられた。この老人がちょっと頭がおかしいという話は今まで幾度となく聞かされていたので、ついて行くことがむしろ勇敢で男らしいと思ったのだ。雨の降る通りで出会った最初から、老人は妙な話し方をして、ワシントン・スクェアの部屋のことや、その部屋での自分の生活のことを話したがった。「一所懸命わかろうとすれば、わかるはすだよ」と、彼はきめつけるようにいった。「わしは、きみがわしの前を通って通りを歩いて行く姿を見ていた。きみならわかってくれると思う。べつに難しいことじゃない。ただわたしのいうことを信じさえすりゃいいんだ。聞いて信じてくれさえすりゃ、それでいいんだ」
 ヘフナー・ブロックの部屋でジョージ・ウィラードに話をしたイーノック老人が、核心にふれた話、つまりその女のこと、また彼がニューヨークから追いたてられ、ワインズバーグに孤独な敗残の暮しをすることになったいきさつを語りはじめたときは、その晩も十一時過ぎであった。老人は窓際の簡易ベッドに腰かけて頬杖をつき、ジョージ・ウィラードはテーブルのそばの椅子に坐っていた。テーブルの上には石油ランプがあり、ほとんど家具はなかったが、部屋はいかにも几帳面な感じで掃除が行きとどいていた。老人が話すにつれて、ジョージ・ウィラードは椅子から立って自分も簡易ベッドに並んで坐りたい気がしてきた。両手をその小柄な老人の体にかけてやりたかった。薄暗いなかで老人は話し、青年は悲しさに胸もふさがる思いで聞いていた。
「その女がやってきたのは、あの部屋に誰もこなくなって数年たったころだった」と、イーノック・ロビンソンはいった。「下宿の廊下で逢って知合いになったんだ。その女が自分の部屋で何をしていたのかはわからない。わしは一度も行ったことがなかったのでね。音楽家でヴァイオリンをひいていたような気がする。その女は時折やってきてはドアをノックするので、わしはあけてやっていた。入ってくるとわしのそばに腰をおろすんだ。ただ腰をおろしてあたりを見まわすだけで、口はぜんぜんきかない。ともかく、口をきいたにしろ、大したことは何もいわなかったな」
 老人は簡易ベッドから立ちあがると、部屋のなかを歩きはじめた。着ているオーバーが雨にぬれているので、滴がかすかに音をたてて床に落ちた。彼がまたベッドに腰かけたとき、ジョージ・ウィラードは椅子から立って彼のそばに腰をおろした。
「わしはその女に一種の感じをもっていた。あの部屋でわしといっしょにいると、彼女は部屋にたいして大きすぎるという感じがした。彼女が自分以外のものは片っぱしからわきへ押しのける感じがした。二人の話はつまらんことばかりだったが、こちらはどうにも落着かんのだ。そこで、手の先で女の体にさわってキスをしてやろうと思った。女の手はしっかりした手だった。顔だちもとてもよかった。そして、そのあいだもずっとわしの顔から眼をはなさないんだよ」
 ふるえ声でしゃべっていた老人は黙り込んでしまい、その体がまるでおこり・・・にでもかかったようにふるえた。「こわかったねえ」と、彼は小声でいった。「ぞっとしたよ。女がドアをノックしたとき、なかへ入れたくない気がしたんだが、体がじっとしていなくてね。『駄目だ、駄目だ』と自分に言いきかせながらも、立ちあがってしまい、やっぱりドアをあけてしまうんだ。あの女はじつに大人だったんだ。大人だったんだね。あの部屋でいっしょにいると、向うのほうがわしより体がおおきいんじゃないかと思ったよ」
 イーノック・ロビンソンはジョージ・ウィラードの顔をじっと見た。その子供っぽい青い眼が、ランプの光にきらきらと輝いた。すると老人はまた身ぶるいした。「わしはその女をほしいと思いながらも、同時にいやだと思う気持もずっとあった」と、彼は説明した。「そのうちにわしは、自分の仲間のことや、わしにとって多少とも意味のあることを、何かとその女に話すようになったんだ。わしは黙っていようと思った。自分のことは自分の胸のなかにしまっておこうとしたんだが、それがそうはいかなかった。ちょうどドアをあけてしまうときと同じような気分になっちまってね。ときには、こんな女なんか出て行って二度とこなきゃいいのにと、心からそう願うこともあったよ」
 老人はいきなり立ちあがった。声が興奮でふるえた。
「ある晩、あることが起った。わしはなんとしてもその女に、わしという人間を、その部屋のなかではわしがいかに偉大な人間かということを、わからせないでおくものかという気になった。わしがいかに重要な人間かわからせたいと思ったのだ。わしは繰り返し話したよ。出て行こうとすると、走っていってドアに鍵をかけ、つきまとうようにして話しつづけた。話しつづけるうちに、突然、すべてが粉みじんになったんだ。一種の表情が女の眼にうかんだので、わしは、ついにわかってくれたと思った。あるいはもっと前からわかっていたのかもしれないがね。わしはかっとなった。がまんできなかった。たしかにわしは彼女がわかってくれることを願ってはいた。ところがだよ、同時に、わかってもらっちゃ困るという気もあったんだ。そうなったら彼女には隅から隅まで知られてしまい、こっちは水のなかに沈められて溺れ死んじまうだろうという気がした。そういうことなんだ。自分でもわけがわからないがね」
 老人はランプのそばの椅子にどたりと腰をおろし、青年はこみあげる畏敬の念をおぼえながら、耳をそばだてていた。「もう帰ってくれ、きみ」と、老人がいった。「これ以上そばにいてもらいたくない。きみに話すといいかと思ったけど、そうじゃなかった。もう話したくない。帰ってくれ」
 ジョージ・ウィラードは首を横にふり、その声は命令するような調子をおびた。「今やめては駄目だ。すっかり話しなさい」彼は鋭い声で命じた。「それからどうしたんです。全部話してしまいなさい」
 イーノック・ロビンソンは、はじかれたように立ちあがると、人気ひとけのたえたワインズバーグの大通りを見おろす窓にかけよった。ジョージ・ウィラードはそのあとを追った。背の高い、まだぎこちない「子供おとな」と、小柄で皺だらけの「おとな子供」の二人は、窓際にならんで立った。子供っぽい、意気込んだ声が話しをすすめた。「わしはその女をののしってやったよ」と、老人は説明した。「汚ない言葉でな。帰れ、二度とくるな、といってやった。ああ、ひどいことをいったもんだよ、まったく。はじめのうち女は、何のことやらわけがわからないというふりをしていたけど、わしはしつこくやっつけた。叫んだり、床を踏み鳴らしたりしてだ。建物じゅうに、わしのどなり声がひびき渡った。わしは二度とそいつの顔を見たくなかったし、これだけひどいことをいってやれば、二度と見ることもあるまいと思っていた」
 老人の声がとぎれた。彼は頭をふって、「何もかもそれでおしまいだったよ」と、おだやかな、悲しげな声でいった。「女が戸口から出て行くと、それまで部屋のなかにあった生気がそっくり女のあとについて出て行っちまったんだ。わしのつくった連中を、女は全部つれて行ってしまった。連中、女のあとについて戸口から出て行ってしまった。とまあ、こんなわけだよ」
 ジョージ・ウィラードは老人に背を向けると、イーノック・ロビンソンの部屋を出た。戸口から出て行きかけると、窓際の暗がりで、むずがるような、かきくどくような、かぼそい年寄りくさい声がした。「わしは一人ぼっちなんだ。ここでは一人ぼっちだ」と、その声はいった。「あのわしの部屋は暖かくって、親しみがあったけど、今はまったくの一人ぼっちだなあ」
アンダソン「ワインズバーグ・オハイオ」から

(2004.5.20)-2
これは、20k しかなくて、なんでぼくのは 80k にもなってしまうのだろう。
(2004.5.21)-1
新居昭乃氏のアルバム、一年遅れでようやくできあがったようである。やれ、よかった。ぼくより先だった。
(2004.5.21)-2
 雨風過ぎた皐月空の白く輝く
 澄んだ日に裏の路地を歩く
 澄んだ陽にたくさん話すことがあって
 澄んだ日の宵には少し冷えて
 澄んだ陽を浴びてもひとり

(2004.5.22)-1
ぼくに残された最後の感覚器官は文字である。
(2004.5.22)-2
別段おもしろくもない。あたりまえのことだった。
(2004.5.22)-3
風呂からあがって、すこし頭がすっきりしたようなので、書きはじめようとする。けれども、今日はなんだか、すごく下手な気分だ。島尾敏雄「宿定め」を読む。それまでのところから、別の場所へ移ろうとする力が働いているのを見るが、これは失敗作であろうと思う。今週は疲れたらしい。四六時中眠たい。でも、やっぱり書こう。いや、書こうとしてみよう。どうせ、ぼくにはそうするより他ないのだから。
(2004.5.22)-4
二年前の自分の書いたものをみて、「なんだこれは」と思う。
(2004.5.22)-5
自殺以外のやり方について。たとえば、その先の希望について。花が落ちたり、蝉がないたり、風が渦巻いたり、血の滴る肉を喰らったり、はなし、話をしたり。そう、話をしたり。ぼくは何か思う。そして、それを「そのとおり」に書く。何の判断もなしに。それを無知と無分別のためだと批難して、焼き棄てようとする。或いは腐蝕させ、細かな別の無価値な何かに変えてしまおうとする。ぼくはぼく以外の何ものにもなれず、「わかったふうな口をきくな」と叫ぶ。そしてそのあいだも隣では、ぼくも多少の面識のある年上のある女についての噂話がささやかれている。ぼくはそれを耳に入れている。ぼくは誰のことについて憤っているのか判然としなくなり、同時にある種の欲情を感じ始めていることを否定できなくなる。相手の脣のあいだに、自分の細い指を突っこみたくなる。そういったことに慣れないぼくは、ほとんど滑稽なまでに興奮し、いそいでそれを書きつけようとする。「ピアノそのものになろうとしたピアニスト」がいたことを今日知った。そいつの実に不遜な願いと同じように、たぶん同じように、ぼくは自身を欲情させ、自身の指をしゃぶらせたいと思い、女の首に顔をうずめ首筋から耳のあたりまでを、所有するために、舐めまわす。唾液は初夏の曖昧な感じの残っている気温によって温められ蒸発し、酸っぱいようなあの体液の臭いをたてはじめる。ぼくはそれを自身で嗅ぎ、女もやはりそれを自身が舐めまわす指から嗅ぐ。ふたりともに、何か或る動物的な感覚と感情に支配されているのだが、ふたりともそれを形容する言葉を持たない。だから、ふたりとも別々にそれを感じ、そしてそのままでいる。そのもどかしさが、さらなる肉への欲望を掻き立てる。ふたりがふたりとも、体温を通してしか、それを相手に伝ええないことに対して、それぞれ固有の温度湿度圧力幅広さ鋭さねじれ具合色彩加速度等を以て憤り、身もだえしており、何とかしてそれを相手に伝えようと、より湿ったところで互いに繋がろうとし、熱を帯びて潤んだ瞳で見つめあい、そのために存在している部分を互いに激しく触りあい、舐めあう。ぼくは「わかったふうな口をきくな」と叫びながら、そのために存在している部分から放出をし、それはまさに自分そのものの臭いがする。そしてなんと、ある肉体的な満足を得る。更にはそれに随伴した精神的な事柄をすら充足させられる。そのことに対して、疑念を抱きながらもたしかに充足する。ぼくは脱力した自身のそれを引きずり出し、それを見つめる。すると、女はそれを口に含んで、付着した何かを拭い去ろうとする。舌は管にまで滑り込み、ぼくはうめき声をあげ再びそれを固くし、それを口で知った女は眼で勝ち誇った母性的な表情を浮かべる。ぼくは悪態をつきながらも、女を満足させようと烈しく努力し、そしてそれは成功する。女は痙攣し、何か意味のないことを切れ切れにつぶやく。ぼくから興奮は去り、代わって冷たい感情が支配的になる。自殺することを思う。自殺することを思う。そして、それ以外のやり方についても、やはり思う。
(2004.5.25)-1
また不安定になる。影が眼につく。胸の真ん中に圧迫感がある。歩くとひょろひょろする。陽の光に眼を焼かれそうな気がする。
(2004.5.25)-2
深沢七郎「楢山節考」。割り当てられた、ということについて書いてある。太宰のように捻くれたところがなく、すっきりとしていて、とてもよい。「ひかりごけ」などにならぶ傑作であろうと思う。典型という言葉がある。
(2004.5.25)-3
でも、ぼくは内容のことよりも、その文体のほうが印象に残ったのだった。そうだ。文体という話。読んでいる最中、何度も「オレ、いま日本語書いてねえぞ」と思った。言葉をただだらだらと積み重ねて分厚くして、まるで飜訳文のようなものを書いて、それだけ書けるようになって。結局、奇形を生むことになる。日本語で書くなら、日本語のように書くべきだ。また、矯正しなければならない。
(2004.5.25)-4
ちがうよ。放置してるわけじゃない。ぼくにはそれが見えないんだ。それがあることは知っているけれども、見えていないんだ。見えているような顔つきをしているだけ。見えてない。見てない。
(2004.5.25)-5
歩くとひょろひょろするんだ。ひょろひょろするのは、これは実に心細いもんだよ。自分がまったく信用できない。なにせ、思ったように歩けないんだから。ほんとうにそこにいるのかどうか、夢の中とはまた違った感じで、信じられない。あらゆる経験が、知識すらもが、ここ以外にはいようがないと保障しているにも関わらず、それがなんだか信用できない。あやしくなるんだ。
(2004.5.26)-1
プラチナの骨格にダイヤ一千七百五十四個を飾り付けた、「帝國王冠」の四分の一レプリカを若干二十七歳日本人の職人が手がけたというニュースがあった。
(2004.5.27)-1
螢の光と真昼の月。ほとんど熱量を持たない微弱なものにも関わらず、螢の光はその緑がかった白い円を夏の夜のなかにくっきりと掲げるけれども、午の月はそら色の空のなかで、自らのからだだけをかろうじて白く丸く浮かび上がらせることしかできない。太陽のもたらす多量の光は、すべてのものを必ずあらわにするというわけではない。実際はむしろ、そのまったく反対で、その存在の大きさが、他のあらゆるものを取るに足りないものにしてしまっているのかもしれない。そこまでいかなくとも、少なくとも、そのものたちのあり方を一様にしてしまっているとは言えるかもしれない。ほとんどの場合、ぼくは光があることで、それを介してものを見るということで、ぼく以外のものと関わる手がかりを得ており、だからそのことは、そのままぼくと世界のかかわりについての基底でもあるだろう----射しこむ光が完全に無くならないうちにいつしか意識は薄れて、ぼくは眠る。すると少しして次の日がやってくる。
(2004.5.27)-2
意見など言う気になれない。どうせ何ひとつかみ合わない。君はよいことをしたり、充足したり、愛情を感じたりしたいのだが、ぼくはそんなことはない。
(2004.5.29)-1
そのひとの皮膚にぴったりと貼りついている音楽が聴きたい。ぼくのにではなく、そのひとに。聴いているものたちのために演奏するのは唄うのはやめて。自分とそれから一緒にやっているひとのために、自分が知っているひとたちのために。
(2004.5.29)-2
最近は非常に金遣いが荒い。部屋には八十冊あまりの未読の本と、二十枚近くの未開封のCDが積まれており、アンプの調子が悪くなったということで LINN のアンプを購入し、ついでになぜか CD プレイヤも購入してしまい。溜まる一方だ。一年くらい引篭もりたい。そうしたらみんな消費してやれるかもしれないのに。
(2004.5.29)-3
そうして今日は、その未消費のものたちのなかから、BONNIE PINK の「Even So」と、ガルシア・マルケス「百年の孤独」を開封する。
(2004.5.29)-4
文字の向う側に広がる世界という感覚。壁の穴から覗く景色は極めて手の込んだ歪曲が加えられた像であり、けれどもそれだけしかないので、それは絶対的に正しい。その歪曲も含めた眼に映るすべてが向こう側の世界として与えられ、ぼくにはそのあり方でのみ受け取られる。
(2004.5.29)-5
でも、わからないということはない。わからないようには書いてない。フォークナーから、過度の文章装飾を取り除き、かわりに彼らの時代の南米作家が持った比喩的な幻想を付け加えると「百年の孤独」になる。カヴァーイラストレーションはその感じを非常によく表している。「百年の孤独」はどんな小説なのかと問われたとき、そのカヴァーイラストのようなものだと答えるよりうまい回答はなかなか出ないのではと思われる。そこには黒い雲と濃い霧とに覆われた一様に透明な波の立つ海に浮かぶ螺旋状の構造を持った城塞都市が描かれている。都市の中央、即ち螺旋の中心には内に鳥と思わしき彫刻をおさめた尖塔が建ち、奇妙なかたちの頭上に白旗を掲げたひとりまたはふたり乗りの船が、螺旋の茶色い煉瓦のあいだを行き来している。中央の塔は二つの入り口、海面に面したそれと城砦内部の狭い通りの始まりとなるそれを持ち、その通り(というより、それは中庭といった感じだが)には人影はなく犬と思わしき真っ白の四足動物がうろついているばかりである。海水の水路は、その流れに沿った波が円を描いて中心をめざし、人の乗った船たちは、その波よりも遅い速度で移動する。中庭には木が植えられているがどれもまっすぐ立ち枯れている。
(2004.5.31)-1
鬼束ちひろ、事務所を解雇される。ぜんぜん知らなかった。すばらしい。英断である。彼女は危機を歌い上げるひとであり、そのためには常に生存の危険に身を晒さなければならない。Cocco が止めたようにして、彼女も止める必要があり、Cocco が沖縄に戻っていってしまったのに対して、鬼束ちひろは東京に留まることによって、新たな路を切り開くであろう。最初に宣言したように、「逃げ場など何処にも無い」のである。君が歌をうたうことを生業とするかぎりは、世間並みの幸福は訪れないのであり、それははっきりとした Do or die の構図をしている。自分の最初の作品を舐めてはいけない。あれは確かに不世出のものだったのだ。それの先を提示するには、どうあっても不世出の努力が要るのである。その自覚を以て曲を編み上げる限り、ぼくは彼女を支持することだろう。自分の指先と自身の感情に還れ。君は何ものにも似ていなく、何ものにも追随しない。君が「こんなもの」と云うものは、確かに「こんなもの」だ。それを諦めてはならない。君の苦悩は、君の尊敬するほとんどの者たちのそれを既に凌ぐ。それを受け入れたまへ。君は不完全だ。片端だ。そのことから逃れることはできない。君は歌うしかないのであり、それは「逃げ場の無い」ものである。ぼくがもう少し出来上がったなら、きっと君の何かに役立つものをあげられるだろう。君の現在を補強できることだろう。でも、さしあたって、今は君はきみが持っている、ぼくにかかわりのないものたちによって立つよりほかはない。安穏と満足と仕合せとぬくもりと人肌とは、君に似つかわしくない。年に六十曲作って、それのみで生きた一年を、もういちど繰返したまえ。ぼくも近いうちにもう一度はそれをする。かならずする。君にはその資格があり、ぼくにもまたその資格があることを望む。ぼくはぼくという人間ではなく、ぼくという媒体である。君もそうあらんことを願う。その限りににおいて、ぼくは君の掌にキッスをすることだろう。
(2004.5.31)-2
ぼくの下についていた新人が辞めることになる。何か思わなければならないのだろう。ぼくの下でなければ辞めなかっただろうかとか、ひとことの相談もなかったことについてとか。
(2004.5.31)-3
ぼくの下でなければ辞めなかっただろうか。答え。おそらく。
(2004.5.31)-4
相談をしなかったのは当然か。答え。当然。
(2004.5.31)-5
言い訳もしなければならない。しよう。
(2004.5.31)-6
人間的な関係ではなかった。やさしい先輩というやつでもきびしいそれでもなく、単に冷酷で無慈悲なだけだった。これは事実で、ぼくはそうしたのだった。会話は事務的なものと技術的なものとに限られ、愚痴や弱音を聞くことはしなかった。ねぎらいの言葉をかけることもなかった。自己主張をしない気の弱い男だったから、黙っていれば、そのままだった。少々手にあまる仕事を与えられても、特に何も言ってこなかった。そして必ず、ぼくより先に来て、ぼくよりあとに帰った。それでも、そのままにしていた。そして、ほとんどはじめての彼の意思表示が退社だった。ぼくはあまり驚かなかった。かすかに予期していたこともあったが、それよりは単に無関心のために驚かなかったのである。ただ、二年前の自分のことを思い出した。現在の環境は、当時よりも厳しい。開発の速度はほとんど緩められるこがなく先へ進みつづけ、求められる品質も以前では考えられないほど厳しい。ぼくらは容赦なく、ぼくらと同じだけのそれを求めた。誉めることはなかった。「がんばったな」と言うことができなかった。ぼくより先に出社し後に退社することは、ぼくらには何の意味も持たなかった。プログラマは、書いたプログラムでしか評価されない。どれだけ時間をかけても、それが動いて、それなりの性能が出るのでなければ、やらなかったも同じことなのである。それはぼくら自身にも適用される基本的な原理で、ぼく自身も評価されるに値するものを書いたことがない。だから、かばってやれるほどの余裕はないし、かばっても仕方がない。愚痴を聞いてやったり、元気づけたりすることにも、どれだけの意味があるのか、ぼくにはわからない。なだめすかされながらでも続けるほどいい商売ではないことは周囲を見ても明らかだし、(ありえない仮定だが)たとえ相談されていたとしても、ぼくは何も言うことはなかったろう。それどころか、「辞めれるときに辞めたほうがいい」とはっきり言ったかもしれない。


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