Uluru 物語 
(4)鈴木守衛長

我々自動車部員にとって忘れられない人、現役時代お世話になった人がいる。国立の正門の守衛、鈴木さんである。

鈴木さんは歯に特徴があり、はっきり言うと前歯がかなり出ていて、笑顔がとても爽やかだった。「守衛」というと「怖い」「融通が利かない」というイメージがあるが、あんな気さくな守衛さんも珍しく、大学を散策する市民の間にもファンがいたようである。

自動車が好きで、見回りの途中に、我々がツナギを着ておんぼろ車の下にもぐって修理・整備をしている所によく立ち寄って話し込んだ。何を話したのか今は全く覚えていないが。
とにかく一日に1回は必ず話をしていたように思う。それだけ気にかけてくれていた。

「とにかく自動車部の連中はかわいくてかわいくて。」という話を退官されたあとから伺った。

正門横の守衛室に詰めている関係で、国立市民が家庭教師を求めて学務課を訪ねて来た時など、「家庭教師だったとてもいい子がいますよ。」と言って部室に連れて来て、部員の誰かを紹介してくれたりしてくれた。私も2回ほど紹介してもらった。

エピソードも多く、亡くなった土岐君も随分とお世話になったようだが詳細は書かない。先日お会いした時に「とにかくあいつは凄かった。生きていたら相当の人物になって活躍していたことは間違いない。何人も一橋の学生を見てきたこの俺が言うのだから。」とおっしゃっていたが、そのとおりだと思う。
今は亡きダイエーの中内社長が、彼が就職試験を受けた時に自宅にスカウトに来たという逸話も残っている。

 卒業25周年記念同期会を如水会館でやったのが確か1995年。その少し前だから95年か94年に、会社の部の食事会を国立でやることになり、食事会の前に24〜5年ぶりに大学を訪れた。本社は立川だったから一駅だがなかなか訪れるチャンスがなかった。それだけ心に余裕がなかったのかもしれない。

駅舎は古いままだが、駅前は当時より華やかで人通りも多い。増田書店もきれいになっていた。しゃれた店が多くなっていた。正門を入ると相変わらず大きなたて看板が目に付いた。左の掲示板はほとんど当時のままですっかり古びていた。もっとも当時も古びていたようにも思うが。

きれいになった生協の建物を横目に見ながら歩いてゆくと、自動車部の部室もそのまま残っていたが使われていないようだった。少し足を伸ばして。陸上のグラウンドの方に行くと、フィールドは草が伸び放題で荒れていた。野球グラウンドは健在。さて、自動車部の練習コースに行くと、草が深くてほとんど当時のクランクやS字カーブなどは見分けがつかない。『それもそうだ。部そのものがないのだから。』
と当時を思い出しながら、池の横を通って正門に向かう。『そういえば当時守衛の鈴木さんがいたなあ。随分お世話になったけど。25年もたったらもういないだろうなあ。お会いしたいなあ。』と思って鈴木さんの連絡先を聞こうと守衛室に向かった。

「あっ!!! 鈴木さん。何でいるの?? 鈴木さんの連絡先を聞こうと寄ったところですよ。」
「おう!! よく来たな。お前が来たのはすぐ分かった。通り過ぎて行く後ろ姿の首から頭にかけての感じが昔のままだった。黙って帰ったらただじゃおかないと思っていたけど、良く寄ってくれたな。まあこっちへ入れよ。」

それから話し込んで、結局部の食事会には30分以上遅刻した。 

そして、私の提案で卒業25周年パーティーに出席していただくことになった。

続く
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