Uluru 物語 
(6)オーストラリからの留学生

 遠征に備えてオーストラリアのことを勉強しようという事になった。
「なった。」というより学生部長であった蓼沼先生からの、大学として遠征を認める条件の一つだった。
ゼミ形式で行うことになり、山澤逸平専任講師(当時)を紹介され、山澤先生からオーストラリアからの留学生 Bruce Piper を紹介され彼も一緒に加わることとなった。



ゼミを開始するにあたって我らの仲間がPiperの下宿先を訪ねて話をしたが、日本語が堪能であっったため日本語で話したことを、山澤先生から「なぜ英語でコミュニケートしなかったのか?」とご指摘を受けたことがあった。



ともあれ、こうして3〜4回ゼミを行ったように思う。

日豪の地理的な関係、貿易関係、政治体制、現状と今後のあるべき関係・・・など、テーマは多岐にわたった。

印象的だったのが、当時の白豪主義について仲間の誰かが言及した時、普段おとなしいPiperがムキになって、“What is White Australianism? “ 「白豪主義って何だ? そんなものは存在しない。」

“Attitude ? or Policy? “ と激しく詰め寄られたことだった。

その時私が感じたのは、「彼のような理想主義的なインテリには、白豪主義はあってはならないものだったし、認めたくないものだったに違いない。でも、彼がいみじくも言ったようにAttitude としては確かに存在していたものだったのだろう。」という事だった。

今でもその見方が正しかったのだと思っている。差別とか、異民族に対する感情はそんなものだと思うし、そんなに簡単にはなくならないものだと思う。

彼はそれを一番わかっていたからこそムキになって我々に反論したのだろうと今でも思われてならない。



年齢的には我々と同年代だと思うが、オーストラリアは「飛び級」があるからもう少し若かったかもしれない。



ゼミを離れて彼を含めて何人かで新宿に飲みに行ったことがある。「樽小屋」という店だったが結局朝まで飲んだ。皆グロッキーになったが彼だけは最後までケロッとしていた。

オーストラリアはスコットランドからの移民が多く、スコットランド人と言わず寒い国の民族は一般的に酒が強い。そのせいかもしれないとは、後に自分がスコットランドにハマるようになってから思ったことだ。



卒業して1年目くらいの時に大阪万博があり、その時テレビにオーストラリアの通産省の役人として紹介されたのを偶然見たことがあった。

それが彼を見た最後だった。

今回の遠征で何とかしてもう一度再会したいと願って、いろいろ手を尽くしているが残念ながらまだコンタクト出来ていない。


続く
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