Uluru 物語 (3)青春 我々は当初OB会に顔を出さなかったが、我々の世代と我々の一つ下の世代は結束が固い。オーストラリア遠征が漠然とした夢物語でなく、実現に向けて具体的に走り出してからはより一層求心力が高まったように思う。
「起業」、つまり事業を起こすには、夢は欠かせない。創業者達には壮大な夢なり思いがある。
しかし、事を成すには夢だけでは決して実現しない。我々の世代は当時としては壮大な夢を見た。夢の実現に向かって努力もした。でも残念ながら学生時代にはその夢は実現できなかった。それから40年たった。
学生時代には実現できなかったけども、誰一人として夢は諦めていなかった。だからこうして今でも皆で定期的に会えるようになったのかもしれない。オーストラリア遠征を夢見て、皆で突き進んだことが潜在的な求心力の源になっていたのかもしれない。
夢の具体化には、我々の下の世代が大きな役割を果たしてくれている。やはり夢見るだけではダメで、着実にプロジェクトを進行させていく冷静な実務者が必要だ。我々は少し思い入れが強すぎたのかもしれない。ちなみに彼らの勤務先は、商社、航空会社、電機メーカーで、第二の職場に移った者もいる。
さて、学生時代には壮大な夢と思われたオーストラリア遠征だが、コース、日程、予算などの条件を洗い出し積み上げていくと決して実現不可能なことではなくなっていた。日程は、実行予定の頃にまだ現役である者に配慮して、エアーズロックを経由する車による縦断一週間と東海岸を交通機関で回る二週間の約16日間。予算は30万円+αで精々50万円。これは今の我々にとって夢でも何でもない。
しかし、一人で行くのとは違う。団体ツアーで行くのとも違う。そこには、38年間の思いがあり、取り分け多感な青春時代の夢をやっと実現させることが出来るという達成感、というよりやり残したことの精算という意味がある。やっと、喉に刺さった小骨を抜く時が来た。
38年たった今、同じ夢を一緒に実現できる喜びがある。これぞ第二の青春と呼ぶにふさわし
ちょうど良い機会なので「青春」について調べた。
まずはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。「青春(せいしゅん)とは、若く元気な時代。主に青年時代。元は春を表す言葉が転じて、人生における若く未熟で、しかしながら元気で力に溢れた時代を指すようになった。」
「主に青年時代」とあるので同じ出典で「青年」を調べると、「・・・いずれにしても年齢に関する厳密な定義はない。・・・心理学の場面では30歳代前半まで指すとされる。」とあった。
ついで、青春についての有名な詩から。
「青 春 :原作 サミエル・ウルマン 邦訳 岡田 義夫
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。・・・(以下略)」
なかなか良い詩ではないか。ともに年齢の問題なのではなく心のありようの問題ということらしい。折角なので原文を探した。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2480/ie-youth.htmlYouth Samuel Ullman
Youth is not a time of life -- it is a state of mind; It is a temper of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease. Nobody grows old by merely living a number of years; people grow old only by deserting their ideals.
さて、一般的に第一の青春は、「金」がなく、受験受験で「時間」がなく、「自分の家」もなく(親の家はあったが)、麗しく賢い「妻」もいなかった。(彼女は人によっていたりいなかったりだったが)
つまり、第一の青春は「ないないづくし」だった。
第二の青春は、「金」はふんだんではないがまあまあ、「時間」は死ぬまでたっぷり、「自分の家」はあるし、麗しいか賢いかは別として妻はもちろんのこと子供もいる。人によっては孫までいる。(彼女は人によって・・・多分、我々メンバーにはいないだろう。・・・多分。)
何でもあるが、気をつけなければならないのは「健康」だけ。
でも、我々にとっては第一の青春にも存在し、第二の青春にも存在するものがある。
それは、「40年たっても見続けている夢」、「それを実行しようとする意志」、そして「ずっと同じ夢を見続け、それを一緒に達成しょうとしているかけがえのない仲間」である。
続く
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