tell a graphic lie
I remember h2o.



(2004.9.2)-1
スイッチ。ぼくは裏返って隠れてしまう。ぼくの過去を大切と思えない。
(2004.9.2)-2
去年入社の残った一人が、TVの制作会社に行くので、十月末で辞めると言い出す。ぼくも抜けるので、短期間に二人も減ってしまうことになる。
(2004.9.2)-3
一年ほど前から、ぼくのなかに驚きが消えていることをふと思い出す。そのことは、「歩きながら何か思っている」で書いているので、記憶違いではないのだろう。たぶん、これはぼくみたいな者が陥る典型的な症状で、そこから抜け出せないのは、単純に、ぼくの前に現れる世界には、まだまだぼくの知り得ない、かつ知りたいと願うことというのが転がっていると気づいて、驚くという事態が想像できないからだ。たしかに世界は、知らないに満ちて、というよりも、それしかないのだろうけれども、端から世界を限定しているものにとっては、そんな言葉は何の実効性も持たない。井の中の蛙とはよくいったものだけれど、普通の人間というのは、要するにはそういうものだ。(そう、この「要するに」が曲者なのだ)フォークナーや、ガルシア・マルケス、コルタサルなんかが書く小説というのは、このことが始点のひとつとしてあるので、あのようなロジックになるのだし、そしてそれは実際にあのような実に素晴らしい作品をもたらす。気どった言い方をすれば、ペシミズムということになるのかもしれないこの姿勢は、また同時に、世界は向うからは決してやって来ない、それは自ら採掘するものだという覚悟でもある。たとえ、採掘の結果、思わぬものが掘り出されて来ようとも、自ら意図してそういった可能性をはらんだ行為をしていたのだから、別に驚くには値しない。それが思わぬものであろうが、期待どおりのものであろうが、それを見なければ何もならないという点では変わらないのだし、そこにかかる手間というのも、実際はほとんど変わらない。なぜなら、事前に予測できるような知識など何の価値もないので、結局そのものを前にしてからだけが常に、何かを取り出す作業なのであり、それ以前には何ひとつできることはないからだ。そうして、できるだけ感情を排して、あるいは湧き上がる感情も観察対象としてとらえ、ただ見ることをする。それには決定的に驚きがかけており、したがって、その過程というのもほとんど無価値であり、ただそこから引き出された成果物だけが、それもその次に際して利用できるという理由のみによって価値を持つことになる。要するに、ぼくはそのような一個のシールドマシーンに過ぎず、何を掘るのかといったことや、どれだけのものが掘れたかといったことは、実質上は何の興味も惹かない。回転する刃に岩盤があたれば、それは削られるのであり、そうでなければ、何も起きないだけのことだ。
(2004.9.2)-4
あるいは、このような言い方のほうが多少のセンセーションが湧くかもしれない。何も期待しなければ、期待を裏切られることはない。あるいは、期待は裏切られる可能性をはらんでいることを認めていれば、重要なのは、結果が得られたことそのものであるのだから、いずれであっても、大きな違いはない。
(2004.9.4)-1
最暑期のあつさが和らいでくると、太陽の無い時間帯には、暑気の衰えに伴って大気中の水分が凝結し、スコールが起きるようになるらしい。雨雲の急激な成長のうねりは、その胎内に電気的に強大な摩擦を生じ、ついに稲妻となって具現し、周囲に向けて放射する。
(2004.9.4)-2
 雨降る、心をシリコンで固める
(2004.9.4)-3
以下、二三日前に読みにくいので写すといった、島尾敏雄「市壁の町なかで」。とても読みにくい。そして、その部分はぼくの書くものに一部似ている。そういった箇所は、主に静物画的な、動きの止まったものの記述から成っており、それが文章を目で追うという、読者の動作と衝突しているように思われる。今まで、そういう視点から小説を読んでみたことがないのでわからないが、小説を構成する文というのは、そのほとんどが動きを伴った文なのかもしれない。動作の記述や、心理の描写などは、シーケンシャルな動きを帯びたものであり、そのことが文章を読み進めるための原動力として常に作用している。「物語」というのは、つきつめればそういうことなのかもしれない。明瞭なロジックというのは、上から入って下に抜けてゆくという、暗黙の前提としてある規則に忠実であり続けることをいうのであり、現在おさめられている言葉の次に、それに何らかの関係を持った言葉を、そうやって押し込んでゆくことが、何かを言うということになる。言葉というのは要するにそういうものをいうのだろう。
(2004.9.4)-4
でも、ぼくは停止している文が書きたい。それがぼくの正確な投影であるのだから、そうしたい。
(市壁の町なかで)
 ホテルの建物のまんなかにまるい空間があり、一階から七階の上までつきぬけていて天井がない。晴れた日にはどの階からもドームと見まごう青空をながめることができ、雨がふればしたたり集まった雨水の、地階のゆかにたたきつけるじだらくな音がきこえた。
 或る日エレベーターに乗らずに私は階段を使って上の方にあがって行った。私の部屋は三階か、もしかしたらそれは四階なのかもしれない。建築現場を思わせる鉄の枠ぐみだけのエレベーターの昇降路が階上まで設けられ、ベルで合図すれば、はだかの車体をこみざみにゆすぶりながらゆっくりあがってきた。鉄格子のあいだからすっかり見えるなかのベル・ボーイも乗客もまるで処刑場につれて行かれるひとのようだ。しかし階段の方は忘れられた小道の運命に堪え、ひと気なく、なにか薬品か化粧水のにおいをただよわせている。フロアを二つものぼると息切れがした。のぼりつめたところは六階か七階か。とっつきは、がらんとしたうすぐらい部屋。なにも置かれてはおらず、ベッドを取り去ったあとの大部屋病室かもしれぬと考えたのがおかしい。ところどころ壁も落ちたまま、それはかなりまえから放置されていたとしか思えぬ。私の頭のなかには、建物のまんなかのまるい空間が投影され、そのいちばん上のところがどうなっているか見たいと思っていたようだ。それでそちらに近づこうと部屋に足をいれたとき、左の視野をひとつのかげがよぎり、短い肉声がきこえた。ついそちらに目を向けると、廊下をはさんで、ドアのない戸口の向こうの部屋に西日がさしこみ、こちらとはうらはらに日の光があふれている。それを見たとき、なぜだか倦怠の気分が、うっすらからだの中を流れすぎたが、明るさにさそわれ近づいて行って思わず立ち止まったのだ。壁いっぱいに画がかれた絵が先か、背中を見せて別のドアから出て行った若い女の姿が先だったか、見てはならぬものを盗み見たためらいで、ついそらした目の方向に岩乗なからだつきに袖短なうすい樺色のシャツを着けた年老いた男が居た。私は衝動をうけ、大急ぎで視線をそらしくびすをかえした。老人の非礼をなじるするどい声が投げつけられると覚悟しながら。しかし部屋の中を歩く軽い靴音がきこえるばかり。私はもう一度ふりむきたいのに無理におさえていたせいか、背中がむずがゆくなり、その絵の或る部分が焼付けられて、いたみを感じたほどだ。それは白い壁の四角な家がかさなりならぶゆるやかな丘陵を背景にした海ばたの光景なのだ。幾人かの傷ついた男たちが砂浜にひざをつき或るいはからだを横たえて休息している。傷口は無残に破れ、鮮血がなお流れてくる様子だが、なぜ彼らが傷ついたか、背後の丘陵都市とどんなかかわりがあるのか、私にはわかりようもない。それは人々に広く知られくりかえしえがかれてきた画題なのか、それとも画家が気ままにえらんだものか。あいまいな印象のなかで、画面の血の朱の色が他とのつり合いを破って赤すぎたのが気持にしみついていた。もしかしたら、傷つきたおれた男たちのそばには、何人かの若い女が画かれていたのではなかったか。妙なことにそこのところがはっきりしないまま、やはり女たちが男を介抱しようとよりあつまってきたのだと思いたかった。もっとも女はその上の致命の傷を負わせようと男たちを追ってきたのではないとは言えないし、そこに女などひとりも画かれてはおらず、それはうしろすがたをほんのわずか印象づけて部屋の外に出て行った若い女の残像が、画面の上に焼きついたのかもしれなかった。そう思うと背景の丘の上の町とみえたのも、向こう側の窓の外に西日をうけてむらがっていた現実の町の展望が重なってしまったせいだったかもわからぬ。いずれにしろ、私はどうしてもうしろをふりむくことができずに、のぼってきた階段をふたたびおりて自分の部屋にもどった。

 胸のまんなかの或る部分をえぐりとられでもしたほど力がぬけ、ベッドにからだをあおのけに投げ出すと目は天井に向いた。そこは壁とつづき合うかざりのない灰色の面があるだけだ。でもそれはかえって私の意識を自由にした。ひとところ外にひらけた窓があり、そのしころになったよろい戸はしめていたから、部屋は沈んだほのあかるさがたもてた。外の丘陵の町の家々を白く反射させている太陽の光が、日はすっかりかたむいているのにおところえも見せず、戸の外のところにひしめきむらがり、部屋の中におし入ろうとしているこころよい気配があった。ただひそかに旋律がただよっているのが私を落着かせない上に、ベッドのバネが強すぎ、からだがまるく手ごたえなく沈み、支えのきかぬ気持だったが、いつのまにかかるい眠りにおちた。
 どのくらい眠ったか。なにかにさされて、からだがかゆくて目がさめたので、敷布ほどのうすいかけ布のあいだからはい出て、ゆれ動くベッドからスリッパをさがし、ゆかにすべり落ちた。ふだんの生活の習慣にないそのしぐさが、足腰の筋をちがえるかもしれぬと、ものうく感じながら窓辺に近より、ハンドルをまわした。しころを立ててひらいたすきまの外は、すっかり日がおち、闇がひたとおしてきている。ついさきほどまで、そこには光がはねかえっていたのに。目がなれると丘の上にぎっしり並んだ屋根をおおった穹窿は深い青色をたたえ、夜空に入道雲のむら立っているのが認められた。地上では大方の窓にも灯がともり、くろぐろと四角なものが重なりあい、ほのあかるい丘の稜線のところで、天空のやみのひろがりを防ぎとめていた。いきなり、物悲しさが広がり、丘のむこう、海のあたりから背光のさしのぼるしるしがあらわれて来そうな気配がただよっていた。その眺望は、うなばらか草原を見わたしている錯覚にみちびく。はるかなところからの誘いをうけているような。しかし目の下のところには家々が、あなうらに似たよごれをつけたまま、たいらな屋根をあらわしていたはずだ。その下には私のまざりこめぬまぎれもないあらわな生活。

 身仕度をしてエレベーターのところへ行き、ボタンをおした。背丈も鼻梁も高く岩乗な、しかし挙措のたよりなけが年老いたベル・ボーイが、車体のハンドルをあやつって上がってきたが、無言のまま鉄とびらをあけ、観察の目を沼底に沈めおく気分をただよわせていた。もし、それがその老人ではなく、はやりうたを口にし、折りたたみ防止を横ちょにかぶってあけひろげの笑顔をしてみせる少年なら、案内書でおぼえたこの町の挨拶のことばを口に出し、片目をつぶってみせようと思っていたのに。
 町は小さなひとつの細長い島の全域に広がり、石と煉瓦と石灰の四角な家がすきまを置かずに建てこんでいるだけでなく、せまい海峡をはさんだ本島とのあいだは幅広い橋でつながっているから、それが島であることを、つい忘れさせてしまう。家々がつらなり果てて海に臨むところでは、どの道もくずれかけた市壁につきあたり、それはこの町の周囲をとり巻いていた。そして外海につき出た尖端には石積みの荒々しい堡塁が風雨にさらされている。だからどちらに歩いて行っても市壁か堡塁につきあたることを私は知っている。左右に長い七つの通りとそれに交叉する南北の九つの強い勾配の道。東西の道とても、たびたびのぼりおりをくりかえさなければならないが、いずれにしろ子半時間もあれば全行程を歩き終えてしまうほどの、どの通りも同じ顔つきの町。せまい道に両がわからバルコニイがつき合うように張り出て、通行人がおたがいをななめにしなければすれちがえぬほどの細い歩道を屋根がわりにおおっている。住宅も商店も食堂も教会もそして映画館もすきまのないおなじ家並みのなかにはまりこんでいるから、通りすぎてからはっと気がつくくらいだ。
 日がくれると、大方の店が入口をとじてしまうようだ。中には近代風にガラスばりの飾窓をとりつけた店もあり、電灯をあかあかとつけ放しにしておくので、店内の商品は、動きを突然止めたままのそれぞれの姿態で、あかるい照明を受けていた。なんだか動かせない沈黙のすぐ裏がわで、あやしげな饒舌をいざない出す気配をふりまいているようだ。装った人形たちは、いっそう濃い気配のなかで、誇張してとがらせた口もとをひらき、なにかをかたりかけようとしていた。熟れて落ちる感じで、かたりとおちたものがあり、するどい光が私の目をのぞきこんでそれたと思えた。人形たちが大口をあけて笑いだすのを見たと思うほど私は快いおどろきにおそわれたのだ。そのときまでじっとしていた一匹の猫が、いきなり商品の山をおりて、装身具や置きかざりの品物の上をまたいで奥の方に歩いて行っただけだが。道にしきつめられた青い煉瓦が電灯の光にうつしだされ雨濡れのあとのようにかがやき、それを、青やクリームや桃の色の家々の壁がやさしく吸収して、あやなす色彩のそのやさしさが町をおおっていた。行き交う人々の背丈は私のそれとかわらず、低いけれども、やせてひきしまったからだつきから、気どらぬにぎやかな人なつこさを伝えてよこす。茶褐色の肌の色、中にはあきらかに黒色に輝く皮膚があり、それらはおたがいに歩みよって、少しずつ相手の皮膚の色もまじえ合い、区別ができなくなっている。せまい歩道で彼らとすれちがうと、私のからだはひきしまり、悲しいたのしさがわきあがってくる。
 せまい広場では、かたすみの石のベンチに人々が集まってなにか勝負ごとをしていた。ガス灯のかたちをした外灯が二つ三つついていたが、刈りこまれてボンネットみたいにつくりものじみた大きな樹木にさえぎられ、その光をよく周囲には通さない。すみっこに征服者の像がひっそり立っていたようだ。急な坂道のそばだったから、そこは部落の泉の感じがした。昼間はせまい歩道をひっきりなしに人々が通ったのに、今はめっきり人波がひき、しき石だけ青い陶器のように町の灯に映えているのに気づく。ようやく開店中の食堂をみつけ、ドアをおして中にはいったが、もう閉店まぎわだからとことわられそうに思えたほどひっそりとしていた。
 中の構えもよく見ないで、私はとっつきのカウンターに近より、まるい固定椅子に腰をのせた。カウンターはずっと奥にむかってのび、なかではたらいていた給仕人のひとりが近づいて来た。
 「コロナ」
 と私は右手の人差指を一本立てて合図すると、彼は口の中から低くうべないの返事をした。この町で使われているふたつのことばのどちらで言ったのか、わからなかったが、声はおとなしく、ひとなつこそうにきこえた。若者らしくきびきびした動作で小瓶のビールを一本はこんでくると、動作を調子づけて区切りながら、瓶口をコップの中深く入れて最初の一杯だけは奉仕をした。泡のもりあがる音と共にあのホップのにがみが鼻をつき、肩が軽くなって行くみたいだ。空腹を満たすなにかをと思うが、食べ物の品も名もわからず、目のまえの壁にかかったサンドウィッチの献立表のなかから適当にひとつえらんで、彼がそばに来たとき目合図をして呼び、
 「パストラーミ」
 と言ったが、通じない。すると彼はそばにその顔をよせてきた。うっすら口ひげをたてているがいかつくなく、かえってやさしげな感じが出ていた。黒い髪の毛。ギターを肩にさげ仲間で組をつくって部落を歩きまわるときの彼のすがたが二重うつしに見えてくる。ビールの酔いが気持をゆるやかにし、私はこの町の夜学の講師で彼を教えているような気持におそわれる。教師の質問がよくわからずにもう一度ききかえす受け身の顔つきをして彼は私の発音を理解しようとした。
 「パストラーミ」
 とふたたび通じそうにない発音でそう言いながら私は、指で壁のその場所を差してみせた。彼はそれを認めると、ことばを出さずに合点してみせ、足早に奥の方に注文を通して行った。ほかの給仕人たちにも私は口の中で挨拶し、みんないっしょに椀飯振舞をしたいと、しだいに酔ってくる頭の中で沸きたっていたのだ。だれもなぜか無学で人なつこげに見えたのがおかしいが、褐色や黒い血のまざりだけでこんな気持を起させるとも思えない。どんなにゆっくりビールをのんでも、もともと小瓶のそれが、そんなに長くもつはずもない。給仕人がサンドウィッチを持ってきて、紙ナプキンを巻取器の中から引っぱりだし、例の調子をつけた手つきで私のまえに置いたとき、
 「コロナ」
 ともう一度人差指を立てながら、片目をつぶってみせた。コロナしか、私のことばを通じないが、肯定の度を増して行くのがとどめられない。ビールのにがみに食パンのイーストのにおい、そしてはさまれた肉のけものくささがとけ合って気持はゆるやかに広がっていった。

 足の向くままに歩道を歩くと、人かげはいっそう数をへらし、しき石は、夜空の青をうつしつづけ、酔いが、まるで町全体が巨大な船となって南海のただ中を静かに波をかきわけて進んでいるような気持にした。堡塁をへさきにして、左右に夜光虫の水脈をひきずりながら。あかるい飾窓の中の人形や商品は、大理石の床のつめたさを吸い、いっそうにぎやかな饒舌を用いはじめ、坂道に居ならぶ四角な建物が、みないびつな傾斜のケーブルカーに見えてくる。歩いているのはどの通りか見定めがたく、ブロックのかどにくると、気ままに道をとりかえた。勾配がいっそう急な通りをのぼりはじめたとき、せまい車道のもつれながら声高に立話をしていた二つのかげがはなれ、そのひとつが私の手まえをなげやりな恰好で歩きながら、かたわらの建物のまえで立ちどまった。羽根のような衣装をつけた小柄な女だが、夜目にも厚く化粧をほどこし、高く盛り上げた髪、耳や首の飾りものがかえって不釣合いに見えた。ちょうど映画館のまえだったが、彼女は今わかれた方を気にしながら、うす笑いをうかべ、あたりを気にしつつ窓口に近づき切符を求めた。からだつきは小さいが娘なのかどうか見分けがつかぬ。ひものついたハンドバッグを左手首にまきつけ、右手には大きな扇子をもち、ちぐはぐな調和のなかから気のよさをあふれさせている。せまい間口も中にはいると、奥が深く、傾斜のついた場内の、ずっと先の方に小さなスクリーンが認められた。彼女はうしろの壁にもたれ、扇子をひらいて自分の身体をあおいでみたり、誰もいない周囲をしきりに気にするふうを見せたあと、気どって腰をふりながら、ゆるい傾斜の通路をまえの方にくだって行き、奥のあいた席にわりこもうとした。座席の男たちはひしゃげた声で口々に癖を言いながらもいたわり迎えるのが見てとれた。画面には喜劇がうつしだされていて、追われて逃げる男があらわれるとスクリーンの中の女たちは嬌声をあげ、彼がおおげさに目をまるくするのが見えた。観客席は誰もがいつも、無遠慮に何かしゃべっていたが、誰もそれをとがめる様子もない。観客は画面に出てくる人物への好悪にすぐ反応し、嗟歎まじりにそれを表明してみなの同意を得たがっているようだ。逃げろ、逃げろ、こっちだ。そらあぶない!えい、ひっくりかえってしまえ!すると出演者はひっくりかえり、観客はとめどなく笑いだしてかくそうとしない。中にはスクリーンを横目に見てしゃべりあう者も居り、場内はにぎやかなつきあいで充満している。私は二十分もそこに居たろうか。二本の小瓶のビールにしては酔いが強く、映画館を出て、涼を求めながら坂道を高台の方に歩いて行くと、人通りはとだえ、バルコニイのぐあいも古風さを増し、修道院か牢獄とみまごう沈黙した家並みがひしとつづいたところに出た。歩くところは、どこもしき石が施されていたから、土をふんでみたい、と気持のどこかで考えていたかもしれぬ。倉庫が次々に横に歩いていく、と感じていた。しき石道の中ほどが水が流れやすくくぼみ、ふと山中の雨水でU型にえぐられた粘土道を歩いているように思えた。町が手のひらからどんどん逃げ、町の外におしだされてしまいそうなのだ。いきなり目先がひらけたと思ったら、市壁にぶつかっていて、目の下はるかなあたりに、くだけちる白い波が見え、見当もつかぬ広い海が、陸地におしよせ、にぶい光を放っていた。潮気をふくんだ風が頬とからだをなで、市壁がうねりつづく闇の先には、堡塁が艦橋のようなこぶとなってうずくまっていた。市壁の石のくずれたふちに両手をつき、呼吸を深くすいこんではきだした。行きあしがよみがえって歩きだし、ひとりごとを口にすると、朝からひとに向かってしゃべったことばは、コロナとパストラーミだけだったと思い、もう一度それを小さな声にのせて暗い海の方に投げてやった。もうすこし飲めば、次々に単語が口をついて出るかも知れないのに。ときほぐしたいと思うと、いざないがわき、別の通りを坂下の方にいそぎ足でおりた。人の往き来が多くなったところで、歩幅をゆるめながら、ブロックのかどに来れば、通りをうつり歩くことをつづけた。せまい入口の石段で、からだをえびなりにまげ、歩道にころげおちるのをやっと支えて横たわっているひとがいても、皮膚が黒くて表情がよみとれない。はだしのあなうらを石段からはみださせ、死体の様相で人の門前で夜を過ごすつもりなのか。いつのまに耳についていたか、人々のさわぎ声が、次第に近づくようで、酔いののこった頭にへんな恐怖をなげかけているのに気づいた。惨事のおこった町かどの現場で、肉親が被害者にとりつき号泣しているようにもきこえた。石灰の家としき石の市壁にかためられた小さな丘の町が、結局はしいたげられていて、そのうめきをもらしたところで、音もなく南海の闇の波間に吸いとられてしまう。でも小さなからだながらひきしまり、陽気でにぎやかなのに、なおつつましく、古い町なみのなかで微笑しまざり合い、そして叫びをあげて自分をあらわそうとしている気配に、私はとりつかれ、のがれることができない。それなのに町はうすい膜におおわれ、はいろうと押せばどこまでもへこむけれど、破れてその裂けめから私を内部に引きずりこむことはしない。突然の変容でも期待したのだったか。そして、ざわめきの声をきいたのだ。死人の葬りに鳥が鳴きさわいでいるのか。ホテルの階上でちらと見たわけのわからぬ虐殺の絵!(かどうかたしかでないのに)、流された血の色が、明るすぎたと思ったそれが頭をかすめた。若い女とホテルの廃室でくらしながら血の色を描くことをおそれようとしない老画家。そら、行列はすぐそのかどからまがってくる!と思ったのは気のせいで、通り過ぎの家が、めずらしくその入口を開けはなし、例のせまい間口ながら奥にのびた家の中で、中年を過ぎてやや太った女たちがより集まり、なにかをたたえるうたを歌っていたのだ。奥の説教壇の女だけが通りを向いてタンバリンをたたき、あとの女は全部椅子から腰をあげ、壇の女に向かって、声を出せるかぎりはりあげていた。立ちどまって中もよく見ずに私は足早にそのまえを通りすぎてから別の家のまえで足を止めた。遊戯台をそなえつけた穴ぐらのバーで縞のシャツやふちのせまい帽子の青年たちが小さな瓶にはいった液体をらっぱ飲みしていた。いっそうせまく細長いその家は壁のしっくいも落ち、コンクリートのゆかにはちらかったごみ。青年たちは笑っていた。ふとった黒い皮膚の少女がひとり、彼らにまざって小瓶の液体を飲んでいたのが、ひょいとおもてをふりかえったひょうしに、歩いてきた私と目が合った。なにを思ったのか彼女はつと鼻にしわをよせ苦い顔をしてみせたかと思うと私の方に歩いてきたのだ。黒い手も足も細長い棒きれのように見えた。髪はくしけずらずにのばしっぱなし、その蓬髪のあいだに三角の顔がはさまっていた。せまいポーチの石段のところで私と真向かいに立つことになった彼女が、小瓶を持たない左のたのひらを私の頭をおおうようにのせて言ったのだ。
 「コーニャフィリッピーノ」
 私は彼女のてのひらの熱気が頭のしんに伝わったと思いその顔を見あげたままとっさに返事ができず、つい無理するように歩いてしまった。でも、五、六歩行ってから気をとりなおしてふりかえると、彼女が姿勢をかえずにじっとこちらを見ていた。それでもことばが出てこないでまた歩きだした私のうしろで、彼女の口笛のうたがきこえた。「ルキヨ」を見つけたのは、そのあとまたいくつかブロックをまわり歩いたあとだ。奥の部屋に誰もいないのを見とどけてから中にはいり、固定椅子に腰をのせ、カウンターにひじをかけて、また「コロナ」と言ったのだが、給仕女がひとりだけ居て、調子をつけて運んできたビールの瓶口をコップの中深くつっこんで最初のいっぱいだけついでくれた仕種が、まえの店の給仕とおなじだ。そのあとはカウンターのうしろで右に行き左にもどり、せわしげにからだをうごかしながら、コップを洗い、皿をそろえ、水道栓をひねったりとめたり、閉店の時期が近いのか、しきりに整理をして余念がない。真赤な服が白い肌とつりあって、なにかほかの色のように見える。黒い髪を貝殻のかたちに巻きあげていたが、細長い顔のせいか、落着いた感じを与えた。私はあとのビールは自分でコップに移しながら、少しずつ飲み、酔いの進むのを数える気持で、カウンター越しに目のまえでうごくその少女を見ていた。大きな耳かざりがゆれ、黒いまつ毛、いくらかうけ口で、肌は東洋人に似た投機のそれのようにしめっている。活發な歩き方。中をとりしきっている様子が台所ではたらく若い主婦のようだ。動作のかげんで私の視線があうと、微笑しかけて、つとそれを消してしまうが、ことばの通じない不如意のまえで手を広げて見せる気持だ。ひととおりかたづけ終えたのか、カウンターのはじの所で片ひじをつきてのひらを頬にあてがって、私の方を焦点の合わない目つきで見ている。私が空の瓶をあげて合図すると、おとがいでうなずき、がたっと腕をはずして、かわりをはこんできた。近づくとかげがうつるほどにまつ毛の長いのがわかった。椅子をおり、私はうしろのジュークボックスに近よって行ったがすこしふらついた。となりの部屋にさっき見たのとおなじ遊戯台の並んでいる一部が見え、客ははいっていそうになく、こちらとどうなっているのか見当がつかない。ボックスにはやたらにボタンがあって、どれをおしてよいかわからない。ふりかえって一度少女を見てからまたボタンのあたりに目をうつし、そしてふたたび彼女を見た。待ちうけていたように彼女はカウンターのはじをまわってそばに来た。足をふみ腕を高くあげカスタネットをならして舞うすがたが彼女に重なり、その重なりが歩いてくる。私はてのひらに種類のちがった硬貨をいくつかのせて彼女を待っていた。そばに立つとその背丈は私のあごのあたりまでしか来ない。そして硬貨のひとつをとると投入口からおとしてやり、ボタンをえらびながら私の顔を見てスペイン語でなにか言ったが、ききわけることができない。彼女はボタンを押すまねをし、私を見上げてはじめてすっかり笑った。でも無理にそうした痛々しさがのこった。私もつられて笑いかえし、
 「グラシアス」
 とうつむいて言ってでたらめにボタンをひとつおした。そしてもとの席にかえろうとふり向くと、新しい女の客が入口に近い椅子にすわっていたのだ。カウンターにひじをついてまっすぐ向いた横顔が見えただけで、私はその女がこの町の人ではないと思った。私が椅子につくのを待っていたようにボックスの中から音楽が流れてきた。はげしい調子と甘い旋律がまざり合って、空気が急に陽気になった。客の女が早口の英語でなにか言うと給仕の女が短くそれにこたえ、客がまた返事をすると、少女は自分のうしろの棚にならんだ瓶のひとつに手をのばした。
 私は二本目の小瓶のビールをなおゆっくり飲むことにつとめた。顔をまともに向けて考える姿勢なのだが、なにも考えてはいなかった。自転車の遅走りくらべのようにゆっくり飲むことだけに気を奪われていた。少女はカウンターのはし近のところでじっと二人の客の次の注文を待ち、音楽にあわせて軽く靴のつま先でゆかを叩いていた。ボックスの音楽が止まると、とたんに重い沈黙におそわれたが、じっとすこし窮屈なおなじ姿勢を保っていると、私は自分が見られつづけられている感じを受けたのだ。さからえずにその方を見ると、客の女のまっすぐこちらに向けた視線にぶつかった。間合いをつかまえ、女が口もとを深くまげて笑った。ひたいが広くあごのまるい四角な顔だと私は思ったが、彼女が目をほそめ、親しみを伝えようとしていることはわかった。彼女はしばらくその笑顔を保ったあと、
 「日本人デスカ」
 と日本語で言った。
 「そうです」
 と私が答えると、
 「ワタシ、日本知ッテイル」
 と女は言った。赤毛の髪をむぞうさにひたいでわけ、ひとたばの巻毛を自然な感じでたらしている。白いかわいた肌には、うぶ毛のはえているのがわかった。やはり、この島の者ではなさそうだ。私がそれを言うと、大陸の本土から来ているのだと女は答えた。どことなく女教師の感じをただよわせていた。

 坂道の家並みの途中で、せまい入口のまえに立ちどまった女が、
 「ワタシ、日本ノ音楽持ッテイルカラ、キキタイナラ、キイテモイイ」
 と言った。坂下の方に私のホテルは見えていた。ならんで歩くと女は思ったより上背があったが、日本に居た日のことをしきりにしゃべった。でも、ことばのつなぎめがあいまいで、はっきりわかったわけではない。日本に居るとき、道ですべって足を折り、長いあいだ松葉杖をついて歩いていたと言ったのだったか。朝早く近くの池を散歩したときのもやにぼかされた景色は美しくて忘れられないが、日本人と気持を通わせて理解しあうことは遂にできなかったと、彼女は言った。私の目の底には、陶磁器の肌のようにしめった子の町の小柄な人々のすがたが焼きついていた。なぜか彼女が好意にあふれているのに、どうしても気持がひらいてこないのが、われながらわからない。日本での仕事と似たそれで彼女はこの町に来ているのかもしれぬ。彼女の口ぶりでは、いずれ本土の大陸にもどって行くはずだ。
 「その日本のレコードをきいてみたい」
 と私は言った。彼女のあとにつづいてくらい入口の通路をしばらく歩くと、中庭パテイオに出た。四すみの植木やかざりものの彫刻などが見え、夜空が四囲の建物のあいだからそのきれはしをのぞかせていた。それはホテルのまんなかのまるい空間のように、そこにはいってきた者に迷路の組立てを感じさせる。彼女はパティオを横切りとっつきの部屋に鍵をさし入れてあけ、自分から先にはいった。まっくろな猫が五、六匹も入口に殺到してきて、その一匹を彼女はだき上げた。つづいて足をふみ入れたとたん、私は動物の毛のこげているにおいに鼻を打たれた。猫の、というより彼女のにおいがたまっていると思ったのがへんだ。細長いせまい部屋に絨毯が敷きつめられ、片すみの長いソファのまえに足の低いテーブルがあった。奥の部屋にベッドのはしが見えていた。女は私をソファにかけさせると、自分は部屋のまんなかにたって、さあ、と思案するように両手を広げて見せ、そしてほほえんだ。ほほえむと両頬の肉づきがよくなり、若やいでくる。坐っていて見上げるとかえって小柄に見えた。部屋のすみの下戸棚から、彼女はひざをつき四つばいのかっこうで、求めるレコードをさがし出し、小さなプレーヤーにかけてならした。スピーカーをどこに置いているのか部屋の四すみからやわらかに広がった音がきこえて来た。
 それは琴の曲で、きいていると雨だれと潮騒と松風がきこえてきたが、いっこう気持をゆすぶらない。「なにを表現しようとしているのかわからない」、と彼女が注意深く考える伏目をして言った。私はだまっていた。終わるとヨーロッパの作曲家の名まえを言って別のレコードをかけ、音を低く調節しておいて彼女はアルバムをもってきた。自分は絨毯にじかに坐ってひらいてみせた写真の中には、日本の若い男女にとりかこまれたスラックスすがたの彼女が小さく写って認められた。猫がまわりを歩きまわり、テーブルにも上っていつもとちがう闖入者の顔をおぼえこもうとするかのようだ。
 かけられた音楽は、気持のすみのわだかまりをとき、運命にさそいこむ強いいざないをもっていて、一つの町の、長い歳月の重さとうまくとけあい、いっそうその振幅を大きくして行くようなものだ。女も猫もその歳月にかかわってその音楽のがわにいた。さっきかけた琴のしらべは、ここの空気にまざりあわずにはじきかえされ、写真のなかに写っていた若い日本人たちの善意のくらい顔つきが、私の胸につかえていた。
 「旅行シテ、ろーんさむデハナイカ」
 と彼女が唐突に言ったので、私は女の顔を見たがその表情がよめるわけでもない。
 「すこしもローンサムではない」
 と私は答えた。しかしローンサムがよくわかっていたのでもない。
 「ワタシ、夕方ガイチバン悪イ。トテモろーんさむ」と彼女がつづけて言ったとき、入口のドアを一度だけノックする音がきこえたように思った。それは私の空耳であったか、女の立ちあがる気配もなく、そのあとふたたび叩く音はきこえなかった。「ケレドモ、夜ニナッテシマエバ、ダイジョブ。ろーんさむジャナイ」
 ちょうど音楽が終り、ふたりのあいだにしばらく沈黙が坐っていた。
 「ソウ」
 ぽつんと女がひとりごとのように言ったので、私はなにか言うつもりで呼吸をととのえると、女がまた先を越して言った。
 「ホテルニカエル道、ワカリマスカ」
 私はソファからはなれ、時計を見て言った。
 「もうこんな時間になってしまった。帰ります」
 女は猫をだきとると、ゆっくり立ちあがったが黙っていた。
 ドアをあけてパティオに出ると、冷えた夜風が頬をなでた。女もついて出たが、胸もとにだいた猫のせなかをなでていた。
 「さよなら」
 と私はいくらかほほえみながら言ったが、女は、
 「バイ」
 と言っただけで、日本語は使わず、表情に微笑は見られなかった。
 くらがりで顔がかげっていたせいかもしれない。まっすぐのびたかたちのいい二本の足が、崖の向こうに立っているように見えた。
 ホテルの帳場では口ひげをはやした若い男が、しきりになにかを計算していたが、私を認めると、気弱そうな微笑をうかべた。
 年よりのベル・ボーイが眠そうにベンチに腰をおろしていた。私はエレベーターには乗らずに、階段をゆっくりあがった。
 なんだか古い家の裏手という感じがした。酔いは覚めていたが、頭がすこししびれ、なおすべて夢をみている気持だ。昼間階上で見たあの明るくむごたらしい壁画は、実際にこの目で見たのだったか。もしかしたら夢の中のできごとではなかったのか。このままずっとのぼって行き、あの部屋にはいって、はっきりたしかめたい思いがふくれあがってきた。
島尾敏雄

(2004.9.4)-5
いま、誤字脱字を取るために読み返してみて、この文章が縦書きよりも横書きのほうがいいという印象を持つ。あるいは、活字となるよりも、テキストデータであったほうがいい、というような。
(2004.9.4)-6
自分の思うことが全部くだらなく思えて、だからあなたに話すことが無い。どうか、もうここには来ないで下さい。
(2004.9.4)-7
誤魔化すために酒を飲む。ぼくはひとりだ。ぼくはひとりだ。それを二度言う。そして、それ以外にとり得るかたちがあったのかと自問する。応えはいつも決まっている。あなたはぼくをうまく扱えないし、ぼくはあなたを上手に満足させられない。ぼくはひととひととのつながりを信じていないので、そういうことの一切から隔絶されている。だから、ぼくはそのことについて言うことを試みるより他はなく、それだけが唯一、全ての可能性が閉ざされたなかで残っている唯一の可能性として、鈍く明滅し続けている。ぼくはほとんど何の期待もせずにその可能性を提示し続ける。そして、それはあなたが見出さなければ、他の誰にも見出されずに、何となくその場にたたずみ続けている。ぼくは眼は二つも要らないなと思い、片目を潰したいと考えて、眼玉に指を入れようとする。視界の片目側の目のまえには自身の指先があり、痛みを伴いながら内部に侵入しようとしている。そして、実際に片目が潰れる。ぼくは血管と神経が切られて壊死した眼球を眺め、鼓動にあわせて振動する痛みを意識しながら、たしかに片目で十分だというようなことを思う。亡くなった眼からは、代わりに血の涙が流れ出し頬をつたっており、ぼくはそれを口に含み塩気を感じている。
(2004.9.5)-1
Combo Piano 「Agatha」。ジャンルはよくわからない。ジャズなのだろうか。フュージョンというのだろうか。HMV ではジャパニーズ・ポップスになっている。尤も、これはインディーズだからということなのかもしれない。とにかく、これは 100% ポップスではない。何の関連で買ったのか、まったく憶えていないが、今年の四月ごろに注文している。日本のものであることを、サイトに行ってみてはじめて知った。ジャケットの裏のコピーライトをよく読んでいれば気づいたはずだが、もちろん聴く前にそんなことをするはずがない。ジャケットの壊れ工合いからいって、最近ときどきつかまされている、下手くそなエレキパンクかと思っていたのだが(だから、自分で何を買ったのか、さっぱり憶えてないんだって)、かけてみたら全然ちがった。おしゃれなカフェと、シックなバーと、日曜の太陽と、スマートなシティライフをこよなく愛するミュージシャンたちが作った、ブライトミュージックだった。
(2004.9.5)-2
書き終えた直後に一週間の休暇だったのは、よかったと思う。まだ半月程度しか経っていないのだが、とても読み直してみたい気がしている。記憶が確かならば、小説未満という結論になるはずなのだけれども、とにかくひと月は寝かせなければならないので、今はなんとも言えない。結局、まだぼくは小説そのものについての議論から完全に離陸することはできていないようで、それを使って実際に何をするのかについて、はっきりとしたことはよくわからない状態なのだけれど、そのことがわかってきたというのも、またたしかなことだ。今回書いてぼくにわかったのは、たぶん、小説の文というのは、どういうものかということで、だから次を書けばたぶん、小説の構造とかそういったことについて知ることができるのではないかと思う。また、理屈が欲しくなってきているので、テキストを探し始めるかもしれない。ガルシア・マルケスにそういったことに関する講義録みたいなものがあるようなので、それを読んでみることになるだろうか。たぶん、いやほぼ間違いなく、ぼくには流暢な物語などを作る能力がつくことは見込めないので、違った方向からのアプローチを探し出さなければならない。それが全くの不可能ではないというのは、幾人かの作家の例をみれば明らかなことで、彼らが彼らなりの様式を打ち立てたように、ぼくもぼくなりの様式をどこからか探し出してきて採用しなければならない。とにかく、今はっきりしているのは、一週間か十日そこらの期間では決定的に不十分だということで、少なくとも数ヶ月以上(まだ経験していないので、実際にそれがどれくらいなのかを見積もることは不可能だ)にわたって、それだけを取り扱うことによって、ぼく自身よりも前にそれを持ってくることを祈念することが必要なのだということだ。とにかく、連続していることが不可欠なのだと思う。一度、それをしてみなければ、その限界もはっきりしないと思う。
(2004.9.5)-3
明日からはいよいよ、ヘミングウェイを読み始めようと思う。メルヴィルも気になってしょうがないけれども。
(2004.9.5)-4
それから、来週は三周年である。最近は、自分の思考をほとんどコントロールできないので、それについて何か書けるかあまり自信がないのだけれど、少し意識していてみよう。途中、新居昭乃氏の新作が入るので、たぶん無理だろうけど。
(2004.9.5)-5
経歴が積まれると、みんな多かれ少なかれ、お化けみたいになってくる。
(2004.9.6)-1
ヘミングウェイ「老人と海」うっかり、一日で読んでしまう。これは明らかに失敗である。もっとゆっくり、時間をかけて読まれるべきものだ。とにかく、我慢している。ヘミングウェイは、息を止めてこれを書いたんじゃないかしらと思うくらいに。あるいは、身体を雁字搦めに縛った縄から抜ける芸のような。とにかく、ぶっとい腕で八方から文を押さえ込んで、錬鉄みたいにがちがちになった文だけが、そこには書き付けられている。文章の饒舌というのに、ここまで真正面から挑みかかった文章というのは、はじめて見た。簡潔の対極にある短さ。質量を持った空間。この作品が出てきたとき、周りの者たちはきっと、「ぎゃあ、ついに出てきたあ」と目をむいたことであろう。それはおそらく、かなり長いあいだ予期されていながらも、その具現を目にできてはいなかったのだろうから。そしてみな、これでアーネスト・ヘミングウェイの仕事は成ったと思い、そして自分はそれを確かに見とどけたのだと思ったことだろう。
(2004.9.6)-2
人の声を意味する"「」"がこれほど意識的に用いられているのも、たぶんはじめてみたと思う。科白は、完全に小説に対して奉仕するためだけに用いられている。その意義は、ちょっとアルコールの入った、眠たげな今の頭では、うまく言うことができないのだけれど、小舟で外海に浮かんでいる一人の老人が、ただ思うのではなく、それを音にして(しかも大声で)言うということがどういうことを意味するのかということであり、また、「老人と海」にあっては、この「思う」と「言う」が実に厳密に選択されているということが、小説に対してどのような効果を持つのかということである。
(2004.9.6)-3
そういえば、大リーグで思い出したけれど(「老人と海」には、大ディマジオが何度も、老人の勇気と忍耐の儀表として登場するのだ)、イチローが一ばん偉い、在り難い人の一人になろうとしている。もうそろそろ、彼のニュースは一人のときにはいちいち涙無しには見れなくなってきそうである。別にぼくが涙する理由はないのだけれど、栄光への階段というやつは、とてもとてもまぶしいので、ぼくは眼が眩んで涙が出てくるのだ。スポーツ選手というのは、一ばんとかそういうことがはっきりと言える稀有な存在なのだから、やっぱりそういうことを見ていたいと思う。たしか、あと三十数段のはずである。キリストが十字架を背負ってエルサレム市街を歩いたということについて思いたまえ。
(2004.9.6)-4
それから、新潮文庫の福田恒存の論評は猛烈にいいので、機会があれば、これも読みたまえ。現代小説とはなんぞや、ということがかなりわかりやすく書いてある。ぼくらの世代は、ここに述べられていることの、ポストのポストのポストぐらいにあたるはずで、優秀な人間は、すでにそれをかなりの程度自覚していることだろう。個人主義というものが、もはや、主義にも何にもならず、ただ呪うべき現実として、一切の感覚から離れて厳然と屹立し、次第に致命的な段階に突入しつつある現在にあっては、厳密な意味での自己完結からどうにか逃れる方法を模索することが、ほとんど最重要の使命になりつつあるのである(本当だろうか。たぶん、半分くらいは本当だ)。
(2004.9.6)-5
現代にあっては、繁栄に疑義を持つことは、ほとんど身体的なコモンセンスになっている。
(2004.9.7)-1
明日は、新居昭乃氏の「エデン」の発売日である。明後日は有休といきたいものだが、さて。
(2004.9.7)-2
明日は、早いので寝なければならない。今日は、頭の片すみに、いつもヘミングウェイすげえなあ、というのがあったような気がする。また、ひとつ留保していた可能性というのが、完全に駄目になったような。
(2004.9.8)-1
新居昭乃氏のネットライブ見逃した。なんたる迂闊。
(2004.9.8)-2
で、その「エデン」であるが、なんだか既聴感がある。これが賞賛なのか、不満の表明なのかは、まだよくわからない。
(2004.9.8)-3
Stop my own thought. Stop my own affection. 小説が書きたい。
(砂の岸辺)

 あなたが何よりも好きな孤独
 火星の上にいて
 思っている 夜明け
 かたくなな生き方を奏でる
 銀の弦の和音

 真空の窓の外
 私たちを切り離して
 エアーバッグの堅いベッド
 やがてこの町の果て
 空はオレンジの翼を広げて

 砂に建てた透けるお城に
 あなたは住んでいるの
 なんにも置かない部屋
 光が反射してる
 光が…

 絵に描いた平和
 モニターが見せる夢
 目覚め
 あやふやな存在でも認める
 残酷な優しさ

 それは誰の足跡もない
 赤い砂の岸辺
 運河を渡る風が歌っている

 誰かふたりを ねぇ、探して
 ふたりを
 やりきれない闇
 ふたりを
 そう、足りないの
 光が
 ありふれた約束になれば…
 いつか

 空の中へ あなたの方へ
 手を伸ばして
 あたたかい
 砂に建てた透けるお城に
 あなたは住んでいるの
 なんにも置かない部屋
 光が満ちるように
 光が…
新居昭乃 「エデン」

(2004.9.9)-1
別にこれがぼくのためにあると思ってもかまわない。ぼくは三千円を出して、このCDをそのために買い、そして聴いている。
(2004.9.9)-2
I'd like to respond to your mention.
(2004.9.9)-3

 宇宙を見上げ あなたは微温の願いを
 磁場を 漂わせ
 ぼくは それを受ける
 あなたを視界の右の隅に置いて

 記憶を繋ぎとめるように 途切れながら
 続く 声と
 もう 忘れられた ピアノの音
 ぼくの血液は あなたのほうへ 片寄る
 ほんの少しだけ 濃度を増して
 ほんの少しだけ 明るさを取りもどして

 知っている?
 ぼくはそう云おうとする
 ピアノが止み
 あなたが首を振る光景と
 砂に洗われる ぼくの心室

 声が

 響く闇 透明と色彩 硬さを持たない
 あなたは城砦と呼ぶ 非在
 黙契が横たわり
 目を閉じて 赦す
 すべてを 赦す

 詰まる声 存在しない哀しみ
 あなたの瞳を捜し求め
 声が 宇宙に
 消えて亡くなる
repetition of mirage

(2004.9.11)-1
三周年祈念日。地球はあの日とまた同じ太陽との相対位置にさしかかっている。
(2004.9.11)-2
もうあのときの亢奮は忘れてしまった。覚えているのは、あの映像を繰り返し見続けたこと、それが日常的な映像に見えたこと、嫉妬を感じたということ、それが始める直接の契機としてシンボライズされた、そういうこと等であり、そこに伴っていた感情の記憶は残っていない。だから、所謂当時を思い出すという行為は、そういった記録としてある記憶たちと、そのあと書かれた稚拙な文から想像されるしかない。今の感覚としては、あのときと今とでは、自身にそれなりの変化があるように思っているのだが、何の感覚も思い出されないので、それについての実質的なところは何も確認することはできない。確かなことは、これはわかりきったことで、言うのも阿呆らしいことだが、あれをやったのも、やられたのも、ぼく自身ではなく、それどころか、ぼくはほとんど十分に無関係であるというありふれた事実である。ぼくは、それを祈念することをいつでも止めることができ、また同じ理由から、祈念しつづけることもできる。社会的事件を折に触れて、人々が思い出し、それについて何か話しあったり、意見を述べたりするように。
(2004.9.11)-3
小島信夫の、彼がまだ生きているからという理由から書かれただけの(小島信夫は真性の小説家なので、彼が生きている限りは小説が書き続けられるのである)、のんべんだらりとした雲散的な小説を読んでいると次のような言葉にぶつかった。彼の文自体も引用であり、その実際の出所は、小島の書くところによれば、十八世紀半ば頃のイギリスのヨーク州の牧師であった、スターンという人物の『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』というもので、小島の引いたのはその中の短いエピグラムのひとつ、
(2004.9.11)-4
「行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ----エピクテータス」
(2004.9.11)-5
儀式の価値について、それから、敵というものについて、ぼくはもっと知らなければならない。ビルは崩され、それは儀式だった。今日、それに関わりのある者たちが何か執り行うのも、やはりそれだ。そして、そのどちらにも、ぼくはあまりにも無関係であるが、それでもどちらかといえば、後者に参加するものたちにより大きな依存をしており(といっても、彼らに賛同するとか、そういったことをする必要はまったく無いほどのものだが)、しかしそれとは反対に、前者のほうに(それ自身とは無関係の)より大きな価値を見出している。すなわち、旅客機を乗っ取って、それを真昼の都心の高層ビジネスビルに突っこませ、崩壊(実際の現象として、あれほどこの言葉にふさわしいものは、なかなかない)させるというのは、実際に為され得ることであり、それゆえに、それは阻止されないかぎり、実行されても構わないのだということを、ぼくはそこに見ている。
(2004.9.11)-6
あらゆる賛同や助力を必要としないのであれば、あらゆる許可も同時に必要でなくなる。それは強靭さや邪悪さによるのではなくて、むしろ、無関心のためなのであり、それよりはむしろ、無関係によるものである。
(2004.9.11)-7
小島信夫の小説はほんとうにのんべんだらりとしている。小説は、それが小説であるのなら、ほんとうになんだっていいのだと、これを見ていると思う。書き手も読み手も、ただ小説自体が好きだからそれをしているのである。文章を書くことは、それ自体がそれなりの楽しみを伴っているものであり、文章を読むこともまた。それだけでも、読んだり書いたりするには充分で、だってぼくらの生きている時間なんてものは、
(2004.9.11)-8
思っている時間だけが
(2004.9.11)-9
新居昭乃氏「エデン」の何の感興も湧かない・・・・・・・・・というのは、どうやら賛辞であるようだ。そのことが意味するのは、それが氏自身とその生活に密着、或いは完全に内包されているためであり、この作品が存在するということに、何の不思議も違和感もないためであった。初対面の人間にあっても、それが人間であるかぎり、或いは通常の日本人であるかぎりは、最低限の会話は可能だということが保証されているのと同じような感じで、ぼくは「エデン」があることを、ごく当たり前のこととして受け入れたのだった。
(2004.9.11)-10
はやく読み返したい。失望したい。
(2004.9.11)-11
そして、生活というもの、それ自体をただあらわすということが、どれだけ難しいことかというのも、ぼくはほんの少しだけは知っているつもりだ。ぼくらはどうしたって、とにかく今も生きている。でも、生きているのに、そのことを上手くあらわすことができない。それだけいえれば、もうだいたいのところは満足できると思うのに、たったそれだけのこときちんとできない。毎日、それをしているにも関わらず。それは、考えてみれば、かなり不思議なことのようにも思える。で、ときどきぼくには精神がないんじゃないかなど思ったりすることになる。
(2004.9.11)-12
小島信夫は、カタカナの使い方がとてもうまい。
(2004.9.12)-1
書いていないと酒量が増える。ある程度予想できたことではあるが、
(2004.9.12)-2
こういうものだと、そう言えばそうなのかもしれない。「どうしたら、どうなったら満足するのかしら?」あなたの声に置き換えて、自身に訊ねてみる。一瞬間目を点にして、それから真剣に考え込まなければならない。なんか足りない、としか思っていないことがそこであきらかになる。しばらく経って(すぐにしばらく経ってしまうので)、ぼくはこんな方便を思い出す。「飽くなき探求。絶えざる情熱」詭弁の最も陳腐なものに思える。別に、あなたと話をしたいわけでも、共感を得たいわけでも、理解しあいたいわけでも、性的交渉を持ちたいわけでも、一ばん長く共に過ごすことになりたいわけでも、服従したいわけでも、隷属させたいわけでも、共に生活を送りたいわけでも、ないような。たぶん、ないような。そういったことには、もはやあまり期待を見出せなくなっている。ぼくは何か一つの極く簡単なことを言うだけでも、ゆうに数ヶ月を要するような、ひどく動作ののろいもので、要するにそれは、通常のコミュニケーションの形態には、どうしたって乗せられないような遅さで、でも、それ以上の速さのものは、みんな後悔にしかならない。「そうだよね」とか、「やっぱり」とか、そういった声に帰結するようなものには、何の魅力も感じていないので、それどころか、大抵は間違っている、言わなければよかったと思うので、とてもむずかしい。思考やイメージを擦り合わせたりするのにも、あまり関心はなくて、だって一緒になって作るなんてものには、全然面白さを感じない。欲しいのは、製品レベルにまで完成されたシステムだけで、そこには必要なものは全て入っているというような代物で、それ以前のごちゃごちゃした、楽しげな会話には興味がない。何か言うべきことが見つかるまでは、ぼく自身と会話していればよく、、、違うな。こういう言い方じゃ駄目だ。
(2004.9.12)-3
何か別の、違う言い方。
(2004.9.12)-4
行き詰まりつつある。一足飛びに違う場所に出たいと願い、
(2004.9.12)-5
ぼくの書いた一切を信用していないので、
(2004.9.12)-6
違う。これも違う。古い。
(2004.9.12)-7
唾棄すべき不安定!違う。これも古い。
(2004.9.13)-1
このひとの孤独を、ぼくの孤独に。

(Tune)

 心にある White Land
 恐れない鳥よ
 浮遊する
 クリーンな弱い磁場の上で

 ステンレスの大地
 フリースの太陽
 谷間には3Dの白い百合

 ここで ひとりで思う
 あなたのこと
 音楽は影のない背景へと
 響く
 静かに
 響いている
 それだけがわかる

 心にある White Land
 偽りの鳥よ
新居昭乃 「エデン」

(2004.9.13)-2

 滑らかに磨かれ、コーティングされたものたちに囲まれ、
 影を作らないあなたの姿が、脚を折って坐っている。
 誰かが付け忘れてしまったのか、
 誰かが取り去ってしまったのか、
 一切の陰影を失ったあなたは、浮かんでいるように見える。

 静かに眺めると、
 あなたは、心にある、もうひとつの場所にいるのだとわかる。
 エナメル色に輝く、想像の、人工の地に。
 そこで、あなたは、ひろい翼を有している。
 無塵の大空に、一羽の白鳥。
 太陽より高く、影を残さず、真円に旋回し、
 風は静かに、渦を巻きはじめる。

 ここには、あなたの、あなたみたいな形容の、
 動かない3Dの変移相が残され、漂っているばかりで。
 ただ、どこからか、かすかに、
 空間からしみ出すように、映像のように、プラスティックのように、
 整った音楽がやって来ている。

 目を閉じて、あなたの聴いている音楽だと信じる。
infinite, far, horizon

(2004.9.14)-1
フォスフォレッセンス
(2004.9.15)-1
読んだかね。もう既に一度読んだものは、いま一度読みたまえ。二度読んだものは、三度。三度のものは、四度。読みたまえ。できるだけゆっくりと、すべての語と、文節と、行とを把握するように、また、書かれていないことも受け取れるように、我慢しながら読みたまえ。何となくうまくつかめるようになってきたのなら、そのときは、自身の呼吸で読みたまえ。そして、誤字脱字を発見したときは、メールで通知してくれたまえ。
(2004.9.15)-2
それが済んだら、今日は、スチュアート・ダイベックである。ポール・オースターを訳している柴田元幸が、自身が訳した裡で一ばんうまい小説家だと言っている人である。この場合の「小説」というのは、最も狭義の「小説」で、小説の最も主たる使命であるところの、あらゆる人間を記述するというもので、オースターなどはこの範疇から出てしまっているのだが、ダイベックはそれを非常によくする。と、ぼくが言っても、なんのことやらよくわからないだろう。だから、今から「シカゴ育ち」冒頭の数ページの小品を写すことにしようと思う。これもまた、できるだけ時間をかけて読んでみてくれたまえ。できたら、二度、三度とくり返すのがよいし、十分に睡眠をとったあとの、ゆったりとした気分で読んだならなおいいだろう。そうすれば、柴田元幸が一ばんうまいといったのが、しだいに諒解できるようになってくるだろう。これを訳しているときの彼の喜びは非常なものであったに違いないと思う。
(ファーウェル)
 今夜、小雨がたえまなく降りつづけ、街灯の光も霧に煙り、雨を集める漏斗じょうごのように見える。ここはファーウェル。アパートに並んだバルコニーの窓が、濡れたテニスコートに映っている。それはかつて僕の友バボヴィッチが住んでいた。僕はふと思った。いつかは僕もこの町を去るのだろうか?バボに会いに、はじめてファーウェルを歩いた晩のことを僕は思い出した。バボは僕が受講していたロシア文学のゼミの先生で、僕を家に招待してくれたのだ。先生に招かれるなんて、はじめての体験だった。「いつがいいですか?」と僕は訊ねた。
 「お客はいつだって・・・・・歓迎さ」と彼は答え、住所を紙になぐり書きした。「電話はないよ」
 冬の晩で、雪が降っていた。バボのアパートは通りのいちばん奥にあった。道はそこで湖につき当って行きどまりになっていた。雪がびっしり貼りついた金網の向こう側で、テニスコートも、吹きよせた雪に包まれていた。コートと並んで小さな公園があり、その先には白い桟橋があって、緑の灯台の光に向かって伸びていた。雪が舗道や縁石の輪郭を消し去っていた。桟橋も道路のつづきのように見えた。まるでファーウェルがそのまま湖までつき出ているみたいだった。僕は灯台の光のほうに歩いていった。波としぶきに削られた氷が、甲羅のように桟橋を覆っていた。安全用ケーブルも灯台の塔も、氷のさや・・に包まれていた。何もかもが凍りついた静けさのなか、浮氷の下で湖がきしむのが聞こえた。桟橋がぶるっと震えるのが感じられた。僕はアパートの方に戻りはじめた。と、歌声が聞こえたような気がした。
 テニスコートの向こう側から響いてくるそのバリトンは、合図でも送るみたいにカーテンがひらひら揺れているバルコニーの窓から漂ってくるらしかった。きっとあれがバボの部屋だ。呼鈴を鳴らす代わりに、僕はテニスコートに立ち、それが何の歌かと聞きとろうとしたが、歌詞はぼんやりとしか伝わってこなかった。僕は降りたての雪で雪玉をつくり----よく締まった玉をつくるにはふわふわしすぎる雪だ----それを窓めがけて山なりに投げ上げた。玉は窓に命中し、柔らかなふうん・・・という音を立てた。これでバボも窓辺に出てくるだろう、と僕は思った。ところが代わりに、音楽がやんだ。僕は雪玉をもうひとつ投げ上げた。と、アパートのなかのブロンズ色の明かりがぱっと消えた。僕はしかたなくアパートの玄関に回っていって、アンドレイ・バボヴィッチと書かれたかたわらのベルを押した。返事はなかった。あきらめて帰ろうとしたところで、玄関のドアにはめた面取りガラスに、バボの顔が拡大されて映っているのが見えた。ドアを開けた彼は、にやっといかつく笑ってみせた。それは僕にも見覚えのある笑顔だった。教室で詩を朗読するとき----まずはじめにロシア語で歌うように、それからためらいがちにイギリスなまりの英語に翻訳するのだ----バボの顔に現われる笑顔である。
 「やあ、君か」と彼は言った。
 「今晩でよろしかったでしょうか?」
 「もちろんだとも。さあ、お入り。お茶を入れよう。それと、強いのを一杯引っかけて体を暖めたまえ」
 「どの窓が先生の部屋の窓か見当をつけて、呼鈴代わりに雪玉を投げたんですけど」
 「何だ、君だったのか!私はまた、シャリピアンが運命を嘆くのを聞いた不良どもが怒り狂ったのかと思ったよ。ロシアオペラというのは、ロックンロールに中毒していない人間にもそういう効果を及ぼすことがあるものでね。つぎは何が来るかと思ったよ----煉瓦かな、とね。それで音楽を止めて部屋を暗くして、床に伏せたわけさ」
 「すいません」と僕は言った。「何も考えてなかったんです----どうして素直に呼鈴を鳴らさなかったのかな」
 「いやいや。うまくいけばこっちも、千両役者堂々たる登場、だったろうにな。チャンスを逸して残念だね。もっとも、窓から顔を出して、闇のなかに君がいるのが見えたとしても、やっぱり不良どもだと思ったかもしれんが」彼はそう言って笑った。「ごらんのとおり、私の神経はいささかくたびれていてね」
 ブロンズの明かりがふたたび部屋にともっていた。バボの部屋は、書物が家具代わりに並んでいるという感じだった。さまざまな言語の本が壁を埋め、床にもびっしり積まれていた。家具と見えるものも、要するにさらなる本の箱だった。かつて彼が開いた小さなロシア語書店のストックの残りである。脅迫状が何通も送られてきて----一度は爆弾も送られてきた----店じまいせざるをえなかったのだ。机の壁には、オデッサの市街図が画鋲で止めてあった。黒海に面したこの町が、バボの生まれ故郷だった。二、三の道路沿いに、赤インクでいくつか丸が書きこんであった。その晩には訊かなかったけれど、あとでもっと親しくなってから、赤丸は何のしるしなのか僕は訊ねてみた。
 「おいしいパン屋だよ」と彼は答えた。
 大学に契約を更新してもらえなかったとき、バボはあっさりよそへ移っていった。ぼくは驚かなかった。戦争中に英国軍に投降して以来、彼はずっと動きつづけてきたのだ。イギリスに住んだこともあれば、カナダに住んだこともあった。つぎはどこなのか見当もつかんよ。と彼は言っていた。でもね、ひとつの場所にとどまっていると、いずれ遅かれ早かれ、自分が属する場所がもうなくなってしまったことを思い出してしまうんだよ、と。そして彼はファーウェルに住んだ。さよならフェアウェル、と言っているような名前の通りに。
 今夜、僕はファーウェルを走って湖まで行った。テニスコートを抜け、緑の灯台のある桟橋を過ぎ、人けのない岸辺を走った。波が打ちよせていた。誰かに追われているみたいに、泡立つ波打ちぎわを綱渡りするように僕は走った。靴が砂から足跡の塊をひき剥がしていった。自分のアパートに戻ったのは、もう遅い時間だった。廊下は静かで、夕食のなごりの煙が電球を包んでいた。暗闇のなかで、窓を開け放った僕の部屋は、濡れた網戸とミカンの匂いがした。
スチュアート・ダイベック 「シカゴ育ち」より

(2004.9.15)-3
どうでしたか?実に、よかったですね。ひとつも、直接に語ろうとはしていませんね。「すべて」が重大なのだから、あるいは、「すべて」がそうではないのだから、仕方がないですね。そして、そのことによってまさに、「アンドレイ・バボヴィッチ」という人物はここに書かれたことになるのです。それは、抽象化あるいは象徴化といった過程ではあると思うのですが、それすらもはっきりとは言い切れず、その仕組みの具体的なところは、ぼくには何ひとつ言い明かすことができないのですが、多くの作家の作品によって、こうして例示してみせることは可能です。保坂和志が「ピアノ奏者がソナタに奉仕することによって、ソナタが生れるのと同じように、作家が小説に奉仕することによって、小説が生れるのだ」というような言い方をしていますが、実作上は、まあ、この程度の認識でよいもののようです。小説を書くものに必要なのは、それを解き明かすことではなく、彼の言葉を借りるならば、それに奉仕することなのですから。
(2004.9.15)-4
あ、それから、昨日のフォスフォレッセンスは、新居昭乃氏と関連があって並べたわけですが、今日のダイベックは、特に氏の作品と関係があるからというわけではありません。ただ今日、滋賀に行った帰りから読みはじめたので、というだけのことです。今は、五十頁ほど読んだだけですが(この勢いなので、ぜんぜん先へ進めないのです)、いいですね。柴田元幸が、ベストだというだけのことはありますね。佳作だけが抽出されています。解説によると、ダイベックはどうも、駄作を注意深く省く人であるらしいので、この短編集も、五年以上かけてのもののようです。巻頭のタグをみると、1981,1982,1984,1989,1990となっており、どうやら、1981-1984にかけて書かれたものを1989-1990で本にしたというところのようです。現在までの25年で、これをふくめて3冊の短編集しか出していないもののようです。まったくひどい、そして実にうらやましいペースですな。
(2004.9.17)-1
ダイベック、非常によいので、もう何篇か写したいところであるが、そうすると、何の因果かうっかりこれを読んでいる、極めて少数だけれども、非常に奇特な方々に、かの最も優秀な小説家の珠玉の短篇集の楽しみの一を損なわせてしまうことになるので、よそうと思う。「
ファーウェル」は、そのはじめのものであるので、まだ取り返しがつくと思われるのだが、それ以降はやはり、きちんと「シカゴ育ち」を手にとり、ひとつずつ順番に読んでゆくのがよいと思う。短篇集中の各作品は、それがスチュアート・ダイベックに書かれたものであり、舞台がシカゴであるということを除けば、それぞれが独立した別個の作品なのだが、非常なる素晴らしい配置がされており、ひとつひとつがほとんど線形に繋がってゆく。数頁のショートショートは、それに続く数十頁の短篇を暗示し、その短篇のトーンは、次に続くショートショートでなめらかに転調する。そういった構成を持った作品で、最近読んだものといえば、多和田葉子の「変身のためのオピウム」がそうだったが、申し訳ないのだけれども、「シカゴ育ち」素晴らしさというのは、彼我のものがある。いや、申し訳なくはないな。ダイベックが、これ一本を作るのにかけた時間を思えば。それはもう、実に素晴らしい繋がりようで、はじめは、別のものだと気づかないほどで、ただある部分がほんの少しだけずれて、何か違ったものが入り込んでいたり、何かが置き換わっているような気がするので、それが完全に別の作品だと気づくのである。数個から十数個程度のラインを同時に進めておいて、それらが相互にわずかずつ関連しながら進んでゆくという形態を持った作品があって、たとえば、フォークナーの「八月の光」などがそうだと思うけれど、「シカゴ育ち」はそういうのではない。あくまで、短篇集なのだが、その構成が卓越したものなのである。これだけの構成をするには、当然のことながら、手持ちのものをすべて並べるという方式ではだめで、そこに置くことができるものだけを選び出して置くことが必要である。それは即ち、そこから漏れる作品もあるということを意味していて、そういった作品が、おそらく、この分では、「シカゴ育ち」三冊から四冊ほどもあるのではないかと思われる。あるいは、もっと多いかもしれない。そうした作品は、単体としてみれば、「シカゴ育ち」中の各作品と同程度の水準であるに違いなく、それどころか、なかにはそれ以上のものもあったかもしれない。「シカゴ育ち」という短篇集は、そういった厳しい選考を経てでてきた作品で、それだから、ぜひとも順番どおりに読まれなければ、大変に惜しいことをしていることになる。それは、はじめの三つ、五十頁も読めば素直に諒解できることのはずだから、文句を言わずに、「シカゴ育ち」を読んでみたらいい。そう、これは推薦文なのである。君、スチュアート・ダイベックを読みたまえ。これを読まなきゃあ、モグリだよ(と、まだ読み終えていないので、半分くらいモグリのぼくは言う)
(2004.9.17)-2
一ばんはじめに湧いた感情で固まる。


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