tell a graphic lie
I remember h2o.



(2004.9.18)-1
少し、あたりをつけてみようとする。彼女の孤独も、ぼくのそれも。
(2004.9.18)-2
 何から考えたらいいのだろうと、毎晩、あとは眠るだけが、残された一日の義務になった、街の騒音もまばらになる頃に思う----騒音にアイデンティティを見出した青年の乗るバイクが、二階建ての住宅の建ち並ぶ、他の通行のない通りを、マフラーをパンパン言わせながら走る音が近くなったり遠くなったりすることにも気づくから、ずっとそのことばかりを思っているわけでもないようだけれど----そして、ほとんど同じようなことを、昨日も思っていたに違いないのだけれど、毎日があんまり同じすぎて、その記憶が昨日のものなのか、それとも一昨日のものなのか、ひと月前なのか、あるいは、つい今しがたのものなのか、ぼくの意識の裡ではひどく曖昧になっていて、はっきりと言い切ることすら難しい。昨日もそれを思ったことというのは、記憶ではなくて、習慣の認識といったようなものから来る一種の推察でしかない。だから、極く単調な生活のなかにも、日々起こる僅かずつの変化によって、ぼくから失われてゆくものたちと一緒に、その日は消えてしまったり、実際のところとは全く異なったものとして顕れたり、そういったことが常に起きているのだと思う。でも、ぼく自身がそのことに気づくことはできない。ぼくが一日の記憶として保持しているのは、昨日は今日とほぼ同じだった、という短い一文だけで、他のあらゆる記憶は、この言葉からの推測によって導かれる、日付と習慣によって規格化され、そのつど生成されるイメージの集合に過ぎない。一昨日の記憶もやはり、今日とほぼ同じだったところの、昨日の記憶から導き出され、三日前、四日前と、あとはただそれを再帰してゆく。この方式だと、生れた瞬間から、ぼく自身は今のぼく自身だったということになるのだけれど、それが問題になることは、まず無いし、もしかしたら、本当にそうだったかもしれない。
 記憶を持つようになってから随分と時間が経って、人がいわゆる大人と呼ばれるようになってくると、よく昔のことを思い出して過ごすときを持つようになるみたいだけれど、ぼくの記憶はたったの一行だから、そういうことをするには、とても都合が悪い。ぼくには彼らのように、記憶が自然に流れ出すということがないのだ。ぼくにとって思い出すということは、今日、いま此処にいるぼく自身から、過去の、そのときのぼく自身を想像するということをいい、それはいつも新しい作業としてあらわれるので、そんなに流暢にやることはできないし、しばしば失敗したりもする。それに、そうして半ば作り出された記憶というものは、どうしても奇妙な距離の感覚を伴っており、すぐに自分のものになってくれることはない。だから、強いられでもしなければ、しようとは思わないし、追憶することを強いられることなんて、普通はありえない。ぼくはただ、昨日と同じようなものだろうと思って、今日いちにちを過ごしていたのであり、それから、明日もやはり同じように過ごすことになるだろうというのだけを持っている。
 そして、いま考えられることなんて、いつもいつもあるものじゃない。だから、何から考えたらいいのだろう。そう思うことが多くなる。ぼくには、だいたい同じというより他に、これまでの記憶がないのだから、これからのこともそれ以外に作り出しようがない。今日あったいちにちは、眠ることで、あるいはそれと同じ時刻が再び廻ってくるところで、昨日に変換され、いつの間にか、今日とだいたいにおいて同じであったというラベルが貼り付けられている。そしてそのラベルも、しばらくすれば、インクが褪せて、ぼろぼろに崩れてゆく。ぼくの生活の記憶は繋がった線としてあるものではなく、互いに接しない点の連続でしかない。印字機が等幅で打つような、一様な点列。あるいはディスプレイにこれに続いて表示されるような点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぼくの日々。
 毎日、鉄筋コンクリートの表面を覆うペンキを舐める風の音や、近くの通りを車が走る音や、学校のグラウンドに子供たちの騒ぎ立てる音を聴いて、その隙間をぬって歩き、そして自分に割り当てられた何かをする。昨日と同じだなと思う。それはごくごく当たり前のことで、きっとぼく以外の人々だってそうなのだと思うのだけれど、みんなぼくのように記憶を持つようにはならないみたいだから、きっとぼくが変なのだということで、じゃあ何がいけないのだろうと思うのだけれど、手がかりも何もぜんぜん見当たらない。それはぜんぜん面白そうではなく、何から考えたらいいのだろうと思うくらいしかできない。でも、それだけは思っているので、きっとぼくはこのことに興味があるのだろうけれども、だとすればひどいヒマ人だとも思う。ヒマならもう眠ればいいのに。
(2004.9.18)-3
書くことがわかってから、実際に書き付けるのであれば、抑えて、文を短くすることができる。でも、何を書き出すのかわからないままに、書き付けはじめてしまうと、文は膨らむことしかできない。一度書かれてしまった文を削るのはなかなかに難しい。要らないからという理由で、一文を切ってゆくのは簡単なのだけれど、そういった文にもたいていは、文の連なりを構成する要素がひとつふたつは含まれていて、ただ切るだけでは、文の連鎖まで断ち切られてしまい、全部削るのとおなじことになってしまう。
(2004.9.18)-4
さいきん、ほんとうに記憶が何も残ってゆかないようになってきたので、少しでもまともな文を書いたときは、ラベルを貼って貯めてゆくことをしなければならないかもしれない。
(2004.9.19)-1
それは形容であって、評価ではない。
(2004.9.22)-1
韓国から、ただいま。イチローすげぇ!
(2004.9.22)-2
もういちど、「砂の岸辺」に。と、思っているけれど。
(2004.9.22)-3
ひとりとの話し方。echo from my spilitual sequence.
(2004.9.22)-4
やってはいけないこと。直接こころに触れること。うっとりして盲になったり、シンクロしたりしてはいけない。それは、正確ではないから。その正確さは、とてもとても必要なものだから。ぼくはあなたと距離のある言葉を選び、それが、この現実以外の何ものもあらわすことのないように気をつける。ほんとうに、それだけは気をつける。言葉が、別の何かを与えてしまうことがないように。いや、それはもっとはっきりと言える。言葉が幻想を導かないように。ぼくはひとりで、机の前にうずくまっている。それだけが事実で、それが導く現実は、極めて味気のない、シンプルでノーブルな事態で、つまりこうだ。ぼくは
(2004.9.23)-1
読み返す。きついね、これは。でも、覚醒都市にはなっているかな。氏に、読んでみてもらおうかな。
(2004.9.23)-2
秋山駿の「舗石の思想」を読む。自分の思っていることとあんまり一緒なので、却って何の感興も湧かない。より拙いものではあったけれども、そこに書かれてあること全部を、ぼく自身も一度書いた記憶がある。読んで得たヒントといえば、彼がその根拠の一部を戦争に見出しているのに対して、それを持たないぼく自身は、それゆえに少し別の形態をとり得るだろうということと、自己とか自我とかいった言葉が古臭くなってしまった今は、彼の書いたものとは違った側面からそれを書き記すことができるだろうということだ。それはたぶん、ぼくがその意図を放棄しなければ成るだろう。「舗石の思想」は、その確信みたいなものをぼくにもたらした。実に間抜けな気分だ。これはたぶん書けるだろうという予感のつまらなさ。
(2004.9.23)-3
それから、秋山駿とぼくとの違いとして、彼は小説に違和感を抱き、ぼくは批評に違和感を抱くというところで対立しているという点。小林秀雄の捉え方が百八十度異なる。秋山は小林の評伝を書くくらいであり、ぼく自身はゴッホを観に行って以来、小林の言っていることには、その対象への正確さが皆無であると断案してしまった。小林の「ゴッホの手紙」を読んで、実際に「ゴッホの手紙」を読み、それから彼の絵を観に行ったぼくは、そこで小林の言っていることが全くの的外れであることをそこに見出した。小林は、ゴッホの絵について言ったのではなく、ただゴッホの手紙について何か言っただけだったのだ。けれども、ゴッホにとって手紙というのは、あくまで副次的なものでしかなかった。彼は、正銘の絵描きだった。それは、彼の作品を見れば、一瞬で諒解できることだ。しかし、なぜ、小林は、ゴッホの絵ではなく、彼の副次的な産物でしかない手紙について語ったのか。この疑問に対する答えは至極簡単である。それは、彼には絵を見る能力が無かったためで、彼はただ彼にも理解することのできる、手紙という文字の集まりを見、それをベースにして、小林自身の問題を取り扱ったに過ぎなかったのだということである。また、これと同様の事態が、「モーツァルト」のときにも起きている。そして、この小林の代表作二つがそうであれば、もはや十分である。要するに、小林秀雄という批評家が書いたのは、ただ自分自身のことだけなのであり、そうであるのならば、批評という文章の形式は、あまりに狭小な限定されたものであり(あらゆる暗示も、象徴も使えない!)、そのようなものによって自分自身について書くことは不可能なのである。それにはただ指し示すということしかできない。それだけで事足りるのであれば、詩や小説は、少なくとも今のかたちで存在することはなかっただろう。
(2004.9.24)-1
今日は、オースター「ムーン・パレス」を読んだ。一日で読んでしまった。あんまりよいことではないのだが、まあ、そういうような作品であったのだろうというと、少し肯くところがある。ちょっと、よくでき過ぎている。など、あのようなちんちくりんのものしか書けない者が言ってよいことではないのだが。でも、ほかに特に言うべきことが残ったわけでもなかった。上手に書けるようになり過ぎている感がある。もう少し、書くことに苦しんで欲しかった。ぼくは、基本的にそんなところしか見ないのだから。
(2004.9.24)-2
覚醒都市」はフィックスされました。「かいそう」も一緒に諦められます。これから、その処遇については少し考えてみるつもりです。
(2004.9.24)-3
ジョアン・ジルベルトのチケットが届く。さっそく財布にしまいこんで、安心。
(2004.9.24)-4
今日なおしていて、ひとつ思い出したことがある。ぼくはそのなかで、いっさいの断案を避けているという点。それはやはり、できるようにならなければならないだろう。できないのではなく、しない、というふうにならなければ、嘘だ。
(2004.9.24)-5
積みあがった沙翁全集をみて嘆息す。もう未読が二百冊を超えている。これだけでも、仕事を辞めるには十分な根拠だ。で、また、島尾敏雄に取り掛かろうと思う。井伏鱒二の「黒い雨」が読みたいのだけれど、タイミングがつかめないでいる。それから、スチュアート・ダイベックを読みたまえ。でも、四十歳未満の部では、太宰が一ばんだから、太宰を読んでもいい。「薄明」やら「メリイクリスマス」なんかを読みたまえ。
(2004.9.25)-1
クラシックことはじめ。紹介していただいた4枚 + グレン・グールドとワーグナー。
(2004.9.25)-2
手探りの場合の常套手段。列挙体。今日はいつもより、より断片化するものと思われる。なにせ、さっぱりわからん。
(2004.9.25)-3
クラシックというものをはじめて、(3時間以上、頭をひねろうとすることが、そう呼ばれるに値するならば)まじめに聴くことをする。それを言い表わすべき言葉、ひとつも浮かばず。何もわからん。実に呆れる。
(2004.9.25)-4
とりあえず、部屋のオーディオ機器が、そこそこよいものであるらしいことを再認識する。少なくとも、その辺で流れているのを聴いたのではおそらく起りえないような、囚われかたをする。15分間、肘をついた両腕に頭を乗せ、あほみたいに固まっていることなんてはじめてだ。音に集中する。
(2004.9.25)-5
グレン・グールドは初心者向きだ。ピアノという楽器が出すことのできる音というものを、一音いちおんくっきりと、わかりやすく出して見せてくれる。ピアノ自身が曲を弾いているみたいに。そういう方面の控えめさというのが彼のピアノにはみられない。全部出し切る気まんまんである。買ったのがベスト版みたいなやつだったので、今度はもう少しまとまりのあるものを聴いてみようと思う。
(2004.9.25)-6
少し脈絡がなさ過ぎただろうか。仕方がなかったのかもしれないが、クラシックといっても、中身はそれぞれ全然違うじゃないか。それこそ、ラップとテクノくらいに違う。大編成でやるものと、少人数のものと。歌つきと無しと。ピアノだけ、弦楽器だけ、等々。おんなじ大編成だって、バッハとワーグナーじゃ、やってることは全く別物だ(百年のギャップがあるんだから、当たり前かも知れないが)。けれどもたしかに、一人の作家がその全然違ったものの双方を書いてしまっているのだし、演奏者側も両方やれてしまうのが(あるいは、これはそうでもないのかもしれない)、混乱のたねだ。かくして、初心者のぼくにはまったく見分けがつかないという事態になる。もう少し、小分けにして取り扱う必要がある。自分の好みを言うのは、そのあとだ。
(2004.9.25)-7
ワーグナーは、ハリウッド映画的あるいは大河ドラマ的なので、スキップ。要するに、あれは、こいつが始めたんだな。これは、クラシックには非ず。今は、対象外。
(2004.9.25)-8
それ以外の音楽を聴いてはっきりしていることは、ぼくの音楽のつまみ方は、ジャンルではなく、音楽家個人であるという点と、それから、大衆性よりは個人私有指向であるという点で、これはたぶん、クラシックについても当てはまるだろうから、最終的には、現時点では思いもよらないような人を気に入って、聴くことになるだろう。そして、現在とくらべて、クラシックは作家の数が極端に少ないので、そういったことになる人というのは、一人かせいぜい二人といったところになるだろう(クラシックには、奏者や指揮者という区分もあるようだが、正直いって、音痴のぼくに、それを十分に聞き分けることができるとは、今のところ信じられない)。
(2004.9.25)-9
とりあえず、現状におけるヒントは、バッハの「カンタータ 第61番」と「2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調」をなぜか気に入ったという点で、でも、それがなぜなのかはさっぱりわからないし、それに、単にたまたまそのとき集中して聴いていたからというだけかもしれない。バッハによるものだという以外では、ふたつのあいだに特に共通点があるようにも思えない。
(2004.9.25)-10
さて、ここからが本題。音楽を文によって、いかにして修飾するか。いまさら?そう、今更ながらに。もちろん、ここでまともに何か言えたというようなものを期待するわけではない。ただ、今日はじめてクラシック(と呼ばれている、一連の古風な管絃楽)を聴きながら考えようとしていたことが、どうやらそれであったらしいということに対して何か言おうとするだけだ。
(2004.9.25)-11
そして、案の定、またここで固まってしまう。眠たくなってくる。
(2004.9.25)-12
それは、どちらかといえば、こういった論法で進められる。音楽を言い表わすことはできない。音楽は音楽以外ではないのだから。それはごく当たり前のこと、音楽を小説に置き換えれば、いつも言っていることだ。小説はそれ自体よりほかに書きようがない。でも、実際は、ぼくらは読んだ小説について、聴いた音楽について何か言ったりすることが非常に多くある。この文だって、その一例だ。それなら、こういったものは、音楽の、小説の、いったい何について言っているものなのだろうか。そして、今日ぼくがうっかり三時間あまり(いや、もう六時近いのだから、単純に経過した時間だけをみれば、六時間以上)にもわたって、やろうとした、クラシックを修飾しようとする試みは、単にぼくの能力の不足によるものではなくて、常に不可能なものなのだろうか。
(2004.9.25)-13
聴きながら、ただそれを、その一部でもいいから、表している単語がないものかと思う。無い。一ばん安易で、それだけにうまくゆきそうな単語、「美しい」というのと、今聴いているそれは、完全に異なっていた。聴いているクラシック音楽、バッハやシューマンが書いた曲たちは、美しくはなかった。誤解を避けるためにより厳密に言えば、その「音楽」は「美しい」ではなかった。「豊穣な」でもなければ、「充実した」でもなければ、「壮大な」でもなく、「抽象的」でも、「やわらか」でもない。強いて言えば、それは「バッハ作曲の『2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調』で、指揮はトレヴァー・ピノック、ヴァイオリンはサイモン・スタンデイジとエリザベス・ウィルコックで、フラウト・トラヴェルソはリサ・ベズノシューク、それにイングリッシュ・コンサートの演奏で、録音は1983年、場所はロンドン。指揮をするトレヴァー・ピノックという男は、、、」というような、事務的情報で包まれるよりしかない、ひとつの「音楽」というものだった。あんまり困ったので、少しカンニングをしてみた。ブックレットを読んでみたのである。そこにあるのも、結局そういった事柄だけだった。バッハの紹介にはじまって、収録曲の書かれた年代と背景等の情報、録音の年月日と、そのときの奏者や指揮者のコンディション等々。
(2004.9.25)-14
どうも要するに、ただ単にぼくがやり方を完全に誤っただけという気がしてくる。
(2004.9.25)-15
でも、小説なら、そのなかからひとつのキーワードを抜き出してきて、それについて喋ってみたりすることはできる。では、そのキーワードというのは、何か。それは、その作品が内包しているテーマと意味とである。言葉で行われた小説には、それがあることが多い。たとえ、それが見当たらない場合でも、無意味というひとつの意味が、たいていは取り出せてしまう。それから、印象とか感想といったものも、多くの場合は、それに該当する単語があるものだ。しかし、いま聴いているバッハには、そんなものはどこにもありはしない。少なくとも、ぼくには見つけることができない。クラシック作品の多くが、単純な名称、連番と形式とだけが付加されているだけのことが多いのも、そのような理由によるのではないか、など、多少言い訳がましく思ったりする。
(2004.9.25)-16
奏者のことを云々する場合に、解釈といった言葉を用いるけれども、彼らの解釈は決して言葉ではない。それを演奏することが、曲の解釈なのであり、それ以外に音楽を解釈する方法などないのだ。聴くだけでは不十分だということだろうか。たぶんそうだろう。作曲家と話をするには、彼の作品を奏ってみるよりほかない。
(2004.9.25)-17
小説だってそうだ、と言おうとするけれども、ちょっと自信がない。小説には、用途ではなく意図というものが、言葉として貼り付けられていたり、まんなかに埋まっていたりする。バッハがいくらミサ曲を書いたとしても、それはミサ用の曲というだけだけれども、小説はそうはいかない。むしろ、そのような純粋に用途だけを持つものを作ることの方がずっと難しい。誰かの誕生日を祝う曲、というのはあるが、誕生日を祝う小説、というのは、ちょっと見ない。逆にまた、「白鳥の湖」が、それ以外の何ものでもなく、ただ「白鳥の湖」だけをあらわしているとあらゆる人間に認識させるのは難しい。
(2004.9.25)-18
おなじ言葉を利用したものでも、小説と違って、詩には音楽と同じような性質がある。というよりは、もしかしたら、そのようにあるものが、詩と呼ばれるのかもしれない。
(2004.9.25)-19
手紙のかわりに、曲を送る。すると、感謝や感想の言葉ではなくて、曲が帰ってくる。そういうことは悪くないかもしれない。ジャズのセッションなんかは、そういうことになるのだろうか。ぼくにはできないやりとりだけれども。でも、句でなら、できるかもしれない。すごく下手くそだけれども。そういえば、芭蕉とその弟子たちがそんなことをやっていたな。
(2004.9.25)-20
ここらへんから、関心は音楽にではなくて、小説に移ってくる。ぼくは音痴だけれども、いや、小説だって見れたもんじゃないんだけれども、小説のほうにより関心がある。小説を修飾したり、何かコメントしたりする、たとえば、島尾敏雄。
(2004.9.25)-21
島尾敏雄について何かいうのは、結構むずかしい。なにしろ、何が言いたいんだか、よくわからないことが多い。何を書いているのかはすぐにわかる。でも、それがいったい何なのか、ということは、島尾の小説を読んではっきりと感得できることはまれだ。あんまりしつこく同じことばっかり(魚雷艇のことだとか、二三人の男たちの微妙でセセコマシイ心理の葛藤だとか、微温の恋だとか、妻のことだとか、そういったことがごったになった夢のことだとか)を、おんなじようにして書くので、はじめの五六行読んだだけで、大抵の場合、内容は知れてしまう。さらに、小説の筋自体は、他のどの作家にも増して、「何も起きないのと同じこと」でしかないことが多い。主人公が、心の中でひとしきり、なんかぶつくさやって終わるだけだ。でも、島尾敏雄の小説は、どうもそういうことではないらしい。
(2004.9.25)-22
でも、じゃあ、なんなんだ、と言われると、また固まってしまう。
(2004.9.27)-1
私小説ね。私小説。庭の花壇のヘチマ棚。私小説っていうのは、生活を考えることだね。Why do you live there... 林京子「雛人形」。昨日読んだ、石牟礼道子「五月」。それから、島尾敏雄の夢のトレース。作品集第三巻は、どうやらそれで一冊埋まっている。
(2004.9.27)-2
手がへんに熱い。肘より先の四分の一と両手全体。皮膚の下を陽にじわりとあぶられているような感覚があり、その手で体のあちこちに触れてみると、実際に手が熱いのだとわかる。原因に特に心あたるもの無し。何も書くな、ということだろうか。
(2004.9.27)-3
堀江敏幸のエッセイに島尾敏雄を扱ったものがあるのを見つけたので、それだけを読む。堀江敏幸は何の関連で知ったものか、ほんのひと月かふた月のことなのに、既にすっかり忘れ去られている。「気鬱」「眼華」「撤退作戦」などが、キーとして挙げられており、「選択の拒否と視界の歪曲」ということが指摘される。吉本隆明も島尾敏雄について書いているらしい。
(2004.9.27)-4
堀江敏幸の指摘には正鵠を射ているという感がある。しかし、正鵠の感はあるものの、同時に、どこか違和の感じも伴っている。そして、その違和は、堀江敏幸の不備によるものではなく、島尾敏雄の小説の性質から来ているように、今のところ感じられる。たしかに、島尾の小説は徹底して「選択」を放棄している。しかし、どうもそのことが、こういった指摘をもまた、拒んでいるように思われる。徹底した受動、優柔不断。
(2004.9.27)-5
試案。島尾敏雄の徹底した受動は、自身の外側に対してだけのものではない。外界の刺戟だけではなく、内界の刺戟に対しても、それは貫かれている。彼は、彼の心裡のうごめきをも、ただ見るだけなのであり、それに関与する姿勢は見られない。彼は、自身の心裡の私有すら放棄する。それは、ただ五感による刺戟と同じように、思念として感覚されるされるだけのものであり、それらのあいだには、なんら本質的差異はない。島尾にとって、一人称というのは、ごく自然な形であり、それ以外は取りようがない。彼には心理の描写というものは必要ではない。それは、他のあらゆる記述と区別されない。
(2004.9.27)-6
川端康成はどうだったか。
(2004.9.27)-7
試案。島尾敏雄の徹底した受動は、それを積極的に捉えようとする試みをも拒絶する。いま挙げたものでないうちの、どれか。島尾敏雄には常にそれが付きまとう。どれだけ言葉を積み上げようとも、常に、それでないもののうちの、どれか、となり続ける。挙げられたものたちは、それぞれが点となってある輪郭のようなものを描き出すようになるが、それそのものは、そのようにしてしかあらわされない。電子の不確定性原理のように。存在確立の積分が、そのものを形成する。
(2004.9.27)-8
試案。島尾敏雄の徹底した受動は、主体の喪失を伴い、それは同時に客体の喪失をも意味する。
(2004.9.29)-1
ホロヴィッツのシューマンを聴き続けている。外は時おり稲びかり。
(2004.9.29)-2
島尾敏雄、主体の喪失について。ちょっとずつ思っているのだけれども、どうしてこんなことを言ってみたのか、自分でも今いち判然としない。でも、彼が夢のトレースをはじめたのは、彼の受動や、「感じやすい」「センシブル」といった事情が、底流としてあるような気がする。彼の精神は、夢の中で彼なりに解放され、その奥底にある、願望というほどでもないけれども、まあ、それなりの能動といったようなものがが顕れてくる。彼はそれを、あくまで受け身の姿勢で書きとめる。けれども、この受け身は、彼の意思、即ち能動によるものであり、それが現実の場合と異なる。ここにおいて、島尾敏雄のもっとも積極的な姿勢である、徹底した受動がもっとも顕著になる。
(2004.9.29)-3
「月暈」はよくできている。でも、今はちょっと眠すぎるや。
(2004.9.29)-4
(小説のなかの)現実における彼の行動のあらゆるものは、
(2004.9.30)-1
今週は、微妙に忙しい。今日の帰宅も、二時半。九月が終わってしまう。


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