tell a graphic lie
I remember h2o.



(2004.10.2)-1
どうやら秋になった。まだ、それくらいはわかる。
(2004.10.2)-2
ボルヘス「創造者」読了。随分長いことかかった。
(2004.10.2)-3
 今週が微妙に忙しかったというのは、少し正確ではないのです。忙しいというのは、島尾敏雄ではありませんが、どこか受動的な、強いられたものといった印象を含んでいますが、今の仕事は、どちらかといえば、能動的、こちらから積極的にやっていることなのです。また、それは今の会社での最後の仕事であり、おそらくはプログラマとしての最後の仕事になると思われるものでもあります。
 では、何を作っているかといえば、念願のGUI、グラフィカル・ユーザ・インターフェース(Graphical User Interfece 要するに、普段使っている、ブラウザとかファイルマネジャとかワープロソフトとかメーラーとかFTPクライアントとか、右上(Macは左上だったかしら)に×ボタン(Macは赤信号ボタンだったかしら)がついたウィンドウの中身)を作っているのです。
 GUIというのは、基本的に何かを管理するためにあるものですが(たとえば、ブラウザは、htmlその他のマークアップ言語でかかれたソーステキストを解釈するものだし、ファイルマネジャはその名のまま、ワープロソフトは文書、メーラーはメールサーバとの通信とメッセージの管理、FTPクライアントはFTPサーバとの通信を管理します)、今ぼくの作っているのは、そういった汎用的なものではなくて、ぼくらの作っている製品の管理GUIです。
 概観や機能としては、メーラーに似ています。メーラーはネットワークの向こうにあるメールサーバにアクセスして、そこからデータをこちらにコピーしてきたり、反対にあちらにデータをコピーしたりし、それから、こちら側に持ってきたデータを効率よく管理するための様々な仕組みや操作を提供しますが、ぼくの作っているもののアクセス先は、メールサーバではなくて、ぼくらの製品のタスクマネージデーモンです。まあ、プリンタスプールみたいなもんです。プリンタスプールは、印刷タスクの実行順序の管理をしますが、それと同じようにして、そのデーモンはぼくらの製品が実行するタスクを管理します。GUIは、そのコントロールインターフェースと、個々のタスクの情報を閲覧する手段を提供するわけです。メーラーと少し違うのは、サーバとのアクセスの周期です。メーラは、10分に一度とか、その程度ですが、ぼくの作っているのは、もう少しリアルタイムにタスクの状態を確認したいので、2秒おきくらいにデーモンにアクセスして、情報を更新します。
 レイアウトもメーラーに似ています。左側に4分の1から3分の1くらいのスペースに送受信トレイや整理用フォルダがあり(これの実装は面倒なので、まだありませんが)、残りの右側の上部は、選択されたフォルダ内のメッセージのリストがあり、下部には更にそのリスト中の選択されたメッセージの内容を表示するビューエリアがあります。上部にはメニューバーとツールバーがあり、その下には、ダイジェスト情報を表示する、ツールバーと同じくらいの太さのエリアがあります。まあ、ようするに普通のアプリケーションの構成をしているわけです。
 言語はCで、もう少し言えば、gnomeという、幾つかあるLinuxのデスクトップ環境のうちの一つが提供する、APIセットであるGtk+2.0を使用しています。gnomeはRedHat Linuxなどで標準として採用されているデスクトップ環境ですが、Linuxの精神に基づき、基本的にフリーで提供されているため(それでも、どこからかお金を得なければ開発はできないので、MicroSoftとSunとAppleでないそこら中のソフトベンダ、(主にIBM)から金をせしめて開発をしています)、最近はもう一つのメジャーどころで、ライセンス料金を徴収しているkdeに比べて、少し評判が悪いです。やはり、金を取っているところと比べて、開発のスピードや細やかな利便性で劣るところがあるのです。また、安定化までに相当苦労すると思われる機能(例えば、Windowsでは極めて標準的な機能であるところの、Wordなどで文書ごとに内部ウィンドウを割り当てることのできるパレットエリアなど)は明らかに実装忌避されています(それは主にメンタル面の問題です)。このAPIセット自体は、頑張るとwindowsでもコンパイルできるように作られているのですが(Unix X window system を、Windows のベースグラフィック API(名前知らない)に付け替える)、製品システム自体がLinuxベースのため、それは今のところあまり考慮していません(といっても、それにもクリップボードなどの動作では、かなり怪しげなところがあるようですけれども)。Mac は、最近(X から)Unixベースになったので(英断)、たぶん、普通にコンパイルできるはずです。
 ソースコード記述の指針としては、Gtk+と同じ、GNU Object Cで書かれています。これは、オブジェクト指向言語というわけではないCを、オブジェクト指向として記述するための方法論的指針で、C++、Javaなどのオブジェクト指向言語では、言語仕様として与えられているものを、ソースコードの記述法によって実現するものです。欠点は、オブジェクト指向の記述様式から逸脱することが極めて容易であることと、オブジェクト指向言語で標準的に用意されている機能、クラス、オブジェクト、インスタンス、メソッド、インターフェース、ガベージコレクタなどが標準としてあるのではなく、ライブラリとして与えられている(=仕様側で管理する必要がある)ことです。長所は(これは短所の言い換えなのですが)、それらの言語に比べて、よりチューニングの自由度が高いということで、Javaなどに比べて、きちんと作れば、数倍の速度が期待できます。
 まあ、要するに普通・・のアプリケーションを作っているのです。そして、それは少し感動的な事態なのです。草野球が、社会人野球になるようなものです。今までは、それでお金を取ることに少し後ろめたい気持ちがありましたが、今度のはまともにお金を取れる気がするのです。プロっぽいのです。IBMのイカしたプログラマたちが用意した様式を、自分もまた使用することができているのですから。
 今は、右上のタスクリストがようやく定周期更新するようになり、これからそれに対する操作をひとつずつ実装してゆく段階に入ったところで、一ばん楽しいところなのです。できあがってしまうと、あとは細かな不具合(あるタイミングだと、正確にリストが更新されないとか、ある特定の操作をすると、要求どおりに動かないとか)の除去に汲々とするばかりで、あんまり楽しくないのですが、今のところはただ素直に、自分の書いたコードがまともに動作しているらしいというところで喜ぶことができるわけです。
 まあ、そういうわけで、しばらくは一日十三時間くらいソースを書いていたいわけなのです。これが終われば、退職して、プログラムではなく小説を書くことをメインにできたらと思います。ぼくに小説とは何かということを教えてくれたのは、太宰やフォークナー、川端康成、島尾敏雄といった小説家たちで、文というものを教えてくれたのは、h2oや小川未明、山頭火といった小説以外の文筆家たちですが、文字を書くことというのはどういうことかというのを教えてくれたのは、プログラミングだったと思います。プログラムを書かされていなければ、一文字の価値が分らなかっただろうし(プログラムは、一文字間違えれば、そのとおりに間違って動きます)、小説を書き出したりもしなかったと思います。そういった意味でも、最後にひとつそれなりにまともなものを書いて終わるというのは、ひとつの願いでもあるのです。ぼくがそれを辞めてしまうのは、書くということにおいては、プログラムも小説などの文章も、基本的には変わりありませんが、プログラムには精神は載りませんから、それはぼくのしたいことに対して適切な方法ではないというだけのことです。ぼくは、誰かの役に立つものが書きたいのではなく、ぼく自身を全うするものが書きたいだけなのです。それはやがて、適切な形での自殺に至らしめてくれるはずのものなのです。
(2004.10.3)-1
コルタサル、ようやく一篇。スチュアート・ダイベックとならんで、妙に印象に残る作家だ。たぶん、ひどく丁寧に書いているからだろう。「悪魔の涎」にしたのは、昨日読み返してみて、基本的なところでいろいろと気づいていなかったことがわかったから。これは、とてもよくできている。
(悪魔の涎)
 どう話したものだろう。ぼくは・・・と一人称ではじめるべきか、きみは・・・彼らは・・・とすべきか、それとも何の役にも立たない形式をたえず生み出して行けばいいのだろうか。たとえば、ぼくは彼らは月が昇るのを見たとか、ぼくたちのぼくの目の奥が痛むとしてみたらどうだろう。いや、それよりも、きみブロンドの女は、ぼくのきみの彼のぼくたちのきみたちの彼らの目の前を通りすぎて行く雲だったとでもするほうがいい。畜生、まったく手に負えない。
 ここまで書いて、近くにビールを飲みに行く。その間にぼくのタイプライター(ぼくはタイプライターを使っている)がひとりでに書き続けてくれたら、完全なものができ上がるだろう。文字通り完全なものが。というのも、語り手というのがじつは丸い穴、つまりコンタックス1・1・2という、種類は違うがやはり一台の機械なのだ。カメラに関してなら、ぼくやきみや、彼女----ブロンドの女----や雲よりもタイプライターのほうがよく知っているにちがいない。ただ、ぼくが部屋を出て行けば、このレミントンはテーブルの上で石のように動かなくなることはいうまでもない(もともと動くしか能のないものが止まっていると、いっそう静止して見えるものだ)。ばかばかしい話だが、ともかく自分で書くより仕方がない。いずれ誰かが話すことになるのだから。ぼくたちの一人が書けばいい。いっそのこと、あまり深入りせずに、死んでいればよかった。今、ぼくに見えているのは、ものを考えたり、何かを書いたり(そこを今、灰色の縁どりをした別の雲が通りすぎて行く)、あるいは思い出にひたっている時も、たえずあの事が気にかかっている。ぼくは死んだ人間だ(だが、こうして生きている。人を惑わそうと思って言っているのではない。そのことはいずれ分ってもらえるだろう。とにかく話さなければならないので、最初からはじめることにしよう。何かを話すにはこれが一番いい方法だ)。
 それにしても、どうしてぼくが語らなければならないのだろう。いや、自問してはいけない。なぜ自分はこんなことをしているのか、どうして夕食の招待を受けたりしたのだろうか、などとやりはじめたらおしまいだ(今、鳩が一羽飛んで行く、ぼくには雀のように見えるが)。人から面白い話を聞かされると、とたんに胃のあたりがむず痒くなり、隣のオフィスへ行ってそれを吐き出さないことにはおさまらない。なぜそうなるのか考えても仕方がない。とにかく人に話せば、あのむず痒い感じがおさまり、安心して仕事に戻って行けるのだ。ぼくの知る限り、誰もこの点について説明していない。それなら、いっそのこと話してしまえばいい。息をしたり、靴をはくのと同じで、なにも恥ずかしがることはない。靴の中にクモがいるとか、息をするとガラスにひびの入ったような感じがするというように変わったことがあれば、誰かに話をすることだ。オフィスの同僚や医者に。先生、息をするとですね……。つねに話すこと、そうして胃のあたりのむず痒さを取り除いてやればいいのだ。
 いよいよ本題に入るわけだが、その前に少し話を整理しておこう。まず、この建物の階段を降りて、一ヶ月前の十一月七日の日曜日まで戻ることにする。六階から階段を降りると、そこは日曜日で、いかにも十一月のパリらしい太陽が輝いている。その辺をぶらぶらしながらあたりを眺めていると、写真を撮りたくなる(というのも、ぼくたちは写真家だった。ぼくは写真家なのだ)。言うまでもないが、この出来事をどう話すかがいちばん厄介な問題なのだ。くり返しを恐れず、話を進めよう。問題は、本当の語り手が誰なのかはっきりしないことだ。ぼくか、あの時起った事件か、それとも今ぼくが見ているもの(雲、それに時々一羽の鳩が姿を見せる)なのか、それが分らないのだ。ひょっとしたら、自分だけが真実だと決めこんでしゃべっているだけかも知れない。つまり、ぼくの胃にとっての真実というわけだ。そうだとしたら、何がなんでも駆け出して行ってそのむず痒さを取り除かなくては。
 あわてずゆっくり話そう。書いて行くうちに事件の性格もはっきりしてくるだろう。もし誰かほかの語り手が現われてくれば、もしぼくが何を話していいか分らなくなれば、もし雲が消えて、何か別のことがはじまれば(というのも、いつまでも、いつまでも雲が流れ、時々鳩が姿を見せるとは限らないのだから)、そうしたことがもし……。この《もし》のあとをどう締めくくればいいのだろう。いや、自問してはいけない。ともかく話すことだ。たぶん、話すというのは一つの回答なのだ。少なくともこれを読んでいる人にとっては。
 フランス系チリ人のロベルト・ミシェルは翻訳家だが、余暇をアマチュア・カメラマンとして過ごしている。彼は今年の十一月七日、日曜日に、ムシュー・ル・プランス街十一番地から出かけた(今、前のよりも小さい、銀の縁どりをした雲が二つ通りすぎて行く)。彼はこの三週間、サンチャゴ大学教授ホセ・ノルベルト・アリェンデの著した異議申立と上告に関する論文の仏訳にかかっていた。パリはあまり風の吹かない土地だが、その日は街角で小さな竜巻となって、古い木のよろい戸を叩いていた。その向こうでは、びっくりした奥さん連中が、近頃は天気が荒れますわね、といったことを話している。風はあったが、空には太陽が出ていて猫を喜ばせている。これなら、セーヌ河の桟橋をぶらついて、コンセルジュリーやサント・シャペルの写真を撮るのに支障はない。まだ十時前だが、十一時頃には秋として申し分のない光線が得られるだろう。暇つぶしにサン・ルイ島まで足をのばし、ダンジュー河岸かし通りのあたりをぶらつくことにする。ローザンの館を眺めながら、アポリネールの詩の一節を口ずさんだが、なぜかこの館の前を通るとあの詩が浮かんでくる(他の詩人を思い出してもいいはずなのに、ミシェルはひどく頑固だ)。急に風が止み、太陽が倍ほどの大きさになった(つまり、暖かくなったということだが、それはどちらでもいい)。日曜日の朝、ぼくは手すりに腰をかけ、なんとも言えずしあわせな気分にひたった。
 余暇を過ごすにはいろいろな方法があるが、写真を撮ってみるのもよい。これは訓練を通して確かな指先をつくり、教育を通して審美眼を養う必要があるだけに、できれば早い時期に子供たちに教えたいものである。中にはでたらめなニュースをでっちあげようと、ダウニング街十番地から出てくる要人の意味もない姿をカメラに収める記者もいるが、これは写真とは言えない。それはともかく、カメラを下げて歩けば、周囲に絶えず注意を払い、古い石の上につと照り返す美しい陽射しや、三つ編みにした髪をなびかせ、パンか牛乳びんを抱えて駆けもどって行く少女の姿を見逃してはならない。写真家というものは、カメラが巧妙に押しつけてくるもう一つの目を通して世界を見るべきである。ミシェルはそう考えている。(今、黒っぽい灰色の雲が一つ通りすぎて行く)。もちろん、自分の目を忘れているわけではない。ファインダーや光線、絞り、二百五十分の一のシャッター速度といったものを気にせず気楽にあたりの風景を眺めたければ、コンタックスを持たずに外出すればいいのだ。今(なんて言葉だろう、今なんてものはありはしない)、ぼくは河に面した手すりに腰をかけ、赤と黒のツートンカラーの遊覧船が通るのを眺めている。写真を撮る気になれない。ただあわただしく行き交う事物を眺めながら、腰をかけたままじっと時の流れに身を委ねている。風はもうおさまっていた。
 そのあと、ブルボン河岸通りを通って島の鼻まで行ってみた。そこにはぼくの好きな、あのなんとなく親しみのもてる広場がある(親しみがもてるのは、そこがこぢんまりとしているからで、河と空にむかって開かれ、人目につかないからではない)。鳩のほかにアベックが一組いた。今、ぼくが見ているものの中を飛んでいる鳩のなかには、あそこのもいるにちがいない。手すりに腰かけると、顔、耳、手(手袋はポケットの中だ)といったところを直接陽にあてて日光浴をした。写真を撮る気にはなれず、かといってすることもなかったので、ぼくはタバコに火をつけた。少年がいるのに気づいたのは、火をつけようとした時だろう。
 恋人同士だと思っていたが、よく見ると母子連れのような感じもする。いや、やはりアベックだ。手すりによりかかったり、広場のベンチで抱き合っているアベックと変わりなかった。退屈しのぎに、少年が子馬か野兎みたいにおどおどしているのはどうしたわけだろうかと考えてみた。少年はたえず体を動かしていた。両手をポケットに突っこんだかと思うとすぐに片方ずつ抜き出して、髪を撫でつけたりしている。何気ない動作にも不安そうな様子がうかがえるが、あれはどうしてだろう。身体の方は今にも逃げ出そうと反り身になっているが、逃げるのも照れ臭いのでなんとかこらえているのだ。おそらく、羞恥心が恐怖に打ち勝っていたにちがいない。
 島の鼻の、手すりのそばにいるのはぼくたちだけだったし、二人は五メートルほど離れたところにいたので、何もかも手に取るように見えた。最初は、怯えている少年に気を取られてブロンドの女をよく見なかった。こうして、初めてあの女を見た時のことを思い返してみると、女の顔がはっきりと見える(女が銅製の風見鶏のようにくるりとこちらをふり向くと、女の目がそこにあった)。その時、漠然とだがあの少年に何が起っているのか理解できた。これは腰を据えて見るだけのことはあるぞ、とぼくは呟いた。ささやくように話し合っている二人の声は風に消されて聞きとれなかった。ぼくにできることと言えば見ることだけだったが、見るというのは確かな保証もないのに対象に身を投げ出すことだから、そこに嘘がふくまれることは言うまでもない。それにひきかえ、匂いを嗅ぐというのは……(ミシェルの話はすぐ横道に逸れる。彼の好きにしゃべらせておくことはない)。いずれにしても、ものを見る時はそこに嘘がふくまれるとあらかじめ仮定しておけばよい。あとは、見ることと見られることをはっきり区別したうえで、対象にまつわりついているもろもろの衣装を剥ぎとってやればいいのだ。ただ、これがなかなかむずかしい。
 少年について、その身体つきよりもイメージの方がつよく印象に残っている(これはいずれ分ってもらえるだろう)。逆に女の方は、イメージよりもむしろ身体つきの方をはっきりと憶えている。ぴったりしない形容だが、細身のすらりとした女で、長めの黒っぽい色の美しいコートを着ていた。朝の風が(今は風もほとんどなく、寒さも感じない)ブロンドの髪をそよがせ、ぴったりしない形容だが、白く陰気な顔をくっきりと浮かび上がらせている。彼女の黒い目に見つめられると、まわりの世界は静止し、ひどく孤独なものに変わった。ものを見る時の女の目は、二羽の鷲、虚無への跳躍、緑の沼を吹きぬける突風を思わせた。ぼくは描写しているのではない。理解しようとしているのだ。今、緑の沼を吹きぬける突風と書いた。
 少年のことも忘れずに話しておこう。彼はけっこういい身なりをしており、粋に見せようと上着のポケットから黄色い手袋の先をのぞかせているが、きっとあれは法律か社会科学を学んでいる兄さんのものだろう。その時初めて少年の顔に目をやり、横顔を眺めたが、なかなか賢そうな顔をしている。まだ幼さの残っているその顔は、不安におののいている小鳥、フラ・フィリッポの天使を思わせた。若々しい後姿はこれまで一度ならず自分の考えなり妹を守るために人と戦ったことがあり、今は柔道でも習いたがっているように見える。齢は十四、五歳で服装からして親の世話になっていることは明らかだ。ポケットの中はたぶん空だろう。コーヒー、コニャック、タバコ、どれを買うにしてもまず友達に相談をもちかける。街をぶらつきながらクラスメートのことを考えたり、封切りの映画を見るか、それとも小説、ネクタイ、あるいは緑と白のラベルを貼ったりリキュールを買おうかと迷う。家は、決められた時間に食事をとるしっかりとした家庭で、うす暗い客間があり、ドアの脇にはマホガニーの傘立てが置いてある。壁にはロマン派の風景画がかかっているにちがいない。家で勉強していると、時間は雨の日のようにのろのろ過ぎて行く。母親に期待をかけられている彼は、最近父親に似てきた。アヴィニョンの叔母さんに手紙を書かなくては。お金を持たないそんな彼のためにパリの街々とセーヌ河がある。十五歳の神秘の町。家々のドアには暗号が記してあり、うす気味の悪い猫がいる。一袋五十フランのフライド・ポテト、四つに折り畳んだポルノ雑誌、空のポケットのような寂しさ、幸運な出会い。町は未知の事物で埋め尽くされている。風や街にも似た気易さと貪欲な好奇心に駆られて彼はそれらの事物を熱愛する。
 少年の生活というのは同じようなもので、彼の場合も例外ではない。違うと言えば、ブロンドの女がしきりに話しかけていることだが、そのせいで少年は今ひとりぽっちの人間になっている(雲の話はもううんざりだが、今ふわふわした細長い雲が通りすぎて行った。あの日の朝は、一度も空を見上げなかったはずだ。二人に何か起りそうな予感がしたので、これからどうなるのか様子を見ることにした……)。不安そうな少年を見れば、少し前、せいぜい三十分前に何があったか容易に想像がつく。つまり、少年はさきほど島の鼻にやって来て、そこですてきな女を見かけたのだ。女は最初からそのつもりで網を張っていた。ひょっとすると、バルコニーか車の中から少年を見かけたのかも知れない。そこで、少年のそばへ行くと、話しかける。少年は不安に駆られたものの、逃げ出すきっかけがつかめずにそのまま居残る。少年は少し反り身になり、硬い表情のまま、こんなことは珍しくもなんともない、ひとつアヴァンチュールを楽しんでやるかといった態度をとる。が、女にすれば少年の態度はすでに計算ずみだ。そのあとのことは、ぼくの目の前五メートルのところで起っているので、二人の火遊びの進み具合はたやすく見てとれる。いま起っていることよりも、その結末の方に興味がある。どの道、少年は人と会う約束があるとか、用事があるとか言い出すにちがいない。そしてさりげなく歩いているつもりが、その実、うろたえよろめきながら立ち去って行くだろう。ひょっとすると、女の魅力に負けるか、立ち去る決心がつかなくてそこに残るかも知れない。女は小声で話しかけながら、顔や髪を愛撫しはじめる。と、急に少年の腕をとって、連れて行こうとする。あるいは、少年の方が欲望とアヴァンチュールの危険に耐えきれなくなって、女の腰に手をまわし、口づけしようとするかも知れない。こうしたことは、あくまで可能性であって、現実に起っていることではない。ミシェルは手すりに腰をおろすと、意地悪く待つことにした。カメラはいつの間にか手の中におさまっている。語り合い、見つめ合っている風変わりなアベックのいる、島の片隅の美しい写真を撮るつもりだった。
 齢の開いた二人の男女がるだけのなんの変哲もない光景だが、そこにはどこか人を不安にさせるような雰囲気が漂っている。気のせいだ、写真を撮ればなんでもないことがはっきりするはずだ、とぼくは考えた。渡し板に通じる桟橋に乗用車が一台止まっていた。運転席には、グレーの帽子をかぶった男がいて、新聞を読むか眠っている。そのことい気づいたのはつい先ほどだが、あの男はこの光景を見てどう思っているだろう。車が美しく見えるのはスピードと危険のせいだが、それが止まっているみすぼらしい鳥籠といった感じがして、中に人が乗っていても気がつかないものだ。停車した車は島の一部になっていた(もしくは、風景を歪めていた)。街灯や広場のベンチのように、車はあたりの風景に溶けこんでしまう。だが、人の目や肌にいつもすがすがしく感じられる風や太陽の光、あるいは女と少年は、そこにいるだけで島の様子をいつもと違ったものに変えてしまう。車の中で新聞を読んでいるあの男も、ぼくと同じように成行きを見守りながら、期待のもたらす苦い味を噛みしめているのだろう。女はゆっくり身体の向きを変えると、少年を手すりに押しつけるようにした。ここからだと、二人の横顔しか見えない。少年はかなり背の高い方だが、女はそれよりもまだ上背があった。少年にからみつくようにして、急に羽の鞭のような笑い声をあげた。ほほえみを浮かべ、手をふり動かすと、少年はまるで金縛りにあったように身動きできなくなった。もうこれ以上待つことはない。絞り16、ファインダーにあの気味の悪い黒の乗用車が入らないようにして……だが、あの木を入れないと画面が灰一色になってしまう……。
 ぼくはカメラをほかに向けると焦点を合わすふりをして、じっとチャンスをうかがった。暗示的なポーズやすべてを物語る表情をとらえる自信はあった。一瞬にきらめく生命は運動によってぼかされる。だから、微妙な決定的瞬間をうまくとらえなければならない。チャンスは間もなく訪れた。女はわずかに残された少年の自由を徐々に奪い取り、身動きできないようにした。それは緩やかで甘美な拷問を思わせた。ぼくはどう結末がつくか想像してみた(今、小さな綿雲が一つ空にのぞいている)。二人は家に着く(そこはたぶん一階で、部屋はクッションと猫で埋めつくされているだろう)。少年はひどくうろたえているが、それを気取られまいと悲壮な決意をしている。誘いかけられても、こんなことはなんでもないという顔をするだろう。これが目を閉じるというのなら、ぼくは目を閉じてその情景を思い浮かべてみる。小説にあるように、ベッドには紫の羽ぶとんが。女は逆に少年の服を脱がせる。オパール色の灯火の下で、二人は実の母子のようになる。それからあとはおきまりの道筋をたどるだろう。いや、そうじゃない。このような場合、初めての少年というのはいつまでたっても愛撫から先へは進まない、いや、進ませてはもらえないのだ。少年は荒々しく不器用に愛撫する。だが、あの手の動きはどこまで行くのだろう。女と離れてひとり孤独な快楽にひたるのだろうか。女は技巧を弄して傷ついた無邪気な少年をいたぶり、惑わせる。そしてついには、体よく拒むのだ。そうだ、そうにちがいない。女は意のままに操ろうとしているだけで、恋人にする気はないのだ。目的は何だろう。無慈悲な火遊びを楽しんでいるのか、束の間の快楽を得ようとしているのか、それとも、ほかの男のために気持を高ぶらせようとしているだけなのだろうか。
 文学にかぶれているミシェルは突拍子もないことを思いつく。彼にとって何よりの楽しみは、とてつもない話や奇人変人、怪物(気味の悪いものばかりではない)などを想像することなのだ。あの女はそんな彼の想像力をかき立てるが、たぶん真実を見出す鍵を与えてくれるだろう。ぐずぐずしていられなかった。女が立去る前に写真を撮らなくてはならない。一つのことを反芻して考えるぼくのことだから、しばらくの間はこの事件を思い出すことになるだろう。すべてを(木や手すりや十一時の太陽も忘れずに)ファインダーにおさめると、シャッターを切った。あの二人が写真を撮られたことに気づいてこちらを見たので、ぼくははっとした。少年は驚いて何か問いかけようとしていたが、女の方は、断りもなく人の姿を小さな化学的映像の中に写しとったのは許せないと言わんばかりに敵意をむき出しにしていた。
 べつに詳しく話すこともないだろう。女は許しもなく勝手に写真を撮るなんてもってのほかだわ、フィルムを渡しなさいと要求した。冷たく澄んだ声だ。パリっ子らしいきれいなアクセントでまくし立てるたびに、声の調子が変わり高くなった。友人たちはよく知っているが、ぼくにものを頼む時は、率直に言えばいいのだ。それをあんな態度に出たものだが羅、こちらとしては渡すわけに行かなくなった。どこで写真を撮ろうが構いはしない。それどころか、公私両面で積極的な協力が得られて当然なのだ、とやり返した。そう言いながら、ぼくはあの少年の動きを意地悪い目で眺めていた。彼はじりじり後退りして女のうしろにまわりこむと、(信じられないことに、急にくるりと背を向けて駆け出していった。歩いているつもりだったのだろうが、実際は逃げるように走っていた。少年は乗用車のそばをすりぬけると、朝の大気の中をゴッサマー〔穏やかな秋の日など空中に浮遊する細いクモの糸〕のように姿を消した。
 ゴッサマーは悪魔の涎とも呼ばれる。女はさまざまな呪詛の言葉を浴びせ、彼をうすのろのおせっかい屋と罵った。ミシェルはにやにや笑いながら黙って聞いていたが、首を横にふって、下らない罵りの言葉を受けつけなかった。いいかげんにうんざりしはじめた時、車のドアをどんどん叩く音が聞こえた。振りむくと、グレーの帽子の男がこちらを見ていた。自分がばかな役を演じていたと気づいたのは、その時だった。
 男は読むふりをしていた新聞を手にもって、近づいてきた。口元のつりあがったあのしかめ面は今でもはっきりと憶えている。皺だらけのその顔にはどこか異常なところがあった。口がぶるぶる震え、脣はまるで別に生き物のように、左右に交互にひきつれていた。くそのくせほかの部分はまるで凍りついているみたいで、白粉を塗った道化師か冷血名人間を思わせた。生気のない肌はかさかさに乾いており、目は落ちくぼんでいる。いやに目につく鼻の穴はまっ黒で、眉や髪の毛や黒のネクタイよりもまだ黒かった。男は、舗道を歩くのも辛いというようにそろそろ近づいてきた。靴底の薄いエナメルの靴をはいていたが、あれなら道のちょっとした凹凸も感じとれるだろう。なぜぼくは手すりから降りたのだろう。むこうは写真を渡せと言っているが、その態度には不安そうなおどおどしたところが見える。なぜだか、けっして写真は渡すまいと心に決めた。ひそひそ話し合っている道化師と女、それにぼくを加えた三人は完全な三角形を作っていた。それに耐え切れず、ひと思いにぶち壊そうと思い、二人に向かってにやっと笑うと背を向けて歩き出した。あの少年よりはゆっくり歩いていたはずだ。鉄製の渡し板の、家の見えるあたりまでくると、うしろをふり返ってみた。二人はさっきと同じ場所にいたが、男は手に持った新聞を落していた。女は手すりにもたれて後ろ手で石を撫でていたが、あれは追いつめられ、逃げ場を失った人間が昔からよく見せる意味のないポーズだった。
 それからあとのことは、今、ここ六階の一室で起っている。ミシェルは数日後にフィルムを現像した。コンセルジュリーやサント・シャペルの写真は申し分ない出来だった。ほかにどこで撮ったか忘れてしまったが二、三枚の試し撮りとあ、公衆便所の屋根にうまくよじのぼっている猫を写そうとして失敗したもの、それにブロンドの女と少年の写真があった。最後のネガがよかったので、引き伸してみた。こちらも出来がよかったので、さらにポスター大のものを作った。今になって、コンセルジュリーのだけを引き伸しておけばよかったと後悔している。(どうしてそうしなかったのだろうと、何度も自分に問い返している。)だが、あの時は島の鼻で撮ったスナップがいちばんいいと思ったのだ。彼は引き伸した写真を部屋の壁に貼りつけると、一日目はそれをしばらく眺め、失われた現実を懐かしく思い返しながら、思い出にひたった。あの引き伸しも、ほかの写真と同様化石になった思い出だ。そこには何ひとつ、画面をしっかり安定させる虚無さえ欠けてはいなかった。女がいて、少年がいる。二人の頭上には木があり、空も石造りの手すりもしっかり固定し、雲と石はひとつに溶け合っている(今、嵐の到来を告げるように、千切れ雲が飛んで行く)。はじめの二日間は、あのネガから壁に貼った引き伸しにいたるまでその成果に満足していた。ちょうど、ホセ・ノルベルト・アリェンデの論文の仏訳にかかっている時だったが、女の顔や手すりの黒いしみが目について、思うように仕事がはかどらなかった。そのくせ、べつに奇妙だとも思わなかった。分ってしまえば何でもないことがだが、真正面から写真を見ると、目はちょうどカメラのレンズと同じ位置にくる。こんな分りきったことは誰も改めて考えたりはしないだろうが、初めてそのことに気づいて、びっくりした。タイプライターを前に置いて、腰をおろすと、三メートル先にあの写真がある。カメラのレンズとちょうど同じ位置にいると気がついたのはその時だ。こうしてみるとよく見える。斜めから見てもそれなりの魅力や発見はあるだろうが、正面から眺めるのがきっと一番いいのだ。ホセ・ノルベルト・アリェンデは立派なスペイン語で書いている。それに劣らないフランス語に置きかえようとして行き詰ると、顔を上げて写真を眺めた。数分毎にそうしていた。あの女がいいと思う時もあれば、少年に引かれる時もあった。また、隅の方に枯葉が一枚落ちていて舗道を彩っているが、その部分に見とれることもあった。そんな時ぼくは手を休めて、あの朝の雰囲気をたたえた写真の中に入り込んで行く。ひどく腹を立てて、写真を渡すように言ったあの女の姿や、無様な恰好であたふた逃げて行った少年のこと、あるいは白い顔の男が突然現われてきた時のことなどを皮肉っぽい気持ちで思い返してみた。内心ぼくは自分の行為に満足していた。ただ、あんなふうに逃げ出したのはまずかった。フランス人というのは人から何か言われるとすかさずやり返すが、それならこちらも逃げ出す前に、自分の権利、特権、市民権についてまくし立ててやればよかったのだ。しかし、あの時は自分のことよりも、少年を逃がしてやることが先決だった。(少年が逃げ出すつもりでいたかどうかはっきりしない。しかし、ああして逃げたところをみると、ぼくの推測はまちがっていなかったのだろう。)不安そうな少年が逃げ出せたのも、ぼくが余計なことをしたおかげだ。今頃、少年は自分を情けない人間だと思って後悔しているだろう。だが、島であのような目つきで彼を睨みつけていた女といるよりは、逃げ出した方がましだ。ミシェルは時々ピューリタンのようにひどく厳格になり、人から無理強いされて過ちを犯してはならないと考える。けっきょく、あの写真はひとつの善行にだったのだ。
 一節訳すごとに写真を眺めたのは、善行をしたからというわけではない。なぜあの引き伸しを壁に貼りつけ、女を眺めているのか、自分でもよく分らなかった。宿命的な行為はすべてそんなふうにしてはじまり、終わって行くのだろう。ぼくは、木の葉がかすかに震えるのを見てもべつだん驚きもせず、やりかけていた文章を訳し終えた。習慣というのは偉大な植物学者に似ている。縦八十センチ横六十センチの引き伸しというのはスクリーンみたいなもので、そこに映画が写し出される。島の鼻では、女が少年に話しかけ、二人の頭上では、木の枝が枯葉を揺らしている。
 だが、手が動きはじめた時はさすがにびっくりした。Donc, la seconde clé réeside dans la nature intrinséque des difficultés que les sociétés……そこまで訳した時、女の指が少しずつ閉じられて行くのに気づいて、ぼくは唖然となった。飜訳はそこで止まってしまった。タイプライターが床に落ち、いすは震えきしみ、わけが分らなくなった。少年は、戦意をなくし相手の決定的なパンチを待っているボクサーのようにうつむいていた。コードの襟を立てているせいで、いっそう囚人めいた感じがする。あれではまるで、破局の仕上げをする申し分のない犠牲者だ。女は今耳元で何ごとかささやいている。ふたたび手を開くと、少年の頬に押しあて、愛撫しはじめた。ゆっくりと火で焼いていたのだ。少年はうろたえるというより不安そうにしていた。一、二度女の肩越しにあたりを見回した。女はしきりになにか話しかけているが、少年はそれを聞きながらたえずある方向に目をやっている。画面に現われていないが、そちらの方にあの車があり、グレーの帽子の男がいることは分っていた。車は見えないが、少年の目に映っていた。もう疑う余地はない。女は車のことを話し、指さしていた。女はおとりなのだ。男が近づいて行く。そばに行くと、ポケットに両手をつっこんだまま、早くしろと言わんばかりの横柄な態度で二人を眺めた。まるで、犬を広場で遊ばせたあとの口笛を吹いて呼びもどす飼主のように。これが理解するということなら、ぼくはこれから起こるだろうこと、すでに起ったこと、またぼくがあそこに居合わせなかったら、どうなっていたかということを理解した。あの時、ぼくは何も知らずにその場に割り込んで行き、そのせいでむこうの筋書きが台なしになってしまったが、その続きが今はじまろうとしていた。現実は、ぼくが以前に想像したよりもはるかに恐ろしいものだった。女がそこに来たのは自分の意志ではない。少年を相手に楽しもうと、彼に話しかけ、誘惑し、愛撫しているのでもなければ、髪をふり乱し、おそれ戦いている愛くるしい天使のような少年を連れ去ろうとしているのでもなかった。ほんとうの主役は、これで成功したも同然だと言わんばかりに、いやらしい笑みをうかべて待ちうけていた。女を送り出し、花で囚人の手を縛って連れてくるように命じたものは他にいたのだ。ここまでくればあとは簡単だ。車、一軒の家、飲物、刺激的な銅版画、遅すぎる涙、地獄の底での目覚め。どうにもならない。今度ばかりはどうにもならない。ぼくの武器といえば、そこにある一枚の写真だけだ。それが今、ぼくに復讐している。つまり、あのあとのことが今はじまろうとしているのだ。写真は写され、時は過ぎ去った。ばくたちは互いに遠く離れたところにいる。おそらく、醜行が行なわれ、涙が流されるだろう。あとに残されたのは憶測と悲しみだけだ。突然、立場が逆転し、彼らは生き生きと活動しはじめた。自ら進んで、あるいは人から命じられて行動していた。彼らは未来に向かって歩みはじめた。一方、こちら側にいるぼくは、六階の一室で、別の時間の中に閉じこめられている。あの女、あの男、少年、彼らが何ものなのか分らない。硬いカメラのレンズに変わってしまった今、そこに干渉することすらできない。彼らは無力なぼくを前にして自由に振舞い、何とも恐ろしいやり方でからかいはじめた。少年はふたたび白粉を塗った男の顔を見つめる。男はお金をあげるとか、何か喜びそうなことを言って誘惑しようとする。少年が誘いに乗ることは目に見えている。なのにぼくは、逃げろと叫ぶこともできなければ、もう一度写真を撮って逃げ道を作ってやることもできない。唾液と香水で組み立てられた足場が、写真というささやかでちっぽけな感傷によって崩れ去るというのに。そこに漂っている静寂は、物理的な静けさとはちがった不気味なものだった。足場は広げられ、組み立てられていた。たぶん、ぼくは恐ろしい叫び声をあげたのだろう。ふと気づくと、十センチ、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。前方に見える木の枝がゆっくりと向きを変えはじめ、手すりのしみが画面から消えた。女は驚いてぼくの方をふり向いたが、その顔が大きく迫っている。ぼくは身体の向きを少し変えた。つまり、カメラの方向を変えた。女の視野の中に大きく入れたまま、ぼくを見つめている男の方にゆっくりと近づいて行く。男の目にあたる部分には、ぽっかり黒い穴があいていた。男は怒りと驚きをこめ、突き刺すような目でぼくを睨みつけている。その時、巨大な鳥のようなものが画像の前をかすめ、視野の外へ飛び出した。ぼくはほっとして壁にもたれた。少年は髪をなびかせ、駆けて行く。ついに彼は島の上を飛び、無事に逃げ出した。その姿がふたたびぼくの視野に入った。少年は渡し板までたどり着き、町にもどって行くだろう。またしても、彼らの毒牙から逃れたのだ。今度も、ぼくのおかげで無事に逃げ出して、束の間の楽園へと戻っていった。ぼくはあえぎながら彼らと向き合った。遊戯は終わった。これ以上先へ進むことはないのだ。画面から乱暴に切り取られている女は、髪と肩の一部が見えているだけだ。だが、男は目の前にいた。少し開いた口の中では黒い舌がぶるぶる震えている。男はゆっくりした動作で手をもちあげると、前に突き出した。すると、黒い影が島も木も消し去ってしまった。ぼくは目を閉じた。何も見たくなかった。両手で顔を覆うと、ばかみたいにわっと泣き出した。
 今、大きな白い雲が通りすぎて行く。時間の感覚をなくしてしまったが、この頃では毎日こうだ。あとは一片の雲、二片の雲、あるいは何時間もの間、空ががらりと晴れわたっているといったことを付け加えておこう。目を開け、涙を拭った時に見えたのは、部屋の壁にピンで貼りつけてある青く澄んだ長方形だった。空は晴れていた。やがて、左手から一片の雲が入って来ると、優雅な姿でゆっくりと通りすぎて行き、右手に消えた。続いて別の雲が。時には灰一色に変わることもある。全体が巨大な雲になるのだ。すると急に雨がザーッと降りはじめる。まるで泣いているように画面の中ではいつまでも雨が降っている。やがて、少しずつ画面が明るくなる。たぶん、太陽がのぞいたのだろう。ふたたび雲がかたまって姿を見せる。時には鳩や雀が飛びすぎることもある。
フリオ・コルタサル

(2004.10.3)-2
おしまいまできたら、はじめの数段落、本題に入るまでの部分を読み直してみるといい。今度読み返してみて気づいたことというのは、だいたいそういうようなことだ。できたら、そのまま二度通して読むといいだろう。そのときは、なんでもなさそうな一文が、この小説の目論見における役割を担っていることがあるから、そういった文にも注意してみるといい。基本的には、先にある部分から回答は引っ張ってこれるようになっているようだから、注意して進めればかなり上手くゆくはずだ。例えば、ところどころに挿入される雲に関する呟きはそのひとつだ。それから、「自問」することと「はじめから話してしまう」ことも。そして何より、はじめの段落は、この小説の目論見を端的に言い表わしていることに、意識を振り分けるといいだろう。
(2004.10.3)-3
「今(なんて言葉だろう、今なんてものはありはしない)」という部分も意識してみる。この記述が中盤に現れるにも関わらず、小説中、語り手は一度もその「今」を離れることがない。
(2004.10.3)-4
さて、意識が小説のほうへ戻ってきたところで、島尾敏雄といきたいのだが。もう日曜の深夜だ。これだからきつい。
(2004.10.3)-5
ところで、島尾敏雄の小説には、こういった類の技巧が欠如している(ように見える)。というより、日本の作家には、もともとこの手のテクニックに対する意識が薄い(少なくとも純文学に関していえば)。機知というものの捉え方が違うのだろう。ふむ、技巧か。島尾敏雄の技巧。小説への導入の方法論みたいなものはあるように思う。それは「夢の系列」に収められていいたいくつかのエセーで、島尾敏雄みずから書いてもいるようだから、調べればわかる。でも、それにはあんまり関心はなくて、むしろぼくは、島尾敏雄がほとんど反復といってよさそうな作品を何度も何度も書き直したというところに興味がそそられる。
(2004.10.3)-6
うーん、だから、こういう言い回しは駄目なんだって。
(2004.10.4)-1
スペースシップ・ワンは、「ごろごろにゃーん」という絵本に出てくる、ねこたちの乗った飛行機に似ている。
(2004.10.4)-2
それにしても、一千万ドルという賞金は安すぎやしないか。相撲の懸賞じゃねえんだから、もうちょっと出してもいいような気がする。
(2004.10.5)-1
どうやら、ホロヴィッツのシューマンにはまっているらしい。マルタとミッシャのシューベルトとシューマンはそうでもない。ほかの至っては、全く触ってない。そのくらいはまっているらしい。聴いていて、何がいいのかさっぱりわからん。だから、ホロヴィッツは上手なのか、ということもわからないし、それが関係していることなのかもわからん。とりあえず、感動らしきものはどこにも見当たらないような気がする。でも、それはそもそも、ぼくのそれに対する認識が狭いだけなのかも知れない。それすらも、よくわからない。「クライスレリアーナ」の、幾つかある音が大きなところ、あるいはメロディのあるところといってもよいかもしれない、そこはみな記憶された。ここでないところで聴いても、たぶん「クライスレリアーナ」だと気づくだろう。でも、そんなのは流行のポップスにだっていえることだ。
(2004.10.5)-2
けっきょく、頬杖してじっと聴いているよりほかないのかな。
(2004.10.5)-3
たぶん、ぼくが何か言葉(単語)をそこから引き出そうとしているのがいけないのだろう。いやらしいことだが、
(2004.10.5)-4
ちくしょう。ねこ語だって、もうちょっとわかりいいぞ、きっと。
(2004.10.7)-1
これから、ジョアン・ジルベルトを聴きに行ってきます。会場の東京国際フォーラムは、有楽町にあるとのことなので、外もとてもよく晴れていることですし、自転車で行こうと思います。戻ったら、感想を書こうと思っています。それでは。
(2004.10.7)-2
よいところだけを見ようとするのは止めよう。その反対もまた。
(2004.10.7)-3
じいさんは、よかった。いや、悪くなかった。姿は想像していたとおりだった。背はあまり高くないが、がっちりとした骨格を感じさせる身体つきで、背すじを伸ばしてまっすぐに歩いた。大変に丁寧な物腰で、ここにうたいに来ているということに対する誠実があった。それはこちらがちょっと驚いたくらいだった。リズムを取るときの膝の動きは想像の外だったけれど、それはこちらの知識不足のためだ。歌は、ほとんど喋るような感じで、うたっていた。はじめの数曲は、曲に入る前に、ちょっとした、特に意味のない、鼻歌のようなギターの導入があったが、じきにそれも無くなるほど集中してきたし、それは聴き手側もそうだった。たぶん、空調を止めたのがよかったのだろう。会場の何千人かの聴衆が静かに放出し続ける呼吸に含まれる二酸化炭素や体温や体臭によって、その場の空気がだんだんとこもって濃密になるほどに、ジョアン・ジルベルトの歌とギターもそこに馴染み、混ざり合ってくるように思われた。それにつれて、ちょっとしたフレーズを遅らせたり、あるいは飛ばしたり、早めたりなどする、遊びで満ちるようになった。すると、不思議なことに、ギターの音が意識の上から薄れていき、じいさんの声と同じものになったように感じられてくるのだった。ぼくの意識は何度か飛びそうになった。それは、途切れるというのではなく、ただそれを聴くという部分だけを残して、ほかのあらゆる身体の機能、そのときはたとえば、きちんと同じ姿勢を保ってシートに座り続けることや、滞りなく呼吸をすることや、衣服を身に着けていることや、コンタクトレンズが眼球に密着していることなんかがそうだったが、そういったことを放棄してしまうというような感じだった。それによって、首が据わらなくなり、ぼくの大きくて重たい、けれども何の役にも立たない頭が重力だけに従って落下しようとするのでなかったら、それから曲が終り、じいさんの声が途切れ、拍手をしなければならなくなったりしなければ、ぼくはそのまま自分の体を分離してしまっていただろう。
(2004.10.7)-4
でも、それはじいさんの生の声と生のギターの音によるものではなかった。音は、じいさんのいる方からではなく、舞台の左右に饐えられた巨大なスピーカの方からした。それは、外的要因としての致命的な点のたしか唯一のものだったと思うが、けれども、問題はそんなことにあるのではない。
(2004.10.7)-5
それを書くのは、若干の勇気と、それなりの単語の選択が必要だが、今はもう五時半でタイムリミットである。明日以降にまわそう。話は少し込み入っていて、退社ともからんでくる部分があるはずなのだが、そこまでいけるかどうかはわからない。ぼくは相変わらず弱く、やりかけた仕事を途中で放擲してしまうことが多い。
(2004.10.9)-1
昨日で、三周年。でも、外でお酒を飲んできたので、眠ってしまう。疲れた。
(2004.10.9)-2
今は、台風通過中。さて。
(2004.10.9)-3
もう、台風は去った。それでは、ぼくも書き出そうとしてみることにしようか。そして、導入として、それを使ってみることにしよう。
(2004.10.9)-4
いつもいつも思うわけだが、しかし、この意味のない時間はいったい何なのだろう。台風が去ってから、すでに、四時間近くが経過しているわけだが、ぼくはといえば、
(2004.10.9)-5
 うまく午睡できなかったので、諦めて書こうとしてみようかと思い、PCの電源を入れ、それから、CDプレーヤとアンプにも電源を入れてから、腰を落として椅子に尻を乗せ、キーボードの位置を調整して、ここ半月ほど入れっぱなしになっているホロヴィッツのシューマンを再生し、相変わらずの騒がしい入りを眉をしかめてボリュームを調整したあと、窓の外を見ると、雨が、上から下というよりは、むしろ右から左へと、砂漠の砂の表面にできる風紋のような白い襞を作って流れていた。ぼくは(2004.10.9)-2「今は、台風通過中。さて。」というのを書き、椅子を窓の方へ向け、両手を肘掛において、ブラウン管のガラスのようにある分厚いマンションの窓ガラスの向こうで、止めどなく流れつづける水滴の波を見ることに心をとられた。書こうとすることを始めるといっても、テーマが与えられているだけで、他になにか、すぐに文字に落ちるというような腹案があるわけでもなく、いつもどおり、相変わらずのできれば何も書きたくないという状態だった。
 部屋はとても静かだった。いや、ホロヴィッツのピアノが鳴り、水冷PCの静音ファンの音がそこに微かに重なっていたのだが、彼のピアノは、はじめの数秒間が過ぎれば、すぐに意識の裏側に入り込もうとしてしまうので、掘り起こして聴いてやろうとしなければ、鳴っていることにはならないものだ。PCのファン音は、そこに載ったノイズとして扱われる。だから、ぼくにとっては、部屋はとても静かだった。外の風の音や雨の音は、部屋には届かない。音の無い、22階からの風景というのは、退屈な映画に似ている。椅子に座ってそれを眺めるぼくは、気ままな鑑賞者として位置している。だから、「台風通過中。」などという事を書くことができる。そしてまた、実際には映画のように、薄っぺらなシートの裏側から光をあているだけのものでもない、窓の外の風景というのは、立ち上がって窓を開け、その中へ、少なくとも映画よりは深く、入ってゆくこともできる。そう、それをするのは、実に簡単だ。立ち上がり、そうして、二歩ほど歩いて2mほどの高さのガラス戸を引けばいいのだ。そうすれば、たちまち外の吹き荒れる風と無数の雨粒がそこいら中を叩きまくる音が部屋に侵入する。今度は本当に、ホロヴィッツのピアノは、騒音にかき消されてしまおうとするので、かえってぼくはそれに耳を傾けるかも知れない。いや、そうはならないかも知れない。でも、そんなことはどうでもいいことだ。いま、過去、記録をとり始めてから、東日本に上陸したうちで最強の台風が実際にやって来ている。そして、ぼくは閉め切ったマンションの一室で、それをほとんど何ら感覚することなくやり過ごそうとしている。これは、何か惜しいことなのではないだろうか。
 そういったことを考えたようである。何のことはない、ただ書きたくないために思いつけた、勝手なこじつけに過ぎないのだが、それに疑義を唱えるようなものも、そのときはぼくの外からも内からも現れなかった。窓を開けるだけなのである。それだけで、机のうえのPC画面に映っている、ひどく見慣れたエディタとブラウザの画を見なくて済むのである。ぼくは立ち上がり、窓を開けた。音と風がぼくに触れた。それは何も目新しいものではなく、ここに越してから、すでに何度かあった台風の日の状態とさしてかわり映えのないものだったが、たしかにホロヴィッツのピアノは乱された。けれども、やはりぼくはそれを特に意識しなかった。風は平坦な面を組み合わせて形成されているこの辺りの地べたの凹凸の角をぐりぐりと擦っている聴きなれた音をたてているばかりだったし、雨も眺望の手前にかかって多少視界を遮っているだけだった。雨粒はここまで届いていなかったが、高層のマンションをとり巻いて通りすぎて行く風がその飛沫のようなものを多少運んできていた。
 普段のぼくならば、それでおしまいだっただろう。窓を閉め、再び椅子に座り、視界を最も見慣れたものたちで満たしたことだろう。でも、そのときのぼくには、最も強い台風ということが意識にあった。そして、それよりいくらか深いところには、今から書こうとしている事柄への、面倒なので、できればやらないでおきたいという、軽い忌避感があった。ぼくはすぐ前に置いてあるサンダルをつっかけてベランダへ出た。よく見ると、いつもより雨雲は幾分黒っぽく、それから、より地面に近い、低いところに重たく溜まっているように思える。台風は今どの辺りを通っているのだろう。上陸するというのだから、これからもっと激しくなるのかしら。そういうようなことをおそらく思いながら、ぼくはもう見慣れた、さして面白くも無い22階からの街の景色を眺めた。黒い雲は左手の、東京の上空あたりに多く溜まっていた。そして、風向きが変わり始め、そちらの方から雨と風が吹きつけてくるようになっていることに気づいた。さいわい、東向きのこの部屋は、ちょうど台風を背中で受けるようになっているので、ベランダに直接雨が吹きつけてくることはない。ぼくは少し興味がそそられた。晴れた日ならば正面に見えるはずの羽田空港も今はもう黒灰色に(そのときは、雲の向こうで陽はすでに沈んでしまい、あたりは暗くなっていた)霞んでしまっていた。ぼくは一度室内に戻り、濡れてもよい室内用の上着を、引っ張りだして羽織った。それで十分だと思われたので、ぼくはまた外に出て、ガラス戸を閉め、そこに寄りかかって、台風の通るのを眺めることにした。
 いったい何のためにそんなことをしたのか。いくら台風だからといって、それも最も強いものだからといって、わざわざ火事場見物のようなことをするような人間だったとは、何の意図もなく、ただ興味本位であったとすれば、自身でも実に意外のことである。けれども、もちろんそんなことはなくて、これもまた話のたね、実際、まさに今こうして書き始めているところの話のたねにしようと思ってのことだったのだ。いつものように机と椅子の背もたれ、肘掛に囲まれながら頭を抱えているかわりに、台風の様子を観察して、それを文に落そうとしてみることによって、すこしだけでもまともなものが書けるきっかけになればと、貧乏根性を出しただけのことなのである。そうして、実際にいつもよりも長く書かれそうなのだから、それは既に、部分的には成功をおさめている。台風が街を、東京の上空を通過する様子を眺め、それを描写しようとする。つまり、それは有用な方法だったのだ。文章というものの多くは、いや、そのほとんどが、と言っていいだろう、そのようにして書かれる。ぼくもまた、その基本的な動機づけに従った、それだけのことだ。そして、これから、その描写の部分に入ってゆく。別に大したものではないのだが、まあ、先を続けよう。うまくゆけば、それなりに満足のいくものにもなるかも知れぬ。
 しばらくのあいだ、立ち位置や姿勢などを微妙に調整して、心地よい姿勢を探りながら待っていると、台風は、たしかに今までに無い様相を呈しはじめた。風はますます強まり、渦を巻くことすらなく地面を叩き、そこに無数の大粒の雨が載って白く、左から右へと流れていた。そしてそのうちに、それまで見られていた雨の襞が消えてしまうほどに雨脚が強まって来、あまりに白く立ち込める雨のために、これまでにないほどに眺望が狭まってきたのである。雨雲との境界は限りなくあやふやになり、空は消え、街全体が台風の胎内に収められてしまっていた。渋谷や新宿、品川などのビル群や東京タワーは雨粒の向こうに隠れてしまった。やがて、多摩川も白い水滴の群れのむこうに消え、遂には200mほど先にある10階建てほどのマンションの最上階の窓の明かりも判別できないほどになった。雨音と風の音は一体になり、映画の嵐のシーンなどで聴くことのできる、あの音がいつの間にかあたりを満たしていた。ぼくは若干の恐怖、というよりは、背中をもたせているガラス戸を開けば、一瞬にしてその状況の外側(正確には内側だけれども)に退避してしまうことができるのだから、スリルという方がいいだろう、それを感じながら、この、スピーカ越しにはあまり聴くことのない音を聴きながら、それを文字に落とすために、適当な擬音を探していた。
 ザーザーとかゴーゴーとかビュービューとかでは、どうやら完全に不十分なようだった。それで、もう少し重みを持たせようと、ザアザア、ゴウゴウ、ビュウビュウなどを頭のなかで書いてみたが、これでもまったく足りない。まして、ひらがななどは以てのほかであろう。つぎに、一般的には少し違った用いられ方をしている、ドドドドやら、ドカドカ、バンバン、ドカンドカン、グワングワン、グリングリン、グイングイン、ギュンギュン、ギャンギャン、ブインブイン、バリバリバリバリ等を、思いつくままに並べてみたが、どれも今聞こえてきている音とは異なっている。眼下をおっかなびっくり、ゆっくりと、それでも、ここからでもわかるほどに水しぶきを両側に立てながら走っている数台の車を見ながら、擬音というのは、あくまで単音しか表わすことができないのだと、今さらのように気づく。無論のことながら、この嵐の重低音は、単音から成っているのではなく、ほとんど無数の雨粒が、強風に流されて互いにぶつかり合い、もつれながら硬い地面を叩く音と強風がやはりもつれながら叩く音とからなる集合が、一どきにぼくの鼓膜を叩くから、このように聞こえるのである。けれどもしかし、擬音たちには、それが文字として落ちる物であるかぎりは、互いに重ね合わせることは不可能で、それぞれが別個のものとしてあるより他なく、そこから飛躍することは絶対にできない。文字は、あくまで線形として連なるものなのであり、しかもかなり狭い意味での不可逆なのだ。文章が音をあらわす際に、擬音ではなく、もっぱら形容や比喩、象徴などによる修飾に頼るのはこのためである。
 先ほど、右から左に回りこんだ風は、そのときはおそらく真北から吹き付けていたのだろう。風の吹きつけてくるほう、向かって左方、空でもない、雨粒の弾幕の灰色を見つめていると、マンションの北面を吹きつける風が、今にも色や形を得てぼくに踊りかかってきそうな気配だった。しかし、実際のところ、ぼくの立っている東面については、風はバルコニーの前を猛スピードで跳ね返りながら駆け抜けてゆくばかりで、バルコニーの内側はほとんど穏やかだった。ぼくは寒くもないので、特に震えるというわけでもなく、ただ両腕を自分の反対の腰にまわして、少し身を硬くしていた。つまり、ぼくはその中に半分ほど居ながら、実に安穏とした位置に居たのである。そして、もう嵐と呼んでもよいほどになった辺りの様子を、こうして安全に眺めることが、見るということを意識させた。「体験する」のではなく、「見る」。そして、「理解する」のではなく、「見る」。「同情する」のではなく、「見る」。この状態は、そういったことをぼくに思い出させた。例えば、今にも吹き飛ばされそうな体で、そろそろと這うように走っている数台の憐れな自動車。例えば、ぼくと同じような状態ではあるが、ぼくのようにすぐに自分の部屋に引っこんでしまえるわけではなく、出先のどこかの軒下や駅で、目の前を容赦なくぶったたく雨風を眺めている人々。例えば、こういうときのお決まりで、やはりどこからか聴こえだした、この轟音の中で、ちょっと意外なほどによく通る、救急車のサイレン(きっと使っていない帯域の音だからだ)。例えば……
 ぼくにとって「見る」ということは、「書く」ということに直結する。体験したところを書くのではなく、理解した事柄を書くのでもなく、共感を書きつけるのでもない。見て、それを書く。ただ、この場合の「見る」というのは、可視のものに対していうのではなく、聞く、嗅ぐ、味わうといった五感の他の機能や、思ったことや、そのほか、精神上のさざなみなどにも適用される、謂わば姿勢についての形容とでもいうべき言葉で、つまり、今のこのような状態のことをいう。自身は常に安全な、それとは直接関わりの無いところで、それを見、そして書く。しかも、おこがましい事には、見えないところは、勝手な想像で補いながら。すこし考えてみればわかることだが、この「見る」というのは、感情の起伏を喚起しない。見たことが、驚きや同情などを引き起こすのは、見るものがそのときに、見ることより他の行為も同時に行っているからだ。体験する、発見する、理解する、感動する、同情する、愛する、等々。見ること自体には、そういった働きはない。それらとセットになったとき、見ることは意味や価値を持つ。
 見るだけの文には、動きが決定的に不足する。そして、動きの不足は、感興の乏しさとほぼ同義である。感興の無い文章は、読むに耐えない。
 くり返そう。
 見るだけの文章は、読むに耐えない。
 他にもいくつかの事柄を思ったような気がするのだが、それらにはもはや興味が持てないので、書きつけられる事はない。ただ、30分ほどそうしてから、背中のガラス戸を開けて部屋の中へ戻り、それを閉めてしまうと、実にあっけなく静寂がまたやって来た。ホロヴィッツのピアノはまだ鳴り続けていた。多少は濡れてしまった髪を適当にぬぐって、椅子に腰をおろすと、何か、実にあっけない、というような気がした。そうして、それまで窓の外で思っていたようなことが一片に馬鹿馬鹿しく思えてくるのを如何ともし難かったことだけは、付言しておくことにする。
(2004.10.9)-6
see, sea, she, sh, C...
(2004.10.10)-1
これじゃ、おんなじだ。まあ、一発で書けるようになったところが、二度目という感じがするけれども。
(2004.10.10)-2
リービ秀雄がその手段として、「日本語」を選択してくれたことには、深く感謝する。ぼく自身はそこから非常なる勇気を得る。
(2004.10.10)-3
ねぇ、歳をとるってことはさ、こうやって、自分の中に澱みたいにして少しずつ溜まってゆく、どおしようもない、煮ても焼いても食えない、空虚な時間というわけですらない、沈殿して二度と顧みないような経験が固まりになって底の方に溜まってゆく、そういうことなのかな。そうして、そのことに気づいて、憤っても、それを一瞬の爆発のうちに、燃焼したり、廃棄物処理場送りにしたりすることができなくなるくらいに、堆積する時間というものの不動さ、もっといえば、取り返しのつかなさを体じゅうで染み付かせて、あたりを見回す、そのやり方さえも忘れて、忘れてしまっているものなのかな。針の先端に立っているみたいに、一点のやってきたことと、その点以外のほとんど無限の「やってこなかったもの」という、偏った、けれども完全に二分された世界のなかを歩くようになるものなのかな。Can you find any benefit from your life. イイエ、ボクハソレノカクトクニ、カンゼンニシッパイシマシタ。You know? なぜなら、ぼくには、ぼく自身の現在というものを肯定することが、どうしてもできないから。敗者や虐げられている者、精神的な疾患に晒されている者たちですら、そのなかに、自身のIDを、他己とは完全に独立した、自分自身のためだけにあるIDを見出すものだよ。それは、亡くしたりしない方がいい。なぜ? はは、それを聴くんだね、君は。重症のようだ、既に。世界に、自分自身と、それ以外という明示的な境界をもたらすものは、それ以外にはありえないからだよ。少なくとも、十分に very very enough weak one には。Japanglish. You know? It's mixture efforts. 日本語を喋りたくないんだ。日本語でなければ、なんでもいい。3年。さんねんもたったんだぞ。22->25. I can't understand. ぼくはその下に立つことができない。そうなったはずなのに。そして、ふた月あとには、26だ。≒30。もう、とりかえしがきかねえ。ぼくはあなたの生活をそのまま受け入れます。No! ぼくはぼく自身の利益獲得と保護に関する直接的な議題にのみ関心を示します。No. Piano が喋る。そりゃあ、きっといいことだ。ねぇ、こういうのも「澱」だよ。じゃあ、どうすればいい? 太宰みたいに、首全体に大きな青あざこさえて、他人の気を引いてみるか。底無し沼。大王なまずが棲んでる。違う。これも違う。ぼくは新しい小説が書きたい。別に人類に、日本人に対して新しい必要はまったくない、ただぼく自身に新しい、それだけを十全に満たす小説を書き始めたい。
(2004.10.11)-1
明日から、また二泊三日で韓国。別に、もう外国は、そんなにいやじゃなくなったけれど。はやく、辞めたいな。ドロップアウト。
(2004.10.14)-1
ただいま。どうやら、無事に売れるらしい。売り上げ計上は来年だけど。これで今年は全勝。計六台で、四億。
(2004.10.14)-2
もう、書き終わってからふた月も経つので、そろそろ、辞めれないから始められない、など言ってもいられないだろう。
(2004.10.14)-3
フォークナー、所有文庫本の最後のもの「死の床に横たわりて」を読み始める。また、小説について考えはじめる。
(2004.10.14)-4
だから、というのもある。
(2004.10.14)-5
 記憶について。それから、感覚について。
 太宰治が初めてうまく書きおおせた小説は、自身の記憶についての作品だった。彼はそれに素直な名前をつけた。いや、もしかすると、その名前が先にあったのかも知れないのだが、ぼくは知らない。題して、「思ひ出」。太宰にしては、落着いた語りくちの、端正といってよい小説で、三章だてになっている。一章は、幼年時代から旧制の中学へあがるまでの記憶。二章には、中学生時代の話。三章は、そのなかから特に、みよという生家の女中へのほのかな恋のエピソード。
 太宰がこの小説をどうして、またどのようにして、書いたかということについて、直接的には、彼の好んだ「文学的告白」によって、ぼくは知るのみなのだけれども、その意義について、それでも多少は感ずるところがあるような気もしている。だから、ぼく自身もまた、これから、「思ひ出」を含んだ、彼の処女短篇集「晩年」をテキストにして、それをしてみようと思う。

(2004.10.14)-6
書き出しばかりを、何度も書いてみよう。太宰が、そこで自身の立場と小説のコンセプトを明示的に表したように。少しずつよくしてゆくようにしよう。
(2004.10.14)-7
また、「
砂の岸辺」に
(2004.10.14)-8

 たとえば あなたが心を寄せる 人の
 あるいは 心 そのもの
 そして そこに映りこむ あなた自身の

 体温に 変換されない 光波たちが
 重なり合い 慰めあい
 新たな色を創る 陽だまりの 昨夜の降雪がもたらした
 純白のカンバス 肌理の粗い 氷点の布地に
 私は文字を彫り
 あなたは歌を染み込ませる

 私の文字は 薄い影から成り
 あなたの歌は 静寂のように鳴る
 固着した私自身は 陰影の裡に意味を獲得し
 あなたは それを揺さぶり いずれ 融かす
 私は それを知っており あなたも
 予感する
 あくまで薄く 刻み込まれた文字たちは
 それと共に 消え失せるだろう

 そして
 あとに残るのは その映像 また
 記憶の記憶
 夢とおなじ形式を有した
 涙や 諦め そして
 ブラウン管の光 砂の底の無
 いや 単に
 それらのホログラフィ

 伸ばした人差指の先がどうしてもあなたに触れようとする
境界の向こうの無音

(2004.10.14)-9
それから、武田百合子氏「犬が星見た」も、読み始める。猛烈にうまい。一語一語の選択のレベルが違うと改めて思う。世間がこの佳作に対して、読売文学賞で報いたのは、うなずける。日本語としては、ほとんど唯一無二のものではないか。日記をここまで完全なかたち(それは、ぼくの想像を超えている)で書く人というのは、なかなかいないのではないかと思う。でも、h2oもそのひとつだから、完全に唯一無二というわけでもない。
(2004.10.14)-10
そして、ぼくはそれを本にしたい。


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