Uluru 物語 
(9)ついにPiperさん発見

 
 (6)で書いたように今回の我々のもう一つの目的は、「何とかしてBruce Piper氏と再会したい。」ということにあった。私もいろいろ手を尽くしてみた。

まず、大学のOB名簿を当ったが残念ながら見当たらなかった。次にオーストラリア大使館に事情を説明して照会した。大使館から丁寧な返事をもらったが、これまた手がかりはなかった。

そうこうして時が経って行ったが、富岡君が古い如水会名簿で昭和51年経済修士卒のGilbert Georgeというオーストラリア人を見付け、6月24日に彼にメールを送ったところ、返事が来て「同じ時期に日本にオーストラリア人にメールのコピーを送って調べてみる。」という返事が来た。
7月9日に冨岡君がその後の進展状況を問い合わせたところ、「残念ながらまだ見つかっていないがPiperさんと2〜3年前シドニーで一緒に食事をしたという友達と話をした。 当時Piperさんはシドニー郊外のゴードンという所にすんでいたが、その後コンタクトは取れなかった。.私は Piperさんは Department of Trade & Foreign Affairsで働いていると思う。」という返事をくれた。

 そこからが富岡君の凄いところで、Gilbert George氏からのメール、Gordonに住んでいたこと、Australia Gov. Dept. of Foreign Affairs & Tradeに勤めていたことを手がかりに15日に同Dept. に一通、さらにどうやってオーストラリアまで検索したのか、Gordonの某テニスクラブにPiperさんの名前を見つけ、クラブ宛にメールを送って、ついに探し当てたのだった。
まさに奇跡に近いことだった。彼の話ではBruce Piperという名前だけで検索したら660万人、オーストラリアに150万人出てきたか。これはと言う人に連絡した所「その頃私は8歳でした。」などという返事ももらったり、「その人が見つかりますよう祈ってます。」と励まされたりとか。でも、オーストラリア人は事情を伝えると必ず返事をくれて、親切な人が多かったそうだ。

彼の人を探し出す能力はとてつもないもので、検索能力、語学、粘り、このどれもがなくては今回の発見はなかったことは間違いない。
ちなみに彼は某人材紹介・発掘会社のシニア・コンサルタントである。いわば人探しは商売。さすがプロのなせる技。あらためて皆で感心した。
人材発掘に国境はない。5月にはロシアまで行って話をまとめて来たそうである。


続く
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