tell a graphic lie
I remember h2o.



(2004.11.16)-1
一ばん上に積んであった、原民喜戦後全小説(上)をうっかり読み始めてしまう。うわ、誰これ。めちゃうまいじゃん。戦後短篇小説再発見で見つけたのだったけか。ぜんぜん記憶に無い。でも、間違いなく、これで記憶された。と、講談社文庫は、こういう不心得ものに易しいので、こういった、全小説くらいのまとまりとなる文庫だと、巻末に解説のほかに、著者紹介と年表がついている。それによれば、原民喜は、太宰より四歳年上で、一九五十年に中央線の線路の上に寝て自殺した人らしい。その人の戦後全小説だから、おしまいの五年ばかしの作品を集めたものということになる。彼は、広島の人で、だから、小説の内容は決まっている。ほかに書くことなんてあるわけもない。いま、はじめのひとつ「夏の花」を読み終えた。そういえば、太宰が散華という言葉を使っていたと、読んでいて思う。連関があるというわけではないのだけれど。
(2004.11.16)-2
太宰は、戦争中、他の作家は意気地が無かったというけれど、そして、たぶんそれは本当なのだろうけれども、たしかに、君はよくがんばったけれども、
(2004.11.16)-3
地を舐め、這いずりまわって生き延びなければならないときには、文学も、生命そのものに近づいていたのだろう。抽象や比喩や象徴が、薄皮いちまいでいのちと接していた時期の、言葉を紡ぐことが生の祈りそのものであった時代の、でも、それは、歴史上かつて無いくらいにみじめったらしい一時期だったわけで、そして、それが五十余年かそこらくらい近くあって、ぼくは文学とは、そういうことだと思っていて、思ってしまっていて、
(2004.11.17)-1
原民喜を読みすすめる。べつに、ぼくが泣いたりしても、みっともないだけだよ。
(2004.11.18)-1
書いたら、忘れることができる。いずれ書くから、いまは忘れていてもいい。
(2004.11.18)-2
妻の死。思い出され、書きつけられることによって、それは確定する。未来は紡ぎだされず、滴は沁みとなり、その円はなおもじんわりと太りつづける。記述は積み重なり、それにつれ、だんだんと記憶は固化し、妻の死は確かなものになってゆく。自身の内なる妻が、そして、妻を愛した自身もまた、ゆっくりと静かに死んでゆく。
(2004.11.18)-3
思い出し、書きつける。思い出し、書きつける。それを、繰り返す。時は進み、同時に戻る。永遠が、暫時訪れる。
(2004.11.18)-4
もっとも豊穣な、そして、もっとも大切な、記憶をたどる。
記憶をたどり、すべては思い出すに価しないことを確める。
断絶にも似た、この落差。
(2004.11.18)-5
孤独の記憶。孤独でない記憶。そして、記憶の孤独。
(2004.11.18)-6
原民喜は妻、貞恵についての記憶を書き綴り、ぼくは、自分自身についての記憶を書き綴る。
(2004.11.18)-7
週末に、できるだけ、原子爆弾の話でないものを、できるだけ、彼の亡き細君の話でないものを、それがもしあるようだったら、ひとつ、写そう。何のためにものを書くのか、思い出そう。
(2004.11.20)-1
こんなのが、いいんです。世の中には、ほんとうに、いろいろな小説のかたちがあるようですけれど、ぼくは、やっぱり、こんなのが、いいんです。ぼくがこの先もまだ、生きつづけることを、多少なりとも積極的に肯定する気になるのは、こういった小説をぼく自身がまだ書いていないという事実によるものです。
(夢と人生)
 夢のことを書く。お前と死別れて間もなく、僕はこんな約束をお前にした。その時から僕は何も書いていない夢に関するノートを持ち歩いているのだ。僕は罹災後、あの寒村のあばら屋の二階で石油箱を机にして、一度そのノートに書きかけたことがある。が、原子爆弾の惨劇を直接この眼で見てきた僕にとっては、あの奇怪な屍体の群が僕のなかで揺れ動き、どうしても、すっきりとした気持になれなかった。そうだ、僕はあの無数の死を目撃しながら、絶えず心に叫びつづけていたのだ。これらは「死」ではない、このように慌しい無造作な死が「死」と云えるだろうか、と。それに較べれば、お前の死はもっと重々しく、一つの纏まりのある世界として、とにかく、静か屋根の下でゆっくり営まれたのだ。僕は今でもお前があの土地の静かな屋根の下で、「死」を視詰めながら憩っているのではないかとおもえる。あそこでは時間はもう永久に停止したままゆっくり流れている……。
 僕は夢のノートを石油箱の上に置いて思い耽っていた。僕のいる二階は火の気もなく、暗いひもじい冬がつづいていた。と、ある日、はじめて春らしい日が訪れた。快い温度がじっと蹲っている僕にも何かを遠くへ探求させようとするのだった。あばら屋の二階には、たまたま兄が疎開させていた百科事典があった。それを開いてみると、花の挿絵のところが目に触れた。すると、これらの花々は過ぎ去った日の還らぬことどもを髣髴と眼の前にただよわす。僕はあの土地へ、かつてそれらの花々が咲き誇っていた場所へ行ってみたくなった。魅せられたように僕はその花の一つ一つに眺め入った。
 しやか。カーネーション。かのこゆり。てっぽうゆり。おだまき。らん。シネラリヤ。パンジー。きんぎょそう。アマリリス。はなびしそう。カンナ。せきちく。ペチュニア。しゃくやく。すずらん。ダリア。きく。コスモス。しょうぶ。とりとこ。グロキシニア。ゆきわりそう。さくらそう。シクラメン。つきみそう。おいらんそう。福寿草。ききょう。ひめひまわり。ぼけ。うつぼかずら。やまふじ。ふじ。ぼたん。あじさい。ふよう。ばら。ゼラニューム。さざんか。つばき。しでこぶし。もくれん。さつき。のばら。ライラック。さくら。ざくろ。しゃくなげ。まんりょう。サボテン。……僕はノートに花の名を書込んだままだった。

 僕は小さな箱のなかにいる。僕は石油箱に夢のノートや焼残りの書物を詰めて、それから間もなく東京へ出てきた。僕を置いてくれた、その家は、ガラスと板だけで出来ている奇妙な家屋だが、その二階の二・五米四方の一室に寝起きするようになった。僕はその板敷の上で目が覚めるたびに、何か空漠とした天界から小さな箱のなかに振り落とされている自分を見出す。僕のいる小さな箱のなかには、焼残ったわずかばかりの品物と僕のほかには何にもない。……何にもない、ぼくはもう過去を持っていない人間なのだろうか。眼が昏むほどお腹が空いて、板敷の上に横たわっていると、すりガラスごしに箱の外の空気が僕の瞼の上に感じられる。窓の外のすぐ隣の家には、ささやかな庭があって、萌えだしたばかりの若葉が縁側の白い障子に映っている。あそこには、とにかく、あのような生活があるのだ。僕が飢えて、じりじり痩せ衰えてゆくとしても、僕にはまだ夢のようなことを考えることができそうだ。夢は、この夢はどこから投影してくるのだろうか。メリメリと壊れそうなガラス窓に映っている緑色の光……あの光はお前なのか、それとも僕なのだろうか。
 ある日、僕は何かに弾きだされたように、千葉の方へ出掛けて行った。あの家が残っているかどうか、僕にはわからなかったが、電車がその方向に接近して行くに随い、水蒸気を含んだ麦畑の崖が見えて来たりすると、僕は昔の僕に還っていった。家に戻れば、お前の病床もそのままあって、僕は何の造作もなくお前の枕頭に坐れるかもしれない……。その方向に接近するにつれ殆ど自分でも見定め難いさまざまの感覚がそっくり甦って来るようだった。僕はお前の側に坐るときの表情まで用意していた。……駅で電車を降りると、僕は一目見て、あたりの景色が以前のまま残っているのを知った。僕は勝手知った袋路の方へとっとと歩いて行った。すると、つい四五時間僕はこの場所を離れて他所へ行っていただけのような気持がした。ふと近所のおかみさんの顔が少し驚きを含んで僕の方を振向いていた。僕はあの家の七八歩手前で立ちどまった。僕の眼は板垣の外へ枝を張っているもちの樹の青葉に喰い入っていた。それから僕はあの家の方へ近づいた。それから僕は板垣の外から、あの狭い小さな庭にじっと目を注いでいた。すぐ向の縁側から、何かがちらっと爽やかに僕の眼に見えた。それは僕の心の内側の反映があの縁側にあったのだ。それは忽ち無限に展がってゆきそうだった。だが、気がつくと、その縁側では見知らぬ子供が不審げにこちらを見ているにすぎなかった。そうか、今ではあそこに見知らぬ人が住んでいるのか。そうか、しかし、とにかく家は残っていたのだったか。僕は自分に云いきかせて、その場所を立去った。僕は海岸の方へ出る国道や焼跡のバラックの路をじりじりした気分でひとり歩き廻っていた。空気のにおいや、どよめきや、過去と繋りのある無数の類型や比喩が僕のまわりを目まぐるしく追越そうとする。……そして、東京へ戻って来ると、僕は再びあの小さな箱のなかに振り落とされているのだった。
 僕はX大学の図書館の書庫のことは書いておきたい。この学校の夜間部の教師の口にありついた僕は餓じい体を鞭打ちながら、いつも小さな箱のなかから、ここへ出掛けて来る。ここでは焼け失せた空間と焼け残った空間がひび割れた観念のように僕の眼に映る。坂の石段を昇りつめたところにある図書館も赤煉瓦の六角塔は崩れ墜ちて、鉄筋の残骸ばかりが見えている。僕は昔、あの赤煉瓦の塔を見上げたとき、その上にある青空が磨きたての鏡のようにおもえたのを憶えているので、どこか僕のなかには磨きたての新鮮な空気がまだありそうな気もする。表の閲覧室の方は壊れたままだが、裏側にある書庫は無事に残っているのだ。僕はあるとき、入庫証をもらうと、はじめてその書庫のなかに這入ることが出来た。重たい鉄の扉を押して、ガラスの破片などの散乱している仄暗い地下室に似た処を横切ると、窓のところに受附の少年がいた。そこから細い階段を昇って行くと、階上はひっそりとして、どの部屋もどの部屋も薄明りのなかに書籍が沈黙しているのだった。僕はいま、受附の少年のほかに、この建物のなかには誰も人間がいないのを感じた。それから、窓の外にある光線はかなり強烈なのに、この書庫に射して来る光は、ものやわらかに書物の影を反映しているようだった。僕はゆっくり部屋から部屋を見て歩いた。「イーリヤス」「ドン・キホーテ」など懐かしい本の名前が見えて来る。どの書物もどの書物も、さあ僕の方から読んでくれたまえと、背文字でほほえみかけてくるようだ。僕はへとへとになりながら、時間を忘れ、ものに憑かれたように、あちこち探し歩いた。だが、何を探しているのか、僕には自分でもはっきりわからないようだった。
「これは全世界を失って自己の魂を得た者の問題である」
 借りて来た書物のなかから、この言葉を見出したとき僕は何かはっとした。ジェラル・ド・ネルヴァルのことを誌したその数頁の文章は怕しい追憶か何かのように僕をわくわくさせる。「理性と称する頭脳の狂いない健全さのなかに、我々の諸能力を結合している鎖の薄弱さに就いて、その鎖が、過ぎゆく夢の羽搏はばたきにも破れるほど脆く細々と擦り減ったように見える時がありはしないか。……眠れない夜々、心を痛めて待ちあぐむ日々、突然的な事件の衝動、こういうありふれた悩み一つでも、人の神経のなかにある調子はずれの鐘を乱打するに充分であろう」と、その書物は悲しげに語っている。が、僕にはあのアドリイヌと呼ぶ少女のことも、青いリボンの端に結んで匍わせておいた一匹の大鰕おおえびのことも、突然、幻想の統制力が崩れた惨めな瞬間のことも、何か朧気おぼろげに心おぼえがあるのではないかという気がして来る。だが、僕はあのネルヴァルが書いたという「夢と人生」はまだ読んだことがないのだ。
 ふと僕は図書館の地下室の椅子に腰かけていた昔の自分もおもいだす。学生の頃、あそこは休憩室になっていたが、はじめて僕があの地下室に這入って行ったのは、朝から夢のような雨が煙っている日だった。室内は湿気と情緒に満たされていた。僕が窓際のテーブルに肘をついて椅子に腰かけると、僕の眼の位置の高さに窓の外の地面が見えた。視野は仄暗い光線とすぐ向側ある建物に遮られてひどく狭められていたが、雨に濡れている芝生の緑が何か柔らかい調子を僕のなかに誘った。その時、僕は世界がすべて柔らかい調子で優しく包まれているようにおもえた。僕の視野が狭くとも僕の経験が乏しく僕の知識が浅くとも、僕を包んでいる世界は優しく僕を受け入れてくれそうだった。僕は世界が静かな文章の流れのようにおもえた。あのとき僕はその流れのなかに立停まっていたのではないか。ぼくはしずかに嗟嘆さたんした。まるでもう一つの生涯をえて回想に耽っているもののようであった。
 だが、学生の僕は、僕の上にかぶさる世界が今にも崩れ墜ちそうになる幻想によく悩まされた。ときどき僕の神経は擦り切れて、今にも張り裂けるかとおもえた。僕は東京駅の食堂に友人と一緒にいた。衰弱した異常なセロファンのような空気が僕の眼の前から、その食堂の円天井まで漲っているのだった。僕の向に友人がいるということも、僕の頭上に円天井があるということも、刻々に耐え難くなり、測り知れないことがらのようになっていた。……おお、僕の今いる小さな箱の天井は僕の瞬き一つでも墜落しそうになる。僕は箱のなかを出てゆく。
「何処に私の過去を蔵って置かれようか。過去はポケットの中には入らない。過去を整頓して置くためには一軒の家を持つ事が必要である。私は自分の身体しか持たない。まったく孤独で、自分の身体だけより他には何も持たない男は思い出を止めて置くことが出来ない。思い出はこの男を斜に通り抜ける。私は嘆くべきではなかったであろう」
 ロカタンスの言葉が僕の歩いている靴の底から僕に突上げて来る。僕は箱のなかを抜け出して、駅に出る坂路を歩いてゆく。思い出はこの男を斜に通り抜ける……斜にこの男を。だが思い出は坂下に見える駅の群集にも氾濫している。あのように思い出は昔から氾濫していたのか。僕は今の今の僕の思い出を掴みたい。僕はぼろぼろの服と破れ靴を穿いている。僕は飢えどおしで、胃袋は鏡のようにおもえる。この鏡には並木路の青葉が映るようだ。そのなかを乞食に似た男が歩いている。歩いている、歩いている。そうだ、僕は死ぬる日まで歩かねばならないのだろう。僕はもうあの小さな箱のなかにはいない。あの場所を立退けと命じられている僕だ。僕はやはり自分の身体しか持たない人間なのか。突然、暗闇が滑り墜ちた。あのとき突然、僕の頭上に暗闇が滑り墜ちて来た。それから何も彼も崩壊していた。それから僕は惨劇のなかを逃げ廻った。突然、暗闇が滑り墜ちた。僕の歩いている側に流れてゆく群集、バラック、露店……思い出は僕と擦れちがう。比喩や類型が擦れちがう。擦れちがう僕には何にもない。何にもない。僕は既に荒々しく剥ぎとられた人間。荒々しく押寄せてくる波が僕を……。
 僕の人生は小説か何かのようにうまく排列されては行かないようだ。僕はこの振り落とされている箱のなかで夜どおし一睡もしない。この場所を立退かねばならないという脅迫が僕の胸をしめつけるようだが、何か僕はもっとはてしないものを胸一杯吸い込んでいるのかもわからない。これは僕をとり囲んでいる日毎の辛さとも異う。熱っぽく、懐かしく、殆どとらえどころのないもの、だが、すぐ側にある。そうだ、僕は僕の身体の隅々に甦ってくるお前の病苦の美しさにみとれているのだ。滅茶苦茶に悲しい濁ったものを突破ろうとして冴えてゆくものを……

 お前はよく僕に夢の話をしてくれた。たった今みたばかりの夢を語るとき、お前はその夢がお前の身体のなかを通って遥かなところへ消えてゆくのを、じっと見送るような顔つきをしていた。お前には夢の羽搏が聴こえたり、その行手が見えるのだろうか、無形なものを追おうするお前の顔つきには何か不思議なものがあった。僕はお前と同じように不思議な存在になれないのを不思議におもったが、お前にとっては、やはり僕がお前の夢の傍にいてその話をきいていることが、ふと急に堪え難く不思議になったのかもしれない。そして、そういう気分はすぐ僕の方にも反映するようだった。僕たちが生きている世界の脆さ、僕たちの紙一重向に垣間見えてくる「死」……何気なく生きている瞬間のなかにめり込んでくる深淵……そうした念想の側で僕はまた別のことを考えていたものだ。お前が生れて以来みた夢を一つ一つ記述したらどういうことになるのだろうか、それはとても白い紙の上にインクで書きとめることは不可能だろう、けれども蒼空の彼方には幻の宝庫があって、そのなかに一切は秘められているのではなかろうかと。……美しい夢が星空を横切って、夜地上に舞降りて僕を訪れて来ても、僕の魂は澄みきっていないので、それをしっかりと把えることは出来ない。僕の魂はいた。ただ、あざやかに僕を横切ってかすめて行ったものの姿におどろかされて。(僕は子供のときから頭のなかを掠めて行った美しい破片のために、じりじりと憧れつづけていたのだ。じりじりと絶えず憧れつづけて絃は張裂けそうだったが)……そして、お前があのように、たった今みたばかりの夢を僕に語るとき、その夢はほんの他愛もないものにすぎなくても、お前のなかには「美しい破片」のために苛まれているほんの微かな身悶えがありはしなかったか。他愛ない夢の無邪気に象徴しているものをお前は僕に告げたが、お前が語ったどんな微かな夢にもお前の顔附があって、お前の過去と未来がしっかり抱きあったまま消えて行ったのではなかったか。
 僕はあの家でみた一番奇麗な夢を思い出す。すべての嘆きと憧れが青い粒子となって溶けあっている無限の青みのなかを僕は青いつぶてのような速さで押流されていた。世界がそのように、いきなり僕にとって変わっているということは、睡っている僕に一すじの感動を呼びおこしていたが、醒めぎわが静かに近づいて来るに随って、僕はそこが嘗てお前と一緒に旅行したときの山のなかの景色になって来るのに気づいていた。……お前は重苦しいものから抜け出そうとして、あの旅行を思いついたのだ。金時計を売って旅費にしたときの、お前の身軽そうな姿は大空へ旅立とうとする小鳥に似ていた。今でも僕はお前の魂の羽搏を想像する。泡立つ透明のなかから花びらを纏って生誕する一つの顔。

 僕はその頃、夢みがちの少年であった。朝毎に窓をあけると新しい朝が訪れて来るようだった。遠くにきこえる物音や窓の向に見える緑色の揺らぎが、僕を見えない世界へ誘っていた。僕は旅立とうとしていた。書物では知っていたが、まだ経験したことのない放浪や冒険の夢が日毎に僕のまわりにあった。僕は硝子張の木箱の前に坐っていた。僕にとって、ぼんやり僕の顔を映している硝子が、そのあたりにすべての予感が蹲っているようでもあった。だが、こうして部屋に坐っているということが、僕には何か堪らない束縛ではないかともおもえた。僕にはどうしようもない枠が、この世の枠が既にそっと準備されているのではないか。それは中学生の僕が足に穿いている兵隊靴のようなものかもしれなかった。大人たちは平凡な顔つきをして、みな悲しげに枠のなかにいた。書物の頁のなかから流れて来る素晴らしい観念だけが僕を惹きつけた。それは僕の見上げる晴れ渡った青空のなかに流れているようだった。僕は学校の植物園をひとりで散歩していた。柔らかい糸杉の蔭に野うばらの花が咲いていた。五月の日の光は滴り、風は静かだった。蒼穹の弧線弾力や彼の立っている地面の弾力が直接僕の踵に迫って来るようだった。荘厳な伝道の幻が見えて、人類の流れは美しくつづいて行く。だが、そういう想像のすぐ向側で、何か凄惨な翳が忽ち僕のなかに拡がって行く。それも書物の頁から流れてくる観念かもしれなかった。傷つけあい、痛めあい、はてしなく不幸な群の連続、暗澹とした予感がどこからともなく僕に紛れ込んで来るのだ。全世界は一瞬毎にその破滅の底へずり降ってゆく。静かに音もなくずり降ってゆく。この不安定なもの狂おしい気分は植物園の空気のなかにも閃いた。急に湿気を含んだ風が草の葉をなびかすと、樹木の上を雲が走って、陽は翳って行った。すると光を喪った叢の蔭にキリストの磔刑の図を見るような気がした。ふと、植物園の低い柵の向に麦畑のうねりや白い路が見えた。と、その黒い垣が忽ち僕を束縛している枠のようにおもえるのだった。
 僕は小娘のように何かを待ち望んでいたのかもしれない。そのように待ち望んでいるものを夢みていたのかもしれない。可憐の花の蕾や小鳥たちの模様に取囲まれて、朝毎に美しく揺らぐ透明な空気が何処からか僕を招いていたのだろうか。ふと僕は花の蕾の上にゆらぐ透明なのが刻々に何かもの狂おしく堪えがたくなってゆくような気分に襲われた。すると僕の眼のすぐ裏側には、美しい物語のなかの女の涙が凝と宿ってゆく。「世界はこんなに美しいのに……」とその嘆き声がききとれるようだった。……僕は嘆くような気持で家を出ると、街を通り抜けて、川に添う堤の白い路を歩いて行った。うっとりとしたものは僕の内側にも、僕の歩いて行く川岸にもあった。白い河原砂の向に青い水がひっそりと流れていた。その水の流れに浮かんで、石を運ぶ船がゆるやかに下ってゆく。石の重みのため胸まで水に浸かっていながら進んでゆく船が何か人間の悲痛な姿のようにおもえた。僕の頭上を燕はしきりに飛び交わしていた。月見草の咲いている堤の叢に僕は腰を下ろすと、身体を後へ反らして寝転んで行った。すると眩しい太陽の光が顔一ぱいに流れて来た。僕は眼を閉じた。閉じた瞼の暗い底に赤い朧の塊りがもの狂おしく見えた。「世界はこんなに美しいのに、どうして人生は暗いのか」と僕はそっとひとり口吟くちずさんでいた。(この静かなふるさとの川岸にも惨劇の日はやって来たのだった。そして最後の審判の絵のように川岸は悶死者の群で埋められたのだが……)
 僕はあのとき、あの静かな川岸で睡って行ったなら、どんな夢をみたのだろうか。その頃、僕のなかには幻の青い河が流れていたようだ。それも何かの書物で読んでからふと僕に訪れて来たイメージだったが、青い幻の河の流れは僕が夜部屋に凝と坐っていると、すぐ窓の外の楓の繁みに横たわっているのではないかと思われた。が、そんなに間近に感じられるとともに、殆ど無限の距離の彼方にそのイメージは流れていた。まだ、この世に生誕しない子供たちが殆ど天使にまがう姿で青い川岸の花園のなかに蹲っている。だが、子供たちは既にみなそれぞれの愛の宿命を背負っているのか、二人ずつ花蔭に寄り添って優しく羞しげに抱き合っているのだ。無数の花蔭のなかの無数の抱きあったやさしい姿、子供たちは青い光のなかに白く霞んで見えた。ちらりと僕はそのなかに僕もいるのではないかという気がした。
 僕の喪失した記憶の疼きといったようなものが、いつも僕の夢見心地のなかにはあった。どうかすると僕は無性に死んでしまいたくなることがあった。早く、早く、という囁きのなかに、芝居の書割に似た河岸を走っているオフェリアの姿が見えた。僕のすぐ足許にも死の淵があった。「死」は僕にとって透明な球体のようだった。何の恐怖もなく澄んだ世界がじっと遠方からこちらを視詰めているようだった。僕は何ごとかを念じることによって、忽ちそのなかに溶け入ることが出来るのではないかとおもった。するとぼくの足許には透明の破片がいくつも転がって来た。僕の歩くところに天から滑り墜ちて来る「死」の破片が見えた。その「死」は僕の柔らかい胸のなかに飛込んで不安げに揺らぎ羽搏くのだった。不安げに揺らぐものを持ったまま僕は、ある日、街の公会堂で行われている複製名画の展覧会場へ這入って行った。木造建ての粗末な二階の壁はひっそりとした光線を湛えていた。その壁に貼られている小さな絵は、僕にとって殆どはじめて見る絵ばかりであった。ボティチェルリの「春」が、雀に説教をしている聖フランシスの絵が、音もなく滑り墜ちて僕のなかに飛込んで来るようだった。僕は人類の体験の幅と深みと祈りがすべてそれらの絵のなかに集約されて形象されているようにおもえた。僕にとって揺らぐ不安げなものは既にセピア色の澱みのなかに支えられ、狂おしく燃えるものは朱のなかに受けとめてあった。
(今も僕はボティチェルリの描いた人間の顔ははっきり想い出せるのに、僕がこれまで生涯で出会った無数の人間の顔はどうなったのだろうか。現実の生きている人間の印象は忽ち時間とともに消え去るのに、記憶の底に生き残っている絵の顔は何故消えないのか。その輪郭があまりにきびしく限定され、その表情が既に唯一の無限と連結しているためなのだろうか。……恐らく、僕が死ぬる時、それは精神が無限の速力で墜落して行くのか、昂揚してゆくのか、僕にはわからないが、恐らく僕が死ぬる時、僕はこの世からあまり沢山のものを抱いて飛び去るのではないだろう。僕のなかで最も持続されていた輪郭、僕のなかで最も結晶されていた理念、最も切にして烈しかったもの、それだけを、僕はほんの少しばかしのものを持って行くのではないのだろうか)
 その展覧会を見てから後は、世界が深みと幅を増して静まっていた。僕の眼には周囲にあるものの像がふと鮮やかに生れ変って、何か懐かしげに会釈してくれた。それから、はじめてすべてのものが始まろうとする息ぐるしいような悦びが僕の歩いている街の空間にも漲っていた。ある昼、僕は書店の奥に這入って行くと、書棚のなかから一冊の詩集を手に取った。その書物を開いて覗き込もうとした瞬間、僕のなかには突然、何か熱っぽい思考がどっと流れ込んだ。僕は何か美しいものに後から抱き締められているような羞恥におののいているのだった。
原民喜「美しき死の岸に」

(2004.11.20)-2
こういうのを、どうやったら書けるのだろう、と真剣に考えたときに、やはり、そのあり方より他にはないだろうというのは、ぼくにも素直に肯けるのです。ですから、ほんとうに、ぼくもまた、そのようなものを書くのであれば、まず、そうあろうとしなければならないのです。太宰、山頭火、島尾敏雄、ボオドレエル、ヴァレリイ等々が、そして、この原民喜が採ったあり方を。
(2004.11.20)-3
捨て去ってしまったり、諦めたり、完全に隔絶された、それから、反対に、背負わされたり、逃れられはしない、と信じていた、あるいは信じようとしていたものが、実際には、ほんのわずかなきかっけで、ほとんど何の苦もなく戻ってきたり、手放されたりしまうのが認められたとき、ひとは何か裏切られたような気持になるもののようです。けれども、人間は、立体でも、面でも、線でもなく、一個の点に過ぎないので、そういった場面に出会うことからは、どうあっても、いや、完全に弧絶して生きれば、あるいは可能かもしれないのですが、逃れることはできません。でも、世の中の物語の半分くらいは、あるいは、そのほとんどは、たぶん、この、人間は点に過ぎない、という事実から生れてきていて、そして、物語が生れているということは、即ち、そこからは人間の精神の大きな揺らぎが生ずるのだということを意味しています。その、何となく割り切れない、基礎の部分が、知らぬ間に挿げ替えられてしまい、自分のしていたことが、何かひどく的外れで愚かで無益なことのように思われてしまうような感覚。あなたが、「分別」といっているそれは、おそらくそういったことなのだと思います。世の大人たちが、旗印にするものは、きまって、そうった哀しいものを土台にしているもののようです。そして、それは同時に、ぼくが年齢だけを、それによってもたらされるものだけを欲している理由でもあります。葛原勾当が、「はやく三十になりたや」と云ったのも、そして、太宰がそう云わせたのも、そのあたりから来ているように、ぼくには思えます。ぼくは、それを使って、何かと戦いたいと思います。ちょうど、こうやって、原民喜がしているように。生きていたりすること、そのものや、それから、もっと茫漠とした、諦めのような雰囲気をまとったものたちと、勝利だけは存在しない、生命というシステムそのものへの問いかけにも似た、意図のはっきりとしない、それでもそれが戦いだということだけは確かな、戦いをしたいと思います。最初の哲学、そして、それゆえ、最後の哲学でもある、その深淵を見ようとする、無益で、無謀な戦い、そういうことをしたいと、そう思っています。
(2004.11.21)-1
昨日、四ヶ月ぶりに髪を切ったので、何となく出歩く気分になり、渋谷で散財しようと思いつく。東急線の車窓から、そう、ちょうど「ふとん綿」みたいな雲が、微妙に不快な色の西日を受けているのが見えたのだが、ただ、その下半分が、都会の上空数百米までをコーティングしている、真性の灰色をした大気層によって、完全に隠されてしまっていて、海に浮かぶ島かなにかのように見える。気が変わって、途中、中目黒で下車し、代官山を通って、渋谷まで歩くことにする。おしゃれな若者の定番コースである。ぼく自身は、別におしゃれな若者ではないのだけれども、そういった、若者の街の雰囲気はそんなに嫌いでもない。華美で虚飾に満ちたブランドものの洋服や、宝石や、自動車を扱う店が軒を並べる一方で、少し路地の方へ回れば、いじらしいほどにつましい装いの、おそらくまだ全員二十代の、数人の気の置けない仲間たちがお金を出しあってどうにか立ち上げた、という感じの、ここの外では決して生きてゆけないような小さなショップなども見られるし、また、そのようなところから始めて二十年、どうにかこの街に根付いているらしい、美容室なども見られるのである。どうしても個人的な雰囲気のする彼らの店舗と、その周辺の彼らの居住するマンションや、そこに停めてあるポルシェやフェラーリを眺めていると、東京という街での暮しが、ここでの成功というものが、鮮やかに浮かび上がってくる。億ションや高級外国車は、まさに、彼らが自ら勝ち取った勝利の戦利品として、そこにある。したがって、それらは、まさに彼らのこの街における一連の格闘の日々そのものをあらわしているのであり、その証拠に、彼らの生活の外面には、驚くほど無駄がない。彼らの所有するものにはすべて、何らかの理由と誇りとが込められており、それが夏の最中であっても、そこに冬の朝の冷え込みがもたらす、鋭利な刃物の切っ先のような印象を生み出す。それを眺めてまわるのは、そんなに嫌いではない。中目黒の駅を出ると、駅前の通りは、あからさまに、東京の日常の色で塗りたくられた戯画のように見える。パチンコ屋に全国チェーンのファーストフード、レストラン、居酒屋、それに、個人経営の居酒屋、バー…それらが、日暮れ前に暫時訪れる奇妙な空白の時間のなかで、過剰な存在の主張…既にフルに点灯された電飾、タイムリーなキャンペーンや、今日のおすすめメニューの看板、仕事前の客引きたちの欠伸…。ぼくはもう、何のためにここまで来たのか、すっかりわからなくなってしまっている。
(2004.11.23)-1
端的に言えば、疲れている。
(2004.11.23)-2
今日(23日)が休日だったので、昨日、三時まで社に残って、投稿の準備をする。はっきり言って、そのレベルを満たしていないと思う。そして、まだぼくはこんなことを言っている。やりきれない。
(2004.11.23)-3
今日は何にもする気になれず、一にち寝ていた。島尾敏雄を一篇だけ読んだ。島尾は巧い。ぼくは下手だ。何にも欲しくない。家族と団欒してみる。馬鹿馬鹿しい。
(2004.11.23)-4
ヘンリー・ミラーが届いたが、読み始める気になれない。時期が悪い。グラスはもう失敗だろう。今はただ、原民喜の下巻が届くのを待っている。
(2004.11.23)-5
残りの、起きて何もしていない時間は、グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲をぼんやり聴いている。いや、こんなのはバッハではない。グールドはおかしい。夜中、ひとりでに口を開けて喋りだすピアノのガーゴイルみたいに奇怪だ。深夜、戸を閉めきって、聴こえる音を、時計の秒針の音とスピーカから漏れてくるグールドのピアノだけにしていると(高層マンションの遮音性能を侮ることなかれ)、気が狂いそうになる。どこをどうみても、こいつのやっていることは、美しいものとか清らかなものではない。しかし、それを聴いていても、やはりぼんやりとしている。ぼんやりときがちがってくる。
(2004.11.23)-6
もう、三ヶ月も書いていない。三ヶ月も。
(2004.11.23)-7
感情の出し方がわからない。
(2004.11.23)-8
いや、どうも、感情の在処じたいがわからないらしい。
(2004.11.23)-9
恐怖や狼狽。これらが生体反応でなく、感情と呼べるのであれば、あるいは、その程度は。
(2004.11.23)-10
感情とは、具体的に、どういったものをいうのだったか。

(2004.11.23)-11
最近は、他人を虐げる夢か、自身が虐げられる夢か、どちらかしかみない。そして、いつでも、ぼくは笑みを浮かべている。そういうとき、ぼくは目覚めることを拒み、そのまま続けさせる。
(2004.11.23)-12
ぼくは、ほんとうにわからないから、わからないと書いただけなのに。
(2004.11.23)-13
二十二階のベランダから、衝動的に飛び降りようとしてみて、一抹の馬鹿馬鹿しさを感じたために、失敗する。けれども、あと、500mlほども飲んでいれば、きっとうまくいっただろう。携帯電話みたいに、芝にあたって、飛び散っただろう。
(2004.11.25)-1
昨日は不眠。さて、今日は。
(2004.11.25)-2
睡るほどに飲めばよい。君はかしこい。明日は、まだ仕事がある。
(2004.11.27)-1
原民喜はそれをしたらしい。ぼくは知っていたので驚かない。わきあがる感動もない。それを構成する活字たちの連なりをただ実際に眼にしているというだけ。ぼくはもうすでに知っていた。
(2004.11.28)-1
うまく言葉にならないので、書きつけることができない。どうも、ぼくはただ、「わからない」ということだけを言いたいような気がする。「わからない」ということだけが言えれば、それでたぶん、じゅうぶんなのだ。「問い」というものの実際は、それが成立した時点で、自身の裡に回答を内包しているものだ。そして、「わからない」ということが確定するということは、それ以上の引き延ばしは無意味であるということだ。ぼくは、もう、その構造については理解している。それは、宇宙の真理ではなくとも、少なくとも、人間の真理ではあるはずのものだ。「なぜあなたは自殺するのですか」「それ以降には、一切の新しいものが発生しないからです」「新しいものが生れなければ、死ぬのですか」「そうです。つまりそれは、時間の停止と同義ということであり、自身の時が止まったものにとって、死は、あらゆる人間の営為の裡で最も自然のものなのです。あなたが、おそらくは、明日の朝、普段どおりに眼醒めることを疑わないようにして、自身の肉体において行われている一切の生体活動が終了することを疑わないのです」「それが自殺ですか」「自殺が常に自傷によるものとは限りません。非可逆である時間というものの上において、考えうるあらゆる復帰の可能性を断つということが、厳密な意味での「死」なのです。脳死という状態が存在しますね。イメージとしては、あれに近い」「つまり、スポーツ選手としての死、といったものだと」「そうです。そのようなものだと考えてもらっても構わないでしょう。ただ、この場合は、「スポーツ選手のように」といった限定は存在しませんが。あるいは、その部分が、「人間として」「生物として」といった言葉になっているわけですが」「少し、わかるような気がします」「そうですか。それは、よかった」「でも、それは、そのまま、「自殺」ということに、常になるわけではないような気がします」「それに関しては、多少の検証が必要です。常態にある人間には、すべてが昨日までと何ら変らない、という状況は理解し難いでしょうから」「すべてが、変らない」「そうです。「すべて」がです。この命題に関する反証として、すぐに、様々な例が思い浮かぶことと思います。たとえば、日付が変っているとか、昨日一にちの記憶というものが付け加わっているとか。けれども、それらは残念なことに、反駁されてしまいます。なぜなら、ここでいう「死」というものが、つまり、そういったあらゆる変化を受け付けることのできなくなってしまった状態のことを言うのですから。それらの全てが終了したところにこそ「死」があるのですから」「なんだか、メビウスの輪のようです。あるいは、コロンブスの卵のような」「ですから、検証が、要るのです。そこでは、完全なイコールというものが、どういうことなのかをきちんと理解する必要があります。1=1と書くことの絶対性について思いはせる必要があります。その先に、「自殺」の自然性が見えてくるのです」「なんだか、わかったような、わからないような」「「自殺」ということ自体は、感情的なものではありません。ただ、実際に、それに至るまでのあらゆる段階に、多量の精神的負荷が要求されるために、心情的、心裡的なものように思われるだけなのです。それらを何らかの手段によって克服、あるいは回避したあとは(たとえば、練炭を用いて集団でそれをする、ネットに載った文字列の集合によって結びついた彼らの連帯感のように)、極く自然なものとして、それは営まれることができるのです。それはそんなに不思議な現象ではありません。少なくとも、スペースシャトルが、大気圏外に到達し、そこで幾日かを過ごすことのできるということのメカニスムよりは、素直に納得することができるはずです」「そういう、ものでしょうか」「そういう、ものです。もう少し、想像力を使ってください。それは、何も、SFやファンタジーを理解するばかりが、名前を見出したばかりの未冠の大器を想い描くばかりが、未だ見出せずにいる、美しい妻や、頼もしい良人を作り上げるばかりが、能なのではありません。誰かが、「メメント・モリ」という言葉を呟きましたが、その言葉に、もう少し、意義を見出してみて下さい。「死」というものは、常に、必然的帰結として置かれているものに対して与えられる名なのです。運動がある限り、その停止がありえます。そして、「自殺」というのは、それを自働的にもたらすことを言うことにすぎないのです。難しいことではありません。あらゆる問いだてに、「No」と応え、あらゆる勝敗に負け続けるだけでよいのです。そうすれば、自ずから、明らかになってくるはずです。「そして、ぼくは死ぬのだ」ということが」


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