tell a graphic lie
I remember h2o.



(2004.12.3)-1
うだうだしていないで、いい加減に送ってしまわなければならない。今日、バルビュス四冊の代金を振り込むついでに、発送しよう。
(2004.12.3)-2
あんまり、本を読む気がしなくなっている。たぶん、原民喜のせいなのだと思う。もし、四日続けてくらいの休暇がもらえたら、「鎮魂歌」を写したい。写して、いいのか、わからないのだけれど、とても、写したい。
(2004.12.3)-3
メールが、書きたいのですけれど、書けないので、こまっています。メールばかりではなくて、何も、書けないのですけれど。
(2004.12.3)-4
ぼくの時間のうち、喋りたいことがわかっているときというのは、ほんの数パーセントか、それ未満しかなくて、あと、残りの時間は、ただ、何か、喋りたいのになあと思っているだけで、
(2004.12.4)-1
小沢健二「eclectic」を再び取り出している。たぶん、クラシックを聴きはじめて、音楽の幅ということについての認識が深まったからだろう。やっぱり、とてもよくできているのだと思う。いま、何を作っているのだろう。できれば、外に出すことを止めないでほしいと思っている。
(2004.12.4)-2
何もしていない。ただ、「メタルギアソリッド3」と、アニメ「岩窟王」、「K-1の武蔵」を見ただけだ。みな、十年、二十年来の修行の成華、というやつだ。不思議な気がする。小沢健二もそうだ。なんとも、不思議なことだ。十年を積み重ねるに足る事物に関わり続けることのできた者と、そうでないものと。吉田茂が「政治とは貧困なものだ。しかし、それは宿命的である」というようなことを嘆じたときに、こういった事実が念頭にあったものかどうかを、ぼくは知らないが、しかし、彼の言った「貧困」とは、そのような意味ではなかったかという気がする。ぼくの今いる、プログラミングという領域も、どうやら、ありがたいことには、それに足る事柄ではあるようだけれども、ぼく自身はそこに在りたいのではなく、そしてまた、今あげた分野のどれでもなく、ぼくは文字を綴ることがしたい。それも、そこにおける、いわゆる「大家」ではなく、原民喜のような、太宰治のような、そういった者になりたいのである。彼らひとりひとりが、それ以外の分野のいずれかにおいて、彼らの為すところを為しているのではなく、まさにそこにおいて、現在の彼らとして在るのだという、その点だけが、ぼくにおいても適用可能な事実である。まず、何をおいても、それを合わせなければならない。当たり前のことだ。
(2004.12.4)-3
そういえば、太宰も「もの思う葦」に、デュマを読んでいる、という記述があった気がする。それに、彼は「新ハムレット」を書いた。
(2004.12.5)-1
今日も、何もしていない。ただ、昨日よいものをいくつか目にしたので、落ち着かなくなり、昨日いろいろあさっているうちに、「メタルギアソリッド2」の開発情報をまとめた本が出ているという情報を得ていたので、主にプログラマとしての関心(あれのソースコードは、何人の何ヶ月がかりで書かれたものなのか(総期間としては、4年がかりのもののようだが)、その分担は、工程は、組織は、更には設計についてまでも、その具体的情報が掲示されていると紹介文にはあったのだ)から、川崎の本屋へ行く。ソフトウェア開発における、その種のドキュメントというのは、理論本はいくつか見られるようなのだが、その具体的事例については、企業秘密であるらしく、まったく見かけないので(まあ、そういったノウハウこそが、ソフトウェア企業の唯一の資本なのだから、尤もなことなのだが)、組織図とメンバーと工程が完全に載っている資料は貴重なのである。そういったことが可能なのは、ゲーム作品が、基本的には一発出しっぱなしの、職人仕事だからだろう。次期バージョンとか、メンテナンスとか、そういう言葉が加わる世界になってくると、そのノウハウを漏らすのは危険だ。ネットにも転がっていないくらいなので、当然のことながら、売り切れている。ほかに、特に収穫はなし。「大菩薩峠」が置いてある。小林秀雄も、なんだかやたらにある。「名随筆」シリーズもある。これは、欲しい。新人賞の写真集を見る。もちろん、年齢だけが気にかかる。この幼い感じは、どうすればいいのだろう。なすがままに、まかせておくのがいいのだろうか。
(2004.12.5)-2
いま、書いていて、こういう日にこそ、映画を観ればよいのだと気づく。大友克洋も押井守も結局観ずじまいだ。映画を観る習慣がない。世の中のイカすやつらが何をしているか調べるのに、映画はとてもいいだろう。宮崎駿がみたい。文学は、ちょっとスパンの一単位が長すぎて、端的に、最新というやつを掴むことが難しい。
(2004.12.5)-3
プレイヤーという職業以外のカテゴリにおける、ぼくと同年代の世代たちが作る、10年程度の時代というのは、たぶん、これからその具体的成果の一部がおぼろげに顕れてくるころのはずで、だから、ぼくはきっと、2010年代の人間ということになるのだろう。それまでには、あと、五六年あるわけで、まじめに、準備しなければならない。
(2004.12.5)-4
LINNのCDプレイヤがぶっ壊れてきた。やっぱり、新車じゃないと駄目なものなのかしら。
(2004.12.7)-1
蛇は笑う。時は流れる。
(2004.12.7)-2
ぼくはあいかわらずわからないばかりいう。
(2004.12.7)-3
ぼくは払い込む。ぼくの精神やぼくに割り当てられた時間。夜になれは夜中じゅう電灯がちらついていて、いつでもそれを見ることができる。ぼくは知っている、と思う。実際、ぼくは知っているはずだ。実に概念的な形式で。ぼくが擦りつける匂い、ぼくがつまみあげ、すぐに捨てるカタログ、ぼくがその下に挿みこんで出さない気色。等々が、それらが、ぼくの払い込んだものに対して、おそらく、対して、取り出されていた。その時から滲み出る水滴。何かの水溶液。知っている。化学式が書ける。書ける?指に染みこませる。擦りあわせていると、どこかへいってしまう。これで消費された。
(2004.12.7)-4
一向に明けようとしない夜に乾杯。
(2004.12.8)-1
たしかに、それは「重量」なのかも知れない。記憶の質量に、重力加速度をかけて得られる、記憶の重量。とすれば、今のぼくはさしずめ、時間の重力場上を「軽やかに」疾駈する屑星の一か。いずれ天体の場に絡め取られ、その大気中にてシュッと燃え尽きる塵芥の一粒。誰も気づかない。ぼく自身ですらも。
(2004.12.8)-2
鴉が啼いている。いくつもの真実。いくつもの真実らしき言説。
(2004.12.10)-1
やった。ようやく、できた。八月から書きはじめたのだから(プログラムもやっぱり、「書く」なのだ)、はち、く、じゅう、じゅいち、けっきょく四ヶ月あまりもかかってしまったことになる、五万行あまりの大作ですぞ。みなさんは、FTPクライアントは何をつかっていらっしゃるかしら。フリーのそれと同じくらいには、ぼくのもいろいろできますぞ。尤も、FTPみたいに汎用的なものではなくて、ユーザは多く見積もっても五十人もいないのですけれど。
(2004.12.10)-2
それから、スレイプニルを導入する。とても便利だ。そして、勉強になる。ダブルクリックと、マウスの4番と5番を採らなければならない。
(2004.12.11)-1
原民喜を写そうと思っていたのだけれど、「鎮魂歌」を読み直しただけで止める。閉じて・・・読むことをしないと、とてもではないけれど、読み通せない。このところ、本を読みたくないとほとんど思ってすらいるのは、やっぱりこいつのせいなのだと思う。
(2004.12.11)-2
CDの開封の仕方もわからなくなったし、小説の選び方も、読み方もわからなくなった。無感覚とほとんど同義の振幅の内で、笑い、悲しみ、怒り、苦悶、驚嘆する。どれも「既出の」という印象を帯びており、今のぼくがそれに笑うのは、おかしいからではなく、前回そうしたからだ。悲しむのは、前回そうしたからだ。憤るのは、前回そうしたからだ。苦しむのは、前回そうしたからだ。驚くのは、前回そうしたからだ。わかっているのか。それがどういうことなのか。
(2004.12.11)-3
弁明の言。ぼくは「A Scenery Like Me」を聴き続けています。彼女のその一つ前の作品集、「夜明け前」とこの「A Scenery Like Me」とはひとつの到達点を成すものだと認識しています。現に、このふたつが出たあとにおいては、それ以前の彼女の作品を選択することがめっきり少なくなりました。わかりますか。「このふたつ」で足りるのです。彼女は今年、レコード会社から戦力外通知を受け、移籍の運びとなり、活動規模の縮小を余儀なくされたように見受けられますが、それはまったく正しい。彼女の生み出す作品は、すでに動かしがたいほどに個人的なものとなっており、かつてのような集客の見込みは今後ありえないことが、「A Scenery Like Me」によって、どうしてもはっきりしてしまったのですから。彼女の作品は、今後、奉仕するものとしてではなく、完全に追いかけるべきものとしてしか存立しなくなってしまったのですから。彼女の歌は、今後、彼女の人生の深まりと完全にイコールになります。彼女の作品が、良人と息子、娘、そして、彼女自身の生活とを愛することによってのみ、生み出されるとき、それは一般性を喪うのです。普遍的な個人というものは、この世にいくつもある不幸のうちでも、特に厳しいもののひとつです。そこに落ち込んだものは、ほとんど形容に絶する辛苦を常に舐めていながら、それを表す術を奪われるのです。なぜなら、それはあまりに普遍的であり、そして、そのこと自体が、それについての発言権を奪うからです。しかるに、かかる事態は、当然忌避されて然るべきものであり、そのための、事業規模縮小は、至極合理的なものとすらいえると思います。彼女が、キッチンで頬杖ついて、長期のロケに赴いた良人の姿を思い描いて数分なり、数十分なりを過ごすその時間の重さ。その合間に気まぐれに訪れる息子や娘の他愛ない遊戯や疑問に付き合うこと。そういった、名状しがたい感覚を彼女は音楽に載せることをしようとしています。そして、それを聴く側は、それがどれだけ繊細、微妙なもので、こちらの全神経を総動員しなければ掴むことの叶わぬ感覚であるかを、ある種の諦めを以て認識する必要があります。そう、ぼくは結婚もしておらず、したがって、良人も息子も娘も持たない、そのことが、どれだけの損失であるか。そのことが、どれだけの過失であることか。そして、それがどれだけの可能性を提示するものか。そこから、どれだけのものを受け取り、どれだけのものは許容しがたいのか。その対立軸として、どれだけの価値を提示できるのか。彼女が、幸福な結婚生活と、平凡な日常に価値を見出し、それを歌い上げているのか、そして、それをぼく自身はどの程度受け入れ、どの程度拒絶しているのか。彼女の生活と歌が、そこに焦点を絞ればしぼるほど、ぼく自身にも、そのことどもがはっきりとしてくるのです。彼女は、「愛」というものを恐れませんから、
(2004.12.14)-1
身体が腐ってゆく。
(2004.12.14)-2
それは回避だろう。そうだ。それに違いない。それは、回避だ。言ってはならないことだ。それを口にしてはならない。ぼくはこう言わなければならない。是が非でも、こう言わなければならない。ぼくの作品。ぼくの小説。ぼくの書いた小説。ぼくの小説が。ぼくの小説が。ぼくの小説が。ぼくの小説こそが。
(2004.12.14)-3
身体が腐ってゆく。身体が腐っていっている!
(2004.12.14)-4
身体が腐ってゆくのだ。腐っているのだ。
(2004.12.14)-5
腐ってゆく。
(2004.12.14)-6
腐る。
(2004.12.15)-1
十二月は不安定になる。
(2004.12.16)-1
それは確かにそうなのだろうけれど、黙っていると、ぼくの文は読めないくらいにひどいので、ある程度は、どうしてもやらざるをえない。読める文を書くこと、それすら、まだぼくには覚束ない。ほら、見てよ。ここまでの、この文。ひどいもんだろう。意識しないで書くと、こんなものになってしまう。
(2004.12.16)-2
身体がぎしぎしいう。
(2004.12.16)-3
身体が腐ってきている。
(2004.12.16)-4
もうぜんぜん自信がない。そして、書いていないことがつらい。書いていたいのに、そうしていないこと、それがどんどん、昨日より今日、おそらく、今日より明日、できなくなってゆくことがつらい。こわい。はやく辞めたい。
(2004.12.17)-1
自分が何を考えているのかがわからない。以前もそうだったのだけれど、今のは、それとは少し意味が違っている。ほんとうに、何もわからないのだ。何も考えていない、といってもいいかもしれない。書いたことは、書かれたことについては、すべて忘れる。書きはじめるときに、ほとんど何も考えていない。手が動くままに書いて、意識が途絶えたところで終わる。何も残っていない。からっぽなのかどうかすらわからない。何も、わからない。ただ、身体がぎしぎしいって、腐ってきているのだけは、目に見えるから、知っている。あと、小説が書けなくなってきていることも、わかる。
(2004.12.17)-2
無感覚なのではなく、感覚のロスト。感覚失調。目が見えなくなった。耳が聞こえなくなった。そういったことと同じようなレベルで、何も感じなくなった。
(2004.12.17)-3
そして、そのなかで、「死にたい」とだけ、ぼんやりと願う。ぼんやりしているけれども、それが願いだということはわかる。それゆえに、ほかのものよりも、幾分重みを感じることができる。
(2004.12.18)-1
NHKスペシャルを見た。今日は、そのことについて書いてみることにする。イラクで行われていることについて。というよりは、戦争という状態と、ある個人がその渦中へ参じてゆくことについて。ドキュメンタリの意義はいつも統計にではなく部分、個。抽象ではなく、実例にある。そして、それを見たものが、そこから複数の人間やさまざまの環境、時間、期間、規模において共通するもの、あるいはするであろうものを演繹する。ぼくもまた、その流れに乗ろうとする。
(2004.12.18)-2
とりあえず、今日放送された二本のドキュメントについて、簡単にメモをしておくことにする。詳しくは、NHKスペシャルの放送概要を見ればよい。一本目は、イラクに派兵されたアーカンソーの州兵たちを撮ったもの、二本目は、カタールのテレビ局アルジャジーラのバグダッド支局閉鎖までの経緯に関するものだ。紹介の意図にもあったように、一方は駐留する側の米兵を扱っており、他方は主に駐留される側の視点から記事を作る記者たちを扱っているが、そのどちらに肩入れするのか、ということはあまり問題ではない。日本でこの二本の映像を目にするものたちの多くは、そのどちらからも十分に遠い。また、別の意図として言われた、報道のあり方というテーマも、業界人ではないぼく自身にはさしたる問題ではない。それについて意識を働かせることは、ぼくの仕事ではなく、そこにいる者たちの仕事だ。そうではなく、このふたつを並べることによって得たいのは、そこから導かれるある共通した部分、ないし対立している部分のいくつかであり、そしてまた、彼らと彼らの置かれた環境が、げんに今このときも進行中の現実として立ち続けていることと、そこから自分自身は外れて(外されて)いることについての認知である。死者を悼んだり、恐怖を感じたり、憤ったりすることも、そこに映し出された者たちがやればよい。その義務からも、権利からも、ぼくらは十分に遠く隔たっている。そうではなく、ぼくがすべきことは、それらを撮った映像、あくまで映像から、いくばくかを演繹することなのだ。
(2004.12.18)-3
一本目は、主に三人の州兵にフォーカスがあてられている。ひとりは七面鳥を売って暮らしている農場主四十五歳。もうひとりは、ヒップホップばりの巻き込むような説教を売って暮している黒人牧師三十九歳。最後は、州兵に二年間登録して奨学金を受けようとしている無職十九歳。映像の多くは、バグダッドへやってくる前のそれぞれの生活や家族の紹介と、駐留開始後三ヶ月程度の期間の彼らの姿の記録で占められている。農場主の家族は、彼のいない二年のあいだ、妻と十四歳になる息子との二人で数万羽の規模を持つ七面鳥農場を維持しなければならない。三十九歳の牧師には、二十五歳の白人の妻と三人の子息がある。十九歳の青年には、数人の兄弟と両親、友人たちがいる。だいたいそういったことが、映像によって知らされたあと、場面はバグダッドから三十キロ離れた彼らのベースキャンプへと移る。イラクでの彼らの映像が、その初期数ヶ月で占められているのは、取材の制約があったためかもしれないが、むしろ「使える」映像がそのあたりにしか無かったというのが、ほんとうらしく聴こえる。彼らは毎日付近の村のパトロールをし、彼らに銃弾を撃ちだしてくる抵抗者たちから身を守るために、現地の農場の周囲をかこっている硬い葉を干したものでできている柵を、持ち主の承諾を得ないままにブルドーザで撤去し、放置された旧政権の弾薬庫跡から、弾薬を搬送し爆破処理する作業をする。彼らのキャンプは襲撃され四人が死亡し、三人の参加した夜のパトロールでは、武装勢力の襲撃に遭い、五台の車列の一台にロケット弾が命中する。映像は、それらの行為や出来事が、彼らをどのように変えていったのか、具体的に提示することはしない。ただ、最後の数分で駐留が一年ちかくにもなった今年九月の、彼らの顔と一ことずつのコメントとを流す。いずれの顔にもくっきりと疲労が顕れており、吐き出される言葉はそこに来る前とは明らかに異なっている。十九歳の青年はスナイパーとなり、パトロール時は、装甲車の上の銃座に座るようになっている。彼は、「一年前に言ったことは全部忘れてくれ。ここは、何もかも想像を絶していた」というようなことを言う。三十九歳の黒人牧師は、どろんとしたうつろな眼で「何をしにきているのか、わからない。もう、もとには戻れないかもしれない」というようなことを言う。(困ったことには、四十五歳農場主のコメントを覚えていない)その後、アーカンソーから派遣された州兵は、全米で最大の四千人であり、撮影終了時点で、うち二十四名が死亡、重傷者は二百名を越えると付け加えられる。
(2004.12.18)-4
二本目のアルジャジーラについては、主に二人の記者が中心になっている。ひとりは、このあいだ制圧されたファルージャからの映像を配信し続けた記者、もうひとりは、虐待の常態化が明らかになったアブグレイブ刑務所に二ヶ月ほど収容され、実際に虐待を目撃することになった記者。二人へのインタビューと、イラク開戦時から今年八月の支局閉鎖に至るまでの、アルジャジーラの報道の主要なものを振り返ることで、ドキュメントは進行する。前支局舎への米軍の爆撃、そのほか、数限りない誤爆の被害者たちの映像、なかでも、結婚式場へのそれ、今年四月の第一次ファルージャ進行時の非戦闘民への被害、米軍の攻撃の模様、武装勢力の誘拐映像の積極的放映、刑務所内の虐待実態のスクープ、それらに対する米国のコメント、アルジャジーラのコメント。ファルージャの記者は、米軍の侵攻による被害を逐一放映し続け、結婚式場への誤爆で友人のカメラマンを失い、刑務所に収容された記者が拘束されたのは、あまりに早く現場へ到着するために、武装勢力との関係を疑われたためであったことなどが知らされる。彼らの説明は至極明快であり、勿体ぶった理論や、理由づけを必要としない。建物が小型ミサイルや戦車砲弾に破壊され、人間が死んでいる、それを撮りに行き、報道するのはごく自然な、自明のことだと、支局が閉鎖されたことによって暇になってしまったために、インタビューに応じている彼らの率直なもの言いは語る。彼らを統括する、本国の報道室長も同様の明快さを以て、現在の局のおかれた立場と、それにむかう姿勢とを言明する。対して、米国のラムズフェルドは苛立ちを隠さず名指しで彼らを罵り、パウエルはあの威厳を以てカタール首相に圧力をかけて怯えさせ、軍の報道分析担当官たちは何やらむにゃむにゃとわけのわからぬことを言う。構成をみるかぎり、ドキュメンタリ製作者の視点が、特に偏っているというわけでもないように思われるが、そうする必要のないほど、米国側の態度には、戦時のあの間抜けな感じがありありと見てとれる。そして、その合間あいまに、上空を旋回する武装ヘリからロケットが撃ちだされ、戦闘機が小型ミサイルをばら撒いて飛び去り、主力戦車エイブラムスが約一・五秒間隔で主砲を連射する映像と、それらの弾頭が対象、あるいは必ずしもそうとはいえないものを破壊してゆく、また、破壊した直後の現場、死傷者収容先の病院の映像等が挟みこまれる。支局閉鎖後のファルージャ侵攻では、約一千人の武装勢力が殺害されたという。
(2004.12.18)-5
そのどれもが、べつに重要ではない。ただ、率直な感想としては、今イラクに駐留している米兵十四万人は、一人残らず底抜けに間抜けだ、という単純な事実が見てとれたという点と、真昼間の市街地の上空、そう呼べないほどの高さを武装ヘリが飛び回り、時折ロケットをどこぞの建物に向けて発車している光景のすぐわきの病院で、死者を病院から搬出している人びと、イスラム聖職者と医師、看護婦等がいたこと、また、ビルの屋上からそれらの一部始終を撮っている記者とカメラマンが非常に印象に残ったということを言おうかと思う。その二点から、もう少し要素を抽出してみるならば、戦争という状態と、日常・非日常という区分について、そして、まさにその場にあるということについて、といったことになるだろうか。
(2004.12.18)-6
おかしいな。何か異う。少し、書きすぎたようだ。書きすぎるといつも失敗する。まだ何も言い始めていないような気もするけれど、あと、二こと三ことで止めることにしよう。おそらく、最初から、それで十分だったのであり、たぶん、そうすべきだったのだ。
(2004.12.18)-7
なぜ生きているのか、という問いを、具体的に細分化する作業をはじめると、比較的少ないステップで、自分はなぜそこにいるのか、やってきた根拠はあるのか、これからもい続けるのか、い続けるのなら、なぜそうするのか、また、出てゆくのなら、なぜそうするのか、といった問いを見つけることになる。そして、もう少しよく調べてみると、それに応えることは、ほとんど、なぜ生きているのかについて応えることと同じであることに気づく。集団の一部ではない、個人としての人間が、ある場所に留まりつづける根拠、あるいは、留まらない根拠。気持ちのよい言葉を売っていた牧師が、根本的疑念に突き当たる。これは無意味で、しかも愚かな行為なのではないか。国を、家族を護るということは、こういうことをいうのだろうか。自分の今していることは、果たして神に祝福されているのだろうか。ちんけな問いだが、牧師には重大である。食い扶持に関わる。自分自身信じていないことを感動を以て語ることは難しい。彼は、彼自身と、本国で暮らす戦争体験を持たない彼の信徒とを信じさせるに足る回答を得る必要がある。問いはすでに生まれ、そして立てられた。あきらかに、彼は考えこんでいる。敵対しあう人間と人間という関係が、はじめて現実感をもって彼に迫るのである。彼自身の手にしている、優秀な自動小銃はおそらく彼に銃弾を飛ばしてくる者たちの持つ銃よりも高い確率で、彼らを殺害するだろう。そして、彼自身がそれを使用するとき、それが彼の思っていたような、家族や国を守ることとイコールであるという事態は生じるのだろうか。彼の銃は、そのような、その場に居合わせない者たちのために働くものなのだろうか。そうではなく、それは、その銃口の向けられた先にある標的を撃ち抜くことによって、彼自身がそうされるよりも早く、そうすることによって、彼自身はそれを免れる、という事態を生じせしめるためだけにあるのではないだろうか。十九歳の青年が、装甲車の屋上の機関銃座に座り、夜目をこらすのは、彼らを狙う者たちを一秒でも早く発見し、掃討、殺害することで、彼と彼と寝食を共にしている、彼と同じ姿恰好をした白人や黒人たちが死んでしまうのを阻まんがためではないのか。銃は、砲弾は、もとからそのためだけに存在していたのであり、また、それはこれからも未来永劫そうなのであり、撃つことによって守られる命は、それと同じ数か、それ以上の数の、傍目にはほとんど区別の付けがたい別の命たちによって、達されるのではないだろうか。そして、そのような事態を、他の誰でもなく、自分自身が遂行しようとしているのではないだろうか。それも、わざわざ、他国の、砂ばかりの貧しい国にまで出向いて。これがヒューマニズムなのだろうか。銃を握りしめ、周囲の外国人のすべてを疑いの視線で眺めることが。彼の問いは、やはり、どこまでもちんけで直接的である。彼は気づくことができない。あるいは、たとえ気づいていたとしても、それを許容することができずにいる。彼がそこに来ていること自体が、本来的に間抜けなことなのだと。自動小銃を抱えて日々うろつきまわっているということは、「もう、誰も殺さないために来ました」とそれを抱えながら言い放つことというのは、とりもなおさずそういうことなのだと。彼はその間抜けのなかから、すがりつくに足る、何かしらの意義を見出そうと焦り、消耗する。それらの過程は、こうして、ただその極く断片の、しかも映像にしか接していないぼくのようなものからも容易に想像できる。彼は大きな矛盾に突き当たり、自分たちが死なない代わりに、相手が死ぬ、というシンプルに辻褄の取れたほとんど物理的なロジックだともいえる、それを許容することを迫られているのだ。
(2004.12.19)-1
石牟礼道子「苦海浄土」を読み終えた。たいへんによい。フォークナーに似ている。誇り高き、文章によって誇りをあらわすというのは、こういうことなのだという、あの文章。あの色の無いいろをした、同意からも批難からも、何ものからも絶した、太い意志の柱。
(2004.12.23)-1
ようやく落ち着いてきた。ヘンリー・ミラー「北回帰線」も読み始めることができた。うろうろしてわめきちらしている。ほんとうに、わめきちらしている。これはいい。今年いっぱいかけて読むことにしよう。。。
(2004.12.23)-2
今のぼくは、わめかざるをえないわけではないから、そうしない。わめきたい、では意味がない。
(2004.12.23)-3
冬と呼ぶほど寒くない。ぼくから季節が消えてしまったことの何割かは、おそらく実際に関東から季節が消えていっているためなのだろう。それから、もう何割かは、このマンションに収められているためだ。しかし、困ったことには、ぼくはそれを確かめることができない。ぼく自身からはすべて同じように、ただ、ぼくから無くなってしまったと感じられるだけだ。そして、おそらくは同じ理由から、今年は記憶が無いと言っていい。あるいは、憶えているに価することは何ひとつ起らなかったという言い方のほうがより好ましいかも知れない。前半は何か書いていたようだが、今は書いていないから価値が無い。けれども、これらの状態自体が問題なのではない。問題はむしろ、それらが深刻な問題として認識されないことにある。端的にいえば、ぼくは日々の何気ない、会話や表情、体温の交換に価値を見出すことができなくなりつつあり、しかも、このできなくなるは、外的要因によるものではなく、内的な要因、すなわち、自身の意思(そんなものは存在しないのであれば、それに準ずる何らかの作用)によるものだという点にある。ぼくはますます、ぼく自身をもののように扱うようになってきている。そして、その傾向を停止し、それによって失ったもの(やはり、失うものらしい)を回復しようとする試みを開始させる根拠(きっかけではない)を見出すことができずにいる。つまり、次のようなことが、今のぼくには理解できない。「なぜ、笑顔で会話をかわす必要があるのか」「親しい人や大事な人といった人物を個人的に持つ必要があるのか」あるいは、もう一段下のレベルまでおりて、抽象化すべきかもしれない。「なぜ、円滑な人間関係を築き、それを日々維持することによって期待でき、また実際に得ることのできる具体的利益(それはあまりに豊饒なので、ここに書き出すことができない)を求めなければならないのか」豊饒だからか。人間は、人生は豊かでなければならないのか。問いは、答えを与えられるどころか、ますます後退してゆく。石のように硬くなりながら、だんだん、生れたことに対する詰問に近づいてゆく。けれども、それがよくないことだとは、どうしても思えない。むしろ促進をうながされる。それは単なる、(ほとんど万人が、自明のこととして奉じている)最も広義の功利主義に対する反発に過ぎないのかも知れない。もし、そうであるのなら、それはそれでよい。いや、もっと積極的に、ぼくとしても、実はそれがよい。ぼくはそれを裏付けるものを、どんな些細なことでもよいから、いつも探している。けれども、見つかるのはいつも、盲目的な良心から出発し、完全にそれを前提としているものたちと、それを否定するものたちだけだ。それは、ぼくの視点がずれていたり、視野が狭かったり、目先が効かなかったりするためなのだろうか。ぼく自身にはよくわからない。
(2004.12.23)-4
食欲への疑問やその他の。
(2004.12.23)-5
それでも、五時半になれば、さすがに底冷えする。今日はクリスマス・イヴだということを先ほど思い出した。
(2004.12.24)-1
唖のように。
(2004.12.24)-2
他のことは何もしていない。補強される、断片。不幸とは何か。感覚の記憶、思い出そうとする。あの言葉、あの、鮮やかに甦る、という言葉の、虚飾。かなしい、言い繕い。頭を抱えたり、感嘆符!を探してみたり、そういったことを、わずかに。涸れた土地に井戸を。都市に公園と樹木を。ぼくは話す、壁に向かって。壁の向こうにあるもの、ではなく、壁そのものや、壁の前に、壁とぼくのあいだにある空気に向かって。言葉を、声を、振動させて。しばらく黙っている。今読んでいる小説を書く作家の姿がおぼろげに想像される。椅子に座り、ペンを持った右手の肘を机につけている。ガウンを羽織っており、文字は書き付けていない。顔には皺がある。幾筋もの皺が、深く干乾びて、川底のひび割れのように。その向こうの部屋のドアは開け放たれている。うす暗い板張りの廊下が見える。廊下の壁には、少し大きめの額に納められた画がかかっている。何を描いたものか、ここからはわからない。ぼくには永久にわからない。それは重要でない。廊下はうす暗く、突き当たりが判別できないほどに暗い。どこまでも伸びているのか、それとも闇の壁がすぐそこに立っているのか。作家は動かない。ただ、呼吸をしている。表情は、この角度からでは読み取れない。いや、もともと作家に表情などない。それは知っている。あまりに自明のことだと、昨日のぼくは言っていた。音も匂いも、慣れると意識されないものだ。だから、ぼくのまわりには音はない。乳房の匂いや、そういったものもない。でも、爆弾はどこかで爆発しているのを、ぼくは知っている。爆弾は爆発する。そして、音をたてる。ぼくも音を立てる。けれども、それはぼくには聴こえない。いつも聴いているからだ。呼吸音、鼓動、胃や腸の収縮、排泄、放屁。キーボードを叩いても、音が出ている。ぼくは聴いていない。そうだ、思い出した。不幸とは何か。それを思っていたのだった。不幸とは何か。ぼくは不幸なのか。君は不幸か。彼は福岡。そもそも、まじめに応えるべきなのか。冗談みたいに見える。ぼくは不幸か。話は逸れる。ひとりではなす話。これは要らない。これも要らない。あれも、それも。おお。ぼくは歩きながら街を眺める。空は動いている。青から臙脂に変ろうとしている。気温について、あれこれ思いをめぐらせている。そのあいだに、ひとかたまりの雑草を踏み潰している。食物の匂いを嗅ぎつけている。そのあいだに、みみずの屍骸、干乾びた、ぺっちゃんこの、Sの字形の屍骸を見落としている。夢に出てきたので、知っているのだ。ぼくは、歩いているぼくを見ているから、それもわかるのだ。赤煉瓦の舗道。安易で画一的な、画一性からの脱出の試み。ぼくはスニーカの樹脂の底で、溝はまだ擦り減っていない、踏みつける。樹脂の表面は、ぼくの足の傾きと地面のまっ平らさのあいだを取り持っている。ぼくはそれも知っている。ぼくはぼくを眺めているから。街灯の蛍光灯は切れかかっているけれども、まだ陽が落ちていないので、それも目立たない。おお。感嘆符。神もお気づきになりますまい。ぼくは功利主義的に振る舞っている。それは簡単だから、すぐにできる。不快な表情を消そうとすればいい。一足す一が二だと言えばいい。向上します、といえばいい。頭が少しよくなった気がする。ドライヴする。ぐいーんという音がする。あ、音がする。寄るな。こっちへ這入ってくるな。ここに来れば、ぼくは問う。まだ生きているのですか?疑問符。音にならないけれども、意味はある。椅子に座って、見あげて問う。ぼくには、そのくらいのことしか、関心がないのですよ。これは弁明。さあ、這入ってきたまえ。いや、ぼくが出てゆこうか。ぼくはこれらのもの言いに飽き飽きしたのだよ。やや沈黙。他に何があるだろう。ぼくは誰にも触れられたくない。豆粒みたいな日々。門、という小説。カフカが書いたような。つまんで口に含む。しわがれた脣の内側。舌の先で途端に溶け出し、消える。黒ゴムをガスライターで焼いたような臭いがする。しまりのない、薄い脣の端から漏れ出している。ウィル。意志、希望、その他。進行形の想い。ことばをさがせ。おお。言葉を探せ!探せ!探せ!
(2004.12.25)-1
「北回帰線」の校正係の章はまったくイカしている。リハビリにちょうどよいので、しばらくヘンリー・ミラーの真似をすることにする。99%程度割り引けば、あるいはそう見えないこともないだろう。
(2004.12.25)-2
ヒューマニスムが好きか。ぼくは好きだ。憬れている。対岸の街並みの灯り。フィッツジェラルドが書いたような。そう、表題も具体的文句も忘れたが、彼の小説の一節には、そのような記述があったはずだ。絵葉書、もしくは国営放送の高画質映像を思い浮かべるといい。神戸や函館、長崎…横浜…。安手のイメージでいい。憬れとは、ああいったものを指すのであり、また逆に、憬れがああいったものを作り出してもいるのだ。微かに残っている幸福な夢の記憶写真と、幼時の砂場遊びにも似た、無邪気で疲れを知らない工夫の堆積が、ああして結晶しているのだ。写真の向こうに。映像の向こうに。ファインダーとレンズ越しに得られる光線たちに。個性と呼ばれるある種のいびつさを、まったく研磨されて。丸く、つるつるの、河原の小石みたいに、そこいらに転がっている。ありふれた、憬れ。ほとんど懐かしさという、あの体温に近い微熱を帯びた、世界の少なくとも半分を作り上げた、原初の感情。ぼくはいつも、あることを思っている。憬れているから、思いつづけていられる。忘れ去られるということも、陳腐化することもない。ヒューマニスムとは、どんなものなのだろう。どんな味がするだろう。どんな匂い、かたち、色つや、肌触り、温度。温度。それは、どんな暖かさだろう。あれこれ想い描く。マッチ売りの少女みだいだ。それから、太宰の書いた、日本橋のロシアの女の子。「咲クヨウニ。咲クヨウニ」今ここで、また書き写してみせようか?一瞬、発作が出そうになる。けれども、青銅のガーゴイルを思い出すがいい。中は氷点下の空虚が、はちきれんばかりに詰まっている。よしたまえ…ややあって。この少女たちの身なりはこきたない。声のとどくほどに近寄れば、あの埃っぽい饐えた汗の臭いが鼻を刺す。酸鼻とは、まったくよくできた単語である。それは、あくまでも人間の写実なのである。二人の少女の姿。人間の姿。絵葉書にありそうな、ヒューマンシルエット。懐かしい温度とともに、ぼくは憬れる。
(2004.12.25)-3
ホロヴィッツのシューマンをまた聴いている。どうもはまり込んでいるらしいのだが、理由がさだかでない。刷込みかもしれない。
(2004.12.25)-4
ポップスのチープな電子音の積み重ね。その上にぼくの精神が載る。その上で何か共振に似た振動がかすかに起こる。
(2004.12.25)-5

 赤い石 火の石
 ぼくは忘れていた
 あなたは宇宙を見上げる人でした
 星々のあいだに 煌めく点たちと膨大な漆黒とのなかに
 物語を 祈りを 見る人なのでした
 ビルの谷間 首都高速の高架の下 灰色に濁った空気の音に
 生活排水を海まで運ぶ 二級河川の水の音に
 やさしさといたわりを 見つける人なのでした
 肉厚超硬質のプラスティックケースの まん中に収められた
 数々の契り 色とりどりの
 互いに 思い込むことを 約束する
 そのあいだに空いた 無気圧の断絶をも
 あなたにはまた 見えている
 透きとおる 柔らかな硝子のような あなたの声は
 嘆きはしても 決して諦めることはない
 あなたが 孤独 という言葉をうたうとき
 それは 癒されるべき傷として 純白の包帯につつまれる
 その美しい錯覚を そっと手に取り そっと見つめる
 ぼくの体温でも膨張し 融けて割れる
regenerated images of mars

(2004.12.25)-6
どんどん下手になっているようだ。取り返すには、まあ、うずくまって固まることくらいしか思いつかない。賽の河原。なんという真実。
(2004.12.26)-1
毎日すべてクリアされ、また一から書きはじめられる。
(2004.12.26)-2
スマトラ沖地震。M8.9。絶望的被害の様相。
(2004.12.26)-3
さりとても我は鋼材と人造石の塔に囲われており
(2004.12.26)-4
なんだか、今日はその予感があったので、バッハを聴いていたのである。二つのヴァイオリンのための協奏曲二短調からはじめて、管絃楽組曲第三番の序曲に至ったとき、ようやく、これが音楽なのだとわかった気がした。ちょっと長すぎるきらいのあるその晴れ晴れしさの洪水の中で、ぼくは苦笑しながら、右の眉のうえあたりの額をこすっていた。目の前で、といっても、決して視覚で把えられる類のものではない、ヴァイオリンたちが紡ぎだす像が立ち上がっている。ぼくはそれを弱い視力で見つめていた。空中楼閣。たしかに、それは「空中」にあるものだったが、「空気中」だったかどうかはさだかではなく、あるいは、虚数空間のうちに出現していたのかもしれない。とにかく、ぼくはそれを眺め、驚きというよりも、ある理論が具現する場面にようやくたどり着いた、その創案者の感動に近いような心地にひたっていた。六番目の感覚の認知、あるいは、第五次元の現出、ダークマターの析出、113番目の元素。そのような、理論上は十分に存在可能でありながら、その実際の観測は不可能と思われていた、物理化学における予言の実現。蜃気楼の彼岸。そのようなものを目の当たりにしたような感覚にとらわれていた。つまり、それは音楽だったのである。
(2004.12.28)-1
カウント。26
(2004.12.29)-1
本で読んだ原爆みたいに、大穴を掘って屍体を投げ込んでいる。
(2004.12.29)-2
波にのまれ、沖へ向かってずるずると流されてゆく人間、その他を撮影したビデオ映像。その途方もない間抜けさ。小説家ばかりでなく、あらゆる人間がその場にあっては「見る人」であることを余儀なくされる。そしてビデオに収める。更にそれをぼくが見る。
(2004.12.30)-1
腑抜けている。三年分の既読の文庫本を、読み返すかもしれないわずかを除いた残りを、段ボールに詰めて、物置きの奥へ追いやってしまう。大江健三郎は、三年ごとにそんなことをやってきたらしい。ぼくもようやく一箱目ができた。たった段ボール一箱。そして、箱詰めされてしまう小説たち。
(2004.12.30)-2
折れ合う心。
(2004.12.30)-3
心などというもの。
(2004.12.31)-1
実際には、もう明けてしまっているが。ぼくの一日は、次の日の午前零時から開始される。ぼくを規定する領域について。ぼくの意識の及ぶ範囲について。集中する。今、できれば、何も言いたくないと思っている。書いていないときに、小説家の話をするのは、いやだ。コロッセウムの貴賓席から闘技場の土埃の舞い上がるのを眺めているよりは、中に放り込まれて猛獣をけしかけられ、貧相な尻を見せ、闘技場の縁を弧を描いて逃げまわる、痩せこけたニグロのほうが、ぼくにはいくらかましに思える。ヘンリー・ミラー、「北回帰線」を読み終えた。ぼくはまだメスの取り扱いが理解できていないようだ。メスという刃物がどういった形状をしており、何をどのように切るためにあり、いかにして扱うべきものであるか。どうやらぼくは、そもそも、メスというものを見たことがないようなのだ。それにしても、メスを見たこともないやつが、どうやって外科手術をするというのか。そんなやつが、外科の権威になるとわめき、周囲にふれまわっていたようなものだ。実におめでたいことである。「北回帰線」は、ぼくにそのような、あまり気分のよいものではない、自覚をうながした。もう、外科手術とは何か、という問いは十分だ。そろそろ、各論に移らなければ、メスについて、鉗子について、手術を構成する器具たちの用法について、手術の段取りについて、その各動作と注意すべき事柄について、知らなければならない。小説とは何か、ではなく、ぼくは何を書くのか、と言わなければ、その視点から小説を見ることをしなければならない。
(2004.12.31)-2
芸術家の視点から世界を眺め、また至極当然のことながら、その延長として起る、そのように生活しもすることが、実際にどのようなことであるのか。そこには何があり、また何が無いのか。周囲の99%以上を構成する、芸術家から成るのでは無い世界と、彼はどのように関係するのか。どの程度折り合い、どの部分において決定的に対立するのか。理解などという幸福な現象は発生しうるのか。断絶、不可侵という休戦協定は締結されうるのか。それとも、ぬかるんだ路面にけり倒され、唾を吐きかけられるしかないのか。また逆に、別のある面からみれば、傲岸で享楽的な搾取者であり、罵倒と侮蔑だけがとりえの派手な羽毛を持った酔っぱらいの鸚鵡でしかないのか。死んだほうがいいんじゃないかしら。ではなく、死ぬべきではないのか。ですらなく、どうして死なないのか。なぜ、まだ生きているのか。いかにして、すばやく塵のように死ぬか。他己との関係から決定的な負荷を受けることが、主にそれに対する無関心によって、不可能になると、自殺は存外難しいものになる。事故死を含む自然死の確率は、道端に転がっている札束を見つけるよりはいくらか期待できるほどの確率しかなく、現にぼくはあの tidal wave に飲まれてもいない。生れて来なければよかったというのは、単なる前提であって、役に立たない。問題は、一般的な意味において、どうやら生れて来てしまっている、自身の処し方である。禁欲やマゾヒズムは、まったくの無意味か、それより悪い、あの回避というやつに過ぎない。罪に恥じいり、罰を享けるのではない。功も罪も無い。ただ死ねばよい。
(2004.12.31)-3
話が逸れた。そうではなくて、ヘンリー・ミラー。芸術とは何か。豚の放屁である。彼の小説は、だいたいそのようなことを説明ないし、証明している(あるいは、もっとうまい言い方があるかもしれないが、それは内容の違いではなく、言い方の違いに過ぎない)。では、ブタの放屁とは、何なのか。なんでもない。それは、なんの比喩でも抽象でもないのだ。そうではなく、それは象徴なのである。それは、そのものを規定するというよりも、むしろ、他のいくつかのものではないことを示唆する。芸術は、生活ではない、椅子ではない、政治家ではない、野球ではない、果物ではない、恋愛ではない、まして、人間ではありえない。芸術は、豚の屁である。あるいは、秒針の音、擦り減った舗石、スプーンで林檎を割る。では、芸術家は、豚の屁にいのちをかける、あるいは生涯の大半を費やしているというのか。それには、すぐに答えることだろう。そうだ。むしろ、こちらがこう聞きたいくらいだ。死なずにいるときに、それ以外に何かすることがあるのか。これは別に逆説でもなんでもないのである。けれどもしかし、これをそう聞くことのできない者のなんと多いことか。そして、そういう者たちと、芸術家はどう関係すればよいのだろうか。ミラーのようにわめくのか。それとも、口を閉じるのか。はたして、閉じただけで許されるだろうか。
(2004.12.31)-4
そしてもうひとつ。生は享楽されるべきものだろうか。また、ミラーのような状態は、はたして享楽と呼びうるものといえるのだろうか。彼は、享楽すべきなのではなく、率直であるべきだと言っているようだが、ぼくは歪曲してとらえる。理由などない。そうしたいからだ。


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