tell a graphic lie
I remember h2o.



(2004.10.15)-1
酒が切れた。
(2004.10.16)-1
人間は、記述しながら、同時に他の何かをすることはできない。いや、順序を逆にすべきか、人間は、何かをしながら、同時にそれを記述することはできない。そうだな、これが通常の並び順だ。フォークナーを読んでいると、いつの間にか、それが逆転してしまう。
(2004.10.16)-2
生きることの速度。動物的思考。動物に言語を与える。すると、動物はそれを使って、それのできる範囲で、自身の思念を言い表わすだろう。そうだ。それはその通りだ。まさに、当たり前の、自明のことだ。そして、ぼく自身もまたそうではないとは、どうして言い切れるだろう。
(2004.10.16)-3
語るのでも、説明するのでもなく、描写する。忘れていないか?
(2004.10.16)-4
フォークナーの小説は、はじめるのに難儀するというのを思い出して、今日まで八十頁ほど読んでいたのを、また最初から読み直しはじめる。そうして今、百頁まで来たあたりで、ようやく、小説がぼくのなかで廻り始める。
(2004.10.16)-5
昨日、水俣病が片付いたというニュースを見て、石牟礼道子を思い出す。たぶん、この人の作品は、みんな読むことになるだろう。Amazon で買おうとしてみるけれど、文庫は一冊しかなくて、あとは全集になってしまうようだ。
(2004.10.16)-6
 記憶について。それから、感覚について。
 いくつか、問いかけがある。それは、こうして書きつけているときばかりではなく、いつも、新しく小説を読んだり、好きな小説を読み返したりしているときも、食事や会話の最中にも、仕事でコンピュータプログラムのソースコードを書いているときにすら、意識のすみの方、すぐ手の届く位置に、日常的に置かれている。そういう感じを持っている。ような気がする。はずである。
 と、だんだん曖昧で弱気な言い草になってしまうのは、こうして改めて、それを書き起こしてみようと、意識の裡を探ってみると、なかなかそれを掴み出してくることができないからだ。なにか、似たようなものは出てくる。でも、そうして陽の下にさらしてみると、それはヒキガエルなのである。横腹がぐにぐにと柔らかくて、呼吸するたびに片側3cmも膨張と収縮を繰り返し、ゴム製みたいな皮膚のすぐ下の細い骨から臓器がいくつもぶらさがって下腹の皮にもたれ、たまに尻から小便をたらす、灰色と白の斑模様のヒキガエルなのである。ぼくは驚かないけれども(予感のようなものがあるから)、何ともいえない、恥ずかしさに少し似た、不味いおもいを味わい、実際に唾液がとてもヘンな味になり出して、ヒキガエルをまた闇のなかへ放り返す。
 いま、ヒキガエルが灰色と白の斑模様といったけれど、それは全体のうちの三割くらいで、それが一ばん多いものだから、そういったのだけれど、掴み出すヒキガエルたちの色は、ほんとうはもっと多様で、実に様々な配色のものが現れる。でも、大抵はその灰色と白に代表されるような、地味な二色のとり合わせ、焦茶色と黄土色、薄い赤茶と葉っぱの色、樹皮の色とその内側の木の肉の色、そういった灰色と白とあまりかわり映えのしない色だから、そういってしまったのだ。
 そうだ、色のとり合わせなんてものは、大した問題ではないのだ。重要なのは、ヒキガエルの眼だ。あの、つやつやと光って、頭から出っ張って附いた、前ではなく、左右を向いた、あらゆることを撮りこめることのできるかのような、無感情で機械的ですらある、大きな眼。それが、腹を掴んで、片足のときもあるが、自身を捕らえているぼくを、そのままに見ている。呼吸をして、腹を膨らませたり縮めたりして、つまり、まだ生きていながら、そういう風にぼくを見ている。これはたぶん、実に重要な点だ。憶えておこう。
 そうして掴み出されたヒキガエルは、なぜかいつも、ぼくの手から、暴れて逃れようとはしない。黙ってつままれている。そうして、柔らかい腹で、呼吸している。そうしていることが、ぼくの唾液を不味くする。実際、たまらない味になる。そして一度、唾液の味を気にしてしまうと、あとからあとから染み出して、口のなかが一杯になってしまうのだ。ぼくは、口を開けたり閉じたり、それから、舌を動かしたり、空気にあてたりして、その味から逃れようとする。ドライヤーを突っこんで、口の中をカラカラに乾上がらせてしまいたくなる。ほんとうにそうしたら、どんなにか気持ちよいことだろう、と思う。そうして、しばらくヒキガエルを見ている。
 えも・・はドライヤーを上手に使った。シャワーのあと、鏡台の前に座ったえも・・は、自分の顔を真正面から見つめて、ひどく長くて黒い髪を、機織が絹糸を手繰るように流暢に梳かしながら、そこに熱風をあててゆく。ぼくは彼女の背後から、自分でもそれに気づかないくらいに惚れ惚れと、その様子を眺める。えも・・は、そのぼくに気づいている。そうして、よりいっそう滑らかに髪を広げて、ドライヤーを使う。
 ぼくはそれを思い出したりするわけだ。えも・・が映りこんでいる姿見には、一緒に、背後にかけられた画の左、鏡に映りこんだ方でいっての、左側も映っている。安手のゴッホの模写で、糸杉のある風景の画である。糸杉なんてものは、この画を見て、はじめて知ったような気がする。その黒々として空を突くような木が、その画の隣りに自身の左右対称の姿を置いて座っているえも・・に似ているので、買った。そのことをえも・・に話すと、彼女は華奢な体を揺らして喜んだ。ぼくは右手で、画の中の糸杉を地面から空の方へ向けてなぞり、左手で、えも・・の腰を抱いた。えも・・は、ぼくの丸めた腕のあいだで、ゆるりと揺れていた。そうして、束ねていた髪をほどいて、糸杉に生ろうとした。ぼくは乾いた油絵の具をなぞる腕がぞくぞくして、昂奮した。糸杉は空へ向けて葉を解き放ち、えも・・は頭から長い髪を垂らす。重力はどこかで反転する。ぼくはそれを知っているし、だからえも・・は糸杉になり、その逆にもなる。
 ぼくはぼくの体について、えも・・に話したこともある。そのときのえも・・はたしか、ムスリムの女が被るようなヴェールで、尤も色は鮮やかな紅梅色が基調の花柄(何の花かは思い出せない)のものだったけれども、それで髪を包んでいた。脣が乾いていて、ほとんどひび割れそうなほどで、それでときどき、脣を舐めては指で撫でていた。ぼくは木の椅子に、まさか糸杉でできたものではないと思うけれど、椅子に座り、彼女は「私はそんなことはないわ」と言って聞いた。時間は真直ぐにすすむ。なぜなら、それが真直ぐというものだからだ。えも・・はぼく体のことを知り、ぼくを好きになった。たぶん、そのはずだ。なぜなら、そのあと、ぼくとえも・・は愛しあったから。
 でも、正直いって、体のことを考えると苦しくなるばかりで、あまり楽しめない。えも・・の髪は美しいし、その上にキャップやヴェールを被せた姿も魅力的に見える。細くて、肉が足りないえも・・の体。肌を撫でると、まっ平らで、きっと丸い鉛筆は転がり続けてしまう。そのまん中にあるお臍を舐めると、えも・・はくすぐったそうな顔をして、とても嬉しそうにする。でも、ぼくの体ときたら。まるで小説本みたいなのだ。
(2004.10.17)-1
今日はもう、ちょっと遅くなってしまったので、純粋な日記とコメントだけ。
(2004.10.17)-2
台風で泥だらけになってしまった自転車を拭き掃除。ゆるゆるになってしまっていた、キーチェーンホルダーもしめ直す。去年の四月に買ってからはじめて掃除をしてあげる。乾拭きでは手に負えない油汚れは、そのまま放置。車輪やタイヤゴムも汚いまま。それでも、少し見れるようになる。
(2004.10.17)-3
久々に切れていた酒を買い足して、安心。相変わらずの七面鳥、三本。これでひと月半程度。
(2004.10.17)-4
青山ブックセンターに行ってみる。糸井重里と重松清が対談している。三段落分くらい聞いて、そのまま、海外文学の棚へ。店内の棚の列のうちで、一ばん人が少ない。後ろには柱があったので、そこに寄りかかって、二本の小説のはじめの十頁ほどを読む。表題と著者を覚えてくるのを忘れる。少しもったいない。で、それは買わずに、フォークナーの「サートリス」が目に入ったので、それを買う。今年になって新装復刊したらしく、三冊ほど平積みされていた。これで、フォークナーの主要作品は全部なのかな。あとは、短篇がぜんぶ読みたいな。
(2004.10.17)-5
メモ。青山ブックセンターで買った本。
(2004.10.17)-6
最後のパージュというのは、フランスの作家で、表題のものはそのデビュー作だ。なぜ買ったのかといえば、これは単純で、主人公が25歳だったから。二時間程度で読めてしまう。今まで、これを読んでいたので、今日はカラなのだ。コメントは、フレッシュ。前半のコンセプトはよい。問題は、後半から、物語に引っぱられ出してしまい、それまでのコンセプトを半ば放棄してしまったこと。個人的な意見としては、むしろ物語を放棄した方がよかったように思う。そうしたら出版されなかっただろうけれども、でも、そっちのほうがよかった。登場人物をもっと減らして、二人か三人にし、知性は人間を不幸にするもので、それを放棄しようとする試みというのは、極めてまっとうで誠実な行為だという点を掘り下げてゆけば、もっと全然別のものになっただろう。幾つかの箇所で(それは、きちんと探せば指摘できる)、物語を「廻す」方をとってしまい、その小説によって書かれるはずだったものを投げ出してしまっているのは、実に残念だ。
(2004.10.17)-7
フォークナーは小説を書いていながら、それ自体の運動というものを考慮に入れない。というのはたぶん言い過ぎで、もちろんそれは考慮しているのだろうが、それによって得られる結果というものが、他の作家とはまったく異なっている。彼は、起承転結という、あの黄金律をほとんど無視し、そうして、そのまま無視し続けている。登場人物たちが小説のためにいるのではなく、登場人物たちのために小説はある。物語についても、また。その理由はたぶん、実に単純なもので、書かれるに値するものはそれだけでは決してなく、ほかのあらゆる、広範なあり方を有していることを知っており、また、非常に書き付けにくいそれらを、実際に書き付ける能力があったからだろう。
(2004.10.17)-8
武田百合子氏は今日は読んでいません。もったいないので、けちけち読んでいます。でも、ホロヴィッツのシューマンは聴いています。あいかわらず、謎です。ピアノが喋るものだとしたら、たぶん、これは喋っているのでしょうね。ぼくには何が言いたいのか、さっぱりわからないけれども。でもそれはきっと、ぼくがそれの言語と感覚との両方を解しないからなんでしょう。
(2004.10.17)-9
でも、ぼくは、ぼくの意識のすべてを、ただ日本語だけで書こうとしているんですよ。否、書き表されるものだけを自分の意思と呼ぼうとしているんですよ。ですから、こいつはぼくと対立しますね。できれば、ぶん殴って、倒れたところを踏んづけて、ぐにぐにやって、無かったことにしたい。音楽が喋るなんて、なんて素晴らしい可能性でしょう。人類が「地球の外」というのを見つけたときみたいだ。世界の果ての実在性が霧消して、無限遠という、形而上的な概念が具現して、目の前に屹立した。ピアノが喋るんなら、他のあらゆるものたちも喋りだすことでしょう。そして、それが喋らないと思っているのは、そう思っていられるのは、単に、自身がそれの話す言葉を聞き分ける能力がないためなのだということを、認めざるを得ない。喜びとか、悲しみとか、そういった、リズムや雰囲気だけでも表せるようなものばかりではなく、もっと多くのことを(言語よりも多いか少ないかはわかりませんが)、様々なものたちが、実は喋っているのでしょう。
(2004.10.17)-10
ボルヘスが提示した可能性。すなわち、次に置かれる一文字は、ほかのあらゆる文字たち(世界には、いったい何十万の文字があるのか、ぼくにはさっぱりなのだけれども)そのうちの、ほかのどれでもなく、まさにその一字であるのだということ。小説というのは、つまるところ、それを意識の隅において書かれる文章のことをいうのではないかと、少し思う。それを意識したときに、はじめて小説ははじまり得るのではないか、というようなことを。
(2004.10.17)-10
なんだろーなー。ヒキガエルが駄目なんだかなー。それとも、えも・・って名前がまずいんかなー。
(2004.10.18)-1
韓国からのメールに please が三つ並べてあったので、先にそちらを片付けることにする。
(2004.10.19)-1
くそー、やっぱりしがらんできてるぜ。今年中に辞めるってことは、あとひと月半で全部を片付けるってことで、、、そりゃあ、無理だよ。
(2004.10.20)-1
フォークナー「死の床に横たわりて」読了。解説によると、六週間で書きあげてしまった作品らしい。約三百頁ある。ということは、前日までの実績について逡巡することが無かったばかりか、誤字脱字を除去する程度しかしていないに違いない。一文いちぶんは、たしかに、一発書きのような、粗い感じがする。といっても、書き手が書き手だけに、そこには抗いがたい必然性が感じられるし、彼の文章としては、むしろ新鮮味が感じられ、好ましい印象を受ける。さらに、下種なぼくは、少しだけ安心する。それから、文体を一人称に固定して、一人称を受け持つ人物をとっかえひっかえするという手法は、六週間という異様な執筆速度を実現するためには、おそらく必要な形態であったことだろう。遅滞無く書きつけるには、書かれるべきことが、最も素直な形式で書かれ続けることが必要であり、そのためには、最も原始的な視点である一人称を採用し続けられるように仕向けるのが最もよい。口調は一度決定してしまえば、比較的容易に置換しうるが、人称はそうはいかない。うまく語るには、一人称ではなく、第三者の視点や、物語の外側からの視点でなければ難しい、ということはかなり頻繁に起る。それを感じながら、人称を固定して書き続けるというのは、それなりの労力が要求される。小説の初歩的な難しさの一である。現に、ぼくなどは未だに一人称でしか書き付けることができないし、それによって、かなりの不便を感じている、初心者のひとりなのである。「死の床に横たわりて」は、その問題を、十五人もの人物の視点を用いるという、実に大胆な手法で克服しているのである。視点の移動は、おそらく直観に基づいて、極めて自然に、一瞬のうちに行われたことだろう。なぜなら、驚異的な速度で書き続けるには、そこにおける迷いは致命的だからだ。一度迷いだしたら、きりがない。それは、ゆっくりと発散してゆき、結果として、猛烈な自作への疑惑をもたらす。
(2004.10.20)-2
フォークナーと阿部和重を結びつける松村正剛のコメントは、おそらくは、この視点の移動から来るのだと思われるが、残念なことに的外れである。フォークナーのそれと、阿部和重のそれとは、根本的に全く異なる。フォークナーのそれは、単一のシーンへの取りくみ方を替えるものであり、阿部和重のそれは、よく言われるように、映画的なもので、複数のシーンを、編集によって一本にコラージュするというものである。フォークナーの物語は常に、一本の強い流れが、時間軸に沿って澱みなく進行するというものであり、対して、阿部和重のものは、カメラ的第三者の視線であり続ける、ということにおいて統一されているのであり、このことは時間軸にかなりの自由度をもたらす。
(2004.10.20)-3
フォークナーと並び称されるガルシア・マルケスにも、たしかにこのあり方は見られる。そこにあるのは、時間とは不可逆なのであり、小説は読者のためにあるのではなく、そこに書き表される事柄や人物たちのためにあるのだという、深い確信である。
(2004.10.20)-4
檻の鉄格子が見える、ということが実際にはどれだけ安心なことか、思ってみる。ぼくらの生活というものは、現実には、もっと抽象的ではあるけれども、その拘束力においていささかも遜色のない、しがらみというやつが、鉄格子の代わりにぼくらの行動を縛り、規定しているではないか。
(2004.10.22)-1
それが書けたら、死んでもいい。みんな、そう言って
(2004.10.22)-2
「〜しかし、私の胸の奥の白絹に、何やらこまかい文字が一ぱいに書かれている。その文字は、何であるか、私にもはっきり読めない。たとえば、十匹の蟻が、墨汁の海から這い上がって、そうして白絹の上をかさかさと小さい音をたてて歩き廻り、何やらこまかく、ほそく、墨の足跡をえがき印し散らしたみたいな、そんな工合の、幽かな、くすぐったい文字。その文字が、全部判読できたならば、私の立場の「義」の意味も、明白に皆に説明できるような気がするのだけれど、それがなかなか、ややこしく、むずかしいのである。
 こんな譬喩を用いて、私はごまかそうとしているのでは決してない。その文字を具体的に説明して聞かせるのは、むずかしいのみならず、危険なのだ。まかり間違うと、鼻持ちならぬキザな虚栄の詠歎に似るおそれもあり、または、呆れるばかりに図々しい面の皮千枚張りの詭弁、または、淫祠(いんし)邪教のお筆先、または、ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない。
 それらの不潔な虱(しらみ)と、私の胸の奥の白絹に書かれてある蟻の足跡のような文字とは、本質に於いて全く異るものであるという事には、私も確信を持っているつもりであるが、しかし、その説明は出来ない。また、げんざい、しようとも思わぬ。キザな言い方であるが、花ひらく時節が来なければ、それは、はっきり解明できないもののように思われる。」
(2004.10.22)-3
ぼくだって
(2004.10.23)-1
安部公房、読みはじめる。文庫で出ているのは全部買ってしまったつもりでいたけれど、はじめの、芥川賞「壁」がない。仕方がないので、「他人の顔」からはじめてみる。いまは、ちょうど半分を過ぎたところ。なんとなく、懐かしい感じがする。今はもう過ぎ去ってしまった、けれども、視野のうちには今でも時折捉えることのできる時代、60年代、70年代といようなイメージ。小島信夫や島尾敏雄よりひとつ前の、武田泰淳とか大岡昇平、坂口安吾、壇一雄あたりを読んだときに受けた印象で、漠然と感じていたものが、安部公房にはとても強く出ている。日本の小説が一ばん壮健で、生き生きとしていた、あの、一単語で表すことのできる目的や意思や感情や人格が有効だった時代の。「愛」や「人生」という言葉に実質があったあの時代の。小島信夫や島尾敏雄が、なぜ第三の新人と呼ばれたか、納得できるような気がする。きっと、松本清張もこんな感じがするんだろうな。
(2004.10.23)-2
だから、たぶん、そろそろ年表が引けるようになっているはずだ。そうすると、ぼくらが次にすること、というより、できうることが明らかになって来る。その先へよく目をこらすんだ。今の小説は、どんどんぼく向きになっていっているはずだ。シェアすることのできない、ただ、一対一で話すためだけにある、最も遅く、真剣なコミュニケーションのためのツールに。
(2004.10.23)-3
それから、クラシックからのゆり戻し、よくある反動的な感覚で、リッキー・リー・ジョーンズを開封してみる。とてもよい。やっぱり、人間の声はわかりやすい。感情、情緒。たぶん、そういうことなんだろう。どうやら、ぼくは音楽には非常に世俗的な効用を期待していたものらしい。いや、それは音楽とすら言えない。ただ、ひとの声であること。それ以外の何ものでもなく、ただ、ひとの声が聴こえてくること。
(2004.10.23)-4
で、クラシックは、少なくともそれよりは、より本来的な音楽というものの存在を教えてくれたわけだ。ひとの声でなくとも、ぼくを捉える何かが存するものだということに対しての自覚をもたらしたといえばいいのかしら。音楽はそれ自体が、何か別のことをするものであって、ただぼくを慰安するためにあるんじゃあないってことだ。そいつが何処へ行って、何をしようとしているのかは、その動きをよく見て、追いかけてゆかなければわからないという、極くありきたりの道理がそこにもある、そういうことだ。
(2004.10.23)-5
そういうことに対する糸口が開けたのは、これで三つ目だ。小説とプログラミングと、それから音楽と。もうすぐプログラミングとは縁切りなので、非常にうまくすれば、いずれ音楽への時間も取れるようになるかもしれない。
(2004.10.23)-6
など、呑気におもう。
(2004.10.23)-7
最近の関心のある話題は、西武がせこい真似をしていたので、どうやって脂を絞って、吊るし上げてやろうかということと、今日の地震で新幹線がこけたこと。後者はじつに、みっともない。プライドずたずただ。
(2004.10.23)-8
 記憶について、それから、感覚について。
 何か、言おうとする。自身の経験から来るものでないことを、何か、言おうとする。では、それは何処から来るのか、また、何についての話なのか、どのような容を採るのか。それから、何のために、そんなことをするのか。何故、言うのか。言われなければならないのか。
 そういったことを、ぼんやりと、けれどもかなり頻繁に、ときには一にちに幾度も、思うことをくり返して、日々をやり過ごしている。
 自身の経験から来るものではければ、それは、人から聞いたものだか、本で知ったことだか、テレビで観たことだか、おおかた、そんなところになるだろう。でも、ぼくが言おうとすることは、そのいずれでもない。そうではなく、もっと完全なこと、ぼく自身すらも知らないことを、多少抽象的な比喩を使えば、「本当のこと」を、何か、言おうというのである。
 もちろん、そんなものが、ぼんやり思っているだけでは、言えるはずもないものであることくらいは、どんなに愚かなぼくであっても、流石に、知っている。哲学者という括りが、なぜ存在するか。いや、何も哲学ばかりではなく、あらゆる学問と呼ばれる形態が、存在しなければならない所以を、ぼんやりとでも、思ってみれば、すぐに諒解できる。そこに関わり、属する人間たちの数。彼らが費やしている時間と肉体と頭脳と、それによって積みあがったドキュメントは成層圏を軽く越えて、月を通りこし、太陽にも届く。そのことを思ってみれば。だから、実際に、ぼくがそういった、何か、を言いえるかどうかは、目下のところは、あまり取り扱わずに、現在のぼくとしては、ただ、それをするための下準備として、その、ぼんやりと思っている時間のうちにあってすら、必要と考えられたいくつかの事柄を、ひとつひとつ、また、非常にゆっくりとではあるけれども、片付けてゆくことをしようというのである。そのための手はじめとして、自身のすることを書いたというに過ぎない。
 で、記憶について、それから、感覚について。
 これを取り扱う理由はごく簡単である。自身の経験から来るものでないことを言うためには、まず、自身の経験を知らなければならない。ちょっと、笑ってしまうけれども、ぼくは、自身の経験というものを、まったく、知らない。
 もちろん、折に触れて、そのときの思考に基づいて、何か関連した記憶が、断片的に引き出されてくることはある。いや、それだって、ぼくは、他人よりも過少であるようなので、まあ、そのためでもあるのだが、そういうことではなく、十分な質と量を有した情報としての、自身の経験についての知識、あるいは知覚が欠けているのである。それが無ければ、たとえ、どんな天才だって、自分の言ったことが、自身の経験から来るものでないことを、確かめようもないはずだ。
 ことが自身の内部に関わることなので、それを他人任せにすることはできない。自分でやって、自分で確かめなければ、その仕事は達成されようもない。たとえ、十人中十人が、あるいはもっとずっと多い人数の他人が、「それは実に新しい。まだ誰も言っていないことだ。」と言ってくれたとしても、自分でそう確認することができなかったとしたら、それは、自身の経験からくるものでないことではない。別に、何も不思議なことではない。世にある楽しみというのは、大方そんなものだ。

(2004.10.23)-9
保坂和志がよいことを言っている。ほかのところも、面白いんだけど、悲しいことには、ぼくに近いところにないから、ここだけ。無断引用失礼。
(2004.10.23)-10
「現実に材をとれば、現実をありのままに書けば、私小説になるわけではない。それは単純すぎる定義というもので、私小説の書き手には「この私を見てくれ」という願望が休みなく働いていて、その願望がその人の書くものを私小説たらしめていて、その願望が成就されるかぎり、どんなに悲惨な境遇に突き落とされているとしても救いがそこにある。
「この私を見てくれ」と訴える私が見てほしいと思っている相手はたぶん読者ではない。私が見てほしいと思っている相手は、私を私たらしめている、私の心の中に住んでいて私に私の自己像を保証してくれている仮想的な視線のことだ。フロイトの用語に「超自我」というのがあるが、自我を裁く働きがあるらしいのでそれは違う(「超自我」は私自身がよくわかっていないのだが)。
それよりも When I find myself in times of trouble mother Mary comes to me speaking words of wisdom, let it be.という母の方に近く、「いいよ、いいんだよ。おまえのことは私が見ているから」という声さえ聞こえてくれば私小説の書き手は救われる。」

(2004.10.23)-11
さっき、コミュニケーションツールだって言ったばかりなのだけれど。
(2004.10.23)-12
でも、たとえば、こういうことはあるだろう。ふたりがあるひとつの画を、絵画とか、映画とか、テレビのニュースとか、ドラマとか、なんでもいいのだけれども、それを見ながら、何か話をすることがあるだろう。この場合のコミュニケーションというのは、そういうことを思ってほしい。小説家は、小説を書き、それによって読者ひとりだけと話をする。実りある会話とは、たいてい、取り扱う素材なり資料なりを、目の前に置いた状態で行われるものだ。また、なぜ、実際に顔をつき合わせて、それをしないのかといえば、それは、一対多であるためではなく、純粋に、取り上げる事柄をきちんと伝達することは、顔をつき合わせてするには、あまりに時間がかかるためだ。
(2004.10.23)-13
半分より上から、上四分の一までが見えている、エンジ色のぶくぶくに肥った朝陽が、いま見えている。
(2004.10.24)-1
安部公房「他人の顔」読了。昨日の時点での感想は、撤回しようとは思わないけれども、少々能天気に過ぎる。これはすごい。ここまで頑張るとは思わなかった。けれども、できればこの賛辞だけで終りにしたい。単なる感嘆符の外へ出て、これ以上の感想を書こうとすることには、かなりの躊躇がある。衝動的で浅慮なもの言いは、小説内で飽かず主人公がくり返す、自己批判に一瞬にして組み伏せられ、手痛く赤恥をかかされるのが落ちだ。多少とも手の込んだ、穿った見方であっても、そのほとんど完璧な構成、プロットが、充分な量の反駁をもたらすだろう。言うべきことは言われつくされたあとから、この小説は書かれ始めている。完全に意識的、かつ意志的な饒舌。回答には、自身のもっとも誇れる技術を十全に駆使したものが要る。大江健三郎の解説はとてもよい。せめて、このくらいの気合が要る。
(2004.10.25)-1
 記憶について、それから、感覚について。
 あらゆる他のあり方ではなくて、まさにこの人物として、自身があるということ。大抵の人びとは、そのことに疑問を感じない。こんなはずではなかったとか、もっと違ったように生きれたらいいのにとか、そういった悔恨や羨望を感じることはあっても、その出発点である、現実の自分というものに疑問をていしてみようとはしない。なぜなら、それは、もう既に、厳然として、まさにここにあるのだから、それに疑問を感じる必要はない。というより、その道理が見当たらない。
 けれども、実際のところは、その自明であるということの根拠は、ほとんどどこにも見当たらないのである。生れてから今まで、積み重ねてきた時間などというものを、しっかりと持ち合わせている者を想像するのはかなり難しい。それはなにも、朝、目覚めるたびに生まれ変わるとか、あるいは、認識論のような哲学めいた話なのではない。もっと実際的なことで、つまり、自身が生きてきた年齢、かける三百六十五日という日数が、実質的な質量を伴って、自身の裡に感覚できるかという問題なのである。人が、あのときの自分があったから、今の自分があるのだ、というようなことを考えるとき、果たしてその考えが、信ずるにたるものなのか、というようなことである。
 現に、いま保有し、感じている、この意識というものが、現実に他の何ものでもなく、自分自身としてあることを確かめようとするとき、その確認に質量を与えるのは、おそらく、そのような、現在の自分との明確なつながりという綱によって結び付けられた過去たちの集合でしかないのではないか。そして、要するに、願望でも本能でも惰性でも妥協でも受動でもない、自身の意思というものは、そんなものが本当にあるのだとすれば、それによってのみ、実質が保証されるものなのではないか。
 ぼくは、それがしたいと望み、そして、実際にそれをした。というとき、それをしたいと望んだのは、ぼく自身なのか、それとも、そう仕向けられただけなのか。それは確認される必要がある。
(2004.10.25)-2
小説は、やっぱり、ひとりで書くものだから。ひとりで、小説に書かせてもらうものだから。
(2004.10.26)-1
 まっすぐな道でさみしい
(2004.10.26)-2
山頭火の生活。淡々と唯そこにある孤独。
(2004.10.26)-3
 急にひとりがわかってひとり
 ひとりで居て声をだす必要の無い
 さみしいと言おうとしてひとり
 ひとり他の暮らしを想おうとして
 ひとりと書きつけてひとり
 ひとりが唄っているのを聴いていて
 あなたと呼んでいる声を聴いてひとり

(2004.10.27)-1
感謝という言葉。ぼくは感謝する相手を持たない。
(2004.10.30)-1
 記憶について。それから、感覚について。
 ふと、根本的な問いかけを思い出す。なぜ、人生を意識化しようとするのか。また、なぜ、そこに目的を見出したり、果ては、そのもの自体を目的化しようとするのか。ずいぶんと根源的で大そうな話で恐縮だが、おそらく底は浅いだろうと思われるので、そんなに厭悪しなくても良い。
 数日まえに、久方ぶりに山頭火の日記を開いて、なんだか、ぜんぜん違ったものを見せられたような、いや、より厳密には、ぼくはそれを十度ほどもくり返し読んでいるのだから、思い出すということなのだが、そのときは「思い出す」というよりも、「なんだこれは」という驚きの感覚が強かったから、こう言っているのだが、まあ、そのような、軽い衝撃といったものを受けて、今こうして、ふりだしに戻ってくるような仕儀に立ち至っているのである。
 山頭火の日記は素朴である。そこには、一にちの自身の行動と見聞きした事柄が、一行程度ずつ程度の長さでいくつか書き連ねられている。いつ起き、朝は何を食べ、昼にはどこへ行き、そこで何をし、何をいくらで買い、晩飯には何を食べ、それから酒を飲んだか、飲まなかったか、また、旅行中であれば、一にちの宿賃、宿の評価、等々。その各事項に、簡単で直接的な、一語程度の感想や、反省、叱咤、意見などが付加される。そのあとに、その日の作句が数句添えられていることもある。そのようなかたちで、十年余りにわたって、断続的に書かれた日記が、二百頁余の文庫本、八冊ほども続く。ただ、それだけである。けれども、久しぶりにそれを目にしたぼくは、「なんだこれは」と驚いて、そして、なんでこんなことをしているのだろうと思うことになる。
 人生は意識的なものだろうか。生活は目的化してするようなことだろうか。そう言ってみると、やはり、非常にヘンな感じを受ける。けれども、これを反対の実際的な方から見てみると、すなわち、(今は土曜の深夜、あるいはもう、日曜の早朝だが)月曜日になれば、また大して面白くもない、あるいは、もう既に倦んでしまっていたり、ほとんど苦役でしかない、労働や登校、家事、その他の日常的な義務としてある行為へ取り掛かり、また五日間か六日間を過ごすのかという疑問に答えたり、そうではなく、もっと充足した日々であった場合には、では、その充足とは一体何なのかという問いに答えたりしようとする際には、どうしても、人生とか生活とかを、意識的や目的といった言葉と結びつけざるを得なくなる。あるいは、そういう問いに答えようとしたり、そもそもそういった問いを提出すること自体が、ヘンな感じの原因かもしれない。つまり、そういったことを考えようとするのは、まったく無意味なことであると、そういうことなのかもしれない。
 ここまで書いて、ドストエフスキーの「罪と罰」を思い出したので、抜粋した箇所を見ることをしてみる。
「人間がしらみか?なんて疑問をもつのは----つまり、ぼくにとっては・・・・・・・人間はしらみではないということで、そんなことは頭に浮ばず、つべこべ言わずに一直線に進む者にとってのみ、人間がしらみなのだということくらい、ぼくが知らなかったと思うのかい?ナポレオンならやっただろうか?なんてあんなに何日も頭を痛めたということは、つまり、ぼくがナポレオンじゃないということを、はっきりと感じていたからなんだよ・・・・・・」
 これを持ち出したのは、別に、だから、人生は意識的なものではないといいたいのではなく、また、その反対に、だから、生活には目的がなければならないということでもない。ただ、それを思わないものというのは、ラスコーリニコフのいう、「つべこべ言わずに一直線に進む者」であり「ナポレオン」なのではないか、というようなことを思うのであり、それから、彼が「人間がしらみか?」と問うようにして、ぼくは「ぼくは人間か?」と思うというようなことである。
 それから、彼よりももっと幼く、不完全で、そのためか、より猟奇的な形でそれをした、酒鬼薔薇という実在の人物の声明文も思い出す。
「この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名前を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
 人の名を読み違えるなどこの上もなく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生れた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう
 やろうと思えば誰にも気づかずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
 そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えてゆけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
 その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
 しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかはわからない。持って生れた自然の性(サガ)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
 最後に一言
 この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね。ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念とを持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
 ----ボクには、一人の人間を二度殺す能力が備わっている----
 P・S 頭部の口に銜<くわ>えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲<にじ>んで読み取りにくかったようなのでそれと同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。」
 これはただのメモである。結論は、いまは特に無い。ただ、彼はまだ、今日も生きていて、何かをしている。そのことをどう取り扱ったらよいのか、ということも少し思う。その程度のことである。そう、たぶん、ぼくはそのことを取り扱う。
(2004.10.30)-2
次、フォークナー「サートリス」を読もうか、それとも井伏鱒二「黒い雨」にしようか、、迷っている。で、その迷っているあいだ、堀江敏幸「郊外へ」をぼつぼつと読んでいる。とても、うまい。堀江敏幸は、どうやら、硬派系の文学賞を総なめにしそうな勢いであるようだが、それも肯ける、非常にスマートでスタイリッシュな文章を書く人である。悪く言えば、安心して読め過ぎる、そつがなさ過ぎる、ということになるだろう。でも、誠実に文章を書いているという印象は常にあるので、不快な気はしない。もう少しがんばって、スチュアート・ダイベックくらいのものを書くようになると(その素地は十分にある)、素晴らしいと思うのだが。これは、もしかしたら、今はもうそうなっているかも知れない。
(2004.10.31)-1
井伏鱒二「黒い雨」を読むことにする。今日は、ちょうど半分くらい、二百頁まで。思っていたのとは大分違って、とても落着いた小説で、井伏鱒二の小説というのが、率直な感想である。ところどころに、太宰が「天才」と呻った、激烈にうまい描写が見られるが、それはほとんど目立たないように挿入されている。
(2004.10.31)-2
「黒い雨」は、小説の仕組みがとても優れていて、原爆を非日常のこととして、生活から分離させて取り扱わない。どうやら、そこがこの「黒い雨」のエクセレントなところのようだが、ぼくもまったくそれに同意する。原爆投下で、街一個が消えてなくなってしまっても、ぼくたち全部が死滅してしまうわけではなく、残った者たちは、それを抱えたまま、また日常に復帰してゆかなければならない。完全に外的要因のそれが起きてしまったあとで、何が一ばん大切なことか、何が一ばん書かれるに値するのかといえば、おそらく、そういったことなのである。それが起きてしまったという事実と、その後にいま自分がいるのだということ。小説は、主人公の被爆者、閑間重松が後日、当日の日記を、資料館へ提出するために清書することで進んでゆく。その作業を励ますのは、被爆しているという噂をたてられ、縁談が幾度も破棄されている姪の、実際には当日、ちょうど郊外へ出ていたために、結婚の障害になるほどの重度の被爆はしておらず、ただ黒い雨を少し浴びただけなのだということを、この日記によって証明しなければならないという、生活上の要請である。
(2004.10.31)-3
それは、ぼくが小説に求めているものとか、小説の私物化ということとは、ほとんど百八十度違うのだけれど、でも、それでいいのだと思う。小説が、それを書かない人たちのためにあることができるとしたら、たぶん、そういうことなのだ。すべて書くというのは、そういうことだ。
(2004.10.31)-4
書かれることによって、記憶は脳から分離し、紙面に固着する。そして、その瞬間からさき、その記憶は、当人が保持し続けなければ、永遠に失われてしまうという事実から解放される。それが、どんなに微細で、しかも重要な営みであるかを意識して書くことをするものは、あまりいない。書くということは、自分の外へと、それを移すことなのだ。そのことに気づく者の多くは、実際に書きつけてみて、何か整理がついたというような心地になり、やってよかったと思うというかたちをとる。たいていはそこで満足するが、極く少数の者たちは、それをもっと、限界まで推し進めようとする。自身のすべてを、紙面に移してしまおうというのである。そうすれば、記憶ばかりではなく、自身そのものを、自身で保持し続けなければならないという義務から解放される。自己という枠組みは、そこに至ってほとんど価値と意味を失い、人間として考えられるかぎりの自由と孤独とが代わってもたらされる。その先については、当人が最もよく知っている。


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