tell a graphic lie
I remember h2o.



(2005.2.19)-1
「戦艦大和ノ最後」を読み終える。みんな、入っている。
(2005.2.19)-2
大変によい問いかけなので、引用する。たぶん、切り出しても機能するはずだ。
(2005.2.19)-3
必死ノ途ハ坦々タリ 死自体ハ平凡ニシテ必然ナリ
死ノ事実ノ尊キハ、タダソノ自然ナルニヨルベシ カノ天地自然ノ尊バルル如クニ
サレバ我ラガ体験ヲ、必死ノ故ヲモッテ問ウコトナカレ
タダ問イ給エ――我ラガ如何ニ職責ヲ完遂セルカ 如何ニ適確ニ行動セルカヲ
吉田満「戦艦大和ノ最後」より抜粋

(2005.2.19)-4
さて。
(2005.2.19)-5
大抵の人間は、前に進もうとするものだ。ということを、多少斜めになりながら呟いておいて。
(2005.2.19)-6
それでも、捉えられる。うまく、応えることができないのである。わずかでも、そうしたことにするには、やはり、小説が要るような気がする。
(2005.2.19)-7
でも、とにかく、ぼくは彼とは異なった応え方をする。理由は単純で、彼の言うことがたとえ「あるべき姿」であったにしろ、ぼくにはそれを遵守する能力の持ち合わせがないにちがいないという、あまり力を込めていえないような事情があるからである。
(2005.2.19)-8
それがどうあっても正しいからといって、ぼくがそれをするとは限らない。
(2005.2.19)-9
職責を持つということは、何ものかという問いに応えることのできる状態であるということだ。たぶん、この辺りが足がかりになってくれるだろう。
(2005.2.21)-1
身体はだるいが、落ち着いている。あまり不安は無い。なんだか知らないが、「うまく」やる自信があるらしい。ぼくはまた街をうろつくようになり、そして、今度はなんにも発見できず、あんまりなんにも無いので、おそらく、そのこと自体を書くようになるだろう。ぼくの内も外も一気圧で、一気圧というのは、つまり、真空の謂いだ、といったような、ちんちくりんの、矛盾した理屈を用いて、ぼくの表面、内と外との幅ゼロの境界線に、ぼく自身の定義を見つけ出すだろう。一切の吸収による減衰を受けずに、物質や思念は通過し、ぼくは、ぼく自身の内側に、外側と同じだけの広さと深さを感じる。無限深度の空虚。そのモデル図は、外燃永久機関のそれとそっくりで、その類似から推測するには、ぼくは不死身で永遠なる存在であるわけだが、「ぼくが不死身で永遠」というのは、とりもなおさず、ぼくは居ないこととイコールで結ばれる状態ということである。その論理の流れは、極めて自然のようにぼくには見えるので、特別な感慨をもたらさない。ぼくはそうなるだろうし、そうすることだろう。つまり、きっと「うまく」ゆくだろう。
(ウェークフィールド)
 昔のある雑誌だったか新聞だったか、ある男の実話として報道された話を僕は思い出す――仮にその名をウェークフィールドとしておこう――この男は永い間、自分の妻からゆくえを暗ましていたのである。この行為はこう抽象的に述べる限り、あながち異例ともみえず、さりとて――適切な事情説明がない間は――悪戯心(いたずらごころ)だとか、たわいもない行為だとかいった悪名で片づけていい性質のものともみえない。さりとて、この事例が夫婦関係不履行の事案として、記録に残る最悪のものだとは到底いえないにしても、恐らくは最も不思議な事例であることに変わりはないだろう。のみならず、人間の奇癖悪癖も数々あるなかで、驚くべき点にかけては、いずれ劣らぬ奇抜な出来心のなせる事件だった。婚姻を(ちぎ)った二人はロンドンに住んでいた。ある日、男は旅に出ると称して自分の家のすぐ隣りの街に貸間をとると、そこから、妻にも友人にも消息を断ち、二〇年以上もの間、そのまま住んでいたのだが、この自己配流(はいる)を正当化する理由のひとかけらだってなかったのである。この期間、彼は毎日のように、自分の家を眺めていたし、同じくらいの頻度でうち棄てられた人妻、ウェークフィールド夫人を見ていたのである。こうして自分の婚姻の喜びに大きな休止符を打ったのち――もはや彼の死は確実と判定され、家屋敷も整理され、彼の名は人びとの記憶から抹消され、彼の妻は、遠い遠い昔に、斜陽の寡婦(やもめ)暮らしの日々に諦めきったころになって、彼がある夕方、まるで一日の留守のあとみたいに、物静かに家に入ってくると、そのまま死ぬまで最愛の夫として暮らしつづけたのである。
 以上の梗概が僕の覚えているすべてだ。しかし、この事件は、一風変わった点では最も純粋で、他に類例がなく、恐らくは二度と再現されることもないだろうが、僕が思うに、ひろく人類の共感に訴えるところがあるのではないか。僕らひとりひとりが、自分はそんな愚かなことをするもんか、と心では知っていながら、どこかで誰かがやるかも知れないな、とは感じているのだから。少なくとも、僕自身の考察の領域では、この事件がしばしば心に戻ってきて、そのたびに驚異感を呼ぶのだったが、しかし、それに伴い、これは実話に違いないという実感と、さらには主人公の人格についてのある幻想とが湧いてくるのを振り払うことができなかった。これほど強く精神を揺さぶる話題の場合はいつもそうだが、僕らがそれを考えるのに費やす時間をちっとも惜しいとは思わない。もしも読者がお望みなら、自分で考察してみられよ。それともウェークフィールドの二〇年の酔狂の旅路を探るべく僕と一緒に放浪してもいいとおっしゃるのなら、僕はようこそと申し上げるが、僕がそう歓迎申し上げるというのも、そこにはある種の浸透的な精神と教訓談が介在すると信ずるからである。そんなものとうの昔に手際よく(つくろ)われ、集約され、決定的な文章になっているさ、とのご意見もあろうが、それはそれだ。思考はいつの場合にも、その霊験を伴うものだし、驚くべき事件ならば、どんな事件だって、それ自体の教訓をもっているのだから。
 ウェークフィールドはどんな種類の人間だったか?僕らなりの考えを形成するのは僕らの自由だし、彼を名ざしてその考えを語るのも僕らの自由だ。彼はいま人生の真盛りにあった。彼の妻に対する愛情も、もともと激しいものではなかったが、いまは落ち着いて、冷静で、習慣的な情感に変わっていた。彼は世の夫のうちでも、最も節操がある夫たりえたろうが、それというのも、ある種の物ぐさが彼にはあって、それが、いかなる状況下にせよ、彼の心を安らかにしていたからである。彼には理知もあったが、積極的に理知的だったのではない。精神はいつも長い、そこはかとない思索に(ふけ)って、当()()もなく模索する傾向があり、目的を達成する活力に欠けていた。彼の思考にしたって、言語の意味を把握するだけの活力に溢れていたことはついぞなかった。想像力は、その言葉の適正な意味では、ウェークフィールドの天賦の才の一部とはなっていなかった。心は冷たく、といって堕罪に落ちたのでもなく、彷徨(ほうこう)する心だったのでもないが、精神は反逆的な思念で熱に浮かされたこともなければ、独創的たろうとして困惑したためしもなかったのだから、よもやこの手合いの男が常軌を逸した行為の実行者の先頭を切ろうとは、誰が予測しえただろう?もしも彼の友人たちがロンドンで明日になったら必ず話題になりそうなことを今日やらないことが最も確実な男は誰かと聞かれたら、誰もがウェークフィールドのことをまず考えただろう。ただし、ここで彼が心を許していた妻だけは返事を渋っていたかも知れない。彼女が彼の性格を分析していたというのではないけれども、彼女が半ば気づいていたものがあった。第一は、彼の不活発な精神に錆びついてしまっていた、ある種の無言の利己主義。次は、ある種の奇妙な虚栄心。これは彼につきまとう最も安定性のない属性だったが。次には、技巧に走ろうとする気質。もっともこの気質が、暴露する値打ちもないケチな秘密をひた隠しに隠そうとする効果以上の積極的効果を生んだためしはついぞなかったのだが。そして最後に、この善人に時折見いだされる、「ちっぽけな不思議さ」と彼女が呼んだもの。この後者の特性は定義不能であり、あるいは非存在だったのだろう。
 さて、読者よ。ウェークフィールドが妻に別れを告げている場面を想像してみようではないか。時は一〇月のある日のほのぐれ時。彼の身なりはどろ色の大外套に、油()れで掩った山高帽子、乗馬靴、片手にはコウモリ傘、片手には小さいポートマントー(かばん)。彼が事前にウェークフィールド夫人に通告していたところによると、地方行きの夜の駅馬車に乗るはずだったという。もちろん、旅の期間、目的、予定の帰宅時間などについて聞いておきたかったのだが、彼の無邪気な神秘癖を大目に見てきた妻としては、視線をひとつ投げただけで質問に換えた。すると夫が、帰りの馬車で絶対にかえるとは期待しないように、三、四日延期したとしても決して驚かぬように、いずれにせよ、金曜の夕方の食事には待っていていい、と告げた。ウェークフィールド自身にしても、ここは酌量してやっていいだろうが、前途に待っているものについては、(いささ)かの疑念ももっていなかったはずである。彼が手をさしだすと、妻も自分の手を与え、夫の別れのキスを迎えたが、結婚一〇年の当然なしきたりとしてそうしたまでのことだった。そしてそのまま、中年男のウェークフィールド氏は出掛けたが、このときすでに正味一週間の留守で愛する妻の心を混乱させてやろうとの決心はほとんどついていたのである。彼の後からドアが閉まると、ドアの一部が開きっぱなしなのに妻は気づいたが、夫の顔が隙間を通してこちらへ微笑してきた光景がちらりと見えた。一瞬ののち、それは消えた。その当座、この小事件は一顧もせずに念頭から放棄されたが、ずっと後になって、彼女が人の妻だった年月よりも寡婦の期間が長くなった頃から、あの微笑がまた戻ってきて、ウェークフィールドの顔に対する彼女の追憶を掠めるように点滅するのだった。彼女の多くの思い悩みのなかで、この原点の微笑に彼女は数多くの幻想をくるませるようになっものだが、そのことがいよいよその微笑を不思議なもの、恐ろしいものにするのだった。なぜならば、例えば、棺桶に入っている夫の姿を彼女が想像したとすると、あの告別の時の視線が蒼白な顔面に凍りついているのが見えたのだし、たとえ天国にいる彼の姿を夢みたとしても、その時でさえ、彼の祝福された魂が物いわぬ、(ずる)そうな微笑を帯びて見えてくるのだった。いまもなお、この微笑のお陰で、世間が彼を死んだものと諦めてしまったいまとなっても、彼女はまだ時として、自分が寡婦なのかどうかを疑ってみるのだった。
 だが、僕らの用件は夫なる男についてである。彼が個別性を喪失し、ロンドンの生命の大きな集塊(マス)の中に溶けてゆかぬまえに、道をゆく彼の跡から、僕らも急いで跡を追わねばならない。いったん、この集塊(マス)にはいられたら、彼を探し求めることは徒労であろう。だから、僕らは彼の跡にぴったり()いてゆき、なくもがなの折り返しと往復を五、六回繰り返したのち、前に述べた、小さい貸間の暖炉の横に彼が安楽そうに落ち着くのを見届けようではないか。彼はいま自分の家のすぐ隣りの街にいて、彼の旅路の終わりもそこだったのだから。だが、ここまでくるのに誰にも見られずに辿りつける幸運は殆ど期待すべくもなかったのである――あるときは、群集に阻まれ、(あか)りのついたランターンの焦点にされたことがあったし、またあるときは、わんさと群がる人ごみの音とははっきり違い、じぶんの歩調のすぐ背後からつけてくるらしい足跡を聞き分けたことなどを思い出したからである。すると、また、遥か遠くで叫んでいる声が聞こえたが、それが自分の名を呼んでいるように幻想されたものである。疑うまでもなく、お節介屋が十数人はいて、絶えず彼を見張っていたのだから、連中は一部始終を妻に語っているに相違ない。哀れなウェークフィールドよ!おまえはこの偉大なる大地での、おまえの存在の無価値さを知らざるか?生きとし生ける者のうち、僕の目以外に、おまえの跡を追ったものはこれまでのところ他にいないんだ!ならば、おまえは静かに伏して()ねよ、愚かなる者よ!そうして、明日がきておまえも明日の知恵をうるならば、戻りてわが家に到り、おまえの良き妻ウェークフィールド夫人に真実を告げよ。たとえ短き週の間なりとも、おまえの妻の貞節な胸にあるべきおまえの約束の地を離れ、わが身を他の地に置いてはならぬ。おまえは死んだ、失われた、または永遠に離別したと、たとえ一瞬たりとも彼女に思わせてはならないのだ。さもないと、それ以降おまえの信実な妻に変化が起こったと知ったおまえは、永劫(永劫)呵責(かしゃく)にさいなまれるだろう。人間の愛情に亀裂の深淵をつくってはならない。深淵が、長い、広い、あんぐりとした口を開けるからなのではない――その口は忽ちにしてまた閉じられるからなのだ!
 おのれが(おか)した酔狂なふざけをほとんど悔いる気持ちにまでなったウェークフィールドは――あれがふざけでないというのなら、なんだっていいが――早めにベッドにはいると、最初のうたた寝から目を覚まし、不慣れなベッドの広い、閑散たる空間に、大きく広げた腕を差し入れた。「いや」、と寝具をたぐり寄せながら考えた。「いや、俺はもう二度と独りでは寝るもんか!」。
 翌朝、彼はいつもより早く起き出すと、やおら心を決め、ほんとうにどうすべきかを思案してみることにした。彼が物を考えるときはいつもこんな風に締まりがなく、当て所もなく彷徨するやり方だったので、ほんとうはある目的を意識してからこの一風変わった手段に踏み出すわけだが、とどのつまりは、それを考察の主題として十分に規定することができずに終わってしまうのだった。計画案の曖昧さ、実行に飛びこもうとしての痙攣発作的な行動パターンなど――それは意志力の薄弱な人間に見られる特徴なのである。それなのに、ウェークフィールドは自分の意見を好きなほど細やかに移したり変えたりする(かたわ)らでは、家庭の問題がどう進展しているだろうかと好奇心を湧かしてもみるのだった。つまり、彼の模範的な妻は一週間の寡婦生活にどう耐えているだろうとか、てっとりばやくいえば、彼が中心的存在であるところの生き物と環境の小さい領域は彼の韜晦(とうかい)のためにどんな影響を受けただろうかとか、勝手に心を動かしてみるのだった。これでは絶対の真実らしかったものすら、ある種の病的な虚栄だったとしかいいようがない。だが、どうやって彼は目的を達成しようとしたのであるか?いうまでもなく、この居心地のよい貸間からじっと動かずにいては、それは無理だ。自分の家のすぐ隣りの街で寝たり起きたりしているとはいっても、それでも実際は駅馬車で一晩じゅうぐるぐる疾走しているようなもので、要するに家を外しているに過ぎない。だからといって、彼が姿を現しでもしようものなら、計画は丸潰れだ。この二者択一の窮地のため彼の貧弱な頭脳は救い難いまでに困惑させられていたのだから、とどのつまり、心の片隅では街の端の角をまわり、自分が放棄した家庭のかなたへ一瞥をくれてみたい下心も動き、彼は思い切って外へ出ていった。習慣が――なぜなれば、彼は習慣の人だったから――彼の手をとり、全く意識しないのに、彼を導いてとうとう自分の家のドアまできてしまっていた。すると、まさしくこの決定的瞬間に、階段を擦って進む自分の足音にハッと我に返ったのである。ウェークフィールドよ!なんじ、いずこへ赴かんとするや?
 その瞬間、彼の運命は(てこ)の軸に懸かっていた。最初の退(すさ)り足が彼をその生贄(いけにえ)へと奉げつつあった運命のことなど知るよしもなく、彼は急いでそこを去ったが、これまで感じたことのない興奮で息も切れぎれになっていたし、遥か遠くの角まで来ても後ろを振り返る勇気はなかった。果して、誰にも姿を見られなかったなんてありうるだろうか?これからは家の全員が――端麗なウェークフィールド夫人を初めとし、あのスマートな小間使い、あの汚れた小僧の従僕など――逃鼠(とうざん)の殿にして主人なる彼を追跡して、ロンドンの町じゅうを駆けめぐり、阿鼻叫喚の騒ぎを起こすのではあるまいか?危ない、危ない、あわやというところだったな!彼は勇気を奮い起こして立ち停まり、家の方向を見たが、見慣れた建物もどこか変わった感じがしてきて困惑した。この戸惑いならば、僕らが数ヶ月か数年か離れていた後で、古くから親しんできた丘だとか、湖だとか、芸術作品だとかを再び見るときに感ずるものなので、通常の場合だったら、この名状し難い印象は僕らの不完全な追憶と現実との間の比較と対照で引き起こされるものなのだが、ウェークフィールドの場合は、たった一夜の魔法が似たような変貌をもたらしたのだった。それというのも、この短い期間に彼の心で、ある大きな道徳的変化が起こっていたからである。じつはあの地点を去る直前、彼は妻の姿を遠くにちらりと見ていたのだが、そのとき妻は街の端へ顔を向けながら、正面の窓を斜交(はすか)いに通過していった。このとき、生きとし生ける者の分子が何千とあるなかで、妻の目だけが自分を見つけたのだという妄想に脅えきった、哀われ、この狡い愚か者は、雲を霞と逃げ出したが、例の貸間の石炭の火で(くつろ)いだとき、脳はいささかくらくらしていたけれども、心は有頂天だったのである。
 さて、この久しい期間にわたる、男の酔狂な気紛れの発端については、これだけにしておく。あの気紛れの発端、及び事を実行に移そうとして起こった彼の物ぐさ癖の亢進のあとは、自体は自然の過程に従って進展した。僕らには容易に想像のつくことだが、熟慮深考のすえ、新しい(かつら)、それも赤毛の鬘を買い、さるユダヤ人の古着袋からは、いつもの茶褐色の背広とは似ても似つかぬスタイルの、安物の洋服を買っている彼の姿がそこにはあったろう。ウェークフィールドは別人になっていた。新体制が確立された今となっては、旧体制への後戻りは、この前代未聞の位置に彼を追いやった手段と同じくらい、困難だったであろう。のみならず、ときおり彼の気質に付随していた不機嫌が手伝い、彼は頑固者になっていた。この不機嫌が頭を(もたげ)たというのも、現在のところ、ウェークフィールド夫人の胸中に自分がどんな場違いの感情を誘発しているかを思うからだった。よし、あれが半分死ぬほど恐れおののくまでは帰っていってやるもんか!なるほど、彼女が二度か三度、彼の目の前を通過していったことがある。そのつど、妻の足取りはいよいよ重く、頬はますます蒼白に、(ひたい)はますます憂えに溢れてきた。夕暮れには、医師の花馬車がやってきて、中に乗っていた、でっかい鬘をかぶった荘厳顔の紳士をウェークフィールド家の玄関先にポトリと落としたかと思うと、一時間の四分の一が経過した頃、その紳士はまた飛び出してきた。恐らくは、葬式の(さきがけ)なのではないか!いとしい妻よ!ああ、あれもついに死ぬのか?このころまでには、ウェークフィールドはなにか感情のエネルギーのようなものに興奮させられながらも、まだ妻のベッドには近寄る気は起こさなかったのだが、この種の緊急な事態の下では妻を邪魔しては悪いだろうな、と自分の良心に申し開きしているのだった。他に彼を抑制せしめているものがあったとしても、彼はそれを知らなかった。ニ、三週間が過ぎる頃、妻は次第に回復していた。危機は去ったのである。妻の心は、多分、悲しいのだろうが、静かなんだろう。夫が帰ってくるのなら、遅かれ早かれそうすればいい、だけど、もう二度と情熱を燃やしてやることもないんだ、と妻は考えているのだろう。こんな妄想がウェークフィールドの精神の靄を(きらめ)いて通ってゆき、彼の貸間の部屋と以前の過程との間には殆ど越え難い深淵があることを不明瞭ながら意識させられるのだった。「すぐ隣りの街じゃないか!」と、彼は時折いったものである。愚か者よ!あれは別世界なんだ。これまでのところ、彼はある日からまた次のある日へと、帰還をのぼしていたのだが、これからは、正確な日取りは不決定のまま残すことにした。明日はやめとこう――たぶん、来週には――いずれ近く!哀れな男!この自己配流者ウェークフィールドに比べたら、死人だろうが地上のわが家を亡霊となって二度めに訪れるチャンスはあるというものだ!
 願わくは、僕に、十数ページの雑誌記事ではなく、フォリオ版の本にして書かせてもらえたら!そしたら、僕ら人間の営むあらゆる行為に対して、ある霊験の力が、僕らの統制の及ばぬところで、強い手を置き、その結果を織りなし、必然という鉄の織物にしてゆくプロセスを例証して見せられないものかな、と僕は思う。ウェークフィールドは呪縛にかかっていたのだ。ならば、放っておくしかない。どうせ、ここ一〇年かそこいら、彼が家の(しきい)を越えることは一度だってないのだし、妻の心からも、彼の存在はゆっくりと消えてゆくはずなのだから。ここで書き忘れてはならないが、彼の方では、自分の振る舞いが一風変わっているとの認識はとうの昔に喪失していたのである。
 さあ、ある劇的な場面を語る番がきた!あるロンドンの人だかりの中、ひとりの男が見えるはずなんだ。もう寄る年波も迫り、不注意な目撃者を引きつける特徴もないのに、その様相の全体に、異常な運命の筆跡を留めている(それをそう読む力量のある人にとってはだが)。男は痩せていて、その低い、狭い額には深い皺が寄り、目はちいさくて光沢がなく、時折、憂えげにあたりを徘徊させているが、もっとしばしばには、自分の心の内側を見ているように見える。彼がいま首をうなだれ、形容のしようもない(かし)げた足取りで動いてゆく。まるで、世界に向かって正面を見せるのを嫌がっているみたいだ。以上に書いたことをご理解願えるまで、読者はじっくり男を見張っていていただきたい。そしたら諸君も認めて下さると思うが、しばしば自然の通常な手作り品を素材にして素晴らしい人間を作るのは環境なのだから、環境がここにいるこの人間を作ったことがお分かりだと思う。次は、男が歩道をゆくままにしておいて、反対の方向に視線をなげて頂きたい。ひとりの肥った婦人が見える。かなり人生の黄昏(たそがれ)にあり、手には祈祷書を持ち、むこうの教会へと歩を進めている。彼女には落ち着いた寡婦生活の静寂な風貌がある。彼女の悔いごとは消え去ったか、それとも、彼女の心のあまりにも不可欠な一部となったものだから、悔いを歓びと交換することは、甲斐ないことだと知ったであろう。ちょうどあの痩せた男とこの順調に人生をへてきた女とが通り掛かったとき、軽い妨害が起こり、ふたりは思わず接触した。ふたりの手が触れ合った。群集の圧力で女の胸が男の肩に推しつけられた。ふたりははっと立ち停まり、互いに目を食い入るように見つめ合った。かくして、一〇年の別離ののち、ウェークフィールドは妻に遭遇したのである!
 群集は渦を巻いて去り、ふたりを引き裂いて通っていった。淑女らしい女は、以前の歩調に戻ると、教会へと進んだが、それでも入口で立ち停まり、街路の方へ困惑した視線を投げかけた。それでも彼女は、そのまま室内に入っていったが、歩きながら、祈祷書を開いていた。そして男は?多忙で、利己的なロンドンじゅうが立ち尽くし、その跡を迫ったくらいに狂乱した顔つきになった男は、大急ぎで貸間に戻ると、扉にボルトを掛け、がばっとベッドに身を投げ出した。多年の隠れていた感情が破裂したのである。彼のひ弱い精神は、その感情の力から暫しのエネルギーを必要とした。彼の人生の一切の惨めな不思議さが一目瞭然、彼の前に啓示されたのだ。だから、彼は熱狂的に叫んだ「ウェークフィールドよ!ウェークフィールドよ!きさまは狂っているぞ!」。
 恐らく、彼のいう通りだったに違いない。彼の置かれた情況の一風変わった異様さがそのままの鋳型に彼を()めて彼の人間性を形成していったのであるから、彼と同胞たちや人生のなりわいとの関連で事態を考える限り、彼が正常な精神の持ち主だったとは到底言い難かった。彼は自分を世界から断絶するように自分で工作し、というよりは現実に断絶し――そこから消滅し――生きた人間との間で保つべき自分の場所も特権も放棄する巡り合わせになり、あまつさえ、死者の仲間にすら入れてもらえなかったのである。彼の生活が隠遁者の生活と相似していたというのではない。彼は昔通りに、都会の雑踏の只中にいて、群集は彼の横を通り抜けたが、彼を見なかった。比喩的にいうならば、彼はいつも妻の傍ら、あの彼の家の暖炉の横にいたのに、暖炉の温かみも、妻の愛情をも彼は感じたことはなかったのである。本来自分のものであった人間的同情の分け前を保持し、いまもなお人間的利害に巻きこまれながら、他方では、その同情や利害にお返しをする互恵の影響力を失っていたとは、ウェークフィールドにとって前代未聞の運命だったに違いない。このような環境が彼の心情と知性の上に――さよう、それぞれ別個でもいいし、心情と知性の協和としてでもいいが――どんな結果をもたらしたかを追跡するのは世にも奇怪な考察を必要とするだろうが、それにしても、彼は変化していたにもかかわらず、自分ではその変化を意識することなく、自分は以前と全く変わらぬ人間だと考えていたのである。それどころか、真実の曙光が一瞬射すことがあったとしても、相も変わらず、彼はいい続けたものだ。「俺はすぐ戻るよ!」。彼は二〇年もそういい続けてきたのだが、ただそう反省してみたことがなかっただけのことである。
 もうひとつの幻想が僕に湧く。この二〇年という年月は、いまから回顧すると、ウェークフィールドが当初あの外泊の期間と決めていた一週間よりは長かったとはほとんど見えないのではないだろうか?この事件は彼の人生の全体からみれば、ひとつの幕間でしかなかったように彼には見えてくるはずなのだ。あれから少しのち、彼は客間にはいってくるはずだし、彼の妻も中年のウェークフィールド氏に逢えたことを歓喜して拍手するはずなのだ。ああ、なんたるミステーク!望むらくは、「時」が僕らの好きな愚行の終わりを待ってくれるものならば、僕らは、僕らすべてが、いつまでも青年でおれるはずなんだ。未来永劫、地獄の審判でくたばるまでは!
 ある夕方、彼が韜晦(とうかい)してから二〇年が経過していたが、ウェークフィールドは彼がいまも自分の家と呼んでいた元の住まいへ向かうべく、いつもの散歩をしているところだった。それは秋の、ある突風の強い夜で、みぞれが断続的に降りそそぎ、歩道に叩きつけていたが、人が傘をさそうとした矢先に降りやんでいる、そういった気まぐれな雨だった。家の近くで立ち停まったウェークフィールドの目にとまったのだが、二階の居間の窓から心地よい暖炉の火の赤い光とちらちら点滅する反射があった。天井には優しいウェークフィールド夫人の奇怪な反射の影が映っていた。部屋帽、鼻、顎、そして、ひろい腰の影、それらが素晴らしい漫画になっていて、上へ燃えさかったり、下へ火炎を吹きおろしたり、年配の寡婦にしては陽気すぎる嫌いがあった。この瞬間、夕立ちが降ってきて、不躾にもウェークフィールドの顔と胸に突風が吹き上げてきた。彼は全身に寒気を覚え、ぞくぞくっとした。自分のものである部屋の暖炉には暖かい火があるというのに、ずぶ濡れでがたがた震えながらここに立っているべきなのか?それに彼自身の妻だって、彼の灰色のコートと半ズボンをとりに走っていってくれるのだったら、恐らく二人の寝室だった部屋の衣装箪笥にきちんと置いてあるはずだ。そうだ!ウェークフィールドがそんな馬鹿なもんか!彼は階段を昇る、ずしんずしんと重そうに!――ここを降りてからの二〇年という歳月が彼の足をこわばらせていたのだから――だが、彼はこの老衰の事実を知らなかった。待った、ウェークフィールド!おまえに残されたただ一軒の家に、おまえ、入ってゆきたいのだろう?それならおまえ、墓場へ降りてゆくがよい!ドアが開いた。彼は通り過ぎ、部屋に入っていった。これが僕らがもった彼の顔との別れの一瞥であり、あの狡い微笑もこの時僕らには認識されたのである。この微笑こそが彼があれ以来自分の妻を犠牲にして演じつづけてきた、このちっぽけな冗談の(さきがけ)だったのだから!ああ、なんと無慈悲にも彼はこの哀れな女を煙に巻いてきたことか!はてさて、ウェークフィールドに良き一夜の安息あれかし!
 この幸福な事件は――幸福だったと仮定しての話だが――予測せざりし瞬間にしか起こりえない性質のものだった。僕らはあの(しきい)を越えてまで友についてゆくことは控えよう。彼は僕らに思案の材料をうんと残してくれたのだし、その一部は道徳的教訓談や比喩にするのに知恵を貸してくれそうである。この神秘だらけの僕らの世界は表面的な混乱に満ちてはいるけれども、その混乱のただなかにも、個人は体制に順応して生きてゆくのだし、一つの体制は他の体制に順応してゆき、こうして結局は、全体に対して順応してゆくのだから、人はちょっと脇道に逸れると、自分の場所を永遠に失うという恐ろしい危険に身を晒らし、ウェークフィールド同様、いわば、「宇宙の棄てられし者」になりかねないからである。
ナサニエル・ホーソーン

(2005.2.23)-1
ようやく水門が開き、粉挽き小屋の水車が廻り始めてくれたようだ。数ヶ月に亘って埃を溜めこんでいた軸は、ぎしっ、ぎしっというくぐもった軋む音をたてながらも、ともかくも周回運動を始めている。いずれ、粉挽きの大石臼は、久々にその合わせ目から白い粉をこぼすことになるだろう。その粉を口を含むと、はじめはちょっとばかり苦いが、そのあとから、側頭部がじーんと痺れて、なんともいえない酔っ払ったような心地になる。ぼくは石臼からこぼれるその粉を少しずつ集めて、綿の小袋に詰めて口を紐で結わえ、君に届けることだろう。君はそれを水で溶いて、注射針を浸して吸い上げ、その針を肘の内側に突き立てる。粉の成分は君の躰の血流を通じて、君の脳へと到り、それによって、君はぼくと同じ酔い心地を味わうのだ。
(2005.2.23)-2
読んでいる途中で、始められる、と気づいてから思い出したのだけれど、これが、ポール・オースター「幽霊たち」の基盤になった小説である。そのほかに、1999年にこれを詳細な小説に起こした者もあったらしい(その成果は映画化されたようだ)。また、ボルヘスがこれを激賞しているらしい。つまり、これは正銘の短篇小説の傑作なのである。多分、それだから、ぼくもまたこれを基底として用いる。
(2005.2.23)-3
もう、数回読み返しているのだけれども、実に不思議な小説である。記述の省略が散見されたり、細かなロジックの流れに整合の取れない部分があるにも関わらず、全体としては、極めて完全なのである。そして、そのためか否か、非常にイメージを誘う、というよりは、むしろ、小説であるにも関わらず、ある種の完全な実体を有していると感じられるのである。小説とは、斯くの如く不思議なる存在なのである、という非常に良き実例である(悲しいかな、ぼくには、それを分解して提示してみせることができない)。斯くして、ぼくらは、小説を書くにあたっての、第一義的な単純さを有した拠りどころを見失う。そして、良ければいいのだ、という自己矛盾を含んだ価値観がそのあとに残っているのを見出すことになるのである。
(2005.2.23)-4
そうなのである。問題は、これがまごうことなき傑作だからいけないのである。そして、小説というのは、残念ながら、どこまでいっても、決定的に「そのような」ものでしかない。しかし、その点にこそ、小説家の系譜が連綿として続く根拠があるのであり、文学研究者の永劫の不毛があるのである。
(2005.2.24)-1
「計画案の曖昧さ、実行に飛びこもうとしての痙攣発作的な行動パターンなど――それは意志力の薄弱な人間に見られる特徴なのである。」なるくだりは、たいへんに耳の痛いことではあるのだが……さて、ぼくは、どうやってぼくのウェークフィールドを書いたらいいだろう…まず、何を決めたらいいのだろう…視点を、一人称にするか、スタンダードな三人称にするか、書簡体にするか、日記調、あるいは、視点人物的にするか、はたまた、本家と同じく、作者を明示的に登場させるか…時勢は、現在から、それとも過去を語るようにするのか…いや、そもそも、誰にフォーカスをあてるのか?ウェークフィールド、その人?あるいは、妻のほうに?あるいは、まさに彼を反復しようとしている、ある男?それとも(どうやら、これは視点やフォーカスの問題にも密接に関わることのようだ…)、脳内でその人物を構築しようと夢想する人物(作家)…舞台はどこなのだろう。まさか、十九世紀のロンドンというわけにはゆくまい。となれば、必然的に現在の東京か…何人の人物があらわれるのだろう。ひとり。ふたり。さんにん…これも、何をどのように書くかによって、おのずと異なってくるだろうし…そもそも、話題は、妻および自宅を残したまま失踪し、しかも、その後、自身が失踪した後の様子を観察し続ける、という様式そのものなのだろうか?それとも、「集塊(マス)に溶けこむ」という状態のほうなのだろうか?あるいは、「習慣の人」のほうに、より重心がかかっているのだろうか…はたまた、それとも、「斜陽の寡婦(やもめ)暮らしの日々に諦めきった」だろうか…「劇的な場面」についてだろうか?(これは、安部公房、「他人の顔」と関連があるのだが)…そうだ、こんなくだりもあった。「彼は自分を世界から断絶するように自分で工作し、というよりは現実に断絶し――そこから消滅し――生きた人間との間で保つべき自分の場所も特権も放棄する巡り合わせになり、あまつさえ、死者の仲間にすら入れてもらえなかったのである。」死者の仲間でないのなら、彼は生者なのだろうか?いや、そうではあるまい…生者でもなく、死者でもない。とすれば、彼は人間なのだろうか?それ以外の区分が、人間(のようなもの)には与えられているのだろうか?ポール・オースターの作品の表題、「幽霊たち」…ゴースト…川端康成みたいな…そうだ、愉快な標語を思い出した。ひとは、確かに独りでは生きれないけれども、完全な無関心のうちにあることは可能だ…あるいは、恐るべき順応性、「深淵が、長い、広い、あんぐりとした口を開けるからなのではない――その口は忽ちにしてまた閉じられるからなのだ!」…ふと、すでに明るくなった窓外に目を遣ると、昨夜来の雪がうっすらと家々の屋根や、ビル、マンションの屋上に積もって、白灰色の陰鬱な朝を…
(2005.2.26)-1
至言なり。
「――知らないより、知っていた方がいいこともある。
 そうですかね。知らないのと知ることで、何か差異がありますか?」
「新聞・テレビを殺します」 〜ライブドアのメディア戦略』より

(2005.2.26)-2
彼の用いる理屈が、非常に単純明快なのに、感銘を受ける。なんということだろう。彼は、新手の原理主義者なのだ。原理主義者が、社会の中央で言葉を発することの可能な状態というのは、かなり危険である。危険なのは、もちろん、彼自体ではなく、彼の言葉にある種の力を感じてなびいてしまう、社会の方である(彼は、ぼくらと全く同じように、彼自身の奉ずるロジックに忠実であろうとしているまでのことだ。それは何ら咎められるべきことではない。それを否定することは、そのまま、それを否定すること自体の否定を意味する)。ほんとうに、ここまで来ているのだ。もうそれは、決して「予感」などではないのだ。なんということだろう。数年前のぼくらが、ブラウザがもたらす世界の拡張に対して感じた「新しさ」の具現は、もはや、どこも「新しく」ないのである。ぼくらは、「狭さ」の自覚無しには、日々の生活を送ることができなくなり、一般的な会話の論拠までが、物理学的厳密さと経済学的即物性を必要とするようになる。そのような社会は、極めて原理主義的である。モーセの十戒の正確な履行が課せられる社会というのは、尋常ではない。拝火教的である。しかし、彼に立ち向かうぼくらというのは、なんだか、馬防柵と三段撃ちに虐殺される騎馬武者集団を連想させられる。あるいは、大筒に徐々に削り取られる大阪城天守閣といったところである。哀しいかな、どうやら、論理を塗り替える新兵器を、彼らは確実に手にしつつあるようであり、ぼくらは、それを使いこなすことができないでいる、旧世代という構図のようである。ぼくらはまた、自身が働き蟻であることの自覚を要求されるようになり、それに対するアンチテーゼとしての個性だけを与えられるに留まるようになるだろう。そして、それは、ふとしたボタンの掛け違いで、「ぼくは人か」という、高校生的な問いへと急転する。そして、東京が巨大な蟻塚にしか見えなくなり、アンチテーゼという本質が、表層にあらわれる。それは耐え難い。実に、実に、耐え難い!分裂病を要する。その結果、ほとんどのコミュニケーションが、儀礼に堕する。ある人格は、その関係を唾棄し、また、ある人格は、その関係に縋りつく。それが、恒常的、かつ普遍的なものとなる。つまり、ぼくは君にいい顔をするようになり、そして、そのことを完全に自覚するようになるのだ。そういった、薄ら寒い、しかし、現実味を帯びた予測が念頭から離れなくなる。その結果がもたらすものは、自殺の肯定であり、従って、ぼくの論法がリーディングエッジであるという確証である。いや、真のリーディングエッジは、彼のようなシンプルイズベストという、普遍的な価値観なのだが、それに人間的な(なんという間抜けな言葉だろうか)色付けをするのは、ぼくらの仕事である。すなわち、それ以外の選択肢はもはやありえず、あるとすれば、この先に見える何らかの光明だけなのだという、これまでのあらゆる希望が有し続けたユートピアの夢想だけなのだという認識の具現(それ自体は、完全に旧来から存在した基本的要素であるのだが)、それのみである。すなわち、それは今またもう一度問われる必要がある。「我思う。故に我在り」というのは、いったい何のためにあるのか。ぼくは居なくてもいいかもしれないばかりか、居ない方が良いのかもしれない、にもかかわらず、ぼくは現に今こうして居るのだという、あまり面白くもない問いかけに応えるための試みをせざるを得ないのである。
(2005.2.27)-1
住む場所の下見にゆく。中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪。中野は、新宿のすぐそばだが(といっても、3kmほど離れている)、だいぶ大きい。駅前は、都会の繁華街な雰囲気である。一日では把握しきれそうにない。荻窪には、あまりよい印象を持たなかった。中途半端に大きい。ルミネがある。三軒茶屋に良く似ている。物件の数も、中野より少なく、あまり魅力的でない。アパートよりも、高級住宅の方が多いから、そういう距離なのだろう。中央線快速の停まらない、高円寺、阿佐ヶ谷には、非常に好印象を持つ。新宿に近い分、高円寺の方が若干ポイントが高い。いま、地図で、以前住んでいた上馬の部屋から渋谷までの直線距離と、高円寺から新宿までの直線距離を測ってみると、どちらも5km程度である。まあ、こんなところであろう。部屋の相場も、地元の仲介業者ならば、五千円ほど安そうである。これならば、予算のうちに収めることも可能だろうし、あるいは、もっと色気を出して、中野よりも新宿より(東中野や大久保)にできないこともなさそうである。とりあえず、今日は中央線沿いのみで終始してしまったので、あと、もう二三度出向いて、地下鉄や京王沿線を調べてみたいと思う。意識としては、中央線よりも北側、池袋を射程圏内に入れる感じにしてみようと思う。ふと思うと、池袋には行ったことがない。余裕があれば、駅前をうろついてみることにしよう。これで、よく都市を徘徊などとのたまっているものだと苦笑の体ではあるが、ただ、ぼくの想い描く都市というのは、そういった基幹ステーションの周辺を指すのではなく、それを微妙な距離感でとりまく、節操なしできつきつの居住エリアのことだ。そこは、都会の匿名性と、ローカルな一体感を伴ったコミュニケーションとが、実に危ういバランスで並存している。百人人中九十七人は、赤の他人だけれども、残り三人は顔見知りなのである(ぼく自身はそうでないけれども)。その極めて限定的に展開されるローカルさ、そのコントラストが非常に興味深い。そのちがいを生み与えるのは、面積的な地域性ではなく、目に見えない人間個々人の関係の鎖なのである。なんだか、文化地理学の下手くそな講義っぽくなってしまったが、要するには、その中に入り込み、なおかつ、そういった人間的リンケージを遮断した場合に、そうした人間は、存在していながらに非存在となる、あの「都市に溶け込む」という状態に到る。ふたつ向うの部屋の人間は、スマトラ沖津波の被災者や、イラク駐留米軍の一兵卒よりも、たしかに遠い存在である。だいたい、そういったようなことに興味を持っている。「ウェークフィールド」である。そして、また、そのような状態から、人間関係を回復してゆく様を描こうとする試みは、社会意的存在としての人間の最もファンダメンタルな点を意識しなおすという過程になるのではないかと思う。
(2005.2.27)-2
三時間ほど歩き廻ってから、阿佐ヶ谷の喫茶店に入る。そこは、だいたい条件にマッチしている。駅近傍ということで、比較的客が多いのと、あまり食料を出さないようだというのが、難点であるが、雰囲気はなかなかよい。やはり、昼間は、こういった喫茶店で本を読み、夜に書き進めるというのが、基本的な日課になることだろうと思う。でも、「ウェークフィールド」に行き当たった今のぼくは、新しい小説をあまり必要としていないので、結局ホーソーン短篇集のその次の一篇を読んだだけだった。


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