tell a graphic lie
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(2004.6.1)-1
ひとつ書き忘れたことがある。ぼくもやはり同じようにするだろうという予感。
(2004.6.2)-1
カッターで刻み殺さなければならないという確信。そして確信の昂奮。「今もっとも重大なことは彼女を跪かせ、そして切り刻むこと!」
(2004.6.2)-2
倫理は不安と恐怖と、それから愛情とによって生み出される。どれも不十分だったに違いない。
(2004.6.2)-3
ERについて。というより、ルカ・コバッチュの破滅癖について。
(2004.6.3)-1
急に決まってしまいました。明日から、韓国へ行ってきます。仕事です。帰りは、いつになるかわかりません。片付くまで留まります。向うでは、きっと非常な健康的生活が待ち受けていると思われます。朝の八時から、客先のクリーンルームに罐詰になって、防塵スーツの蒸し暑さと口をふさぐマスクで酸欠気味になりながら夜八時までうなり続け、部屋に戻って口にあわない食事をしながら酒が飲みたいと思うのでしょう。まあ、そういうことで、とにかく行ってきます。別にあっちでも更新できたりすると思うのですが、外へ出た際にはネットを断つのが、ぼくの個人的なしきたりなので、更新は休みます。本は四五冊持っていくつもりです。今日は、あともう二時間も眠ることができませんので、寝ることにします。それでは。
(2004.6.8)-1
ただいま。すごくはやく帰ってこれてしまいました。でも、そのかわり、来週か再来週に、また行かなければならなそうです。持って行った小説は一冊読んだきりです。「戦後短篇小説再発見」の一、「青春の光と影」ということで、若い感覚についての小説の佳作を集めたものです。読んでいて、しきりに書きたい気分になりました。いろいろな遣り方、在り方があるものだなあと、つくづく思いました。そしてそのどれもが他から独立しており、(小説としての質は別にして)比較不可能であることに非常に満足しました。ぼくはぼくの遣り方と在り方で書こうと思いました。少しずつでも、がんばって小説の文で書いていけばいいのだ、ただそれだけでいいのだと思いました。
(2004.6.8)-2
それから、これは一つの自分に対する宣言なのですが、今年中、二十五歳のうちに、今の仕事を辞めます。出張してみて、慎重に回避していたつもりの所謂しがらみというやつが、どうしても少しずつ巻きついてきているものなのだとわかりました。出張中に「一人前」という言葉を使われてしまいましたので、どうしても辞めなければなりません。続けながらでも書けるだろうという一般論はたしかにあるのですが、それのぼく自身への適用については慎重に判断されなければなりません。二十五から三十までの五年間というのは、その人間の社会生活において実に決定的な期間で、そこで選択した社会と個人との関係というものが、それ以降の固定された土台となるのだと思います。それは肩書きとか経歴に顕れるものというよりもむしろ個人の特色、「あの人は、ああだから」と言われるような部分に関わるもので、そういう時期に所謂「一人前」と呼ばれるような状態になるのは、ぼくには堪えがたいことです。ぼくはそういうことをするために、ここにいるのではないのですから、そこからは降りなければなりません。
(2004.6.8)-3
それから、ぼくの記憶力の劣化は少々目にあまるものがあり、今後なんらかの形で大きな失敗をしでかすに違いないというのも大きな理由です。問題は、ただ「物事を憶えていることができない」というだけではなく、その意思が欠如しているという、おそらく致命的なもので、ぼくはその失敗の影響を最小限に止める必要があります。
(2004.6.8)-4
 目覚めと眠りとの、そのあいだに挿まれ、規則的な周期でめぐってくるぼくの時間というのはいったい何なのだろう。それは上半身を持ち上げ、義務感や欲求によって立ち上がり、時計あるいは屋外の明るさによって時刻を知ることから始まり、その義務感や欲求に従って身体と精神を動作させ、すると時間は少しずつもしくは一足飛びに経過し、いずれは眠りにつくことで一度停止し、区切られる。覚醒しているあいだ、ぼくの意識は継続しており、そのうちの数パーセント、あるいはもっとずっと少ないが、それでもいくらかは記憶として、それから身体感覚として保持され続ける。ぼくは生れてからずっとこういう時間というものをくり返してきたのであり、今後も死ぬまでそれは続く。そもそも死というものは、単にそういうことを意味しているに過ぎないのかもしれない。規則は破られ、ぼくから時間というものが失われる。時間が失われたぼくには、はたして何か残っているものなのだろうか。やはり、ぜんぜん何も残らないのだろうか。

(2004.6.8)-5
窪塚洋介が自殺未遂。しかも飛び降りである。ぼくは全然覚えていないのだけれど、彼とは一つ違いで同じ高校だ。多少、そっち系の香りがあったが、ぼくよりも先にそれをするとは。少々腹だたしいものがある。君の方が実のある日々を送ってきたのかといえば、それはYESだろう。「死んでみせろ!」結婚して子供ができたばかりでも、やはりそうなるものはそうなるのである。24で妻子持ち。飛び降りたくなるのは無理もないことである。自身に対して、および世間に対しての無知によって生じた矛盾を解消するための、ここではないどこかへは、極めて物質的な束縛と障害とによって阻まれ、成果を見るまで待ってもらうことは適わず、したがって次第に未来の価値を失わせる。自身がはっきりと、こんなものは要りはしないのだと認識したときには、それは既に自身の背中にどっかりとぶらさげられており、降ろせば泣きわめき、口汚く「人非人」とののしるのである。これを解決するには、たしかにそれの言うとおり、人をやめる必要があるだろう。
(2004.6.11)-1
 着替えたぼくは、すぐに出かけてしまう。駅まで歩く途中で携帯電話から庸子に「おはよう」とだけ書かれたメールを送る。少しすると、まだ駅へ着かないうちに、庸子から返事のメールが届く。やはり、「おはよう」とだけある。庸子はそれを目覚まし代わりにしている----機械に起されるよりは、間違いなく起きる気になれると思うからと、庸子はそれを思いついた日に笑いながら言った。
 ぼくの時間、つまりぼくの一日の多くはそのようにして滑り出す。その中で動いているぼくは、いつも何かを思っているような気がする。けれども、それが一体どういったものなのかを、ここで説明することは、かなり難しい。ぼくの生活は一様な、すべすべとしたプラスティックの平板のような表層をしていて、そのうちのどの部分をピックアップして取っておけばいいのか、ぼく自身にもうまくつかむことができない。けれども、すべてが忘れ去られてしまうというわけではなく、たとえば、この「一様な生活」というイメージに関連づけられ、そこから引き出され得るものについては、記憶として比較的とどまりやすい傾向にあったりもする。
 滑り出したあとのぼくの一日も、日によって特に大きな変化があるというわけではない。ただ一日立っているだけで日が暮れる。出社してすぐに、三四人で一かたまりになってそれぞれ車に乗り込み、街中や郊外の住宅地へ出かけていって、そうして車から降ろされると、あとはもうぼくはただつっ立っている。脇には看板を抱えている。ぼくがひとりそこで立っていても、何の用もないのだけれど、看板はそうではなく、そこになくてはならないので、ぼくが抱えて立っているのである。つまり、ぼくは看板に奉仕しているというわけで、それがぼくの一日の大部分を占めている。
(2004.6.13)-1
昨日はいろいろあった。だらだら書き出すと長くなるので、箇条書きにしよう。
(2004.6.13)-2
数ヶ月ぶりに渋谷へ買い物に出る。目的は、セールのはがきの来た店で夏の服を買うことと、また韓国へ行くときのためのこまごまとした買い物。
(2004.6.13)-3
買ったもの。韓国でお世話になる人へのささやかなお土産。パスポートケース。旅行バッグの中の荷物の仕分けのための収納袋。寝巻きのような上着。薄手のチノパン。デジタル目覚まし時計。ブックカバー。腰に巻く小さなかばん。ピンバッヂ数個。キーホルダー。
(2004.6.13)-4
チノパンの試着の際に、懐中時計を落として壊す。ぜんまいが緩んでしまって巻けない。秒針も紛失してしまう。近くの時計屋に持ち込むも、手巻き式懐中時計など受け取ってもらえない。チノパンはセールなので値引きしてもらうが、修理費のほうがだいぶ高くつくに違いない。まずは修理してくれるところを探さなければならない。
(2004.6.13)-5
冬に欲しいと思っていた腰につける小さなかばんを手に入れる。美容院のねえちゃんが使っていたものと同じ、AGIRITYというブランドで売り出されているもののひとつ。彼女の使い方のほうが無論かっこうよくて、そこにはさみやらくしやらを挿して、さくさくと出し入れしていたのだけれど、ぼくは財布と文庫本とiPodとタバコとライターを入れるために使う。でも、ぜんぶ一緒には入らない。文庫本とiPodを入れるといっぱいになってしまう。財布とタバコはポケット行きだろう。買ってきたピンバッヂを二つつけてあげる。
(2004.6.13)-6
キーホルダー開封時に、カッターで左の親指を3cmほど切る。何となく、切るかなと思っていたら、ほんとに切った。久しぶりに自分の血を見たような気になる。しょっぱくてあたたかい。切ってから、そういえば、手は商売道具だったと気がついて苦笑する。傷は最初に歯がささったところを除いてごく浅く、そこだけ絆創膏を巻いて血を止める。
(2004.6.13)-7
渋谷を歩いていると、とりとめのないことをいろいろと考える。東京は、そこに居る全員が違和感を持ちながら居る場所なのだというようなことを思う。渋谷は、3度くらい気温が高く、蒸し暑い。じっとりと汗をかく。だから、どういう風に書いても東京は東京になるだろうというようなことも思う。店で品物を見ていると、だんだんと選ぶのが無性に面倒くさくなってくる。客たちは、暑さのためかあまり元気がないように見えるが、店員たちははきはきと働いている。それが、ここはお前らの場所ではなくて、自分たちの場所なのだということを示威しているように見える。
(2004.6.13)-8
夜、高校時代の同級生からの電話。以前住んでいた三軒茶屋で飲んでいるので来ないかとのこと。引っ越したので行けないと言う(十二時をまわっていた)。電話口で簡単に近況を聞く。このあいだ、いつものトーンで話したら、「さみしいのか」と尋ねられたことを思い出し、少し熱を入れて話そうとする。結婚した人も何人かいるらしい。別に驚かないが、少し不思議な気がする。見事に枝分かれしたそれぞれの時間たちが白い筋として、煙のようにゆらゆらと舞い上がり、暗い夜空にそれぞれ別々に吸い込まれてゆく様がイメージされる。とりたてて話すことも無いので、まだ仕事は続けていることだけを言って電話を切る。それから、「百年の孤独」の続きをまた読む。
(2004.6.13)-9
「百年の孤独」は今日読み終わる。以前も書いたが、言葉による要約は不可能で、ただその表紙がその作品を非常によく表している。なぜなら、「百年の孤独」自体が要約なのであって、もっとも短く書いてあの長さなので、そこから抜粋することは、「百年の孤独」とは別の何かを言うためであるのならまだ成功し得る可能性があるが、それ自体を説明するのには何の用もなさない。どこから読んでもいいし、またいつどれだけ読んでも構わない。最も基本的な、非常にしっかりとした骨格の上に展開する物語は、まさに物語なのであり、神話的な非精神性を持っている。すべての現象はなんの違和感ももたらさず、ただ時間だけが滔々とまっすぐに進んでゆく。読んでいると、箱庭のようなマコンドの町のなかでそれ(小説に書かれてあること)を見ているような気がしてくる。ガルシア・マルケスは、この作品を二年間外界から隔絶して書き上げた。つまり彼もまたマコンドに立ってそれを書いたのだから、そのような感じをうけるのはおそらく当然のことだと思われる。
(2004.6.13)-10
仕事を辞めようと思うことを確認する。一過性のものでないことを祈ろうと思う。そして、このことについて、誰かと話をしたいと思う。肯定されたり、否定されたり、聞き流されたり、どれでもよいのだが、してほしいと思う。しかし、ぼくはそのような関係にある人物を持っていないので、実際にはそうできない。そして、それはとてもよいことだ。ぼくはひとりでそれを決められるし、そうできないのなら、それをしても何の役にも立たないだろう。でも、話がしたい。これは実におもしろいことだ。多くのものは割り切られることのないままに時間軸上を進んでゆくものであり、これもまたそのひとつであるにすぎない。そして、割り切られることがないかぎり、ぼくはこれを問題にし続け、実際は、この「問題にし続ける」ということが重要なのだ。それはわかっているが、しかし、誰かと話がしたい。
(2004.6.14)-1
 看板にはだいたいこんなことが書かれている。「○○タウン好評分譲中」その下に、背景の色にあわせて、赤や黄色といった目立つ色で大きな矢印と、おおまかな距離とが描かれている。それだけで、看板に書かれてあるものをを目あてにやって来る人たちには十分なので、ぼく自身には何もすることがない。仕事は全部、看板がやってしまう。そういった人たちは、大抵ふたり連れで、何やら談笑しながらとろとろとぼくの正面の方角から近づいて来、看板の文字を目にすると、みちを折れてゆく。たまに指さして、「もう少し先みたいね」とか、「案外、遠いな」とか、話しあう声が耳に入ったりする。それでも、ぼくは何もせず、彼らを見つめもせず、ただ立っている。立つ場所によっては、パイプ椅子が支給されることもあり、そういうときは抱えて一日座っているということになる。
 夕暮れどきになり、人通りが途絶えると、ぼくは看板を逆さにして歩き出し、ここまで連れて来た車の停められている場所へ行く。看板をその荷台へさし込み、車に乗り込む。それで、ぼくの一日が終わる。その後、ぼくはまっすぐ部屋に帰ったり、電話をしてから、庸子の部屋に行ったりする。
 この仕事をはじめてからしばらくすると、そうして立っているあいだに時計を見ることをしなくなった。太陽の傾き加減や、周囲の明るさや色調から、だいたいの時刻を推し量れるようになったからで、そのだいたいというので、こういったぼくの時間には十分だった。季節ごとに少しずつずれてゆく、正午の太陽が上昇から下降に転じる頂点の大まかな位置も感覚で知ることができるようになり、それを見とめると看板を適当なところへ立てかけて、昼食をとった。

(2004.6.14)-2
細い細い月。
(2004.6.14)-3
カッター傷はもうふさがってしまったけれど、小さな血だまりがそのあいだにはさまってしまったのでかゆい。


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