Jimmie Rodgers Tribute


 ジミー・ロジャースに捧げるアルバム(Tribute Album)を発表しているアーチスト(○)およびTribute Albumは発表していないが、ジミーの曲を数多く取り上げているアーチスト(☆)を紹介します
 このページを書くために棚を探したら、いろいろなLPを持っているので、自分でも驚くほどであった。1970年頃に、海賊版とおぼしきLPが神保町界隈の輸入盤専門店で発売されていた。ジャケットが簡易印刷であったり、タイプ印刷(当時はワープロがなかった)であったりして、購買意欲をそそられるものではなかった。しかし、出典不明であっても、今では「お宝」的なものや「珍品」がたくさん並んでいた。
 当時の安い給料では、何枚も買うことはできない。そのような中でもロジャース関係だけは、しっかりと購入していたことは、我ながら感心する。その中でも、ジーン・オートりー、オブレィ・ラムゼィおよび「マイナーなアルバム」で照会する2枚は貴重盤の最たるものではないだろうかと自画自賛している。

アーネスト・タブ (Ernest tubb)
エルトン・ブリット (Elton Britt)
オブレィ・ラムゼイ (Obray Ramsey)
グランパ・ジョーンズ (Grandpa Jones)
ジーン・オートりー (Gene Autry)
ジミー・スキナー (Jimmie Skinner)
ジャック・エリオット (Jack Elliott)
ジャック・ガスリー (Jack Gathrie)
ディーン・ミッチェル (Dean Mitchel)
ドック・ワトソン (Doc Watson)
ハンク・スノー (Hank Snow)
ビル・モンロー (Bill Monroe)
マール・ハガード (Merle Haggard)
レフティ・フリーゼル (Lefty Frizzel)
ロバート対中


Tribute Albumを発表しているアーチスト

Jack Elliott(ジャック・エリオット) 1931.8.1〜
 ランブリング・ジャック・エリオットは、アメリカ伝統のうたホーボー・ソング″を90年代にギター弾き語りで演じたフォーク歌手である。ニューヨークのブルックリンの生れであるが、カウボーイに憧れ、歌手の道を歩んだ。ジーン・オートリー、ロイ・エイカフ、ハンク・ウィリアムス、アーネスト・タブ、ジミー・ロジャースといったカントリーの巨人たちの歌に親しみ、やがてウディ・ガスリーに出会う。
 代表作は「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」、フィンガー・ピッキングが味わえる「レイルロード・ビル」、ウディ・ガスリー・ソング「ハード・トラヴェリング」「トム・ジョード」「トーキング・ダスト・ボウル」などとがある。
 フォーク・ブームになり、フォークに力を入れていたプレスティッジ・レーベルからファースト・アルバム『シングス・ザ・ソングス・オブ・ウディ・ガスリー』、以下次々とヒット・アルバムを連発、フォーク・スターの地位をつかんでしまった。ボブ・ディランは、首から吊るしたハーモニカとアコースティック・ギターのみのシンプルなジャック・スタイルに影響を受けたとも伝えられている。
 アルバム『Sings Woody Gathrie And Jimmie Rodgers』(Montor Record)では、クラリネットとトランペットをバックにした、それぞれ6曲ずつが聴かれる。ライナー・ノーツでは、ジミー・ロジャースをカーボーイ・シンガーであり、白人ブルース・シンガーとしてとらえている。
 また『Muleskinner』(Topic Record英)にもMuleskinner Bluesの1曲収録されているが、ギターとハーモニカの典型的なエリオット・スタイルである。ジャック・エリオとはこの歌を、ジミーのレコードから学んだシスコ・ヒューストン(Cisco Huoston)から覚えたと書いている。このあたりは"Woody's Childrenの輪"という感じがする。ちなみに手持ちの10枚のシスコ・ヒューストンのLPにも同曲しか収録されていなかった。










Sings
Woody Guthrie
and Jimmie Rodgers










Mule Skinner
Jimmie Skinner(ジミー・スキナー)
 ジミー・スキナーはこのアルバム(マーキュリー)を作成するにあたって、準備に数年を費やした。その工夫の1つとしてファミリアなスティール・ギターに重点を置いた。オリジナルにおけるクリフ・カーライルの代わりに、ラスティ・ヨークを起用した。
 このLPはCASTLE Record社の復刻版であるが、ジャケットはオリジナルと同じだと思われる。
 日本では全く聴くことのない歌手だが、年を取ってからもVETCO Recordや自分のレーベルなどから何枚ものLPを出しているというのを見ると、人気があったのかもしれない。
 









Sings Jimmie Rodgers
ロバート対中
 日本人の歌手でもジミーの曲をレパートリーにしている人は多い。しかしトリビュート・アルバムを出したのは他にはいないのではないのだろうか。1970年頃は日本のカントリー界にとってホントによい時代でしたネ。
 このアルバムでは、エレキ・ドブロや蒸気機関車の音をバックに入れたり、曲にあわせた趣向を凝らしている。特にオリジナリティを尊重しているのが、ジミーが唯一"Home Call"で使用しているミュージカル・ソウ(スライド・ギターを使用した別テイクもある)を同じ曲で使用している。
 昨年、復活したロバートさんのライブに行ったとき、ご本人もこのLPを今では所有していないという話をしていました。図々しくサインをしていただいた「私のお宝」です。
 なお、このLPに先立ってロイ・エイカフのトリビュート・アルバムも出している。これらを含めた曲がCD(S-Label:SH-101)て聴くことができる。
 日本でも昔のカントリー業界はよかったですね。









ジミー・ロジャースを歌う
Hank Snow(ハンク・スノー) 1914.5.9〜1999.12.20
 ハンク・スノーについては言うこともないと思う。ジミー・ロジャースを尊敬し、子供にジミー・ロジャース・スノーとつけたほどである。ドック・ワトソンも子供に尊敬するマール・トラビスにちなんだ名前を付けた。日本に限らず「あやかり名」があるのだな。
 ジミーの曲を40曲以上録音しているが、アルバムは3枚と少ない。録音時期から判断すると、アルバムを作る目的で録音したのが少ないのではないだろうか。RCAの廉価版であるCamden盤の多くに1〜2程度収録されている。
 日本では写真の3枚目と1枚目が発売されている。2枚目は輸入盤で入手した。
 ハンク・スノーの日本公演を見たが、間奏に入るスノーの生ギターには、本物を見た感動でジーンときたものである。最後の曲が終わるとアンコールを要求するのは通常であるが、それに対して全く応えてくけなかったのは、人間性を見たような気がした。
 

The Jimmie Rodgers Story
Merle Haggard(マール・ハガード) 1937.4.6〜
 副題:Sings the Great Songs of Jimmie Rodgers
 青を基調にギターを抱えている"Mama Tried"のジャケットを見たとき、なぜかジミー・ロジャースをイメージした。それから数年後に日本で発売されたのが、このTribute Albumである。ベア・ファミリーからの再発盤(BCS-15740)には、単発で収録された3曲と未収録の1曲が納められている。
 このアルバムのすごいところは、まだ売り出し途上のハガードが、そしてTributeもので2枚組みで発表したことである。
 ナレーションが入っているので、曲数は少ないが、ドブロが雰囲気を出している。
 

Same Train,
A Different Time
Grandpa Jones(グランパ・ジョーンズ) 1913.10.20〜1998.2.19
 副題:A Tribute To Jimmie Rodgers
 King、RCA Victor、Deccaの後に所属したMonument時代に、"T" For Texasをリバイバル・ヒットさせたのを機会に製作された。RCA時代にも、ここに収録されているDear Old Sunny South by the Seaをヒットさせている。また、その後のCMH Recordにも曲の重複があるが、数曲録音しいてる。グランパー節で明るいイメージで歌われている。
 1976年12月の来日公演では、Dear Old ・・・、"T" for Texasをはじめとして、楽しいステージを見ることができた。ちなみに、同じ月にThe New Grass Rivivalが、翌年にはビル・モンロー(1月)、オズボーン兄弟(4月)、マール・トラビス(6月)と目白押し。「昔はよかった」。
 なお、オリジナルは、このアルバムに収録されているスイス・ヨーデルにちなんだ(?)服装の冴えないのジャケットであるが、日本盤では別のアルバムの写真を使用している。。この頃は、アルバムの内容はオリジナルのままであるが、ジャケットのデザインがオリジナルし日本盤では異なることがあった。収録曲を確認しないと、買ってみたら同一アルバムであるという危険性があった。
 グランバーはコミック歌手としての側面もある。ジミーの"T.B. Blues"の替え唄"TV Blues"は"I've got a TB Blues"とそれに続くヨーデル以外は本歌とは関係ない歌詞になっている。

Grandpa Jones
Yodeling Hits
(邦)
Elton Britt(エルトン・ブリット)
 ヨーデルといえばエルトン・ブリットである。(*)
 1930年代に、まだ十代であったエルトン・ブリットの歌とヨーデルを聞いたジミー・ロジャースは、エルトンをラルフ・ピアに紹介したのが、出世の糸口である。1933年5月に、エルトンが最初のレコーディングを行うためにニュー・ヨークへ行く途中でジミーの死を聞いた。
 このアルバムは廉価版のCAMDENから出ているので、7曲+"In the Pines"と、ジミー・ロジャース賛歌 "The Jimmie Rodgers Story"がら構成されている。この歌は17番からなる歌詞に30曲近い題名を織り込んだ7分以上の対策である。ハンク・ウイリアムス賛歌の"Hank's Song"(歌:ファーリン・ハスキー)と違い、歌詞になりにくいタイトルが多いので、苦しい構成部分もあるが。
 (*)と言われているが、バラード・シンガーや映画出演もしたカーボーイ・シンガーとしても有名である。それは、20年にわたるRCA時代に672枚のシングルと56アルバムを発表していることからも証明される。日本では残念ながら、ABCに移籍した後の数枚(私が所有しているのは3枚)程度しか発売されなかった。

The Jimmie Rodgers Blues
Lefty Frizzel(レフティ・フリーゼル) 1928.3.31〜1975.7.19
 レフティは父母の影響でロイ・エイカフを聞いて育った。その後ジミー・ロジャースのヨーデルに魅了されていく。その影響が大きいことは子供にジミー・ロジャース・フリーゼルと名付けてたことでもわかる。
 このアルバムは、レフティがコロンビア・レコードでデビューしてから1年後に実現している。当時レコード市場に大きにシェアを獲得しようとして強力にプッシュした4分野の一つとしてジミーに捧げるアルバムが選ばれた。ちなみに、その他のアーティストはベニー・グッドマン、デューク・エリントン、ジョー・スタッフォードというそうそうたるメンバーである。
 日本盤のアルバムには10曲が収録されているが、発売当時は廉価版のハーモニー・レーベルであったので、8曲である。
Sings Jimmie Rodgers
(アーネスト・タブ) 1914.2.9〜1984.9.6
 ホンキー・トンク・ミュージックの代表的な歌手であるタブも、デビュー当時はジミー・スタイルのコピーであった。Blue Eyed Elaine、Mean Mama Bluesなと、似通ったタイトルもある。
 タブは、まとまったセッションとして録音していない。バラバラに録音したものを集めた形で、アメリカではEP盤(8曲)として発売しているので、日本ではそのままの形では発売されるはずはない。
 しかし日本では、1974年の「アーネスト・タブ全集(4枚組LP)」の中の1枚に全14曲とジミーをテーマにした2曲が収録されている。これは快挙である。
(タブとロジャース)  どういうワケかNetScape 4.7では文字化けします。
アーネスト・タブ全集(邦)
Gene Autry(ジーン・オートリー) 1907.9.29〜1998
 歌うカーボーイとして知られるジーン・オートりーもロジャースに影響された一人であり、初期の頃はギターの弾き語りが中心であった。
 当時の歌は、1970年頃に出された復刻版"40 Rare Gems Gene Autry"(CMH 114-5)や"Young Gene Autry"(Country Loon CSC-69)で聴くことができるが、ほとんどの曲がロジャース・スタイルのブルー・ヨーデルで、カントリー・ブルースに近い感じである。
 右のLPには1929〜1933年に録音された16曲が収録されているが、トリビュート・アルバムではない。ロジャースと同時代に歌手になったことがわかる。上記"Geme"には2曲重複しているが他にも2曲収録されており、オムニバスにも別の曲が収録されているところをみると、まだ存在しているかもしれない。
 これらでは、カーボーイ歌手とは違う一面が聴かれる。
 また、The Death Of JR、The Life Of JRなど4曲の追悼歌をうたっていることからも、意気込みがわかる。
[アナハイム・エンジェルス]の初代オーナーであることでも有名である。2002年の地区優勝のときには、球場内にある大きな写真が何回も映し出されていた。
Young Gene Autry
Sings the Songs of
Legendary
Jimmie Rodgers
Obray Ramsey(オブレィ・ラムゼイ)
 オブレィ・ラムゼイに関しては、詳細は知らない。このLPが"Prestige"レーベルから出されていることから考えると、フォーク系の歌手かもしれない。
 このLPではトミー・ハンターのギターとともに、ほとんどをバンジョーの伴奏で歌っているので、おかしな感じを受けるかもしれないが、ロジャースが最初に使用していた楽器がバンジョーであったので、一つのアイデアかもしれない。

Obray Ramsey sings Jimmie Rodgers Favorites
Dean Mitchell (ディーン・ミッチェル)
 "A 109 song Tribute to the Music of Jimmie Rodgers"と題しているように、「全曲集」である。ファンとしては、まさに待望のCD4枚組である。
 ギター/フィドルの他にフィーチャーされているドブロによってロジャースの感じがよく出ている。
 マイナーな会社から出されているので、大きなミスが2つ。(1) 最後に記載されている"Dixon Line"が収録されていない。(2) ボックスの裏に書かれているアルバム・タイトル名"・・・Jimmy Rogers"はお遊びか・・。

Waitin' For A Train


ジミーの曲を数多く取り上げているおよび影響を受けたアーチスト
Bill Monroe(ビル・モンロー)
 モンロー・ブラザースから独立したモンローが、ロジャースの"Mule Skinner Blues"でオープリーにデビューしたのは有名である。1941年にBlue Yodel No.7と共に録音している。それ以降、ブルーグラッサーの定番となった。"New Mule 〜"としても録音しているが、歌詞が異なっている。
Jack Guthrie(ジャック・ガスリー)
 フォークのウディ・ガスリーのいとことして、またOklahoma Hillsの作者として知られている。
 ベア・ファミリーから3枚のCDが発売されている:(1) BCD 16412(When the World Has Turned)、(2) BCD 15580(Oklahoma Hills)、(3) BCD 16400(Milk Cow Blues)。(1)にはオムニバスに取り上げられたことのある"When The Cactus・・・"と返答歌の"Answer to 'Moonlight and Skies'"が、(3)には10曲が収録されている。
Doc Watson(ドック・ワトソン)
 もっとも敬愛している歌手として、デルモア・ブラザースと共にロジャースをあげている。多くのアルバムやステージでは、必ずと言っていいほどロジャースの曲を取り上げている。

オムニバス・アルバム

 "When the Evening Shadows Fall--A Tribute to the Legendary Jimmie Rodgers"というこのアルバムは、4つのカテゴリーが含まれている。
 ジミー・ロジャースを尊敬している歌手によるロジャース・ソング。ジーン・オートリー(2曲)、ジム・リーブス(1曲)。
 ハンク・スノー、アーネスト・タブ、ブラッドリー・キンケードそしてエルトン・ブリットによるジミーをテーマにした曲。
 ジミー夫人の歌う"We Miss Him When the Evening Shadows Fall"。ジミー夫人よりはその姉妹のエルシー・マックウィリアムスが、ジミーの歌の作者として有名である。
 最後がジミーの7枚のLPに収録されなかった曲(2曲とあるが、実際には1曲)である。

 最近ベア・ファミリーから出たのが、"Memories of Jimmie Rodgers"(BCD 15938)である。
 上記LPのトリビュート・ソングとロジャース夫人の別の1曲の他に、ジーン・オートリー、ウェスタン・スウィングのリー・O・ダニエルなどによるジミーをテーマにした曲などから構成されている。
 ・Whe JR Said Goodbye(D.Butcher,G.Autry,K.Houchins,H.Snow)
 ・The Life Of JR(G.Autry)
 ・The Death Of JR(G.Autry,B.Kinkaid)
 ・Good Luck Old Pal(G.Autry,K.Houchins)
 ・Memory Of JR(O'Daniel)
 ・JR's Life(B.Kinkaid)
 ・The Last Thought Of JR(E.Tubb)
 ・The Passing Of JR(E.Tubb など
 また、毎年5月に行われるメモリアル・フェスの写真とライブ録音が、マニアにはうれしい。
 

マイナーなアルバム

Sound Like Jimmie Rodgers
  (Jimmy Davis)

 ジミー・ディビスは、博士号を取得し、大学の先生などをしていたが、歌うカーボーイにあこがれ、歌手へ転向した(1928年)。
 当時の多くの歌手と同様に、ジミー・ロジャースの影響を受けた。最初に所属したブルー・バードに多くの自作曲を録音したが、その多くはこのLPで聴かれるように、ジミー・ロジャース風の歌い方である。<注>これらの曲はベア・ファミリーのボックスセットに収録されている。

これは誰でしょう

The Tennava Ramblers
 ラルフ・ピアが主催した1927年のブリストル・セッションは多くのカントリー・スターを生み出したことで有名である。
 このセッションに集まったグループの一つが写真のメンバーである。名前は「ジミー・ロジャース・エンターテナーズ」という。後ろでバンジョーを持っているのがジミー・ロジャースである。
 録音の前日にグループ名についてもめ、ロジャースはソロで録音し、別のバンジョーを加えた残りのメンバーがテネバ・ランブラーズとして録音した。
 したがって、写真のメンバーは正式にはテネバ・ランブラーズではなく、このアルバムにもジミー・ロジャースは参加していない。ストリング・バンドで、歌は中心メンバーのクロード・グランとである。そうすると・ロジャースはバンジョー専門だったのだろうか。
 LPの3曲がブリストル・セッションのものであるが、"Beautiful Brown Eyes"や"In the Pines"の替え歌バージョンが多い。